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この頃の子猫たち  上る

2008年09月30日
          アミ
           アミは上で
         トラ
                            トラは下で
下りるのはどちらかというと苦手かな呼んだ?
 アミは木登りの夜間訓練中か        2匹は軒先の雨樋の中でじゃれあった後に
 2階のベランダまでもう少し             
                    アミは屋根を歩いてやってきて             
                呼んでいないけど・・・
                              窓から入って                 
               えっ 入るの?・・・
                  2階の各部屋を廻って
                  階段を下りて南側の和室から庭へ出て行った
                  今日の探検はこれでおしまい

アミトラ、5月生れの子猫たちは、すっかりこの庭に落着いたようだ。
9月になってからは、毎朝夕の食事時間に遅刻することもなく現れた。
どうやら、ノラ猫修行に出かけることはなくなったようだ。
もう、立派なノラ猫になったのだろうか。
今日の夕方、アミが母親のチビに怒られていたが・・・。
動物など | Comments(0)

大きな石 小さな石

2008年09月29日
この角張った石は長い間、梅の木の下にあった。
当時は下半分が埋められていたので、子どもでも上れる高さだった。

      梅の木の下の大きな石
     
父が庭仕事の途中、よくこの石に腰掛けて、一服していたものだ。
今の場所に移されたとき大部分が表に出されたため、
庭中で最も大きく最も高い石となり、腰かけにはならなくなった。
今、腰かけ代わりになるのは玄関の前にあるつるっとした石だけだろうか。(つくばい
            
           動物の顔にみえる石

この横長の石は玄関を出るとすぐ左側の金木犀の下にあった。
表門はほとんど開けずに、潜り戸から出入りしていたせいか、
ちゃんと見たことはないが、今見るとなかなか味のある顔?をしている。

          帽子のような石
          
玄関の右側にあった帽子のようなこの石は、
門から入ると真っ先に眼に入り、面白い形だなあと思っていた。
今は南側のダイニングの正面にあるので、
子猫たちがこの石に上ったり下りたり、追いかけっこをしているのがよく見える。
が、頂上が平らでないので、昼寝や毛づくろいの場所には向かないらしい。
猫たちは概ね石灯籠のような高くて見晴らしのよい所を選んでいるようだ。
       
父は石を集めていた、というより、石が集まっていったという方が正しいかもしれない。
2年前、父が亡くなり、書斎を片付けていると、
文鎮代わりなのか机の端や本棚の片隅から、小石がいくつも見つかった。
どれも掌に載るくらいの大きさで、丸みを帯びている。

窓際の小石たち 採取場所の書かれた石

蔵書類は大方処分したが、石たちは庭に出さずに私の部屋の窓際に並べた。
石の裏に(石に裏表があるのだろうか)父の字で「堂ヶ崎・・・・」と貼ってあるものもある。

私はスケッチ旅行でどこかに行くと、記念に何かしら拾って来ることが多いが、
秋の木の実ばかりでなく、石もそれに匹敵するくらいある。
秩父の武甲山、下北半島の仏が浦、出羽の鳥海山、伊豆大島などでも拾った。

中でも、雨畑硯で有名な山梨県の雨畑川原で拾った石は数十個もある。
仲間が拾った石も預かって一緒に箱に詰め宅配便で送ったのはいいが、
帰宅後、皆さんに手渡すために石を1人で運ぶ羽目になった。
何故このようなことをしたのか、その拾った石が硯にでもなると思ったのか・・・。
硯をみたり、川原に行ったりするとふと想い出すことがある。

この石を拾う癖が、父譲りのものらしいと自覚したのは、
父の書斎を片付けていて、そこにたくさんの石があるのを見たときである。
生前は父とゆっくり話らしい話をしたことがなかったが、後悔することしきりである。

どうやら、この石好きは父と私の二代限りで終わりそうで、少し淋しい。
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石灯籠

2008年09月28日
玄関前の庭石の奥に山灯籠がある。 (つくばい
以前は東門から勝手口への径の脇にあった。 
3歳の私がこの山灯籠と背くらべをしている写真を見ると、
上に載っている丸い石1つ分だけこの灯籠の方が高かった。

そのころはまだ、祖父母が健在だった。
私が小学校1年の時に亡くなった祖父との写真も何枚かある。
そして庭には、犬が居たはずだ。
今や、石灯籠は猫たちの遊び場や休憩場所になり、
蹲も水呑場となってしまったが、そんな場面を誰が想像しただろうか。

    山灯籠      7月に養女に行ったナミ  
 
亡くなった父はとにかく樹木と石が好きだった。
改築に伴い、庭は狭くなり、やむなく樹木は減らしたが、
庭石も蹲も石灯籠もそのまま残し、恐らく踏石もほとんど減っていないだろう。
門の前に敷詰めてあった細長い御影石も、今はアプローチに敷かれている。   

 雪見型灯籠上のククとケシ      織部灯籠

改築前に庭の様子をスケッチしておいてよかったとつくづく思う。
が、今にして思えば、建物、部屋のスケッチももっと沢山しておけばよかったと思う。
何年経っても変わらない庭石、石灯籠、蹲などは残らずスケッチしたのだが・・・。
やはり、私も父と同じように石が好きなのだと、最近は特に感じることが多い。
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つくばい

2008年09月27日
18年前の改築時に、庭石、蹲(つくばい)、石灯籠はすべて位置が変わった。
離れの前にあった蹲は今は書斎前の紅梅の下へ。
近ごろは猫たちの恰好の水呑場となっている。

    離れの前にあった蹲     今は書斎前 猫たちの水呑場となる

一昨年、古い石臼に水を入れて、その中に河骨(コウホネ)の鉢を入れてみた。
河骨は水中で年を越し、初夏には可憐な黄色い花を咲かせてくれた。

今年は、ちょうど蕾をつけた頃にボウフラが湧いたので、
金魚の力を借りようと3匹買ってきて放してみたが、1,2週間のうちに全滅してしまった。
ネットを張っておいたので、猫たちの仕業でないことは確かなのだが。

    ここも猫たちの水呑場  元は石臼 初夏に河骨が咲く   

結局、せっせと水をとりかえることにしたのだが、
それでも蚊の勢いはすさまじく、靴下の上から刺すほどの猛威を発揮した。
すっかり秋になった今でも、庭に出ると、1,2箇所は覚悟しなければならない。

昔の玄関前から今の玄関前に引越した、比較的つるっとした石は
夏の暑いときに腰掛けると冷たくて気持ちがいい。(蚊の襲撃を防ぐのが大変だが)
しかしなぜか、猫たちがここで寝ていたりすることはほとんどない。 
この奥にある石灯籠に上るためのステップにはなっているが。

        玄関脇の庭石と小さい蹲
石は大きくても小さくても、自然であればある程、見ていて飽きない。
奈良の亀石には及びもつかないが、この石だって見ようによっては亀に見えてくる。
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秋の実 

2008年09月26日
大好きな草木の実は日本画のモチーフとして随分と取り上げた。
野ブドウ、烏瓜、栗、石榴、クサギ、サンカクヅルなどなど。
今までに描いた絵をみると、風景や花に比べて木の実が一番多いような気がする。

      白山吹 マユミ 百日紅 山椒 小紫式部など click!
    
烏瓜、ムベ、アケビの花と実、そして栗、石榴、木瓜、サイカチ、松笠、椎の実など
画面いっぱいに描けるだけ描いてしまった絵があるが、 
なぜかその絵を描いて以来、秋の実をほとんどスケッチしなくなってしまった。

          「秋色」 20号 日本画

毎年、近くの道路脇の空地の同じ場所にジュズダマが顔を出す。
通るたびに気になっていたが、一昨年、株ごと頂いてきて鉢に植えたほかに、
4、5本を切ってきて、大判の画用紙にスケッチしておいた。
今年の夏、それをもとに、20号の本画を描き始めた。
鉢に植えておいたジュズダマはまだ、若い緑色。
空地のジュズダマはすでにきれいな赤みがかった黒色に光っているのに。

以前から、ジュズダマとハトムギが同じものだと聞いていたが、
どうやら違う種類のようで、ジュズダマは黒い実、ハトムギは茶色の実がなる。
ジュズダマはハトムギの原種らしい。
花瓶の中のジュズダマが、2日もするとあの麦茶に似た香りがするのも頷ける。
 
2週間ほど前、近所の空地でまだ緑色の栗と空になったイガ、弾けた実を拾った。
夏に近所で拾った無患子(ムクロジ)も、トウハクで拾ったユリノキの実も
最初は緑色だったのが、部屋の中で茶色に変わっていた。
9月もそろそろ終わり、いつの間にかすっかり秋になっている。
        
絵画・博物館 | Comments(0)

秋の拾いもの

2008年09月25日
先日久しぶりにスケッチ仲間と横浜の桜木町駅で集合。 
赤レンガ倉庫、中華街などを巡り港の見える丘公園まで行く「赤い靴号」バスに乗った。
平日は1時間に2本の運行で運賃は100円。
液晶パネルの観光案内などもあって、のんびりと旅気分を味わうのにはいいが、
港の見える丘公園に直行する場合は時間がかかり過ぎて不向きかもしれない。

終点の公園に到着。バラはほとんど咲いていない。 ランチの時間と場所を決めて散る。
ベイブリッジが見える風景・・・うーん、描こうかと少し迷ったが、あまり気がのらない。
そこで、今まで行ったことのないフランス山の方へブラブラと歩いてみた。
すれ違う人も少なく、ちょっとした林間散策の気分。
この日はクヌギ、コナラ、マテバシイの3種類のどんぐりしかみつからなかったが。(写真)

       今秋はじめての拾いもの
             
秋にこういった木の多い所を通るときは、地面と頭上しか見ないで歩くことが多い。
林の中の小径では勿論だが、街中の街路樹がある歩道でもついつい出てしまう癖。
落ち葉の中に何か、大抵は木の実だが、隠れていないかと探しながら歩く。
木の実を見つけるとまず、拾って眺め、上を見上げてどの木の落し物かを確認する。             

拾ったどんぐりなどをスケッチしたが、名前のわからない実もたくさんあった。
どんぐりというのは椎や樫、楢、ブナなどの実の総称だということは知っていたが、
これはアカガシなのか、シラカシなのか、その種類を調べるために、
当時にはめったに行かなかった図書館で、児童の図鑑や絵本を借りたりした。

      マテバシイ、クヌギ、ウバメガシ、コナラなど click!

どんぐりだけでなく、秋の実は以前から飽きずにたくさん描いた。
プラタナス、辛夷(コブシ)、蔓ウメモドキ、マユミ、百日紅、バラ、山椒、サイカチ・・・。
昔は石鹸の原料となったというサイカチの実を井の頭公園で見つけたこと、
プラタナスを描きに野川に通ったこと、スケッチブックをみているといろいろと想い出す。

秋という季節が好きというより、なぜか秋の木の実が好きで好きでたまらない。
毎年拾い集めてきた色々などんぐりを、秋になると箱から出して眺めた。
数年前にとうとう全部処分してしまったが、土に埋めてやればよかったかもしれない。
植物など | Comments(0)

今朝みた夢

2008年09月24日
今朝、5時に目が覚めた。夢を見ていた。
どうやら電車に乗遅れたようだった。
駅が出てきた。絵の友人が現れた。
その友人を追いかけて次の電車に乗り、席を探していた。
どこに行こうとしていたのか、なぜなのかははっきりしない。

今までみた夢はたいてい決まっている。
前回書いたように、18年前まで生活していた旧宅やその当時の庭が出てくる。
例えば座敷や玄関などの光景が出てくるだけで、そこで何をするというのでもない。
ただ、懐かしがっているだけなのだろうか。

時々見るのは、近くの坂道を下りていく光景、上るのでなく下りていくところが切ない。
昔はこの坂の上から、正面に一本の煙突が見えた。
小学校低学年の頃、近所の子供たちとその煙突の周りでよく遊んだ。
この坂道は時々通るが、煙突は何十年も前になくなり、今は会社の寮が建っている。

              坂道

確か同級生のお父さんが撮ってくれた1枚の写真と母の書いた文字を、
表紙が取れかかったアルバムの中に見つけてから、この坂の夢を見るようになった。
自分の気持ちが下降線を辿っている時に、この坂を下る夢をみるのだろうと思っている。

あとは、学校の場面が多い。
それは昇降口だったり、トイレだったり、廊下や階段、教室だったりする。
自分の行くべき教室が分らず、校舎内をぐるぐる廻り続ける。
誰にも遇わない、自分がどこへどうやって行けばいいかを誰にも訊くことができない、
焦れば焦るほど目的の場所がわからなくなる。
やっと2階に来たはずなのに、いつの間にか昇降口、「ふりだし」に戻るといった夢・・・。

試験だ!というのに、教室に居る自分がパジャマ姿だということに気づく。
こういう時は、いつも大したストーリーはない、あるのは焦燥感だけ。
勉強不足、準備不足ということを教えてくれているのかもしれないが、後の祭りだ。
だいたい、このあたりで目が覚めるので、試験の結果がどうなったのか不明のまま。

ところで、今日の夢に友人が現れたのは、恐らく一昨日、久しぶりに会ったからだろう。
何故、彼女を追いかけようとしたのかはよくわからないが・・・。
その夢の続きなのか、別の夢なのか、電車の場面の次は水辺にいた。
鴨か何かの水鳥が泳ぐのを見ている、そのあたりで目が覚めた。

         「冬に入る」 8号  日本画

今日、我が家で開く中国茶の会に8人の中国語のお仲間が見えるので、
大きい座卓を1階から2階へ運んだり、座布団を干したりと、2,3日前から支度していた。
昨日、廊下の絵を1年前に描いた秋の風景画に取替えた時、
「ここはこうすればよかった」などとしばし眺めていたので、夢に水辺が現れたに違いない。
この絵の風景、新潟の湿原(福島潟)に行ったのは7年も前のことだが、
絵にしたお蔭で、つい最近の旅だったように強い印象がよみがえった。
つれづれ | Comments(0)

庭の記憶

2008年09月23日
いつだったか、家の内外で身近なものを片っ端からスケッチしていた時期があった。
春は枝垂桜、藤、さつき、初夏の梔子、夏の百日紅、秋は金木犀、
手向山(もみじ)や夏椿の紅葉、冬の雪を被ったトクサや笹もよかった。
7月、梔子が満開になり、何日か続いた雨が止んで、
梔子の樹に蜘蛛の糸がキラキラと光っているのが何とも美しく、
蜘蛛の巣をスケッチしたこともあった。

家の解体が決まると、座敷や応接間、玄関など、想い出に満ちた空間が名残惜しくなって
最後の秋を迎えることになる庭も、植木や庭石、石灯籠を中心にスケッチしていった。

         百日紅の下 築山への石段 離れの濡縁より

今では家も庭も様変わりしたが、たまに見る夢は、旧宅の座敷や庭に居る夢ばかり。
旧宅で生活している間ずっと洋風の白い壁の二階建てに住みたいと思い続けていた。
そして実際、白い壁でなくとも、二階建ての家に18年も前から住んでいるのに、
旧宅にいる現在の自分が夢に出てくるのは不思議でならない。

今となると昔の何もかもが懐かしく想い出される。
庭に住む蝦蟇は、まさに啓蟄のころ冬眠から醒めて出て来たが、
うっかりすると踏みそうになることもあり、春先は庭に出たくなかった。
そして夏は蚊が多いのでやはり出るのは嫌だった。

庭のほぼ中央には池があり、春になるとおたまじゃくしが孵った。
小学校時代、クラスの男児たちのオタマジャクシ捕りはわが庭の年中行事だった。

子どもの頃、樹も今より多くあったので、庭は「かくれんぼ」や「缶蹴り」に最適だった。
「かくれんぼ」「缶蹴り」を見かけなくなってどのくらいの月日が経ったのだろう。
そういえば、「ままごと遊び」もあまり、見かけないが、どこへいったのか。 

門は北と東にあり、東の門の内側で近所の子達とままごとをして遊んだのは、
幼稚園のころだったと思う。
東門脇の樹が立て込んでいて少し暗くジメジメした感じの塀には、
梅雨になると決まってカタツムリがつけた路が何筋も光っていた。

        金木犀散る 右端に郵便受け
その頃、玄関と少し離れた郵便受けから新聞を取ってくるのが特に嫌だった。
おばけの存在も否定できずに恐くて恐くて、郵便受けまでの径が長く感じられ、
新聞を片手に只管走り、玄関の戸をバシャン!と閉めて叱られたことも度々あった。
 
         表門からみた玄関 

もう少し大きくなってからだろう、手伝いといえるのかどうかわからないが、
縁側の9枚ある雨戸を開けるように、閉めるようにと言われるのも大嫌いだった。
「どうせ明日の朝、開けることになるのに・・・。」とか「また、夜閉めるのに・・・嫌だな。」
と馬鹿なことをつぶやきながら、開け閉めしていた。
この面倒くさがりと屁理屈をこねるのは、残念ながら、今も続いている。
何かに夢中になると、途中で止められず、切り替えの悪いこともまた・・・・。
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鬼は不在の鬼瓦

2008年09月22日
以前はよくトウハク(東京国立博物館)に行った。 
主に古代中国の青銅器をスケッチしたが、
素朴で温かみのある奈良時代の軒瓦や鬼瓦、塼仏(センブツ)などにも魅かれた。
いつも小さいスケッチブックをバッグに入れておいて
法隆寺展や興福寺国宝展などで鬼瓦をみつけるとメモしたこともを想い出す。

塼というのは(大辞泉)「東洋建築に用いられた煉瓦。正方形や長方形の厚い平板で、
中国周時代に始まり、漢代に発展、城壁・墓室などに用いられた。
日本では主として飛鳥・奈良時代に用いられ、表面に唐草模様・天人・鳳凰などを浮き彫りにしてある。」


           「まほろば」 10号
     
10数年前にトウハクで奈良出土の軒平瓦と丸瓦、鬼面文鬼瓦をスケッチしたものと、
その数年後に描いた甘橿丘からの「大和三山」の風景を組み合わせて本画にした。 

          東大寺の瓦のスケッチと「鬼瓦」の本   
  
    鬼瓦のメモ
            
その後、「ルーツを尋ねて 鬼瓦」(玉田芳蔵 著)という本を買っている。
どういう経緯で買ったのか覚えていないが、どうやら奈良の旅とは関係ないらしい。
恐らく、この頃から夢中になっていった中国の旅の影響ではないかと思う。
江南の周庄や同里で反り上がった棟端の瓦を見たのがキッカケだったか、
安徽省南屏村などで出逢った民家の特徴である馬頭壁や門に積まれた瓦だったのか・・・。

日本には仏教の伝来と共に、中国から朝鮮を経て瓦作りの技術が伝えられたという。
奈良時代に全国に広まった鬼面文鬼瓦のルーツは中国古代の神々らしい。
そうなると、中国で反り上がった棟端の瓦を見て日本の鬼瓦を連想したことは、
極めて自然なことのように思える。

また、鬼瓦の文様は中国殷の時代の祭祀に用いられた青銅器の文様だとされている。
「鬼瓦」(玉田芳蔵 著)の中、鬼瓦の起源についての第三章には、
私がトウハクで計3回スケッチした鼎の写真が載っていた。(「博物館では」
あの饕餮(トウテツ)紋がまさに鬼瓦の模様のルーツだったとは、驚きだ。

中国や韓国ではほとんどが龍や魚、鳳凰、獅子、馬など動物をかたどった飾り瓦で、
日本のように「鬼瓦が家を守る」といった意識はあまりないという。

本来は棟の両端から雨水が滲みてくるのを防ぐ役割の鬼瓦も時代とともに変わって行く。
室町以降は激しいデザインになり、頭の周りの装飾も派手になるが、
江戸庶民の家には鬼面なしの鬼瓦が登場した。
防火の意味で「水」の字があしらわれたり、家紋が入った鬼瓦も見られるようになる。
そして我が家の鬼瓦のようにシンプルなものが多くなっていったのだろう。
つれづれ | Comments(0)

瓦と樹

2008年09月21日
18年前の秋、戦災をくぐり抜けて来た木造平屋建ての家の解体が始まり、
父と母は新居完成までの半年間、初めてのマンション暮らしを経験した。
その間、私たち一家は犬のアルバートと北側の離れに残った。

庭の井戸はそのまま残し、残せる樹は北側に仮植えをして、
ほとんどの庭石や石灯籠、踏み石を移し変えた。
が、瓦屋根付きの大谷石の塀や木の門扉は跡形もなく消えた。
庭のほぼ中央には池があり、また、30畳近くの地下室もあったため、
埋め戻しには難儀したようだ。

1991年春、完成した東棟には仮住まいしていた両親が戻って来た。
ちょうど大学生になった娘と高校生の息子とアルバートと私たち夫婦は離れから西側の新居に移った。

             瓦の再利用 保護色?ケシとアミ

解体時に残した屋根瓦の一部は、新築後の造園の際に踏み石として残した。
屋根の棟端を飾る瓦は、鬼面文でないものでも鬼瓦というらしいが、
その鬼瓦を、建築中大事に保管しておいて、新築の家のベランダに並べた。
父が亡くなり母と同居するようになってからは、
父が書斎にしていた部屋の外壁に脚付の3枚を中心にして10枚を一列に飾った。
60年以上家を守ってきた鬼瓦、地上にあっても魔よけになるといいのだが。

瓦の色とそっくりなケシの頭がみえる 紫式部の実が色づき始めた
樹についていえば、
解体のために移植を諦めたり、移植して駄目になった木も多く、
父が好きだった手向山という楓、枝垂桜、梅、梔子、藤、赤松、槙など
思い出すだけでも多くの樹木が姿を消した。

  玄関前 手前は最近切られた槙の株 沓脱石の上の切り株

そのうちの椎とか槙などの樹は切り株にして残してある。
切り株と言っても、根はついていないので移動可能。
庭の手入れが好きだった父の休憩するための椅子になったり、
玄関で荷物をちょっと置いたりする台となった。
最近はもっぱら猫たちのソファ代わりになっているが、
それはそれでいいのかもしれない。(この頃の猫 眠い

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木の玩具

2008年09月20日
幼稚園年中組の孫りんりんが顔をみせる回数が減り、月2,3回程度になった。
これを機会に、我が家の1階と2階の2ヵ所に置いてあった着替えや玩具を
整理して、ほとんどの玩具がリビングのコーナーの棚に収まるようにした。

             現在の玩具棚

けん玉やコマは以前からあったもの、プラスチックのレールはわずかで木製が
ほとんど。ほかに輪投げも木製、大きいものでは木馬も木製、木の玩具が多い。
          
          これでもまわしているつもり

りんりんはコマが大好きで、1歳を過ぎた頃から、コマを回して回してとよくせがんだ。
大きいコマを回す大人の手つきをじっとみていて、自分も真似して両手を
擦り合せたり、床に腹這になり、回っているコマに顔を近づけてじっとみていた
こともあった。
回るものが大好きで、電車やミニカーの車輪を飽きずに回転させていた。

        りんりんの遊び机 中棚はキャスターつき

写真上は去年までりんりんが使った机と、天板にレールを敷いたキャスター付棚。 
下の写真は孫娘ゆうゆうのために作ったキッチンセット。これは彼女の家にある。
どちらもごんさんが市販のトーマス机とキッチンセットを研究して作ったお手製。
(最上の写真の棚もお手製 もとは私の絵の道具入れの棚だった。)
2卓つくった机のうち1卓はりんりんの家に置いてあり、もう1卓 は半年前から
蔵ならぬ物置入り。


      ゆうゆうのキッチンセット

ちょうど4歳になった頃だったか、久しぶりにコマを手にしたりんりん
以前からずっと回していたかのように、上手に回すことが出来た。
こどもは「昨日まで出来なかったことが、ある日、突然出来るようになったりする」から
絶えず気をつけているようにといわれるが、これは確かなことだと思う。

彼が伝い歩きの頃、ほんのちょっと眼を離した隙に、自分で引き寄せた椅子に
よじ登り、机上の煙草を落としていじっていた。口に入れたか入れてないか、
とにかく病院へ!と大騒ぎしたことがあった。
幸い大事には至らなかったが、その後も、ヒヤッとさせられることが何回もあった。
だが、好奇心旺盛な彼を、適当な距離を置いて眺められるということが実に楽しい。

       折り紙えほん

つい最近、彼は本をつくったといって見せてくれた。折り紙を二つ折りにしたもので、
判読は非常に苦心したが、愉快だった。(以下、原文のまま)
「きもちい きもちはうれしい きもちがたのしい それがぼくはだいすき
                 それは ぼくはほんとうわきらい ふつうわすき」
 
糊付けの紙をめくると 「そばがぼくはだいすき」
そして最後の頁に 「おわり(おしまい)(ごほん)はじめてえほん」
ほかにも 「ままのすきなことはしごと それにらーめんがだいすき おわり」
「ぱぱはしらない・・・すきなことがいっぱいある そのことがぼくはすき
        それがぼくのぱぱがすきだとおもってる おしまい(おわり)」

パパは自分の知らないいろいろなことを知っているから好きだという意味らしい。
「雷はどうしてくるの?」「なぜ雨は降るの?」「ダンゴムシはなぜ丸くなるの?」などなど、
彼の科学的な疑問に答えることができるのは、彼のパパくらいしか見当たらない。
身近な人びと | Comments(0)

読書したい秋

2008年09月19日
このところ、図書館に行っていない。 
忙しくなったこともあるし、生来の飽きっぽさのせいもあるが、
朝夕はだいぶ涼しくなってきたので、パソコンのあるどこよりも暑い部屋から
涼しい図書館に逃げ出す必要が少なくなったこともあるだろう。
ひと月前、寺田寅彦の「備忘録」が載っている全集2を借りてきた。(「花火」)
難しそうな物理がらみの随筆は飛ばして、ざっと目を通しただけで返却してしまった。
その後、「寺田寅彦画集」をみつけて、寅彦の自画像への思いに興味を持ったが、
随筆についてはあの時以来、全く読んでいなかった。

「寺田寅彦随筆集」(小宮豊隆 編)岩波文庫本があることを知り、ネットで注文した。
全5巻。初版は1947年、手元にあるのは2008年の2月発行の第93版。
文庫本のカバーは木下杢太郎の『百花譜』の鳳仙花や桔梗などの絵で、
バッグに入れて持ち歩き、電車の中や待ち時間などに開けるのが楽しみになった。
1駅で1篇2駅で1篇といった感じで読めるちょうどいい長さだ。

           「寺田寅彦随筆集」

木下杢太郎の名は聞いたことがあり、「百花譜」もどこかで目にしたことはあった。
調べてみると、杢太郎は医学者であると同時に、詩、文学、絵画、
さらに美術史、キリシタン史研究と、多方面に才能を発揮したとある。 
寺田寅彦も物理学者、随筆家、俳人であり、画も描き、音楽にも造詣が深い。
夏目漱石との交わりも有名だが、寅彦は弟子というより、友人として扱われたようで、
「吾輩は猫である」の水島寒月や「三四郎」の野々宮宗八のモデルとも言われる。

半月くらい前に来た友人のメールに
「私は、昔 読んだ『吾輩は猫である』を読み出しました。読んでいて、忘れている
ところがありますが、変なことはおぼえていたりで、(寒月が、しいたけを食べて、
歯がかけたとか)もう、「天然居士」にはまりだしました。」 とあった。
私もまた漱石を読んでみよう、確か何冊かあったはずと、このときに思ったのだが・・・。

昨晩は明日も雨だったら、久しぶりに図書館で読書をしようと思っていたのに、
台風も逸れて今日は晴天。図書館行きをやめて、物置の整理、入替えをすることにした。

ツクツクボウシが鳴いている。やっと夏も終わりを迎えたか。
「暑さ寒さも彼岸まで」、多少の残暑はともかく、そろそろ蚊とはお別れしたい。 
放っておいた鉢に2本の彼岸花を発見したのはつい2,3日前、今朝、見事に開いた。
つれづれ | Comments(0)

大きくなって

2008年09月18日
     登ったのはいいけれど    なあに  

    アミ 塀から飛び移って槙の樹へ。        このごろは高いところが大好き。    
   降りるときは登るときより時間がかかる。        塀の高さは1.5m以上。    
               
                よいしょっ  
         アミトラも細長いものが好き。 
         特にこの黄色い長い紐(キリンの尻尾 350円)をみるとじっとしていられない。

         お向かいのさいとうさんの子ネコたちと遊ぶのが好きな小学生の女の子に
         この黄色い紐を貸してあげた。
         1時間以上も子ネコと女の子は遊んだ。
         次の日、彼女はケーキの箱を結んでいたリボンと割り箸で、
         「猫と遊ぶ紐」をつくって子ネコたちと遊んでいた。
  
                              逃げないで

                   2階からふと下をみると、トラが雀と格闘していた。
                   トラが雀を捕まえるなんて信じられない。
                   1m向こうにケシがいた。
                   なるほど、ケシが捕まえたのか。 トラの特訓は5分くらい続いた。 

5月生れの子猫たち、この頃はノラ猫修行にも行かずに、
すっかり、この庭の住人に納まってしまったようだ。
門から出て行く人をしばらくの間見送り、
門が開くとどこからともなくお迎えに出て来るようになった。
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出逢った草花

2008年09月17日
この夏、歩いて一分もかからないところに、3ヶ所の空き地が出来た。
3ヶ所とも様々な植物に覆われていて土は全く見えない。
そのうちの2ヶ所にはすでに管理会社の看板が立っている。 
  
1つ目の空き地には風蝶草(クレオメ)が様々な草の間から顔を出している。
ほかにアメリカヤマゴボウもあるが、いずれ黒紫色になる実はまだ緑色。
この風蝶草と路沿いに見える数本の大毛蓼を除けば、この空き地は緑一色。

2つ目には鶏頭。緑の中に鶏頭の赤が目立つ。
その高さは1m以上、とても大きな株が10株近くある。
今日の絵の集まりのために昨日の晩、上の方だけ頂いて来た。

           ダチュラ

3つ目、看板のない空き地、ここは数えきれない程のダチュラで埋め尽くされている。 
アメリカチョウセンアサガオという不思議な別名を持つが、1m以上あって根元は見えず、
広い空き地の遠くまでトランペットの形をした白い花が点々と見える。
この光景を空からみたら面白いだろうとふと思った。
すでにトゲのような突起がある不思議な形をした緑色の実をつけている。 
種は猛毒、この実を食べようという人は恐らくいないだろうが、
洋種ヤマゴボウの根も有毒、こちらはゴボウの名がついているので果たしてどうだろうか。

恐らく来年の今頃は、この3ヶ所の空き地にも家が建っていることだろう。
風蝶草がそうだったように(「風蝶草」8.21
この場所の鶏頭もダチュラも今年限りの出逢いかと思う。

           鶏頭

わが庭の隣のように、戦前からずっと変わらず空き地のままというところもある。
ここには、桜、枇杷、イイギリ、銀杏、椎、ミズキなどの樹木が繁り、
秋には崖沿いの樹に烏瓜が、柵のそこかしこに野ブドウや葛が見られる。
ただ、スケッチしたいと思う葛は毎年秋になるとすっかり刈られてしまうため、
残念なことに花を咲かせたことはない。
小判草、彼岸花、数珠玉、薊、春には諸葛菜、蒲公英の花々が季節をおしえてくれる。 
駅からの帰路、この場所まで来るとほっとする。
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白い秋

2008年09月16日
9月14日は中秋節、突然の雨には驚いた。
15日は満月、 この日も夜になって雨が降り出した。

日本のお月見に欠かせないのはススキだが、よく似たオギと間違いやすい。
絵を習い始めた頃、多摩川の河川敷、ちょうど二子玉川付近だったと記憶しているが、
銀白色の帯のようにみえる一群にとても魅かれてスケッチしたことがあった。
そして、この銀白色のススキに似た植物がオギだということを知り、このオギが
荻窪の地名の由来になったとか、ススキとオギを区別するポイントも知った。 

             「冬に入る」 6号 日本画

たまにこのあたりを通ることがある。
荻と川の流れは当時と同じようだが、高層ビルが建ち並び、背景はかなり変わった。
同じ地点からスケッチしてみようかと思うこともあるが、やはり躊躇してしまう。

ススキ(芒、薄) 湿地にも生えるが、主に山地、平地に 株になって生える。 
           花穂の数は12~15本、
           芒(のぎ)という実の外側にできる細長い毛が特徴。
           白または黄褐色、紫褐色。
        
オギ(荻)     湿地に、一本ずつ生える。
           穂の数は25~30本、
           基の部分から長い銀白色の毛が密生している。
           荻の花穂にはのぎがないためにふさふさして白っぽい。
           葉が落ちると茎が露出する。

   ちなみに ススキは秋の七草の一つに数えられている。
   『萩の花  尾花  葛花  撫子の花  女郎花 また 藤袴  朝貌の花』
   「朝貌の花」は朝顔、木槿、桔梗、昼顔など諸説あるが、桔梗とする説が最も有力。
              
    銀白色の花穂はまだのよう  中央線荻窪駅4番ホームから

4年前の江南の旅でみた月や月餅のことなどを思い出していた中秋節の日に、
闘病のため帰国中の中国語の老師からお手紙と月餅が届いたとの報せ。
先頃お見舞いに行かれたご子息に託した手作りの「記念アルバム」が無事お手許に届き、
とても喜んでくださったとのこと、そしてお元気になられたという朗報が何よりうれしかった。
「アルバムづくり」) 
この朗報を詳しく伺うために出かけた昨日、荻窪駅の荻を見たくて途中下車した。

遠く離れていても同じ月を観る・・・。今年ほど月を意識した年はないように思う。 
来週、老師からの月餅と同学の淹れる中国茶をいただきながら、
少し遅めの中秋節を皆で楽しむことになった。
つれづれ | Comments(0)

趣味のうち

2008年09月15日
ここ数年、コンビニ同様に増え続けるいわゆる「100円ショップ」、我が家から歩いて
10分圏内にもいくつかあるのでとても助かっている。
今までで最も多く買ったものは文房具類、その中でもクリアブック(ファイル)だろうか。 
A4の白、20ポケット、 最近は、見出しの入れられるものが気に入っている。 

B5の10ポケットも、A4の20ポケットも同じ100円というのは不思議。
だが、A4の20ポケット愛用者としては得した気分、有難いことだ。
最近、図書館の前に「99円ショップ」が出来た。 
ペットボトルのお茶を99円で買って図書館に入り、帰りにファイルを何冊か買うこともある。
ある時、白の20ポケットを棚にあるだけ、10冊近くだったか、買い占めたことがあった。
その後、予備も欲しくて行った時にはピンクのが7,8冊あるだけだった。
ファイルなどそう売れるものではないだろうし、度々仕入れることもないのだろう。

なぜ、そんなにファイルが要るのか、我ながらおかしいとは思うが、やはり好きなのだ。 
テーマ、項目別に分けて、何冊かのファイルに入れ、眼に入る場所に並べる。
自分の字を眺めたくないこともあり、わざわざパソコンで打った見出しをつけて。
たまには中身の移し変えも必要になる。1枚ずつ取り出し、違うファイルに入れていく、
面倒くさがりなのに、この作業が嫌いでないということは、私はやはり変わり者だろうか。

ファイルブックが適当な場所に並んで収まれば,もう中身はどうでもいいような気がしてくる。
ここが一番の問題で、結局、頭の中身は変わらないまま、老化の一途を辿るだろう。

    お気に入りのA4 「中国語熟語」「禅語」など    B3  旅のスケッチとアルバム

100円ショップのせいかお陰か、ますます、ファイルブックは増えていきそうだ。
実は、このファイリング好きはかなり前から始まっていた。 
10年近く前に中国の旅のスケッチ(~5号)がそのまま入るB3ファイルブックを買い、
さらにもう一冊、写真だけでなく、入場券、航空券なども貼っていってアルバムにした。 
キャプション代わりに「取締役 島耕作」を貼ったこともある。(江南の旅) 
このB3ファイルは百円どころか千円でも買えないメーカー品、中国の旅に限ることにした。 
写真を貼るのに「貼ってはがせる糊」が重宝だった。  

中国の旅シリーズはスケッチとアルバム合わせて13冊、厚いのも薄いのもある。
期間も短いものから長いものまで、計10回の旅の記録。
長いといっても「雲南省・貴州省の11日間」が最初で、最も長い旅のようだ。
この旅のファイルは、果たして14冊目をつくる時が来るだろうか。
つれづれ | Comments(0)

この頃の猫たち  眠い

2008年09月14日
アミは切り株の上で昼寝。 無防備。
置いてあったタオルを枕代わりに。噛まれてグシャグシャの松ぼっくりと。
イチ
ニィ
サン
トラは茂みで    ケシは石灯籠の上で 
   
 ククは切り株で
アクビの効用  緊張緩和、ストレス解消。 
 
チャトランの尻尾と脚      まだまだ眠たいチャトラン

去年、古い小型物置を冬期限定の二階家として提供した。 
夏もそのまま置きっぱなしだったが、ある涼しい日に垂れた尻尾と脚が見えた。 
カメラのフラッシュで眼をさましたチャトラン、ノソノソ出て来たが、3mばかり移動すると・・・。
ごらんの通り、再び、夢の中。
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ネコしょうかい 親戚

2008年09月13日
  チャトラン   チャトラン似とミケ
     チャトラン                    チビの弟妹・・・ お向かいに籍を置く

  チビ   チビの妹 
     チビ                     7月にチビの母親が連れてきた子猫  
                           チビの妹、ケシやアミたちの叔母さん
   
          2姉妹とターノ
            後方はチビの妹 右がその子どもターノ 
            左はチビの母の子 つまりチビの妹 

     アミ 女の子       ターノ  男の子            
           アミ    同時期に生れた従兄妹同志  ターノ                 
    ターノはアミに似ているが、7月に養女となったアミの双子の姉妹ナムにそっくり 

チャトランチビの親戚ネコが何匹もお向かいに籍を置いている。 
このごろはすぐ近くの小学生にも遊んでもらったり、道路を渡り、チャトランに見守られ
こちらの車の下で涼んだり、たまに残ったドライフードを食べに来たりと、
各々のテリトリーが1枚の花びらとすると、花びらが大きくなって花自体もふくらんでいく、
ということだろうか。 (「テリトリー」
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江南の旅

2008年09月12日
2004年の中秋の名月は1週間の中国への旅を終えて家へと急ぐ路で見た月だった。
昨日上海で観た月と同じ月なのだ、そんな思いで眺めたことを想い出す。 

この年、南京からの留学生が日本で知り合った上海の留学生と南京で結婚式を挙げた。
彼らのお祝いに駆けつけるという名目で江南の旅が実現した。

先ず、絵の友人Kさんと2人で上海へ。 
ご主人の仕事の都合で上海に在住しているSさん宅に1泊。
この日と帰る前日にご厄介になったこのマンションは「取締役 島耕作」(弘兼憲史)に登場
したもので、27階のベランダから上海の中心部が一望できる。
どうやら、島取締役の部屋は25階らしい。

   「島耕作」のマンション紹介の頁を旅のアルバムに  click!  大きな月餅 中秋節の機内食
 
翌朝、その友人も加わって女3人、揚州行き特別快速で常州へ向った。 
常州は上海と南京(江蘇省の省都)のほぼ中間に位置する工業都市。 ここに2泊。
新郎の叔父さんに当る張さんとは、はじめての中国旅行以来のお付き合い。
張さん宅をはじめ何軒もの親戚宅を訪問したほか、新しく出来た恐竜館、
中国で3番目に大きい淡水湖、太湖や、2600年以上も前の遺跡へも足を伸ばした。

現在、直轄市は北京、上海、天津、重慶の4市だが、いずれ、南京も直轄市になるのでは・・・と言われる。
その場合、江蘇省の省都は常州だと囁かれている。 もっともこれは常州人の願望かもしれないが。


新郎のご親戚たちと総勢20人くらいだったか、バスをチャーターして式場(市内四つ星
ホテル)のある南京へ向った。
ちょうど9月28日の中秋節と10月1日の国慶節を前に路は非常に混んでいた。
月餅の包みをいくつも抱えて郷里へと向う人々の大移動の最中。

お月見に欠かせないお供えは日本ではお団子だが、中国では月餅。
その月餅を贈り合う習慣は現在も続いている。
唐の玄宗皇帝は楊貴妃と毎年中秋節になると、名月を鑑賞し官女の踊りを見ながら、
丸い名月の形をした甘い餅を食べたというのが月餅の始まりとも言われる。

中国の結婚式については別の機会に書きたいと思うが、
その後、友人と2人で行ったアモイの留学生が故郷で挙げた結婚式も、
どちらも日本の結婚式とはいろいろな面で違い、なかなか興味深い体験をした。 

南京は緑が多い古都で、高層ビルが立ち並び、高級ホテルも多くお洒落な街だった。
無事結婚式も終わり、翌朝、鎮江へ向った。
黒酢で知られる鎮江だが、「白蛇伝」発祥の地、金山寺やパールバック女史の故居もある。
前に常州でみた北京ー杭州間の2500km(日本列島の2/3以上)を結ぶ大運河と、
中国最長の川、長江が合流する景観をこの目で見たいという目的は果たせた。
鎮江香酢は買ったし、白蛇伝の白龍洞も見たし、スケッチできなくても十分に満足できた。

上海磁浮列車 
再び上海へ。 翌朝、Sさんに送られて上海浦東空港まで磁浮列車に乗った。
この年の1月に出来たばかりの世界最速(430km/h)のリニアモーターカーだ。
5分で431kmに達したのにはビックリ、さすがに揺れたが、あっという間に無事空港着。
上海ー常州ー南京ー鎮江ー上海と1週間の江南の旅だった。
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中秋節

2008年09月11日
もうすぐ「中秋の名月」 
中秋の名月が満月になるとは限らず、10月になる年もあるという。 
今年の「中秋の名月」は9月14日(日)、もうすぐだ。

旧8月15日の月が「中秋の名月」または「十五夜」「芋名月」といわれる。
日本では旧9月13日の「後の月」または「十三夜」「栗名月」にもお月見をする。

少し涼しくなったので、あちこちに散らばった中国語のノートや資料の整理を始めた。
数年前、週一度通った区の中国語講座で配られたプリントを見つけた。
中国人講師がタイムリーなテーマで書いた10行足らずの中文なのだが、
つい最近のような気がしていた「狂牛病」「携帯電話のワンギリ」などもあった。

中でも10月1日が中秋節だった年の「桂花」の文はとても印象に残っている。
その「桂花」を訳すとだいたい以下のようになる。
10月1日は中国の農暦中秋節で、「八月十五」とも言われる。
今は農暦の八月、中国には「八月桂花香」という諺がある。
中国の北方地方では桂花はあまりみられないが、東京では今、まさに満開の季節。
桂花は独特の香りがあり、多くの人が好む。
中国には桂花茶、桂花酒、桂花を使った様々な食品がある。
花は小さく目立たないが、香りが濃厚なので風味がよいとされている。

桂花とは金木犀の花のこと、日本でもこの花の香りが嫌いという人は少ないように思う。
もっとも芳香剤になってしまった「キンモクセイの香り」もどきはどうも苦手だが。

桂林に行った時だったか、結構、たくさんのお茶を買ってしまったことがある。
この中に牡丹色の紙の茶筒に入った「桂花茶」もあった。
ついこの間まで、中身は入替わっても容器は捨てられずにいた。
川下りスタートから30分
 (桂林の离江を下りながらクロッキー 中秋節にはまだまだの春だった)

日本でも数十年前までは各地でお月見の様々な行事が行われていたようだが、
一般の家庭、特に都会では、店で買ったススキとお団子をお供えするくらいだろうか、
或は特に何もしない家庭が増えているのでは?
日々追われる生活をしていると、
夜空を見上げることもなく、気づかないうちに中秋の名月も過ぎていたりする。

中国古代の伝説では、
「月の宮殿には不老長寿の薬を持つ仙人と兎、それに西王母の仙薬を盗み飲んで
月の宮殿に向った嫦娥(ジョウガ)が住んでいる」と言われる。

今年は中国式に月の中に嫦娥を探してみようか。
でもどのような姿をしているのかまったくわからないが(研究不足)、
兎くらいは見つけられるだろうか。 

「大辞泉」によると 
嫦娥(ジョウガ)  中国、古代の伝説上の人物で、月にすむ仙女。
羿(ゲイ)の妻で、夫が西王母から貰い受けた不死の薬を盗んで飲み、
月に入ったといわれる。 姮娥(コウガ)。転じて、月の異名。
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秋明菊

2008年09月10日
   秋明菊  キンポウゲ科 アネモネ属
          学名 Anemone hupehensis var.japonica
          別名 貴船菊 
          漢名 秋牡丹
          原産 中国湖北省 

          昨年買った2鉢の秋明菊

花びらにみえるのはガク弁が花弁状になったものだという。 
白の一重のほか、白八重、濃ピンク、淡ピンクなどがあるが、私はこの一重の白が大好き。 
絵を習い始めた頃から、秋になると鉢植えや切花を買ってスケッチすることが多かった。 
「花屋さんの花」とずっと思っていたが、お寺にも、垣根沿いにもそこかしこに咲いている
ことに気づいた。 

ある年、新宿御苑内温室の中庭に沢山咲いていると友人が教えてくれたので行ってみた。
台風の後だったか、風雨に耐えた大きな株は身を屈め、首をもたげるようにして
いくつもの花を咲かせていた。 
今までに知っている背筋を伸ばしてお行儀よく咲いた秋明菊とは違って、
「幽玄の美」は大袈裟だが、何とも言えない自然の美しさを感じた。 
枝ぶりや花のつき具合だけ描いて、あとはこの光景を目に焼き付けるので精一杯。
 
この時のラフスケッチにそれまでの鉢植えや切花のスケッチを組み合わせて、「秋明」
(6号絹)を描いた。 
20号の本画「月明」を描いたのは10年も前のこと、背景に半月、なぜ夜の秋明菊にしたか
はっきりと覚えていない。 
この頃に通った「日本画デッサン」の先生が描かれる絵に憧れていたからかもしれない。 
このF先生があっけなく逝かれてからすでに4年が過ぎた。
構図を見て頂いただけなのに、秋明菊やこの絵をみると不思議とこの先生を想い出す。

             「秋明」 20号

あれから御苑にも温室にも何回か足を運んだが、この中庭には行っていない。 
今年は行ってみようか、花たちは果たしてあの場所にいてくれるだろうか。  
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アルバムづくり

2008年09月09日
9月になった。 
この一週間は上海に帰国、闘病中の中国語の老師に送るアルバムづくりで終わった。 
このアルバムづくりで朝は5時半頃に起きたが、ついこの間まで蝉の声だけだったのが、
虫の声がまず耳に入り、しばらくすると「み~んみ~ん」も加わる。 
夏の朝はこんなに賑やかなものだったのか。 
夜になると虫の声、特に鈴虫、お隣の小学生の男の子が飼っているのだと思うが
「り~んり~ん」と聞こえてくる。 
  
アルバムづくりは先週木曜、買いおいていた「丸善の製本キット」(A5 ヨドバシカメラで
1020円)を試してからはじめた。 
製本といっても紙を束ねて溝に差込むだけの簡単なもの。 
コピー用紙50枚までと書いてあったが、家にあった厚目の用紙20枚できつかったので、 
薄い両面(インクジェットと光沢)用紙を買い、キット14冊は丸善に買いに行った。 
さすがに緑、白、黒、茶の四色、ほかにA4やB5版などと揃うが、1260円だった。

主に夜、何をどう入れるか考えたり、試し印刷をしたりした。 
アルバムといっても写真は少なく、いつもの204室の教壇から撮った全員の写真、
忘年会で老師が腕を振るわれた本格中華の食事会や同学の開いた中国茶の会、
駅から教室までの目に入る光景、作文に登場する鳥海山の写真を入れた。
 
7年間使った教科書、今年から使い始めた老師監修の教科書もそれぞれ1頁をスキャン。
老師が直された「作文」を1人1文選んで打ち直して載せた。 (「想い出すこと」)
この打ち直しの作業はとても勉強になったが、作文しても直していただけないと思うと・・・。
もっともっと真面目に授業を受けておけばよかったと後悔しきり。  

        左頁は「夏休み」 右頁は「私の故郷」の作文 写真は鳥海山と日本海
          
製本キットのお陰でA5版41頁の立派な本に見えるアルバムが出来上がった。
一日も早く老師にみて頂きたい。 

昨日、5月までのいつもの木曜日のようにいつもの204室に、
けれど老師不在のまま13人が集まり出来立てのアルバムを見ながら老師を想った。 
老師が日本に戻られることがないという現実が未だに信じられず、
今は代わりの老師をお願いしたり、どこかで勉強しようという気にならない、と口々に言う。 
とりあえず、次回は早めの忘年会ということで集まり、
来年からどうしていくかを考えようということになったのだが。 
   
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テリトリー

2008年09月08日
お向かいのさいとうさんのところには、いろいろな猫たちが集る。 
その猫たちはわが庭に籍をおく猫たちとそっくりなので度々間違えてしまう。 
「あ、チャトランが寝ている!」とか「あれはアミかな」・・・。 
近づいてみれば、小さかったり大きかったり、尻尾が長かったり、
何よりもこちらを認めるや否や逃げ出すから、わが庭の6匹でないことは明らかだ。 

「この猫とあそこにいる猫と姉妹で・・・」「この子はあの猫の従姉妹」だとか、
さいとうさんに説明を受けるのだが、複雑でしかもそっくりなので覚えきれない。  

猫のテリトリーは「手術済みの雄は250~500m、雌は50~150m」と言われるが、
「各テリトリーはバラの花びらのように重なり合い、その重なる部分に集まる」とも。 
夜行性の彼らはお寺の境内や公園などで特に何かを一緒にするわけでもなく
付かず離れずそこにただ居て、朝になると各自のテリトリーに戻るのだそうだ。 
前脚を折り畳んで箱のようなるのを「香箱すわり」ということを知ったが、
香箱がポン、ポン置いてあるような夜の公園を想像すると楽しくなる。 
バラの花が親戚ということになるのだろうか、何親等までの付き合いだろうか。

      生後5ヵ月の小さい香箱ふたつ 
                    
                      まだ香箱になれないアミ

現在、チビは2匹の子猫を育てているが、
最近、さいとうさんのところに、このチビの母猫が現れたという。 
しかも、チビの子たちより小さい猫をつれて来たそうだ。
つまり、この子猫はチビの弟か妹で、現在ちょうど10ヶ月になるケシたちや
生後4ヵ月のアミたちの叔母さんか叔父さんだということになるわけだ。 

猫たちは自分と目の前にいる猫との関係がわかっているのか、
いや、そんなことどうでもいいのかもしれない。 
猫たちには隠し子だの、DNA鑑定だの、遺産相続などで騒ぐこともない、
目の前の猫が親戚や仲間であるのか、敵なのか即座に判断できるに違いない。 

思い出したが、猫の血液型は3種、
A型が90%以上、B型が5~8%、AB型はめったに生れないとか。
ちなみに犬はと調べてみたが、なんと13種類もあり、日本では9種類とされるが、
輸血時には違う血液型でもほとんど問題ない(問題あるとする獣医師もいた)という。
また、これから犬の血液型と性格を研究していくことで、人間との相性、
例えばA型の人には柴犬がいいとか、O型の人にはコーギーとか、
盲導犬や聴導犬に向くかどうかなどを考えるのに役立つ時が来るらしい。

なにはともあれ、4ヶ月になる子猫たちの訓練はかなりハードになって来ている。
2ヶ月から「ネコの学校」が始まり(「子ネコしょうかい」8.18)
上りやすい梅の樹だけでなく様々な樹で、より速く、より高くを目指す。 
細い塀の上を歩くだけでなく、高くて細いところで眠ることも出来るようになった。 

4日おきだった1泊の修行或は研修は最近、1日おき、2日おきになったようで、
昼間も門の外に姉たちに連れられて出るようになった。 
以前わが庭に入って来てケシに追われたどこかの茶+白の飼猫に睨まれて
門の外で遊んでいたトラが恐怖のあまりすくんでしまったのを目撃したことがある。 
自分のテリトリー外では気を許してはならないことを学んだに違いない。
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よく寝る子

2008年09月07日
図書館で借りてきた本で特に面白かったのは、「図解 ネコの本音」(ナツメ社 今泉忠明)。
・猫は夜行性の動物、何時でも闘えるためのエネルギーを蓄えるために
 昼間は暇さえあれば寝ているのだという。 
 「寝子」から「ねこ」と言われるようになったとか。
 ほかにも説があるが、この「寝る子」説がぴったりだと思う。
                    ポストの上のトラとアミ

・ネコ語 基本は10語くらいで、人間の言葉は30~40理解する。

・猫の視野は250度のワイド画面、真ん中の120度は3D。 
 動体視力が抜群、水平方向に動くものはコマ送りのように止まって見えるのだという。 
 そうか、そろそろ10ヶ月になる猫たちがこの頃、張り切っている「狩り」。 
 その成果は目を見張るものがあるが、彼らが特別なのではなく、正真正銘の猫だという
 ことなのだ。
               狩の練習中のトラ りんりん写す

・三毛猫はまず理論的にはすべて雌だという。 
 以前、聞いたが何故かわからなかったが、「性染色体XとY」の図解でやっと理解できた。
 臆病な三毛猫トラは獣医さんにもみてもらったが、確かに雌だ。

 「猫の恩返し」(廣済堂 松原惇子)には
・雌の方が雄より丈夫で 洋猫より和猫が、黒猫、白猫より雉トラが丈夫だとも。
                             
ということは、チビは和猫、雌、雉トラの3条件を十分充たしているので、ノラ猫とはいえ、
長生きすることだろう。

ノラ猫の寿命はふつう3年と、飼い猫に比べると極端に短いという。  
輸入ペットが持込んだエイズなどの伝染病が蔓延、
安全な場所、食べ物の確保、子育てに毎日ストレスを抱え生きていかなくてはならない。 
ノラ猫たちは好きでノラをやっているわけではない、飼えなくなると簡単に見捨てる人間が
なんと多いことか。 

花壇がトイレになったり、爪とぎされた室外機のホースがボロボロになる・・・。
確かに困ることだが、都会には野原は勿論、樹も地面も少なくなったのだから。 
この近所に限ってみれば、近くに樹がうっそうとした空地があることも幸いして、
ノラ猫たちはとてもお行儀がいい。 
出入り自由な飼い猫こそが庭の真ん中だろうがどこだろが憚らない。 
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博物館では

2008年09月06日
東京国立博物館では9月21日まで「六波羅蜜寺仏像展」が開催されている。
伝仏師定朝作の地蔵菩薩像、伝清盛、伝運慶湛慶父子の坐像などすべて重要文化財、
何でも六波羅蜜寺の宝物殿が修理されるので、お預かりしているのだそうだ。 
数は多くはないが、東京で展示されるまたとない機会。(本館 11室 特別陳列)

7月末、この展示のことは知らなかったのでこの出逢いは嬉しかった。 
清盛や運慶湛慶の坐像、今にも動き出し語り始めるのではないかという錯覚に陥る・・・
しばらく前で佇んでいたかったが、あまりの人の多さにスケッチは諦めた。 

今月は少しは空いていてクロッキーくらいできるのではないかと思って来たが、
やはり、夏休みのせいか特別展からの流れか、昼近くなると特に人が多くなる。 
邪魔にならないように立つ位置を決めるのも結構大変だった。
 
定朝の地蔵菩薩像を描いていた友人は、何年も前に六波羅蜜寺で出逢った忘れられない
お地蔵様は今回上野にはいらしていない、逢いたかったなとつぶやいた。 

私はといえば、京都からはるばる恐らく初めての長旅をしてきた湛慶の坐像に挑戦。 
ライトが頭の上方からあたっているので、コントラストが強すぎて頭の後ろの線も判らず、
顎から頚にかけても真っ黒にしかみえない、非常に描きにくかった。 
ま、重要文化財のモデルさんをたった600円の入場料で描こうというのは無理な話だ。 

湛慶の隣の父、運慶の坐像は伝湛慶作、湛慶の像は弟子の作とも自作と言われるが、
自画像のようなものなのだろうか。 
親子の関係を示すために、湛慶の方はより若く造られているのだが。 
 
博物館には10年前にはよく通った。 
東洋館にはたくさんの唐三彩の馬たち、犬の形をした古代中国の器などがあったし、
表慶館には埴輪の猿がいて、年賀状のモデルには事欠かなかった。 
羊や隈取をした京劇役者のような猿をお隣の動物園でスケッチしたこともある。 
あの頃は今のように「・・・のためにスケッチしなくては」ということもなく、とにかく通った。 
 
                     中国古代青銅器 10年以上前のメモ click!
古代中国の青銅器10数点メモしたものや、気に入った鼎などを描いたもの、
去年夏、先月と、絵の仲間と行った時の鼎のスケッチを出してきて(「久しぶりの博物館」
本画で描いてみたいと眺めているが、構想がまとまらない。 
                BC13~11世紀 饕餮(トウテツ)」紋鼎 2008.8
「鼎」は2把手と3本脚(4本脚も)、ほかカーブした3本脚の「爵」、脚のない「簋(キ)」、
「觚(コ)」とか難しい漢字の名がついた紀元前15~7世紀の青銅器が展示されている。 
青銅器には神や神聖な獣を表したとされる「饕餮(トウテツ)」紋がついているものなど、
紋様を見るのも楽しい。 

ここ、東洋館は比較的いつも静かで何時間いても飽きない大好きな空間。 
もっとも立って描くのでお昼を過ぎると腰もお腹もそろそろ限界に近づくので、
残念ながら、そう長い時間はタイムスリップもしていられないが。 
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久しぶりの博物館

2008年09月05日
比較的涼しかった日、トウハク(東京国立博物館)に行った。 
絵を描いたり、美味しいものを食べたり、お喋りも好きな仲間が集まる月1回のスケッチ会。
会は、現地集合・解散、遅刻早退お構いなし、会長もいない、会則もなし。
「次回はいつ?どこに集まる?」と誰かの提案、主にメール連絡(いつも有難うございます)
といった気楽な集まりだから、何となく続いているのかもしれない。 
考えてみると、もう、5年目に入った。 
 
昨年夏のスケッチは中止になるところ、冷房完備で素晴らしいモデルが揃っている
トウハク(常設展示)はいかが?ということで7月、8月はここに決定。 
意外にも参加者は多かった。 
10時に本館に集合後、それぞれ好きなところでスケッチ。 
1時に再び集まってランチを一緒に楽しんでから、再度挑戦する人、
上野まで出たついでに寄り道をする人、真っ直ぐ帰る人、いろいろ・・・。

今年も7月末と8月末はトウハク。 
先月は(去年も)東洋館の中国古代の青銅器コーナーで鼎を描いた。 
2つの把手と3本の脚の付いた青銅器で、鼎の軽重を問うという故事の、
権力の象徴であった鼎だ。 
  
この日、集合時間まで少し時間があったので、本館前のユリノキの傍のベンチに座る。
幹の模様が綺麗で楽しい。 
5月の連休ごろ、可愛らしいチューリップのような緑とオレンジの花を咲かせるが、
今は涼しい木陰を作っている。 
根元をみると、秋まで待てなかったのだろう、まだ、緑の実がいくつか落ちていた。

案内板があった。今まで何回もこの樹の下に来たのに、まったく気づかなかった。
「モクレン科 北米産 明治8,9年渡来した30粒の種から育った1本の苗木が
明治14年に現在地に植えられたといわれ、以来、博物館の歴史を見守り続けている。 
国立博物館は、時に、<ユリノキの博物館>、<ゆりの館>などといわれる。」

 
               ユリノキ (tulip tree)
 
ユリの木をスケッチしていると、後方で博物館ボランティアが解説する声がした。 
「・・・5つの館があり、約30年毎に1館ずつ建てられています。」 
入場券に描いてある画をみると、なるほど100年以上も前に創立、表慶館、本館、
東洋館、平成館、法隆寺宝物館と確かに約30年毎に建てられていた。
 
先月気がついたことだが、門のところに日傘が何本も用意されていた。 
門と館ごとに日傘が傘立てにあり、敷地内の移動の際にお使い下さいという心遣い。 
たいした距離でもないし、今日くらいの陽気なら特に必要もないような気がするが、
日差しの強い日にはきっと重宝したことだろう。 雨の日には雨傘なのか? 
いや、トウハクまで傘なしで来る人はまず、いないだろう。
 
 一般入場券 満70歳以上は無料

先月はスケッチ終了後の1時過ぎにトウハク前の停留所から台東区の循環バス
「めぐりん」に乗り、谷中などを通って浅草まで100円でミニミニ旅気分を味わった。 
観音様にお参りもせずにお蕎麦屋さんに入った時は2時を過ぎていた。 
ちなみに台東区の循環バスは浅草起点の「北めぐりん」、上野起点の「南めぐりん」、
区役所起点の「東西めぐりん」の3路線がある。 

つい先日、図書館からの帰り道、我が家付近の地区に「循環バスが年内にも走る予定」
との貼り紙をみつけたので、今から楽しみだ。  
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ノラ猫修行 その後

2008年09月04日
現在この庭に籍を置く6匹の猫たちの出欠表をつくったところ(「ノラ猫修行」8.16
子猫のトラアミがほぼ4日おきに欠席と判明。 
夕方には姿を見せなければ、翌日の夕方にお腹を空かせて戻ることが多い。  
どこで何をしているかは謎のままだが、この次にいなくなるのは20日のはずだった。 

実際、この予想は見事に当たり、20日朝、2匹はいなかった。
前日の夕方には4歳のりんりんと大々的に遊んでいたのだが。 

この2匹は対照的で、トラは人が近づくと口を大きく開けて「シュワー!」と威嚇する。 
最近は大分慣れてきて、食べている時には傍に人がいても平気になったが、
まだ、何かの時には「シュワー!」だ。 
アミの方は寄ってくる、仰向けになって最近買ってきたブラシでブラッシングもさせる。
(猫用のブラシがほしいといったら犬猫兼用しかないと言われた)
この違いは要するに父親が違うからなのだろう。 
猫が多胎だということも最近知ったことだ。

     「これ以上近づかないで」 トラ click !      「遊んでよ」 郵便受上のアミ click !
  
時々子猫がいなくなる訳を知りたくて、「猫たちの隠された生活」のほかに、
猫関係の本を片っ端から借りてみた。 
「ネコの本音」「家で猫の探し方」「地域猫のすすめ」「猫はどこ?」「ノラネコ日記」
「猫のしっぽ」「猫のあしあと」「猫にかまけて」「猫の恩返し」「猫の遺言状」 ・・・
うなずいたり、笑ったり、泣いたりと、だが肝心なことはわからず仕舞い。 

ところで、20日のあと、子猫たちは(予定より?)1日早く24日に居なくなり、
25日はずっといたが、26日の今日、アミだけがいない。 
もう、出欠表はやめようか。
 
母親のチビはというと、雨の当たらない南側の濡縁でのんびりと昼寝していた。    
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夏の終わりに

2008年09月03日
このところ急に涼しくなって来たので少々慌ててしまう。
この間までタオルケットさえ邪魔になるほど暑かったのだが、
まさにストンと秋になったのだろうか。 
蝉の声はまだ、ミ~ンミ~ンがほとんどでツクツクボ~シは聞こえてこないし、
5分も外に立っていると蚊の襲撃に遭うから、まだまだ夏なのかもしれない。  

孫のりんりん一家は今、夏休み、
彼の父方の実家がある札幌に帰省中。 毎年盆暮れには行く札幌だが、
今年は「カシオペアに乗りたい!」というりんりんの希望をかなえようと
努力をしたようだ。努力の結果というより運がよかったのか、行きのチケットが取れた。 
まだ、彼は運賃が要らない。 16時20分上野発、札幌には翌朝の9時32分着。  

幼稚園年中組の彼は1歳前から電車が大好きだったが、最近はプラレールで遊んだり、
電車に乗るだけではつまらなくなった。 
首都圏の駅名の漢字をかなり読めるようになったのが楽しいらしく、乗換駅も大分覚え、
東急線は勿論、JR、地下鉄の駅にもどんどん詳しくなって行く。 
そのうちに「門前仲町へ行くのにはどう行ったらいい?」と彼に訊けば「駅探・乗換駅検索」
など要らなくなるかもしれない。 
 
数日の留守、冷蔵庫内の食料や鉢植えなどが運ばれてきた。  
りんりんが「これも預かって!」と持ってきたものは、
畳半分くらいの手書きの路線図、漢字はさすがにまだ書けないので平仮名のみ。 
所どころ文字が踊っていたり、鏡文字の駅名もあったりして、何とも味がある。 
 
記憶は4.5歳頃から始まるということを最近知ったが、これ以前に遊んだり経験したことは
「その後の神経回路を作る基礎となる」のだそうだ。 
このカシオペアでの旅はきっと彼の脳裡にしっかりと記憶されたことだろう。 
すでに福島、盛岡、青森、函館など駅名も読める彼だが、
新たに「オシャマンベ」「ダテモンベツ」「トマコマイ」なども朝の駅風景とともに
しっかりとインプットされたことだろう。
 
いつだったか、それぞれ母親、父親となった娘や息子に訊いてみたことがあった。 
「宇宙博でロケットみたこと覚えている?」「ピーターラビットの映画をみたことは?」
「平塚の七夕に連れて行ってもらったでしょ?」の答えはいずれもノー。
随分投資したのにとがっかりしたことを覚えているが、
これらは記憶力のまだないとされる4歳前のことだったのか・・・。 
   
夏、夏休みといっても、東京育ちの私たち夫婦には帰省する故郷はない。 
去年亡くなった父は佐賀県鳥栖の生れ、母の両親も佐賀県の唐津出身だが、
昭和のはじめには東京に居を構えて以来、帰る処はなくなった。 
ごんさんが3年ほど単身赴任していた山形の庄内地方が私の故郷と
勝手に決めたとはいえ、この暑い時期に宿と列車の手配をしてまで行く気にはならない。 
やはり、故郷というのは自分を待っている人や家がある場所をいうのだろう。
 
       山寺駅より click!

立石寺(山寺)には夏と冬、二度ほど行った。 
冬は積雪のため登山道が閉鎖になっていたので、麓までしか行かれなかったが、
夏は汗を拭き拭き頂上まで何とか辿り着いたが、
その途中、岩場に建つ五大堂からの眺めは忘れられない。 
膝も痛くなって来たので登ることは無理になった今、いっそう懐かしく想い出される。      
身近な人びと | Comments(0)

想い出すこと

2008年09月02日
中国に触れる貴重な時間だった中国語講座は老師(先生)のご病気、上海への帰国で
休会そして閉会を余儀なくされた。 (「中国語」)


この会は都民カレッジで老師(50代後半男性)に習った人達によって作られたと聞く。 
それこそ老師が大好きで中国語を楽しく学びたいという老若男女、善男善女?の集まりで、
私が入会してからもすでに5年以上は経っている。 
老師は大学や学校で中国語を教えてらしたので、老師には夏冬の休みと春休みもあった。 
というより、その期間だけが自由になる時間だったと言ったほうが正しいかもしれない。 

この休みの前には決まって宿題が出された。 
みんな子どものように「え~!」と歓迎しないが、老師は何食わぬ顔で話を続けられた。 
だいたいテーマは自由、中国語の語句をつなげるしか私にはできなかったが、
老師は実に直し甲斐のある文章を1人ずつ丁寧に直して下さった。 
さらに全員の元の文と直された文とをプリントして配って下さり、授業時に何故こう直すのか
を分かり易く説明して下さった。 
 
授業以外にも楽しいことはたくさんあった。 
中国で中国茶(芸)を学んだ同学が年に1,2回くらい開くお茶の会に老師は数回出席された。
大学が休みで時間が取れた時には授業後のランチをご一緒することもあった。 
が、なんといっても去年暮れの忘年会「老師のレストラン」が最大のイベントだろう。 
12月のある日、午前午後と区のセンターの調理室を借り、老師のプロ顔負けの手料理を
味わいながら楽しいひと時を過ごした。 
2人の同学が欠席だったのが残念でならない。
教室ではみられない老師の料理をつくる姿、どこのレストランにも負けない美味しい料理、
この日のことは忘れようにも忘れられない。
 
老師は数日前からスッポンをはじめとする材料を揃え、下ごしらえをされていた。
当日はどこへ旅するのかと思うような大荷物を持ち(途中から女性の同学がお手伝い)
満員電車に1時間以上堪え、会場へ到着するやいなや、すぐに調理にとりかかった老師。 
いや、ヘビースモーカーの老師は一服されたに違いないが。
         
包まれたワンタンと切り揃えられた野菜    まだまだこの後もご馳走がつづく                                       
前菜4種、ワンタン、スッポンスープと海老、ナマコ、クラゲ、イカなどを使った五品。
野菜を切ったりワンタンを包んだり、一応のお手伝いはして、後はよく食べ、よく飲み、
よくしゃべったのだが、老師は休む間もなく料理づくり。 
ほんとうに美味しかった!  (箸は縦置 中国式)
 
上海で闘病中の老師に「想い出のアルバム」のようなものをということで、
今日思いついて、老師がプリントしてくださった作文集を出してみた。 
2004年夏、2005年夏と秋、2006年冬、そして2007年夏とあった。 
今年の夏は北京でオリンピックが開かれたが、たまたま2004年夏の宿題に
同学が書いた作文の題名は、「雅典奥林匹克運動会」。 あれから4年が経ったのだ。

雅典はアテネ、奥林匹克はオリンピック。 
ついでに同学というのはクラスメート・生徒の意味、先生のことは若くても老師という。 
「老」という漢字は年とったという意味もあるが、古い、歴史・経験があるという意味もある。 
タイムスリップできるならば、憧れの「老北京」で、この頃はまだまだ沢山あっただろう
胡同(路地)を歩き、鳥の声を聞きながらお茶を飲むなんていうのもいいかもしれない・・・。 
それには中国語ができないと困るだろうな。  
中国・中国の旅 | Comments(0)

描いてはみるものの

2008年09月01日
昨日行った図書館で「寺田寅彦画集」を偶然に見つけた。 
彼の全集などは書庫の中だが、画集ゆえに絵画の書架にあった、ラッキーとしかいえない。 
物理学者、夏目漱石に師事した随筆家でしかなかった寺田寅彦が突然近づいてきた。
「花火」(8.15) で書いたが、先週のNHK[美の壷」がキッカケになり、
はじめて彼の随筆を読み始めて、音楽にも造詣が深いことは知った。 
が、絵を描き、画集も出していることなどは勿論知らなかった。 
それも油絵、日本画、水彩画、スケッチ・・・戦災でかなり消失紛失したというがその数は
半端ではない。 
 
特に興味深いのは自画像で、画集には現存する3枚のほかに小さいモノクロ写真6枚が
載っているのだが、(少なくとも11枚は描かれたという)実物を見てみたくなった。 
「寅彦の絵画」(山下一郎)には、自画像を多く描いた画家、レンブラント、セザンヌ、
ゴッホに「共通して云えることは内省的な、孤独な、
悩み多き人達である。寅彦の異常に多い自画像の制作理由は、鏡に写る自分に
向っての深い自己探求である、自己省察ではあるまいか。・・・寅彦にとっては、
鏡に対して自己の顔と語り合うことが唯一の目的であったのではあるまいか。」
 とある。 

日本画を勉強する上で、特に人物のクロッキー・デッサンを繰り返すことが大事だと
解っているのに、しかも自分の顔ならモデル代は不要なのに、一枚もデッサンしていない
のは自分を見つめるのが怖いから? 臆病な自分を発見。 
 
画集には 「寅彦の絵画に対する考えは克明にありのままを写実せよという写実主義から、
次第に印象派的傾向へと移行する。」
 
絵を始めたばかりの物理学のお弟子さんに与えた心得は
「空は青、樹は緑と思って画を描いてはいけない。その点物理の研究と同じだよ。
そういう先入主を離れて樹を見ると、樹は決して緑じゃ無い。
陽の当たっている所は黄色、陰のところは青か赤だよ。
緑はその間に一寸出ているばかりなんだ。・・・」
と。

さらに「寅彦の画論」とみられるものとして  
  ☆ 絵画の面白味と深みは不器用、不恰好、不釣合から生れる場合が多い。
  ☆ セザンヌの林ゴから角ばったことを引き去り、布片の襞を恰好よくしたら何が
残るだろう。 ゴッホの人物が美人や好男子であったらどうだろう。
  ☆ 私は絵をかくまではすぐれた絵かきであった。絵筆をとって紙に対すると同時に、
つまらない画工になってしまった。
  ☆ どこまでも迷って進んで行こうとしている惰性が絵の上にただよっているとき、
見ている人にもどこかにこの先の行き先きというようなものを暗示する力がある。
  (以上手帳)
  ☆ セザンヌがりんごを描くのに決して一つ一つのりんごの偶然の表象を描こうとは
しなかった、あらゆるりんごを包蔵する永遠不滅のりんごの顔をカンバスにとどめ
ようとして努力した。               (「ジャーナリズム雑感」 昭和9年)
     
そうは言われても、線ひとつまともに引けないのだから・・・  
                                   練習あるのみ。                                               
    クロッキー     コーヒータイム 
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