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ただ今、お仕事中

2009年09月30日
街頭でみかけたシーン

            上野
               信号機のクリーニング  台東区上野
       
                  鎌倉
                         雨の中を行く人力車   鎌倉市

いつか、横浜赤レンガ倉庫で乗った「VELOTAXI」は、屋根つきの電動自転車だったが、
この人力車は、まさに人力のみによる。 雨の日、俥夫はびしょ濡れになって走る。
因みに、乗車料金は、観光案内も含めて、初乗り運賃が1人当たり1000~2000円で、
15分・30分・60分・貸切などさまざま。 自転車ではないので、軽車両扱いだという。
VELOTAXIは、区間によって、一人当たり300円からだった。(「横浜三塔めぐり」)  

駅のホームで出逢った場面
                   三田
                      案内板の更新作業  都営地下鉄ホーム
  
      自由が丘
       エスカレーターの点検修理   東急東横線ホーム
旅・散策・イベント

初秋 わが庭の猫たち

2009年09月29日
わが庭で生れた猫のククとケシは、そろそろ、2歳になるが、ククは、2階ベランダには、
まったく姿を見せない。 どこで食事をしているのだろうか。 
たまに、庭の石灯籠の上に寝ていたりはしているが。
ケシは、どうやら、さいとうさんのところでも、食べているようだ。 
さいとうさんは、朝、大きな餌入れをいっぱいにして、出勤されるのだが、
ここに集まる猫たちは、ほかの猫が食べているときには、後ろで、じっと順番を待っている
のだそうだ。 1度、この光景をみてみたいと思っているのだが、まだ、機会がない。

 スタンバイ?するケシケシ
               ごはんまだかなあ

さいとうさんのお話によれば、ケシがご自宅の玄関のドアが開くのを見て、
道路を横断して来ることもあるらしく、災難に遭いはしないかと心配だ。
ターノの交通事故後に、「危 スピード落とせ!」の看板が立てられたが、
猫たちには、この道路の危険度が、まったく分っていないのだから。 
 
          ふうちゃんふうちゃん
                   
わが庭の初代の猫、ふうちゃんは、たまに顔をみせる。
ケシたちの母親チビが1年前にいなくなり、父親代わり?チャトランも姿を消して、
従弟のターノもいなくなった。 
猫たちは、過ぎたことを覚えていないのかもしれない。 
今は、よその猫たちとも仲良く、毎日、自由で気侭な?生活を謳歌している。

     アミアミ

夏の間、めったに姿をみせなかったアミも、たまに食べに来るようになったが、
彼女は、食べ終わるとすぐに、どこかへ立ち去って行く。
         
            トラトラ

涼しくなったせいか、トラは302号室に入って過ごすことが多くなった。
ケシも、たまに301号室で寝ていることがあるが、何といっても、トラが2階ベランダの
主だという顔をしている。 兄のケシは、相変わらず遠慮がち。
 
        トラとケシ
         ケシが食べていた食器を引き寄せるトラと、手出しをしないケシ
動物など

芝公園の名木たち

2009年09月28日
はじめてだったが、港区のみなと図書館へ行ってみた。 
都営三田線御成門駅で降りて地上に出ると、図書館はすぐ目の前だった。
ここで2冊を返却後、増上寺と芝東照宮に行く予定だったのだが、
また借りてしまい、来た時より重くなった手提げを持って、歩くはめになった。

御成門もはじめて見た。 この門は、徳川家の菩提寺である、芝増上寺の裏門の別称で、
将軍が参詣する際に、この裏門を用いたため、こう呼ばれるようになったとか。
もともと御成門交差点付近にあったが、明治25年(1892年)日比谷通りがつくられた際、
現在の地に移設されたという。

            御成門 御成門       
    
            二天門 二天門

御成門交差点から、日比谷通りを増上寺の方へ歩いていくと、「有章院霊廟二天門」
(重要文化財)が目に入った。 有章院は、第7代将軍、徳川家継の院号。  
この霊廟は、享保2年(1717年)、第8代将軍吉宗が造営したものだが、
昭和20年の空襲で、この二天門を残して、すべて焼失してしまったという。

増上寺南端に位置する、「旧台徳院霊廟」は、寛永9年(1632年)に造営された、
第2代将軍徳川秀忠の霊廟。 
            旧台徳院霊廟惣門 惣門

増上寺の「三解脱門」から、境内へ入ったが、あまりにも広い境内で、参道を挟んで、
アメリカの第18代大統領グラント将軍お手植えのヒマラヤスギ「グラント松」と、
第41代ブッシュ大統領お手植えの樹「ブッシュ槙」はあったが、
カヤの大樹は見つからなかった。 
大殿で参拝後、会館で訊ねてようやく、経蔵の奥にあるとが分り、早速行ってみた。
 
増上寺のカヤ
      カヤの樹 
           幹囲4m 樹高25m 樹齢600年 区指定天然記念物

想像以上に見事なカヤの樹だった。 世田谷の善養寺の大カヤの樹と比べると、
真っ直ぐに伸びていて、素直な樹といった印象を受けた。(「大カヤのある古刹」)

芝東照宮のイチョウ
      銀杏
        幹囲6.5m 根回り8.3m 樹高21.5m 都指定天然記念物  

東照宮は家康(東照大権現)を祀ってあるところで、芝東照宮は、当初、増上寺安国殿と
呼ばれていたが、明治の神仏分離令によって増上寺から切り離され、東照宮となった。
ここにあるイチョウは、寛永18年(1641年)、安国殿再建の際に、3代将軍家光が
手ずから植えたものと伝えられている。

都立芝公園で
 トウカエデ タブノキ クスノキ
 1本に合体したトウカエデ   象の足のようなタブノキ    あっと驚く?クスノキ
                                       
芝公園は、日本で最初の公園として指定された都立公園。
造成時に植えられたのか、クスノキの古木が至るところに見られる。赤羽橋近くに、
幹囲5.2m、樹高13mの巨樹があるとのことだったが、そこまでは行けなかった。

公園南端の林の中にある、都内最大級といわれる芝丸山古墳の急な階段を登ると、
「伊能忠敬 測量記念碑」があった。 近くに、まだ青い栗の毬がいくつも落ちていて、
しばしの間、都会の喧騒を忘れて、見入ってしまった。

          伊能忠敬記念碑
           伊能忠敬 測量記念碑  「日本地学協会」による

芝丸山古墳は、4世紀後半から5世紀に築かれたとされる前方後円墳で、
全長が112mあり、都内最大の古墳とされる。 東京都指定史跡。
因みに、都内にある大型古墳をみると、大きさ順に、大田区の亀甲山古墳(107m)、
大田区宝来山古墳(97.5m)、上野公園内摺鉢山古墳(70m)、大田区浅間神社古墳
(60m)と続く。
旅・散策・イベント

秋祭りの山車とお神輿

2009年09月27日
氷川神社赤坂氷川祭  9.19-9.20  (港区赤坂)

氷川神社 の歴史は古く(951年創建)、社殿は、築280年の都指定の文化財。 
境内には、樹齢400年のイチョウや大きなクスノキなどが葉を茂らせている。
元禄の頃は、浅野内匠頭の夫人 瑤泉院の実家である浅野土佐守の屋敷で、
大石内蔵助が討ち入り前に訪れて、別れを告げた場所であったとか。

今年は本祭りで、源頼義と源頼朝の人形を載せた山車2基と15基のお神輿が、
赤坂の街に繰り出すというので、2日目の午後、Tさんを誘って出かけた。

江戸時代には、各神社ごとに山車があって、巡行が盛んに行われていたが、
震災や戦災で壊滅状態となった。 地方へ流出した山車も多い中、この神社の山車は
辛うじて部品が残っていたので、平成18年、この文化遺産を将来に残そうと、
地元でNPO法人が発足。 2台の山車を修復し、残存した頼義と頼朝の人形を載せ、
翌年から巡行を行っているそうだ。
     休憩中

当日は午後だったので、残念ながら、宮出しと連合渡御には間に合わず、
休憩地点の赤坂サカスで、頼朝の山車を間近に見ることができた。 
頼義の山車は、前日にお出ましだったようだ。
赤坂サカスで休憩した頼朝の山車と、15基のお神輿の直進組と右折組とが交差する
辺りに立つことが出来た。 爽やかな秋空のもと、担ぐ人たちのハッピも色とりどり、
勢い余って植え込みになだれ込んで来そうになったりと、迫力満点、楽しいひと時だった。

                頼朝 頼朝の山車       

山車は地方によって、形が変わるとともに、いろいろな呼び方をされている。
因みに、関東では、「山車」または「屋台」、関西では、「山車」または「壇尻(だんじり)」と
呼ばれるそうだ。 山車もお神輿と同じように、神さまの乗り物だと言われている。

      13:21     13:25 
                 13:30                
      13:35    13:37
                                 

金王八幡宮例大祭  9.19-9.20  (渋谷区渋谷)

気功の練習の後、金王(こんのう)八幡宮に、金王桜の木を見に行った。 
この桜は、長州緋桜という種類で、雄しべが花弁化したものも混じり、一枝に
一重と八重が入り混じって咲く、珍しい桜。江戸三名桜の1つに数えられたという。

            金王神社の神輿 都内に現存する最古の神輿

ご神木のシイノキの傍に、お神輿や獅子頭などが収められた建物があった。 
このお神輿は、江戸時代初期に、金王八幡神社の氏子であった人たちが、
鎌倉八幡宮の大祭に参詣の折、そこの神輿を担ぎ出し、そのまま持ち帰ってしまった
ものと伝えられていて、当時の鎌倉七神輿の1つだとのこと。


この神宮の例大祭には行けなかったが、お神輿が渋谷駅、道玄坂、文化村通り、
センター街などを巡ったことだろう。

           センター街の神輿
                
毎年、この時期、渋谷東急プラザのロビーには、渋谷センター街の神輿が飾られる。
旅・散策・イベント

秋祭りとお相撲

2009年09月26日
両国の江戸東京博物館で、「江戸東京 ねこづくし」という企画展が開催中だったので、
9月半ばの日曜日に、出かけてみた。 
博物館で様々な猫たちに出会い、江戸にタイムスリップした後、宮津藩下屋敷だった
当時のままという、旧安田庭園まで足を伸ばした。 

その途中、威勢のいい掛け声が聞こえ、お神輿を担ぐ人たちがみえた。 
向島にある牛島神社の例祭だとのこと。 中には、若い人から年配の人まで、
女性ばかりで担がれたお神輿もあって、男性が担ぐお神輿とは、また違って
とても楽しかった。 

牛島神社例祭  9.12-9.13   (墨田区向島)
   女神輿
                           
旧安田庭園からJR両国駅まで戻る途中、3時過ぎだったか、大勢の人たちが国技館に
入っていくのが見えた。 たくさんの幟が上り、自由席の空きはないとのこと。 
私は、小さいとき、叔父に連れられて、お相撲を見たことはあるのだが、
普段は、関心が薄いため、この日が大相撲九月場所の初日だと知らなかった。

    国技館

駅付近では、何人もの力士たちを見かけ、歩道には、力士像や手形の碑があったりと、
両国は、活気あふれる、相撲一色の町だった。 

 力相撲   力士像 力士像 
     JR両国駅前         北の湖、若乃花などの手形     駅前の歩道
        
世田谷八幡宮例大祭  9.19-9.20  (世田谷区宮坂)

今年6月、北沢川緑道を歩いて、世田谷城址や招き猫で有名な豪徳寺、そして、
この八幡宮を訪ねたとき、大鳥居をくぐり、本殿に向かう途中に土俵があった。
 
毎年、例大祭には、東京農業大学の相撲部の学生たちによる「奉納相撲」が開催される。 
1546年、世田谷城主の吉良頼康が、社殿建立の折、民衆の士気を鼓舞するために、
相撲を奉納したと伝えられ、その勝敗で翌年の豊作、凶作を占ったのだという。
この相撲は、単なる余興ではなく、あくまでも神事の一環なのだとか。
世田谷八幡宮の奉納相撲は、江戸時代には「江戸三大相撲」の一つといわれたそうだ。

今月19日、中国語学習会の後、寄ってみた。 三軒茶屋から世田谷線に乗換え、
宮の坂で下りると、目の前にお祭りの提灯と八幡宮の石垣が目に入った。
すでに土俵が調えられていた。 お参りをし、ご朱印を受け、境内の巨樹を探したが、
樹だけでなく、狛犬まで、沢山の屋台に取囲まれていて、近づけない状態だった。

奉納相撲の開始前
    狛犬   開始前
       祭りの日の狛犬              開始を待つ犬連れの観客

厳かに行われた儀式
 親子三代 塩で清める
    親子三代?の神官の登場                 塩でお清め

拍手と声援、笑い声の中の相撲
        四股踏み30回 
                  準備運動   四股踏み

まもなく、円形劇場のような石段の席?は、ほぼ、満席になった。
相撲部の監督さんが、四股踏み、取組みの解説と共に、学生さんたちのエピソードなどを、
面白可笑しく話されるので、相撲のことがわからない私も、どんどん惹き込まれてしまい、
ほんの少し見たら帰るつもりが、とうとう、優勝決定戦、表彰式まで付き合ってしまった。 

     団体戦?     個人戦?

長崎対青森などの出身地別団体戦や個人戦だけでなく、飛びつき3人抜き、5人抜き
などもあり、後から飛びつく不意打ちがあったりして、滑稽なシーンも頻発・・・。
これには、拍手や歓声だけでなく、度々、大爆笑の波が起こった。

18人の学生力士たちの中には、父親も農大相撲部出身という、M君がいたり、
U君は、今年の盛岡大会で、食べたわんこ蕎麦が267杯、来年は、300杯に
挑戦すると言っているとか、大学でヨーグルトを作っているS君はお酒には弱いとか、
そういった、監督さんのお話も楽しかった。 この監督さんの下、皆、親元を離れて、
勉学に相撲に励んでいる。 相撲はスポーツだということをあらためて思った。

                個人優勝決定戦
                     個人の部 優勝決定戦
旅・散策・イベント

秋祭りの季節 

2009年09月25日
秋祭りが各地で行われている。 
巨樹と言われる古木は、神社やお寺にあることが多く、樹を訪ねて歩き回っていると、
行く先々で、お祭りの山車やお神輿に出会う。

諏訪神社大祭   8.29~8.30  (荒川区西日暮里)  
   谷中    谷中  
         
夏の終り、谷中を歩いた日は、ちょうど諏訪神社のお祭りの日だった。
下町風俗資料館のセットと同じような、民家の軒先に、祭礼提灯が飾られていた。
お目当てのお寺に向かって歩いていると、子どもたちのお囃子の山車が通り過ぎた。 

「幕末三舟」のひとり、高橋泥舟の墓碑がある、大雄寺の境内に入ると、そこはちょうど、
お祭りの休憩所のようになっていて、たくさんの人たちが集まっていた。 
皆は見慣れているせいか、誰一人として、クスノキに眼をやる人はいなかった。

大雄寺のクスノキ   (台東区谷中)
        大雄寺
           幹囲6.2m 樹高13m 樹齢200-300年

都内で、樹種別幹囲第1位のこのクスノキは、幹の根元の方が大きくふくらみ、
実に面白い形をしていた。 どっしりとしていて、のびのびと枝を伸ばしている。 
一目で気に入り、カメラに収めた。
クロッキーは出来なかったが、パソコンのデスクトップの画像を、このクスノキに変えた。
パソコン起動の度に、画面いっぱいにクスノキが枝を広げて、迎えてくれる。

熊野神社例大祭   9.5~9.6   (目黒区自由が丘) 
   熊野神社     樹齢300年
       屋台がつづく境内            樹齢300年のケヤキ

東急線自由が丘駅、駅前からお祭りムード一色。 
一方通行の狭い道路は、お神輿と見物客ですし詰め状態。
その脇を通り抜けて、神社の階段を上ると、ここも参拝を待つ人の列。
20分程並んで参拝をすませ、ご神木を眺めて、早々に引揚げた。

       自由が丘  駅近くの商店街

商店街に入ると、「馬」と呼ばれる、お神輿を置く台に登った、勇ましいハッピ姿の男性が、
近づいてくるお神輿に、「止まれ」の合図を出している。 お神輿は、後方に下がって、
再び進むと、「止まれ」の合図。 これを数回繰返した後に、お神輿は、やっとのことで、
馬に乗せられた。 担ぎ手も、見物人も一休み。

奥沢神社大祭   9.12-9.13  (世田谷区奥沢)   
   奥沢神社  昨年の作   
       雨の中 屋台つくりも大変              これから1年間 よろしく           

6月末の茅の輪くぐりのとき、この神社の大祭の初日に、「大蛇のお練り」があると知って、
この日を楽しみに待っていたのだ。                   (「茅の輪くぐり」)  
ところが、天気予報が外れ、朝から土砂降りになった。 中止かなとも思ったが、自分の目で
確かめたくて、雨の中、出かけてみた。

拝殿 新作 
     お練りの中止を告げられる             来年の大祭まで この拝殿に 

因みに、このお宮の大蛇の由来は、
江戸時代の中頃、この地に疫病が流行ったが、このときの八幡大神のお告げ通りに、
藁で大蛇をつくり、村人がこれを担いで、村内を巡ったところ、疫病が終息したという。
それ以来、厄除けの大蛇として、鳥居に絡ませるようになったそうだ。

   神輿   神輿
                    「大蛇みこし」   

その翌日は晴天になった。 この「大蛇みこし」が、きっと、大活躍したことだろう。
藁の大蛇は、およそ、長さ10m、胴の直径25cm、重さ150kgあるそうだ。        
旅・散策・イベント

北京たより

2009年09月24日
9月初めに、絵の友人Hさんが、北京へ発たれたが、4月に赴任されたご主人の元で、
ひと月ほど滞在される予定、とのことだった。

彼女の中国語は、学習を始めて間もないので、まだまだビギナーの段階だが、
北京では、ご主人の上司の奥様とお親しいとかで、不安はほとんどないと、
安心しておいでだった。                      (「和製の二字熟語」) 
今回の彼女の旅が、ひと月の長さと聞き、私は、いろいろと、おかしな頼みごとをした。 
それは、私が最初の北京の旅で出合った、蓮の葉の粽を食べた店を探してみてほしい
ということと、鐘楼の上から故宮方面を眺めて、6年前の冬に撮った写真と比べてみて
ほしいということで、その写真をお預けした。 
北京オリンピックで、鼓楼や鐘楼付近の、雑然とした胡同や四合院は跡形もなくなり、
新しい建物が建っているに違いないと思ったからだ。

彼女が北京に到着して数日後、早速にメールが届いた。
蓮の葉の粽「荷葉飯」の店があったと思われる、西海付近は、かなり整備されていて、
いかにも新しい感じの、小綺麗な胡同風の街並になっており、店はみつからなかったが、
后海のそばのお店でお昼を食べた時、お店のメニューの中に荷葉飯を見つけ出し、
場所は違うものの、目的達成!しました
」とあった。

      鐘楼から 2009.9.1 
                 鐘楼より故宮方面を望む    Hさん撮影  

       冬の北京  2003.1.2
                 40年ぶりの雪が屋根に残る6年前の冬 
 
鐘楼下にあった風情のある胡同は、屋根が葺き替えられたようで、細かくごちゃごちゃした
部分は無くなってしまい、その分、面白さも無くなってしまったのかな・・・などと思いました」

塔の上にいた警備の人に、6年前の私の写真を見せたら、懐かしそうな感じだったとか。

「鼓楼では丁度、4時の太鼓をたたく時間に立ち会えて、面白かったです。
両方の階段がキツかったので、今、筋肉痛に苦しんでいます。
今日は、王府井の方に行ってみる予定です」
と、すっかり、北京の生活を満喫されている。
羨ましい!羨ましい!の連発の返信になってしまった。

彼女は、9月を半ばも過ぎると、すっかり、「北京人」になられたようだ。   
「このところ毎日、日課のように、下の川に咲いている蓮の花をスケッチに行っています。 
先日は、雨上がりで地面が濡れていたので、道具は小さなビニールを敷いて、
その上に一部しか置くことが出来ずにいました。 スケッチブックと、その上に顔彩を乗せて
抱きかかえ、危なっかしい姿勢で描いていたら、それを見かねたか、川べりにあるレストランの
コックさんが、いすを持って来て、下に置いていた道具を乗せてくれ、「使えば・・・」と
言った感じ。(中国語でいっぱいしゃべっていたのですが、理解出来ず・・・)
描き終わって「謝謝ニン」と言って、おじさんにいすを返したら、とっても照れくさそうに
「不客気」「不客気」と言っていました。 
それから毎朝スケッチに行って、おじさんに挨拶するのが楽しみになっています」
と、
素敵な「お馴染みさん」が出来たという、楽しいメールを頂いた。

「謝謝ニン」は「有難うございます」、「不客気」は「どういたしまして」の意味。
ひと月の間で、彼女の中国語は、格段の進歩を遂げたに違いない。
旅・散策・イベント

彼岸花

2009年09月23日
今日、秋分の日は、24節気の1つ。 陰陽相半ばする候となった。 
春分の日と同じように、昼と夜の長さがほぼ同じになる日だが、昼の平均気温は
10度程高く、まだ夏の気配が残っている。

秋のお彼岸といえば、おはぎと彼岸花を思い浮かべる。
昔は、春のお彼岸には、ぼたもち(牡丹餅)、秋は、おはぎ(お萩)と
呼び分けていたようだが、近頃は、1年中、おはぎということが多いとのこと。

  ヒガンバナ   ヒガンバナ科  ヒガンナバナ属
            学名  Lycoris radiata Herb.
            和名  彼岸花  曼珠沙華(マンジュシャゲ)
            英名  リコリス red spider lily
           
            ヒガンバナ大田区 
               
これは、有毒な多年生の球根性植物。 中国か朝鮮半島からの稲作の伝来時に、
土と共に鱗茎が混入してきて広まった帰化植物とのことだ。
園芸用に改良されたリコリスは、昔、デッサン教室で何度か描いたが、
どうも、ピンとこなかった。 やはり、曼珠沙華の、赤い色と形が好きだ。  
     
           白い彼岸花杉並区 
                   白彼岸花       

彼岸花の別名「曼珠沙華」は、法華経の中の梵語に由来するということだが、
この花は、千以上の別名・方言を持ち、国内で最も多くの名を持つといわれる。
死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花、捨子花などの別名のように、不吉な花として、
忌み嫌われることも多いが、有毒と言われる鱗茎は水にさらして食用となるため、
昔は、救荒食として飢饉に備えたり、土に穴を掘る小動物を避けるため、
畦や土手、或は墓地周辺に植えたようだ。

埼玉県日高市の巾着田には、一面に群生したこの花を見るため、毎年、この時期に、
臨時電車も出るほど、多くの人が集まるという。 
私も、いつだったか、彼岸花の咲く時期ではなかったが、ここを訪ねたことがある。
だが、私の好きな彼岸花のイメージは、薄暗い樹の下に、ぽっぽっと咲く、火炎のような
「曼珠沙華」だ。

初秋にスケッチに行った、浜離宮庭園(中央区)、小石川後楽園(文京区)、そして、
清泉女子大学(品川区)の庭でも咲いていたが、そこでこの花を描いたことはない。 
毎年、我が家の近くに咲いている場所があるので、お彼岸の頃には、そこをよく通る。
そして、蕾を見つけた日の晩、数本、頂いてきて、家で、じっくり描いたものだ。
あるとき、地下茎ごと頂戴してきて、庭に埋めたことがあり、わが庭でも、毎年、
小振りながら、花を咲かせてくれる。
         スケッチ1部 click!1996.9.22*

彼岸花を家に持ち帰ると、火事になるという、迷信があるとか。
この花は、炎を連想させると共に、有毒を警告するためにそういうのだろう。 
まだ、スケッチしかしていないが、そのうち、「炎の花 曼珠沙華」の本画を描いてみたい。
植物など

大学構内にある巨樹

2009年09月22日
都内にある大学の敷地は、江戸時代の大名屋敷だったところも多く、
その構内で、巨樹を見ることができる。 たとえば、

東京大学(文京区)は、加賀金沢藩前田家の上屋敷跡、
慶応大学(港区)は、肥前島原藩松平家の下屋敷跡、
上智大学(千代田区)は、尾張名古屋藩徳川家拝領屋敷跡、
青山学院大学(渋谷区)は、伊予西条藩松平家の上屋敷跡、
清泉女子大学(品川区)は、陸奥仙台藩伊達家の下屋敷跡
といった具合だ。

清泉女子大学構内のフウノキ  品川区

清泉女子大学がある高台、島津山は、元は仙台藩伊達家の下屋敷、
明治以降は島津公爵邸だったことから、そう呼ばれている。
イギリス人コンドル博士の設計による邸宅は、現在も、校舎として使用されていて、
その庭の中央には、フウ(楓)の木が大きく枝を広げている。 

フウは、マンサク科の落葉樹で、台湾や中国南部に自生する落葉の高木。
ここの「フウの木」は、1716年~1735年頃、日本に初めて移植された台湾フウで、
幹囲約3m、樹高20m。樹齢は約200~250年。
この種の木は都内でも珍しく、品川区の天然記念物に指定されている。

この奥庭を見学するには、予約が必要だが、2年前の9月、S さんがお世話役で、
手配してくださった。 この日のスケッチ会の参加者は6名。 
当日は、ほかに見学する人も少なく、校舎内や庭をゆっくりと観ることができた。 

           フウ    
いつだったか、私の木の実好きを知る友人から、フウの実を2、3個、四国のお土産だと
いって、もらったことがあったが、それまで見たことのない、実だった。
都内にフウの木があるとは、思ってもみなかったので、洋館の庭で、「フウの木」と
対面したときは、とても感激した。 

この日は、フウの木は描かず、洋館のラフスケッチだけで切り上げて、
皆のスケッチブックを覗いたり、彼岸花が咲いている庭を、ぶらぶら散策したりした。
緑の多い庭は、さすがにやぶ蚊が多かった。 
数日後、Kさんは、再び、ここをスケッチに訪れたそうだが、このときは、ちゃんと、
蚊取り線香を持参したとか。

今年の秋、このフウが、美しく金色に染まる頃、2年ぶりに、訪れてみたい。  

東京大学構内のクスノキ 文京区

赤門で知られる、東京大学の本郷キャンパスの大部分は、江戸時代に、加賀藩
前田家の江戸屋敷がおかれた場所にあたる。   (「江戸の大名屋敷跡」)
大名家に嫁した将軍家の子女、或は、その居住する奥御殿を御守殿などと称し、
その御屋敷の門を丹塗りにしたところから、俗に赤門と呼ばれた。
東大の赤門は、将軍家の溶姫が前田家に嫁ぐとき、つくられた、現存する唯一の赤門で、
国の重要文化財に指定されている。
  
クス 左クス 中クス 右           
                安田講堂前のクスノキ (3枚)       2006.8

3年前、東京大学構内へスケッチに行ったときは、安田講堂の前で、蝉時雨の中、
日陰に座ってスケッチした。 このとき、私は、講堂の前のクスノキを描いた。 
長く伸びた太い枝に跨ったり、ぶら下って遊ぶ子どもたちや、樹を囲むように置かれた
石のベンチに腰かけている人たちをみているだけで、楽しかった。

この樹は、結構な巨樹なのに、天然記念物といった指定を受けていないのか、
来歴や樹齢などはもちろん、樹の名を書いた札もなく、クスノキだとわかったのは、
だいぶ後になってからだった。
旅・散策・イベント

老樹に敬意を

2009年09月21日
今年の敬老の日は、今日、9月21日(月曜日)。
当初、9月15日だった敬老の日は、2003年に「ハッピーマンデー制度」が導入されて、
毎年、9月の第3月曜日となった。 
そのため、今年のように、19日の土曜日から秋分の日までの5連休となる年もあり、
「シルバーウィーク」とかいうらしいが、その間は、今日は、日曜日なのか、
敬老の日なのか、秋分の日、それとも国民の祝日?と、よく分らなくなりそうだ。
大抵は、ただの連休の1日1日ということになりそうだが。 

祝日に街に出ると、可愛らしい日の丸をつけたバスを見かけるが、 
それにしても、旗日といわれる祝日に、国旗を掲げる家をほとんど見かけなくなった。 
先月、鎌倉で見かけた門の家では、国旗が掲げられているだろうか。

          門柱 鎌倉市
                旗竿が立てられる門柱   
                  
戦後、国旗日の丸に対する敬意が、とみに薄れ、スポーツの国際試合とか、
公的式典以外には、あまり使われなくなったように思える。 
必要以上に誇示することはないが、日の丸は日本の国旗として、大事にしたい。
戦前、戦中における、日章旗の印象を否定するあまり、国のシンボルとしての役割を
認めないとする、一部の風潮があるが、そろそろ、是正されてもいいのではないかと思う。
日の丸に罪があるわけでもなく、日の丸に代わる国旗など、考えられないのだから。 

それはそれとして、黙々として、雄々しく生き抜いてきた老樹たちにも、敬意を表したい。
激変する時代の流れ、人の世の盛衰、自然の猛威などに左右されることなく、
暑さ寒さ、雨や風、排気ガス、騒音、振動にもめげず、生きてきたのだ。
動くことの出来ない樹は、これからも、それぞれの場所で、末永く生きていくに違いない。 

大田区 鎌倉 大田区              
       大田区                鎌倉市               大田区
               
        カヤの樹    
              カヤノキ  世田谷区 善養寺

   長谷寺   塀をやぶる
    タブノキ  鎌倉市 長谷寺                     大田区    
旅・散策・イベント

象がいる動物園

2009年09月20日
明日の敬老の日に、井の頭自然文化園(武蔵野市)で、今年、元気に誕生日を迎えた
象の「はな子」の、「62歳のお祝い会」が開かれるという。 
「はな子」は戦後はじめて、上野動物園に贈られたアジア象で、井の頭自然文化園に
来園して55年になるとのこと。 
彼女は、戦争末期、檻から脱走したら危険だという理由で、餓死させられた「花子」の
名を継いだ象で、現在、日本で飼育されている象の中では、最も長寿の象となった。
因みに、日本最高齢の象だった、小田原動物園の「ウメ子」は、今月17日、62歳で逝った。

上野動物園の「かわいそうなぞう」の話は、小学校の教科書で知ったと思うが、
当時、5、6歳だったわが子たちに、アニメ映画「象のいない動物園」を見せたとき、
強烈な印象を受けたので、ストーリーは少々怪しいが、題名ははっきり覚えていた。
 
この映画は、戦争が激しくなった昭和18年、上野動物園で、爆撃で檻が壊され
動物が逃げ出したら危険だということで、多くの動物たちが次々に殺された。 
やがて、戦争が終わり、焼け跡の中でけなげに生きる子どもたちの、「象を見たい」という
熱意が、ついにはインドの首相や政府を動かし、インディラという象を迎えることになった

というお話(1982年)。

私は、動物園に遠足で行ったことはあったが、親に連れて行ってもらった記憶はない。
私も妹も、動物園もそうだか、父とどこかに出かけたことはなかったように思う。
小さいときから、「家族揃ってお出かけ」ということは、憧れだった。

そんなこともあって、自分の子どもたちには、動物園、水族館、宇宙博、苺摘みなど、
できるだけ、いろいろなところへ連れて行くことに努めたのだが、 
「象のいない動物園」の映画を見たことも、上野動物園で、象やライオンだけでなく、
パンダも見たはずだが、彼らはほとんど覚えていないようだ。 

インディラりんりんのママ
 「インディラ」 (1949-1983在園)     2歳5ヶ月のりんりんのママ  上野動物園

今は、その子どもたちが、自分の子どもたちを、様々な場所に連れて行っている。
5歳のりんりんは、東京だけでなく、夏休みとお正月休みに、父親の実家がある札幌へ
行く度に、北海道各地を旅している。 
旭川の旭山動物園にも、何度か行ったことだろうが、猫や犬など身近な動物だけでなく、
魚、鳥、虫なども大好きで、幅広い興味を持つようになった。

          2005.4 2005.4
                  1歳4ヶ月のりんりん   

いつの日か、りんりんが父親になって・・・ 
この楽しさが次の世代に引き継がれる。 
子どもたちの笑顔、元気な声が絶えることのない、動物園や水族館であって欲しい。 
命の大切さを教えてくれる、そんな場所であり続けますようにと、心から願っている。 
動物など

熊野神社とポニー

2009年09月19日
都内の巨樹めぐりをしていると、樹を通して、その土地の歴史や地理を知るだけでなく、
思わぬ出会いがあったりして、「小さな旅」の醍醐味を味わうことができるものだ。

最近は、カメラのほかに、小さなスケッチブックとご朱印帳まで持って歩くので、
リュックはどんどん重くなっていく。 しかも、「地図の読めない女」を自認している私は、
簡単な地図を持ち、最寄駅で案内図を確認してから歩き出すのだが、
必ずと言っていいほど、迷い道、寄り道をすることになる。 
したがって、荷物をもったまま、かなりの距離を歩くことになるのだが、
それでも、結構、楽しい。

先日、巨樹を見るため、はじめて葛飾区へ出かけた。 京成線の青砥駅で下車して、
駅の案内図をみたが、熊野神社は載っていなかったし、交番も見当たらなかった。
徒歩7分くらい、ということがわかっていたので、何とかなるだろうと、出発した。
だいぶ歩いてから、道を訊ねた女性に、「昔、うちの子たちが、熊野幼稚園に
通ったけど、その熊野神社なら、大通りの向こうよ」と、今来た道を指差され、
自分の勘の悪さが情けなかった。
炎天下、トボトボと戻り、結局、徒歩7分の予定が、30分近く歩き、ようやく辿り着いた。

熊野神社は、安部仲麻呂の裔、陰陽道の安部春明により創建された、関東地方唯一の
神社で、区内最古の神社とのこと。 
本殿の両側には、1対のクスノキが立っていたが、右側の樹は、落雷にあったのか、
黒く焦げた跡が痛々しかった。 どちらの樹も、樹齢300年、元気に葉を茂らせていた。

           本殿左の楠
              幹囲3.74m 樹高25m 区指定天然記念物
 
この神社の隣に、熊野幼稚園がある。 というより、安倍晴明が唱えた「五行説」に拠り、
三十間、五角につくられた幼稚園の敷地の中に、神社があるといった感じだった。
本殿のすぐ下が、ポニーきららの運動場。 その奥の園庭には、園児たちの姿はみえず、
ポニーがポツンとうずくまっていた。 よく見ると、神社の周りは、幼稚園の建物以外にも、
広い運動場やプール、自然園などがあり、随分、恵まれた環境の幼稚園だと思った。 
        
           きらら

ポニーのきららがいる柵には、「平成6年に幼稚園にやってきた、北海道生れの女の子」
という紹介文と、お腹をこわしやすく、気管支が弱いので、勝手に餌を与えないようにという
注意書、それに、次のような張り紙が残されていた。
「8月25日、ゴホゴホと咳き込み、止らなくなってしまいました。 病院で診てもらい、
内視鏡などで、食道に人参が詰まっていることが判明。 手術をして取り出すことになって
しまいました。 首の部分を15cmほど切開し、食道を切り、人参を取り出しました。
8月26日、手術後1日が経ちいっけん元気そうにみえますが、まだまだ油断は禁物。
戻ってきたら、また声を掛けてあげてくださいね」
 

私が出会ったきららは、すでに退院して、元気になりつつあったのだろう。
きららのそばに立っているクスノキを描いていると、通りがかりの親子連れが、
「きらら!」と声を掛けて行った。 園児たちだけでなく、町の人にも人気があるようだ。

帰り道、中川の河川敷を歩いて、青砥駅に戻るはずが、どうしたことか、再び、神社に!
仕方なく、駅に向かって再スタートした。 
途中、「かつしかシンフォニーヒルズ」に出たので、ここの喫茶室で休憩することにした。 

入口には、ウィーン宮殿から特別許可を得たという、一国に一体の「モーツアルト像」が、
会場内には、かつて、葛飾区の学校で美術教師をしていたという、加山又造画伯の
日本画「陽春」が飾ってあった。 迷い道、寄り道もいいものだ。
遠く、青砥まで来ただけのことはあった。 挽き立てのコーヒーも美味しかった! 
旅・散策・イベント

いろいろな「車止め」

2009年09月18日
何年前だったか、駅前の歩道の車止めに、「イヤッ」というほど、脛をぶつけたことがある。
夕方で、よく見えなかったとはいえ、全くの不注意だった。
目黒区の緑道のような可愛らしいポールだったり、上野でみた、どっしりしたものだったら、
間違いなく、避けられたと思うのだが。

緑道などの歩道、公園の入口、建物のアプローチなどには、多種多様な車止めがあり、
歩いていても楽しい。 シンプルなポールもあるが、腰掛になりそうなものもある。

緑道で
 北沢川緑道烏山川緑道 深沢川緑道 九品仏川緑道 
    北沢川緑道      烏山川緑道      深沢川緑道    九品仏川緑道
    (世田谷区)      (世田谷区)      (世田谷区)     (目黒区)

   九品仏川緑道  羅漢川緑道 洗足流れ 
      九品仏川緑道          羅漢寺川緑道      洗足流れ
       (目黒区)             (目黒区)        (大田区)

            烏山川緑道 烏山緑道 (世田谷区)

お寺で       
        本覚寺      寿福寺
          本覚寺 (鎌倉市)       寿福寺 (鎌倉市)
           
   品川宿 
                                    常行寺 (品川区)
            
図書館で  洗足池図書館 (大田区)
       クスノキ   蝶
            区の木 くすのき              
     梅の花   カブト虫とクワガタ
           区の花 うめ
    鶯    トンボ
          区の鳥  うぐいす
旅・散策・イベント

仙台坂のタブノキ

2009年09月17日
巨大なタブノキ(椨の木)が、品川区の仙台坂にあるというので、出かけた。
タブノキはクスノキに似ているが、材質がクスより劣るため、イヌグスとも呼ばれる。

都内に、仙台坂は2ヵ所ある。 京浜急行「青物横丁駅」からJR大井町駅への途中と、
港区南麻布と元麻布の境目にある。そのいずれの坂も、江戸時代、近くに、
仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことから、その名がついたといわれる。

幕末の頃、品川区内には27藩もの大名屋敷があった。上屋敷は播磨国三日月藩、
中屋敷は、陸奥国弘前藩だけで、残りの25藩は下屋敷や抱屋敷だったという。 

青物横丁から、第一京浜国道(15号線)を渡ると、そこが仙台坂だ。 
ゆるやかな坂の途中に、仙台坂公園があり、その脇の路地を入っていくと、
海晏寺の長い塀がつづき、「旧仙台坂」(「くらやみ坂」)に出た。 
「仙台坂」はもともと、海晏寺と泊船寺との間にある坂のことだったが、後に、
現在の坂道が道幅が広くなり、交通量が増えたので、坂の名が移ったのだそうだ。

  旧仙台坂  タブノキ 
                            幹囲4m 樹高20m 区天然記念物 

旧仙台坂を見下ろす高台に、いくつものマンションに囲まれて、樹齢300年といわれる
タブノキがあった。 
巨樹めぐりを始めてしばらくして、小さなスケッチブックと、ご朱印帳を持ち歩くことにした。
寺社には巨樹が多いので、樹のパワーだけでなく、ご朱印も頂こうと思っているのだが、
ひっそりとした寺社が多く、今のところまだ、捺印してもらう機会がない。 
 
            クロッキー click! 仙台坂のタブノキ*
  
タブノキは、20mの高さ。 スケッチは、先端の枝を目で追っては手元で描くという
作業の繰返しで、頚は痛くなるし、葉の間から射す眩しい光で目は疲れ、
腰もそろそろ限界と言いたくなる感じだった。  
そして、仙台坂と旧仙台坂が交わったところにある、「仙台味噌醸造所」へ向かった。

仙台味噌醸造所 味噌樽
  「仙台味噌醸造所」(大正時代の建物)  店内には巨大な味噌樽が飾られている

ここは、仙台藩主の伊達政宗が、江戸詰めの藩士のために、仙台味噌の醸造施設を
屋敷内つくったことから始まる。 原料の大豆や麹も仙台から運び、江戸市中にも
売りに出したことから、下屋敷は「仙台味噌屋敷」とも呼ばれるようになったという。 

          「五風十雨」  
     「五風十雨」、胡瓜や人参のスティックにつけてもよし、味噌汁にもよし・・・
            
ここでは、仙台味噌以外にも全国の味噌を量り売りしているが、何といっても、
たっぷり熟成させた、「五風十雨」という仙台味噌が、風味豊かで美味しいとのこと。 
ちなみに、「五風十雨」とは、五日に一度 風が吹き、十日に一度 雨が降ることをいい、
農作物に好適で、転じて万事順調なこと。 孔子の「論衡」が出典。 

一般の味噌に比べると、はるかに高価だが、500gを2袋、量ってもらった。
デパートなど、どこにも卸していないということなので、タブノキに逢いに行ったり、
旧東海道品川宿を散策した帰りなどに、また、寄ってみたい。        
旅・散策・イベント

「ゆりかもめ」の駅文様

2009年09月16日
先月、5歳の孫、りんりんに頼まれて、東京メトロの「仮面ライダー ディケイド」とやらの
スタンプラリーに付き合った。 
95駅だったかをママと回ったという、JR東日本「[ポケモン スタンプラリー」ほどは
混んでいないし、全部で12駅なので、大変ではなかったが、有楽町線の北千住、
丸の内線の池袋といった、離れ離れの駅を、いかに効率よく巡るかに苦労した。 
車窓からは何も見えない地下鉄の車内では、ルートを考えながら、りんりんの絶え間ない
おしゃべりに付き合ったが、こうして2人だけで出かけるのは、これから先、どのくらい、
あるだろうかと、ふと思った。

銀座線新橋駅でスタンプを押してから、次の有楽町線の豊洲駅にはメトロではなく、
自動運転の新交通臨海線、「ゆりかもめ」で行くことにした。 
お台場や国際展示場などで様々なイベントが行われているせいか、車内は混んでいたが、
りんりんは、先頭に座っている人の間に、陣取った。 そして、フロントガラスにかじりついて、
私から取り上げたカメラで、眼下の風景を撮ったりしていた。 
「国際展示場正門」駅では、桜の文様がついた透明なドアを、「これ綺麗なんだよ!」と、
撮ったのにはいささか驚いた。
      
       国際展示場正門  りんりん写す
                          
今までにも何度か、ゆりかもめに乗ったが、各駅のホームに設置された、
乗降口の透明ドアに、各駅ごとに違う文様がついているなど、気づかなかった。
終点の豊洲駅に着くと、降りたホームに、全駅の文様を並べた大きな飾り板があり、
それをカメラで撮ってほしいと、彼に頼まれた。 

駅文様駅文様

日本古来の伝統文様が16色。 彼がとても気に入ったようなので、豊洲駅を出るとき、
「駅文様」が載っているパンフレットをもらった。
彼は、その後、次の錦糸町へ向かう車内では、スタンプ帳ではなく、そのパンフを
楽しそうに眺めていた。 
私もこういった、伝統色や文様は大好きなので、これは隔世遺伝か?と思ったが、
彼にとって、ディケイドとか、カブトムシとか、何種類もあるものを容易に識別することは、
仮面ライダーの色や顔、ベルトの違いなどを覚えることと、似たようなことだと分ったのは、
帰宅してから、このことを娘と話し合ったときだった。

                    ゆりかもめ 「駅文様」   

 柳縞 葦 鱗 日足散らし 
  柳縞文様        葦文様         鱗文様          日足散らし文様
  新橋色          鬱金色         鉄紺色          紅色
  新橋駅          汐留駅         竹芝駅          日の出駅

 露芝 老松 大波 帆掛舟 
  露芝文様       老松文様         大波文様         帆掛舟文様
  水浅葱色       松葉色          菫色            海老茶色
  芝浦ふとう駅     お台場海浜公園駅   台場駅           船の科学館駅

 蝙蝠 青海波 桜 獅子
  蝙蝠文様        青海波文様      桜文様          獅子文様
  鳩羽鼠色        瑠璃色         桜桃色          柑子(こうじ)
  テレコムセンター駅  青海駅          国際展示場正門駅   有明駅

 干潟に水鳥 変わり縞に蟹 算盤 水に雨龍
  干潟に水鳥文様   変わり嶋に蟹文様     算盤縞文様    水に雨龍(あまりょう)文様
  海松(みる)色      蘇芳(すおう)色       江戸紫色        紺碧色
  有明テニスの森駅    市場前駅         新豊洲駅       豊洲駅
身近な人びと

和製の二字熟語

2009年09月15日
中国語の学習に、相当な時間をかけていた時期もあったのだが、
昨年の12月、沈老師が亡くなられた後、月3回だった「中国語学習会」は、
黄老師が教えて下さるようになって、月2回となった。 
1回休んだりすると、ひと月空いてしまうため、前回の内容を忘れてしまう。
もっとも、こんな怠け者は私だけのようだが・・・。

このサークルの同学のお2人が、「中国語入門」の会をつくられる、と聞いたので、
この春、ご主人が、北京に赴任された、Hさんにお声をかけた。 
絵でご一緒のHさんは、中国や中国語と、まったく縁のない生活をされてきたが、
北京を訪ねるにしても、暮らすにしても、中国語が必要と、感じ始めておられたようだ。

その会は7月にスタートしたが、入会されたHさんが、馴れるまでと思い、
しばらくの間、私も顔を出すことにした。
ところが、担当の李老師の、熱心で、魅力的な授業に、惹きこまれてしまった。 
気功の楊先生のおっしゃるように、中国語は、喉の奥から声を出すので、身体にも
いいそうだし・・・。 初心に戻って、再スタートすることにした。

ところで、その教室でのこと。 
李老師が、「切手というのは、手を切ると書くけれど、何故でしょうね」とおっしゃった。
そのときは、気にもとめなかったが、帰りの車内で電子辞書「大辞林」を
ひいてみると、切手は「郵便切手」の略で、切手そのものは、「切符手形」を縮めた
言葉とあった。
             中国の切手
            「空港建設」「世界切手展」などの切手 (「人民中国」誌より)

漢字は中国から伝わった文字だが、中国語で「切手」は「郵票(you piao)」。
「票」は、切符、入場券、札のことを指す。 
切手は、やはり、日本で作られた言葉なのだろう。   
切符手形の「切符」は、乗車券などの札に鋏を入れるということからきたのだろうが、
昔は、駅員が改札口に立って改札、つまり、乗車券に入鋏・押印をしたものだった。
今の子供たちは、キップに鋏を入れる光景を、想像することもできないだろうが。

            地下鉄改札口

鉄道の駅に自動改札機が全く設置されていない県もいくつかあるようだが、
係員の代わりに改札を行う、自動改札機が普及して、今や、鉄道でもバスでも
自動改札機にICカードで触れるだけ、または、キップや回数券を通すだけで、
改札口を通ることができるようになった。 
キップもカイサツも、本来の漢字の意味はなくなっているが、まだまだ、現役の言葉だ。
    
            年賀
                賀年(年賀)カードと信封(封筒)  
        
「手紙」は、本来、「常に手元に置いて使う紙」「半切り紙」を意味したという。
「書簡」の意味で用いられるのは、近世以降で、それ以前は、「文」、「消息」などの語が
用いられた。 「手紙」が、「手元に置いて使う紙」の意味から、「書簡」の意味となった
理由は、「手」が「筆跡」や「文書」の意味でも用いられたことからだといわれる。

中国では、「手紙 (shou zhi)」は、ちり紙、トイレットペーパーのことで、これは
日中両国語の意味が違う語として、よく例に出される。 
中国で、トイレットペーパーは、「衛生紙 (wei sheng zhi)」ともいう。 
因みに、「手紙」は、中国語では、「信(xin)」、「書信(shu xin)」などという。
手紙を書くのは「写信」、出すのは「寄信、発信」、受取るのは「収信、接信」という。
つれづれ

銭塘江逆流見学

2009年09月14日
ここ数年、中国旅行は、名所旧跡を訪ねるという観光だけでなく、 サッカー観戦や
オリンピック観戦、北京の四合院にホームステイして、「1日北京人」を体験するなど、
「観光+α」の企画が目白押しだ。 ひと味違う旅を楽しみたい人が増えているのだろう。

その中でも、「皆既日食」鑑賞に「銭塘江逆流」見学が加わったツアーが
いくつもあったのには驚いた。 「銭塘江逆流、烏鎮 、日食観測と蘇州市内観光」とか、
「中国・杭州 皆既日食と銭塘江の逆流観測ツアー 3日間」などで、
後者は、「皆既日食」と「銭塘江の逆流」を鑑賞するために、杭州近くの観潮会場で、
天文学の専門家が事前セミナーを開いて、天体望遠鏡で観測するというもの。
「午前中に日食を観測、その約50分後、銭塘江の逆流を見学するという、
2大不思議の1日をお楽しみいただけます」という、「宇宙の不思議と地球の不思議、
世紀の皆既日食と銭塘江の逆流 上海4・5日間 」というツアーもあった。
(杭州、烏鎮は浙江省、蘇州は江蘇省)

銭塘江(せんとうこう)は、中国浙江省を流れており、仙霞嶺山脈を源として杭州湾に注ぐ。
折江、曲江などともいわれるように、蛇行した流路で、ラッパ状に開いた河口に到る。
古くから知られた川で、春秋時代の越の国の記録にも登場し、隋の時代には、
大運河によって長江と結ばれた。

銭塘江の逆流は、よく知られているが、これは、毎月旧暦の1~4日と15~18日に、
太陽や月の引力の影響で、その日の満潮時に川が逆流する、自然現象をいう。
世界でもわずか数ヶ所でしか見られず、他には、アマゾン川(ポロロッカ)が有名だという。

「銭塘江の大逆流」は、毎年、中秋の頃に見られ、今年は10月4~8日といわれる。
このときは、「大逆流祭り」が開かれ、郷土色溢れる歌や踊り、獅子舞や仮装行列が行われ、
多くの国内外の観光客で賑わうことだろう。 

8年前、「安徽古村落の旅」の後半、杭州の西湖のほとりに1泊した。 (「安徽古村落へ」)
翌朝、「断橋残雪」の名で知られる、白堤に架かる「断橋」をみながら、西湖畔を歩いた。
この橋は、降り積もった雪が、中央から融け始め、まるで橋が折れたように見える
ことから、名づけられたという。
また、「断橋」は「白蛇伝」にも登場する橋としても有名。
    
    断橋
                       西湖 断橋

昼近くに、銭塘江の氾濫を鎮めるために建てられたという、「六和塔」に着いた。 
煉瓦造りの塔(60m)の最上層までは上らずに、5層で、銭塘江をスケッチした。 
この日の銭塘江は、実に穏やかだった。
季節は4月の末。 桐の花があちこちに咲いていたことを想い出す。


   六和塔   銭塘江 click!
       六和塔              塔の5層からの眺め*

午後、緑茶の最高峰「ロンジン茶」で有名な「龍井(ロンジン)」に移動した。 
そこで、大きな茶舗に連れて行かれたが、スケッチの時間が少なくなるのではと、
気が気でなかった。店の人の説明も、買い物もそこそこに、一行7人、店を出てしまった。
今、考えると、ガイド役の張さんの面子は丸つぶれになったことだろう。
私は、茶畑の中に入り込み、ごく普通の民家と、その前を流れる水路で洗濯をしたり、
シャンプーをしている女性たちや、じっとこちらを見ている犬などをスケッチした。

いつも思うのだが、旅行社のツアーに参加して、いわゆる名所旧跡をみてまわり、
記念写真を撮って、土産物屋で買物し、ガイドブックに載っているレストランで食事して、
といった旅は、どのくらい印象に残るものだろうか。 
この10年間、私の「中国の旅」は、10人前後でも、2人のときでも、すべてオリジナル。 
スケッチの時間がとれない結婚式参列の旅もあったが、1枚のスケッチから、そこが
どこなのか、だれと一緒だったのか、何に感動したかなど、いろいろと想い出される。 
やはり、私は、決められた「旅行」ではなく、自由がきく「ぶらり旅」が好きだ。 
中国・中国の旅

梯子なしでも・・・

2009年09月13日
植木屋さんが入ることになり、仕事が始まる前に、梅の木から2階へ架けていた梯子を
はずした。 
今まで、猫たちは、大抵の場合、この梯子を上って、2階のベランダへ来たようだったが、
時には、物置の屋根から1階の屋根を経由して、ベランダの手すり伝いに来たりしていた
ので、何の支障も来たさなかったようだ。            (「梯子のような橋」)

特にトラは、梅の木から手すりへ、直接ジャンプして、ベランダへ入って来ることもある。
今まで、2度、こういった場面に出くわしたが、猫とはいえ、落ちたらどうなるだろうかと、
見ている方がドキドキしたものだ。
   
 梯子を渡る    跳び移る
       梯子を渡るアミ  2008.10              梯子がなくなる 

アミは、お向かいのさいとうさんのところで食べているのか、雨でも降らない限り、
2階のベランダにあまり姿をみせなくなった。 
わが庭で生れたククは、たまに顔を見せに来るが、彼女の拠点はどこか別にあるようだ。      
          
たまに、トラが、食事時間の前になると、2階ベランダで待機していることはあるが、 
ベランダの6室は、昼も夜も空き室のままだ。
そういえば、猫は夜行性の動物なのだから、夜間は活動中なのか。 
    
         ケシとクク
               ケシとククはアミとトラの兄と姉 

猫のテリトリーは、手術済みの雄は250~500mで、雌は50~150mの範囲内と
言われるが、雄のケシは遠くは行かず、雌のアミの方が、行動範囲が広い様子だ。
一方、妹トラは、恐らく、お向かいのさいとうさんのところが、せいぜいだろう。
動物など

新宿御苑のプラタナス

2009年09月12日
本画用のパネルと麻紙を買いに、新宿の画材屋へ行った日、新宿御苑(新宿区)に寄ってみた。 
新宿御苑は、信濃高遠藩内藤家の屋敷跡を、明治になって、西洋式庭園に改造したもの。
最近、東京の巨樹の多くが、神社仏閣のほか、江戸の大名屋敷跡の庭園などにある
ということを知ったこともあるが、以前、ここで見た、プラタナスに逢ってみたくなったのだ。

新宿門を入ると、まず、大きなイチョウが目に入った。 100本もの巨樹があるという苑内には、
イチョウの巨樹だけでも何本もあるが、このイチョウは最も太く、幹囲が約5mだという。

            イチョウ

イギリス風景式庭園には、ユリノキ、ケヤキ、ハルニレなどが大きく枝を広げていた。
ユリノキはモクレン科、北米東部に分布し、葉の形が半纏に似ていることから、
別名ハンテンボクともいう。
新宿御苑のユリノキは、日本で初めて植えられたものといわれる。 
記録によると、明治9年頃に渡来した30粒の種子から育った苗木の一本は、
明治14年に上野の東京国立博物館にも植えられたとのこと。   (「久しぶりの博物館」)
現在、全国で植えられているユリノキは、この御苑の木を母樹としていているという。
 
   ユリノキ   ハルニレ
        3本のユリノキ                    ハルニレ

広々としたイギリス庭園の芝生やベンチで、家族連れが休日を楽しんでいる光景が
見られた。
御苑の樹の中で、最も背の高いユリノキもあったが、写真の三角形に植えられた
3本のユリノキは、お互いに支えあって大きくなったのだろう、なんともほほえましい。

ハルニレの樹には、想い出がある。 
F先生のデッサン教室で、度々、新宿御苑にスケッチに行った。 
何年前になるだろう、11月頃だったと思うが、このイギリス庭園で、葉を落とした裸木を
描くことになり、私は、このハルニレの樹を選んだ。  
この樹々が、葉を落とした時季に、樹の枝ぶりをしっかりと描いておけば、
花が咲いた画も紅葉の画も、容易に本画にすることができるということだった。
    
肝心のプラタナスに辿り着くまで、折角もらった苑内の案内図を見ずに歩き出したので、
随分と時間がかかってしまった。 
やっとめぐり逢えた樹は、包帯のようなものが巻かれ、たくさんの棒で支えられて、
何とか立っている、といった風で、ひと回りしてみたが、どこからみても痛々しかった。
このプラタナスだけでなく、ケヤキやカツラ、ホオノキなどの数十本が、樹勢回復のため、
布を巻いて治療中なのだとか。

  プラタナス プラタナス
         モミジバスズカケノキ(プラタナス)         16年前のスケッチ 
                       高さ10m           幹囲 5.8m 高さ25m

樹齢150年以上といわれる、このプラタナス、いつ頃包帯を巻かれたのだろうか。 
帰宅後、1993年に描いたスケッチをみつけた。 元気いっぱいのプラタナスに見えた。
1994年に出版された「東京 巨樹探訪」(平松純宏 写真・文)にも、包帯は見られない。
ほんとうにラフスケッチだが、やはり、描いておいてよかったと思った。

          プラタナス実
                        プラタナスの実

治療が功を奏したのか、よく見ると、いくつものボンボンのような実が下がっていた。
思わず、小さな声で、バンザイと叫んだものだ。 
また、必ず、来よう。 今度は、スケッチブックを持って、葉を落とした枝にぶら下る、
茶色くなった実に逢うために。
植物など

ただ今、籠の鳥?

2009年09月11日
            待合室
            「WE DO ECO」の待合室   東急線二子玉川駅ホーム

東急線は「WE DO ECO」に取り組み中。 ホームの待合室にも、グリーンカーテンが! 
冷房された室内で、1電車遅らせる人があるかもしれない?

           喫煙エリア
            「SMOKING AREA」で一服   渋谷駅 ハチ公前広場

グリーンカーテンのスクリーンが出来た「SMOKING AREA」。 一見、喫煙ルームだが、
煙がモクモク上っていた。 
  
                  犬小屋
                   扉付きの犬小屋 どうして扉が?  品川区
 
         カラス捕獲檻 小石川植物園 文京区 
         静かな園内に響き渡るカラスの声! 

捕獲された数羽のカラスは網の中でパニックに? 
旅・散策・イベント

広告 「詳しくはHPを・・・」

2009年09月10日
最近の広告やポスターには、画面の隅に、「詳しくはホームページをご覧下さい」とか
「続きはWebで」という表示があったり、白枠の中に、○○○と文字があって、
そこを「検索」するようにと、 が添えられているものがある。

           検索を!

そんな広告をみると、なぜか、検索すべき文字が、頭の片隅に残っていて、
帰宅後、その文字が、突然、浮かんできたりする。 
広告内容は、極めてすっきりしていて、一瞥では、何の広告か分りづらい。
検索してみよう!と思わせるところが、狙いなのかもしれない。
そして、検索を始めれば、ウェブサイトの中へどんどん引き込まれてしまうことになる。

最近、気になった車内ポスターは、「血管に注意」という中吊り広告。 
薬やサプリメントの広告でも、病院やスポーツクラブの宣伝でもないようだ。
車両の端から端まで、全部で何枚あるのか、血管の断面図以外は透明で、
赤い輪の内側に見え始めた黄色部分が増えてゆく様子を、続けざまに見せられる。 
自分の血管は、どの辺に位置するのか、もっと、先の方?と、 気になって来る。  

     血管
                「血管に注意 LH比に注意」
                  血管

帰宅後、「血管に注意」を検索すると、「知ってるようで知らない、コレステロールの真実と
恐怖について」のウェブサイトで、結局、製薬会社のポスターだったことがわかった。
サイトの中に入っていくと、コレステロールの診断をしてくれて・・・最後はどうなるのだろう、
何だか恐ろしくなって、途中で、切り上げてしまった。

少し前になるが、街のケイタイショップで見かけたのはグリーンロード・プロジェクト
「あなたが走った1キロが1円分の緑になる」、という緑の種を育てるプロジェクトだ。

              アップ中
            グリーンロード プロジェクト 観察日記 (世田谷区)

「Run&Walkアプリ」を起動して、au のケータイと一緒に走れば、
「1km走るごとに1円分」の植物の種を、au が購入して、全国の店などで配るので、
街に緑が増える、という仕組みだそうだ。
すでに、みんなが走った総距離相当分の金額が、第1弾(¥2,835,620)が「屋久島の
環境保全活動」に、第2弾(¥4,081,150)が「緑の種配布」 のために寄付されたという。
そして、第3弾(¥5,198,247)は、「知床の森」への寄付となるのだそうだ。

私のケイタイは、歩数計付きなのだが、au ではないので、
1万歩でも、昨日のように、たった96歩だとしても、緑の種には関係がない。
銀座に、「今この時間 ○○○人が 緑のためにケータイと走っています」といった、
電光掲示板があるらしい。 私も、緑のためなら、走ってもいいと思っているのだが。
つれづれ

菊の節句 重陽

2009年09月09日
今日、9月9日は、五節句の1つ「重陽(ちょうよう)」。 
「陽」とは太陽であり、数でいうと奇数を表し、重陽は陽数の極である九が重なるという
意味で9月9日を指す。
また、この重陽の頃に咲く花が菊であっ たことから、菊の節句とも呼ばれる。
ちなみに 五節句は、1月7日の七草、3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句、
7月7日の七夕、そして重陽の節句。

古代中国では、旧暦の9月9日、菊花酒を飲んで邪気を祓う行事があった。 それが、
日本に伝わり、菊花の宴が宮中の行事として確立するのは、平安初期頃といわれる。
菊には、不老長寿の効があるとされ、菊酒は、元来、菊の花葉と米とで醸造した酒だが、
一般には、菊の花を浮かべた酒をいうことが多いという。

観世流謡曲「枕慈童」(菊慈童)は、周の時代、南陽(今の河南省)に流された侍童が、
菊の露を飲み、不老不死の身になったという、中国の故事「甘谷菊水」にちなんだ
ものといわれている。
菊の花びらや、それに付着した花粉に含まれる、ビタミンCやビタミンEに、
すぐれた健康効果があると、考えられているようだ。
私も、中国の菊茶を、時々、飲んでいるが、お湯を注ぐと、花が開き、菊の香りがして、
なんともいえず、落ち着いた気分になれ、身体にもいいような気がしてくる。
大好きなお茶の一つだ。 これを飲んだからと言って、不老不死とはいかないだろうが。

山形で、「以外菊」(もってのほか)という、食用菊がある。 普通の食用菊とは違い、
花びらが筒状になっていて、調理をしても型くずれしにくく、食べてもシャキシャキとした
食感を楽しむことができるといわれている。 家庭では、この菊の花を、酢の物やおひたし、
くるみ和えなどにして、よく食べるようだ。  
モッテノホカは、10月下旬からの短い期間しか作られない。
菊の花びらを食べる習慣は、江戸時代から始まったとされるが、山形、寒河江、村山など、
最上川流域でさかんに作られ、山形県の食用菊の生産量は全国1位とのことだ。 

        食用菊        

「以ての外」とは、「とんでもないこと」とか、「思いもよらない」という意味だが、
昔、殿様が狩りに出かけ、一軒の農家で休んだとき、そこの老婆が渋茶とともに、
あり合わせの菊のお浸しを差し出したところ、殿様が、「もってのほか、美味しい」と
ほめたことから、この菊をモッテノホカというようになったという。 
また、皇室の菊の御紋を食べるとは、もってのほか、からとの説もある。

東京でも、黄色い食用菊がプラスチックケースに入れて売られているのをみかける。  
また、刺身に添えられていたりするが、これは、愛知県豊橋市で主に生産される
「つま菊」という小菊だそうだ。 

それにしても、山形には、なかなか、面白いネーミングの食べ物が多いように思う。
この「モッテノホカ」もそうだし、庄内地方鶴岡周辺で作られる枝豆「だだちゃ豆」もそうだ。
「だだちゃ豆」も、やはり、庄内藩の殿様のひと言からついた名のようだ。 
献上された枝豆に対して、「この枝豆はどごのだだちゃの作った豆だや?」と尋ねた。
それ以来、この枝豆を「だだちゃ豆」と呼ぶようになったという。
「だだちゃ」は庄内地方の方言で、「おやじ」「お父さん」を意味する方言だが、
今では死語に近いとか。

杉並区の大宮八幡宮に、銀杏の巨樹を見ようと立ち寄ったとき、毎年、重陽の日に
「菊被綿(きくのきせわた)飾り」という神事が、行われていることを知った。
これは、重陽の前日に、菊の花を真綿で覆って菊の香りを移し、翌朝、露で湿った
真綿を顔に当てて若返りを願う、平安時代から行われている宮中の行事。 
『紫式部日記』などにも、その記述が見られるそうだ。 
10年前に、この神社では、幕末まで行われていた、重陽の節句の宮中行事を再現し、
以来、秋の大祭に併せて、巫女たちによって、菊花の上に三色の真綿が被せられた、
「菊被綿」が飾られているという。 

菊で飾るといえば、菊人形などもそうだが、観賞用、食用だけでなく、着物の柄や
布地の意匠など、様々なところで活かされている。

 50円玉
   ニッケル 1957年発行   ニッケル 1959年発行    白銅  1967年発行 
  
皇室の紋章も菊の花の意匠だが、身近なところでは、五十円硬貨。 硬貨の表には、
ニッケル硬貨の孔なし・孔ありとも、菊の花が描かれている。 この硬貨が含まれる、
ごんさんの父が蒐集した記念硬貨や記念切手は、現在、我が家に置いてあるが、
りんりんが小学生になったら、彼に進呈しようと、ごんさんと2人で話している。 
つれづれ

絵本「ぼく、イルカのラッキー」

2009年09月08日
ラッキーは、男の子のカマイルカです。 
なぜ、ラッキーかというと、イルカプールには、ラッキーのほかは、
女の子のイルカしかいないからです。
女のなかに、男がひとり。 なんてラッキーなんだ!
と、おもいこんだ人間が、ラッキーという名をつけたのです。


         絵本

絵本、『ぼく、イルカのラッキー』(越水利江子 作 福武忍 絵)は、かわいいイルカの絵が
描かれた頁から始まる。 
この絵本の主人公、ラッキーは、「エプソン品川アクアスタジアム」(港区高輪)で、
「跳べないイルカ」として親しまれていたが、8月2日、胃の病気で死んだと発表された。

8月5日の毎日新聞に、「スタジアムによると、ラッキーくんの推定生存年数は17~18年。 
99年に群れの4頭と共に日本近海で漁業用網にかかり、横浜市内の水族館に運ばれた。
その後、スタジアムで4年間飼育されたが、他のイルカより怖がりで運動が
不得意だったのに、懸命に高く跳ぼうとする姿が,皆の共感を集めた」
とあった。 

この品川プリンスホテル内にある、「エプソンアクアスタジアム」には2度行った。
1度目は、父が入院中だった年の大晦日、母とプリンスホテルに泊まり、
映画「硫黄島からの手紙」をみて、元旦には、レストランから初日の出を拝んだ後、
ここで、イルカショーを楽しんだ。 父は、この一週間後に、89歳で亡くなった。

このとき、孫のりんりんのために、絵本『ぼく、イルカのラッキー』を買った。 
3歳になったばかりの彼には、絵本の内容も文も難しいのは、承知の上だったが、
母と都内のホテルでお正月を迎えた記念、想い出の品にしたいと思ったのだ。
案の定、彼はほとんど興味を示さず、娘も自宅で読みきかせる気もなく、
結局、ラッキーの絵本は、我が家のお子さまコーナーに置かれたままになった。

次に訪れたは、今年の3月。 春休み中のりんりんと、品川水族館へ行くつもりで、
JR大井町駅前の水族館行きバス乗場まで行ったが、そこで初めて、当日が休館だと
わかり、品川駅まで戻って、ラッキーのいる「アクアスタジアム」に行くことにした。
サメとエイの海中トンネルも迫力満点、真っ白なクラゲが泳ぐ様も綺麗だった。 

          海中トンネル
            クラゲの水槽

りんりんは、ペンギンが泳ぐのを追いかけて、水槽の前を何往復も走り、やや興奮気味。
アシカショーも見たい、イルカショーも見るというので、「イルカ応援団」のメンバーになり、
赤い大きな合羽を着て最前列で観ることにした。         (「雨合羽と蓑」)

この日、イルカのショーを嬉々として観ていた彼だが、帰宅後、ラッキーの絵本には
ほとんど興味を示さなかった。 彼の頭の中は、ほんもののラッキーやイルカ、ペンギン、
エイやサメなどで、いっぱいだったのだろう。

話はかわるが、7月末、息子の2番目の娘、ゆうゆうの妹、あいあいのお食初めの日、
娘や息子たちは、一旦、我が家に集まって、ここからお祝いの席に行くことになった。
りんりんは、ゆうゆうと一緒に、電車で行きたいというので、私が2人を連れて行くことになった。 
このとき、彼は、なぜか、我が家にあった、アンパンマンの絵本とラッキーの絵本の2冊を
持って行くと言い張った。 結局は私のバッグに入ったまま、読まずじまいだったのだが。 

      頑張れ
     「ナタリー、ラッキー。がんばろうぜ!」 ツッチーがウィンクしていいました        

『ぼく、イルカのラッキー』は、まだ、我が家にある。 いつか、りんりんは、この絵本のこと、
ラッキーやイルカのこと、私と水族館に行ったことなどを、想い出すことがあるのだろうか。 
身近な人びと

枝が折れたミズキ

2009年09月07日
今日は24節季のうちの1つ、白露。 秋の気配が深まり、草木に露が宿る。

我が家の近くに、塀で囲まれた1500坪ほどの空地がある。 
そこには椎、銀杏、桜、松など、たくさんの種類の樹があり、四季折々、違った表情を
みせてくれる。 道路から見ると、広場の奥の正面に大きなミズキの樹があり、
5月には、白い花をたくさんつける。

昨年の冬のミズキ    
              白雲木 12.5
                 葉を落としていくミズキと黄葉した銀杏
             白雲木 12.13
                   すっかり葉を落としたミズキ 
春が来て
             ミズキ 4.15
             ミズキ 4.21

白い花が咲いて        
            ミズキ 5.4

            ミズキ 5.21

ある日、枝が折れた
             ミズキ7.5
      ミズキ7.14 
       ミズキ8.28
ここを通るときには、どうしてもこの樹に目がいってしまうが、
7月初め、風が強かった日の翌朝、大きな枝が折れ、地面に横たわっていた。
枝がもげ落ちてついた傷跡は、人の顔のように、左右に伸びた枝が両腕に見え、
両手を拡げて、「困ったな。どうしよう」とでも言っているように思えた。

その後、何度も、そこを通っているが、いつも、困ったような表情に見えるから面白い。
未だに、折れた枝は根元にある。
植物など

こちらに注目!

2009年09月06日
ただいま、特売中
           セール中
                   「SALE中」            渋谷区

  セール    セール
         「SALE」中   渋谷区          「SALE」中   鎌倉市 
   
東京など関東では「セール」、関西では「バーゲン」と銘打って、大売出しをする
と聞いてから、気をつけていると、たしかに「バーゲン」ではなく、「セール」、
しかも「SALE」の横文字ばかりが目に付く。

         冷し中       ファイト中
       「全席冷し中」 港区     「ただいま元気に ファイト中」 渋谷区

先日、街頭で、つい、立ち止まってしまった 「○○中」の布看板。 
「全席冷し中」のコーヒー店では、キンキンに冷房が効いていて、寒いくらいだった。 
「ファイト中」の定食屋は、店内に入った途端、「いらっしゃい!」という威勢のいい声と
笑顔に迎えられるのだろうか。 看板には「笑劇接客」とも書いてあった。
最近は、子どもっぽくて単純明快な表現が、人目を惹く。

           
どちら様もリフレッシュが必要です!
            整骨院
           Gからの解放 骨も踊るか?   杉並区の整骨院
 
        温泉浴
        犬にも温泉浴を?  世田谷区のペットショップ                  
旅・散策・イベント

江戸の大名屋敷跡

2009年09月05日
五反田(品川区)に行くことがあった折の帰り道、池田山公園に寄ってみることにした。
五反田駅(JR/都営地下鉄/東急線)から歩いて10数分の所なのに、迷って遠回りしたようで、
30分近くかかってしまった。

池田山公園は、旧岡山藩池田家の下屋敷跡の一部を、品川区が整備した庭園である。
かつての広大な屋敷内には、カモ場もあり、遠くに富士山を望むことができたという。
大崎村にあったことから「大崎屋敷」とも呼ばれ、近くを流れる目黒川から見上げると
小高い山に見えたというこの高台は、「池田山」と呼ばれ、親しまれてきたとのこと。 
廃藩置県後も、池田家の屋敷として使用されていたが、周辺一帯の宅地化に伴い、
近辺も高級住宅地として分譲されたようだ。

          池田山公園 

公園の入口近く、管理事務所の前に、[およろしければご自由にお持ちください]と、
花菖蒲やマリーゴールドなどの株が置かれていた。
この公園は、急勾配の地形をうまく活かして、本格的な池泉回遊式庭園になっているが、
階段があまりに急なので、下りるのはやめて、園内にある「つるべ井戸」を探した。
20年近く前、たまたまだったが、ここの井戸のクロッキーをしたことがあった。その時は、
古い井戸だとは思ったが、説明板はなく、江戸時代の井戸とは思いもしなかった。

   管理事務所前  井戸  
    「ご自由にお持ちください」              つるべ井戸 

池田山公園から歩いて5分のところに、皇后さまのご実家である正田家の邸宅跡が
「ねむの木の庭」という小さな公園として、一般公開されているというので、行ってみた。
門を入ると、ねむの木と、「薩摩なる喜入の坂を登り来て 合歓の花見し夏の日想ふ」と
いう、皇后さまが詠まれたお歌が書かれた札があった。 
よく手入れされた庭には、プリンセスミチコという薔薇や、山法師、ハマナス、浜菊など、
皇后ゆかりの樹木や草花などが植えられていて、ひと休みするにはいい場所だった。 

   門    ねむの木
         品川区立 ねむの木の庭

池田山公園のような、江戸時代の大名屋敷跡には、人手をかけて切り開き、400年に
わたって、大切に手入れされてきた自然が残っている。   (「東京の大きな樹」)   
大名家の江戸屋敷のうち、上屋敷は、藩主自身の住いとして、江戸市中に設けた屋敷で、
政治・経済・外交活動の本拠地。 隠居した藩主、先代の未亡人、当主の子女の住居は
中屋敷といわれ、下屋敷は、郊外に設けられた別荘で、火災時の避難所となったりした。

大名屋敷は時代とともに変わり、そのほとんどが、広大な敷地を活かした施設や
大学となった。 そして、それらの多くの庭には、巨樹も大切に残されている。

主な大名屋敷跡(跡地の8割以上が現在の施設に移行している場合) 
小石川後楽園(文京区)        常陸水戸藩水戸徳川家 上屋敷
陸上自衛隊市谷駐屯地(新宿区)  尾張名古屋藩尾張徳川家 上屋敷
上智大学(千代田区)                  〃       拝領屋敷 
東京卸売市場(中央区)                〃         蔵屋敷
迎賓館・東宮御所(港区)       紀伊和歌山藩紀伊徳川家 中屋敷
芝離宮(港区)                    〃         下屋敷
ホテルニューオータニ(千代田区)  近江彦根藩井伊家 中屋敷
明治神宮(渋谷区)                 〃     下屋敷
新宿御苑(新宿区)           信濃高遠藩内籐家 下屋敷
自然教育園(港区)           讃岐高松藩松平家 下屋敷 
東京大学(文京区)           加賀金沢藩前田家 上屋敷
慶應義塾大学(港区)          肥前島原藩松平家 下屋敷
青山学院(渋谷区)           伊予西条藩松平家 上屋敷
清泉女子大学(品川区)        陸奥仙台藩伊達家 下屋敷

ほかにも、
千代田区は、国会議事堂、外務省、日比谷公園、北の丸公園、清水谷公園、
港区には、青山霊園、有栖川宮記念公園、庭園美術館、八芳園、目黒雅叙園、
高輪プリンスホテル、品川プリンスホテル、アメリカとイタリアの大使館など、
中央区の浜離宮恩賜庭園、台東区の旧岩崎邸庭園、文京区の小石川植物園、
六義園、墨田区の旧安田庭園、江東区の清澄庭園、新宿区の戸山公園、
渋谷区の聖心女子大学などなど、数えたらきりがない。 

こうやってみると、大名屋敷跡には、今まで随分と、スケッチに行ったことに気づいた。
一昨年、東京大学では、皆は安田講堂を描いたが、私は大きなクスノキを描いた。 
小石川後楽園には、彼岸花の頃や、睡蓮の咲く頃にもスケッチに行ったほか、
お隣の日中学院に通っていた頃、中国語の仲間と庭を見ながらランチをしたりした。
新宿御苑、自然教育園と庭園美術館には、何度も足を運びスケッチしたお陰で、
秋明菊、野茨、河骨などの本画を仕上げることが出来た。
浜離宮や芝離宮、清泉女子大学などに行ったときは、彼岸花や萩が咲いていた。

思えば、最近は、どこの公園に行っても、神社やお寺に行っても、
巨樹のみならず、樹木に惹かれることが多くなった気がする。
旅・散策・イベント

ターノの戒め

2009年09月04日
ちょうど2ヵ月前、お向かいのさいとうさんのところを拠点にしていたターノが、車に轢かれた。          
それから、さいとうさんご夫婦は、ターノをお寺で手厚く葬っただけでなく、暴走する車を
取り締まってとか、何らかの策を講じてほしいと、何度も警察署に掛け合われたそうだ。

             ターノ1年前のターノ

ターノは、飼い猫ではなかったが、人間の理不尽な行動で、命を落としたわけで、
犠牲になったのが人だろうと、猫だろうと、無法な殺生は、決して許されない。
事故現場に面したお宅のAさんは、それまで、猫たちには、あまり関心がなく、
冷ややかだったが、その事故以来、お線香や生花を供えて下さり、それが、いつも
そこを通るであろう、運転手だけでなく、子どもたちにも注意を促しているようだ。
2ヵ月経った今でも、塀際の花は絶えたことがない。    (「さようなら ターノ」)

                            ターノへ

さいとうさんのご主人は、勤めを休んで、ターノの四十九日法要にお寺に行かれたとか。 
会社を休んでまで・・・? これには少々驚いたが、結局、警察が、注意を促す看板を
立てることになり、どこに立てるかなどを決める、現場での立会いには、ごんさんだけでなく、
ご夫妻の熱意に動かされた、近所の人たちが何人も集まったそうだ。 
テレビ番組ではないが、「ご近所の底力」とは、こういうことなのだろうと思った。
きっと、よく道路で遊んでいた小学校低学年の子どもたちも、ターノの一件があってから、
よりいっそう、気をつけるようになったことだろう。
                       
            スピード落とせ

そして、8月末、道路の両側に2枚の看板が立った。 「危 スピード落せ!」。 
看板などなくても、一人ひとりが、特に運転者が気をつけるのは、当然のことなのだが。
「暴力は犯罪です」とか、「図書館の本はみんなのものです」などと、極めて当たり前の
ことを、わざわざ、警告しなくてはならない、世の中になってしまったようだ。
動物など

銀座の交番で・・・

2009年09月03日
いつだったか、JR新橋駅近くの交番に立ち寄って、ある建物の所在を訊ねたことがあった。 
というのは、以前、銀座で撮った「時計風のオブジェ」」のあるビルがどこだったのか、
わからなくなり、次の機会に、確かめてみようと思いながら、写真を持ち歩いて
いたので、思い立ったのだ。 それまでに、改札口の駅員にも、街角の店員にも
訊いたのだが、「みたことがない」と言われてしまった。

まず、交番の外に立っていた若い警察官に、写真を見せたが、首を傾げられた。
中では、年配の警察官が、紛失届けに記入している若者の応対をしていたので、
その若者が出て行ってから、年配の警察官にも見てもらったが、わからなかった。 
ここは、愛宕署の管轄で、銀座なら築地警察署だからと、築地警察署に問合せてくれた。 
「銀座には、最近行っていないからな~。 昔、女房と行ったきりだから」と笑いながら。
結局、問合せた先の、築地警察署でもわからず、お礼を言って、交番を出た。

そういえば、4月初旬、春の交通安全運動のキャンペーン中、数寄屋橋を通りかかり、
築地署の「交通安全に関するアンケート」に答えたことがあった。 (「交通安全週間」)
       
       賞品
 
その数週間後、正解者が少なかったのか、「全問正解者」にというはずのご褒美?が、
10問中9問正解の私に届いた。 
中身は、今どき珍しいAMラジオや生地の薄いタオル、キーホルダーなどだったが、
ラジオはごんさんが、それまで使っていたラジオに換えて、枕元で重宝している。

ところで、その新橋の交番を出てからのことだが、少し時間があったので、
「時計風オブジェ」を撮った日のことを思い起しながら、銀座へ向かって歩いた。
銀座四丁目の交差点まで来たところに交番があった。 さすがに、道を訊ねる人が多い。
若い警察官に、写真を見せたところ、即座に、「これは和光です。 この正面に見える
和光ではなく、この交差点を渡って、左に行き、・・・」と、道順を示してくれた。 

さすが! 彼が教えてくれた場所に、「和光 並木館」があり、入口左横の壁に、
あのオブジェがあった。 時計の文字盤のようだが、針はない。不思議なオブジェだ。
写真を撮った時よりも、何倍も大きく感じたが、何故だったのだろう。

     和光並木館   オブジェ

地上10階、地下1階の「並木館」は、時計や美術工芸品、婦人服、婦人雑貨などの
陳列フロアー、ホール、レストラン、カフェがあり、どうやら、女性専用のビルらしかった。
旅・散策・イベント

巨樹 「大カヤ」のある古刹

2009年09月02日
多摩川に面した丘陵にある、善養寺(世田谷区)の、金堂前に聳える榧(カヤ)の木は、 
樹高約22.6m、幹囲5.25m、都指定の天然記念物である。
「根元の東西及び北西面には、最大幅約0.5m、高さ約2mの空洞があるが、
樹勢は衰えていない」
と、「東京 巨樹探訪」(平松純宏 著)にあった。 
この本は、10数年前に買って、たまに出してみたりするのだが、最近また、手許に置き、
写真を眺めては、実際に逢ってみたいと思うようになった。

          カヤ
               都天然記念物 大榧 (イチイ科)                         

カヤという樹をよく知らないこともあるが、我が家から比較的近くにある巨樹というので、
実際に見てみることにした。
東急大井町線の等々力駅で下り、駅に掲示された地図で善養寺を探したがみつからず、
駅員さん2人にきいてもわからないという。 「等々力下車」と分っていれば十分と思い、
住所もメモらずに来たことを後悔した。 仕方なく、通りかかったタクシーに乗り、
行き先を告げると、運転手さんは、「ああ、善養寺ね」と、近道をしてくれたので、
ワンメーターで着いた。 途中、いろいろと話をしたが、まるで恋人にでも逢いに行くようで、
恥ずかしく、境内にある「大カヤの木」を見に行くのだとは言えなかった。

植木を手入れしている人たちが一服していたが、ほかには誰にも遇わなかった。
カヤの樹の下で、しばらく見上げて眺めた後、庭を一廻りして、再び、樹の下に戻った。
根元に、いくつか落ちているカヤの実をみつけたが、
よく見ると、地面まで垂れ下がっている枝が、たくさんの青い実をつけている。 

              カヤ
                     地に着いているカヤの枝   

カヤ(榧) イチイ科 カヤ属  雌雄異株で、幹は直立し,樹冠は幅の広い円錐形になる。
成長は極めて遅いが寿命は長い。耐陰性が強く、樹林内部でも育つ。
花期は4ー5月頃。 雄花は長さ1cmほどの楕円形で、前年に出た葉の付け根につく。
雌花は新枝の基部の葉の付け根に2個つくが、結実するのは通常そのうち1個のみ。
種子は緑色の厚い仮種皮に包まれている。花の咲いた翌年の秋に紫褐色に熟する。
    
カヤ材の主な用途は、碁盤、将棋盤、連珠盤など。 種子は灰汁抜きして食用でき、
果実から取れる油は食用、灯火用に使われる。 葉や枝は、燻して蚊を追い払うために
使われた。カヤの語源はこの「蚊遣り」に由来するという説がある。
 (Wikipedia)  
          
              カヤの実 
                  「名木百選」の碑とカヤの実

小一時間、この樹の傍にいただろうか。 蚊が寄ってこなければ、もっと、いただろう。
真言密教、玉川霊場というだけあって、善養寺の境内は不思議な空間だった。
龍の形をした橋、羊、亀、獅子、象、蟹など、巨大な石の動物たちがいっぱいで、
カヤの樹とは別世界のものに感じられた。

丸子川に架かる赤い欄干の橋を渡ると、この付近は、何度も車で通ったことを思い出した。
ここに、こういうお寺とカヤの巨樹があったとは、まったく知らなかった。
多摩川は目の前だった。 玉堤通りに出て、バスで東急線の多摩川駅へ。
帰宅後、調べてみたら、等々力駅から歩いて30分とあった。 
今度は、二子玉川駅か多摩川駅から、バスで行ってみることにしたい。                 
植物など

旧東海道 品川宿

2009年09月01日
午前中、渋谷で気功の練習後、Mさんと会う時間まで、3時間ほどあった。
一旦、帰宅しようかとも思ったが、「大井町」行きのバスが停まっているのが目に入り、
バスで「旧東海道 品川宿」に行ってみることにした。

「品川宿」は、お江戸日本橋発の五街道の中、最も重要な「東海道」の第1番目の宿
(1601年制定)。 目黒川をはさんで、南品川宿・北品川宿、享保期にできた歩行新宿
かちしんしゅく)とで構成されていた。
宿内の家々は1600軒、住人7000という活気ある宿場で、遊郭もまた、北の吉原に
対して、南の品川といわれるほど、有名だった。

品川宿といえば、20年ほど前になるが、「しながわの街並みを描く」という催しがあった。
これは、いくつかの区画に分けられた、区内の街並みを、みんなで描こうというもので、
絵のサークルのメンバー全員が参加し、各自、いくつもの箇所をスケッチして廻った。

目黒駅近くで、「行人坂」「杉野衣装博物館」「日本酸素記念館」を描き、ほかに
「大井競馬場駅と勝島橋」や品川宿のスケッチを数枚描いた。
数年前、「日本酸素記念館」の建物はとっくになくなったと聞いたが、あのとき、
品川宿で描いた建物はどうなっているだろうか。まだ、健在ならいいのだが・・・。
そして、その年の秋、大崎のO美術館の「しながわの街並みを描く」展に、
JR目黒駅近くの「アンセルモ教会」を描いた水彩画を出品した。

話は戻るが、何年ぶりかで乗ったバスは、渋谷から中目黒、大崎、京急線青物横丁を
経由して、終点大井町まで、渋谷区、目黒区、品川区と、比較的長い距離を走る。
窓の外を眺めていると、小さな旅の気分を味わうことができた。
旧東海道はこの辺との見当をつけて、「青物横丁」で下車した。 

旧東海道に入ったのは確かだったのだが、どうしたことか、いつのまにか、
JR東海道線が見える高台に出てしまった。 
とりあえず、戻ろうと、しばらく歩いて行くと、煉瓦造りの建物が目に入った。 
道を訊ねるため、工場の受付に寄ってみると、記念館の見学が出来るとのこと。
        
                     日本ペイント 明治記念館

外から眺めるだけでよかったのだが、私1人のために、鍵を開けていただいたので、
思いがけず、館内の見学をすることとなった。 
この記念館は、明治42年に建設された、わが国最初の煉瓦造りの油ワニス工場で、
品川区内最古の洋式建物だそうだ。 区からの要請もあり、「日本ペイント」創業
百周年を記念して、「明治記念館」と命名して、保存することになったという。
   
     記念館内
      館内には当時のガス燈や金庫も展示されている  

当時の製造工程の展示コーナーやボイル油製造設備、内国勧業博覧会コーナーなど、
国産ペンキ誕生の第一歩が、ここに保存されていた。 
しばしのタイムスリップ後、再び、受付で道を訊ね、見学記念にと頂いた帽子をかぶって、
第一京浜国道に出た。

目黒川に架かる「東海橋」から、「荏川橋」、荏原神社への「鎮守橋」と、緑道を行くと、
「品川橋」に出た。 この辺りは「南品川宿河岸」、また、「百足屋」という大きな旅籠が
あったことから、俗に、「百足河岸(むかでがし)」とも呼ばれたそうだ。
江戸時代、年貢米を目黒川や陸路をつかって、この河岸まで運び、幕府の浅草蔵まで
送っていたという。 

「品川橋」を渡ると、「朝日楼跡」の斜め前に、「品川宿交流館 本宿お休み処」があった。 
ここで、「まち歩きマップ」をもらって、北品川の方に歩き出したが、時間が気になり、
「日本橋から二里」という地点で、Uターンした。

         目黒川沿いの緑道
               目黒川沿いの緑道 
     
  品川橋  朝日楼跡
             品川橋                   朝日楼跡

再び、品川橋を渡り、街道の松の広場へ。 置かれた縁台には、猫が2匹くつろいでいた。
品川宿では、旧東海道沿いに、五十三次の各宿場から贈られた街道松を植えてある。
この広場の松は、浜松宿から贈られた第1号だそうだ。                   

    街道松     畳店
    浜松宿 街道松                 今も現役の畳店

海に近く、浜風が強かったこの付近の家は、低い2階建の家が多かったという。
海が遠のいた現代の風景は、広重の時代とは程遠いが、航海の安全を祈る「洲崎弁天」、
江戸時代の鯨が眠る「鯨塚」など、旧東海道品川宿は、今でも磯の香が強く残っている、
そんな街だった。
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