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包丁かわり

2019年10月09日
今日は「道具の日」。東京合羽橋商店街振興組合が「かっぱ橋道具まつり」のイベントの一環として、道具の語呂合わせで「どーぐの日」に制定した。
この夏は新たな道具の存在を知った。今まで貝殻は捨てられるか、螺鈿細工に用いられるくらいだと思っていた。螺鈿細工は、貝殻の内側、虹色光沢を持った真珠層の部分を切り出した板状の素材を、漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法、およびこの手法を用いて製作された工芸品のこと。用いられる貝は、ヤコウガイ(夜光貝)、シロチョウガイ(白蝶貝)、クロチョウガイ(黒蝶貝)、カワシンジュガイ(青貝)、アワビ、アコヤガイなど。

大田区立郷土博物館の友の会で、区内の遺跡出土の土器片や石器などの整理作業に加わるようになって1年近い。
区内の貝塚から発掘された貝殻を調査研究、資料づくりをされている動物考古学のY先生が貴重なお話をして下さることがある。
9月の「縄文土器」の野焼きの日、貝刀(かいじん)を包丁代わりに使って「縄文鍋」をつくろうということになった。

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    石やシカの骨角器で貝刀をつくる

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     二ホンハマグリとカガミガイ

土器の成形の日、Y 先生は、縄文人が使っただろう、貝刀づくりを実演してくださった。用意された貝は、カガミガイ(鏡貝)やハマグリ。そして生の鶏肉まで。縄文人は今のハマグリよりはるかに大きい二ホンハマグリを食べていたらしい。
実際に貝刀をつくったり、貝刀で鶏肉を切ってみたりしたかったが、土器の成形がなかなかうまくいかなかったため、チラチラ眺めていた。Y先生は石やシカの角でコンコンと叩くと意外に簡単に欠けるようにみえたが、実際はコツが要りそうだ。

平和島キャンプ場での野焼きの日、貝刀は大活躍した。調理場で縄文鍋に入れるキノコ類、菜っ葉、長芋を数人でカットした。ほかはFさんが自宅で火を通した鶏肉を用意した。出汁は縄文時代には使わなかっただろう昆布。(縄文鍋
  
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    エノキダケを貝刀で切るK君

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          縄文鍋

エノキダケやシイタケをカットしたのは、火焔土器をつくった小学6年のK君。夏休みの「勾玉づくり」に参加できなかったというので、1つ残っていた「勾玉作りセット」をプレゼントした。(わが家で勾玉づくり
ときどき母親とLINEで連絡を取り合っているが、父親と縄文時代関連のテレビをよく見ているのだとか。

ちなみに、博物館の勾玉づくりの講座では、勾玉づくりはほとんどが小学生で、中には6年連続で参加している6年生男子がいた。大人にまじって縄文土器づくりに挑戦したのは、K君のほか小5と小6の男子。
彼らをみていると、博物館が近くにあって、自分が小学生の頃、こうしたイベントに参加していたら・・・などと思ったことも度々。
だが、土器や勾玉をつくっていればいいわけではない。考古学では「放射性炭素年代測定」などといった科学的な分析方法を用いることも多く、自然科学とも関連する理系の学問のようだ。
絵画・博物館

大森貝塚出土の土器

2019年10月04日
先月の「大森貝塚」とモース博士についての講演会で、大森という地が、「日本の考古学・人類学の礎」となる由緒ある地であり、今の生活は過去から連綿とつづく人々の暮らしの積み重ねの上に成り立っているということを思い起こさせてくれた。(大森貝塚とモース博士

モース博士により日本ではじめて科学的な発掘が行われた「大森貝塚」は、品川区と大田区に記念碑が建てられ、国の史跡に指定された(1955年)。
また、モース博士たちの発掘した貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿・鯨の骨片、人骨片など、現在東京大学の博物館に収蔵される標本類はすべて国の重要文化財に指定された(1975年)。

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     モース博士の胸像

品川区の大森貝塚遺跡庭園には「大森貝塚碑」やモース博士の胸像、貝層の剥離標本などあり、縄文時代・大森貝塚について学習できるようになっている。
庭園内に設置されている「モース博士の像」は、モース博士の生誕地であるアメリカメイン州のポートランドと品川区が姉妹都市提携を行ったことを記念して建立されたもの。

JR大森駅ホームには「日本考古学発祥の地」碑が、駅前広場にも縄文土器のモニュメントが建っている。(大森駅と縄文遺跡

1984年、マサチューセッツ州セーラム市にある博士ゆかりのピーポディ博物館と大田区立郷土博物館が姉妹館となり、その後、セーラム市と大田区が姉妹都市になった。郷土博物館2階の大森貝塚の展示コーナーには、実際に発掘された土器の欠片や発掘の様子がわかるジオラマなどが展示されている。

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遺跡庭園の横に歩行者・自転車専用道路である桐畑地下道内には大森貝塚発掘調査(1984年)で実際に出土した貝殻を使い、貝塚の断面を再現したレリーフがある。この地下道を通ってJRの線路の向こうに出ると、そこは縄文時代には海だったところ。
当時は台地の近くまで遠浅の海岸が迫っており、さらに現在の大田区と品川区の区境を流れる小川を水源に生活を営んでいたという。(東京の縄文遺跡縄文海進・海退

『大森貝塚を語る』の講演会で求めた絵はがき(戸村氏による大森貝塚出土土器の製作復元土器)をみると、縄文の森の向こうに海が広がっていたことをイメージさせる。
  
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   大用貝塚出土土器(復元)と森  (絵葉書)
   
周辺にはシラカシ、アカガシ、スダジイ、タブノキ、ヤブツバキといった常緑広葉樹の森が広がり、その実をアク抜きして食用にしていた。女性や子どもたちは海岸でハマグリやアサリ、さらには海藻を採取。男たちは小舟でアジ、スズキ、クロダイなどをとり、シカやイノシシなどの狩猟も行なっていたこともわかっている。
大森貝塚と呼ばれる集落跡には最大30人ほどが暮らし、遠くは利根川下流、霞ヶ浦などとの交流の可能性もあったと考えられている。

以前から度々訪れる大森だが、考古には1年ほど前まではまったくといっていいほど関心がなく、この地下道も線路を越えるための近道でしかなかった。
大森貝塚の講演会を機に久しぶりに遺跡庭園を訪れてみたくなった。そして桐畑地下道を通ってかつての海へ出てみよう。
絵画・博物館

「大森貝塚」とモース博士

2019年10月03日
先月の敬老の日、日本の考古学発祥の地「大森貝塚」にほど近いLUZ大森(大田区)に『大森貝塚を語る ―モース博士と大森貝塚―』(大森貝塚保存会主催)を聴きに行った。「大森貝塚」は、品川区と大田区にまたがる縄文時代後期から末期の貝塚。大森にある絵タイル大森駅と縄文遺跡

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       講演会の栞  *Click! 

大森貝塚・発見発掘142周年の記念講演。講師は保存会会長・国際縄文学協会理事の関俊彦氏。
           
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会場には品川区立大井第一小学校4年生による大森貝塚に関する研究発表資料、大田区立郷土博物館「大森麦わら細工の会」のKさんの「縄文土器」の麦わら細工作品などが展示されていた。
戸村正巳氏による復元製作された土器の記念の絵はがきを購入。

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   栞と絵はがき 「大森貝塚の土器を起こす」  
       
明治10年(1877年)、アメリカの海産動物学者エドワード・モース(1838-1925) が初めて来日した。横浜港に到着した翌日、汽車で横浜から新橋に向かう車窓から大森の貝塚をみつけた。貝類の専門家としてアメリカ東海岸の貝塚に関心があり、考古学の知識があったモース博士。汽車が大森駅を出発した直後、線路脇の切り通しに白い貝殻が露出しているのに気づいたという。

貝塚が古代人の遺跡だと分かったのは歴史が浅いという。日本でも貝塚の存在は知られていたが、掘り出された土器、石器、骨角器、獣骨、人骨など出土品のすべてを科学的な古代研究の資料として扱ったことは特筆すべきだという。
モース博士は「近代日本考古学の父」とも呼ばれている。

講演では、モースの生立ち、ハーバード大学の動物学者ルイ・アガシ―教授の学生助手になったころのエピソード、初来日から帰国までのおよそ6年間の話なども興味深かった。
「大森貝塚」は貝塚だけではなく縄文式土器の発掘でも脚光を浴びた。土器の網目や色突起様の形状などに表された縄文人の思いや願いは未だ判読されていないそうで、ますます縄目の文様に興味がわいてくる。
絵画・博物館

中学生の職場体験

2019年09月28日
朝、いつものように郷土博物館に着いた。午前中は考古関連以外にもさまざまなことが話題に花咲く楽しい時間。午後からの資料整理、数ヶ月間前から弥生時代の山王遺跡の土器片の整理をしている。
この日の午後、近くの中学2年生男女各2名が「職場体験」で土器資料整理を体験をすることになっているという話があった。

職場体験学習は中学校などの教育課程の中の特別活動、総合学習などの枠内で生徒たちに地域社会のさまざまな事業所で、職業の現場を体験させることをいう。
何年も前になるが、たまたま入ったスタバで「中学生職場体験中」という張り紙を見たことを思い出した。(子どものお仕事体験

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        スタバ―バックス  2011.11

主な体験現場は学区内にある職場に数名ずつ派遣され、担任の教員が現場を巡回するのだという。百貨店、スーパー、書店、衣料品店、ホームセンター、ガソリンスタンド、飲食店など、一般的には商店や製造工場などのほか、区町村役場、裁判所、警察署、消防署、鉄道、バス、空港、新聞社、放送局、郵便局、動物園、水族館のほか、病院、診療所、老人福祉施設、動物病院、スポーツ施設、小学校、幼稚園、図書館、博物館、保育所など。

職場体験の4人の中学生が机につくと、整理の仕方についてH学芸員から、そして現在、貝塚から発見された貝を研究中のY先生から動物考古学についての説明を受けた。
動物考古学は、遺跡から出土する動物遺体(主に骨、歯、角、貝殻)から、人と動物の関係の歴史を考える考古学の一分野。
動物遺体を扱うが、研究の主体はあくまでも人間であり、動物に関連した過去の人間活動を復元することを目的としているという。

郷土博物館での整理というのは主に遺跡から発掘した遺物(土器片や石器など)の写真と拓本図を照らし合わせるという地道な作業。積み上げられたテンバコに入っている遺物の中から学芸員が数個の土器片を机の上に並べると、写真と拓本図(たとえばFig12 10-9)の中から該当するものを探し出す。

今年6月に整理した山王遺跡出土の土器の底にはっきりとした葉脈の跡がついていた。こういったものは見つけやすいが、たまには机上に広げた土器片のほとんどが分らないこともある。
ちなみに山王遺跡(山王3-31-21)は弥生時代中期から古墳時代初頭(1~4世紀)の遺跡。 

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           山王遺跡出土

その後、山王遺跡の土器片の整理を開始。友の会メンバーが傍についてサポートするが、せっかくの職場体験、あまり見つからないと困る。が、その心配をよそにとくに女子の1人が「ありました!」と次々に見つけていく。1つも見つからない男子は少々焦り始める。
緊張しているのか、訊かれたことしか答えない彼ら、何としても見つけてもらって達成感を味わってもらいたい一心で懸命にサポート。
次第にコツをつかめたのか、土器片と番号を新たにつけた紙をビニール袋に入れるのが間に合わないくらいの勢いでみつかり、机上に並べられた土器片はみるみるうちになくなっていった。
訊ねてみると、案の定、彼らは自ら希望して博物館に来たのではなかった。戦国、幕末史はともかく、古代史、考古にはまったく関心はなかったという。この日の職場体験がいつかどこかで生かされることもあるといいのだが。

2時間の資料整理後、感想文を書いてこの日の体験は終了。彼らはどんな感想を抱いたのだろうか。
わが収穫の1つ、動物考古学の存在。この研究もひいては人間を知ることであって、地球温暖化など現代の問題を考える上でも大いに生かされるということ。
また、弥生土器に縄目の文様を見つけたこと。とくに関東では、弥生時代に入ってもしばらくは縄文の土器がつくられていたということを知った。
「今からこうしたホンモノに触れる体験は貴重だよ」というK氏の言葉に妙に納得した。もし、中学生のころにこうした体験をしていたら・・・? せめて10年早く博物館に足を向けていたらと思うことしきりのこのごろだ。
絵画・博物館

土器をつくる 焼成

2019年09月25日
郷土博物館での土器づくりの3回目は平和島キャンプ場での野焼き。台風17号の影響で当日の天候が心配されたが、Fさんいわく「晴れ女パワー」で天気がもってくれて、涼しく、風も弱く、最高の野焼き日和になった。(土器づくり 粘土捏ね成形・整形」
ずいぶんと昔、参加したことある博物館の土器づくりだが、野焼きの日は参加できず、A氏にお願いしたため、野焼きがこれほど大変で、そして楽しい日だったとは知らなかった。

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2週間ほど乾燥させてあった土器を各自で火の周りに置くと、15分おきに位置を変える。燃え上がる火の近くに何度も近寄ることになるので、皮手袋、木綿の長袖で。眼鏡のフレームにも気を付けなくてはならない。
10時、薪に火をつけて土器を並べて乾燥させる準備が始まった。11時いよいよ周囲に土器を並べる。想像以上に熱い。
             
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        向きをかえる  11:34
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         底を焼く    11:52                
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         縄文を描く雲  12:05    

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        1時間昼休み  薪は絶やさず

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    薪を井桁にくべる    13:18
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焼成後は各自皮手袋や棒きれを使って円形の階段に運んでいく。30分もすると個性豊かな土器、土偶、土版などが並んだ。冷めてから作品を接写したり、手にもって記念撮影する人など、見学や迎えの家族たちも加わり、40人ほど。すべて割れることもなく完成、あちこちで歓声が上がっていた。(縄文土器 完成!)  
絵画・博物館
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