「銀の鈴」の歴史

2017年06月24日
最近の待ち合わせは、ケータイで連絡取り合うことがほとんどになったが、
東京駅の「銀の鈴」の前は今も変わらず、待ち合せスポットになっているのか、
多くの人たちでいっぱいだ。現在の「銀の鈴」は4代目。駅の地下、丸の内側と
八重洲側を結ぶエキナカ「グランスタ」の広場にある。
「銀の鈴」は、来年誕生50周年を迎えるという。カウントダウンイヤーとして
10年ぶりに3代目が公開された。(6/1~18)

       銀の鈴
         3代目(1985~)     4代目(2007~)     

先週、東京駅で乗り換えることがあった。時間に余裕があったので、地下へ。
金曜日の夕方とあって、「グランスタ」は通勤客、観光客、お土産やお弁当を
抱えた人たちでごった返していた。広場奥のベンチも空席が見当たらない。
ほとんどの人は足をとめることなく3代目、4代目の「銀の鈴」を通り過ぎていく。

   広場

現在の「銀の鈴」は、2007年の「グランスタ」オープンの時に設置された。
デザインは金属工芸家宮田亮平氏(当時は東京芸大学長、現文化庁長官)。
鈴には、佐渡島から上京した際、故郷の海で見たイルカが刻まれている。
今までグランスタに行っても、4代目を眺めたことはなかったように思う。

   銀の鈴
           3代目               4代目

隣に置かれた3代目は直径70cmの鋳銅製。10数年前まで新幹線を利用する
スケッチ旅行では東京駅集合が多かった。「銀の鈴」前で集合したことはないが、
まさしく鈴の形をした3代目には見覚えがあった。懐かしい。

     1~4代
     
初代(1968年6月~) 1964年の東海道新幹線開業により駅利用者が急増。
駅員の1人の考案で、新幹線改札口前に待ち合わせ場所として誕生した。
竹の骨組みの上に和紙を貼り、銀紙で装飾した手製のもの。直径70cm。
中にスピーカーを入れて鈴の音色を流した。

2代目(1969年11月~) 手製だった初代の誕生から約1年半後、鋳銅製で
つくられ、少し離れた八重洲中央改札の外側に設置された。鈴の音を流す機能は
受け継がれ、1978年まで鈴の音を流した。

3代目(1985年2月~) 東京駅名店会より名店会30周年記念事業として寄贈。
東京駅八重洲中央待ち合わせ場所の改良工事完成とともに設置された。
1994年8月、北陸新幹線乗り入れ工事に伴い地下の現在地に移転。

   フェア

グランスタでは「銀の鈴フェア」が開催されていた。スイーツなどの店舗の前には
長い行列ができていた。
50周年の来年6月、復元した初代と2~4代目までを一堂に展示する予定とか。
旅・散策

200年前の日本橋?!

2017年06月23日
先月、日本橋三越での展覧会に向かうときに通った地下のコンコースの壁には、
日本橋の賑わいが描かれた『熈代勝覧』(きだいしょうらん)の絵巻がつづいていた。

      熈代勝覧

パンフレットによると、この絵巻は、原画の1.4倍に拡大され、和紙に印刷された
約17mにわたる詳細な解説がついた複製絵巻。(2009/11 除幕会、日本橋
地域ルネッサンス100年計画委員会 江戸東京博物館監修)
「熈代勝覧」は「熈(かがや)ける御代の勝れたる大江戸の景観」と言った意味。

      パンフ
『熈代勝覧』は、文化2年の江戸日本橋から今川橋までの大通りを東側から
俯瞰描写した作品。(43.7×1232.2cm)
原画は、ベルリン国立アジア美術館に所蔵されている。作者は不明。
1999年にドイツで発見され、化政期の江戸の文化を知る上で貴重な史料。

現在の中央通りに当たるこの通りは、現在では三井グループなど大手企業の
オフィスビルが立ち並び、ビジネス街としての性格も強いが、当時は問屋が
隈なく立ち並ぶ江戸一の商店街。
絵には88軒の問屋が登場するが、暖簾は屋号が判別できるほど精緻に描かれ、
当時通り西側に出店していた店舖の一覧を知ることができる。

    三越
        駿河町通り界隈    三井越後屋

中心には江戸店でも随一の呉服商・三井家の越後屋。全体が余す所なく描かれ、
通り沿いにも系列店や蔵を多数構えている。国元の本店から派遣された男所帯の
江戸店の典型。立看板に「現銀無掛直」(げんきんかけねなし)とあり、掛売りが通例の
世に現金商法を打ち出し、また店先売りで大当たりした。
現在も打刃物問屋として営業を続ける木屋は室町二丁目に4店舖並ぶ。
          行商
         巡礼  辻駕籠  古着売り  回り髪結  魚売り など

絵には総計1671人が描かれるが、このうち女性は200人だけ。日本橋に
近いほど人が多く、実際の混雑の分布が反映されているとみられる。
買い物客の外、振売、辻占など路上の商人、勧進僧などの僧侶、寺子屋に
通う親子など様々な人種が活き活きと描かれている。ほかにも野犬20匹、
馬13頭、牛車4輌、猿飼の猿1匹、鷹匠の鷹2羽が描かれている。

    日本橋
                   日本橋       遠くに一石橋

         今川橋
                       神田今川橋

三越からの帰りは地上を歩いた。200年前・・・今も変わらないのは人の多さ。
さすがに江戸の日本橋にタイムスリップというわけにはいかなかった。
旅・散策

猫のおしごと

2017年06月22日
2年前の今日、和歌山電鐵の貴志駅で2007年から駅長を務めたたまが逝った。
動物駅長の先がけとなった三毛猫だ。
1匹の猫がたま(猫の駅長)としてWikipediaに載っていることも珍しいが、
「生い立ち」から「死去とその後」までが詳しく書かれているのには驚く。

生まれたのは1999年4月29日。今年の誕生日、日本と世界の11の国や
地域のGoogle Doodleのロゴは「たま駅長 生誕18周年」バージョンだった。

     Doodle

たま駅長の主な任務は「客招き」、改札口の見張りやイベントへの出席など、
任期はなく終身雇用、出勤日は月曜から土曜、祝日も勤務、朝から夕方まで
となかなかハードな任務だ。報酬は年俸としてのキャットフード1年分。

たまは貴志駅の売店の飼い猫。同居する雌猫のちびと、たまの母親ミーコ
助役に就任した。ちびは生後間もない頃に駅前に捨てられていたのを拾われ、
たまが母親代わりとなって育てていた。

初代たま駅長誕生のきっかけは貴志駅の経営移管。これに伴い駅周辺の
猫たちが住んでいた倉庫も取り壊されることとなった。和歌山電鐵の社長が、
たまを「招き猫」兼「駅長」として大抜擢。たま駅長は利用者に大人気となり、
和歌山電鐵は全国的に知られるようになった。

        たま駅長
                 たま駅長        (Wikipedia)

貴志駅は2010年、猫の姿をした「たま駅舎」としてリニューアルオープン。
2013年、たまの古希を祝うイベントが開催された。高齢のため、祝日を除く
毎週火、水、木曜日のみの出勤になった。(後に金曜日も出勤日に)

2012年、駅長就任5周年記念式典において、新たに三毛猫のニタマ
「貴志駅長代行兼伊太祈曽駅長」に任命された。
2015年たまは死去後、「名誉永久駅長」となり、50日祭を機に、ニタマは、
「たまII世駅長」を襲名。
         
和歌山放送局の『たま駅長に会いにいく』をYouTubeでみたが、たまの仕事は
なかなか大変。マントはともかく駅長の帽子を被せられて、カメラのフラッシュを
浴びて・・・。慣れてしまったのかよく文句をいわず勤務している。
猫の16歳というのは人間の80歳くらい。ひょんなことからたまは駅長に就任した。
そのことが彼女にとって幸せだったかどうかはわからないが、和歌山電鉄が
社葬で見送ったということは、わかるような気がする。
昨年夏逝ったトラを思い出す(2008.5.1~2016.8.28)。庭で生れた猫の中で
もっとも元気だったのだが。

     トラ
            生後4年       トラ       生後1ヶ月  

かなり前になるが、今年の2月22日の「ねこの日」、岩手県奥州市胆沢(いさわ
図書館はネコ関連の本を集めた常設コーナー猫ノ図書館を開設したという
ニュース(河北新報 ライン)で知った。

       図書館長
          館長の「むぎ」   「猫の図書館」にゅうす (奥州市サイト)

コーナーには写真集、小説、エッセー、漫画などの蔵書約600冊が揃っているとか。
開設に合わせて公募したねこ館長は、市内39匹から利用者投票で選ばれた。
初代「ねこ館長」には、捨て猫やノラネコなどではなく、同市の会社員の飼い猫
ブリティッシュ・ショートヘアーのむぎが就任したという。雄1歳。
任期は1年。館内勤務はなく、図書館だよりや今後開設する会員制交流サイト
画像で登場するとか。むぎ館長の方はたま駅長にくらべると楽な仕事のようだ。
猫・動物

役目を終えた蹲

2017年06月21日
今日は24節気の1つ「夏至」。1年でもっとも昼の長くなる日。
実際は、梅雨の真っ只中のため、日照時間は冬よりも短いことが多い。

昨年につづき、蹲にガマガエルが卵を産んだのは4月。今年はかなり遅い。
一部を甕に移して玄関前に置いたので、手足が出て尾が消えたばかりの
小さなカエルもみたが、まだ、オタマジャクシが数十匹残っている。

  2016
     蹲中の卵  3.18  2016   3.8 下見に来た?カエル 
  
私が生まれたときにはすでに庭にあった蹲は、旧宅解体とともに紅梅の下に
移された。毎年、ガマガエルが産卵していた庭の中央にあった池も埋められたが、
何代目かはわからないが、ガマガエルはずっとわが庭に棲みついているようだ。

庭で過ごす猫たちの水飲み場だった蹲だが、最近はここを利用する猫はみない。
もっぱら、オナガハトなど、鳥たちの水のみ場となっていた。

   2008 2008.11
               生後半年のトラとアミ     

        2012 2012.2.29
                    雪の朝                 

       2.18 2016.2.18
                   紅梅散る

落葉やカエルの卵が詰まったのか、蹲の水が流れて行かず、前に水たまりが
できるようになった。絶えず流していると水道代大変でしょうと植木屋さんに
言われたこともあるが、結局、水道屋さんに来てもらい、水を止めてもらった。
 
      6.7
                  工事中           6.7
      6.7
                  水が止まった蹲

幹が空洞になっているといわれて久しい紅梅は今年も咲いて実がなった。
紅梅の老木の下の蹲は苔むして貫禄そのもの、その役目は終わったようだ。
2階から工事の様子を見ていたら、何とも複雑な気持ちになった。

菖蒲と紫陽花の絵タイル

2017年06月20日
今の季節、よく目にする花菖蒲や紫陽花。歩道の絵タイルには紫陽花や
花菖蒲のデザインも多い。渋谷区では区の花ということもあり、花菖蒲の
絵タイルは区内でよく見かけた。ほかには葛飾区の花も花菖蒲。      

    菖蒲
                      渋谷区
   
      3312no9.jpg
                      渋谷区
 
      菖蒲
                      大田区

     菖蒲
                      江東区
  
江東区塩浜の歩道には「23区の区章一覧」が敷かれている場所がある。
タイルには区の形と区の花がデザインされている。(都内23区の「花」 Ⅰ 

      菖蒲
             葛飾区の花           渋谷区の花 
   
      紫陽花
             港区の花             御宿 千葉県 

      紫陽花 border=
                         大田区
旅・散策
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