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重宝するラジオ

2011年03月31日
全国で「東日本大震災」の募金活動が盛んに行われている。
街のコンビニやカフェ、私が通う筋トレの受付にも募金箱が置いてある。

朝、ラジオできいていたら、活動支援金(復興支援金)と義援金は違うという話をしていた。
集められた「義援金」の全額は被災者へ直接渡される「見舞金」。
例えば、TBS系列で呼びかけているJNN・JRN共同災害募金がそうで、集められた募金は
日本赤十字社を通じて被災地の義援金配分委員会に届けられるそうだ。
 
一方、「活動支援金」は、直接、間接的に被災者の生活を支援していくために、
NPO(NPO法人、財団・社団法人、社会福祉法人など)が独自に集めたり、
NPOの活動を支援するための募金。

有名人などによる街頭募金も行われている。先週、渋谷駅前を通りかかった息子から
募金活動をしている大関把瑠都(バルト)や日馬富士たちのシャメールが送られてきた。
渋谷駅南口のモヤイ像前は、毎週のように通る場所で、前日にも通ったところだ。

大相撲にしろ、野球やサッカーにしても、スポーツにはあまり関心がないせいか、
お相撲さんもスポーツ選手もよくわからない私だが、把瑠都だけはわかるので応援している。
というのも、彼の部屋は大田区池上にある。わが家からもっとも近い相撲部屋だ。
部屋まで行ったことはないが、以前、商店街でTシャツ姿の把瑠都を見かけたことがあった。
そんな話をしたことがあったせいか、息子は私が把瑠都のファンだと思ったようだ。

           渋谷駅前
                安美錦  把瑠都 (日馬富士)   

被災地では、停電でテレビを見られず、ラジオ(電池式)での情報入手に頼ることが多い。
TBSラジオでは震災直後、「被災地にラジオを送ろう」というキャンペーンを立ち上げた。
これは、リスナーの家庭に眠っているラジオを集めて(修理可能なものは修理して)
被災地へ送ろうというもので、赤坂のTBS放送センター前に持ち込まれたラジオは、18日、
先ずは4日間で集まった5千台のラジオの輸送が開始された。他局も24日から開始したとか。

         ラジオ

わが家に眠っていたラジオは娘のところに行ったため、余分なラジオはなくなった。
現在、わが家にラジオは2つ。まるでケイタイのような超小型のごんさんの携帯ラジオと
私が目覚めたときに真っ先につける中型?ラジオだ。これは単3乾電池でもきくことができる。
地震後、このラジオの傍に乾電池4個を用意した。停電になったら電池できくつもりだが、
真っ暗な中で電池を入れるといった日が来ないように願うばかりだ。

数年前から、ラジオ(TBS)をきくようになった。ラジオは音声情報しかないため、
不足する情報を補おうと脳が働くため、脳は活性化されるのだという。(ラジオの効用)    
ラジオのCMは音だけなので邪魔にならないが、テレビは、CMも番組も見るだけで疲れる。
大津波に呑みこまれる気仙沼の映像がテレビで繰り返し流される。実際に津波の被害に
遭っていないのに、恐ろしい光景が目に焼き付いて、夜、なかなか寝付けないときもある。

何よりも避難所での「今、何が一番ほしいですか?」といった無神経な質問など聞きたくない。
クリスマス間近の子どもに「サンタさんのプレゼント何がいい?」とはわけが違う。
命からがら逃げて来た、家族や親類を失くしたり、友人の安否が気懸りな人たちに向かって、
「今のお気持ちは?」一体何を言わせたいのだろう。だれもが今までの生活に戻りたいのに。
惨状や情報を伝える報道だが、気遣いや思いやりの感じられない取材陣には腹が立つことが
多い。そんなこともあって、テレビは、とくに地震後はほとんど見なくなった。
つれづれ

なるほど~?!

2011年03月30日
最近、印象に残ったテレビCMは、ホンダライフの「(かっこ)」篇。
「   」「   」「   」「   」・・・・「  」 つけました!
人生、ちょっとカッコつけると楽しいよ!New LIFE!
ノリのいいロックのBGM、画面には「  」とともに、ネクタイを締め直す男性や
サングラスの女性などがチラッと映るだけなのだが、テレビならではのCMだろう。

街を歩いていて、気になる看板もある。
先日、向島百花園に向かう途中、「二合半」という店の看板に目が留まった。
なぞ解きしながら歩いていて思い当たった。二合は枡がふたつ。半は半升(繁盛)だから、
「ますますはんじょう(益々繁盛)」だ。なるほど!
帰宅後、調べると、「春夏冬」が前について「商い益々繁盛」や「二升五合」もあった。

「~禁止!」の素っ気ない文字だけでなく、イラスト入りの看板もよく見かける。
以前、街でみかけたのは、「禁輪地区」のキリン。
最近は、可愛らしい「象」が頑張っていた。「ポイ捨てダメだぞう~」という
「路上喫煙禁止!」の看板を見た。
やんわりと注意を促すのだろうが、果して、効果はあるのだろうが。

  禁輪地区   ダメだぞう
    「禁輪地区」に停められた自転車       「ポイ捨てダメだぞう~」    
       大田区の銀行前          「新宿区内は全域が路上喫煙禁止です」

毎日新聞連載の『「質問 なるほドリ』という人気コラムが本になったが、
そのキャラクターは、黄色い「なるほドリ」という「鳥」だ。 

空き缶回収機
  飲料自販機の脇に回収箱が置いてあることは
  多いが、杉並区の地域区民センターには、
  「くうかん鳥」という、空き缶回収機が置かれていた。
  
  その隣は、内臓脂肪や血圧測定が出来る
  「杉並 ウェストサイズ物語」コーナー。
  これは、杉並区が取り組んでいる生活習慣病の
  予防、とくにメタボリックシンドローム予防のための
  活動の1つ。区内の商店会や公衆浴場などに、
  健康自己チェックができるコーナーがある。
 
     「ぼく  くうかん鳥」
ウェストサイズ物語
 操作方法
 性別、年齢、身長を設定。  
 ボタンを押す。
 体組成測定スタート!
 基礎代謝:
 燃えにくい/標準/燃えやすい 
 内臓脂肪:
 標準/やや過剰/過剰 

 
     もやす 内臓脂肪! ふせげ 肥満!

郵便局で見つけた播州そろばんのお守り「5か9お守りそろばん」「10か9お守りそろばん」は、
「合格」「当確」にかけてある。                   (「サクラサクよ」
合格で思い出したが、大阪歯科大の「乳歯生える」という合格電文はユニークだ。

余談になるが、不合格の電文には、サクラ散るだけでなく、雪が深かったり、波が高かったり、
霧が深いところもある。東北大「みちのくの雪深し」、信州大「信濃路は雪深し」、千葉大
「成田空港霧深し」、静岡大「駿河湾いまだに波高し」など。涙にもうれし涙と悔し涙があるが、
高知大学の「龍馬の目に涙」は合格、奈良大学の「大仏の目に涙」は不合格だそうだ。
旅・散策・イベント

古タイヤの行方

2011年03月29日
さまざまな資源リサイクルが進んでいるが、使用済みタイヤも熱利用リサイクルされたり、
タイヤチップや再生ゴムなどに加工した後、様々な原材料として利用されているほか、
最近は、タイヤチューブから変身した携帯ケースなど、お洒落なグッズも販売されている。

子どもたちの幼稚園時代、JR蒲田駅と川崎駅間の線路から見える「タイヤ公園」(大田区)に
何組かの親子でよく遊びに行った。
     1978
             タイヤ公園で遊ぶ子どもたち            1978  

昭和44年(1969年)開園の「タイヤ公園(西六郷公園)」は、3千本の大小さまざまの
古タイヤがいっぱいの公園。重さ1t 直径2mのものやジェット機のものもあるという。
8mもある親子ゴジラやロボット、滑り台やブランコもタイヤで出来ている。

この公園で孫りんりんがタイヤで遊ぶ写真が数枚ある。娘の時代から30年近く経つ。

  2005
              機関車トーマスが好きだった頃のりんりん    2005

古タイヤは、中古タイヤとして再利用されたり、ガレージや駐車場などでも使われている。

        749no6.jpg 渋谷区 
               おしゃれなタイヤの鉢植が並ぶ

タイヤタイヤ
             大田区                        新宿区

         タイヤ 上野駅横パーキング
旅・散策・イベント

子猫たちが仲間入り

2011年03月28日
今年になって、朝夕、親戚猫のラスカルの子猫たちがわが庭に来るようになった。
どうやら、北側の物置の上でスタンバイしていて、ごんさんの姿を見つけると、
玄関の傍まで来る。フードが容器に入り、ごんさんがその場を離れたのを見届けると、
食べ始める。さすがにラスカルの子だけあって、警戒心は強い。
トラたちに追い払われるのが分かっているから、子猫たちは南側には来ない。
テリトリーを侵さないというのが彼ら地域猫の掟のようだ。

        シロと
               シロが食べ終わるのを待つカール

ラスカルの子
      積極的なオス              警戒心強いメス   2011.2

この2匹も手術をしなくては。こんなに警戒心が強いと捕まるわけないかな・・・と
ごんさんと話していた矢先だった。さいとうさんが彼らを捕獲し手術を施すことができたそうだ。
わが庭のアミに似ているグレーのキジ猫はオスで、少し茶色がかった臆病な猫がメスだった。
どちらも母親のラスカルの尻尾とそっくりだ。

母親のラスカルは、大分慣れていたのだが、以前、原因不明の病気で2週間も入院し、
退院後は警戒心がいっそう強くなり、手術しようにも捕まらなくなった。   
一昨年夏、初めての出産、昨年5月には2度目の出産した。このとき生れた猫の1匹は、
交通事故で死んだ。今、わが庭にやってくるのは、昨年9月に生れたラスカルの子どもたちだ。
(猫は出産後2ケ月で再妊娠し、妊娠期間は約2か月間だとか。)

親戚猫ミケもどうしても捕まらず、一昨年夏、シロクロを生んだ。
わが庭のククが教育係を務め、彼らは1人前になった。今年5月、ミケは再び出産した。
 
   クク保育係 ククとシロ
                ククに連れられてきたシロとクロ       2010.5

     ラスカルとミケの子猫
        2010.7        ミケ(上)とラスカルの子育て              2010.8

ラスカルの入院費用やシロクロ、ラスカルの子をはじめ、地域猫たちの手術費用などは、
すべてさいとうさんが負担されている。さいとうさんのお宅には、8匹の飼猫がいるのだが。
わが家が負担したのは、わが庭で生れた4匹とその母猫チビの手術費用のみ。

因みに、猫の去勢不妊手術助成額は区によって異なるが、大田区では、生後6カ月以上の
飼い猫、区内に生息する猫が対象で、オスは約4千円、メスは約8千円となっている。
動物病院によって手術代は随分異なっているようだ。
再度の手術を防ぐために、耳ピアスをつけたり、さいとうさんが連れて行く病院のように
右耳の端をカットするなどして、手術済みの目印をつける動物病院もある。

先月末、手術をして戻って来たラスカルの子たちは、この付近が危険だと思ったのか、
さいとうさんのところやわが庭にしばらく姿を現さなかったが、1週間もすると戻って来て、
わが庭の玄関前で待機して餌を要求するようになった。
名前がないと実に不便なので、オスをカ―ル、メスをミ-ルと呼ぶことにした。
動物など

「旅立ち」の季節

2011年03月27日
あの恐ろしい大地震から2週間余が過ぎた。津波で校舎が浸水した大船渡の小学校では、
近くの中学校の教室を借りて卒業式が開かれた。ピアノもない式場で、児童は最後の校歌を
歌ったという。卒業生の中には親を亡くしたり、自宅を流された児童もいるそうだ。

今年になって、全国の児童養護施設などに「タイガーマスク」や「あしたのジョー」などから、
ランドセルなどの寄贈が相次いだ。
今回、被災した小学生に使用済みのランドセルや文房具を贈ろうと、沖縄の小学6年生らが
取り組んでいるという。「できることをできる範囲でやろう」という彼らに頭が下がる。

小学生といえばランドセルだが、4年生からは自由という学校も多いせいか、6年生まで
背負う子どもは少ないように思っていた。だが、ラジオをきいていたら、最近は、6年生まで
使う児童は8割に増えたという。不景気の影響もあるだろうが、形や色のバリエーションが
豊富になったこと、軽く、機能的になり、A4ファイル用の内寸幅になったこともあるとか。

        下校

『安住紳一郎の日曜天国』(TBSラジオ)で、最近の卒業式の歌が変わっていることを知った。
『仰げば尊し』(文部省唱歌)や『蛍の光』(スコットランド民謡)はあまり歌われていないらしい。
「最近はどんな卒業ソングが歌われているかご存知ですか?」と安住アナ。「25歳以上の人は
わからないのでは?」「そのうち、『蛍の光』に代わって、スーパーの閉店ミュージックに
なるかもしれないから、とくに25歳以上の人はよく聴いて覚えておいて下さい」と、
『旅立ちの日に』が流れた。聞いたことがあった。25歳ははるか昔に過ぎているが。

『旅立ちの日に』は、10年前、埼玉県の中学校の校長と音楽教師によって作られた合唱曲。
当時、荒れていた学校を「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やし、
学校が明るくなったという。
最初はたった一度きり、「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けて歌うための
サプライズ曲のはずだったが、その翌年からは生徒たちが歌うようになった。
その後、周りの小中学校で歌われるようになり、全国へと広がっていったそうだ。

     旅立ちの日に    作詞:小嶋 登  作曲:坂本 浩美

   白い光の中に 山並みは萌えて  はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ
   限りなく青い空に 心ふるわせ  自由をかける鳥よ 振り返ることもせず
   勇気を翼に込めて 希望の風に乗り  この広い大空に 夢を託して

   懐かしい友の声 ふとよみがえる  意味もないいさかいに 泣いたあの時
   心通った嬉しさに 抱き合った日よ  みんな過ぎたけれど 思い出強く抱いて
   勇気を翼に込めて 希望の風に乗り  この広い大空に 夢を託して

 (*)今 別れの時 飛び立とう 未来信じて  はずむ 若い力 信じて 
           この広い この広い 大空に  (* くり返し) 
 

この歌は、現在では『仰げば尊し』や『巣立ちの歌』、『贈る言葉』などに代わり、小中高の
卒業式において全国で最も広く歌われている卒業式の歌となっている。
(Wikipedia)
ついでに、安住アナによれば、近いうちに『旅立ちの日』に代わる曲は『Believe』だとか。

幼稚園の卒園式で歌われる卒園ソングは『おもいでのアルバム』ではないだろうか。
30年も前の息子のときも、1年前の孫りんりんのときも、この歌を歌った。
『みんなの歌』(NHK)で放送された歌だときいているが、ラジオで流れてきただけでも
胸が熱くなるのはどうしてだろう。
とくに最後の「もうすぐみんなは 一年生」では涙を堪えるのが大変だ。
自分の卒園式は?残念ながらまったく覚えていない。
つれづれ

そして2週間が過ぎて

2011年03月26日
スーパー、コンビニなどでの米、パン、牛乳などの食料品、トイレットペーパーなど日用品の
品薄状態は幾分解消されたようだが、まだ、乾電池の棚は空っぽだ。
ガソリンスタンドに並ぶ車の列も大分落ち着いて来た。 (大地震から一週間過ぎて

私も気功などのカルチャー、筋トレにも通い出した。東急東横線は特急、急行がなくなり、
運転本数も減り、券売機や自動改札の1部閉鎖、エスカレーターの運転停止が実施された。
地震翌日のライトアップやネオンサイン、大型スクリーン放映の自粛から始まった節電だが、
交通機関はもとより、大きなビルから小さな店舗まで広がっているようだ。(地震から4日目」) 

昼間は、駅の構内も薄暗い。よく行くスーパーの階段などの照明が消えている。
店内に足を踏み入れた瞬間はあれっと思うが、すぐに慣れてさほど不便は感じないものだ。
これでいいのだろう。今までいかに電力を無駄使いしていたことか。

環八沿いのオートバイ屋さんの前の歩道にヘルメットが並んでいた。
「緊急災害時のみお持ち帰り可能です」と書かれていた。
店には、「電力不足対応の省エネ営業中です」と書かれたビニールシートが下がっていた。
このところ、余震も減ってきた。このヘルメットが使われないことを祈るばかりだ。
   ヘルメット 
            「緊急災害時用ヘルメット(無料・返品不要)」       

  噴水             
        2010.7                    止まった噴水 JR阿佐ヶ谷駅前 

         ドライタオル 
         ドライヤー不要? 吸水力抜群「ドライタオル」  

 カフェと花屋     
    宣伝用のデジタルフォトパネル ドトール            花店  
   
         自販機 
               照明の消えた自販機       

病院の待合室で待っているときのこと。たまたま、今回の大震災で被災された方たち2組と
隣り合わせになった。
1組は東京の息子さんの家に避難されたご夫婦で、息子さんは手続きを済ませると、
仕事に戻って行った。看護師さんとの話をきいていてわかったのは、2月末に退院したという
ご主人の薬がほしいとのことだった。ほどなく、診察室に呼ばれ、薬を処方された様子だった。
付き添う奥さんの落ち着いてシャキッとした様子には驚いた。今は気が張っているのだろう。

もう1人の女性は、身体がだるい様子で、待合室の長椅子に横になっていた。付き添いの
男性は弟さんのようで、「金だって何だって心配するな。みんな息子に頼ればいいんだ」
「そんな心配ばかりするから、病気になるんだよ」と大きな声で励まして?いた。

この日、私は予約なしだったため、朝8時半からずっと待合室を離れられずにいた。
節電のため暖房もなく、コートを着ていても寒かった。診察室に入ったのは午後1時半過ぎ。
避難所の人たちのことを考えれば何でもないことなのだが、5時間待ちは長かった。

 ホスピタルチャンネル 「ホスピタルチャンネル」放映中  地震前

23日の午後、東京都の水道水が危ない!と発表があった20分後、水のペットボトルが
店頭から消えたという。
前日、孫あいあいが熱を出したというので、姉のゆうゆうと2人の「1日保育日」となり、
前半はごんさん、後半の午後は私が担当した。
夜、帰宅途中のママからのメールで、「水道水を乳児に飲ませないで」という発表を知った。
無駄だと思うが、近くのスーパーなどに寄って、水を探してみるという。
結局、水はどこにもなく、ペットボトルのお茶とロックアイスの袋をいくつか買って帰宅した。

わが家では、ウォーターサーバーを2年近く利用している。      (東京の水道水
九州日田の天然水を定期購入しているが、今回、たまたま在庫が十分にあった。
とりあえず、2個(計24ℓ)を息子のところへ送った。娘も近々取りに来るだろう。
ペットボトルの水が1歳未満の乳児のいる家庭に配られているが、2歳のあいあい
5歳のゆうゆう、そして、7歳のりんりんにも、できるだけ「危ない水道水」を飲ませたくない。

      水売切れ 
              どの自販機の水も「売切」             3.24

24日昼、「どうでもいい話だが」と、喫茶店にいた息子からメールが来た。
偶然隣り合わせた人が、大声でケータイしていた。どうやら関西の水買付業者らしい。
「500mmなら何万本でも買いますわ」「現金勝負や!」「ガロンならたくさん押さえて
あるから売れますわ」とか話していたらしい。
何ともはや!どうでもいい話ではないようだ。勘弁してほしい。
因みに、ガロンはアメリカなどの容積単位。1ガロンは約3.8㍑。
つれづれ

ウサギのアルバム

2011年03月25日
子どもたちが小学生の頃、庭には柴犬のチビがいたが、ウサギも飼っていた。キッチンの外に
ごんさんが土間を作り、そこにウサギ小屋をつくった。     (ウサギを飼っていた頃) 

ムム ペペ
            ムム                               ペペ
 
生後1週間
   ピーターラビットに似たムムが生んだ子が
   息子のクラスメイトのところへ行ったこと、
   ムクという名前だったことは覚えていた。
   もう、30年近く前のことだ。
   
   ほかの3羽も養子にもらわれて行ったが、
   Uさんのところへ行ったことはすっかり忘れていた。

   ウサギのアルバムには、写真のほか、
   私の簡単なスケッチと年賀状にした画などもあった。
       生後1週間

    生後3週間
    生後3週間    タムタム   ミジー    ゆう    ムク

アルバムの中に挟んであったのは、お隣りのUさんのところへ行ったゆうちゃんから
来た年賀状。1987年、ちょうど卯年だったようだ。

    年賀状

宛名面には「大田区うさぎ村二丁目 ペペ様 ムム様  大田区うさぎ村一丁目 ゆう」
「あけましておめでとうございます。 わたしは元気にしています。ときどき新聞紙を
食べて怒られます・・・」といったことが書かれていた。書いたのは、中学生のFちゃんだ。
よく見ると、鉛筆で消印まで描かれている。笑ってしまった。
きっと、ゆうちゃん宛にペペムムの名で年賀状を出したからに違いない。

ムムをモデルに本画を描いた。日本画を習い始めて2作目だ。

          「閑」
                   「閑」 10号本画
身近な人びと

ウサギを飼っていた頃

2011年03月24日
大地震発生のとき、小1の孫りんりんは下校途中だったが、一旦、学校に戻り待機したようだ。
余震の中、学校に駆けつけた母親が見たのは、机の下で、泣いていた女の子と
「かいけつゾロリ」の漫画を読んでいた男の子たちだったとか。

ついこの間まで、彼の字は乱雑で判読不能な字が多かったのが、少し丁寧に書くようになった。
「クラスでいちばん字がじょうずなSちゃんがね、『字がじょうずになったね』と言ったんだ!
いちばんじょうずなSちゃんだよ」と照れくさそうに話す彼の顔がおかしかった。

2月に席替えがあり、大好きなSちゃんの隣の席になったそうだ。よほど嬉しいらしい。
周りには、大人しい女の子たちやHくんがいる。Hくんは女の子にとても人気があるそうだ。
そのせいか、「さいきんは『だらしない』っていわれないように気をつけているんだ」とか?!
Hくんのような「モテル」男の子を目指すのもいいかもしれない。

実は、このHくんのパパとりんりんの叔父にあたるゆうゆうのパパは小学校のクラスメイト。
お互いの家に行き来してよく一緒に遊んでいた。30年近く前のことだ。

当時、わが家で飼っていたウサギの写真を収めたアルバムを見つけた。(犬と猫とウサギと
久しぶりに写真を見たら、最初はパンダウサギのペペミミを飼っていたことを想い出した。
1年後、ミミが死に、ピーターラビット似のウサギを飼い始めた。
ピーターラビットのモデルになったネザーランドワーフという短毛で小型のウサギだ。
ムムという名前をつけて、主に息子が世話をしていたが、ペット用のトイレ砂のような
便利なものはなく、新聞紙を敷いた引出しを出し入れして取りかえるのは面倒な仕事だった。

           ペペ&ミミ
                        ぺぺとミミ

ごんさんが数日間かけて、庭からもキッチンからも出入り可能な土間をつくった。
2つのウサギのためにタイル張り部屋や流しもついた土間は南側で明るく快適だった。
ぺぺは賢かった。扉につけた鈴を鳴らすことを教えたら、数回で会得した。
お腹が空いたときなど用があるとき?には、鈴の紐をくわえてパッと放して音を出すのだ。
ワンワンともニャアニャアともいわないウサギには、人の注意を喚起するには有効な手段だ。
教えたかどうかは忘れたが、ムムの方はこの手段は使わなかった。

     ペペ
         鈴を鳴らすペペ          右 ペペの部屋 

         ムム
                    左 ムムの部屋   

ムムが子どもを産んだのは、息子が小学2年の春休みだった。
1羽がパンダウサギで、あとの3羽は、茶と白のツートンだった。  (うさぎのアルバム
そのうちの1羽がHくんのパパのところへ行き、ムクという名前をつけてもらい、
小屋をつくってもらったり、庭で自由にとび跳ねたりと、とても大切に可愛がってもらったようだ。
紅葉の中、雪の中、庭でいたずらしている姿など、頂いたのだろう、ムクちゃんの写真が
たくさん残っていた。

  ムク
                   元気なムク  

春休みになったりんりんの家に久しぶりにこのアルバムを持って行った。
「これがうちで飼っていたペペムム。あなたのママはほとんど世話をしなかったけどね。
これがムムの子どもムクちゃん。Hくんのパパが飼っていたウサギ。2歳くらいのときかな?」
「こんどHくんに見せてあげよう!」 Hくんのパパにも見せてあげたいな。

昨年秋からりんりんの家の住人になったアメショーのショータンは大きくなった。
ときどきはりんりんの遊び相手を務めながら、のびのびとマイペースの毎日を送っている。
りんりんが猫を飼いたがっているからと云って飼い始めたが、実は娘の方が飼いたかった
のかもしれない。
親戚にも犬や猫を飼っているところが多い。動物好きのDNAは遺伝するものに違いない。
身近な人びと

墨堤の桜並木

2011年03月23日
今月初め、浅草雷門(台東区)前から吾妻橋を渡り、墨田区へ。
桜橋までの隅田川沿いは桜並木がつづいていた。     (隅田川沿いを歩く
隅田川の両岸には、ソメイヨシノを中心に千本以上の桜の木が植えられているという。
隅田公園の桜の芽は大分ふくらんでいた。穏やかな春らしい日だった。

春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が・・・ 滝廉太郎の『花』を思い浮かべながら、
桜とスカイツリーを見ながら川沿いを歩いたのは、あの大地震のわずか5日前だったのに、
1年も2年も昔のことのように感じられる。
この日609mだったスカイツリーは、18日、最高の高さ634mに達した。

      吾妻橋 3.6
                       吾妻橋 

隅田川沿いの墨堤は、8代将軍吉宗が民衆にも花見ができるようにと開放した由緒ある地。
春、吾妻橋から桜橋の約1kmは、みごとな桜のトンネルができ、屋形船や水上バスからも
お花見が出来る。

  言問橋
                     言問橋

江戸中期までは水田が広がっていた向島は、三囲(みめぐり)神社や長命寺、白髭神社が
建立され、人で賑わうようになったが、吾妻橋ができるまでの向島への足は渡し舟だけだった。
長命寺の桜餅は、桜の落葉を「もったいない」と塩漬けにして利用したアイディアだとか。
向島の長命寺の傍に、榎本武揚の筆による「墨堤植桜の碑」があった。
江戸の名所になったことで、詩文に詠われ、浮世絵師が競って題材にしたという。

     桜橋
                      桜橋

ラジオかテレビだったか、何かの本で読んだのか忘れたが、「民に歌い踊らせ踏み固め」と、
もとは家康が川岸強化のために、桃や桜を植え始めたのがキッカケだという。
桜を植えると、花見客が土手を歩く。踏まれて堤が強化されるというもの。

江戸時代の埋め立て事業は重要な政策であり、産業経済の振興や興行(イベント)でもあった。
埋立地ができると先ず始めに桜を植え、近隣での花火の打ち上げの奨励や、遊郭を造った。
自然自重沈下を促すとともに人々が集まる事により、よりいっそう踏み固められた。

そして、遊郭に関連する職種や商いに従事するものが次第に移り住み、「町」を形成した。
土手(埋立地も意味する)は当時の人々にとっては色々な意味で「花やか」な場所であった。
そして日本各地の河川で桜並木が多く見られるのはこの名残。また築地(つきじ)市場を始め、
日本各地に残る築地(ついじ)と言う地名は埋立地を指す
という。(Wikipedia)

学問、芸術、文化が栄えた江戸時代は、武士階級だけであった桜の花見も庶民にも広がり、
隅田川堤、上野、浅草、新吉原などが桜の名所として発展したという。
今年の花見は、自粛しようという動き、自粛して浮いた予算を義援金として送ろうという
動きもあるようだが、「花見に関する意識調査」(アサヒビールお客様生活文化研究所)によると、
約6割が花見に行く予定だとか。ただし、3月1日までの調査だが。
私は、近所の寺社や公園、空地の桜巡りをして、マイ桜を探すことにしよう。
旅・散策・イベント

リユースいろいろ

2011年03月22日
わが家でかつて活躍した石臼は猫や鳥の水飲み場、自家製味噌を保存した陶器は傘立てに、
大小4つの桐の火鉢はプランターと蓋をして椅子になった。     

    瓦
                屋根瓦→踏石              アミとケシ

       鬼瓦
                    鬼瓦→魔除け??
           
石臼桐火鉢  
       石臼→水飲み場  トラ               桐の火鉢

改築の際、止むなく切り倒した樹も多く、いくつかの樹は腰掛けなどになった。  (樹と瓦

     腰掛
           腰掛け                   沓脱ぎ台

         傘立
             アミの遊び道具にもなった傘立て       2007.10

街を歩いていても、頑張っている火鉢や防火用水桶をみかける。

      火鉢
              台東区                  大田区

  佃島  世田谷区                
     戦中の防火用水桶  中央区    東京農大「食と農の博物館」  世田谷区  

           品川区
                     竹箒の垣根      品川区              
旅・散策・イベント

春分

2011年03月21日
今日は24節気の1つ「春分」。昼と夜の長さが同じになる日。日差しも柔らかくなり、
本格的な春が訪れる。冬眠していた動物たちが動き始め、人々の生活も希望で満ち溢れる。
日本では、「自然を称え、将来のために努力する日」と法律で定められた祝日。

          春の光

春分、秋分の日をはさむ前後7日間を彼岸といい、この間、各寺院、家庭で彼岸会の
法要が行なわれたり、家族で先祖の墓参りに行く習慣がある。

彼岸には仏前に野菜、乾物類中心の精進料理を供える。また、お馴染みの「ぼた餅」だが、
秋には「おはぎ」ということが多いようだ。         (萩の花
春は牡丹の花、秋は萩の花と、季節の花の名前をかけたものといわれる。
このほかにも、こしあんをつけたものが「ぼた餅」、粒あんだと「おはぎ」という説、
小豆あんが「ぼた餅」で、黄粉をまぶしたのが「おはぎ」という説、
丸くて大きいものが「ぼた餅」で、小ぶりで長めのものが「おはぎ」などの説がある。
「おはぎ」「ぼた餅」でもどちらでもいいが、私は小豆の粒あんの小さ目のものが好きだ。

          おはぎ

中国では、春分は大事な伝統的な祝日で、周代にはすでに春分の儀式があったという。
4千年前、中国の祖先が春の到来を祝った「卵立て」ゲームが中国各地でブームだという。
古い伝説では、春分の日(秋分の日も)、卵を立てることができるというのだ。
この日は、昼と夜の平衡がとれているので、卵の安定性が最もよいとかで、
今は、全世界の人たちが「卵立て」ゲームに挑戦しているというが、私は初耳だ。
新鮮な卵を選んで、殻を壊さずに卵を立てるというもの。
今年は、試してみようと思うが、冷蔵庫にある卵は果して立つだろうか。

ところで、春分の日、お彼岸にお墓参りをするのは、日本独特の習慣で、
中国では「鬼節」とも呼ばれる「清明節」が先祖供養の日となる。
「清明節」は、「掃墓節」とも呼ばれ、祖先の墓に参り、草むしりや掃除をする日。
そして、春を迎え、郊外を散策する日「踏青節」でもある。
6年前、上海を訪れたのが、たまたま清明節の前後だった。江南の水郷西塘へ向かうときに
墓参の車で渋滞したことを思い出す。
今年の「清明節」は4月5日。春風の中、明るく賑やかなピクニック風景が目に浮かぶ。
因みに、昨年の清明節には、中国全土で4億5千万人が墓参に出かけたという。(中国国際放送局
つれづれ

浄土ヶ浜

2011年03月20日
大地震と大津波が襲った三陸海岸の様子がテレビに映る度に胸が痛む。
宮古、浄土ヶ浜は、20年も前、娘の高校の卒業旅行の代わりにと訪れた思い出の地だ。
盛岡に2泊して、小岩井、遠野、花巻、田沢湖、浄土ヶ浜などをまわった。 (みちのく二人旅
中でも印象的だったのは、田沢湖と浄土ヶ浜。雪深い田沢湖では、バスが開通したばかりで
観光客もまばらだった。ただでさえ心細い上に娘の機嫌も下降線を辿り、帰りのバスの時間も
気にかかり、落ち着いてスケッチできなかったことを覚えている。

         田沢湖 
                          田沢湖            1991.3.12

          花巻 
                        岩手山    花巻          3.13
          
陸中海岸国立公園「浄土ヶ浜」に着いたときにはすでに夕方になっていて、観光客は少なく、
波もなく静かな浜は不思議な光景で、「浄土」の名がついたのも頷けた。
天和年間に、曹洞宗に属する宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖が「さながら極楽浄土のごとし」と
感嘆したことから「浄土ヶ浜」と名付けられたとする説が知られている。

             浄土ヶ浜
                          浄土ヶ浜          3.13
            浄土ヶ浜 *Click! 
                                  Click!  

入り江を形成する岩塊の裏側(外海側)には、太平洋の荒波の浸食を受けた入り江側とは
対照的な男性的ともいうべき景観が見られ、これらは、「剣の山」「賽の河原」「血の池」等、
同じ東北地方に位置する恐山の地名呼称と共通する名称で呼ばれている。
(Wikipedia)

少し黄ばんだ画用紙の裏に、アカマツの画と「宮古からタクシー¥1160 浄土ヶ浜16:27 
宮古へバス(¥150)」とあった。どちらも10分のクロッキーで、あまり彩色していないが、
白い岩肌、群青色の海、松の緑のコントラストは印象に残っている。
あの美しい浜が、津波で一瞬にしてなくなってしまったとは・・・。
再び、元の美しい浄土ヶ浜が見られる日が1日でも早く来ますように!偏にお祈りする。
旅・散策・イベント

最期に後悔すること・・・

2011年03月19日
『死ぬときに後悔すること 25』(大津秀一 著)の紹介をラジオできいた。
副題は「1000人の死を見届けた 終末期医療の専門家が書いた」。

借りて来たまではいいが、「はじめに」を読んだだけでストップしたままだった。
文字も大きく眼鏡なしで読め、内容も医学用語などは少なく文章が難しいわけではない。
図書館のサイトから、予約者がいなければ、貸出延長が出来る。
2週間の貸出期限が近づいたので延長した。その返却期限が明日だ。

「健康・医療編」「心理編」「社会・生活編」「人間編」「宗教・哲学編」「最終編」。
「今、後悔していることはなにか」をそれぞれ語った25の事例がまとめられている。
著者が見届けて来た患者たちは、大なり小なり何らかの「やり残したこと」をかかえていた。
だから皆、程度の差こそあれ、後悔はしていた
という。

       「後悔すること」

「健康を大切にしなかったこと」
健康を大切にすることは、宣伝や体験談などを鵜呑みにして、サプリをとることなどではなく、
定期的に検査をし、医師のアドバイスに従うこと。40歳を超えたら、毎年人間ドックでの
検査を勧める。毎年?人間ドック?! 考えてしまう。

「たばこを止めなかったこと」
煙草を止めた人はたくさん知っている。煙草を止めない!という人も知っている。
健康なうちは、「たばこを吸って病気になっても、これは自分できめたことだから」と
笑っていても、たばこのせいでリスクが増大する病気となると・・・。
「死の間際に後悔しないため、たばこと心中してもよい人以外は、禁煙すること」を
勧める著者だが、ごんさんはどうやら煙草と心中することになっても後悔しないらしい。
一方、わが家にいたときはかなり吸っていた息子は、結婚し子どもが生れる頃になると、
吸わなくなり、「禁煙したのではなく吸わないだけだよ」とサラリと言ってのけた。

「会いたい人に会っておかなかったこと」
体力が落ちると移動すらままならなくなる。思いついたそのとき、会いに行くことだ。
自分もそうだが、会いたい人がこの世を去ってしまうこともあるから。まさに「一期一会」だ。

「行きたい場所に旅行しなかったこと」「自分のやりたいことをやらなかったこと」
生きていると、行きたいところも、やりたいことも増える一方だ。
私は「いつまで行かれるかわからないから!」と、5年前までは行きたいところに行った。
きっと後悔はしないと思う。

「美味しいものを食べておかなかったこと」
病であれ、老いであれ、死期が迫ると、味覚が変わるそうだ。さらに食欲そのものが落ちて、
たとえ無理に口にしても、まるで砂を噛んでいるようだという。

「結婚しなかったこと」「子どもを育てなかったこと」というのもあるが、
「子どもを結婚させなかったこと」を後悔する人もいるそうだが、これはどうもわからない。
ほかには、「夢をかなえられなかったこと」「感情に振り回された一生をすごしたこと」
「自分が一番と信じて疑わなかったこと」「生と死の問題を乗り越えられなかったこと」
「自分が生きた証を残さなかったこと」・・・。

最後の章は、「愛する人にありがとうと伝えなかったこと」だ。ひとりの患者さんが最期に
万感の思いを込めて、ありがとうを伝えられた話が載っている。

  3月の空

なかなか読み進まないわけが分かったような気がする。余命いくばくもない「そのとき」に
後悔することを、先取りすることになる。今のうちに先輩たちの「そのとき」の想いを
知って、これからの人生を全うすることができるといいのだが、私には難しい。

「そのとき」がいつかはわからない。数年後か、数十年後か、あるいは、明日かもしれない。
後悔だらけのわが身を振り返り、最期に自分の口で「ありがとう」を伝えられるといいのだが。
つれづれ

大地震から1週間過ぎて

2011年03月18日
巨大地震、津波、原発事故と、信じ難い出来事が連続して起こり、それがすべて
夢ではないとわかったときの衝撃は決して忘れられない。
3月11日午後2時46分に発生したこの「東北地方太平洋沖地震」は、東日本大震災、
東北・関東大地震、東日本大地震、東日本巨大地震などと様々な呼び方がされている。
冬型の気圧配置が強まった影響で広い範囲で雪が降ったりと、お彼岸だというのに寒い。
被災地では安否の確認がとれない人も多く、辛い避難所生活を余儀なくされている人を
を思うと、「計画停電」や交通の混乱ぐらいは大したことではないと、忍ぶべきだろう。

     駅
          東急蒲田駅改札                  3.17

節電は大切だが、ラジオをきいていたら、暗くなった街を走るトラックドライバーが
「無灯火の自転車が多く危なくて困る」と嘆いていた。不要なネオンや照明は消すのは
エコだろうが、自転車のライトは自家発電なのに・・・。

一昨日、地震後はじめてわが家にあったラジオを娘の家に持って行った。
途中、ガソリンスタンドには車、スーパーの前には開店前から人たちの長蛇の列。
朝、ラジオで聞いていたら、会社を休んでガソリンを入れに来たが、なかなか進まないと
ぼやく人もいた。交差点をまたぐ車の列も多い。ハザードランプを出さない最後尾の車を
信号待ちの車かと思って、後についてしまうこともあるという。そんなこともあるのか、
私が見たのはスタンドの人が最後尾で誘導している姿。彼らは休憩すら出来ない忙しさの中、
「頑張りましょう」という言葉に、2時間待ったことも忘れたという話をきいた。

   GSへの列
        ざっと数えたら50台は超えていた 中原街道沿   3.17

乾電池、懐中電灯などは数日前から姿を消しているが、パンや牛乳、米、インスタントや
レトルトの食品なども、トイレットペーパーやティシューなどの日用品までが開店と同時に
なくなるのだとか。不安になるのもわかるが、本当に必要なのは被災地なのにと思いながら
わずかに残っていた単三乾電池を買って店を出た。
 
  店内
                    スーパーの棚             3.17 
  
このところ、ラジオでもテレビでも「ACジャパン」のCMが頻繁に流れている。
娯楽や飲食などのCMは非常に少ない。今回の大震災で、多くの企業がCMを自粛した。
現在、ACジャパンの会員社である放送各局の判断で、ACジャパン制作の公共広告を
穴埋め的に放送しているというが、このCMに対して視聴者からのクレームがあり、
「視聴者の皆様に大変ご不快な思いをおかけしました」とお詫びのコメントを発表した。
現在は「東北地方太平洋沖地震」で被災された方々を応援する臨時キャンペーンCMを
企画・制作中とのことだ。
被災地の中には情報が入らないところもあるというのに、テレビでスーパーに並ぶ列をみて、
われ先に食料や日用品の買い溜めに走る人たち。イライラがつのってきているのかもしれない。 

ACジャパンのCMにはいつもハッとさせられる。      (モラルの低下に思う)   
今年のキーワードは「ヒューマニティ(人間性)」だという。
すべての人がもっている思いやりの気持ちを行動に移すことの難しさ。「こころ」はだれにも
見えないけれど「こころづかい」は見える・・・。ラジオではわかりにくいかもしれないが、
金子みすゞの詩「こだまでしょうか」は、ラジオでも十分に伝わる。心にしみいる作品だ。

     N)「こだまでしょうか」
     「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
     「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。
     「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。
     そうして、あとでさみしくなって、
     「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。
     こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
     N)やさしく話しかければ、やさしく相手も答えてくれる。
 

震災関係の番組ばかりのテレビに不満だった孫りんりんだったが、このCMは彼の心にも
スーと入って行ったようだ。わかっているつもりだがついつい・・・。私も気をつけなくては。 
旅・散策・イベント

アロエ

2011年03月17日
  アロエ  ユリ目 アロエ科アロエ属 
        学 名 Aloe arborescens
        原 産 アフリカ
              アロエ

日本には、キダチ(木立)アロエとアロエベラ(A. vera)が多く、九州、瀬戸内海、伊豆、
千葉など主に太平洋側に多く自生している。
「キダチ(木立)アロエ」の葉は肉厚でギザギザ、健康食品となるが苦い。
昔から俗に「医者いらず」といわれ、整腸や胸やけ、やけどにも効くらしい。花は橙色。

歩いたり自転車で図書館へ行くようになってから、花が少ない冬に線路の柵の中に咲く
アロエの花に気が付いた。前から一度スケッチしてみたいと思っていたが、ひっきりなしに
通る電車の騒音、車や人の通りも気になって、スケッチする勇気は起きなかった。

           アロエの花

今年1月のスケッチ会は横浜市の「港の見える丘公園」だった。
霧笛橋からベイブリッジが見える風景を描いたことも、ハマナスの花を描いたこともあり、
バラの季節に訪れたときにもローズガーデンは通り抜けて、イギリス館を描いたと思う。
この公園のローズガーデンは有名だが、冬の公園は花も少なく淋しい。近代文学館の裏に
アロエの花を見つけたときは嬉しくなった。アロエの花を描くことにした。

わが庭にもアロエの鉢植えがいくつかあり、庭に放ってあるが、どんどん大きくなっていく。
素焼きの鉢植のアロエを、猫の通り道と化した門の脇の隙間を塞ぐように置いていたのだが、
あるとき、この鉢が割れていた。根の勢いがよすぎて、鉢が小さくなったことは確かだが、
猫が倒したのか、風で倒れたのかは不明だ。
このことで、猫たちが門の下や、門の脇の隙間から出入りすること、そして、彼らには
アロエの棘などなんら問題ではないということがわかった。

       鉢植え  

一方、「アロエベラ 」の花は黄色で、葉の幅は広く長い。株の中心部の葉が成長し、
外側の葉は成長に伴い枯死する。寒さには弱い。食用には外皮を剥いたゼリー質が使用され、
ヨーグルトに入れたり、刺身などにされるという。

アロエ入りのヨーグルトが好きで、たまに買ってくる。そのうち、わが庭で収穫したもので
自家製のアロエ入りヨーグルトを作ってみようと思っていた。
だが、わが庭のアロエはキダチアロエ。葉は苦い。試してみる前に判ってよかった。

また、花が咲くものと咲かないものがあるという。鉢植えしているものは咲きにくいようだ。
鉢が割れたアロエはそれでも元気だ。地植えすれば、そのうち橙色の花をつけるかもしれない。
植物など

「風景印」 台東区 Ⅰ

2011年03月16日
昨年の夏、記録的な猛暑の中、上野の森近くの郵便局をまわった。
「いつ地震が起きてもおかしくない」「ここに来るのも最後かもしれない」と、頭の片隅で
思いながら歩いていたりしたが、これほどまでの地震が起きるとは想像できなかった。
谷中の岡倉天心記念館には、北茨城市の五浦海岸に建つ「六角堂」を模したお堂がある。

横山大観らと日本美術院を創設し、日本の伝統美術の復興に尽力した思想家岡倉天心の
住居敷地の一角、太平洋に張り出した岩盤の上に建つ「六角堂」は、今回の地震による
大津波で流されてしまったときいた。

台東谷中局
         六角堂
               岡倉天心記念公園   六角堂

「岡倉天心記念公園」は天心の旧居跡。園内の六角堂には天心坐像が安置されている。
「大名時計博物館」や「天心記念公園」には、3年前の春のスケッチ会で立寄った。
上野からコミュニティバス「めぐりん」に乗り、谷中、千駄木方面へ行ってからは
ほとんどスケッチせずに、散策の1日になったことを想い出した。

 谷中     時計台
  六角堂 大名時計博物館の時計      三崎坂谷中小学校前の時計台 
 
「大名時計博物館」は、勝山藩(現岡山県)下屋敷を陶芸家の故上口愚朗が買い取り、
収集した時計を展示してある。
谷中小学校の前には、この博物館の時計を模した大きな和時計が立ち、時を告げている。

上野局
  上野  パンダ
     Gパンダ 西郷隆盛像 桜              上野動物園
     国立博物館 旧寛永寺五重塔 

先月来日した2頭のジャイアントパンダの名は、4万通もの応募の中から、
「比力」は「力力(りーりー)」に、「仙女」は「真真(しんしん)」に決まった。(パンダの名前
    
           トーハク 2009.11
                 トーハク(東京国立博物館)本館

現在、上野の森は、大噴水の西側、都美術館と科学博物館の間の森に仮囲いができて、
文化の森「上野恩賜公園」再生整備事業が行われている。    (ただいま工事中 Ⅲ

            上野公園
                         上野公園

上野駅前局 
  上野駅前 アメ横
      上野駅 西郷隆盛像 アメ横           

アメヤ横丁は、JR御徒町駅と上野駅間の山手線に沿って伸びる商店街。
およそ400mの道には、400軒以上の店舗がある。
暮になると多くの買い物客で賑わい、その混雑ぶりは年末の風物詩となっている。

          上野駅
                         上野駅

台東桜木局    
   台東桜木   五重塔
       旧寛永寺五重塔 桜                  五重塔

江戸時代、寛永寺の敷地は上野公園一帯だったが、次第に縮小され、五重塔は、周辺に
上野動物園が開園(1882年)したため、現在は動物園内にある。
現存するのは、重要文化財旧表門「黒門」(輪王寺)、本堂、書院(東京芸大音楽部裏)、
清水観音堂(西郷隆盛像そば)、弁天堂(不忍池中之島)など。

上野七局  
   上野七   西郷像
        西郷隆盛像 上野の森                西郷隆盛像  高村光雲作

「上野の西郷さん」として100年以上も親しまれている隆盛像は高村光雲作、犬は後藤貞行作。
正面からの写真では頭部が大きく見えるが、これは像の足元から見上げた場合の遠近感で
適正に見えるよう計算されているためだそうだ。
(Wikipedia) 
旅・散策・イベント

菜の花の咲くころ

2011年03月15日
余震が続く中、今朝も震度3の地震があった。東京湾が震源地だという。
頻発する余震、原発事故の恐怖、計画停電・・・こんな状態が数ヶ月もつづくのだろうか。
被災地の方たち、大切な人の消息がわからないまま仕事をつづける人たちのことを思うと、
このくらいは何でもないのだが。
りんりんも臨時休校になった。卒業や終業、入学式の頃には少しは落ち着くだろうか。

早いものでもう3月も半ば。「三寒四温」とはよく言ったもので、温かくなったり、寒くなったり、
気温の差が激しいこの頃。このような時期、体調管理には充分注意しないといけない」が、
油断してしまい、ついに風邪を引いてしまった。いつものように咳だけが残ってしまった。

啓蟄から春分の頃の養生は、酸っぱい食品を少なめに、甘い食品を多く摂るといいそうだ。
春の野菜は、色鮮やかで香りが高く、美味しいものが多い。人参、カリフラワー、ピーマン、
玉ねぎ、セロリ、ニラなども多く食べるとよいそうだ。

気功の楊先生のオススメは、菜の花。苦味が人間の舌を敏感にし、血行の循環を良くして
身体を温める。
春は進学、就職、転勤など、生活環境が大きく変化する季節。菜の花は良質のタンパク質、
多種のビタミン、ミネラル類に富み、ストレス解消、疲労回復などの効果があるという。
「春眠暁を覚えず」と眠い時期。ほろ苦い菜の花を食べて、眠気を吹っ飛ばしさなくては。

春、中国江南に旅したとき、見渡す限りの黄色い絨毯を敷いたような油菜(菜の花)の
畑が印象に残っている。あんなにたくさんの油菜が菜種油になるのだろうかと驚いた。
     
         江南

桂林(広西チワン族自治区)と江南の水郷、烏鎮(浙江省)に行ったのは、9年前の今頃だった。
烏鎮は上海から高速道路を利用して約2時間のところにある。    ( 中国の人形劇
上海へ戻る途中、「養鴨場」でバスを停めてもらい、スケッチした。
小屋の周りもの満開の菜の花。花の黄色とアヒルの白のコントラストは強く印象に残っている。
浙江省の羽毛は有名だ。「羽毛布団」の広告などをみると、この光景を思い出す。
ついでながら、中国語の「鴨」はアヒルのこと。 日本でいうカモは、「野鴨」と書く。

      江南

その2年後、当時上海在住だったSさんと、江南の水郷、西塘(浙江省)に向う車中から
一面の菜の花畑を見た。4月の初めだった。           (江南水郷の春

日本でも各地で菜の花まつりのイベントが行われているようだ。
花屋さんの菜の花もいいが、空地の隅などに咲いている花を見つけると嬉しくなる。

         線路沿い

そろそろ「菜種梅雨」の季節に入る。しとしとと降りつづく暖かい雨は、いろいろな花を
咲かせる(催す)という意味で「催花雨(さいかう)」とも言うそうだ。 ( 菜種梅雨のころ
中国・中国の旅

地震から4日目

2011年03月14日
昨日、今回の大地震のマグニチュードは8.8から9.0に修正された。
単純に比較できないとはいえ、2004年のスマトラ沖のM9.1につづく大地震だという。
0.2上ったということは、地震の規模は2倍になるのだそうだ。

実は、大地震のあった夜、歩きつづけたため、脚がパンパンに脹れて痛くなった。
翌朝、整体院の電話がつながらず、湿布を貼って、家でずっとラジオをきいていた。
最新情報や今必要なことは何かといった、報道番組が組まれたりするが、その合い間に、
ビートルズの「LOVE ME DO」が流れたり、リスナーからのメッセージも次々に紹介され、
パーソナリティとリスナーとのやりとりもあったりと、ラジオは一方通行ではない。
感動したり、涙したり、腹をたてたり、励まされたり、手が止まることもしばしばだ。

ここ数日はどのチャンネルを回しても地震情報ばかり。情報は大切だと思うが、
繰り返し悲惨な画面が流されるテレビに暗澹たる気分になる。
夕方の子ども番組も放送されないていないときいた。幼児だけでなく、大地震を経験した
人には精神的なケアが必要だともいわれている。「グラグラ揺れる光景が目に焼き付いて、
坐っていても横になっても揺れているようだ。夜になると不安で堪らない」という女性。
3日経つ今日も、まだ、余震がつづいている。「船酔いのようだ」というのもわかる。

地震の翌日のラジオでは、どこで地震にあったか、その後、どうやって帰宅したか、
何時間かかったかなどのメッセージが多かった。「多くの店が地震発生を理由に早目に
店仕舞いしていたが、日本橋高島屋では帰宅困難者のために、1階フロアにありったけの
シートを敷いたり、椅子を集めて休めるようにし、飲物の提供もされていて、有難かった」
という声があった。私が立寄った東京の八重洲ブックセンターでもトイレや電話が開放され、
最新の交通状況をきくことができた。都の災害時帰宅困難者支援協定によるものだろう。

この情報化社会で希薄になった「人と人との絆」をあらためて感じたという声も多かった。
地震の日、帰宅途中の人たちの中にはハイヒールの女性もいた。そんな人のために、
自分が持っているだけのウォーキングシューズを「お使い下さい」と店頭に置いた女性、
また、自転車を貸し出した人もいたそうだ。
地震発生時の係員の対応に感心していたのは、映画館にいた人やプールで泳いでいた人。
保育園のお迎えが夜10時を過ぎたお母さんの話、80代の父親が何時間も歩いて無事に
帰宅した話など、小さな感動ストーリーもたくさんあった。

車でラジオをきいている仕事中のドライバーからも多くのメッセージが入った。
「今、ガスが止まったお宅に向かっているところ。待ってて下さい!夜中になっても
頑張ります!」とガス会社の人。渋滞の中、「東京から千葉までお客さんを送って戻る途中。
待っている人がいる限りつづけます」と頑張るタクシーの運転手さん。すでに夜中近かった。
コンビニへ配送担当のドライバーからのメッセージは「いつもならとっくに1軒目の店舗に
着く時間だが、車が動かない。まだ、半分くらいしか来ていない。ほとんどが乗用車。
ガソリンスタンドにも長蛇の列だ」という、生のレポートが寄せられる。

           コンビニ
                 ジャムだけが残るパンの棚

「避難指示はなくライフラインも問題ないわが市内でも、ガソリンスタンドには長蛇の列。
スーパーやコンビニからはパンやカップめんなどが消えた。品薄なのはわかるが、
早い者勝ちなのか、それほどまで備蓄しないとならないのか?」という女性の声もあった。
地震の翌日、わが町のスーパーの棚からパンが消えた。そのスーパー内のパン屋さんには
30人くらいの列。インスタント食品もなくなってしまった。これは、食品会社が被災地に
提供するためもあるらしいが、ティシューやトイレットペーパーまでなくなるとは!

ここ数日、誤った内容のチェーンメールがまわっているという。
そういったメールがきたときは転送しないようにとラジオでも盛んに注意を促していた。
「工場勤務の方からの情報として、コスモ石油の爆発により有害物質が雨といっしょに降る」
というようなメールがUさんから来た。すぐに、転送しないようにとお知らせしたが、
翌日、今度はHさんから「放射能汚染」に関するメールが来た。「原発事故により放射能が
漏れた。東京では風向きに注意する、窓や扉を閉めてひきこもる、食料や日用品は備蓄する、
甲状腺を守るため、昆布類やとろろ昆布をとるように」といったもの。
そのうち、スーパーや店から昆布がなくなるのではないだろうか。
因みに、こういったメールは、悪意のあるユーザーが騒動を起こすために送信したデマ情報。
「不幸の手紙」の一種。「この文章をできるだけ多くの人に知らせてください」等の拡散を
目的とした表現が使われる場合がある
という。

      渋谷
            渋谷スクランブル交差点 大型ビジョン 

節電に協力するため、渋谷の大型ビジョンが消灯した。ライトアップされていた東京タワーも
中止され、私が見たのが最後の晩になった。     (歩いた歩いた…黙々と
今日から東京電力の「計画停電」が始まる。4月いっぱいという。わが町がいつになるのかは
わからないが、今できるのは、わが家の節電を心がけ、不要な外出を控えることくらいだろうか。
今日、東急線も運休が多い。ラジオをききながら、たまった片づけをしようかと思う。
つれづれ

歩いた歩いた・・・ 黙々と

2011年03月13日
11日午後3時前、あの巨大地震に遭ったのは六義園でだった。
その後、余震がつづいたため、園を出たのは4時半を過ぎていた。(恐ろしかった1日

      駒込 16:30
         割れたワインの後始末に追われる酒屋  

都バスが4時過ぎに動き始めたため、運よく秋葉原行きのバスに乗ることができた。
バスでは身動きが出来ないまま約1時間立っていたが、あとで考えると、
この間だけでも重いバッグを持って歩かずにすんだことはラッキーだった。
このころまでは、何とか電話もメールもできた。

     バスの中 17:30 
     
5時過ぎにも茨城県沖(M6.7)の地震が起きたというが、バスの中で気が付かなかった。
秋葉原駅構内は「すべて運転見合せ」というアナウンスが繰り返されていて、
駅員に訊ねる人たち、電車が動くのを待ちながら柱に寄掛り坐り込む人たちもいた。
バス停にもタクシー乗場にも長蛇の列。歩く覚悟が出来た。秋葉原18時。

車道には車がぎっしり。歩いた方が早い。歩道では3列から5列になって行き交う混雑。
交差点を渡るのには一苦労。中にはヒールの女性、非常持出袋やヘルメット姿もちらほら。
オフィス仲間連れが多いせいか、おしゃべりしながら歩く人たちの中、ひとり黙々と歩いた。
「こんなとき、ディズニーランド行くと空いているかもね」と呑気な声も聞こえた。
このときは、液状化現象が起きていたことなど知る由もなかっただろうが。

    コンビニ
             
どこのコンビニを覗いてもパンやおにぎり、弁当などの棚は空っぽ。レジには人の長い列。
ケイタイは充電済みだったはずが、だんだん不安になり、コンビニで乾電池入りの充電器を
探したが、すでに1つも残っていなかった。実は、数年前から何度か充電器を買ったので、
わが家にいくつもたまり、姪にあげたこともあった。最近は持ち歩くこともなく、少々後悔した。
公衆電話を探すと、そこは必ず長い人の列があった。並ぶ間に大分進むだろうと歩き出した。

公衆電話 19:05  
               忍耐強く公衆電話に並ぶ列

     移動中         
       非常持出袋を背負う人         本日は満室   19:30

神田、日本橋、東京まで来た。八重洲ブックセンターの中は、エスカレーターにはロープが
張られていたが、帰宅途中の人たちのために、公衆電話とトイレを開放していたのだ。
昨日のラジオでも、三越や高島屋なども1階ロビーが開放され、毛布や飲み物などの
サービスも受けられて有難かったという視聴者の声も寄せられた。

      新橋 
                新橋着        19:45

新橋に辿り着いた頃、ホテルに泊まることも考えたが、当然ながら「満室」。
歩いていれば寒くはなかったが、それでも手は冷たかった。この日、いつもの帽子と
マフラー、コートを羽織って出たのはよかった。ポケットには毛糸の手袋。
病院の後、筋トレに寄ることも考えて、バッグには白湯入りのポットとTシャツも入っていた。
お腹が空けば、六義園で買った「しだれ桜せんべい」がある。野宿する気はなかったが、
いつか都庁でもらった「東京ハンディマップ」がバッグに入っていたのはとても助かった。

少し遠回りだったかもしれないが、気がつくと増上寺の前に出ていた。
ライトアップされた東京タワーと増上寺の解脱門、そして三日月が夢のように綺麗だった。
港区の防災無線が叫んでいた「不要な電力使用は控えて」の節電のお願いを思い出した。

     芝
        東京タワーと増上寺         「高速道路入口閉鎖中」

東急バスが動いているという情報を「八重洲ブックセンター」で得たので、第一京浜国道を
品川駅前のバス停まで行ってみたが、やはり、ここも人の列は普段の倍の長さだった。
歩いて行くと、乗りたかったバスが渋滞に巻き込まれていた。歩いて賢明だった。
足取りも少し軽くなってさらに行くと、品川区の健康センターが目に入り、トイレと
公衆電話を利用した。家に電話が通じただけでも有難いのに、公衆電話が無料なのは嬉しい。
そこから約20分の待機所までの案内を待つのは、横浜や千葉など遠い人が多かった。

国道からゼームス坂へ入りると、急に暗く感じた。歩く人も少ない。大井町(JR・東急線)
駅前のバス停に並ぶ長い列の横を抜け、バッグを右肩10分、左肩15分と掛け替えながら、
池上通をひたすら歩いた。以前、よく車で通った道だ。大森駅の手前の公衆電話から家に
3度目の電話をした。バッグが重いので、ごんさんに電動自転車迎えに来てもらうことにした。

環七を越えたあたりで、重いバッグから解放された。ああ―もう少しだ。
10時をまわっていたが、夕食抜きの2人はデニーズに入った。
歩いているうちはまったく気づかなかった余震がずっとつづいていること、わが家のガスが
止まっていることを聞いて驚いた。(古くなったメータは自分で復旧出来なかったが、
昨晩9時半、ガス屋さんにより解決。謝謝!)
30分後に出るとき、満席のために待つ人がいた。昭和通りや日比谷通りなどの小料理屋や
大井町駅付近の居酒屋が客でいっぱいだったが、これほどまでの恐ろしい巨大地震とは
思っていなかったのだと思う。

       歩いたアト 
           避難所への地図と持ち歩いた地図 
 
お馴染みの駅が見えて来たとき、警報機が鳴った。電車が動き出したのだ。12日0時4分。
途中、休憩はしたものの、約6時間の長丁場だった。秋葉原から京浜東北線に乗れば、
神田、東京、有楽町、新橋、浜松町、田町、品川、大井町、大森と20分程度だ。
このときの歩数は、最高記録の5万2千歩余。うち、地震後は3万5千歩。

帰宅後、もう歩かないでいいと思った途端、ふくらはぎと太腿が一気に痛くなった。
ガスが出ないのでお風呂も入れない。湿布をベタベタ貼って寝たが、寝返りにも一苦労。
おまけに余震で起こされる。水道、電気、ガス、通信網の有難さが身にしみた1日だった。
旅・散策・イベント

恐ろしかった1日

2011年03月12日
昨日午後、大地震「東北地方太平洋沖地震」が起きた。丸一日経った今も余震がつづいている。
地震の起きたとき、文京区の「六義園」の園内にいた。
病院が終わり、その足で風景印集印をしようと、春日駅(都営三田線)で下りたのが12時少し前。
小石川、白山と三田線に沿って北上したが、空模様が怪しくなり、傘をさす人もちらほら。
最終目的地の「六義園」は次回にしようと地下鉄の千石駅に行ったが、思い直して「六義園」に
向かった。外はすでに雨が止んで、妙に明るい空が広がっていた。

       六義園 
               14:35    六義園正門

「六義園」は、徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主の柳沢吉保が築園した、「和歌の庭」と
呼ばれる「回遊式築山泉水」の大名庭園。

        騒ぐカラス

池に浮かぶ「蓬莱島」を見ながら千鳥橋を渡り、池の周りをまわり始めたとき、やたらにカラスが
騒ぐので不気味だった。吹上の松の手入れをする職人さんを見上げた瞬間、地面がうねった。
吹上茶屋に腰掛けていた人や茶屋の人たちが「地震だ!」と叫んだ。
  
それまで静かだった池は波打ち、「蓬莱島」の岩が崩れ、松が倒れていた。
茶屋で休んでいたご夫婦と、緋毛氈の縁台の上に持っていた地図を広げ、どうやって帰ろうか、
など話している間にも、余震が度々あった。カラスの鳴き声はつづいた。
茶屋の土壁の一部が落ちたり、茶碗が割れたが、避難所にもなっている「六義園」の園内にいる
わが身は安心だが、外の様子がまったくわからない。

 蓬莱島
        地震前の蓬莱島  14:40             地震後の蓬莱島   

家や子どもたちが気になり始めたが、電話も通じない。地震後10分経って来た「大田区
安心安全メール」を茶屋から動けずにいる人たちに読みあげた。
このとき発表の地震の規模(マグニチュード)は7.9。(のち8.8と訂正された)

「無事なら連絡下さい」と息子からメールが入った。ごんさん、息子、娘に無事メールした。
保育園にいる孫娘2人はとりあえず安心だが、ちょうど下校時間のりんりんが心配だった。
その後、息子から運よく電話が入り、「日本橋から歩き出して、新橋に着いたが、
電車が動かないので歩いて帰る」とのこと。家からは「2階は少々被害があった」とのメール。
娘の方はりんりんを「学校まで引き取りに行った」とのこと。ひと先ず安心した。

          地震後の空

余震はつづいていたが、いつまでも園内にいるわけにいかない。あとは、歩いていけば何とか
帰れるだろうと、茶屋で「六義園しだれ桜せんべい」を買って門を出たのは4時半だった。
六義園前から、4時過ぎに動き出した都バスに運よく乗れたところまでは、よかったのだが・・・。
その後の8時間は覚悟したとはいえ、もう、2度とごめんだ。  (歩いた歩いた、黙々と
旅・散策・イベント

懐かしい北京の胡同

2011年03月11日
先月から北京の街を題材とした本画に取り掛かった。     (再び「北京の冬」を描く
1枚は鐘楼から見下ろした、雪が残る四合院の屋根、もう1枚は后海に近い胡同の門の画だ。

「胡同(フートン)」というのは、北京特有の昔ながらの路地。
北京には、元、明、清の三代の王朝によって作られた何千条もの夥しい「胡同」があって、
紫禁城(故宮)の周りを取り囲んでいる。正規の「胡同」は、故宮の東と西側に集中し、
街路に沿って南から北に整然と並び、そこの住民の多くは皇族や貴族たちだった。
一方、粗末な胡同は、故宮から離れた南北の2つの方向にあり、商人や庶民が住んだ。

「胡同」内の主要な建物のほとんどは「四合院」。「胡同」は、つまり、軒を接して並ぶ
大小さまざまな「四合院」の間を通る道のこと。
「四合院は、中央に庭を囲んで東西南北の四方に4棟の家屋をを対照的に配した
閉鎖的な構造の屋敷だが、住人の社会的地位によって繁簡大小の別がある。
「四合院」は、民国時代になると、都市環境は整備されることなく「胡同」は衰退していき、
1家族が居住していた「四合院」の多くは、複数所帯が雑居する「雑院」に変わっていった。

今年の春節、ご主人が北京に単身赴任されているHさんが北京に行かれたので、
私が8年前にスケッチした「胡同」がまだ残っているかを確かめて頂いた。
当時決して綺麗ではなかったあの辺りは、その後開催された北京オリンピックのために、
恐らく取り壊されてしまい、今風の建物に変わっているのではないかと思っていた。

     東煤廠胡同
                東媒廠胡同と雑院  西城区   2002.10 
 
1月末、寒い中を彼女は地図を頼りに探し当てて下さった。
「昨日、東煤廠胡同に行ってきました。后海からの氷の上を通ってきた風は一段と冷たく、
寒い中、迷いながら探して探して・・・。そして、あの写真の家を見つけました!
写真を添付します。
煉瓦部分は白く塗ってしまっていました。(前のほうが良かったのに・・・と、思います。)
あのあたり一帯は、保護地区なのか、(?)胡同はそのまま残っていました。
次回来た時は、スケッチに行きたいと思っています。」


2枚の画像とともに送られてきたメールで、私が描いたときと比べると、門や壁が塗られたり、
扉が替えられた程度で、ほとんど当時のままの姿で残っていたことがわかった。
まるで自分の故郷が残っていたように嬉しかった。バンザイ~!
 2002/2011
     2002.10  任さん        東媒廠胡同           2011.1
 胡同名 
   このとき10歳くらいだった任さんは、
   この中の四合院(雑院)に住んでいるだろうか。
   彼女の家の前でスケッチしていた私は
   彼女の質問攻めにあったことを想い出す。
   上空を飛んでいた飛行機を指さして
   日本語で何と言うかを訊ねられた。
   あとは、片言の中国語でどんな話をしたか
   忘れてしまった。

物売りの声が聞きとれなかったので、私も彼女に質問をした。
彼女は画用紙の上に「売国産帯魚」と書いてくれた。帯魚はタチウオのこと。
そういえば、物売りの声は北京の街の風物詩だと聞いたことがあるが、今でもまだ、
いろいろな物売りの人々がやってくるのだろうか。 
 
8年前の秋と冬の2回、わずかなフリータイムには、地図を片手に多くの胡同を歩いた。
簡単な紹介文が貼ってある胡同もいくつかあった。

           大耳胡同紹介
          形が人の耳に似ている「大耳胡同」 長さ約410m 幅8.5m  
               
?胡同
  中に理髪店がある四合院     2002.10      后海付近の胡同    2003.1 

先月、沈老師、黄老師の中国語講座でご一緒だったSさんからメールが来た。
突然ですが、当方転勤と相成りました。なんと北京です!!」
「今年の秋は北京へお出かけ下さい」
ということだった。
今年の目標が決まった。筋トレと気功に励んで、夏バテしないようにしなくては。
国慶節が終わり、秋から冬へ移り変わる頃がいいだろうか。秋が待ち遠しい。
中国・中国の旅

たまたま・・・

2011年03月10日
上野動物園に来日したジャイアントパンダの名前が4万件を超える応募の中から決まった。
オス「比力」は「力力(りーりー)」、メス「仙女」は「真真(しんしん)」だとか。
私の考えたのは、「敏敏(みんみん)」と「美美(めいめい)」だった。    (パンダの名前
因みに、メスの名前でもっとも応募数が多かったのは、「メイメイ」だったという。

たまたま置いてあった新聞のパンダの写真を見たとき、孫りんりん
「パンダは中国語でダァ ション マオと言うんだよね」と嬉しそうに言った。
そういえば、以前、ジャイアントパンダの中国語は「大熊猫(dà xióng māo)」と、
発音も教えたことがあった。
たまたま日本語と同じで、「大(ダァ)は大、熊(シィオン)は熊、猫(マオ)は猫」と書く。
「大」はジャイアント。「熊猫」はパンダのこと。
「あ~ そうか」と納得したようだったが、次に会うときまで覚えているだろうか。

たまたま目に入った、昔のアルバムをめくりながら、りんりんは訊ねもしないのに
1枚ずつコメントしていく。6年前の写真を見たりんりんは・・・。

         2005.6
               1歳半のりんりん     Sくん
 2005.7
  「う~ん こんなこともあったね」
  「あっ~Sくんだ。ふふ、デートしているみたい・・・」
  「そうそう、このころは電車が好きだった。
  今でも好きだけどね」

  りんりんの入園までの写真は物凄い量だ。
  300枚入のアルバムを半年で使い切っている。
  わが家にも保存しておいてと、娘に頼まれたこともあって、
  預かったメモリーカードから、プリントしただけでなく、
  CDにも焼いてある。
  
最近は、一緒に出かけたときやわが家に来たときに、私が撮った画像をパソコンに
保存する程度でプリントもしない。猫たちの写真の方がよほど多いと思う。

たまたま机の上の電子辞書を見つけて、あちこちいじり始めた。
「エはどうやるの?」「Eってあるでしょ」「ドは?」「DとO。ローマ字で引くの」
「バは?」「クは?「フは?」。「エドバクフ」「決定!」を押すが出てくるはずがない。
彼は「日中辞典」を引いていたのだ。
「大辞林」を出してあげると、再度「エドバクフ」「エドジダイ」を引く。
「これ、何て読むの?」徳川家康や慶喜は読めても、征夷大将軍は無理だ。彼は頑張る。
「こども国語辞典」を引けばいいと思ったが、江戸時代を知りたいのでなく、
電子辞書を使ってみたかっただけなのだろう。そして、それなりに満足した様子だった。

たまたま女流棋士の高橋和さんの特集を夕方のテレビ(NHK総合)で見たときのこと。
彼女の「子ども将棋教室」に釘付けになったりんりんが「ここに行きたいなあ」と言った。
やまと先生は「7歳から将棋を始めた」。りんりんは今7歳だ。 (りんりんの将棋修行
「横浜の教室だから通うのは大変だし、このテレビを見て、習いたいという子どもがいっぱい
だろうから、無理じゃないかな」。しばらくはごんさんに習ったらと言うと首を横に振る。
「女の先生がいいの?」と訊くと「いや~ そういうわけでもないけど・・・」。
どうやら彼は優しそうな女の先生が好きなようだ。現在の担任は若い女の先生だ。

       将棋 2010.3             

「将棋をやりたくなった」と、将棋盤に駒を並べ始めたが、夕食時間になったので「この次に」。
帰宅後は宿題や日記、ピアノの練習が待っている。夕食後はすぐに帰らないと・・・。
何しろ、昨年秋、猫のショータンが来てからの彼は、家ではダラダラとして、何をするにも
取掛るまでに時間がかかるそうで、挙句の果てに、日記には「きょうはとくに何もなかった」と
1行で済ませることもあるという。そんな話を母親から聞くとがっかりする。
まさか小学高学年くらいから訪れるという第2反抗期? それにしては早すぎるのだが。
身近な人びと

隅田川沿いを歩く

2011年03月09日
今月のスケッチ会は6日。「スカイツリーの見える風景」。前日はとても寒く、翌日は
朝から雪やみぞれが降り、やはり寒かったが、この日はとても暖かく春らしい1日となった。

浅草雷門(台東区)の大提灯の下に集まったのは6人。
春の隅田川沿いを歩いた。大き目のスケッチブックを持って行ったが、一度も開かなかった。
「梅まつり」最終日の向島百花園に立寄ったり、偶然入った東向島駅近くのイタリアンでの
ランチや長命寺の桜餅のティータイムもよかった。画用紙にこそ残せなかったが、
浅草から向島まで、ついて来たスカイツリーの姿とともに楽しい想い出になった。

この日、スカリツリーの高さは609mを越え、また、第1展望台(345m)が報道陣に
公開されたということを翌日のニュースで知った。
展望台がすり鉢状になっているために、下の方までよく見えることや撮影のときに
撮影者の姿がガラスに映らないこと、ガラスの汚れが少ないなどのメリットがあるという。

 雷門 仲見世
           雷門      10:00             仲見世から           

「隅田公園」は、隅田川の両岸(台東区、墨田区)の吾妻橋から桜橋付近までつづく臨水公園。
江戸時幕府によって堤に桜が植えられ、桜の名所として知られる東岸を歩いた。

吾妻橋 ― 隅田公園 (牛嶋神社)― 言問橋    
          10:30
             「隅田公園」から             10:30 

観光案内所でもらった地図を見て、向島百花園なら歩いて行かれそうだということになった。
通りかかったオジサンに道を訊ねると、自宅が百花園の近くだから案内しますよということに。
自転車を押しながら前を行くオジサンについて行くことになった。
   
言問橋  ―(三囲(みめぐり)神社)― 桜橋                 
                10:40 10:50
                    言問橋    10:40             10:50 
      
桜橋近くに「墨堤植桜の碑」、満開の河津桜の傍に「言問団子」の店と「長命寺の桜もち」で
有名な老舗「山本や」(1717年~)があった。
徳川家光が寺の井戸水を飲んで腹痛を治したことから名づけられた「長命寺」には寄らずに、
「長命寺の桜もち」で一服することにした。「今日は空いているよ」「いってらっしゃい。
このあたりで待っていますよ」とオジサン。丁重にお断りして店に入った。
   
        11:30
                長命寺の桜もち          11:30

3枚の塩漬のオオシマザクラの葉で包まれた桜もちは、葉の塩味と餡の甘さがほどよく、
こし餡は苦手の私だが、とてもおいしくいただいた。店を出ると、オジサンが路肩に
腰を下ろしている姿が目に入った。さりげなく待っていてくれたのだ。
その後、百花園の門の前までの15分間、再び自転車を押して案内するオジサン。
テレビの旅番組の中のような出逢いだった。

桜橋 ― 向島百花園 ― 東向島駅
百花園は梅まつりの最終日で、思ったより狭い園内は、梅の木より多い人、人、人。
スケッチは諦めて、東武線東向島駅近くのイタリアンレストランで遅いランチをとった。
メインディッシュ、パン、スープ、コーヒーまで、すべて美味しくてしかも安い。
こんなスケッチ会もいいものだ?、次のスケッチコースに、このレストランも入れて・・・と、
妙に盛り上がったランチタイムだった。

東向島駅から浅草へ向かう車中、業平橋(なりひらばし)駅でスカイツリーが目に飛び込んできた。
1台遅らせよう!とホームに飛び降りた。聳えるスカイツリー全体を視野に入れるために、
ひっくり返りそうになりながらシャッターを切った。やはり「百聞は一見に如かず」だ。

因みに、来春の開業時に「業平橋駅」は「とうきょうスカイツリー駅」に改称される。
これは、開業時の「吾妻橋駅」(明治35年)は「浅草駅」(明治43年)になり、
現在の「浅草駅」開業時に「業平橋駅」(昭和6年)に改称されたのに次いで3度目になるとか。

       14:30
            業平橋駅ホームから   609m          14:30   

帰宅後、ケイタイの歩数計を見ると、この日の歩数は1万5千歩を超えていた。
「いきいき歩数」は5千歩、58分だった。この5千歩は、川沿いを歩いたときのものだろう。
「いきいき歩数」は、有酸素運動の目安となる歩行を計測したもので、毎分60歩以上の
ペースで連続して3分以上歩いた場合に計測を始める。


隅田川の堤は、ひと月も経つと、スカイツリーと桜を観ようという人たちで賑わうことだろう。
今年の桜はどこで観ようか。人が少なくて、入場料が要らないスポットが近場にあるだろうか?
旅・散策・イベント

冬から春の空へ

2011年03月08日
昨日は朝から雪になった。一昨日の暖かさとはうって変わり、とても寒かった。

         雪の朝
                      雪の空          3.7 
     
冬の空は表情があり、眺めているだけで元気が出て来る。 (お正月の空

1月の空   東京都庁展望室より      
 都庁
           都庁
      スカイツリー方面                           1.27

2月の空
         阿佐ヶ谷
             雨上る        杉並区          2.18 
          
         洗足池
                        大田区          2.21
    
         早稲田
                        新宿区           2.23

         上池台
                        大田区           2.25

春の雲の多くは形をなさず、薄く一面に刷いたように現れるという。
ふわりと浮いて、淡い愁いをふくんでいる綿雲はいかにも春の雲らしい。

   土手の木の根元に遠き春の雲     中村草田男

3月の空
        隅田公園
       隅田公園
                    隅田公園             3.6

宮沢賢治は、春の雲を「恋愛そのものなのだ」と詠み、子規は「春雲は絮(わた)の如く、
夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如く・・・」「晨(あした)雲は流るる如く、
午(ひる)雲は湧くが如く、暮雲は焼くが如し」と記した。
(倉嶋厚『お天気歳時記』)
これからますます、こうした春の雲がみられる日も多くなる。
旅・散策・イベント

「風景印」 新宿区 Ⅱ

2011年03月07日
新宿区の「風景印」を置くのは16局。半分以上が副都心の高層ビルの近くやビル内にあり、
山手線の内側にあるのは5局。
早稲田には何度も訪れているが、墓参の折によく立寄る花屋さんの隣の郵便局(馬場下局)が
大隈講堂や穴八幡の「風景印」を置く局だった。

新宿北局 早稲田大学前局 新宿馬場下局
新宿北大隅講堂
    都電荒川線 大隈講堂                 大隈講堂 
 早稲田大学前  大隈重信像 
  大隈重信像 大隈講堂 穴八幡宮           大隈講堂と大隈重信像
馬場下荒川線
 大隈講堂  流鏑馬像 漱石誕生碑              都電荒川線

毎年10月に行われる「高田馬場流鏑馬」(区指定無形民俗文化財)の歴史は古い。
高田馬場は江戸幕府の弓馬調教所だったところで、流鏑馬は8代将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒
祈願のために復活させ、穴八幡宮に奉納された。その後、何度も中断、再開を繰り返したが、
昭和54年からは都立戸山公園内に会場を移して行われているという。

   流鏑馬  穴八幡 
      穴八幡宮 「流鏑馬像」                穴八幡宮


牛込局
 牛込 箱根山
  猫塚 学習院女子大正門 箱根山            戸山公園内箱根山     
   
     漱石公園
               漱石公園                   猫塚

漱石公園は、父たちが眠るお寺と近いので何回か寄ったことがある。
「歴史人物事典」に載っている野口英世、夏目漱石などに興味を持ち始めた
りんりんを連れて行ったこともあった。     (りんりんの課外学習

明治10年に建てられた学習院正門を移設した学習院女子大の正門は、重要文化財。
明治初期の文明開化時の様式と技術を伝える、唐草模様をあしらった和洋折衷の鉄門は、
埼玉県川口市の鋳物工場で作られた。

      学習院女子大
              学習院女子大・中等科・高等科 正門

四谷局 
四谷絵画館前
     絵画館  明治神宮外苑                  絵画館前     
   
  国立競技場 絵画館
         国立競技場                      絵画館    

国立競技場は、第3回アジア大会と第118オリンピック東京大会招致のため、
旧明治神宮外苑競技場跡地に建設された。

明治神宮外苑聖徳(せいとく)記念絵画館は、明治神宮外苑の一角にある美術館。
神宮外苑のシンボルともいえる存在で、幕末から明治時代までの明治天皇、昭憲皇太后の
功績を表した、歴史的、文化的にも貴重な80枚の絵画が展示されている。
青山通りからこの建物を見ると、絵画館が中心になるようにイチョウの並木が植えられて、
遠近法を用いて実際の距離より絵画館が遠方にあるように表現されているのが特徴だという。

昨年の9月、風景印を押したが、神宮外苑を訪れたのは10月半ばだった。
絵画館中央のドーム部分は改修中。イチョウの黄葉にはまだ早かった。
旅・散策・イベント

りんごの代わりに??

2011年03月06日
今日は24節気の1つ「啓蟄」。「啓」はひらく、「蟄」は「土中で冬ごもり中の虫」の意。
地中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、草木が芽吹くと同時に地上へ這い出してくる。

わが庭の猫たちも、そろそろ、ウッドデッキや芝生で昼寝をするようになるだろう。
この冬、彼らに人気があったのは、「しなのゴールド」のリンゴ箱。
隣に3階建の部屋があるのだが、とくに今年になってからは、この箱に一緒に丸くなっていた。
  
      
          「なんとなくサムイ」  1.25      
       クク
        「アッタカイね」  1.30
 
                      「入れて~」   1.15         
 トラ侵入
                         「クルシ~イ」   1.15 
  
   3匹
                     「今日もキツイ~」     2.20
     
   3匹
  「すこしズレテよ」  1.30     「押さないで~」  1.16    「入りま~す」  2.21

    4匹
          「1!2!3!4! ふう~ うまくいった!」    2.14

春も近い。そろそろ、このリンゴ箱の人気も落ちていくことだろう。
動物など

「サクラ咲くよ」

2011年03月05日
京大などの入試問題が試験中にネットの質問サイトに流出したという事件があったが、
大学入試もそろそろ終盤を迎えたようだ。
先月末、朝、病院に向うために、東急線大岡山駅で下りると、駅前は異様な雰囲気だった。
いつもは静かなロータリーが、東京工業大学へ向かう受験生や彼らにチラシを配る
予備校のスタッフであふれていた。学部の(前期日程)入試だった。

    東工大
             東工大前        背中に「努力は実力! K予備校」

見ていると、ほとんどの受験生はチラシには目もくれず、足早に横断歩道を渡って行く。
門の前には、ユニフォーム姿の運動部員たちが並んでいた。早くも、部員の勧誘だろうか。
この春、予備校生活になるか、大学生活が送れるのか、今の彼らにはそんなことを考える
余裕はないだろう。数十年前に味わった、あの緊張感をついこの間のように思い出してしまった。


早稲田夏目坂(新宿区)の墓参を終えて、早稲田大学まで足を伸ばしたときに見たのは、
街灯の「合格祈願 学業成就」と、宝泉寺の「早大 勝守り」の旗。

       早稲田南門通
        「合格祈願 学業成就」  宝泉寺     早稲田大学南門通り

合格電報が最初に登場したのは、昭和31(1956)年の早稲田大学。
そのとき使われた電文が、有名な「サクラサク」「サクラチル」だったそうだ。
次第に各大学が特色のある電報を使い始め、昭和50年代まで活躍していたとか。

       本郷
  「がんばれ 受験生 きっとサクラサクよ」     「きっとサクラサクよ」  
       (本郷商店会 文京区役所)             本郷郵便局

因みに、東京大学の合格電報は「ゴウカク」と「サクラチル」。見事な桜並木がある東工大は
「サク/チル」の前に「オオオカヤマノサクラ」がつく。大岡山の東工大の桜は実に見事だ。


この時期、郵便局で見たのは「合格お守りそろばん」と「キットメール」。
   郵便局
  「合格(5か9)お守りそろばん」  早大前郵便局   「キットサクラサクよ」キットメール        

「合格(5か9)お守りそろばんストラップ」は、1桁分だけのキーホルダータイプで、
上段の玉は枠に固定されて「5」を表し、4つの下段の玉はひと纏めで上下に動き、
「5か9(合格)」となる。これで合格間違いなし?
これは、400年の歴史があり、全国シェアの7割を占める「播州そろばん」のメーカーが
作ったお守りで、ほかにも知恵の輪や右脳トレーニングゲームなどを発売する会社らしい。

あまりにかわいいので、つい、「5か9そろばん」の値段(¥1050)を確かめずに
買ってしまった。孫のりんりんに学業お守りの代わりにあげようと思う。
ほかにも、「当確(10か9)お守りそろばん」もあるようだ。
旅・散策・イベント

懐かしいドロップス

2011年03月04日
保育園を休んだときの孫娘たちは、熱があったり、鼻水が出たりと、ご機嫌のいいはずが
ないのだが、昼を過ぎると、足の踏み場がないほど散らかった玩具の中にいる。
5歳の姉は、お店屋さんごっこに飽きると、「このお店つぶれちゃったの。こっちの店も。
いっきにつぶれたの」と言いながら片づける。商店街で閉店する店をよく見かけるのだろう。

そのうち、2歳のあいあいは、「抱っこ!抱っこ!」とグズリ始める。
だが、夕方4時になれば、NHKテレビの「おかあさんといっしょ」が始まるので助かる。
もっとも、ずっと大人しく見ているわけでなく、私が釘付けになってしまうこともあるが。

先日、「みんなの歌」(NHKテレビ)で「ドロップスのうた」をやっていた。
以前、きいたことがある歌だったが、アニメーションが可愛らしく、新しい歌のようだった。
宝石のようなドロップスの絵が綺麗で、画面のドロップスを追いかけていると、
一生懸命に見ていたゆうゆうに「ドロップスってなあに?」と訊かれた。
「ドロップはね~ う~ん キャンディーみたいな~ 果物の味がするアメかな?」と
答えはしたが、実際、はっきりわからなかった。

アメには、べっこうアメ、タンキリアメ、金太郎アメ、黒アメなどの和菓子のアメと、
洋菓子のアメがあり、洋菓子のアメの総称は「キャンディ」。
ドロップ、バタースカッチのようなハードキャンディ(高温で煮詰める)とキャラメルや
ヌガーのように中温で煮詰めるもの、あまり加熱しないゼリービーンズなどがあるという。
つまり、ドロップはキャンディの1種で酸味があり、果実の味や形に作ってあるのが普通。

995no04.jpg995no01.jpg
        台場一丁目商店街            復刻版?サクマ式ドロップス
   
ドロップといえば、あのドロップの絵がついた缶入りのドロップを連想する。
昨年、お台場(港区)「デックス東京ビーチ」に行った折、「台場一丁目商店街」を覗いた。
昭和30年代の下町を再現したというその商店街はビルの4階にあった。
「江戸屋」で麩菓子、すこんぶなどのほか、「サクマのドロップス」など、いろいろ買って、
翌日のスケッチ会に持って行った。「サクマ式ドロップス」は最年長のKさんの手に渡った。
後日、ご主人がとても懐かしがっておられたと、Kさんから伺った。
      
明治41年(1908年)、英国より輸入されていたドロップを、当時和菓子の製造をしていた
佐久間惣治郎が研究を重ねて、初の国産ドロップを完成したという。
それまで日本で作られていたドロップと異なり、クエン酸を使ったこの商品には
「夏でも溶けにくい」「見た目に透明感がある」等の特徴があった。
(Wikipedia)
日本では100年の歴史があるドロップスだが、缶入りが発売されたのは、大正に入ってから。

ちなみに、「サクマ式ドロップス」(佐久間製菓)と「サクマドロップス」(サクマ製菓)の
2社があり、佐久間製菓は、旧サクマ製菓の番頭が興した会社、サクマ製菓は、旧サクマ製菓の
社長の息子が興した会社であるという。

オランダの菓子ドロップが語源とされるドロップス。その昔は神様の涙だったのかもしれない。
    ドロップス
         ドロップスのうた    作詞 まどみちお  作曲 大中恩

  むかし 泣き虫かみさまが  朝やけ見て 泣いて  夕やけ見て 泣いて
  真っ赤な涙が ポロン ポロン  黄色い涙が ポロン ポロン
  それが世界中に 散らばって  今では ドロップス
  子どもがなめます ペロン ペロン  おとながなめます ペロン ペロン

  むかし 泣き虫かみさまが  悲しくても 泣いて  うれしくても 泣いて
  すっぱい涙が ポロン ポロン  あまい涙が ポロン ポロン
  それが世界中に 散らばって  今では ドロップス
  子どもが食べます チュルン チュルン  おとなが食べます チュルン チュルン
つれづれ

桃の節句

2011年03月03日
今日は五節句のひとつ、「桃の節句」。「上巳(じょうし)の節句」ともいわれる。
「上巳」というのは3月第1の巳の日のこと。古代中国ではこの日を厄日とし、
人々は自分の身代りの「人形(ひとがた)」にけがれを移して、川に流していたという。
これが日本に伝わって、平安時代には、人形を川に流す風習が、次第に貴族の
女の子たちの「雛遊び」と結びつき、雛祭りの起源となったようだ。

       997no02.jpg
            紙製の雛人形    大田区立図書館児童室

流し雛を経て、雛飾りらしきものが作られたのは室町時代。材料は紙や布で、
男女一対の綺麗な着物の立姿だった。
男雛は衣冠束帯、女雛は十二単。王朝風の姿に落ち着き、坐ったのは江戸時代。
左に男雛、右に女雛を飾った。これは、日本では、左が上位と考えられていたためで、
天照大神がイザナギの神の左目から生れたという神話からきているといわれる。
京都御所の門の太陽が昇る東側が左京区、西側を右京区。
また、明治初期までつづいた太政官制度でも、左大臣が位が上だった。

それが、昭和になると、男女や内裏雛の並び方も、男が右で女が左と変わっていった。
中国には「右に出る者がない」ということばがある。また、西洋の「神の御手」は右、
インドでも左手が不浄とされているなど、多くの国で右が上位と考えられていた。
開国後の日本にこうした考え方が入って来てから、男女の並び方も内裏様の並べ方も
変わったというが、京都など、伝統的な並べ方で飾っているところもあるという。

旧宅時代
   わが家のお雛さまは、この2月に86歳になった母が
   生れた時のものだが、内裏雛に比べると三人官女や
   五人囃子が小さく、1度に揃えたものではないそうだ。
   ボンボリは、中に蝋燭を点した時に周りの布を焦がし、
   買い替えたそうで、妙に大きい。
   右大臣の矢羽が剥がれ落ちてしまったり、
   五人囃子の太鼓のバチを紛失したりと、
   小物類は不揃いだが、気品ある顔立ち、
   上品な着物の人形たちは、恐らく、昔のままだ。

 
    雛段前の1歳になったばかりの娘

母はずっと伝統的な並べ方をしている。旧宅時代、床の間に雛壇を組立てて
「お雛さま」を飾るのはひと仕事で半日がかり。片付けるのはさらに大変な作業だった。
お雛様は、毎年、4月くらいまで飾っていたような記憶がある。
だが、新居になってからは段を組むことが出来ずに、母がお茶の稽古をする和室に
内裏雛、三人官女、右大臣左大臣、五人囃子とお道具類を飾るだけになった。
今年は金屏風も省略した。      
  内裏雛

昨年、目黒雅叙園(目黒区)の百段階段に飾られた、山形に江戸時代から伝えられてきた
雛人形に出逢った。(「山形ひな紀行」)    
酒田市は、ごんさんの赴任中、何度か訪れたが、残念ながらこの時季には行ったことがない。
大切に守られてきたお雛様を鑑賞しながら、冬の酒田にいるような気がしたことを思い出す。

私の部屋には、富岡製糸場(群馬県)で買った「繭の雛」を飾った。 (我が家の雛人形
片づけるのは簡単だが、しばらく飾っておくことにした。
つれづれ

春のあし音

2011年03月02日
3月は「弥生」。語源は、「木草弥生(いやおい)月」が変化したものとされる。
「弥(いや)」は、「ますます」とか「いよいよ」の意味。
草木がだんだん芽吹く月であることから、「弥生(やよい)」と言われるようになったという。

日脚が延びて、淡く柔らかい春の光が感じられるようになった。
夜明けも早くなり、小鳥のさえずりで目が覚めることもあった。
起きるにはまだ早いと、ラジオのスイッチを入れてから、うとうとしてしまうこともある。
「光の春、気温の春、音の春・・・」という、気象予報士の声が耳に飛び込んできて、
やっと目が覚める。

「音の春」でもある。耳をすませば、いろいろな春の音が聞こえてくる。
小鳥のさえずりも賑やかになった。これは鳥たちの縄張り争いだとか。

小鳥
              2.20                             2.22 
     
「梅に鶯」というが、窓から見ていると、満開の紅梅や白梅ではなく、楓の枝や脚立の上を
忙しく移動しながら「チャチャチャ・・・」とたて続けに啼く鳥は、ウグイスのようだった。
春を告げる鶯の初音もそろそろだ。わが庭で聞いた昨年の初音は3月15日だった。

猫たちも忙しくなる。「猫の恋」「猫の春」「春の猫」も春の季語だ。
もっとも、わが庭の猫やさいとうさんのところに集まるほとんどの猫は手術済み。
実に大人しいものだ。

        クク
                春の光のなかで

日に日に暖かくなり、新しい芽をふき花を咲かせる草木。春を待ちわびる頃になった。
卒園式、卒業式、別れの春が過ぎると、桜の季節だ。
今年の桜の開花予想日(2/18 ウェザーマップ社発表)だが、3月は名残りの寒気の影響を
何度か受けるため、平年並みか、少し早く開花するとのこと。東京では今月27日頃とか。
花粉は先月18日から飛び始めたという。嬉しいことばかりではない。

4月、孫りんりんは小学2年生、ゆうゆうは年長のキリン組、あいあいは2歳児うさぎ組だ。
私も基礎代謝と免疫力アップを目標に通う「筋トレ」が2年目に入った。
つれづれ
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