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薩摩切子に

2020年05月29日
2年ぶりにサツマイモの水栽培を始めることにした。器に最適と思ったのが薩摩切子の灰皿だった。(サトイモとサツマイモ
長い間手付かずだった物置には来客用の灰皿はいくつもあったが、この大きな薩摩切子の灰皿は何かに使えると部屋に移してあった。

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切子とはカットグラスの和名。切子が名称に含まれるガラス工芸品は日本各地でつくられているが、伝統工芸品に指定されている「江戸切子」は、天保期、加賀屋久兵衛というビードロ屋が西洋のガラスを真似てつくったのが始まり。
現在のように色被せガラスを用いるようになったのは大正、昭和の頃から。江戸より前に色被せガラスの切子製造に成功したのが薩摩だったという。(薩摩切子と江戸切子

 「薩摩切子」は、薩摩藩10代藩主島津斉興のガラス事業をきっかけに、11代斉彬によって本格的に製造されるようになった。
江戸時代後期、日本の南端に位置する薩摩藩は諸外国の脅威から身を守るため、軍備増強を推し進める必要があった。その一環で、斉彬は薬瓶を製造するために長崎などから伝来した西洋のガラス製造書物を元に江戸からビードロ屋を呼び寄せている。

江戸時代の商人が編み出して現代に至るまで受け継がれてきた「江戸切子」。幕末の動乱で途絶えたものの100年経って復活した「薩摩切子」。
現在つくられている両者の大きな違いは、被せている色ガラスの厚さとカットの角度。
「江戸切子」は深くカットを入れることで色の境目がくっきりとしている。一方、「薩摩切子」は浅い角度でカットするためにグラデーションが現れる。

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薩摩切子の器は九州生れの祖父母の時代から日常的に使われていた。子ども時代の夏、来客があると、暗い廊下を応接間まで梅酒を運ぶ母の姿と、グラスにあたるカラカラという音。当時は氷屋さんの氷だっただろうか、わが家の当時の夏の風物詩だった。
今、このグラスは残念ながら1つしか残っていない。
身近な人びと

2枚のマスク

2020年04月05日
4月4日のDoodleは「家にいよう。みんなのために」。

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ニュージーランド警察の公式Twitter は面白い!
「歴史上で初めて、テレビの前で寝っ転がって何もしないだけで、人類を救えるんだ。ヘマするなよ。」
「家にいるだけで命が救える」「君がするべきことは家にいることだ」
登校日にも午後3時過ぎに起きたという昼夜逆転、テレビは見ないりんりんの毎日は、スマホを飽きずに何時間も続けている。

4月1日、エイプリールフールかと思った「アベノミクス」ならぬ「アベノマスク」。この話題が「#アベノマスク」がTwitter上で上位に入った。1世帯分つくるのに200円かかるというマスクを各家庭に配布するとなると200億円のほかにも包装、郵送など諸々かかるというのに。
残念ながら、若者にはジョークのネタにしかならなかったようだし、「マスク配布の計画は物笑いの種になっている」と海外でも失笑を買っているという。

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そもそも外出自粛の中、激減した外出、「アベノマスク」にかける経費があれば、医療現場はもちろん、必要としている人たちに充てることができると思うのだが。
WHOは布製マスクを勧めていないし、少なくともわが家にはこのマスクは不要、いざとなれば、マスクは自分でつくることもできるし、「お1人さま1個限り」を求めて並ぶこともできなくはない。
「アベノマスク」、わが家の分をより必要とする人にと受取り拒否をできないものかなどと複雑な気持ちになった。

そんな時、LさんからのLINEが。桂花会の5人の女子メンバーグループに「昨日、手製マスク発送しました。洗い替えにお使い下さい。連日ミシンの前で結構楽しく過ごしていますが、連日感染者が増え、今までに感じたことのない怖さ感じています。神様に祈るしかないのかしらね~」

この心のこもったマスクのプレゼントは嬉しかった。「サイズも私にピッタリで付け心地も最高です♪」「ちょっと萎んだ心がぱっと膨らみました」「素敵なマスクは百人力!頑張るぞ~!」

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             心のこもったマスク

翌日、ポストに入っていたお手製マスクを見たとき、先月初め、孫娘のAちゃんが5月に青森で行われる披露宴用につくったワンピースとマスクを思い出した。5月ならマスクは要らないだろうと思ったものだが、何ともはや披露宴には出席できなくなったという。

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「東京からの出席は遠慮してほしいとのこと、ウィルス運んで来ないで!ということらしいです。張り切ってつくったワンピース無駄になりました」と。
半袖のワンピースは着る機会もあるだろうが、不要になってほしいマスクは・・・何ともはや!

「新型コロナウィルスとの闘いは短距離競争ではありません 1年は続く可能性のある長いマラソンです 1人1人が油断せず万全の対策を」「桜は来年も帰ってきます。人の命は帰ってきません」
再び情報発信を始めたという山中伸弥教授の言葉が胸に突き刺さる。
身近な人びと

再会を楽しみに

2020年03月24日
30数年前に建て直した家では半間しかない床の間に雛壇をつくりすべての人形たちを飾ることはできなくなった。やむを得ず棚などを利用したり、茶室に内裏雛と三人官女だけを飾っていた年もあった。

旧宅時代のアルバムをみても、雛壇の写真は、娘が1歳の時に撮った写真しか見つからなかった。
息子夫婦とゆうゆうが写っている写真は、2006年、父が入院する10日ほど前、2階応接間で撮ったもの。
その後も、1階の和室に飾ったりしていたが、すべての人形、道具を飾るようになったのは母がホームに入所してからのことで、母と一緒に飾ったのはいつのことだか思い出せない。
  
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      2006.3         2014.3  
 
最近では、じゅんじゅんと飾ったこともあった。
今年は1人で飾ったが、このときはまだ、お別れすることははっきり決まっていなかった。 

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         2018.2

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         2020.3

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3月半ば、博物館へのお嫁入りが決まり、学芸員の方たちと仕舞ったこともあるのか、不思議と淋しさは感じなかった。
母と同じ歳を重ねてきた切れ長の目、鼻筋が通った京美人の雛人形。祖母、母とこだわり続けた京都式で飾って下さるとのことだった。
男雛を向かって右、女雛を向かって左に飾るのは、京都御所の紫宸殿の御即位の式典でこの並びだったのが由来。
また太陽が先に当たる側が位が上とされて、これは中国からの考え方「太陽が登る東の方角が上位となる」という考え方から来ているとか。(京雛は京都風に

箪笥の抽斗に母が入れたと思われる着物の端切れもそのまま、そっくりお嫁入りをした。
娘としての責任をやっと果たせたような気がしている。祖母も母も喜んでくれているに違いない。
いずれ博物館で再会できる日もあることだろう。その日を楽しみに、わが絵関係の断捨離に取り掛かることにしよう。
身近な人びと

別れの時

2020年03月23日
旧宅時代には座敷の床の間に長い間飾っていた雛人形は、母の初節句の94年前のもの。大臣の矢とか五人囃子の笛などは紛失、桜橘は色褪せたりしているが、人形の着物や顔は時代を感じさせない。

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          1歳の娘

今年は2月21日、雛人形を飾り、その間、大勢の方にみていただいた。

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郷土博物館の学芸員、友の会のメンバーがみえた26日、博物館にお嫁入りする話が決まったため、お節句を過ぎても飾っておいた。(きいておきたかった・・・

民俗の学芸員2人がみえることになったのは、3月17日、旧暦では2月23日。昨年、博物館の麦わら細工の会で親しくなったYさんに来ていただいて手伝っていただいた。
朝10時、母の出生から結婚までのアルバムと祖母のアルバム、旧宅の解体前の写真をみながら、しばし母や祖母についてお話をした。
当時は集合写真が多いが、中には「呑川が写っていたり、当時の様子がわかる写真もあるため、お役にたつならとこれら2冊も持って行っていただいた。
   
K学芸員とYさん、男性の I 学芸員と私がペアになって人形たちを木箱の収める作業開始。畳に座っての作業は意外にきつく、時間もかかった。
人形の顔をティシューで覆い、それまでの新聞紙などの代わりに I 学芸員が用意して下さった薄葉紙で包んで、木箱に収めていった。埃を払ったり包んだり、一体一体丁寧に扱う I 学芸員の様子を見て涙がでそうになった。
いいところにお嫁入りできたことにあらためて感謝。

すべて仕舞い終えて、木箱は葛籠(つづら)の衣裳箱3つに収まった。これも祖母の時代のもの。残しておいてよかったと思った。

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      葛篭に入れて  

葛籠はフジのつるで編んだ蓋つきの籠の一種。後に竹を使って網代に編んだ四角い衣装箱を指して呼ぶことが一般的になった。竹製なので軽く、通気性が良く、柿渋と漆の効果で湿度を適宜に保ち、防虫と抗菌の効果がある。耐用年数は100年以上とも言われ、その頑丈さは放り投げてもばらばらになりにくいため、火事などの緊急時に粗雑に扱われても中に保管していたものを守りやすいという特徴を持つ。

いよいよお別れ、箱を入れた3つの葛篭がすべて車のトランクに並べられた。いつか博物館で再会できるのが楽しみ。

車を見送ってからYさんと近くのイタリアンでランチ。昨年知り合って家が近いこともあってLINEを開始。ゆっくり話したことがなかったが、10歳近く若い彼女とすっかり意気投合。楽しい時間を過ごした。店を出たのは2時を過ぎていた。彼女には祖母の時代から使っていた朱塗の重箱、屠蘇セットを使っていただくことになった。
最適の居場所に落ち着いた雛人形もアルバムも、屠蘇セット、母も祖母も喜んでいるに違いない。
身近な人びと

そして茶道具・・・

2020年03月19日
細々と続けている断捨離。今年になって始めた祖父母の遺したものについてはある程度目処がついた。
母の茶道具は、ホーム入所した7年ほど前から、とくに思い入れのある茶碗や建水、紹鴎棚や屏風などをのぞき、友人知人に引き取られていった。さらにホームにも運び、母は行事の度にお茶を点てていた。

ご家族で茶道教授をされているKさんには稽古用、お茶事用の道具を詰めた2個の衣裳箱、着物や帯を入れた大きい衣裳箱3個、釜や屏風、毛氈、『茶道』全集など、大きな車のトランクと座席に積めるだけ積んだ。積み込み終わったのは6時を過ぎていたのを覚えている。(断捨離再び

昨年末、Oさんのご紹介で埼玉に教室を持つ方に平水差などをボール箱に入れて宅配で。

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残るは紹鴎棚や竹台子、旅箪笥など、さらに大きなもの。何気なく尋ねたところ、Oさんの知り合いのお茶の先生を紹介された。今度は都内、お弟子さんが教室を開くのでと、車でとりに見えることになった。

紹鴎棚(じょうおうだな)は、檜材の春慶塗で、地板の上に白の鳥の子張りで引違いの小襖の嵌った高さ六寸一分の地袋が付き、その上に四本柱が立ち天板がのった、武野紹鴎好みの炉用の大棚。

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籠はいくつかあったが、この宗全籠はススキや秋海棠など秋草を生けたり、どしっとしていて好きな籠だったが、押入れの奥に仕舞ったままだった。

籠花入は特殊な例外を除き、風炉(5~10月)に用いる「草」の花入で、風炉の季節に限るようになったのは明治時代初めから。大きく唐物籠と和物籠に分けられる。
唐物籠は「真」で、細かく削った籐が素材で、精巧な編み方をされた花入れで、室町時代から存在する。
中でも胴に丸みがあり、口が大きく外に開いて、持ち手が高く作られている「牡丹籠」が代表的。

一方、「行」の和物籠は、利休の茶道が完成する頃に登場。竹が主で、隙だらけの反面、親しみやすさが漂う。
鉈(なた)を収める鞘を模した鉈籠は、利休が鞘を花入れに見立てたのが始まりとされている。

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宗全籠(そうぜんかご)は、江戸前期の茶人久田宗全好みの置籠花入。宗全は茶道具にも工夫をみせ、裏千家四代仙叟宗室の依頼により作った置籠に、創意で手を付けたものという。
女竹を用い、底が長四角で、口は丸く編み上げ、底と四方に細い女竹を当てて藤蔓で粗く結び、口縁は真竹を廻して藤で止め、丸篠を二本合わせた手がついている。

紹鴎棚や宗全籠、風炉先屏風、茶掛けなどのほか、茶道関係の本、とりあえずすべて持ち帰っていただいた。十数年ぶりに肩の荷を下ろすことができた。
身近な人びと
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