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こも巻き

2009年02月28日
「啓蟄」も近くなると、大地が暖まり、冬眠をしていた虫が穴から出てくる。
赤松の幹に巻かれた「菰(コモ)巻き」も、はずされる時期となる。
「こも巻き」は、冬至の頃に行われるので、樹木の防寒対策のように思われがちだが、
実は、「江戸時代から大名庭園で行われてきたとされる害虫駆除法で、
マツカレハの幼虫(マツケムシ)を除去する方法のひとつ」
とのことだ。(Wikipedia)

マツカレハの幼虫は、冬になると、地上に降り、枯れ葉の中などで越冬する習性を持つ。
そこで、11月頃、マツやヒマラヤスギの幹(地上2m程の位置)に、「こも」を巻きつけて、
幼虫をおびき寄せ、春先に、「こも」ごと焼却するのだという。
だが、この「こも」の中には、マツカレハの天敵となる蜘蛛などの益虫の方が多く居たりして、
害虫駆除の効果はほとんどなく、むしろ、逆効果だとも言われ、
皇居外苑や京都御苑などでは、すでに20年以上も前から、行われていないのだそうだ。

先日、品川区の戸越公園に寄ってみた。 園内をすべてみたわけではないが、
「藁ボッチ」や「雪つり」はみかけたが、「こも巻き」は見当たらなかった。公園事務所に
訊ねてみようかとも思ったが、すでに事務所から遠く離れていたので、断念した。
       
          わらぼっち
                 蘇鉄の冬支度  わらぼっち

帰宅後、品川区のページを調べると、区内3ヶ所で、昨年の立冬の頃、「こも巻き」が
行われたとある。 戸越公園のほか、五反田近くの池田山公園、しながわ水族館のある、
品川区民公園でだった。

事務所の電話番号が載っていた「品川区民公園」に、「こも」について、「巻いてあるのか、
あるなら、いつ頃、はずす予定なのか」を訊ねてみた。  
女性が丁寧に応対してくれたのだが、「あ~、あのゴザみたいなのを巻いたあれですね」
という返事には、思わず苦笑してしまった。 
職人さんに連絡をとってから、折り返し電話を差し上げます、ということになってしまった。

しばらくして、直接、職人さんから電話がきて、「こも巻き」についての説明があった。
また、公園のどのあたりにあるのか、また、「こも」を「はずす時期は啓蟄の頃だが、
暖かいと少し早くなるかもしれない」と詳しく教えてもらった。 
驚いたのは、「私は(こもを)M商店街の○○屋で買っているのですが・・・、
今、この店の電話番号を申し上げます」と言われた時にはビックリした。 
私のことを、よほどの植栽マニアとでも思われたのだろうか?
そこまでは、必要ないのでと、丁重にご辞退申し上げた。

ほんとうに、親切な職人さんで、「公園にいらしたら、是非、事務所を訪ねてください。
私はMといいます。 事務所で、虫の写真をお見せしますから」とまで言われると、
行かないと悪いような気がしてきた。 わざわざ、虫の写真を見たいと思わないのだが。
つれづれ | Comments(0)

雛人形

2009年02月27日
今年は、比較的、早目に、「お雛さま」を飾ることにした。
内裏雛の男雛は衣冠束帯、女雛は十二単と、王朝風の姿に落ち着いたのは、
江戸時代のことで、左上位の考え方から、左に男雛、右に女雛を飾ったようだった。

それが、「右に出る者がない」ということばがあるように、中国でも、西洋でも、多くの国で、
右が上位と考えられていたらしく、その考え方が、開国後の日本に入って来たことから、
昭和になると、男女や内裏雛の並び方も、男が右で女が左と、変わっていったのだという。

京都などでは、今でも伝統的な飾り方をすることが多いらしいが、
私の母は、生れも育ちも京都ではないものの、「左に男雛、右に女雛」と、かなり拘る。 
きっと、祖母譲りだと思うが、私は拘るわけではないが、母と同じにしている。

          出すのも仕舞うのも大変
              なにが始まるのかと、興味津々の猫たち

母は、この2月半ばで84歳になったが、毎年飾る「お雛さま」は、母が生れた時のもの。
だが、内裏雛に比べて、三人官女や五人囃子が小さく、1度に揃えたものではないそうだ。
ボンボリは、中に蝋燭を点した時に、周りの布を焦がし、買い替えたそうで、妙に大きい。
また、右大臣の矢羽が剥がれ落ちてしまったり、五人囃子の太鼓のバチを紛失したりと、
小物類は不揃いだが、気品ある顔立ち、上品な着物の人形たちは、恐らく、昔のままだ。

旧宅時代、座敷の床の間に雛壇を組立て、「お雛さま」を飾るのはひと仕事で、
片付けるのは、さらに大変な作業だった。 家に見えた方たちに、披露したいということも
あったようで、毎年、4月くらいまで飾ってあったような記憶がある。

               旧宅で
                1歳になったばかりの娘
 
3月3日を過ぎても飾っていると、「婚期が遅れる、嫁に行きそびれる」とたしなめられるが、
私は、ほとんどの時期を、両親の傍で過ごしていて、私の「お雛さま」はなかったし、
娘の硝子ケース入の木目込の雛人形は、比較的遅くまで飾っていたが、
少なくとも、私も妹にも、娘にも、この縁起話は当てはまらなかったようだ。

新居になってからは、段飾りはできず、母がお茶の稽古をする和室の違い棚に、
内裏雛、三人官女、右大臣左大臣、五人囃子とお道具類を飾るので精一杯だった。

3年前の3月、孫のゆうゆうの初節句に、娘とふたりで、お祝いの膳を調えたことがあった。 
できるだけ、手づくりしようと工夫して、3色のご飯を菱形にカットするのに手間取ったが、
すべてなんとか仕上がり、概ね好評だった。

父は、この10日後、緊急入院し、それから、10ヶ月間、病院から出ることなく、そして、
大好きだったこの庭に立つこともなく、帰らぬ人となってしまった。
この初節句の集まりが、父にとって、曾孫のゆうゆうとの、最初で最後の出逢いになった。 

           入院前日

最初の曾孫、りんりんが庭で遊んでいると、誘われるように、父は庭に出て来たものだった。 
入院する前日も、そうだった。 ちょうど満開の紅梅の樹の下で、草を取っていた。
偶々、この3月半ばに撮った写真が、元気な父の最後の姿になるとは、思ってもみなかった。
紅梅は、もう、すでに散り始めた。
つれづれ | Comments(0)

梅は咲いたが・・・

2009年02月26日
        まだまだ 1.18
         少し咲いたようだ
        まだ 1.25
         さらに1週間で
        だいぶ咲いたが 2.1
         白梅も少し・・・ (硝子越し)

        梅の香りがする? 2.6
     
        白梅も 2.10
        
2月12日 満開
   13日 「春一番」 
  18日 散り始める
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ヒヤシンス

2009年02月25日
           鉢植えのヒヤシンスを買った。 1鉢に3株がぎっしり。
           2株はそろぞれ植木鉢に移し、ベランダに出した。
           1株は、以前、スパゲッティを入れていた硝子瓶で
           水栽培することにした。
           蛍光灯の下の棚に置いておいたら、みるみるうちに・・・
         gyokukame.jpg      1.29 1.29
         蛍光灯から垂れ下る ギョクの亀

 
    1.31 1.31     2.2 2.2
 
    2.4 2.4     2.6 2.6

    2.8 2.8     suibotu.jpg 2.10

       花に栄養をとられて小さくなった球根は、水没してしまった。
    
               外の鉢植え2.10
                   外のヒヤシンス 
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子育てのむずかしさ

2009年02月24日
昨年の12月に満3歳になったゆうゆうが、お姉さんになった。 
昨日朝、連絡をもらったゆうゆうのパパが、新幹線で岩手に向かったが、
ちょうど大宮付近を通過した頃、元気な女の子が誕生したとのことだ。 

先月から、ゆうゆうは保育園を休み、ママの実家で、妹との対面を心待ちにしていた。
(今は、生れる前に、性別がわかる時代らしい)
数日前、雪かきのお手伝いをする彼女の「写メール」がきたが、今年は、雪が少ないようだ。 

3年前の12月、ゆうゆう誕生のときには、ごんさんと、2歳のりんりんりんりんのママとで、
誕生の翌々日、会いに行ったのだが、雪が深かったことを覚えている。 

 新幹線大好き  病院からの道 
        
病院で、りんりんは、硝子越しに小さな赤ちゃんを不思議そう眺めていた。 その後、
このときの写真をみせても、この赤ちゃんが、たまに一緒に遊ぶ、ゆうゆうだということが、
信じられないというようだった。 4歳以前の記憶は残りにくいというから、無理もないが、
この日は、彼にとって、大好きな新幹線に乗れた、嬉しい1日だったに違いない。 

ところで、ゆうゆう誕生のときは、眼の前に県立病院があったので、何かと心強かった。
しかし、この3年の間に、ここの「産科」は、すでに廃止になっていたとのこと。 
幸い、かなり遠距離だが、受入れてくれる病院があったようで、
出産前後に、里帰りできる家があることは、とても恵まれているといえる。
こんな身近なところにも、医師不足、医療体制の不備などのシワ寄せがきている。
「少子化対策」「子育て支援」の重要性が力説されている一方、それに逆行して
「お産難民」が増え続けている現実・・・!

だが、私の子育て時代と比べて、便利になった面もあることは、否定できない。 
自治体によって異なるが、こどもの医療費や教育費などの助成があるので、
現に、2人の孫たちの住むどちらの区でも、病院や薬局での支払いは必要ない。
また、紙オムツなどをはじめとして、実に便利な育児用品ができたし、
ある程度の規模の店には、託児室や授乳室なども設けられ、こども連れの外出は
なんと楽になったことか。

オムツを畳む   紙おむつとお尻拭き             
 30数年前、りんりんのママが        紙オムツ姿のりんりん 生後6ヶ月
 ゆうゆうのパパのオムツを畳む       

いずれにしても、これから、「子育て」をしていくには、相当な覚悟が要ることだろう。 
できる限り応援していきたいと思っているが、まずは、自分が健康でなければならない。 

ともかく、おめでとう! 母子共の健全を心から願っています。
身近な人びと | Comments(0)

再び アモイ・泉州へ

2009年02月23日
2007年、2度目の廈門(アモイ)・泉州の旅へ、中国語同学のKさんと出かけることになった。

2/22  10:20 成田国際空港 発(20分遅れ) 
      夜は、呉さんの結婚披露宴へ。 日本から9人が参加した。  (「呉さんのこと」)
2/23  泉州の「大開元寺」「孔子廟」「イスラム教寺院」「中国ビン合縁博物館」など。

いろいろ、市内を案内してもらったが、中でも、歴史ある茶坊「古暦茶館」で、
じっくりと、本場の烏龍茶を味わった時間が、もっとも印象が深かった。 
このとき、同じ卓で、お茶を淹れてくれたのは、農大の収穫祭で知り合った、周さん。
周さんのご夫人は、日本留学中に知り合ったという素敵な日本人女性だった。 
  
     茶館
          まさしく「本場の烏龍茶」をいただく 

中国のお茶は「烏龍茶」だと思っている人が多いようだが、烏龍茶は、台湾、福建省などの
ごく一部で飲まれているもので、中国本土で飲まれる7~8割のお茶は「緑茶」とのことだ。
ついでながら、日本の商社が烏龍茶を大量に買い付けるので、本場の福建省には、
最高級のお茶か、逆に、質の低いお茶しかないと、聞いたことがある。

夜、ホテルの宴会場で行われる「洪さん一族のお祝いの会」に招待された。
洪さんは、呉さんの幼馴染みだそうで、前の晩、呉さんの披露宴に、駆けつけてくれた、
そのお礼としてどうぞと、今晩の宴に招かれたのだろうか。
恐らく、この会に招待された呉さんが、日本からのお客さんをもてなすために、
急遽、皆でお祝いに駆けつけるという形を、思いついたのかもしれない。

この会は、洪さんの親戚の元服祝いだったが、各地から親戚が集まって来ていた。
洪さん一族は、皆、赤いジャンバーを着ていたが、受付も招待客名簿といったものもなく、
大勢の人たちが、お互い面識のない人同士でも、大いに食べて、飲んで、談笑していた。       

2/24  廈門(アモイ)市内

周さんは、廈門でいくつかのホテルレストランを経営する父親の事業を手伝い、
皇太子妃のご成婚時に開店したという、「和風レストラン 雅子」を経営する。
このレストランからは、青い海に浮かぶ「海上花園」コロンス島がみえた。 
前回の旅では、島内を一周し、この旅では、島を一望したことになる。

     レストラン雅子
      レストランのパンフレット  窓からコロンス島がみえる

ちなみに、このレストランで、私はカレーライスを注文したが、カレーは4種類あって、
すべて、味噌汁、サラダ、コーヒーつき。 たしか、日本円で450円くらいだったと思う。
この店は、カレーやピザが「ウリ」のようだが、インド料理店でもイタリアンの店でもない。
日本に留学していた周さんだからこそ、思いついたのだろう。「○○定食」「○○セット」という、
日本独特のメニューは、中国で新しい「日本風の食事」のスタイルになるだろうか。 

余談になるが、「ラーメンと炒飯のセット」といった不思議なメニューは、
中国のどこを探してもないに違いない。 ときどき、そんなことを思ってしまう。
 
旅の魅力は、旅先での様々な交流を通して、その国やそこに住む人たちを知ることでもある
と思うが、逆に、自分のことや、自分の国がみえてきたりすることも面白いことだ。

          スーパーのエスカレーター
     
廈門の駅近くのスーパーでは、上りと下りのエスカレーターの間にも商品が積まれていた。
こういったエスカレーターは、狭い日本ならありそうだが、私はみたことはない。  
中国・中国の旅 | Comments(0)

アモイ・泉州へ 

2009年02月22日
4年前と2年前の2回、福建省の廈門(アモイ)と泉州を訪れたが、
その2回とも格別に、呉さんのお世話になった。

初回は、2005年2月28日から3月5日までの6日間。 
廈門、泉州に4日間滞在し、そして、私が夢にまでみた南靖県、永定県の土楼群には
2日、厳密には、1日半滞在した。   
一行は、絵の友人Kさんと、Mさん、それに私の3人。オバサン同士の気軽な旅だった。 

2/28  10:00 成田国際空港 発   13:30 廈門国際空港 着(1996年開港)

呉さんは、中国でも日本でも知人、友人が多く、彼の故郷、廈門や泉州などに滞在中は、
毎日、覚えきれないほど多くの友人を紹介され、一緒に食事をしたり、旅をしたものだ。
華僑の血を引いているのだろうか、彼の友人たちも、日本などへの留学経験があったり、
20代で、事業を起こし、国内外を飛び回っていたり、そのチャレンジ精神には脱帽だった。

廈門到着後、忙しい呉さんに代わり、彼の友人の王さんに市内を案内してもらった。
王さんは、26歳。日本の大学に留学中だが、結婚し、故郷の廈門で、事業をしている。
日本では、私の息子より若い学生さんという感覚で、お付き合いしていたのだが、
市内を案内してくれた王さんは、どうみても、頼りになる年上のオジサマにしか
みえないから不思議だった。

夜は、王さんお勧めのレストランで、呉さんの友人たちと共に食事をした。 この中には、
のちの呉夫人の林さん、土楼群の旅でずっとお世話になった洪さんも一緒だった。

廈門島    15世紀から茶葉の輸出で賑わい、阿片戦争や国際政治の舞台ともなった。
         「経済特区」都市の一。 華僑の故郷で、海外移住の華僑は約35万人。
         アモイという読み方は、現地語によるもので、普通語は、Xia men。  
         この島と大陸側とは、全長約5kmの海堤で結ばれている。
  
3/1  王さんの車で、市内遊覧。 海岸から2kmという、台湾の金門島がみえた。
     フェリーで5分のコロンス島へ。
   
コロンス島  1902年、共同租界となり、領事館、商社、教会、学校などが建ち、
         中華民国独立後、華僑が別荘を建てたため、万国建築博覧といわれるほど、
         20世紀前半の各様式の建築が見られる。 

島には車が1台もなく、観光用電動カートが島内を回るのだが、このカートが、
坂道の途中でバッテリー切れ。 仕方なく歩き出したが、瀟洒な洋館の間の路を行くと、
租界時代にタイムスリップしたようで、この島を存分に楽しむことができた。
          
           ピアノ博物館で購入

ここの華僑が造ったという「ピアノ博物館」には、英独仏の古いピアノ82台が収蔵され、
人口2万人の島に、ピアノは千台以上もあり、「音楽の島」と呼ばれているのも頷ける。 
博物館には、お土産に買ったミニチュアのような、両脇にランプがついているピアノなど、
珍しい貴重なピアノがたくさん展示されていて、とても感動したことを思い出す。

市内に戻り、南普蛇寺や廈門大学に立ち寄ったが、大学とはいえ、車でどこまで行っても、
その塀は途切れず、まるで大きな町のようだった。
夜は、林さんの親戚の方たちや、友人たちとの賑やかな食事だった。

3/2  泉州市郊外の「安平橋」経由、泉州市恵安にある「崇武古城」へ。
     夜、泉州市石獅の呉さんの父上と姉ご夫婦のお宅で、暖かいもてなしを受けた。

安平橋 古城  
       安平橋                   崇武古城

泉州     海のシルクロードの起点。 唐代から、港湾都市として発展した。
         マルコ ポーロが訪れた元の時代には、中国最大の港湾都市だった。 
安平橋    泉州市安海鎮にある中国最長(2km)の古い石橋。 
崇武古城  中国重要文化財指定。 14世紀、倭寇の侵攻を防ぐために築かれた。
        漢民族だが、独特の風俗習慣を持つ「恵安女」は、よく働くことで知られる。

3/3  朝、泉州のホテルから、いよいよ、土楼群へ向かうはずだったが・・・。
     ここからは、「福建土楼群への旅」篇(3/3予定)で、お伝えすることにしたい。
中国・中国の旅 | Comments(0)

雨上がりの朝

2009年02月21日
            ある朝、2階ベランダの手すりの上で待っていた3匹。 
              前日は雨、タタミは取り込んだままだった。
       押さないで!

            タタミが出ると、ピョンと飛び移ったアミとトラ。 
            ケシはどこへ行った・・・?
        
       よかった
                        
              まず、胸から念入りに・・・。
                         いろいろ工夫をしないと・・・
                                        
        貴重な時間
         散歩をすませたケシも戻り、みんな揃って朝のお手入れ。
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ふきのとう

2009年02月20日
      蕗      キク科 キク属   
               学名  Petasites japonicus               
              英名   Fuki  Giant Butterbur
              和名  蕗 (フキ)

         蕗の薹
                      
蕗は、日本原産。 北海道や秋田には、2m以上にもなる大きな蕗もあるが、
普通は30~70cm。 最近は、里山で自生する蕗が少なくなったという。
早春、葉より前に花茎がでたものを、蕗の薹(フキノトウ)と呼ぶ。 
冬眠から醒めたヒグマが、まず最初に食べるものが、蕗の薹だとか。

「春の料理には苦味を盛れ」といわれるが、これは、冬場、青野菜が不足するので、
春には、蕗の薹に限らず、苦味のあるビタミン類を補おうという知恵でもあるようだ。
例えば、ヨメナのビタミンAは、ほうれん草より多く、ビタミンCはキャベツより多いという。

昨日、八百屋さんの店先で「ふきのとう」をみつけ、つい1パック (11ヶ入60円)
買ってしまった。 
うまく料理する自信もなく、かといって、画材にするは、少々、小さ過ぎたのだが。

もう、何年も前のことになるが、近所の空地で採ってきたものを、我が庭に植えたが、
毎年、今頃になると、蕗の薹が顔を出して、喜ばせてくれたものだ。
いつの間にか、わが庭の蕗はなくなり、空地にも入ることができなくなってしまった。

先日、めったに通らない道だったが、脇にある空地で、「蕗の薹」をみつけた。
雨上がりのせいか、土は柔らかく簡単に抜けたものの、手は泥だらけ。
発見が帰りがけでよかったと思いながら、帰宅後、すぐに、空いていた鉢に植えた。

              蕗の薹スケッチ click!

蕗の薹のスケッチを出してみたら、絵を始めてまもない頃に描いたものから、
その何年後かの、2月9日からお彼岸ごろまでに描いた、数枚のスケッチがあった。
その中に1枚、蕗の薹ではないが、5月の会津旅行で描いた、桐の木の下に
群生している蕗の葉と、その上に乗っている桐の花の画があった。 
会津の桐の里は憶えていたが、蕗をスケッチしたことはすっかり忘れていた。 
思えば、あれから、何年が経ったのだろう。
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ことばと心

2009年02月19日
5歳になった孫りんりんは、「しかも・・・」とか「・・・するしかない」といった言葉を、
結構、うまく使いこなすのだが、幼い顔とあまりに不釣合いな言葉なので、
ついつい、苦笑してしまう。
たまに、親に叱られたときなどに、泣きべそをかいて電話を掛けてくることがあり、
その都度、「今からそっちに行こうと思うんだけど・・・」などと言われると、果たして、
それが彼の希望なのか、親からの伝言なのか、そのあたりの読みがむずかしい。
挙句の果て、こちらがモタモタしていると、「とりあえず、切るよ」と言って電話を切られる。

「とりあえず・・・」という言葉は、私の口癖でもある。 「・・・するしかない」や「しかも・・・」も、
幼稚園の先生ではなく、きっと、テレビや、周りの大人たちが使う言葉なのだろう。

              shinkenja.jpg
              雑誌付録の紙製の小道具で変身
              (胸部分は紛失) 
            
昨年のことだが、彼は、母親に叱られたことが不服だったのか、不機嫌な顔をしていた。
「何を怒っているの?」と聞かれて、「ぼくは怒っていないよ!心が怒っているんだ」と、
真剣に答えたことがあった。 この言葉に、母親も私も不思議と納得してしまった。
とにかく、自分がほんとうに悪かったと思わない限り、決して「ゴメンナサイ」といわない。

言葉は、相手に自分の心を伝える道具だが、その道具を持っていても、
お互いの間に通い合う「心」がなければ、伝わるものも伝わらないような気がする。
逆に、道具の使い方が下手だとしても、「心」があれば、間違いなく伝わるだろう。
極端な話、猫の「にゃあ」も、猫好きな人にはその意図するところがわかるだろうし・・・。

      
               ちょうど1年前のケシとクク 
           2月にココ(左)、10月に母親チビがいなくなった

「耳を澄ませば聴こえてくる 音の日本語」(山下景子著)には、
猫の「にゃあ にゃあ」を、昔の日本人は、「寝う 寝う」つまり、「ねよう ねよう」と
聞いたのだというようなことが書いてあった。
ついでに、狐は古代から稲作の神とされていたが、人を化かすといわれるようになって、
「来う 来う」だったのが、「来ぬ 来ぬ」となったのだとか。

狐で思い出したが、昨年秋、家の近くの稲荷神社が全面改築され、明るくきれいになった。
以前は、背の高い樹々が鬱そうとしていて、暗い階段を上っていくと、頭のとれた狐が
鎮座していて、なんとも薄気味悪かった。
ところが、こんもりとした森は、数本の欅や銀杏だけになり、新築された社殿の前では、
機械で彫られた感じの狐たちがこちらをみている。
社殿の裏へ回ってみると、一時的かもしれないが、先代の狐たちが置かれていた。

             稲荷神社の奥
                    消えゆく運命か?

お稲荷さんも、まっさら、ピカピカになり、現代的な顔の狐たちに迎えられるようになると、
何となく、有難味が薄れ、信じるとか敬うといった気持ちをもてそうにないが・・・。
身近な人びと | Comments(0)

花粉症

2009年02月18日
今日は、24節気の一つ、「雨水」。  
「立春」から、2週間が経ったことになる。
「氷雪融け 雨水温む」、「雪が雨に変わり、氷が融けて水になる」ときくと、
春の足音がすぐそこまで、近づいたように感じるから不思議だ。

そして、いよいよ、花粉症の季節到来。 
電車の扉に貼られた薬の広告の「いざ、花粉」という文字が眼に飛びこんでくる。
ひと口に花粉といっても、1年中、何らかの花粉が飛んでいるらしく、その中でも、
春先に飛ぶスギ花粉による発症がもっとも多く、花粉症の8割を占めているという。

日本人の5分の1が、花粉症というのは、驚きだ。 
幸い、私も、私の周りの人たちにも、いわゆる「花粉症」の人はいないと思っている。
だが、私はもともとアレルギー体質なので、春に限らず、眼が猛烈に痒くなるし、
炎症を起こすことも度々で、「花粉症ではない!」と、大威張りはできないのだが。
今も、眼が痒くて堪らずに、目薬をさしたところだ。 

ところで、花粉症の人が増えた原因としては、スギ花粉の増加、気密性の高い住居、
大気汚染、食生活の変化、ストレスの増加といったことが挙げられるという。
ほかに、雨で地面に浸み込むはずの花粉が、路面に残ってしまうといったこともある。
それらが、アレルギー反応を起こしやすくしているという。

花粉は、何もスギの木に限ったことではない。 椎の花も見るからに、痒くなりそうだ。
我が家の近くにある空地は、銀杏、桜、ミズキなどのほかは、椎の木がほとんどで、
5月頃だろうか、たくさんの黄色い花が樹を覆うように咲くし、秋になると、たくさんの団栗、
椎の実をつける。
この空地は、私が子どもの頃、すでに、「ドングリ山」と呼ばれ、地図には載っていないが、
結構、知られていたので、かなり遠くから、野球をしに来る男の子たちや、犬の散歩に
来る人たちも多かった。今は、金網が張り巡らされ、入ることはできなくなってしまったが。

「花粉症」で、思い出したのは、凌老師のことだ。 
以前、通っていた区の中国語学習会で、凌老師に何年か教えていただいた。
毎年、この時期になると、クラスにだいたい、1人くらいは花粉症の人が現われて、
そんなとき、老師は「水をお飲みなさい。1日に2リットル、無理でも1リットルは・・・」と、
必ず、おっしゃったものだ。 
中国人、特に乾燥しがちな北京では、皆、水をよく飲むそうだが、凌老師は北京の方だ。 
風邪を引いた時も、水をたくさん飲めば、治るのだと言っておられたが・・・。

         水・水・水
                  1日に2リットル・・・?

ちょうど、1年前の今ごろだったと思うが、昨年12月に亡くなられた沈老師は、
珍しく身体の不調を訴えられていた。 
「どうも、風邪が長引いているようだ、もしかしたら、花粉症かな・・・」と。 
このとき、私は、「花粉症なら、水を沢山飲むのがいいですよ」と、凌老師の受け売りをした。 
だが、沈老師の身体の不調は、花粉症などではなかった。 
病気の黄色信号だったのだ・・・。 悔しくてならない。
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日脚伸ぶ

2009年02月17日
先日、電動自転車の慣らし運転をしようと、多摩川べりへ出かけた。
この日は偶々、多摩川に架かる3つの橋を渡ったのだが、まずは、多摩川大橋。
橋を渡り、神奈川県に入って、国道を横切り、御幸公園沿いに歩道をしばらく走った。

      御幸公園沿い (神奈川県) 
      
                  
歩道に映る影をみて、「日脚伸ぶ」という言葉が、ふと浮かんだ。   
     
   待呆け それもまたよし 日脚伸ぶ     嶋田みつ子

「冬至を過ぎると、一日に畳の目一つずつ日脚が延びるといわれるが、
それがはっきり感じられるのは、2月になってからであろう」
と、歳時記にある。
すでに立春も過ぎた今日あたりは、春はすぐそこまで、といった気持ちになる。

多摩川大橋から、神奈川県側を川と平行に走り、途中、寄り道をしながら、丸子橋へ。
東京都に入ってから、慣れない電動自転車のせいで、急坂で転んでしまった。  
坂道でブレーキをかけたが、効き過ぎたのか、のめってしまった。
咄嗟にハンドルを放したお陰で、両掌と両膝で着地したのだが、坂道を登って来たひとに
「大丈夫ですか?!」と声をかけられて、恥ずかしかったこと。  
「大丈夫です!」と、慌てて立ち上がり、自転車を起こした。 Gパンの膝は穴が開いたが、
滑り止付の手袋をはめていた掌は無事だった。 

                       東京 環八沿い(東京都)

ところで、上の写真の東京都側の柵のデザインは、
都のシンボルマークだが、私はずっと「イチョウ」だと思っていた。
だが、ほんとうは、東京都の頭文字のTをかたどっているということを、最近になって知った。

ちなみに、都の木は「イチョウ」、花は「ソメイヨシノ」、鳥は「ユリカモメ」だという。
ついでに、神奈川県は、それぞれ「イチョウ」、「やまゆり」、「かもめ」。
どちらの「イチョウ」も、偶然、昭和41年11月に、住民の投票によって決められたそうだ。

夕方、この日3つ目の橋、ガス橋を渡ったが、今度は、慣れているボロ自転車で出かけた。
花屋さんの店先に、1100円の「思いのまま」(梅の盆栽)があった。  

        思いのまま 
        
結局、その日の帰りに買った「L判の絆創膏」と「滲みない消毒薬」だけで、
膝の傷は1週間ほどで治ったが、その後、電動自転車には乗っていない。       
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雪の中のスケッチ旅行 Ⅲ

2009年02月16日
私にとって、最もドラマチックで、スリル満点だった厳冬の旅、
「下北半島一周の旅」  1999年2月10日~13日  
                    
10日 上野 発 寝台特急「はくつる」  
     車窓からみえる上弦の月が印象的だった。思わず、クロッキー(4枚)

11日 野辺地 着 駅の待合室で朝食をとり、2台のレンタカーで北上
     陸奥横浜 日本一の菜の花畑も雪の中  スケッチ  
     仏ヶ浦 巨岩と海、そして遠く津軽の山並みをスケッチ             
         仏ヶ浦で click!
        
     「私の心を強く打つ出来事がありました。この旅行で初めてお目にかかった
     Kさんは87歳でいらっしゃるとお聞きしました。そのKさんが、絵の道具を持って
     何のためらいもなく、当然のことのようにこの急な雪道を降りて行くのです。
     びっくりしました。Kさんには、『年だから止めておこう』などという気持ちは
     微塵もないのです」 
(Y夫妻の旅行記)
     
Kさんは、実にお元気だったが、ご家族が心配されたこともあり、
90歳を過ぎたとき、退会された。 この3年、年賀状を頂いていないが、
Kさんのことだから、ご近所では、民謡などのお稽古事は続けられていると思っている。 
このKさんにまつわるエピソードは、限りなくあるが、とにかく精神も身体も強靭で、
人一倍、好奇心とバイタリティのある方だ。

                  大間崎 仏ヶ浦など click! 2.11~13 旅の足跡 

     大間町 町営「海峡保養センター」着  
     この時期は観光客は勿論、従業員も少なく、セルフサービスの保養所といった感じ。

12日 大間崎 雪は横なぐりに吹きつけ、視界は全くきかず、「こゝ本州最北端の地」 碑と、
     1年前にできた「マグロ」のモニュメントの前で記念撮影をして、早々に引きあげた。     
     尻屋崎  「寒立馬」(かんだちめ)の牧場で、スケッチ。
     この数年前に銀座のフォトサロンで、偶然、「寒立馬」の写真をみたときから、
     「いつか、この馬たちに逢いたい」という願いが叶った。
     
尻屋崎は本州最北東端の地。 明治9年につくられた洋式灯台の周辺には、
牛馬が放牧されているが、厳冬の寒さに耐えて立つ「寒立馬」の姿は有名。
一時は9頭にまで減り、絶滅が心配されたが、東通村や青森県が様々な保護対策に
乗り出したことで、現在は、30頭までに回復したという。 
    
          寒立馬    
     物見崎   白糠の魚市場の屋根の下でスケッチ。
     古牧温泉 三沢基地を経て、夕方、たどり着く。

13日  小川原湖 全面凍結して、その上に雪が覆って一面の銀世界。 
     
     朝、天気は上々。 途中、小川原湖に立ち寄り、夏泊半島へ向けて車を走らせた。
     「この陸奥湾岸の吹越に抜ける道路は、この吹越の名の通りの、テールランプも
     見えなくなる程の、地吹雪の悪天候となってしまったのです。対向車のヘッドライトが
     急に前方に現れ、思わず車を左に寄せると、道路脇の雪壁に、車が突っ込んでしまい、
     車の窓に雪煙が吹き上がり、一瞬その視野がふさがれてしまいます」
 (旅行記)          
    
こうした状況での運転が1時間余続いた。車は2台で、Yさんご夫妻は後部座席、
私は、Fさん運転の車の助手席。 運転されたお2人は、さぞかし、神経を遣われたと思うが、
私も、眼を見開いて前後左右、あらゆる方向を注視していたので、峠を無事抜けたときには、
まるで夢から醒めたときのようで、現実に戻るのに時間がかかった、そんな記憶がある。
                          地吹雪の中を行く   
     浅所海岸 夏泊半島の白鳥の飛来地。 
     
水辺には白鳥以外にも、鴨などの水鳥が群れていて、観光客も多かった。
ここから少し、離れたところで、スケッチを始めた。、雪も止み、陽が差してきても、
数時間前の恐怖の余波と、溶いた絵具がシャーベット状になる程の寒さで、
絵の出来のほどは・・・。  

後日、秋田の豪雪地帯に生れたごんさんの父に、「地元の人でも、地吹雪のときには
運転はしないが・・・。よく無事だったな」と言われたのを思い出す。
今、「地吹雪体験ツアー」なるものがあるが、車とはいえ、あれほどの体験をした私は、
御免蒙りたい。 それにしても、色々な村おこしがあるものだ。        
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ラスカルのその後

2009年02月15日
昨年、ラスカルを入院させ、いろいろと検査をしたが、原因はわからずじまいのまま、
結局、さいとうさんは、18日間の治療・入院費の9万円を支払うことになった。 

それなのに、退院後、ラスカルは、さいとうさんのところには戻らず、
我が庭の南側に避難してきた。ちょうど、11月末、前脚を捻挫したチャトランが、
病院に連れて行こうとしたさいとうさんの手から逃れ、この場所で治したように。
わが庭の4匹は、そっと、この親戚猫の動静を見守っているようだった。
       
そして、いつのまにか、ラスカルは、この庭にいついたようだった。 
ククはというと、北側の物置の上か、さいとうさんのところで寝て、
朝は、さいとうさんのところで、ターノたちと食事をしているらしい。
     
             物置上のククのウチ

夕方、5時になると猫たちの食事タイム。 ずいぶん、陽が伸びた。 
全部で9匹集まることもあるが、まだ、ミニチャトミケは警戒心が強い。
  
    ミケ  ターノとラスカル

チャトランだけは、若いものは若いもの同士で・・・とでもいうように、
みんなの集まる北側へ行かずに、玄関の前で待っていることもある。

     チャトラン

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懐かしいお菓子

2009年02月14日
今日14日は、聖バレンタインデー。
バレンタインデーといえば、日本では、女性から男性にチョコレートを贈るというのが
一般的だが、最近では、クッキーやケーキなどを贈る人もいるという。

その起源は、3世紀のローマ帝国の時代に遡る。14世紀になると、キリスト教では、
聖バレンタイン司祭が殉教した2月14日を「愛の日」として、大切な人に愛を告白する日
となったといわれる。
欧米では、男性も女性も、チョコレートに限らず、ケーキや花やカードなどを贈るのだそうだ。

日本では、バレンタインデーにチョコレートを贈ることが定着して、いつのまにか、
国民的行事にまで成長したようだ。 
なんでも、この日に消費されるチョコレートは、年間消費量の2割にもなるという。

私は子どもの頃から、どちらかといえば、果物よりも、お菓子のほうが好きだった。
チョコレートは勿論だが、ビスケットやキャラメル・・・お菓子は何でも大好きだった。
 
今のように、いつでも、いろいろなお菓子が食べられたわけではないので、
遠足ともなると、何処へ行くのかということよりも、どんなお菓子を持っていくのか
ということの方に関心があった。 そして、何日も前に買い揃えたお菓子を前にして、
早く開けたいという誘惑に負けそうになったものだ。

チョコレートで思い出すのは、「フィンガーチョコ」という、金銀の紙に1本ずつ包まれたチョコ。
厳密にいえば、チョコレートに覆われた細長いビスケット。 とても懐かしい。
金紙も銀紙も、中には同じチョコが入っているのだが、どちらの紙も捨てられずに、
丁寧にしわを伸ばして、取って置いた記憶がある。
     
        フィンガーチョコg
           やっとみつけたのは、金紙に包まれたチョコだった
 
来客があり、たまに、お土産にチョコレートなどを頂くことがあって、お客が帰られた後の
応接間jで、父がチョコレートや煙草の銀紙で、ワイングラスを作ってくれたことや、応接間の
タイル製のマントルピースと色褪せた重たいカーテンは、今でも記憶に鮮明に残っている。 
不思議なことに、チョコレートそのものやパッケージの模様、父の姿などは
思い出せないのだが。
 
          応接間
                  薄暗かった旧宅の応接間
           
チョコレートのほかに、お菓子の思い出は、たくさんあるが、その一つは、ビスケット。
小学校に入る前だったと思うが、よくお腹をこわして、近くの医院に連れて行かれた。
「消化のよいもの」を医者に勧められたのだろう、たいてい「カルケット」というビスケットを
買ってもらえたので、医院に行くのが、むしろ、嬉しかったことを覚えている。
風邪のときは、喉に「ルゴール」という薬を塗られるので、いやだったけれど。

「カルケット」は、「乳・小児用100%牛乳練 ビスケット」としてスーパーでも見かける。
似たようなビスケットやクッキーなどがたくさんある中で、明治時代からあるこのお菓子は、
さしずめ、「ご長寿菓子」といえるのではないだろうか。 

先日、フィンガーチョコを探して、コンビニのチョコレートのコーナーをみていたら、
パッケージの文字が、反転している「逆チョコ」なるチョコを2種類みつけた。
「男性から女性に贈るチョコレート」と説明があったが、果たして、人気を得られるかしら。
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おにぎりとチャーハン

2009年02月13日
今年から再開した中国語教室でもご一緒のSさんとは、沈老師の教室以前からの友人だが、
4年前、中国人留学生の周さんが南京で結婚式を挙げたとき、彼女は、ご主人の仕事の
都合で、上海に駐在中だったので、絵の友人Kさんと私は、彼女のマンション(27階)に
ご厄介になり、上海から3人で、お祝いに駆けつけたものだ。  (「江南の旅」)

その日本人向けのマンションの25階には、「取締役 島耕作」(厳密には著者の弘兼氏)が
少し前まで滞在していたと聞いたことがあり、弘兼氏に親しみを感じていたせいか、
先日、図書館で、「弘兼憲史」と、「中国」という文字に目が留まった。
その本は、『なぜ「中国式」人間関係が力を持つのか』というエッセイ集だが、
漫画家だと思っていた著者が、電器産業に勤務した後に、漫画家として独立したという
経歴の持ち主で、漫画以外に、エッセイもたくさん出版されていたので驚いた。

この本には、「日本人はおにぎり、中国人はチャーハン」だと書いてあった。
日本人はおにぎりのように、皆でくっついて行動するが、中国人はお米同士がくっつかない、
ドライなチャーハンのようだというのだ。 しかもチャーハンは、1粒1粒に味があると。 
       
          炒飯
             ドライな炒飯には、スープがセット

中国人については、「1人だと龍だが、3人集まれば豚になる」などと、中国人自らが
自嘲気味に言ったり、孫文が、「一盤散砂」(バラバラな砂)と表現したことは知られているが、
たしかに、日本人がイメージするような集団的な行動は苦手なようだ。 

以前、区の中国語学習会で教えていただいた李老師のお話を思い出した。
何年も前になるが、中国がサッカーのW杯出場に向けて、励んでいるときのことだった。
李老師は大変、サッカーがお好きで、授業中に、前日のサッカーの試合の話になるなど、
脱線することもよくあった。 私は、サッカーなど、スポーツの話はよくわからなかったが、
ひとつだけはっきり覚えていることがある。 きっと、日本語で話されたのだと思う。

「中国のサッカー選手、スポーツ選手は、試合でチームが勝つことよりも、
自分が、いかに素晴らしいプレーをして、観客の注目を集めるか・・・ということの方が
重大なのだそうだ。
さらに、練習中に携帯電話がかかると、練習を中断して電話に出るのが普通だと」。

昨年、北京オリンピックを開催した中国。さすがに、今は、このようなことはないだろうが、
それでも、やはり、まだ、日本人と中国人は、「おにぎりとチャーハン」ほど違うのだろう。

再び、「中国式人間関係・・・」に戻るが、中国人は本音と建前を使い分けないのだという。
「中国人の中にいる時、そんなにギスギスした感じがないのは、建前が感じられないからだ。 
本音でつきあってくれているという安らぎのようなものを感じるからだ」
という。
中国人から学びたい「つきあい方のルール」はたくさんあるが、ときには、それらも
反面教師となるものもあるようだ。

終章では、「馬馬虎虎」、「そのうち何とかなるだろう」精神でいこう、ということになる。
「馬馬虎虎」(mama huhu)という中国語は、この場合、「まあまあだ」と言った意味だ。

今まで、集団の中で揉まれながら頑張ってきたサラリーマンは、50歳を過ぎたら、
そろそろ、「ドライで1粒1粒がパラパラして味があるチャーハンの生き方に変えていく」
ということを、この本は勧めているのだ。 

50歳でなくても、サラリーマンでなくても、「馬馬虎虎」「なるようになる」「ケセラセラ」・・・
でいくことにしよう。 チャーハンもおにぎりも大好きだから、どうなることやら。
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光のシャワー

2009年02月12日
時々、東急線の多摩川駅を利用するが、ある日階段を下るとき、照明がカラフルな光である
ことに気づた。
だが、乗換えを急ぐあまり、階段によって色合いが異なることまでは知らなかった。 

これは「多摩川アートラインプロジェクト」の作品の1つとのこと。 
「赤い恐竜」のように、数日間で終わる展示もあるが、この作品のように、
常設となった作品もあるようだ。                  (「偶々みつけた アレッ」)

        アート プロジェクト

      多摩川駅の階段
       「Rainbow Steps  虹の階段」 逢坂 卓郎 (アーティスト) 

 「多摩川駅の9つの階段を         
               階段1色彩と光で満たしました」         
     階段3  
                  「下から地上へと                 
                     階段5あたたかみのある光が         階段2 上っていきます」   

これからは、この駅で乗り換える度に、光のシャワーを浴びるという楽しみができた。
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雪の中のスケッチ旅行 Ⅱ

2009年02月11日
「雪の中のスケッチ旅行 Ⅰ」では、1998年までの訪問先をご紹介したが、
今回は、2002年までの6回の行先をご紹介することにしたい。 

1999年1月    高柳 環状集落  (新潟県 6名 元日パス 1/1~2)       
元日の夕方近く、長岡市内の神社に、初詣に向かったが、渋滞に巻き込まれてしまい、
着いたときは、真っ暗。 すでに店じまいした「おみくじ」売り場を背景に、寒そうな6人が
雪の中に立っている写真がある。 

    高柳環状集落

1999年2月    下北半島一周 (青森県 9名  2/10~13)     
この頃のカメラは、デジカメでなかったこともあり、旅の写真は記念写真風の集合写真が多い。
自分がスケッチした場所の写真があればいいほうで、わずかな写真やスケッチで、
旅を辿るしかないと思ったが、初めてスケッチ旅行に参加されたYさんご夫婦が作られた
「下北半島 厳冬の旅」という、旅行記がみつかった。 

この写真入りの旅行記の「まえがき」に、次のようなメッセージがある。
「結論から申しますと、厳寒の下北の気候と同じように、このスケッチ旅行は 厳しく、
きついけれど、充実した、そして描いた絵は、拙いものであったにせよ、無事やり遂げたと言う
満足感が実感出来た、私たち夫婦にとって、とても素晴らしい三日間でした」

あれから、ちょうど10年の月日が流れた。
私にとっても、冬の旅の中で、もっとも印象に残った「下北半島一周」の旅。
Y夫妻の旅行記を辿りながら、「雪の中のスケッチ旅行 Ⅲ」に書きたいと思う。
 
2000年1月    角館/北上 (秋田県/岩手県 5名 元日パス) では、スケッチより、
お正月気分、観光客気分を味わうことになった。          (「元日の旅」)         
2000年2月    五箇山/白川郷 (富山県/滋賀県 5名  2/27~29) 
1995年に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として、世界遺産に登録されたとあって、
観光客が多いかと思っていたが、さすがに、この雪の深い時期だけあって、学校帰りの
小学生に出会ったくらいで、中でも、五箇山の菅沼集落は静かだった。

      五箇山
                  五箇山の菅沼集落

2001年1月    山寺 (山形県)                 (「秒速50センチ」)

2002年1月    朝日村 (山形県 5名 元日パス)     (「失敗したひとり旅」) 
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少数民族の刺繍展

2009年02月10日
先週、日中友好会館で開催中の「刺繍でつづる母の愛 -少数民族の刺繍工芸-」展
(~2/22 10:00~17:00 無料 JR・地下鉄 飯田橋/後楽園下車)を見に行った。
途中、小石川後楽園の前まで来ると、塀の中に紅白の梅の花がみえた。 
その隣は、以前、通ったことがある日中学院の建物で、あの頃のことが懐かしく思い出された。

少数民族の女性たちは、幼い頃から、母親や祖母に刺繍を習う。
そして、自分が母親になると、わが子のために、衣装や帽子、靴など、
1針1針、丹精こめて精緻な刺繍をするのだという。

        苗族のこども
            「長角ミャオ族の少女たち」  パンフレットから

会場には、苗(ミャオ)族、壮(チワン)族、洞(トン)族など、10の少数民族の女性たちが刺繍した
約80点の作品が展示されていた。 
ミャオ族の「蜘蛛紋 女児衣装」やチワン族の子ども用の「菊花紋の靴」など、どれもこれも、
愛情のこもった、みごとな工芸品といえるもので、思わず、ため息が出る程のものばかりだ。
これを見ながら、10年前の「はじめての中国スケッチ旅行」で出逢った刺繍の布を想い出した。
    
この旅は、絵を描く人、写真を撮る人たち10人で「雲南省・貴州省の少数民族」を訪ねた
11日間だった。 
旅の前に、少数民族の見事な刺繍についての説明を聞いていたが、各地から押しかける
バイヤーや、国内外からの取材陣などにより、彼女らの住む山奥も大きく変化しつつあり、
刺繍も手作業だったのが、次第にミシンに頼るようになっているということだった。

私たちが訪ねたのは、納西(ナシ)族、大紅苗族、長角苗族の住む村だったが、
苗族とひと口にいっても、貴州省の他に、雲南省、湖南省などに、様々な苗族の集落があり、
中でも特に、長角苗族の村(貴州省六枝 高興村)が深く印象に残っている。

          少女たち
                    長角苗族の少女たちの出迎え
  
訪問者が、この村に入る時には、毛糸でグルグル巻きにした角のようなものを頭につけた
民族衣装の少女たちから、水牛の角に入った茅台(マオタイ)酒を受けなければならない。
とても強いお酒で、舐める程度で、許してもらったが。

村の中に入ると、急斜面に建つ家から、ミシンの音が聞こえたり、小さい弟や妹をおぶった
小学生くらいの子どもとすれ違ったりして、全体的に長閑な村に思えたのだが・・・。
彼らは村の広場で、蘆笙の演奏で歓迎してくれた。 しかし、帰ろうというときになって、
刺繍した端布を買ってほしいのか、どこからともなく人が集まって来て、バスが取り囲まれ、
なかなか、発車できなかった。 実に複雑な気持ちで、村を後にしたことを思い出す。
今、我が家には、その時求めた1枚の端布が壁に留めてある。

      刺繍の布

この布の模様は、パンフレットの「長角苗族のこども」の袖の模様と似ている。 
もしかしたら、この布も、少女の服の袖だったのかもしれない。
雲南省の麗江で買った手提げは、ミシン刺繍だと思うが、やはり、「こども」のスカートの
模様と似た刺繍の箇所がある。 
この手提げの裏面は、何かを入れると、すぐにほつれそうなくらい薄い黒い布で出来て
いるので、手提げとして使ったことはない。

           手提げ?
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トレーニング タイム

2009年02月09日
いよいよ、春。 猫だって、たまにはトレーニングをしなくては・・・。

まずは、相撲
            ノコッタ! ノコッタ! 
              倒されそう・・・!

次はボクシング
           うわっ! いきなり・・
           !!
             ありゃりゃ

勝負はついた・・・
               あ~あ         

注 観客席は 硝子戸1枚隔てた室内  
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針供養

2009年02月08日
今日は針供養の日だという。 関西地方では、12月8日に行われることが多いらしい。
主に、粟島神社(淡島神社)や淡島神を祀る堂がある寺院で行われ、
関東地方では、浅草の淡島神社が有名だという。

浅草の女たちは、この日連れ立って、観音さまの境内にある「淡島明神」へお参りする。
お針の神さまである。その頃の下町娘にとって、裁縫はなにより大切な稽古ごとだった。

「針を粗末にする娘は罰が当たって、一生裁縫がうまくならないよ」
私は母にもらった小さい空き缶に、折れたり、曲がったりした針をていねいにしまっておき、
それを年一度の針供養の日に、淡島さまへ納めに行った。
 (「私の浅草」 沢村貞子 著)

この日、使えなくなった針を豆腐やこんにゃくなどの柔らかいものに刺したり、
神社に納めて、供養することで、裁縫の上達を祈るのだという。
針は女性の命とされていた時代には、針供養は大切な年中行事だったようだ。

今、私にとって、最も縁の深い「針」は「中国鍼」かもしれない。 
このところは、近くの整骨院と整形外科に行くことが多いが、
それまでは、楊先生に、随分と長い間、鍼治療をしていただいた。  (「2人の楊先生」)
近年は使い捨ての鍼を使用するので、折れたり、曲がったりすることもなく、
恐らく、供養されることもなく、「医療廃棄物」として消えていくのだろう。 
私の「針供養」は、「鍼に感謝し、健康な身体を願う」ということになるわけだ。

裁縫の針に関しては、少し前までは、たまに、裁縫箱をたまには開けることもあったが、
ミシンが娘のところへ行ってからは、まったく針を持つこともなくなってしまった。
祖母から母へ、母から私へと譲られた塗りの針箱も、上海で買った「唐子の針刺し」も、
初めから裁縫箱に入ることなく、インテリア扱いだ。    (「卆寿のお祝い」)

           唐子の針刺し

この針刺しをみていると、以前みた「小さな中国のお針子」という映画と、主役のお針子
(ジョウ・シュン)を思い出すことがある。 
この紅い針刺しと、お針子が使っていた針刺しが似ているわけではないのだが。

この映画は、フランスと中国の合作で、監督はフランスで活躍するダイ・シージエ。
この監督の世界的ベストセラー『バルザックと小さな中国のお針子』が原作だという。
「文化大革命期の中国を舞台に、2人の青年を通して西洋文学から影響を受け、
自ら運命を切り開くべく自我に目覚めていく少女の心の成長を描いた青春ラブ・ストーリー」

なのだが、珍しくストーリーをはっきりと覚えている映画のひとつだ。

というのも、「映画鑑賞は語学学習に効果的」と勧められたので、映画館以外でも、
ビデオを買ったり、借りたりして、たくさんの中国映画をみたのはいいが、
似たようなあらすじだったり、俳優も同じだったりと、
題名をみても、どんな映画だったか思い出せないことが多いのだ。

機会があれば、また、この映画を見たいと思う。 ストーリーはわかっているので、
今度は、なるべく、字幕をみないで、頑張ってみようと思っているのだが・・・。
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玉川上水から多摩川へ

2009年02月07日
<美大の卒業制作展へ>            (「張り紙が起点で」)

         扇風機がまわる
       Hさんの作品 真ん中に立つと 80数台の扇風機が奏でるのは 
        ドレミファソラシド ドシラソファミレド・・・ 不思議な時間と空間

<玉川上水沿いを歩く> 美大からの帰り道

  玉川上水沿いの道     

玉川上水に沿って、武蔵野の雑木林の中の道を30分ほど歩き、
木漏れ陽の中の落葉を踏みしめながら、足に伝わってくる感触を楽しんだ。
西武線鷹野台駅近くで、自家焙煎の珈琲店(玉川上水を守る会)に立ち寄り、
窓から「中央公園」の雑木林を眺めながらのコーヒータイム。 
ここで「小平グリーンロード」の地図と、「丸ポストMap」の栞を貰って、駅へ向かった。 
 
                     丸ポスト発見
 
駅の近くで、「丸ポストMap」にも載っている昔懐かしい、丸いポストをみつけた。 
「丸ポスト」は、1949年から、新しい鉄製ポストとして実用化されたそうだ。
東京23区内には5本しか残っていない「丸ポスト」だが、小平市には、30本もあり、
都内自治体の中では1位だという。 ちなみに、2位は、18本の府中市とあきる野市。

「ちいさな旅気分」を味わいたい時は、行きと帰りは違うルートにしたいと思う。
そこで、国分寺に出て、中央線で立川へ。そして、南武線に乗換えることにした。

ガラガラの車内、背中からポカポカと陽があたり、なんとも心地よい時間だった。
読みかけの本もバッグに仕舞い、どこか遠いところを旅しているような気分になって、
乗換え予定の駅をなんとなく過ぎてしまったので、途中下車。 この先は徒歩で・・・。
まもなく、多摩川のガス橋に出た。
橋の真ん中で振り返ると、「どんど焼き」の日より、さらに雪化粧をした富士山がみえた。 

<ガス橋を渡る> 東京都と神奈川県の境からの眺め

        上流 
          新幹線鉄橋・丸子橋がみえる 

下流 河川敷の小さな家       
  多摩川大橋方面              河川敷のちいさな家
 
以前、野川によく行った頃、手に入れた「玉川上水散策絵図」によると、
「玉川上水は、多摩川の上流、羽村の堰から分かれて、杉並区久我山付近までつづく、
30Kmの緑道で、周辺には武蔵野の雑木林が残り、史跡も多い」
とある。

もう少し暖かくなったら、スケッチブックとランチを持っての、サイクリングもいいだろう。
玉川上水までは無理としても、多摩川沿いに行けるところまで行ってみたい。
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雪の中のスケッチ旅行 Ⅰ

2009年02月06日
冬のスケッチは、大抵の場合が、2泊3日の雪の中の旅だった。 
久しぶりに、古いアルバムやスケッチの束を出してみると、春や秋に負けず劣らず、
厳寒の中でも、レンタカーを使っての強行軍だったので、あらためて驚いた。

これまでに、何箇所の冬景色を楽しんだことだろう。思えば枚挙にいとまがないほどだ。
関東甲信越、東北の6県は言うに及ばず、富山、福井、滋賀、京都と
日本海側各地へも足を伸ばした。
その上、海の向うの中国各地(北京、江南、福建省のアモイや南靖、永定の土楼など)へも、
この時期に訪ねたことがある。
先ずは、1995年から1999年までの(中国以外の)足跡を、3回に分けてご紹介したい。 

1995年1月    信州 遠山郷 下栗の里 (長野県 1/5~7)    
標高800m~1000m、最大斜度38度の急傾斜地に、耕地や民家が密集している集落で、
別名『日本のチロル』とも、『日本最後の秘境』とも言われている。
     
        南アルプスを望む

私よりちょうど2周り年上のKさんと、1周り上のKさん、そして、Aさんとの4人の旅だった。
崖っぷちまで1mもないという、深く積もった雪道の上で、Aさんが車をUターンさせたことがあり、
Kさんは、今でも時々、このときの恐怖を思い出すそうだ。  
私が思い出すのは、急な斜面にある栗の木と、その下の幾重にも重なる落葉と、
粉砂糖のような雪がつくった鮮やかなコントラスト。  
     
           下栗の栗 click!  「春隣」 4号

1995年3月   花巻 遠野 田沢湖 浄土ヶ浜 (岩手県/秋田県/宮城県)
「サンクス マム パス」を利用した娘とのふたり旅。        
花巻の「賢治記念館」で、降りしきる雪の中でスケッチした。 4号「待春」/20号「忘れ雪」
         
1997年1月   妻籠/馬籠/開田高原 (長野県/岐阜県 8名 1/18~20) 
馬籠宿の木曽花馬を、夜中までかかってスケッチしたことを思い出す。    
雪を冠った木曽駒ケ岳、ずんぐりした木曽馬が、印象的だった。

           木曽花馬 「木曽花馬」 6号 

1998年1月   美山/三方五湖/余呉の湖  (京都府/福井県 4名 1/24~26)
          
       美山 美山
 
美山は、プロ・アマのカメラマンで、賑わっていた。    (サムホール「浅春」)
三方五湖も余呉湖(よごのうみ)では、人影はほとんどなく、
特に、陽が落ちる前の湖は、鏡のように静かで美しかった。

  余呉湖の稲架木 余呉湖   
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路傍で春を待つ

2009年02月05日
  低い生垣
 とくさ  ドウダンの新芽
 トクサ(木賊) 道路と玄関との間に     ドウダンツツジ(満天星躑躅) 六郷用水の沿道で

  寒風 騒音に耐えながら・・・  
 アロエの花 ドライ エノコログサ?
      アロエの花                エノコロクサ  すっかり乾燥して脱色  
植物など | Comments(0)

梅の木と猫たち

2009年02月04日
今日は立春。 猫たちも春が来るのを、心待ちにしているようだ。

2008年2月 生後3カ月のケシとクク・・・やっと、梅の木に登れるようになった頃
     
    ケシ     クク 2.10

2009年1月 生後8ヶ月のトラとアミ

  トラ アミ 1.25  
 
                    観梅の図      
       ずいぶん咲いたね1.29  

昨晩、ノラ猫たちは、寺や神社だけでなく、町内も一回りして、炒り豆のお夜食に
ありつけたことだろう。 果たして、猫は炒り豆を食べるものだろうか? 
少なくとも、わが庭のアミトラは・・・YES。 
りんりんが豆をまき始めると、2匹がやって来て、 庭にまかれた豆を食べ始めたのだ。 

         豆を食べるの図2. 3 18:30
                豆を食べるアミとトラ                      
動物など | Comments(0)

立春大吉

2009年02月03日
明日は立春。 
禅寺では、厄除けのために門柱に「立春大吉」と大書した紙を貼る習慣があるというが、
この四文字は、縦書きすると左右対称になり、災難除けと招福のおまじないになるらしい。
我が家の近くに禅寺はあっただろうか。 真言宗、浄土宗のお寺は知っているが・・・。

節分の前日にあたる昨日、大田区の雪ヶ谷八幡神社で、「節分追儺式前夜祭」が行われた。

隣駅にある図書館を3時ごろに出て、中原街道をゆっくりと歩いて、八幡神社に到着。
すでに裃を着けた年男・年女の人達が、本殿につづく階段に腰かけて、記念撮影中だった。

   まだかなあ 豆ひろいの練習?

本殿で式典が行われている間、三々五々、少しずつ、人が集まってきた。 
子どもたちだけでなく、お母さん、お婆さんたちも、手に手に紙袋やレジ袋などを持ち、
「豆まき」の始まりを、今か今かと首を長くして待っていた。
 
                準備はバッチリ!
           ボール紙を入れ、洗濯バサミで固定、袋の口を大きくして・・・

いよいよ午後4時。「豆まき」が始まった。 私も、バッグの中に、「いざ」に備えての
リュックになるビニール袋があることを思い出し、広げてみた。 結構、大きかった。 
カメラを構え、袋を左腕に下げているだけで、豆が幾粒か入ってきた。

         鬼はそと~

あっという間に、「豆まき」は終わった。 参拝をして、福豆の入った袋をいただき、
その袋と、折畳んだ自分の袋をバッグに仕舞った。

          福豆と落花生とみかん

帰宅後、いただいた袋を開けると、福豆の袋、落花生の袋と蜜柑が各2個ずつ入っていた。 
さて、自分の袋の方はと、中をみると、ひと粒も入っていない。
「あれっ、そんなはずが!」と思いながら考えてみると、どうやら、袋をしまったとき、
逆さまにして、神社の境内に撒いてきたらしい。
豆そのものが、「災い」の象徴ともいわれる。 厄落としをしてきたことにならないだろうか。
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節分には

2009年02月02日
明日2月3日は「節分」。
節分といえば、子どもの頃には「鬼の面」と「豆まき」くらいしか思い浮かばなかったが、
「焼いたイワシの頭とヒイラギ」とか、最近では、関西地方にしか見られなかったという
「恵方」、「恵方巻き寿司」などという言葉も耳に入るようになってきた。 

本来、「節分」は「せち分れ」とも言い、季節の変わり目、立春・立夏・立秋・立冬の前日を
指す言葉だったが、今では、立春の前日をいうようになったのだという。
              
               節分かざり?
<豆まき> 
「鬼儺(やらい)」ともいわれ、中国の「追儺(ついな)」の儀式と日本の「節分」が融合したもので、
「魔目」(鬼の目)にめがけて、豆を投げれば「魔滅(まめ)」、つまり魔が滅するとされる。
豆は鬼を追い払う道具でありながら、鬼そのものと見做されていたようだ。

「鬼は外、福は内」と、一般に、厄年にあたる人が豆をまくことが多いが、ほかにも
年男、年女、一家の主など、様々だという。 今年の節分は火曜日。 
孫たちの家の「一家の主」は、果たして、豆まきタイムまでに帰宅できるのだろうか。

<ヒイラギとイワシの頭>          
鬼が嫌うという「柊の枝に焼いた鰯の頭を刺したもの」を戸口に立てるという風習があるが、
まだ、お目にかかったことがない。 

        ヒイラギ

晩秋に、白い花を沢山つけていたヒイラギも、今はもう、花1つとなっていた。
今、わが庭の隅にある柊は、以前、門の前にあり、きれいな青紫の実がなるころになると、
決まって葉は穴だらけになっていたものだ。 
虫には好かれる柊の葉も、鬼には、さぞかし厄介な、棘だらけの葉に違いない。 

<恵方巻き> 
節分の日に「福を巻き込む」という太巻き寿司を、歳徳神が司る方角、恵方を向いて
無言で丸かじりすると、1年間健康でいられる
といわれる。 
円い寿司を切るのは「縁切り」を避けるためで、黙って食べないと神さまに失礼だからとか。
毎年方角が異なり、今年の恵方は、東北東だそうだ。

今や、寿司店だけでなく、スーパー、コンビニなど、あちこちで、「恵方巻きのご予約」という
張り紙やチラシをみかけるようになった。 ちょっと集めてみただけでも、鬼の面や福豆、
恵方がわかる「方位磁石」付き、ペットボトルのお茶のプレゼント、誰々のブロデュースだとか、
カラフルなチラシばかり。
ついに、おみくじ付きの恵方巻きや「節分ロールケーキ」まで登場するようになった。
ちなみに、このおみくじは、「大吉」「中吉」「小吉」の3種で、割引クーポンになるらしい。
      
         恵方巻き予約チラシ

「鬼」にも長い歴史があり、また、諸説あるようだが、いずれにしても、
鬼というのは、人間の弱さ、邪心そのものを指しているような気がしてならない。
豆や鰯で、まして、お寿司で、心の中の鬼がいなくなるのだったら、どんなにいいだろう。

ともあれ、節分が過ぎれば、街はバレンタインデーの商戦一色となる。
つれづれ | Comments(0)

受験シーズン

2009年02月01日
例年のインフルエンザとは違うらしい、嫌な風邪が流行っているが、そんな中、
中学高校入試の受験シーズンがやって来た。

電車内で目にする「□いアタマを○くする」というキャッチ コピーの、「日能研」の額面広告は、
たいてい、昇降口の横にあるようだ。 それには、前年度の中学入試問題が載っており、
たまに、背広のオジサンが、熱心に見入っていたりする。

私がその問題に挑戦するには、2つの条件がある。
それは、比較的混んだ車内で、自分がドアの傍に立っているとき、そして、理数系以外の
問題のときに限られる。 
「解けた!」ときでも、車内では答え合せはできない。「正解はホームページ上で」となるので、
正解かどうか確かめることもなく、そのまま忘れてしまうことが多い。

          優先席の上に

だが、先日、出会った、昨年度のF中学の国語の入試問題は、書き留めた。
「映像(映画など)と比べて、本を読むことの魅力はどこにあると思いますか。 
100字以上150字以内で述べなさい。」 
というもの。
むずかしい! 穴埋め、○×式で過ごしてきた、世代には、お手上げだ。

日能研のホームページを開いて、解答を見てみたが、これがまた、むずかしい!
「映像は、音や色、形などのイメージが具体的であるがゆえに、限定された情報として
受動的に受け取る作業といえる。それに対し、本を読むことは、書かれた言葉から
そこにえがかれていることを自由に想像できたり、読むリズムやスピードを
自分で調整できたりと、能動的な作業を楽しめるところに魅力があると思う。」


この広告は、月に2度ほど差し替えられるようだが、他日、社会の問題をみつけた。
昨年のS女子中学の入試問題。最近は、こうした記述式の問題が増えているのだろうか。
問題文が長いので、一部省略して、紹介してみる。

次の文を読み、問に答えなさい。
「岐阜県は7県に囲まれた内陸県です。
(中略)
北部の山あいには、1995年世界遺産に登録された白川郷があることで知られています。
(中略) 昭和の初めに、ここを訪れたドイツ人の建築家タウトは、こうした民家を
『合理的かつ論理的で独特の構造』と高く評価しました。
この巨大な屋根は、30年から40年ごとにふき替えなければならないのですが、
昔も今も約200人の村人が協力し、わずか2日間で仕上げるのだそうです。
この助け合いの制度を『結(ゆい)』といいます」

問は、この「結」について、「このような地域社会の助け合いを現在の生活に
活かすとしたら、どんなことができるでしょうか。あなたの考えを書きなさい」
というものだ。

こういった問題は、採点するのも大変で、どんなに頭を悩ますことだろうと思ってしまう。
受験生の皆さんには、「高熱を出し、注射で抑えながら、本番に臨む」などということに
ならないよう、十分に気をつけてほしいと願うばかりだ。
つれづれ | Comments(0)
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