FC2ブログ

車窓から見る河川敷

2020年07月09日
川崎のヨドバシカメラへの往復は京浜東北線を利用することが多い。多摩川を渡るとき、ドアの前に立って河川敷を車窓から眺めることが多い。大田区側の河川敷に花で彩られた「大田区章」と「大田区」を見るのが楽しみにしている。

   4439no2.jpg
               2019.8.7

昨年秋は台風15号、17号、19号と、台風の被害が多かった。
「令和元年房総半島台風」といわれる台風15号(9/9)は、関東地方に上陸したものとしては観測史上最強クラスの勢力で上陸し、千葉県を中心に甚大な被害を出した。
17号(9/22)そして、19号(10/23)は、多摩川ガス橋付近は氾濫や決壊に至らなかったものの、堤防ぎりぎりまで増水し、河川敷のグラウンドやゴルフ場なども濁流にのまれた。
11月に入っても流されてきたさまざまなものが河川敷に残っていた。(台風の爪痕

 4439no3.jpg
                2020.1.29

 4439no6.jpg
                2020.2.17

 4439no4.jpg
                2020.3.18

 4439no8.jpg
                2020.5.7
 
  4439no1.jpg
              2020.6.29
 
  4439no7.jpg
                2020.7.3 

ようやく芝生の緑も戻ってきた河川敷、コロナの収束もみないまま、台風や地震などの自然災害が少ないことを祈るしかないのだろうか。  
旅・散策・イベント

「疫病退散」を願って

2020年07月03日
毎年、「夏越の祓」の日には茅の輪をくぐるのだが、今年は数日前から痛み出したアキレス腱のために断念。
湿布と芍薬甘草湯で治まったのは2日、Sさんと逢うために新宿に行く前に多摩川浅間神社へ。
石段を頑張って上ると茅の輪や笹の葉飾りが目に入った。境内には数人の姿しかなく静かだった。

 4437no1.jpg
            多摩川浅間神社
   4437no4.jpg
         
茅の輪をくぐり、お参り後、短冊に「疫病退散」とだけ書いて笹に結んだ。コロナ禍はまだ収束していないままに半年が過ぎた。
後半は落ち着いた穏やかな日々であってほしいものだ。

  4437no2.jpg

この時季に来ると4年前の7月2日の出逢いを懐かしく思い出す。(素敵な折り返し点
多摩川駅で集合したのは4人。多摩川台公園でスケッチ、川のみえるレストランでランチ、そして3人とも初めてという茅の輪くぐり体験のために多摩川浅間神社へ。
「わぁ、長嶋さん!」 Yさんの声に振り返ると、巨人の長嶋終身名誉監督!「こんにちは」「写真撮らせていただけますか~」 普段静かなYさんに驚いた。実際に隣に並ぶと、想像以上に背が高く、スリム。やはりカッコいい!
Yさんは40年近く草野球チームをつづけているご主人の話を始めた。長嶋さんのお参りも茅の輪くぐりもまだなのに・・・。

古墳というのは、風が通る川のそばにある高台につくられることが多いという。浅間神社は荏原台古墳群の1つである浅間神社古墳上に鎮座している。
この日は雲に隠れて見えなかった富士山だが、はるか昔の人々と同じ富士を眺めているのだと思うと不思議な気がした。
 
   4437no3.jpg
           見晴台から

鎌倉時代、源頼朝が出陣した時、夫の身を案じた北条政子は後を追って多摩川を訪れる。しかしその道中、わらじで足を痛めたため当地でその治療をした。この時亀甲山へ登ったところ富士山が鮮やかに見えた。
富士には自身が崇敬する浅間神社があるため、政子は頼朝の武運長久を祈り遥拝し、身につけていた正観世音像を祀ったという。村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と称し崇拝したのが、この神社の起源とされている。東京都内唯一の浅間造社殿を持つ。
旅・散策・イベント

大好きな散歩道

2020年06月28日
今は一部の再現水路を除き暗渠となっている六郷用水路は、光明寺の北西「下丸子への分水口跡」を過ぎると、左手に林、そして畑がつづく。そして「南北引分」で、女堀は北堀、南堀に分かれる。(六郷用水跡

昨年春、路沿いのビワイイギリなど次々に枝が払われていった。以前からお気に入りのソメイヨシノが根元から伐られてトラックに積まれたのをみて涙が出そうになった。(あの木もこの木も

   4423no4.jpg
     ソメイヨシノの切株      2019.4

この散策路はシナノミザクラの並木がつづき、松、マテバシイ、イチョウ、ソメイヨシノ、ビワ、イイギリ、ケヤキなどが四季の移ろいを感じさせてくれる大好きな路の1つだったが、まったく雰囲気が変わってしまった。  

きづくと、までが哀れな姿になっていったが、一年経ってもほとんど葉は繁らず、遠くからは松の木のようにみえない。

   4423no1.jpg
     東側の松       2019.5
  4423no2.jpg
                    2020.5

思い返すと、この付近の樹々がこれほど剪定されたことはなかったように思う。隣家や通行者、走行中の車などに被害を与えることがあるため、クレームが入ったようだ。台風の後などに通ると、強風で倒れたり、枝が折れて歩道に散っていたこともあった。

  4423no4.jpg
                    2019.5

歩道沿いの樹々の剪定から1年近く経った今年は、西側の松など崖上と崖の途中の樹々が次々に伐られていった。近くを通ると、大型クレーンが動き、チェーンソーの音が数日間響いていた。

 4423no5.jpg
       西側の松     2020.6

昨年、環八交差点近くのソメイヨシノが根元から伐られて運ばれるのを見たが、今年、空地の前を通ると、崖上で唯一のソメイヨシノが根元から伐られていたのが目に入った。

 4423no3.jpg
                 2020.6

久しぶりに明るくなった路を歩いた。以前はたわわになっていたビワの実だが、目に入ったのは数個だった。
坂を上り、空地をみると、樹々までフィジカルディスタンスのように整理され、すっかり見晴らしがよくなっていた。
旅・散策・イベント

「考古学出発の日」

2020年06月18日
今日は「考古学出発の日」。1877(明治10)年のこの日、大森貝塚を発見・発掘したアメリカの動物学者、エドワード・モース博士が初めて来日した。
貝類の専門家としてアメリカ東海岸の貝塚に関心があり、考古学の知識があったモース博士。横浜港に到着した翌日、汽車で横浜から新橋に向かった。汽車が大森駅を出発した直後、線路脇の切り通しに白い貝殻が露出しているのに気づいたという。

  4414no01.jpg
         発掘の様子  大田区立郷土博物館 

モース博士は「近代日本考古学の父」とも呼ばれている。
貝塚が古代人の遺跡だと分かったのは歴史が浅いという。日本でも貝塚の存在は知られていたが、掘り出された土器、石器、骨角器、獣骨、人骨など出土品のすべてを科学的な古代研究の資料として扱ったことは特筆すべきだという。

    4414no1.jpg
     モース博士胸像  品川区立大森貝塚遺跡庭園
   
「大森貝塚」は、品川区と大田区にまたがる縄文時代後期から末期の貝塚。
昨年の敬老の日、日本の考古学発祥の地「大森貝塚」にほど近いLUZ大森(大田区)に『大森貝塚を語る ―モース博士と大森貝塚―』(大森貝塚保存会主催)を聴きに行った。(大森貝塚とモース博士大森貝塚出土の土器
 
大森貝塚と呼ばれる集落では、現在の大田区と品川区の区境を流れる小川を水源に最大30人ほどが生活を営んでいたという。
当時は台地の近くまで遠浅の海岸が迫っており、周辺にはシラカシ、アカガシ、スダジイ、タブノキ、ヤブツバキといった常緑広葉樹の森が広がり、その実をアク抜きして食用にしていた。遠くは利根川下流、霞ヶ浦などとの交流の可能性もあったと考えられている。女性や子どもたちは海岸でハマグリやアサリ、さらには海藻を採取。男たちは小舟でアジ、スズキ、クロダイなどをとり、シカやイノシシなどの狩猟も行なっていたこともわかっている。

   4414no4.jpg
      桐畑地下道  2019.11

以前から度々訪れている大森、大森遺跡公園も何度も訪れているが、いわゆる遺跡や考古学などに関心が出てきたのは、一昨年秋、都内でも考古遺物の展示が充実している大田区立郷土博物館に足を運ぶようになってからだろうか。
昨年秋のすいよう会メンバーを案内して大森駅から大森貝塚遺跡庭園、品川歴史館などを周るコースを歩いたことが懐かしい。

全国の貝塚は2500~3000で、その4分の1が関東地方にある。
大田区には現在236ヶ所の遺跡が存在しているが、その9割が台地上から発見されている。
区内の縄文時代の36の遺跡のうち20貝塚が確認されていることを知って驚いた。(大森駅と縄文遺跡
    
大田区 縄文時代の遺跡 時代順(『大昔の大田区』による)
下沼部貝塚(早期〰晩期 約9000~2300前)  雪ヶ谷貝塚(前期 約6500~5000年前)  山王三丁目遺跡(前期 約6000年前/先土器時代/弥生時代/古墳時代)  田園調布南遺跡(前期中葉 約6000年前)  馬込貝塚(中期〰晩期 約5000~2300年前)  千鳥久保貝塚(中期~後期 約5000~3000年前)  綱島園内遺跡(中期 約5000~4000年前/先土器時代 約15000年前)  南馬込1丁目55番遺跡(中期)庄仙貝塚(中期)  久原小学校内遺跡(後期 約4000年前/武蔵野台地最南端で初の先土器時代遺跡)  大森貝塚(後期 約4000年前)

考古には1年半前まではまったくといっていいほど関心がなかったが、少しずつ学んでいきたいと図書館で借りたり、Amazonで取り寄せたりしてこの1年でもずいぶんと本を読んだが、なかなか頭に入らない。
そんな中で手元においているのは『列島の考古学 縄文時代』(能登健 著)と『縄文の思考』(小林達雄 著)。

「もし、あなたが人間とは何かを知りたいなら縄文時代がいいでしょう。なぜなら、縄文時代は人間が誕生してはじめて完成させた社会であって、そこには人間が共にいきるための知恵がみえるのです。この知恵こそが人間社会の原点なのです」。「日本人とは何か」を知りたいなら弥生時代や古墳時代。なぜなら、日本人は長い間に培われてきた稲作を中心にした社会の価値観に今でも固執しているからだと能登氏はいう。
旅・散策・イベント

神秘の生命力

2020年06月10日
巣ごもり生活の中で録画した番組を愉しんでいる。中国、樹木、考古、絵画など、「プレミアムカフェ」(NHKBS)で再放送された番組がほとんどだが、放送大学で特集が組まれた縄文を扱った番組も数本録画できた。

『巨樹』(「美の壺」)の「悠久を生きる神秘の生命力」では、麻布の善福寺の銀杏のほか、鹿児島県の蒲生の大クスと香川県志々島の大クスが紹介された。(クスの巨樹寂心さんのクス日本最大の巨樹

香川県志々島は、瀬戸内海に浮かぶ面積0.74㎢の小島。島民はわずか18人とか。     
「志々島の大クス」は、昔から島の守り神として大切にされてきた島のシンボル。
県天然記念物。「日本の巨樹ランキング」では29位。
   
  4406no2.jpg
         
   4406no3.jpg
         幹周 14m 樹高 40m

   4406no4.jpg

15年前、大きな枝が折れてしまい、樹木医が治療のために呼ばれたが、一目見て諦めたという。
ところが、大クスは折れた枝の一部が地面につき、そこから根を伸ばして、水分を吸収して元気を取り戻したという。

  4406no1.jpg
     
大クスは奇跡の復活を遂げた。根元から地を這うように真横に伸びる枝は50mに達するという。わずかに主幹とつながっている。
旅・散策・イベント
 | HOME | Next »