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近代映画発祥の地

2019年10月19日
近代映画発祥の地である蒲田で行われている蒲田映画祭は老若男女幅広い年齢層が楽しめる手作り感にあふれた映画祭とか。映画の魅力を発信しようと、トークショーや映画上映が、大田区民ホール・アプリコ、大田区産業プラザPio、池上図書館などで行われている。(9/28~30・10/14・17・19~20)
      
今日上映される『家族』(1970年 松竹)は、故郷の長崎県の小さな島を離れ北海道の開拓村まで旅する一家のエピソードをきめ細やかに描いた作品とか。(監督:山田洋次 出演:倍賞千恵子、井川比佐志、笠智衆、渥美清)

1920年(大正9年)松竹キネマ蒲田撮影所がオープンした。そして昭和中期には映画館が続々と開館、映画の都として発展した。
撮影所があった敷地に建てられた大田区民ホール・アプリコ1階の入口には、正門前の逆川に架かっていた松竹橋の親柱が、地階には全盛時の蒲田撮影所を再現したジオラマが置かれている。

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      ジオラマ      松竹橋の親柱   

大田区には45館もの映画館があり(1957年当時)、新宿区に次いで都内で2番目に多く、蒲田には20館以上が集中していたという。映画関係者が多く集い「流行は蒲田から」と言われたほどだとか。
 
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そんな映画の街、蒲田も映画産業の斜陽化に伴い映画館が減少し、残ったのはわずかに2館。駅前から続くアーケード商店街の奥のビルにある「テアトル蒲田」と「蒲田宝塚」を残すのみになった。
今年2月、『日々是好日』を「テアトル蒲田」に見に行った。昭和時代の雰囲気そのままの映画館に観客は数えるほどしかいなかった。

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     閉店した映画館     2019.10

ラジオで、最後の2館の閉館を知った。「蒲田宝塚」が8月29日に、『日々是好日』を見た「テアトル蒲田」は9月5日に閉館。
先日、たまたま東急池上線蓮沼駅から蒲田駅まで歩くことがあった。商店街を通ってみると、映画のポスターが貼られるガラスケースにはシャッターが下りていたが、「閉店のお知らせ」のようなものは見当たらなかった。
旅・散策・イベント

7年経った瓢箪

2019年10月18日
この夏、仲良しになったキノコや鉱物が大好きな小学3年生のS君から筑波実験植物園の「きのこ展」の画像が送られてきた。彼が撮ったキノコのほかに、彼が大きな瓢箪を両手にもってはしゃいでいる動画もあった。
縄文の昔から
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      瓢箪を持ってはしゃぐS君

その動画をみたときにわが家にいくつかある瓢箪を思い出した。
7年前、Sさんが香川のご実家から送られてきた千成瓢箪の種子を蒔いたところ、なんと100個ほど収穫できたという。瓢箪に絵を描いたら?と30個もいただいた。(千成瓢箪

瓢箪は、ウリ科ユウガオ属。花を観賞し、完熟した果実の中身を取り除いて容器にしたりする。
健康と幸福を招くものとして、現在でも表面を美しく装飾して飾ったり、掛け軸や染物などにも描かれることが多い。
果実の先が末広がりであること、3個で三拍(三瓢)子揃って縁起がよい、6個で無病(六瓢)息災といわれる。

瓢箪の「種出し、乾燥、加工方法」を調べてみたところ、水漬けの方法と自然乾燥の方法があるが、どちらも一長一短。
自然乾燥法だと来年の2月くらいまでかかり、表面にカビが出ることもあるというが、結局、この方法をとった。
乾燥したところに置いて10日もすると、ほとんどの瓢箪は薄茶色になり軽くなった。場所によってずいぶんと差が出た。
とにかくそのまま放っておいた。それでも出来上がったようだ。(瓢箪その後

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    10.21     2012年    11.27

その後、絵を描く気もなく、水筒にすることもないまま、気づくと7年も経っていたことになる。
S君のママに「瓢箪うちにいくつかありますが、要りますか?」ときいてみたところ、早速、「ひょうたんいるようです」との返事がきた。
夜、瓢箪を撮るために集めてみると12個残っていた。「好きなのを5つ選んでください」と、写真を送った。S君が登校する前に選んだのだろう、5つの瓢箪に印がついてきた。

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そして、彼が会いたいというので、「下校後でもいいですか?」という返事がきた。ということで、彼のお宅に近いモスバーガーで待ち合わせた。

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       彼の選んだ5個

「こんにちわ!モス 着きました」「楽しみすぎて早く着きすぎました(笑)」というLINEが約束の時間よりだいぶ早く入った。
瓢箪に絵を描くならアクリル絵の具がいいのでは?と使いかけの絵具も一緒に渡した。
「マラカスにしようかな」とか、「明日、学校で皆にみせよう!」と大喜び。鉱物とキノコのほかにも、いろいろと興味を持っているようだ。近いうちに変身した瓢箪の写真が来るかもしれない。楽しみだ。
植物など

千羽鶴 再び

2019年10月17日
千羽鶴はかつては社寺に奉納されていたらしいが、現在は祝福、幸福祈願、災害などへの慰安、病気平癒祈願、見舞いなどを目的はさまざま。
先月、桂花会の女子でO氏の病気平癒を願って千羽鶴を送った。お礼状を受け取ってから、その後もとくに目的もなく鶴を折り続けていた。
PC机の横に折り紙を置き、起動するまでと折り始めると1羽、2羽・・・と夢中になっていることも。途中、色別に分けてみて、不足気味の色の鶴をせっせと折ったり、グラデーションを換えてみたりすることも楽しみになった。依存症に近いかもしれない。

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      50羽ずつ分けていく

ある程度たまったところで繋いでみると、コツがつかめたのか以前より素早く50羽がつながるようになった。
そんなとき、桂花会のM氏から元気そうな声で電話があった。自宅療養中だが、体調はあまりよくなく、桂花会などの集まりはしばらくお休みしたいということだった。今年になってあまり体調はよくなかったにも拘わらず、夏前には月1度、1時間以上かけてみえていたのだが・・・。

早速、SさんとFさんに連絡、M氏に千羽鶴を送ることになった。50羽を1本のテグスで繋ぐと、20本で千羽になる。
現在はすでに11本繋がっている。おそらく千羽以上はできているツルを50羽分ごとに箱に分けたので、あとは繋ぐだけだ。

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         あとはつなぐだけ

先月、SさんがFさんのピアノに合わせてフルートを練習する日、O氏に送る千羽鶴をまとめにるためにFさんのお宅へ伺った。(千羽鶴まもなく完成
そして今度はM氏への千羽鶴。彼女たちが折ったツルも合せて繋ぐために今月も練習日に伺うことになった。

夏に湖南省で足を骨折して帰国したSさんはギブスが取れたと思ったら、今度は台風直撃直前に四川省へ旅立った。
桂花会は今月末になったが、M氏はお休み、T氏はスペインに語学留学中、Sさんの美味しいお茶と中国の話は楽しみだが、少し淋しい。
中国・中国の旅

「宗観好みの茶器」十月

2019年10月16日
今日から「寒露」の次候「菊花開」(10/13~10/17)となる。菊の花が咲く頃。各地で、菊の展示や菊まつり、品評会が行われる。
菊には不老長寿の薬効があるとされ、旧暦9月9日の重陽の節句には、菊の花を酒に浮かべた菊花酒を飲む風習があった。   
ちなみに初候は、「鴻雁来」(こうがんきたる) 末候は「蟋蟀在戸」(きりぎりすとにあり)。蟋蟀はキリギリスでなく、鈴のような音色を響かせるツヅレサセコオロギだと言われている。

井伊宗観(直弼)が選んだ12種の茶器は『宗観好十二月茶器の研究』に詳しく解説されている。
これらは藤原定家の『詠花鳥倭歌』の本歌取り、そしてこれらの歌をモチーフにしたのが江戸期の『十二ヶ月花鳥図』。(十二種類の茶器宗観好みの茶器 四月

十月   残菊に鶴   
      黒叩塗 雪吹   高さ 7.3cm  径 7cm

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         残菊に鶴   p33

旧暦十月になると北から鶴が渡ってくる。初冬の十月は空気が澄んで天も高い。雪吹の天には白い鰯雲が浮かんでいる。
地には残菊がなお咲き残って淋しい風情と時の移ろいを感じさせる。形は雪吹。塗は漆を堅くしてタンポで叩いた黒の叩漆である。
叩塗のわびた黒に金の鶴雲と銀をあしらった残菊の花葉があざやかに浮き出ている。

本歌
   十月  残菊    神無月霜夜の菊の匂はずば秋の形見に何をおかまし
   十月  鶴     夕日影群たるたづはさし乍ら時雨の雲ぞ山廻りする

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         残菊・鶴図

残菊とは、重陽の節句を過ぎたあとの菊。また、晩秋・初冬まで咲き残っている菊の花。
身近な人びと

縄文人の昔から

2019年10月15日
今日は「きのこの日」。日本特用林産振興会が制定(1995年)。語呂合わせではなく、10月はきのこ類の需要が高まる月で、その月の真ん中の15日を中心に椎茸をはじめとするきのこ類の消費PRを行っていこうということからだとか。
日本では今までに約2500種(主にマツタケやシイタケの仲間のハラタケ類に限れば約1500種)のキノコが知られているという。
日本の毒キノコは200種以上あると考えられているが、毎年、実際に起こっているキノコ中毒事故は、ほぼ10種以内のキノコによって引き起こされているという。

今年ほど「キノコ」を意識したことはないように思う。ふだんマイタケやシメジなどきのこ類はよく食べているが、食用ではなく、毒キノコが鉢に突然出現したことから始まる。LINEに画像を載せると、驚いたことにKさんのところにもほぼ同時期に同じようなキノコが出現したという。
きのこに詳しい高校生の曽孫さんに訊ねたところ、翌日、「オオシロカラカサタケという毒キノコだということがわかった。(きのこ出現

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      オオシロカラカサタケ(毒) 7.3

9月末、夏休みに仲良くなった小3のS君もキノコに詳しい。とくに毒キノコが好きなのだそうだ。先月、国立科学博物館筑波実験植物園の「きのこ展」(9/21~29)に2度も連れて行ってもらったという。たくさんのキノコたちに囲まれて上機嫌の彼と、彼自身がと撮ったキノコたちの写真が送られてきた。(幸せとは何かときかれても

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         タマゴダケ(食用)   S君撮
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        ??        テングダケ(毒)     

青森県など東北地方および北海道の縄文時代中期末葉から後期前葉(BC1500~2000)の遺跡からの出土品の中に、キノコに類似した形状の土製品が多く発見されている。
さまざまな形があるが、共通するのは「カサ」と「柄」の部分があることで、それらは食用可能なキノコ類を採集する際の『縄文版キノコ図鑑』ではないかと考える研究者もいる。
   
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    きのこ型土製品  北秋田市伊勢堂岱遺跡 
                (秋田県遺跡地図情報」より)

9月の縄文土器づくりの最終日は、平和島キャンプ場で縄文土器の野焼きの傍らで縄文鍋をつくった。ベテランのFさんが準備したキノコ類は、シメジ、エノキダケ、シイタケ。これを貝刀(かいじん)でカットしたのは小6のK君。縄文時代にキノコは貴重な食料だったと考えられている。

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     貝刀でエノキダケを切るK君

4千年以上も前から、秋になるとキノコを縄文土器で煮てみんなで食べていたのだろう。ひょっとして干しシイタケなどをつくっていたかもしれない。縄文人にとって秋はキノコを採り、そしてイチイガシやコナラの実などの木の実を採ってツヅラフジやアケビの蔓で編んだカゴに入れ、貯蔵穴に保管していたといわれる。
ちなみに佐賀県の東名(ひがしみょう)遺跡からはいくつもの編みカゴが発見されている。
植物など
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