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クスノキの大木

2009年11月30日
「樟」又は、「楠」と書く「クスノキ」は、クスノキ科ニッケイ属の常緑高木。
一般的によく使われる「楠」という字は、本来は中国のタブノキを指すという。
食用となるアボカドや、葉が線香の原料となるタブノキは近縁の種とのこと。

全体に特異な芳香を持つことから、「臭し(くすし)」が「クス」の語源となったという説や
「薬(樟脳)の木」が語源とする説、防虫効果があることから元来虫除けに使われた
くす玉(楠玉)の語源であるという説もある。

古くからクスノキは、葉や煙は防虫剤、鎮痛剤として用いられ、幹は巨材が得られるため
家具や仏像彫刻の材料としても広く使われている。
古代の西日本では丸木舟の材料として重宝されていた。
葉をつけると密度が非常に高いため、近年は、交通騒音低減のために、街路樹として
活用されることも多いようだ。

大雄寺  台東区谷中
               大雄寺

本郷弓町の大楠  文京区本郷
              本郷

芝公園   港区芝公園
             芝公園

毛利庭園   港区六本木

六本木再開発計画の目玉として、17年の歳月をかけて完成した「六本木ヒルズ」の
一角に、「毛利庭園」の名で知られる回遊式日本庭園がある。 
この庭園には、江戸時代、長府藩上屋敷庭園にあった桜、楠、榎、銀杏などの古木と
共に、一部の石材も再利用され、大名庭園の一部が再現されているそうだ。

  毛利庭園 毛利庭園
     池畔にあるクスノキ            「宇宙メダカ」のいる池

ここの池には約1万匹の「宇宙メダカ」が放流されているという。 このメダカたちは、
宇宙飛行士向井千秋氏がスペースシャトル「コロンビア」に乗船し、宇宙で行った実験で、
脊椎動物としては史上初めて地球外で誕生した生命の子孫なのだとか。

赤坂氷川神社  港区赤坂
            赤坂氷川神社

玉川神社のとっくりクス   世田谷区等々力
              玉川神社 区の名木百選
                 幹囲5.1m  樹高13m 

いつだったか、世田谷区在住の友人2人と、「とっくりクス」を見に行ったことがある。
それまでも、根元付近がごつごつしていて、ゾウの足のようなクスノキを見たことは
あったが、このクスノキには、驚いた。 「徳利」と言われれば、そう見えなくもないが、
私には、かなりメタボな下半身を持て余し、お手上げ状態のクスノキのようにしか見えず、
せっかく始めたクロッキーを途中でやめてしまった。

葛飾熊野神社  葛飾区立石
  左 右        
     幹囲3.74m 樹高25m           幹囲3.8m 樹高25m
               樹齢300年 区指定天然記念物

ちなみに、クスノキを「区の木」に指定しているのは、江戸川区と大田区の2区。
植物など

清澄庭園の名石

2009年11月29日
江東区清澄にある都立清澄庭園に初めて行った。 
お天気もよく、「天皇陛下御在位 二十年記念事業 11月12日―15日 入園無料」の札が
下がっていたこともあってか、家族連れも多く、園内の至る所で、庭園ガイドの説明に
聞き入る人たちがみられた。
      
       中の島付近

清澄庭園は、一説には、江戸の豪商、紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝えられ、その後、
下総国大和守の下屋敷となった。 明治11年、岩崎彌太郎により、「深川親睦園」として
開園したが、昭和7年、都立庭園となり、昭和54年には、東京都の名勝に指定された。 
泉水・築山・枯山水を主体にした廻遊式庭園。昔は仙台堀川から水を引いたと言われ、
池の周りには、岩崎家が全国から収集した奇石・名石50余が巧みに配置されている。

    富士山付近      紀州青石
                                   巨大な「紀州青石」         
        加茂真黒石
                     「加茂真黒石」
   伊予青石 根府川石
        「伊予青石」                  「根府川石」

昔のわが庭は、狭いながらも、池や築山などがあり、様々な石や石灯籠が配置されていた。
戦前に祖父が造った庭だったが、父もこの庭を大切に思っていた。春の藤、紅葉の秋には、
父はゼミの学生さん達を招くことが恒例で、母はお茶会を催すこともあった。 
晩年の父は、縁台に腰かけ、庭を眺めながら一服するのが、楽しみだったようだが、
突然、樹の植替えを思い付いたり、夕方になって、枝をチョキチョキ切り始めることもあった。

その後、家の建て替えで狭くなった庭にも、紅梅とその根元に大きな石が残されたが、
書斎の窓際のデッキチェアに腰かけて、庭を眺めていた父の姿を思い出す。
樹と石が好きだった父が、この清澄庭園の石や樹をみたら、どんなに喜んだだろうと
思いながら、庭を巡ったというより、石を見て廻った1時間だった。
  
    ポスター
             スタンプラリーとライトアップのポスター 
  
1週間後に、「都立庭園 紅葉めぐりスタンプラリー」(-12/13)と「秋灯りの夕べ」(-11/29)が
始まるということで、園内は、ライトアップの準備が進んでいた。
「紅葉がとりもつ“園”むすび」というスタンプラリーは、都立庭園9か所のうち、5か所の
スタンプを集めた人に、プレゼントが用意されているようだ。

  ライトライト
                    ライトアップの準備

ちなみに、都立庭園は、ほかに、「浜離宮恩賜庭園」「旧芝離宮恩賜庭園」「小石川後楽園」
「六義園」「向島百花園」「旧古河庭園」「旧岩崎邸庭園」「殿ヶ谷戸庭園」の8か所がある。
「浜離宮」「旧芝離宮」「小石川後楽園」「殿ヶ谷戸庭園」には、何度か行ったことがある。
「紅葉のスタンプラリー」は無理だが、ほかの4か所にもそのうち、行ってみようと思っている。
旅・散策・イベント

地下鉄にもある大型アート 

2009年11月28日
東京の地下を行き交う、「東京メトロ」と「都営地下鉄」の駅にも、壁画のアートがある。

東京メトロ 日比谷線
         築地駅 
                      築地駅 ホーム 「勝鬨橋」
                    築地駅

東京メトロ 東西線 
            地下鉄高田馬場駅 
                   高田馬場駅 構内 「面影橋」
   
高田馬場駅構内に、歌川広重の「面影橋」(大田記念美術館蔵)がデザインされた壁画がある。 
面影橋は、神田川に架かる橋。都電荒川線「面影橋駅」は、この橋の名からとったという。
そういえば、何年前だったか、4月初め、早稲田の来迎寺に墓参に行ったことがあり、
帰途、満開の桜の下を、この面影橋まで、神田川沿いに歩いた。
あのときの見事な光景は忘れられない。

東京メトロ 半蔵門線
              錦糸町ホーム   錦糸町ホーム 
              「亀戸梅屋舗」と「両国花火」  錦糸町駅 ホーム
             錦糸町 
             「亀戸梅屋舗」と「大はしあたけの夕立」  錦糸町駅 構内

今年の夏休み、孫りんりんの「東京メトロ・スタンプラリー」に付き合った時に、
地下鉄駅の構内で、歌川広重の「名所江戸百景」の壁画をみつけた。 
「大はしは、現在の新大橋より100mほど下流・・・」の説明書きと地図が添えてある。
浮世絵のことを錦絵ということから、錦糸町駅の壁に登場することになったのだろうか。
「江戸名所百景」は118景あり、広重の二代目の補筆があって、刊行されたという。
ちなみに、浮世絵師の名としては、安藤広重ではなく、歌川広重が正しいそうだ。

都営地下鉄  大江戸線
               牛込柳町 
                            牛込柳町駅 構内
都営地下鉄 大江戸線
               月島
                             月島駅 構内
都営地下鉄  大江戸線―浅草線
             大門
                            大門駅 構内

東京メトロと都営地下鉄が統合されるそうだが、そうなれば、高いといわれる都営地下鉄の
運賃も見直されるに違いない。 地下鉄をよく利用する私には有難いことだ。
旅・散策・イベント

「猫冬」って何?

2009年11月27日
ある時、黄老師の中国語講座で、1人の同学が、こんな質問をした。 
「中国では、退職した人たちは、その後、どういうふうに過ごすのですか?」  
次の講座の時間、老師は、ある新聞記事の切抜きをコピーしてきて、皆に配られた。 

記事の見出しは、「『銀髪族』流行去海南『猫冬』」。つまり、銀髪(シルバー)族の間で、
海南島に「猫冬(避寒)」に行くことが流行っている、といった内容だ。
海南島(中国最南端の島)での「猫冬」とは、最近、旅行社が、力を入れて売り出している
「シルバー族向けの旅行プロジェクト」の1つで、「候鳥(渡り鳥)」のように海南島に飛び、
そこで1ヵ月、遊んで休日を過ごす避寒、即ち「冬籠り隠居」のお勧めプランなのだ。

毎年、冬になると、海南省にある9つの隠居地区はすべて満員になるという。
ノーベル賞受賞者、楊振宇曹氏(アメリカ国籍)が、「海南は全地球人が最も理想とする
隠居地である」と述べているほどで、将来、海南に行き、隠居したいという人も多いとのこと。

不動産の広告ホテルの広告
         不動産とホテルの広告  月刊誌「人民中国」掲載

「候鳥」「老人海南」「猫冬」といった要件が、不動産業界に大きなビジネスチャンスを
もたらした。 「大海に面した、花咲く暖かい地で、家を持つ」というキャンペーンを
打ち出したら、それに惹かれた「家族型の候鳥」が、すでに150組以上も集まったそうだ。
北京、上海など、海南島以外からの人が最も多く、海南を「第2の住い」として、
「猫冬(maodong)」する為に買われているのだとか。

寒い大陸を離れて、暖かい海南島などに避寒に行くことを「猫冬」とは言い得て妙だ。
「猫」の中国語は、「猫(mao)」だが、あの「ねこは寝る子」の猫という名詞だけではなく、
「隠れる・こもる」という動詞としても使われるようだ。
例えば、「昨天我在家里」というのは、「昨日私は家に引きこもっていた」だし、
「他到海南去了」は、「彼は海南に避寒に行った」ということになる。
   
              トラ  離れ
                  トラ  手前は「ボール紙製爪とぎ」

わが庭の猫たちを見ていると、まるで、「候鳥」のように、あちらからこちらへと渡り歩き、
気に入った場所で横になり、熟睡体勢に入る。
そのように、我が家の2階のベランダまで上がれば、風雨を凌ぐことができ、
安心して「猫冬」できる、3階建の6室プラス離れ1室があることを知っているのだ。

          ケシ 101室
                 ケシ   雨の日は顔を隠す

それにしても、彼らはよく眠る。寝返りも度々、5分も目を離すと、体勢が変わっている。  
よく欠伸をする彼らをみていると、欠伸も眠気もうつるのか、こちらまで、眠くなってしまう。
欠伸というのは、頭を使いすぎたりして、脳が酸素不足になったときに出るというが、
猫たちは、果たして、そんなに頭を使っているのか、彼らの欠伸を見る度に思ってしまう。
       
              トラ 202号室
                  トラ   今日はそれほど寒くない

これから、本格的な冬に向かって、猫たちも「猫冬」の準備を始めるに違いない。
すでに、彼らの毛が冬毛に代わってきたのか、トラケシも太って見えなくもない。
彼らは、面倒な衣替えや夏物のクリーニングなどは必要がないのだ。 
中国・中国の旅

山手線と聞くと

2009年11月26日
山手線に乗っていた。 どこで、下りるつもりだっのか、すでに乗り過ごしていたらしく、
いっそのこと品川まで行ってしまおうかと思ったところで、ちゃんと目が覚めた。 
時々、立ち寄るJR品川駅の駅中「Ecute」が思い浮かんだのかもしれない。 
改札口を出なくていい、駅中の店は、時間調整や気分転換ができる、お気に入りの
スポットなのだが、それにしても、ここは、いつ行っても、混みあっている。
 
  エキュート  エキュート
   東海道線・横須賀線開業 120周年を記念して 床にも駅名と線路が? 2009.8  

都心部を環状に走る山手(やまのて)線は、全29駅を一巡すると、ほぼ1時間かかる。
山手線一周と聞くと、懇意にしている、中国人趙さんの留学生時代の話を思い出す。
彼女は、日本に来て間もない頃、狭い部屋に3人で同居していたそうだが、
ほかの2人は、働いていたので、夜、彼女だけ、1人で起きているのは大変だった。 
そこで、彼女は、冷暖房完備の山手線で何周かしながら勉強することにしたと。
これは、10年以上も前のことだが、今も、ファミレスなどで、コーヒー1杯の注文で、
何時間も頑張っている学生さんを見かけるが、山手線の車内で、勉強をしている人が
いるかもしれない。

ついでながら、23区のうち、全区が山手線内にあるのは、文京区だけだそうだ。
また、山手線の中では最も新しい駅は、西日暮里駅。 この駅は、地下鉄千代田線との
乗換え駅として開業したとか。

私が、よく利用する東急線は、線路脇に見える信号機で制限しているが、
あるとき、山手線に乗っていて、地上信号がないということに気づいた。 
山手線は、短い間隔で運転されるために、運転台のスピードメーターの横にある
車内信号機が使われているそうだ。 ほかにも、京浜東北線、新幹線、地下鉄など、
ATCを使用している路線でも、この信号機が使われているとのこと。 

今年10月、山手線が「命名100年」を迎えるのを記念して、当時の塗装を再現した、
チョコレート色の車両(D231系)が、12月4日まで運行されている。 
先日、初めて、JR五反田駅で、板チョコのような電車に出会った。チョコレート色にちなみ、
明治製菓とタイアップしているとか。 この車両に乗ってみたかったが、反対方向だった。  
  
      復刻 山手線 2009.11          
           「命名100周年」記念 チョコレート色の山手線    

夏休み、孫のりんりんと、東京メトロのスタンプラリーで、都内を回ったことがあった。
東京駅の地下街にある「みやげセンター」に寄って、「東京水」のペットボトルと、
りんりんに「テツオト サウンドポッド山手線」を買った。    (「東京の水道水」)  

これは、駅名パネルを押すと、山手線各駅のホームで耳にする発車メロディが流れる
キーホルダーで、彼は、片っ端からパネルを押しては、喜んでいた。 
山手線のほかにも、新幹線の駅、「ご当地メロディ」の嚆矢となった、「蒲田行進曲」の
蒲田駅、「鉄腕アトム」の高田馬場駅、「第三の男」の恵比寿駅などもあった。
結局、りんりんは「東京駅」を選んだが、帰りの車内で、彼が「東京駅」の発車メロディを
押したりしないかと、ハラハラさせられた。

            サウンドポッド
           「駅名を押すと・・・ 発車ベルが鳴る」(525円)

今年の春、「京急の駅メロ」のCDが発売され、鉄道マニアだけでなく、年配の女性にも
好評だと聞いたが、「JR東日本 駅発車メロディ オリジナル音源集」というCDもあるという。
YouTubeでは、ピアノ演奏の発車メロディがあったり、「JRの発車メロディー」として、
例えば、東京駅は、3番線から6番線(山手・京浜東北線)、横須賀・総武線ホームなどと、
駅別・路線別のメロディが、聞けるようになっている。

駅メロには、比較的静かなものもあるが、お馴染みの臨場感溢れるメロディを聞くと、
「ドアが閉まりま~す 駆け込み乗車は危険です ご注意ください」といったアナウンスも
聞こえてくるようで、困ったものだ。
つれづれ

我が家の木魚

2009年11月25日
今月は、私の祖父母の命日が続いた。祖父が亡くなったのは、私が小学1年のときで、
祖父のことはほとんど覚えていない。 また、祖母が亡くなってから、40年近くになる。
2人の形見の中で、今でも時々目にしているのは、木魚ぐらいだろうか。
その形が面白くて、ずっと、飾り棚に置いていた。
父が亡くなってからは、仏壇の傍に戻したが、木魚を打ちながらお経をあげる母の姿は
見たことがない。 しばらくは、りんりんが 「般若心経」のルビを読みながら、
木魚を楽器のように叩いていたが、今は、仏壇の横で、大きな目を見開いて、
かなり草臥れた座布団の上で眠っているかのように座している。

              木魚

木魚が誕生したのは明の時代で、江戸時代、渡来した隠元和尚が広めたといわれる。 
読経の時に使われる、魚の鱗が彫られたクスノキなどでつくられた木製の仏具で、
魚が口を開けているような割目があり、中は空洞で、鈴のような形をしたものが一般的。 
           
禅寺で時刻を知らせたり、人を集めたりするために、打ち鳴らす魚板(かいはん)から
変化したものといわれる。 魚板は、竜頭魚身で珠玉を口に含んだ木魚(木の板)で、
二頭一身の丸い木魚よりも魚に近い形をしている。

それにしても、殺生を禁じている仏教で、お寺の中に魚の形をした木魚があるのは、
不思議な気がする。 読経するときに、音を出すことで、リズムを整えたり、
睡魔に打ち勝つために打つのなら、なにも魚の形でなくともいいのだが、
それには、ちゃんとした意味が込められているという。 魚はいつも目を開けているので、
昔は眠らないと信じられていたため、魚にあやかって、眠らずに修行するとしいう意味が
あったのだという。
まぶたがない魚は、いつも目を開いているため、眠らないようにみえるが、
実は、ちゃんと眠っていることが分かっているそうだ。 

禅宗や天台宗、浄土宗などで用いられる木魚は、浄土宗では木魚の使用が禁じられた
時期もあったが、その後、念仏を唱えるときに使用されるようになったという。
祖父母が浄土宗を信仰していたということは、父が亡くなるまで、よく知らなかったが、
長男を4歳、長女をわずか10か月で亡くした祖母が、どんな思いで仏壇に向かっていたか、
今頃になってやっと、わかったような気がする。

「仏壇のはじまりは 魂棚(たまだな)だった」という、現代的仏壇を販売する店の
車内広告を見たときに、「たまだな」というのは、いい言葉だなと思った。 
魂棚は、お盆に、先祖や神仏の霊を迎える祭壇のことで、シンプルなものだったようだ。
柳田國男は、お盆だけ設置されていた魂棚が、次第に常設されるようになったと考えたが、
現在は、竹田聴洲の「持仏堂→仏壇」説の方が有力視されているそうだ。 (Wikipiedia)

  壁に貼った般若心経

「観自在菩薩行深般若波羅密多時・・・」。 1年前くらいになるだろうか、「般若心経」を
プリントして何枚か壁に貼り、りんりんと一緒に、覚え始めたのだが、
いつの間にか、中断してしまい、今ではすっかり、忘れてしまった。 
そろそろ、再開しようかと思うのだが、記銘力の衰えを実感することになりそうだ。
つれづれ

駅で見た大型アート 

2009年11月24日
ターミナルビルとも呼ばれる駅ビルが増えている。
明るく、お洒落になった駅構内やコンコースを通るのは楽しい。 

渋谷駅にて (渋谷区)
       ハチ公ファミリー 
               JR改札口脇  ハチ公広場前 

ここ、ハチ公前の広場は、いつ来ても待ち合せの人たちで混み合っている。
私も、渋谷駅で待ち合せする時はハチ公像の傍ではなく、10数頭の[ハチ公
ファミリー]の壁画の前にすることが多い。

        明日の神話
        JR渋谷駅―京王井の頭線  「渋谷マークシティ」2階連絡通路

ちょうど1年前、画家の岡本太郎(1911年~1996年)がメキシコで制作し、広島の原爆を
テーマにした大作「明日の神話」が、「渋谷マークシティ」の壁に掛けられた。
この作品は、行方不明から約40年後に、メキシコシティで発見され、日本に移送、
修復されたものだ。
壁画がある場所は、JR渋谷駅と京王井の頭線の連絡通路で、1日約30万人の通行者の
目に触れることになるのだとか。
私もよくここを通るが、幅30m、高さ5.5mの巨大な壁画は、銀座線への階段の上にでも
立たないと、全景が視野に入らないほどだ。 たまに、写真を撮っている人をみかけるが、
大抵の人は、見慣れてしまったせいか、この壁画を見上げることもなく往き来している。 

          Brite Time
            京王井の頭線―東京メトロ銀座線  「Brite Time」  

        副都心線
           地下鉄副都心線 コンコース  洋画家 絹谷幸二(原画)

三軒茶屋駅にて (世田谷区)
         三軒茶屋駅
三軒茶屋 三軒茶屋

三軒茶屋は、東急線の田園都市線と世田谷線が交差している駅。 
昨年の4月から7月まで、Sさんと、世田谷線の松陰神社駅にある「世田谷市民大学」に
通って、社会学者倉沢進氏の「北京―皇都の歴史と空間」という講義を受けた。 
今度北京に行ったときに、今までと違った角度から、北京の街をみることができるだろうと
思ったのだが、まだ、北京どころか、中国に行く機会さえ、みつからないでいる。

数か所のJR駅構内にて
              横浜駅 
                           横浜駅

           田町駅
                  田町駅  「西郷隆盛・勝海舟 会見の図」

JR田町駅、都営地下鉄三田駅のすぐそばに「江戸開城会見之地碑」 がある。
そこは、かつて薩摩藩蔵屋敷があった場所で、慶応4年、官軍の江戸総攻撃前夜、
この屋敷で、西郷隆盛と勝海舟が会見をして、江戸100万の民衆を守るため
江戸城の無血開城を取り決めたという。

           立川駅 
                           立川駅

            八王子駅 
                          八王子駅    
旅・散策・イベント

愛用の眼鏡たち

2009年11月23日
今日、「勤労感謝の日」は、戦前は「新嘗(にいなめ)祭」といい、農作物の恵みに感謝する日だったが、 
今は、農作物だけでなく、勤労の目的を再認識するという意味がこめられているようだ。

自宅で愛用しているパソコン用の眼鏡の弦が外れてしまい、ネジを探したが見つからず、
仕方なく、眼鏡店へ出かけた。
幸い、ネジが外れただけだったので、5分ほど待っただけで、(無料で)直してもらえた。
私とタッチの差で、背広姿の男性が、眼鏡の弦が外れたと、駆け込んで来た。
その男性の眼鏡は、弦が折れていて、修理には数日かかると言われて、困っていた。

最近、「目的に合ったメガネは疲れにくい」ということで、パソコン用、読書用、料理用など、
用途にあわせたレンズが販売されているとのことだ。
例えば、料理用なら調理台の高さに合わせて、手元を見やすくし、さらにキッチンで
ありがちな油汚れや湯気がつきにくくなっているのだとか。 
もともと、スポーツ用の眼鏡というものはあったが、ほかに、アウトドア向けの
ドライブ用やゴルフ用の眼鏡も登場しているらしい。

驚いたことに、ネットで、自分に合った眼鏡を選んで購入できるようになったという。 
「顔写真の読み込み」をすると、自分の顔が3D画像になって画面に現れ、
眼鏡フレームを選べば、その眼鏡をかけた様子が分るようになっているようだ。

420余年前、ザビエルらによって眼鏡、時計、望遠鏡などがもたらされたというが、
日本に現存する最古の眼鏡は、静岡の久能山東照宮に残る徳川家康の眼鏡だそうで、
家康所持の眼鏡がデザインされた「めがね之碑」は、不忍池の弁天堂の参道にあった。  

         めがね之碑
           家康所持の眼鏡  「めがね之碑」   上野不忍池畔 
             
私は、10年ほど前から、遠近両用の眼鏡とパソコン用の眼鏡の2本に、お世話に
なっているが、パソコン用といっても、最近、発売された、進化したもの?とは違う。
パソコンの画面や手元の文字がはっきりと見え、さらに、急に席を立って廊下に出ても、
はっきり見える、中距離もOKという眼鏡で、私にとっては、なくてはならない眼鏡だ。

この眼鏡は、あくまでも自宅用で、もう1本は、外出用にしている遠近両用の眼鏡。 
私の眼は「ガチャ目」。 左右のバランスを取ろうとして、特に疲れやすくなっているからと、
10年ほど前、眼科医に勧められて作ったものだ。
当初、この眼鏡なしでも見えたが、現在は、外出先で、老眼鏡代わりに愛用している。

実は、私の「ガチャ目」の原因は、小学生の頃にある。 今は全くみられない遊びだが、
「毬つき」で遊んでいる最中、毬を跨いだ友だちの靴先が、しゃがみ込んで見ていた
私の右眼をかすって、黒眼に傷がついたことがあった。 
まもなく傷は治ったが、それ以来、検眼の度に、右眼の視力は落ちていくのに、
左眼の視力はどんどんよくなり、右眼が0.1、左眼が1.2という時もあった。 

そんなガチャ眼でも、視野検査はクリア、運転免許の更新時も眼鏡なしでパスしてきた。
人の身体は、バランスを取り合うものだと、身をもって体験している。
老眼になるにつれ、左右の視力の差は縮まって、いつの間にか、両眼とも0.7程度で
落ち着いている。
   
          眼鏡たち
         アルミ製のケースと遠近両用眼鏡  後方は、パソコン用 

ところで、眼鏡で思い出したことがある。 それは、眼鏡のたたみ方。
まだ、眼鏡を掛け始めたばかりのころ、絵の教室でご一緒だったTさんに、
左の弦が下になるようにたたむのだと、注意されたことがあった。
右利きだと、つい、右からたたんでしまうが、左を下にして置いたときの方が、
収まりがいいように出来ているのだそうだ。 

普段は、無造作に扱っているが、たまに、思い出して、「左を下に」を実行している。
眼鏡をかけ馴れない頃ならいざ知らず、たまに、眼鏡をしたまま、眼鏡を探したりする。
それだけ、眼鏡に馴れたということだろうか?
それにしても、パソコン用、読書用、ドライブ用など、一々、眼鏡を取り替えるのは面倒。
私の場合は、自宅用と外出用、この2種類の眼鏡で充分だ。
当分の間、フレームが少々草臥れた眼鏡たちと、仲良くお付き合いしていくつもりだ。 
つれづれ

湯島聖堂の「楷の木」

2009年11月22日
今日は24節気の1つ、小雪。 冬将軍が到来すると言われる時期。
山頂に雪がみえるようになるが、まだ雪はさほど多くない。 

明日の勤労感謝の日には、文京区の湯島聖堂で、神農祭が行われるという。
神農は、古代中国の伝説上の帝王である三皇のひとりで、初めて農具を作り、
人民に農耕を教え、医薬をもつくり、交易を教えたとも言われる。 
日本では,江戸時代から医薬の始祖として東洋医学者の尊崇を集めてきたものだ。

JR御茶ノ水駅聖橋口から出て、神田川にかかる聖橋を渡ると、こんもりとした森の中に、
かつて江戸幕府唯一の官学として栄えた昌平坂学問所、昌平黌(しょうへいこう)と呼ばれた、
湯島聖堂がある。 5代将軍綱吉のとき、孔子を祀る大成殿が建てられ、
11代家斉の時、孔子が生れた村「昌平」の名にちなんだ、孔子の諸説、儒学を教える学校、
昌平黌が建てられたという。 江戸時代、300年近くも、戦いがなかったのは、武士たちが
学問したことが大きな要因と言われる。
1923年の関東大震災で、入徳門を残して消失したが、1935年に再建された。 

       湯島聖堂
          練塀に囲まれた聖堂   中央が銀杏 右が楷の木

だいぶ前のことになるが、F先生のデッサン教室で、初めて湯島聖堂を訪れた。
この頃は、建物にも樹にも、さほど関心がなかったため、風情のある練塀や
石垣の間から顔を出したタンポポをスケッチした記憶がある。 
練塀は、斜面を調整する為、石垣の上の部分に瓦を幾層にも練りこんだ塀のこと。

湯島聖堂は、「学問の聖木」「孔子の木」ともいわれる、「楷の木」(かいのき)があることでも
知られている。 
この木は、小枝がほぼ直角に出て整然としているので、「楷書」の語源になった。
中国の曲阜(きょくふ)の孔子廟に植えられ、その後、各地の孔子廟にも植えられたようだ。
       
   カイノキ    孔子像と銀杏 
       樹齢90年の楷の木       1975年 中華民国台北から贈られた
     幹囲2.2m  高さ14m        世界最大の孔子像と銀杏

今月初め、中国語教室の後、Hさんと楷の木を見に行った。色づいた木を想像していたが、
高いところが紅葉していただけで、緑の葉の中に可愛らしい桃色の実がなっていた。
落ちていた実を拾ったが、ウルシ科で、トネリコバハゼノキという学名を思い出した途端、
手が痒くなった。 斯文会館にあった消毒ジェルのお陰で痒みはすぐに治まったが。

          実

関東大震災で大成殿が炎上したときや、東京大空襲の猛火のため、幹のあちこちに
黒い焦げ跡が残った銀杏や、幹の下部が空洞になった椎の木もあった。 
訪れる人はまばらで、椎の木をスケッチしていると、都心にいることを忘れるほどだった。
                   
「日本の学校教育発祥の地」の掲示があるように、聖堂は宗教施設ではないのだが、
学問を志す人たちのために、絵馬や学問成就の鉛筆が販売されていた。
「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ(論語)」「至誠にして動かざるものなし(孟子)」と
書かれていたのが面白かったので、「学問成就鉛筆」(2本入り)と、
春夏秋冬、4枚の「楷の木」の絵葉書を買って、受験シーズンには、大勢の人たちで
賑わうのだろうと思いながら、静かな聖堂を後にした。
     
      絵葉書
                  楷の木の四季  絵葉書    

鉛筆は、5歳の孫りんりんが気にいったというので、彼に進呈することにした。 
彼が受験する頃まで、効き目が続いているといいのだが。
植物など

猫のペット「子羊」

2009年11月21日
りんりんが2歳の頃、可愛がっていた「縫いぐるみの子羊」!

トラ ケシ
        トラは追い出そうとし・・・              ケシは逃げ出したが・・・  
         
        アミ
              自分の手を枕にして寝ていたアミは・・・     
                    アミ
                             なに これ?と確かめて・・・

    アミ かわいい!

           アミ
                   いっしょにお昼寝しよう
                              ということになった・・・。
           アミ
動物など

お墓を巡る人たち

2009年11月20日
最近耳にした新語に、「自転車ツウキニスト」と「ハカマイラー」とがあるが、
「ハカマイラー」を初めて耳にしたときは、何のことやら見当もつかなかった。
「墓参り+er」の意味らしいが、趣味で、国内外の有名な作家、芸術家、歴史上の
人物などのお墓をお参りして歩く人たちをいい、特に若い人たちに増えているという。

どこかへ出かけた序に、有名人のお墓に立ち寄る、といった人もあれば、
自分が会いたい人が眠るお墓を訪ねて、世界中を巡る人もあるそうだ。 
中には、20年以上かけて、50カ国以上、1200人以上のお墓に参った人がいるとか。
聞いて驚いた。
太宰治の命日「桜桃忌」に、彼のお墓がある三鷹のお寺に、多くの人たちが
集まることは知っているが、ファンとはそういうものなのかもしれない。

先月、地下鉄牛込柳町にある幸国寺の大銀杏を見て、地下鉄早稲田駅に向かう途中、
漱石公園の案内板を見つけて、寄ってみたことがあった。
そこは、夏目漱石が明治40年から大正5年に亡くなるまでの9年間を過ごした場所で、
その住居跡にあった新宿区立漱石公園を、漱石141回目の誕生日にリニューアル
オープンしたのだそうだ。 

    漱石像    猫塚                      
門の前には、「則天去私」の言葉とともに、漱石の胸像が建ち、園内には、
「漱石山房」と呼ばれた大きな家の、ベランダ風回廊が復元されているほか、
復刻版などを展示する建物や猫塚がある。 漱石の遺族が、飼っていた猫や犬などを
供養するための塚を復元したもので、「吾輩は猫である」の猫とは関係がないとか。

因みに、漱石のお墓は雑司が谷霊園にあり、墓碑は、夫人らの設計による、
大きな安楽椅子の形をしたものだとか。 
漱石の「ハカマイラー」も、若い人たちが多いそうだ。

墓巡りは、私が最近、夢中になっている巨樹巡りと、案外と似ているかも知れない。
巨樹にもお墓にも、逢いたい時に逢えるし、語りかけようと、写真を撮ろうと、
文句を言う人はいないし、観覧料も要らない。 

お寺には巨樹も多く、お墓に囲まれていることもある。 
谷中の大雄寺のように、クスノキの巨樹の根元に、山岡鉄舟、勝海舟とともに
「幕末の三舟」と呼ばれた、高橋泥舟の墓があったりする。 
巨樹巡りと墓参りが同時にできることもあるだろうが、しばらくは、巨樹巡りに専念したい。

地図を片手に、季節を感じながら歩く「巨樹巡り」は、意外に健康的な趣味といえそうだ。 
ツーキニストのようにダイエット効果までは望まないが、と思いながら漱石公園を出た。 

    夏目坂通り     夏目坂

早稲田駅に向かって近道したつもりが、偶然、「夏目坂」に出た。 
「夏目坂」の標識には、漱石の随筆「硝子戸の中」によると、この辺りの名主であった、
漱石の父が、自分の姓を名づけて呼んでいたものが人々に広まり、やがて定着して、
地図にものるようになった
、と記されている。

この坂の上にある来迎寺に、私の父と祖父母が眠っている。 
お彼岸の墓参が不充分だったので、導かれたのだろうか。 お寺に寄ることにした。 
不思議な日だった。 
旅・散策・イベント

自転車ツーキニスト

2009年11月19日
最近、ラジオで、「ジテンシャ ツーキニスト」という言葉をよく耳にする。 
「ジテンシャ ツーキニスト」とは、自転車で通勤する人のことをいうらしい。
疋田智氏が、「週刊メールマガジン」を発行して、自転車通勤のノウハウやポリシーを
伝えるために、ホームページ上で取り上げたのが、最初だといわれている。
ラジオでも、毎週、「ツーキニスト」向けの番組を放送しているほどで、
この「自転車ツーキニスト」は、かなりのブームになっているようだ。 

身近なところでは、MさんやSさんのお子さんたちも、「会社に自転車で通っている」とか。
山手線の駅で言えば、10駅くらいの距離は当たり前らしい。 
自宅から会社まで自転車で直行する人が増えれば、最寄駅までの自転車利用者は減り、
駅前の歩道が自転車で溢れかえり、歩くのに一苦労ということも少なくなるだろう。

  放置自転車
         駅周辺の放置自転車      大田区                     
                   有料駐輪場
                        駅前駐輪場 10時間毎100円

どうやら、「都内などでは、電車通勤よりも自転車の方が時間が早い上に、
健康に良い、ダイエットできる 、満員電車に乗らなくてよい 、定期代が浮く、
帰りに色々なところに寄り道できるなど」
、利用者にとってのメリットが多いだけでなく、
周囲の環境にも良いわけで、いいこと尽くめなのだ。

中国を訪ねたとき、ホテルの窓から、、隊列を組んだような、実にたくさんの自転車が、
車の間を縫って進む、そんな早朝の出勤ラッシュの光景をみたり、行く先々で、
自転車店ではない、「自転車の修理屋」を見かけたりすると、中国にいる!と実感した。 
彼らにとって大事な足である自転車を、修理を繰り返して使っているのだと思ったものだが、
中国の「自転車通勤族」は、日本の「自転車ツーキニスト」とは、どうも違うような気がする。

英和辞典で、「○○ist」を調べてみると、①・・・をする人 →cyclist ②専門家 →pianist  
③・・・に関係している人 →journalist ④…主義者 ⑤・・・の性格の人、とあった。
中国では、単純に①の自転車通勤をする人だが、日本では、②に近いツーキニストが
増えているように思えるが、どうだろうか。

          駐輪 目黒区
           駐輪の新方式?  目黒川沿い「みどりの散歩道」

ツーリング用、レース用、通勤用、買物用などと、数台の自転車を所有している若者も多く、
中には、「雨の日は、自転車が痛むので乗らない」という人がいたり、どこそこブランドの
「サイクルジャケット」と「サイクルパンツ」しか着ないという人もありで、服装にもこだわる。
ツーキニスト向けのスーツを売り出しているメーカーもあるようだ。

最初は、ダイエット、渋滞回避などを目的に始めた自転車通勤も、次第に、自転車に
乗ること自体が楽しくなっていくのだとか。  
私の「巨樹めぐり」でも、目的地に直行できるとは限らず、迷ったり、寄り道したり、
歩いていること自体が楽しいと思うこともしばしばだ。 
知らず知らずのうちに、かなりの距離を歩いていたりする。 でも、少々、くたびれて、
偶然入った店のコーヒーが美味しかったりしたら、もう、言うことはない。
つれづれ

それぞれの役目

2009年11月18日
湯島聖堂 大成殿の屋根  (文京区)
                       湯島聖堂
                             鬼ぎん頭(きぎんとう) 

5代将軍綱吉が建てた孔子廟、「湯島聖堂」大成殿の屋上に鎮座している、
鬼ぎん頭と鬼龍子。 
鬼ぎん頭は、一種の鯱(しゃちほこ)で、龍頭魚尾の姿をして、頭から潮を吹き上げている
想像上の動物。水の神とされ、火災から建物を守るとされるが、現在のものは2代目。
震災で焼失したものに代わり、昭和10年に再興されたものだそうだ。

          湯島聖堂
                      鬼龍子(きりゅうし)

また、鬼龍子は、中国の想像上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるという。
牙を剥き、腹には鱗があり、蛇腹・龍腹となっている。
屋根を見上げると、こちらを睨んでいるような気がした。

荏原神社  (品川区)
           龍
                     屋根からのぞく龍 

この神社の祭神は、高龍神(龍神)という。l 拝殿には、見事な龍の彫刻があり、
左右の屋根からは、龍が顔をのぞかせていた。

赤坂氷川神社  (港区)
                赤坂氷川神社

この神社には、数種の狛犬が鎮座しているが、この狛犬は樹の枝につかえそう・・・

葛飾熊野神社  (葛飾区)
               葛飾熊野神社 「この紐を引いて下さい
                 獅子舞が始まります 獅子舞は邪気を祓う舞です」

拝殿の硝子戸の向こう側に獅子頭が見えた。 お獅子が立っていた。
外に出ている紐を、2回ほど引いてみたが、獅子舞は始まらなかった。 
参拝目的でなく、境内にある楠の巨樹を見にきたのだと、見抜かれたのだろうか。

東急線の駅近くの歩道   (大田区)
        銀行前 かなしいキリン
              「禁輪地区」の文字も薄れて・・・
 
忠犬ハチ公  (JR渋谷駅前)
         ハチ公
                       「せんきょだよ かならず行ってね とうひょう日」  
 
最近のハチ公は、たすきを掛けていない。 
排気ガスにも騒音にも負けず、待ち合わせ場所のシンボルとしての役目を果たしている。 
因みに、今のハチ公像は昭和23年に建てられた二代目。 
ハチ公が死んだのは、昭和10年で、その前年に建てられた初代銅像は、
戦時中の金属供出令に従って撤去されたそうだ。 
       
烏山緑道   (世田谷区)
                     烏山緑道

この付近に、招き猫伝説で有名な豪徳寺がある。 そのご縁で置かれたようだが、
それにしても、見慣れない、滑稽な招き猫の顔つき!
旅・散策・イベント

パジャマは上着?

2009年11月17日
10月1日に建国60周年を迎えた隣国、中華人民共和国「上海」での話題。
中国国営新華社通信によると、上海市政府とW・ディズニーが申請していた
「上海ディズニーランド」の建設が正式に決まった。アジアでの開園は、東京と香港に
続いて3番目となる。 東京の3倍の面積になるのだとか。
中国国内から香港へは入境許可やパスポートが必要で、面倒なこともあり、香港の
ディズニーランドは業績不振だというが、上海にも出来るとなると、どうなることだろう。
日本のディズニーランドにも行ったことがない私が心配するのもおかしいのだが。 

ところで、中国では、昨年の北京五輪に続き、来年開催予定の上海万国博覧会
(5/1-10/31)の準備が、急ピッチで進んでいて、市内全域が工事現場といった様相を
呈しているのだとか。
先日、中国語の教室で、「上海の地下鉄があんなに増えていたとは驚いた」という声を
耳にしたが、実際、万博会場へのアクセス手段となる地下鉄工事や道路の補修のほか、
マンション建設など、現在、市内の7000カ所で建設工事が行われているという話だ。

        上海 2004.4
                高速道路より見た上海市街 

そんな中、今年の夏に上海市政府が打ち出した「パジャマでの外出禁止条例」に
反発する市民が、白昼堂々とパジャマを着て街を歩く様子をテレビでみた。
万博を前に、この習慣は国際礼儀に反するという声と、一方では、政府がそこまで
細かく管理すると、社会の自由度が制限されるという声が上がっているそうだ。

パジャマ姿で自転車に乗る男性や、賑やかな大通りでのインタビューに、
「ここは、自分の家と同じよ。何が悪いの?」と答えるパジャマ姿の若い女性もいた。
我々が室内で着ているトレーナーの感覚なのかもしれないが、テレビで見た限り、
彼らのパジャマは、派手な色の花柄やチェック柄のものだった。
パジャマでの外出は珍しくないという上海だが、5年前、ほんの数日の間だったが、
私が上海の街を歩いた時には、パジャマ姿の人は1人も見かけなかった。

       映画撮影
           映画撮影に集まった見物人     「新天地」

「新天地」は上海の新しい観光スポット。1920~30年代に建てられたモダンな雰囲気の
「石庫門住宅」 を修復し、旧フランス租界の街並が再現された(2001年)。

            裏通り
                         賑やかな裏通り

そもそも、パジャマが「ゆったりとした上衣とズボンからなる寝巻」(大辞泉)とか、
西式睡衣(日中辞典)であるととすると、少々具合が悪い。  (西式=西洋式)
もし、パジャマをトレーナー、スウェットの前開きのものと見なせば、「ちょっとそこまで」位は
許容範囲かもしれないが。 
                   
中国とパジャマで、思い出したのだが、いつだったか、中国で何度か通訳兼ガイドを
お願いした張さんから、Kさんと私はパジャマをプレゼントされたことがあった。
私のは、真っ白のシルクのパジャマと聞いていたが、帰国して、ラベルをよく見たら、
シルクではなかったのだが。 
日本では、パジャマのプレゼントは、あまり、一般的ではないように思うが、
中国では、親しさやや近さを表す手段の1つなのだろうか。
こんなところに、中国人と日本人の感覚や習慣の違いがあるような気がしないでもない。

長い間、仕舞いこんで、一度も着ていない、シルク風のパジャマを出してみた。
これを着て寝ると、上海の街で、中国語を流暢に話している夢でも見られるかも?!
やはり、パジャマは「寝巻」「睡衣」。 私には、パジャマ姿で家の外に出る度胸はない。
中国・中国の旅

大和路の旅

2009年11月16日
先週、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、卑弥呼(ひみこ)と同時代の、3世紀前半の
大型建物跡が見つかったとの発表があった。 纒向遺跡は、邪馬台国の最有力候補地
とのことだが、このロマン溢れる大和路を初めて旅した時のことを思い出した。

それは、10年以上も前になるが、ちょうど今頃、4日がかりの旅だった。 
その時のアルバムには、何人もの懐かしい人たちの姿がある。絵の会の旅行では、
もっとも多い参加者だった。スケッチは小さいものを含めるとたくさんあるが、写真は少なく、
旅程表も残っていないので、飛び飛びにしか思い出せない。

今、覚えているのは、桜井(奈良県桜井市)のペンションと飛鳥川沿いにある宿に宿泊し、
「山の辺の道」を歩いたこと、甘樫丘から二上山と畝傍山、耳成山、香具山の大和三山を
スケッチしたこと、長岳寺、桧原神社、祟神(すじん)天皇陵、箸墓などに寄ったこと、 
飛鳥(明日香村)へは電車で移動して、夕方、高松塚古墳館の閉館直前に駆け込んだこと、
翌朝、レンタカーを借りて、岡寺、亀石、石舞台古墳を訪れたことなどだ。 
見聞きした歴史や由緒などはすっかり忘れているのに、石舞台で急に雨に降られ、
売店であの頃にしては珍しかった黒いビニール傘を買ったこと、東京まで持ち帰り、
しばらく、大事に使っていたことなどは、はっきりと覚えているからおかしい。

          稲渕の里rder=

稲渕では、紅葉の山々に囲まれた稲刈りの直後の田圃をスケッチした。
最年長のKさんが、寒いから車の中で待っているとおっしゃって、スケッチを中断された。
あのKさんが?!と、心配したが、宿に戻ると、もう、いつものエネルギッシュな彼女だった。
そして、翌日、旅を続ける皆と別れて、神戸の知り合いの家まで1人で行かれた。
このとき、彼女は、85歳を過ぎておられたと思う。  

大和路の旅で、もうひとつ、思い出すのは、桜井に到着した日の午後、ペンションの
マイクロバスで送ってもらって、「崇神天皇陵」近くで、集合時間と場所を決めて、
何組かに分かれてスケッチしたときのこと。 集合場所に車が迎えに来てくれた時、
Oさんたち2人の姿が見えず、しばらく探し回った。 
このとき、私は自分の携帯電話がないことに気づき、崇神天皇陵の近くで落としたかと、
探しに戻ったが、どこにもなかった。 公衆電話から、自分の携帯に電話して、
「この電話を見つけた方は、○○ペンションに連絡してください」と伝言を入れた。

結局、Oさんたちは戻り、迎えに来た車でペンションに戻った。 
私の携帯電話が出てきたのは、その後。 夕方、車の掃除中に見つけてもらった。 
朝、車から下りる時にバッグから落ちて、椅子の下に潜り込んだらしい。 

ところで、大和三山は、香具山(152m)・耳成山(140m)・畝傍山(199m)をいう。
奈良盆地の南部に位置する独立した丘陵で、いずれも標高200m以下の低い山だが、
平野にあるのでよく目立つ。

    二上山と畝傍山 click!
             甘樫丘から    二上山と畝傍山*     

              耳成山と香具山
                         耳成山と香具山   
 
春秋の彼岸の頃、太陽は三輪山の山頂から上る。三輪山は、古代から、山そのものが
信仰の対象であったようだ。
山の辺の道途上にある桧原神社からは、二上山の雄岳、雌岳の鞍部へ沈む夕陽を望める。
二上山の西側は、河内飛鳥と呼ばれ、聖徳太子をはじめ、用明天皇、孝徳天皇などの
御陵があり、古代の人々は、極楽浄土が二上山の向こう側にあると信じていたのだろう。
二上山の麓に當麻寺(たいまじ)が位置しているのも、極楽往生を願ってのことだといわれる。

當麻寺(葛城市)へは、大和の旅から10日後、12月になっていたが、再び、数人で
この地を旅した折、はじめて訪れた。 夕方になっていたので、スケッチはできなかったが、
東西の三重塔を何回かまわってみたことを思い出した。 
このお寺は、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺としても知られる。

この2度目の大和の旅は、レンタカーで、明日香八釣の里、五條(五條市)、郡上八幡
(岐阜県)へも行った。
再び、甘樫丘から大和三山をスケッチをしたが、スケッチを見比べてみると、
紅葉はすでに終わりに近づいていて、季節の移ろいを感じる。 

        「まほろば」 10号
                    「まほろば」 10号

旅の翌年、甘樫丘からの大和三山を背景に、トウハク(東京国立博物館)で描いた
飛鳥地方で出土した瓦を組み合わせて、10号の本画「まほろば」を描いた。
旅・散策・イベント

七五三のお祝い

2009年11月15日
11月、休みの日には、神社の鳥居をくぐり、七五三参りをする晴着姿の家族連れを、
あちこちで見かけるようになる。 
七五三(しちごさん)とは、11月15日に、7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う行事だが、
最近では、11月15日に限らず、その前後に、都合に合わせてお参りする家族が増えた。
写真スタジオで、9月頃までの格安料金で撮影し、11月の天気のよい日にお参りをする、
などということも出来るようだ。 5歳の孫りんりんは、この方法をとった。 
彼の場合は、お宮参りのときから、今、流行りの写真スタジオ撮影組だった。

3年前、ゆうゆうのお宮参りのときは、家から離れた写真スタジオに車で行き、
衣装を借りて、家の近くの神明宮にお参りして、再び、スタジオへ戻っての撮影だったので、
本人は勿論、大人にとっても一日がかりの大仕事だった。今年生れの次女あいあいのときは、
この神宮で衣装を借りてお参りし、別の日に写真スタジオで撮影することができたそうだ。
     
 神明宮 くすのき 
       大改修された阿佐ヶ谷神明宮         杉並区貴重樹 くすのき

ゆうゆうの七五三は、今年の文化の日。
「平成の大改修」が完成したばかりの阿佐ヶ谷神明宮で行った。 
私が神明宮に着くとまもなく、彼女は着つけの部屋に入っていき、30分後、3歳の女の子の
正装だという、肩揚げをした着物に、「被布( ひふ)」というベストのようなものを羽織って現れた。 
アップにした髪にはたくさんの髪飾り、お化粧されて、緊張のあまり、顔はこわばって、
笑顔には程遠い様子・・・。何組もの家族が、ベルトコンベアに載せられたように、
着つけ、写真撮影、お祓いと移動する。 
となりの部屋も写真スタジオと化していた。衝立の向こうでは、泣き声が聞こえたり、
「おとうさん、少し右に・・・!」「はい、ニコニコしてくださ~い」など、カメラマンの奮闘ぶりが
うかがえておかしかった。肝心のこちらでは、息子に抱かれたあいあいがいい表情でも、
ゆうゆうのコチコチ状態はつづき、なかなか、自然な笑顔が生れない。いい顔をしたと思うと、
左手に持たされた千歳飴が斜めになっていたりで、こちらのカメラマンも大変だった。
    
       千歳飴 千歳飴と玩具を頂くゆうゆう

お祓いを受けた後に、千歳飴のほかに風船と好きな玩具を頂き、早速、洋服に着替えた。
千歳飴は、子どもが元気に成長するよう、また長生きするようにという願いから、細長く
つくられた紅白の飴で、鶴亀や松竹梅などの縁起が良い図案が描かれた袋に入っている。
江戸時代、浅草の飴売りの七兵衛が売り出したのが始まりとされているとか。

七五三は、奇数を縁起の良い数と考える、中国の思想の影響もあるといわれるが、
古来の七五三の形は「髪置き」、「袴着(はかまぎ)」、「紐落し」または「帯解き」と呼ばれ、
各地各様のしきたりに従って、男女ともに祝っていたものという。
江戸中期、呉服屋がこの3つの行事を、拡販のための手段として取り入れ、江戸の町で
宣伝したものが、今日の七五三の原型になったそうで、武家や有力商人などの間で
流行し、明治以降庶民にも普及したのだという。

今や、神社もお寺も、ポスターやチラシのみならず、ネットで宣伝する時代になったようだ。
息子のところは、自宅近くの神社をネットで検索して、「七五三」のすべてのプロセスが、
一箇所で出来ることを知って、申し込んだそうだ。 
それにしても、ネットをのぞいてみたら、どこの神社だったか、「御祈祷と写真 17,000円」
「御祈祷、衣裳、美容、写真 25,000円」などのセットのほかに、「お色直しセット 36,000円」
「きょうだいセット 48,000円」なんていうのもあったりで、驚いてしまった。
   
           姉妹 姉妹セット?

さらに驚いたのは、「ペットの七五三」をしてくれる神社があること。
新宿区の市谷亀岡八幡宮では、今年から、「ペットの七五三」を受付けているという。 
何でも、11年前から行われている「ペットと一緒の初詣」が好評だったからで、
昨年からは、「ペットの成人式」も始めたとか。 神仏も商売優先の時代らしい。

ちなみに、わが娘と息子の場合は、近くの神社にお参りはしたが、お祓いもしなければ、
写真も私が撮ったスナップ写真だけだった。 それでも、何とかすくすく?成長して、
今や、自分たちの子どもの成長を願い、子育てに懸命な日々を過ごしている。 
身近な人びと

「洗足池」池畔の大樹

2009年11月14日
久しぶりに洗足池畔にある洗足池図書館に行った。 東急線洗足池駅を出て、
歩道橋に上がってみると、図書館の庭にあるポプラはすでに葉を落とし、
メタセコイアもだいぶ色づいていた。
洗足池は、武蔵野台地のはずれにある、湧水を堰き止めた池で、昔は千束郷の大池と
呼ばれ、灌漑用水としても利用されたというが、昭和3年の池上線開通後、公園として
整備された。

     歩道橋から
            カロリナポプラとメタセコイア   歩道橋から

図書館の中庭から洗足池畔に抜ける小路の両側には、メタセコイア、ポプラなどのほか、
サザンカ、ウメなど、さまざまな樹が植えられている。

    カロリナポプラ    メタセコイア
           カロリナポプラ                メタセコイア           
                                         
         カロリナポプラ
カロリナポプラ (ヤナギ科) 「北アメリカ産の枝が横に張っているヒロハハコヤナギと
ヨーロッパ産の箒状に立っているクロヤマナラシを交配してできた雑種」
  
    
          メタセコイア 
メタセコイア (スギ科) 「化石として発見された木が、後に中国四川省の奥地で
生きた木として発見され、世界の話題となった」 


          袈裟掛けの松
                日蓮上人「袈裟掛けの松」

小路を抜けると、「袈裟掛けの松」が目に入るが、日蓮上人が、身延山からの帰途、
池上本願寺を訪れる前、千束池の畔で休息し、傍らの松に袈裟を掛け足を洗ったという
言い伝えから、この松は「袈裟掛けの松」、千束池は洗足池と称されるようになった
そうだ。
歌川広重の「千束の池袈裟掛松」(「名所江戸百景」)や長谷川雪旦の「千束池袈裟掛松」
(「江戸名所図絵」)にも登場するが、現在の松は、3代目とのこと。

   エノキ   クスノキ
           エノキ                      クスノキ

           エノキ
                         エノキ  
           クスノキ
                        クスノキ

今年の夏、都内の「巨樹巡り」をしようと計画し、「巨樹」の本やネット上の情報を参考に、
「巨樹一覧表」を作った。 巨樹とは、目通り(1..3m)幹囲が3m以上の樹を言う。
ここ洗足池の大樹たちは、「MY 巨樹一覧」には載っていないが、
落ち葉を踏みしめる感触と、太い幹が見せてくれる、さまざまな模様を楽しませてくれた。
植物など

濁りが「にこり」でも

2009年11月13日
   
中国語学習を始めて間もない頃、「丈夫(zhang fu)」が、「夫」或は「成年の男子」という
意味だと知って、何だかピンと来なかったことを覚えている。 
日本語の「丈夫」には、「健康に恵まれている、モノがしっかりして壊れにくい」といった
意味のほか、「じょうふ」と読むと、「立派な男、ますらお」といった意味もあることを知って、
やっと、中国語の「丈夫」に繋がった。 何でも、中国周時代の制度で、1丈(約2m)を
男子の身長としたところから、この言葉が生れたという。

「丈夫」もその1つだが、同じ漢字でも、音の清濁によって日本語の意味が違ってくると、
何の本だったかで、読んだことがある。
「成敗」を「せいばい」と読むと、処罰、「せいはい」と読むと、勝ち負けという意味になる。
「分別」の「ぶんべつ」と「ふんべつ」もそうだし、「一見」の「いちげん」と「いっけん」、
「心中」の「しんちゅう」と「しんじゅう」もそういえる。

濁音で思いだすのは、お茶のCM。 白人女性が何度試みても、「にごり」といえず、
「にこり」としか発音できない、テレビCM。 車内でも、このお茶のポスターをみつけた。
このポスターに、女性は登場しない。 「にこり。」で始まる文は、濁点なしの言葉が
つづくのだが、頭の中で、濁点をつけながら、読んでいた。 
唯一、濁点がついていたのは、最後の「本物にはにごりがある」という箇所だけだ。 

この広告の、「にごり」という言葉がしっかりとインプットされたため、「にごり」というのが
お茶の名前だと、ずっと思っていたので、自販機でみかけても、あのお茶!だとは
気づかなかった。 この広告で、お茶が売れたかどうかはわからないが、
日本語の発音は外国人にとって非常に難しいのだと、感じた人は多かっただろう。

         にこり

日本語の「にごり」で、思い出したことがある。 現在は、江蘇省の常州に住む李さんが、
東京に留学していた時のこと。 
食事中だったか、李さんの「じる」という言葉に、Kさんも私も「じる?」「じるって何?」と、
一瞬、何のことだかわからなかった。
「じる」が、「けんちん汁」「すまし汁」「豚汁」の「汁」のことだとわかるまで、
さほど時間はかからなかったが、「味噌汁」は「みそしる」と濁らないのに、「豚汁」は
なぜ、濁るのか、説明はできなかった。 

ところで、中国人など外国人には、日本語の有声・無声(声帯の振動の有無)の区別が
難しいようだ。 さらに、長音と撥音や促音も苦手な中国人が多い。
逆に、日本人には、中国語の無気音、有気音の区別に苦労する。 入門講座では、
gとk、dとt、bとpなどの無気音と有気音の違いを、口の前に当てた1枚のティシューが、
揺れるようなら有気音、揺れないのは無気音と教わることが多い。
だが、いざ、フレーズや文章となると、正確に発音するのは、大変に難しかった。

外国人の多少おかしな日本語でも、何とか意味が通じることを思えば、私も、
文法が誤まっていようと、単語の羅列であろうと、どんどん、声に出さなければと思う。
つれづれ

名刹・古刹の鐘楼

2009年11月12日
寺院の境内にある、「梵鐘(ぼんしょう)」を吊した建物を、鐘楼と呼ぶが、
日本では、室町時代になり、山門と一体化して、鐘門となったケースもあるという。
梵鐘は、青銅製が多いが、中には鉄製のものもある。

               円融寺 目黒区
                  円融寺の梵鐘  天台宗  

雪中の鐘楼 
   山寺    吉祥寺
      山寺立石寺 天台宗                吉祥寺  臨済宗        
      山形県山形市  2001.1.3              群馬県利根郡  2009.1.1

最近の巨樹巡りに伴い、改めて、いくつもの鐘楼に出会った。 
どれも似たようなものと思っていたが、よく見ると、それぞれに大きな特徴がある。 
そのうちのいくつかをご紹介したい。

鎌倉五山の名刹
   建長寺  寿福寺
         建長寺  臨済宗                寿福寺  臨済宗         
どちらの寺にも、市指定天然記念物の柏槇(ビャクシン)がある。 和名はイブキ(ヒノキ科)。    
       
世田谷区の古刹     
     豪徳寺  善養寺
         豪徳寺  曹洞宗                善養寺  真言宗           
         招き猫でも有名                  大カヤの巨樹がある古刹                
品川区の古刹
     海雲寺   品川寺
          海雲寺  曹洞宗            品川(ほんせん)寺  真言宗                 
          区内最古のお寺              洋行帰りの梵鐘 

品川寺の梵鐘は、徳川家綱の寄進とされる。 この鐘は、幕末に海外へ流出し、
パリ万博・ウィーン万博で展示されたが、その後の所在が不明となったらしい。ところが、
大正8年(1919年)、当時の住職が、スイス・ジュネーヴ市の美術館に所蔵されていることを
突き止め、返還交渉を開始。 時の外務大臣幣原喜重郎ら多くの人々の尽力があり、
昭和6年(1931年)、ジュネーヴ市の好意により、無事、品川寺に返還された。
そのお礼に、平成3年(1991年)、品川寺からジュネーヴ市に新しい梵鐘が贈られ、
品川区とジュネーヴ市が友好都市となる、きっかけとなったいうことだ。

名木を誇る古刹
   小岩善養寺  幸国寺
      善養寺  真言宗  江戸川区        幸国寺  日蓮宗  新宿区

善養寺は、樹齢600年の老松「影向(ようごう)の松」で有名。 
幹周4.55m、高さは8mだが、東西30m、南北28mと、地を這うように広がっていて、
その繁茂面積は、香川県・真覚寺の「岡野松」と日本一を争った。都指定天然記念物。
小岩出身の名横綱栃錦(当時春日野理事長)の「日本名松番付の横綱に推挙する」
というプレートがあったが、「岡野松」はすでに枯れ、今は一人横綱となったようだ。
因みに、「影向(ようごう)」とは、菩薩がこの世に姿を現すことを指す、仏教用語。

幸国寺には、樹齢500年、清正公お手植えと伝えられる、大銀杏を見に行ったが、
ちょうど本堂の建替え工事中だった。 
鐘楼は、柱や鬼瓦などに占領されていて、その上に、1匹の猫が昼寝をしていた。  
旅・散策・イベント

夕やけ小やけの里

2009年11月11日
「それぞれの四季~前田真三+前田晃+秋山庄太郎」写真展(秋山庄太郎写真芸術館)で、
偶然、お目にかかった前田晃氏から、八王子市恩方町の「夕やけ小やけふれあいの里」の
「前田真三ギャラリー」で、真三・晃氏父子の二人展を開いており、晃氏の「みつめる木」の
写真も展示していると聞いた。            (それぞれの四季」写真展

八王子の恩方は、「夕焼け小焼け」の作詞者、中村雨紅の故郷であることから、そこに、
「夕やけ小やけふれあいの里」がつくられ、雨紅に関する資料が展示されている。
JR高尾駅からバスで30分だという。 東京都とはいえ、ずいぶん遠い。 
だが、写真展をみた翌日、思い切って行くことにして、JR南武線で立川駅に出た。 
近くにある、普済寺のイチョウの巨樹をみようと、交番で道をたずね、歩き出したが迷った。 
再び、通りがかりの人に道をきいて、やっと辿り着いたこのお寺は、この地で権勢を
ふるっていた立川氏の菩提寺で、国宝の六面石幢(ろくめんせきとう)がある。
2本並んだ銀杏の巨樹も見事だった。

このお寺から多摩川が近いことがわかり、コスモスが咲く道を、橋まで歩くことにした。
橋に着き、橋の真ん中まで行くと、もう、立川駅に戻るのは諦めた。
橋の名は「立日(たっぴ)橋」。すでに日野市に入っていた。 

       立日大橋
           「立日大橋」の立川市-日野市境から多摩川上流を望む

JR日野駅から中央線に乗って、高尾駅で下りると、陣馬高原下行きのバスが待っていた。
山道を揺られ、30分。 「夕やけ小やけふれあいの里」へ。 大きな吊り橋が架かっていた。

         吊り橋
                  「夕やけ小やけふれあいの里」へ

夕焼小焼館「前田真三ギャラリー」で、「丘の風景」展をゆっくり観てから、案内所で、
恩方の観光地図にあった「夕やけスポット」の1つ、「稜北大橋」を教えてもらった。
バスを待つ間、隣のバス停まで歩いて、昭和13年に建ったという郵便局を見に行った。

              上恩方郵便局
                      「上恩方郵便局」 

高尾行きのバスの中は、陣馬高原にハイキングに行った人たちの熱気でいっぱいだった。
途中でバスを下りて、20分くらい歩くと、北浅川に架かる「稜北大橋」に出た。 
北浅川とその源流の山々のラフスケッチをしながら、恩方に生まれ育った中村雨紅が、
「夕焼け小焼け」の歌で表したのは、こんな情景だったのだと思った。

 北浅川 山々
       日没前の北浅川     源流の山々          稜北大橋より  

ここで、ほんとうの、夕焼け空をみたかったのだが、日没まではだいぶ時間があった。
自宅までは、2時間近くかかる。 夕焼けをみるのは諦めて、バスで八王子駅に出た。 
JR八王子駅の壁画も、発車メロディも「夕焼け小焼け」。    「童謡 ゆうやけこやけ」
「夕焼小焼」の壁画の下を通りホームに出ると、ようやく、空は赤く染まりかけていた。 
「夕焼け小焼け」の発車メロディが、いつになく、もの悲しく聞こえた。

夕焼け 小焼けで 日が暮れて  山のお寺の 鐘がなる
おててつないで みなかえろう   からすと いっしょに かえりましょ
旅・散策・イベント

風景写真 3人展へ

2009年11月10日
秋山庄太郎写真芸術館の「それぞれの四季 ~前田真三+前田晃+秋山庄太郎 
風景三人展~」をみる機会があった。 
中国語学習の教室がある港区生涯学習センターのロビーで、偶然、手にした
パンフレットに、見覚えのある「前田晃」の名前をみつけたのがきっかけだ。
普段、写真展に行くことはあまりないのだが、、前田氏の写真展が東京であれば、
行きたいと思っていたので、学習会の後、早速、行ってみることにした。

前田晃氏は、風景写真の草分け、故前田真三氏のご子息。北海道美瑛の丘に立つ、
1本の「ミズナラ」の木を通して、四季の移ろいを追及した「みつめる木」の作者。
この写真のカレンダー(08’年)を知人から頂き、昨年1年間、自分の部屋に掛けて、
毎日、眺めていたが、今年も、このミズナラと別れがたく、写真部分だけを残し、
壁に掛けて毎日眺めている。

  1月 5月 
              1月                       5月
  8月  10月 click!
              8月                       10月*

地下鉄銀座線「表参道」で下りて、根津美術館の方へ・・・のつもりだったが、
「寄り道・迷い道」が好きな私は、青山霊園の方から遠回りすることにした。
お陰で、空地の塀に「ヒヨドリジョウゴ」の赤い実を見つけたり、表通りとは違った、
落ち着いた散歩ができた。 「秋山庄太郎写真芸術館」は、静かな雰囲気の中に。 

            写真芸術館

地下、2階と、写真家三人三様の風景写真を見ながら、3階へ。
そこは、小さな作品に囲まれた、お洒落なカフェになっていた。 
午後2時からの作品解説まで、時間があったので、コーヒーを頂くことにした。
カップを手にして、しばらくすると、前田氏らしき男性が入って来られた。
コーヒーを淹れて下さった女性は、故秋山庄太郎氏の長女、男性は前田晃氏だった。 
思い切って、「みつめる木」のカレンダーのことをお話したことから、美瑛の話、
ミズナラの話、そして、八王子の「夕焼け小焼けの里」にある前田真三ギャラリーで
「みつめる木」の写真展を開催中だということなどを、お話して下さった。

やがて、定刻になり、前田氏による作品解説が行われた。 
三者三様の作品についての解説だけでなく、カメラの説明、秋山氏と真三氏との交わり、
そして、もっとも身近でみていた父、真三氏についてのエピソードなどにも触れられ、
写真の奥深さとその魅力が、少し、わかったような気がした。 

前田真三氏(1922-1998)の言葉が、彼の作品の横に紹介されていたが、 
風景写真においては、心の置きどころが一番難しいのだそうだ。 
「対象に寄り添いすぎるのもいけないし、かといって、離れすぎてもいけない。
適度な距離感の中に、決して風景を押し込めるのではなく、抑制のきいた画面の中に、
すみずみまで心を配りながら、見る人にはそんな気配を感じさせない写真をめざしてきた」
ということが書かれていた。 絵にも同じようなことが言えるのかもしれない。 
苦しんで描き上げた絵も、観る人にその苦労を微塵も感じさせず、楽しくサラッと描けた
絵に見てもらえたら万歳だと、以前、今は亡きF先生がおっしゃっていたことを思い出した。
旅・散策・イベント

童謡 「ゆうやけこやけ」

2009年11月09日
我が家の近くでは、毎日午後5時になると、「夕焼け小焼け」のメロディが聞こえてくる。 
これは「防災行政無線」による放送で、システムが正常に機能しているかを確認するために、
毎日、定刻にチャイムを鳴らしているとのことだ。平常時は、ボリュームを下げて
流しているらしく、特に、気にかけていないときは、気付かないこともある。 

1年前、わが庭の猫たちに、「チャイムがなったら夕食」という、習慣づけをしたのだが、
2階ベランダに食堂を移してからは、彼らが姿を見せたときに出すようにした。
日が短くなったせいか、夏の間、まったく来なかったアミが、4時を過ぎると、
ひょっこり現れるようになった。 チャイムは一年中、午後5時に鳴るのだが。

この夕方のチャイムは、各自治体で曲も音色も異なるが、「夕焼け小焼け」や「赤とんぼ」
「家路」のメロディが定番のようで、時間は、夏時間、冬時間と変えているところもあるようだ。
いつだったか、杉並の息子の家で、孫娘の子守りをしていたとき、「夕焼け小焼け」が
聞こえてきたので、「えっ、まだ5時?」と思ったが、6時だったことがある。

杉並区の夕方のチャイムは、10月~3月は5時、4月~9月は6時に鳴るのだそうだ。
こういった自治体はほかにもあるようで、切替時期の10月や4月には、1時間の時差に
慣れるまで、少々、戸惑ったり、慌てたりすることがあるに違いない。 
ちなみに、厚木市は、3、4、9、10月は5時、5~8月は6時、11~2月が4時半と、
年に3回も切り替わるという。

     酒田 2003.10
                                    山形県酒田市

ところで、「夕焼け小焼け」や「赤とんぼ」など、童謡や小学唱歌などには、
「夕焼け」を主題にした歌が非常に多いそうだ。 宗教学者山折哲雄氏によると、 
「夕焼け小焼け」の歌の1行目、「夕焼け小焼けで日が暮れて」の落日の光景には、
西の海、西の山のかなた、夕焼け空のかなたに浄土があるという、日本人が
昔からずっと抱いてきた、宗教感覚が表れている
とのことだ。

奈良時代には、学問仏教、都市仏教だった仏教は、平安以降、山の仏教、山岳仏教へと
発展してきて、人々の間に浸透してきたという。
「山のお寺の鐘がなる」という2行目。 
日本人にとって、山のお寺から響いてくる鐘の音は、特別な意味を持っていた。 
1日働いて、その鐘の音を聴きながら、不平不満を洗い流してきた。1年間のストレス、
不平不満を洗い流すのは、除夜の鐘。鐘の音を聴くことは一種の禊ぎではないか
という。
  
      八王子駅
           コンコース上の「夕焼け小焼け」の壁画    JR八王子駅

3行目、4行目の「おててつないでみな帰ろう」「からすといっしょに帰りましょ」は、
文字通りに読めば、日が暮れて子どもたちが家路につく光景を歌ったものだが、
それぞれが、みんな本来の帰るべきところに帰ろうと、呼びかけているようにも
受取れる
」という。  家に帰るのは人間だけでない、人間も動物も鳥も虫も、
一緒に帰るべきところに、手を携えて帰るのだと、歌っているのではないかと。

「今、盛んに言われている自然との共生、動物との共生、日本の仏教の背後に宿っている
自然観や生命観、無常感、あるいは共生感覚が、この歌に見事に織り込まれている」

と述べている。
作詞者の中村雨紅は、夕焼け空のかなたに浄土のイメージを重ねて、歌詞を考えたわけ
ではなく、無意識のうちに、日本人共通の心情を表して、そういった詩が作られたわけで、
そこに注目したいとも・・・。

     八王子駅 2009.4
                   コンコースの壁画         JR八王子駅  
    
Wikipedia によると、この「夕焼け小焼け」の歌の情景は、中村雨紅の生家があった
八王子市のもので、JR八王子駅のコンコースの屋根近くにはこの歌をイメージした壁画が、
取り付けられている。 また、この駅の発車メロディは、各番線でアレンジは異なるものの、
全ての番線が、「夕焼け小焼け」の曲だという。           
つれづれ

「猫返し神社」もある総合神社

2009年11月08日
猫大好の、母の友人Hさんは、愛猫を失くされてから、お手紙を下さることが多くなった。
先月、江戸東京博物館の「猫づくし展」に行き、面白かったので、パンフレットを同封して
Hさんにもお勧めしたところ、その後、ご自分は行かれそうもないが、
やはり、愛猫を失くされた I さんにお知らせしたという、お手紙を頂いた。 

先日のお手紙には、 I さんから「手押し車を押しつつ、(猫づくし展を)ぐるっと観ることが
出来ました、というお知らせがありました」と書かれていた。 
さらに、ジャズピアニストの「山下洋輔の破天荒」という、NHKの番組で、「猫返し神社」の
存在を知り、 I さんの代わりもつとめようと、ひとりで中央線立川へ行かれたとのことだ。
         
          Hさんから  

そして、手紙は、「既にご存知かとも思いましたが、スナップ写真を同封します。
絵馬でなく、絵猫が賑やかでした。 本殿から流れている曲は、このジャズピアニストの
奏でる越天楽でした」と結ばれていた。同封された写真は、8枚もあった。
85歳のH さん、最近、車の運転はやめられたようだが、俳句も写真もまだまだ。
彼女の好奇心、行動力には、ただただ脱帽!
       
「猫返し神社」は、猫好きの人には知られているのだろうが、私はきいたことがなかったので、
ネットで検索してみた。 
この神社は、立川市にある阿豆佐味(あずさみ)天神社の境内にある蚕影(こかげ)神社のことで、
この地で養蚕が盛んだった頃に、勧請されたのだという。 大切な蚕を鼠から守るために、
猫を重宝したが、必ずしも猫の手を借りる人ばかりではなく、明治初め頃まで、
「猫絵」や「猫石」など、その代わりをする品があったそうだ。
         
          絵猫? 
              絵猫?  願い事が書かれた猫の絵馬  

猫が行方不明になったら、この神社にお願いすると、無事帰って来るといわれている。
近年、愛猫が帰って来なかったのを心配したジャズピアニストの山下洋輔氏が、
この神社にお参りし、絵馬を掛けてお願いしたら、翌日愛猫が帰ってきたと、エッセイに
書いたこともあってか、この「猫返し神社」は有名になったようだ。

             ただいま猫 
              狛犬ならぬ、「ただいま猫」の像
             
神社には「阿」「吽」の一対の狛犬がいるが、この「猫返し神社」には、「ただいま猫」という、
霊験あらたかな猫が1匹?いるらしい。 かなり、新しい像のように見える。 
この写真には、「近所の美大生の作」と書かれた、付箋紙がついていた。 
      
因みに、「阿豆佐味天神社」の本殿は、立川市最古の木造建築で、市の有形重要文化財
に指定されている。 ご祭神は、医薬・健康・知恵と文学・芸術の神。 
併存する「立川水天宮」は安産・子授けの神社。 
境内社には、「猫返し神社」(蚕陰神社)のほかに、八雲神社(厄除け)、疱瘡社(疫病除け、
縁結び)、稲荷社(五穀豊穣、招福財福)、天神社(学問)、御嶽神社(火難盗難除け)、
浅間神社(縁結び、安産)、金刀比羅社(交通安全)、八坂大神社(疫病除け)がありで、
まるで神さまのデパートのようだ。

それにしても、猫や犬などのペットを飼えなくなったと、無責任に放り出す人がいる反面、
遠く北海道からでも、行方不明の猫が戻るようにと、この神社にお願いにくる人、
無事に猫が戻ったからとお礼参りに来る人、があるという。 
鼠をとっていた時代の猫たちは、1日や2日姿を消しても、心配されることもなかったろう。
今よりずっと自由だったに違いない。
動物など

石榴

2009年11月07日
今日は立冬。 冬の気が立ち始める。 
太陽の光が弱まり、冬枯れの景色が目立つようになる。 

  ざくろ   ザクロ科  Punicaceae          
         学  名   Punica granatum
         和  名   ザクロ 石榴 柘榴 
         英  名   Pomegranate   
         原産地   イラン東部から北インドのヒマラヤ山地

            柘榴

1月の誕生石ガーネットは、柘榴石と呼ばれる。 柘榴と色が似ていることからだという。
私は、1月生まれ。 「あかい」色の中でも、柘榴の実の外皮の「あか」も好きだが、
中に並んだ、あの透明な粒の「あか」も大好きで、スケッチしながら、つい、筆を止めて、
見入ってしまうことがある。
 
久しぶりに、「色の万華鏡」(吉岡幸雄 監修 「和の学校」)をネットで開いてみた。 
実の色は「赤丹色」、果肉の色は「緋色」に近いのだろうか。
私の大好きな日本画家のひとり、故吉岡堅二画伯は、この監修者、吉岡幸雄氏の
伯父さんだそうだ。
吉岡氏によれば、「赤」の語源は、太陽によって一日がアケル。そのアケルという言葉が
「アカ」になったといわれる。 太陽は人に光を与え、植物を育む生命の源で、
「アカ」は、まさに神の色、聖なる色といえるのだそうだ。

ところで、柘榴や柘榴の絵を飾ると、子宝に恵まれるという言い伝えがある。
以前、F先生の日本画デッサン教室で、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に
行ったことがあった。 ずいぶん昔のことなので、はっきりとは覚えていないが、
たくさんの絵馬が展示されている中に、柘榴の絵馬が何枚もあったのが印象に
残っている。

先日、早稲田に行った序に、都電荒川線で、「鬼子母神(きしもじん)」に立ち寄った。 
法明寺が擁する鬼子母神境内にある、「子育て銀杏」が有名だが、「鬼子母神前」駅から
続く参道のケヤキ並木は素晴らしかった。 説明板がなかったが、どうみても、
樹齢数百年の巨樹だった。 石畳を行くと、石の仁王像がお堂を護っていた。 
ちなみに、大イチョウは、都指定天然記念物、幹囲は8mもある雄の樹。  

        絵馬

お釈迦様が、子供を食う鬼神「可梨帝母」に柘榴の実を与え、人肉を食べないように
約束させた。以後、可梨帝母は 鬼子母神として子育ての神になったという言い伝えがある。
お堂に願い事が書かれた絵馬がたくさん架かっていて、若い女性の参拝者が目立った。

 芝居の準備 上川口屋
           お芝居の準備            創業1781年の駄菓子屋

私が訪れた日は、夜、この境内で、上演される「盲導犬」(唐組公演 作・演出 唐十郎)
の準備が行われていた。 数人の若者が、午後1時の前売り開始を待っていた。
境内には、「上川口屋 1781年創業」という看板をかけた駄菓子屋さんがあった。
お寺は、信仰の場であるとともに、昔から、庶民に開かれた憩いの広場でもあったのだ。
植物など

風雪・災禍に耐える

2009年11月06日
移植に耐えた

明治公園のスダジイ  (新宿区霞ヶ丘)
               明治公園
    明治公園 区指定天然記念物
           幹囲3.6m  樹齢360年

当初、柳沢吉保の父、安忠の屋敷近くにあったが、整地工事や道路拡張のため、
2度の移植がなされ、現在の地、明治公園に落着いたものだという。  
主幹は空洞になっているが、枝は太く、都会の真ん中で頑張るその生命力に圧倒される。
この日、樹の根元にホームレスのオジサンが寝ていたが、パトロールの係員に注意されて、
所帯道具を持って、公園の外へ出て行った。 
クロッキーしている間中、楽しそうに遊ぶ子どもたちの声が聞こえていた。

日比谷公園の首賭けイチョウ  (千代田区)
                日比谷公園  
                       首賭け銀杏 
       
誕生八幡神社のイチョウ   (品川区上大崎)
                誕生八幡宮    
             幹囲2.71m/3.25m 樹高11.5m/14.5m 

これまでの道路拡張により、何度も移植されたが、よく耐えて旺盛な樹勢をみせている。
どちらのイチョウも、樹齢250ー300年といわれる。 区指定天然記念物。 

災禍に耐えた

善福寺の逆さイチョウ  (港区元麻布) 
空襲によって、本堂と共に罹災したが、このイチョウは幹の上部を焼失したという。 
戦後60数年を経てもなお、黒焦げの痕跡を留めていて、痛々しい。

           善福寺                   
             幹囲10.4m 樹齢750年  都指定天然記念物

鹿島神宮のタブノキ  (品川区大井)
           鹿島神宮 区指定天然記念物
                    樹齢200年

本殿正面ににあるタブの木は、昭和52年の台風によって上半分が折れた。 
幹が空洞になっているが、しっかりしている。
樹齢150年といわれるとタブノキは、旧本殿を守るように、斜めに生えている。

新田神社のケヤキ  (大田区矢口)
浄瑠璃や歌舞伎「神霊矢口渡」で知られる新田神社は、中世には、多摩川の畔に
あったという。
ご神木のケヤキは、落雷により幹が真っ二つになったが、割れた箇所から
何本も枝が伸び、勢いよく生い茂っている。 この樹にはヤドリギが寄生している。  

          新田神社 樹齢700年

芝東照宮のイチョウ (港区芝公園)
ここの境内には、樹齢360年の国指定天然記念物のイチョウがある。 
国宝だった旧本殿は戦災で焼失したが、このイチョウと井戸に埋めて守ったご神体だけは
戦火を免れたという。

湯島聖堂のイチョウ  (文京区湯島)
湯島聖堂には、関東大震災の時の大成殿炎上と、東京大空襲の火災とに遭遇した
イチョウが何本もある。 震災・戦災の生き証人だ。

この数ヶ月に出会った古木、巨樹たちの中には、台風、落雷などの自然災害だけでなく、
震災、空襲などの大災禍を耐えてきた樹が、随分と多いことに驚く。         
植物など

高齢者Kさんとの旅

2009年11月05日
来週、11月11日は「介護の日」だそうだ。これは、厚生労働省が、介護についての
理解と認識を深めてほしいと、昨年、決めたのだという。 
11月11日としたのは、「いい日、いい日 毎日あったか介護ありがとう」の標語を念頭に、
「いい日、いい日」にかけた語呂合わせだとか。

先日、ラジオを聞いていたら、日本トラベルヘルパー協会というNPO法人があり、
トラベルヘルパー(外出支援専門員)という人たちが、要介護者の外出支援、
旅の相談員として、全国で活躍しているということだった。 
ツアーコンダクター(添乗員)とホームヘルパー(介護士)の知識と技術を兼備した、
このトラベルヘルパーは、健康に不安がある人や身体に不自由がある人の外出や
旅行の支援活動を行うのだという。

また、タクシーや民間救急車などによる移動サービスや、公共交通機関の利用を
組み合わせた、例えば、空港に着いてから目的地まで、電車を使っての移動をサポートしたり、
温泉地での介助ヘルパーなど、様々なプランの実施を可能とするNPO法人もあるようだ。 
「旅が生きがい」という高齢者は多く、旅や外出は、介護予防やリハビリに繋がると
いわれており、「旅は最高のリハビリ」といわれるのも頷ける。

大分前のことになるが、当時所属していた絵の会では、年に2度ほど、1泊か2泊の
スケッチ旅行が恒例だったが、メンバーの最高齢者、80数歳のKさんは、
ほとんど毎回参加されたものだった。 
彼女は、「旅のお知らせ」が配られると、即座に「この日は予定があって残念」と、
おっしゃったり、特に、先約がないときは、一番先に申し込まれた。 
ご家族に相談することも、帰宅後、カレンダーや手帳を見る必要もなかったのだ。

彼女は、ご主人を戦争で失くされ、2人のお子さんを育て上げた後、都内で1人暮しを
しておられたようだが、その後、娘さん一家は千葉に住み、都内の会社に勤めるお孫さんと
同居することになり、毎朝、孫娘のお弁当を作って送り出すのだと、伺ったことがあった。
60歳を過ぎてから、スキーを始めたり、近くの集会所で民謡や書道を習ったり、
国内はもとより、海外旅行も何度か、お1人で参加されたこともあったとか。 

              柳津 1993.5
                  会津柳津 円蔵寺

Kさんは姿勢もよく足腰もお丈夫で、奥会津の旅で、柳津の円蔵寺(福島県)への階段を、
私が追いつかないほどの速さで登っていかれたことがあった。
また、下北半島一周の旅の仏が浦(青森県)では、膝まですっぽりと埋まる雪の中を、
ウォーキングシューズで、先頭きって歩かれたた姿を思い出す。(「雪の中のスケッチ旅行Ⅲ」)

       仏が浦 1999.2
           下北半島 仏が浦 津軽海峡を望んでスケッチ

アルバムをみると、下北や奥会津の旅のほかに、近江・余呉湖(滋賀県)、村上(新潟県)、
大和路(奈良県)、妻籠・馬籠・開田高原、安曇野(長野県)、芦安・雨畑(山梨県)、下妻、
鵜の岬・里美村(茨城県)、西会津・那須(福島・栃木県)、桐生・鹿沼(群馬・栃木県)など、
何回となく、Kさんとご一緒の旅をしたが、大抵、11月末から2月の寒いときが多い。
  
             芦安 1998.11
              芦安村 スケッチするKさん(左)

旅がお好きなKさんは、絵の会とは別にも、いろいろなところへお出かけのようで、
流氷をみるツアーで、だれも乗りたがらないヘリコプターに、彼女1人が手を挙げたとか。
それにつられて、次から次へと希望する人が出て、ヘリコプターが飛ぶことになり、
彼女は添乗員から感謝された、といった話を伺ったことがある。 
好奇心だけでなく、飛び抜けた行動力のある彼女は、皆の目標だった。

そんなKさんも、90歳間近になったとき、絵の会を退会なさった。
添乗員のいないスケッチ旅行は、「皆さんにご迷惑をおかけすることになるから・・・」
という、ご家族の心配や諫めがあったのだろう。 
私達は勿論、ご自身も、まだまだ、大丈夫と思っておられただろうが、残念だった。
あの頃、トラベルヘルパーのシステムがあれば、ご家族も安心して、Kさんの小旅行を
歓迎されたかもしれない。 

今年、Kさんは95歳になられたはずだ。 
旅のお好きな方だから、結婚されたお孫さん達と、家族旅行を楽しまれているに違いない。
旅・散策・イベント

古紙の再利用

2009年11月04日
時々、町内会の掲示板に、「古紙回収のお知らせ」が張ってあることがある。
町内会や小学校のPTA主催で、古紙回収が盛んに行われるようになった。
調べてみると、日本の古紙回収率は、2000年頃より、急激に上昇したとのこと。
特に板紙(段ボールを含む)や新聞用紙の分野で、古紙の再利用が促進され、
2007年の紙・板紙全体の古紙回収率は約74%、古紙利用率は61%となった。

          古新聞    

紙づくりに不可欠な森林資源だが、「使う量」が「育つ量」を超えないことが大切で、
紙のリサイクルにより、森林資源の「使う量」を減らす一方、植林などにより、
「育つ量」を増やすことが必要になるのだという。 
世界全体の紙・板紙の消費量が増加していく分を、すべて植林木でまかなうことは、
不可能なのだそうだ。 
      
江戸時代には、今でいう「環境ビジネス」のような、仕組みや職業があったようだ。
「江戸諸職風俗誌」(佐藤恒ほか 著)によると、江戸の町には、「古傘買ひ」「古椀買ひ」
「ろうそく流れ買ひ」「紙屑買ひ」「灰買ひ」や、「提灯張替え」「雪駄直し」など、
多種多様な職業があり、リユースやリサイクルがうまく機能していた。 
古傘の油紙は肉の包装に再利用され、古いお椀は塗り直され、紙屑は漉き返されて、
生れ変った。       
                ボール紙    
                   
その昔、平安時代の貴族たちは、反古紙を集めて漉き返し、写経をしたそうだ。
日本三代実録によれば、清和天皇の女御が、天皇崩御の後、生前に天皇から送られた
手紙を集めて、漉き返した紙に法華経を書き写し、供養したのが、はじめと言われる。
これらの漉き返し紙は「還魂紙」、「宿紙(すくし)」と言われ、脱墨技術がなかったので、
薄鼠色をしていたとのこと。 
有名な漉き返し紙には、江戸の「浅草紙」、京の「西洞院紙」、大阪の「湊紙」などがあり、
その中でも安価なものは、鼻紙や落し紙などに使われたという。 

寺田寅彦の随筆に、「浅草紙」についての一節がある。 
「・・・紙の色は鈍い鼠色で、丁度子供等の手工に使ふ粘土のやうな色をして居る。
片側は滑かであるが、裏側は隨分ざらざらして荒筵(あらむしろ)のやうな縞目が目立つて
見える。併し日光に透して見ると此れとは又獨立な、もつと細かく規則正しい簾のやうな
縞目が見える。此の縞は多分紙を漉く時に纎維を沈着させる簾の痕跡であらうが、
裏側の荒い縞は何だか分らなかつた。・・・」


最近、麻紙に古新聞紙などを混ぜて漉いた、再生紙を使った作品が発表されているが、
こうして生れ変った「還魂紙」は、新しい画材の1つとなるかもしれない。
大分前のことになるが、「絵手紙」に夢中になっていた頃、描き損じの和紙葉書が
何枚かたまると、水に溶かし、小さな手漉き用の木枠で、はがき大の和紙を漉いた。 
ボール紙のように厚くなったこともあったが、味のある手漉き和紙葉書が出来たものだ。
そういえば、この手漉きの道具は、どこに仕舞いこんだのだろう。
捨ててはいないはずだが・・・。 今度、時間があるときに、ゆっくり探してみよう。
つれづれ

現役の「昭和の家」

2009年11月03日
今日は、「文化の日」。 
「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」として、国民の祝日に定められた。  
「文化の日」は、「成人の日」「海の日」などのように、第2、或は第3月曜日にならずに、
毎年変わらず、11月3日。 「晴れの特異日」の1日だという。 

最近、母の友人Hさんから、猫の写真が同封されたお手紙を、ちょくちょく頂戴するが、
私がよほどの猫好きだと思われたのだろう。
先日のお手紙は、珍しく猫の話題ではなく、ご自身が撮られた写真が1枚同封されていた。
それは、Hさんのお宅の近くにある二階家の写真で、その家には
「昭和8年頃から13年くらいまで、太宰治が下宿していた」そうだ。
私は、太宰治のことを話題にしたことがないので、意外だったが、恐らく、今年は
太宰治が「没後60年 生誕100年」、ということで、話題になっているからだろうか。

調べてみたら、この昭和8年というのは、太宰治が小説を発表し始めた頃にあたり、
井伏鱒二宅に近い、杉並区天沼の碧雲荘に転居したとある。
昭和12年には、内縁の妻小山初代との自殺未遂事件。その後、1年間筆を絶った後、
井伏の仲人で、甲府市出身の石原美知子と婚約、14年、結婚して甲府市に住んだが、
この頃は、精神的にも安定し、「富嶽百景」「走れメロス」などの短編を発表した。
因みに、昭和23年の玉川上水に入水するまでの10年間は、三鷹に住んだという。
   
        碧雲荘  
                         碧雲荘

先月、阿佐ヶ谷の孫娘ゆうゆうが通う、保育園の運動会があり、ごんさんと見に行った。
みんなで食事してから、解散。 この碧雲荘が、そう遠くないはずなので、ちょうどいい散歩
になると思い、見に行くことにした。 
Hさんの写真も持っていないし、荻窪税務署の近く、ということしかわからなかったが、
税務署の周りを歩いていると、その家はあった。  木造2階建、1階に入口は2か所。
大家さんの玄関と、2階への出入口だろう。 堂々とした造りだ。 

ところで、最初、Hさんの写真を見たとき、大田区にある「昭和のくらし博物館」と、
どこか雰囲気が似ているという、第一印象を持った。 
この「昭和のくらし博物館」は、10年前にオープンした個人博物館(館長 小泉和子氏)。
1951年、小泉氏の父君の設計による住宅で、当時の住宅金融公庫の融資住宅として、
典型的な間取りとたたずまいを有している。 
1996年まで、生活史研究家小泉氏が、家族と共に実際に暮らしていたお住まいとのこと。
因みに、この家が建てられた年は、第1回NHK紅白歌合戦が放送された年だそうだ。

その後、戦後の庶民の暮らしを語り伝える、生活資料として、一般に公開された。
館内には、小泉家で使用されていた、卓袱台、火鉢、氷の冷蔵庫などのほか、
小泉氏によって収集された、暮らしの日用品が展示されているようだ。
いつだったか、この博物館に行ってみようと思い立ち、踏石が敷かれた路地を
入っていくと、奥にその家があった。 しかし、残念ながら、「本日休館」だった。 
我が家から近いので、いつでも行けるのに、まだ、行っていない。

昭和16年に祖父が建てた木造平屋の家はすでにない。 
そんなこともあって、こういった、戦前、または戦後まもなく建てられた、
還暦を過ぎた「昭和の家」が、今でも現役で頑張っていると思うと嬉しくなる。
つれづれ

どんぐり

2009年11月02日
わざわざ、森や山に行かなくても、近くの公園や、神社、寺院の境内、道の脇や歩道に、
銀杏、無患子(むくろじ)、辛夷(こぶし)、団栗(ドングリ)が落ちていたりしていて、
秋の道を歩くのは楽しい。
ドングリは、ブナ科のシイ・クヌギ・カシ・ナラ・カシワなどの果実の総称で、狭義には、
クヌギの果実を指す。 
   
            カヤの実
              数か月前は緑色だった善養寺のカヤの実   

お彼岸過ぎあたりから、私は、変わった木の実や葉っぱを求めて、
下を向いて歩くことが多い。 11月、紅や黄に染まった柿、桜、ハナミズキの葉の
グラデーションに惹かれ、ついつい、拾ってバッグにしまう癖が出る。 
帰宅後、バッグの中から、クシャクシャの桜の葉が数枚出てくることもしばしばだ。

先月、孫りんりんが、「探検ごっこ」と称して、ごんさんと近所を回り、集めたドングリを、
接着剤でボール紙に貼り付けて、「顔」を描いた。ご丁寧に「かお」の文字まで。 
私が帰宅すると、早速、得意になって、見せてくれたのだが、うっかりして、
誰の顔なのかを聞き損ねた。ずいぶんと真面目な顔をしている。
 
       かお
         「かお」  byりんりん  スダジイの中にマテバシイが2個混じる

どんぐり銀行という、ユニークな銀行が、香川県高松市や高知県大川村にあるという。
森林に親しみ、森づくりに参加するきっかけづくりをしようということで、拾ったドングリを
窓口などで通帳に預け入れをする。 ドングリそのものが通貨となる。 
単位はD(ドングリ)で、小さなドングリ(コナラ・・マテバシイなど)を 1D、大きなドングリ
(クヌギ・アベマキ)を10 Dと数え、それが貯まると、苗木やどんぐり銀行のグッズと
交換できるのだそうだ。 

 スダジイ マテバシイ
            スダジイ                     マテバシイ
  
        シラカシとアラカシ
           シラカシ              アラカシ  
 
高知県大川村の「どんぐり共和国」の直営店が、渋谷区にあることが分かったので、
そのうち、りんりんと、我が家に貯まったドングリを預けに行こうと思っている。
その前に、水を張ってチェックしなくてはならない。水に浮くのは、虫に喰われた実だそうだ。
植物など

2歳になったケシとクク

2009年11月01日
わが庭で生まれたケシククが、今日満2歳の誕生日を迎えた。

 ケシ2歳  クク2歳
            ケシ                           クク  

生後1カ月
    ケシ1か月 クク1か月
                         
満1歳
    ケシ1歳   クク1歳
               ケシ                  物置の上が好きなクク      

ケシククが生まれた半年後に、アミトラが生れた。 彼らの母親のチビが、
1年前に姿を消し、オジサン代りのチャトランも、4カ月前から見かけない。 
ケシクク、そして、アミトラもすでに手術済み。 
この1年、ミケの子ども2匹が増えただけで、このあたりの地域猫は増えていない。
それはいいことなのだが、少しばかり、さびしい気もする。
動物など
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