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夏越の祓

2010年06月30日
今日で6月も終る。1年の折り返し点にあたる今日、多くの神社では、大祓(おおはらえ)が
行われる。6月と12月の晦日に行われる大祓の神事は、それぞれ、夏越祓(なごしのはらえ)、
年越祓(としこしのはらえ)と呼ばれ、6月は六月祓とも言われて、茅の輪潜り(ちのわくぐり)が
行われる神社も少なくない。                        (茅の輪くぐり
これは、茅草で作られた輪の中を左、右、左と8の字に3回通って穢れを祓うもので、
昨年は、数ヶ所の神社の「茅の輪」を潜った。              (茅の輪めぐり

       形代
        
写真は、昨年頂いた品川区の氷川神社と居木神社、世田谷区の八幡神社は5枚の形代と
愛宕神社の「千日参り」(6月23,24日)のときに買ったお守り。 
            

今月初、孫あいあいの子守の合間に訪れた、杉並区の荻窪八幡神社の境内に、
人が楽々と潜れる大きさの穴のあいた、石造りの祓門(はらいもん)があった。
この門を潜ってお祓いをしてから、神門を通り、社殿に向かうということだろう。
特に、潜り方の説明はなかったので、茅の輪のように、8の字に潜る必要はないようだ。

 祓い門   道潅槇
       荻窪八幡神社の「祓い門」          樹齢500年余の「道灌槇」

この神社には、「道潅槇」と呼ばれるご神木がある。
この槇は、源頼義が奥州からの凱旋にあたって、ここに社を作ったという故事にならって、
太田道潅が石神井城攻めの戦勝を祈願した際に植えた槙の木だという。

わが家のこの半年を振り返ると、 
今年1月、義父が亡くなり、淋しくなったが、日々成長する孫たちに振り回されているせいか、
あっという間の半年だった。
4月、娘のところの孫りんりんは、小学生になり、元気に登校している。
相変わらず、毎日のように、忘れ物をしているということだが。
2月に1歳になった息子のところの次女あいあいは、姉と一緒に、4月から保育園に
通い始めたが、彼女のこの3ケ月は、まさに多事多難・・・。

4月下旬、園の生活に慣れないうちに、肺炎に罹り入院。発熱から退院まで1週間、休園。
5月中旬、再び、発熱。3日間の休園。子守に2日通った。
5月末、 発熱。土日が入ったので、休園は1日、子守は1日ですんだ。
6月上旬、1週間登園後、発熱。夜、熱性けいれんを起こし、救急車の初乗り。
       その後も熱は下がらず、両親は交代で仕事を休み、病院にも度々連れて行くが、
       結局、中耳炎とわかったのは、発熱から4日目。休園1週間。子守は1日。
6月下旬、中耳炎が治り、4日ほど登園したところで、発熱。今度は手足口病とか。
       土日が入ったので、休園は1日。

4歳の姉ゆうゆうは、ほとんど休まずに保育園に通っていたが、先週末、ついに発熱。
妹からうつったのか、手足口病だった。1日休園したので、子守に行ったが、
熱が多少あっても、喋る、遊ぶ。そして食べるので、随分と楽だった。 

今年こそ、息子一家の分も、茅の輪を潜って来なくてはと思っている。
身近な人びと

犬に叱られた?

2010年06月29日
ラジオをつけていると、様々な情報が入るだけでなく、視聴者の感想や意見なども耳に入る。
手が止まってしまうことも度々で、私は、どうも、「ながら族」には成りきれないらしい。
新曲を出した歌手がゲストに招かれ、新曲の披露とホストとのトークもなかなか楽しい。

先日、さだまさしのニューアルバム「予感」が発売され、その中に収録されている曲
「私は犬に叱られた」を聞いた。つい、笑ってしまった。そのあと、笑えない何かが
ジワ~とこみあげてきた。うーん・・・もっともだ!

犬に叱られた夢を見たというさだまさしが「家族の一員になりたい 犬になりたい」
と歌ったのは、昨年の春。「私は犬になりたい¥490」、『ホワイト学割』(ソフトバンク) 、
人も食わぬ夫婦喧嘩のテレビCMだ。

       チャーコとモグ
              かつて飼っていた正真正銘?の雑種

それにしても、わが庭で寝そべって欠伸をしている猫たちは、犬たちの苦労を
知るはずもない。

ニューアルバム「予感」は、キャッチコピーによると、
やさしい言葉の中に情熱を秘めたこの世界観は、まさに、さだまさしならでは。
全曲に「色」が施され、色鮮やかなパレットを開いたようなアルバム
だという。
「犬に叱られた」は、ラジオで何回か聞いたし、もう、モノは増やすまいと思っているが、
水彩画のような、彼の歌が懐かしくなった。久しぶりに、CDショップを覗いてみようかな。
つれづれ

ポスターの中の新幹線車両

2010年06月28日
先日、八戸駅―新青森駅間に、新型車両E5系「はやぶさ」が初めて乗り入れたそうだ。
いよいよ、今年の12月4日に、東北新幹線は東京と新青森間の全線が開業する。
東北新幹線の八戸開業の日は、2002年12月1日だった。
あの日、私は、「おはよう庄内往復切符」を利用して、新庄経由でごんさんの赴任先、
酒田へ向った。東京発朝7時半の「つばさ」に乗るため、東北新幹線の改札を通ると、
「はやて」の記念バッをもらった。このバッジは、中国語の、今は亡き沈老師に差し上げて、
当時小学生だった老師のご子息に喜んでもらえたが、その彼はもう、高校2年生だ。

      はやぶさ
               東北新幹線「つばさ」 新庄駅

私が乗った新幹線といえば、何といっても東北新幹線がもっとも多い。
ごんさんが山形に単身赴任の間には、「おはよう庄内往復切符」を利用した。
往きは、朝7時半東京駅発の「つばさ」と磐越西線を利用し、復路は「つばさ」か、
「いなほ」と新潟経由の上越新幹線「とき」を利用するという、早朝割引切符だった。
JR東日本の「元日フリー切符」で、元日に東北新幹線や上越新幹線を利用しての旅も
よくしたが、どちらの切符も、現在は、なくなってしまったようだ。

大分前になるが、車内で、「JR東日本2011年度採用」の広告を目にした。
「詳しくは、JR東日本の採用ホームページへ」とあった。
よく見ると、2種類の車両が描かれている。「つばさ」(400系)と「はやて」(E2系)の
ように見えるが、その違いは、孫りんりんにでも聞いてみないと分からない。

    募集
                「きのうのすごいを、あしたのふつうに」 

駅の構内では、「空き缶とペットボトルのリサイクル」のポスターを見かけた。
空き缶のぼくとペットボトルさんの夢は、新幹線だった。
原っぱに捨てられていたぼくらを、ある日こどもたちが拾って、回収ボックスに入れてくれた。
リサイクルされたぼくは、あこがれの新幹線の一部になった。
ペットボトルさんは、乗務員の制服に生まれ変わった。
今日もふたりで、なかよくピュンピュン走っている。


             リサイクル
              「夢をかなえた空き缶たち」 ACジャパン

後方には何系だろうか、新幹線が走っている。
構図も色合いもいいし、何よりもコピーがいい。素敵な広告だと思う。
ラジオでも、この、ACジャパン(公共広告機構)の広告を、度々、耳にするが、
実際に、ポスターを見ると「夢がかなってよかった~」と思う。
このポスターを見ると、空き缶たちをちゃんと回収ボックスに入れようと思うことだろう。

ペットボトルは、大半が中国に輸出されて再利用されていたが、北京オリンピック終了後は、
引き取ってもらえず、ペットボトルを再加工する際にも大量の二酸化炭素を排出するらしく、
しかも、再生品は品質が良くないのに、割高につくという、難しい問題を抱えているようだ。

以前、ペットボトルは、フリースになると聞いていたが、乗務員の制服にもなっているのだ。
ペットボトルからつくられるのは、新幹線の乗務員の制服だけではないだろうが、
彼らの夢を叶えて上げたいと思ったりもする。それにしても、街の自販機の多さには驚く。
最近、私は、マイボトルに白湯を入れて持ち歩くように努めているのだが。
つれづれ

ただいま、工事中

2010年06月27日
現在建設中の東京スカイツリーは、394mになった。7月中には、400mを超える
見通しだというが、着々と背を伸ばしていくスカイツリーを眺めるのは楽しい。
スカイツリーは、横浜ランドマークタワー(高さ296m)など、これまでの超高層ビルの
建設現場とは、すぐ下を歩く人がいるなど、立地条件が大きく異なる上、過去に例がない
高所での作業となることから、安全対策にも様々な工夫がされているそうだ。

ビルや駅舍など、完成するまでに数年かかる、大がかりな工事現場の、以前は、
殺風景だった囲いも、最近は、目を楽しませてくれるものが多い。

東京工業大学(目黒区)の大岡山キャンパスでは、130周年記念事業の一環として、
新図書館を建築中だ。

   130年の歩み
          「写真が語る東京工業大学130年の日々」 2010.6
         
      130歳 

「新図書館の工事現場の仮囲いを、学内コミュニケーションの場として活用し、
皆さんのつぶやき、ささやきを示します。思わずクスッと笑ってしまうコトバ、
真剣に考えさせられるコトバ、熱い想いを伝えるコトバ、そんなあなたのコトバを
募集しています」とあった。

終わり方
    「月曜日 大学に行くのが待ち遠しい・・・って言われたい、ですね、学長」
        学長へ    

このコトバのギャラリー「あなたのつぶやき募集中」には、在学生、教職員、
卒業生のほか、近隣の住民も投稿でき、優秀作品は1~2ヶ月毎に掲示されるとか。

  
        石神井公園駅 2009.11
        石神井公園駅 「駅デザインアイデアコンテスト入賞作品一覧」

西武池袋線石神井公園駅周辺は、現在、複々線・高架化の工事中。
練馬区が、地元小中学生を対象に実施した、駅舎のデザインコンテストでは、
中学2年女子の作品が最優秀賞となり、彼女のアイディアも取り入れられるそうだ。

   東京駅          
        東京駅丸の内側  駅舎と中央郵便局       2009.9        
                中央郵便局

東京駅赤レンガ駅舎と駅前広場は、2012年春に、中央郵便局が入るJPタワー(仮称)は、
2011年に完成予定だという。                        (時を刻む時計
旅・散策・イベント

長靴の出番だが

2010年06月26日
本格的な梅雨の季節になった。今年の梅雨は、ジトジト降るのではなく、降る時は降る、
降らない時は降らないという、陽性型だそうだ。
近年、雨の降り方が変わってきて、ワイパーが利かないような、1時間当り50mm以上の
大雨が年々増えているそうで、東京でも「都市型水害」が頻発している。

この集中豪雨が発生しやすくなった原因は、コンクリートやアスファルトに覆われた地表が
多くなったこと、地下利用が増えたことなどのほか、ヒートアイランド現象や地球温暖化の
影響が大きいと言われている。

台風による集中豪雨が首都圏を襲い、杉並区や中野区などを中心に、都の観測史上最大の
降水雨量(1時間当り112mm)を記録したのは、5年前のことだった。
このときは、神田川、妙正寺川、善福寺川などの中小河川や下水が逆流、氾濫したため、
5000戸を超える浸水家屋が発生するなど、大きな被害をもたらした。
洪水に対して脆弱な地下鉄や地下街などでも浸水被害が多発することもあり、地下室への
浸水により、人的被害も発生したこともあった。

杉並区では、「都市型水害に備えて―水防の手引き―」(水害ハザードマップ)を発表していて、
区のサイトでも簡単に見ることができる。この中に、家庭での簡易水防工法の1つとして、
簡単な水嚢の作り方なども載っていた。

先日のラジオで、梅雨時の集中豪雨対策について、気象予報士が話していたが、
自分の家は、川から遠いから大丈夫だと思っても、下水につながる河川が満杯になれば
逆流し、道路のマンホール、ひどい場合は、風呂場などから汚水が溢れ出すこともあるとか。
防ぐには、風呂場と洗濯機の排水口から、最初に汚水が侵入するので、一旦、ガムテープで
排水口を塞ぎ、その上に水嚢を置くという方法だった。水嚢はゴミ袋でも作れるのだそうだ。

話は変わるが、実は、昨年まで、私は長靴を持っていなかった。
靴と靴下が濡れて帰宅した日には、近いうちに長靴を買おうと思うのだが、今流行りの
チェックや花模様のブーツは、似合わないような気がするし、丈の短いのは窮屈そうだしと
買いそびれたまま、我慢していた。
しかし、昨年、杉並区の息子のところに子守に行った日、ついに、買った。
阿佐ヶ谷駅前から続く、アーケードを抜けたところで、靴下が湿ってきたので、
アーケードへと引き返して、靴屋さんの店頭に出ていた、短めの黒のレインシューズを買った。
しかし、このとき、慌てて買った靴は、デザインの問題なのか、着脱がスムーズにいかず、
結局、よほど雨がひどいとき以外は、お蔵に入ったままだ。

        保育園の靴箱
                 子どもたちの長靴はカラフル 

ところで、品川のエプソンアクア スタジアムでは、長靴を履いて行くと、水族館の入館料
(大人¥1800 小中学生¥1000)が半額に割引される。
買ったレインシューズを履いて、孫りんりんと一緒に行くのもいいが、小学生になった彼と
私の予定が一致して出かける日にちょうどよく、雨が降ってくれるだろうか。
もっとも、このサービスは、今月いっぱいで終りなので、今年は無理なようだが。
つれづれ

ウィズ エイジング

2010年06月25日
この頃、つくづく、筋肉の衰えを実感する。おまけに、体温が低い。
体温を1度上げると、免疫力が5~6倍アップするというが、1度上げるのは、
これがなかなか大変だ。免疫力の低下は、ただでさえ、加齢とともに進むのに、
ストレスや運動不足などで、更にそのスピードが加速していくと言われている。

そろそろ、老年期に突入する私にできることは、まずは、筋肉を鍛えること。
昨年末から、筋トレと有酸素運動のために、フィットネスクラブに通い始めた。
筋肉がつけば、それに越したことはないが、少なくとも、ここで運動をした後は、
ひどかった肩こりが、ウソのように消えている。
それが、三日坊主の私にも続けられる理由の1つだ。

「老」という漢字は、腰の曲がった人が杖をついている姿を表した象形文字だそうだ。
中国では、教師、先生のことを「老師」と呼ぶが、日本でも、古くは「長老」「老中」
などで代表されるように、「老」には尊敬の意味が込められていた。
現在は、「老」は、マイナスのイメージが強くなり、老人を高齢者、老年期を高齢期と
呼ぶことが一般化してきたようだ。

 陶然亭公園
        晩秋の北京 陶然亭公園      社交ダンスと京劇を楽しむ市民

いつだったか、ラジオで、老年医学の専門医が話していたが、子育てを終えたチンパンジーの
余命は、比較的短く、人が長寿なのは、子育てを手伝う役目があるからではないかと。
老年期は、おまけや余生ではなく、人生の収穫期であるのだそうだ。

雑誌や車内の広告を見ていると、市民大学、シニア大学なる講座を設けている大学が
随分と増えてきたようだ。そういった大学のサークル活動の中で、シニア世代に人気のある
講座やテーマのうち、常に上位にランクキングされるのは、カラオケだそうだ。

会員制のカラオケの店では、シニア世代向けに、「平日半額」などのサービスを行ったり、
はとバスに乗って、往年のバスガイドと一緒に歌う、「あの歌この歌東京ドライブ」ツアーに
申し込みが殺到しているのだとか。コースは浜松町発で、歌とゆかりのある新橋、浅草、
上野、銀座などを2時間半かけて巡る。今月は16日と昨日24日だったとか。
有楽町で「有楽町で逢いましょう」、上野駅で「ああ上野駅」など、当時の制服姿の
バスガイドのリードで、昭和20~30年代の歌を合唱するそうだ。

大きな声を出し、リズムにのって歌う事により、ストレス発散にもなり、健康にも良い、
家族や友達、気のあう仲間と一緒に歌う事により、より良い人間関係を築ける。
また、歌詞を覚えたり、歌っている曲の情景を思い浮かべるというのも、右脳の活性化に
役立ち、カラオケを趣味にしている人は、実年齢より若々しい
」と言われるが、
私は大きな声で歌うのも、まして、人前で歌うのも駄目だ。せめて、中国語のサークルで、
中国語を大きな口を開けて、正確に発音するように心がけるようにしよう。

自由時間がたっぷりある老年期。さしあたって、娘や息子たちの子育ての手助けをしながら、
孫たちの成長ぶりを楽しむことにしよう。
運動、睡眠、食事のバランスを保つことが、免疫力アップにつながるという。
アンチでなくとも、ウィズエイジングで、健康で充実した老年期を過ごしたいものだ。
つれづれ

駅近くの保育施設

2010年06月24日
偶に、京王井の頭線の電車に乗るが、車内の広告が、普段よく乗る東急線内のものと、
どことなく違うので珍しく、きょろきょろしてしまうことが多い。
先日、「京王は、子育てを応援しています」と、保育所「キッズプラッツ」や子育て
ステーション、賃貸マンションなどの子育て支援事業の広告が眼に入った。

    京王線
       「京王キッズプラッツ」  京王は、子育てを応援しています

駅ビルや高架下など駅の近くで、鉄道会社の経営する「駅型保育所」が、増えていると、
ラジオで聞いたばかりだった。
待機児童数が増加し続けていることに加え、鉄道会社にとっては、子育て世帯が住みやすい
環境づくりを進めることで沿線の魅力をアップさせる狙いがあるのだろう。

杉並区の息子夫婦は、共働きのため 4歳と1歳の娘を同じ区立保育園に預けているが、
自宅から保育園は比較的近いので助かっている。天気さえよければ、3人乗りの自転車で、
保育園経由で職場へ行くことができるが、雨の日には、母親は、下の子を抱っこし、
傘をさして、上の子と手をつないで歩くことになる。2人を園に預けた後、電車通勤をする
ことになるので、晴れた日の倍近くの時間がかかるそうだ。
駅舎や駅の近くに保育所があれば、息子たちのような共働きの夫婦にとっては、
随分と助かるだろうが、経済的負担は相当大きくなるに違いない。

「駅型保育所」を調べてみると、京王電鉄では、3年前から手がけているようで、
西武鉄道では、今月から、東久留米駅の保育園が本格的にスタートしたところだとか。

東急電鉄は、15年、大岡山駅近くに認証保育所(大田区)をオープンしたが、その後、
長津田、綱島など、駅舎内や駅から徒歩5分以内のところに、次々と開園しているという。
また、2年前から、キッズベースキャンプという名の学童保育事業にも参入した。
これは、小学生を放課後、預かってくれるというもので、公的な学童保育とは異なり、
最長夜10時まで預かってくれる上に、送迎や食事などのサービスまであるそうだ。

       大岡山駅
              東急線大岡山駅  駅上は東急病院

また、東急電鉄は、世代循環を提案している。子育てを終了した世代は、買物や通院などに
便利な、駅に近いマンションへ移り、その空いた家は、リフォーム後、子育て世代が住む
というもので、私鉄の中では、もっとも子育てしやすい環境作りに力を入れているようだ。

JR東日本は、「子育て支援事業」の一環として、保育事業者と連携して、首都圏を中心に
30箇所以上の保育所を開設しており、16年からは埼京線を「子育て応援路線」として、
積極的に保育施設整備を進めてきたという。いずれの施設も駅から徒歩5分以内で、
駅ビル内や駅に隣接の商業施設に入居するケースもあるそうだ。何でも、午後10時まで
預かるところもあるそうで、毎日、この時間まで預けられる子どもはいないだろうと思うが、
心配になってしまう。

相模鉄道の子育て支援は、保育園と学童保育の2本立て。こちらの保育所は、
夜11時まで預かるというから驚きだ。就寝時間は?どうなるのだろう。 
学童保育は、少人数制。宿題だけでなく、中学受験向きの学習支援を行うということで、
キャンセル待ちが出るほどだという。親も大変なら、子どもも大変な時代になったものだ。
つれづれ

中国が誇る世界の銘茶

2010年06月23日
「上海世博(上海万博)」が開幕してから、まもなく2ケ月になる。
先月、中国語同学のOさんは、福建省の土楼と浙江省の杭州の旅をされ、その旅程の最終日、
万博に行ったところ、やはり、人気パビリオンは、長い行列だったそうだ。
朝6時半にホテルを出た彼が、日本館に入れたのは、午後1時近くだったとか。

          日本
          未来へ「聯接」(つなぐ)  日本館のうちわ

上海万博に合わせて、「中国世博十大名茶」が発表されたということを、S同学に伺った。
彼女は、ご主人の仕事の関係で、広州や上海などに住んでおられた間、中国茶茶芸師
資格(高級茶芸技師から初級茶芸師までの5段階がある)を取られた。
現在は、中国茶芸を教えながら、中国茶の勉強を続けておられる。

中国茶は、現在世界中で飲まれている「お茶」の原点で、長い歴史がある。
その茶種は5千とも、それ以上とも言われ、それぞれが、個性豊かな風味と香りを持っている。
中国国内外で近年特に親しまれ珍重されてきた、十種類の名茶がある。
その伝統的な「中国十大名茶」は、以下の十銘柄である。

今回、選ばれた「中国世博十大名茶」は、その十銘柄と若干異なり、西湖龍井、安溪鉄観音、
武夷岩茶、祁門紅茶、都毛尖、六安瓜片(太字1,5,6,8,9,10)のほか、湖南黒茶(湖南省)、
天目湖白茶(江蘇省)、張一元花茶(北京)、福鼎白茶(福建省)が挙げられている。

1 西湖龍井茶ロンジンチャ) 中国で一番有名な銘茶。
  産地は浙江省、西湖付近の龍井村獅子峰のものが最高とされる。
  色は翡翠、香は優雅、味は芳醇、形は美しく、四絶之称(4要素ともに他に類を見ない)。
2 碧螺春(ビールオチュン)康熙皇帝が命名したお茶。産地は江蘇省、太湖にある洞庭山。
  茶葉の形は、かたつむりの甲羅に似ていると言われ、茶葉の周りには小さな白い毛があり、
  香は濃く、味は醇厚。茶湯は明るい緑色。
  「洞庭碧螺春、茶香百里最」(洞庭碧螺春は百里離れても香る)と言われる、茶之珍品。
3 黄山毛峰(ホワンシャンマオフォン)  産地は安徽省、黄山桃花渓。
  宋代には皇帝に献上するお茶、貢茶に選ばれていた。
4 君山銀針(ジュンシャンインジェン)  産地は岳陽洞庭湖の青螺島。
  古代中国の四大名著『紅楼夢』の妙玉が、雪を沸かして淹れた「老君眉」も君山銀針。
5 祁門紅茶チーメンホンチャ)  産地は安徽省の祁門。
  パナマ万国博覧会(1915年)で金賞を受賞したお茶。
6 六安瓜片リューアングアピエン)  産地は安徽省の六安地区斉雲山。
  形は瓜(ひまわりの種)に似て、色は緑色、比較的強い香を持つ。
7 信陽毛尖(シンヤンマオジエン)  産地は河南省信陽の大別山。
8 都毛尖ドゥージュンマオジエン)  産地は貴州の布衣族が住んでいる都山区。
  「雪芽芳香都生、不並龍井碧螺春」(香のいい茶葉は龍井茶、碧螺春にも引けをとらない)
9 武夷岩茶ウーイイエンチャ)  産地は福建省武夷山。
  武夷山には99の山があり、どの山にも独自の名を持つ茶葉があるというほど、種類が多い。
10 鉄観音ティエグアンイン)  産地は福建省安渓区。
  茶葉はとんぼの頭のようで、感触は鉄のように重く、美しさは観音の如く、味は優雅で
  回味(のどごし)は甘い。烏龍茶の中の上級品。

こうして「十大名茶」の産地をみてみると、Sさんの「お茶の故郷を訪ねる旅」とは違うが、
私もスケッチ旅行で、いくつかの名茶の里を訪れたことになる。

「祁門紅茶」はダージリン、スリランカのウバと並んで、世界3大紅茶の一つに数えられる、
紅茶の元祖。旅先では、あまり中国茶を買わないが、安徽省の黄山の麓の老街、屯渓では、
「祁門紅茶」をたくさん買い込んだ。残念ながら、お土産にした紅茶の評判は芳しくなかった。

    屯渓と龍井
       安徽省黄山麓 屯渓の老街           浙江省杭州 龍井村 
      
「上有天堂、下有蘇杭」(天上には極楽があり、地上には蘇州、杭州がある)と言われる
杭州の西湖周辺龍井村で作られた「西湖龍井茶」は、中国で最も有名な緑茶。
開いた茶葉は「二葉一芯」のかわいらしい形をしている。
龍井村の茶畑の中で、スケッチしたことが鮮明に思い出される。

「安渓鉄観音」は福建省南部の安渓市、1000m級の山々が連なり、お茶の段々畑は、
1年中霧に包まれていて、お茶栽培の適地。日本でもおなじみの烏龍茶の最高峰。
日本でよく見かける、黒や茶色の烏龍茶とは違い、茶葉は金色。渋みはなく、
甘さと芳香が口いっぱいに広がる。
呉さんの案内で、泉州のお茶屋さんを数軒回って、Sさんに頼まれた鉄観音や観音王を
買った際、自宅用にと数種類買って帰ったが、そのお茶の美味しかったこと! 

     泉州
           福建省泉州の茶舗           烏龍茶

中国茶全体の7~8割は緑茶で、北京などの北方では、茉莉茶などの花茶を好む。烏龍茶は、
福建省など、ごく一部の地域で飲まれているに過ぎない。  (中国料理の主食とお茶
中国の茶芸は、日本の茶道の影響を受けているが、日本の茶文化は、基本的には、
客をもてなすことなのに対し、中国は、美味しいお茶を楽しむことといえる。

ちなみに、中国茶は、発酵の度合いや茶葉の色などで、6つに分けられる。
1 緑茶 不発酵茶  龍井茶、毛峰、碧螺春など
2 白茶 軽発酵茶  白牡丹、白毫銀針など 
3 黄茶 軽発酵茶  君山銀針など
4 青茶 半発酵茶  大紅袍、鉄観音、凍頂烏龍など
5 紅茶 全発酵茶  祁門、正山小種など
6 黒茶 後発酵茶  普洱茶
  花茶 加工茶   茉莉花茶
中国・中国の旅

りんりんとつくった「ちらし寿司」

2010年06月22日
いつだったか、土曜日の11時頃、孫りんりんが電話をしてきた。
「お昼に、ちらし寿司をつくるから、ご飯を炊いておいて」ということだったので、
早速、準備をして、待っていた。
子どもたちが小さい頃、確か生協で買った「手巻き寿司セット」の寿司桶を出し、
ご飯を炊き、海苔もあるし、卵もあるし、準備万端整えたが、なかなか、現れない。
具をいろいろ買い込んでいるのかとも思ったが、それにしても遅い。
結局、1時近くになって、りんりんとママが2人でやって来た。

遅くなった訳は、彼が、何かを見ながら、ちらし寿司のレシピをつくっていたからだとか。
その自作のレシピを読みあげて、大人に指示する以外、彼のやったことはといえば、
寿司飯を団扇であおぐこと、上にスモークサーモンを載せること、そして食べることだけ。
少し黄ばんでいる団扇を見て、「うわ~ 昭和時代のうちわなの?!」と感激していたが、
あおぎ方は上手くない。数日前、自宅でちらし寿司を作ったときは、扇風機を使ったらしい。

B5の紙6枚をご丁寧にセロテープでつないだ、「ちらしずしスーパーシート」には、
つかうどう具:・すいはんき・サイバシ・シャモジ・ウチワ・ホウチョウ・ナベ・ザル
・ボウル・すしおけ・フライパン・まないた・さら・ティッシュペーパー。
みんなが入れる具:米3カップ・水3カップ・す・あぶらすこし・たまご・だしじる・さとう
・しょうゆ・しお・みりん・タケノコ(ゆでてあるもの)150g・ニンジン50g

ここまでが1頁。次の頁は、ご飯の炊き方と寿司酢の合わせ方。
3頁目には、ごはんがたけたら、10分おいて、ごはんをすしおけにうつす。合せずを
ごはんの上にぐるっとかけ、すしめしにする。すしめしをうちわであおぎながら、まぜる

     
     あおぐ
                合せ酢をかけるママ  あおぐ りんりん  
     
4頁目は、タケノコと人参の煮方。5頁目は、薄焼き卵の作り方。
そして、最後の頁には、すしめしを、大きなさらにうつしてかたちをととのえる。
すきなかたちに、なるように、ぐを、すしめしの上にのせていく。完せい。


   仕上げ
        いよいよ仕上げ りんりんとごんさん     レシピの1,2頁

レシピにない、エビ、いくら、絹サヤ、スモークサーモン、穴子も飾って、いただきま~す。
自宅から持ってきた桜デンブを、自分のお寿司にたっぷりとかけて、ご満悦のりんりん
デンブを勧められた、我々3人は、丁重にお断りした。

           いただきます

あの日以来、ちらし寿司はつくっていない。どうやら、彼は、実際に、料理をすることより、
図書館で借りてきた本を見ながら、自分なりのレシピを作ることがやりたかったうようだ。
文字を間違っても消しゴムを使わずに、上から重ねて書いたり、大きさも不揃い、筆圧も滅茶苦茶。
もう少し、読みやすい字を書いてほしいものだが、そのうち段々にマスターしてくれるだろう。
身近な人びと

キウイフルーツ

2010年06月21日
今日は、夏至。24節気の1つ。太陽が最北の位置に来るため、1年中で最も昼の時間が
長くなる。この時期、梅雨の真っ只中なので、日照時間は冬よりも短いことが多いようだ。
    
   キウイ   ツバキ目 マタタビ科
          学名 Actinidia deliciosa   Actinidia chinensis
          和名 オニマタタビ、鬼木天蓼
          英名 kiwifruit

          キウイ
                 まだ小さいキウイの実  6.16 
     
キウイフルーツは、マタタビ科マタタビ属の雌雄異株の落葉蔓性植物で、シナサルナシという、
中国中部、長江流域原産の植物が、ニュージーランドに移入され、栽培、改良されたもの。
日本在来の近縁種には、マタタビ属のサルナシ(ミニキウイ)がある。
耐寒性があり、冬の最低気温ー10℃程度の地域でも栽培が可能。産地は温帯から亜熱帯で、
熱帯果実ではない。キウイフルーツの名はニュージーランドで生まれたもので、果実の外観が
ニュージーランドの国鳥キーウィを思わせることからだそうだ。

子どもたちが小さかった頃、キウイの雄株と雌株の苗を買ってきて、庭の南側に植えた。
ところが数日後、キウイの根元の土が掘りおこされているのを発見。植え直しては掘り返されの
繰り返し。そのうち、1mまでに成長した雌株が駄目になり、新しい株を植えたりした。

         キウイ花 1986.5.28
                  キウイの雄花

キウイはマタタビ科だ。掘り起こしの犯人は猫に違いなかった。
マタタビの果実は、山地に自生する落葉の蔓性植物。3cm程の楕円形で熟すと橙黄色になる。
マタタビの名前の由来は、江戸時代から「旅人がこの実を1つ食べると、たちどころにして
疲労回復し、また、旅を続けることができた」ということからというが、最も有力な説は、
アイヌ語の「マタタムブ」からきたというもの。「マタ」は冬、「タムブ」は亀の甲の意味で、
おそらく果実を表した呼び名だとか。

猫にマタタビを嗅がせると、葉、茎、実に含まれる揮発性の物質が、神経を刺激したり、
麻痺させたりするので、陶酔状態になる。元気がない、苛立っているときなどに使用すると
有効。ほかにも、爪とぎ板に塗って、爪とぎの躾をすることもあると言う。

ところで、わが庭のキウイだが、数年かかって、屋根近くまで伸び、花が咲くまでに成長した。
剪定も自己流、受粉は自然に任せたため、秋に10個ほどの実をつけるのがやっとだった。

20年前の、改築時、西側の隅に移さざるをえなかったが、剪定方法が悪かったのか、
いつの間にか、枯れてしまった。

         キウイ棚
                  近所のお宅の屋上

近所のお宅の屋上で、キウイがたくさん成っているのを見ると、また、キウイを植えたいと
思わないでもないが、現在のわが庭の猫密度?を考えると、花が咲き、実がなるまで
大きく育てるのは、余程の工夫が必要だろう。
植物など

頭痛のタネ 猫のトイレ

2010年06月20日
数年前から、わが庭は、ノラ猫(現在は地域猫)たちのテリトリーと化した。
人間の作った塀などは、猫たちにとって何の意味も持たず、地域猫ならともかく、
首輪をつけ丸々と太った飼い猫が、わが庭を通り抜けることもしばしばだ。

私たちは、猫が好きなわけではないが、わが庭で生れた猫は、放っておくわけにいかず、
4匹とその母猫の手術は、区の補助を受けて7万円ほど支払った。(子猫のうちに
餌代はどのくらいだろうか。この頃、多いときでは7匹が、朝、昼、夕と来るので、
以前より大分増えて、馬鹿にならない。

それでも、地域猫の支援活動に格別熱心な、お向かいのさいとうさんの経済的負担や
精神的な負担に比べれば、わずかなものだ。地域猫たちが、庭で糞をして困るという苦情が
ご近所から来ると、プランターに砂利を敷いた猫のトイレをつくって持って行ったり、
忌避剤を取り寄せてご近所に配ったりと、頭が下がる。
さらに、室内で飼っている8匹の猫たち以外に、地域猫たちの世話、餌代、避妊手術代、
さらに怪我した猫(ラスカル)の入院費、交通事故で死んだ猫(ターノ)の葬儀埋葬費用も、
すべて負担しているのだ。

    クロ  シロ
        手術済の印として、右耳の先端をカットされたクロとシロ 

大切な庭や花壇へ糞害を及ぼすと、憤慨している人は少なくない。
数年前までは、わが家でもそうだった。植木や芝生を駄目にすると、父は極度に嫌がった。
だが、その父も亡くなり、いつの間にか、わが庭にやって来る猫たちが増えてきて、
この2年間は、餌や住いを用意し、彼らの行動を観察するのが日課になってしまった。

猫は自分の餌場のそばで糞をしないと聞いたことがある。野生の猫であれば、獲物となる
小動物などに、自分の匂いを知らせるような行為はしないということらしい。
ということは、わが庭は食堂で、寒いときには寝室、日向ぼっこの場となり、
トイレは別のところで済ますということのはずだが、実際のところは、よくわからない。

さいとうさんは、駐車場の脇に、発泡スチロールの小屋を置き、朝夕、餌と水を用意している。
駐車場は、コンクリートが打ってあり、トイレ用の箱が置かれているのに、先月あたりから、
猫の糞がいくつもバラまかれるようになったとか。さいとうさんは、憤慨していたが、
その犯人を突き止めたという。すぐ近くの路地を入ったところのオバアサンだったそうだ。
さいとうさんは、保健所に相談したが、埒が明かず、ごんさんも一緒に、直接、話しに行った。

彼女は、庭の花壇をトイレ代わりにしているのは、隣家の飼い猫だと思って、3年間、
我慢してきたが、最近、違うことがわかり、さいとうさんの飼い猫の仕業と思いこんだ様子。
さいとうさんの飼い猫は室内飼いで、ノラ猫は、地域猫として、手術も含め、精一杯面倒を
みていると話すと、もう、バラ撒かないと約束してくれたそうだ。

だが、数日後、再び、糞がばら撒かれているのを発見した、さいとうさん
ちょうど、通りかかった巡査に、その現場をみせて、それまでの事情を話したが、
そういったことは警察では介入できないと、あっさりと言われたそうだ。
夜、ごんさんさいとうさんと話をしているとき、偶然、オバアサンが自転車で通りかかった。
派手なピンク色のTシャツを着て、買物袋を積んだ電動自転車で坂を上がってきたという。

「ばら撒かないと約束したのに、なぜまた?」「トイレ用の箱も用意したのに」と訊くと、
「お宅の猫が、うちの畑で・・・」と、前回と同じことを訴え始めたという。
彼女の思い込みが激しいのには、呆れたというが、猫の飼い主への怒りもわからなくもない。
どんな猫かと聞くと、三毛猫だと言う。さいとうさんの家には、三毛猫はいない。
ひょっとすると、わが庭にも来るシロクロの母猫ミケかもしれないが、それも彼女の畑で
見たわけではなく、道路を横断している三毛猫を見たのだそうだ。
結局、彼女は聞く耳を持たず、「警察に訴える!」とか、「ノラ猫なら捕まえていいのね!」と
宣言したとか。野生が残るミケは警戒心が強いので、大丈夫かもしれないが、
わが庭のおっとりケシトラたちが捕まらないことを願っている。

猫よけ対策を、彼女に伝えてみたらどうかと調べてみたが、コストがかからず、手間いらずの
これといった方策はなさそうだ。ひょっとすると、もっとも有効な方法は、彼女の庭で、
彼女が猫に餌をやることかもしれないが、それこそ、ふざけないで!と一蹴されることだろう。

「猫をよせつけない方法あれこれ」
○忌避剤:すごい匂いがするが、長持ちしない。コストもかかる。
○センサー付きの音波機:センサーが反応するとチリチリとした、 周波数の音波を発する機械。
 高価だが、効果は最初だけ、すぐに慣れてしまうそうだ。 
○木酢液、米のとぎ汁:効果は短い。  ○漂白剤:花壇には不向き。
○トゲトゲ・シート:出入りしそうな隙間に敷く。効果あるらしい。
○金網やネット:花壇に埋めておく。  ○竹串:花壇に刺しておく。
○煙草の葉:煙草の葉は猛毒。効き目はあるだろうが、畑に撒くわけにはいかない。
○レモンなど柑橘類:レモングラスのほか、100円ショップのレモンの芳香剤なら安価。
○水を満杯にしたペットボトル: 全く効果なし。
○玉砂利や小石などを取り除き、タイルやウッドデッキなどにする。
ほかに、犬を飼うこと。子どもを遊ばせるなどというのもあった。
確かに、猫は子どもが苦手だが、四六時中、子どもを庭で遊ばせておけるはずがない。
動物など

桜桃忌に因んで

2010年06月19日
スーパーや街の果物屋さんの店頭でも、山形産のサクランボが並べられるようになった。
今年のサクランボは、春先の冷え込みのため、収穫時期が1週間程遅れているというが、
作柄は良好だそうだ。
サクランボの生産量日本一を誇るのが山形県。全国の約7割を占めているとのこと。
特に、東根市、寒河江市、天童市など、奥羽山脈と出羽山地にはさまれた内陸部は、
雨が少なく、1日の寒暖差が大きく、果樹栽培に最適だという。
     さくらんぼ
ごんさんの単身赴任中、盆暮と5月の連休には私1人で、絵のお仲間と晩秋に2回、
スケッチ旅行を兼ねて山形を訪れたが、サクランボが実る頃には、その機会がなく、
サクランボの果樹園が広がる、寒河江(さがえ)川沿いを歩いたのは、7月末で、
すでに、サクランボ収穫の時期は終わっていた。
         
8年前の8月、ごんさんの赴任先の酒田から、珍しく2人で日帰りの旅をしたことがあった。
五能線の車中で聞いた、津軽三味線の演奏や、弘前で訪ねた「こみせ」という古い街並みが
印象に残っている。「こみせ」は、雪国で見られる雁木(がんぎ)と呼ばれるアーケード。

そして、五所川原では、津軽鉄道に乗って、太宰治の故郷、金木まで行こうとしたが、
1時間に1本では、酒田に着くのは夜になってしまうので断念し、立佞武多(たちねぶた)を
見るのが精いっぱいだった。
因みに、太宰治の生家で、現在は記念館になっている「斜陽館」(国重要文化財)へは、
五所川原から津軽鉄道で30分、金木駅下車徒歩7分だそうだ。

  津軽鉄道
            本州最北端の津軽鉄道  走れメロス号
 
今日は、「桜桃忌」。太宰治が、愛人と玉川上水に入水心中し、遺体が発見された日。
この日は奇しくも彼の誕生日だったそうだ。丁度サクランボ(桜桃)の時期でもあり、
死の直前に書いた短編「桜桃」にちなんで、「桜桃忌(おうとうき)」と呼ばれ、
彼の墓がある三鷹市の禅林寺には、毎年多くの愛好家が訪れるという。
なお、太宰治の出身地、青森県金木町でも「桜桃忌」の行事を行っていたが、
生誕90周年の1999年から「太宰治生誕祭」と改称されたという。

太宰治は、昭和14年から亡くなった昭和23年まで、三鷹で暮らした。
三鷹では、毎月1回、「太宰治文学サロン」「禅林寺」など、「太宰治ゆかりの地」を訪ねる、
2時間半の「足跡コースガイド」が行われていたり、ちょっとした「太宰ブーム」だ。

昨年は、生誕100周年。太宰ブランドともいうべき商品がいろいろ登場したという。
先日、三鷹に行った折、観光案内所で買った、太宰のロゴ入り「桜桃クッキー」は、
ドライチェリー入りで、ちょっぴり酸味があって美味しかった。
この商品は、三鷹市の障害福祉施設に通うメンバーが、商品の開発からパッケージの
デザインまで関わったという。読書のお供に!と書かれた栞がついていた。

          太宰クッキー
              ココア 桜桃 紅茶のクッキー詰め合せ  

それ以前の昭和11年から半年余り下宿していた、杉並区天沼の碧雲荘が現存していると知り、
昨年秋、孫ゆうゆうの運動会を見に行った後、この家を見に行った。 (現役の昭和の家)   

因みに、むつ市では、太宰が好んで使用した言葉を引用した煎餅「生れて墨ませんべい」と
「走れメロンパン」を売出したそうだ。「撰ばれてあることの恍惚(バター)と
不安(アン)と二つわれにあり」と、アンとバター入りのメロンパンだとか。
どんな味なのか、ちょっと想像がつかない。もし、あの旅の折、この新商品があったなら、
「走れメロス号」に乗れなかったからと、このメロンパンを買ったかもしれない。
旅・散策・イベント

池上の絵タイルⅡ 秋春の部

2010年06月18日
大田区池上の歩道には、夏に咲く花の絵タイルが多かったが、秋から春に咲く花の
絵タイルも少なくない。               (池上の絵タイルⅠ 夏の花
比較的新しい歩道なのに、絵タイルの上にこびりついたガムの噛み滓が悲しい。

コスモス  りんどう
        コスモス キク科               リンドウ  リンドウ科

サザンカ カンツバキ
        サザンカ  ツバキ科             カンツバキ ツバキ科 
         
「山茶花」は、中国語でツバキ全般を指す「山茶」に由来し、「サザンカ」の名は山茶花の
本来の読みである「サンサカ」が訛ったものと言われる。       (山茶花
寒椿には2種類の系統があり、現在は、本来の寒椿(中国原産)と山茶花の交雑種のほか、
山茶花群がある。山茶花とは、葉も花も、開花時期もほぼ同じで見分けがつきにくいが、
寒椿の花弁は多く、14枚以上、山茶花は5~10枚が一般的。

梅 梅               
                 大田区の花 梅  バラ科          

スイートピー 桜草
        スイートピー  マメ科             さくらそう サクラソウ科 

 たんぽぽ  おおむらさき
       タンポポ  キク科               オオムラサキ ツツジ科

              ハナ海棠 
                   ハナカイドウ  バラ科

花海棠は、春の代表花の1つ。中国原産で江戸時代初期に渡来した。中国では、牡丹とともに
広く愛されるている花だという。姫リンゴに似た赤い実をつけるが、結実することは少ないらしい。

海棠の花を見る度に、娘が生れたとき、植木屋さんがお祝いにと植えてくれたのを思い出す。
最初、縁側から見える南側に植えられて、春になると、可愛らしい花をつけた。
父の庭いじり好きのおかげで、度々、居場所を移された海棠は、ちっとも大きくならず、
残念なことに、父が亡くなった頃、とうとう、枯れてしまった。
旅・散策・イベント

池上の絵タイルⅠ 夏の花

2010年06月17日
大田区池上は、日蓮宗の古刹池上本門寺や丘陵を利用した庭園「区立池上梅園」で
知られているが、大田区初の相撲部屋、把瑠都(バルト)が所属する尾上部屋もある。
ここの駅前商店街やヒメシャラ通り、そして、蒲田へ抜ける大城通りの歩道に、四季の花々の
絵タイルがあった。「初夏から夏の花」と「秋から春の花」とに分けて、ご紹介したい。 

ばら ゆり
         ばら バラ科                   ゆり ユリ科 

バラ(薔薇)もユリ(百合)も花屋さんでは、1年中見かけるが、バラは初夏の花。
6月の誕生花であり、夏の季語でもある。
ユリの開花時期も夏。種類によってマチマチだが、6月から8月末が多い。    
 
かざぐるま  アジサイ
     カザグルマ  キンポウゲ科            アジサイ アジサイ科     

カザグルマ(風車)は、クレマチス(キンポウゲ科センニチソウ属)の一種だが、
クレマチス全体を指して、テッセン(鉄線)とかカザグルマということがある。
カザグルマの花弁(正確には萼)は基本的に8枚なのに対し、中国産のものは6枚。   

           姫シャラ           
                  ヒメシャラ  ツバキ科    

朝に咲いた花が夕方には落ちる、一日花。夏椿とともに「沙羅(シャラ)の木」と呼ばれるが、
夏椿より 葉も花も小さいため 「ヒメシャラ」の名が付いた。      (夏椿

グラジオラス カンナ
       グラジオラス  アヤメ科            カンナ   カンナ科ショウガ目

ひまわり ひまわり
                    ひまわり キク科 

 朝顔 ブッソウゲ
        アサガオ   ヒルガオ科            ブッソウゲ  アオイ科

ブッソウゲ(仏桑華)は、中国南部の原産。紅色または白色のムクゲに似た花をつける。
とくに、観賞用の園芸品種は、ハイビスカスともいう。
旅・散策・イベント

中国語学習 再び「心機一転」 

2010年06月16日
2年前の今頃、春から身体の不調を訴えておられた沈老師の中国語の授業がなくなった。
老師は、日本の病院で診察検査を受けた後、上海に戻って治療に専念されることになった。
中秋の頃、わが家にほぼ全員の同学が集まり、上海で闘病中の先生の完治を願って、
Sさんによる中国茶の会を開き、先生から贈られてきた月餅を頂いたりしたが、「沈老師の
中国語講座」は再開されることなく、その年の12月に、亡くなられた。 (再見
 
    茶会
          中秋の茶会   お茶は「宮廷プアール茶」「観音王(烏龍茶)」ほか  

亡くなるひと月前、お願いして下さった後任が黄老師だ。 (再開の悦び 老師の交代
昨年の1月、2人が退会され、1人が入会されて、「黄老師の中国語講座」がスタートした。

1年が経った頃から、休会する同学が1人、2人、ついに、3人が続けられなくなった。
K同学は、101歳になられた父上の介護のため。A同学は、中国語を生かした、
それまでの仕事を辞めて、新しい仕事を探すためだとか。
S同学は、ご主人の赴任先、福岡へ。彼女とは、中国語を始めてすぐからのお付き合いだ。
上海の赴任中には、一緒の旅をしたり、2度ほど泊めていただいたりと、お世話になった。
上海の後、インドネシア赴任の1年を終えられ、東京に落ち着いたところの福岡行きだ。

5月、愛犬のビーちゃんとともに行かれた。ビーちゃんには会ったことはないが、
特別、親しみを感じている。というのも、私がお貸しした本の表紙には、まだ、幼かった
ビーちゃんの歯型がしっかり残っているのだ。
 
そういった3人の事実上の退会によって、黄老師の中国語講座は、7月からの存続が
危ぶまれた。年金生活者がほとんどの会で、会費を値上げするのは無理だろうし、
黄老師の謝礼の件は、沈老師の遺言ともいえる申し送りなので、下げるわけにいかず・・・。

先週、老師にご相談した結果、老師のご厚意と同学たちの熱意で、講座の回数を減らす
ということで、これからも中国語学習を続けられることになった。
今年から、パソコンによる部屋の予約申込、支払い、会計など、私の役目になった。
長い間、同学の誰かが、こうした仕事をして来られたお陰で、沈老師、そして黄老師の
中国語講座を続けてこられたのだと、改めて感謝!
これからも、こうした仕事をきちんとやることは勿論だが、何よりも、中国語学習に
もう少し時間を割かなくてはなるまい。

Sさんは、早速、福岡で中国語の教室を見つけ、週1度の授業を熱心に受けておられるとか。
彼女が東京に戻られたとき、黄老師の中国語講座がつづいていてほしいと願っている。
昨年1月、「心機一転」で始まった黄老師の講座だが、再び、「心機一転」、仕切り直しだ。
先ず手はじめに、今週の授業に備えて、作業(宿題)をしておくことにしよう。
中国・中国の旅

人待ち顔のバス停たち

2010年06月15日
先月初めに発売されたばかりの写真集「バス停留所」(柴田秀一郎 著)を借りてきた。
全国のバス停ばかりを撮った、181枚のモノクロ写真が集められている。
柴田氏は、サラリーマンと写真家の二足の草鞋を履いているそうだが、
以前、営業車を運転して、北関東と東北5県を回っていたとき、バス停に目が止まり、
その形の面白さと、バス停に並ぶ人たちの表情やしぐさが、強く印象に残ったことが、
バス停の撮影を始めるキッカケになったと言う。

マイカーの普及や少子高齢化、過疎化の進行、ライフスタイルの変化などにより、
路線バスの利用者は減少の一途を辿り、バス路線も次々に廃止されていく現状に触れ、
バス停ははかない。鉄道は廃線になっても、架線や線路などが残るのに、バス停は
標識が撤去された瞬間に跡形もなく消える。そんな散りぎわの美しさを表現したかった
そうだ。

杉並区では、少し高いところから撮ったのだろう。雨の日のJR荻窪駅前のロータリー。
傘をさした人たちが、1、2、3・・・10人ほど、等間隔に並んでいて面白い。
23区内のバス停は、この1枚のほか、豊島区南長崎の写真だけだ。

新潟県は、6枚のうち、5枚が雪の中だ。雪に埋もれて、ポール部分が見えないバス停や
樹と区別がつかないバス停がある。青森県の2枚、秋田県の4枚もすべて、雪景色の写真。

大通りの歩道にバス停がある。佐賀市だ。数軒の商店のシャッターは降りたままで、
走る車は見えるが、通行人はひとりもいない。郊外に大型店が進出し、かつての中心街は、
「シャッター通り」となった。地方都市でよく見られる「ドーナツ現象」なのだろう。
歩道に置かれたベンチに腰掛ける老人の後姿が印象的だ。何とも言えない淋しさが漂う。

「神社前」「公営住宅前」(夕張市)、「老人ホーム入口」(栃木県那須郡)、「局前」「天の川」
いわき市)、「神社前」(対馬市)、「祈祷所」(壱岐市)、地元の人たちには、これで充分。
「左手」「鍵掛」(美馬市)、「女神」(長崎市)、「大当」(さつま市)といった停留所名もある。

ゴミ置場と化したバス停や棄てられたようなソファが置かれているバス停もある。
バスを待つ人の写真はわずかだ。バス停が人を待っている、そんな感じの写真が多い。
            
私も、東京の街で見かけた、バス停の写真を集めてみた。

  浜町  田町駅  赤羽橋南
     都営バス 浜町中の橋      赤羽橋  港区「ちいばす」  田町駅前
   
        中野駅前
              「なかのん」  JR中野駅前

   浜田山駅前    阿佐ヶ谷駅前
   「すぎ丸」 井の頭線浜田山駅   都営、関東、西武、「すぎ丸」 阿佐ヶ谷南

        渋谷駅前
               「ハチ公バス」   JR渋谷駅前

        環7
                東急バス 大田区上池台

「すぎ丸」「ちいバス」「なかのん」「ハチ公バス」は、各区のコミュニティバス(¥100)の愛称。
旅・散策・イベント

公園でストレッチ

2010年06月14日
港区の国立自然教育園の隣には、「白金台どんぐり児童遊園(どんぐり公園)」という、
区内最大の児童遊園がある。
北は特別養護老人ホーム「白金の森」に、南は目黒通りに接している、この公園は、
港区が国有地(旧公務員住宅の跡地)を取得・整備して、2008年に開園したもの。

年に数回は訪れる自然教育園の森だが、たいていは目黒駅から往復するだけなので、
その先に公園が出来たのは知らなかった。
今年2月半ば、Yさんと目黒雅叙園の「百段雛祭り」に行った帰り、自然教育園に寄ろうとしたが、
運悪く休園日だったので、その隣まで足を伸ばして知った。

この公園には、国有地であった頃からの木々が活かされていて、今後、ビオトープ
(自然の生態系を観察する場所)とする予定区域は、樹木養生中のため立入禁止だった。

        ビオトープ

児童遊園には珍しく、広々とした芝生部分があり、園内の各所にストレッチ体操器具が
備え付けられていたが、案内板の漢字にルビが振ってなかったのが気になった。
同じ港区の芝公園の、大きな樹の間を縫うようにつくられた「健康歩道」にも体力測定遊具が
設置されていたが、そこの説明板にはカナが振ってあった。    (健康ロード

   背伸ばし
「背のばし」 体を後ろにそらせる。突起部分で行うと適度な刺激が得られるという。

       筋肉伸ばし
「筋肉のばし運動」 上段バーにぶら下がり、腕と背筋をのばす。
下段バーに前向きの姿勢で足をのせ、太ももの筋肉をのばす運動。

       脇のストレッチ
「脇のストレッチ」 手摺をつかみながら上半身を捻る。反対方向も同じように。

 足つぼマッサージ
「足つぼマッサージ」 「土足禁止」と書かれているが・・・。

ほかにも「どんぐり」という名がつく公園は少なくない。どんぐりやま公園(世田谷区鶴巻)、
どんぐりひろば公園(世田谷区北沢)、どんぐり山児童遊園(杉並区上井草)など。

地名でなく、木の名前がついた公園も多い。シイ、クヌギ、コナラなど、どんぐりがなる木が
植えられているようだ。品川区のしいの木公園、くすのき公園、はなみずき公園、
杉並区のケヤキ公園、かりん公園、やなぎ公園、世田谷区のくぬぎ公園、
大田区にはくすのき公園などがある。
        しいのき公園
                 しいのき公園

先月、「すずめのお宿緑地公園」の帰り道、小さな「しいのき公園」の横を通りかかった。
椎の大木はなく、中央は桜と楓、入口には、1本の椎の木がポツンと立っていた。
旅・散策・イベント

スイカは野菜です!

2010年06月13日
先週の気功の時間、「みなさん、スイカを食べたとき、スイカの種や皮はどうしてますか?
桃の種は?」と楊先生が質問された。「捨てま~す」とMさん。「勿体ない!」と先生。
スイカの皮には、利尿作用があって、腎機能を高めてくれるし、美味しいのだそうだ。
冬瓜や胡瓜などの瓜類には、利尿効果があることは知っていたが、スイカも西の瓜と
書くとおり、やはり、瓜の仲間だった。

ところで、スイカやメロン、そしてイチゴも、野菜だということを聞いた。
調べてみると、農水省では、食べられる植物のうち、
1年生の草本植物で、ほとんど加工せずに、副食物として利用されるものを「野菜」、
多年生の木本植物で、果実を食用とするものを「果樹」と定めているそうだ。

この区分けだと、フルーツと思っているスイカ、メロン、イチゴは「野菜」、つまり、
「果実的野菜」ということになる。一方、料理にも使われることが多い、柚子、レモン、
アボカドなどは、「野菜的果実」と呼ばれることもあるのだとか。
スイカやメロンなどは、野菜として生産されるが、消費されるときは果物として
扱われるため、「野菜」でも「果物」でも、どちらでも構わないとも。

私は、瓜の仲間は、胡瓜以外は苦手だ。冬瓜のあんかけ料理は食べられるが、
西瓜や真桑(マクワ)瓜などは駄目だ。奈良漬の瓜はあんなに美味しいと思うのに。
特にメロンはまったく駄目だ。メロンは甜瓜、甘い瓜と書くくらいだから、瓜の仲間。
10年以上も前のことだが、庭の隅に、全然覚えのない植物の蔓が伸び始めた。
鳥が種を運んできたのだろう、手入れも何もせずに放っておいたが、果実が2つなった。
どうみても、スイカのようなメロンのような、瓜の仲間には違いなかった。

    ?瓜

嬉しくなって、メロンが大好物のOさんのお宅へ持参した。瓜であれメロンであれ、
私は全く食べられないので、Oさんに味見をしてほしいとお願いしたのだ。
割ってみると、メロンのようだったが、野生に戻ってしまったスイカ風メロン?は、
青臭くてとても食べられるものではなかったようだ。

スイカの皮の調理法はいろいろある。ぬか漬けや即席漬けにすると美味しいらしい。
あのとき、わが庭の瓜もぬか漬けにしたら、結構、食べられたかもしれない。

また、冬瓜のようにカニやエビと煮てあんかけにしたり、スープの実にもする。
中国では、軽く干したスイカの皮と豚肉を炒めたり、鶏ガラスープにスイカの皮と
干貝柱やカニなどを入れるらしい。
そういえば、以前、中国語の講座の後に皆で行った中華料理店では、メニューにはない、
「胡瓜入りの餃子」をときどき出してくれたが、なかなか、美味しかった。
生のスイカは苦手だが、胡瓜に似たスイカの皮のスープや炒め物なら美味しいに違いない。
楊先生によれば、もっとも簡単な食べ方は、皮に砂糖をかけるだけ。
これだけで老廃物が排出されるそうだ。

種には、解熱作用、潤腸作用、イライラを鎮める鎮静作用がある、薬材として利用されている。
中国では、干したヒマワリの種やスイカの種をおやつ代わりに食べるが、
種を空煎りして、熱湯を注げば、スイカの種茶が出来上がるそうだが、美味しいだろうか?

暑い夏を乗り切るには、食材にも気を遣い、もっと真面目に気功を練習しなくては・・・。
すぐに整体院や鍼灸院に駆け込んだりすることを減らしていこうと思っているのだが。
植物など

獏との取引に応ずる?

2010年06月12日
「リライブ」(小路幸也 著)という、短編集を読んだ。人が死に臨んだとき、「獏(バク)」が現れる。
獏は、悪夢を食べるのではなく、人の思い出を食べるのだという。
「死にゆくあなたの思い出をいただくために参上しました。その代わり、取り戻したいものを
差し上げます」と、獏が囁きかけるところから、この本は始まる。

取り戻したいものは、犬猫畜生、土地家屋、友人知人、恋人親兄弟、これまでの人生で
失ってしまった大切なもの、何か1つ、どんなことでも。あなたが、それを望むのなら。

恋人を失った夜、今の仕事を選んだあの日、それぞれが戻りたいその時から人生をやり直す。
つまり、過去に戻り、「選ばなかった人生」を歩むことができるというのだ。
そして、もう一度生き直した人生で死ぬときに、獏のことを含めて全てを思い出すことになる。

だが、その後の新しい人生がどうなっていくのか、その人生が素晴らしいものになるかどうかは、
獏にも判らないのだそうだ。勿論、この申し入れを拒否して、眠りにつくこともできるのだとか。
さあ、私だったらどうするか? 私の人生をやり直せるとしたら、どの時点に戻ろうか・・・。

小学4年のときだったと思うが、習字の時間が苦痛で、書道塾に通っているクラスメイトに
頼んで書いてもらって提出したことがあった。数日後、担任の先生にお目玉を食らった。
うまく書けていたはずなのに、どうして? 戻されたものをよく見ると、何と私の名字の
漢字2文字が入れ換わっていたのだ。このときほど、自分が情けなかったことはなかった、
と言いたいところだが、このようなことは、それまでも、それからも数え切れないほどある。

この事件の後、もし、発奮して、書道を習い始めていたなら、披露宴や展覧会の芳名録にも
堂々と署名できるようになっていただろうなと思ってみたりする。いや、書道を習い始めても、
やはり、お習字は苦手で、きっと数か月もつづかずに断念してしまったに違いない。

また、思い出したのは、幼稚園に通った2年間、私は場面緘黙(かんもく)児だったらしい。
園内では、私の声を聞いたことがないと言われていた。お友だちとはどうしていたのだろう。
わが家のすぐ近くに、幼稚園の先生が住んでおられた。綺麗な小柄な先生だった。
2年間、エミコ先生に連れられて、園まで15分ほどの道を歩いて登園した。
よく覚えていないが、その途中は、きっとエミコ先生とは話をしていたと思う。
園児たちは全員紺色のスモック姿の卒園式の写真。半世紀以上も前のことだ。
 
       卒園式
         園長先生と羽織袴の先生方   前列右端がエミコ先生

小学校3年のとき、蓄膿症の手術で入院したことがあり、エミコ先生がお見舞いに来て下さった。
私は、挨拶をしただけで、3年ぶりの先生と何を話していいかわからず、ベッドの上で読んでいた
漫画の本から目を離せずにいた。一旦、終りの頁まで行ったのに、また、途中の頁に戻って
読むふりをした。先生は、この私の情けない行動に気づいておられたと、後で母に聞いた。
       
その後、お会いする機会もなく、お見舞いに来て頂いた数年後、先生はご病気で亡くなられた。
「2年間、幼稚園に通うことができたのは、先生のお陰です。もう、3年生になりました。
毎日、楽しく学校生活を送っています。先生とも、友達ともいっぱい話をしています」。
それまでの思い出を「獏」さんに差し上げてまで、人生をやり直したいとは思わないが、
エミコ先生に、このひとことだけは、伝えたかったと、今でも後悔の念に責められる。

          幼稚園
      
私が通った幼稚園は、今も同じ場所にある。先日、図書館に行く途中、立ち寄ってみたが、
バレー教室、体操教室が併設されていたり、送迎用のバスが2台もあったりして驚いた。

それにしても、随分と月日が経ったものだ。私の字は相変わらず下手だし、
人見知りも直らない。熱しやすく冷めやすい性格もそのまま。いつも後悔ばかり。
人生をやり直せたとしても、私は私。結局、大して変わらないような気もする。
もし、私に獏さんのお誘いがあったとしたら、お断りしようと思っている。
どういう人生が、自分にとって幸せなのか、自分自身でもわからない。
今まで生きてきた自分の、すべてを受け入れて、活ききって死ぬことが、幸せなのだろう。
「活到老 学到老」といえる生を、全うすることが出来たらいいと思うのだが。
つれづれ

時を刻む

2010年06月11日
いつのまにか、駅のホームからアナログ時計が姿を消し、行先や遅れの状況などとともに、
電車の発車時刻や現在の時刻は、デジタル表示されるようになった。
100円ショップでは、デジタルの腕時計などが売られるようになり、腕時計だけでなく、
置時計もデジタル表示のものが多くなった。

           駅ホーム
  
一方、新しい建物では、アナログ時計をよく見かけるが、時を刻むといえば、
やはり、アナログ時計がふさわしいように思える。遠くから見ても見やすいし、
3時まであと10分とか、大体の時間がつかめるところがいい。
インテリアの一部といった感じのお洒落な時計がほとんどだが、デザインに凝り過ぎて、
時計には見えないようなものもある、

大門 新宿 元町
      港区             新宿区               横浜市

     渋谷       めざマルシェ
      渋谷マークシティ  渋谷区     銀座めざマルシェ  中央区

東京国立博物館の歴史は長いが、現在の本館(台東区上野)が出来たのは昭和12年だ。
ここにある重厚なデザインの時計は、70年以上も、時を刻み続けていることになる。

トウハクトウハク
      本館ホール正面                   本館ラウンジ    

JR山手線原宿駅の駅舎は、東京最古の木造駅舎だという。原宿駅開業は、1906年
(明治39年)だが、現在の駅舎は関東大震災の翌年、1924年(大正13)年の建築。

明治神宮の最寄駅でもあり、大晦日から正月にかけて、神宮寄りの臨時ホームが使用され、
改札口が設けられるという。
「神宮の森とマッチしている西洋風の駅舎」として、「関東の駅百選」に選ばれた(1997年)。

       原宿駅駅舎
                JR原宿駅 駅舎   渋谷区

日比谷公園
                   都立日比谷公園  中央区
    
昨年9月、久しぶりに東京駅丸の内側に行ってみると、東京駅駅舎はシートで覆われていて、
駅舎を創建した時に近い姿に復原する工事が始まっていた。(駅舎の完成予定は2012年6月)
中央郵便局はと見ると、こちらもすでに1階部分はシートで覆われ、クレーンが動いていた。
あの大時計に針がないことに気づいた。

     旧庁舎
              東京中央郵便局 旧庁舎  中央区

中央郵便局には、わが家近くの郵便局より、はるかに多く足を運んだような気がする。
かなり前になるが、八重洲側の画廊で催されたグループ展の会期中や、東京駅付近に
用があったときなど、町の郵便局に置いてない、地方の記念切手を買いに寄ったものだ。

1933年(昭和8年)に建てられた中央郵便局の旧庁舎は、歴史的価値が高く、保存を求める
声が強かったこともあり、東京駅などの景観との調和を図るため、外壁を可能な限り保存、
活用するそうだが、また、1つ、古き良き建物が姿を消すのではないかと、気懸りだ。
旅・散策・イベント

時の記念日

2010年06月10日
今日は「時の記念日」。
天智天皇10年4月25日(新暦6月10日)に漏刻(水時計)が設置され、宮中に
時が告げられるようになった(「日本書記」)この日が、「時の記念日」と制定された(1920年)。

昨年、いくつかの時計をご紹介したが、その後も、色々な時計に出逢った。(時を告げる

   中野区役所      中野サンプラザ中野サンプラザ         
      中野区役所               中野サンプラザ   中野区
                 
サンプラザの時計「太陽の顔?」は、1時、子どもたちが現れて、ギターやトランペットの
演奏を始めた。こうした時計は、各所で見られる。

 マリオン   新橋
      銀座マリオン 中央区            パチンコ屋 港区

      人形町      人形町  
        町火消し    「人形町からくり櫓」  落語  中央区

「人形町からくり櫓」は、通りを挟んで1基づつある。それぞれ毎日12時から17時まで
1時間おきに、江戸落語と町火消しの人形が出てきてショーをしてくれるという。
偶然、この時計が復元・披露された1週間後、人形町大通りを通った。
8mもある大きな時計だった。あと10分待てば、人形たちのショーが見られたのだが・・・。

江戸時代、この一帯は、江戸唯一の歓楽街として賑わっていて、歌舞伎、人形操り芝居、
浄瑠璃芝居、見世物小屋などが軒を並べ、それに携わる多くの人形師達がこの町に
住んでいたことから、「人形町通り」と呼ばれるようになったという。

     新宿三井生命       数寄屋橋
         新宿区         「若い時計台」 数寄屋橋公園  中央区

数寄屋橋は、戦後、ラジオドラマ『君の名は』で、一躍、全国的に有名になった。
この時計台がある公園は、かつて外堀にかかる数寄屋橋があったところだ。
「若い時計台」は、岡本太郎の作だが、「太陽の塔」の4年前に出来たものだそうだ。

       東大            
              東京大学 安田講堂          2007.3.31

これまで何度か訪れた東大だが、3年前、初めて桜の時季に訪れた。
3月末、三四郎池畔の山上会館で、その年の1月に亡くなった父を偲ぶ会があった。
少し早めに出かけ、構内を歩いたが、安田講堂の前で、孫のりんりんが走り回っていた
光景を懐かしく思い出す。
東工大でのお花見は、2度目。正門からつづく桜並木の向こうに本館の時計が見えた。

 東工大            
        東京工業大学 本館          2010.4.1
旅・散策・イベント

楽じゃない1歳児のお相手

2010年06月09日
息子の次女、1歳のあいあいが保育園に通い始めて2ヶ月が経った。
彼女は通い始めてまもなく、肺炎になり、1週間の入院生活を送ったため、退院後、
それまでの園の生活をすっかり忘れたかのようだった。  (坂の上のけやき公園
5月の連休までの1週間は、せっかく、園に行っても、午前中ずっと泣きつづけ、
先生にオンブされる日がつづき、いくらか慣れかけたところで、連休に入った。

連休明けに3日通った後、再び、熱を出して、園を休むことになった。息子夫婦は仕事を
休めないというので、やむなく私がサポートに。
阿佐ヶ谷までは、最短ルートをとっても、1時間はかかる。2日間、朝7時半に家を出て、
夜8時過ぎに帰宅という、子守出勤をすることになった。

39度の熱があるあいあい。元気なのはいいが、あちこち歩き回り、玩具を片っ端から
引っぱり出す。片時も目が離せない。しかも、抱きあげていないと眠らず、結構な重労働だ。
昼過ぎ、ごんさんに来てもらって、バトンタッチ。
私は2時間ほど、「すぎまる」(杉並区の100円バス)で、ちいさな旅をして気分転換をし、
ついでに座席で肩や頸のストレッチをしたりして、夜までの子守に備えた。
    
    5.14 
その後の2週間は、休まずに保育園に通ったが、よほど疲れたのだろう。週末、ついに、
ダウンした。土曜日曜と熱は下がらず、月曜日の朝、前回同様、満員電車を乗り継いで
阿佐ヶ谷へ行くことになった。
食事中だったあいあいは、私の顔を見るなり、母親にしがみついて泣いた。
この人が来ると、いつも自分は置いていかれると、咄嗟に分かるのだ。
これまでは、母の手から私に移っても、すぐに泣きやみ、玄関で母親と姉を見送った。
バイバイと手を振ることもあった。
      5.14 5.14 
           
だが、この日は違った。私に抱かれたまま泣きつづけていたが、自分だけが保育園に
行けないとはっきりしたとき、号泣に変わった。
玄関のドアが閉まると、「ネェ~ネ~!ネェ~ネ!」と一段と大きな声で泣き叫んだ。
休みがちだった保育園だったが、朝、姉と一緒に登園し、夕方、一緒に帰宅するという
毎日のペースに、やっと慣れたところなのだろう。
園のホールで姉ゆうゆうの姿を見つけると、「ネェ~ネ!」と指さして大喜びするそうだ。
連絡帳には、そんなあいあいの様子と、「姉妹っていいですね」というコメントが書かれていた。

熱があるとはいえ、本人はいたって元気なので、なぜ、姉は行くのに、自分が行けないのか。
きっと、私のせいだと思ったようで、泣きつづけた。
食べかけだったパンやヨーグルトも拒否。1時間半後、抱かれたまま、やっと眠った。

目を覚ましてまもなく、ごんさんが到着したので、バトンタッチすると、ごんさんに向かって、
指や声で意思表示をするのだ。どうやら、私に怒っているらしい。複雑な気持ちだった。
これ幸いと、前回と同じく、しばらくのフリータイムを求めて、阿佐ヶ谷の隣の駅、荻窪まで行き、
戻ってみると、あいあいごんさんと遊んでいた。
3時過ぎ、ごんさんを見送りがてら、抱っこして外に出たが、前回のようには歩かない。
本調子ではないが、食事もしたというし、熱も下がったようで、ひとまず安心した。
それから、4時間弱、ご機嫌も治り、息子やゆうゆうたちが帰宅するまでテレビを見たり、
玩具を出して遊んだりと、何とか、無事に子守を終えて、8時過ぎ帰宅した。
  
孫たちの成長ぶりを見るのは楽しみだが、当分の間、阿佐ヶ谷訪問は、病気休園時だけの、
緊急出勤に限りたい。
今回は、前日の「あいあい また熱出した」という、息子からの電報のようなメールから始まり、
「1日お疲れ様でした。助かります。食欲いまいちだけど、大丈夫そう」のメールで終わった。
翌朝は、姉と一緒に元気に登園したに違いない。
身近な人びと

猫食堂のルール「長幼の序」

2010年06月08日
猫たちの食事には、暗黙のルールがある。きちんと順番を守らなくてはいけない。
わが庭で生れたククは、ミケの子どもたち、クロシロの教育係をしているが、
あるとき、ククの食事中、割り込もうとしたシロは、「横入りはダメ!」とばかりに、
顔をピシャリと叩かれていた。

ミケとクロ  母と息子  ミケ食事中 (出産2日前) 5.9
       ミケ
        クロの番 
               やっとボクの番が来た! 
          
ミケとシロ  母と息子  ミケ食事中 (出産2日後) 5.13
               シロ
                 
クロとシロ  兄と弟  
       クロの番
                       待ちきれないよ!
       シロの番

            クロとシロ
                    兄弟仲良く並んで

どうやら、母親や親戚のオバサン?など、年長者には敬意を払い、後に控えて番を待つが、
兄弟の場合は、大人しく待っていられないようだ。たまに仲良く並んで食べることもある。
兄妹同士の場合は? ククの妹、甘ったれのトラは、兄のケシが食事中の皿の中に、
手をつっこんで、実に器用に数粒をつかみ出し食べることもある。
トラは母親のチビや親戚猫のチャトランにも、食事のマナーを教えられていないようだ。

ケシとトラ  兄と妹 
         ケシとトラ
                あれ? まだ、ボクが食べているのに・・・     
動物など

囲炉裏のある生活

2010年06月07日
童話「さるかに合戦」の中に、囲炉裏で弾けた栗が、猿を直撃して火傷を負わせるという
話があるが、囲炉裏がどこの農家にもあった時代は、暖をとるだけでなく、栗や山菜、
お餅などを焼いたりして、焼け栗が当たったり、野口英世のように、囲炉裏に落ちて
火傷を負うことなどもあったようだ。

先月は、目黒区立「すずめのお宿緑地公園」に3度も行った。 (目黒のタケノコ
最初は1人で、次は、孫りんりんを連れて、3度目は、スケッチの会の皆さんと行った。
3回目に行った27日は、暑くも寒くもなく、最高のスケッチ日和で、園内の古民家で
スケッチした人は3人だったが、今年最も参加者が多かった。

りんりんと一緒に行って、公園内の古民家(江戸時代中期)に入ったときのことだ。
土曜日だったが、見学者は少なく、ちょうど係の人がかまどに薪をくべているところだった。
興味深そうにのぞきこむりんりんは、「火吹き竹」を手渡され、「吹いてごらん」と言われ、
恐る恐るだったが、3度ほど吹いただろうか、だんだんと上手になり、最後に、かまどに
小枝をくべさせてもらって大喜びだった。
     
   かまど
      観察ノートにかまどの絵を描く         火吹き竹に挑戦

持ってきたB5版の観察ノートを囲炉裏の前で広げた。野口英世の生家で見た、英世が落ちた
という囲炉裏と比べて、「ここのところが違う」などと言いながらスケッチをしていた。
描き終わっても、囲炉裏の周りに置かれた「主座」「客座」「嬶(かか)座」それぞれに座ったり、
庭を眺めたり、「こういう家にすみたいなあ」と、なかなか、離れようとしなかった。

  かまど  いろり
                  かまど         いろり  by りんりん

部屋にかまどの熱気や煙を充満させることで、木材中の含水率を下げ、腐食を防ぎ、
燃える薪の煙に含まれるタールが、梁や茅葺屋根、藁屋根の建材に浸透し、
防虫性や防水性を高めるといわれる。
りんりんにその話をすると、「そう。江戸時代は、虫のスプレーがなかったからだね」と。
私は即座に頷いてしまったが、いやいや、当時は蚊もハエなども多かっただろうし、
煙や湯気ではどうにもならなかっただろう。
蚊取線香のようなものが、江戸時代にあったのだろうか。

りんりんではないが、茅葺屋根に太い梁、囲炉裏のある民家は、単なるノスタルジーの
対象ではないようで、最近、囲炉裏付の古民家物件が人気を集めているという。
シックハウスなどの問題もない、日本の気候に合った民家に魅力を感じる人たちが
増えたということのようだ。

かまど、火鉢とともに、日本の伝統家屋の火の座を構成してきた囲炉裏は、暖房、調理、
照明、火種の保持など、様々な機能を持ち、家族のコミュニケーションの中心の場であった。
囲炉裏が切られる場所は、多くの場合板敷きの間の中央で、囲炉裏の周りは席順があり、
どこでも勝手に座ってよかった訳ではなかったそうだ。

最近は、「囲炉裏ズム」とか称して、ダイニングルームに囲炉裏があるマンションが
売り出されているが、ここでは、薪でなく、煙の出ない炭火が用いられるようだ。
昔の民家の囲炉裏では、大割りした薪が用いられることが多く、コストの高い木炭は
むしろ火鉢専用だったという。

また、手ごろな値段の囲炉裏型座卓や囲炉裏テーブルというのも売り出されている。
普段は蓋をしめて座卓に、家族が集まったときには、囲炉裏になるというもの。
電気コンロを真ん中に据えた座卓では、味気ないような気がするし、木炭を使用する
場合でも、換気が不十分だと、一酸化炭素中毒になる恐れがあるので、注意を要する。
身近な人びと

二面、三面の顔を持つ店

2010年06月06日
今日は24節気のうちの1つ、芒種。芒種とは、芒(のぎ)のある穀物の種を蒔く頃という意味。
芒は、イネ科の植物の籾のような部分の、外皮の先端にある細い突起を指す。
要するに、芒種の節とは田植えの時季のこと。
現在、種蒔きは、これより早く、西日本では梅雨入りのころとなる。

イネ科の植物といえば、その代表は稲や麦だが、この稲と麦とを同じ耕地で交互に栽培する
ことを「二毛作」という。だが、二毛作は田畑だけで見られる現象とは限らない。
最近、不景気を乗り切るために、外食産業の店舗にもこの二毛作スタイルが出現したと聞いた。

たまに通る渋谷道玄坂で、昼は「つけ麺」の店、夜は居酒屋に変身するという店を見たが、
このように、二毛作の店があちこちで増えているらしい。
面白いのは、港区芝のイタリア風デリスタイルの弁当店が、夜間は「夕方からの八百屋さん」
になるという。昼にお弁当を買い、夜には果物や野菜を買って帰るOLもいるとか。

最近は、昼夜異なる顔をもつ「二毛作」だけでなく、「三毛作」事業の形も現れたようで、
赤坂にある「麺ズバー」は、朝は卵かけご飯 昼はそばを提供し、夜は居酒屋になるそうだ。
こうした「二毛作」「三毛作」が、時間の有効活用とすれば、空間の有効活用の「三毛作」も
あるそうで、例えば、精肉店とテイクアウトの寿司屋が並んだ奥に入ると、ホルモン焼きを
看板とするイートインの店があるといった、3種類で構成されるというもの。

わが家近くの駅前商店街は、いつの頃からか、様子が徐々に変わり始め、今では、
駅前食堂ともいうべき古い食堂と和菓子屋をのぞき、通りの顔ぶれはすっかり変わった。

      駅前食堂
                 「一毛作」?の駅前食堂

駅前にあった洋品店の一部が寿司屋に変わったのが、最初だっただろうか、その後、
洋菓子のチェーン店になったり、テイクアウト専門の寿司屋になった時期もあった。
数年前、ついに洋品店はなくなり、中でつながった小料理屋と寿司屋になったこともあったが、
現在は、小料理屋とマクドナルドになっている。

駅の横は、セブンイレブンになってからは久しく、以前、どんな店だったのか思い出せない。
このコンビニの2階の居酒屋ダイニングが、あるとき、昼も店を開けるようになって、
いつのまにか、昼はイタリアンの店になっていた。わが町の二毛作店といえるだろう。
だが、どうもあの店でピザやパスタを食べようという気が起きない。
小さいわが町にも、少しはお洒落なイタリアンの店が2軒はあることだし、
一度、絵のお仲間と入ったことがあったが、居酒屋風のイメージが強すぎて、
料理の味と店の雰囲気がマッチしなかった。
最近、この店は「二毛作」をやめて、夜のみの営業に戻っていた。
つれづれ

青梅を漬けるころ

2010年06月05日
梅雨入り間近になると、梅の若葉が茂ってきて、梅の実が急にふくらみ始める。
わが家の紅梅も実をつけたが、風もないのにポトポトと落ちて、残り少なくなってしまった。

果実の未熟の状態を、「青」の字を冠して表し、夏の季語とすることが多いようだが、
若葉や実に、紅が入った紅梅の実も、青梅というのだろうか。
紅梅の実は梅酒や梅干向きでないらしいが、以前、これで梅干をつくったことがあった。
やはり、美味しくなかった。白梅の実とは、どうも違うような気がする。       

             紅梅 5.5
     紅梅の実
                   4.19                     5.23

     実梅落つ稿終へて旅果てしごと    

母の句集を開いてみたら、「梅雨」や「梅漬ける」を詠んだ俳句が多いことに気づいた。

     描きし絵に説明長き子梅雨曇る  

何の絵を描いたのだろう。この「説明長き子」は、私のことだ。ちょうど、3歳半の頃か。
       青梅スケッチ 
この青梅のスケッチは、10年以上も前のもの。この頃までは、庭の梅で梅酒をつくっていた。
1年間、地下室で貯蔵した、重たい梅酒瓶を運び上げるのは、なかなか大変な作業だった。
例年、大きい梅酒瓶が3つほどあり、中の梅酒をウィスキーの空き瓶に移すのは、
結構、難しかったが、熟成した梅酒の味見をするという楽しみもあった。
母もそんな時間が好きだったようだ。

     梅漬けてとろり一とせ睡らせる      

中には、不透明な瓶もあったが、移し終えた瓶の中の琥珀色の梅酒を眺めていると、
いろいろな思いが去来して、つい、手が止まってしまうことも度々だった。
空になった梅酒瓶に青梅と氷砂糖を入れ、ホワイトリカーに漬けこむと、
再び、地下室に運ぶという、重労働が待っていたのだ。

     梅漬けて昨年の会話と似しことを
    
     梅漬けて事無きをもて足るや汝    


母は、この年の3月、入院・手術し、4月退院だったが、この年も梅を漬けたようだ。

     梅雨の夜の閉す戸閉す戸へ仔犬来て

私の子どもの頃から、庭には犬小屋があり、番犬がいた。この犬は、4代目のモグだろう。
迷い込んできた雑種だ。仔犬のときは繋がれていなかったのだろうか、よく覚えていない。 

     走り梅雨男の友情老いて濃し  

     梅雨寒や諍ひてなほ労わりて     

     梅雨晴や微笑みつ死を話題とし    


今、たった1つしか残っていない切子のグラスを見ると、はるか昔の夏の光景が想い出される。
旧宅の台所から、チリチリという氷の音をさせて、薄暗い廊下を応接間まで運ばれた、
あのグラス入りの梅酒だ!こういうときは、子どもの私も薄い梅酒をもらえた。
梅酒といっても梅酒入りの冷水なのだが、小さいときから、梅酒を好んで飲んだお陰で、
お酒が強くなったのかもしれない。

梅雨空、梅雨雲、梅雨曇、梅雨寒、梅雨冷・・・鬱陶しい梅雨の季節!
琥珀色になったわが家の梅酒を味わいながら、梅雨が明けるのを待つことにしようか。
植物など

増やしたい街のみどり

2010年06月04日
昨年、井の頭恩賜公園(三鷹市・武蔵野市)で、「思い出ベンチ」を見かけたが、このベンチは、
東京都建設局の推進事業の1つとして、多摩産のヒノキ材のベンチに、寄付者の名前や
メッセージを刻んだ、真鍮のプレートが取り付けられていた。 (二役こなす公園のベンチ

中原街道を、多摩川の丸子橋から環8との交差点付近まで歩いたとき、目に入ったのは、
街路樹につけられた「マイ・ツリー ーわたしの木ー」のプレートだった。
植えられて間もないのか、ライラック(もくせい科)、ハナズオウ(マメ科)などの若木は、
サツキの樹木の間に埋もれるようにして、竹の棒に支えられて立っていた。

    マイツリー

支柱に添えられたプレートには、「半世紀 よくぞ越え来し 二人の山河」「緑を明日へ」
「今、私が出来ること」などと書かれていた。   
       
2年前に始まった、「緑の東京募金」の1つ、マイ・ツリー事業も、都建設局によるもので、
「水と緑の回廊で包まれた、美しいまち東京を復活させる」ため、都内の街路樹を
100万本に倍増させ、都市公園などを緑の街路樹でつなごうというもの。

           ハナミズキ
                  ハナミズキ(ミズキ科)
           
今年度の募集は、まもなく始まるようだが、ライラックなどの中木(1本1万円)や
ハナミズキなどの高木(1本5万円)が、都内の道路、31路線40箇所に植えられる。
植えられた苗木には、寄付者の名前やメッセージを入れたプレートが付けられる。

緑被率という言葉がある。これは、対象となる地域の面積に対して、緑地が占める割合で、
平面的な緑の量を把握するための指標となり、都市計画などに用いられるそうだ。
大田区では、10年前に比べて、東京ドームの約13個分弱の緑が減少しているという。

緑地には、樹木で被われた地域だけでなく草地も含まれるため、多摩川河川敷などがある
大田区は、比較的高い緑被率になるが、緑豊かな地域であるという実感は無い。
調査方法や調査年度などが異なるが、23区の緑被率を比べると、もっとも高いのは
練馬区(26.1% 2006年)で、世田谷区(24.0% 2006年)、杉並区(21.8% 2007年)とつづく。
因みに、大田区(20.3% 1997年)は7番目、目黒区(17.1% 2004年)は10番目。
緑被率がもっとも低いのは荒川区(7.3% 1998年)で、台東区、中央区、墨田区も、
1ケタ台となっている。 

イチョウ そめいよしの
        大田区保護樹木  イチョウとそめいよしの

緑の減少は公園整備だけではまかないきれないといわれる。
各区では、保護林、保護樹木の指定をして、剪定費用の一部を助成したりしているが、
例えば、大田区では、この10年で、保護林は56ヶ所から71ヶ所に増え、保護樹木は
527本から973本に増えてはいるが、指定された樹が伐採されることも多いのだという。
伐採抑制の強制力はないので、この制度も貴重な緑を守るための決定打とは言えないようだ。

先日、文京シビックセンターの25階の展望レストランの窓から、屋上が緑に被われた
建物がいくつも目に入った。文京区は、ヒートアイランド現象や大気汚染の緩和、
地球温暖化の防止などを目的とした、「屋上等緑化助成制度」を設けているという。

      屋上

新宿区、品川区、世田谷区、大田区などでも、こういった制度があるようで、
街路樹、屋上やベランダの庭園、壁のグリーンカーテンなど、東京の街の「みどり」は
少しずつだが増えているように思う。
植物など

久しく会っていない李さんたち

2010年06月03日
海外旅行が空前のブームになっている中国から、更に多くの観光客を呼ぶため、政府は、
富裕層に限られている個人観光ビザの発給を、中間層に広げることを決めた。
個人観光客へのビザの発給は、昨年7月から始まったが、不法滞在や不法就労への懸念から
年収25万元(約340万円)以上の富裕層などに限定されていた。
これが、中間所得層までに広がると、これまでの10倍の約1600万世帯が対象となるとか。

かつては、日本人が中国へ観光に行くのに必要だったビザが、2004年、15日以内の
滞在では不要となった。私が初めて中国へ行ったのは、1999年(雲南省・貴州省)で、その後、
2000年の江南水郷(江蘇省)、2001年の安徽古村落・黄山(安徽省)と杭州(浙江省)、
2002年の桂林(広西チワン自治区)烏鎮(浙江省)、2002年と2003年の北京までは、
ビザは必要だったはずだが、手続きは旅行社に代行してもらったせいか、ビザの発給が
大変だったという記憶はない。

最初の中国の旅で通訳をしてもらった張さんとは、それを機に、お付き合いが始まったが、
その彼が、来日直前、何故かビザが下りず、来日できなくなったことがあった。
東京で、久しぶりに彼に会えるのを楽しみに待っていた私たちは、そのことを知って
がっかりしたものだった。
中国人が来日するのには、その頃は特に、いろいろな制約があって大変だったようだ。

   張さんの家
   当時は市内では数少ない張さんのシボレー   張さん宅 ダイニング

張さんは常州人。若い頃、日本に留学していたことがあり、現在は、個人貿易など、
いろいろな仕事をしているようだ。2002年の旅までは、通訳をしてもらっていたし、
彼の紹介で、常州の大学に短期の留学をしたときも、すっかりお世話になった。

彼の甥たち3人も日本に留学した。大学卒業後、南京で結婚式を挙げた周さんは、
東京に残り、2人の張さんたちは、常州に戻って仕事をしている。
張さんとは、このところ疎遠になっているが、一人娘のノウちゃん(と呼んでいた)は、
現在、日本の大学に留学中だとか。
     
張さんの甥たちのほかにも、張さんの親戚にあたる、李さんとも交流ができた。
李さんは、日本の大学院に留学中、一旦、常州に戻り、幼馴染の姚さんと結婚式を挙げ、
卒業後、常州に戻り、現在、常州市の日系企業に勤務している。
     
    常州郊外
            李さんの故郷  常州市郊外の村

彼がまだ、大学院生のとき、姚さんを日本に呼ぶために、ビザを申請することになった。
そのためには、招へいの目的、招へいの経緯などを記入した、「招へい理由書」を
提出しなくてはならない。李さんに、日本語の下書きをチェックしてと頼まれて、直して
あげたことがあった。もう、10年も前のことだ。

  717no4.jpg 717no3.jpg
     張さん  李さんの家の前で        李さんの実家の台所 

姚さんのビザが下り、来日してから、李さんは、アルバイトの合間を縫って、彼女を
案内して廻ったが、大学院を訪ねたときには、Kさんと私もお伴した。
彼女の滞在期間中、姚さんにデッサンのモデルをお願いしたことがあった。
このとき、李さんは来られず、ほとんど日本語が通じない姚さんと怪しげな中国語の私で、
どうなることかと不安だったが、デッサン会は無事に終わりほっとしたことを思い出す。

その後、双子のパパになった李さんは、常州の日系企業に就職した。
たまに、日本に出張するときに会いたいですねと、メールが来る。
「好久没有联系(ご無沙汰していますの意)。お元気ですか?
僕は帰国してからもう5年半にたちました。相変わらず日系会社に勤めっています。
仕事は大変ですけど、頑張っています。
5年半の間、4度仕事の関係で日本へ行きました、日本はあまり変わらないですね!
家の子供(二人)はもう小学校一年生になりました。
このメールをみって返信していただきませんか?お楽しみにまっています」
(原文のまま)

アルバムを開いてみると、李さんと姚さんが写っている。Kさんも私もさすがに若い。
姚さんがわが家でモデルを務めてくれたのは、偶然にも、10年前の6月だ。
次の頁には、パパになった李さんが、愛おしそうに双子ちゃんを抱いた写真がある。
久しぶりに、李さんにメールしてみることにした。
中国・中国の旅

歩道を彩る花々

2010年06月02日
先月11日から、携帯で撮った写真を元に、花の名前を検索できるサービスが始まった。
これは、「みんなの花図鑑」のNTTドコモの携帯サイトに、携帯電話で撮影した写真を
投稿できたり、花弁の数などから開花時期や学名などサーチできるそうだ。

高山植物を除く国内の山野草500種類の花を対象にしているそうだが、現在のところ、
正答率40%程度だとか。今年の9月末までの限定サービスらしい。
名前がわからない花は、家の図鑑で調べるのが常なのだが、私の携帯はドコモ。
せっかくだから、試行期間中、1度は、この図鑑で調べてみたいと思っている。

昨年、拝島橋、江東区塩浜などの歩道にあった、たくさんの「花の絵タイル」を見た。
歩道が新設されたり、整備されるとき、絵タイルがはめ込まれることが多いように思う。
拝島橋の絵タイル 花  都内23区の「花」Ⅰ  23区の木と花と
その後も、緑道や商店街の歩道などで、花の絵タイルを見かけた。
タイルに花名が書かれていることも多いが、図鑑で調べなくても何の花か分りやすいものが
選ばれているように思う。ユリの木公園のユリの木は、一般的とはいえないかもしれないが。        

世田谷区 蛇崩川緑道
現在は暗渠化されて、全長3Kmの遊歩道になった蛇崩川は、かつて弦巻村を水源として
上目黒村で目黒川に合流する小さな川だった。赤土を崩して蛇行していたため、
この名がついたという。この緑道の花壇のレンガに、花の絵タイルがはめ込まれていた。
                 
    枝垂れ桜 染井吉野
         しだれざくら                 そめいよしの     

                  こぶし
                          こぶし 

   しゃくなげ  さるすべり
         せいようしゃくなげ               さるすべり       

   
     神田川   神田川
                 神田川四季の道   中野区

      鵜の木   洗足池
                          大田区 
                
 渋谷  小岩
        ハチ公広場  渋谷区              江戸川区

バラ   
                大井町
                     大井町駅  品川区

ユリの木 
    715no019.jpg     715no020.jpg
                  ユリの木公園  世田谷区  
       
つつじ  中野区の花 
                つつじ

ハナショウブ   渋谷区の花  
   しょうぶ   しょうぶ
    しょうぶ   しょうぶ

ハナミズキ  港区の木      
      新橋   新橋

朝顔 ほおずき りんどう    
       朝顔ほおずき   りんどう
            善光寺坂 文京区             鎌倉市の花

  大田区の花
      鵜の木   池上 
  
つばき  
          椿
                    目黒川遊歩道  目黒区                  
旅・散策・イベント

衣替えの季節

2010年06月01日
今年の春は暑かったり寒かったりと、比較的長く桜の花を楽しめたのはいいが、
麗かな春らしい日はほとんどなく、いつの間にか、初夏になっていた。

街や電車内で、5月にもなれば、半袖姿にサンダルの女性を見かけるようになるが、
この頃、半袖やノースリーブのワンピースにスパッツ姿の女性が多いことに気づいた。
こういったスパッツ姿は大分見慣れたが、透けるような薄地の服にストールを巻き、
ブーツを履いた女性を立て続けに3人も見たときには、さすがに驚いてしまった。
今流行のストリートファッションだろうか。冷房対策にはいい選択かもしれないが。

四季のある日本では、昔から季節に応じて衣服を着替える習慣があった。
5月の連休明けから、夏服になった学校もあるが、今日6月1日に衣替えするところは多い。

  駅で    車内で 
    
衣替えの習慣は、宮中の行事として始まったもので、当時は中国の風習に倣って、
旧暦の4月1日と10月1日に行われ、これを「更衣(こうい)」と呼んだ。
しかし、天皇の着替えの役目を持つ女官の職名も更衣と言うようになったので、
民間では「衣替え」と言うようになったようだ。

江戸時代の武家社会から更に複雑になって、着物の種類が増えて、袷(あわせ)や帷子
かたびら)など、年4回も衣替えをするようになり、一般庶民もこれに従うようになったという。

明治時代、役人、軍人、警察官の制服を洋服に定め、明治6年(1873年)太陽暦が
採用されると同時に、衣替えは6月1日と10月1日と定めた。
その後、学校や官公庁、銀行など制服を着用するところで、この日に行われるようになった。
                  
一般家庭では、そのときの気候に合わせて衣替えをするようになってきたが、
和服は、今でも6月と9月が単衣(ひとえ)、7、8月が薄物、10月から5月が
袷(あわせ)とされる。

       りんりん 半袖半ズボン姿のりんりん 5.8

「衣替え」を「更衣」と言わなくなったというが、「更衣室」という言葉は今でも使われる。
私が通った中学高校では、校舎と運動場が離れていた。体育の時間には、運動場の隅に
あった「更衣室」で着替えをしたことを思い出す。
現在、私が気功の練習で、着替えに使う部屋には、「女子更衣室」というプレートが
貼ってある。フィットネスクラブやスイミングクラブなどのスポーツ施設などでも、
ロッカールームを「更衣室」と呼んでいるところが多いのではないだろうか。

突然、仏壇の話になるが、最近は、住まい方や部屋に合わせて、様々なタイプのものが
登場しているのは知っていたが、先日、見た広告の「きせかえ仏壇」には驚いた。
扉の和紙の模様が3種類だったか、入れ替えることで、仏壇の表情を変えられるというもの。

   きせかえ仏壇
             和紙入り扉とリバーシブル扉の仏壇の広告

仏壇も「衣替え」の時代なのだろうか。部屋の壁紙やカーテンを替えるのと同じ感覚だろうか?
つれづれ
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