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出逢いの楽しみ

2008年11月30日
昨日、4回目のグループ展が終わった。 
11人の仲間で協力し合い、和気藹々、とてもいい展覧会だった。 
メンバーの最高齢者は84歳のKさん、最年少は・・・? 

    「秋の広河原」「秋明菊」「リュトンの馬」「木蓮」
     日本画は風景、花、静物など、4号から30号まで 16点。 
 
Kさんの作品「リュトンの馬」は、トウハク(東京国立博物館)でスケッチした酒器と、
ご自分の帯とを組み合わせたものだそうだ。 酒器の赤い線と帯の色とレモンの色が
効いていて何ともいえない雰囲気。

「リュトン」というのは、地名なのか、何なのか・・・と誰にもわからなかった。
Aさんが画廊の美術雑誌で、今年のリュトンの展覧会に関する記事を偶然、見つけたことで、
リュトンとは、古代オリエント、ギリシャなどの典型的な酒器だということがわかった。 
この種の器の起源は古く、新石器時代の動物形の器や角形の器にさかのぼるという。 
リュトンは古代ギリシアの「流れる」を意味する言葉に由来し、聖なる動物、牡羊、山羊、
ライオン、鹿、馬、山猫などの形をしているものが多いとのこと。
近いうちにトウハクに行って、ほかのリュトンにも逢いたくなった。 

      「三浦三崎」「チューリップ」「山古志村」
       水彩、ガッシュ、アクリルなど19点 個性豊かな作品揃い。

自分の作品を展示するときに、いつも思うのだが、
作品が出来たときは最初のステップ、飾り付けが終わって2つ目のステップ。
そして会期中、見慣れた自分の絵を、見る位置や気持ちに少し距離を置いてみたり、
また、アドバイスや感想を頂いたりすることが、3つ目のステップだと思う。 
力不足を痛感したり、逆に、よいところを見つけたり、自分の絵を客観的にみることは、
ステップアップの貴重な機会だと思うのだが・・・。

いつも満足のいく作品は出来ず、むしろ満足できないから、再び・・・と思うのかもしれない。 
ジャンプしたいと思うことが、次のステップへの原動力になるような気がする。
この会期が始まる前は考えてもいなかった次期の展覧会を、2年後の11月中旬と決めた。
さて、ぼやっとしていると、2年なんてあっという間に経ってしまう。 

      「鳥海山」「白秋」
       「鳥海山」 ダブルサム        「白秋」 20号
       秋田県象潟付近 (上)        (ジュズダマ)
       山形県酒田付近 (下)  

Aさんは、「なかなか会えない方、メール上の友人・知人が来てくださるので、
絵はともかく、そういう方たちといろいろおしゃべりするのが楽しい」とおっしゃる。

今回、私も高校時代の同級生が4人も訪ねて来られるという出来事があった。
実は、今年になって、突然、Yさんから「旅のお誘い」が舞い込み、卒業以来、学校とも
同級生ともまったく交流のなかった私にも、メールの「通信」を送って下さるようになった。
高校は女子高、5クラスあったが、高3時の担任のお顔とお名前だけは覚えていたものの、
クラス替えがあったりで、自分が何組だったかも覚えていない有様だった。

秋の旅は残念ながら欠席したが、「展覧会を前に、きっとヒーヒーいっているころ・・・」
などと言う理由でお断りしたこともあって、展覧会の案内を差し上げることにした。
こうして、Yさんのお陰で数十年ぶりの再会ができたのも、Aさんの言ではないが、
展覧会場は時に同窓会場にも変わるということだろう。 


いろんな意味で絵を描いていてよかったと、つくづく思った、今回のグループ展だった。
「F先生、第2回展から第4回展まで、何とか頑張ることができましたよ!」 (「迎えた初日」)
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枇杷の花

2008年11月29日
      枇杷の花  バラ科
              学名  Eriobotrya japonica
              原産  中国 日本
           
          枇杷の花

「ビワ」は葉の形が楽器の琵琶に似ているところから.。 「枇杷」の字は漢名から。
開花時期は11月はじめ頃から12月末頃。
花は白く地味で目立たないが、香りははっきりとしていて遠くまで香る。

翌年5月頃、実をつけて5、6月頃、店頭に並ぶ。
「桃栗3年、柿8年」というが、「ビワは9年でなりかねる」と、実はなかなかできないという。
家の近くの空地にある枇杷の木は、毎年、花は咲くが、実をつけるのは見たことがない。

葉は厚くて固く、薬用になるといわれる。
そういえば、腰痛のときなど、枇杷の葉で湿布するといいと、よくSさんが言っているが、
葉を2枚、産毛のある裏側をこすり合わせて患部に貼るのも効き目があるらしい。

私の腰痛、頚痛、肩凝りは半端ではないが、枇杷の葉の湿布はしたことがない。
身体の悪くないところをさがす方が大変なくらいの私だが、呼吸器系も弱い。 
咳が出始めると、あっという間に気管支炎になってしまう。
去年だったか、中国鍼灸の先生に勧められて、枇杷茶を飲み始めた。
烏龍茶とブレンドしたり、そのまま飲んだり、大きな袋入りの枇杷茶をほとんど飲みきった。
一応の効果はあったということにして、今年もそろそろ、買いにいこうかと思っている。

何年も前、新宿御苑にスケッチに行った時、門を入ったところに、枇杷の枝が落ちていた。 
ちょうど造園業者が枇杷の木の剪定を終え、地面に散った枝を始末しているところだった。
すかさず、「下さい」とお願いして、2枝ほどいただいただろうか。
その後、スケッチをして、お昼を頂いて、電車で枇杷の枝を持ち帰ったはずなのだが、
そのあたりは全く記憶になく、ただ、枇杷の枝が散っていた光景をぼんやりと覚えている。
          
この枇杷の花、勿論、スケッチをして、本画にも描いたのだが、今、見ると、
思いだけが強くて、表現する力、技術がいまだし、だった感じを受ける。
「思い内にあれば、色外に現わる」とはいうが、やはり、絵にするには、感覚や技量が
肝心なのだ・・・。
10号シリーズ、春「ミモザ」、夏「凌霄花」、秋「枇杷の花」まで来て休止状態になった。
       目立たない花

御苑の枇杷の花のスケッチは2月9日の日付、よくみると、花もほとんど終わり、
暖かそうな、まるでフリースのようガクばかりが目立つ。
考えてみれば、剪定のプロが花の盛りの枝を切り落とすはずがないわけだ・・・。

      むく犬はどこに眼ありや枇杷の花     中村草田男
      
      枇杷の花心労いまだ形得ず        長谷川博和

このころのスケッチには、よく日付のほかに俳句を1、2句書きとめている。
ここに、自作の俳句を書き添えられたら、なおいいのだけれど・・・。
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再開の悦び

2008年11月28日
中国語の沈老師が突然、病に倒れ、その治療のため上海に戻られてから、4ヶ月が経った。
その間、何とかして学習会を再開したい(たとえ少しくらい形を変えてでも)と願って、
月に1回程は、同学たちで集まったり、通信を出したりして、交流を続けていた。

先頃頂いた老師のお手紙には、ご自分の病によって、皆、中国語学習をやめないでほしい、
皆が望むなら、優秀な後任老師を推薦する用意もあると、書かれてあった。(「想いだすこと」)

そして、先月、沈老師と同じ大学、日中学院などで教えておられる黄老師を紹介され、
一昨日、お会いするために、私は自由が丘でのスケッチを終えてから、吉祥寺へ向かった。

そういえば、大分以前に、吉祥寺駅から、井の頭公園に歩いて行ったことがあった。
神田川の水源の池の傍にサイカチの木があって、その大きな鞘を拾ったことがあり、
井の頭公園というと、サイカチの豆果を連想してしまう。
サポニンが含まれるサイカチの鞘は石鹸の代わりに使われたということを聞いていたが、
つい、最近、ムクロジの実もシャボン玉をつくるのに適していることを知った。
     
        サイカチと落羽松  
         10数年前の11.28 井の頭公園でスケッチしたサイカチの豆果

一昨日、大学の授業を終えられて駆けつけてくださった黄老師と、吉祥寺駅近くのホテルで、
初めてお目にかかることができた。 沈老師の奥様Mさんも同席していただいた。
中国語学習会の同学13人中、私を含めて女性の同学4人が出席した。

黄老師は10年前に来日されたが、それまでは北京大学で言語学を、留学生には中国語を
教えていらしたそうだ。 
来年の1月からのスケジュールを決めたあとは、中国語と日本語の雑談に。
「百聞不如一見」百聞は一見に如かず・・・。
「和藹可親」(穏やかで親しみやすい)の黄老師のお人柄に、今までの漠然とした不安は消えた。

ホテルを出た5時過ぎ、すでに暗かったが、イルミネーションで照らされた道を歩きながら、
来年から、いえ、今夜から、「心機一転」、意欲が沸いてきたように感じた。

      吉祥寺駅前

帰宅後、欠席の同学9人に、Sさん、Fさんと3人で手分けをして電話連絡。
報告を兼ねた来週の忘年会のこと、そして来年の授業開始の日時を伝えた。

すでに予定が入っていた同学2人は予定を変更して出席することに。
来年の最初の授業も出席できるという連絡が今朝までに続々と入った。
新潟で父上の看病中のKさんのほか、ほぼ全員出席か! 

Fさんからのメールが入った。 「すごい、やったあ!!」 
上海の沈老師もきっと喜んで下さることだろう。 多謝、多謝!
中国・中国の旅 | Comments(0)

超ミニの運河

2008年11月27日
今月の月1回のスケッチ会は、東急線の自由が丘周辺。 今日は4人、いつもより少なかった。
最近はどこの通りを歩いても、お洒落な店があって、つい、立ち止まってしまい、通行の
邪魔になってしまうこともある。 この街はお洒落な店も増えたが、相変わらず人も多い。
街の至るところに、クリスマスツリーが飾られていた。 
クリスマスまで、あとひと月。 そして、多忙だった今年も終わることになる。

          お菓子屋さんのツリー   ジュエリー店のツリー

駅から少し離れた神社の脇にもお洒落な店があったり、6つの店がある「ラ・ヴィータ」には
運河も再現され、カバーで覆われてはいたがゴンドラがあったりして、さながらベニスを模した
ミニ・テーマパークのようだった。
 
        運河と橋

ここでスケッチを始めたが、どうも建物は苦手だ。 
色鉛筆で簡単に彩色、1時間で切り上げてしまった。

         江南の運河 click!
                
ベニスどころか、中国以外は外国に行ったことのない私だが、
青い空と運河・・・から、イタリアを旅してみたいというより、
中国江南の水郷、周庄や同里などの風景を想い出して、再訪したくなった。       
絵画・博物館 | Comments(0)

戻ってみたら・・・

2008年11月26日
ひと月前から始まった建替え工事の音がうるさかったのか、
しばらく姿をみせなかったチャトランが、久しぶりに戻ってきた。

    どうしたことだろう

けれども、そこは異境の地・・・。
すでに日向ぼっこをする芝生も、爪を研ぐ夏椿や白梅の樹もなくなっていた。
もう、どんな庭だったか思いだせないほどの大変貌。
何たることか! 茫然とするチャトラン。           この庭どこへ・・・
     これからどうなるのだろう
この日以来、チャトランの姿をみていない。
動物など | Comments(0)

鳥海山と象潟

2008年11月25日
吹浦や遊佐(フクラやユザ)はきいたことがなくても、
キサカタという地名を知らないという人は少ないのではないだろうか。
象潟は「奥の細道」でも有名だが、芭蕉は1689年6月酒田から山を越え、
磯伝いに歩き、象潟に着いたと記している。
九十九島、八十八潟などが景勝地となり、「東の松島、西の象潟」と呼ばれ、
「奥の細道」では、「松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し」と評された。
「象潟や雨に西施がねぶの花」という有名な芭蕉の句は、象潟の蚶満寺で詠まれた。

芭蕉の前にも、百人一首の「嵐ふく三室の山のもみぢ葉は立田の川の錦なりけり」
で知られる能因法師、12世紀には西行法師、また、沢庵禅師なども象潟を訪れた。
実際、この地に建てられた句碑は芭蕉を含めて18、歌碑は8という。

       象潟 九十九島 click! 5月    
       
しかし、芭蕉がこの地を訪れてから1世紀後、大地震で象潟の地形は激変した。
そもそも、象潟の島々は、何千年も昔、鳥海山の噴火によってできたといわれ、
1802年の象潟地震で、鳥海山の西側の地盤が2.4mも隆起して、
海だったところが陸地になり、島は平野に点在する丘になった。
現在は、100を超える大小様々な島が点在して、田植えの季節になり水が張られた
水田に、これらの小山が映り、芭蕉のころの象潟の風景がよみがえる。

           九十九島の田植え 秋には「あきたこまち」が実る

2001年のお盆休み、山形市に単身赴任中のごんさんと、遊佐、象潟、新庄、朝日村などを
レンタカーで回ったことがあった。 暑くはあったし、運転するのも、絵を描くのも私だけで、
非常に疲れたが、今、考えると、最上川沿いに山形県を横断、秋田県境までの広範囲を
効率良く回った旅だった。 
その後、お盆休みにもひとりで、あちこちへ行ったが、鉄道も不便、バスは間引かれていて、
タクシーは出払っている・・・という悲惨な交通事情を体験した。

この夏の象潟の印象は薄く、初めて象潟に行ったのは翌年の5月だと、ずっと思っていた。
5月の田植えの時期、九十九島の水田に映る残雪の鳥海山は素晴らしかった。
このときは、ひとりで、鳥海山と月山が前後に見える場所でスケッチしたり、
芭蕉になった気分で最上川の船下り区間を歩いたりした。(俳句の方は残念ながら・・・)
やはり、庄内の5月はいい季節だ。

      五月雨を集めて早し最上川 芭蕉 
             陸羽西線 最上川ライン車窓より 

毎回、盆暮れとも「おはよう庄内」のおトク切符を使ったが、5月の連休でも、指定も1枚なら
案外取れることがわかり、翌年から5月も庄内へ行くことにした。 (「鳥海山と飛島」)
だが、結局、これは翌年の1回かぎりで終わってしまった。 
暮れには、孫のりんりんが生まれ、2004年4月、ごんさんは東京へ戻ってきた。

      秋の鳥海山

2003年の10月、絵の仲間4人と行った庄内の旅が最後になった。(「秋の庄内」)
象潟では、丘になっている駒留島から、鳥海山をスケッチした。
このときの、島々の紅葉と、たくさんの稲架と刈取られたあとの田、
その向うに聳える、まだ雪を冠っていない鳥海山の姿が忘れられない。
旅・散策・イベント | Comments(0)

迎えた初日

2008年11月24日
今日、4回目のグループ展の初日を迎えた。
前回の展覧会と、顔ぶれは少し変わったが、11名それぞれが個性豊かな作品、
日本画、水彩画、アクリル、パステル、ガッシュなど、35点を出品した。

F先生が銀座に画廊をオープンされてまもなく、第1回目の展覧会を開いた。
先生にもアドバイスをいただいて、デッサン教室ならではの「人物、鳥剥製などのデッサン」や
「扇面色紙屏風」なども展示したりと、とてもユニークないい企画だった。

     手づくり屏風

2回目は、F先生が急逝された10日後、ショックと悲しみの中の展覧会だった。
先生は私たちの展覧会を楽しみにしておいでだったので、
きっとどこかで見て下さると思いながら、何とか頑張って展示をした。
会期の途中、私はギックリ腰になってしまい、当番を代わってもらって、家まで辿りついた。
私のギックリ腰は、2日くらいで治まったような記憶があるが、そのお陰で、鍼灸や整体など、
より熱心に通うようになって、自分の身体を過信しないようになった。

その後、F先生の画廊も閉じられ、先生の遺作展をお手伝いさせて頂く機会があったが、
とうとう、ほんとうのお別れが来たような気がしたものだ。
幸い、F先生のデッサン教室時代の仲間のつながりは途切れずに、スケッチに行ったり、
集まって絵を描いたりもしていたので、3回目の展覧会をやることになった。
いい会場がみつかって、第3回のグループ展はちょうど2年前の今頃だった。

そして、4回目の展覧会には、私は4点、すべて今年描いた日本画を出品することが出来た。
「朱夏」は、河骨の花、「白秋」は数珠玉、どちらも20号。
「鳥海山」は、晩秋と春の2点。               (「鳥海山の雪」)
これは上のスケッチをもとに、ダブルサム(サムホールの2倍)で描いた。

         
       鳥海山 晩秋  
        鳥海山 晩秋のスケッチ   山形県(酒田市砂越付近)
       
       鳥海山 春   
        鳥海山 春のスケッチ(一部) 秋田県(象潟 獅子鼻湿原付近)


鳥海山は「出羽富士」とも言われるが、どうやら、これは秋田県側からの呼び名で、
山形県では「鳥海富士」というようだ。
こういった郷土富士は姿が富士山と似ている北海道の羊蹄山(蝦夷富士)、青森県の岩木山
(津軽富士)など、全国各地にある。 また、その地の代表的な山を○○富士と呼ぶが、
何といっても鳥海山が雪を冠った姿は富士山とよく似ている。
ほぼ完成した秋の鳥海山の本画をみて、孫のりんりんが「あっ、フジサンだ!」と言ったのが、
なぜか、嬉しかった。
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けやき

2008年11月23日
けやき いろいろ
              ガス橋通り 11.5
          美術館の中庭 11.13

      プラザ前 11.18  
    
             川崎駅付近 11.21 10:00

頼まれたクリスマスカードを作るための紙を買いに川崎のヨドバシカメラまで。 
川崎にはビックカメラもあるが、9時半に開店の、この店を利用することが多い。  
「11時に長津田」との約束に充分間に合うので、横浜線の各駅停車でのんびり行くことにした。
途中、十日市場と中山駅の間、車窓から眼に入ったのは、刈り取られた田と稲架。
何だか随分遠くに来たような気分になった。

モミジの紅葉もイチョウの黄葉もいいが、日毎に色づいていくケヤキの下を通るのは楽しい。
気に入った桜の樹を自分の木と決めて、毎年、その樹に逢いに行くという話をよくきくが、
私はどこのケヤキでもいい、その樹を見上げながら、ゆっくりとその下を通るのもいいし、
微妙に違う色をみせる何本かのケヤキを遠くから眺めるのもいい。

       kondo.jpg
       我が家の2階からみえるケヤキ。
               崖の下から、同じケヤキをみると・・・。 
               崖下から 

そういえば、桜や紅葉の季節に遠くまで出かけて、お花見や紅葉狩りの旅をしたことが
ないことに気がついた。 
スケッチに行った先で、山の中にひっそりと咲く桜や素晴らしい紅葉に出遇うことはあったが。
どちらかというと、武蔵野の雑木林が残る野川付近を散策したり、街の中のプラタナスや
ケヤキ、桜の葉の色やグラデーションを眺めることの方が、より深く秋を満喫できるような
気がしている。

ドングリ拾いも終わり、晩秋になっても、外に出ると、上を見上げたり、
俯いて足許に眼をやったりで、相変わらず私は忙しい。 
ケヤキの葉の間からみえる空も、道端に吹き寄せられた桜の落葉も美しいと思う。
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呉さんのこと

2008年11月22日
農大の収穫祭に行ったころから、およそ4年が経った。 
その間に、張さんの甥たちはすでに中国に戻って就職し、 2人ともパパになったと聞いた。

また、呉さんは、大学院にすすみ、只今農業経済学専攻の博士課程3年生に在学中。
2年前に大学時代の同級生だった林さんと結婚し、群馬県沼田市にある農業関係の
会社に勤めている。
アモイでの呉さんの結婚披露宴には、会社関係の数人の方と私と中国語同学Kさんなど、
日本人総勢9人がお祝いに駆けつけた。
   
        披露宴の準備
       「新郎 呉・・ 新娘 林・・ 結婚慶典 来賓 請上21楼」
       (来賓の方は21階までおあがり下さい)と書く呉さんの父上。
       その後、この紙はホテルのロビーに置かれた。

中国では特に儀式というものをしない。 親戚や友人たちがたくさん集まって、
2人をお祝いするのが一般的だが、呉さんは、日本的なところも取り入れたいということで、
日本から招いた社長や友人の祝辞などもあった。

私も突然、「日本のお母さん」と紹介され、挨拶することになり、
中国語で話す折角の機会だったが、ほとんど日本語で話してしまった。
内容はほとんど忘れたが、「只今、呉さんの日本のお母さんと紹介されましたが、
お母さんではなく、お姉さんだと思っています」と言ったことだけは覚えている。
翌日、呉さんが私の息子よりずっと若いということに気がついたのだが・・・。

当時、収穫祭の「中国人学友会」会長と紹介された周さんが通訳をしてくれた。
中国人の結婚披露宴に出席したのはこのときが2度目だったが、この披露宴は
2人の結婚を祝うという、ほんとうに肩の凝らない楽しい時間となった。

昨年7月、呉さんと林さんは、男の子のパパとママになり、その子をU君と名づけた。
「日本の母」が頭にあったわけでもないが、中国語同学のSさんと一緒に
孫のりんりんを連れて、沼田の病院まで駆けつけ、生れたばかりの赤ちゃんと対面した。

        U君と対面

アモイの大学で会計学を学んだという林さんは、日本に来てからまもなく、小学1年生の
クラスで日本語を学びながら、社長の計らいで、呉さんと同じ会社で経理の仕事に就いた。
まだまだ、日本語が自由でない林さんが、中国を離れて出産、育児をするということは、
並大抵のことではなかっただろう。

呉さんには6人の姉があり、そのうち、3人が日本人と結婚して東京に住んでいるが、
U君が生れてから少しの間は、一番上のお姉さんに手伝ってもらったものの、
披露宴後、一度も中国へ帰らずに、日本で子育てに、仕事にと励んでいる。

早いもので、U君は1歳4ヶ月。 「歩けるようになった」と大喜びの呉さんから、
頼まれている年賀状をそろそろ作らなくてはと思っている。
       
         アモイ上空

呉さんの父上は、元、高校の先生だったというが、今、学校に通ってパソコン操作を
勉強しておられ、毎日のように送られてくる孫の顔にご満悦だそうだ。
来年1月末の春節には、U君を連れて、結婚以来はじめての里帰りをする。 
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げいじゅつ・・・

2008年11月21日
来年の卒業制作用に美大生のHさんが集めている扇風機は、現在、85台になったそうだ。
「壊れていても構わない」と言って集めているので、配線の不具合がある扇風機もあり、
彼は、その扇風機の修理に秋葉原に行ったそうだ。(「駅までの道」)

彼のメールには、不快感と不便さが自発的なコミュニケーションを促すと信じて作品作りを
やっていると書いてあった。 「僕の作風は不快な空間を作り出すことが柱なので、
扇風機を頂いた方々には申し訳ないのですが、・・・空間に入ったらきっと嫌な気持ちになる
ことと思うのですが、もしそうならなかったら失敗という変な方向性になってます(笑)」
なんだかよく分らないが、百聞は一見に如かず、来年1月の展示が楽しみだ。

前に書いたが、彼は区立の福祉施設で、5月から絵画の時間を担当している。
この施設は、18歳以上の知的障害者が通う「生活介護事業所で、バスの送迎もある。
障害の程度で4つのグループに分けられ、それぞれ、ウォーキングやプール、作業のほかに
お菓子を作ったり、いろいろな活動をしている。
       美術館中庭のケヤキ

先週は、この施設をはじめとした区立の福祉施設、21箇所合同の「障害者アート展」を
見ようと、区立美術館に行った。 
中庭のケヤキは道路から離れていて排気ガスの影響も少ないのか、とても綺麗だった。

会場は明るく元気一杯な作品がずらりと並んでいた。
彼が担当するコーナーは、渦巻模様など、たくさんのカラフルな絵が目立っていた。
     カラフルな作品
作品の左横に彼の文が書いてあった。 彼の扇風機集め、子どもフェスティバル、そして、
絵画指導ボランティアとが繋がるような気がしたので、(「やじうま的探究心」)
少し長いが、以下に書いてみる(一部省略)。

「うちの子、ぐるぐるしか描かないんです。
でも、子供の頃は点々と線ばかり描いていました。」
会話はここから始まった。 「家では全く描かないんで・・・うちの子が何を考えているのか、
自分からはしゃべらないのでわからないんです。」

ほとんどの日本人は、自分と似たような「生活環境」と同等か、
大人のように自分以上の「身体表現能力」を持った人間に囲まれて生活している。 
そのせいもあってか以心伝心よろしく、相手と真正面から話さなくても、
自分の意思をきちんと示さなくても何となく伝わるはずだと信じている。

しかし、この親子の間には、その前提がない。 コミュニケーションの多様性を信じ、
絵画を通して相手の意思を読み取ろうとする試みを始めたばかりの私にとって、
この母親の一言はとても重かった。

我々は彼らの描く絵を見て何かを読み取り、或は理解し、彼らとコミュニケーションをとる
ことができるだろうか。「げいじゅつ」という名を借りた「曖昧さ」から一歩離れた時、
彼らとのコミュニケーションの可能性を探ることがやっとできそうである。
  
         
        グルグル

私は彼にお誘いを受け、この施設の見学を申し出た。
この日、一緒に見学するはずの友人が、家族の急病で急に来られなくなったので、
私1人、職員に施設内を案内された後、絵画活動に参加したが、
私はこの「ぐるぐる」の子ども(20代後半くらいか)の斜向いに坐った。 

同席の3人とも恐らく自閉症だろう。 学生時代、自閉症の子どもは何人もみていたが、
自閉症の大人と接するのははじめてだった。
「絵を描く」ことを通して、少なくとも、「うずまきの彼」以外の2人とは、コミュニケーションが
取れたと感じた。 ちなみに、この日は7人に対し、職員3人とHさんで対応。
月に2回、1時間の「絵画の時間」。 来月も彼らに会いに行きたくなった。    
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鳥海山と羅漢岩

2008年11月20日
山形県の吹浦駅から北西に約1km、岩礁に刻まれた「十六羅漢岩」がある。
吹浦の海禅寺の寛海和尚が、日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と
海上の安全を祈り、5年の歳月をかけて明治元年、磨崖仏を完工した。
その昔、鳥海山の火口から日本海まで流れ出た溶岩に刻まれたもので、
十六羅漢のほか、釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢菩薩、観音、舎利仏、目連の
三像を合わせて22体といわれる。   
 
       羅漢岩と日本海

はじめての出逢いは8年前の夏。それぞれ異なる表情や仕草をしていて、
眺めていて飽きなかった。              (「庄内の旅」)                  
翌年の5月、さらにその年の夏、そして4人の仲間と訪れた秋、羅漢さんを
スケッチをしながら日本海に沈む夕日を心ゆくまで堪能した。

        日本海に沈む夕日
  
昔、埼玉県川越にある喜多院の五百羅漢を描きに行ったことがあるが、このときに
「羅漢さんをひとりずつみていくと、自分の親や知っている人に似ている羅漢さんが
1人や2人見つかるものだ」ということを聞いた。
羅漢さんは「修行を完成して尊敬に値する人」「悟りを開いた高僧」を指すというが、
この吹浦の十六羅漢を本画に描いていて、ほぼ中央の「インカダ尊者」のお顔が
亡くなったF先生に似てくるので驚いたことがあった。 
       
       羅漢岩スケッチ click!

羅漢岩のスケッチは、先生が亡くなる1年前の夏のものだが、それを基に
50号の本画を描きはじめたのは、先生が急逝された年の秋だった。
思えば、F先生は画家であり、絵の師匠であり、先生の画廊にお人柄を慕って
集まる人が多く、また、仏教についての造詣が深く、通信教育を受けられたり、
「レポート用紙に万年筆」という独特のスタイルで「般若心経」を写経されていた。 
羅漢さんが似てきたのは、そんな先生を想い出しながら描いていたからだろうか。

吹浦まで行くことは、なかなか難しそうだが、そのうち、川越の喜多院へ行って、
亡くなった父に似た羅漢さんを見つけて来ようかと思っている。                      
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農大収穫祭

2008年11月19日
学園祭のシーズンもそろそろ終わりに近づいた。
5月頃に行われるところもあるが、文化の日前後が最も集中しているようだ。

毎年、この時期に行われる世田谷区の東京農大の収穫祭は、「他大学のタレントによる
集客とは異なり、100%東京農大生によるまじりっけなしのハンドメイド」というだけに、
野菜無料配布をはじめ、利き酒、味噌づくりなどの、ユニークなイベントが多いお祭り。

私は確か4度ほど行ったと思う。 毎回、たくさんのお土産を抱えて帰ってきた。
最初は、張さん(日本語学校卒業後、この大学に進学した中国人)の「日本のお母さん」
としてだった。
この張さんは、私が初めて中国スケッチ旅行をした時にお世話になった張さんの甥の1人だ。
すでに日本語学校生だったもう1人の張さん、つまり、従兄とともに、私は張叔父さんに
彼らの母親代わりを知らないうちに、仰せつかっていたらしい。

張さんたち留学生が、熱々の水餃子、肉饅、春巻などを売る「中国人学友会」は、
農大祭の模擬店の中でも人気があるらしく、私たちが行ったときも長い行列が出来ていた。
中国食品の安全性が問題になっているが、今年の売行きはどうだったのだろう。

この初回は、中国旅行の時のメンバーと一緒に行ったと記憶しているが、
次の年は、1人で行き、テントの後の方でご馳走になっていたとき、1人の留学生が
張さんを訪ねてきた。この人は呉さんとか。
張さんの日本語学校の後輩で、来年春、この農大に入学予定だと紹介されたので、
中国語で簡単な挨拶をした。
お決まりの「貴方は(中国の)どこの方ですか?」と訊いてみると、福建省のアモイだという。
福建省には、私が行きたくてたまらなかった、あの「客家(ハッカ)」の土楼が在る。
それからの会話は日本語交じりで、もっぱら土楼の話。

         円楼と角楼が並ぶ福建省南靖県 click!

呉さんのアパートは、比較的、私の家の近くだということがわかり、
客家の土楼の絵葉書や写真が、家にあるので、今度、見せてくれるということだった。
あのときは、びっくりした。 こんな偶然ってあるだろうかと、かなり興奮した。
          円楼の中庭

その後、彼がアルバイトしている「ミスド」などで、客家の話をしたり、
若い中国語同学と彼の日本語を直してあげたlこともあるし、私の絵のグループ展などを
見に来てもらったりしたこともある。
このころはどちらかというと、私の中国語より、彼の日本語の上達に役立ったと思う。

そうこうするうちに、呉さんも農大生になり、アモイの大学で3年終了しているので、
1年後には卒業、大学院に進学した。
彼が院生になった年、中国語同学5人で「中国人学友会」に押しかけ、
餃子をご馳走になったり、彼の研究室で薔薇花のお茶をご馳走になったりした。

先日、世田谷美術館から用賀駅(東急田園都市線)までバスに乗ったとき、農大の近くを通り、
ふと、あれ以来ご無沙汰している収穫祭のことなどを思い出した。
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さざんか

2008年11月18日
 山茶花   ツバキ科ツバキ(カメリア)属
         学名   Camellia sasanqua
         和名  サザンカ(山茶花)
         別名  岩花火 姫椿 藪山茶花  
         原産   日本
           山茶花
花の少ない晩秋から初冬にかけて咲きはじめ、翌年2月頃まで咲くので長い間楽しめる。
「山茶花」は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は山茶花の
本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれる。
椿の漢名「山茶花」が、いつの頃からかこのサザンカの名前として間違って定着した。
蕾も魅力
           
       山茶花を 雀のこぼす 日和かな     正岡子規

       山茶花の 花や葉の上に 散り映えり   高浜虚子

童謡「たきび」の歌詞がインプットされているせいか、山茶花は垣根といっしょに描きたかった。
幸い、旧宅の門の前には、ちょうど「たきび」の歌のように、曲り角まで垣根があって、
この時期には、山茶花と茶の花が咲いていた。 焚き火はみたことがなかったが・・・。
   
           サザンカのスケッチ click!
 
山茶花と垣根のスケッチは、たった、1枚しか残っていないところをみると、どうやら、
垣根があまりに近過ぎて、描いている時にだれかに声かけられるのも嫌だったし、
また、いつでも描けると思っていたからだろう。
いつの間にか、そこは空地になり、今は、さいとうさんのお宅、さらに一軒が建っている。
          茶の花
茶の花は、中国原産。 山茶花や椿の仲間だが、開花時期は10月はじめから11月。
俯き加減に咲く小さめの花は、葉に隠れてあまり目立たないが、あちこちにある。

椿とも似ていて、花びらが散るのが山茶花、ボトリと落ちるのが椿、という
見わけ方くらいしか、知らなかったが、調べてみると、他にもいろいろ違いがあった。

          サザンカ              ツバキ
 花      5~7cm 平開 芳香あり      3~10cm  平開しない 芳香なし
 雄しべ    筒状にならない           筒状になる  
 落花     ばらばらに散る           首から落ちる 
 葉縁     ギザギザ(鋸歯)           ギザギザがない    
 実       表面に毛がある 油採取可    表面はツルツル 油採取可
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年賀状を作る

2008年11月17日
昨日は珍しく家に居て、溜まっていることを片付けようと、朝からパソコンの前にいた。
まず、絵の友人から預かった日本画2点を、年賀状用として取り込む作業に着手した。

日本画といっても、昔のように表装することは少なく、たいていは1cm厚さの木製パネルに
和紙が張られたものなので、大きい場合は、我が家のスキャナーでは間に合わない。
もっとも、大きい絵でも、何回かに分けてスキャンし、パソコン上で張り合せれば、理屈上は
可能で、実際、6つの部分をまるでパズルのように張り合わせて作ったこともあった。
しかし、原画が大きく厚い場合はほとんどカメラに頼るこ方が多い。

パソコン上で出来たと思っても、試しにプリントしてみると、原画と同じような色が出ていない。
院展や日展の会場で販売されている絵葉書や図録でさえも、そっくりな色が出ている
写真は少ない・・・と妥協点を求めつつ、何度も色を調整する。
少なくとも、自分の眼で「そっくり!」といえるまでと、やり続けてしまった。
猫のアミの涙目がうつったかのように、両目とも不快感を感じてやっと切り上げたときは、
もう、夕方になっていた。 5時の食事時間、アミの眼は薬が効いたのかよくなっていた。

何人もの方から預かった絵は、その年に描かれた花の水彩画が断然多いが、
毎年、風景画シリーズを描きつづけておられるのは、男性2人だ。 
Mさんは都内と横浜市の公園、多摩川の近くに住むKさんは、多摩川の風景。

           風景シリーズの年賀状

最近はパソコン、プリンター、年賀状ソフトなどの普及で、各家庭で簡単に作れるので、
ピーク時には10数件もあった依頼が、大分少なくなってきた。
それでも、絵の原稿や完成した年賀状の発送や受渡しがこの時期に集中するので、
やたらいそがしくなり、自分の年賀状を考える余裕もなくなるのが常だ。

年賀状は、もともと年始の挨拶に行けない人へ元日に書いて出す書状だったというが、
今や、新年のイベントの一つとなってしまった感がある。

何年か前の暮、年末の大掃除もせずに、ごんさん赴任中の山形に、
雪景色を描きたくて行ったことがある。
東京を出る前に、年賀状をプリントして、新幹線の中で宛先を書いたこともあった。 
帰京してから投函してもよかったのだが、やはり、元旦に届いてほしいと思い、
29日か30日くらいに山形市内のポストに入れた記憶がある。

          観音堂

山形市の「芋煮鍋」で有名な馬見ヶ崎川岸に懸崖造の「唐松観音」がある。 
この観音堂は再建されたものだが、寺の歴史は平安時代に遡る程古いという。
2回ほど、それも正月の雪の中を訪れたが、だれとも遇わなかった。
観音堂に初詣して、初描きをした。 このときのクロッキーをもとに「春隣」 を描いた。

          「春隣」30号 click!

ところで、この頃の若い人たちが、携帯メールで新年を祝うことは珍しくないが、
数年前から、毎年、私のパソコンにも、決まった3人から年賀のメールが届くようになった。
すべて中国と関係あるのは偶然だろうか。 以前、習っていた中国語サークル時代の
凌老師とMさん、そして、中国旅行でお世話になって以来の知り合い、張さんからだ。

中国では旧正月は盛大に祝うが、1月1日は単に暦の上の「新年」ということでしかないようだ。
張さんのお世話で江蘇省常州市の大学に超短期留学したときに、新年を迎えたが、
宿舎の部屋で、朱鎔基首相(だったか?、ごめんなさい)の挨拶をテレビでみただけだった。
やはり、中国のお正月は、春節、旧正月なのだ。

ついでながら、この時期になり、住所録を開くと(今はパソコンの中でだが)
思い出すのは さだまさしの「住所録」の最初のフレーズ 
        
     住所録を替える度   消さねばならない人がある
     忘れるはずもない人を   忘れるために消してゆく

     古いノォトを捨てたなら   想い出までも捨て去るようで
     捨てたふりしてひきだしの 二度と開けない場所に置く


今年も「消さねばならない人」があるが、書き加えたい人も数人ある。
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鳥海山と飛島

2008年11月16日
鳥海山に何度か逢いに行ったが、いつも笑顔で迎えてくれたわけではなかった。
ご機嫌ななめで、まったく姿をみせてくれなかったことも、たしか、2度ほどあった。
ごんさんがまだ、山形市に赴任中、高速バスで酒田まで、ひとりで行った夏と、
飛島行きの船上から、日本海に山裾が入っていく姿を探した5月の連休の時だった。

飛島(トビシマ)は、酒田より北西約39kmの沖合いにある山形県唯一の小さな離島。
鳥海国定公園に指定されているこの島付近は、イカ、アワビ、ホタテ、サザエ、トビウオ、
イワガキなどが美味しくて、連休と夏には釣り客で賑わう。

飛島の勝浦港までは、定期観光船「ニュー飛島丸」で1時間半。
アルバムに貼ってある乗船切符をみると、薄れて消えそうだが、
7:20 酒田→勝浦、14:59 勝浦→酒田 と印字されている。
    
     飛島から ウミネコの島 click!

飛島で、鳥海山が背景になるはずの小さなウミネコの島をスケッチして、
持参したサンドウィッチを海辺で食べたほかは、島内を歩き回っていた。
このときは、珍しくごんさんと一緒で、酒田港へ戻って、
港にある海鮮市場で、早めの夕食。 ここで、海の幸を思う存分堪能した。
      
        ウミネコの群れ
        
ついでながら、「飛島」(トビシマ)を検索してみたら、ほかに、三重県、徳島県、長崎県、
宮崎県、岡山県(ヒシマ)などにもあることがわかった。 いずれも小さな島のようだ。
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思わぬ効果

2008年11月15日
夕方、孫のりんりんが久しぶりに泊まりたいといって、蒲団持参でやって来た。
皆が食事を終わっても、彼は大好きな魚を皿に残したまま、いつまでもしゃべりつづけた。
やっと食事を終えると、 「ママ、バイバイ!」と、早くもお泊りモードになって、
興奮していたせいか、普段は8時就寝というのに、蒲団の上でとうとう10時になるまで、
猫の話や幼稚園の話、いろいろとしゃべりつづけていた。
「3つのときはね、英語はアメリカの言葉だと思っていたんだけど、4つになったら、
アメリカに英語をあげたんだって、わかったんだ・・・」と言った途端、寝息をたて始めた。

彼の食べ物の好みは離乳食を卒業した頃から、ほかの子どもたちとすでに違っていた。
卯の花、ひじき、切干し大根は彼のために用意する常備菜で、
ハンバーグなど肉類はまったくと言っていいほど食べず、
逆に、魚であれば、どんな種類でも、どういう調理法であっても大好きだったし、
今でもそれは変わらない。

    帆立貝のスケッチ   

そのうち、魚介類好きはエスカレートして、ホタテ、ウニ、イクラなどが特に好きになった。
毎年夏冬と、北海道に行く度に新鮮な魚介類を味わい、りんりんの祖父の受売りらしいが、
「ウニが好き」などといわずに、「エゾバフンウニが最高」とか、「ムラサキウニは・・・」などと
いうようになった。
生まれも育ちも東京の私には、ウニの種類などどちらでもいいのだが。
彼にとっては、きっと、東京で「電車に乗って高尾山へ行く」とは言わず、
「中央線で行く」というように、或は、「銀座に山手線で?それとも地下鉄銀座線にする?」
などというように、ウニの種類を区分するのは、なんでもない当然の常識なのだろう・・・。

最近は、幼稚園のお弁当のおかげか、相変わらず、肉類はあまり好きではないが、
ハンバーグなども少しは食べるようになり、食わず嫌いだったトマトも克服、
苺などは、むしろ好きなものになったようだ。 
こんにゃく、タケノコ、レンコンなど依然として大好きで、蕎麦は特にとろろ蕎麦に限るとか・・・。 

そんな彼も、来月の5歳の誕生日(30日)に欲しいのは「ゴーオンジャーのベルト」とか、
「エンジン・・・ゴーオンジャー・・・」などと歌ったりするようになった。 
こんなところは、ごく普通の男の子らしい。

話は変わるが、みんみんの母りーりさんの降圧剤をもらいに行ったごんさんが、
昼近く、最後に呼ばれて診察室に入ったとき、(「秋の色」)
T先生が、アメリカの学会発表の英文資料を示して、
「10年くらい前から、子どものコレステロールの上昇と肥満が問題になってきている」と、
今のこどもたちに迫る危機を力説したことがあった。
「うちの孫は肉はほとんど食べず、魚が好きで・・・」と、ごんさんは話したのだという。

昨日もまた、ごんさんT先生につかまり、前回同様、英文資料を見せられながら
力説されたという。 
応答も前回同様に、孫の魚好きを話したので、「それは、いいですね」と言われたそうだ。 
ごんさんは、退職後、半年かけて、食事をコントロールしたり、歩いたりして、
今は、メタボにみえる体型ではないし、自分自身が、患者でもなかったのに。
ちなみに、T先生は40代前半、この日、待合室にはまだ患者さんが待っていたという。
母の血圧手帳をみて、降圧剤の処方を書く以外は、この「こどもの危機」の話で終始した。
「食品成分表 教育図書」と付箋紙に書いて、これを買うようにと渡されたそうだ。

私は、昨日、3週間ほど前に受けた区の健診結果を訊くために、クリニックへ行った。
3年前までは、何項目かが基準値をオーバーしていて、「運動しましょう」と書かれたものだが、
今回意外だったのは、コレステロール値、中性脂肪などが基準値内だったこと。 
特に意識して減らす努力したことはないのに・・・? 
考えられるのは、春、初夏、歩いて図書館に頻繁に通ったことくらいだろうか。
夏からは、ほとんど電車や自転車で行くようになったから、ほんの何ヶ月かのことだ。

  枇杷の花   ピラカンサ
   
図書館への道は、歩きでも自転車でも、季節の移り変りを感じながらの路上観察も兼ねる。  
冷暖房完備の図書館で本を読み、気に入った本は借りて・・・。 
お気に入り図書館から「今日の図書館」を選ぶ、館の前の店で100円ファイルを仕入れる、
そんな愉しみもあって、私の図書館通いは、昨日まで「一石三鳥」か「四鳥」だったが、
コレステロール値抑制効果も加わり、「一石五鳥」といえることが分った。
つれづれ | Comments(0)

やれやれ一安心

2008年11月14日
3泊4日を動物病院で過ごして、トラアミが戻ってきた。(「子猫のうちに」)
トラに咬まれた右掌は幸い、3つのカサブタが残り、押すと少し痛む程度ですんだ。
捕まえられたときの恐怖や怒りはどこへやったのか、
トラは今までよりずっと人馴れして、甘ったれ声を出すようになっていた。

         待つ お腹空いたよ 

      手入れする もう少し広いといいけれど・・・ 

         食べる 落っこちそう

アミは、左が涙目で、風邪が治っていない様子。
食事と一緒に食べた動物病院で処方された薬のせいか、
ほかの猫たちが走り回っていても、3階建の2階でポワ~ンとしていた。

3階建の家は多目的に使われている。 勿論、寝室でもあるわけだが、
昼間は南側のウッドデッキか、ミニ物置の中で寝ていることが多い。
     
最近は、「夕焼け小焼け」のメロディがきこえてくると、さいとうさんのところから
ラスカルターノまでも、やってくるようになった。
特に機敏なラスカルは、追い払おうとするククを巧みにすり抜けてやってくる。
ククケシがいくら頑張っても、彼らより大きくなった男の子のターノの方が強そうだ。
みんなすでに親離れをした従姉弟同士、仲良くすればいいのに・・・と思うのだが、
いずれ、力のある雄が、つまり、ターノがこの庭のリーダーになる日が来るだろう。 
これが、ソト猫の世界のルールのようだ。

      ククの餌を狙うターノ
動物など | Comments(0)

張り紙が起点で

2008年11月13日
図書館の1枚の張り紙から始まった「拡大写本つくり」のボランティア活動が
昨日からスタートした。            (「隔世の感」「無償の支援?」)

図書館の多目的ルームで開かれるミーティングに、新会員として初参加したのだ。
会員が30数名、新入会員が9名だったが、教科書ごとに各自の分担が決められた。
来年の新学期に間に合わせるため、これからがもっとも忙しく大事な時期になる
とのことだった。文字が少ない特殊な教科書などを、パソコンで作られる方もいらした。      
「パソコンで作りたいと思っている方?」と訊かれ、手をあげたのは私だけだったので、
そのYさんに教わりながら、パソコンで作るお手伝いをすることになった。ほとんど
自宅での作業なのだが、Yさんのお宅が幸運な事に我が家の近くということだった。

実をいうと、拡大に限らず、文字を書くのは苦手なので、できれば、この会での作業も、
コピー、製本、整理といったような仕事をさせていただこうと思っていたので、
パソコンが使えることになってよかったと、内心ほっとした。
だが、最後、代表の方に、せっかく講習を受けても、日頃、書いていないと、直ぐに書けなく
なってしまうので、ご自宅でも練習を。 いつでも添削しますと念をおされ、ドキッとした。

昼、図書館から出た途端、今朝の天気予報がはずれ、雨が降り出した。
長くつづくケヤキ並木、秋は特にこの道を通るのが楽しみだ。 ケヤキも色づいてきた。

             ケヤキ並木

ひと月前、「扇風機集めにご協力を」という張り紙がきっかけでご縁ができた、
美大生のHさんに、我が家の分を進呈したり、知り合いに声をかけたりしてあげた。
                            (「駅までの道」「やじ馬的探求心」)

そんな時、「明日、同窓会で九州に行く」という中国語同学Mさんに偶々、その話をした。
数日後、九州から戻ったMさんから、「朗報だよ!」という電話が入った。
何でも、同窓会の後、弟さんの家に寄ったとき、廊下に置かれた扇風機が目に入り、
「要らないなら、頂戴」と交渉してくださったという。 (よくきくと、「要らないわけでもない」
という程度だったらしいが)
そんなこんなで、後日、福岡県八女(ヤメ)市からHさんのもとに扇風機が届いた。
八女はお茶が美味しいだけでなく、人も温かいのかな。                      

余談になるが、父は佐賀県鳥栖(トス)市生れ。その昔、鹿児島本線で鳥栖駅から
40分かけ、八女のお隣、久留米市の中学に通ったらしい。久留米には父の姉の
家があって、この伯母夫妻とは特に親しく、上京してこられた折など、私たち姉妹を
とてもかわいがってくれたことを思い出す。
 
先日、扇風機をもう1台みつけたので、我が家に取りに来てもらうことになった。 
メールに「・・・柿が今年は豊作なのです。甘柿です。もし、柿をお嫌いでなかったら
お持ちしたいのですが、やわらかいのが良いとか、硬いのが良いとか要望など
ございませんか?」という文が添えられていたので、遠慮なく「絵に描きたいので、
葉付きの硬めをいただけたら・・・」と返事をした。

         柿と柿のスケッチ

「柿がモチーフになるのですね!枝つきがあるか確認してみます。ただ、
おじいちゃんが枝を取りたがるので、枝つきがないかもしれません」という彼の
言葉通り、たくさんの柿の実と一緒に葉だけがついた枝3本と、古い扇風機とを
交換することになった。

写真は、何年も前に描いた柿の絵と、今年のもぎたての柿。この柿が小さいのでなく、
スケッチの柿がはるかに実物大を越えている。今年の柿はまだスケッチできていない。
以前、我が家にも柿の木があり、たくさんの実をつけたが、私は何年かかっても
柿は苦手のまま。 でも、ごんさんは大好きです。Hさん、Hさんのお祖父さま、
ご馳走さまです。
つれづれ | Comments(0)

鳥海山の雪

2008年11月12日
鳥海山はもう、初冠雪を迎えたのではないかと思って、ネットで調べてみると、
「鳥海山に初冠雪 昨年より15日早く」、なんと、9月28日に初冠雪を観測したとの記事
が載っていた。(「山形新聞」) 今頃は随分白くなっているだろう。
ちなみに、初冠雪とは、
「一年のうち、雪に覆われる時期とそうでない時期がある山岳において、
夏を過ぎて(その年の最高気温をすぎた後から)初めて山頂に白く積雪ができること。
冬の訪れを推し量る指標として用いられ、日本の気象庁では、気象現象として
約80の山を対象に観測している。」 
(「Wikipedia」)

今日の午後、やっと「鳥海山」の絵に取り掛かり、山に雪を冠せた。
初冬の積雪と、5月の残雪を、同時進行でやろうというのは、間違いかもしれない。
雪が積もりすぎたり、わざとらしくなってしまったり・・・、とにかく難しい。
こういうときには、一旦、筆を置くというのが、鉄則。
午前中、久しぶりに「鍼灸」に行ってスッキリしたはずが、また、肩が凝ってしまった。

「狛犬迷」が何年つづいただろうか、(「狛犬迷だったころ」)
気がつくと、「鳥海山迷」になっていた。
とはいっても、この山に登ることではなく、季節や自分の訪ねた場所、それぞれに
違った顔をみせてくれる「鳥海山」に逢いに行くことに夢中になった。 

キッカケは、山形市、酒田市にごんさんが単身赴任したことだった。(「庄内の旅」)
2000年の夏から3年の間、はじめのうちは盆暮の数日間の庄内の旅だったが、
秋には2度ほど、絵のお仲間を「とっておきの庄内スケッチ・スポット」までご案内した。

ところで、「日本の百名山」(深田久弥 著)には、鳥海山は18番目に書かれている。 
50年近い登山歴のある著者が選んだ、北は利尻岳から、南は宮ノ浦岳まで、
100の山々について書かれた紀行文的ガイドブック。
山の写真、地図が載せられているだけでなく、歴史や俳句・短歌にも触れられているので、
登山とは縁のない私が読んでも興味深い。

鳥海山の標高は2237m、山頂は山形県。東北地方では最高の山だが、
「わが国の中部へ持ってくると、決してその高さを誇るわけには行かぬ。
しかしその高さは海ぎわから盛り上がっている。やまの裾は海に没している。つまり
われわれはその足元から直ちに二二四〇米を仰ぐのであるから、これは信州で
日本アルプスを仰ぐのに劣らない」


鳥海山のいろいろな顔
思いついて、鳥海山付近の鉄道路線と、主なスケッチ場所のA4の写真集を出してみた。

日本海に沿って羽越本線を南から 
   鶴岡、余目、砂越、酒田、南鳥海、遊佐付近までは最高峰の新山が右側にみえる。
   吹浦までは山形県、象潟は秋田県、新山は左側にみえる。
鳥海山麓線で羽後本荘から山に近づくと、富士山のような新山が手前にくる。
最上川に沿って陸羽西線で余目に近くなると、左に月山、右手に鳥海山がみえる。

こんなふうにアルバムやスケッチをみて、いろいろと想い出していると、
ほとんど行く機会がなくなったこともあって、ますます、「鳥海山」に逢いたくなってしまう。
「狛犬迷」 の方は通り過ぎたが、「鳥海山迷」は依然としてつづいている。
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思い立ったが吉日

2008年11月11日
「狛犬迷」だった頃は、スケッチに行って、神社を見つけると、必ず覗いてみたものだ。
古河市の雀神社の狛犬とも、そんな中で出逢ったのだった。(「狛犬迷」)

ある夏、絵の仲間数人で古河市の隣、野木町のひまわり畑に行った折、
東京駅駅舎の赤煉瓦を焼いたという窯の址まで足を伸ばした。

この煉瓦窯は、(国指定重要文化財 旧下野煉化製造株式会社煉瓦窯)
明治時代につくられた「ホフマン式円形輪窯」という煉瓦窯で、渡良瀬遊水地の土を使い
東京駅の赤煉瓦などを思川から船で運んだときいた。
窯そのものも赤煉瓦で造られていて、全体が16角形という特殊な形をしているため、
ほんの一部を描くだけでも難しく、こんなに形の取りにくい建物ははじめてだった。

このときは簡単なスケッチしかできなかったので、再び、絵の先輩、Kさんと一緒に
出かけて、本画の下絵にしたいと、少し丹念にスケッチした。   
今は、年一度の一般公開の時以外は、中には入れないようになってしまったそうだ。
思えば、あの時はほんとうに幸運だった。
「思い立ったが吉日」「一期一会」という語句を実感した。

       窯跡 50号 click!

話は狛犬に戻るが、古河に通っていた頃は、ちょうど家の建替え時期だった。
旧宅の床の間にあった唐津焼の獅子が、新居では居場所がなくなり、庭に出されたことを
最近まで、すっかり忘れていたことに気がついた。

この獅子は庭を転々としたせいか、よくみると、3本の脚が折れてしまっている。 
左の後脚は接着剤で辛うじてつながっているものの、左前足はどこにいったのだろうか、
なんとも哀れな姿だ。

         庭で

この唐獅子で思い出すのは、幼い頃、これに跨ったり、書院と床の間との間あった砂壁の
飾り窓から出入りしたので、砂がボロボロと落ち、窓枠を壊すほど夢中になって遊んだこと。

         旧宅の床の間に鎮座する唐獅子
きっとこの頃、1本の脚は折れたのだろう。 
そのときは、きつく叱られたのだろうが、はっきりとは覚えていない。 
でも、私は叱られ役専門だったようだ。 
実際、妹が叱られたところをみた記憶はほとんどないのだから・・・。
            
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古きよき卓袱台

2008年11月10日
俵元昭 著の「半死半生語集」と「半死半生語集 次の番」をやっと開いた。
ひと月前、図書館で借りたが、読み出したら一気に・・・と思い、貸出延長を繰返していたものだ。

「死語」という言葉があるからには、「半死半生語」という言葉があってもしかるべきで、
これを記録に留めることが大切だと著者は考えた。
この本は、言ってみれば「未来のための古語辞典」ともいえる。
使われた時期の終わりがいつだったかという「終出語辞典」でもあり、
滅びゆこうとする言葉への哀悼の心情を叙べた、追悼『懐旧語辞典』でもあるという。

2冊に収められた語はそれぞれ200語以上もあるが、その中で、
我が家の旧宅にはあったが、今の家にはない、懐かしく想い出されるものを選んでみた。

「茶の間」 旧宅の茶の間は今で言う多目的ルームだったと思う。
       子ども部屋、ダイニングキッチンなどの増改築のお陰で、この部屋に
       家族が集まる時間は減っていったものの、テレビはどの部屋にも
       あるわけではなかったので、リビング兼ちょっとした客間だった。
       
       「座敷」との間の襖をはずせば、広間になり、春秋に父がゼミ生を招待したり、
       母がお茶会を開いたりしたことも懐かしく思い出される。

           縁側

「縁側」  茶の間と座敷の南側にあって、ある時期まで木の雨戸と硝子戸が9枚あった。
       この雨戸の開け閉めをどうにかして、逃れたいと願っていた時期もあった。
                              (「庭の記憶」「読書の秋に」)
エンガワというと「ヒラメなどの魚の身の鰭を構成する細かい骨が並んだふち」が浮かび
「本来の家の縁側なんぞは、忘れられてしまうこともまず間違いありません」
「しいて言えば、縁側は廊下に似ておりまして、廊下の機能は家族にもプライバシーとかで
部屋がセパレートされるとなおさら連絡通路として必要だから失われることもなく、
その意味では縁側は廊下に姿を変じて生き残っている」

昔は普通の家では、縁側はあっても廊下はなかったのが、今は逆になったという。

「濡れ縁」 旧宅の離れは、茶室として建てられたものだが、縁側はなく、
       そのかわりに南北の部屋に濡れ縁がついていた。 
       この離れの濡れ縁は、私が大好きな場所だった。
       
       旧宅の母屋には縁側があったので、濡れ縁はなかった。
       新しく建て直した家には、当初、縁側も濡れ縁もなかったが、
       しばらくして、父は、書斎の前に沓脱石があるにも拘わらず、
       濡れ縁をつけ足し、よくそこに腰掛けて庭を眺めていた。    
「縁側は家のなかに囲い込もうともせず、深い軒で覆って濡れるのを避ける、あるいは
狭い敷地で、濡れるほど空間が取れなくなって、濡れ縁は縁側となったもの」
で、
「縁側の、よりいっそう本来的な姿だったのかもしれない」

「縁台」  竹の縁台の置き場所が庭のあちらこちらと、日によって違っていたことを思い出す。
       ただ、残念なことに、蚊の多い夏だけは、縁台の出番はなかった。 
「夕涼みに必須不可欠の道具。縁台将棋の語もできた。背のない木製(まれに竹製、籐製)
和風ベンチ。エアコンと閉鎖的な近所づきあいで夕涼み自体がなくなり、縁台も退場を
余儀なくされました。なつかしくも悲しき昨今の夕暮れよ」


「卓袱台」 (チャブダイ) 実は、我が家にも小さい折り畳みの卓袱台が今でも残っていて、
       この上に絵具の皿や筆洗などをのせて、絵を描くときに使ったり、
       アルバムを整理したりするときなどに使うことがある。
       この卓の一番の利点は何といってもちょうどいい高さ、あるいは低さというべきか。
       何かを広げて作業をするときには、洋間でも床に坐って
       しまう私にとって、この低さは最高?なのだ。
       最近は、折り畳みの脚が便利として、古道具屋で人気が出ているとか。
       娘がほしがっているが、まだまだ、私は使いつづけようと思っている。
「膳から飯台への変化は、おそらく西洋化ないしは近代化の一徴候」であって、
「脚の長さこそ短くしたけれどこれ以上迅速に家々に普及した洋風化はあるまい」という。
「畳敷の和室が残るかぎり座卓は死ないでしょうが、それより茶の間はなくなり、茶の間以外
では茶ぶ台は使わない。座卓は茶ぶ台とは似て非なるもので、厳密な一線を画する」

ついでながら、卓袱はシッポクとも読み、テーブルクロスのことから「食卓料理」を意味する
ようになったらしい。
 
        茶ぶ台
      
このように、辞典の体裁をとっているが、会話調のエッセイだと著者の言うように、
とても読みやすく、共感するところもたくさんあった。 
ただ、読めば読むほど、共感すればするほど、年齢は勿論、感覚も、今の若者たちから
はるかに遠く、著者よりずっと若いと思っていた自分が、むしろ著者の年齢に近いということ
を再認識することとなった。(因みにこの著者は昭和1桁生れ)
考えてみれば、「藁半紙」、「謄写版」の小学校時代を送った私は、ボールで遊んでも
「毬」は知らない世代とは違うわけだ・・・。
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冬の気配が・・・

2008年11月09日
一昨日は24節気(節季)の一つ、立冬だった。 冬の気が立ち始めるという意味。 
そうこうしているうちに、小雪が来て、山頂に雪がみられるようになるだろう。 

太陰暦により季節のズレを正し、季節を春夏秋冬の4等区分にするために考案された
というが、もともと中国の気候を元に名づけられ、日本の気候とは合わない名称や時期も
あるため、土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」で補足しているのが、
日本の旧暦となっているという。

1年前まで、母は月一度ずつ、2つの俳句の会で講師をしていた。
母の手書きの俳句テキストをまとめてパソコンで打ったことがあったが、 
立冬の7日の朝、母のテキストに24節気、「24節気の俳句」というのが
あったのを思い出した。 

立冬の句は2句しかなかったが、「色のある句」、「音のある句」、「香りのある句」という
項目をみつけた。 その中から、晩秋から初冬と思われる句を選んでみた。
昔、母が選んだ句の中から、今、俳句が苦手の私が選ぶというのもおかしいのだが。
また、横書きというのもどうかと思ったのだが・・・。

  立冬    
              冬来たれば母の手織の紺深し     細見綾子
  
              立冬やあをき炎にあをき魚       原田南海子

  音のある俳句
              母とわれ夜寒の咳を ひとつづつ   桂信子
 
              竹を伐る音きのふより深くなる    りーり(母)


  香りのある俳句
             菊の香や奈良には古き佛たち     松尾芭蕉 
   
             麹の香ただよひ来るよ稲架解けば  能村登四郎

                稲架のある風景
                
  色のある俳句
              石榴挿す臙脂分厚き陶壷に       福嶋延子
                        
              林檎紅し妻は帰りて居ぬままに     石田波郷

石蕗
             石蕗黄なり文学の血を 画才に承け    富安風生

  
中村草田男の句の中で、
               私が2番目に好きな句は   秋の航一大紺円盤の中           

                   もっとも好きな句は   冬の水一枝の影も欺かず 

ついでながら、24節気
 
  立春(2月4日頃)  雨水(2月19日頃)  啓蟄(3月5日頃)  春分(3月21日頃)
  清明(4月5日頃)  穀雨(4月20日頃)  立夏(5月5日頃)  小満(5月21日頃)
  芒種(6月6日頃)  夏至(6月21日頃)  小暑(7月7日頃)  大暑(7月23日頃)
  立秋(8月7日頃)  処暑(8月23日頃)  白露(9月8日頃)  秋分(9月23日頃)
  寒露(10月8日頃) 霜降(10月23日頃) 立冬(11月7日頃) 小雪(11月22日頃)
  大雪(12月7日頃) 冬至(12月22日頃) 小寒(1月5日頃)  大寒(1月20日頃)
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子猫のうちに

2008年11月08日
アミトラが生れてちょうど半年経った。  
このごろの庭は、彼らと兄のケシと姉のククたちが主人公におさまっている。
少し寒くなってきたせいか、暖かい場所が恋しいらしく、
アミが物置の前に半ば捨てられていた鉢カバーの中に入ったりしている。

        この篭なら・・・

1歳になったケシククが6月に、母親のチビが7月に手術をしてもらった動物病院に
予約を入れておいて、今朝、アミトラを連れて行った。
        
猫を捕まえるには、準備と機敏さが必要だということが数回の経験でわかっていたし、
すっかり人慣れしている2匹相手だったが「油断大敵」。
外で捕まえるのは無理だろうと、家の中での決行とした。
「手術前につき朝食抜きで」と言われ、空の食器で玄関の中まで誘導。いささか大変。

まず、入ってきたアミ、いつもと違う気配を感じたようだったが、抱いて篭へ入れた。
次にトラ。何とか抱いて篭へ入れようとした瞬間、私の掌に痛みが走った。
それでもとにかく、トラを押し込んだのだが、同時にアミが抜け出した。
アミを追い詰め、ちょうど壁にかかっていたコートを被せ、コートごと篭に押し込んだ。 
午前7時半だった。 玄関に誘導してから10分もかからなかったのに、疲れた・・・。                                                  
                                 負傷した手
9時の開院まで、まだ時間がある。 
時折、覗くとトラは睨みつけ、アミは悲しげに弱々しく「ミャア~」。
諦めたのか、不安でたまらないのか、意外にも大人しくしている。 

よくみると、私の右掌には咬まれた跡が点々とあり、右手首と左腕には引掻き傷。 
ズキズキし始めていた。 とりあえず消毒して、ガーゼを当て、
綿手袋の指先をジョキジョキ切ってはめた。 グッド・アイディア!?

       「この篭は嫌い」 車の中で これからどうなるのだろう・・・

          動物病院へ到着

9時5分過ぎ、病院に到着。 区の助成を申請するための書類や、手術依頼書などを書いて、
彼らが病院の篭に移されるまでを見届け、病院を後にした。
明後日には帰ってくるだろうが、信頼回復にどのくらいの時間がかかるかな・・・?

     飼い猫去勢赴任手術 指定獣医師

夕方、外出から戻るとケシが出迎えてくれた。 気のせいか、淋しそうにみえた。
「夕焼け小焼け」が始まった5時ちょうど、ケシククが飛んできた。 (「ラスカルの尻尾」)
たった半月で、このメロディ=夕食開始の条件反射が身についたようだ。
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狛犬迷(ファン)だったころ

2008年11月07日
今、思えば、神社の狛犬めぐりをしていた頃の私は、「狛犬迷」だった。
それこそ「忽熱忽冷」の私だから、一時期熱中した。
「迷」は中国語でマニア・ファンの意味だが、この「迷」という言葉がなぜか好きだ。

最初に惹きつけられた狛犬は、個人の美術館で見つけた、あの一対の木彫だったと思う。
木彫の狛犬は平安時代に多くみられ、宮中では御簾の重しとされていたとか。

その木彫の狛犬をスケッチした後、関心は神社の狛犬に発展し、子連れ狛犬を発見した、
ということになる。 
真冬の狛犬めぐりが終わってから、鎌倉時代の木彫狛犬2体を別々に描いた。
 
                      「あ」6号 click!

古くは口を開けた左右対称の獅子像だったが、獅子と狛犬とは区別されるようになり、
参詣者からみて、右に「阿」の獅子、左に「吽」の角がある狛犬ということが多いようだ。
絵に描いたこの木彫の狛犬にも角(一角)がある。

  「うん」6号 click!
                 
やがて、鎌倉時代には、石造の狛犬がつくられて、単に「狛犬」と呼ばれるようになった。
「阿」はメスで、子ども連れも多いといわれるが、子どもを遊ばせている子煩悩な「吽」の
父親にもたくさん出逢った。

            明治24年作   10数年ぶりの再会

前にも書いたが、最も子沢山の狛犬は、各3匹ずつの子どもを背中と足下に連れている。
私の「狛犬迷」が仲間うちに知られて、いろいろな狛犬情報が入るようになった。
「神田明神の狛犬は面白いから、是非行ってごらんなさい」と教えてくれたKさん、
高野山に行かれ、雪を被った狛犬を撮って来て下さった今は亡きF先生のことなど、
懐かしく思い出される。
    
木彫の狛犬の絵「あ」と「うん」を描いた年の秋、茨城県古河市雀神社の狛犬を描いた。
それは「東京駅の煉瓦を焼いた窯」址のスケッチに古河市に夏、冬と何回か通った折に、
偶然みつけた、「獅子の子落し」を思わせる珍しいポーズだった。  

           「神無月」40号 

この狛犬の本画の題名を「神無月」としたが、何故なのか、自分でもわからない。
出雲に行かれた神様のいぬまに・・・と遊び出した親子のようにもみえる・・・。

今日は立冬。 秋になったと思ったら、暦の上とはいえ、もう、冬?
銀杏の黄葉もまだだというのに・・・。
実は、庭に出ると、まだ、蚊がいる。 さすがに刺されることはないのだが。
秋はこんなに短いものだったのかしら・・・。
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無償の支援?

2008年11月06日
先月半ばからの「拡大写本講習会」が昨日で終わった。(「隔世の感」)
最終回なので、この研究会が月2回の活動をしている図書館の多目的室で行われた。
今までの経験では、製本キットなどを使って、手づくり本が出来た!と思っていたが、
今回のように、ノリとハサミを使って奮闘したのは初めてのことだった。
B5版の教科書1頁分を見開き1頁に拡大写本し、製本する作業で、
満足できる仕上りとはいかなかったが、「拡大写本」のだいたいの流れがわかる
貴重な体験にだった。
       
        出来た~!

実習終了後は教委代表の挨拶があって、閉会。 
そして、図書館内の「大きな活字本コーナー」と、この研究会専用の書庫を
見学させていただいた。
「拡大写本」のグループは各地にあるそうだが、このように、書庫が用意されているところは、
まず、ないだろうということだった。 
       
            手前 製本用具 後方ケース内には原稿  

中には、今まで作られた拡大本、教科書のほか、男性会員の手づくり「製本用具」が
棚に収められていた。
この用具のお陰で、紙をキチンと二つ折りしたり、綺麗に糊付けすることができるそうだ。
手前にみえる教科書はすべて今年度分。(「読書の秋に」)

来年の4月に、拡大教科書を必要としている全国の児童の手許に届けるために、
そろそろ、来年度の教科書を購入して、作業を進めていかなくてはならないそうだ。
 
            拡大教科書 
       
文字を書くほかにも、校正、製本、事務整理など様々な仕事があるとうかがい、
私にも出来ることがありそうだと、来週からの活動に参加することにした。
その帰り道、電車で30分以上かけて参加する方も多いことを知った。
ボランティアとはいえ、相当な覚悟が必要だとあらためて思った。

卒業制作用の扇風機探しで知り合った美大生のHさんは、(「駅までの道」)
区立福祉園で絵画指導スタッフとしてボランティアをしてきたこともあって、
私の「拡大写本」のボランティア参加にも関心を持ち、メールにこう書いてきた。
「僕は自分自身の生活すら全く安定していないので、ボランティアという立場は
厳しいなあと思っています。5月から福祉園でボランティアをしてきて、
ボランティアは完全なる「無償の愛」と思いました。
だから、絶対的に生活が安定している人しかできないと今は考えています」
「このことについて、人生の先輩である私のご意見を聞かせてほしい」というのだが、
考えれば考えるほど難しい問題で、まだ、この返事はできないでいる。
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びっくり 3題

2008年11月05日
先夜、上野駅で待ち合わせたご婦人と、駅ビルの中の「月の雫」へ入った。
1卓に1台ずつ設置されたタッチボード式の注文システムとでもいおうか、
前菜・ごはんもの・揚げもの・お刺身、おつまみ・・・・など項目を指でタッチしていく。 
何だか味気なかったが、こうしなければ、食べ物にありつけないと思い素直に従ったが。
隣の席のオジサンたちは、直接、店員さんに注文していたようだ・・・。
このようにして、効率優先が人と人との「ふれあい」を希薄にしていくのだろう。
わびしいことだ。

       ご注文は?

それより何より、驚いたのは、このお方、先月の「尊厳死協会の講演会」で知り合って、
ご縁を大切にしましょうと、再会することにしたのだが・・・。
最初のオーダーは彼女が住んでいる埼玉県の川口で会いたいとのこと。
彼女は今まで埼玉県から出たことはほとんどなく、川口駅の周辺が行動範囲だという。
私は公平に、東京駅は?有楽町は?と、2人の家の中間と思われる場所を提案したが、
わからないから無理、行ったことないから不安の一点張りだった。
講演会のあった有楽町には、大変な思いをして辿りついたのだとか。

結局、彼女がよく参加するバス旅行の乗り場がある上野駅の公園口ならというので、
公園口になった。 だが、初回からこれでは、ご縁を続けられる自信がない・・・。
今回は、撮ってあげた写真を渡し、お互いを紹介しながらの食事ができたのだが。

さて、ここからは、わが庭の猫の話。
つい最近、6匹の猫用の6つのステンレスの食器のうち、2つが次々に消えた。 
どこを探しても1つもみつかず、首をかしげていた。

あるとき、洗面所で窓の外を何気なく眺めていたら、物置の屋根に光る器が載っていた。
だれが、何のために載せたのだろうか。
もっとも疑わしいのは、物置の屋根に置いてある引出しを寝床にしているクク
地面から物置の上まで2mはある。 食器をとるため、梯子をかけたごんさんによると、
食器は合計2つ、中には雨水が溜まっていたそうだ。なぜそんなことをしたのか?

 食器 小  物置

もっとも、半年前のチビのことを考えると、このくらいの食器を口にくわえて
2mの高さを上ることなど、猫にとっては、ほんの朝飯前のことなのだろうが。
アミたちが生れてまもなく、チビが子猫をくわえて、ほぼ垂直の2m以上ある万年塀を
一気に駆け上るところを目撃したときは我が目を疑ったものだ。 

            万年塀

チビは子猫たちを1匹ずつ安全な場所に移していたのだった。 
私がみたのは一回きりなのだが、たまに万年塀をみながら、あの光景を思い出す。
このごろ、チビの姿をまったくみかけない。どこでどうしていることやら。      
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招き猫から狛犬へ

2008年11月04日
招き猫の由来にはいくつかの説があるが、世田谷の豪徳寺発祥説が広く知られている。
江戸時代に彦根藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰り、雷雨に遭い、弘徳院前の大木での下で、
雨宿りしていると、タマというお寺の猫が手招きした。 一行がお寺の中に入ると、
さっきまで居た大木に落雷。 命拾いした直孝は、荒れていたお寺に寄進、建直して、
この寺の名をを豪徳寺とあらため、井伊家の菩提寺としたというもの。
(猫に招かれて、一行が寺に入った直後、雷雨になり、濡れずにすんだという説もある。)
ほかに、新宿区の自性院が発祥の地という説、民間信仰説などがある。

台東区にある今戸神社の本堂には、この地で焼かれる今戸焼の大きな招き猫がある。
その昔、老女の飼っていた愛猫が夢に現れ、自分を模した人形を作るように告げたので、
その姿を焼物でつくり、浅草寺の参道で売り出したところ評判になり、
老女は裕福なったとのことだ。 ここの人形が招き猫の原型となったともいわれる。
一時は30軒あった今戸焼の窯元も今では、1軒となり、約4ヵ月の予約待ちだとか。

また、この今戸神社には、江戸時代に寄進されたという古い狛犬があるが、
今は大切に保護されていて金網越しに世の移り変わりをみているようだ。

狛犬といえば、色々な狛犬を求めて
10数年前、暮れから翌年1月末までのひと月間、区内の神社を自転車で回った。
どこかの神社で、子連れの狛犬をみたことがキッカケだったと思う。
地図とB5のスケッチブックを持って神社に行き、狛犬に子犬がいるのかどうかを確かめてから、
おもむろに参拝して、狛犬たちのクロッキーをするのだ。 1体10分以内と決めていた。
子犬がいないときは、静かに退散した。

地図では、子犬の有無がわからないので、区内すべて60数箇所の神社を実際に回り、
一覧表を作って、神社名、所番地、制作年、子犬や毬の有り無しをメモしていった。

その一覧表によると、クロッキーしたのは29組の親子の狛犬だった。 
毎日とはいかなかったが、中には日に9社を回り、そのうちの4社で描いたこともあった。

古くは江戸時代、明治・大正時代に制作された狛犬が何ともいえない味があり、
昭和のものは子どもがいても、あまりクロッキーしなかったようだ。 
何体も見ているうちに、だいたいの制作年代がわかるようになった。(今は無理だが・・・)
子犬が双方に1匹ずつというの多く、2匹ずつという神社は2社、3匹ずつも2社あった。
子犬が片方だけという神社もあったが、子犬、毬が片方ずつというのが最も多い。

       区内神社の狛犬クロッキー click!
          3匹ずつの子犬          毬と1匹の子犬

狛犬の起源はペルシャやインドにあり、日本ではその異形な姿を犬と思い、
日本犬とは違う異国の犬、すなわち「高麗の犬」と考えた。
平安時代には、口を開いた獅子を左、口を閉じて頭に角がある狛犬を右に置き区別した。
後世になると2つは混同され、神社仏閣に置かれた獅子は、次第に犬の形に近づき、
「狛犬」と呼ばれるようになったという。
      戌 賀状 click!

2年前の年賀状作り、10数年前の狛犬たちのクロッキーが役に立ってくれた。
こうやって、地元の狛犬めぐり、少し足を伸ばして野川、秩父などに何度も行ったことを
懐かしく思い出していると、また、行ってみたくなってしまう。 
まずは、やるべきことから、片付けていかなくてはならないというのに・・・。        
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猫から招き猫へ

2008年11月03日
先週、図書館の書架で「隠居」という文字が眼にとまって、借りた「ヒマつぶし 隠居学」
(加藤秀俊 著)をバッグに入れて持ち歩き、昨日読み終えた。
続いて、一緒に借りておいた「続・隠居学」を読もうと思っている。
自分がどちらなのかわからないが、隠居していてもいなくても、実に面白くてためになる。

「森羅万象、世の中はおもしろいことだらけ。これが『隠居学』の第一歩である」という。
若い頃は、本を読んだり、人の話をきくことにも「目的」があったが、
隠居には、「学ぶ」ことに目的なんか要らないのだという。 

作者は、頭のなかの連鎖反応は連歌に似ていると、例をあげて説明している。
「発句」の韃靼そば茶が、タルタル・ソースになり、ソバになり、呉三桂の「揚句」に
つながったのは、ほんの気まぐれ、アミダくじのようなもので、
パッチワーク、つぎはぎの世界を楽しむのが、この学問だという。

であるとしたら、私はすでに「隠居学」入門を果たしたようなので、
安心して、猫から招き猫へ、豪徳寺、今戸神社、いずれ狛犬まで飛べるかもしれない。 

私の発句は「猫」。 (揚句はいつになるか、わからないが、とりあえず・・・。) 
今年のはじめに孫たちに、わが庭の猫たちをモデルに「はるよこいねこのいるにわ」
という絵本を作った。(「秋よこい」)

        「はるよこい」

ふうちゃんチャトランチビがやってきて、チビが生んだ子猫たちの写真と文でまとめた。
この本はケシククが帰ってこないココを心配しているところで、終わるのだが、
結局、ココは戻ってこなかった。

そのオマケに「まねきねこ」の写真を載せたが、りんりんの反応は今ひとつだった。
その後、川崎大師に行くことがあり、参道で3色の「招き猫」をみつけて買った。
りんりんに選ばせると、金色、黄色の2つを選び、白い猫が残った。

        招き猫とまねきねこの頁 click!
         左から 今戸焼  川崎大師で購入の猫  お守り用の猫  

これで、以前からあった今戸焼の猫と今風の磁器製とで招き猫は4つになった。
磁器製の猫は極小、恐らくお守り袋の中のものだったと思う。
もともと、猫は嫌いではないが、特別、好きな動物ではないと、書いたことがあるが、
まるで飼猫のようになった猫たち4匹との生活を送る今でも、それは変わらない。

招き猫に関しても、特に関心があったわけではないのだが、
右手(脚)を挙げている猫は金運、福を招き、左手を挙げている猫は人を招くということは
以前から知っていた。(右手を挙げるのはオス、左手を挙げるのはメスともいわれる)
10数年前に買った右手を挙げた今戸焼の猫、素朴でなかなかいいのだが、
どうも金運のご利益の方は今ひとつ期待はずれのようだ。 
ここで慌てて丁寧に拭いてみても、今からでは手遅れだろうな。

招き猫マニアによると、
  右手挙げ猫 約40% 左手挙げ猫 約60% (両手は‘お手上げ’と敬遠される)
  小判猫率      全体の約18%    ヨダレ掛け着用率 全体の約29%
  三毛猫 幸運を招く  白猫 福を招く  黒猫 厄除け・病除け   金色 金運を招く
  赤  病除け    ピンク  恋を招く  そのほか 黄や緑など(風水)
  
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やじうま的探究心

2008年11月02日
「子どもフェスティバル」(地区青少年対策委員会主催)が近くの小学校で開催された。
図書館と、その向かいの100円ショップでいつものA4ファイルを買うために出かけて、
途中、このフェスティバルを覗いてみることにした。

孫のりんりんと一緒に行く予定だったのだが、今朝になって電話がかかり、フラレテしまった。
それでも、この歳で子どもを連れずに行ってみる決心をしたのには、ちょっとした訳がある。

話は、たまたま一枚の張り紙を眼にしたことから始まる。(「駅までの道」)
来年の卒業制作に「100台の扇風機」を集めている、美大生とのメールの中で、
今日のこのフェスティバルのこと、そこで彼が「お絵かきコーナー」を担当することを伝えられ、
覗いてみてほしいというお誘いがあったのだ。 

        子どもフェスティバル click!

広い校庭では、低学年、高学年別の対抗ドッジボール大会が行われていた。
お手玉、剣玉などの「昔遊コーナー」、ゲーム、ミニテニスなど、賑やかな声が聞こえていた。 

会場であるこの小学校は、ごんさんの母校でもある。
区内ほとんどの小学校が、全学年2クラスの状況の中、この小学校は5,6年が4クラス、
1年から4年までは5クラスもあって、全校生は1,000人を超えるという。

私の母校は「拡大写本講習会」の会場になった小学校。(「隔世の感」「読書の秋に」)
体育の授業を受ける生徒たちの静かなこと、あまり広くない校庭がとても広く見えた。
講習はすでに3回が終わり、今週は最終回、会場は図書館に移る。
その後は、月2回催されるこの図書館でのボランティア活動に参加してみようかと考えている。

               お絵かきコーナー
 
そんなことを考えながら、大勢の人をかき分けながら「お絵かきコーナー」にたどり着いた。
何人かの子どもたちが、地面に広げられた大きな紙の上に、思い思いの絵を描いていた。
スタッフは彼のほかに、絵画教室時代の仲間だという女性が2人。
 
  大きな画面いっぱいに

彼が3歳から14歳まで通った絵画教室が、りんりんの家のすぐ傍にあったことや、
彼が私と娘(りんりんのママ)の小学校の後輩だということを知り、身近に感じたせいか、
我が家の扇風機を渡した時点では、40台に満たなかったものが既に76台に増えたと聞き、
自分のことのように嬉しくなった。

模擬店でお茶と手づくりのオニギリを買って、図書館へ行った。
お昼は図書館2階の飲食コーナーでとったが、手づくりオニギリがとても美味しかった。
帰りに100円ショップに寄ったことはいうまでもない。 白のA 4 ファイル7冊を買い占めた。
明日こそは出かけずに、「鳥海山」の絵を描かなくては・・・!
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ケシとククの誕生日

2008年11月01日
今日は11月1日。ケシククは満1歳の誕生日を迎えた。

  クク 満1歳

1年前、チビチャトランしかいなかったこの庭でケシククが生まれ、
その半年後にアミトラ、そして世田谷に養女にいった猫たち4匹が生れた。 
            ケシ 満1歳

猫にも戸籍があるならば、ケシはさしずめ戸籍筆頭猫といえるだろう。 
夏ごろから、チャトランは、少しずつ、ケシに一家の長という大役を引継ぎ始めた。
最近、チャトランは、食事はお向かいのさいとうさんのところで済ませているようだ。 
そこには、春生れの猫たちターノのほかに3匹が暮らしている。
彼らの母親とチビが姿を消してひと月経つが、
ひょっとしたら、チャトランはそちらのエリアを守ることになったのかもしれない。
すっかり、隠居の身になったかと思っていたのだが・・・。

今朝、自転車で隣の駅まで行った。 途中、幼稚園の前を通りかかると、ちょうど
来年度の入園考査の日で、スーツを着た親子連れが何組も園に入るのが見えた。
このごろは、この幼稚園のように、給食あり、送迎バスあり、延長保育ありといったことが、
選択基準になっているとかで、昔は極々普通の幼稚園だったこの幼稚園も、
今や、大人気で、非常に高い競争率なのだという。
思えば、孫のりんりんは、2年前、この幼稚園の考査で落とされたのだが、そのお陰か、
今の幼稚園でのびのびと(ちょっと過ぎるらしいが)楽しい毎日を送っているようだ。

駅前のスーパーの駐輪場では、数人の女性がフリーマーケットの開店準備をしていた。
並べられた食器や菓子器、衣類などの脇に下げられた「ホームレス猫から地域猫に・・・」
「新しい飼い主をさがしています」のポスターが眼に入った。
このあたりでは、地域猫をすすめる人たちが熱心に活動していて、
動物病院などでも猫の写真入りの「飼い主募集」などのはり紙をみたことがあるが、
なるほど、こういった大勢の人が集まる場所なら、協力者も出てくることだろう。

地域猫に・・・click!飼い主募集

うちの猫たちはホームレス猫?とんでもない。 地域猫、ソト猫でもなく、ウチ猫だろうか?
昼間は日向ぼっこ、
ときに眠い眼をこすりながら?門まで見送り、お出迎えに出てくることもある。
夜は土の上を走り回り、木に登り、「夕焼け小焼け」が聞こえると食事場所に飛んでいく。

         ここが終の棲家だろう・・・

そろそろ、アミトラの不妊手術の予約をしなくてはと思っているのだが・・・。
1歳になったケシククは、人間の都合で、父親、母親にはなれないことになったが、
ホームレスの経験もせず、ホームレスの子孫を増やして、苦労することもなくなった
のだから、よいとしよう。      
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