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喫茶ルオーと父

2008年10月31日
昨日の「本郷」スケッチ会では、散策、ランチ、スケッチの後、全員が「ルオー」に集合した。
本郷通りの東大付近は、日本で一番の喫茶店密集地帯と言われるくらい、喫茶店が多い
ようだが、この「喫茶ルオー」も古くからあるお店で、カレーでも有名だ。

             喫茶 ルオー

今は、本郷通りの東大正門前あたりにあるが、以前は、赤門の近くにあって、
坪庭もあり、今よりずっと大きな店だったという。
一時、閉店したらしいが、惜しむ声が高く、関係者の方が今の場所で再開したという。
木のテーブルとコーヒーカップの形がくり抜かれた木の椅子、食器などの調度品も、
雰囲気も、メニューもまったく昔と同じ。

確かめたわけではないが、先代マスターがジョルジュ・ルオーを好きだったことから、
「道化師」の絵が店内に飾られ、また、マッチのデザインにも使われているのだろう。

               階段を上ると   
    
煙草はまったく吸わない私だが、このお店のマッチには特別の思い入れがある。
私が小学校低学年で、父がまだ東大の助教授だった頃、この「ルオー」のマッチを
持ち帰って来るようになった。 
妹と一緒の狭い子ども部屋の鴨居に、集まったマッチ箱が並べられていた光景を思い出す。
はっきり覚えていないが、その多くは「ルオー」のマッチだったろう。
私が、「ルオー」がジョルジュ・ルオーというフランスの画家の名だということを知ったのは、
多分、中学か高校生の頃だったと思う。

       マッチと灰皿

子どもの頃、父は怖くて嫌いだった。 ほんのたまに、夜、神田の何とかいう寿司屋の
折詰をお土産に持ち帰ることがあったが、こんな時の父はご機嫌がよく優しかった。
マッチを持ち帰ってくれたときも、私は喜んだに違いない。 
集めることが好きな私の性格を、父はすでに見抜いていたのだろう。

父は煙草もお酒も欠かせない人だった。
入院中、気管切開してから、話はできなくなったが、まだ、車椅子に座れた頃、
ミトンで覆われた右手を、イライラした風に、左胸あたりに何度も持っていったものだ。 
そういえば父のシャツの左胸のポケットには、いつも煙草が入っていた。 

父はベッドの上で何をしたいと考えていたのだろう。 
70年吸いつづけていた煙草が恋しかったのだろうか、
食べ物にはあまり執着しない父だったが、お酒は飲みたかったことだろう。
庭を歩きたかったのだろうか、眺めてみたかったのだろうか、
ツゲの枝が伸び過ぎていないかと心配していたのだろうか。
それとも、最後に出版した本の改訂版の構想でも練っていたのだろうか、
父の書斎の机上には、鉛筆で書き込みした著書が広げられていた。

万が一、父がこの書斎に戻ることができても、本を読むことは無理と考え、
思い切って、父の蔵書の整理を始めた。ちょうど、2年前の今頃だった。

 整理中  お別れの朝

書斎の書棚、2階の納戸、物置などにあった父の蔵書を部屋いっぱいに並べ、
すべての本の題名、著者名、出版社、出版年などの一覧表をつくりながら、仕分けた。
教え子の先生方のご尽力で2,3の大学の研究室や図書館に引取って頂けることになった。
仕分けには半月かかり、11月初旬、たくさんの本が四谷、茗荷谷・・・へと引越していった。

こうして、父の著書と母の俳句、茶道関係の本のほとんどを書棚に収めることができた。
2階はというと、特に、この1年、図書館に行きだしてから、私の購入する本が目に見えて
増えている。どうしたものだろう。 図書館で借りた本を、改めて買ってきたりして・・・。
あの怖かった父もきっと呆れかえって、怒る気もしないことだろう。

私は幼い頃から、マッチ箱や綺麗な小石を集めるのが好きだったが、
この頃はファイルや本さえも、収集している感じがする。
とにかく、並べて、時折、並べ替えて、眺めているときが幸せな時間なのだ。

2年前の夏に、母と一緒に「喫茶 ルオー」に行き、カレーをいただいた。
母の話では、小川未明の「雲のごとく」の拓本に合う額とマットを探して下さったのは、
先代のマスターだったという。 (「雲のごとく」)
上掲のルオーの写真はすべて母と行ったときに撮ったもの。
これらの写真とマッチを、入院中の父にみせたとき、父の頬がゆれたような気がした。
本郷、東大、ルオー・・・これらの単語をきくと、やはり、父の面影が浮かんでくる。

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本郷を楽しむ

2008年10月30日
10月の恒例スケッチ会は、10時、地下鉄丸の内線の本郷三丁目駅からスタートした。
駅前の案内所でもらった「四季折々-史跡・文化財を訪ねるお寺マップ」を頼りに、
とりあえず、6人一緒に一回りしてから、スケッチに取り掛かろうということになった。

まず、菊坂から樋口一葉の旧宅へ行き、その傍らの古井戸をみようと歩き始めたが、
肝心の坂を通り過ぎてしまったり、何人かの人に尋ねて井戸に辿りついたときには、
駅を出てからすでに30分は経っていた。

「金魚坂 珈琲・料理・中国茶・葉巻 おししい珈琲をどうぞ」という建て看板。
道に迷ったお陰で、面白い看板に出逢った。
覗いてみると、金魚屋さん。たくさんの金魚、水槽、硝子鉢が所狭しと並んでいた。
食事処の方は、まだ、時間が早くて、開いていなかったが、 
何でも350年もつづく金魚の卸問屋さんが、経営するお店だとか。 
時間さえあれば、迷い道、寄り道も悪くない。 楽しい時間が持てる。 
 
       金魚坂の看板

一葉ゆかりの井戸は、つるべの井戸からポンプ式に替っていたが、まだ、現役のようだ。
急な坂道や石段、石畳の路地、苔むした石垣、そして木造の3階建住宅・・・、
鐙坂学問所という木札がかかった木造の建物があったりと、タイムスリップしたかのような
錯覚を覚えた。


一葉ゆかりの井戸木造3階建
                            井戸から見上げると

               見下ろす
                    井戸の前の急な階段を上りきって

鐙坂、炭団坂を通り、春日通りを横切って、弓町本郷教会前に出た。
ここにある樹齢600年とかの大楠を見上げたときは、既に、11時過ぎ。 
このへんで、散策はお仕舞いにして、東大構内のレストランに行こうということになる。 

もう、10月も終わりだというのに、構内の銀杏はまったくと言っていいほど黄葉は
みられなかった。
確か2度ほど東大にスケッチしに来たことがあるが、食事はしたことがなかったので、
赤門の守衛さんにレストランの場所をたずねた。
いくつもある中の最も近い展望レストランをおしえてもらって、早速、14階へ。
窓の外、正面には東大病院、その後方に、上野の森や不忍池も見えた。
まだ一枚も描いていないことも忘れて、おしゃべりに花が咲いたランチタイム。 

     インテリア?

生協、学食は構内にたくさんあるが、「東大饅頭」や「東大百円シャーペン」を買おうかと
通りかかった地下の店に下りてみて、びっくり。 
廊下の天井はパイプがむき出し、薄暗く、壁には黄ばんだ論文用の製本の広告などが
貼られていて、1世紀前の学生さんが出てきそうな、そんな「メトロ銀杏」食堂だった。
ちなみに、この生協では「東大饅頭」などの食品は扱っていなかった。

廊下には、だれも手を洗わない(ような)3台のタイル製洗面台、
その横の壁には「チョコレート コロッケ 100円」と書かれたメニュー、
なぜかとても気になって、この学食に入ってみたくなった。 
14階のイタリアンもよかったけれど、ここも面白そう・・・。  

その後、2時半の集合で各自お好みの場所に散った。
私は申し訳程度に、一枚、スケッチしただけだが、今日は「角を曲がると、
そこに何があるかわからない」といった、ワクワクし通しの秋の一日だった。
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秋の野川

2008年10月29日
昨日、洗足池で亀を見て、10数年前によく行った武蔵野の貫井神社の亀を思い出した。
帰宅後、書棚の奥から「野川」関係のファイルをひっぱり出してみた。
「源頭に湧水をもつ20kmの都市河川」と書かれた「野川散策絵図」(村松昭 画)と、
メモ代わりのB6スケッチブック、「野川 のおと」を見つけた。 
絵図3種源流付近 click!

どちらも、野川に行くときは必携のもので、「のおと」には木の実、花のほかに、
湧水で淹れてくれる珈琲店などが描かれていて、とても懐かしかった。
「野川」散策絵図は、広げると2.8mにもなった。
同じ作者の描いた「多摩川」と「玉川上水」の絵図の存在をすっかり忘れていたが、
そのときは3本の川の上流から辿ってみようという計画を立てたような気がする。

結局、野川の源流である西国分寺から深大寺までは、何回かに分けて歩いて、
多摩川との合流地点、二子玉川には、度々、行ったので、ほんの一部を除いて、
野川沿いの道はほとんど歩いたことになるのだが・・・。
武蔵野国分寺、真姿の池、ハケ沿いに殿ヶ谷戸庭園、貫井神社、滄浪泉園、
小金井神社、ほたるの里、そしてハケの道から川を隔てて武蔵野公園、野川公園。

「ハケ」とは立川から世田谷までつづく多摩川の浸食によって出来た崖のこと。
         
        「野川のおと」より コブシの実
        
武蔵野公園の奥の方には、大きなプラタナスの樹が何本もあった。 
その中のお気に入りの樹を描くために、何回か通った。
毛糸のポンポンのような実、人の手のような大きな葉、カラフルな模様の木肌、
まるで動き出しそうな根、すべてに惹かれた。  
本画に描いて以来、この樹のところには勿論、野川にも行っていないが、
今、果たしてその樹のところまで辿りつくことができるだろうか、まったく自信はない。 
 
      MY プラタナス 「樹」(40号)の一部

プラタナスといえば、中国南部の都市に多いが、留学生の結婚式のため訪れた南京は、
特にプラタナスの街路樹が多いことで知られている。 9月の末だったが、緑が多いせいか、
暑かったという印象はほとんどなく、爽やかで落着いた街だった。
        左 プラタナスの実 右 ユリノキの実
この夏、トウハクでユリノキをスケッチしたが、幹の模様がプラタナスを連想させた。
葉は似ていなくもないが、実はまったく違った形をしている。(「久しぶりの博物館」)

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亀の甲羅干し

2008年10月28日
区の無料検診を区内のクリニックに申込んで、胃のレントゲン検査などを受けた。
夜8時以降から食べ物はとらない、今朝は水分もダメ、右を下に10分間、横になるように、
ということだった。 
普段、水分をあまりとらないのに、ダメといわれると、かえって飲みたくなって困った。
ほかの検査を同時に受けたくて選んだこのクリニックは、家から少々遠かったが、
診療時間の前から、次々と手際よく検査してもらえたので、有り難かった。 

バリウムの味は昔よりはるかによくなった。 
今は頚も腰も痛くないからよかったが、指示に従って身体の向きを10数回も変えるのと、
ゲップを出さないようにするのには、かなり大変だった。
とは言え、検査も早く終わったことだし、そのまま電車で帰るのも面白くないので、
洗足池まで歩こうと思い立った。

      池の散歩道より

池のある公園としては都内屈指の広さを誇る洗足池は、昔、千束といわれていたが、
身延山久遠寺から常陸へ湯治に向う日蓮が、この池の畔で休息し、足を洗ったという
言伝えが生れて、千束の一部が「洗足」となったという。

赤瀬川原平らの「路上観察学会」員風に、きょろきょろしながらもゆっくりと歩いみた。
まず、目に入ったのは門扉の木札、さらに行くと、普通の住宅の門の脇に古い客車があり、
一旦通り過ぎたのだが、どちらも妙に気になった。   
柿の木に烏瓜やヤマノイモがからまっていたり、山茶花(さざんか)、石蕗(つわぶき)、
ピラカンサなどをみかけた。 
いつの間にか、季節は晩秋を迎えているのかもしれない。
     
 門には札が
                     門と並ぶ

30分も歩いただろうか。こんもりとした林が見えてくると、楽しそうな声が聞こえてきた。
幼稚園児や小学生たちがドングリを拾っていた。 私も紅や黄の桜の葉をついつい・・・。
この洗足池公園に、いつもの中原街道沿いからではなく、奥の方から入ったせいか、
まるで、はじめて訪れた場所のようだった。
       
池畔の遊歩道を歩いて行くと、ちょうど亀が甲羅干しの最中。
自分で体温調節できない亀は、日光浴で血液の循環をよくして体を温めるのだとか。
        
       甲羅干し

何年も前になるが、ゆうゆうのパパが幼稚園の頃から飼っていたミドリガメの
カシオペアが私が真夏の庄内の旅から帰ると死んでいたことがあった。
亀は長命、この亀は20数年も生きた。
その後、ミドリガメを3匹買ったが、あっという間に1匹だけになってしまった。 
この亀をペルセウスと名づけたが、さほど長生きしなかったからか、印象が薄い。
    
       「水温む」8号 click!

武蔵野の貫井神社の亀たちと我が家の亀のスケッチをもとに、「水温む」を描いた。
この絵を見ていると、貫井神社の亀だけでなく、
国分寺跡近くでコスモスやエビヅルをスケッチしたこと、
ムクロジの実をわざわざ小金井駅の近くまで拾いに行ったこと、
「お鷹の道」でつい買ってしまった苦手な柿、行きがけなのに買ってしまった野菜の束、
よく通った秋の滄浪泉園、殿ヶ谷戸庭園や野川のはけ(崖線)の道などを思い出す。
冬になる前に、「野川散策絵図」を持って、久し振りに野川へ行ってみたくなった。
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秋の庄内

2008年10月27日
「鳥海山」の本画を描く準備をしてから、3週間が経った。(「庄内の旅」)
山形県からみた晩秋と、秋田県からみた春の鳥海山の2点を同時進行させながら、
何とか、下塗りの次の段階に来たといったところ。 グループ展まで、あと1ヶ月。
 
4年前の10月、絵の仲間4人と庄内平野をレンタカーで回ったことを思い出した。
ちょうど、稲の刈り入れも終わり、たくさんの稲架(ハザ)が鳥海山を背景に並んでいた。
案山子ではないが、背の高いのや、低いの、細いのや太いの、色々な姿をしている。
スケッチしていると、なんだか、人間のように見えてきて、面白かった。 
稲架は秋の季語だというのに、一句も浮かんでは来なかったのは残念だった。

コスモス象潟で 稲架を描く

庄内の旅の3年前の夏、はじめて酒田市にある山居倉庫を1人で訪れたとき、
12棟の土蔵造りの倉庫が「築百年以上経った今も現役の農業倉庫として活躍している」
ときいて、驚いたことを覚えている。
 
「屋根は断熱を考慮した二重構造で、内部の土間はにがりを用いて練り固めた上に
塩を敷き、倉庫内の温度・湿度を一定に保つ技術が用いられている」
という。
倉庫の西側に植えられたケヤキの大木は日差しを遮ると同時に、冬の季節風から
建物を守る役目を果たしている。

川に面して船着場も設けられていて、最上川舟運の拠点のひとつであったため、      
その昔、秋になると最上川、新井田川を下り、米を積んだ船が次々とやってきたという。
今は、観光用の橋が架けられている。

       こちらが正面

ここは、NHKのテレビ小説「おしん」のロケ地にもなった。

また、「山居倉庫と欅並木」 (倉庫の西側)はテレビや雑誌で度々、紹介される。
この「山居倉庫と欅並木」を本画にして、秋のグループ展に出品したときのこと、
その初日に、友人が前日のY新聞の夕刊の切抜きを持ってきてくれた。
「旅」欄 酒田(山形)」には、「今も現役 巨大米蔵に驚嘆」と書かれていて、
「山居倉庫と欅並木」の大きな写真が載っていた。 
季節こそ違ったが、私の描いた「夏の径」とそっくりな構図だったのには、びっくりした。

       「夏の径」 サムホール click !

短い間に、何度も訪れた酒田だが、山居倉庫をスケッチしたのは、
どうやら、夏に1回、その3年後の秋に1回だけのようだ。

              秋の山居倉庫 click!

この秋のスケッチをよく見ると、夏に描いた倉庫とは違った位置で描いていることがわかる。
同行の3人は立って描いたり、石に腰掛けたりと、思い思いのスタイルでスケッチしている。
この中の1人とは、もう、2年近くご無沙汰している気がするが、どうしておいでだろうか。
記念写真もいいけれど、画面の中に人物も描きこむ記念スケッチも悪くない。
ただ、ほとんどの場合、後姿になってしまうのが難点だが。
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ハロウィンのシーズン

2008年10月26日
昨日につづき、今日も阿佐ヶ谷へ出かけた。 
この2日連続の阿佐ヶ谷行きは、昨日の「ジャズストリート」、
今日の「ハロウィン仮装コンテスト」(グランプリには商品券5万円分とか・・・)
に参加したり、鑑賞したりするためではなく、昨日の中国語の仲間との3時間以外は、
ゆうゆう一家の引越しを手伝うためだった。

今日が引越し本番の日。 朝、8時過ぎに搬入予定だった車が、どこでどう手間取ったのか、
私たちが引越し先のマンションに到着した10時半には、まだ、到着していなかった。

昨日、リフォームしたての部屋に2時間ほど居ただけで、喉や頭が痛くなったので、
どの程度、シックハウス対策になるかわからないが、木炭を買ってくることにした。
孫娘ゆうゆうを連れて散歩がてら、買い物に出た。
昨日はジャズ、今日は「ハロウィン」一色のアーケード街を通り抜け、駅前を通り、
別の商店街まで歩いた。
そこで、バーべキュー用木炭を1箱580円で購入。5㎏もあって結構、重い。
ごんさんに付いてきてもらって正解だった。

          アーケード入口

帰り道、ゆうゆうと色々なかぼちゃのランタンを見つけては、
「あった!」「あっ、ここにもあった」と指差し確認?しながら、アーケードを通った。
  
 点いたり 消えたり

ハロウィーンというのは、秋の収穫を祝い、悪霊を追い出すお祭りで、
万聖節(キリスト教で毎年11月1日にあらゆる聖人を記念する祝日)の前夜祭。
         
日本でも、かなり認知され定着してきたようで、幼稚園、学校や地域などでも
パーティやイベントが開催されるようになった。
孫のりんりんは一昨年の秋2歳の時、近所の児童館でかぼちゃに扮した。

        りんりん 児童館で
           
イギリスとアイルランドでは、今もカブを使ってジャックランタンをつくるところもあるが、
アメリカでは、カボチャを使ってランタンをつくり、ハロウィンの晩、悪霊を追い払うため、
家の戸口の上り段に置くという。
ちなみに、日本で初めてハロウィンパレードを催したのは原宿のキディランドだそうだ。

かぼちゃを楽しんで、マンションに戻ったが、引越のトラックはまだ来ていなかった。
区内の引越しだからと簡単に考えていたが、思わぬことが起きるものだ。
3階建のマンションの2階の部屋なのだが、ちょうど道路側に出窓があり、
そこから、下の道路の様子が一部始終みえたので、荷物がすっかり運び込まれるまで、
ちっとも退屈はしなかったのだが・・・。

2トン車がマンション前に横付けすると、ほかの車は通ることが出来ない道幅だった。
仕方なく、乗用車1台分の駐車場に頭を半分突っ込んで斜めに駐車した。
もう1台の家電製品を積んだトラックは、道の両側にある電柱のせいで、前まで入れずに、
バックして、数十m先の幹線道路に停めて、台車で行き来することになった。
予定していた何倍かの時間がかかり、すべて運び込まれたときには2時を過ぎていた。

エアコンなどの取付け、ガスの点検も終わり、ごんさんは一足先に帰宅した。
ダンボールも少しずつ空になり、夕方、電話、光ケーブル配線という段になって、
マンションまでは来ている光ケーブルがどこかで塞がれて、部屋までは繋がっていない
ことがわかった。 
恐らくこの何日間は、電話もパソコンも不通でインターネットは出来ないということだ。
家に電話やパソコンがなくても、携帯電話があれば、通話もメールもできる。  
台所が片付かなくても、ちょっと外に出れば食事も出来る。寝ることも、入浴もできる。
それだけでも充分有難いことだ。

夕食はみんなとすぐ近くのイタリアンで済ませ、今日も、昨日と同じエレベーターで
同じように地下鉄の改札口へ向った。 
昨日と違うのは、ゆうゆうがエレベーターのガラス越に手を振って見送ってくれたこと。

さすがに疲れたのか、帰りの電車では強い眠気に襲われた。 
2回の乗換え時も、乗り過ごすことなく、無事に帰宅できたのは我ながら上出来だった。
つれづれ | Comments(0)

ジャズストリート

2008年10月25日
今日、中国語仲間4人が集まった杉並区の阿佐ヶ谷では、偶々、街中にジャズが流れる
イベントが開催されていた。
いつ来ても阿佐ヶ谷は、活気がある街だと思っていたが、今日は特別賑やかだった。

中央線の隣り駅、高円寺の阿波踊りは有名だが、毎年8月に行われる阿佐ヶ谷の
七夕祭りも仙台、平塚と並んで全国的に知られているお祭りだ。 
私もりんりんたちと何年か前、行ったことがあるが、500m以上つづくアーケードが
カラフルな吹流しや提灯、などのほかに、大きなキャラクターの張りぼてなども飾られ、
阿佐ヶ谷の街が七夕一色になっていた。

         七夕祭り

昨日と今日2日間は今年で14回目という「阿佐ヶ谷ジャズストリート2008」のお祭りで、
駅前の広場や街角、学校の校庭など「この街全体が音楽の空間」になっていた。
今日はいいお天気だったが、昨日は大雨だったので、さぞ大変だっただろう。

   駅前を行進しながら  駅前広場で

夕方、ケヤキ並木を地下鉄の南阿佐ヶ谷駅に向って歩いていくと、
区役所の玄関前では、たくさんの人たちが、ジャズオーケストラの演奏に聞き入っていた。
阿佐ヶ谷の住人ではない私は、せっかくの演奏だったが、一曲だけ聴いて、
眼の前のエレベターで地下鉄の改札口へ向った。

      区役所前で

新宿で山手線に乗換え。夕方の山手線はいつものように混んでいて嫌になるが、
取り寄せてもらった額をひき取るために渋谷で下車した。 
ここ、渋谷の街も人、人、人。  
交差点を渡る人たちはなかなか途切れず、左折の車も一向に進めず、長い列になっていた。

この街は活気があるというのとはどこか違い、人が多すぎて疲れる・・・と思いながら、
人混みをかき分けるようにして、額縁屋へ向った。 
まだ、その額に入れるべき絵はできていない・・・。 
ほんとうに秋の日はつるべ落しだ、たちまち暮れてしまう。 
つれづれ | Comments(0)

ラスカルの尻尾

2008年10月24日
半年前に生れたターノと彼より1,2ヶ月遅く生れたミニチビも、ミケミニチャトランも、
さいとうさん宅に籍がある猫だが、ミケ以外は皆、時々、こちらで夕食をとるようになった。
彼らの腹時計はどうなっているのか、最近は、暗くなるのが早いので、夕方4時頃から、
窓の下で「ニャ~ア ニャ~ア」とうるさい。そこで、やむなく5時の「夕焼け小焼け」が
鳴り始めると同時に餌をやることにした。 
5時の食事時間までは鳴かないで待つという習慣をつけようと思っているが、
私自身がその時間に必ず在宅しているとは限らず、果たして、どうなることか。

このところ、アミたちの姿がみえないのに、ターノミニチビが待っていたりすることもある。
彼らは我々に慣れてはきたが、アミたちより、明らかにノラ猫的な面が強い。
チャトランチビさいとうさんのところに行ったり、用意された餌を食べることがあったが、
アミトラは道路に出ることはない(と思う)。
ミニチビことラスカル 生後3ヵ月くらいかターノ 生後4ヶ月

雄は雌より大きいというが、確かに、ターノは大きくなった。 
同時期生れの雌のアミトラよりは勿論だが、1年になる雄のケシと比べても遜色がない。

    ターノ食べる ケシはみるだけ

チビに似ているミニチビの尻尾は「あらいぐまラスカル」の尻尾に似ているので、
ラスカルという名前をつけた。
なかなか勇敢で、ケシが傍で「うぉ~~」とうなっていても我関せず。食べる、食べる。

             ラスカル食べる ケシはうなる

チビ(アミたち、ケシたちの母猫)とチビの妹(ターノの母猫)が姿を見せなくなったころ、
ターノたちがやってくるようになったが、これは偶然だろうか。(このごろの猫たち
この庭を守る役をケシにバトンタッチ後、まるで隠居したかのようなチャトランは、
昼間は南側で寝ていることもあるが、食事はさいとうさんのところですませるようになった。

ちなみに、アライグマはアニメのように可愛いばかりの動物ではなく、やはり野生動物なので、
ペットとして飼うのは難しい面もあるようだ。
猫のラスカルは、アライグマほど野生的ではないが、なかなか逞しく生きている。
飼い猫のようになっているケシたちは、彼らとうまくやっていけるだろうか。
あと、数日で、ケシククは満1歳になる。 
動物など | Comments(0)

木の名前から

2008年10月23日
柿に限らず、木の実には「木」偏の漢字が多い。 
以前から気になっていた木の名前を、この際、書き出してみたら・・・・。

柿 梨 栗 桃 杏 梅 枇杷 柚子 蜜柑 檸檬 橙 枳殻(カラタチ) 橘 
石榴 枸杞
(クコ) 桑 槐(エンジュ) (サイカチ) (ナツメ) 山椒 

      サイカチの実と落羽松 click !

和紙の原料になる (コウゾ) 三椏(ミツマタ) 雁皮(ガンピ)は木偏ではない・・・
クヌギは 檪 櫟 椢 椪  椚 椡 栩  はじめてお目にかかる漢字もある。 
カシワ 柏 栢 槲  クスノキ 楠 樟  ヒノキ 桧 檜  トチ 栃 橡  
ヤナギ 柳 楊 カエデ 楓  槭  モミジ  
ツゲは 柘植(拓殖は大学名)ツゲ科で  (ツガ)はマツ科でタンニンをとるそうだ。
ドングリ(団栗)はとも書き 椎 楢 樫などの実の総称。 
苗字によく見る漢字  杉 松 桂 榎 梶 槙 樺 榊 樅(モミ) 
そして 楡 柊 椋 朴 欅 椹(サワラ) (カヤ) 
         椿の実
桜  櫻 海棠 桐 梔子(クチナシ) 木槿(ムクゲ) (マユミ) 栴檀(センダン)
柾 椰子 棕櫚(シュロ) 桔梗 椿 楝(オウチ)は栴檀の古名。
シキミ 樒 櫁  ユズリハ  イスノキ   オケラ   シデ  となるとお手上げだ。

次は「魚」偏でもと思わなくもないが、「忽冷忽熱」の私のことだから、どうなることか。

余談になるが、電子辞書が壊れたときに、ふと、気になったことがある。
私の辞書には「国語辞典」「漢和辞典」、「日中」「中日」、「英和」「和英」が入っている。
英「和」と中「日」の使い分けは、何がキーになっているのか、単に言い易いかどうか、
と単純な疑問を抱いてしまった。

先日、図書館に行ったついでに、辞書コーナーを覗いてみると、
「日」のケースは、中国語(日中)、ドイツ語(日独)、イタリア語(日伊)、韓国(日韓)、
「和」は、英語、フランス語(和仏)、
ロシア語「和露辞典」「ロシア語辞典」、スペイン語「和西辞典」「スペイン語辞典」 
あとは「日本語-トルコ語」のようなケースはモンゴル語、タイ語、インドネシア語、
カンボジア語、ペルシャ語、デンマーク語、スウェーデン語、ルーマニア語辞典・・・。
世界にはいろいろな言語があり、文字があり、呼び名があるのだとあらためて驚いた。
植物など

読書の秋に

2008年10月22日
1週間以上つづいた晴天も、今日でそろそろ終わりのようだ。
先週に引き続き「拡大写本講習会」会場は小学校。 張り切って自転車で家を出たが、
校門の前まで来て、持参するようにと先週言われたスリッパを忘れたことに気づいた。
お借りすることもできたが、時間があったので取りに帰ったら、ギリギリでセーフに。

今日は、「ゴシック体」の練習。理科や算数などほとんどの教科書はこの書体だそうだ。
先週練習した「明朝体」は、とりあえず、忘れるようにと言われた。
「ゴシック体」は「文字」というより「図形」のようで、お手本をみながら模写のつもりで練習。

最後の10分間、今日は生徒が不在ということで「弱視学級」の見学をすることができ、
普通の教室にはないものを、先生に紹介していただいた。
明るい光に弱い子どものために、何段階にも調節できるようになっている蛍光灯、
近くをみるための「ルーペ」、遠くの掛け時計などを見るときに使う「単眼鏡」、
釦を押すと、月日、曜日や時刻を音声で知らせてくれる「置時計」、
一般教科書や辞書などをテレビ画面に大きく映し出す「拡大読書器」、
拡大教科書、拡大本などを読むための「傾斜机」など、初めて見るものばかり。

ここの拡大教科書などはすべて、研究会の皆さんが心をこめて1冊ずつ作られたものだ。 
1冊を1人で作るというのでなく、何人かで分担するため、だれが書いても
同じ人の字に見えることが必要だそうだ。 慣れるまで時間がかかりそう・・・。

今、教科書はすべて無償配布だが、弱視の児童は一般の教科書か拡大教科書か、
どちらか1種類を選ぶことになるのだという。
盲学校と違って、文科省が発行する弱視児のための共通の拡大教科書はないし、
著作権、時間や費用の問題など、拡大教科書づくりには様々な問題があるそうだ。

     購入した「息の発見」

午後は近くの区立図書館へ。 加賀乙彦の「夕映えの人」を借りて読み始めた。
先日の講演会の後、加賀氏に「永遠の都」を読むようにいわれたが、書店になく、
今日の図書館の書架にも見当たらなかった。
まだ、半分しか読んでいないが、「人工呼吸器」の問題など、ご自身の体験をもとに
書かれているようで、講演の内容を再確認しているようだった。(雲のごとく

老眼鏡は必要だとしても、普通の大きさの文字が普通に読めるということは、
どれほど有難いことか。

少し眼も疲れたので、帰りのルートは幹線道路を避けた。
緑の多い道をゆっくりとボロ自転車のペダルを漕いでサイクリング気分。
柿の実はまだ、淡い橙色。帰宅後、「日本の伝統色」を開いてみた。
「柿渋色(柿色)」「洗柿」「洒落柿」「薄柿」という「柿」がついた色名をみつけた。 
今日見た柿の色は「洗柿」という(赤みの薄い黄赤)色に近いようだ。 
あとひと月もすると、あの柿も食べ頃を迎えるだろう。

       柿の実のある縁側 click !

絵を習い始めて1年経った年の秋(11月20日)のスケッチ。 外に藤棚がみえる。
ガラス戸はまもなくアルミサッシに変わったと、この画面の端にメモがあった。 
我が家の庭に数本あった柿の木は、十数年前までは、たくさんの実をつけたものだ。

食べ物の好き嫌いはほとんどない私だが、柿だけは大の苦手。とても美味と勧められても、
今までに1つも口にしたことがない。 (ダメなのはメロンも洋梨もだが・・・)

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このごろの猫たち 入る

2008年10月21日
入る

捨てようかと迷った3個の木製の引出しをとりあえず物置の屋根に載せた。
その左には青ビニールシート、中には芝刈り機を入れたが、右は空のまま。

          ククはビニールシートが入った引出しがお気に入り。
       クク

          たまにはこのような食事スタイルもいいのかな。 
             上からトラアミ  地上にはケシ 
           こんな恰好で失礼

        アミ 傘のつもり?
    入ってみよっと
                この傘入れは、数十年前、みんみん
                無農薬大豆で味噌づくりに挑戦したときのもの  
                 どうしようかな
      味噌にもなれず傘にもなれず
    よいしょっと

出る

10日ほど前から、チビの姿がみえない。 
2週間前、さいとうさんはチビの妹、つまり、ターノの母猫の捕獲に失敗した。
避妊手術を施すためだったが、チビは7月に済ませてある。
だが、そんな事情は猫たちにわかるはずもなく、捕まりそうになったターノの母猫が姿を消した。
このときに彼女は姉のチビに、「気をつけたほうがいい」と忠告して行ったのではないか。
その後の4日間、チビは、ケシたちに妹たちを守るようにと、言い置いて行ったのだろうか。

病気や事故にあったのではないかと心配しないわけでもないが、
姉妹でどこかに避難していて、そのうちひょっこり戻ってくるかもしれないと思っている。
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雲のごとく

2008年10月20日
日本は世界一の長寿国になったというが、
平均寿命と健康寿命との間に5~7歳の差がある現実をどう考えればいいのだろうか。
どんな人でも聞かれれば、自分の最期は苦しまず穏やかに迎えたいと答えるだろうが、
実際には、その希望を叶えてもらえる人は極めて少ない。 とわかっていても、
健康なときには、自分や家族の死について切実に考えることはあまりないように思う。

そういう私も、入院した父が、回復の見込はないといわれながら、
呼吸器はじめ幾本もの管をつけられて、苦しんでいる姿に直面しなければ、
尊厳死について考えることはなかったと思う。
母と、私たち夫婦で 日本尊厳死協会に入会したのは、ちょうど2年前の秋だった。        
     西を見る
       父は仮住まいのマンションの窓から見た風景を撮っていた。 

尊厳死(LIFE OF DIGNITY)とは、「傷病により 不治かつ末期 になったときに、
自分の意思で、死にゆく過程を引き延ばすだけに過ぎない延命措置をやめてもらい、
人間としての尊厳を保ちながら死を迎えること」
で、安楽死とは違う。
安楽死は、「助かる見込みがないのに、耐え難い苦痛から逃れることもできない患者の
自発的要請にこたえて、医師が積極的な医療行為を施し患者を早く死なせること」だ。


先日の講演会で隣合せた女性の話では、彼女の母親が胃癌で入院した時、
母親が尊厳死協会会員と告げると、医師はカルテにそのように書き入れ、
適切な治療をしてくれたので、最期は穏やかな死を迎えられたということだった。
    
   井出氏の講演「尊厳死をめぐる最近の動き」より (思わぬ収穫
昨年、厚労省から終末期医療に関するガイドラインが発表されたが、
様々な問題は未解決のままで、一刻も早い「尊厳死法」の法制化が望まれる。
日本では
  ・ 平均寿命 男性 78.4歳    女性  85.3歳  
    健康寿命      73.3歳         77.7歳  (2003年WHO)
  ・ 65歳以上の要介護者  (65歳以上の人口の)20%
  ・ 在宅療養で亡くなる人 ~1960年 80%  1970年 20%
  ・ 不治・末期の延命措置を施さない病院  56% などなど。

  加賀氏の講演「尊厳死と日本人」より
森鴎外の「高瀬舟」や1976年のアメリカのカレン訴訟などを例に挙げて、
尊厳死とは何か、人の生きている価値(Quality of Life)、自分の尊厳は何なのだろうか、
人工呼吸器に関しては、日本ならではの問題が浮き彫りにされると、
ご自分の体験を交えながら、わかりやすく話された。
      
特に、この人工呼吸器の話の時には、自分の父の場合を思い出さずにはおれなかった。
意識はしっかりしていた父が、気管切開により声が出せなくなり、管をはずさないようにと、
ミトンの両手をベッドの柵に縛られ、人工栄養と呼吸器に支えられて、10ヶ月間、苦しんだ。
父は苦しみながら、残る私たちに何を伝えたかったのか・・・。
「人工呼吸器を一旦つけると外せない」ことを知らなかった私の責任は重い・・・。
   雲の如くの詩

小川未明の「雲の如く」の詩(拓本)をとても大切にしていた父に、
自分の書斎で、大好きだった庭の樹や石、雲の流れを見ながら、穏やかに
最期の時を迎えさせることができたら、どんなにかよかっただろうか・・・。 
色々と思い浮べながら、間近で聴くモーツアルトやチャイコフスキーの音色は、
殊更深く心にしみてくるように思える。
     
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思わぬ収穫

2008年10月19日
近所に3か所の空地があり、その中の1つには鶏頭が咲いていると、(出逢った草花
ひと月前に書いたが、今日、その空地の前を通ると、鶏頭は無残な姿で横たわっていた。
花の色はまだ鮮やかで、たった今、刈られたばかりのようだった。
 
        鶏頭の最後

東京で開かれる「日本尊厳死協会第31回年次大会」に行こうと思ったのは、
2年前の入会以来送られてくる会報「リビング・ウィル」をみてのことだった。

講演 「尊厳死と日本人」(作家 加賀乙彦)
講演 「尊厳死をめぐる最近の動き」(理事長 井形昭弘)
演奏 東京交響楽団の弦楽四重奏団  「G線上のアリア」ほか
    会場 有楽町の朝日ホール(入場無料/先着700名)

講演者の1人である加賀乙彦氏は作家でもあり、精神医学者、大学教授(小木貞孝)
としても知られている。
実は、私は大学時代に小木先生の授業を幾つも受け、卒論にも目を通していただいた。

先生の授業はとても魅力的でとても人気があった。
授業の内容のいくつかは何十年も経った今でも、思い出すことができる。
また、主任教授の別荘に何人かで押しかけた時、近くに先生の別荘もあり、
ちょうど滞在されていた先生とご子息にお目にかかったりしたこともあった。
勿論、先生は私のことなどこれっぽっちも覚えていらっしゃるはずもないのだが・・・。

そんなわけで、正直、数十年ぶりにあの小木先生にお目にかかりたい、お話を伺いたい、
そんな単純な気持ちで出かけたのだったが、今日は思わぬオマケがあった。

「尊厳死」に関する講演のご紹介は、次の機会に譲るとして、(雲のごとく
有楽町の会場まで回り道をしてみると、大黒様のような扮装の人がチラシを配っていた。
「神話の夢舞台出雲展」という、出雲の観光と物産展の案内だった。
遠くに人だかりが出来ていて、そこではちょうど「出雲神楽」の演舞が行われていたが、
帰りにでも寄ってみようと、ほんの少し覗いただけで、まっすぐ会場へ向った。

                 出雲神楽

そういえば、今月は神無月だ。
だが、日本中の神様が集まる出雲では「神在月」といわれることを思い出した。 
結局、この出雲の神様は17日から3日間だけ、東京にご出張だったわけだが、
もう、今日の3時(講演の最中だった)には出雲へ戻られたはずだ。
どうやら、私は神様とのご縁は薄い口らしい。

回り道をした割には、早めに会場に着き、かなり前の真ん中の席を選べた。
ご夫婦、親子、友人同士らしい2人連れのみならず、思ったより1人での参加も多い。
始まってみると、私の両隣もそのまた隣も、女性の1人での参加だった。
講演会、演奏会の後に、懇親会があると聞き、休憩時間に申し込みに行った。
こちらの参加予定者は思ったより少なく、小木先生とお話する機会もありそうに思えた。

開演前 加賀乙彦氏 懇親会会場で
写真左は開演前の舞台。 右は懇親会での加賀乙彦氏。

左隣の女性も懇親会に出席するというので、一緒に1階下の会場へ。
彼女の住まいは埼玉県の川口市だそうで、偶然にも学年が同じだった。
懇親会では、小木先生とお話ができたが、私が先生とお話している間も、彼女は傍にいて、
先生と3人で写真におさまったりと、古くからの友人のようにみえたことだろう。

もっとも、昔からの友人だろうと、新しい友人だろうと、別にたいした違いはない。
この後、有楽町の駅で別れる際、私が出来た写真を渡すという名目で、
近々「一杯飲みましょう」ということになったのだから。

先生のお話の中、私たちが先生の作品「永遠の都」を読んでいないことから、
「この本は読まなくてはだめだよ」「まず、1巻だけ買いなさい。そうすれば、面白くて
2巻目も買うことになるから・・・」「図書館で借りるのはだめだよ。自分でお金出さなきゃ」
などなどと言われたのを思い出し、帰り途、本屋を2軒廻ったが、どちらも「在庫なし」・・・。
今、読みかけの本を読み終えるまで、新しく本を買わないようにという神の思召しのようだ。
先生はカトリック信者、こちらの神様は出雲の神ではないことは確かだろう。

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はじめての運動会

2008年10月18日
先週、痛かった膝や脚は鍼灸と湿布のおかげか、ほとんど治ったので、
孫娘のゆうゆうが通う保育園の運動会を見に行くことにした。
りんりんの運動会では、肝心なときに、カメラのバッテリーを切らしたので、(学校と猫
今度こそ大丈夫、同じ失敗はしないようにと念入りにチェックした。
7時ちょっと過ぎに駅に着いたが、土曜日のせいか、ホームに人は少なかった。

セイタカアワダチソウが、反対側のホームの端から線路に沿って咲いていた。
一昔前、この花は花粉症や喘息の原因だとか言われて敬遠されたものだが、
風媒花ではなく、虫媒花で、花の少ない今頃には、この花の蜜に集まる虫も多いという。
以前は、線路沿いや空地に人の背丈より高いアワダチソウが生えていて、
異様に思えたが、最近は背の高いアワダチソウの群生はあまり見かけなくなった。
日本中に繁殖しすぎて、自分の体内の物質で自家中毒を起してしまったのだとか。
自分たちが増えすぎたことが、どうして花たちにわかるのか、不思議でならない。
       ホームより

1歳になって保育園へ入園したゆうゆうだが、去年は、何回か熱を出して園を休んだ。
その度に、園に迎えに行ったり、彼女の家や我が家で看病したりしたが、
今年になってからは休まずに元気に通園しているようだ。 

保育園の運動会は2歳児から5歳児が参加、2,3歳児は親子一緒のかけっこやダンス。
なかなか工夫されていて、観ている人を飽きさせない。
5歳児がおそろいのシャツを着てソーラン節を披露、リレーもなかなかの接戦だった。
玉入れは3、4、5歳児が紅白に分かれて2回戦。
4,5歳にもなると、勝敗というものがわかるのだろう、勝った紅組の喜び方は見事だった。

ゆうゆうのパパたちが頑張った4組対抗、綱引きは2位だった。
母親が綱引きに出て、お祖母さんと残った隣の女児が、綱引きの間中、泣きつづけた。
3歳児の彼女には競技や応援よりも、親に置いて行かれたことが重大事だったようだ。

                     ソーラン節
    玉入れ

9時から始まり、予定通り12時ピッタリに終わってのランチタイム。
はじめての運動会を経験したゆうゆうは、ここで一気に緊張がほぐれた。
参加賞のメダル(紙製手づくり)も、ママの手づくりのお弁当を皆でいただくことも、
嬉しくてたまらないらしく、食べることよりしゃべることに夢中だった。
病気の時の彼女しか知らない私には、頬を紅潮させて話しかけてくる様子が嬉しかった。

              ランチタイム

暑くもなく、寒くもなく、気持ちのよい秋の一日だった。
孫の元気な姿をみることができるのは幸せなことなのだろうと思いながら帰宅した。
玄関を開けた途端、小さい靴が眼に入った。 「おかえり!」と孫のりんりんの声。
朝、私が出かけた後、彼は我が家で夕方までお留守番ということになったとのこと。
2階は玩具で足の踏み場のない状態だったが、それも元気な証拠、いいとしよう。
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日進月歩は道具ばかり

2008年10月17日
今年の夏、上海で闘病中の老師に贈るための「記念アルバム」が完成間近というとき、
愛用の電子辞書が壊れた。
壊れて初めてわかったが、内側の液晶画面になっている蓋の部分と本体キーボード部分を
つなぐ蝶番はコードが通っていて、非常に重要な箇所だということだ。 
今度の故障はこの部分が金属疲労を起して切れてしまったらしい。

中国語学習を始めた頃、ぼちぼち電子辞書が普及し始めていて、
重たい中日辞典を持ち歩くことを避けたい一心で、電子辞書に飛びついた。
最初に買ったものは、最近のと比べると、重たく、多少かさ張ったが、
電源でも電池を入れても使えるのは便利だったし、音声が出るので発音練習もできた。
2度ほど修理に出したが、中国へ旅するときも必ず持って行ったし、長い間、重宝した。

その後、軽量で片手に載る大きさの電池式の辞書が出たので、買い替えた。
中国語(日中、中日)だけでなく、国語、漢和、英語(和英、英和)も入っていて便利だ。
いつもバッグに入れて持ち歩き、普段は国語辞典として開くことが多い。
この辞書は一度も修理することなく、使わない日はないほど、とにかくよく使った。

       新しい電子辞書 click!

その辞書が壊れた翌朝、大船に行く予定があったので、9時半開店の店に飛び込んだ。
安くて軽くて、しかも使い慣れた機種とほぼ同じものを選び購入、10分後には店を出た。 

今、愛用のデジカメは先月買ったもので、多分、4代目にだと思う。
それまでのものは、3週間前に「中国茶の会」を我が家で開いた日に突然、おかしくなった。
お茶会の写真をプリントしてみたら、終わりに近い数枚に何本もの横筋が入っていた。
翌日、メーカーに問合せると、レンズ交換の要あり、1万3千円くらいかかるとのこと。
カメラも必需品、修理代と同額とはいかなかったが、やむなく1万8千円の新品を購入。
メーカーが今までと違うため、使い勝手も違うが、そのうち慣れるだろう楽観しているが・・・。

辞書、カメラ、携帯電話などを失くしたり、落としたりしたことはほとんどないが、
たった1回、お花見をした寺の境内で、カメラを失くしたことがある。
この日、ビデオカメラと両方を持ち歩いて、2歳だった孫のりんりんを追いかけていたので、
境内で落としたのか、入った茶店に置き忘れたのか、とんと覚えがない。

              娘のカメラで

今、使用中のパソコンも、デスクトップは5代目、ノートパソコンは3代目になる。
また、プリンターもよく使ったし、今でもよく使うが、これはよく壊れて何回も修理にも出した。
現在使用中のもの3台が、何代目なのか・・・わからないほどだ。
そういえば、ワープロも何台か使ったが、パソコンに代わったのはいつだったろう。
滅多に開けない戸棚の奥に古いワープロが残っていた光景を想い出す。

携帯電話も何代目なのか、わからなくなった。 
まず、ポケットベルに飛びついて、何と便利なものができたのかと感心したものだ。
そのうち、ポケベルはすたれたと思っていたが、まだまだ現役で活躍していた。
孫のゆうゆうの行く病院では、希望者にはポケベルを貸し出して、診療時間近くなると、
呼び出してくれるので、自宅で待機していられる。これはとても温かい配慮だと思った。 

ひと頃騒がれた携帯依存症からは卒業したが、辞書とパソコンへの依存度は増すばかり。
何とかとハサミは使いよう、と言われるが、辞書はともかく、パソコンに向えば向うほど、
眼や頚、肩、腰の痛みが強くなり、抜本的な対策が必要となってきた。
この2,3日、膝の痛みから、とうとう脚のしびれまで感じるようになり、さすがに焦っている。

こういうときにはパソコンから離れて休むべきだと頭ではわかっているのだが、
整体鍼灸院に駆け込んでは、また、パソコンに向う自分をどうすることもできない。
これを止めることができるくらいなら、依存症ではないのだろうが・・・。
何か妙薬はないものか?
つれづれ | Comments(0)

ハシゴのような橋

2008年10月16日
このごろの子猫たちの好奇心はとどまる所を知らない。 
雨樋の中で2匹がじゃれていたと思ったら、屋根から2階の窓へ。 (この頃の子猫たち
アミは怖いもの知らず、何にでも挑戦する。 
トラは先ず、しばらく様子を窺っているが、大丈夫だろうと思ったら、アミの真似をする。

アミは梅ノ木にも随分上まで行けるようになった。 こういうとき、トラは下にいる。
トラだって屋根まで上れるのだが、梅ノ木にいるのは今まであまりみたことがない。
先月、梅ノ木の上の枝から2階のベランダの手すりまで、2mくらいしか離れていないので、
ハシゴ状の橋を架けてやったが、今までどの猫もベランダまで来たことがなかった。

あるとき、玄関に入ってしまったアミを、いい機会だからと、抱いて、2階へ連れて行き、
梅ノ木へ行くように、アミをハシゴに載せた。
だが、自分自身が、まるでどこかの吊橋の上に置いていかれたような恐怖心を味わった。
そういえば、私は高所恐怖症だった。
一瞬止めようかと思ったが、アミはれっきとした猫じゃないかと思い直して続行した。
  怖かった
アミは「なんでこんなことを・・・?」という顔をしていたが、まずは、梅ノ木に到達した。
が、しかし、直ぐにUターンしてベランダの方へ戻り始めた。 何故だろう??
      
              戻り始める

   あと少しだ          
              よいしょ
この通り、ベランダへ戻ったアミを、再び抱いて、階段を下り、玄関から外へ出したが、
何とも無意味な時間を費やしてしまっただけでなく、奇妙な挫折感を味わった。
今までのごんさんの作品の中で、全く歓迎されなかったのは、このハシゴくらいのものだろう。

あれ以来、恐らくだれも渡ったことのない橋が、今も燦然と架かっている。
動物など | Comments(0)

隔世の感

2008年10月15日
今日は20数年ぶりに、私と娘の母校である小学校の門をくぐった。
私の時代はともかく、娘の通った頃と外観はほとんど変わっていないように思えたが、
一歩、校舎の中に入ると、明らかに様子は違っていた。

          懐かしい学校

「弱視の子どもが読みやすい、文字の大きな教科書」を作る活動をしている研究会の
「拡大写本ボランティア入門講習会」に参加するために、出かけてきたのだ・・・。
正面玄関から小会議室や印刷室などの前を通り、階段の所まで来ると、
私の夢に出てくるような昇降口が目に入ったが、(今朝みた夢
靴箱(履物棚)は平日の登校日なのに、随分と空きが目立った。

          昇降口 空きの多い靴入

壁には1階から3階までのフロアー別に各部屋の案内が貼ってあった。
近所の小学生kから、各学年とも2クラスずつと聞いていたので、(学校と猫
きっとたくさんの空き教室ができて、多目的室になっているのだろうと想像していたが、
「備蓄倉庫、学習室、相談室、特活室が2室、印刷室、パソコン室、児童会室、小会議室、
PTA会議室、図書準備室、調べる本の部屋、、絵本の部屋、多目的室」等があった。
こんなに多くの用途別の部屋?があるなら、多目的室はどういった時に使われるのだろうと、
不思議に思いながら、今日の会場である3階の図書室へ向った。

これまでも何回か、図書館で、写本ボランティア募集のポスターを見かけたものだが、
今回の「入門講習会」は4回とも参加できそうだったので、9月末、思い切って申し込んだ。

今日は開講式で、後援の小学校の校長と図書館の館長の挨拶、会代表の方の挨拶後、
「みえ方」や「拡大教科書」についての基礎知識、拡大写本の歴史と会の紹介などの
講義があった。

この学校は弱視学級を持つ都内9校の中の一つで、他区からも週1度、通学してくること、
拡大教科書は一人ひとりの目の状態に合わせて1冊ずつ丁寧に作られること、
合併症がある場合も多く、拡大コピーでは無理な子どもが多いということ、などなど、
はじめて耳にすることばかりだった。
休憩時間に見せていただいた「拡大教科書」は心がこもった素晴らしいものだった。

その後、実技に入った。
今日は、基本編ということで、2年生と5年生の国語の教科書で「教科書体」の練習。
水性のサインペンで用意されたお手本を見ながら書いていくのだが・・・。
最初は加減がわからず、オッカナビックリで書いた文字は弱々しかったが、4,5行目になると、
ちょうどいい太さでしっかりと書けるようになった、と講師の方に言われた途端、
行を飛ばしてしまうという失敗をしたりした。 

あっという間に時間が来て、私も含めて書き終わらない人もいたが、今日の講習は終り。
こんなおっちょこちょいでは先が思いやられるが、今日は練習。
「般若心経」の写経のように、精神を集中する訓練になれば一石二鳥なのだけれど。

普段パソコンに頼ってばかりで、文字をゆっくりと書くことのない毎日を反省しながら、
学校を後にした。 
校門は常に施錠してあり、それも電気錠。内側の釦を押さないと開かない仕組みだ。
私の子どもの頃には、学校の前に文房具屋が2軒並んであり、
休み時間に消しゴムを買いに出たり、お昼休みに忘れ物を取りに帰ったり、
自由に出入りしたものだったが・・・。 
いつの間にか文房具屋も1軒になり、その店も何年も前に閉じてしまったようだ。
     こんな感じで
次回までに「拡大文字」の練習をしておかねば・・・と思っている。
今日の「教科書体」をマスターしておかなくては、来週の「ゴシック体で書く」では
もっと苦労しそうだから。
つれづれ | Comments(0)

紅葉狩り

2008年10月14日
「これから紅葉狩りに出かけます。」というメールを絵の友人からもらった。
もみじ狩り・・・もう、そんな季節なのかと少しびっくりしてしまった。
13日の夜のメールに「夕方、蓼科から帰ってきました。紅葉は一週間遅れでしたが、
1800m辺は、もうホントにきれいでした。」とあった。

この彼女とは、毎月一回の首都圏のスケッチ会などで会うが、それ以外にも、
メールでちょくちょくやりとりする。 
私が彼女へのメールに今年の春から玄侑の本を読み始めたと書いたことで、
彼女が以前から玄侑さんの大ファンだったことがわかった。
以前、彼女が福島県の三春に行った折、玄侑さんのお寺(副住職)に寄りたかったのに、
他のメンバーが賛成してくれずに断念したことがあったと話してくれた。

彼女と行くことを楽しみにしている玄侑師の講演会、演題は「観自在という方便力」まで、
あとひと月になった。(どんぐり
「調べてみても観自在ってよくわからないわね・・・」「あるがまま」とか自然体みたいな
意味ではないかな?」などと2人で勝手なことを言い合っている。

漱石の「吾が輩は猫である」を繰り返し読んでいるという茂木健一郎に影響され、
彼女も何十年ぶりかに「吾が輩は猫である」を買って読み始めたと聞いた。
そんなとき、私は図書館でお目当ての本の隣の隣くらいにあった、茂木健一郎と
松岡正剛との対談「脳と日本人」という本が眼に入ってしまい、借りてきてしまった。

この本は、難しいテーマをわかりやすく、興味深くまとめてあるに違いはないが、
対談の内容が、あまりに盛りだくさんで、私のこの頭を素通りしてしまう。 
けれど、2日間の対談中に撮られた那須の秋の写真が何とも言えず魅力的で、
この1週間、妙に手放せないまま、ついついバッグに入れて持ち歩いている。
どこかの店で1杯のコーヒーを飲みながらなので、1章に何日もかかっている。

この「脳と日本人」を自分が読み終えないうちに、彼女にお薦めしてしまったのだが、
読みたい本があるというのは、楽しみがふえてうれしいと、「猫」を読み終えたら次に
読んでみようと思います、と言うメールが来た。
私のように、読みかけの本を、次から次へとこしらえてしまっては、
いくらファイルの整理をしても脳内の整理をしないと、どうにもならない。
それは充分わかっているのだが・・・。 やっぱり、止められそうにない。

       紅葉の山々by りんりん
            (もみじがり ぐんまけん たにがわだけ)

今日、孫のりんりんが「ロープウェイに乗ったよ」と、お土産を持ってやってきた。
「もみじがりの絵を描く」と言って、一気に描いた絵は、展望台からみた山々らしい。
紅葉狩りが何なのかよくわかっていないようだが、とにかく、楽しい体験だったようだ。

いつのまにか、何も見ないで、文字を書く、絵を描くことができるようになっている。
どうやら、頭に浮かんだ言葉、文章を文字で表せることが嬉しいらしい。
どこへ行っても漢字があふれている、その漢字を読めることが嬉しくてたまらない。
ちょうど、パズルが解けたような、そんな喜びなのかもしれない。

そういえば、中国の街で、看板や通りの名やことの謂れなどが判ったり、
言葉が通じた時などの嬉しさは、素晴らしい景色を目の当たりにした時の嬉しさと
同じように、ちょっとした感激だ。

明日、私は新しい経験をする予定。「拡大写本の講習会」に参加する。
4週連続だが、果たして完結させられるか? 
だが、以前の私のように、心配はしていない。 
なるようになる、任運騰騰、ケセラセラ・・・!(きっとうまくいくだろう。)
身近な人びと | Comments(0)

駅までの道

2008年10月13日
我が家は私鉄の2路線に挟まれているので、行く先によって乗車する駅か決まる。
どちらの駅に行くにも、それぞれ2本ずつある坂のどちらかを下らなくてはならないが、
坂道のどちらを通るかはそのときの気分次第で決まる。

夏になると、毎年必ずといっていいほど、この4本の坂道沿いの2ヶ所で、
私の大好きなノブドウの蔓が伸び始める。
秋には、その蔓に小さな青い実がついているのを確認しながら、その坂を通ることになる。
この青い実が青紫、赤紫、白緑、群緑など、色名事典で確かめても決めがたいような・・・。
何ともいえない複雑な色に変わったら、スケッチに来ようと毎年思う。 
以前、1枚は本画にしたが、もっともっとスケッチして、また、本画を描いてみたい。
       「のぶどう」 30号 
2,3日前に通った坂道ではすっかり刈られてしまい、跡形もなかった。  
青い実が少しずつ大きくなってくるころ、ここ数年、繰り返されている出来事だ。
わずかにそんな予感はあったが、実際、刈られた現場をみると堪らなく悲しかった。
残るのぞみはあと1 箇所だけ。 
       まだ青いノブドウの実
           
そこのノブドウはヤブカラシなどとともに、資材置場として使われている空地に根を張り、
塀越しに、道路標識を隠さんばかりに伸びている。
普段はあまりこの坂を通ることはないが、
昨日は、何となく気になって、この坂道を通りノブドウの無事を確認した。

    道路標識を隠すノブドウとヤブカラシ

坂を下りきって右に曲がると、塀に張られた紙が眼に入って来た。
近づいてみると、それは、美大の彫刻科4年生が来年の卒業制作のために
「いらなくなった扇風機を探しています」という張り紙だった。
「卒業制作で扇風機を100台使う計画を立てました。色や発売の年代によって違う型、
それまで使われてきた使用感があるものを集める方が、人間味があり、何よりも
面白そうなので、量販店で購入するのではなく街中で探すことにしました」とあった。

          はり紙
     
エアコンがあまり好きでない我が家では、冬はガスストーブ、夏は扇風機が欠かせない。
そんなことで、いわゆる4枚羽の扇風機が3台、円柱型のものが2台あるが、
この秋、保管場所が減ったので、何台かは粗大ゴミとして処分する予定だった。
今朝、「2台あるので取りに来てください」というメールを入れ、午後になって連絡がとれた。
10分後には、4枚羽と円柱型の扇風機は受取りに現れた好青年のもとへ。

なんでも、扇風機の中心にスピーカーをつけて、様々な音を出す・・・構想だという。
果たして100台集まるのかどうか、どのような展示になるのかよくわからないが、
来年の卒業制作とやらが、何となく楽しみになった。見に行ってもいいな・・・。

時間さえあれば、たまには違う道を通るというのも、いいものだ。
季節感を味わうだけでなく、色々なことを連想したりして、思わぬ発見をすることがある。
実は、この若い青年を見たときに、友人のお嬢さんが同じ美大の日本画専攻だったこと、
その友人と2人でかなり遠い大学まで卒業制作展に行ったことを、想い出した。 
いったい何年前になるのだろうか、その彼女もすでに家庭を持っているそうだ。

夕方、再び家からノブドウの坂まで来たとき、思わず、声を出しそうになった。
確かに、昨日まであったノブドウ、ヤブカラシ、クサギが何もない!
坂道に沿って、ただの錆びたトタン板の塀があるだけだった。
「お願いです。ヤブカラシは刈っても結構ですが、ノブドウだけは残しておいてください」
という張り紙をしておくべきだった。
もっとも、ふつうはノブドウもヤブカラシも同じ雑草と見做されるのだから、刈られるのは
仕方ないのだと、今年もまた、自分に言い聞かせる他はなかった。
つれづれ | Comments(0)

卆寿のお祝い

2008年10月12日
今朝の夢には、誰も人が登場しなかった。 
母から譲られた針箱が、母のところに、どこだかはっきりとはわからないが、
とにかく、母のところにあった。「何で・・・!?」と思った途端に眼が覚めた。

家の改築時に、母は祖母の形見だった鏡台を私の妹に譲った。
その後、その鏡台と同じ塗りの針箱が私のところに来たのだが、
それは母と同居を始めた頃だから、1年半くらい前のことになる。

      祖母の形見の裁縫箱
         
この針箱は、模様替えの度に場所は変わっても、ずっと私の部屋にあって
今は、娘が小学校の家庭科で使っていた小さな裁縫箱と並んで置いてある。

古い着物を、洋服にリフォームするのは無理としても、
タペストリーとか小物ならできるだろうと思ってはいたが、
娘にミシンを持っていかれたし、普段は小さな箱だけで用は足りるので、
この針箱はほとんど開けることもなく、インテリアになっている。

中国で買ってきた針さしも一度も使うことなく、泥人形とともに棚に飾ってある。 
3人、6人、10人の唐子が笑っている。(下写真)

       中国で買ってきた針さしと泥人形 click!

とんと使ったことがないこの針箱が、なぜ夢に現われたのかが不思議だったが、
今日は母が親戚の卆寿祝いに出かける日だと気づいた時に、思い当たった。

卆寿を迎えたのは、私の祖母の甥にあたる、つまり、母の従弟。
この何日か、このオジさんのことをいろいろ想っていたことが大きいような気がする。
勿論、今朝の夢に現われた裁縫箱は祖母の形見で、オジさんとは直接関係はないが、
このオジさんには祖父母の、そして父と母の頼れるホームドクターとして、
長い間、お世話になった。

母は兄姉を幼いときに亡くしているので、母にとってこの従弟は兄のようであり、
私にとっては大好きなオジさんで、小さい時いから「Tのおじちゃん」と呼んでいた。
何度かご自分でも大手術を経験されたようだが、決してめげない強い人だった。
10年くらい前まで、近所の人達にも慕われる「町のお医者さん」としてご活躍だった。

父が退職したころからだろうか、オジさん夫婦と父母の4人で
毎月1回、どちらかの家の近くの店で、お昼を一緒にするようになっていた。
このオジさんと父の誕生日は3日違いで、父が1歳年上だったこともあって、
子供のように10月生れのお誕生会を合同でやっていた時期もあった。

そろそろ、母が戻って来る頃合だが、
卆寿を迎えられなかった父は、どこかで「おめでとう!」と祝っているに違いない。
つれづれ | Comments(0)

ミニ トリップ

2008年10月11日
雨が上がりそうで上がらない、そんなお天気の中、
普段あまり通らない道をスーパーまで歩いていった。
歩いてみると、自転車や車で通ったのは気づかないものがみえることもある。 
途中、イイギリ(飯桐)を発見。 傘をさしたまま、見上げて、シャッターを押すのに一苦労。 
この樹はお米のような実をたくさんつけるから、イイギリと呼ばれるのかと思っていたが、
昔、この大きな葉にオニギリを包んだことからこの名がついたそうだ。

     イイギリの実

次に眼に入ったのは、クサギ。
今は空地だが、ここも家が建つのだろうか、2,3人で大木を伐採していた。
まだ手のつけられていないクサギの樹には、薄ピンクの花がわずかに残っており、
ぼたん色の星に包まれた実は色づいていた。
次にここを通る時には、この樹はなくなっているかもしれない。
クサギの実 click!星につつまれた実

すっかり寄り道をしてしまったが、スーパーの10時開店を目指して行ったわけは、
今日と明日の「駅弁大会」でお目当ての駅弁を買うことだった。
先週の運動会で張り切り過ぎたからでもないだろうが、孫のりんりんが熱を出したらしい。
彼がチラシでみつけた「DMV Trip Box」(札幌駅の駅弁 980円)を欲しいというので、
ついつい、甘くなり、ご指定の駅弁を買って来てあげる約束をしてしまったのだ。 
DMV(デュアル・モード・ヴィークル)は、鉄道の線路も走れるように改造したマイクロバスで、
まだ試験運転の段階だという。
中身のおかずの下にはミニのカツ丼、海鮮丼、牛丼と美味しそうだが、
彼のお目当てはパッケージの絵にある。

       DMV Trip Box
   
結局、この駅弁のほかには特に買いものをせずにスーパーを出たら、
雨はほとんど上がっていた。
両手に傘と駅弁を持ち、行きと違う道を歩いて帰った。

       散り急ぐ萩
        
今日の雨で、萩の花がだいぶ散っていた。
金木犀も散り始めていて、道のそこここに橙色の円ができていた。
この花の散った様子が、桜の散り方と違うように感じたわけがわかったような気がした。
萩も桜も花びらがハラハラと舞って、少し遠くまで拡がって散るのに
金木犀は花そのものが、ポトリポトリと散り落ちていくからではないだろうか。
樹の中心に近いほど密に、円を描きながら散っていくように思える。
    
       金木犀の花散る

そろそろ、山帰来や野茨の実が色づくころではないだろうか。
来週にでも、自然教育園か、新宿御苑に行ってみようかと思う。
上野のとうはく(東京国立博物館)もいいかもしれない。
もう、「大琳派展」が始まっているだろう。 
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金木犀

2008年10月10日
交差点を渡ろうとしたときに、どこからともなく金木犀の微かな香りがした。
金木犀はわが家にもあり、2階のベランダに出ると、何ともいえない甘い香りが漂ってくる。
中国南部が原産で、日本には雄株しか入っていないので実が成ることはないという。

     金木犀の街路樹

桂花とも呼ばれるこの花は小さくてめだたないが、(中秋節
花が散り始めると樹の周りは、まるで橙色の雪が積もったようにみえる。
とくに夕暮れ時の消炭色の路上に散る橙色の花は、鮮やかに美しく感じられる。

      銀木犀

近所に金と銀の木犀が並んで咲くうちがある。
金木犀の方が強く香るそうだ。
中国から来た桂花の、橙色を金色、鳥の子色に近い白色を銀色に
みたのは、日本人らしい色彩感覚なのだろうか。
      
        「百花譜」のきんもくせい

木下杢太郎の「百花譜」上巻386頁には「きんもくせい」が描かれている。
日記でもある画の右下には「昭和十八年十月十日 日曜日 強雨、
午前十時家族と四谷浄雲寺に岳父翁三 法事を営む。・・・」とある。
今日は偶然にも十月十日、昔はこの日が体育の日だったが、
今日は平日の金曜日、夕刻雨が降った。 

上海で闘病中の中国語の老師が、後任の先生を紹介して下さるという嬉しいニュースを
書いた「通信Ⅳ」を少しでも早く13人の同学に送ろうと自転車で家を出た。
最初の角を曲がる頃、ポツポツと来たので、一瞬戻ろうかと思ったが、
封筒を濡らさないようにバッグで覆い、猛スピードで郵便局へ向った。 
びしょ濡れついでに近くのスーパーへ駆け込んだが
ほとんど雨宿りする間もなく、雨は上がった。

花散らす雨というのは、満開の桜に降りかかる雨といった情景だけではないな・・・。
金木犀の傍を通った時、ふと、そんなことを思った。       

この花が香り始めると、この香り(芳香剤でない)が苦手な人もいることを想い出す。
確か、ネットで何かを調べていたときにそのことを知ったのだが、
考えてみれば、食べ物、着る物だけでなく、
色や香りにも人それぞれの嗜好があるわけだ。
それにしても、ネットで検索すると思わぬ情報がいろいろ出てくる。
香りの図書館、香りの美術館、香りの博物館というものがあるそうだ。
図書館は東京(千代田区)にあるので、行ってみてもいいかなと思う。
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にびいろ

2008年10月09日
「和の色名には各時代の文化が込められ、多様で、一見複雑に見えるが、
色名を分解すると、すべての色名は、桜、萩、柿、鶯、金、銀、
江戸、京、利休、遠州など 花や地名から借用した500種類の固有名と
深、浅、鈍、煤竹などの100種のトーンなどを表す言葉を組合わせてつくられている。」
 
                       (「定本 和の色事典」視覚デザイン研究所)
        
まだ、絵を習っていなかった頃だと思うが、
さだまさしの歌「桐の花」を聞いたときに「にびいろ」という色があることを知った。
「鈍色の宙を 低く飛ぶ鳥が 短く啼いてゆきます 真昼の雨 
     遠くで季節のかわりゆく音を 独りきり聴いている午後・・・・
                        ・・・窓の外 宙高く 音もなく 桐の花」
 
   桐の花 click! 
この歌を知ってからは、この花をみると、「鈍色の宙」を連想をするようなって、
桐の花をスケッチするときに、ウォークマンで「桐の花」を聴いたりもした。

ある日の夕方、大きなお屋敷の脇の空地を通りかかると、桐の樹が切倒されていて、
花をたくさんつけた枝が無造作に散らばっていた。
翌朝、自転車で拾いに?行き、1m以上ある枝を欲張って2,3本、そっと家まで運び、
その日は夜中まで、「桐の花」を聴きながら、何枚もスケッチをした記憶がある。

「夏の夜の鈍色の雲おし上げて 白き孔雀の月のぼりきぬ」  与謝野晶子

夏の夜の鈍色の雲と「桐の花」の鈍色の宙、色の名は変わらないのに違う色に感じられる。

まったくの余談になるが、以前、さだまさしの歌をよく聴いていたのは、
恐らく、彼の歌に度々登場する花木が好きだということもあるだろうが、
水彩画のような描写と、独特な言葉や「色」使いの印象が強かったからに違いない。

想い出すだけでも、木犀、銀杏黄葉、侘助椿、スカンポ、鈴懸、馬酔木、辛夷(こぶし)・・・
そして「梅雨のあとさきの トパーズ色の風は 遠ざかる 君のあとをかけぬける ・・・」
今でも、梅雨の頃になると、やはり、「トパーズ色の風」を思い出す。
 
(ここからは「さだまさし全曲歌詞集」を検索して調べたものだが 思ったより少なかった 暇ですね~)

「もういないはずの 白い影が こしかけて・・」
「あなたの里は黄金に染まる 野苺色した夕陽のなかに 荷馬車の影絵がうかんでいます」
「この町を綿菓子みたいに 染めぬいた雪が・・・ 銀色の毛布つけた田圃に・・・」
今年は東京でも積もるほどの雪が降るのだろうか。 
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かさねの色目

2008年10月08日
大分前のことだが、母の手書きノートを打ったものがパソコンのフォルダに残っていた。
何気なくふとのぞいてみると、その中の「日本人の色彩感覚」篇の一節に
「かさね ー色ともいえぬ色ー」という項目がある。

「万葉時代は日本も外光派で直接的であったが、
古今時代あたりから次第に色を柔らかくして、くすんだもののよさとか、
色を何層にも重ねた複雑な「色とははっきりいえぬ色」などを好むようになる。」

「これは幽玄の美意識にもつながるものであるが、
中世・近世の「侘び」「寂び」の考え方になると、光を消すことに工夫を凝らして
薄明るい茶室の中の燻したような色を好むようになる。
利休鼠などをはじめとして色ともいえないような色々な色を創り出し、或は発見している。
外光は障子などで遮って、室内には僅かの間接光しか入れない世界での色である」。


かさねの色目は、襲色目、または重色目とも書かれ、様々な説があるようだが、
装束としての重ね着した表に表れる衣色の配列をさす場合と、
袷の衣類での表地と裏地の配色をさす場合がある。 (長崎盛輝著 「かさねの色目」)

何冊かの本で同じ「色」を比べると、印刷具合による違いとはいえない色の違いがある。
この際、色名が何であろうと、色と色の重なり、色そのものを楽しむことにしようと思う。
重ねた色がわかりやすい2種類を選んだら、どちらの色目にも秋の花の名がついていた。

をみなへし 女郎花
     
          をみなへし   
             表-経青 緯黄  裏-青  
          (表-青、 裏-萌黄 ほか5説) 
              着用時期 7、8月

表の経青・緯黄の緑味の黄は花の色を、裏の青は茎・葉の色を表したもの。
        
      をみなへし秋の野風に打なびき  
              心ひとつをたれによすらん   『古今和歌集』 藤原定方


つきくさ 鴨頭草 月草                           

        つきくさ  
         表-縹(はなだ) 裏-淡縹
          (表-縹、 裏-縹 ) 
            着用時期 秋
                            
縹(花田)の花は、鴨頭草(つきくさ/露草の古名)花の青い汁で摺染めしたことに由来。

     月草に衣はすらむあさ露に  
         ぬれての ゝちはうつろひぬとも   『古今和歌集』 よみ人しらず

                   
何年前だったか、トウハク(東京国立博物館)のミュージアムショップで、
かさねのスカーフを買ったことがある。
何組もの組合せがある中で、私が選んだのは、「小栗色」の色目だった。

調べてみると、この色目は表は秘色(ひそく)、裏が淡青ということだが、
スカーフ2枚がセットになっていたので、どちらが表でも裏でもない。
秘色というのは淡い青緑で、青磁の中でも最高級品の色だとある。

母の茶道速水流で用いる服紗はかさねの色目、対角線で2色に分かれているもの。
私はかさねの色目の便箋封筒を使っていたことがある。
思えば、かさねの色目は意外と身近なところで使われているものだ。

「和の色事典」や「色の名の物語」などをみていると、
色名には日本人の色彩感覚や考え方、歴史や文化が潜んでいることに気づいた。
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和の色名

2008年10月08日
中国語に「忽冷忽熱」という成語がある。
「易冷易熱」ともいうが、日本語の「熱し易く冷め易い」と同じ意味とされるのだろうが、
いずれ、確かめてみたいと思うが、私の勝手な解釈では微妙に違うような気がする。
中国語の方は「熱」は現在進行中、「今、熱くなっている」ことを強調していて、
日本語の方は「冷」の過去完了のように「冷めてしまった」状態をいうように感じられる。

つい最近、古い切抜きを発見したことから、「色」に「忽熱」状態になった。
私の心の中にはいつも「色」についての関心の火は消えていなかったが、
次々と押し寄せる関心ごとに押しまくられ、表立ったことがなかっただけのことだろう。
それにしても、これまで何回、貴重な出会いや折角の好機をふいにしてしまったことか。

日本画を習い始めた時から、岩絵具の丁子茶、錆茶、皮鉄などという
和の色名とお付合いするようになった。
それまで知らなかった色や色名が楽しかったが、そのうちに、使う絵具は決まってきて、
色を楽しむ余裕などなくなり、いつも同じような色合いの絵になってしまっている。

実は、絵を始めるはるか前、私も茶道を習っていた時期があり、
その頃は、お点前そのものより服紗の文様や茶道具の色合いなどに興味を持った。

つい最近、発見した「去りゆく色 来る色」という茶道雑誌からの切抜きは、
なぜか11月と12月が抜けていたが、私の「色」への興味を再燃させるのに十分だった。
早速、この著者の本を検索、そして図書館の在庫を確認してから、図書館にはしった。

「色の名の物語」(著-木村孝・撮影-世良武史)は切抜きの連載と同じような体裁で、
左頁には「鈍色(にびいろ)」「茜色」「納戸色」「香色(こういろ)」などの物語、
右頁にはその「色」が使われた帯や着物、扇、菓子などの写真が載っていた。
棚で見つけた「和の色事典」も借りたことは言うまでもない。

   「和の色事典」の鈍色(左上)とカラーガイドの鈍色

私が頭の中で描く「色の物語」の最初の頁は「にびいろ(鈍色)」だ。
この色は「黄緑がかった暗い灰色、薄墨に青花を混ぜたような色、喪服に使われる凶色」
というように、渋く、地味な色だが、
機会あるごとに確かめたくなるような、気懸かりな色合の一つだ。
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秋の色

2008年10月07日
どうも私は「シリーズ」「セット」といった終始のある連続ものに弱いようだ。
例えば、本屋で「春」から「冬」まで並んでいる本をみると、(「上」「下」には無反応)
そっくりそのまま、自分の本棚に並べたくなるという困った習性がある。

絵を習い始めて2,3年経った頃、花を季節毎に10号の横画面で描こうと思い立った。
春は黄色のミモザ、夏は朱のノウゼンカズラ、秋は白の枇杷の花を描いたところで、
さて、冬は何の花にしようと足踏みしたまま、この試みはそれきりになってしまった。
               
今年の初夏に「朱夏」という題で河骨(こうほね)と水を20号に描いた。 
この秋は「白い秋」のイメージでジュズダマを描いている。
この先、「玄冬」「青春」のイーメージが湧いて、このシリーズが完結するといいのだが。

ちなみに「朱夏」「白秋」などは、中国の陰陽五行説に基づく季節の異称。
ほかに方角・星座も色で表され、例えば、東を守る神は「青龍」、西を守るのは「白虎」という。
 
     青=春・東・青龍 朱=夏・南・朱雀 白=秋・西・白虎 玄=冬・北・玄武 
                             (玄は黒、玄武は亀と蛇の合体した神獣)             

以前から、季節と色の関係、日本独特の色の名、襲(かさね)の色目などに
強い関心はあったが、母の書棚の「色」や「文様」などの本をパラパラと見る程度だった。

母は長い間、学校での課外活動や自宅で茶道教室を開いていたが、
お弟子さんたちのために茶道関係以外に「色」などに関する資料も作っていた。
特に「襲の色目」などは、カラーガイド「日本の伝統色」や色紙(折紙)を切って、
手書きの資料に貼ったりと、(私に似て?不器用なので)いろいろ苦心していた。
 
まだ、ワープロの時代、母の手書き資料作りを私が事務的に手伝っていた時期もあったが、
その後、パソコンで色も取り込めるようになってからは、私自身もはまってしまった。
「日本の伝統色」256色を1枚ずつ、ノートに貼り、自分専用の「色見本帖」を作ったりした。  
   
         3種のカラーガイド

話はとぶが、2年前の春、母のホームドクターを変えた。 前の医院より遠くはなったが、
往診、24時間対応の在宅診療が可能ということが、その一番の理由だった。
 
母に付添って初めてその医院を訪ねたときのことだった。
待合室に入った瞬間、「・・・春先に草や木の葉が萌え出ずる色、萌黄色。
平安時代のころから親しまれてきた色名です。」
とナレーションが聞こえてきた。
テレビ画面に映っていたのは、まさに「萌黄色」の芽吹き、そして猫柳の「白緑」・・・。
それは四季の移り変わりを、音と映像で穏やかに辿るDVDのようだった。
このDVDと出逢った感激は今でも忘れられない。
沈んだ雰囲気の待合室にこういった配慮をしてくれる医院があることも嬉しかった。

         左後方は図書館の本 手前3冊は母の本とDVD

1年前から我が家にもあるDVDで、久しぶりに「色彩浴」をしてみようかと思う。        
        
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3階建の新居完成

2008年10月06日
秋晴れのある日、子猫たちは南側で日向ぼっこ。       
最近、この場所は主に5月生れの猫たちに占拠されているようだ。 

       ここなら寝ぼけて落ちる心配もないし・・・

9月初めから、南側のデッキの上だった猫たちの食堂?を物置前の軒下に移したが、
食事時間にこの場所までとんでくるのは子猫たちばかり。
チビチャトランも玄関前から動かず、持ってきてもらうのを待っているようだった。
実際、いつになっても片付かないので、毎回玄関前まで運ばざるを得なかった。

9月末、かねてからごんさんに特注した3階建ての家が完成した。
各階に絨毯ならぬ端布を敷いて、これを食堂?の井戸の横に設置した。
最初なかなか入らないので、試しに餌の皿を中に入れることにしたら、
子猫たちは真っ先に入って待つようになった。

        アミは2階 トラは1階

やはり、猫は寒がりなのだろう、
たまに覗くと子猫たちは昼間でもこの中で寝ていることがある。
ちょうどお勝手の窓を開けると、この3階建ての家が見えるように置いたので、
これから寒くなったり、雨が降ったりした時は、
この窓から直接餌をやれる方法がないかと思案中である。

       もう、ごはんの時間?

さっき見た時は2階に子猫2匹が入っていたが、いつのまにか、
2匹は2階、3階と分かれて寝ていた。
1階には来月1歳になるケシが入っていた。
窓を開けると、まず、アミが出てきた。次にケシが出てきたが、
トラは2階で動かず、何事かと様子を窺っている模様。

        ん、ごはんだって?

この猫たちは飼い猫ではなく、ノラ猫だったはずだったが・・・。
この生活の変化は、チビが母親になり、この庭を子育ての場に選んだときから始まった。
朝夕の食事、快適な住まい、遊び場、学校・・・そして自由があること、
この待遇は飼い猫以上かもしれない。
ちなみにチビは今年7月に何とか捕獲して避妊手術を施したが、
先週、お向かいのさいとうさんはチビの妹(ターノの母親)の捕獲に失敗。
ターノミケは残ったようだが、あとの猫たちは姿を消したという。(ネコしょうかい 親戚)

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天の井戸

2008年10月05日
18年前の家の解体後、ポツンと残された井戸。
ほとんどの樹木と庭石は、解体から新居完成までの間、2回の引越しを経験したが、
この井戸だけは昔と同じ場所、母屋と物置の間にあり、
猫たちが物置の屋根に上る時の踏み台になっているようだ。
               残された井戸
ここの水は飲用には不適だったが、夏の水撒きなどには十分役立っていた。
が、10年くらい前から、近くに何棟ものマンションが建つようになり、
そのせいかどうか定かではないが、まもなく涸れてしまった。

井戸といえばそれに関連して思い出した。
話は突然、変わることになるが、
7年前の春、3回目の中国スケッチ旅行で黄山の山頂に1泊後、「安徽古村落」を訪れた。
「井戸」という言葉から「天井」を連想するようになったのは、この時からだ。

「徽州民居」といわれる民家の特徴は、その棟の中央部分に、
空に向って開かれた「天の井戸」つまり「天井」という狭い光庭を持つのが特徴。
単に採光と通風のためばかりでなく、天井と堂(1階の部屋)の間には
壁や建具などの仕切りは一切なく、ここは家事や仕事をする場ともなっている。

西逓村  南屏村 ここは映画「菊豆」の撮影が行われた民家

西逓村、宏村、そして南屏村、ここでは映画の撮影なども行われたりしたようだが、
当時はまだ、安徽古村落を訪れる外国人観光客が少なかったせいか、
スケッチブックを持ってキョロキョロしながら村中を歩き回る人間は敬遠された。
扉の外で腰掛けてお喋りしている人を描こうとスケッチブックを構えると、
サッと、中へ入ってしまったり、眼が合うとうつむいて足早に去ってしまったり。
どこだったか、立派な門からちょっと中を窺ったその瞬間、お茶をかけられたこともあった。

中国へはその後も各地を訪問し、スケッチブック持ってウロウロしたが、
中でも、この地の古村落がもっとも観光から縁遠い村だったように思う。
あの時は、この村に入るのに「外国人旅行証」が必要だった。 今はどうなのだろうか。
     安徽古村落 宏村 南屏村 西逓村の入村票

この村を去る最後に、犬と猫が気持ちよさそうに寝ている路地をスケッチしたが、
ハッと気づいた時は集合時間まぎわ、迷路のような道を全力疾走で戻ったことを想い出す。
その後、はじめて60号の本画に挑戦。 スケッチには描いた猫はこの画にはいない。

        「午下がり」  60号 日本画

ちなみに、「天井」の語源にはいろいろな説がある。 木材を井の形に組んだからとか、
囲炉裏の上の井の字形の火棚に似ているからとか、天の井戸という仏教用語に由来するなど。
中国・中国の旅 | Comments(0)

学校と猫

2008年10月04日
運動会のシーズンになった。
今日は幼稚園年中組の孫、りんりんの運動会、最初の1時間だけ見て早々に引上げてきた。
かけっこではトラックのカーブ地点にしゃがみこんで好位置を確保したものの、
いよいよスタートという時に、カメラに「バッテリーを充電してください」という文字が!
なんと迂闊なことかと悔やみながら、しっかり見ようと顔を上げると、
4人がすでに走り出していて、りんりんはと見ると、観客席をみていた。
先生に促されひとり遅いスタート、アウトコースを悠然と走って来た。
その後のレースでも、靴が脱げてかなり遅れてゴールした子もいたりして・・・。

来週の土曜日は孫娘ゆうゆうが通う保育園の運動会だというが、
こちらは電車で1時間のところなので、気が向いたら行こうかと思っている。

先週の土曜日だったか、朝から近くの小学生の姉弟が、手づくりの「ネコじゃらし紐」で
お向かいの猫とアプローチに出ていたアミたちと遊び出した。(大きくなって

        手づくりネコじゃらしで遊ぶアミ ケシは見守るだけ

ちょうど帰宅したところだったが、気がつくと私も彼らの仲間に加わっていた。
「何年生?」から始まって「今日はお休み?」「今、何クラスあるの?」などなどと、
なぜか、学校のことばかりを質問してしまった。 
姉が3年生、弟が1年生だということは聞いたが、彼らの名前は聞かず仕舞い。

        アミ、トラ、後方はお向かいのターノ

隔週と思っていた土曜日の休みが毎週だったと知らなかったことはともかく、
彼らの小学校が全学年共2クラスしかなく、しかも1クラス30人足らずだと聞いて、
信じられなかった。 いくら少子化、少子化と言いながらも、それほどとは・・・。
その学校は、かつて娘も通ったところだが、確か1学年4クラス、各組40人程度だった。

この姉弟以外にも、子供たちが外で遊んでいるのをよく見かける。
このあたりで、交通量の少ない道路が遊び場となるのは仕方ないのだろう。
午後になると、子供たちと猫たちで、とても活気のある通りになる。

   上には何があるのかななんだ、何もなかった

一方、わが庭に籍をおく子猫たちの学校は、車の来ない安全な庭の中にある。
この庭は住まいであり、学校であり、遊び場でもあるという恵まれた環境である。
最近は、チビチャトランも食事の時にしか現れず、
兄姉たちも昼間はどこかに出かけるようになった。
子猫たちの学校ではどうやら自習時間が多いようだ。   
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庄内の旅

2008年10月03日
11月末のグループ展に「鳥海山」の本画を出品することに決めて、先週、雨降りの日を
選んで、ベニヤパネルに紙を貼った。

2000年の夏から3年の間、山形(山形市と酒田市)に単身赴任していたごんさんのアパートを
拠点にして1人で庄内各地をスケッチをして廻ったが、とりわけ鳥海山を描くことが多かった。
酒田、鶴岡、遊佐など山形県側から、秋田県側では象潟や羽後本荘から描いた中から、
晩秋の鳥海山(山形県砂越)と春の鳥海山(秋田県象潟付近)の2点を選んだ。
小品とはいえ、2ヶ月もないので間に合うだろうか、少々、心配だ。

2000年の晩秋、先輩3人を案内して、2泊3日の庄内の旅をしたことがある。
初日、新幹線で山形まで行き、左沢(あてらざわ)線の寒河江(さがえ)で下車。
寒河江川に架かる橋から月山をスケッチして、由緒ある古刹、慈恩寺を訪ねた。 
            寒河江 慈恩寺三重塔

そして、寒河江に1泊、2日目羽黒山、3日目は鳥海山を描く予定でいたが、             
3日目の天気が怪しくなったので、急遽、鳥海山の予定を2日目に繰り上げることにした。
結果、この計画変更は図にあたり、うまい具合に皆さんの希望を満たすことが出来た。

さて、翌朝、寒河江から酒田へ高速バスで移動。酒田駅で教えてもらった美味しいお蕎麦で
腹ごしらえをし、鳥海山が一望できるという砂越へタクシーでむかった。

そこでは「白鳥の落穂拾いが見られるかもしれない。」ということだった。あいにく
白鳥はいなかったが、雪化粧を始めた鳥海山、稲刈の終った広々とした田圃を前にして、
しばし茫然、感激一入であった。
   
     晩秋の鳥海山 砂越

鳥海山のスケッチを終え、その日の宿遊佐に向う途中、吹浦漁港へ寄って1枚描いた。
そこでは1枚描いただけで、その後、何回か訪れた十六羅漢岩までは案内できなかった。
漁港の向こうに見える鳥海山は、昼過ぎに砂越で見た山とは全く別の山のようだった。
鳥海山麓から遊佐町を流れてこの吹浦で日本海に注ぐ月光川(がっこうがわ)では、
明治時代より鮭の人工孵化が行われているとのこと。
4年前に放流した鮭たちが北洋の旅を終えて、故郷の月光川に戻って来るのだという。
スケッチしている間、バシバシャと鮭のはねる音がしていた。

この旅からちょうど6年経った晩秋、最年長のとても元気だったHさんが突然亡くなった。
鳥海山が描きたいと言ったKさんは、今、ご主人ともども闘病中。
羽黒山の五重塔を描いたKさんは、ご主人の介護で忙しい毎日。
「楽しい旅だったわね。また、4人で行きましょう。」そんな約束をしていたが、
それは果たせなくなってしまった。

    鳥海山と月光川が注ぐ吹浦

その後、2003年の秋にも、絵の会の仲間4人と3泊4日の庄内の旅をした。
翌年にはごんさんが単身赴任生活にピリオドを打ったこともあり、
これが最後の庄内、いや、東北の旅となった。

      秋の鳥海山 遊佐付近

この鳥海山は吹浦に行く途中からのスケッチ。 日付は10月8日、ちょうど今頃だ。
この旅では、レンタカーを利用したので、好きなところに好きなだけいられたのがよかった。
念願だった「日本海に沈む夕日」を吹浦でとうとうみることが出来た。(水平線から16km)

       日本海に沈む夕日
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