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防寒の要「3つの首」

2010年11月30日
「雪、まだ大ならず」の小雪(11/22)を過ぎ、日ごとに寒さが増してきた。
野山では初雪が舞い始める頃。「大雪」(12/7)も近づき、いよいよ冬の到来だ。
あの長かった猛暑のことなどすっかり忘れ、朝夕の冷え込みに身を縮めているこの頃。

防寒対策にも気を使う時期だが、防寒の要は、「首」「手首」「足首」の3つとのこと。
どの首も、皮膚表面のすぐ下には、動脈や静脈が通っているため、冷気に当ると
すぐに血液が冷やされるのだそうだ。また、衣服から体温が逃げていく場所でもある。

頸椎ヘルニアに悩まされている私は、とにかく「首」を冷やすことは厳禁だ。
「肩こり・首痛は99%完治する」(酒井慎太郎 著)によれば、頸を温めるポイントは、
頸の後側と「傷む側の前側・斜め横」の2ヶ所。首の後側の筋肉は特に疲れがたまりやすく、
前側、斜め横は、痛みを引き起こす引金となる神経が出ているからだという。

衣服内の温かい空気が最も逃げやすいのは襟元なので、タートルネックが最適。
襟の開いた服にはスカーフもお洒落で暖かいが、私は毛糸のネックウォーマーを愛用している。
これはちょうどタートルネックセーターのタートル部分を切り取ったようなもので、
帽子にもなるというものだが、100円ショップでも売っている。
そんなわけで、いつの間にか、2重に巻くマフラー状のもの、リバーシブルのものなど、
いろいろなネックウォーマーが集まってしまった。

        防寒グッズ
                   ネックウォーマーと手袋

「手首」を冷やさないようにするには、やはり長袖。手袋も長めのタイプがいいのだが、
手の甲から肘までを覆う手首ウォーマーというのもある。
黒の皮手袋も持ってはいるが、滅多に使わない。手袋といえば、スケッチ用に買い込んだ、
指部分のないものばかりが目立つ。
先日、並べてみたら、片方だけの手袋が4つもあった。もう一方はスケッチのときに
落としたのか、コートのポケットやバッグに入れたままなのかわからない。
両手が揃ったものも何組もあった。中には、真冬の常州(中国江蘇省)に短期留学中、
大学売店で買ったものもあったが、日本で買ったものと比べると、少々お粗末な出来だ。

そして「足首」。街で薄手のスカートにブーツという姿の若い女性を見かける。
ブーツはいかにも暖かそうに見えるが、冷えた足が締め付けられて、血行が悪くなるため、
あまり暖かくないので、私は最近はめったに履かなくなった。
以前、スケッチに、ウォーキングシューズに靴用ホカロンを入れて出かけたりしたが、
暖かくなるどころか、足はますます冷たく感じたこともあった。

         ブーツ

家の中ではもちろんだが、スケッチや自転車で図書館に行くときなど、厚底のズックと
レッグウォーマーを欠かすことが出来ない。ブーツを履くより断然暖かいと思う。
手首ウォーマーは持っていないが、手袋とネックウォーマー、レッグウォーマーは
私の冬の必携アイテムだ。

足首と手首は、首(頸)と密接な関係があるという。パソコンなどで長時間手指を酷使すると、
前腕部(肘から手首の間)の筋肉が硬くなり、肘や肩まで影響を受ける。
そして、頸痛や肩こりの原因になることが少なくないという。

痛みのある部分を治療しただけでは改善しないことが多く、全身的な調整が必要になるという。
これは度々経験している。頸がどうしようもなく痛くなり、整体院に飛び込むこともしばしば。
先月、ついに頸痛、肩痛が限界に達した。整体院では、1時間の予定が30分オーバーした。
お陰で、廻らなかった頸も廻るようになり、腰も楽になった。
「こんなになるまで我慢しないで、今度は早目にいらっしゃい!」と言われて、
反省したのも束の間、パソコンの前で再び、手指を酷使し始めている。
つれづれ

公園でストレッチ Ⅱ

2010年11月29日
わが家には、世田谷区発行の「緑道健康マップ―目黒川・北沢川・烏山川緑道―」と
「健康マップ 経堂・桜丘 烏山川緑道」があり、緑道を歩くときにとても重宝している。
地図のほか、ウォーキング時の服装や靴、ストレッチの図解なども載っている。
世田谷健康プラン企画会からのメッセージには、「人間は2人の医者を持っていて、
この2人の医者は2本の足を指している
」と書かれている。

        健康マップ

世田谷区の公園、緑道など約80カ所に、計150基近くの健康遊具が設置されているそうだ。
遊具は、上半身のストレッチができる背伸ばし、ベンチや足のつぼを刺激する健康歩道など
様々な種類があり、羽根木公園や北沢川緑道など世田谷区北部地区を中心に、
健康遊具を紹介した「健康遊具マップ」が作られている。

区立羽根木公園 (世田谷区)
樹木に包まれた「わくわく健康遊具ランド」は、軽運動のできる手ごろな運動の場として、
日頃の運動不足を解消させるために利用出来るようだが、このエリアには人影がなかった。

          案内板
             「いきいき」「わくわく」の健康遊具の案内板

    腰掛       
         背のばしベンチ(せのばし)           ツイストスツール (ツイスト) 
 
          健康遊具
  コンパス(かいきゃく)など   ウォールラダ―(けんすい ぶらさがり)ツイスト(上半身ひねり)    
       
         健康遊具
           ストレッチタワー(ストレッチ)        トレーニングタワー(ぶらさがり

都立蘆花公園 (世田谷区)
蘆花恒春園には、徳富蘆花の旧宅がある恒春園ゾーンとドッグラン、開放公園ゾーンとがある。
ここには、3基の健康遊具があったが、私が通りかかったとき、近くにはだれもいなかった。

    蘆花公園


こういった健康遊具は、最近、あちこちで見かけるようになった。
港区の「白金台どんぐり公園」にも、健康遊具があった。 (公園でストレッチ
新しく作られる公園には、こうした健康遊具が設置されることも多いようだ。

     どんぐり公園

昨年秋、港区の芝公園をMさんと歩いたが、園内に「健康歩道」と名付けられた緑道があった。
目を閉じて片足立ちで平衡性、懸垂で持久力、ジャンプして敏捷性など、10~70歳の
男女平均値と照し合せて、楽しみながら体力測定ができる緑道だ。   (健康ロード
平衡性、筋持久力、柔軟性、敏捷性、瞬発力の五要素「健康五角形」が大切のようだ。

         芝公園
      芝公園
         立位体前屈(柔軟性)      立幅跳び 後幅飛び(瞬発力)

これからますます寒くなり、外で身体を動かすことが少なくなる。
1回30分の筋トレに通い始めてそろそろ1年。筋肉量も基礎代謝もなかなかアップしないが、
動き始めるとまもなく汗ばんだり、脈拍数も上るようになってきたのは嬉しい。
筋トレも気功も頑張ろう。継続は力なりだ。
旅・散策・イベント

「風景印」 渋谷区 Ⅰ

2010年11月28日
渋谷局
 渋谷 ハチ公 
  ハチ公像 金王八幡の枝垂桜 神宮橋         忠犬ハチ公像
 
金王(こんのう)八幡宮を訪れたのは、昨年秋だった。(秋祭りの山車とお神輿
ここの金王桜は、長州緋桜という枝垂桜で、雄しべが花弁化したものもあり、
一枝に一重と八重が入り混じって咲く、珍しい桜。江戸三名桜の1つに数えられたという。

     金王八幡
                  金王八幡宮の金王桜

  
渋谷神南局放送センター内局    
 神南 放送センター   
  ハチ公像 代々木競技場 明治神宮と森   放送センター 代々木競技場  
 代々木競技場 放送センター
           代々木競技場                 放送センター

明治神宮が創建されてから、今月でちょうど90年を迎えたという。
森の周辺は皇室の所有地で、現在の御苑一帯を除き、ほとんどが畑だったが、
「悠久の森」を目指した壮大な計画のもと、大正4年から造営工事が始まった。

この杜には、椎、樫、楠などの照葉樹が多く、伊勢神宮や日光東照宮のような針葉樹は少ない。
これは、大正時代、すでに公害が進んでいた都内の大木、老木が次々と枯れていったことから、
百年先を見越して、神宮には照葉樹でなければ育たないと考えられたからだという。
鎮座50年を機に、境内の樹木調査を行ったところ、わずか半世紀で自然の循環が
定着していることがわかり、世界的に注目を浴びた。自然林ではないが、天然更新といって、
落ち葉はすべて土に還り、それが森の木々を育てていくのだそうだ。

         
渋谷道玄坂局
道玄坂花菖蒲
  道玄坂の碑群  区の花 花菖蒲               花菖蒲
  
           道玄坂碑
                     道玄坂の碑群
 
マークシティの入口に「道玄坂の碑」群がある。その1つが与謝野晶子の歌碑。
      母遠うて瞳したしき西の山 相模か知らず雨雲かかる
      (新詩社の機関誌『明星』より 筆跡は晶子自身の書簡による集字

大阪から上京した晶子は、鉄幹と道玄坂で新詩社を主宰し、『みだれ髪』を出版(明治34年)。
歌人として、また妻としての多忙な日々のひとときに、住まいから近い道玄坂の上に
しばしばたたずんで、西空の果てに連なる相州の山々を眺めていた・・・
」と説明があった。

「花菖蒲」は渋谷区の花。毎年初夏には、明治神宮御苑の菖蒲田に多くの人が訪れる。
神宮御苑は、江戸初期には熊本藩主加藤家、のちに彦根藩井伊家下屋敷の庭園となり、
明治時代に宮内省所轄となった。
ここ数年、一躍脚光を浴びたパワースポット「清正井」は、一年中、若い女性を中心に
数時間待ちの長い行列ができるほどの人気だとか。   (パワースポットの中心点


渋谷松涛局 
 松涛 松濤美術館
  鍋島公園 松濤美術館 花菖蒲                松濤美術館

     鍋島公園
    入口のモニュメント     湧水池と水車      鍋島松濤公園

京王井の頭線渋谷駅から1つ目の神泉駅で下り、鍋島松濤公園まで歩いた。
鬱蒼とした森を想像していたが、水車小屋がある池の周りにベンチや遊具が置かれた、
どこにでもある公園で、少々、がっかりした。
風景印のデザインにある噴水を探したが、水車があるだけだった。どうやら、
数年前に噴水はなくなり、水車に変わったらしい。

鍋島松濤公園は、もと紀伊徳川家の下屋敷だったが、明治になって、佐賀の鍋島家に
払い下げられた。鍋島家は、当地に茶園「松濤園」を開き、「松濤」の銘で茶を売り出した。
茶園が閉鎖されてからは、湧水池を中心とする一画が児童遊園として公開され、
東京市に寄贈された後、渋谷区に移管された。

鍋島松濤公園から松濤美術館は近い。この区立美術館は、展示のほかにも、音楽会や講演会、
ギャラリートーク、美術映画会や専門家による美術相談を行なっている。
かなり昔、「松濤美術館公募展」に知人が出品したときに行ったことがあった。
その後、すっかりご無沙汰していたが、中国雲南省で見た石造の民家を思わせる外観は、
強く印象に残っていたので、遠くからでもすぐにわかり、方向音痴の私でも迷わなかった。
残念ながら展示を観賞する時間はなく、帰りは渋谷駅まで歩いた。
旅・散策・イベント

捨てがたい「木のぬくもり」 

2010年11月27日
ラジオをきいていたら、全国から高い評価を受けている、北海道の「置戸(おけと)町」の
学校給食のことが紹介された。愛情のこもった料理を温か味のある木の器でいただく給食だ。

オホーツク海から40km内陸にある置戸町。管理栄養士の佐々木さんは、心も身体も、
味覚も発達段階にある子供たちに本物の味を覚えてもらうために、愛情と手間を注いで
家庭料理のような学校給食を作り続けているそうだ。ここで用いられる食器は、
総面積の9割が森林である置戸町の特産品、「オケクラフト」という木製の器。 

何度か通った「次大夫堀公園民家園」(世田谷区)には、江戸時代の古民家や蔵があり、
庭の奥の方に、伐採された木材が積み上げられている。
この民家園では、木挽き(こびき)、藍染、紙漉きなどを体験させてくれるが、
それを主催するボランティアの会の1つ、「木挽きの会」の活動が、読売新聞で紹介され、
その記事が案内板に貼られていた。

        木挽き
         
校舎改築で伐採 テーブル、イスに 学校ケヤキ 第2の人生
区立烏山小学校で半世紀以上、子どもたちを見守り、校舎改築のために伐採された、
校庭のケヤキが、テーブルやイスに生れ変わる。「大切な木を残したい」という学校側の願いに
応え、同区のボランティアグループ「木挽きの会」が製作中。2012年の新校舎落成に合わせて
同小に贈られ、中庭で使われる予定。
読売新聞より
新校舎ができて、中庭のケヤキのテーブルを囲む、子どもたちの喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。

上野の科博(国立科学博物館)やトウハク(国立東京博物館)に行くとき、たいていは
公園内の「間伐材の歩道」を通って行く。靴の底に伝わる感触が柔らかい。
     
         間伐材 Click!
                「多摩産木材を活用した園路舗装」*

夏は木陰の径、秋には散落ちた紅や黄の葉で彩られる径は、私の大好きな舗道の1つだ。

         間伐材の道

東急線の車内のTOQビジョンで「パナソニック暮しのエコナビ」を目にするが、
いつだったか、徳島県警で、間伐材製の交通標識が使われているという話題を取上げていた。
木材のガードレールというのは見たことがあるが、標識は珍しいに違いない。

公園などでも木製のテーブル、ベンチ、遊具、東屋、柵、案内板などをよく見かけるし、
割箸、再生紙や再生紙用品など、身近なところで、多くの間伐材が使われている。
階段や床、壁などに、枕木のような古材が使われているお店を見かけることも少なくないし、
洒落たインテリアとしても、古材や間伐材は大活躍だ。
つれづれ

親戚猫 ココが仲間入り

2010年11月26日
お向かいのさいとうさんのところで見かけた猫が、わが庭にも姿を現すようになったのは、
昨年秋ごろだった。黒と白の斑模様がユニークで、横から見ると、白地に黒い丸があって、
おかしかった。クロマルという名前をつけて、わが庭では「よそ者」扱いをしてきた。

今年の春だったか、駅に向かう途中、高い木の上でギャアギャア騒ぐカラス3羽を追う
クロマルの姿を見た。
結局、カラスは退散したが、大きな体の割に身軽なこと!とその敏捷さに感心したものだ。

  闘い
               カラスと闘うクロマル

その後も相変わらずクロマルは、わが庭では「よそ者」扱いだったが、さいとうさんのところで
見かけるクロマルの姿は実に存在感があった。

3年前、ケシ、ククとともにわが庭で生れた猫に、当時3歳だった孫りんりんココと名付けたが、
生後2ヶ月の頃、突然、姿を消した。戻ってくるよねと、りんりんと待っていたのだが。

         3年前
             ココ(左手前)  2007.12       母親チビと  2008.1

今年になって、私がクロマルと呼んでいた猫は、さいとうさんのところでココと呼ばれている
ことに気づいた。どうやら、ごんさんが3年前にいなくなったココではないかと、言ったらしい。
私は「ココではない!」と、3年前の写真をみて確信した。ココククとそっくりだったし、
こんなにユニークな黒白模様ではなかったからだ。

   前後
  横

だが、わが庭の猫たちが食べ残したドライフードを食べに来るようになったこの猫を、
「よそ者」ではなくココだと思うことにした。そして、トラが追払おうとするときも、
トラは食べたでしょ。みんな仲良くね!」と、つい、ココを援護してしまう。
よく見ると、ココの右耳は少しカットされている。すでに手術済みのようだ。
  
    ココ

さいとうさんにはよく慣れているココだが、ある日、初めて奥さんにも甘えて、撫でさせてくれたので、「お別れに来たのかと思って、その晩は気になって眠れなかった」そうだ。
8匹の猫たちと暮すさいとうさんご夫婦は、本当に猫好きなのだ。
「さいとうさん、昨日もココは食べに来ましたよ!」。
動物など

秋の雲から冬の雲へ

2010年11月25日
上層雲(巻雲、巻積雲、巻層雲)、中層雲(高積雲、高層雲、乱層雲)、低層雲(層積雲、層雲)、
対流雲(積雲、積乱雲)。
雲の種類は10種だというのだが、どうも雲の名は覚えにくい。 (夏から秋の雲へ)      

9月の雲と夏の雲とを比べてみても、あまり変わらないように見える。
だが、11月になると、大気もおとなしくなって、雲はぼんやりのんびりと浮かんでいるようだ。
雲を求めてカメラを構えるが、街中では何処へ行っても電線!モニター画面の電線を避けながら
空を見ながら移動していると、交差点の真ん中に立っていたりする。
多摩川がもう少し近ければ、いつも同じ場所から同じ時間に空を写せるのだが・・・。

        9.6 9.6 15:00
9月8日  白露
  9.9 13 9.9  13:00        
                                                  17:00
                9.9 17

          9.17 9.17 17:30
9月23日 秋分
          9.25 9.25 13:00
                         台風一過
10月8日  寒露
 10.8 10.8  14:00
                     多摩川丸子橋付近
                   10.8
10月23日 霜降
          10.28 10.28 10:00
 
        11.3 11.3 11:00

            11.6 11.6 14:30               
11月7日  立冬
              11.16 11.16 9:00
11月22日 小雪

もうすぐ12月。今年の冬の寒さは厳しいとか。
旅・散策・イベント

焼き立てのパンを届けます!

2010年11月24日
月に数回、孫のりんりんは、学校から直接、2駅ほど電車に乗って、わが家へ来る。
ある日、無造作に畳に置かれたランドセルの中から、鉛筆が1本、顔を出していた。
案の定、ランドセルの中に筆箱がない。勿論、消しゴムも。鉛筆が1本だけだった。
これは、忘れものなのか、失くしものなのか、筆箱はどこへいったのだろう?
2学期になって、忘れものは減ったというが、失くしものは減らないらしい。

夏休み、何かの本を見て、彼は突然、「ちらし寿司を作る!」ことを思い立ち、
わが家にやってきたことがあった。        (りんりんとつくったチラシずし」
自宅でレシピを書き写すのに時間がかかって疲れたせいか、わが家に来てからは、
ほとんど手を出さず、指図だけしていた。皆でワイワイと食べるのが目的だったようだ。

また、ある日曜日の夜、「パン焼いたけど、要りますか?」と、電話してきたことがあった。
私は、「ありがとう。でも、今日は遅いから明日でいいわ」と返事をしたのだが。
それから小一時間して、玄関でピッピッとボタンを押す音がするので、出てみると、
りんりんだった。
門と玄関のドアの電気錠の暗証番号を知っているので、門の扉は難なく開いたのだが、
玄関の扉はボタンを懸命に押しても、2重にロックされていて開かなかったのだ。

りんりんはパンが入った箱を照れくさそうに差し出すと、待っている車の方へ走って戻った。
「どうしても、今すぐ持って行きたいと言うものですから」と、車から下りた父親。
車で5分とかからない距離とはいえ、休みの夜くらいゆっくりしたいだろうに。多謝多謝!

    パン
                    猫のパン
                              太いヒゲのねこ

これが「スープのさめない距離」、「近居」の良いところかもしれない。
もし、1階と2階に、或いは隣合せに住んだとしたら・・・!? それはご遠慮申し上げよう。
彼のランドセルの中のことはともかく、いろいろと余計な心配事が増えそうだ。
身近な人びと

「士」と「師」の違い?から

2010年11月23日
今日は「勤労感謝の日」。
「勤労を尊び、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」国民の祝日。

ところで、ラジオで、埼玉県の行田市だったと思うが、ある保育園で、園児の母親たちが
「一日保育士体験」をしたということを聞いた。
体験後の感想は、保育士たちの子どもたちへの接し方に感心した、園で見るわが子の姿に、
その成長ぶりを実感したなどと、子育ての参考になったと好評だったそうだ。

少し前までは、保育の仕事をしている人を保母さん、または保父さんと呼んでいたが、
児童福祉法改正(1999年)により、男女ともに「保育士」という呼び名に統一された。
保母さんが「保育士」となっても、仕事の内容や立場はほとんど変わりないようだ。
保育士が国家資格(2001年)となってからは、児童の保育だけでなく、地域の子育て支援や
保護者に対する支援、指導を行う専門職としての重要性が高まり、役割も幅広いものになった。

以前から気になっているのは、「士」と「師」の使い分けだ。
保育士は「士」で、看護師は「師」だ。看護師は、傷病者の看護および療養上の世話、
医師の診療の補助を職業とする者。国家試験に合格し、厚生労働大臣の免許を受けた者。
「看護士」というのは、男性看護師の旧称
。とある。(大辞林)

医師も教師も「師」だ。薬剤師、牧師、宣教師、理髪師、美容師、調理師。猟師も漁師もだ。
庭師、マッサージ師など、枚挙に暇がない。

「師」 Ⅰ①学問・技芸を教授する人。師匠。先生。
      ②僧・神父・牧師などを敬っていう語。
      ③中国、周代の軍制。軍隊。
    Ⅱ①技術、技芸などを表す語に付いて、その技術の専門家であることを表す。
      ②僧侶、神父などの姓氏などに付けて、尊敬の意を表す。
     ポスター
                  病院の車内広告

「士」は、武士や戦士など、「ことを処理する才能のある者、才能をもって官に仕える者」の
意味だったのが、転じて「専門の技術、技芸を修めた者」の接尾語になり、この「士」を
使うようになったようだ。
保育士、栄養士、介護士、弁護士、行政書士、税理士、会計士、建築士、設計士、歯科技工士、
整備士、運転士などなど。

「師」とつく職業は免許が必要で、「士」とつく職業は資格が必要といった説がある。
「士」が付く職業は代理業という説もある。弁護士、税理士、公認会計士など。
「保育士」は、両親の「代わりに」子供の面倒を見るから、「士」なのだとか。
一方、「師」は、資格がなければその業務が行えない。資格がない状態でその業務を行うと
刑罰の対象となる。医師、看護師、薬剤師、放射線技師など、多くの医療資格がこれだ。
では、占い師は?詐欺師は??どう説明するのだろうか。

結局、「師」と「士」のはっきりとした使い分けはわからない。
昔、男性の職業には「士」、女性の職業には「婦」というように使われていたが、
性差をなくしていくために名称が変更される際、混乱が生じた面もあるかもしれない。

ところで、今日11月23日は「手袋の日」「Jリーグの日」。

         手袋
             いつの間にか集まったスケッチ用手袋

また、「1123」の語呂合せで「いいふみの日」「いい兄さんの日」「いい夫妻の日」でもある。
「いい夫婦の日」は11月22日、昨日だった。いい夫婦といい夫妻との違いは?

因みに、大辞林によると、「夫婦」は「婚姻関係にある男女の一組。夫と妻。めおと。
「夫妻」は夫と妻。夫婦。これでは、ニュアンスの違いはわからない。
夫婦を客観的にみれば夫妻といったところだが・・・。

「いい夫婦の日 川柳コンテスト」というのがあり、昨年は、2万3千近い応募があったとか。
「いい夫妻の日」がテーマだったら、これほど応募があるだろうか。
君が好き もいちど聞いたら 黄身が好き(」2007年優秀賞)というのがあり、笑ってしまった。
わが家だが、感謝を忘れているわけではないが、わざわざ口に出して伝えるのは
どうも苦手だ。
そこで、昨日は、「何ごとも なく過ぎてゆく 夫婦の日」(2008年優秀賞)となった。
つれづれ

歩道の風景 Ⅱ

2010年11月22日
今日は24節気の1つ「小雪」。雪がちらつく頃。「いい夫婦の日」でもある。

来年の春の北陸地方で飛ぶスギ花粉の量は、今年の7,8倍になるだろうと予想されている。
花粉症は夏の天候が大きく影響するが、今年の猛暑の影響でスギ花粉の雄花が非常に多く、
また、今年のように花粉の量が少ない年の翌年は多くなる傾向があると言われている。
北陸では今年の7倍から8倍に、全国平均では5倍、関東は2倍、近畿地方に至っては
今年の10倍とか。
   
         さくら
             さくら  芭蕉の散歩道 江東区  2009.11.15
   
         もみじばふう
             もみじばふう    新宿区四谷  2009.11.27

今年夏の猛暑の影響は、ほかにもある。
科博のメルマガによると、今年は椎や樫などのドングリが非常に少ないようだ。
秋の楽しみの1つは、歩道に落ちた木の実を探しながら、ときに拾ったりして歩くこと。
わが家近くに落ちている実は、椎、イイギリ、ギンナン、ムクロジ、ハナミズキ、槇などだ。

けやき けやき         
      けやき    目黒区   10.5        けやき  杉並区  10.26 
        
けやき はなみずき
      けやき  台東区  11.19         はなみずき  大田区  10.28

さくら さくら
        さくら  大田区  10.20          さくら  大田区  11.13

ぎんなん さんざし
     ギンナン  世田谷区 10.13          サンザシ  大田区 11.15

      かや
                  カヤの実  世田谷区  10.4

      まき
                  マキの実  大田区   11.9

松 くぬぎ
       黒松   杉並区  10.9         くぬぎ  世田谷区  10.7

まてばしい しい
     まてばしい  渋谷区  10.19        しい  大田区  11.10
植物など

何年ぶりかの再会、また再会

2010年11月21日
先週、2年ぶりのグループ展が終わったが、会場で「何年ぶり!?」の出逢いがいくつもあった。
中国語では「好久没(不)見了!」(お久しぶりです)というところだろうか。

このグループ展は、故F先生の「日本画デッサン教室」のお仲間で始めたもので、
1回目は、先生の開かれた銀座(中央区)の画廊で、全面的に先生にお世話になった。
その数年後、2回目の展覧会の10日前、F先生が急逝されてしまった。
展覧会を楽しみにしておられた先生。どこかで見ていて下さっているに違いないと
思いはするものの、とても辛く悲しみに満ちた展覧会になった。(出逢いの楽しみ

その後、銀座の画廊は閉じられたので、自由ヶ丘の画廊(世田谷区)で再開することになり、
メンバーの入れ替りはあったが、今年の展覧会で5回目を迎えた。(迎えた初日)  
今年は、日本画、水彩画など、14名の出品(計35点)。とても素晴らしい展覧会となった。

 日本画
           水彩画

2年前、高校の同期会が開かれたのをキッカケに、お世話役のYさんがメールアドレスを
持つ人たちに「通信」を送って下さるようになった。
「通信」には、同級生の「展覧会」「刺繍展」「踊りの会」などの案内が載ることが多い。

          日本画           
 
今回は、私のグループ展の案内だった。その通信を見て、初日に来て下さったのがKさん、
最終日に見えたのがOさんだ。卒業以来、2年前の同期会に参加するまで全くお付き合いが
なかったので、彼女たちの旧姓すら思い出せないほどのご無沙汰だった。アラカン世代も、
多くの人がメールのやりとりをする時代。私のお付き合いの幅も拡がって、楽しみもふえていく。

Nさんと知合ったのは、区の手話講座でだった。2年半の講座が終わった後、彼女に誘われて
イギリス生れオーストラリア育ちのスーさんに英会話を習ったことがある。
スーさんは、合気道を学ぶために日本に来ていた若い女性の写真家で、たしか、
NさんやSさんのお宅で、数人が集まって英会話を教えてもらっていた。

そのお仲間と一緒に日光に旅をしたとき、私が英語混じりの旅の栞を作ったことがあった。
また、わが家が旧宅の頃、茶室があったので、スーさんをご招待したこともあった。
日光での写真はなぜか1枚もないが、茶室でスーさんが神妙にお茶を頂いている写真はある。

だが、いつの間にか、絵の方に時間をとられるようになり、私の英会話学習は初級のまま、
終わってしまった。その後、Nさんとは年賀状だけのお付き合いになった。
彼女の話では、先生は代ったが、英会話の学習会はつづいているのだそうだ。

私はといえば、絵を始めたことから、中国へスケッチ旅行に行くようになり、
中国語学習を始めた。だが、どうやら私の脳は語学学習に向いていないらしい。
英会話が駄目だったように、中国語でも足踏み状態がつづいている。

今回の展覧会でも、懐かしい人たちとの出逢い、思わぬ出逢いがたくさんあった。
その度毎に、想い出の世界へのタイムスリップを楽しむことができた。
次回は2年後。会期直前に慌てないよう、余裕を持って、「よりいい作品を!」と思うのだが。
つれづれ

えびす講と恵比寿の街

2010年11月20日
世田谷区の次大夫堀民家園では、今日まで「えびす講」(18~20日)が行われている。
「えびす講」は、恵比寿神を祀る祭礼や民俗行事のことで、秋の季語になっている。
地方や寺社により違うが、陰暦10月10日、20日、11月20日、1月10日、20日などに
行われる。「えびす祭(まつり)」「えべっさん」とも言われる。

えびす、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋(ほてい)、福禄寿、寿老人を七福神という。
「えびす講」は、神無月(旧暦10月)に出雲に赴かない「留守神」とされた、「えびす神」
や「かまど神」を祀り、1年の無事を感謝し、五穀豊穣、大漁、あるいは商売繁盛を
祈願するもの。
(Wikipedia)

「えびす」(夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須)は、古くは漁業の祖神、
海上の守護神として漁民に信仰されていた。「えびす」とは異国人をさす言葉で、
右手に釣り竿、左脇に鯛を抱えていることから、海の向こうから福をもたらす神とみられた。
中世に商業が発展するにつれ、商売繁盛の神としての性格も具備され、福神として
信仰されるようになる。やがて七福神の1柱として数えられるようになった。
また、東日本では商業漁業の神としてのみならず、農業神として崇める傾向が顕著で、
1月の「えびす講」を「商人えびす」、10月のを「百姓えびす」と呼ぶこともある。

神様にお供えするのは、炊きたての新米ご飯、秋刀魚、けんちん汁と決まっているそうだ。
商家では、店を早じまいし、えびす神や大黒天に鯛、お神酒、餅、果物などを供え、
出入りの商人や親類縁者とともに、盛大な祝宴を催すとか。

「えびす講」の日には市が立ち、魚や根菜など青物の店と共に、釣竿に見立てた枝に
いろいろな飾りをつけた縁起物を売る露店も出る。
東京では、日本橋の宝田神社のべったら市(10/19~20)が有名。

因みに、えびす神は一般的に耳が遠いとされており、そのため、神社本殿の正面で
参拝するだけではなく、本殿の裏側にまわり、そこにあるドラを叩いて願い事をするため、
今宮戎神社などでは、えびす神を祀る本殿の裏に、ドラが用意されているそうだ。

   えびす像エビスビール
     恵比寿駅西口前 ゑびす像              ヱビスビール   

JR恵比寿駅西口前には、大きな鯛を抱えた、えびす顔の「ゑびす像」が鎮座している。
この駅には、東京メトロ日比谷線で行くことが多いが、階段を上がり地上へ出ると、
この「ゑびす像」が出迎えてくれる。

恵比寿ガーデンプレイスは、サッポロビール恵比寿工場跡地に誕生した、写真美術館、
シネマシアター、レストラン、ホテルなどがある複合施設。
「恵比寿」という地名や駅名は、「ヱビスビール」(サッポロビールの麦芽100%ビールの
ブランド名)から付けられた。今年、恵比寿ガーデンプレイス内の「恵比寿麦酒記念館」跡に、
「ヱビスビール記念館」がオープンしたそうだ。

ガーデンプレイス誕生(1994年)の18日後、故F先生のデッサン教室のスケッチ会が
ここであった。JR恵比寿駅からガーデンプレイスまでは、「恵比寿スカイウォーク」
(動く歩道)で行ったと思うが、当時はまだ珍しく、少々長い道のりも苦にならなかった。
因みに、横浜ランドマークタワーの動く歩道は、この1年前(1993年)に誕生していた。

            スカイウォーク

その日は、サッポロビアステーションの建物をスケッチ後、F先生はじめ皆さんと
この建物に入った。ひょっとすると、スケッチは途中だったかと思うが、
ビールを頂いた楽しいランチの後は、スケッチはもう続けられなかったと思う。
ビアステーション前のスナップ写真には、懐かしい人たちが写っている。

アルバムを見ると、この年は、よくスケッチに出かけている。
デッサン教室の日帰りスケッチだけでも、横浜美術館、上野のトウハク、鎌倉へと。
日本画教室では、日帰りの浦安のほか、近江・余呉湖に2泊の旅をした。私もまだ若い。
大きなスケッチブックが入ったバッグを下げている。16年も前のことだ。
旅・散策・イベント

トッピング付きの食餌を!

2010年11月19日
わが庭の猫たちは、日に日に贅沢になっていく。(そうしているのはこちらだが・・・)
いつ頃からだったか、100円ショップで買った鰹節をいつものドライフードにトッピング
するようになった。鰹節を容器の底に入れて、その上からドライフードを入れても同じこと。
残すのは粒の方だけ。鰹節はキレイに食べてしまって、「もっとちょうだい」と姿勢を正して、
人の目をじっと見つめてくる。
「なあ~に?」と訊いてみるが、目はそらさず、「にゃあ~ん」と甘ったれた声を出す。
もう一度、「なあ~に!たくさん食べたでしょ」などといいながら、鰹節を追加してしまう。

その上、ひと月前には、小さい煮干しの袋を買ってきて、数尾をトッピングしたら、これが、
誰にも好評で、普段、あまり顔をみせないククまでが「じっと見つめる作戦」に出てきた。

このトッピングは現在もつづいている。彼らの食堂とガラス1枚隔てた屋内が我々の食堂だ。
ガラス戸の前には、ドライフード、煮干し、鰹節をそれぞれ移しかえた小瓶が並んでいる。
幸いなことに、彼らは猿ではないので、戸を開けて自分で瓶の蓋をとったりはしないが、
人の顔と瓶とを交互に穴のあくほど見つめるのだ。
以前、猫は視線が合うと挑戦になるので、普段は目を合わせないと聞いたことがあるが、
それは野性的な猫のことだろう。わが庭の猫たちといったら、要求貫徹まで頑張る。

   ケシと
             ククとケシ              ケシとアミ

先月、動物病院に勤める姪から電話がかかり、病院に集まる試供品のドライフードを
わが庭の猫たちに使ってくれないかと言うので、喜んでもらうことにした。
後日、段ボール箱いっぱいのフードが届いた。7歳以上用、1歳~3歳用などと
メーカーも種類もマチマチ。中には、腎臓病用というのまであった。

         フード
 
早速、ごんさんは数種類を試したそうだ。最初はどれもまあまあの反応だった。
だが、これは続かなかった。匂いを嗅いで、まったく口を付けずに通り過ぎる。
この話をYさんにしたら、いつもと違うフードをやるときは、少しずつ混ぜていかないと
駄目だそうで、いきなり、一挙に替えると下痢したりすると言われた。
わが庭の猫たちは、大丈夫だっただろうか。

彼らはいつものドライに飽きていたが、それでも、味の薄そうな7歳用とか、腎臓病用とかより
マシだとわかったのだろう。いつものドライフードは、肉と魚と野菜の3色。美味しいはずだ。
それからは、とりあえず、いつものドライフードに口をつけるが、途中で、鰹節がほしい、
煮干しがほしいと、「じっと見つめる作戦」に出ることが多くなった。

秋になり、朝、食堂のカーテンを開けると、鰹節と煮干し(とドライフード)を待つ3匹がいる。
餌やりは、ごんさんの係になっている。
朝、ごんさんが起きるのが遅かった日、偶々この日は、ケシの誕生日だったのだが、
障子が閉まっていた私の部屋の外で、何かガサガサという音がした。
何だろうと思って、障子を開けて下を見ると、ケシが濡れ縁に坐ってこっちを見ていた。
あの音はケシが得意の背伸びをして網戸を引っ掻いた音だった。猫たちの腹時計は確かだ。
いつもより30分ほど遅かったので、起きている私に催促をしに来たのだった。

おかしかったのは、私がカーテンを開けると、トラがすまして坐っていて、
そこへ、「お腹空いたと言ってきたよ」と言わんばかりにケシが戻って来たこと。
3歳の誕生日のケシには、気持ちトッピングを奮発した。
甘ったれの妹トラは、すっかりケシ兄さんに頼り切っている。

 庭2階ベランダ
      トラ ケシ    2010.10      アミ トラ ケシ チャトラン 雨の日 2009.3

彼らの食事を待つスタイルはチャトランがいた頃から変わらない。
チャトランは長い間彼らの教育係を務めた親戚猫。この年の七夕を最後に姿を現さない。   
今、ドライフードより鰹節。鰹節より煮干が人気。
チャトランがいた頃には、このメニューはなかった。
動物など

近づいてみると・・・

2010年11月18日
    自転車屋   
         「YOUR BICYCLE MADE BY YOURSELF」  自転車屋 杉並区

   文具店
 ガラス戸に家紋 「おかし」「ぶんぐ」「賀正」「護法安人」の貼紙 文具店  世田谷区
          
  浄真寺    成城 世田谷区
  クロマツ風電信柱とクロマツ 浄真寺参道     小石が貼られた電柱  

        馬は           犬は
 「スタート地点より1200m通過 JA」      「犬のひとり歩きはいけません!」   
     馬事公苑の塀   世田谷区          九品仏川緑道   目黒区
     
  塀の上 世田谷区
旅・散策・イベント

駅構内の「音サイン」

2010年11月17日
駅構内では、いろいろな音が溢れている。
階段のところで「鳥」の鳴き声がしたり、改札口でチャイムが鳴ったり、
エスカレーターの前で聞こえるのは、「改札方面行き上りエスカレーターです」
「大井町線二子玉川方面ホーム行き上りエスカレーターです」といったアナウンス。
勿論、人のざわめきや電車発着の音が、絶間なく聞こえる。 

        田町駅
           スピーカーからは鳥の鳴き声    JR田町駅

ホームの番線の音声案内が女性の声と男性の声に分かれている駅も少なくないが、
横浜駅などでは、エスカレーターでも女声が上り、下りが男声と、上下を区別しているそうだ。
「改札方面行き」とか「出口方面行き」の改札、出口という言葉はおかしいのでは?と
思ったが、駅構内には出口までの途中に売店があったり、他ホームへの階段などがある
場合もあるので、これが定型アナウンスだそうだ。

駅では、視覚障害者や高齢者がスムーズに移動できるように、点字ブロックなどのほか、
こういった「音サイン」が整備されつつあるが、まだまだ問題点は多いという。
ホームと電車のドア間が広過ぎたり、雨の日などは点字ブロックが滑り易いとか、
点字ブロックの傍らの柱にぶつかったり、ブロック上に置いてある荷物に躓いてよろけたり、
ホームからの転落など、一歩間違えると命にかかわる事故になりかねない。

        旗の台駅
          ポールの中にスピーカー  東急線旗の台駅ホーム

バリアフリー新法(2006年)では、「音サイン」に触れてはあるが、設置は努力義務で、
音の大きさも具体的な設置指針が決められていないため、各所マチマチだという。
先日、ラジオを聴いていたら、視覚障害の女子会社員の通勤過程を追って、どこでどんな
音を聴いているのかを録音していたが、設置場所によって、音の種類も大きさもマチマチ。
特に人の多い乗換駅などでは、聞こえにくい上に、同じ音質で紛らわしそうだ。
障害者がいろいろと不便を感じている一方で、一般の利用者や近くの住民たちからは、
音が大き過ぎるとクレームが寄せられるとかで、鉄道側も頭を悩ましているとのこと。

音サインは、駅だけでなく、公共施設にも設置されている。
先月、立川らく朝の「健康落語」を世田谷区の「成城ホール」に聴きに行ったときのこと。
トイレへの通路で「向って左側が男子トイレです。向って奥が女子トイレです」といった声が
聞こえた。トイレから出てきたときにも、この同じアナウンスが聞こえたのには参った。

駅の改札口近くで、視覚障害者用の「駅構内案内図」をよく目にするようになったが、
JR田町駅(港区)東口デッキに設置された「視覚障害者向け電子情報案内盤」は大きい。
駅周辺の地図(触知図)と4カ国語の目的地までの音声案内、区内の行政施設や商店街の
イベントなどが検索できたりして便利なものだ。

先日、東急田園都市線長津田駅(横浜市)でYさんと待ち合わせをしたときに目にしたのは、
改札口脇の壁にある、どこの駅にもある周辺地図と、その横に設けられた駅構内案内図。
触知図の右に「きっぷうりば 改札口」「のりば案内」「トイレ案内」などのボタンが並んでいた。
こういった案内図は、乗換駅など大きな駅にしかないようだが、各駅での設置場所は
改札口に向かって左側といったように、決まっているのだろうかと気になった。

             長津田駅
                   駅構内案内図  

ところで、駅の改札口を出たところに、必ずといっていいほど周辺の地図が架かっている。
ここ数年、巨樹巡りや風景印収集に出かけることが多いが、簡単な地図を用意していても、
最寄の駅の改札を出るとまず、この周辺地図を見てルートを確認するのだが、よく道に迷う。
1本間違えて行き過ぎたり、時に反対方向に歩いていたり、何とかならないものだろうか。
ここまで来ると、方向音痴も重症と言わざるをえない。
仮に間違えても、早目にシグナルが発信されたり、第六感が働けばいいのだが。
つれづれ

道端で拾った木の実

2010年11月16日
先日の科博(国立科学博物館)のメルマガの記事に、付属「自然教育園だより」があった。
それによると、今年のどんぐりは不作だという。教育園にあるスダジイ、コナラ、クヌギ、
シラカシ、ツクバネガシ、マテバシイなど、どんぐりのなる樹がたくさんあるが、
今年は、実のほとんどが成熟せず、樹の下に未熟なまま落ちているそうだ。
この原因は、今年春の低温と夏の異常な猛暑の影響と考えられるとか。

辛夷の実
近所の街路樹の辛夷(こぶし)が、今年の秋、初めて実をつけた。

           辛夷の花と実
                花 2010.3   実  2010.8  2010.10

辛夷のサヤが裂けて紅い実が顔を出したかと思うと、地に落ちてしまう。  (秋の野川
10月初め、だいぶ紅くなっていた実は、半ば過ぎには、下の植込みの中に落ちていた。
              
          落ちた実                    
                    落ちた辛夷の実   2010.10.18

植込みに落ちていた実を拾ってきて並べてみた。どれもこれも実にユニークな形をしている。
昔、野川でスケッチしたときに見つけた実の、ひと粒ひと粒が糸で繋がっていたことを
思い出して、引っ張ってみると、白い糸が出て来た。2cmほど伸びたところでプツンと切れた。
春に咲く純白の花がこのボコボコした実になるのが何とも不思議でならない。(辛夷の花

      辛夷の実
          糸を引く辛夷の実        国分寺市の殿ヶ谷戸庭園で 

槐の実
夏の終わり頃、槐(えんじゅ)の並木道は、蝶の形をした薄黄色の花で敷きつめられる。
見上げると、わずかに残った花とともに、すでに連珠のような豆が下がっている樹が多い。

  歩道槐の花

槐は、中国原産。中国では尊貴の木とされる。周代の朝廷の最高位にある三公がそれぞれ
3本の槐の木に向かって座ったことから、三公の位を象徴する木と言われ、学問と権威の
シンボルとされ、最高の官位は「槐位(かいい)」と称された。
      えんじゅ
           花  2010.8         実と花 2010.10    

日本では、「延寿」とも呼ばれ、縁起の良い木で、魔よけの木、幸せの木として親しまれている。
昔、槐の木でつくったお面を魔よけとして家の鬼門に置いたことから、「槐」と書くようになった。 
古くから床柱や床カマチなどの建築装飾材として珍重された銘木で、磨くと光沢が出て、
茶筒、茶托、手鏡などの木工品の木地にも適している。 別名「槐樹」「黄藤」。 

気をつけて歩いていると、交通量の激しい道路沿いなのに、槐が可愛らしい実をつけている。
槐は、縁起がよく、木材として有用なだけでなく、街路樹にも向いているようだ。
植物など

「おとなの歯だもん!」

2010年11月15日
りんりんの乳歯が最初に抜けたのは、夏休みの終わり頃だった。
「下の乳歯が抜けたら屋根に投げ、上の乳歯は縁の下に投げ入れよ」という言伝えがあるが、
彼は、屋根に投げ上げることはせずに、瓶の中に入れてしばらく眺めていたようだ。
さて、中国ではどうだろうかと、黄老師に伺ってみた。すると、中国もまったく同じだった。
きっと、諺や言伝えも、漢字、宗教、文化とともに、中国から日本に伝わったのだろう。

その後、数本の乳歯が抜けたりんりんだが、最初の永久歯は内向きに伸びて来たようで、
矯正をしたものかどうかと、母親は頭を悩ましている。
今の子どもたちは、固いものを噛まないから顎が発達せず、歯並びが悪くなるといわれるが、
(これについては、科学的根拠はないと主張する歯科医師もいる)彼の場合は、どうやら
父親や祖父母にそっくりの細い顎が起因しているようだ。

先日、りんりんと一緒に食事をしたときのこと。食べ終わって、歯に何か挟まったからと、
彼は爪楊枝で永久歯の辺りを探っていた。見かねた私は「その爪楊枝は大人の歯用で
太いからうまくとれないのよ。歯を磨いたら?」と注意をしたところが、すかさず、
「これ、おとなの歯だもん!」と返された。参りました!おっしゃる通りだ。
永久歯は「大人の歯」。「ずっと付き合う歯だから大切にしようね」と引き下がった。

             爪楊枝jpg 山形 大宝寺焼

口では大人にも負けていない彼だが、2学期になり、「忘れもの」は以前より減ったものの、
「失くしもの」はなくならず、何かしら失くして来るらしい。
筆箱は持ち帰るようになったが、鉛筆や消しゴムが入ってないことが多く、その都度、
補充しなくてはならないと、母親は呆れている。本人はいたって平気だが。

そんなりんりんだが、「今年の冬は札幌(の祖父母のところ)へ行かれないんだ」
「パパがCDをいっぱい買っちゃったから、お金がなくなったんだよ!」と話す。
母親によれば、パパのゴルフが大きな原因らしい。
それはともかく、「チリも積もれば山となる」の諺を持ち出して、「消しゴムだって、
鉛筆だって、毎日毎日失くしていると、パパのCDより高くなってしまうでしょ?!」
「消しゴムが1個50円として、ひと月に10個失くしたらいくらかな?」と、算数?や
「チリ」と「ゴミ」の違いにまで話が及んだ。
わかったのかわからないのか、効果は期待できそうにないが。
      消しゴム
                      愛用の消しゴム

それにしても今、消しゴムの値段はいくらするのだろう。
私がりんりんくらいのとき、忘れものや失くしものが多かったという記憶はないが、
家の廊下にしょっちゅう鉛筆や消しゴムを落としていたらしく、「モノを無駄にするな」と、
父に度々お説教されたことは覚えている。

先日、久しぶりにりんりんの家に行った。玄関にりんりんの黄色い傘が6本もあった。
雨の朝、傘をさして登校。雨が上がり、傘を持たずに下校。次の日もその傘は置いたまま。
再び雨降りの登校は予備の傘を使う。雨が上がれば、また、学校に置いてくる。
こうして彼の傘は増えていくことになるらしい。
身近な人びと

子育て支援のあり方は?

2010年11月14日
東急線沿線には子育てをサポートする施設やサービスがいくつもある。車内ポスターや
駅にある「子育てすくすくネットワーク」のパンフには、「駅近で、子育てをしよう」と書かれている。

わが家の娘たちが子どもの頃通ったスイミングプールには、今、孫りんりんが通っている。
最近は、スイミングだけでなくバレエ、ダンスなどが学べる施設が10ヶ所もあり、
ほかに、ゴルフ、テニス、フットボール、ダンス系の講座などというのも出来たようだ。
カルチャ―スクールも、子ども向けや親子で参加できる講座が多くなった。

      スイミングスクール
                   30年前のスイミングスクール  

保育園の待機児童が多いといわれるこの頃だが、「駅近保育園」もどんどん増えている。
現在、全9ヶ所。その1つ、目黒線不動前駅では、構内に保育園があり、園庭が限られるため、
電車に乗っての散歩も頻繁にあり、沿線全体が園庭ともいえるとか。
沿線の自然に触れるだけでなく、電車の乗り方やルールも身に付けることができるそうだ。

東京など大都市圏を中心に増えている「近居」とは、子育て世代が共働きを維持するために
欠かせない条件の1つとして、親の近くに住んで協力を得るという住まい方らしい。

こういった近居ができる家庭ばかりとは限らない。
そこで、小学生のために、学校でもない塾でもない、「社会につながる人間力」を育む
アフタースクールと称する、「キッズベースキャンプ」が誕生した。
それが、東急沿線に16ヶ所。公立の児童館とはかなり違うようだ。
食事の提供、救急時の付添い受診、学校から施設まで、施設からマンションや
いくつかの最寄駅までの送迎サービスなど、至れり尽くせりだ。
中には18時から21時半までシャトル便のある施設まであるらしい!

   キッズのために
    
「キッズベースキャンプ」の車内広告には、「小学生が学校で過ごす時間、年間約1200時間。
一方、放課後と長期休みに過ごす時間は、年間1600時間・・・」とあった。

そして、「キッズセキュリティ」だが、改札口を通ると登録したケイタイにメールが配信される
「エキッズ」があり、これは、孫りんりんも小学校入学直前から利用している。
普段は徒歩通学のりんりんは、月に数回、東急線に乗ってわが家にやってくる。
彼がパスモで改札を通過すると、通過日時、子どもの名前(名字省略)、駅名、入場か退場など
のメールが母親のケイタイに届くというもの(月525円)。
とりあえず、これで少しは安心できるはずなのだが、りんりんのことだ。
4月から今までに、うまく改札にタッチせずに通過したときもあり、ハラハラしたことも度々だ。

ところで、先日ラジオを聞いていて驚いたが、保育園児の就寝時間を調べたところ、
3歳の園児の3人に1人が夜10時過ぎまで起きているという。
1歳児で約3割、2、3歳児になると4割強という調査(『子どものからだと心白書2004』)もある。

保育園で昼寝を長くさせる場合もあるらしいが、父親が帰ってから遊ぶ、母親の帰りが遅く、
食事、入浴と生活時間がずれていく。このあたりはわからないでもないが、夜遅くまで、
コンビニや居酒屋など、親に付き合わされる子どもたちは、たまったものではない。

睡眠不足がつづくと、身体だけでなく、脳や心の成長にも悪影響が出てくるそうだ。
現在、小学生の10%が肥満といわれるが、3歳児に限らず、幼児の睡眠不足は、
小学生になってから肥満児になる傾向があるといわれる。
これは、睡眠時間が短いと、脂肪を分解する成長ホルモンの量が減ったり、交感神経の
活動がおさまりにくくなり、血糖値が上昇する可能性があるからだそうだ。

肥満には遺伝的な要因もあるが、それ以上に家庭などの環境や習慣の影響が大きく、
幼少時の生活習慣が将来を左右することになるという。
幸い、りんりんは小学生になってからも、9時前にはバタンキュウと寝入るようだし、
息子の2人の娘は、保育園で昼寝をするが、夜更しせずに規則正しい生活を送っているようだ。

もっとも駄目なのは、寝る直前までパソコンに向かっている私だろう。これでは、免疫力アップ
どころではない。夜更かしは肥満につながるというのは、大人にも当てはまる道理だ。
身近な人びと

「安徽古村落」の想い出

2010年11月13日
スケッチ旅行で中国安徽省の「安徽古村落」を訪れたのは、9年も前のことになる。
黄山の山頂に1泊後、「徽州民居」といわれる明清時代の民家群を訪ねた。(天の井戸) 
当時、「安徽省南部の古村落」に入るには「外国人旅行証」が必要だったが、調べてみると、
ここは、未だに非開放地区で、外国人が訪問するには公安局の許可証が必要だという。

安徽省の黄山の麓にある黟県の徽派民居群は、桃源郷のモデルにもなったところで、
世界文化遺産に登録されている。
県内には、明時代のもの29棟、清時代のもの3600棟以上が、完璧な形で残っていて、
民居と祠には、ここの特徴である豪華で上品な徽派三彫(煉瓦、木、石の彫刻)が施されている。

村出身の商人は安徽商人として名を馳せ、彼らが故郷に戻って建てた豪華な家には、
「馬頭壁」と呼ばれる独特の防火塀が作られた。この日本の卯建(うだつ)に似た壁は、
高ければ高いほど、豊かな財力を示す証であったそうだ。

「徽州民居」の特徴は、棟の中央部分の狭い光庭が、空に向って開かれた「天の井戸」と
なっていること。つまり、これが「天井」だ。この部分は、単に採光と通風のためだけでなく、
1階の「堂」との間に壁や建具などの仕切りは一切なく、家事や仕事をする場ともなっている。
先日、雑誌で、この懐かしい「安徽古村落」の切手を見つけた。(『人民中国』誌 綴込頁)

西逓村       牌楼                  古建築群  
    XIDI               
村の入口に聳える牌坊(鳥居型石牌楼)は、唐の皇帝「昭宗」の血を引く胡氏一族の1人が、
政府の高官に登用されたのを記念して建てたもので、土台石には、4頭の高さ2.5mの
石獅子が彫られている。この牌楼は、1km離れたところからでもそれとわかる大きなもの。
明清時代には、こうした石牌坊が15ヶ所あったが、現存するのは、唯一ここだけ。

           西逓村
            西逓村入村券        牌楼 (高 約12m)
            西逓村 2001.4
                     スケッチ中   西逓村

細い路地を歩いて行くと、門楼や建物の上部には故事、民俗の祭事、吉祥動物などを
表した見事なレリーフが刻まれていた。
「文化大革命」が始まった年(1966年)、人々はレリーフに泥を塗り、その上に毛沢東語録の
標語を張りつけたため、結果的に、レリーフが最良の状態で保存されることになった。
20年後、泥が取り除かれ、レリーフが再び日の目を見た。
(『人民中国』2001.7)

門のレリーフを見上げ、中庭をちょっと覗いたとき、中からお茶が飛んできた。偶然なのか、
「覗くな!」ということなのか、とにかく驚いて、早々に引き揚げたことを思い出した。

宏村           南湖                   月沼
      宏村               
宏村は、「中国画の村」と親しまれ、「世界で最も美しい村」と称えられている。
村全体が牛の形をしており、その角や脚などの主要部分は樹木や山の自然や
橋などの構築物によって、巧みに表現されている。

明清代に建てられた伝統的な古民家が100軒以上残る宏村。細い路地に軒を並べる
民居群は、漆喰壁と濃灰色の瓦屋根の、現存する数少ない中国伝統の住居建築。
村内には、600年も前に築かれた水路が縦横に走っており、今も人々の炊事、洗濯に
役立っている。その上、民家の床下にも引き込まれていて、夏の冷房装置にもなっている。

          宏村 2001.4
                        宏村  南湖

村の南側にある弓型の湖「南湖」。竹細工品を売っていた女性と知り合い、彼女の家に行くと、
中庭は父親の黄さんの竹細工の作業場だった。ここで、1時間ほどスケッチさせてもらった。
黄さん作のミニュチュアの卓と4脚の椅子セットは、今でも大切に飾ってある。
               入村券
                             宏村 南屏村の入村券         

この旅では、黄山や杭州(浙江省)も訪れたので、西逓村に1日、南屏村と宏村で1日と、
私の最も訪れたかった古村落の滞在は短かった。しかし、南屏村は、ここでのスケッチを
もとに60号の本画を描いたこともあり、強く印象に残っている村の1つだ。
   「桃花源里人家」
ガイドの張さんにお願いし、『桃花源里人家ー黟県』という写真集(1995年 66元)を
買ってもらったことを想い出し、久しぶりに本棚から出して開いてみた。  

「中国黄山 人間仙境  安徽黟県 世外桃源」と、最初の頁に書かれていた。
「古黟県の三彫芸術」の頁には、レンガ彫刻、木彫、石彫作品の写真。
細い路地の石畳、漆喰に瓦屋根の民居、門や扉に施された素晴らしいレリーフの数々! 
機会があれば、もう一度、この地を訪れてみたい。    
中国・中国の旅

「とちぎ秋まつり」と山車

2010年11月12日
明日と明後日、栃木市の「蔵の街大通り」では、「とちぎ秋まつり」が行われる。
「東急線から行こう!! とちぎ秋まつりへ 東急電鉄×東武鉄道」というポスターを見たのは
9月だった。東横線・日比谷線、或いは、田園都市線・半蔵門線から東武特急スペーシアに
乗り換えるルートでという案内だ。
     
        ポスター   一筆箋
           今年のポスター          「とちぎの山車」の一筆箋

このポスターを見て、昔、この山車の運行を見ようとひとりで栃木に行ったことを思い出した。
その時のスナップ写真を見ると、14年も前のことだ。以前このお祭りは5年に1度だったが、
現在は隔年に行われている。
そういえば、数年前、栃木のSさんから「劉備玄徳の山車」の絵の一筆箋を頂いたが、
とても懐かしくうれしかった。頂いた一筆箋は大切に使っていて、まだ半分ほど残っている。

栃木市に山車が誕生したのは、明治7年、県庁構内で行われた神武祭典のときで、
倭町三丁目が、東京日本橋の町内が所有していた、山王祭出御の「静御前」の山車を
譲り受け、泉町の「諫鼓鶏(かんこどり)」の山車と共に、賑やかに運行したのが始まりとされる。

    山車‘96.11.16
       「諌鼓鶏」   「神武天皇」      「素欝鳴尊(すさのおのみこと)」     

最上部には人形、次が水引幕に囲まれた枠、一番下が見送り幕で囲まれている山車は、
江戸型山車と呼ばれ、将軍の上覧に供するため、36箇所の見付の門がくぐれるよう、
上げ下げ可能に造られているという。人形などの飾物は、民間伝承、古事記の主人公、
中国の英雄や歴史上の人物、或いは、町の成り立ちや産業に因んだ人物や事物だそうだ。       

         メインストリート
                       蔵の街大通り

栃木は蔵造りの街。栃木駅の周辺には、古くからの建物や蔵がたくさん残っていて、
現在もなお使われていたり、また、記念館や博物館になっている。
蔵の街大通りと、それに平行して流れる「巴波川(うずまがわ)」との間には、約2kmに亘り、
古い建物や蔵が集中している。

           巴波川
                  巴波川と塚田家(塚田記念館)

ひとりで栃木に行ったときは、山車を見ながら、蔵の街大通りの雑貨屋さんをスケッチしたが、
数年後、絵の教室の皆さんと訪れたときは、巴波川周辺でスケッチをした。
また、行ってみたいと思っているが、なかなか機会がない。
東京駅から特急で約1時間半。東急線×東武鉄道ルートだと、どのくらいかかるのだろうか。
どちらにしても、それほど遠いところではないのだが・・・。
旅・散策・イベント

わが庭の住宅事情

2010年11月11日
11月になって、わが庭で生れた猫たちは、食事のとき以外も南側のデッキに居ることが多い。
だが、ククは、北側の物置の上に放置してあった段ボール箱の中が大好きなようだ。

           クク

夕方帰宅して、玄関に入る前に、北側に行ってみると、ククが上から「オカエリ~!」と
顔を出すことがある。そんなとき、家に入り、居間のカーテンをそっと開けると、
そこには、ケシトラアミの3匹が揃って待っている。

スノコで作った立派な?6部屋のアパートは、2階のベランダに置いたままだが、ときどき、
トラが昼間から寝ていることがわかった。
そのうち、これを庭に下ろそうと思っているのだが、今まで庭には、段ボールを3つ重ねに
してあった。
観察していると、3匹の部屋は決まっているわけではなく、早いもの勝ちといったところのようだ。
2段目の入口と丸窓のある部屋に人気があった。

  3階から2階へ
      3階トラ 2階ケシ 1階アミ      2階ケシ 1階アミ  トラはどうする? 

ある晩、1番上にケシが入って寝ていて、2階にトラ、1階にアミが納まっていた。
その翌朝、雨戸を開けてみると、待っているはずの猫は1匹もいない!
何と、真ん中の入口丸窓付きの部屋が、ケシの重みで無残にも潰れていたのだ。
潰れた瞬間、よほど怖かったらしい。上にトラが寝ていたのだろうか。それともアミか?
その後、2日ほど、彼らは食べに来るだけで、部屋に入る猫はいなかった。

潰れた箱を取り除いて、2段重ねにしてから、3匹で2つの部屋を共有することになった。
アミが2階に入った場合、ケシトラは広目の1階に一緒に入ることができる。
だが、問題は、ケシが2階、アミが1階に入っているときで、トラは入る部屋がなくなる。
何しろ、トラは兄のケシとは大の仲良しだが、同じ日に生れたアミとはなぜか相性が悪い。 
動物など

「脳トレ」に挑戦?

2010年11月10日
『大人の1分間脳トレ』(米山公啓 著)によると、脳を活性化するには、経験したことのない
刺激、つまり「脳をドキドキさせる」ことが効果的だという。 (私流の「脳トレ」は・・・

「苦手なことをする」「ストレスを利用する」。面倒なことに敢えて挑戦していくことも、
脳にいいことはよくわかるのだが、3日坊主の私には「朝のジョギングを習慣」にしたり、
「苦手なカラオケで歌ってみる」といったことはできない。
「嫌いな人とランチをする」「嫌いなものを食べてみる」という項目がある。
苦手な人はいなくもないが、嫌いな人はいない。一緒に食事をしてみると、苦手だった人に
魅力的な面を発見したりすることがあるものだ。
「嫌いなものを食べてみる」は?柿とメロンは駄目だ。食べ物は、苦手なものは苦手。

面白いのは、「五感を刺激する」で、目をつぶって食事する、電気を消して部屋を歩く、
耳栓をして階段を下りる、指先でお金を区別する、というもの。
電気を消してみると、いかに普段視覚に頼り過ぎているかがわかるし、耳栓をしてみると、
音がしないということがいかに不安であるかがわかるはずだという。
指先で10円玉と100円玉の区別がつくだろうか。50円玉と5円玉も難しそうだ。

           コイン

目の前においしそうなものがあると、すでに脳の中では、過去の経験からそれがどんな味か、
どんな食感かを思い浮かべてしまっている
」そうだ。目で食べてしまっているのだという。
目をつぶって食事すると、味覚、嗅覚、触覚をフルに活かして食事ができるはずで、
それが新しい体験となり、普段あまり使っていない脳の領域を刺激するのだそうだ。
そういえば、テレビの旅番組などで、ご馳走をひと口運んだレポーターは、「・・・?」
「外はパリッとしていて、中はジューシー!」と言いながら、たいてい、目を閉じている。

耳栓はともかく、ときどきは目をつぶって食事をしたり、部屋の中を歩いたり、
指先でコインの選別をしたりしてみようか。

先日のラジオできいた、脳科学者の茂木健一郎氏の新刊書についての話は興味深かった。
『脳をやる気にさせるたった1つの習慣』(茂木健一郎 著)は「書くこと」だそうだ。
脳はもともと怠けものなので、動かさなければどんどん怠けるという。
怠ける原因は、「コンプレックス」「単調さ」「強制や命令」の3つ。
これらを取り除くためには、人と比べないこと、新しい刺激を求めること。そして、
自主的に動くようにすること。脳は強制や命令で動かず、暗示に弱いので、やりたくないこと、
強制されたことに対しても、自分がやっているんだ!と思ってやることが大切だとか。

これらは、まあまあ実行できているかと思う。本を読むのは家より外の方が多く、図書館や
ドトールやスタバでコーヒーを飲みながら、中国語の宿題をやったり、本を読んだりする。
見飽きた自宅の部屋ではできなくなってしまった。
命令、強制というほどのものではないが、できれば避けたい面倒な仕事も、1時間でここまで
やってしまおう!とか、小目標を決めて始めると、いつの間にか夢中になり、軽く目標を
クリアすることが多い。
だが、コンプレックスに関しては、人と比べないようにするのだが、消すことはなかなか難しい。

茂木氏によれば、脳は現在も過去も未来も認識することはできないので、夢やアイディア、
自分のやりたいこと、自分のなりたい自分を「書く」ことで、実現したときに感じる感情を
前倒しで体験する。願望の実現は楽しい感覚なので、脳はフィードバックする
のだそうだ。
「書く」といっても、人にみせるものでなく、筋トレのようなもので、手書きがよいとのこと。

         猫の観察中 猫たちを観察中のりんりん
                     
猫たちの観察をする?りんりんに、この話をすると目を輝かせた。
彼が書いたのは「字がキレイなボク」「せが大きいボク」、そして「けんきゅうかのボク」。
研究家? たしか以前、野口英世みたいになりたいと言っていたことがあったが・・・。
半信半疑ながら、私も書いてみよう。私は「なりたい自分」が多すぎて迷ってしまう。
つれづれ

私流の「脳トレ」は・・・

2010年11月09日
図書館の書架で「脳トレ」の3文字に眼が留まり、手にとったのが『大人の1分間脳トレ』
(米山公啓 著)だ。著者は神経内科の医師であり、作家でもある。
各項目に挿絵があり、医学書というより週刊誌のような感覚で、あっという間に読めたが、
どうやら、現役ビジネスマン向けのようで、私にはまったく当てはまらない項目も多かった。
例えば、「パーティーに出席する」章の「異業種交流会に参加、新しい事業計画を説明する、
会社を興すと宣言してみる」、「地図をつくる」章の「名刺で神経衰弱をする」などだ。

脳を活性化するには、脳の神経細胞を増やすことも一つの方法だが、細胞の数はそれほど
増えない。経験したことのない刺激が、神経細胞同士の新しいネットワークを作り出すという。

脳を鍛えるよい方法は、常に新しい情報を入れて、脳を飽きさせないことだという。
パズルもいいが、同じような刺激が多くなって、新しい情報ではなくなっていくとか。
「脳をドキドキさせる」章には、バラの花を1万円買ってみる、昔の恋人にメールする、
10万円の鞄を買ってみる、100万円持って街を歩いてみるなどど、私にはできない
項目ばかりが並んでいる。

だが、すでに実行していることが意外に多かったので、嬉しくなった。
「普段の生活をデジカメで撮る」「絵を描く」「ブログを書く」「読み書きをする」
「運動する」「昔の記憶を刺激する」「人と会話をする」などだ。
2年前からブログを始めたお陰で、それまで描いた絵や撮った写真も随分と役立った。
本を読むこと、文を書くこと、歩くことも多くなった。

     10月の空

「普段の生活をデジカメで撮る」の中に、家から駅までに5枚撮影する、というのがあるが、
わずか5分の駅までの道で、どうかすると10枚以上撮ってしまうこともある。
帰宅後、パソコンに取込み整理するのが大変になることを考えもせずに。
 
    ミズキ
                     近所の空地のミズキ

何といっても、よく歩くようになった。昨年は巨樹のあるところへ。今年は風景印を求めて。
地図で見当をつけて行くのだが、「地図の読めない女」だけあって、全く逆の方へ回ったり、
遠回りをしたり、目的地に辿りつくまでに数人に道を訊ねたこともあった。
だが、負け惜しみではなく、迷い道、寄り道は、思わぬ発見があって楽しいのだ。

    7月の歩道
                椎の葉 銀杏の葉 ギンナン カラスの羽

また、本には書かれてないが、目的地までのルート選択も、立派な脳トレだと気づいた。
時間とお金も考えに入れながら、どうやって行くかを決める。今日は緑道を歩いて行こうか、
雨だから電車とバスにしようか、時間があるから1日パスを使って乗り継いで行こうか。
往路と復路は、できるだけ違うルートを選ぶようにしている。
      
衰える一方の私の脳でも、自分に合った鍛え方があってよかったと思う。
いずれにしても、まずは身体が健康でなければ、脳の活性化どころではないから、
筋トレもさぼらずにやらなくてはなるまい。
つれづれ

「風景印」 世田谷区 Ⅱ

2010年11月08日
夏から秋にかけて、世田谷区の南にある郵便局をまわった。( 風景印 世田谷区 Ⅰ)
その後、京王線、小田急線、東急田園都市線の沿線の6局を訪れた。
用賀局、千歳局以外は駅から遠く、途中で道を訊ねてやっと辿り着いた局もあった。


世田谷砧局世田谷桜ケ丘三局
 砧局 桜ケ丘三
        都立砧緑地公園               区立世田谷美術館  鷺草
 
     世田谷美術館 2008.11
                 砧緑地公園内世田谷美術館

砧緑地公園は、昭和初期に東京府が計画した6大緑地の1つで、戦時中は防空緑地、
終戦後、山羊や乳牛が飼育されたこともあったという。都営ゴルフ場として開放された
時期もあって、自然の起伏を生かした地形や芝生の広がりは、東京でも際立っている。
この公園の一画にあるのが「世田谷美術館」で、世田谷ゆかりの作家や北大路魯山人などの
作品を収蔵し、さまざまな企画展が開催される。

公園や美術館は、何度か訪れた。今回、桜ケ丘三局で風景印を押した後、公園に立寄ったが、
2年前に訪れた「世田谷区障害者アート展」以来だと思う。あの日は9月半ばの暑い日だった。


世田谷用賀局
 世田谷用賀 欅並木
       馬事公苑  けやき並木       「食と農」の博物館前 けやき並木    
  
     馬事公苑 2010.8
                     馬事公苑 

馬事公苑の近くに「公園」と「公苑」の違いについて書かれていた。それによると、
「園」は、植物がある庭で、「苑」は動物のいる庭という意味があるそうだ。
馬事公苑は都民に憩いの場を提供することでは日比谷公園や上野公園と同様だが、
動物を飼っている囲いのあるところだと説明してある。   
都会では馬に親しむ機会が少ないため、毎週末の競技会、ホースショー(5月)、
愛馬の日(9月)、馬に親しむ日(毎月1回)など、様々なイベントを行っている。
庭園や遊園地もあり、若い人や家族連れにも親しまれている。何といっても無料なのがいい。


千歳局
 千歳局 江戸城兄弟松
  江戸城の兄弟松 区鳥 尾長 区花 桜           江戸城の兄弟松

江戸城の兄弟松は、1600年代に江戸城に納められたのと同じ松。   (江戸城の兄弟松) 


成城局世田谷粕谷局
  成城局 世田谷粕谷局             
     恒春園 秋水書院 蘆花夫妻墓碑 並木       徳富蘆花 恒春園 母屋
       
「不如帰」「自然と人生」などで知られる明治・大正期の文豪、徳富蘆花と夫人が、
晴耕雨読の後半生を過ごした邸宅と庭園が、没後、東京市(東京都)に寄贈され、
武蔵野の面影を残した都立公園として、一般に公開された。
  
母屋と建増された2棟が渡り廊下でつながった旧宅は、「徳富蘆花旧宅」として
都の史跡に指定されている。
粕谷局の風景印は母屋、成城局には秋水書院(書斎と寝室)が描かれている。

  旧宅
        秋水書院            母屋

私が訪れたのは、雨上がりの午後。記念館に入っても、園内の道を歩いていても誰にも
会わなかったが、ドッグランがある、開放公園ゾーンは、多くの人と犬たちで賑わっていた。 
駅に戻る途中、蘆花邸や自筆のサインをかたどった「蘆花最中」(¥130)をお土産に買った。
店内で招き猫がお休み中だった。どんな夢を見ていたのだろうか?       

     彌生
          「蘆花最中」        只今休息中の猫  和菓子司「彌生」                  
旅・散策・イベント

とうがらし

2010年11月07日
今日は24節気の1つ「立冬」。
冬の気配が現れてくる頃。暦の上では、この日から立春前日までが冬といわれる。
今年の11月は暖かく、12月は冬らしい寒さとなる見込みだそうだ。

先月、四谷(千代田区)のイタリアンの店で数十年ぶりのクラス会があったが、そこへの途中、
間近に迫ったグループ展に出品する「とうがらし」の画の額を探すため、少し早目に家を出て、
新宿御苑(新宿区)近くの画材店「世界堂」に寄った。

新宿御苑付近から大久保にかけては、江戸時代、内藤新宿と呼ばれ、その畑は、唐辛子で
真赤に彩られて美しかったそうだ。そんなことを思いながら、新宿通りを会場の店まで歩いた。
会場には5分遅刻。四谷駅まで地下鉄かバスに乗るつもりだったのだが。

江戸時代に、江戸四宿の1つ「内藤新宿」一帯で栽培されていた伝統野菜「内藤トウガラシ」を、
地元の新宿区四谷の住民が店先や家のベランダなどに置いた200か所のプランターで育て、
復活を目指す取り組みが進められているとのこと。

江戸に屋敷を構えた各地の大名たちは、下屋敷で故郷の野菜を栽培するようになり、
その後、江戸の人口が増加するに従って野菜の需要が増大したため、近郊農家では、
これらの野菜を江戸野菜として盛んに栽培するようになったといわれる。
現在の新宿御苑とその周辺に約20万坪以上もの屋敷を構えていた内藤家の菜園
(後の新宿御苑)では、内藤唐辛子や内藤南瓜をはじめとする多くの野菜が作られた。
         花と実 
                      唐辛子の花と実
           
トウガラシはナス科の一年草。南アメリカの熱帯原産。日本には近世初期に渡来。
高さ約60cm。夏、葉腋に白色の花を開く。
果実の形は細長いもの、丸いもの、大小様々あり、熟すと赤・黄などになる。
唐辛子のことを「鷹の爪」と言うことがあるが、正確には「鷹の爪」は唐辛子の1品種。

            唐辛子

コロンブスによって中南米から持ち帰られると、またたく間に世界中に広まり、
各地の食文化に革命をもたらした。特にアジアではカレー、タイ料理、韓国料理、
中国の四川料理など、唐辛子の辛さが個性になっている料理が数多くある。
四谷まで歩いたとき、偶然目に入ったのは、店内に置かれた甕いぱいの唐辛子だった。

       韓国料理の店
             新宿通り  韓国料理「妻家房」

「唐辛子」は「唐」から伝わった「辛子」の意味。ただし歴史的には、この「唐」は漠然と
「外国」を指す語として用いられる。同様に南蛮辛子や、それを略した南蛮という
呼び方もある。また、九州の一部では唐辛子を「胡椒」と呼ぶところがあるが、
南蛮胡椒、または高麗胡椒の略らしい。(Wikipedia)

昔から、わが家では食事のとき、「柚子胡椒」が醤油と一緒に食卓に置かれた。
子どもの頃は、あの瓶の中の暗緑色のものは胡椒には見えなかった。
しかも和風のおかずに入れる父が不思議でならなかった。
九州生れの父が好きな「柚子胡椒」の「胡椒」が、唐辛子のことだということ、
九州では一般的な調味料だということを知ったのは、ずっと後になってからだ。
東京で育った母が「柚子胡椒」を使ったのは見たことがなかったように思う。
私も嫌いではないが、使う習慣がない。

因みに、「柚子胡椒」には青唐辛子を用いるのが一般的だが、赤唐辛子の場合もある。
青唐辛子を使った柚子胡椒は緑色、赤唐辛子を使った柚子胡椒は橙色となる。

地元では鍋料理や味噌汁、お刺身などの薬味として用いられるが、近年、全国的に
知られるようになってからは、より多様な使い方をされるようになっている。
スナック菓子や煎餅のほか、チョコレートにも「柚子胡椒味」があるというのには驚きだ。
わさび味のお煎餅は知っているが、こういったお菓子は九州人以外にも好まれるだろうか。    
植物など

昼寝に専用の枕!

2010年11月06日
昼食後に眠たくなるのは心配ないということだった。       (熟睡への願望
特に睡眠不足でもないのだが、この頃、電車内や図書館の閲覧室などで本を広げていると、
猛烈な睡魔に襲われる。さらに、以前、沈老師のときには午前中だった中国語の授業は、
黄老師に代ってからは午後2時からとなり、まさに睡魔との闘いの時間となってしまった。

昨年の日米中韓の調査では、日本の高校生の45%は、授業中に居眠りをするという、
最悪の結果が出たそうだ。ついで、韓国(32.3%)、米国(51%)、中国(4.7%)の順。
因みに、授業や宿題以外の勉強は「しない」と答えた高校生の割合は日本がトップ。
夜遅くまで勉強をして寝不足になっているわけでもないようだ。

そんな高校生だが、ある高校が、1日15分の昼寝タイムを設け、約1カ月半試みたところ、
昼寝タイムに昼寝をした生徒は 「勉強にやる気が出て、成績も向上した」と答えた人が多く、
就寝時刻や起床時刻が一定だった。一方、昼寝タイム以外に昼寝をしてしまった人は、
生活のリズムが不規則で、睡眠の質も悪かった、ということが判ったという。

午後4時頃までに、短い昼寝をすれば、夜、深い睡眠が得られると言われているが、
高校大学生は10分程度、ビジネスマンは30分まで、65歳以上は60分で充分だとか。
これは睡眠不足を補うためのもので、1時間以上の昼寝は、却ってよくないとのことだ。

学生のように授業中堂々と居眠り出来ない人のために、11時から午後4時までの間、
「独りで仕事に集中できるオフィス代わり、仮眠などのちょっとした休憩、次の予定までの
時間調整、観光やショッピングの合間のひと休み…」のために、シャワー付きの小部屋を
提供するホテルもある。
利用者は、30代の女性が20~30%を占めるそうだが、リラックスしすぎて
仕事に戻るのが嫌にならないだろうか?と、この話をきいて余計な心配をした。

昼寝用の枕もいろいろと発売されている。授業中にこの枕を持ち出すわけにいかないが、
昼休み、それまで使っていた自分の腕に代えて、学校やオフィスの机の上に置いて
仮眠するのはいいかもしれない。

「ちょっと寝うつぶせ枕」「王様のうたた寝枕」「聞こえるゴロ寝枕」「仕事中毒」と、
それぞれにユニークな名前がついている。
腕に通して使う携帯用の枕もある。「王様のうたた寝枕」と携帯用枕以外はどれも
2000円しない。とにかく、よく売れているそうで、7割が女性客だそうだ。

          聞こえる枕「聞こえるゴロ寝枕」

「ちょっと寝うつぶせ枕」は逆U字型、「聞こえるゴロ寝枕」はサイコロの型で、
6面に穴が開いているので「聞こえる」というもの。
「仕事中毒」枕は、見た目はまるで「広辞苑」。A4サイズで、開くと枕になるらしい。
「王様のうたた寝枕」は、腕を通したりうつ伏せで枕にしたり、クッションにもなるとか。

因みに、頸椎ヘルニアがある私は、3年前に「頸椎保護枕」を取り寄せて使っているが、
睡魔に襲われたとき、卓上に置いて仮眠するために、サイコロ型の「聞こえるゴロ寝枕」を
取り寄せた。心配なのは、あまり快適で1時間以上寝てしまう恐れがあることだ。
つれづれ

熟睡への願望

2010年11月05日
眠つきが悪い、ぐっすり眠れないなどと、睡眠障害を訴える人が増えているようで、
私の周りにも何人かそういった人がいる。不眠症は大きく分けると、寝つきが悪い、
夜中に目が覚める、朝早く目覚める、熟睡できない、の4種類になるという。
就寝時、私は中国語などのCDをかけるが、よほどのことがない限り、何分もしないで
眠っているし、途中で目が覚めても、また、すぐに眠れる。
念のため、ケータイは、6時半に鳥の囀りが聞こえるようにセットしているが、
その前に目が覚めることがほとんどで、4時半以降であれば起きることにしている。

いつだったかラジオで、『眠って生きろ』(鳥越俊太郎・塩見利明 著)の著者塩見氏の話を
聴いたが、「ぐっすり眠るには、朝の起床時間を決め、その16時間後に眠りに就くように
することが大切だ」そうだ。朝、太陽の光を浴びると、脳の睡眠中枢が「朝だ!」と認識する。
その瞬間から寝つくための体内時計が動き出し、約16時間後には眠りにつくということらしい。

眠りの単位は90分。6時間で十分だが、7~7.5時間がベスト。9時間は長すぎだという。 
眠くなった赤ん坊の手が暖かいのは、皮膚から温度を逃がして脳内温度を下げる働きだとか。
脳の最適な温度は22~26℃なので、寝る前におでこを冷やすと、眠りを誘うのだとも。

その後、聴いたラジオでも、睡眠時間は7~8時間くらいがよく、短くても長すぎても
よくないそうだ。仮に5時間未満だと、血中の食欲を抑えるレプチンが低下し、
その結果、食欲亢進、肥満、心臓病、高血圧、糖尿病のリスクが高くなるのだとか。
そもそも40歳過ぎると、成長の必要がないため、睡眠は生理的に浅く短くなるものだという。

また、午前中から眠くなるのは問題があるらしいが、昼食後の2時頃から眠くなるのは
心配ないそうだ。最近特に、午後の車内や図書館の閲覧室、或いは中国語の授業中に、
猛烈な睡魔に襲われたりするので心配になっていたが、この話を聞いて安心した。

         午後の車内

ぐっすり眠るには、まず、寝室の環境を整えること。厚手のカーテンや二重窓、家電や時計の
音を遠ざける(40Hz以下)こと、フットライトをつけたり、カーテン少し開けておいたり、
クラシックを小音量で流すのもよい。食事は3時間前に済ませ、2時間前には部屋は暗く、
玄関の灯り程度にしておくのがよい。『「朝がつらい」がなくなる』の著者梶原氏の話だ。
私は、食事の方は大丈夫だが、寝る直前までパソコンに向かうことは止めないと・・・。
起床が6時半なら、16時間後の10時半に就寝。7時間半の睡眠をとるということ?!

         ケシ

ところで、必要な睡眠時間は種ごとの体の大きさに依って決まり、大型動物ほど短くて、
例えば、象は3~4時間。キリンは1~2時間で、草食動物は睡眠中は無防備になるために
短い傾向だという。犬は10時間程度で、1日眠っている?ようにみえる猫は意外に少なく、
12~13時間程度だそうだ。そうすると、わが庭の猫たちは、睡眠中と食事中のほか、
10時間以上もどこで何をしているのだろう。  
つれづれ

家にも顔が?!

2010年11月04日
孫の子守に向かう途中、静かな住宅街で、誰かに見られているような気がして足を止めた。
不審に思って上をみると、確かに、庇の上から、私に話しかけているようだ?!  

         杉並区 杉並区 阿佐ヶ谷

再びここを通ったのは、雨の日。雨空のせいか、ちょっと沈んだ顔に見えた。
     雨の日
       雨は止みそうにないな・・・           梅雨だからね~

今まで気づかなかったが、家にもいろいろな表情をした人の顔?があるものだ。
それは瓦屋根の比較的古い家に多く見られ、のっぺりした顔をしている家がほとんどだ。
それに気づいてからは、住宅地を歩くときは、家の屋根を見上げることも楽しみになった。
今回は、目のように見える2つの穴が開いているものを集めてみた。

 大田区  大田区
          
  鎌倉市  大田区

  大田区  大田区
   大田区   大田区 
  目黒区  目黒区

この数ヶ月間の間、ひょうきんな顔、驚いた顔、悲しげな顔、いろいろな顔に出逢ったが、
やはり、最初の杉並区のものが最高。あの顔は忘れられない。
旅・散策・イベント

「東大寺大仏  天平の至宝」 展

2010年11月03日
今日は国民の祝日「文化の日」。

710年の平城京遷都から1300年目の今年、上野のトウハク(東京国立博物館)では、
特別展「東大寺大仏―天平の至宝―」(~12/12)が開かれている。
東大寺の外では、初公開となる大仏殿前の「八角燈籠(はっかくとうろう)」や法華堂(三月堂)の
本尊「不空羂索観音菩薩立像(ふくうけんさく かんのんぼさつ りゅうぞう)」の光背など、国宝11件、
重要文化財18件を含む仏像、工芸品の計67件が展示されている。
 
      平成館前 平成館玄関前

先月下旬、平日の朝早く入館したこともあって、会場内は思ったより空いていて、
比較的ゆっくりと、間近な距離から大仏さまゆかりの秘宝を拝見できた。
         会場風景

8世紀半ば、聖武天皇により国家と民の平和を祈念して造られた「盧舎那(るしゃな)仏」は、
「奈良の大仏」として知られる。平安時代末期と室町時代の2度、戦乱で焼失したが、
その度に復興された。右肩部分は鎌倉時代の、お顔は江戸時代のものだそうだ。

「国宝 八角燈籠」は、大仏殿(国宝 東大寺金堂)の正面に立つ、約4.6mの銅製の燈籠。
一旦解体され、500kmの旅をしてきた「八角燈籠」は、創建当時の大仏殿を模したセットに
設置されていた。燈籠に灯りが点り、羽目板の細かい透かし彫りの音声(おんじょう)菩薩の
姿が浮き出されていて素晴らしかった。

  八角燈籠 光背
         
大仏さまの右手の実物大模型があるラウンジに行った。人だかりがしているかと思ったが、
ラウンジ内には、大仏さまの手と自分の手と見比べていたご夫婦らしき2人連れだけだった。
脇には、大仏さまの大きさのデーターが紹介されていた。右手の大きさは縦2.6mだそうだ。

     大仏さまの大きさ    大仏さまの手 

像高(座高)が約15mある大仏さまのお顔は幅3.2m。目も口も1m以上だ。
大きな耳の長さは約2.5mだとか。手のひらの長さと変わらない。とにかく大きい!
東大寺は、修学旅行で行ったはずだが、情けないことにまったく記憶に残っていない。
こんなに大きな大仏さまを見たのだから、印象に残っているはずなのだが。

バーチャルリアリティーで観る大仏さまは、ほぼ実物大に再現されているそうだ。
背中の下の方にある、1年に1度、写経や写仏を納めるための入口が映された。
小さい穴のように見えたが、人が楽々と入れるに違いない。大仏さまから見えるであろう
本殿の様子は面白かった。また、建立当時の東大寺が再現されたり、天平の美しい星空が
(計算されて)天井に映しだされたりと、バーチャルならではの壮大なスケールだった。

東大寺の伽藍の中央に位置する大仏殿は、中に大仏が鎮座している境内で最大の建造物。
現存する大仏殿(1691年)は2代目で、世界最大級の木造建築だが、創建当時のものと
比べると、奥行と高さはほぼ同じ、幅は約3分の2だとか。

大仏殿の屋根を支える2本の虹梁(こうりょう)は、それぞれ長さ23.5mのアカマツが
使われており、1704年、日向国の白鳥神社から大和国の東大寺まで延10数万人により、
9ヶ月をかけて運搬されたという。(Wikipedia)
   
 手拭                
今年1月に亡くなった義父の遺品の記念手拭の束から、再び「大仏殿大虹梁木曳圖」を
出して眺めている。                          (義父の残した手拭
旅・散策・イベント

書店に「タジン鍋」が!

2010年11月02日
いよいよ11月。昨日、来年の年賀状が発売された。このところ、風景印収集のため、
郵便局を巡ることが多いが、9月に暑中見舞葉書の販売が終わった途端、「年賀はがき」の
案内を見かけるし、窓口で「年賀状の予約はいかがですか?」と声を掛けられたりする。

10月半ば、Kさんからメールで「年賀状、いつも買うところ決まってますか?」と。
彼女の知合いに、郵便局でパートをしている人がいて、年賀状の販売ノルマがあるので、
協力してもらえないかというものだった。
義父が亡くなった今年は喪中。年賀状作成を毎年頼まれる人からのオーダーはまだなので、
私が用意する枚数は未定と、結局、お断りした。
どうやらノルマの量は、個人の親戚、知人などの範囲でさばける枚数ではない。
金券ショップに年賀状が集まるという話も不思議ではない気がした。
「くまのプーさん」「ディズニー」のキャラクター年賀状、地球温暖化に貢献する寄付金付の
「カーボンオフセット」、香りつきのものなど、いろいろと工夫されているが、
年賀メールの普及などで、年賀状のやりとりそのものが少なくなり、郵便局も大変だ。

また、恒例のお歳暮商戦が始まった。ラジオの話では、百貨店でもお歳暮のノルマがあり、
ある人は17件のうち7件分は人に頼まなくてはならず、さらにお礼もしなくてはならないと、
毎年頭を悩ましているという。

銀座もうかうかしておれないようだ。和光は、10月から日曜祝日も営業することになった。
リニューアルオープンした三越は、経営統合した伊勢丹のノウハウが生かされているそうだ。
特に9階の「銀座テラス」は、レストラン、芝生広場 託児所、親子の休憩室など、広々として
ゆったりした空間となっているとか。私の周りにも三越に行ってみたと言う人が多い。

新しい三越は未だだが、9月、渋谷にオープンした「MARUZEN&ジュンク堂」には行った。
電子書籍何のそのと、とにかく広くて驚いた。(渋谷に登場の大型書店)         
書店も様々な工夫をしている。書籍売場の近くに雑貨や文具コーナーがあるのは珍しくない。
今の時期は、来年のカレンダー、手帳や日記の類が、所狭しと並べられている。

 書店
         ジュンク堂書店            書店内の手帳コーナー 横浜市

語学のテキストや会話本には、ほとんどヒアリング用のCDが付いている。
だが、最近の付録は、本の方が付録かと思うほどで、美容関係の本に美容矯正のベルトが、
女性雑誌の付録にバッグがついていたりする。
付録目的で本を買う人は多いようだ。私も何度か孫りんりんにせがまれて買わされたが、
彼は、本誌はほとんど読まずに、付録を作り始め、出来上がればそれで満足していた。

嵩張ったもの、重いものなど、さすがに付録にできないものは、関連する書籍のすぐ隣に
並べられていることが多い。今流行りの「タジン鍋」が料理本の隣にあったりするようだ。
「タジン鍋でこんな料理してみようか」と思ったとき、わざわざ別のフロアーや店に行かずとも、
本と鍋とを同時に購入できる、というサービスも提供しているわけだ。

   スーパーで    タジン鍋
     スーパーのタジン鍋売場            わが家のタジン鍋

そういえば、わが家のタジン鍋は、私がスーパーで衝動買いしたもの。
もし、隣に「タジン鍋を使って」といった料理本があったら、迷わず買ったと思う。
大小2種類の鍋が積まれていたが、小さい方を買った。りんりんたちが来たときのことも考えて、
大きい方を買っておくべきだった。
このところ、わが家のタジン鍋の出番が減っているようなので、久しぶりに使ってみよう。

因みに、タジンとは、もともとモロッコの肉や野菜をじっくり煮込んだシチュー料理の名で、
タジン鍋は、その料理に使われる陶製の土鍋。これは水が貴重な砂漠地方の料理。
とんがり帽子のような蓋が特徴の鍋は、香りが飛ぶのを防ぎ、風味を逃さない蒸焼きに最適。
つれづれ

3歳になったケシとクク

2010年11月01日
今日はケシククの3歳の誕生日。
1年前の写真をみる限り、さほど変わっていないが、(2歳になったケシとクク
ククは、親戚猫ミケの子育てを手伝っていたので、お向いのさいとうさんのところに
いることが多かった。彼女にとって、なかなか忙しい1年だった。
秋になって、それも一段落し、わが庭でのんびりと過ごすことが多くなったようだ。

             ケシとクク 
                       ケシとクク

あるとき、涼しくなったので、外周りを片付けることにした。物置の上に置いてある
空のボール箱から黒い耳が見え、ククが顔を出した。物置を開けて、ガタガタと
出し入れしていたら、降りてきて、うるさいなあと伸びをしてからどこかへ行ってしまった。
そういえば、ククは以前から物置の上が好きだった。
               
    4匹
  揃った4兄姉妹      「お誕生日おめでとう!」     「ありがとう」
                   (アミとトラ)             (ケシとクク

ケシと妹のトラが並んで食べる姿は見慣れているが、ケシククが並んだ姿は珍しい。   
              ケシとクク
         ケシとクク

1年前と変わったことは、ドライフードに鰹節が、最近は、小さな煮干しが数本加わったこと。
ドライフードだけだったら、ククさいとうさんのところで済ませてしまうかもしれない。
動物など
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