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「風景印」 杉並区 Ⅰ

2010年08月31日
昨年の夏、港区芝局で初めて押してもらって以来、(郵便スタンプ「風景印」) 少しずつ、
増えている「風景印」のコレクションだが、杉並区については、昨年は、堀之内局のみだった。
今年になって、息子の家に行くときに前を通る杉並局で、それに続き3局で押してもらった。

杉並堀之内局杉並南局
 堀之内&杉並南
         大宮八幡宮の菩提樹  樹齢400年  和田堀公園
   菩提樹&和田堀公園 
杉並区大宮にある「大宮八幡宮」は、武蔵国の三大宮の一つで「多摩の大宮」とも呼ばれ、
境内は1万5千坪と、都内でも3番目の広さを持つ。源頼義により建立された。
また、この付近が東京都のほぼ中央に位置することから、「東京のへそ」という異名も持つ。

この神宮の菩提樹は、徳川家康の次男、松平秀康夫人の清涼院殿が植樹したといわれる。
以前は自然に湧出していた、御神水「多摩乃大宮水」は、現在はポンプで汲み上げている。
平安時代に行われていた、重陽の節句の宮中行事「菊被綿(きくのきせわた)」にちなんで
再現された「菊被綿飾り」を、昨年秋、ここで見ることができた。(菊の節句 重陽) 

菊被綿多摩乃大宮水
         菊被綿飾り                  多摩乃大宮水     

杉並局 
 杉並妙法寺鉄門
    阿佐ヶ谷七夕まつりと妙法寺鉄門           妙法寺 鉄門
   七夕まつり
「阿佐ヶ谷七夕まつり」は、毎年8月初め、JR阿佐ヶ谷駅から区役所(東京メトロ南阿佐ヶ谷駅)へ
つづくアーケードで行われる。           (恒例の「阿佐ヶ谷七夕まつり」に行く

今年で3年目の、ヘチマやゴーヤなどでつくられた、区役所の緑のカーテンは見事だ。
巨大な緑のカーテンに「高さ世界一」の称号を与えてもらおうと、ギネスブックの認定に向けて
準備を進めていると聞いたが、10月末、刈り取られる運命なので、果たしてどうなるのか。
ギネスブックはともかく、風景印を改訂することがあれば、この区役所の緑のカーテンと
区役所前から中野区までつづく、中杉通りのケヤキ並木を入れてほしいと思う。

       杉並区役所 8.7
              区庁舎5階まで伸びたヘチマ

荻窪局
     荻窪      道潅槇
 道潅槇」 善福寺公園  観泉寺の今川家累代の墓     「道灌槇」   

荻窪八幡神社のご神木「道潅槇」は、源頼義が奥州からの凱旋にあたって、社を作ったという
故事にならって、太田道潅が石神井城攻めの戦勝を祈願した際に植えた槙の木だという。
樹齢500年余と言われるが、えらく元気がないように感じた。

善福寺局   
   善福寺 サザンカ
    地蔵坂と地蔵堂 井草 富士山 区の木「サザンカ」 

地蔵坂は、善福寺と西荻北の境目にある坂。かつて坂の途中に地蔵堂があり、
地蔵菩薩や庚申塔、馬頭観音などが祀られていたことに由来するという。
坂上の台地の先端部付近は、地蔵坂遺跡と呼ばれ、旧石器時代の石器類などや、
縄文早期の石器や土器が出土し、荻窪中学校の校庭で発掘された、井草期の住居址は、
区内で初めて発見されたものといわれる。
因みに、杉並区の木は、サザンカのほかに、杉と曙杉。 

杉並区内の「風景印」は、あと、杉並和田局と杉並下高井戸局の2局だけになったが、
離れているので、別々に訪れることになりそうだ。   
旅・散策・イベント

奇妙な夢見

2010年08月30日
夢は途中だったのか、夢が終わったので目が覚めたのか、おかしな夢を見た。
夢の中の私は、20年前に姿を消した旧宅の表門の内側にいた。
普段は、東の裏門から出入りしたが、たまに、北の表門の潜り戸を利用することもあった。

門の内側にいる私は、門外の誰かから、ケーキ?が入った箱を受け取っていた。
箱に掛けられた紐が何か変な感触だ。細長い幼虫のようなものが紐状につながった、
気持ち悪いものだったのだが、箱を落とすこともなく、「この紐はいったい何?」と、
夢の中で考えていた。外にいる人は誰かわからない。箱がケーキだと思ったところをみると、
宅急便ということではなさそうだ。

    表門 
             玄関からのスケッチ    道路側から見た表門      1990.11

いつもは起きてしまうと、とりとめもない夢のせいか、どんな夢だったか忘れてしまうが、
この日は、何故あんな夢になったのか気になり、しばらく、ボーと考えていたら、
思い当たることがあった。

今や「パワースポットめぐり」は、1種のレジャーになったようだ。(パワースポットの中心点
「パワスポ散歩にでかけませんか」という新聞広告(朝日×ムー)の特集で、東京タワーの       
脚下にある「蛇塚」(港区)が紹介されていた。
蛇塚は、全国各地にあるが、ここのは、秋田から上京した女性が、身辺から蛇の抜殻が
見つかったり、蛇の夢を見る度に商売が繁盛したことに報いるため、建てた蛇塚だそうだ。
東京タワーや芝公園付近に何度も行ったのに、蛇塚には気づかなかったなと思いながら、
記事を読んだのだが、この「蛇の抜殻」の印象は強かった。 

因みに、この広告記事によると、パワスポとして紹介されていたのは、明治神宮「清正の井」、
浜離宮庭園のほかにも、浅草寺(台東区)、花園神社(新宿区)など、寺社が多かった。
意外なことに、駒沢公園(世田谷区)、日本武道館(千代田区)など現代的な所も含まれていた。

おかしな夢を見た前の日、Yさんとパワスポの話をしながら、「クマムシ」の存在を知った。
それは電子レンジでチンしても平気、水なしで120年生き続けられる微小生物だという。
夜、「クマムシ」をネット検索して、「クマムシ?!―小さな怪物―」(鈴木忠 著 岩波書店)の
頁で、「乾燥→注水→蘇生」するクマムシ、「歩くクマムシ」の動画を見て驚いた。

このクマムシの姿が、蛇の抜殻と一緒になって、箱の紐になって、夢に現れたのだろう。
とりあえずそう考えて、夢にケリをつけたのは、起きてからだいぶ時間が経っていた。
門の外の人物が誰なのか、箱の中身がケーキだったのか、それは謎のままにして・・・。

それにしても、私の夢に現れるスポットは、なぜかいつも20年前に姿を消した旧宅や庭、
または、学校の階段や昇降口だ。 
つれづれ

「パワースポット」の中心点

2010年08月29日
「パワースポット」という言葉をよく耳にするが、これは和製英語だそうだ。
かつてスプーン曲げ少年として有名だった超能力者が、エネルギーをチャージし、
スランプから抜け出せた場所を「パワースポット」と呼んだのが初めだという。

霊力や呪術と違い、「パワースポット」というカタカナ語は、明るいニュアンスを持つ。
主に女性たちの間で、パワースポットブーム、スピリチュアルブームが起きているらしい。
最近では、東京にある数えきれないほどの「パワースポット」の中でも、ピンポイントの
スポットに、「癒し」や「願望成就」を求める傾向があるそうだ。

6月末のスケッチの日、皆で日比谷公園(千代田区)の「首かけ銀杏」を描いた。
Sさんによれば、この銀杏が「パワースポット」として、テレビで紹介されてから、
俄かに有名になり、多くの人たちが訪れるようになったそうだ。(首かけ銀杏の前で

昔から有名なのは、初詣の参拝客が全国一の明治神宮の「清正井」。かつて、この地が
熊本藩主加藤家の別邸であったことから、土木の神といわれた加藤清正に因んだ名がついた。
明治神宮は富士山から出た気が流れる「龍脈」上にあり、自然の湧水である「清正井」には、
特に気が集まっているそうだ。
誰が言い出したのか、お参り後に「ケイタイで写した画像を待受画面にすると運気が上がる」と。
ついに整理券が配られるほど、早朝から人が押し寄せているとか。不思議なはなしだ。
「清正井」に限らず、神宮の森全体が神域、「パワースポット」だと思うのだが。

日本庭園は、風水や陰陽道の教理が採入れられることが多いが、「砂環水抱」の風水の
大吉相を表すという「浜離宮恩賜庭園」(中央区)は、江戸時代の代表的な大名庭園。
寛永年間までは将軍家の鷹狩場で、一面の芦原だったが、その後、海を埋立て屋敷を建て、
将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成したという。
明治維新後、皇室の離宮「浜離宮」となり、国の特別名勝及特別史跡に指定された。

浜離宮庭園には、都内で唯一、現存する海水の池「潮入の池」がある。大分前になるが、
この池に浮かぶ「中島のお茶屋」で、榮太郎製だったか、美味しい和菓子とお薄のセットを
頂いたことがあった。都の運営だけあって安く(たしか500円)、感激したものだ。
このときは、スケッチ会に遅れて参加したため、1枚も描かなかった。
ここのお茶屋に直行し、池を前に、結構長い時間、おしゃべりしていたと思う。

      三百年の松 2010.1
              浜離宮庭園「三百年の松」

この庭園そのものも強いパワーがあるというが、奥にある観音堂の跡地が特に強いそうだ。
何度か園内を歩いたことがあったが、このスポットがどこにあったか思い出せない。
「三百年の松」の堂々たる姿に圧倒されたが、あの頃は、パワースポットという言葉には
馴染みがなかった。                       (クロマツの老木たち
因みに、旧芝離宮庭園、清澄庭園、旧安田庭園などの池も、昔は潮入の池だったという。

馬事公苑(世田谷区)の塀に沿って歩いていて目に入ったのは、掲示板に画鋲で止められた
公苑の地図と「馬事公苑開運スポット」の記事だった。
人気占い師が「事業運、財運が高まるスポット」と、テレビで紹介したそうだが、
馬は旺盛な生命力の象徴で、馬がかつて交通手段として使われていたから、
進学、就職、引越しなど、移転や変動の時期に開運効果がある
」とも書かれていた。

    馬事公苑
            馬事公苑    開運の効果のほどは・・・?    2010.8
 
「この場所から、南の方角に向かって願掛けするとよいそうです」とあった。南の方角が
どちらか考えるのも面倒だったし、馬も見えない塀の外で願掛けをしてもどうかと思ったが、
とりあえず、公苑の方を向き、「よろしく!」と目礼した。
神様なのか馬なのか、いったい誰にお願いしたらよかったのか、はっきりしなかったが。
旅・散策・イベント

中学入試も「理科」は難題!

2010年08月28日
東急線の車内で、日能研の額面広告「シカクいアタマをマルくする」をよく目にする。
日能研(小学生のための中学受験塾)が、中学入試問題から毎月2校分を取上げたもの。
算数や理科の問題だと敬遠することが多いが、今月の理科の問題は、身近な植物の名前と、
カルタという文字にツラれて近づき、挑戦してみた。

       8月理科
 
問題は、「5種類の生物をそれぞれ紙に書いて、カルタ遊びをやることにしました。
読み札が読まれたときに、そこに書かれてある特徴がある生物を選んで取っていきます。
1度に2枚以上とることがないようにするためには、読み札をどの順番で読めば
よいですか
。その順番をア~オの記号で答えなさい」というもの。

「読み札」 ア:生きるのに水を必要とするもの イ:種子をつくって増えるもの 
       ウ:根・茎・葉の区別があるもの エ:果実をつくるもの オ:光合成を行うもの
「取り札」  アサガオ イチョウ スギナ シイタケ ゼニゴケ

          取り札
これは、表をつくるなどして、整理してみれば、わかりそうだ。
       アサガオ→ア イ ウ オ  イチョウ→ア イ ウ エ オ
       スギナ→ア ウ オ  シイタケ→ア  ゼニゴケ→ア オ 
こう考えると、「エ(イチョウがとられる)→イ(アサガオがとられる)→ウ(スギナがとられる
→オ(ゼニゴケがとられる)→ア(シイタケがとられる)」の順番に読んでいけばよいことになる。

それにしても、理科というのは、知識を身につけるだけでなく、それぞれの知識がどのように
関係しているのかを理解し、深めていくことが大切だという。
そういえば、6月の「シカクいアタマをマルくする」の理科もこういった問題だった。

        理科 click! click!
     1. AはCとEを食べ、DとFに食べられる  2. BはFを食べる 
     3. CはAとEに食べられる  4. DはAを食べFに食べられる 
     5. EはCを食べAに食べられる  6. FはAとDを食べBに食べられる 
 
 
森林に生きるカエル、チョウ、イタチなど6種類の生き物の関係を考える問題。
人間の活動によって、ある生き物が大幅に減ると、ほかの生き物にどういった
影響があるかを、考えなくてはならない。    
「Eは増え、Fは減る」という答えになるのだが、○×式で育った私には、難しい!
シカクいアタマは、そう簡単にマルくはならないのだ。 
つれづれ

外国人向け「くらしのガイド」

2010年08月27日
大田区の図書館などに、「Warbler(ウォーブラー)」という、区内の外国籍住民に向けた
生活情報紙が置かれている。これは、区役所の区民・国際交流課が年4回発行して
いるもので、区内での生活に必要な情報や季節の話題を、多言語で編集したものだ。
ルビ付きの日本語、英語、中国語、韓国語の4種類で、それぞれに色分けがしてある。

大田区には、23区で6番目に多い登録外国人(約1万8千人)が暮らしていて、その数は
増加傾向にあるそうだ。区では、各国語を話す住民に対応するため、ホームページを
多言語化し、「くらしのガイド」の抜粋情報を3言語(英・中・韓)に翻訳している。
また、区内のボランティアによる日本語教室に関する情報の提供なども行っている。
   
    「Warbler」
              夏季号      ルビ付日本語版   中国語版

私は、この情報紙の最新号を見つけると、中国語版を何部かもらってくることがある。
ざっと目を通した後は、忘れないように中国語の学習ノートに挟んでおいて、
次の中国語の授業のとき、Mさんたちに配るのだ。
春季号は新入学の案内、冬季号は、クリスマス、仕事納め、年賀状を出すなど、
暮から正月にかけての行事が詳しく説明されていたり、夏季号の「健康コーナー」には、
「注意熱中毒」(熱中症に注意)の記事や、「大田区的游泳池介紹」(大田区プール案内)
などが載っており、季節ごとのテーマは、活きた中国語学習に役に立つ。
紹介は中国語では「介紹」。プールは「游泳池」という。

花火は、中国語では烟火、焰火(yanhuo)というが、私の書棚に取っておいた、昨年の夏季号を
見てみると、昨年の8月15日の花火大会のお知らせは、「大田 烟火祭典」として表紙面に、
今年は、最終頁の「信息」の欄に、「焰火的典礼 记念羽田机场国际化」と記されていた。
その年の編集者によって、訳語も微妙に違ってくるようだ。「机场」は「機場」、空港のこと。

     車止め
             「空港」の車止め     蒲田駅東口歩道にて
    
今年10月の羽田空港の国際化に伴い、大田区は更なる国際化への対応に備え、様々な事業が
計画されているが、その1つとして、「大田区多文化共生推進計画」が策定された。
夏季の最新号の表紙面は、「9月1日成立 大田区多文化共生推進中心」のお知らせで、
蒲田の消費生活センター内に開設されるという。「中心」は、センターのこと。

ここは、困った外国人への外国語による相談に対応し、区役所での手続き方法のコーチ、
保育園、区立小中学校への通訳派遣、災害時の外国人支援ボランティアの派遣、
日本語教室の開催、日本人との交流イベントの開催などを行うセンターのようだ。

区内にボランティアの日本語教室はいくつかあるが、以前、区の中国語講座に通っていた頃、
同学から誘われ、OCNet(外国人とともに活きる大田・市民ネットワーク)が開く、外国人のための日本語教室でお手伝いをしたことがある。会場は、東急線沿線の古いビルの2階だった。
週に1度、午前中だったが、いろいろな国の人たちがたくさん集まっていた。
元英語教師だったベテランの方の、数人の生徒を前に、ご自分で工夫されたカードを使って、
熱心に教えられていた姿が、目に浮かぶ。

やはり、区の中国語講座でご一緒だったIさんは、この「Warbler(ウォーブラー)」の編集を
手伝っているとのことだった。当時、中国人スタッフは1人だったようだ。
私より前に、その中国語講座を退会された彼女は、情報紙編集の方もやめられたようだった。
その後、何回か、お会いしておしゃべりしたことがあるが、ここ数年は、年賀状だけの
お付合いになってしまった。彼女はまだ、どこかで中国語の学習をつづけておいでだろうか。
この情報紙を見ると、彼女のことを思い出す。
中国・中国の旅

旧い橋の親柱

2010年08月26日
日本橋の親柱  国重要文化財  中央区
日本橋は、江戸幕府開府とともに架橋され、五街道の起点となった。
その後20回近く改架されたという。
現在の橋は、明治44年、東京市により架けられた、石造二連アーチの道路橋。

        親柱親柱  (明治44年造

青銅製の橋灯にある装飾の 「麒麟(きりん)」 の像は東京の繁栄を、「獅子」の像は守護を
表しているという。親柱の橋銘は第十五代将軍徳川慶喜の筆によるもの。
橋中央の「日本国道路元標」は、昭和42年の都電廃止に伴い道路整備が行われたのを
契機に車道に埋め込まれた。

   日本橋
     江戸東京博物館内の模型          現在の「日本橋」 

江戸東京博物館内の「日本橋」は、江戸時代の日本橋の北側半分を原寸大に復元したもの
だが、入口から運び込めず、京都の建築業者が、館内に半年間泊り込みで制作したそうだ。
当時と同じ高さの「日本橋」の先には、家康が目指した計画都市・江戸が広がっていた。

この博物館にはじめて訪れたとき、中村座の前で尺八の演奏を聴いたことを思い出す。
中村座は、江戸を代表する芝居の町(現在の人形町)に建てられ、官許の櫓をあげた
3座の1つとして、江戸っ子で賑わっていた。芝居小屋も原寸大(間口11間)で復元。
     
京橋の親柱  中央区民文化財  中央区
       親柱 親柱 
             親柱 (明治8年造)          日比谷公園内     

江戸時代の橋の伝統を引き継ぐ擬宝珠の形をした、3本の石の親柱が残る。明治8年製造。
北詰東側と南詰西側に残る2本の親柱は、「京橋」「きやうはし」(詩人佐々木枝陰の筆)と
それぞれ橋の名が彫られている。1本の欄干柱は、都立日比谷公園内に移された。

最初、日比谷公園でこの柱を見たとき、さほど気に留めることもなかったが、2度、3度と
この傍を通るうちに、ようやく、あの京橋に残された親柱たちの仲間だということがわかった。
この公園は、立退きを迫られたものが、命拾いをする場所かもしれない。首かけ銀杏のように。

         京橋  京橋 親柱 (大正11年造)

橋南詰東側に残る親柱は、大正11年に架けられた橋のもので、石及びコンクリート造りで、
照明設備を備えたもの。昭和34年、京橋川の埋め立てによって撤去された。

新橋の親柱         
         新橋 新橋 親柱 (大正14年造)

新橋は、汐留川に架かる橋だったが、昭和36年、首都高の建設に伴って、川が埋め立てられて
姿を消した。この親柱の高さは、4.5m。

北品川橋  品川区
       北品川橋
運河には、屋形船など多くの船が係留されていて、戦前の家屋も残っている。
昨年秋、旧東海道品川宿でのスケッチ会のとき、立ち寄った。

旧丸子橋  大田区と川崎市間
丸子橋は、多摩川に架かる橋。現在の橋は、2000年に完成した。
      丸子橋
                   丸子橋  (平成12年造
         旧丸子橋 
             旧丸子橋 親柱  (昭和9年造) 東京都側 

昭和9年に完成した、初代の親柱が、都側と神奈川県側の橋の袂に1対づつ保存されている。
それまでは、中原街道に多摩川を渡る橋はなく、丸子の渡しと呼ばれる渡し舟が存在した。

まだ、旧丸子橋の頃、多摩川の河原で、よくスケッチしたものだ。
川崎市側の河原で、旧丸子橋のアーチ越しに多摩川台公園の桜を描いたこともあったし、
初夏、公園から多摩川と丸子橋を描いたこともあった。
橋が姿を消す1年前の初夏に描いた、河原の柳と遠く東横線や丸子橋がわずかに見える
絵を描いたのは、10年以上も前のことだ。
そういえば、新しい橋になってから、多摩川のスケッチをしていないことに気づいた。  

           多摩川スケッチ Click! Click!
              丸子橋付近のスケッチ(1990~1999) 
旅・散策・イベント

鷺草

2010年08月25日
      サギソウ   ラン科ミズトンボ属 
               学 名 Habenaria radiata
               和 名 鷺草

           サギソウ      

7月から9月にかけて、日当たりのよい湿地に自生する。高さ30cmほどの茎が直立し、
その先端に1輪から数輪の白い花を開く。花開く姿は幻想的で、白鷺の舞いさながらの
美しさと言われ、特に夜になると、芳香を発するという。
サギソウの名は、白鷺が翼を広げたような姿になぞらえたもの。

世田谷区には、「鷺草伝説」が残っている。
室町時代、「世田谷城」で、常盤(ときわ)姫が、輿入れの際に一緒に連れて来た、
1羽の白鷺の足に助けを求める手紙を結びつけ、奥沢城の方角へ放ったが、
鷺は途中で射落とされ、その落ちた跡にこの花が咲いたという。

          奥沢城あと 奥沢城跡

鷺草は世田谷区の「区の花」に指定されている。大正末頃までは区内にも自生していたが、
現在は、寺社や公園の人工的な湿地にあるか、園芸用に育てられているだけになった。
常盤姫が育った、「奥沢城」跡に建てられたという、九品仏浄真寺(くほんぶつじょうしんじ)の
境内の一角には、「鷺草園」がある。

東急大井町線九品仏駅で下りるとすぐ、浄真寺の参道がある。何度かスケッチに訪れたお寺だ。
昨年の初夏から盛夏にかけて、都内の緑道を歩き回ったが、九品仏川緑道を歩いたとき、
浄真寺に寄ったことがあった。このときは、まだ、6月だったので、鷺草は影も形もなかった。
鷺草は、7月下旬に苗を植え付けるのだそうだ。

先週、午後から検査のために病院に行くことになっていた日、早めに家を出て、
ちょうど鷺草の花が咲いているのではないかと、浄真寺へ行ってみた。
    
         仁王門 
              山門 (仁王門)  紫雲楼とも呼ばれる

参道は勿論、境内も仁王門までは、ほとんど日傘が要らなかった。
鷺草目当てに、大勢押しかけているのではと思いきや、厳しい暑さのせいか、人はまばら。
鷺草園では、木道の柵越しにしゃがみ込んで、一眼レフを構える男性が1人だけだった! 
15年以上も前だろうか、絵の友人Hさんに誘われて、鷺草のスケッチに来たことがあったが、
その頃は、目の前でスケッチできたように思う。   
      
      鷺草のおくれ咲きしも翔けそろふ    水原 秋桜子 
    
すでに満開を過ぎたのかと思ったが、よく見ると、まだ、蕾がいくつも付いていた。
ご朱印をお願いしたついでに、若い僧侶に伺ってみると、「今年はあまりに厳しい暑さなので、
なかなか咲き揃わないようです・・・」ということだった。
鷺草の花は見られたし、人は少なかったし、グッドタイミングだった。

練馬区で38℃を超えた日だ。帰りの車内で、バッグに入れていたはずの日傘が見当らない。
どこで失くしたのだろうか。この夏、2本目だ。もう、買わずに、あの重たいのを使うしかない。
このところ、失敗や忘れ物が極端に増えた。ケイタイを忘れたり、図書館では、間違った
指定番号の席に坐ったり、病院で診察券がないと申し出たら、財布に入っていたりして・・・。
単に猛暑のせいだけならいいのだが。
植物など

夏雲から秋の雲へ

2010年08月24日
道を歩いていて、何とも言えない素敵な色の雲や面白い形の雲が眼に入ることがある。
カメラを取り出してみるが、電線が邪魔をする。街には、とにかく電柱と電線が多い。
国道や幹線道路では、電柱が少なくなって来ているが、他の国と比べると、まだまだ。
日本はとにかく電柱の多い国だ。千代田区と港区の国道に限れば、電柱なしだそうだが。

雲の種類は、形や高さなどで、国際的に「10種の雲形」に分けられているのだとか。
上層雲(巻雲、巻積雲、巻層雲)、中層雲(高積雲、高層雲、乱層雲)、低層雲(層積雲、層雲)、
対流雲(積雲、積乱雲)。
自分が撮った写真を見ても、雲の名前はよくわからないが、夏の雲から秋の雲へと変化をみせ、
空の青が少しずつ深くなっていくのを見ているだけでも心地よい。

            6.12 6.12
6月14日 梅雨入り
              渋谷6.30 6.30 
   
            7.12 7.12  
                       雨上がりの空
7月17日 梅雨明け
             7.17 7.17 
                
         7.18 7.18           
   
8月7日 立秋
             8.8 8.8

    渋谷8.11 8.11  
                渋谷8.11 
                     
        8.11 8.11
                       雨の前 

雲の如く 高く くものごとく かがやき 雲のごとく とらわれず 未明」 
上杉謙信を祭神とした、春日山神社(新潟県上越市)の境内にオガワ未明の詩碑がある。 
仕事でこの地を訪れたときに贈られた、その碑の拓本を、父は大切にしていた。
額装して旧宅の玄関に飾ってあったが、父が亡くなってから、居間に移した。
この句を読んで思い浮かぶ風景は、どこまでも碧い空に、透き通った雲が高く高く
浮かんでいる。これは秋の雲だと思う。

いつだったか、父が写っているアルバムを見ていて、孫りんりんは、「ンガちゃんは、
この中にいるんだね」と、外の雲ではなく、未明の詩の「雲」の漢字を指さしたことがあった。
彼は、曾祖父を「ンガちゃん」と呼び仲良しだったし、入院中、何度もお見舞いに行った。
だが、当時3歳だった彼は、曾祖父のことも病院のことも、ほとんど覚えていないのだ。
今度、りんりんに「赤いろうそくと人魚」の本をプレゼントしようと思っているが、
「ニンギョってどこの水族館にいるの?」などと訊かれそうだ。

小川未明(明治15年~昭和36年)は、「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれる。
代表作は「赤いろうそくと人魚」「野ばら」「月夜と眼鏡」など。それまで、おとぎ話といわれ、
道徳や人情を主とした日本の童話を、感性や想像力に訴える内容豊かな文学作品に高めた。
つれづれ

残暑「秋老虎」の季節

2010年08月23日
今日は24節気の1つ、「処暑」。暑さがやむ。朝夕の冷気が加わり、涼風が感じられる頃。
「処」とは、身を隠す、終えるという意味と、「次」という意味があるという。
「処暑」になると、うだるような暑さも隠れ、秋の気配を感じるが、夏に次ぐ暑さが残る。

中国では、立秋を過ぎた後の厳しい残暑を、「秋老虎」「秋の虎」という。
「老虎」というのは、虎のことで、年老いた虎ではなく、元気な怖い虎なのだ。
ついでに、「母老虎」というのは、カカア天下のお母さんを指すそうだが、では、
亭主関白のお父さんは何と言うのだろうか?

「秋老虎」は、中国北方の方言だったが、現在ではほとんど標準語になっているらしい。
南方の江蘇省常州市の張さんも、上海の趙さんも、よくこの言葉を使う。
この時季に母上を亡くされた張さんの「秋老虎も秋も大嫌いだ!」という言葉を思い出す。
張さんの母上は、文化大革命時、北方に下放されたときの寒さがもとで、胸を患い、
亡くなられたそうだ。
             多摩川付近
         
夏のような分厚い雲は見えず、棚引く雲が美しい頃だ。
中国では、処暑の前後には、祖先を祀る祭祀や秋を迎える祭事などが数多くあるという。
処暑には、アヒルの肉を食べる習慣がある。北京人は、アヒルとユリなどを買って帰り、
薬膳料理を作るという。アヒルの肉は、甘味があり、身体の熱を冷ます性質があるので、
丸焼きにしたり、蓮の葉包み焼き、レモン煮、生姜煮などにして食べるようだ。

処暑を過ぎる頃から、空気がだんだんと乾燥してくるため、皮膚も唇も髪の毛も乾燥し、
さらに、鼻や咽喉の乾燥、咳などの症状に発展しやすい。また、気管支拡張や肺結核など、
一部の疾病は、この時季にぶり返しやすいとも言われている。
この時季の乾燥、「秋燥」を防ぐには、体質を強化し、飲食に気をつけて、例えば、蓮の実、
ユリ根、白きくらげ、梨などを摂るといいそうだ。

先日、気功の後、楊先生にいろいろとアドバイスしていただいた。
「あなたは、枇杷、タンポポ、菊、クコをお茶にしてお飲みなさい!」と言われた。
枇杷は葉、タンポポは根、菊は花、クコは実。特に煎じる必要もない。枇杷茶、タンポポ茶は
原宿や自由が丘の自然食品の店で買ったし、クコの実は楊先生に分けて頂いた。
「枇杷茶もタンポポ茶もクコもうちにあります!」「あるのに、どうして飲まないの~!」
先生は呆れられた。「はい!飲みます」と、「三日坊主」との縁切り宣言をした。

たしかに、お揃いの空き瓶に入れて、飾っておくだけでは、宝の?持ちぐされだ。
まずは、オリジナルブレンド茶を作って、朝晩忘れずに飲むことにし、「24節気養生談」
(「人民中国」8月号)に載っていた、処暑の薬膳メニュー、「ホウレンソウのゴマ和え」を作って、
食することにしよう。

街では「秋老虎」が吠え続けている。そろそろ、吠え疲れてもいい頃では? 
動物園の虎は、「秋老虎」に負けずに頑張っているだろうか。早く秋が来てほしい。 
つれづれ

2人の孫のお泊まり体験

2010年08月22日
今日、2人の孫娘たちは、遅いお盆休みをとって、岩手県奥州市の祖父母の家に向かった。
先週、姉ゆうゆうはわが家で、生れて初めて「ひとりでお泊まり」を体験した。
といっても、2歳年上の従兄、りんりんと一緒なのだが。

出勤途上の息子から、ゆうゆうを預かり、わが家へ連れてきた。少し緊張気味だったが、
彼女は、りんりんと彼のママが自転車でやってくると、俄然元気になった。
阿佐ヶ谷の七夕まつりで会ってから、5日目のことだ。(阿佐ヶ谷の七夕まつりへ行く
         
          2人のリュック

この日のりんりんは、お兄さんぶってみたり、まるで弟のようにゆうゆうのイイナリだったりして、
いつもの彼とは、また、違った面が見えて面白かった。
ゆうゆうの方は、普段はあまり会うことがないせいか、かなりオシャマな女の子!に
なったことにあらためて驚いた。
6歳の男の子と4歳の女の子。なのに、どうみても、女の子の方が主導権を握っていた。
午前中の遊びでも、午後の遊びも、ごんさんの実家へ行った時も、夕食後の入浴も。

    初日
       ミニテーブルになった将棋盤       絵本を読んであげようとするが・・・

午前中は、ふたりで「宅配便ごっこ」をしていた。私は、手づくりの受領書に認印を押す役。
宅配便などのなかった、私の子ども時代は、縁側の隅で、郵便屋さんごっこをよくやったものだ。
抽斗の底にあった、丸いシールや七福神のシールなどを2人に渡すと、七福神のシールを見た
りんりんが、訊かれもしないのに、必死で説明しているのには、思わず笑ってしまった。

「七福神てね、福神漬っていう甘いお漬物があって、野菜が7種類入っているんだよ。野菜が
神様なんだ。このジンっていうのは、カミサマと言う意味なの」と力説する彼は、そういえば、
福神漬が大好きなのだ。ゆうゆうの声は聞こえなかった。チンプンカンプンだったのだろう。

りんりんは、午後になると、ゆうゆうにすっかり主導権を奪われたようだった。
「ここをおうちにしましょうね。私はミユっていう名前にするわ!」とゆうゆう
りんりんも名前をつけるように言われ、「じゃあ、リョウマにする。僕は龍馬が大好きだし」と。
「この鈴が鳴ったら、ワルモノのいるところへ行け!」とゆうゆうに言われ、折り紙で作った刀を
ズボンにセロテープでつけたリョウマは、見えないワルモノと闘うべく、畳を走り回っていた。

6歳のリョウマから「1歳」をもらって、4歳のゆうゆうにあげた??まるで同い年だ。
どうみても5歳に見えると、からかったのだが、彼は真顔で、「誰がそんなこと決めたんだよ!
神様はそんなこと言わないよ!」とむきになって反論したのが、また、おかしかった。

夕食後、日記を書き始めたりんりんは遊びたくて、なかなか、集中できない。
ゆうゆうにノートを渡すと、夕食後に門の前でやった花火の絵をサラッと描いた。
「はなびしているところ」のうち、「は、な、る、こ、ろ」の5文字を教えると、
読みやすいきちんとした文字を書いた。
「読める字を丁寧に書くように」といつも注意されているりんりんは、ゆうゆうの絵や字が
気になって仕方がないらしい。自分の日記は2行で、止まったまま。
なんとか、彼に日記を書かせて寝せるまで、かなりのエネルギーが必要だった。
  
        ゆうゆうの絵
           ゆうゆう 2枚目の絵は「手をつなぐ2人」 セミも鳴いている  
 
翌朝、さっさと着換えをするのは、ゆうゆう。妹がいる彼女は、登園前、忙しい親の手を
煩わすことなく、自分のことは自分でする習慣がついている。さすが保育園児だ。
   
朝食後は、帰るまでの時間を惜しむように、いろいろと工夫して遊ぶ。空き箱が太鼓になったり、
「おうち」にもなる。発泡スチロールの雪を降らせたり、所狭しと動き回るので、汗だくになる。
2年前、りんりんのために、不器用な私が縫ったジンベイが2枚あったので、2人に着せた。
大き目に作ったとはいえ、まだ、彼が着られるということは、伸びが少ないということか・・・?

2日間、初めて2人の孫を預かった。2人だからといって、必ずしも煩わしさは倍にはならない。
従兄妹の2人にとって、この2日間は、有意義な時間だったように思う。
それにしても、別れ際、もっと遊んでいたい~と駄々をこねたのは、りんりんの方だった。
身近な人びと

戻ってきたシロ

2010年08月21日
親戚猫ミケが昨年夏に生んだシロクロは、2ヶ月前、突然、私たちの前から姿を消した。
たまに、さいとうさんのところで、シロの姿をみることはあったが、クロはまったく見かけない。
彼らの教育係だったククは、生活が一変した。わが庭にやって来て、ウッドデッキや切株の
上で所在なげに寝ていたりする。もっとも、昼間は暑いので、どこか涼しいところで
過ごしているに違いないが。

ある日、ククが夕方やって来た。しきりに庭の奥を見ている。まるで誰かやって来るのを
待っているかのようだった。小一時間経っただろうか、シロがやってきた。
以前と変わらず、痩せているが、元気そうだったので安心した。

100円ショップで買っておいた鰹節をサービスした。固形フードは残しても、
鰹節はきれいに舐めつくす。ククシロも・・・。

     クク
         妹トラは姉ククに追い払われる  
                       トラ待機 18:22
                         我慢して順番を待つトラ                       
            シロの番? 18:24
             「次はシロの番だよ 安心して食べなさい」
          シロ 18:26
              初めて食べる鰹節に感激?のシロ

             お預け 18:35 
               鰹節を追加すると ククが再び・・・      


シロが姿を現すようになって、3日目。
鰹節の味を知ったシロ。目で「もっとほしい!」と催促するようになった。

          箱入シロ
                  箱入りシロ  ククに見守られて 

わが庭で生れた、ケシ、トラ、アミだが、彼らの方が親戚猫シロに遠慮しているようだ。
ククは、まだ、シロの面倒をみるつもりなのだろうか。
動物など

人気沸騰の「漁サン」

2010年08月20日
東急ハンズで「漁サン」(ギョサン)を見つけた。女性用、男性用、子ども用といろいろある。
ダイバーや漁業関係者の間で愛用されていたビーチサンダルだが、一昨年あたりから、
普段履きとして、街で履く人たちが増えているそうだ。それにしても、名前が「漁サン」とは!

いつか、「漁サン」が売れているということをラジオで聞いたことがあったが、なるほど、
人気が出るはずだ。わが庭の沓脱ぎ石にある、古風な茶色のサンダルとは、何もかも違う。
今までのビーチサンダルと比べても、履き心地と耐久性&機能性が断然優れている。
まず、底が違うという。足裏はサンダルにピタッとフィットする。とにかく頑丈で滑らない。

      漁サン
                 ファッショングッズの「漁サン」

「漁サン」は、およそ40年前、小笠原が日本に返還された頃、米国人たちが履いていた
ビーチサンダルを、島民向けとして販売していた、五郎平という日本人がいたそうだ。
「ゴロヘーゾウリ」と呼ばれたサンダルは、その後、改良を重ねられていき、
船上でも岩場でも、ぬかるんだ道を歩いても滑らず、汚れても丸洗いできるため、
漁師達の間だけでなく、島民の間でも「漁サン」として、広まっていったという。

10年前、さらに改良されて、カラーバリエーションも増えたため、ダイバーを中心に
愛用者がぞくぞくと増えてき、お土産として買って行く観光客も多くなり、
マスメディアにも取り上げられて、今では、日本全国に広まり、爆発的なヒット商品に。
サンダル売場には、カラフルなギョサンが所狭しと並んでいたが、中には透明なラメ入り
ギョサンまであったのには、正直驚いた。

女性のように、サンダルを履かない男性も、オフのときくらいは、素足で歩きたいと思うのだろう。
数年前から、夏は、娘のところでも息子のところでも、孫たちまで「クロックス」派だ。
先週、「阿佐ヶ谷七夕まつり」にりんりんと行ったが、七夕まつりの会場で待ち合わせた、
ゆうゆうとパパが履いていたのはクロックスだった。
帰りのホームでは、スタンプラリー中の姉妹がクロックスを履いていたのを見かけた。

       クロックス 
       クロックスを履いた姉妹       ソックスも履いたゆうゆう   

「漁サン」は、日本製。4千円近い「クロックス」と比べて、1000円前後と安い。
100種類以上のカラーが揃っているので、人気があるのも頷ける。とにかくお洒落だ。
しかも頑丈で、仮に毎日履いたとしても、3年は持つとやら。

いつだったか、札幌の気温が那覇より高く、35℃になった日があったが、
日本の夏は、すでに亜熱帯を通り越して、熱帯に近づいていっているのだろうか・・・?
男性の通勤スタイルだって、中途半端な「クールビズ」ではなく、ポロシャツにチノパン、
裸足に漁サンといった姿に、変わる日が来るかもしれない。
それにしても、立秋を過ぎると残暑のはずだが、まだまだ猛暑、酷暑の夏がつづきそうだ。
つれづれ

さるすべり

2010年08月19日
さるすべり   ミソハギ科 サルスベリ属
         学 名  Lagerstroemia indica
         和 名  百日紅 サルスベリ
         英 名  Crape-myrtle
         原産地  中国南部
               さるすべり
夾竹桃とともに夏を代表する花。
がくは筒状で6裂、花弁は6枚で縮れているというが、果実は円いさく果で種子には翼がある。
樹皮は褐色を帯び滑らかな肌で、猿も滑るというので、「猿滑」「サルスベリ」の名がある。
実際には猿は滑ることなく簡単に上ってしまうらしい。
木の肌を掻くとくすぐったそうなので、「クスグリノキ」という別名もある.

中国では、唐代長安の紫微(宮廷)に多く植えられていたため、「紫薇」と呼ばれる。
また、中国の伝説で、恋人と百日後に逢うことを約束した乙女が、約束の百日目の直前に他界、
その後に咲いたということから、「百日紅」ともいわれている。
中日辞典で「紫薇」を引いてみると、通常は「満堂紅」「百日紅」というと書かれていた。
江蘇省徐州市、湖北省襄樊市、四川省自貢市、台湾基隆市などの市花となっているという。

サルスベリが咲く頃に中国を訪れたことはないが、常州や蘇州など、あの江蘇省の庭園には、
「満堂紅」という花名が最も似合うような気がする。

中国の伝説では、百日目に咲いたという「百日紅」だが、日本では、元禄時代の園芸書
「花譜」によると、「紅花が百日間咲く」とあり、「百日紅(ひゃくじつこう)」となったようだ。

     碧天をうるほす紅やさるすべり  原コウ子
     
     炎天の地上花あり百日紅     高浜虚子

 
わが庭に、改築時の移植にも耐えた、私よりはるかに歳上の「百日紅」があり、
毎夏、紅い花を咲かせるが、この樹が旧宅の縁側前にあった頃、瓦屋根の黒、花びらの紅、
大空の碧との、見事なコントラストが好きだった。
屋根と百日紅の花、踏石と百日紅の花びらをスケッチしたのは、20年近くも前のことだ。

         離れの濡れ縁 
                踏石に散った花びら  
 
父は、退職後、庭で写真を撮るようになったが、紅梅の次に多いのが、この百日紅だ。
何枚も同じような?写真が残っているが、亡くなる数年前からは、カメラを手にしなくなった。
父の写真といっても、カメラに凝るわけでもなく、気が向くと庭の木々を撮る程度だった。
24枚撮りきると、駅前の写真屋さんにカメラごと持っていき、撮り終わったフィルムを
出してもらい、新しくフィルムを入れてもらっていたようだ。その間、父は、店内の椅子に
腰かけて一服していたのだろうか。
今はデジカメ時代。客は減っただろうに、この写真屋さん、なかなか頑張っているようだ。
植物など

「風景印」 港区 Ⅰ

2010年08月18日
昭和6年、第1号が誕生し、現在は、全国の郵便局の半数近くで用いられているという
「風景印」だが、意外に知られていない。
風景印は消印の一種。地元の風景などを表したスタンプで、コレクターも多いときく。

あることを聞いてはいたが、私が実際に見たのは、昨年の今日。第1号は港区芝局の風景印だ。
それ以来、立ち寄った先で記念に押してもらおうと、郵便局があると、「風景印ありますか?」と
聞いて回ったが、どこにでもあるわけでなく、区によっても違うが、23区全体では約3分の1の
局にしか置いてないことがわかった。
何といっても、中央区には多い。それだけ、絵になる題材が多いということだろう。
港区は13局。そのうち、1年の間で、5つの局の風景印を押してもらったことになる。


   芝
                  増上寺 三解脱門           東京タワー

高輪局と泉岳寺駅前
         高輪と泉岳寺駅前
     慶應義塾三田図書館 泉岳寺 東京タワー  山門 赤穂義士の墓 大石良雄           

新橋
    新橋
       蒸気機関車  「銀座の柳」歌碑  銀座の柳2世  新橋親柱

明治5年、日本初、新橋―横浜間に鉄道が開通した。営業距離は約29km。
「新橋駅」「品川駅」「川崎駅」「鶴見駅」「神奈川駅」「横浜駅」の6駅。
当時の時刻表によれば、朝8時から夕方6時まで、9往復。53分で走ったようだ。
    
汐留シティセンター局          
       汐留
              ゆりかもめ          汐留シティセンター

「汐留シオサイト」は、かつては、貨物駅。その前は、日本初の鉄道始発駅。
さらに時代を遡れば、武家屋敷が集まった地域だった。
汐留地域を発掘調査すると、旧新橋駅舎跡の礎石、プラットホーム、汽車の「転車台」など
鉄道関連施設が見つかったという。お弁当を食べるとき使用した土瓶や湯呑、また、
当時の乗車券も見つかったそうだ。

現在、汐留シティセンターなどの高層ビルを背にして、旧新橋停車場を再現した建物は、
当時のプラットホームなどとともに、日本の鉄道発祥の地の歴史を伝えている。  

      鉄道歴史展示室
             創業時の旧新橋停車場の写真と再現された駅舎

再現された駅舎は、「鉄道歴史展示室」として、無料で公開されている。
私が訪れた日はちょうど休館日だった。次に新橋に行く機会があったら、覗いてみたい。

       プラットホーム
           創業時の線路   再現されたプラットホーム   0哩標識    

因みに、江戸時代、この地区にあった武家屋敷は、播磨龍野藩 脇坂家、仙台藩 伊達家、
会津藩 保科家。ここでは、上水施設が屋敷の地下を網の目のように走っていて、
「飲み水」として使用されていたこともわかったそうだ。 
旅・散策・イベント

「65年前の夏」を想う

2010年08月17日
8月14日、浅田次郎の『終わらざる夏』の下巻を読み終えたのは、この日の夕方。
夜は、倉本聰脚本のドラマ『歸國』(TBSテレビ)を見た。どちらも、65年前の夏が舞台だ。 

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れ、太平洋戦争は終わった。
だが、その3日後、対アメリカ戦を想定して日本軍が駐留していた占守(しゅむしゅ)島に
突如、ソ連軍が上陸。はるか北の千島列島の果てで、激しい戦闘が始まった。
『終わらざる夏』は、この事実を鍵として展開される、戦争についての小説である。

この本の出版を知り、7月の発売時に、図書館に予約を入れたが、100人以上の待ち!
結局、8月近くになって、上巻を買って読み始めたが、上巻を読み終えるのに数週間かかった。
荷物が少ないときの外出時だけで、家では読まないようにしていたこともあるが。

当時の命令書などの文書やオホーツクの地形(下巻に地図が載っているが)や歴史などは、
所々飛ばし読みをしたこともあって、後半からは速かった。上巻を読み終えたのは、
ちょうど渋谷にいるときだったので、紀伊国屋書店に直行し、下巻を購入した。
2冊が入ったこの日のバッグは重たかった。

上下巻合わせて900頁を超える分厚い本だが、戦闘の描写は、わずか10頁ほどだという。
占守島の戦いを書こうとしたのではなく、それを素材に、戦争というものをできるだけ
全体的に書きたかった
」と浅田氏。(読売新聞

          「終わらざる夏」
着想から30年。浅田次郎が満を持して挑む、北の孤島の知られざる戦い」
できることはもう何もない。戦場を走るほかには。たとえそこが、まやかしの戦場でも
「第二次大戦末期。届くはずのない赤紙が、彼を北へと連れ去った」
と、帯に書かれている。
戦いの中で懸命に生きる人たち。戦いの無意味さ、虚しさが伝わってくる人間ドラマだ。

『歸國』は、不思議なドラマだった。原作は棟田博の短編小説「サイパンから来た列車」。
場面は今年の8月15日の深夜の東京。静まりかえった東京駅のホームに、ダイヤには
記されていない軍用列車が到着する。そこに乗っていたのは、終戦直前に、南の海に
沈んだ若き海軍兵士たちの英霊だった。故国のために命を落とした彼らは、
集合までの4時間ほどの短い間、故国に残して来た恋人や兄弟に会いに行くという設定だ。

これは鎮魂のドラマであり、怒りと悲しみのドラマでもある。もう先のない僕らの世代が、
一つの時代の小さな証人として遺しておかねば
と思い、書き下ろしたもの」と倉本氏はいう。
「人は2度死ぬ。1度目は、肉体的に死んだとき。2度目は、完全に忘れ去られたとき」と。

65年ぶりの故国を目の当たりにした、浦島太郎のような彼らは、今の日本に何を見たのか。
テレビを見ながら、彼らの言葉を書き留めてみた。
「今のような日本をつくるために、俺たちは死んだわけでない」「日本は豊かになった。
日本人は貧しくなった」「豊かさと便利さを勘違いしている。便利さとは、サボることだ。
日本人は、自ら身体を使うことを嫌がるようになった」・・・ほんとうに耳が痛い!

見終わってまもなく床についたが、夜中、目が覚めた。夢をみていたようだ。
背中が汗でぐっしょりだった。暑さだけではないような気がする。
つれづれ

恒例の「阿佐ヶ谷七夕まつり」行き

2010年08月16日
そもそも七夕祭りは、旧暦の7月7日の節句なので、有名な「仙台の七夕祭り」や
阿佐ヶ谷の七夕まつり(8/5-8/9)」などは、1月遅れの8月7日に行われる。
因みに今年の旧暦7月7日は、今日8月16日に当たる。
昨年8月、「阿佐ヶ谷七夕まつり」に出かけたと報告したが、(阿佐ヶ谷 七夕まつり) 
今年も昨年同様、孫りんりんを連れて出かけた。
今年は、都区内フリーパスを買い、中央線各駅のJRスタンプラリーを兼ねることになった。

中野、高円寺とスタンプを押して、三鷹行きに乗った。
高円寺では、今年も「高円寺阿波おどり」(8/28-29)が行われるが、りんりんは、
この駅の、「阿波おどり」の発車メロディに首を傾げた。聞き慣れないメロディらしい。 
「阿波おどり」を知らない子に、どう説明したものか。まさか、車内で踊るわけにもいかず!
そうこうするうちに、阿佐ヶ谷着。阿佐ヶ谷駅でスタンプを押し、息子に電話すると、
まだ、洗濯中とかで、「もう少し、時間を潰して来て!」ということだった。

時間を潰すならと、再び、中央線に乗って、国分寺まで行くことにした。
土日の中央線快速は、高円寺と阿佐ヶ谷は通過するので、三鷹で乗換えることになる。
一旦、改札階に行かなくてはならず、結構面倒だ。「もう、疲れたよ~」とりんりん
威勢のよいお囃子の音が聞こえてきた。阿波踊りだ。三鷹駅で阿波踊り?
ま、どうでもいい。彼に「ほら!あれが阿波踊りよ」と教えることができてよかった。

         阿波おどり
            三鷹阿波踊り(8/21-22)のキャンペーン 三鷹駅

国分寺から、再び、三鷹乗換え、阿佐ヶ谷駅下車。やっと息子一家と落ち合った。
りんりんゆうゆうは、初めは照れくさそうにしていたが、ときたまふざけながら、
楽しそうに人波を縫って行く。追いつくのも大変だった。

妹のあいあいは、私の顔を注視していたかと思うと、泣き出してしまった。
「パパとママ、ネエネにも置いてかれる」という連想をしてしまうのだろう。
ランチタイムにも、ふとした拍子に目があってしまうと、パパにしがみつき、べそをかく。
元気な彼女と会ったのは、4月以来はじめてだというのに。何とも情けない。
彼女は、この4月から何日、私と留守番をしたことだろうか。(あっ、今日も苦手な人が!
    
         絵タイルの上で

パールセンター入口に、わし座(彦星)とこと座(織女星)の大きな絵タイルがあるが、
りんりんゆうゆうは、まるで、ひこ星とおりひめ星のように、別れるときは辛そうだった。
彼らは、来年の夏まで待たずとも、2人の誕生月の12月には、会えるのに。

因みに、高円寺駅の阿波踊りの発メロは、「阿波おどり」開催日までの期間限定で、
各駅停車ホームでの放送だとか。
「阿佐ヶ谷の七夕」、三鷹で垣間見た「阿波踊り」、高円寺駅で聞いた「阿波踊り」の発メロ。
電車の乗り降りだけでも大分疲れたが、ちょっと面白い1日だった。
身近な人びと

「日本のいちばん長い夏」の再現!

2010年08月15日
先月末、絵のお仲間とご一緒に、成城ホールで「健康落語@立川らく朝」を聴いて
楽しく充実した時間を過ごした。らく朝氏は、医師で落語家。  (健康落語のお勧め
そこで、彼も出演している映画、「日本のいちばん長い夏」のパンフレットをもらった。

少し長くなるが、この映画の内容を、パンフレットから引用して、紹介したい。
昭和38年(1963年)6月、東京の料亭「なだ万」に、日本を代表する知識人や政治家、
官僚を含む28名の人々が、座談会開催のために集められた。
彼らは皆、戦争の過酷な体験を胸に秘めながら戦後の日々を生きてきたものである。
この座談会を企画したのは、当時文芸春秋編集部員だった作家の半藤一利。そしてこの日、
およそ5時間にわたって彼ら一人一人が語り明かしていく戦争の記憶は、ポツダム宣言に
対する日本政府の対応から、原爆の投下、ソ連の参戦、そして終戦へと至る過程で起きた
出来事について。それぞれ、当事者たちの心理状態も含めて、次々と露にされていった。


映画「日本のいちばん長い夏」は、この座談会の再現を主軸に、ストーリーが展開していく。
主人公はテレビ番組の演出家。彼は大胆にも、スタジオに設けられた料亭のセットに
当代きっての文化知識人を一挙に集結させ、彼らを俳優として起用するという「文士劇」
スタイルをもって、その時の模様を再現しようと試みる。さらに彼は原作者でもある半藤氏や、
集まった文化人たち個々にも撮影の合間を縫って取材を敢行し、それぞれの戦争観などを
吐露させていく。


        パンフレット

この現代版「文士劇」は、主人公「私」と司会半藤一利役など数名の専門俳優のほか、
座談会出席者は、現代の文化著名人によって演じられる。立川らく朝氏は、徳川夢声役。
ジャーナリスト鳥越俊太郎氏、田原総一朗氏、D・ディヒーリ氏、国際弁護士湯浅卓氏、
ほかにも大学教授、料理評論家、作家、脚本家、スポーツライターなど、豪華な顔ぶれだ。

この「日本のいちばん長い夏」は、今月7日に封切られたが、Yさんによると、それより前、
NHKで放映されるとのことだった。
封切前にテレビ放映?と不思議だったが、見逃さないようにと早めに予約をしておいた。

午後3時、夜に放映される特集の番組予告を兼ねた「いま語り継ぐ戦争体験」という番組を見た。
半藤氏や出演の文化人が、自分にとっての昭和20年夏や父親の戦争体験を語った。
また、撮影裏話は興味深かった。テレビ慣れしているはずの松平アナは、歌を歌うシーンが
あり、プレッシャーを感じたそうだ。中でも、強く印象に残ったのは、漫画家の江川達也氏。
この出演を請けて、徹夜でせりふの練習をしているうち、感極まって号泣してしまった
という話だ。

夜8時からのドラマは、文化人たちが座談会の出席者を演じるだけでなく、各自の戦争体験を
インタビューで語るという、面白い構成。戦争を語り継ぐというシリアスな内容なのだが、
戦後生れの私にも、戦争体験を少しは共有できたと思う。娘や息子たちにも見せたい映画だ。

ちょうど「日輪の遺産」を読み終え、最新刊「終わらざる夏」を読み始めた。
どちらも、浅田次郎の作品。ともに終戦時の出来事をとりあげたものだ。
浅田次郎といえば、大の浅田ファンのSさんから電話があった。
先月の「健康落語@らく朝」で、手ぬぐいが当った彼女が、今月の会もご一緒することにした。
彼女は、テレビの「日本のいちばん長い夏」を見そこねたので、映画を観るつもりだそうだ。
        
           ポスター 

今晩、多摩川の河川敷では、「大田区平和都市宣言記念事業 花火の祭典」が行われる。
大田区が「世界と日本を結ぶ新たな玄関口」となる今年は、「羽田空港国際化」を記念して、
5000発が打ち上げられるという。
つれづれ

「切手の博物館」にて

2010年08月14日
今年もまた、12月に予定されているコンサートの案内状を作ることになった。
昨年の案内状は、雪景色をモチーフにしたが、今年は「歌で世界一周」がメインテーマに。
世界地図を入れたらなどと悩んでいた矢先、世界各国の切手を使うアイディアが浮かんだ。

調べてみると、「切手の博物館」(財団法人)が、目白(豊島区)にあることがわかった。
ちょうど渋谷に出たついでに、この博物館に寄ってみた。JR山手線目白駅で下り、
学習院大学に沿って、高田馬場方面に坂を上がっていくと、瀟洒な建物が見えてきた。

    切手の博物館
             ミュージアムショップ     

この「切手の博物館」は、日本及び外国切手を約35万種、カバー(封筒)類を約1万5千枚、
図書、雑誌を3万冊以上有する、国内でも珍しい郵便切手の博物館だ。
面白いのは、入館料200円を切手で払えること。ただし、状態のよい切手に限られるが。

1階展示室では、ちょうど爬虫類切手を集めた企画展が開かれていたが、ここは素通りして、
ミュージアムショップに直行した。
外国の切手が入った分厚いファイルを何冊も見せてもらい、その中から、安くて、綺麗で、
明るくカラフルな切手を選び、「切手番号・国名・品名・金額」を切手注文書に記入した。

    切手
       アルゼンチン          イギリス            ノルウェー 
                                     イタリア
         ドイツ               チェコスロバキア        ドイツ
      
                       
日本と中国の切手は、買わなくとも何とかなりそうなので、韓国、ロシア、チェコスロバキア、
ノルウェー、ドイツ・・・インドネシアと13ヶ国分の切手、計34枚。金額は3千円ちょっと。
世界の切手のあまりの多さに驚き、選ぶだけで小一時間かかった。
注文した切手を揃えてもらう間、展示されている日本の記念切手を眺めてみた。
中には買ったことのある切手シートもあったが、ほとんどが見たことのない切手ばかりで、
全国各地の風景、花や鳥など、ちょっとした図鑑のようだ。

私は、中学生の頃だったか、アメリカやイギリスの「ペンパル」と文通していたことがあった。
もう、相手の名前も誰ひとりとして覚えていないが、英語の学習に役立つと思って、
学校生活のことなどを、辞書を引き引き、せっせと書いたものだ。
綺麗な日本の記念切手は必需品だったし、海外から届いた切手を、スタンプアルバムに
集めた時期もあった。
あの頃の文通が、どれほど英語の習得に役立ったのか、極めて疑問だが、
今回、世界の切手に囲まれて、何にでも興味を持ち、好奇心いっぱいだった、中学生時代を、
懐かしく思い出した。
旅・散策・イベント

祈りを込めた「夜空の花火」

2010年08月13日
全国花火競技大会である「大曲の花火」は、今年で100年目を迎え、今月28日、
秋田県の雄物川河畔で行われる。ここの花火大会は、全国の花火師たちが目標としている、
日本一格の高い大会だそうだが、始まった当初は、諏訪神社祭礼の奉納花火だったそうだ。
ごんさんの山形赴任中から、1度見てみたいと思っていたのだが、未だに実現できないでいる。

今年7月発行の記念切手、「ふるさとの祭」第5集は、「大曲の花火」がテーマだった。
よく使う50円切手だったこともあり、シートで買っておいた。
先日訪ねた切手の博物館(豊島区目白)で、数多くの記念切手が販売されていたが、
この「大曲の花火」は売切れていたので、急に、使うのが勿体なく思えてきて、
せめて来年の夏までこのまま取って置くことにした。

               「ふるさとの祭 大曲の花火」 秋田県 
ワイドスターマインワイドスターマイン
                   大会提供 ワイドスターマイン
              ワイドスターマイン

 銀千輪など花火
       銀千輪             四重芯変化菊            昇曲導付 彩花

新潟県での花火は、「越後三大花火まつり」が有名だが、これは、川の三尺玉「長岡花火大会」、
山の三尺玉「片貝花火大会」、海の三尺玉「柏崎花火大会」をいう。
今月初め、130年余りの歴史がある「長岡まつり大花火大会」が、信濃川河川敷で行われた。
この花火大会は、戦後になって、長岡空襲(1945.8.1)の犠牲者の慰霊や戦災復興への感謝、
恒久平和を願う花火大会になったそうだ。長岡市は、昭和59年、非核平和都市宣言をした。

先月末、日本最古の花火大会として知られる「隅田川花火大会」が盛大に行われた。
江戸時代、八代将軍吉宗が、前年の大飢饉で亡くなった犠牲者を悼み、悪霊退散を祈願して
催した「両国川開き花火」から続く、この花火大会には、長い歴史がある。
歌川広重の「江戸名所百景」にも描かれているが、その頃は、ひと晩に20分だったとか。
それも「和火」といって、色も赤橙色だけだったそうで、明治になり、新しい薬剤が入ってきて、
魚やハートなど、形も色も多種多様の「洋火」が打ち上げられるようになったという。

自宅の文箱に、11年前に発行された「隅田川花火」の記念切手が、数枚残っていた。
          隅田川花火 
夏の夜空を鮮やかに彩る花火の背景には、昔から神や仏が存在していたと言われる。
戦争、空襲や飢饉などの犠牲者への鎮魂、そして、平和への祈りが込められている。

大田区は、昭和59年8月15日に、世界の恒久平和と人類の永遠の繁栄を願い、
平和都市宣言を行った。これを記念した「花火の祭典」は今年で24回目を迎える。
今年は、「羽田空港国際化」記念の花火大会だ。

多摩川の六郷土手で、今年は例年より多く約5000発の花火を打上げるそうだ。
七色の仕掛け花火で「平和都市宣言都市大田区」の文字を浮かべるほか、
飛行機型の花火や世界各国の花火を打上げる予定だとか。
また、ステージ上では、和太鼓、ジャズ等のアトラクションも行われるという。
毎年8月15日に打上げられる花火だが、ただ華やかだけのお祭で終わってほしくないものだ。

大田区の花火は、わが家からもっとも近いのに、まだ、会場に行ったことはなく、
連続して上る花火の音を、部屋の中で聞いていることが多い。
今年は、六郷土手までは無理だが、ガス橋あたりまで、自転車で行ってみようかと思っている。
絵画・博物館

あれから、また1年・・・

2010年08月12日
「みんみんの庭」を開設してから、丸2年の月日が経った。
1年前の今日、満1年の記念日にを書いた「とき」と、何が変わっただろうか。

昨年秋から冬にかけて、「巨樹」に夢中になって、都内の巨樹を巡り歩いた。
巨樹は、地表から1.3mの位置で測った幹囲が、3m以上の大樹のこと。
クスノキ、ケヤキ、カヤ、シイ、タブノキなど、これらの巨樹は、寺社や江戸屋敷跡などに
多いが、近所の神社のご神木が、「巨樹」一覧に載っている巨樹だったことも発見だった。

         クスノキ 本郷弓町のクスノキ 文京区
            幹囲8.5m 樹高24m
 
今年1月にごんさんの父が逝った。           (豆まきの約束は・・・!
そして、2月には絵の先輩Kさんが、長い闘病の末、ついに逝ってしまわれた。
彼女とは、絵の話、中国の話、鳥海山の話などなど・・・いろいろな話をしたものだ。

わが家はといえば、母は相変わらず、デイサービスに通う毎日。
ごんさんは、スマートだったあの体格がメタボの域に入ってしまった。
私は、無理をせずのんびりと、アンチエイジングならぬ「ウィズエイジング」路線を辿りながら、
気功に鍼や整体、フィットネスに通う毎日だ。ときに、孫娘の子守に行くこともある。
絵と中国語に十分時間をかけられない故、如何に巧みに手を抜くかを考えるようになった。

4月、孫りんりんは小学生になり、2月に1歳になったあいあいは、姉のゆうゆうと共に
保育園通いが始まり、救急要員として、私とごんさんの阿佐ヶ谷通いが増えた。

とはいえ、やはり、もっとも変わったのは、ご近所猫たちの生活圏の変動だ。というよりは、
彼らのテリトリーの異動を把握できなくなってしまったことだ。
なぜか、わが庭やさいとうさんのところに拠点をおく猫が、減ったということだろう。

わが庭で生れた猫たちーチビの子どもたちー
           ケシ&クク
                 姉のククと兄のケシ
                   アミ&トラ
                             妹アミとトラ 
親戚猫たち
       ふう
ふうちゃんは、わが庭に最初に現れた猫。ノラ猫としては長寿猫の部類だ。  
             
            ラスカル 2010.7
ラスカルは、昨年夏、出産したが、そのときの子猫は見たことがない。
今年5月、再び出産。先月、2匹の子猫といっしょのラスカルを見かけた。

ミケラスカル同様に、避妊手術のための捕獲に失敗したため、昨年の夏、
クロシロが生れた。
彼らは、ときどきククに連れられ、わが庭に来ていたが、最近、姿を見せなくなった。
りっぱに育ったようで、少し遠くのそれぞれのテリトリーにいるに違いない。
ミケは、今年5月に生んだ4匹の子たちの子育て中。

           ミケ2010.7

つい最近まで、ミケが生んだクロシロの教育係をしていたククは、
彼らが独立していなくなり、手持無沙汰の様子で、わが庭に来ることが多くなった。
子猫を守ろうとして闘ったのか、耳の下に小さな穴が開いている。心配はいらないようだ。
そのうち、ミケの4匹の子が離乳して、それぞれのテリトリーにおさまるだろうが、
納まり切れない1、2匹が残れば、ククが面倒をみるのかもしれない。
つれづれ

りんりんの夏休み

2010年08月11日
小1の孫りんりんの夏休み2度目のお泊まりは、8月に入ってからだった。
このとき、クワガタ数匹を連れて、わが家に1泊した。クワガタは、店で買ったものではなく、
彼のママが知合いから貰ってきた、横浜市港北区産の元気な野生児たち。
わが家で留守番していたりんりん。ママのお土産がクワガタだと知って大喜びだった。

         クワガタ
                 お土産のクワガタと対面

彼らの餌は、スイカやリンゴなどでなく、カップ入昆虫ゼリーだった。
夜は玄関の間に出したが、昼間はリビングに置いていたので、食事をしているときなど
背中の方でゴソゴソと不気味な音がして、びっくりしたものだ。
りんりんはクワガタをつかみたがらない。後でわかったのだが、以前つかんだとき、
逆につかまれ、なかなか放してくれないことがあったらしい。
きちんと世話をしてはいるが、飽きずに眺めているほどの昆虫好きではないようだ。

今年もJRのスタンプラリーが始まり、彼も母親と一緒に山手線や京浜東北線などを
廻ったらしいが、今回は、この暑さを避けて、スタンプ集めの外出は控えることにした。
そうなると、丸2日間、家で過ごすことになり、大変だった。気がつくと、彼は現代版ベーゴマ
「ベイブレード」を眺めては、回してみたり分解したりの繰り返し。 (街の駄菓子屋さん

母親から頼まれたのは、溜めてしまった数日分の宿題をし、日記を書くこと、先生方に
暑中見舞の葉書を書くことだが、なかなかとりかからない。やっと始めたと思えば乱雑な字。
なるべく強制せずに、自発的にやらせようと、「二度手間にならないように、きちんと
書こう!」とか「今日のしごとを明日にのばすなというし、今のうちにやってしまったら?!」
などと、言ってはみるが、さっぱり効果なし。彼の屁理屈や言い訳は相当なものだ。

ともあれ、将棋をしたり、「ピサの斜塔」の形をしたブロックで遊んだりしていたが、
少しは身体を動かさなくてはと、キャッチボールをすることになった。
ごんさんが、スーパーの玩具売場で買った、「親子でキャッチボールを」といった、
大小1組のグローブとボールのセットを持って、外に出た。
最初はとてもキャッチボールにならない。仕方なく、まず、塀をめがけて、アンダースローで
投げることを繰り返したが、うまく行かないと、泣きべそをかきそうになる。

      投げる
「格好いい写真取ってママに見せよう!」「さっきよりずっとよくなったね。もう1回!」と、
汗だくになって叫んでいるのは私だけ。
気がつけば、ごんさんは、「脚が出てない!」「膝が真っ直ぐだ」と、離れたところで監督だ。
結局、熱中症も心配なので、20分ほどで切り上げたが、少しは感じがつかめたようだ。

2日目の夕方、母親が迎えに来た。帰り支度をしているとき、持込み禁止のはずの
ベイブレードを母親に見つけられ、叱られたりんりん。このときばかりは、さすがに
言い訳も口応えもせずに大人しくしていた。
「ベイブレード」は各部品に分解したり、取換えたりと改造できる面白さもあるようで、
しかも、皆と同じものを持っているということが大きいのだろう。
私は、何が面白いのかわからない。木製のコマやベーゴマを回せる方が凄い!と思うのだが。

2歳頃のトーマスから始まって、仮面ライダー、シンケンジャ―などに夢中だった幼稚園時代、
そして、今も仮面ライダーやベイブレードは手放せないでいる。
今年の夏は、「ポケモン・スタンプラリー」にも一生懸命だ。どうやら、ポケモンそのものや
賞品より、まだ行ったことのない駅に行くことや駅名に興味を持っている様子だ。
4歳の孫娘ゆうゆうは「プリキュア」に夢中。           (あっ、今日も苦手な人が!
彼女は「ポケモン・スタンプラリー」もやりたいそうだ。「ポケモン」人気はすごいもので、
JRの車内でも駅でも、スタンプ帳を持った親子連れをよく見かける。
暑い中、ほんとうにご苦労さま!なことだ。
身近な人びと

「ガードレール」変わったデザイン

2010年08月10日
街を歩くと、白い鉄製のもの以外に、いろいろなデザインのものがあることに気づく。
ガードレールは、道路の路肩や歩道との境界、中央分離帯などに、設けられる防護柵。
現在はどこででも見られるガードレールだが、日本で初めてガードレールが設置されたのは、
神奈川県箱根町(1958年)だという。箱根の国道のガードレールは、景観を考えて、
箱根杉などの間伐材を利用した木製のものもあるとか。
また、防護柵につる性の植物をからませ、交通安全対策と緑化を兼ねたものもある。

          新宿区
                      都の木「イチョウ」
 笹塚&大井町       
                渋谷区 渋谷区
                           
   並木橋 品川区
                   目黒区目黒区
                          
      清澄庭園
                                   清澄公園  江東区 

  万世橋
                                   万世橋  千代田区

             大岡山 
                          大岡山コミュニティ道路  目黒区

成城学園駅 成城学園駅 世田谷区
                                     
                  練馬 
                       区の花サツキ   皐月公園  練馬区

         壱岐坂 
             「文」のデザイン?    壱岐坂  文京区        
         
   青砥 青砥  葛飾区 

         大田区 大田区 
              
       三鷹 三鷹市 
                                              
      五反田
                  JR五反田駅 歩道橋  

     大船
                     神奈川県鎌倉市
旅・散策・イベント

あの日の怖さを懐かしむ

2010年08月09日
返却期限を過ぎてしまった本を返すため、図書館に行った折、息子が誕生した日に起きた
地震のことを調べてみることにした。          (地震、雷、火事、親父
カウンターで、36年前の新聞はないかと訊ねると、朝日新聞縮刷版ならあるということで、
早速、奥から出してきてもらった。

1ヶ月分(1974年8月)を抱えて、2階の閲覧室へ。夏休みのせいか、中高生の姿が多かった。
36年前の縮刷版を開くと、実に小さい文字が並んでいる。
新聞紙面がA4版に縮小されているのだから当然だ。バッグに眼鏡を入れておいてよかった。

頁をめくっていくと、あった! 8月5日の(1)面に、地震の記事があった。
関東、ギクリ、深夜の地震 東京は震度3、列車の点検で大混雑という見出しだ。
「四日午前三時十六分、関東地方を中心に地震があり、宇都宮などで震度4、東京、熊谷、
甲府などで震度3を記録した。深夜の地震だったため、人びとの驚きは激しく、各地で
多くの人が戸外に飛び出した。東京と茨城県下ではショックのため死者が出、東京、埼玉、
千葉、茨城県下では階段をふみはずしたり、落下物などで負傷者も出た。(19面関連記事)
また、東北線などでは地震発生と同時に夜行列車を停車させ、被害があったかどうか点検を
おこなった。このため最高三時間の遅れを出し、四日朝から昼にかけて上野駅は、行楽客、
帰省客で大混雑となった」
。(以下省略

この記事を読んで、この地震の最中、分娩室にひとり取り残された私の恐怖は
どれほどのものだったか、あらためてゾーッとした不安を感じた。  

息子の誕生は、この地震の数時間後と思っていたが、1時間ちょっとしか経っていなかった。
今と違って、誕生前に性別はわからず、生れて来て初めて男の子とわかったのだが、
そのわが子との初対面のことはまったく覚えていない有様だ。
地震の恐怖がつづいていたのだろう。

暑い夏、オムツもオムツカバーも布製。クーラーのなかった家での子育ては、今思うと
大変だったが、両親の隣に住んでいたお陰で何とかやって来られたのだと思っている。
ともあれ、息子は、大きな病気もせずにすくすくと育ち、今や、2人の娘のよきパパだ。

        記事       
          (1)面   地震の記事と猛暑の記事   1974.8.5
      
昔はそれほど暑くなかった!と思っていたせいか、同日の朝日新聞のトップ記事は意外だ。
そこには、夏休みになって初の典型的な「夏の日」となった、各地の様子が記されている。
湘南海岸に百万人、富士五湖地方に十万人が押しかけるなど、北海道から九州まで
全国の海、山の行楽地は、この夏最高の人出でにぎわった。
気温が30度を超したところはざらで、ことに東北地方南部から西にかけては、
軒並み33度前後になった。熊谷、水戸、京都などでは34度に達した。
東京の最高気温は32.4度と平年より0.9度高く、この夏第3位の暑さだった

ということは?第1位は何度だろう。その後も天気は続き、暑さも高まる一方だとも。

最高気温は、今と大して変わらないのだろうか? 地面はコンクリートなどで覆われ、
緑が減少している東京。熱帯夜がつづき、ゲリラ豪雨も頻繁にやってくるようになった。
昔は、熱帯夜とか熱中症などという言葉は聞いたこともなかった。
孫たちが親になる頃の夏は、どんなだろうか。亜熱帯から熱帯になっているかも?

この縮刷版は館外持出禁止だ。帰り際、この頁を拡大コピーをしてから返却した。
せっかくだから、このコピーは息子に渡すことにしようと思っている。
そのうち、機会があったら、娘の生れた日の新聞も見てみることにしよう。
彼女の生れた日は、春の嵐が吹いていたと思う。
身近な人びと

地震、雷、火事、親父

2010年08月08日
65年前の8月6日は広島に、明日9日は長崎に原爆が落とされた。

私が体験した、最も恐ろしい地震は、36年前の8月、息子が生れた日の地震。
震度いくつだったか覚えていないが、この年、最大の地震だったように記憶している。
グラグラッと来たとき、私は病院の分娩室にいた。ほかには看護師さん1人だけ。
彼女は「ちょっと患者さんを見て来ま~す!」と病室へ飛んで行った。
私は、薬品棚に囲まれたベッドに縛り付けられたまま、ポツンと残されてしまった。
薬品棚が倒れてきたり、中の薬品が飛び散ったらどうなる!窓ガラスが割れたら・・・?
幸い、何事もなく、数時間後、息子は無事に生れたが、退院後、その病院は鬼門になった。
ほんのたまに、そこの前を通ることがあるが、あの日の地震の恐ろしさを思い出す。

「地震・雷・火事・おやじ」と言う言葉がある。怖い順に並べると・・・どれもこれも怖い!
この中で「親父」だけが異質だが、怖くてたまらなかった私の「親父」は、もういない。
したがって今は、もっとも怖いものは火事、次は地震、そして雷の順になるだろうか。
    
     新田神社  善福寺
         新田神社の欅            善福寺の逆さ銀杏 
         樹齢700年         樹齢750年 国指定天然記念物
          
大田区の新田義興を祀る新田神社の御神木は、戦災や落雷で2つに引き裂かれた欅である。
毎年新緑の季節には、青々とした葉を繁らせる。上部には、ヤドリギも寄生している。
港区の善福寺の銀杏は、幹の上部が損なわれているが、幹回りは10m以上もあり、
都内の銀杏では最大の巨樹。「昭和20年の東京大空襲によって本堂が全焼した際、
この銀杏の木もかなりの被害を蒙ったが、今なお往時の偉観をうかがうことができる
」。

いつだったかラジオ(TBS)で、天気予報士の森田正光氏の話を聞いて、「地震、雷、
火事、親父」の「おやじ」は、「大山嵐(おおやまじ)」という台風を表す言葉だというのが
通説になっていることを知った。「大やまじ」説は、何と『雨風博士の遠めがねー
お天気の不思議ものがたり』(森田正光 著)で初めて紹介されたものだそうだが、
この説に対して疑問を持つ人が現れたのだとか。

それは、「地震・雷・火事・台風 と、怖いものを並べてみても何の面白味もない。
最後が親父であって、はじめて意味がある
」というもの。また、民俗学ではかつて
「おやじ=やまじ」という議論もあったにはあったそうだが、広辞苑にも古語辞典、
ネット上の辞書にも、「おおやまじ(大山嵐)」が台風のことだとは書かれていないそうだ。

森田氏によれば、昔、気象庁などの多くの大先輩が「大やまじ」説を口にされているのを
聞いた記憶があり、調べてみたが、明確な根拠は見つからず、「こういう説もある」と
紹介して、断定はしなかったそうだ。だが、それが、テレビのクイズ番組などで取上げられ、
あっという間に広まり、いつの間にか「大やまじ」の「おやじ」が通説のようになって
しまったらしい。
とりあえず、「大やまじ」説を通説とするのはやめようと、森田氏は云っているが・・・。
私としてはどちらでも構わないが、大地震が来ないことをひたすら願うばかりだ。
身近な人びと

アブラゼミが減った!

2010年08月07日
今日は24節気の1つ、「立秋」。初めて秋の気配が現れて来る頃。「秋立つ」ともいう。
立秋を過ぎると、残暑というのだが・・・。

今年の梅雨明けは7月17日。この日にミンミンゼミの声を初めて聞いて以来、あまり
聞かなかった。こう猛暑がつづいては、セミも元気が出ないのだろうかと心配していたら、
8月に入ると、暑くて目が覚めた早朝4時頃だったか、セミの大合唱が始まっていた。
そういえば、数年前まで、どこにでもいたアブラゼミだが、この頃、あまりみかけなくなった。

アブラゼミが減ったのでは?という感じは確かなようで、東京都心部ではミンミンゼミに、
大阪市など西日本ではクマゼミに置き換わっているのだという。
クマゼミは南方系のセミで、太平洋側の北限は神奈川県の城ケ島付近と言われ、
以前、都内では稀にしか見られなかったのが、最近は、都内や千葉県、埼玉県南部でも
しばしば鳴き声が聞かれるようになったそうだ。

クマゼミの生息域の拡大の原因として、地球温暖化の影響だという説があるが、
むしろ都市のヒートア イランド現象の影響が大きいとも言われる。
また、樹木の移植の際、根の周囲に生息していた幼虫が共に移動してくるという説や
樹木環境の変化を挙げる説もある。東京ディズニーランド内の人工林や大田区の平和島公園、
多摩地区や神奈川県川崎市の公園などでは、クマゼミが毎年発生しているそうだ。

クマゼミやミンミンゼミに比べ、アブラゼミは幼虫、成虫とも、ヒートアイランド現象に
よって乾燥化した都会は、生息しにくい環境になったようだ。
また、アブラゼミの隠れるべき樹木の少ない都会では、野鳥に捕食されやすいとも。

この数年、クマゼミに限らず、今まで生息出来なかった生物が生息するようになったという。
先月、多摩川にアマゾン川に生育する魚が泳いでいると書いたが、(多摩川タマゾン川と化す
ラジオを聞いていたら、高尾山に今まで見られなかった南の方の蝶やトンボなどが
生息しているそうだ。それならまだしも、デング熱やマラリヤを媒介する蚊が増え、
毒蜘蛛が越冬するようになったとか。恐ろしいことだ。
農作物の栽培適地の北上化現象も起こっているそうで、ミカンや米の産地も北上して、
今や、米生産量日本一は北海道(2009年)だとか。

         ストレチア 5.19 

今年5月、渋谷区の住宅地で、それまで、花屋さんか温室でしか見られなかったストレチア
(極楽鳥花)が咲いているのを見て驚いた。
この花を本画にしたことがあったが、結構苦労をした。花屋さんで数本を買っただけでなく、
真冬の新宿御苑に通って、温室で汗をかきながら、株全体をスケッチをしたのだが。
今や、南国の花、沖縄の県花でもあるデイゴの花が、東京の街中で咲いているのを見ても
不思議ではなくなった。
  
           デイゴ 6.16

倉本聰氏によれば、現在の状況は「地球温暖化」でなく、明らかに「地球高温化」だそうだ。
なぜなら、温暖化というのは、温かくて心地よいことを言うのだから。
「温暖化」では、危機感がなさすぎるのだそうだ。何でも「グローバル・ウォーミング」
という英語が「地球温暖化」と訳されて、そのまま使われるようになってしまったそうだ。

スコールを思わせるような集中豪雨といい、今まで見られなかった生物の出現といい、
いつのまにか日本は亜熱帯になってしまったようだ。徐々に、我々の手許から、
日本らしい穏やかな自然が、失われていくのだろうか。
つれづれ

茗荷と薮茗荷

2010年08月06日
やぶみょうが   ツユクサ科 ヤブミョウガ属
           学 名  Pollia japonica

              やぶみょうが

本州中部以西の林下や竹藪に自生。茎は直立し、高さ約80cm。8月から9月ごろ、
茎の上部に長い円錐花序を立て、白色の小花をつけ、果実は小球形で熟すと青藍になる。
葉が茗荷に似ていること、藪に生えることから、「薮茗荷」という名になったようだ。

数年前、たしか、小石川後楽園(文京区)だったと思うが、園内の鬱蒼とした木立の下に
青藍色の実をつけた薮茗荷をみて、スケッチしたことがあった。
昨年も、鎌倉の沢沿いを歩いていて、白い花をつけている薮茗荷を見つけた。
こうした林や藪の薄暗いところにひっそりと咲くのだと思っていたが、いつだったか、
駅前駐車場になっている空地の隅に、何の風情もなく白い花が咲いているのを見つけた。
手で簡単に抜けた数本を頂いて帰り、プランターに植えておいたら根付いてくれた。


みょうが  ショウガ科 ショウガ属
       学 名  Zingiber mioga
       和 名  茗荷 
       英 名  Myoga 
             みょうが

茗荷は、生姜と同じくショウガ目ショウガ科。
大陸からショウガとともに持ち込まれた際、香りの強い方を「兄香(せのか)」、弱い方を
「妹香(めのか)」と呼び、これがのちにショウガ、ミョウガに転訛したとの説が有力。
 
だが、一字違いのこの作物同士には大きな違いがあり、例えば、生姜は根茎を食べるが、
茗荷は若芽や花包を利用する。また、ショウガ独特の香りと辛味は、血の巡りを良くするが、
茗荷は食べ過ぎると物忘れが激しくなるという俗説がある。

釈迦の弟子のスリバンドクは、修行に熱心な人の好い人物だが、 物忘れがひどく、
自分の名前すらすぐに忘れてしまうので、釈迦が首から名札を下げさせたという。
彼の死後、墓から見慣れぬ草が生えてきて、生前、自分の名前を荷って苦労してきた
彼にちなんで、この草を「茗荷」と名づけたという説がある。

この話から、茗荷を食べると物忘れがひどくなるという俗説が生まれたようだが、
栄養学的にそのような成分は含まれていないらしい。
逆に近年、香り成分に、集中力を増す効果があることが明らかになっているそうだ。 

文京区の茗荷谷(みょうがだに)という地名は、江戸時代まで茗荷の栽培が盛んであった
ことに由来する。また、領地のために命を張った戦国武士などは、戦闘で命が残る幸運
「冥加」にかけて、「茗荷」の紋を好んで使用したといわれる。
(Wikipedia)

             みょうが
                  花が咲くと食材には向かない

旧宅時代、庭の北側に茗荷が自然群生していたが、子どもの頃は、その植物が、
食材になるミョウガだと知らずにいた。
母も祖母もミョウガは苦手だったのか、食卓に上ったという記憶はない。
絵を習い始めてから、とくに絵手紙のモチーフとして茗荷を買ってきてよく描いた。
その頃も、わが庭に茗荷はあるにはあったが、ひと夏に数個を収穫するのがやっとで、
運よく咲いた花を見つけた年もあった。
家を建替えた後は、ほとんど食べられることもなく、いつの間にか姿を消してしまった。
植物など

「スカッツ」って何?と思ったら

2010年08月05日
この4月から保育園に通い始めた、息子の次女あいあいが、度々、発熱、入院を繰り返すので、
私の阿佐ヶ谷通いもつづいたが、先月中旬以降からは呼出しがなく、ホッとしている。

ゆうゆうも1歳のときは何回か熱を出し、わが家で預かったりもしたが、
やはり、私が阿佐ヶ谷に行くことが多かった。
行った日の夕方に、洗濯ものを取り込むのだが、彼女の服はTシャツとパンツ。花模様のシャツと
フリル付のパンツが、いかにも女の子らしい。園では、冬でもセーターは着ないようだ。

最近、1日分の洗濯ものなのに、園での着替え分もあって、2人の服の量の多さに驚く。
その中に、ゆうゆうのフリル付パンツのほかに、スカート付パンツを見かけるようになった。
訊いてみると、保育園ではスカートとスパッツは禁止。だが、女の子はどうしても
スカートをはきたいらしく、そんな女の子のために考えられたのがスカートがついたパンツ。
それが流行っているのだとか。スカートは、柔らかい伸縮自在の生地で出来ている。

      女児服  
         ピンク系の明るいシャツが多い    右から2枚目もスカッツ 

そんなこともあって、街で行き交う若い女性のファッションに、目がいくようになった。
いつからだろうか、スパッツとスカートやワンピースといったスタイルの女性が多くなり、
最近は、ジーンズのショートパンツの下にスパッツというのも見かける。

レギンスという言葉も聞く。スパッツもレギンスも同じようなものだと思うが、どうやら、
腰から膝上を覆い、スポーツや見せパンといった用途で着用されるものをスパッツ。
膝下から足首までを覆い、先端がレース状のものなど、お洒落なデザインのものを
レギンスと呼ぶ傾向にあるようだ。(Wikipedia)
もともと、レギンスは防寒用の幼児のズボンのことで、スパッツはバレエの練習着だとか。        
      ホームでホームで                      
                 街で街で  

大人用のスカート付のスパッツはないと思ったら、「スカート付お尻UPパンツ」の広告を
見つけた。大人の間でスカッツが考えられて、女児の間で流行っているのか、それとも
子ども用から大人用へと発展したのかわからないが。
いずれにしても、この暑い夏、薄着の女性にとっては、足先はともかく、スパッツをはくことで、
冷房による冷え過ぎを防止するのに、かなり役立つような気がする。

私の子育て時代を振り返ってみると、娘には、花模様やピンクやオレンジ色の服を着せた
覚えがない。黄土色が混じった色、くすんだ色のものが多かった。また、アルバムをみても、
小学校に上がるまで、スカートをはいた写真は1枚もない。
もし、りんりんが女の子だったら、どんな服を着せるだろう。今度訊いてみようかと思う。
つれづれ

今日は「橋の日」

2010年08月04日
今日8月4日は「橋の日」(1986年制定)。「橋の日」は、私達の生活と文化に密接な関りを
持つ川や橋に感謝し、橋や河川との触合いを通して故郷を見つめ直す日だという。
余談だが、この日は「箸の日」でもあり、制定日からいけばこちらが先輩(1975年制定)。

先週7月31日、隅田川の花火大会は終わったが、昨年、スケッチなどで訪れた折に、
隅田川とその支流に架かる、いくつかの橋を渡った。
「橋の日」に因み、思い出しながら、並べてみることにする。

隅田川は、北区の新岩淵水門で荒川から分岐し、新河岸川、石神井川、神田川、日本橋川など
支流河川を合わせ、東京湾に注ぐ全長23.5kmの一級河川。古くは墨田川、角田川とも書いた。

―隅田川に架かる3つの橋―  国指定重要文化財 
勝鬨橋かちどきばし)  晴海通り 
 かちどき橋 勝鬨橋
もっとも河口に近い橋。日本では珍しい可動橋(跳開橋)。
現在では機械部への電力供給も無く、可動部もロックされ、跳開することはない。
怪獣ゴジラ(1954年制作の映画)によって破壊された橋としても有名。
      
清州橋  清洲橋通り
  
清州橋
永代橋と共に関東大震災の震災復興事業の一環として計画された。  
世界一流麗で美しいと評判だったドイツケルンの橋をモデルに建設された大吊り橋。

永代橋  永代通り
      永代橋 
                                      バスの窓から
隅田川に架かる3橋では最も古く、初代の永代橋は江戸時代に架けられた。

―仙台堀川に架かる橋―   芭蕉俳句の散歩道
海辺橋   
   海辺橋
                              採茶庵跡 松尾芭蕉像 
清澄橋 
  清澄橋
    
清川橋   
         清川橋
           清澄庭園の一部だった清澄公園の木立が見える

大島川西支川 松永橋 
    松永橋
橋の袂に、戦争の悲劇を伝える、旧松永橋の弾痕を使った、妙に明るいモニュメントがある。

亀島川 霊岸橋  永代通り
 霊岸橋  
左手には皇居大手門が、右に進むと隅田川。永代橋までは約500m。

日本橋川  湊橋
    湊橋
江戸時代、霊巖島と箱崎地区の埋立地(隅田川の中洲)とを結ぶために架けられた橋で、
1928年に改架されたスマートな3連のアーチ橋。
タイル張りの橋の側面には、グレーのストライプと樽廻船を描いた飾りがある。
旅・散策・イベント

ゴミゼロの街づくりを

2010年08月03日
「スポゴミ」つまり「スポーツゴミ拾い」を開催する「日本スポーツ GOMI 拾い連盟」が、
2年前に結成された。この団体は、国内で地域のスポーツとして普及させ、
新しいスポーツとして世界のあらゆる国で開催することを目標にしている。

ゴミ拾いを「環境奉仕活動」ではなく、「スポーツ」として楽しむというもので、
参加者同士が楽しくゴミを拾うことで、参加者の環境に対する意識を向上させ、また、
街行く人々が待つ、ゴミ拾いという、ネガティブなイメージを払拭させる効果もあるという。

5~6人でチームを組み、作戦会議をし、リーダーやナビを決めた後、1時間の
制限時間内に決まった地域(半径1km)のゴミを集めて、得点を競うというもの。
ゴミ箱からゴミをあさったり、ゴミを仕込んでおくなどというのはルール違反。
100g分の燃えるゴミ、ビン缶は10ポイント、拾いにくい煙草の吸殻は100ポイントと、
ゴミの種類で点数が違うそうだ。
             煙草吸殻
   
先日、赤羽駅周辺の住宅地で行われたというが、駅に近くなればなるほど、煙草の吸殻が
多くなったそうだ。花火の燃えカスやアイスクリームの棒など、夏ならではのゴミもあったとか。

「スポゴミ」のことを知ったのは、つい最近のことだが、毎年恒例の「箱根駅伝」後に行われる、
「もうひとつの箱根駅伝」のことはラジオで聞いて知っていた。
これは、「箱根駅伝」が終ると、駅伝の往路と同じコースと中継所を2日間かけて、
沿道のごみ拾いするイベントで、軍手をはめた選手たちは、ゴミ袋とトングを持ち、
襷リレーをしながら、ゴミの量とスピードを競うというもの。
     
           ペットボトル
                歩道の植込みに捨てられたペットボトル

以前、「箱根駅伝」後の沿道に捨てられたゴミなどは、地元の人たちが掃除していたが、
自分たちの大会で出したゴミを自分たちの手で綺麗にしようと、2006年、神奈川大学など
神奈川県内の大学探検部や冒険部などを中心に始まったそうだ。年々、参加大学は増え続け、
今年は22大学から約120人もの人々が参加したという。(一般参加も可とか)

どちらのイベントも、競い合うことが目的というより、あくまでゴミ拾いを通して環境問題を
考えることに重点が置かれ、また参加した人とその姿を目にした人たちの環境に対する
意識を変えることを目的としているようだ。 

ゴミといえば、古くなった不用の園芸土の処分にも困ることが多い。
都内で2番目に小さい中央区(人口11万人)では、集合住宅に住む人は86.3%。そのうち、
60%は11階以上の高層居住者だという。こうした人たちは、ベランダで園芸を楽しむ。
不用の園芸土はゴミとして捨てられないため、わが家では、庭の隅に撒いたりしているが、
ベランダ園芸の人たちの中には、ルールを無視してゴミとして捨てる人も多いという。

最近、ラジオを聞いていて、こうした不用園芸土をリサイクルする動きがあることを知った。
中央区の取り組みは、原則毎週日曜日、箱崎のリサイクルセンターに、根や石などを
取り除いて持参してもらった不用園芸土(30kgまで)を回収。天日干しにして滅菌し、
さらに腐葉土を混ぜて熟成させて再生するというもの。

また、車内の広告で、「めぐろブラン土 花再彩」という目黒区の取り組みを知った。
目黒区は、23区で初めて不用園芸土のリサイクルを始めたのだそうだ。
昨年11月に消費生活展で試験的に不用園芸土を回収し、約2.4㌧の再生園芸土をつくり、
今年の5月、4会場で希望者に配布。各会場とも30分ほどでなくなったそうで、
このときの回収では、約12㌧の不用園芸土が集まったとのことだ。
こうした試みは、ほかの区にも広がっていってほしいと思う。

ゴミを拾う運動の拡大やリサイクルの充実も必要だが、先ずは、ゴミを捨てない、
ゴミを減らすといった、単純な習慣の徹底が優先課題かと思う。
道端に煙草の吸殻やゴミがおちてることなく、「スポゴミ」などといったゴミ拾いの会が
開かれなくなる、そんな日が早く来るとよいのだが。
つれづれ

毎日が何かの記念日?

2010年08月02日
今日は「カレーうどんの日」だそうだ。何でも、カレーうどんの全国浸透100周年に
当たる今年、カレーライスほどには食べられないカレーうどんを、いつも食べてもらえる
人気メニューに育てようと目論んで、決めたようだ。
「カレー記念日」が6月2日、「うどんの日」が7月2日ということから、今日8月2日が
「カレーうどんの日」になったのだそうだ。

「うどんの日」の7月2日は、「半夏生」。                (半夏生
讃岐地方の農家では半夏生の頃、麦刈や田植えが終わった労をねぎらうために、
うどんを打って食べる風習があるが、それに因んでこの日が「うどんの日」となった。

6月2日の「カレー記念日」は、「横浜カレーミュージアム」(横浜市中区)の提唱で、
1859年の横浜開港当時、日本に初めてカレーが伝わったということに因んだもの。
「カレーミュージアム」には、1度だけ行ったことがある。たくさんの店がある中で、
どんなカレーを食べたか、まったく覚えていないが、そのうち、また!と思っているうちに、
その機会もなく、2007年に閉館してしまった。
「カレーの日」は1月22日。これは、1982年のこの日、全国学校栄養士協議会で
給食のメニューをカレーにすることに決められ、全国の小中学校で一斉にカレー給食が
出されたことから。
ほかに、「10円カレーの日」(9/25)。これは、日比谷公園にあるレストラン「松本楼」が
この日だけ10円でカレーを提供する日。           (首かけ銀杏の前で) 

いずれにしても、カレーに含まれるクルクミンという物質は、脳にとてもいいらしい。
「なぜ、東大生はカレーが好きなのか 脳を鍛える最強の食事術」(吉田たかよし 著)という
本も出ているほどだ。

カレーライスとカレーうどんのカレーは違う。カレーソースは洋風、うどんのツユ?は和風だ。
私は、お蕎麦屋で、例え暑い夏でも、冷たいうどんや蕎麦でなく、必ず温かいものを注文する。
中でもカレーうどんを頼むことが多い。だが、カレーソースをうどんのツユでのばしたような、
カレーうどんが出てきたときには、がっかりしてしまう。
今まで美味しい!と思った「カレーうどん」はどこのお店だっただろう。老舗の蕎麦屋さん?
それとも、意外に小さな街中のお蕎麦屋さんだったかもしれない。

カレーうどん  鼻の日
            カレーうどん                  「鼻の日」のポスター

日本の記念日一覧」をみると、ほとんど毎日が何かの記念日だ。特別な由来があるもの以外は
語呂合わせによる制定が多いようだが、それにしても何でも記念日をつくってしまうのには驚く。

1月1日の「鉄腕アトムの日」から始まって、梨の日(7/4)、納豆の日(7/10)、橋の日、
箸の日(8/4)、花の日(8/7)、豆腐の日(10/2)など、語呂合わせの記念日が多い。
耳の日(3/3)、肺の日(8/1)、鼻の日(8/7)、目の日(10/10)はわかるが、入れ歯の日
(10/8)というのもある。「風邪の日」(1/9)や「頭痛の日」(2/2)は薬屋さんが考えたのか。

「駆け落ちの日」(1/3)、「玉の輿の日」(1/20)、「結納の日」(3/3)、「初恋の日」
(10/30)というのもある。「いい夫婦の日」(11/22)があるかと思うと、悪妻の日(4/27)も。
恐ろしいのは、「裏切りの日」(6/2)。
因みに、5月には、3日の「ゴミの日」と30日の「ゴミゼロの日」がある。
ゴミ拾いのボランティア活動が盛んだが、それは、拾っても拾ってもゴミが減らないということだ。
「ゴミゼロの日」が、街や広場からゴミがなくなった!という記念日になるといいのだが。
つれづれ
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