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池上駅改良工事

2019年12月13日
2017年6月から始まった東急池上線池上駅の改良工事だが、完成予定の2020年9月から半年後の2021年3月に延期された。
延伸の理由は、想定外の地中障害物の除去に時間を要したことやオリンピック・パラリンピック開催期間中の工事規制等を考慮してということらしい。
 
池上駅に来る度に工事は着々と進んでいる様子に驚く。5階建ての駅ビルには保育園もできるというが、池上図書館が移転してくることが楽しみだ。(コンビニの保育園池上駅の長いベンチは

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        天井が覆われたホーム 2019.9

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        エスカレーターもみえる 2019.12
旅・散策・イベント

「遺跡の子」たちは今・・・

2019年12月12日
先日、Oさんからいただいたのは『縄文人は生きている 原始との対話』(戸沢充則 編)というかなり古く、30年以上も前に出版された本。何でも縄文に興味を持って買ったもののそのままになっていたのだとか。

この本の「縄文人との対話―序にかえて」には「この本の主人公は、いまから数千年前に生きていた縄文人と、現代の小学生たち」と書かれている。
1976年、東京の東久留米市で「新山遺跡(しんやまいせき)」という縄文中期のムラの跡の発掘調査が行われた。
下校後発掘の様子を見にやってきた小学生たちは「遺跡の子」となっていたという。そして彼らが小学6年になったとき、卒業記念の共同制作に『東久留米の縄文の人々』という版画集をつくることになったという。

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『縄文人は生きている』  『縄文時代』(能登健 著)

新山遺跡のある場所も都民のベッドタウンとして急激に大きくなったため、小中学校を建てる敷地にとなった。
学校は建てるが、遺跡も守る、そして縄文人の残した貴重な文化遺産を、学校の歴史教育と地域の歴史の教材として、最大限に活用する工夫をしようということになったという。

発掘の結果、柄鏡型住居祉という珍しい住居跡を含む30以上の住居跡と、墓の跡や祭りの広場などをもった縄文時代中期の集落跡が掘り出され、土器や石器など多くの貴重な遺物も発見された。
新山遺跡は東京都の「指定史跡」となり、下里小学校内には「新山遺跡資料展示室」が常設されている。

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         「土器づくり」

約2万年前から1万8千年前は、氷河時代最後の大変寒い時期だったが、1万年前頃を境として、気候はだんだんと暖かくなってきた。
それとともに、西日本の海岸地帯のコナラ、クリ、ブナ、トチノキなどの落葉広葉樹と、さらにその南からはシイ、カシ、クスノキ、タブなどの照葉樹林がだんだんと広がり、今から約6千年前ごろまでには、落葉広葉樹林は東北地方全域、そして照葉樹林は関東地方まで広がり、今の日本列島の植生が定着したという。

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  「クルミをわる」「ドングリの皮をむく」「ドングリをすりつぶす」「流れの早い川にさらしてアクをぬく」・・・

縄文人は川や湖に面した台地の上にムラをつくり、ムラの周囲に開かれた二次林、その奥には深い森林があるという風景の場所を、その生活の舞台にした。
彼らはムラをつくるため、こうした深い森林を切り開き、日常生活に欠かすことのできない燃料や建築材などの樹を伐り出したため、明るい開かれた空間となった。この場所にはクリクルミ、フキ、ウド、ミツバ、ワラビなども育ち、縄文人の重要な食料資源となった。

先日の特別講演「植物考古学からみた縄文・弥生移行期」で、佐々木由香氏(明治大学黒曜石研究センター)は、「本州東半部を中心とした落葉広葉樹林が広がる地域では、縄文時代前期頃からウルシクリが管理栽培されていた」という。

日本人と日本文化の基盤が、縄文時代に形づくられたということは、多くの学問分野の研究を通じて、今や常識のように言われるようになった。
いくつかの縄文に関する本を読んでいても、縄文人が自然と調和するさまざまな生活上の工夫をし、より多くの人が生き続けられるよう、力を合わせて暮らしていただろうと書かれている。
小林達雄氏(國學院大學名誉教授)によれば、「自然との共存共生」からさらに一歩踏み込んだ「自然との共感共鳴」ともいうべき関係だということになる。

「日本人とは何かを知りたいなら弥生時代や古墳時代を、人間とは何かを知りたいなら、縄文時代を学ぶのがいい」というのは、『列島の考古学 縄文時代』の著者、能登健氏。「なぜなら、縄文時代は人間が誕生してはじめて完成させた社会であって、そこには人間が共に生きるための知恵がみえる。この知恵こそが人間社会の原点」という。

30数年前、『縄文人は生きている』の版画をつくった彼らの中に、今、考古学の道に進んだ人はいるような気がする。
展示・講演

騒ぐカラス

2019年12月11日
東日本大震災から8年9ヶ月。このところ関東地方で頻発している地震は、首都直下型地震の「前兆である可能性は否定できない」という専門家もいる。世界の面積の0.25%しかない日本で、世界の地震の20%が起こっているという。
30年以内に70%の確率で起きるとされる震災。

先日、カラスがいつになく、けたたましく鳴き騒いでいたので、気になってベランダの外に出てみた。
何羽ものカラスが空中を旋回している。どこかに向かっているのではない、縄張り争いにもみえなかった。
 
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大きく鳴きながら旋回しているのは数羽だが、よく見ると、隣家の屋根の向こうの樹の上で鳴いている多くのカラスたちが目に入った。

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しばらくして地震の揺れを感じた。このときの震度がどのくらいだったか、棚の上のものが落ちることもなかったが、気づくとカラスの声は聞こえなくなっていた。やはり地震の前兆だったのだろうか。カラスが騒いだことも、地震後、どこかへ行ってしまったことも、ただただ不気味。

NHKは12月1日から8日まで「体感 首都直下地震ウィーク」として特集を組んでいた。体感することで防災減災の必要性を「自分のこと」として捉えなくてはならないのだが、いざというとき何もできないような気もする。それではいけないのだが。
動物など

ムサシアブミの紅い実

2019年12月10日
すいよう会で久しぶりに訪れた自然教育園。路傍植物園で真っ先に飛び込んできたのは真っ赤なキノコ。近づいてみると、キノコではなくムサシアブミというサトイモ科の植物だった。

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      2009.12      2019.12

入口近くから続く路傍植物園、ウバユリ、キチジョウソウなど、地味な植物が多い森の中で、この紅い実は遠くからでも目立つ。
ムサシアブミといえば、ウラシマソウとかマムシグサに似たあの植物? 以前、ノイバラをスケッチに通ったころにこの紅い実はやはり印象的だったのか写真を撮っていた。

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ムサシアブミ(武蔵鐙) サトイモ科。草丈20〜50cmの多年草。本州の関東地方以西・四国・九州・沖縄に分布。
やや湿った林下、特に海岸近くの林で見られる。
仏炎苞と呼ばれる花に該当する部分を逆さまに見ると、馬に乗るときに足をかけるアブミ(鐙)に似ることからこの名がある。
花が終わると仏炎苞が枯れて落ち、トウモロコシのような果実が姿を現し、秋に赤く熟す。
草のすべての部分が有毒(シュウ酸カルシウム)果実を1、2個食べただけで、中毒症状を起こす可能性があるという。
植物など

久しぶりの自然教育園

2019年12月09日
今月のすいよう会は自然教育園と港区立郷土歴史館。そして黄檗宗の瑞聖寺にも立ち寄った。
スケッチに何度も訪れた自然教育園、園内を歩いたのは何年ぶりになるだろうか。

自然教育園のある白金台地は、洪積世(20~50万年前)海食によって作られた。園内から縄文中期(紀元前約2500年)の土器や貝塚が発見されていることから、この時代には人々が住んでいたと考えられるという。

平安時代には目黒川、渋谷川の低湿地では水田が開墾され、室町時代に入ると、この地方にいた豪族がこの地に館を構え、今に残る土塁は当時の遺跡の一部と考えられている。
 
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        館跡付近の土塁  

白金の地名は永禄2年(1559)の記録に初めて現れ、太田道灌の曽孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されていて、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残る。

江戸時代になると、増上寺の管理下になった。寛文4年(1664)には、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷となり、園内にある「物語の松」や「おろちの松」などの老木は、当時の庭園の名残であろうと思われる。

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   松平讃岐守の下屋敷の面影を伝える「物語の松」

明治時代には火薬庫となり、海軍省・陸軍省の管理となり、大正6年(1917)宮内省帝室林野局の所管となり、白金御料地と呼ばれた。
昭和24年文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、国立自然教育園として広く一般に公開され、昭和37年国立科学博物館附属自然教育園として現在に至っている。

黄葉したケヤキ、ミズキ、紅葉のオオモミジも陽に照らされて鮮やか。
水鳥の姿が多くみられるひょうたん池には大勢のカメラマンが集まっていた。

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水生植物園はちょうど今頃のノイバラの本画を描くために何度も通ったことがあった。そのときとほとんど変わらずに小さな紅い実をつけていて、懐かしかった。

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     水生植物園のノイバラ

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風もなく暖かい晩秋の午後、自然教育園を散策後、港区立郷土歴史館へ向かった。  
旅・散策・イベント
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