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シェアリング流行り

2010年05月31日
先日、テレビで、若い人たちの間で、特に、20~30代の社会人に、「シェアハウス」が
流行っていることを知った。
シェアハウスとは、一般的に、家族とか恋人ではない他人同士が、ひとつの家や部屋を
共同で使うことをいう。光熱費、家賃は基本的に折半なのが主流で、ベッドルームは
1人1つ与えられ、キッチン、リビングルーム、バスルーム、トイレなどは共同で使うことが
多いという。といっても、一昔前の安下宿とは大違いで、これらの掃除は、専門の業者が行うし、
ビリヤードやダーツ場、防音部屋があったりと、プライバシーを守りつつ、一緒に料理をしたり、
ラウンジで語り合ったりと、共同生活の楽しさも味わえるそうだ。
さらに、外国人が同居していれば、国際的な交流、語学の勉強もできると、一石二鳥のようだ。

テレビでみたのは、もと社員寮だった建物を、ちょっとした贅沢を楽しめるシェアハウスに
改装したものだったが、こうした建物は、首都圏でますます増えるだろうとのこと。
私が若ければ、できれば、外国人が多いシェアハウスに住んでみたい。語学だけでなく、
各国の料理や文化などを通しての国際交流ができる、そんなハウスがいいと思ったりした。

シェアするのは、家だけではない。電車内で見たのは、カーシェアリングのステーションが
東急沿線の約50駅に設けられ、会員になれば、気軽に車が借りられるようになったという
オリックス「プチレンタ」の広告だ。

先月のスケッチ会で行った月島(中央区)では、実際に、カ―シェア用の車を見たし、
コンビニの前を通りかかると、「カーシェアリング」の幟があり、コンビニの駐車場に
レンタカーと同じ「わナンバー」が駐車していた。随分と身近になったものだ。

       中央区
        マンション駐車場利用のカ―シェア  中央区

         大田区
        スリーエフ、ミニストップが運営する「i-share」 大田区

カーシェアリングは、1人で車を所有するのではなく、皆で車を共有して活用しようという発想から
生れたもので、予め登録した会員の間で、車を共同使用することをいう。
車にかかる保険料や税金、車検、駐車場代などの維持費を皆で分担し、利用時間に応じて、
費用を負担するため、1人1人の負担は少なくなる。
1時間や2時間という短時間の利用の場合には、レンタカーより割安で、経済的だそうだ。      
カーシェアリングが普及すると、社会全体の車の台数が減り、省エネやCO2排出削減、
渋滞の緩和などにつながるというのだが。

一昨年秋、息子たちが引越したのを機に、車を譲った。父が亡くなる前までは、あれほど頻繁に、
便利に使っていた車だが、最近は、車のない生活に慣れたせいか、さほど不便は感じない。
幸い、母は足腰が丈夫だし、ちょっとした買物は、電動自転車で事足りる。
重くて嵩張る買物や通院のときは、カーシェアリングでなく、娘に頼もうと思っているのだが。    
つれづれ

猫の木登り特訓

2010年05月30日
猫にも教育が必要らしい。先生役は、父親でも生みの母親でもなく、親戚猫が当たるようだ。
ミケの子どもたちクロシロは、もうすぐ満1歳となるが、彼らの教育係は、わが庭で生れた
2歳半のククが務めている。               (我ら兄弟 シロとクロ
ミケの子育てはすでに終わり、今月、クロシロの弟妹を生んだようだ。
朝夕、わが庭に現れるミケだが、丸1日来なかった翌日、すっきりしたお腹で現れた。
どこで、何匹が元気に育っているのか、さいとうさんにもわからないそうだが。

ノラ猫ないし地域猫が生きるために大切なことは、まず、食料の確保だ。
テリトリー内で餌をもらえる場所は、3か所くらいはないと困るのではないかと思う。
わが庭で生れた猫たちも、さいとうさんのところで食べることもあるし、ほかにも
それぞれ、お馴染みの食堂があるようだ。
この頃、ミケ一家がわが庭に頻繁に来るせいか、わが庭で生れた4匹の猫のうち、
教育係になったクク以外の猫は、顔を見せない日もあるし、「にゃあ~」と挨拶するだけで、
どこかに行ってしまうことが多い。

ククの教育おばさんぶりは大したものだ。
ひと月前から、わが庭が安全な場所だということ、朝夕、わが庭が食堂になることを、
彼らに教え込むために、引率して来るようになった。おかげで、彼らは、私が見ていても、
ガラス越しなら、比較的平気で食べるまでになった。さすがにノラ猫の血筋は争えず、
ときどき、上目づかいで部屋の中を窺きながらだが。

ある日の夕方、食事の前に、梅の木でシロの特訓が始まった。
彼は、6mの高さまで、難なく登ったが、降りるのは怖いらしい。
木登り特訓風景を見たのは偶然だったが、降りて来るまでハラハラし通しだった。

       降りる
            待っていて! そこまで行くから・・・                
        さて
           どこから降りようかな? ちょっと怖いな      

 ちょっと怖い
             なんとか
                 思い切って降りるか・・・!

    降りられた!
           今度はクロの番?!

この日、クロの特訓はなく、2匹とも食事を済ますと、ククと共にどこかへ行ってしまった。
木登りも大事な訓練だが、ほかにも、信頼できる人間?もいること、人間に甘える方法も
教えているようだ。そんな教育係のククは、私に撫でてもらいたがるようになった。
このとき、必ず、後ろにクロシロがいて、ククの様子をじっくりと観察している。
さすがに、彼らが1m以内に来ることはないが、私にも大分慣れたようだ。 

大忙しの教育係は、今月生れたミケの子どもたちの教育も引き受けるのだろうか?
まだ、姿を現さない子猫のことまで、私が心配することはないのだが。
動物など

筍と竹林

2010年05月29日
5月末になって、たまに通る商店街の八百屋さんの店先から、筍が姿を消し、その隣の
季節料理の店の看板からは、筍のてんぷら、焼き筍など、筍づくしのメニューが消えた。
筍は、ふつう、孟宗竹のタケノコをいう。水煮や水煮缶の筍には、1年中お目にかかれるが、
旬日(約10日)で竹になるという、生れたての筍の命は短い。

竹は、2ケ月で20m、中には1日に1.2mも伸びるものもあるとか。20年で10mと
いわれる杉や桧に比べると、物凄い繁殖力だ。地下茎も1年に6mも伸びるのだそうだ。
先週、訪れた「すずめのお宿緑地公園」(目黒区)の竹林は、住宅地の中にあった。
芽を出したばかりの筍もあったが、青竹が竹の皮を1枚ずつ脱ぎ捨てながら、
天に向かって真っ直ぐに伸びていく様は、見ていて飽きない。 (すずめのお宿

      すずめのお宿
             
「すずめのお宿」で、竹林の柵の外に落ちていた竹皮を1枚拾って持ち帰った。   
竹皮は、抗菌・消臭効果、通気性、撥水性が高く、蒸れないなど、食品の保存に最適だ。
竹皮に包んだおにぎりが、ラップやアルミホイルで包んだものより、美味しいのは、
見た目だけではない。以前、粽を包むときのために、竹皮をたくさん揃えたことがあったが、
その後、思い切って処分してしまったことを、ちょっぴり後悔している。

最近は、手入れの行き届かない竹林が増えているそうだが、竹林を手入れせずに
放っておくと、地下茎がはびこって、畑を駄目にし、筍を目当てに里に下りてきた猪によって
農作物を荒らされたりするという。また、浅い地下茎は、土砂崩れを起こしたり、
コンクリートやアスファルトをつき破り、道路にヒビ割れを起こすこともあるらしい。

荒れた竹林が増えた原因の1つは、水煮筍の輸入量が増え、国内生産量が激減したことで、
20数年前に15万トンあったものが、今や2万トンだという。
さらに、茶道具の茶筅や茶杓、竹刀、尺八などには、今でも竹が使われているが、
つい最近まで竹で作られていた日用品のほとんどが、プラスチック製品に換わってしまった。

 笊
             花入れ                              
       「すずめのお宿緑地公園」内の古民家(目黒区指定文化財)

    灯り 竹垣
               「武蔵小山温泉」の竹垣と庭園灯の笠 目黒区

ところで、放置されて厄介ものになった竹林の竹だが、最近、新しい使い道が生れたという。
香川県三豊市の会社が、竹から「竹綿」を量産する装置を開発したことで、パルプ代わりに
抗菌消臭効果を持つ竹綿を、紙おむつ、マスクなどの材料として使えるようになったそうだ。
また、建材はシックハウスの対策になり、プラスチックと竹綿を混合した自動車の内装材は
廃棄時でも有害物質の発生が少ないというメリットがあるのだとか。

福岡県八女市にある小中学校の給食用食器は、材料の半分以上が竹の樹脂だという。
石油から作られる、従来のプラスチックに比べると、この竹の樹脂から作られる食器は、
「軽い」「割れない」「熱くならない」と三拍子そろった「エコ食器」と評判がいいそうだ。

わが家にある竹製品は、茶道具のほかには、竹箒、団扇に扇子、踏竹、孫の手、竹トンボ、
そして、つい最近、近くの雑貨屋で買った竹簾くらいだろうか。
竹簾は、ヨシの簾と同じ値段だったが、丈夫そうだし、少しお洒落な感じで気に入った。
竹の綿や食器もいいけれど、この夏、放置竹林の竹は、どんどん簾にしてしまえば
いいのにと思いながら、竹簾をブラインド代わりに下げている。
植物など

目黒のタケノコ

2010年05月28日
先週、「みどりの散歩道(碑文谷・立会川コース)」(目黒区発行の小冊子)を持って、
目黒区碑文谷にある「すずめのお宿緑地公園」まで、お得意の寄り道をした。
この公園は、以前、訪れた碑文谷八幡宮のすぐ近くにある。  (立会川緑道で

目黒は、かつて筍の特産地として知られ、見事な竹林が至るところに見られたという。
今からおよそ200年前、江戸時代に始まったという筍栽培は、大正中頃に最盛期となり、
「太く、柔らかく、おいしい」と三拍子そろった「目黒の筍」を産したという。
地下茎を掘り起こし、深く掘った溝に埋め直して肥料を施すという、目黒式といわれる
独特の栽培法によるものだそうだ。

その名残をとどめる竹林は、今も健在で、「すずめのお宿」の名で親しまれている。
昭和の初め頃、この竹林には、数千羽の雀が生息していて、朝、飛び立った雀が、
夕方、一団となって帰って来るときは、空が薄暗くなるほどだったとか。
  
       竹林
      
この公園内の一角に建つ、目黒区古民家(区指定有形文化財)は、かつての衾(ふすま)村に
あった栗山家の母屋を移築復元したもので、大黒柱などの軸組の構造や南側の外縁などに
見られる建築様式から、江戸時代中期のものとされる。
栗山家は、代々「年寄」という村の重要な役職を務めた家柄で、板敷の広い居間のほか、
奥に客間まで備えた屋敷は、普通の農家より規模も大きく、格式の高いものだったそうだ。

        古民家

移築の際、法規制により茅葺屋根を銅板葺に変えたほかは、ほぼ忠実に当時の姿を
復元してあり、当時の暮らしぶりを伝える農具や生活用具も展示されている。
広い土間に流しとかまどがあり、傍にたくさんの薪が積み上げられていた。
かまどでは、係の人が薪をくべてお湯を沸かしていた。こうして、定期的にいぶすことによって、
柱や梁は黒光りし、防虫、防水効果が維持され、建物を長持ちさせるのだという。
居間に囲炉裏があったが、火を入れるのは、小学3年生が見学に来たときだけだそうだ。

   かまど
               囲炉裏

この公園を訪れたのは、お昼頃だったが、園内のベンチで休んだり、ランチをしている人を
数人見かけただけだった。古民家では、私が本日4番目の見学者だと言われた。
環状7号線から少し入った住宅地にあるのだが、実に静かな公園だった。

       竹林   雀と少女像
 
そういえば、私がこの「すずめのお宿」公園にいた一時間弱、雀を見かけなかった。
この付近の特産だった筍が姿を消したのはともかく、「すずめのお宿」に雀がいないとは! 
夕方には、どこからか、戻ってくるのだろうか。
先日、雀が多いとされている日比谷公園で、雀の数を調べたら、100羽に満たなかったとか。
野鳥の会では、300羽ぐらいはいるだろうと予想していたそうだが。
雀は、瓦屋根の下のわずかな隙間などに巣を作るらしいが、瓦屋根の家が減った今、
彼らも住宅難なのだそうだ。ここ数年、雀が減ったというのも頷ける。

「すずめのお宿」から、少し頑張って「孟宗筍栽培記念碑」まで歩くことにした。
途中、道に迷い、諦めかけたときに、鍵のかかった鉄柵の中にある記念碑を見つけた。

              孟宗筍栽培記念碑
               孟宗筍栽培記念碑   品川区小山

「目黒の筍」は、江戸鉄砲洲の海運業者山路勝孝が、薩摩藩邸より孟宗竹を分けてもらい、
戸越村に植えたのが初めといわれる。因みに、法名は「孝竹院釈筍翁居士」とか。
旅・散策・イベント

りんりんの日記から

2010年05月27日
小学1年生の孫りんりんは、5月の連休に京都へ行った。京都では、彼のリクエストで、
龍馬の逗留した「酢屋」やお墓などのほか、平等院にも行ったそうだ。(りんりんの課外学習
先日、彼の家で、平等院に行った日にホテルで書いた日記を見せてもらった。
いつもは1日1頁だが、この日は、絵入りで2頁。よほど、感動した1日にだったに違いない。

    日記
            平等院と10円玉の平等院の絵入りの日記  5.4

きょう、びょうどういんにいきました。10円玉にのっていたから、いきたかったです。
10円玉は、 あかとおうどいろをまぜて、きらきらにしたいろです。つまり、「どう」。

      723no2.jpg

おもっていたのと、ちょっとちがう。いしがあったこと、いけがあったこと。
じつは、1まん円さつにものっている、「ホウホウ」と、いうとりが、かどっこに
たっているんです。しかもきょうとでしかみられないむかしのたてものです。
びょうどういんだから、たのしかったです。
そのまえ、川どこで、うなぎどんを3人でたべました。すごいうまーいんだよなー。
川の上で、たべるのは、きょうとだけ。きょうのまい日日っきはこれでおしまいです。
 
 
幼稚園のときから続けている、彼の日記を見る度に、みんなが読める字を書くようにと、
口を酸っぱくして言っているが、小学生になってからも、相変わらずだ。
毎日、担任の先生に提出している日記は、良い表現らしい箇所に赤線が引かれて戻ってくる。
若い女の先生だが、彼の字を判読するのは容易ではないと思うのだが。

昨年夏、入谷朝顔市に行った帰り、露店でみつけたオカヤドカリを4匹買って帰った。
大き目の2匹はりんりん、残り2匹はわが家で飼うことにした。   (入谷朝顔市
オカヤドカリは、全種が日本の天然記念物に指定されているが、許可を得た捕獲業者が
捕獲すること、その業者を通じて小売業者が販売したり、消費者が購入することは
違法ではないとのことだ。

オカヤドカリは、熱帯に広く分布するヤドカリで、日本では沖縄や小笠原諸島などに生息する。
そのため、敷き砂は、サンゴ砂がいいとされるようで、わが家は、川砂で間に合わせたためか、
秋になる頃、1匹は動かなくなった。着替え用の貝も用意してあったのだが。

りんりんのところでは、サンゴ砂を入れて、まめに世話をしていたせいか、2匹とも
元気だ。そこへ、わが家で生き残った1匹が加わった。 
そして、ヒーターを入れるなどといった、特別なこともせずに、居間で冬を越した。
飼い方をみると、栄養バランスを考えて!などとあるが、さほど神経を使うこともないようだ。
雑食なので基本的には何でも食べるらしいが、パンやお菓子を好んで食べるようだ。

      ヤドカリ               

きょうやどかりのそうじをした。「やどかり」だから、たのしかった。
そうじのやりかたは、①ピンクのすなを入れる。②やどかりと、貝がらをいれる。
③さんごすなをいれる。④どう具を入れる。おわり。
でも、②を、やるとき、きれいな、やどかりを、おとしちゃった。
それは、キレちゃんっていうのだ。そのこは、たいせつなのだ。


部屋の片づけは苦手な彼だが、やどかりの掃除は楽しいらしい。
ピンクの砂はサンゴ砂のこと。貝がらは着替え用の貝のこと。
道具は、シェルターになる壺や観葉植物、そして、水を入れるお猪口などらしい。
貝の色が最もキレイなヤドカリを、彼はキレちゃんと命名した。
キレちゃんという、おかしな名前の由来を、先生は察して下さっただろうか。
身近な人びと

しぐさも挨拶

2010年05月26日
数年前、中国語学習に役立つだろうと、父の書棚にあった「中国四字成語・熟語辞典」や
図書館で借りた本を机に並べ、「日中両国語 四字成語・熟語比較表」をまとめたことが
あったが、まとめ作業の過程が楽しくて、中国語の予習や復習はそっちのけで没頭したものだ。

一昨年の夏から数回にわたって、港区高輪の臨済宗のお寺や鶴見の総持寺(曹洞宗)で
座禅体験をしたこともあって、その後、禅語関連のやさしい解説本を数冊参照して、
「禅語」のファイルをつくったことがある。
「日日是好日」「一期一会」「柳緑花紅」「和敬清寂」など、昔、茶席で見た禅語は
懐かしかった。
「光陰如矢」「単刀直入」「言語道断」「老婆心」「主人公」「普通」「無我」「縁起」
「出世」などといった、普段の会話で耳にする言葉が禅語だということも知った。

            719no2.jpg
                     マイ・ファイル「禅語」 

その「禅語」ファイルの最初の方に、「挨拶」という言葉を載せた。
この言葉は、人と会ったり別れたりするときの、儀礼、応対のことばや動作、
手紙の応答の言葉だが、もとは、「碧巌録(へきがんろく)」という、中国の仏教書にある。
「碧巌録」は、禅宗、特に臨済宗では重要とされる全10巻の典籍。

「挨拶」の「挨」は、積極的に突き進むこと、「拶」は相手に切り込むという意味だという。
禅宗では、修行僧が切磋琢磨して励むことを指したが、転じて、修行僧の悟りの深さや
力量を点検するため、問答をしかけることをいうようになった
。(図解 「禅」)
禅語でいう挨拶は、習慣でするものでなく、人と人の間に切り込む行動の1つ。相手に
近づいていく心がなければ、形だけだ
という。(「続 ほっとする禅語」)

修行者同志、師と修行者が相対して取り交す言葉が「応答、返礼」となり、さらに転じて
別れる時などに取り交わす儀礼、お互いの様子を確かめる言葉や動作をも指すようになった。
挨拶は言葉だけではない。言葉のない言葉、「しぐさ」も挨拶だと言えるだろう。
江戸しぐさの「肩引き」や「傘かしげ」は、道ですれ違う見知らぬ人への「挨拶」だ。

先週、孫りんりんが、下校後、わが家に来た日は生憎の雨だった。
母親のお迎えまで、学校の様子などを聞いていたが、何かの拍子で、傘の話になった。
雨の日の車内や駅構内、ホームやエスカレーターでは、傘の持ち方に気をつけないと、
滴で隣の人の服を濡らしたり、傘の先で後の人を突いたりと、人に迷惑をかけることになる。

「そうそう、傘をさして道を歩くときは・・・」と、彼の大好きな「江戸時代」を持ち出して、
「江戸しぐさ」の「傘かしげ」を教えた。ちょうど干していた折畳傘を彼に持たせ、
「人とすれ違うとき、こうして傘を傾げると、傘から落ちる滴が相手にかからないでしょ」と
実演を交えて教えたのは、結構、受けたが、「江戸時代の傘って、紙で出来てたんだよね」と、
目下、彼の関心事である「○○時代」の方に行ってしまった。
    
     肩引きと傘かしげ      
 「しぐさひとつで 人は 近しくなる」「東京には イキなマナーが 似合います」 ACの広告   

「傘かしげ」 雨の日のすれ違いは、互いに傘をサッと傾ける。江戸では、マナーを
イキに交わすことが、都会で生きる者同士の さりげないエール交換でした。
「肩引き」 人ごみですれ違う時、互いに肩をサッと引く。江戸では、マナーを
イキに交わすことで、相手を思いやる気持ちを 瞬間的に伝え合っていました。 


この次、もう1つの「江戸しぐさ」を教える約束をしたが、教えると云っても、ポスターで見た
「肩引き」ぐらいしか思い浮かばない。(今に通じる江戸しぐさ 傘かしげの後も
今のうちに、平成の時代にも通用する「江戸しぐさ」を研究しておこうと思うのだが。
つれづれ

心のこもった「オ・ア・シ・ス」

2010年05月25日
街を歩いていて、以前から気になっていたのは、学校の門や町内の掲示板などで見かける
「オ・ア・シ・ス」という文字。

そもそもオアシスは、「砂漠の中で水が湧き、樹木の生えているところ」「疲れをいやし、
心に安らぎを与えてくれる場所。憩いの場」
のこと。(大辞林)

街でみかける「オアシス」は、昭和時代から行われている「あいさつ運動」の一種で、
社会生活の基本となる4つの挨拶を、日ごろから言うように心がけようというもの。
挨拶の言葉の頭文字をとって、オ「おはようございます」、ア「ありがとうございます」
シ「失礼します(失礼しました)」、ス「すみません(すみませんでした)」
とした。
これらの言葉が自然に口を衝いて出るようにしようということだろう。

       オアシス運動 「ス いません」?                 
          小学生手づくりのポスター

「ごめんなさい」は、親しい友人とか家族間で使う言葉で、ビジネスの場では使われない。
日常生活で、さほど親しくない相手や目上の人には、「すみません」、或いは
「申し訳ありません」を使うことが多いとのこと。
「ごめんなさい」と「すみません」は、謝罪する相手によって使い分けられるらしい。

私は「すみません」という言葉はあまり使わない。電車を降りるときに「すみませ~ん」と
道をあけてもらったり、「すみませんが、その本を見せて下さい」といった場合には、
自然に出てくるが、自分がミスしたり、迷惑をかけて謝るとき、或いは、お礼を言うときに
「すみません」を使うのは、なぜだがわからないが、抵抗がある。
謝るときには、「申し訳ありません」か「ごめんなさい」を、お礼や感謝を表すには、
「ありがとう」「ありがとうございます」を使っている。

 ありがとう

「ごめんなさい」 あやまち、非礼をわびる言葉。  
「御免」 容赦、赦免の尊敬語。転じて、謝罪、訪問、辞去などの時の挨拶。
「済みません」 「済まない」の丁寧語。
「済まない」 相手に悪く、自分の気持ちが片付かない。申しわけない。謝罪や依頼。
「申し訳」 いいわけ。いいひらき。
「申し訳無い」 弁解の余地がなく、相手にすまない。詫びるときなどに言う語。
「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」は、どれも謝罪の言葉だが、
「ごめんなさい」は、「許してください」というニュアンスを含み、「すみません」は
不可抗力によるものなので、自分が悪いというより、相手に済まないといったところらしい。

謝る、謝罪といえば、以前、ラジオで聞いた話を思い出す。
中国の温家宝首相が、北京市の中学校を視察した後、発表した文章の誤りを、
後日、訂正して、「読者の皆様に、お詫びします」と謝罪したという話。
「岩石は、堆積岩・火成岩・火山岩・・・」となっていた文章を、正しくは
「堆積岩・火成岩・変成岩・・・」とすべきだったと訂正したという。
政府トップによる「訂正とお詫び」は極めて珍しいとか。

温首相は、細部に気配りするという評価がある一方、「取るに足らないミスの訂正は、
政治的パフォーマンス」との冷めた見方もあるようだが、ラジオでは、首相が北京地質学院
現・中国地質大学)で、研究生課程を卒業。
その後は、地質鉱産部門の技術員・行政指導員の職に就いていたことに注目していた。
地質の専門家である首相が「岩石の種類を間違える」など、穴を掘ってでも入りたかったのでは
ないだろうか。それこそ、心からの訂正依頼だったのでは?
つれづれ

久しぶりのシビックセンター

2010年05月24日
先日、銀座の画廊で開かれたF先生の回顧展で、5年ぶりに先生の日本画を拝見した後、
Kさん、Yさんとご一緒に、Fさんのグループ展が開かれている文京区シビックセンターへ
向かった。東京メトロ後楽園駅から地上に出ると、道路を隔てた向こうにシビックセンターが
聳え立っている。

このセンターには、文京区役所のほか、ギャラリーやホールもあり、数年前まで、
小ホールで上映される現代中国映画をよく見に行っていたので、とても懐かしかった。
会場でFさんと別れ、Kさん、Yさん、そこで一緒になったSさんと、25階に上った。
東京ドームシティに面した南側は、「シビックスカイレストラン椿山荘」。
このレストランから、東京ドームシティ、小石川後楽園などが眼下に見えた。

ドームシティ
          小石川後楽園
                   後楽園ドーム球場と小石川後楽園  

ドーム球場の周りには、巨人ー西武戦の開場を待つ人だろう、長い列が見えた。
屋外で並ぶことなど滅多にない私は、この日、回顧展を見た後、数寄屋橋まで来たときも、
宝くじ売り場前の長い行列に驚いた。
野球ファンにとっては、開場までの待ち時間など、苦にならないのだろう。

レストランを出ると、北方面は、都内を一望できる「展望ラウンジ」(9:00-20:30)だ。
隅田川方面に立つ「スカイツリー」は、上野から見たときとは大分様子が違っていた。
周りに高いビルが見えないせいか、まさに、空へ空へと伸びていく樹のようだった。

           スカイツリー 368m 5.12 
       
        池袋方面
                      池袋方面 

         新宿方面
                      新宿方面

「関東の富士見100景ー富士山の見えるまちづくりー」の選定証が、ラウンジに
飾られていた。残念ながら、この日は、富士山や筑波山とも、影も形もなかった。
         富士山??
                     富士山はどこに?
               
展望ラウンジは、平日の夕方のせいか、人は少なかった。
昨年12月、東京都庁の45階の展望室に行ったときは、エレベーター前で並び、
簡単な荷物検査を受け、展望室に上ると、人、人、人だった。(北京市民間伝統芸術展へ
無料で、混まずに、広角の風景が展望できるラウンジは、気分転換にもなかなかいい
スポットだと思う。
5月末、センターの小ホールで、「花の生涯 梅蘭芳(メイ・ランファン)」(現代中国映画
上映会)が上映されることを知った。何年ぶりかで、中国映画を見に行くことにした。
夜景が綺麗だというから、まず、25階の展望ラウンジへ行って、映画が始まる7時まで、
東京の夜景を楽しんで来ようと思っている。
旅・散策・イベント

街の駄菓子屋さん

2010年05月23日
先日、笹塚(京王線)駅前のビルを通りかかると、「川越 菓子屋横丁」の幟が見えたので、
つい、寄ってみた。
お菓子だけでなく、けん玉、メンコ、ベーゴマ、コマ、竹トンボ、蝋石、おはじきなどなど、
懐かしい玩具もたくさん並んでいて、駄菓子をあまり知らない若い母子連れに混じって、
昭和に生れ育った人たちも、目を輝かせて選んだお菓子などをカゴに入れていた。

「菓子屋横丁」は明治初めに、鈴木藤左衛門が川越(埼玉県)の町で、江戸っ子好みの
気取らない菓子を製造したことが始まりといわれ、大正12年、関東大震災によって
被害を受けた東京に代わって製造供給元となり、昭和初には70軒以上の店があったとか。
この横丁に漂う素朴で懐かしい香りは、環境省の「かおり風景100選」に選定されたそうだ。

       菓子屋横丁
              やってきた「菓子屋横丁」   
              駄菓子
         
駄菓子屋の全盛期は、昭和30年代から40年代と言われる。
私は、駄菓子屋さんに行ったことや街頭紙芝居と言われるものも見た記憶がないし、
縁日に連れて行ってもらったこともないが、こうした駄菓子や玩具を見ると、
何故か懐かしさを覚える。
この日、この横丁で買ったものは、(アッタリ?)「前田のクラッカー」、おみくじ煎餅、
ロウ石3本だった。     
         蝋石 

この話をりんりんの母親にしたら、父親がベーゴマを探しているということだった。
最近、園児や小学生の間で大流行の、今風のベーゴマ「ベイブレード」に夢中のりんりん
元祖のベーゴマを見せようと、何軒か探したが、見つからなかったとか。ベーゴマなら
笹塚の「菓子屋横丁」に2種類あった。「いいわよ、わざわざ行かなくても・・・」と
言われたが、駅近くの玉川上水辺りを歩くのも悪くないと、数日後、再び笹塚へ出かけた。
「菓子屋横丁」のベーゴマのところへ直行し、模様や文字は全部違うので、散々迷った挙句、
8つを選んでレジに持っていき、手をみると、真っ黒になっていた。

            ベーゴマ

ベーゴマは鋳物でできた小さいコマで、床と呼ばれる土俵の上で、誰のコマが最後まで
回るかを競い合うもので、投げゴマに比べると小さく、ちょっとしたコツがいるという。
「ベイブレード」は1999年に発売され、全国の小学生の間に大流行した現代版のコマ。
ベーゴマとは違って複数の部品からなっており、各部品の組み換えによって、自分だけの
競争に強いコマを作れるのが特徴だそうだ。

     ベイブレード 玩具売り場で
            品薄気味の「ベイブレード」と床? 

普通のコマは結構うまく回せるりんりんだが、ベーゴマを回せるはずがなかった。
回せないのは、りんりんだけではなかった。てっきり、回せると思っていた、りんりんの父親は、
ネットでベーゴマの回し方を調べて、チャレンジしたそうだが、結局、出来なかったらしい。
            
      上川口屋
           創業1781年の駄菓子屋 「上川口屋」

昨年秋、雑司ヶ谷の鬼子母神(豊島区)に、銀杏の巨樹を見に行った。
境内に、江戸時代から続く老舗の駄菓子屋があるのに驚いた。オバサンは13代目だとか。
平日の午前中だったせいか、境内は静まり返り、この店に買いに来る人もいなかったが、
夕方になると、近所の小学生たちが集まって来て、境内は賑やかになるのだろう。
りんりんも、自分の家の近くに駄菓子屋があったら、きっと、楽しむに違いない。
つれづれ

街でみかけた飼い犬たち

2010年05月22日
最近は、室内で飼われるペットが増え、その割合は、73.3%(2009年)になるという。
ドッグカフェやホテルなどは、人間の都合で考えられたものだろうが、犬の美容室のほか、
温泉浴、トレーニングジムなども用意され、犬専用の道具が次から次へつくられている。
リンスインシャンプーなど、犬たちにも身だしなみが必要な時代が来たのだとか。

数年前から、ペットショップの店頭で、バギーのような犬用のカートを見るようになったが、
電車を利用して、犬と共に移動するときのものだとばかり思っていた。
車内でも、若い女の子が犬を入れたバッグを膝に乗せているのを見かけることもあれば、
このカートに犬を入れて乗ってくる人たちもいる。一瞬、幼児を乗せたバギーかと思うが、
天井部分は閉じられていて、ネット越しに中の犬が見えるのだ。

先月末、午前と午後の2回、別の場所で、犬用のカートに乗った犬を見た日があった。
午前中は、東急線長原駅近くの薬屋さんの前で。飼い主の女性は、知合いの女性と
立ち話を始めた。その間、テリアだろうか、犬は大人しく、店の中を眺めていた。
午後は、京王線笹塚駅前で。カートには、ポメラニアンがチョコンと乗っていた。
どちらの犬も、歩けないほど、足腰が弱っている犬には見えず、彼らは散歩でなく、
飼い主の買物のお伴をしているといった様子だった。

            長原
          
      笹塚

先週、同じ笹塚駅前の商店街で、ひと組のご夫婦が、犬をカートから下ろすところを見た。
犬は歩道に下りると、ご夫婦と一緒に歩きだした。まるで、「家族3人でお買いもの!」と
いった雰囲気だった。家からここまで歩かずに来て、人の多い夕方の商店街で歩く? 
その逆ならともかく、私には理解できなかった。

昨年と今年、偶然、2度見かけた、麻袋に入れられたまま、駅の構内を引きずられていく
シェルティを思い出した。   (ホームで見かけた光景)(街でみかけた「へえぇ!」

  綱島  新宿
       東横線綱島駅ホーム            東京メトロ新宿駅           

          シェルティ 
         麻袋に入れられる前のシェルティ  新宿駅構内 
 
犬用のカートは、幼児用のベビーカーより高額なものもあり、2万円ぐらいするようだが、            
今度、このシェルティを麻袋に入れて電車に乗るオジサンに遇ったら、犬用のカートを
買うように勧めたいと思ったりした。
「余計なお世話だ!」と怒鳴られそうだし、怖そうなオジサンだったが。

このシェルティのほかに、ホームで電車を待っているとき、ふと思い出す犬がいる。
東急線の車内とホームで、2度ほど見かけた盲導犬だ。
寒い時だったからだろう、服を身にまとい、背中に「仕事中」と書かれた名札を付け、
淡々と務めを遂行していた。

      盲導犬
            
犬は、どのような飼い主であろうと嫌うことはない。あるがままを受け入れて生きる。
置かれた環境を嘆いたり、文句を言うこともない。盲導犬は盲導犬に、ペットはペットに、
番犬は番犬になる。飼い主の躾に従って「なってほしい犬」になることができるのだろう。
猫にはとても出来そうにないことだが、果たして、できるだろうか?
動物など

椎の花

2010年05月21日
今日は24節気の1つ、小満。万物生気充満す。植物が育ち茂る。
秋に蒔いた麦などの穂がつき、ほっと一安心する頃。「麦生日」とも言われる。

「梅田椎麦(うめたしいむぎ)」、或いは、「梅田枇杷麦(うめたびわむぎ)」という諺がある。
梅の実がたくさんなった年は米が豊作になり、椎の実の多い年は翌年の麦が、
枇杷の実の多い年はその年の麦が豊作になると言うことらしい。

       椎の花咲く
 
シイは、ブナ科の常緑樹で、寺社、公園や民家の庭木の中で最も多い樹木。
防火樹の役目も大きい。ツブラジイとスダジイはシイ属。マテバシイはマテバシイ属で、
花の時期はマテバシイの方がひと月遅いという。
ツブラジイ(コジイ)の実は丸く、幹に横の縞がある。スダジイ(イタジイ、ナガジイ)の実は
長細い形で、樹皮は縦に裂けているというから、容易に区別がつく。   (シイの巨樹
          
         椎の花

          椎の花散りし匂ひや故園荒る     高浜虚子

          白雲や椎の花ふる真午中       原石鼎

          杜に入る一歩に椎の花匂ふ      山口誓子


椎の花は、風媒花ではなく、匂いで虫を誘う虫媒花だという。
木の近くまで来ると、甘い匂いがしてくるのはいいが、あの薄黄色に染まった樹から降る
花粉を頭から被りそうで、毎年この時期は、足早に通り過ぎるようにしている。 
例年、杉の花粉症ばかりが騒がれるが、椎の花粉症もあるらしい。   (花粉症

          スダジイ
                     スダジイの実 
    
わが家の近所の空地には、スダジイがたくさんある。秋にたくさんの実がなるので、
昔から「ドングリ山」と呼ばれている。
今、ドングリ山では、シイの花が満開。樹は小さな薄黄色の花で覆われている。

初夏に咲いたシイの花が、実になるのは翌年だという。
「梅田椎麦」の諺通り、椎の実が翌年の麦の収穫に大きく関連があるとすれば、
薄黄色に染まった椎の樹を見る限り、再来年の麦の豊作は間違いないようだ。
といっても、近くに麦畑はないので、確かめようがないし、再来年の麦の収穫の頃まで
この諺を覚えているか自信がないが。
植物など

マンホールの蓋 Ⅱ

2010年05月20日
1年前、「マンホールの蓋」をご紹介したが、その後も、気をつけて歩いていると、
少し変わったマンホールの蓋に出逢うことが多い。   (マンホールの蓋

都内23区
都の花は「ソメイヨシノ」。 都の木は「イチョウ」、都民の鳥は「ユリカモメ」。
小岩中目黒
             葛飾区                       目黒区

大田区港区
         区の花「梅」   大田区                港区

品川区世田谷区
       旧東海道   品川区            区の花「鷺草」   世田谷区

             都立公園都立公園                  

上野公園浜離宮 
       上野恩賜公園  台東区           浜離宮恩賜庭園  中央区

立川市と日野市
立川市のシンボルは「ケヤキ」「こぶし」。日野市のシンボルは「カシ」「菊」「かわせみ」。

立川市日野市
       市の花「こぶし」   立川市          市の鳥「かわせみ」   日野市 
                   
神奈川県  
神奈川県のシンボルは、「イチョウ」「ヤマユリ」「カモメ」。鎌倉市の花は「りんどう」。

鎌倉市 鎌倉市
          神奈川県                 「鎌」の文字   鎌倉市
鎌倉市鎌倉市
                     市の花「りんどう」        鎌倉市

700no16.jpg   横浜市
        「ベイブリッジ」        横浜市          「カバ」
旅・散策・イベント

明日香の亀石

2010年05月19日
今年、奈良では「平城遷都1300年祭」が開かれている。
JRの「奈良デスティネーションキャンペーン」のCMではないが、「ひろいひろい国、
ふかいふかい国」の奈良へ、スケッチ旅行に行ったのは、もう、10年以上も前のことだ。
1回目の大和路の旅は、11月半ば。15人と大勢の人が参加した。
桜井と飛鳥での2泊だったが、山の辺の路を歩き、甘樫丘に上り、飛鳥からレンタカーで、
岡寺や石舞台古墳なども訪れた。2度めは、同じ年の12月、この時は4人。
初日からレンタカーで飛鳥から南へ、4泊の旅だった。    (大和路の旅
大和路の旅といえば、「明日香の亀石」に出会ったときのことを思い出す。

いつだったか、モンゴルの写真集を見て、モンゴル高原(テレルジ国立公園)にも、
「亀石」といわれる、花崗岩の大きな岩山があることを知った。亀が甲羅から頭を突き出して
横たわっているように見える。その岩山の高さは15mだという。
モンゴル帝国時代に、碑石の台座として、或いは、建物の柱石として使われたものらしい。

古代インドの宇宙観では、象は3頭で世界を支え、亀はその3頭の象を支え、蛇はその亀をも
支えていると考えられているが、中国、そして日本でも、亀は世界を支える土台として、
亀に神秘的なものを感じていたのだといわれている。
    
          亀石
      
日本では、奈良県明日香村の「亀石」が有名。モンゴルの亀石と同じ花崗岩ではあるが、
随分と小振りである。(長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.8m)。
平安の昔から「亀石」と呼ばれているそうだが、いつ、何の目的で作られたかは謎で、
結論は出ていない。川原寺の所領の四隅を示す石標、猿石を含めた古墳に関連する遺物、
斉明天皇の時代にグリフィン像を造ろうとしたが、加工途中で放棄されたもの、などという、
いくつかの説がある
。(Wikipedia)

言い伝えによれば、大和盆地一帯が湖であった頃、対岸の当麻の蛇と川原の鯰とが
争った結果、当麻(たいま)に水を吸い取られ、川原あたりは干上がってしまい、
湖の亀はみんな死んでしまった。亀を哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って
亀の供養をしたという。
現在は南西を向いている「亀石」が、もし、西の当麻の方を睨みつけると、
大和盆地は泥沼となるという伝説があるのだとか。

何ヶ所かで道を訊ねて、夕方、やっと対面できた「亀石」。一目見たとき、それまでの疲れが
一気に吹き飛んでしまった。私には、ユーモラスな顔つきの「亀」さんの目は優しそうで、
とても睨みつけているようには見えなかった。

わが家にも「亀石」のような石がある。花崗岩ではないが、光沢がある石だ。
旧宅時代は、玄関と表門の間にあり、現在も玄関の横にあって、毎日のように目にしている。
明日香の亀石と較べようもないほど、小さい(長さ0.9m、幅0.8m、高さ0.4m)が、
角度によっては、亀がうずくまっているように見える。
          わが家の亀石                   
この石に似た、以前、わが家で飼っていた、亀の「カシオペイア」のクロッキーを見つけた。
「カシオペイア」は、姪が名付けた、「アカミミガメ」(幼少名はミドリガメ)だが、
小さいときから飼い始めて、甲羅は20cm以上になっただろうか、30年近くは生きた。

       カシオペイア
              窓辺で冬眠中のカシオペイアのクロッキー

「亀鳴く」という春の季語があるが、私は1度も聞いたことがない。凡人には聞こえないのか、
私に話しても仕方がないと、亀に見透かされたのか・・・。
あの顔を見ていると、やはり、亀は知恵深い神秘的な生き物のように見えてくるから不思議だ。     
旅・散策・イベント

変わる上海の街

2010年05月18日
お天気に恵まれたゴールデンウィークが終わった翌日、中国語の授業があった。
「どんな黄金周(ゴールデンウィーク)を過ごしましたか?」と黄老師。
「富士山に登ったけれど、あっちからもこっちからも中国語が聞こえてきた」とSさん。
Oさんも「去年、伊豆に行ったが、やはり、周りに中国人が多かった」と話す。
「すごいよね。中国の富裕層は!1億人いるとか・・・」とMさん。

「何年前だったか、安徽省の黄山に登ったが、何組もの日本人の団体とすれ違った」と私。
中国に滞在中、ホテルのエレベーターで、聞こえて来るのは日本語だったことも度々だった。

ところで、今月1日に開幕した「上海万博」だが、先月、北京から帰国したSさんの話では、
上海万博のことを「万国博覧会」と言ったところ、まったく通じなかったとか。
どうやら、中国では「国際博覧会」のことを「世界博覧会」とか「世博会」と言うようだ。

先日のテレビ報道によると、万博の日本産業館内の料亭『紫 MURASAKI』が、中国人の
富裕層に大人気で、1日限定10組(昼夜各5組)、1人4.1万円(3000元)というのに、
6月まで予約でいっぱいだとか。実に驚きだ。上海市の平均月収は4.5万円というのに。
紫色の和服姿の仲居さんは上海大学の学生だというが、実によく似合っていた。
因みに、この「料亭」のブースは、醤油メーカーのキッコーマンの担当だという。
醤油のことを「むらさき」と言い表すこともあることから、「紫」という店名になったとか。    

上海の街に出れば、日本料理店の数は1000を越え、久光百貨店では、5割は日本製品、
客の9割は中国人だという。彼らは、日本のものは「美味しく、健康的で、安心」だと言い、
1個2300円もする林檎を買ってくれるのだそうだ。

数回訪れた上海だが、初めて行った2000年頃の地下鉄は1路線だったと思うが、
今や、上海の地下鉄は11路線。その総延長は、ロンドンを抜いて、世界一だとか。
上海の変貌ぶりは、目を見張るものがある。

       外灘
         ホテルへ向かう車の中から  バンドの夜景   2002.3

かつての「上海バンド(外灘)」は、歩行者天国に、バンドの両岸は金融市場になり、
浦東地区は開発されて高層ビルが林立し、大規模な住宅団地がどんどん作られている。

2002年、世界初の商業磁気浮上式鉄道として開通した、浦東国際空港と上海市郊外を結ぶ
リニアモーターカーに乗ったのは2004年だった。
あっという間に、最高速度430kmが出て、7分ほどで浦東空港に到着した。(江南の旅
     
       リニアモーターカー
             上海磁浮列車で上海浦東空港へ  2004.9

黄浦江を渡し船に乗って市場に行ったこともあったが、この渡船場は今も健在だろうか。
船からは、「東方明珠テレビ塔」と「金茂大厦」が見えた。
現在、「金茂大厦」の隣には、上海ヒルズとも呼ばれる超高層の森ビル「上海環球金融中心」
(101階 492m)が建つ。100階の展望台は世界一の高さ(474m)を誇る。

      黄浦江
                  「塘橋輪渡站」と渡船からの眺め  2004.9

「中国ならどこでもいいから行きたい」といつも思っている私だが、人が大勢押し掛ける
ところに、わざわざ出かけて行く勇気はないし、ガイド付の観光旅行は好きではない。
南京、桂林、江南の旅の途中で立ち寄っただけの上海だが、「俄か上海人」になって、
万博前の上海の街を歩いてまわった場所は、忘れられない。

今度、上海に行く機会があったら、以前、豫園の裏でみた弄堂(集合住宅)がつづく路地を
ゆっくりと歩いてみたいと思っているが、もう、すでに姿を消しているかもしれない。
旅・散策・イベント

絹サヤの収穫

2010年05月17日
毎年、春になると、近所の畑のエンドウ豆(豌豆)とソラマメ(蚕豆)の成長を見るのが
楽しみとなる。                        (豌豆と蚕豆
芽を出してから、数日見ないうちに背丈ほどに伸びて、赤紫色の花を咲かせていたし、
5月に入ると、花はほとんどなくなり、豌豆、絹サヤがたくさん下がっていた。
    
近くの畑で
      花 
                赤紫の花                     4.15

             サヤ 
                        「絹サヤ」       5.6 


わが家でも豌豆を作りたいと思っていた矢先、花屋さんで豌豆の苗をみつけたので、
8本買って帰り、プランターに植えた。

     3.15 
                                          3.15
    3.28 
                    日当たりのよいところへ        3.28

   4.18 
                                           4.18
      4.29&5.4
               4.29           白い花が咲いた   5.4

         5.8
            可愛らしい実を3つ見つけた        5.8

       絹サヤ
                次々にできる絹サヤ            5.10
   
食用としてではなく、絵のモデルとして買った豌豆の苗だが、私の背丈ほどになった頃、
花が一斉に咲き、数日でサヤができ始めた。もう、スケッチするのを諦めた。
グリンピース(未熟の種子を食べる)になるまで待つのもいいかと思ったが、
先週から、収穫した絹サヤは、少しずつだが、食卓に上げて味わっている。
植物など

アンテナショップを楽しむ

2010年05月16日
黄老師の中国語の授業は、午後、ほぼ月2回、2週間おきに催される。
前回の授業後の2週間をどう過ごしたか、どこそこに旅をしたとか、風邪をひいたとか、
話題は何でもいいのだが、数分間、各自、中国語で話さねばならないときがある。
私は、北京に行って来たSさんやロンドンから戻ったOさんの様に旅の話は出来ないし、
幸い、大きな病気もしないので、取り立てて話すこともなく困ることが多い。

いつだったか、銀座に行った後、偶々、2軒のアンテナショップに寄ったことがあった。
午後の授業で、そのアンテナショップの話をすることにしたのだが、アンテナショップは
何と言うのだろう。辞書には、「小売」とか「テスト販売」といった意味の中国語しか
載っていない。「小売」だけでは足りないし、「テスト販売」ともちょっと違う。
その両方を合わせたような店と言えばいいのだろうか。
「アンテナ」と名がつく以上、それとも微妙に違うような気がして迷った。

皆が、それぞれに「アンテナショップ」を説明しようとしたが、「中国にはそういった店は
ないと思う」ということで、老師にわかっていただけなかった。
私は、「もし、銀座に行く機会があれば、是非、アンテナショップをのぞいてみて下さい」と、
日本語で、話を終わらせてしまった。
この日、私が覗いたのは、銀座にある、沖縄と北海道のアンテナショップだった。
     沖縄と北海道
     「銀座わしたショップ」(沖縄)   「北海道どさんこプラザ」

アンテナショップの「アンテナ」は、様々な情報や流れを発信したり、探ったりするための
触手という意味。
各県の特産品や観光情報を扱う「アンテナショップ」は、各地の名産品が気軽に楽しめ、
旅気分も同時に味わえるということで、今秘かなブームになっているらしい。
ガイド付の「アンテナショップめぐり」のイベントがあるというから驚きだ。

最初に行ったアンテナショップは、1年前に開店した「おいしい山形プラザ」。
山形県は、ごんさんの単身赴任中、何度も訪れたので、私の「懐かしいふるさと」になった。
このプラザを訪れたのは夏。買いたいものはたくさんあったが、だだちゃ豆や庄内麩など、
嵩張らないものしか買わなかったと思う。

        山形
             「おいしい山形プラザ」 中央区銀座

先日、銀座を歩いていて、目に入ったのは、今年1月にオープンした「銀座めざマルシェ」。
「めざましテレビ」(フジテレビ)プロデュースによる、地下1階、地上13階の全国物産館。

    めざマルシェ
               「めざマルシェ」    中央区銀座 
         
アンテナショップは、有楽町や銀座周辺が圧倒的に多いが、先日、親戚の家を訪ねた折、
偶然、見つけたのは、戸越銀座商店街にある「JA全農あおもり」だった。
新鮮な生鮮食料品や農産物が並べられていたが、やはり、リンゴが目玉だった。
リンゴそのものは勿論、リンゴジュースにリンゴのお菓子などなど・・・。
普段、あまり飴など買わないのに、見参記念?にリンゴキャラメルを買って帰った。

 青森
    「JA全農あおもり アグリショップ東京店」     品川区平塚

アンテナショップに立ち寄るのは楽しい。旅先で土産物を選んでいるような気分を味わえる。
 
            新潟 
           「表参道 新潟館 ネスパス」  渋谷区神宮前
   
         いわき市
               「いわき・ら・ら」  港区新橋
旅・散策・イベント

再び引っ越した猫食堂 

2010年05月15日
ひと月前、2階のベランダから、1階の私の部屋の前に引っ越した「猫食堂」は、
5月になって再び、食堂前のウッドデッキの上に引っ越した。
そろそろ、蚊の季節がやって来る。ガラス戸を開け閉てする度に、蚊に侵入されて、
眠りについてから、襲撃されるのだけはご免蒙りたいと思って、食堂なら蚊に入られても、
何とかなるだろうと、早めの対策をとったのだが。

このところ、朝と夕、決まって食べに来る猫は、お腹が大きくなったミケ
昨年の夏、ミケの生んだクロシロも、ほぼ毎日来るようになった。
勿論、彼らはさいとうさんのところでも食べているようだが。

       ミケ

わが庭で生れた4匹は、食堂が移動しても面喰らうことはないだろうが、ほぼノラ猫である
ミケたちはどうだろうかと心配したが、少しずつ慣れて、今では、ガラス戸のすぐ近くまで
来るようになった。

             5.1  5.1
                  ウッドデッキの上に乗せた足は3本

       5.6 5.6
               ガラス戸の前で恐る恐る食べるミケ

           5.8 5.8
              ケシが食べ終わるのを待つミケ 

         ミケ 5.8

大人しく待つミケだが、食べ終わったケシとすれ違うとき、一旦、デッキから下りた。           
        
            番が来た
                   やっと番が来て
     いただきます
                          いただきま~す
動物など

ヤシの仲間たち

2010年05月14日
「亀の子束子」がパームヤシの繊維で作られていることを知り、また、シュロの繊維からは
シュロ束子が作られていることを知った。          (亀の子たわし

ワジュロ   ヤシ科 シュロ属 
         学名  Trachycarpus fortunei
         和名  和棕櫚
               ワジュロ 

中国湖北省からミャンマー北部まで分布。日本では、九州地方南部に自生している。
日本に産するヤシ科の植物ではもっとも耐寒性が強いため、東北地方まで栽培されている。

雌雄異株。幹は円柱形で、分岐せずに垂直に伸びる。大きいものでは樹高10m。
幹を包む「シュロ皮」と呼ばれる暗褐色の繊維は、腐りにくく伸縮性に富むため、
縄や敷物、箒などに加工される。
                  
トウジュロ   ヤシ科 シュロ属
          学名   Trachycarpus wagnerianus 
          和名   唐棕櫚
          原産   中国
                  トウジュロ 

中国大陸原産の帰化植物で、江戸時代の大名庭園には既に植栽されていた。
ワジュロよりも葉面が小さく、組織が固いため、葉の先端は垂れない。


オキナヤシ   ヤシ科 ワシントンヤシ属
           学名  Washingtonia filifera 
           和名  翁椰子 
           別名  ワシントンヤシ(華盛頓椰子) シラガヤシ(白髪椰子)
           原産  北アメリカ西部

   オキナヤシ  オキナヤシ
                       オキナヤシ       

日比谷公園でみたヤシは、樹高30mくらいあっただろうか。幹は太く、象の足のようだった。
オキナヤシという札が下っていた。葉が縁から垂下がり、老人の白髪のように見えるところから、
この名があるのだろう。

ヤシという名は、単子葉植物ヤシ科に属する植物を広く指して言う呼称。
大きいものでは30mにも達する。幹が太くなって木化するもの、茎が立ち上がらないものや、
草木並みの大きさのものもある。

熱帯地方を中心に約3500種あるが、日本で自生するのは、7種類といわれ、
温暖な地方では、街路樹として、小型種は、観葉植物として室内で栽培されたり、
大きなものは、幹は建材などになる。葉は屋根を葺くのにも用いられたりする。
ヤシの果実は、食用や薬用など、様々に利用されている。殻から活性炭なども作られる。

籐細工や家具などの材料となる、籐(とう)だが、ヤシ科だとは、今まで知らなかった。
ヤシ科トウ連に分類される約600種の植物の総称で、多くは蔓生だという。

わが家には、籐細工や籐家具が多い。私が子どもの頃から、縁側の座敷の前には、
大きな籐椅子とテーブル、茶の間の前には、2脚の籐椅子と円テーブルが置いてあった。
父は、知合いに紹介された「ヤマカワラタン」(当時 大田区池上にあった店)で、ほとんどの籐家具を
調達していたように思う。

    旧宅の縁側
             旧宅の縁側に置かれていた籐椅子と円卓         

20年前の旧宅の解体をくぐりぬけた籐椅子たちは、半世紀経った今も現役。
表面はだいぶ草臥れているが、ビクともしない。
父が、どこかの家具屋で買った、比較的新しい籐の応接セットは、娘のところに行ったが、
2脚の小さい籐椅子と円卓は私の部屋に、大きい籐椅子は1階と2階に置いて愛用している。
植物など

100歳の「亀の子たわし」

2010年05月13日
いつ、何処で買ったのか忘れたが、わが家の台所に「亀の子束子(たわし)」が1つある。
わが家の食器洗いは、食洗器に入れる前に、スポンジで簡単に汚れを落とすだけ、
鍋を焦付かせたときには、金属製のたわしでこすり落とす。そんなわけで、この束子の
出番はなく、昔から変わらない黄色の紙に包まれたまま、棚の奥に納まっている。

この「亀の子束子」は、パームヤシの繊維を、ねじった針金に挟んで固定し、毛先を揃えて
楕円形に成型したもので、水に強く、耐久性に優れている。
北区滝野川にある古い洋館社屋の西尾商店は、創業100年を誇る元祖メーカー。
初代の正左衛門は、妻がシュロの束を折り曲げて掃除するのを見て思いついたという。
亀の形に似ているし、水に縁があることから、「亀の子束子」の名がついたのだとか。
明治から平成へと、同じ名前、同じ形、同じ品質で、現在も年間600万個を製造し、
30ヶ国へ輸出される、ロングセラー商品だそうだ。
 
束子束子

あまり「亀の子」には見えない、長目の「亀の子束子」は、植木鉢の泥を落とすときなど、
庭で重宝している。カラフルなブラシや金属製のシャベルなどと違い、褐色の自然素材なので、
庭の隅に転がっていても目障りではないのがいい。

シュロ製の束子や箒もある。シュロも同じヤシ科の高木だが、パームヤシより細く柔らかい
繊維なので、食器なども傷つきにくい。「亀の子束子」(300円前後)より、少し高目だが。

シュロで思い出したが、先月、「国立科学博物館付属自然教育園」(港区)に行ったとき、
雑木林の中に、アオキ、ヤツデ、そして、シュロの樹がやたらに多いと感じた。

シュロはヤシの仲間だが、耐寒性に優れ、成木は-12℃でも生きられるというが、
昔の東京の冬は寒く、実生(種から芽生えた苗)が冬を越すことはなかったそうだ。
その後、ヒートアイランド現象で東京の冬の気温が上がるなど、シュロの実生が増える、
有利な条件になったようだ。

大分前になるが、旧宅の庭でも同じようなことが起こっていた。
玄関前には大きなシュロが数本植えられていたが、庭のあちこちに、実生で増えたのか、
数メートルになったシュロがあったし、アオキやヤツデにしても増える一方だった。
「庭が荒れてくると、アオキやヤツデが増えるんですよ」と、出入りの植木屋さんに
聞いたことがあった。
      自然教育園
         「落葉樹から常緑樹の森へ」

東京のほぼ真中に位置しながら、かつての武蔵野の豊かな自然が、そのまま残されている
「自然教育園」は、言い換えれば、人の手を加えない自然林のモデルということになるが、
園内のブナやナラなどの落葉樹の林は、シイやタブなどの照葉樹林へと移っているそうだ。
東京の緑は、そのうち、シュロやヤシなどの亜熱帯の林になるのだろうか。
シュロの箒や束子も必要だが、やはり、私は武蔵野の雑木林を歩きたいと思う。
つれづれ

みどりの中のコンサート

2010年05月12日
今年のゴールデンウィークは晴天つづきだったが、これは25年ぶりのことらしい。
4日のみどりの日、久しぶりに日比谷公園に出かけた。
実をいうと、前日、新橋で用を済ませ、この公園まで歩いてみたが、園内がえらく騒がしい。
憲法記念日だった。公園の入口には、機動隊員が立ち、公会堂の前で集会が行われていた。

せっかくここまで来たからと思い、園内に入ると、野外小音楽堂からジャズが聞こえてきた。
近づいてみると、「ゴールデンウィーク コンサート」のポスターがあり、この日はジャズ、
4日はオカリナ、5日は都立高校の吹奏楽の演奏があるということだった。
そこで、改めて4日の日に、オカリナ演奏を聞きに出かけたというわけだ。

因みに、野外小音楽堂は、東京警視庁音楽隊(水曜)や東京消防庁音楽隊(金曜)によって、
お昼に「都民の集い」コンサートが開かれているなど、催事は大音楽堂と違って全て無料。


EAST木村「地球環境エコ コンサート」      
    野外小音楽堂
               みどりの中の「野外小音楽堂」   (1075席)

「四季をめぐり 地球を旅するオカリナストーリー」のコンサートは、EAST木村氏のオカリナに、
ピアノ、ギター、大太鼓、ベース、シンセサイザーなども加わって、次々に演奏された曲は、
自然や人間とのかかわり、 そして心の原風景からインスピレーションを得たものだという。
「つばめの挨拶」「春の風」「朝日の前で」「水との旅」などなど。

      野外小音楽堂
            大太鼓も加わっての「朝日の前に」の演奏  
   
    オカリナ演奏 プログラム

芽吹いて間もないケヤキの葉の隙間からは、わずかに青い空が覗き、陽の光が降り注ぐ。
ちょうど緑の天井に覆われているかのようだった。
椅子に置いたプログラムの上に、パラパラと可愛らしい樹の花が散り落ちて来る。

        コーラス
              芸大院生たちによる「アベ マリア」

後半は、ヴォーカルやダンス。
舞台の背景は、萌黄色のプラタナスと、3段に水を噴き上げる大噴水。  
新緑の中で、心が洗われる、そんな1時間半だった。

       噴水

音楽堂を後にして、公会堂の向こうに聳える高層ビルを見るまで、自分が都心にいることを
すっかり忘れていた。
旅・散策・イベント

猫のそっくりさん Ⅱ

2010年05月11日
今月1日、わが庭で生れたアミトラ姉妹は、満2歳になった。
 
  アミ トラ          
             アミ                         トラ
            
   アミ風   トラ風
           アミに似た猫                    トラに似た猫

街を歩いていると、わが庭の猫アミトラ、今年11月に3歳になる姉のクク
よく似た猫を見かける。昨年もアミククに似た猫たちには出会ったが、
兄のケシに似た猫には、なぜか、お目にかかれなかった。       (猫のそっくりさん

クク クク風
          姉のクク                        ククに似た猫 

   ボス    ボス風 
           親戚猫ボス                    ボスに似た猫

   ケロちゃん    ケロちゃん風 
         ご近所猫ケロちゃん               ケロちゃんに似た猫
動物など

りんりんの課外学習

2010年05月10日
りんりんは、小学校の生活にもすっかり慣れて、毎日、元気に登校している。
だが、「忘れ物が多くて!」と、母親は呆れている。傘、体操着を持ち帰るのを忘れたなどは
ともかく、ランドセルを学校に置いて帰宅したという、信じ難い大忘れをしたこともあったとか。
「そういう貴女はどうだった? 貴女に似たのかも・・・」と、娘に言いたかったのだが。

春休み、福島県の野口英世の生家に行き、英世が左手に火傷をした囲炉裏や決意を刻んだ
床柱などを見て、感激したりんりんだが、ゴールデンウィークには、京都に行った。
坂本龍馬が逗留した酢屋や寺田屋のほか、龍馬のお墓なども訪ねたとか。
「ほんとうは、西郷隆盛の生れたところに行きたかったんだけどね」と話してくれた。
上野にある、西郷さんや野口英世の銅像なら、「今度、見せてあげる」と約束できたのだが。

    野口英世像上野公園  台東区     
      野口英世像 (高さ4.5m)  
                                漱石像
                                 漱石公園   新宿区
                  
とにかく、日本の歴史人物伝や歴史の本に夢中になっていた春休みだった。
「ヨネヤマさんがソウセキに、百年、千年ヨミツガレル本を書きなさいと言ったんだよ」。
彼の愛読書「日本の歴史人物事典」の何頁かに載っている話らしいが、米山さんって?
誰にもわからなかった人物だったが、その後、りんりんと早稲田夏目坂のお寺に墓参後、
立ち寄った「漱石公園」でもらった小冊子「漱石山房秋冬~漱石をめぐる人々~」を見て、
ヨネヤマさんが判明した。
ヨネヤマさんとは、漱石と東京帝国大学の同窓であった、哲学者米山保三郎のことのようだ。

最近の彼は、言葉や漢字もどんどん吸収するが、時に、覚え違いをすることもあるようだ。
彼がわが家に1泊した翌朝、帰る準備をしていたときだった。
思わず笑ってしまったのは、「ジュンビ マンタン!」。
どうやら、「準備万端」のつもりらしいが、「準備満タン!」でも通用しそうな感じだ。

「?ック ??ック~~~」と歌いながら、リュックを背負ってはしゃぐりんりん。 
「今、なんていってたの?」ときくと、「リュックっていってたの! そう聞こえなかった?」
「う~ん」と答えられずにいると、「耳の中では何て聞こえたの?」と。

「あ~あ 勇気がパンクした~」は、何のときだったか、やる気が失せたときに発した言葉だ。
彼の頭や心の中には、いろいろな袋があるのだろう。パンクした勇気の袋もすぐに膨らみ、
好奇心や優しさがいっぱい詰まった袋は、どんどん大きくなっていくことだろう。
そうそう、彼には、落着きや根気の袋も必要かもしれない。
       
諺や四字成語にも興味を示す。今年になって、彼宛に、諺や成語の意味と使い方を書いた
葉書を何枚か出している。「猫の手も借りたい」「猫に小判」「宝のもちぐされ」「時は金なり」
「油断大敵」「一長一短」などだ。

        葉書

「時は金なり」の時計は、都内最古の木造駅舎とされる原宿駅の時計の写真を使った。
「猫に小判」「猫のひたい」「猫の手も借りたい」は、モデルに事欠かないが、
ちょうどいい画像を探すのが思ったより大変で、このところ、中断している。
次は、「急がば回れ」にしようと思っているのだが・・・。
身近な人びと

母の日に思う

2010年05月09日
今日5月第2日曜日は「母の日」。
20世紀初め、アメリカで生れた「母の日」は、母への日頃の感謝を表す日として、
世界中で親しまれている。アメリカ、日本、中国などでは、5月の第2日曜日だが、
ロシアのように11月最終日曜日という国もあるように、マチマチのようだ。

先月、孫りんりんとコンビニへ行った折、「おかあさんの似顔絵」を描く用紙をもらった。
描いた絵は、母の日が終わるまで、店内に展示されるということだった。
数日後、彼が描いた絵を、特製の「母の日チョコレート(非売品)」に引換えた。
「おかあさん ありがとう!」と印字されたパッケージの裏側には、おかあさんへ
メッセージを書くスペースと、2枚の「おてつだい券」がついていた。
りんりんは、どんなお手伝いをするだろうか。
        
        チョコレート
そういえば、私が子どもの頃、「お手伝い券」を発行して、安上がりな「母の日」の
プレゼントにしたことがあった。
券を何種類も発行したが、果たして、お手伝いを実行したかどうか、よく覚えていない。

先日、『日本一短い「母」への手紙 一筆啓上』という本をブックオフで(¥105)買った。
これは、福井県丸岡町が町興しのために募集した「一筆啓上」に寄せられた32万通
余りの中から、230篇を選んで本にしたもので、ベストセラーになり、映画化もされた。

なぜ、「一筆啓上」というタイトルなのか? どうやら、日本で最も古い天守閣を持つ、
丸岡城に、「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の碑が立っているからだとか。
徳川家康の家臣、本多作左衛門重次が、陣中から妻に宛てて送った手紙で、お仙とは、
のちの越前丸岡城城主本多成重のこと。

「おふくろ、死ぬなよ。いいと言うまで死ぬなよ。親孝行が全部終わるまで死ぬなよ」
これは特別賞の1つだが、「お母さん」「母さん」「母ちゃん」「おふくろ」など、
呼びかけで始まる手紙も多い。
「おふくろ」の語源は、貴重品を管理した「袋」からとか、子宮などに結び付ける説、
母親の「ふところ」がつまって「おふくろ」になったという説など、諸説ある。

           「日本一短い手紙」pg

実は、『日本一短い手紙』を見つけた後、同じ「105円コーナー」で『フシギな日本語』を
買って帰った。著者は、東京出身の韓国人作家イ・ヨンヒ(李 寧煕)
彼女によれば、例えば、「おふくろ」「くわばら」「どろぼう」など、何故そう呼ばれるのか
わからない、不思議な日本語はたくさんあるという。また、音でも訓でもない、全く違う
読み方で呼ばれる漢字語、例えば、「飛鳥(あすか)」「紙縒り(こより)」などもそうだ。
字の意味だけに縛られていると、語原はわからないまま。
一応、韓国語から来たのではと、疑ってみると、謎が解けることがあるそうだ。

「おふくろ」は、ただの「母」ではなく、「懐かしき母」という意味なのだという。
「おふくろ」の「おふ」は、オボ(親)。韓国語の「ボ」や「ブ」は日本で「f」音に変わる。
「くろ」は、古代韓国語の「グロ」。これは「懐かしい」「描く」という意味。
つまり、「おふくろ」は、「懐かしい親」「心に描く親」の意の韓国古語が日本音化された
言葉なのだという。これが、「母」の意に凝縮されてきたのは、「お袋」が男性用語だからで、
故郷を遠く離れ出稼ぎに出るのはたいてい男たち、男が酒を飲んで思い出すのは
おやじでなくて「お袋」らしいのだ。

そういえば、母の好きだった花とちょっといいお線香を持って「母の日参り」をするという、
お線香のCMがあったが、「父の日参り」のCMは、どうだろうか。どうもしっくり来ない。
幸い、ごんさんも私も、すぐ傍に「母」たちがいてくれる。

私の母の俳句から
         返り花老母の唇(くち)に粥の匙

         父の忌に母逝きにけり石蕗(つわ)の花
    
         椿咲く吾子にゆづりし母てふ名 


私が6歳のとき、祖父が逝った。
祖母は、私が「母」になる4か月前、曾孫を抱くことなく逝ってしまった。
りんりんが生れ、「母」の名を娘にゆずってから、早いもので、6年になる。
つれづれ

「坂の上のけやき公園」

2010年05月08日
杉並区西荻の住民たちにトトロの樹」と呼ばれて親しまれてきたケヤキの大木がある。
先月、「阿佐ヶ谷(杉並区)の孫の子守に行く機会があれば、ちょいと足を伸ばして、
このトトロの樹に逢って来よう」と書いた矢先、1歳のあいあいが肺炎で緊急入院した。

退院までの1週間、息子夫婦は出勤をやり繰りしながら、昼間は父親が付き添い、
夜は母親が泊まりこむといった具合に、小児科の付き添い部屋に交替で詰めた。
病院が家から近いのはいいが、幼児は病室に入れないため、姉のゆうゆうは
昼間は保育園、夜は父親と家で過ごすという生活が5日間つづいた。

入院から2日後、付き添いを手伝うため、病院に行くことになったが、その前に、
トトロの樹がある杉並区立「坂の上のけやき公園」に寄ることにした。
京王井の頭線吉祥寺駅からバスに乗り、西荻北4丁目で下りると、公園まではすぐだった。

       ケヤキ公園
            トトロの樹がある「坂の上のケヤキ公園」

想像していた以上に、堂々とした風格のあるケヤキだ。枝を自由に伸ばしていた。
これまで、巨樹といわれる、23区内のケヤキをいくつも見たが、これほどまで
素直な、そして優しい感じがするケヤキに出逢ったのは初めてだった。
新緑の若葉に包まれたケヤキは、住民たちのお陰で、命拾いしたことを喜んでいた。

先月、坂の上のこの地は、住民たちの「トトロの樹」保存運動が実を結んで、
公園として生まれ変わったのだ。              (杉並区に多いケヤキ」)   
公園の入口に立てられた石版には、「みんなの想い」が記されている。
『この見事なけやきは地域の多くの方々の協力により残され、けやきが主役の公園を
地域の住民が中心となって育んでおります。地域のシンボルとしてみんなに親しまれている
けやきは自然樹形を保ちながら、その姿を守り育てています。今後もそのために住民と
行政が互いの役割を担いながら、より良い公園を目指していきます。平成二十二年四月』

保存運動の署名簿、この話題が掲載された新聞の切り抜きなど、住民の思いが詰まった
タイムカプセルが、園名を記した石の脇にある花壇の下に埋められたという。

      ケヤキ
        樹高約19m、幹周り5.5m 樹齢90年を超える欅

トトロの樹と別れて、JR西荻窪駅まで歩き、中央総武線で2駅目、阿佐ヶ谷で下りた。
夫婦が仕事を持ちながらの子育ては大変だが、何とか彼らの子育てを手伝えることに
感謝しながら、旧けやき屋敷の脇の道を通って病院へ向かった。
まだ、熱が下がりきらないあいあいを少しの間、抱いて、病室の窓から見える欅を見せた。
       欅とカラス
                   カラスが止るケヤキ  

阿佐ヶ谷駅に着いたのは5時。まだ、明るかった。いつの間にか、随分と日が伸びたものだ。        
身近な人びと

現代でも身近な「般若心経」

2010年05月07日
「般若心経」への関心は、一向に衰えることなく、静かなブームになっている。
解説本が何種類も書店に並んでいるし、自宅でも写経できるように写経用の用紙が
売られていたり、パソコンでダウンロードできたりして、写経したものをお寺に
奉納することが出来るようになった。
写経をする人も、お年寄りだけでなく、30代まで裾野が広がってきているという。

以前、母に「般若心経」の写経を勧めたが、取りかかった気配はまったくなかった。
どうやら、母は「写経は筆でするもの」と思いこんでいるようで、面倒だったのだろう。
故F先生は、レポート用紙に万年筆で写経をされていた。(F先生 万年筆で写経
F先生のように万年筆でも、ボールペンでも、形に捉われることはないと思うのだが・・・。

      写経用紙
             「般若心経」お手本と写経用紙

本文わずか260文字の小さな経典「般若心経」が、日本人の間で最も人気があるのは、
今に始まったことではないようだ。
江戸時代には、「習ったお経は心経に観音経」といわれるほど、人々の間で広まっていて、
文字を読めない人々のために、読み方を絵で表した「絵心経」も作られたという。
元禄年間、現在の岩手県二戸郡の八幡源右衛門という人が、文字の読めない人向けに創作し、
諸国に伝播されブームとなったといわれる。文字が読める人たちも、判じ物的に楽しんだとか。
   
   めくら般若心経
                「盛岡版 めくら般若心経」 
       摩訶般若波羅密多心経 観自在菩薩 行深般若波羅密多時 ・・・

父が亡くなって、書棚の上にあった「盛岡 めくら般若心経」(舞田屋版)を見つけた。
この初版は、天保年間(1830年代)。藩内随一の城下町、盛岡は、文化の程度も高く、
文字の読めない人々だけを対象にしたとは思われず、この盛岡系の般若心経は、
絵文字というより、判じ絵として、一種の読み物とされていたようだと、解説にある。

例えば、優れたという意味の「摩訶」(マカ)は釜の絵を逆さに、「般若」は般若の面、
「波羅」はメタボのお腹、「行深」は行司と「ん」で表すなど、見ていて飽きない。
短いお経とはいえ、よく、このような絵を思い付き、描いたものだと感心してしまう。
この時代の人々は、意味はともかく、音を覚えようとしたのだろう。

  絵文字解
因みに、アマゾンで見てみると、「盛岡めくら般若心経 舞田屋版」(1973年版)は、
8万円以上の値がついている。 
わが家にあるものは、箱にシミが出てはいるが、それほど古いものではないのだろう。
お経をあげている父の姿は勿論のこと、仏壇の前の父を見たこともないので、これは推測に
過ぎないのだが、父が盛岡に研究調査に訪れた時、記念に頂いたものではないだろうか。

禅僧であり小説家でもある、玄侑宗久氏は、「般若心経」について、
いきなり解釈を勉強したり写経から始めるより、まず何も考えずにひたすら唱え、
丸暗記することを薦めている。
丸暗記したお経を、わき目も振らず唱えることで、三昧、つまり、坐禅と同じような
瞑想状態に入ることができる。思考や感情が止まり、聴覚や視覚などの感覚だけが
研ぎ澄まされる状態になる」
という。脳が活性化することも証明されている。

玄侑氏によれば、最後の「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」は、
「ぎゃあ」「てえ」「ぎゃあ」「てえ」「はら」「そお」「ぎゃあ」「てえ」…と、「あー」や「おー」の響きで
心を落ち着け、目に見えない世界への広がりを意識し、そして「え」の音で跳ね返るような
勢いをつけるような気がする
のだそうだ。
音の響きの効果が探求されたあげく、選び抜かれた音によって構成されているのだという。
インドの宗教家は、音の力をとことん知っていたのだろうとも。

「般若心経」の長さは、暗記するのに丁度よい長さだという。あまり長過ぎると覚えられず、
短過ぎるお経だと、今度は暗誦中の緊張感が薄れ、なかなか三昧になりきれない。
 
玄侑氏は、「般若心経」を朝晩1回ずつ唱えれば、ほとんどの人は49日までに暗記できると、
親族を亡くされた家族に薦めておられるとのことだ。
この話を聞いて始めた、私の「般若心経」の暗記は、大分前から、前半でストップしたままだ。
これでは、三昧の境地どころか、脳の活性化も無理だろうから、近いうちに再開したい。
つれづれ

玉川上水 笹塚付近

2010年05月06日
1年前、美大生Hさんの卒業制作展を見に行ったとき、鷹の台駅(西武国分寺線)まで
玉川上水沿いの道を30分ほど歩いたことがあった。  (玉川上水から多摩川へ

玉川上水は、かつて江戸市中へ飲料水を供給していた、江戸の六上水の1つ。
工事を請け負った「玉川兄弟」像が立つ、羽村取水堰(羽村市)から、武蔵野台地を流れて
四谷大木戸(現在の四谷四丁目交差点付近)に付設された「水番所」を経て市中へと
配水されていた。
江戸の飲料水の貴重な水源であり、露天部分には見張りのための番小屋が設置され、
付近の住民による放尿や生活排水の投棄など、汚染がなされないように、役人が厳重に
取り締まっていたという。 (Wikipedia)

現在、久我山駅(井の頭線)近くの「浅間橋」より下流は、水路がほとんど残っていないため、
「浅間橋」を玉川上水の終点とする地図もある。実際、随分昔に買った「武蔵野の雑木林が
残る全長30kmの史跡緑道 玉川上水散策地図」には、「羽村の堰」より31.5km、
「浅間橋アト ここから先 暗渠となる」と書かれていた。

この「絵図」が、頭のどこかにあったのだろう。先日、笹塚駅(京王線)近くで見た流れが
「玉川上水」だと知って、不思議な感じがした。
笹塚駅前の遊歩道をのぞいた、環七付近の「稲荷橋」から「笹塚橋」までの約500mは、
暗渠化を免れている。 以前、鷹の台付近で見た、風景を思い出した。
付近の地層から地下水が湧き出して、流れはほとんどないものの、水を湛えていた。

稲荷橋~第二号橋  
       渋谷区
                         鴨や亀の姿も見える         
    渋谷区          
       川沿いの製薬会社

川沿いを歩いていると、「たこの吸い出し」という看板が眼に入った。聞いたことがあるような、
ないような・・・。横に回ってみると、「たこの吸い出し本舗 町田製薬株式会社」とあった。
大正2年創業の製薬会社で、「たこの吸出し」は、おできに塗って膿を吸い出す薬だという。

第三号橋~笹塚橋 渋谷区   
    渋谷区笹塚

駅前の遊歩道を過ぎると、「玉川上水」の看板(渋谷区教育委員会)が立ち、水が現れる。
両脇の道を200mほど行くと、再び、水は消え、広い遊歩道がつづく。

玉川上水緑道   世田谷区
  世田谷区

玉川上水旧水路緑道  渋谷区
     渋谷区
      「北澤橋」の親柱       「起点0メートル」

バス通り(都道420号)を横断すると、渋谷区の旧水路緑道に入る。

こうして、玉川上水は渋谷区と世田谷区を縫うように進み、開渠部分と暗渠部分が交互する。
世田谷区内では、玉川上水緑道、渋谷区内では、玉川上水旧水路緑道と呼ばれているようだ。
旅・散策・イベント

子ども自身が作る「弁当の日」

2010年05月05日
今日は24節気の1つ、立夏。 夏の気配が現われて来る頃。
「こどもの日」、端午の節句でもある。

       昭和のくらし博物館
               5月の「昭和のくらし博物館」
     
最近、会社での昼食は、自宅から持参した弁当という人が、随分多くなったそうで、
その数は、外食や中食(店で購入した弁当や軽食)がメインの人と比べ4倍近くになるとか。
「弁当男子」という言葉も生れたように、自分で弁当を作って会社に持って行く独身男性も
増えたという。「エコ」「健康」「節約」が弁当持参のキーワードでもあるようだ。

         ランチボックスのコーナー
            電子レンジでも使えるランチボックスも  
         
昨今は、家に包丁がなかったり、お茶はペットボトル入りだと思っている子がいたりする。
そこで、子どもがだれの手も借りず、自分でおかずを考え、自分で調理したお弁当を、
全員が学校に持ち寄って、お昼に皆で食べる、「弁当の日」という行事が考えられた。
これは、2001年、香川県の竹下先生が、当時、勤務先の小学校で始めた取組みで、
小学校高学年の児童生徒を対象に、年に数回実施されていたそうだが、
全国に広がりを見せて、現在、約600校以上の学校で実施されているとのことだ。
「自分のための弁当を、自分で作る」を発展させて、「自分の大切な人のために、
弁当を作る」経験をした子どもたちは、子どもたち自身が変わり、学校が変わったという。

竹下先生の考える「弁当の日」には、3つの約束事がある。
まず、子どもだけで作り、親は絶対に手伝わないこと。
献立作りから片づけまでを1人でやることで、多くの人のお陰で、お弁当を作ることが
できると気づくのだそうだ。それを、「自立」と呼び、弁当の日の目的に掲げている。
次に、小学校5、6年生が対象。弁当づくりの基礎的な知識と技術を教えるための
家庭科の授業が、5、6年生にしかないためだとか。
そして、月1回、年に5回実施すること。

「料理とは食材の命に自分の命を和えること」で、「お母さんが30分かけて作った料理は、
お母さんの30分分の命が入っている」と、竹下先生は考える。
子どもたちは無意識のうちに、その思いを受け止めているのだそうだ。
「大切な人のために、食事づくりの時間を割く」ことで、「食」に興味を持つようになる。
感性は磨かれ、人に喜ばれることが快く感じられ、物事を感謝の気持ちで受けとめられる。
これが、まさに「食育」なのだろう。
     
     小学校
                      大田区の小学校

りんりんが、「おかあさんありがとう」のカードに書き入れたメッセージは、
「いつもごはんつくってくれて ありがとう」だった。
給食方式の幼稚園もあるが、りんりんが通った幼稚園は、お弁当持参の決まりだった。
りんりんのママは、この3年間、彼のお弁当づくりを面倒に思うときもあっただろうが、
毎回、空っぽになったお弁当箱をみる度に嬉しかったに違いない。
何しろ、お米が食べられない子がいたり、あれは嫌い、これは苦手といった、好き嫌いが
激しい子どもたちも多いそうだから、1粒も残さない完食には、「ありがとう」と言いたい。

そのうち、りんりんが、私にも美味しいお弁当を作ってくれる、そんな日が来るかもしれない。
それまで、元気でいたいと思うのだが。
つれづれ

杉並区に多いケヤキ

2010年05月04日
今日は「みどりの日」。

先月、杉並区西荻の坂上に、「区立坂の上のけやき公園」が、開園したという。
ここには、「トトロの樹」として地域住民に親しまれた、ケヤキの大木が活かされている。
樹齢90年を超えるケヤキの巨樹(樹高約19m、幹周り5.5m)は、区指定の「貴重木」に
選ばれていたが、2年前、マンションの建設計画が浮上し、伐採されそうになった。
しかし、地元住民を中心として、熱心な保存を求める署名運動が展開され、その結果、
この土地を区が買い取って公園として整備することになった。開園式では、保全を求めた
署名簿など、地域の人々の思いが詰まったタイムカプセルが埋められたそうだ。

以前から、杉並区には、杉ではなく、ケヤキの樹が多く、また、ケヤキという名がついた
クリニック、歯科医院、整体治療院、レストランなどが多いと感じていた。
そもそも、杉並区の地名のおこりは、江戸時代の初め、領地の境界のしるしとして、
青梅街道に沿って植えられた、杉並木に始まるという。
この杉並木は明治以前になくなってしまったが、その後「杉並」の名は村名として採用され、
町名、さらに区名となって現在に至っているのだとか。

私が、孫の子守によく行く、杉並区の阿佐ヶ谷は、実にケヤキが多い街だと思う。
中央線の車窓から「阿佐ヶ谷けやき公園」の木立が目に入る。この公園にはプールもある。
阿佐ヶ谷駅の改札口を出ると、まず目に入るのが、中杉通りのケヤキ並木で、
この並木は、北は早稲田通り、南は青梅街道の杉並区役所までつづいている。
同じ日に撮った2枚の写真を較べてみると、今年のケヤキの芽吹きは随分と遅いようだ。
  
    2009.4と2010.4
                   2009.4.22                 2010.4.22

阿佐ヶ谷駅のすぐ近くに、都指定の旧跡「ケヤキ屋敷」がある。
ここは、旧阿佐ヶ谷村名主の屋敷跡で、防風林として、樹齢400余年、樹高40mのケヤキが
40本ほど植えられていたが、空襲で大半が焼けてしまい、今では10数本残るだけだという。
建物は、上段の間を備えた母屋と書院。馬小屋などを持つ、典型的な名主屋敷だったとのこと。

   けやき屋敷

2年前まで、息子一家が、この「ケヤキ屋敷」の近くに住んでいたので、よくこの横を通った。
駅のすぐそばにありながら、ひっそりと静かな空間。敷地の中に入ることはできないが、
隣接する「阿佐ヶ谷神明宮」と共に、傍を通るだけで、心が洗われるような気がした。
最近は、あいあいのお宮参り、ゆうゆうの七五三のお祝いで神明宮にお参りしたときに、
寄って以来、縁遠くなってしまった。

孫を保育園に迎えに行くとき、たまに、少し寄り道をすることがあるが、そんなとき、
思いがけず、ケヤキの大木に出会うことがある。
そういえば、秋に運動会をする保育園の隣の公園にも、大きなケヤキがあった。
今度、孫の子守に行くことがあったら、少し足を伸ばして、西荻の「トトロの樹」にも
逢って来ようと思っている。
植物など

「ハナ ハト マメ マス」

2010年05月03日
今日は「憲法記念日」。
「日本国憲法」が昭和22年に施行されてから63年を経たことになる。

昔の小学国語の教科書が「ハナ ハト マメ マス」で始まっていたと聞いたことがある。
大正6年発行の「尋常小学 國語讀本 巻一」。 桜花の絵が描かれた、1頁目は「ハナ」。
2頁目「ハト マメ マス」、3頁目「ミノ カサ カラカサ」とつづく。

大正6年(1918年)といえば、私の父が生れた年だ。
父が遺した自伝によれば、佐賀県鳥栖町(鳥栖市)に生れた父は11人兄弟の7番目の3男。
戦前は多子家庭が多かったが、それでも11人兄弟というのは珍しかったようだ。
大正14年の、家の前に勢ぞろいした家族写真をみると、末っ子の叔母はまだ生れていない。
父は、絣の着物に短い袴、下駄を履いている。大正13年、尋常高等小学校尋常科に入学と
あるから、写真の姿は小学2年生。この「尋常小学 國語讀本」を使って勉強したていのだろう。

当時は、3種類の小学校があったという。6年の義務教育を行う「尋常小学校」、ここを終了後、
更に2年以上の教育を行う「高等小学校」、この2つを併設する「尋常高等小学校」。
大正末期には全体の約7割が「尋常高等小学校」だったようだが、町で唯一の小学校は、
町はずれにあるため、毎日4㎞歩いて通ったという。

       大正6年
         大正六年発行「尋常小学 國語讀本」の1頁と最終54頁 
             著作兼発行 文部省  臨時定価金 7銭
 
これより以前、明治42年(1909年)に発行された国語教科書は、定価6銭。
1頁目は「ハタ」、2頁は「タコ コマ」。3頁が「ハト マメ」。

父の書棚に残っていたのは、「尋常小学 國語讀本 巻一」(明治42年と大正6年)、
「尋常小学唱歌」(明治44年と昭和6年)、「尋常小学修身書 児童用」の5冊で、これらは、
大正・昭和初期の一年生の使用教科書の復刻版として、昭和60年に発売されたものだ。 
    
     3冊 復刻版の教科書
        大正6年の国語 明治42年の国語 明治43年の修身 (A5版)

明治43年発行の「尋常小学修身書」のモクロクを見ると、「ヨク マナビ ヨク アソベ」
「ジコク ヲ マモレ」「ウソ ヲ イフ ナ」などの18項目が絵入りで載っている。
「テンノウヘイカ」「チュウギ」などという項目があったり、絵に登場する子どもたちが
袴姿や下駄履きというのが、如何にも大正・昭和初期の教科書だ。先生は背広姿。
因みに、大正7年版にも着物に下駄の子どもたちが登場している。
 
   現在の教科書 

再び、父の記録によれば、修身、国語(読方・書方・綴方)、算術、国史、地理、理科、図画、
唱歌、体操、裁縫、手工の11科目があり、理科と裁縫は4年から、国史と地理は5年から。
文部省が重要視したのは、修身と国史だったという。
灰白色の表紙はともかく、紙質が良くなかったので、よく唾をつけてめくったのだそうだ。

最近の国語の教科書(大田区立小学校採用)は、B5版のカラフルな教科書で、
「こくご」と「しょしゃ(書写)」に分かれている。
「1年生 上」の最初の頁は、「はる」という詩で始まる。2頁から4頁はすべて春の花の中を
登校する小学1年生たちが描かれている。

教科書後半になると「大きなかぶ」の話があり、「大」や「犬」という漢字が出てくる。
ほとんどの子どもは、入学時には、既にひらがなが書けるようになっているという。
私自身はどうだったのだろう。教科書についても、表紙も内容もまったく覚えていない。
つれづれ

多様化するお米の食べ方

2010年05月02日
今日は八十八夜。
立春から数えて88日目のことで、「八十八夜」と呼ぶようになったのは、江戸時代のこと。

春から夏への季節の変わり目にあたり、「八十八」という文字を組み合わせると「米」になる
こともあって、この日は農村の人々にとって特別な日で、苗代作りや種籾おろしなどの
農作業にとりかかったという。
東北地方を中心に、この日に豊作を願う祈願祭や祈祷、占いなどの行事も行われてきたという。
また、童謡「茶摘み」にあるように、お茶農家にとっても大切な時期にあたる。

ファーストフード店やコンビニで、ライスバーガーなるバンズ型のオニギリを見かけるが、
これは、バンズの部分にパンではなく米飯を使ったもので、オニギリと違うのは、
ご飯を丸く固めて焼き、キンピラ、かき揚げ、焼き肉など和風の具材をたっぷりと挟んである。
因みに、1978年、モスバーガーが発売した「ライスバーガーシリーズ」が最初だとか。

        ライスバーガー
          きんぴらライスバーガー(サンプル) モスバーガー

米粉を使ったパンやラーメン、ピザなども増えている。
いつだったか、山手線の車内でトレインチャンネル(映像広告)を見ていたら、「モチモチ」の
新食感を強調した、米粉ラーメンと米粉ピザを美味しそうに食べている場面があった。

先日、港区の月刊広報誌「Kiss ポート」をたまたま手にとったら、連載講座「米粉道場」の
「米粉の種類」として、家庭で作れる米粉、種類によって使い分ける方法、そして、
米粉で作るてんぷらの作り方が載っていた。

「モチモチ」の食感を強調した、米粉入りのバンズの広告もよく見かけるようになった。

           米粉入り
             モチモチバンズの広告   マクドナルド

先月末、スケッチの日のランチは、月島(中央区)のもんじゃ焼きと決まり、
6人で、もんじゃストリートと呼ばれる西仲通りの1軒の店に入った。
以前、来たとき、このストリートは、修学旅行生であふれていたが、この日は日曜日のせいか、
家族連れが多かった。

もんじゃ焼きを2種類頼んだが、最初の「明太子もちチーズ」は、チーズとお餅がとけて、
明太子の辛さと切りイカの香ばしさが加わって、もっちりした不思議な食感で、美味しかった。
慣れた客は、自分たちで焼いていたが、我々は店の人に頼んで焼いてもらった。
鮮やかなヘラ?さばきを眺め、出来上がったもんじゃ焼をフウフウいいながらいただいた。

       餅入りもんじゃ
                  もんじゃ焼き

月島駅で解散後、少し時間があったので、Yさんと港区白金台にある、自然教育園
国立科学博物館付属)に寄った。
萌黄色、若葉色の樹々が鮮やかな小路を歩き、思わぬ森林浴ができた。
サンキライの小さな花を初めて見つけたときは、嬉しかった。あの透き通る翡翠色の実が
なるのは、まだ先だろう。
昨年、本画のモデルになってくれた、水生植物園の野いばらは、小さな蕾をたくさんつけていた。
今年こそ、白い花が咲いているときに描きに行きたいと思っている。
つれづれ
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