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働かないアリと働くハチ

2011年05月31日
先日、ラジオを聞いていて驚いたのは、『働かない蟻に意義がある』という題名と
この本の著者である、社会性昆虫の研究者長谷川英祐氏の話。
働きものというイメージがあるアリだが、実際に働いているアリは全体の2割程度で、
7割は自分の体を舐めたり、ぼーっとしている。一生何もしないアリも1割程度いる
とか?!

そういった一見役に立たないアリたちが組織を支えている。例えば、最初に食料を見つけると、
アリはフェロモンを出しながら移動。それを道しるべにほかのアリたちは食料に到達する。
たまに、道を外れたアリが先に食料にありつく。長い目で見ると意外に効率がよいとそうだ。
人間社会でいえば、飛び込み営業が稀にうまくいくケースがあるのと同じようなものとか。

アリには上司、リーダーは不要。それぞれが勝手に仕事をしている。働きアリも疲れて休む。
働かないアリがいる方が、全体で見ると「だれも仕事をしない時間」が減るのだという。
幼虫や卵の世話は少しでも中断すると集団全体の死につながる。アリは子孫を残すために、
わざわざ働き方に差が出るような仕組みをとり、自分たちの兄妹を育てていくのだとか。

小学校の掃除当番のことを思い出した。当時、放課後の教室掃除は当番制で、50人近い
生徒のうち、掃除当番は10人ほどだろうか。全員が真面目に掃除することはなかった。
廊下で走り回ったり、箒でチャンバラごっこをしたり、遊んでいる生徒が必ず数人はいた。
それでも教室はそれなりにキレイになったものだ。

ハチはどうなのだろうか。人間以上に役割分担がはっきりしているミツバチの社会は、
1匹の女王バチと雌の働きバチ、少数の雄バチで構成される。
産みつけられた卵は、女王バチ、または働きバチのいずれにもなる可能性があるという。
女王バチ候補にはローヤルゼリーが、働きバチの幼虫には花粉、蜂蜜が与えられるという。
ミツバチの世界は不思議なことが多いが、はるか昔から蜂蜜、ロイヤルゼリー、プロポリスと、
人間たちは彼らの恩恵に預かっていることは確かだ。
    九品仏川緑道
                          九品仏川緑道

自由ヶ丘(目黒区)では、2年前から「自由ヶ丘森林化計画」の一環として、街のど真ん中で
ミツバチを育てる「丘ばちプロジェクト」が始まった。      (自販機いろいろ
銀座中心部でハチを育てる「銀座ミツバチプロジェクト」の西洋ミツバチを分けてもらい、
ビル屋上で西洋ミツバチの飼育を開始した。

先月初め、テレビ(NHK)で、この「丘ばちプロジェクト」をとりあげていたが、リポ―ターが
自由ヶ丘駅前から「丘ばち」が飼育されているビルへ向かう道は、見覚えのある通りだった。
どこのビルか明らかにできないとかで、一旦、映像は途切れ、ビルの屋上の中継になった。
「丘ばち」の蜂蜜を使ったスイーツなども紹介されたりと、自由ヶ丘がより身近に感じられた。
頑張っているのは「丘ばち」と「丘ばち隊」だけでなく、庭や店先で花や緑を育てている
人たちの努力もあってのことだろう。

さらに、今年の3月下旬、「みつばちあ~赤坂Bee Townプロジェクト」が始まったことを
ラジオで知った。港区赤坂にあるTBS放送センター8階の低層階屋上にミツバチの巣箱が
設置され、およそ8万匹のミツバチたちがやって来たそうだ。
「みつばちあ」とは、「みつばち」と「チア(元気にする)」を合わせた造語。
「みつばち」で赤坂を、日本を、みんなを元気にしたい、という思いから命名されたという。

夏前までの3~4カ月間、ミツバチたちは皇居や新宿御苑、日比谷公園などへ出かけて、
たくさんの花の蜜を集めてくるのだとか。「丘ばち」たちに比べると、行動範囲は広いこと!
どうやら、働きバチたちはサボっている暇はなさそうだ。

赤坂は遠いが、「丘ばち」はひょっとすると、わが庭にも飛んで来るかもしれない。
ミツバチは環境指標生物とされているそうだ。街の中に連れて来られた彼らのためにも
花や緑が豊かな、汚染されていない環境を守っていかなければと思うのだが。
動物など

より小さく よりカラフルに

2011年05月30日
鉄道好きの女性「鉄子」やスイーツ好きの男性「スイーツ男子」など、男女間の趣味や好みの
ボーダーレス化が進んでいるらしいが、プラモデルの世界にも女性が参入しているという。
今の子どもたちの主な遊びはゲームだ。少子化の影響もあり、プラモ人口は減っているという。
それが、最近、玩具店や家電量販店などのプラモデル売り場に女性の姿が目立つそうだ。

はるか昔の話だが、男兄弟のいない私でも、小学生の頃、街で見かけた「コロナ」などの
車のプラモデルを買ってきて、説明書を見ながら作った記憶がある。
何かの雑誌の影響だったのか、それとも誰かに影響を受けたのかはまったくわからないが。

長い間「男の趣味」とされてきたプラモデル作りやジオラマ作りに夢中になっている女性を
「プラモ女子」と呼ぶらしいが、彼女たちは、男性とは一味違って、ヤスリをかけたり、
好きな色に彩色したり、キラキラに飾ったりと、個性的な作品つくりを楽しんでいるようだ。
ネイルアートやお化粧と同じ感覚なのだろうか?

また、最近、若い女性に人気があるのが「ナノブロック」という世界最小のブロックだ。
組み合わせることで建築物や動物などを作ることができるのは、レゴやダイヤブロックなど、
従来のブロックと変わらないが、大きさは半分程度(最小4×4×5mm)と非常に小さい。

       ナノブロック
            厳島神社    金閣寺     東京タワー

文具店で見たのは、東京タワー、金閣寺、姫路城などの建物(¥1500程度)だったが、
パンダ、ウサギといった(100~150ピース)ものは、30分ほどで作ることができるし、
完成品は手のひらに載る大きさで、インテリアとして飾ることができるのがいいのだろう。
作り方説明書付きで700円前後と値段も手ごろ。ほかにも、インコ、ミドリガメ、キリン、
アメショーなどの動物や招き猫やグランドピアノといったものもある。
  
 ウサギとオウム

このシリーズの作品はごんさんの実家で初めて見た。テレビ台に飾ってあったウサギとオウム。
聞きそびれたが、恐らく、姪の祖母へのプレゼントだろう。姪もいつの間にか、ハタチを過ぎた。
今度、どこかで見つけたら、招き猫かアメショーを買ってみようかと思う。
アメショーは、孫りんりんの弟分?である猫のショータンとはあまり似ていないが。
  1079no02.jpg
  また、ペンタックスとのコラボで、
  コパクトデジカメラも販売されている。
  カメラ前面へナノブロックを組み込める
  プレートがついていて、
  自由にデコレーションして楽しめるらしい。

  ナノブロックを見た文具店には、
  手のひらよりも小さいデジカメ(¥4830)があった。
  トイデジカメというものらしいが、
  まるでキーホルダーだ。
  

中には、USBポートやパソコンに直接挿せ、充電もパソコンというカメラには驚いた。
勿論、写真、動画(200万画素)もOK。こういったデジカメも若い女性の間で流行りそうだ。
つれづれ

枇杷の樹

2011年05月29日
昨日、東海、関東甲信地方の梅雨入りが発表された。昨年より17日、平年より12日早く、
関東甲信では、統計を取始めて以降2番目の早さとか。だが、梅雨明けが早くなるわけでなく、
2ヶ月近く梅雨空がつづくことになる。1年の6分の1ということ?!

         ビワ 5.27 

ビワが黄色い実をつけている。あの枇杷の花からは想像できない可愛い実だ。
中国南西部原産のビワ(枇杷)は、古く仏教と共に日本に伝わったと言われている。
果実は咳、嘔吐、喉の渇きなどに効果があるほか、缶詰、ジャム、果実酒にもなる。
また、「大薬王樹」と呼ばれる枇杷は、民間療薬として、万病に効くと言えるほどの薬効がある。

枇杷の木を庭に植えると、病人が出る、不幸になるといったことを聞いたことがあるが、
何故だか不思議だった。調べてみるといろいろな説がある。
常緑広葉樹の枇杷は大木になるため、庭が薄暗く、家屋も薄暗くなり通気も悪くなるという説。

昔、中国では、枇杷の樹の下に、万病に効く葉を欲しがる病人が集まって長い行列が出来た。
病人が病気を置いて行くので縁起が悪いと考えるようになったという説。    

「桃栗三年 柿八年 枇杷は早くて十三年」「…枇杷は9年でなりかねる」と言われるように、
本来温暖な土地で育つ枇杷の木は、寒冷な土地では植えた人が死ぬ頃にやっと実を結ぶと
いうことになるらしい。
                  暗闇坂 2009.5.19
                  古い洋館と枇杷の木 台東区
                    
また、枇杷には人の生命力をとる霊妙な力があると思われていた。寺に植えられることが
多いため葬式と関連付けられたり、「棺」になったり、葬式のときの天蓋につけるので、
嫌う地方もあるそうだ。いずれも不吉な死や死者を連想させるからだろう。

庭はいろいろな作業を行う場所だった。庭は神が出て遊ばれる清いところで、花木は神を祀る
ためのものだった。そのため枇杷が持ち込まれれば、庭は不吉と神聖の交錯する場所となる。
その結果、何らかの影響が植えたものや所有者、家人に及ぶと考え、戒めたのでは?
とも。     
(『語り継ぎたい「日本の言伝え」茶柱が立つと縁起がいい』 黒塚信一郎 著


近所の崖下の道に沿っていろいろな木々があるが、1ヶ所だけ薄暗い。
道に覆いかぶさるように伸びた枇杷の木のせいだ。花が咲いたり、実がなっているときに
立ち止まることもあるが、たいていは足早に通り過ぎてしまう。   (枇杷の花

葉の形が楽器の琵琶に似ているところから名づけられた枇杷の木は、インドの仏典では、
木は「大薬王樹」枇杷の葉は「無憂扇」と呼ばれたように「枝、葉、根、茎ともに大薬あり」
万病に効くという。中でも葉は、温灸や湿布のほか、煮出して入浴剤にしたり、枇杷茶にして
飲むなど親しまれている。江戸時代には「枇杷茶」を売る商売もあったという。
枇杷茶
呼吸器が弱く、咳がつづくことが多かった頃、
鍼灸の楊先生に勧められたのが「枇杷茶」だ。
お茶は陰干しした葉を細かく刻んだものだが、
富澤商店で買って飲み始めた。
それが効いたのかどうかわからないが、
このところ、長引く咳に悩まされることも
ほとんどなくなったので助かっている。

鎮咳、去痰、胃腸 皮膚炎、かぶれ、湿疹など、
殺菌作用、血液の浄化作用もある。
枇杷の樹は、やはり言うことなしの「大薬王樹」だ。
植物など

不活発ではないけれど・・・

2011年05月28日
週3度を目標に頑張っているフィットネスクラブ通いだが、震災後、壁に「生活不活発病」
「震災太り」について書かれた紙が貼られた。筋トレをしながら目に入るようになっている。

「生活不活発病」という名は、ラジオでよく耳にしていたが、「震災太り」は知らなかった。
少々思い当たることもあってドキリとした。
これは、地震への不安から外出しなくなり、運動不足や過食になり、太ってしまうこと。
対策は「炭水化物に偏らない食事」「規則正しい日常生活」「気分転換(運動)」。
つまり、このフィットネスクラブに熱心に通えば大丈夫ということだろうか。

「生活不活発病」は、「廃用症候群」とも呼ばれ、安静状態が長期に渡って続き、
生活が不活発なことが原因で心身機能のほとんど全てが低下すること。
特に病床で寝たきり状態でいることによって起こる症状が多い。
安静による筋力低下は、1週目で20%、2週目で40%、3週目で60%にも及ぶという。

災害などをきっかけに、外出が減り、座りっぱなしになるなど生活が不活発になりがち。
新潟県中越地震では、被災高齢者の約3割の人が歩行が困難になり、うち3割が
半年後も回復しなかったいう調査もある。

被災者ではなくても、以前に比べて体を動かすのが減った人もいるという。
外出頻度や活動量などの変化が調べられる「生活不活発病チェックリスト」(厚労省)がある。
チェックリストに記入するまでもなく、まだ、この病気には罹っていないと思っているが、
もし、避難生活を送ることになったら、物ぐさな私はどうなるだろう。
あちこち気ままに出歩く今までの生活ができなくなったら、動かなくなってしまいそうだ。

       チェックリスト
「予防のポイント」は(厚労省「避難所用チラシ」
・毎日の生活の中で活発に動くように。(横になっているより、なるべく座りましょう)
・動きやすいよう、身の回りを片付けておきましょう。
・歩きにくくなっても、杖などで工夫を。(すぐに車いすを使うのではなく)
・避難所でも楽しみや役割をもちましょう。(遠慮せずに、気分転換を兼ねて散歩や運動も)
・「安静第一」「無理は禁物」と思いこまないで。(病気の時はどの程度動いてよいか相談を)


もともとチェックリストの類は好きでよくやったものだが、最近は、面倒になった。
病院や診療科にはじめてかかるときなどに書かされることも多いが、「はい・いいえ」や
「○×」では表せないことが多い。「どちらともいえない」の選択肢もたまにはあるが、
真面目に考えるほど難しく苦手だ。待合室で看護師さんがチェックリストを見ながら
質問する病院もある。待ち時間と診療時間の短縮のためには仕方ないのだろう。

できるだけ病院通いをしなくて済むように、気功、筋トレで身体を整えることにしよう。
「節電」の夏、車内や室内と外気温の温度差が少なくなれば、冷え過ぎに助かる。
花粉も黄砂も少ない夏は、朝のうちは巨樹巡りや郵便局巡り(風景印集印)、
日射しの強い昼には博物館や美術館、あるいは図書館で過ごすもいいかもしれない。
つれづれ

イヌVSネコ

2011年05月27日
「徹底比較! イヌVSネコ」。先月の『アインシュタインの眼』(NHK BS)は面白かった。
スーパーカメラを駆使して、「犬と猫」の違いを徹底的に比較することで、
猫あるいは犬だけの観察では見えてこない本質を明らかにするというもの。
2人の犬好きのゲスト、猫好きのゲストはそれぞれが飼っている犬や猫の魅力を語るが、
そんな彼らも知らないことがたくさんあった。

犬は人懐っこく従順で、猫は自由気ままといわれるが、まず、狩りの仕方が違う。
犬は集団で狩りをするのに対して、猫は単独で狩りをする。
「走り方」も「ジャンプの仕方」も犬と猫では全く違うという。
猫は瞬発力に優れ、体の柔らかさを100%生かしてジャンプする。

わが庭で子どもを産んだチビが、子猫を口にくわえたまま2m近い万年塀を駆け上って、
お隣りの庭に下りた。何の足がかりもない垂直の塀だ。このときほど驚いたことはない。
そのときのチビの子猫はどうなったかわからないが、その後、チビケシククたちを、
半年後、アミ、トラ姉妹と里子に行った2匹を生んで、わが庭でしばらく母親をしていた。
やっとのことで、捕まえて避妊手術を施したが、それから1年もしないうちに姿を消した。

     チビと
    ケシ&クク 生後1ヶ月    ケシ&クク 生後7ヶ月 アミ&トラ 生後1ヶ月  

「ジャンプ力」に優れる猫は、「走り」では、重心移動が少なく持久力に優れた犬に負ける。
犬は脊柱をまっすぐに伸ばしたまま走り、上下動しないが、猫は脊柱をバネのように
曲げ伸ばししながら走るため、上下動が大きい。そのために、疲れてしまうらしい。
そういえば、猫たちを見ていると、まるでスキップをするようにチョコチョコと走っている。

餌の食べ方や水の飲み方も随分と違う。カメラは透明な板の下から舌や口の動きを捉えた。
決まった時間に一度に食事をする犬は、舌で餌を包み込むようにして口に運ぶ。
「犬食い」というのか、回りはかなり散らかってしまう。
一方、猫は、思い思いの時間に、お腹が空いたらやって来てのんびりと食べるそうだ。
彼らは歯でつまみ上げるようにして食べる。

確かに彼らがドライフードを食べていると「カリカリッ カリッ」と音がする。
わが庭の猫たちは、食事に関しては家猫と同じで、いつでもありつけると安心しきっている。
1匹ずつ現われては3口、4口と食べただけでさっとどこかへ行ってしまう。
器に残したままにしていると、わが庭の通行証を持っていない猫が食べに来ることもあるし、
これからの季節は蝿がたかったりするので、食事の管理も結構面倒なのだ。
「1度に来てくれよ」とごんさんは言っているが、それは無理というもの。

また、同じように見える「水の飲み方」も違うらしい。
犬は、舌で水を掬いあげるようにして飲むというが、猫は、丸めた舌先が水面に触れた後、
素早く引き上げる。舌の裏面の糸状の小さい棘に張り付いた水が持ち上げられた瞬間、
口を閉じて水を飲むという。物凄いスピードだ。

     トラ 2010.11
                 水を飲むトラ

生れて間もない猫がお乳を飲むとき、兄弟で無駄な争いをしないために、自分の飲む場所が
決まっているのだとか。それも2、3日で決まるそうだ。お乳の出がいい脚の付根の方が、
もっとも強い子猫のものとなるとか。犬はとくに決まっていないという。

祖先が同じなのに、長い歴史の間に、「犬と猫」がこれほどまでに違ってきたとは驚きだ。
ここ数年、私の周りには猫しかいなくなった。自由気ままでストレスがなさそうな猫たち、
彼らを見ていると、羨ましくもあるが、どちらかといえば、やはり私は「犬派」だ。
動物など

北京の家常菜

2011年05月26日
清朝末期の最高実力者西太后は「医食同源」の薬膳料理で美と長寿を得たといわれる。
何でも70歳を過ぎて、肌年齢は20歳以下だったとか?!
当時、内府大臣だった祖父から西太后の日常食のレシピを受け継いだ女主人の店
「厉家菜(Lìjiācài)」が北京の羊房胡同11号にある。四合院の奥にある看板もない
隠れ家のような店だ。北京の東単や日本の六本木にも支店があるという。

先週、Mさんから「BS(NHKBS『旅のちから』)を見て!」と電話があった。
フランス料理を専門とするフードプロデューサー狐野扶実子さんが、「医食同源」の真髄、
薬膳の料理法を知るためこの店を訪ねた。彼女のプロフィールや「厉家菜」の料理には
さほど興味は抱かなかったが、彼女が特別に厨房で4日間の修業をすることになってからは、
厨房の雰囲気も暖かいし、女主人や料理人たちと交わすことばも少しはわかったので、
ますます画面から目を離せなくなった。

だが、何と言っても、后海沿道や近くの胡同が映ったときは懐かしさでいっぱいになった。
9年前、后海の周りを歩き回ったこと、迷子になって待ち合わせの場所に行くまでに
何人もの人に道を訊ねたが、なかなか辿りつけず泣きたくなったこと、今ではいい想い出だ。

翌日は、気功の後、Kさんと2人、北京から戻られたHさんとランチをすることになっていた。
帰宅してからゆっくりと「厉家菜」のことを北京のSさんにメールすることにした。
自由ヶ丘から3人で大井町線戸越公園駅へ。「西红柿炒鸡蛋」(トマトの玉子炒め)の美味しい
お店にHさんが連れて行って下さった。この料理は文字通りトマトと玉子を炒めただけの、
いたってシンプルな家常菜(家庭料理)だが、中国料理の店でもあまりお目にかからないし、
自分で作ってもあの味が出ない。憧れの菜だ。          (中国の主食とお茶
      
           西红柿炒鸡蛋

西红柿炒鸡蛋、刀削麺、炒飯、餃子などをとったが、どれも美味しく、しかも安かった。
「近くにこういった店があればいいのにね」と言いながら店を後にしたまではよかったが、
家近くまで来て、店に帽子を忘れたことに気づいた。Kさんから「帽子を忘れたわね。また、
行ってもいいのでは!」とのメールをいただいたので、次回の気功の後に行くことにした。
北京の「厉家菜」もいいが、東京の中国人経営のあの店は安いし美味しいし、私向きだ。

帰宅後、北京のSさんから「私の北京ホッとニュース」が来ていた。
彼女はすでに「厉家菜」の番組を見たそうだ。
・・・早速行ってみようと思っていたところに婦人会の方から別件で電話有り。
さすが我が婦人会(笑)このレストランに行かれたことがあるとか。コース料理のみで
最低500元(もっと値上がりしてるかも???)おいしかったけど、500元の価値があるか
どうか?とのことでした。でも、一度は行ってみたいので、連絡先等調べてもらいました。
来燕の節はいかがですか?北京へ来ること「来燕」ていうそうです。へぇ~でした。


なるほど! 「燕京」に来るから「来燕」と言うということなのだ。
3千年以上も昔、「燕国」という国があり、その都が現在の北京市近辺だったという。
秦の始皇帝が初めて中国統一を成し遂げるまで、この燕国の首都を「燕京」と呼んだ。
「燕」の文字を見た途端、北京のホテルの部屋で飲んだ「燕京ビール」を想い出した。
記念に持ち帰った空缶は、ずっと本棚の北京コーナーに鎮座している。
        
    燕京ビール"            

未だ船便が届かないまま夏を迎え、ついにユニクロで夏物仕入れてしまいました。
1元のバスに乗って夏物5着560元払ったら、ものすごい高い買い物した気分になり、
かなり経済観念も北京になじんでおります
と、Sさんの「北京ホッとニュース」にあった。
北京の夏は暑いらしい。北京に避暑に行くわけにいかないし、今年の夏はどうなることやら。
中国・中国の旅

坐り心地はいかが?

2011年05月25日
都内の緑道を歩いたり、巨樹に逢いに神社や公園などを訪ねた一昨年。
昨年は「風景印」集印しながら、そのモデルとなった神社や公園などを訪ねた。
九品仏川緑道のベンチひと休みしませんか  2009.7
ここらで一服 ひと休み?憩いを誘うベンチたち二役こなす公園のベンチ 2010.4

バス停にもベンチや椅子が置かれているところも多い。凝ったデザインのところもある。
  バス停
   葉の裏に天道虫  三本杉陸橋 世田谷区        次大夫掘公園 世田谷区

        バス停
           蘆花公園前  世田谷区          駒沢公園前  世田谷区 
    
       バス停
            東西めぐりん 台東区            等々力  目黒区
   
     駅
      長い長いベンチ 東急池上線久が原駅     上越新幹線上毛高原駅 2010.1.1

     卓
          次大夫堀公園  世田谷区            佃  中央区      
                                   遠くに工事中のスカイツリー   
      
     樹
           流通センター   大田区            鍋島公園    渋谷区

   公園
       竹製  六義園  文京区          日比谷野外小音楽堂  千代田区

砧線跡には線路や枕木がガードレールやベンチとなって残されている。 (砧線跡を歩く
     砧
                              砧線あと    世田谷区
    砧 六郷
             六郷用水   大田区  

            
旅・散策・イベント

高周波音は身体に効く?!

2011年05月24日
頭から足の先まで、身体の中でまともなのは「耳」だけだと思っていた。ところが、
2年前から耳鳴りがするようになった。耳の奥で絶えず蝉がジージーと鳴きつづけている。
聴力検査をしてもとくに異常はなかった。原因を訊いてもわからないそうだ。
つまり、ストレス、老化といったところだろう。
幸いひどくならないし、周囲が静かだと気になる程度なので、この状態に慣れることにした。

『壮快』という健康雑誌の特集「耳鳴り、めまいが消える!聴力が戻る!」に目が留まった。
買ってみると、「耳鳴りが消える!聴力アップCD」が付録についていた。 
純正律の音楽、たとえば、グレゴリア聖歌、エンヤの歌など、澄んだハーモニーや、
風鈴の音など高周波音を聴くことで、自律神経の働きが整い、耳鳴りや不眠、高血圧などが
改善するだけでなく、脳が活性化され、免疫力アップするという。(高周波音でリラックス
耳鳴りが治まればいうことはないが、とりあえず、寝る前の音楽をこのCDに切り替えた。

  風鈴
    「500個の風鈴の音を聴く」イベント    池上本門寺(大田区)   2010.7

耳鳴りやめまいには、この付録のCDを聴くほか、オススメ療法がたくさん載っていて迷うが、
なるべく簡単でお金も要らないものに挑戦することにした。
ガムをかむと耳周辺の筋肉を鍛えることになり、内耳の血流がよくなる。
耳たぶや肩を回したり、顎を前後左右に動かすと、リンパの流れがよくなり、耳の機能が
回復するというが、1日2、3セットはなかなか難しい。

ものぐさな私に最適な方法を見つけた。麻ひもを足首にぐるりと巻いて、蝶結びにするだけ。
耳鳴りは体の冷えと関係があり、右の足首に巻くと、とくに腎系の経絡の流れがよくなり、
体調が整うのだという。
本には書かれていないが、足首の内側には、気功の楊先生がよくおっしゃるツボがある。
肝系、腎系、脾系が交わる「三陰交」という重要なツボだ。ここを刺激するのだろう。
ちょうど麻ひもが1mくらい残っていたので、早速、巻いた。本によれば、寝るときは勿論、
入浴時もそのままでいい。実に簡単だ。そんなわけで、今も足首に麻ひもが巻いてある。
耳鳴りは治っていないが、足の冷えには効いているような気がしている。

もう1つのオススメ療法も楊先生がいつも教えて下さることだ。それは、「かかと落とし」。
かかとを軽く上げ、ストンと力を抜いて落とす。リズミカルにトントンと。
こうして微弱な振動で、滞留した気を下ろしてやると、気、血液、リンパなど、体のあちこちで
滞っていたものが流れ始めるという。

つまり、足裏の「湧泉」というツボを刺激することになるのだろう。「湧泉」も腎系のツボだ。
体調を整え、文字通り活力を生み出し、高血圧、むくみ、喘息、冷えやのぼせ、不眠などに効く
重要なツボだと、楊先生は強調される。これなら電車を待つ間でもできそうだ。

耳鳴り特集の次号は高血圧特集だった。今度は、血圧が高いごんさんが買ってきた。
この号にもCDの付録がついていた。「血圧が下がる」というCDはモーツアルトだった。
私のモーツアルトのCDの中に「健康モーツアルト音楽療法」(脳神経系疾患予防)がある。
モーツアルトは凄い!彼の曲には高周波音が豊富に含まれているのだとか。
解説によれば、フランスの耳鼻咽喉科医トマティス博士は「モーツアルトの音楽には
自律神経を覚醒させ、脳を刺激して身体の緊張をほぐし感覚を安定させる作用がある」ことを
見い出したという。

「高血圧特集」を早速、読み出したごんさん。「チョコレートを食べるといいらしい」とか
「カラオケがいいと書いてある」。カラオケ好きなごんさんは喜んだ。
煙草とお酒を控える方が効果的では?と喉まで出かかった言葉を辛うじて呑みこんだ。
何はともあれ、2人ともそれぞれの療法をいつまでつづけられるのだろうか。
つれづれ

2年生らしくなったかな?

2011年05月23日
りんりんは2年生になった今も相変わらず忘れ物の名人だ。わが家に泊った日のこと。
宿題のプリントは持ち帰ってきたが、筆箱は学校に置いて来た。
夕食前に宿題をさっさと済ませ、ごんさんとの将棋は「勝つわけないよ・・・」と1回だけ。
わが家に置いてあった数ヶ月前の『テレビマガジン』が気になって仕方がないようだった。

2年生になって席替えがあり、彼が好きだと言っていた
女の子SちゃんやKちゃんとは席が離れたらしい。
LOVE
「Mちゃんがぼくのことラブなんだって」と
嬉しそうにいう。そのMちゃんは「みんなには
フツウだってことにして!というんだ」と。
フツウ??ラブなのは内緒?? 
「忘れ物の名人を好きだと言う子もいるの~」
「蓼食う虫も好きずきってことかな」と、つい
口にしてしまった。「何?タデ?どういう意味?」
諺、四字成語好きなりんりんだということを忘れていた。
夕食後も思い出したように「ぼくがタデでMちゃんが虫」
「タデくう虫も・・・何だっけ?」と復習していた。
失敗、失敗。すでに彼の頭にインプットされてしまった。        新宿アイランドビル前
                    
もう1つ、学校での話。K君がS君にぶたれたという。りんりんはS君が悪いという。
彼は見たわけでなく、S君にきいた話らしい。「K君にも理由があったんじゃないの?」
話が「喧嘩両成敗」ということにまで及ぶと、「知ってる!それってケンカした子ふたりが
水が入ったバケツを持つんでしょ」という。何かのマンガで見たらしい。
「セイパイじゃなくてセイバイなの?」と訊く。「敗」の字は、失敗の「パイ」でお馴染みらしい。

読み方1つとっても、漢字は難しい。この日、「明」という漢字を習ったそうだ。
「丸」「刀」「万」「元」「少ない」・・・。2年生になって新出漢字も増えた。
因みに、「明」の「日」は太陽ではなく窓。窓から差し込む月の光からできた漢字。

枇杷茶を飲んでいたら「何飲んでいるの」と訊かれたことから、健康茶の話になった。
枇杷茶は、枇杷の葉っぱを乾燥させたもので、呼吸器にいいこと、ほかにも、柿の葉茶や
ドクダミ茶があるし、タンポポの根を乾燥させたお茶はコーヒー味で美味しいことも話した。
ドクダミ
ドクダミは知らないというので、庭に生えている
ドクダミを見せた。まだ花が咲いていなかったので、
図鑑を見せたが、たいして興味を示さなかった。
(白い十字は総苞片で、黄色い部分が花)

だが、日記には、味見をした枇杷茶が枇杷の味が
することを発見したことやいろいろなお茶のことを
書いたところをみると、多少は印象に残ったようだ。
最近は、急須もお茶の葉も見たことがなく、
ペットボトルのお茶しか知らない子も多いことだろう。

夕食後、「ベートーベン弾いてあげるね」とわが家の卓上ピアノで、練習中の曲
(ソナチネ第1楽章)を弾き始めた。「この曲はぼくにとってベートーベンの初体験なんだ」
「ね~。ベートーベンぽいでしょ?」相槌を打ったのだが、正直なところわからなかった。
「この曲、ベートーベンが作ったかどうかほんとうはわからないんだって」。
彼にとっては、かのモーツアルトもベートーベンも身近なオジサンのようだ。

家では練習をしたがらないらしいが、ピアノを弾くこともクラッシックを聴くことも大好きだ。
9時、モーツアルトをかけるとまもなく、寝息が聞えて来た。
翌朝6時半に起床。朝食をすませ、雨の中、元気に登校した。字が多少きたなくても、
忘れ物が多くても、元気が何よりだ。
この日、提出した健康茶についての日記は、先生に褒められて、みんなに紹介されたそうだ。
身近な人びと

アイスプラント

2011年05月22日
先週のラジオ(TBS『森本毅郎スタンバイ!』)の月尾嘉雄氏(東大名誉教授・工学博士)の
話は、「ファイトレメディエーション」という、汚染土壌を植物で回復させる技術に関する
内容だったが、非常にわかり易く面白かった。「ファイト」はギリシャ語の植物の意。

「ファイトレメディエーション」の1つの例として、福島原発周辺の汚染された土地に、
ヒマワリを植える試みが始まったそうだ。
根は、半減期30年といわれるセシウム137を吸収する力が強く、ヒマワリを20日間
栽培した場合、土の中のセシウムを95%吸収し、花はストロンチウム90を吸収するという。

塩害に有効な植物もある。植物は一般には塩分に弱いが、マングローブやアッケシ草など
海水の中で育つ植物もある。最近注目の南アフリカ原産の多肉植物「アイスプラント」も
その1つで、地中の塩分を集めた細胞を葉などに作る。それが氷のように見えるので、
この名があるらしい。

中国と日本共同で研究が開始され、砂漠の塩害がひどい中国では、広大な面積にたくさんの
「アイスプラント」を植えて塩害対策に乗り出した。
塩味がするため、フランス料理にも用いられているが、最近、日本でも「ソルトリーフ」
「クリスタルリーフ」などとして商品化されている。スーパーでも売られているらしい。
その発端は、佐賀県有明海沿岸の干拓農地での農作物への塩害。塩分に強い作物として
「アイスプラント」の研究が始まり、1kgで14gの塩分を吸収することが分かったそうだ。

たまに通るレストランが栽培する野菜の中にアイスプラントがあったことを思い出した。
レストランへの階段の横に、野菜が植えられたプランターが置いてあるのだが、
朝露のようにキラキラ輝く葉が珍しく、「メタボ予防 アイスプラント」と書かれた文字が
妙に印象に残っていた。
     アイスプラント
             「アイスプラント メタボやがん予防に効果があります」

朝のラジオでアイスプラントの話をきいた日の午後、偶然、レストランの前を通った。
サラダにするのだろうか?どんな味がするのだろうか?私にも栽培できるだろうか?
急に知りたくなった。ちょうど3時。コーヒーを飲もう。迷わず階段を上った。
メニュー帳の後の方に「バジル」や「アイスプラント」の頁があり、それらがいかに
素晴らしいかの説明が書かれていた。やはり何かこだわりのあるレストランだ。
コーヒーを注文してからアイスプラントについて訊ねると、やさしそうなシェフが登場。

何でも大学病院の先生に作ったらと勧められたそうで、「メタボの改善、疲労回復、
胃腸にもいいし、ガン予防、美肌・・・」素晴らしい野菜のようだ。
私の目の前で、収穫したばかりのアイスプラントの山をサラダ用に整えながら、
栽培方法などをいろいろと話してくれた。途中、厨房に消えたと思ったら、トマト、レタス、
イチゴとアイスプラントのサラダを(箸と箸置も)出してくれた。
サラダをいただきながら、塩害除去に役立つらしいという、月尾氏の話をすると、
興味を抱いたようだった。
「鉢を持ってきたら植えてあげたのに。いつでもいいから、持っていらっしゃいよ」と。

「ちゃんと洗って食べて」と、袋いっぱいのアイスプラントをいただいて、店を後にした。
はじめて食べたアイスプラントの味もよかったし、美味しいコーヒーがたったの200円。
サラダもお土産もサービス。

     アイスプラント  
                        いただいたアイスプラント

仙台平野を訪れた月尾氏が見たものは、見渡す限りの瓦礫の山と塩をふいて白くなった田畑。
東北3県で海水を被った田畑は2万ha。うち3分の2が米どころの仙台平野だという。
再び、もとのような田畑に戻るまでには10年はかかるとか。

月尾氏は、塩害の田畑にアイスプラントを植えれば、短期間で回復できるのではないかと。
ただカドミウムを含む土壌の場合は、食べられなくなるが、ナトリウムやカリウムだけの
塩害被害地ならアイスプラントは塩害除去と販売との一石二鳥になるだろうとも。

因みに、アイスプラントが注目されているのは、クエン酸、リンゴ酸、カルシウム、
ピニトール、ミオイノシトールなど、ほかの野菜に比べて非常に豊富な栄養が含まれること。
効果は肥満や高血圧、動脈硬化や脂肪肝の改善、血糖値降下作用、肝機能障害の改善など。
植物など

なんじゃもんじゃ

2011年05月21日
今日は24節気の1つ「小満」。万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来る頃。
秋に蒔いた麦などの穂がつき、「今のところは順調」と少し満足、一安心という意味。

  なんじゃもんじゃ  モクセイ科 ヒトツバタゴ属 
               和 名  ひとつばたご    
               学 名  Chionanthus retusus 
               原産地  日本 朝鮮半島 中国福建省
               英 名  スノーフラワー

            なんじゃもんじゃの花1.jpg

「なんじゃもんじゃ」と呼ばれて親しまれている「ひとつばたご」の学名は「雪のように白い花」。
国内では、長崎県対馬北端、岐阜県木曽川周辺、愛知県の一部に自生し、
全国各地に移植され、都内では10数ヶ所で見られるという。
初夏に突然、多くのプロペラ型の白い花をつけるが、すぐに散ってしまう。

明治時代、東京の青山練兵場(今の明治神宮外苑)の道路沿いに、この樹があり、
名前がわからなかったので「何の木じゃ?」とか呼ばれているうちにいつのまにか
「なんじゃもんじゃ?」という名前になったとか。

昨年秋、明治神宮外苑に行ったとき、絵画館前に大きな「なんじゃもんじゃ」の樹があった。
案内板に「満開時は雪を被ったように見える」とあった。

        絵画館前        
           由緒のあるなんじゃもんじゃ(在来のヒトツバタゴ)

「ヒトツバタゴ」の名前の由来は、一つ葉の「トネリコ(タゴ)」から。
江戸時代の植物学者、水谷豊文がトネリコに似た木を発見し、トネリコは複葉なのに対し、
この木は托葉のない単葉であったので「ヒトツバタゴ」と命名した。

この樹の花が咲く5月、また、訪れてみようと思っていたのだが、機会を逸した。
「なんじゃもんじゃ」に初めて出逢ったのは、深大寺(武蔵野市)だったと思う。
かなり昔のことなので、花が咲いている時期だったかどうかまったく覚えていないが。

10年以上前になるが、わが家近くのIさんのお宅の前の歩道改修工事が行われたとき、
道路沿いの住民の希望を入れた街路樹が選ばれたそうだ。
花水木、辛夷(こぶし)、なんじゃもんじゃなど、歩道の両側にそれぞれ異なった種類の
樹が植えられている。Iさんのお宅の前は辛夷だった。

辛夷の花も花水木の花も終わった。どちらも大好きな花だ。
ときどき通る歩道だが、花が咲いたり実がならないと何の樹かわからない。
なんじゃもんじゃの樹があることは知っていたが、どれがその樹かわからないでいた。

     なんじゃもんじゃの樹
                
1週間前、この歩道に散った白い小さな花を見つけた。見上げると「なんじゃもんじゃ」だ。
すでに咲き終わった樹、まだ頑張って花を咲かせる樹、両側で4本あった。
来月もまた、この道を通ることにしよう。そろそろ、青い実をつけているかもしれない。

因みに、都内のなんじゃもんじゃの樹が見られるのは、明治神宮内苑、外苑、光が丘公園、
小石川植物園、新長島川親水公園、板橋区立赤塚植物園、憲政記念館 駒沢公園、砧公園、
大田区洗足池・勝海舟夫妻の墓。
植物など

黄砂には・・・

2011年05月20日
今年はゴールデンウィーク中、3日には東京でも黄砂が観測された。
黄砂現象は、東アジアの砂漠域(ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠など)や黄土地帯から、
強風により大気中に舞い上がった砂の粒子「黄砂」が浮遊しつつ降下する現象。
日本では東アジアを経由する低気圧の通過にともなって、春に観測されることが多く、
時には空が黄褐色に煙ることがある
。(気象庁HP)

気象庁のサイトには、天気予報、週間天気予報などや台風などの気象警報・注意報、
地震・津波・火山関連情報、「東海地震関連情報」のほか、黄砂や紫外線情報も載っている。
黄砂が観測されている地点の視程(水平方向の見通し)は、2km未満から10km以上の
4段階に色分けされ、地表付近の濃度や大気中の黄砂総量の分布が3時間毎にわかるので、
見通しの悪化、洗濯物や車の汚れなどの影響を考える際の情報として利用できるという。

黄砂は2月から5月の4ヶ月間に年間の約90%が集中しているという。
1967年の観測開始以降、2002年に黄砂観測の日数・延べ日数が共に最多を記録したが、
年ごとの変化が大きいため、長期的な変化傾向ははっきりと判明していないという。

「黄砂」は大気中に含まれる物質を吸着する性質を持っている。発生場所や通過場所によって、
カビや微生物など様々な汚染物質を取り込むため、黄砂そのものはアレルギーの源はないのに
「アレルゲン」となってしまうそうだ。
また、光化学スモッグの発生にも関係するし、アスベストより危険だといわれる。
「黄砂アレルギー」は、咳、鼻水、喘息、喉のただれ、くしゃみなどの呼吸器系、目の痒みや
耳などへの被害も多く、花粉症、喘息、アトピーなどの症状悪化も報告されているという。
単に車や洗濯物などが汚れるだけではないのだ。

   駅で
                   東急東横線多摩川駅ホーム     

毎年3月、4月になると目が痒くなる。我慢できずに目頭をゴリゴリとこすってしまってから
処方されたアレルギー用の眼薬をさすという有様だ。20年ほど前、眼帯をしている写真がある。
咳がつづくこともある。黄砂で、肺から気管支に炎症を起こし、乾いた咳が止まらない人も
増えているそうだ。数年前、花粉症の検査をしたことがあるが、とくに問題なかった。
ということは、私のアレルギーは花粉症ではなく、「黄砂アレルギー」なのかもしれない。

はるか昔から「黄砂」は見られ、紀元前の中国の文献に「塵雨」「黄霧」などが載っている。
日本では江戸時代に「泥雨」「紅雪」「黄雪」など、黄砂に関する記述が見られるという。
先月のラジオで、天気予報士森田氏の話を聞いてがっかりしたと同時に諦めもついた。
黄砂は砂漠に300m積もっているそうだ。1年間で1mmずつ飛ばされたとして、
単純に計算で30万年分?!。つまり、半永久的に飛来するということになるという。
黄砂は酸性雨を中和する面もあるとはいうが。

気象庁のサイトには、黄砂には、カビや微生物など様々な汚染物質が含まれるとしか
書かれていないが、中国をはじめとした核保有国が行った核実験による放射性物質や
主に中国で発生した有害汚染物質が含まれていることが判っているそうだ。
ただでさえ、原発事故が問題になっているというのに、毒性の強いプルトニウムやセシウムが
中国から黄砂とともに飛んで来ている現状を考えるとぞーっとする。
孫たちは?これからの人たちはどうなるのだろう? 考えても仕方がないのかもしれない。
つれづれ

「震災五月病」だろうか?

2011年05月19日
五月も半ばを過ぎた。毎年今頃に新入生、新入社員などによく見られる「五月病」だが、
今年は「東日本大震災」の影響も加わった。原発も出口が見えないし、余震や誘発地震も
終わりがない。「震災五月病」というらしい。被災地以外の人にも不安や睡眠不足が見られ、
気力が出ない、イライラなどプチうつ病の傾向が見られるという。

そういえば、震災後、若い独身女性に心の変化が起きたという。
結婚相談所や結婚サイトなどへの問い合せや相談は例年、3月や4月は少ないそうだが、
震災後、とくに関東地方で急増しているそうだ。地震に原発などで不安を感じて、
今まで結婚など考えていなかった女性たちがパートナーを求める傾向があるという。

地震のとき、友人たちがご主人や彼にメールや電話するのを見て、真っ先に思い浮かべる人、
頼れる人がほしい、結婚したいと思うようになった女性が増えたらしい。
「震災五月病」に罹るよりはいいのだろうが、不安を恋愛と錯覚してしまう危険もありそうだ。
不思議なことに、男性にはあまり変化が見られないという。

    3.11 
     余震の中  鳥が舞う空   波打つ水面    揺れる松の枝  

3.11、六義園で地震に遭って以来、すっかり地震恐怖症になってしまった。
カラスの騒がしい声がすると、地震直前にカラスが妙に鳴いていたことを思い出し、
地震の前兆ではないかと思ったり、実際は揺れていないのに揺れている!と感じることも多い。
実際、茨城県沖や福島中通などで震度3とか4の地震があり、たまに東京でも揺れたことも
あるにはあるのだが。我ながら困ったものだ。

また、昼間は平気だが、夜、寝ようと横になると寒気がして手足が震え出すこともある。
以前と同じようにすぐに眠くなるはずの中国語のMDを聞いていても効果なしだ。
しょうもないことを考え始めて眠れなくなる。起きて本でも読むかと思っても身体が重たい。
漢方では、こういうのを「気が足りない」というより「気がめぐっていない」というらしい。
恐らく、体温が低い上に、寝る直前までパソコンに向かっていることがよくないのだろう。

ところで「震災五月病」だが、私もその傾向があるようだ。イライラすることはないが、
やる気が起きない。やりたいことはやっているのだが、「5月なったらやろう!」と
思っていたことが、というより、やりたくないので先延ばしにしていたことが出来ずに
ゴールデンウィークが終わってしまった。そんな自分が情けない。

        積読?
        積読状態の本  F同学に薦められて借りて来たものの・・・

五月病にならないためには、食事や睡眠をしっかりとって、朝陽を浴びる、散歩をするなど
気分転換が必要で、コンサートに出かけたり、マッサージを受けたりすることもよいそうだ。
「休む」と「働く」のメリハリをつくることが大切といわれるが、これが結構難しい。

地震の恐怖だろうか、寝つきは悪くなったが、それでもいつの間にか寝ているし、
朝はケータイの「小鳥のさえずり」が聞こえる前に自然に目が覚めることも多い。
食事もほぼクリア。コンサートではないが、最近、落語に2度ほど行って笑ったし、
マッサージも月3回ほど行った。筋トレも気功もつづけているのだが・・・。

「何かをしなければいけない」と、頑張りすぎないことも大切だそうだ。
先延ばしが得意な孫りんりんに、「今日やるべきことは今日やらないと、後が大変!」と
言ったこともあるが、延ばせるものは延ばして無理しない方がいいもしれない。
いや、少しずつ片づけておかないと、取り返しが付かなくなることもありそうだ。
つれづれ

「風景印 」 文京区 Ⅰ

2011年05月18日
本郷局と本郷四局
    本郷局   本郷四局
         東大赤門と銀杏の葉                 東大生と赤門 銀杏

赤門東大前
           東大赤門                       落第横丁

赤門の呼び名で広く知られるこの門は、元加賀藩上屋敷御守殿門だった。
徳川第11代将軍家斉の娘溶姫が加賀藩第13代藩主前田斉泰に輿入れするとき(1827年)、
溶姫を迎えるために建てられた。国重要文化財指定。

東京大学(明治10年創立)では、長い間、バッジなどに銀杏のマークが使われてはきたが、
国立大学法人東京大学として再出発したとき(2004年)初めて、銀杏のデザインの
「東大マーク」として制定されたという。
安田講堂前の銀杏並木も有名だが、夏目漱石の『三四郎』にも銀杏が出てくるなど、
東大と銀杏の関係は切っても切れないようだ。

本郷通りをはさんで東大の向い側に「落第横丁通り」の看板を見つけた。入ってみたが、
何ということのない路地だった。昔はビリヤード場など遊戯施設や飲食店が立ち並び、
ここで遊び呆けて落第する学生がいたらしい。

本郷五局
     本郷五局   伊勢屋
         樋口一葉 伊勢屋質店 井戸           旧伊勢屋質店

幼い頃、東大赤門の傍で暮した樋口一葉は、18歳から本郷菊坂で洗い張りや針仕事などの
内職をして、母と妹と暮していた。
伊勢屋質店(1860~1982)は、一葉が生活に困窮する度に通った店で、下谷区竜泉町
現 竜泉)に移ってからも通ったという。一葉忌(11月23日)には店、蔵、座敷が公開される。

菊坂から路地を入って行き、井戸のあるところが「樋口一葉菊坂旧居跡」。
井戸の突き当りには階段と風情のある建物。「見学は近隣の皆様のご迷惑にならないよう
お願いします」という注意書きがあった。

本郷界隈は3年前のスケッチ会で訪れた。菊坂で数人に訊ねてやっとこの井戸に辿りついた。
何の変哲もない井戸だが、まだ現役だという。          ( 本郷を楽しむ

    井戸 2008.10
            井戸                  木造3階建の家
本郷一局   
  本郷一局  壱岐坂
    壱岐坂 本郷給水所公苑 区の木銀杏        壱岐坂と大きな壁画  

新旧の壱岐坂に挟まれた東洋学園大学の『岩間がくれの菫花』の大壁画は遠くから目立つ。
壁画の材料には主材料のタイルのほかに、当時の在校生や卒業生、教職員が持ち寄った陶片、
ガラス片も使用されているのだとか。

文京春日局と文京後楽局
  文京春日局  文京後楽局
        文京シビックセンター                  東京ドーム

シビックセンターは文京区役所やホールなどが入った超高層ビル。
25階展望台からは富士山、筑波山、スカイツリー、新宿副都心の高層ビル群などが見渡せる。 
 
   シビックセンター
         文京シビックセンター            スカイツリー     2011.2            
                   シビックセンター展望台より
東京ドーム
        シティアトラクションズ              東京ドーム    
旅・散策・イベント

「青海波」のお守り

2011年05月17日
築地市場(中央区)にある「波除(なみよけ)稲荷神社」のお守りが、震災後、急に売れ出したという。
どうやら「築地のうまいもんで石巻を元気づける」NPO法人築地食のまちづくり協議会が
炊き出しグッズの1つとして持って行った200個のお守りが好評だったからだとか。
例年、正月は2千個、月に40個ほどというお守りが、被災地の親戚に送ろうという人たちが
買い求めたため、4月末の数日間だけで100個以上も売れたそうだ。
この神社は「災難を除き、波を乗り切る」 災難除、厄除、商売繁盛などの神社だ。
震災の前にこのお守りがあれば、津波が除けられただろうか?!

       波除神社 2011.1.4

実は、この「波除神社」は、今年正月、道に迷って、偶然、通りかかった神社だ。
赤獅子の弁財天社と黒獅子の獅子殿のほか、すし塚、海老塚、玉子塚、蛤石など
魚河岸ならではの塚や碑が所狭しと並び、狭い境内は初詣の人たちであふれていた。
大祓茅の輪を潜ってお参りしたが、波除のお守りは買わなかった。少し残念だ。

お守りとは、狭義の意味では、日本の社寺・境内で参詣人に販売授与される、
紐で口を閉じ吊り下げられるようにした平たく小さい袋型の縁起物。守札のこと。
広義の意味では、国内外の縁起物に関わる物品そのすべてを含む。
(Wikipeda)

波除神社の肌守りの袋には、波除に因んだ「青海波(せいがいは)」文様が使われている。
この文様は遠くカスピ海周辺に発し、中国西域を経て伝わったものといわれ、
平安時代の「青波海」というおめでたい演目の舞楽衣裳の文様として用いられた。
内海の静かな波を表して絶え間なく広がっていく波の力と永続性を長久の瑞祥として、
演目の「青海波」が日本の古典文様として定着したものだといわれる。

    文様
         新橋駅            青海駅             豊洲駅
        柳縞文様          青海波文様      水に雨龍(あまりょう)文様 

「青海波」の手拭や浴衣などを見かけるが、「青海波」と聞いてまず思い浮かべるのは
ゆりかもめ(東京臨海新交通)の青海(あおうみ)駅のシンボルマーク「青海波文様」だ。
 
    豊洲駅

一昨年夏、孫りんりんの「東京メトロのスタンプラリー」に付き合い、新橋駅から豊洲駅まで
ゆりかもめに乗ったとき、各駅ごとに「日本の伝統文様」が乗降口の透明ドアについていた。
また、豊洲駅には全16駅の文様を並べた大きな飾り板がある。(「ゆりかもめ」の駅文様
旅・散策・イベント

ユリノキ

2011年05月16日
ユリノキ  モクレン科 ユリノキ属
       学 名  Liriodendron tulipifera L
       和 名  百合の樹
       別 名  ハンテンボク チューリップツリー レンゲボク 軍配の木 やっこ凧の木
       原 産  北アメリカ
               ユリノキの花

5月から6月にかけ、チューリップに似た花が咲く。花は直径5cmほどの大きさだが、
色が淡くあまり目立たないことと、高い梢の茂った葉の間に咲くので気づかれないことが多い。
淡い黄緑色で、基部に橙赤色の斑紋がある。花弁は6枚で萼片は3枚、開花時には反り返る。
1つの花からティスプン1杯の蜂蜜がとれるそうだ。
葉の形からハンテンボク(半纏木)や軍配の木などとも言われる。

小石川植物園(文京区)にはアメリカから譲り受けた種子を育てたユリノキがある。
大正天皇がが皇太子の頃にご来園された際、この木を「ユリノキ」と命名されたそうだ。
原産地の北米では直径1m、高さ60mを越えるものもあるというが、昔インディアンが
この木でカヌーを作ったため、今では大きなユリノキはなくなってしまったという。

新宿御苑(新宿区)のユリノキ         
明治時代初期の新宿御苑は、海外から有用植物を移入し栽培研究を行う農業試験場だった。
日本で最初に植えられたユリノキは、幹周り4m、高さ30mを超え、苑内でもっとも高い
大木に成長している。寄り添うように立つ3本の巨木が、全国の街路樹の母樹となった。

      御苑
            3本のユリノキ  8月   新宿御苑       4月

東京国立博物館(台東区)のユリノキ
トーハク前庭のユリノキは、明治8、9年頃渡来の30粒の種子から育った1本の苗木を
現地に移植して今日に至ったもの。 
F先生の日本画デッサン教室で訪れて以来、このユリノキをマイ「ユリノキ」と決めた。
展覧会やスケッチに行く度、四季折々のこの樹に逢うのが楽しみになっている。

      11月 3月
               11月                   3月 

    5月
             花咲くユリノキ    5月 

「北沢川緑道ユリの木公園」(世田谷区
世田谷区三宿の目黒川との合流地点から北沢川緑道を遡り、世田谷線山下駅の踏切を渡ると
緑道は600mほどの「ユリの木公園」となる。      (世田谷区の2本の緑道など)      

           ユリの木公園
植物など

昨日の空

2011年05月15日
昨日の夕方、息子から電話があった。また、孫娘のどちらかが熱を出したのだろうか?
一瞬、そんなことを思ったが、予想は外れ、「西の空を見てごらん!」と教えてくれた。
駅に来たら、たくさんの人たちがケータイを西に向けて空を写しているとのことだった。

2階に上がり、西側の窓を開けると、今まで見たことのないような空が広がっていた。
まるでゾウのような黒雲が炎を噴き出しているようにも見える。その向こうに見える雲は、
虹のような色に染まっていた。何とも不思議な光景だった。

17:5017:50
17:52
17:5217:52
17:52

道路に出てみた。ゾウのような雲は隣の屋根が邪魔して見えなかったが、
わずかに紅く染まった雲は北西の空まで伸びていた。

17:5417:54
17:54

地震雲に似ているような気もしてきた。ただ単に雨上がりの空なのかもしれないのに・・・。
せっかくの夕焼の美しさも安心して眺めることが出来なくなってしまったこの頃だ。
旅・散策・イベント

みんな親戚

2011年05月14日
わが庭の北側には、涸れてしまった井戸と物置が2つある。物置と屋根の隙間に段ボールが
何となく猫たちのために置いてある。
どうやら、1年前に生れたラスカルの子、カールチャチャがそこを住処にしているようだ。

朝、ごんさんが玄関のドアを空けると、お腹を空かせたカールが待っているのだが、
雨の日は、物置の方からトコトコと出てくるそうだ。

   香箱坐  カールとシロ

カールとミケの子、シロは親戚の中でも仲良し。どちらもオス。 (子猫たちが仲間入り
彼らはときどき鼻を付き合せて挨拶する。声を出さずに話が出来るようだ。

     食事
          しばらく待っていたが・・・         我慢できない!

最近、カールのテリトリーは、門を中心に北側物置上の寝室から西側の食堂までと
決まったようだ。いつも見送りと出迎えをするかのように門付近にいることが多い。
ある朝、猫柳の穂がいくつも散っていた。カールは遊び盛り、好奇心旺盛。

   カール
           猫柳にじゃれたり         スッポリと入るところが好きらしい

     カール
                        遊び盛り

チャチャは臆病。たまに見かけるが、傍には寄って来ない。

      チャチャ
                      臆病なチャチャ
動物など

日々成長する孫たち

2011年05月13日
ゴールデンウィーク直前の2日間、2歳の孫娘あいあいの子守りで過ごした。
最近、ほぼ毎月1回だった子守りだが、4月は2回だった。今回もごんさんとの2交代制。
1日目は突発性発疹とやらで熱がなかなか下がらず、ご機嫌斜め。姉のゆうゆうは登園した。
2日目は姉がいたし、昼寝もたっぷりしたため、食欲もご機嫌もまあまあだった。
        絵
          大きな頭の私と白髪頭に眼鏡のごんさん   byゆうゆう

最近の子ども用の粘土には驚いた。コーンスターチなどで出来ている。万一口に入れても安全、
べたつかないし、粘土臭さもない。乾燥しないようにと蓋つきのケースに入ったカラフルな粘土、
ビニールシート、まな板?やナイフ、ハサミ、ハートや動物の形などの型ぬき、ローラーなど、
粘土遊びに必要な?さまざまな道具がセットになっている。

     粘土
            1日目 あいあい                 2日目 ゆうゆう

パーティセット、おべんとうセット、お寿司セットなどもあるというから驚きだ。
これだけ揃っていれば、抽斗からナイフやハサミを持ち出されることもないし、床も汚れない。
親は助かるだろうが、子どもたちは遊び方を工夫したり、頭をつかわなくなるような気もする。
保育園にも粘土があるが、さすがにシンプルなものらしい。

2日目、あいあいが昼寝の間、ゆうゆうの挑戦を受けオセロゲームをした。彼女は強かった。
夕方、「次は神経衰弱をやろう」と言われないように、ニュースを見ようとテレビをつけると、
偶然、『蒼窮の昴』(再放送)最終回が始まるところだった。「消して!」と言うと思ったら、
彼女は「これ何?」「ドラマなの?見たい!」「ワルモノ出てくるの?」と矢継ぎ早に訊ね、
「映画館にいることにしよう」と椅子を持ってきて真剣に見始めた。

『蒼窮の昴』は日中共同制作のTVドラマで、日本では昨年1月から放送(NHK BS)され、
毎週欠かさず観た。
中国国内では春に放送が開始され、日本人女優田中裕子演じる西太后も好評だったという。
「この物語を書くために私は作家になった」という浅田次郎の『蒼窮の昴』が原作。
昨年、4冊を一気に読み終え、浅田次郎と彼の描く「あのころの清朝」の虜になってしまった。

      蒼窮の昴

その後、総合テレビでも放送されたのは吹き替え版。Hさんから、北京で購入した海賊版?と
昨年のNHKの字幕版を録画したDVDを頂いていたし、吹替えの声が合っていない!
春雲も光緒帝もミセスチャンも・・・。そんなこともあって吹き替え版は見なかった。
ミセスチャンを指して「オヒメサマ?」とか「この人ワルモノ?」など、興味津津。
5歳のゆうゆうが画面から目を放さずに観るとは思ってもみなかった。  

   たたむ

昼寝から起きたあいあいは自分の服を、実に器用にたたんだ。
あちこちに脱ぎ散らすりんりんの着換えの様子を思い出して、さすが女の子!と感心した。
日々成長する孫たち。日々老いていく私たち。せめて、健康でいなくてはと思う。
身近な人びと

「がんばれ」「がんばろう」「がんばらない」

2011年05月12日
ゴールデンウィーク初日の4月29日、東日本大震災の影響で運休していた東北新幹線が
全線開通した。テレビで見ていたら、再び登場した「はやぶさ」の車体には「つなげよう日本!」
「がんばろう日本!がんばろう東北!」のステッカーがあった。

       支援物資搬送中
           街の駐車場で  「支援物資搬送中」

街でもテレビやラジオでも、「頑張れ!」とか「元気や勇気を与えたい」という言葉を耳にした。
言葉尻を捉えるつもりはないが、勇気を「与える」とか「頑張れ!」って何?
この「上から目線」の言葉は、本人のものとは感じられない。そう感じた人は多いのではないか。
最近は「がんばろう 東北」「共に頑張りましょう」などが多く聞かれるようになった。

有楽町の交通会館前で、毎土日祝日に開催されるマルシェには多くの人が集まる。
4月、被災地を中心とした東北・北関東支援の産直市場が出来て、産地直送の農産物、生鮮品、
加工食品などが並べられた。私が買ったのは、千葉のカラ付落花生、胡瓜と太い人参。
人参は生で食べられるのか訊ねると、「そうそう、生でおいしいよ」と言っいながら、値札の隅に
「生食用」と書きくわえたオジサン。胡瓜も人参も美味しかったが、落花生は味見もしないうちに、
ごんさんに1袋食べられてしまった。よほど美味しかったのだろう。

  マルシェ
         「がんばろう 東北」   「交通会館マルシェ」  有楽町  

義援金箱を置く店や、売上の一部や半額を義援金として寄付する「応援セール」も見かける。
震災後、ネット上の声が本になった『エール』は売上の全額が寄付となる。(たくさんの「エール」)      
私が通っているフィットネスクラブでも、ワークアウト1回につき1円を寄付することになった。
わずか1円だが、全国800以上の店に数10万人が通う。1円も積もれば・・・だ。
そのためというわけでないが、最近は頑張って週3回は行くことにした。

ラジオをつけると偶々『がんばらない』『あきらめない』などの著者鎌田實医師の話だった。
何にでも波がある。健康の波、経済の波、人生の波。底にいるなら上るだけだ。
下っている人生だからこそ、見えるものもあるが、息を切らして上る人生には、まわりを見る
余裕すらないのだという。まわりを見ながらリズムを合わせてゆっくりと上ればいいと。
強くてやさしい日本に。土俵際の日本。だからこそ、努力のし甲斐がある時かもしれない。

「頑張り過ぎずに」けれど「諦めないで」。勇気が湧いてきた。
つれづれ

震災から2ヶ月

2011年05月11日
3月11日の大地震から2ヶ月が経った。余震は減ってきたものの、誘発された地震や
「アウターライズ地震」という太平洋プレートで発生する地震も起きている。

先月の朝、電車内で「揺れている!」と感じた途端、ブーブーとあちこちのケータイが鳴った。
「地震!」ごんさんのケータイに付いている、電磁波ノイズで地震を知らせるあの不気味な音だ。
やはり地震が起きたのだ。電車はホームに滑り込んだ。
車内で地震に遭った日は、地震が収まるまでの数分間、電車はドアを開いたままホームで
停車できたので、運がよかった。出かけていて、もし電車が止まったらどうしよう。
何時間歩こうとも車内に15分以上閉じ込められるよりはいいと思う。

東日本大震災の影響で運休していた東北新幹線は先月29日に全線で運転が再開された。
震災翌日に九州新幹線鹿児島ルートが全線開業して、青森から鹿児島までの「列島縦断」が
初めて実現したことになるそうだ。

今晩から東京タワーのライトアップが再開されるという。
哀悼を表す「白色光」で、先端と足元部分は点灯せずに消費電力50%カット。
大震災の翌日、原発事故による電力不足や自粛のため中止されて以来のライトアップだ。
営業は1週間後に再開されたが、暗い東京タワーは、夜の山手線車内からよく見えなかった。

         3.11 2011.3.11               

午後6時にJR秋葉原駅から歩き始めたあの晩、芝増上寺の前に出たのは8時半頃だった。
真っ暗な中にライトアップされた東京タワーが聳えていたのが強く印象に残っている。

       2009.1.1      2011.4.1
         元旦の朝   2009  6:00            2011.4.1
    
翌日、タワー先端のアンテナが微妙に曲がったことを知った。4月初め、孫りんりんと行ったとき、
2人で先端部分を見たが、「曲がっていない!」ように感じた。    (「ぼくお江のファンです」)  
それもそのはず、地震の翌朝、4人が塔に上って修復作業が行われたそうだ。

世界中で起きる地震の10%が日本で起きているという現実。
子どものときからの「地震恐怖症」は、あの地震以来、酷くなった。机に向かっていたり、
横になると「揺れている!」と感じることも度々だ。屋根を通る猫の足音さえも地震と
思ってしまったりと、実際は違うことの方が多く、私の地震計が当る確率は低い。

因みに、気象庁の地震予報の当る確率は30%とか。現在、地震計は全国に約1000ヶ所。
いずれ4000ヶ所に増やすという。精度が低い理由は、今回の震災でいくつか故障したり、
まだ震度5弱と4との差がうまく分析出来ないからだそうだ。
つれづれ

北京の春だより

2011年05月10日
2人から「北京たより」が届いた。絵のお仲間Hさんと中国語のS同学からだ。
2年前にご主人が北京に単身赴任され、年に数回北京に滞在されるHさんからは4月末に、
5月初めには、福岡から北京に行かれたSさんからいただいた。
Hさんは毎年数回、ほぼ1ヶ月の北京生活を満喫されている。春、秋、冬、春節と、季節ごとの
「北京たより」は、晩秋と冬の短い旅の経験しかない私にはとても楽しみだ。

春が短いと言われる北京は花がいっぱいだ。牡丹、桐の花、アイリスのような小さな花など・・・。
彼女が訪れたとき、円明園には紫花大根の群生。円明園に行った日、彼女は2万歩近く歩いて、
足裏マッサージに駆け込んだそうだ。
胡同(フートン)を歩くと、私がブログに写真を載せた理髪店があったとか。北京の理髪店は
道沿いに店を構えずに四合院の中にあることが多いようだ。「理髪専業」の張り紙がなければ、
地元の人以外にはまったくわからないだろう。       ( 懐かしい北京の胡同

          理髪 2002.10
                 四合院内の北屋にある「理髪」屋の看板

「玄関の扉の使い込まれたところが面白くてスケッチしていると、どこからかその家の
おばあちゃまが帰宅。ほどなくして家の中から台所で包丁を使っているような音が
聞こえてきました。なんだか懐かしい、ほのぼのとした気持ちになりました」


そして、その一帯には槐の(えんじゅ)の樹が多く、黄色い花びらがたくさん落ちていたそうだ。
槐は中国の国木だ。中国では、最高の官位は「槐位(かいい)」と称され、昔から尊貴の木、
また、学問と権威のシンボルとされている。          (道端で拾った木の実

わが家から駅に向かうときに通る街路樹は槐の樹だ。今、花はまだ咲いていない。
日本では花が咲くのは7月過ぎだ。中国の槐と種類が違うのだろうか。

       街路樹の槐  
                         駅近くの街路樹       2010.8
     槐の花と実
            槐の花  2010.8               槐の実   2010.10

そして、「以前にも街歩きの時悩まされていた(すっかり忘れていましたが・・・)
柳や白楊(バイヤン)の綿毛のついた種!!このワタワタがものすごい量、飛び交っています」

薄目をあけて、鼻に入って来そうなものは手で払いのけるが、花粉アレルギーがある彼女は、
目がかゆくなったり、鼻がつまったりと大変だとか。

5月初め、北京生活を始められたS同学のメールには、「船便で乗せた食料品(調味料、
干物など)が放射能汚染の可能性があるとかで送り返され怒り心頭!余計なお世話ですよネ!」
 
何ということ! だが、立直りの速い特技を持つ彼女のことだ。「すっかり料理する気を
失っていたのですが、震災に遭った方たちのことを思うと何のその・・・
中国製の電気釜にも、超切れない包丁にもめげずご飯作っています(笑)」
とのことだ。

4月初め、S同学の送別会にHさんもお誘いした。北京でのS同学とHさんのマンションは、
地下鉄3駅程度しか離れていないことが分かった。
5月初め、北京のS同学とHさんはランチを共にされたそうだ。私も飛んで行きたかった~!
中国・中国の旅

小さな同窓会

2011年05月09日
故沈老師に代わった黄老師の中国語講座が、今年1月、ちょうど2年で閉じることになった。
昨年、ご主人の仕事の関係で、K同学は福岡へ転居され、昨年末、S同学が湖南省の省都、
長沙に行かれることが決まった。また、昨年春にA同学、K同学が、そして、年末、M同学が
ご家庭の事情で続けられなくなったためだ。         (出会いと別れ

それから3ヶ月後、待ちに待った「桂花会」と名付けた同窓会の日だ。
13時、お馴染みの和食の店に黄老師をはじめ13人が集まった。
この日、千葉県の御宿(おんじゅく)に越されたS同学は2時間以上かけて来て下さった。
御宿には童謡「月の砂漠」を記念した銅像があるそうだ。
また、昨年春退会されたA同学、K同学、さらに黄老師とは初対面のN同学も顔を揃えた。
  
         転居案内jpg
            御宿へ     転居案内葉書     北京へ  

今年1月とは状況が少し変わっていた。S同学は3日前に福岡から北京に行かれたばかり。
2月に湖南省の省都長沙に行かれて「君山銀針」の新茶を味わっているはずのS同学は、
ビザがまだ下りないとかでまだ日本におられる。彼女の顔を見た途端、驚いた人は多かった。

             中国地図
                        中国地図* Click!

話題はやはり3.11の地震だ。家に居た人、出かけていた人、いろいろだったが、
皆もそれぞれの家族も無事でよかったと、何よりも再会できたことを喜び合った。
S同学、A同学は、ご自分は家に居たが、家族の連絡をひたすら待つしか出来なかった。
O同学もM同学は歩いたそうだ。大通りから自宅近くの道に入ると真っ暗で、さすがの男性も
心細かったそうだ。私もお2人の話を聞きながら、あの晩の数時間を重ね合わせていた。

歩いて自宅に帰った人も、帰れなかった人も大変だった。
授業中だった黄老師は80歳過ぎの生徒さんとも机の下に隠れたこと、階段を下りる最中に
余震が来たときの恐ろしさを日本語と中国語で話された。
F同学は新宿のデパートで買い物中。近くにご主人の会社があったので、そこで一晩明かして、
翌朝、2人で自宅へ戻ったが、食器棚も本棚の中身は滅茶苦茶。ピアノは数10cm動いていた。
マンションの13階はひどい揺れだったのだろう。愛猫の無事が何より嬉しかったそうだ。

午後1時から始まった「桂花会」は4時近くまで、楽しい時間を過ごした。
2次会は最初6人。置き忘れた帽子を取りに、先に帰ったはずのO同学が戻ってから、
4人で夕食もおつまみもなしにお茶とお酒だけで延々2時間。地震、原発の話、文学の話、
ついにはU・ビンラディンの話まで、勿論日本語で盛り上がった。帰宅は9時を過ぎていた。
帰宅してパソコンを開くと、北京で新生活を始められたS同学の「北京だより」が来ていた。

時の経つのが早いこと!沈老師が亡くなられた当時、中学生だったご子息も高校3年。
成績優秀で理系を目指して目下大学受験勉強中と、近況をF同学から伺った。
沈老師と黄老師のお陰で、こうして素晴らしい仲間と集まることが出来るのだ。
次の「桂花会」は来年1月、同じ店、同じ時間に逢うことになった。 再明年見!
中国・中国の旅

有難いもの

2011年05月08日
今日は「母の日」。年々、「母の日商戦」が盛んになって来ているようだ。
働く女性が増え、仕事や育児などをバックアップしてくれる母親に感謝の気持ちを
伝えるために、母の日にプレゼントを送る女性が多くなったこともあるという。
大震災の影響もあって、今年の売れ筋は何よりも暮しやすさを考えての節電商品だとか。
扇子や日傘のほか、保冷剤が入るハンカチとか、ひんやりしたパッドや枕バッドなどの
「クール寝具」にも人気が集まったとか。

ところで、大震災後、一時はスーパーやコンビニの棚から乾電池、カップ麺などの食料品、
ペットボトルの飲料水、トイレットペーパーなどの日用品が消えたこともあった。
入荷が少なかったこともあるが、買占められた品物は今どうなっているだろうか?
4月末、ラジオできいたのは、カップ麺は半数が食べたが、ペットボトルのお茶などは
飲んだ人は3割だとか。賞味期限切れで無駄になったものも多かったそうだ。

乾電池売場の棚は随分と長い間、空っぽだったが、乾電池はそのままとってある人が多く、
更に買い置きしたいものの1つだという。
わが家では予備の電球や蛍光灯、乾電池類を揃えていたのだが、計画停電が始まった頃、
引出しの中を調べてみると、携帯ラジオなどに必要な単3乾電池だけがなかった。

翌日、スーパーの棚にわずかに残った乾電池を買って来たのは、単3ではなく単4だった。
普段、ラジオはコンセントの電源で聞いているが、単3乾電池4個で携帯ラジオになる。
ラジオがないという娘にあげた携帯ラジオに入れたのが最後の単3乾電池だったため、
私のラジオ用の乾電池はなくなってしまった。いざというとき、電池がなくてはただの箱だ。

そんなとき、通販で「充電器セット」があることを知り、充電池に切り替えるいいチャンスと、
迷わずに注文した。数日後、送られてきた「充電器セット」を見て感心した。
充電済みの単3が8個、単4が4個のほか、単1と単2用のケースが2個ずつ付いている。
このケースの中に単3形を差し込むと単1や単2になるというもの。
1500回繰り返し充電でき、しかも自然放電が少なく、3年後でもすぐに使えるという。

          充電池セット
              
先月、家庭用のコンセントから充電できる「リチウム蓄電池」の販売が開始されたという。
1kwhのもの(アタッシュケース大)は、約3時間の充電で5時間テレビを見られるというが、
価格は80万円以上だとか。因みに、2.5kwhのものは180万円以上するという。

高いお金を出してまでテレビを見たいとは思わない。数時間の停電なら我慢できそうだ。
夜は懐中電灯の出番だが、充電池があれば安心だ。寒いのだけは電池ではどうにもならないが、
それでも湯たんぽとカイロ、毛布にくるまってラジオを聞きながら過ごすのも悪くはない。

先月、ラジオ付きICレコーダーを買った。携帯ラジオが売切れだったこともあるが、
数年前に買ったのは、パソコンから充電する形のもので使いづらかった。
最近は随分と進化しているので驚いた。クレードルにセットすると、スピーカーを通して
ラジオやSDカードに録音したファイルを再生できるだけでなく、中に入れた充電池は、
電源を切ってクレードルに置くと充電が始まる。しかも普通の乾電池も使える。
出かけるときにはクレードルから外せば、携帯ラジオにもICコーダーにもなる。
3月の大震災の日、ひたすら家まで歩く間、これがあったらどんなに心強かっただろう。

          ICコーダー
                クレードルに置いたICコーダー

先日の気功の時間、楊先生の話を録音してみたが、クリアに入っていた。
車内では、ラジオに雑音が入るので、とりあえず、中国語の「北京」を入れて聴いている。
北京の気候、北京の地理、胡同、四合院、故宮、京劇・・・。半分も聞きとれないが、
目を瞑って聴いていると、しばし、北京にいるような気分になれる至福のときだ。
うっかり乗り過ごすことにならないよう気をつけなければと思っている。
つれづれ

失った「大切なもの」

2011年05月07日
東日本大震災からもうすぐで2ヶ月。東京の街は、震災前とさほど変わらないようにも見える。
だが、地震の被害に直接遭わなかった人たちにとっても、これまでの考え方、生活の仕方を
大きく変えざるを得なくなった。

       4.10 4.10
                        新橋駅前     

「あなたにとって、もっとも有難さが身にしみたものは?」
先日放送のラジオに寄せられた視聴者からの「有難いもの」に考えさせられた。

「コンビニ」 帰宅難民となった会社員の男性の話。帰宅途中にあるコンビニの灯りが
どんなにか心強かったことか。ペットボトルを配ってくれたり、トイレを貸してくれた
コンビニの存在は有難かったという話があった。
停電のため自家発電で営業していたコンビニに長蛇の列が出来ていた。燃料がなくなり、
レジが動かなくなった。真っ暗な店内で、皆、手に持っていた商品をもとの棚に戻して
店を出たという。これも『エール』に載っていた素敵な話だ。 (たくさんの「エール」

『エール』には、地震当日、タクシーを拾えずに歩いていたら、車に乗せてくれた人や
駅前で「○○方面の方どうぞ」と、何人か車に乗せてあげていた人のことが載っていた。
また、ある男性の話。会社から自宅に歩いて向う途中、奇跡的にタクシーが見つかったが、
渋滞に巻き込まれ、普段なら20分で着くところ5時間かかり、料金は15000円。
「家がこの近くだし、こんなときくらいいい」と、運転手さんは代金を受取らなかったそうだ。

          3.11 3.11  
                秋葉原駅前 18:00 → 新橋駅前 19:45  
    
「街の明り」 会社員は、真っ暗闇を歩いて帰宅途中、足が溝に入ってしまったという。
幸い、怪我はなかったようだが、懐中電灯不要の明るい街は有難いものだと実感した。
「トイレ」 石巻の男性は、何よりもトイレに困ったという。トイレの有難さを痛感したとか。

「石油ストーブ」 古い石油ストーブが停電のときに役立った。
暖かいし、お湯は沸くし、言うことなしだ。もっとも寒いときに限るだろうが。
絵のお仲間のKさんにもこのストーブの話をきいた。彼女の家は停電になったわけでないが、
この冬、暖房にも煮込み料理にも石油ストーブが活躍したそうだ。

「湯たんぽ」 40代の会社員は、計画停電前にガスでお湯を沸かして湯たんぽをつくり、
湯たんぽと共に毛布にくるまった。携帯ラジオをきいて過ごしたという。

「卓上コンロ」 めったに使わなかったコンロだが、(何の料理を作ったか聞きそこなった)
とても重宝したので、今後、非常用の備品の1つに加えることにしたそうだ。
わが家の「卓上コンロ」は古く錆びついていたので、震災後、買いに行ったが、売切れだった。
幸い、母が以前買い込んだ?「茶道用炭」や消臭のために用意した「バーベキュー用木炭」が
あるので、「着火剤」を購入した。茶釜も五徳もあるので多少は心強い。

「思い出の品々」 被災地の瓦礫の中から、写真、葉書、文集など記念や思い出の品々を
探す人たちの姿をテレビで見て、お金で買えない「生きた証し」を失ったようだと感じたとか。

失って初めて知る「大切なもの」はあまりに多すぎる。電気、ガス、水だけではない。
家族、友人に支えられている。布団で寝られることも食卓で食事ができるのも有難いこと。
健康でいられることにも感謝感謝。有難さが身にしみた、このふた月だった。
おいしい空気を胸いっぱい吸いたい!と望むのは贅沢だろうか。
つれづれ

今年の夏は・・・

2011年05月06日
今日は24節気の1つ、「立夏」。夏の気配が現われて来る頃。新緑の季節。
気象学的には6月からが夏だが、旧暦では、この日から立秋までをいわゆる夏としている。
蛙が鳴き始める頃。九州では麦が穂を出し、北海道では馬鈴薯や豆の種まきが始まる。
北日本ではこの頃にようやく桜が満開となる。

夏の風物詩といえば、七夕祭り、花火大会、夏祭り、朝顔市などが思い浮かぶが、
今年は大震災の影響で、開催しないことになったところが多い。
自粛というだけでなく、警察や消防などの人員は被災地に派遣されて警備が難しく、
電力不足で会場までの電車の増便もしにくい、協賛金を集めることも難しいことなど、
開催を見送らざるをえないという。

     入谷朝顔市
                  入谷朝顔市              2010.7.7

そんな中、「仙台七夕祭り」は復興と鎮魂をテーマに開催されることが決まったが、
浅草の「三社祭」「入谷朝顔市」(台東区)は中止になった。 
「東京湾大華火大会」「江戸川花火大会」など多くの各地の大会が開催中止になった。
「隅田川花火大会」は5月中旬までに決定するそうだ。
この前身である両国花火大会は、8代将軍吉宗が前年の大飢饉慰霊のために花火20発を
打ち上げたのが(1733年)始めといわれる。花火はもともと鎮魂の意味合いを持つ。
新暦のお盆から旧暦のお盆にかけて花火が多いのもこの名残りだと言われる。

華麗、そして、儚く消える花火。中でも、繊細な線香花火が好きだ。 (花火
線香花火は、江戸時代、香炉に線香のように立てて遊んだことからこの名が付いたとされる。
花火の中でも、さだまさしの線香花火のように、蛍のような儚いイメージがある。
    
                    ・・・ 
    きみは線香花火に 息をこらして 虫の音に消えそうな 小さな声で
    いつ帰るのと きいた
    きみは線香花火の 煙にむせたと  ことりと咳して 涙をぬぐって
    送り火のあとは 静かねって      
                    ・・・
    きみの線香花火を 持つ手が震える  揺らしちゃ駄目だよ いってるそばから
    火玉がぽとりと落ちて ジュッ
  

小さな庭先での花火大会では、線香花火はいつも最後だ。
昨年、孫たちがわが家に合宿した晩、花火を楽しんだが、彼らの手がちょっと揺れただけで、
火玉が落ちてしまった。                     (2人のお泊まり体験
  
      花火の夜
           
中国産は、肝心の「玉」が落ちやすいようだ。繊細で儚いイメージとはほど遠かった。
今年も彼らが合宿するだろうか。国産の線香花火を準備しておかねばと思う。
つれづれ

中国の切手 「端午節」

2011年05月05日
今日は「子どもの日」。男の子の健やかな成長を願う日「端午の節句」。(端午の節句
中国から伝わった5月の邪気払いの行事と日本の田植えに先立つもの忌みの行事が
結びついたと言われる。                  

中国では、旧暦の5月5日、戦国時代、楚の国の詩人・政治家だった屈原が誹謗中傷されて
江南に逃れ、川に身を投げた。人々は小舟を浮かべ太鼓を打って魚を追い払い、「粽(ちまき)」を
川に投げ入れて魚から屈原の身体を護ったことが「端午の節句」の始まりといわれる。

      登舟競漕  「竜舟競漕」                  

      粽つくり  「包粽子」 粽つくり

      五毒を避ける  「避五毒」 五毒を避ける

「避五毒」は、ヘビ、サソリ、ムカデ、ヤモリ、ヒキガエルの五毒をデザインした切り紙にして
窓や壁に貼ったり、その頭に糸を通して子どもの腕に掛けて、五毒を駆除したことになる。
また、端午の節句の朝、各家庭では菖蒲やヨモギを扉の上や軒下などに挿しこむ風習がある。

息子の子どもは2人とも女の子。わが家で息子の「兜」を飾ってお祝いをしたのは、
娘の長男りんりんが2歳くらいまでだっただろうか。
以来、子どもの日に集まることもなくなり、息子の「兜」は押入の奥で眠り続けている。

     兜
             小1の息子              孫りんりん 1歳4ヶ月
                 
「鯉のぼり」は、鯉が滝のぼりをするように、男の子の成長と出世を願って、江戸時代から
立てられるようになった。
「吹き流し」は不浄を払い邪気を避ける力があり、「回転玉(籠玉)」は神の降りるところと
言われる。矢車は武将の持つ弓矢をイメージしたもの。
息子が子どもの頃は「鯉のぼり」も揚げていたが、出世はともかく、健やかに成長してくれた。

山西省の南西の黄河上流にある「竜門」は、中国の春秋時代、渡し場として知られたが、
ここでは、春になると黄河の水面に鯉が跳ねる観光名所になっているそうだ。
『後漢書』の「登竜門」の話を子ども向けにデザインした切手がある。(『人民中国』綴込頁

   登竜門切手
                     「小鯉魚跳竜門」切手
中国・中国の旅

たくさんの「エール」

2011年05月04日
朝、ラジオで、『エール』という本の紹介を聞いたのは2週間前のことだ。
3月11日14時46分。このときから、日本中が悲しみに包まれた。
そして、まもなく、インターネット上に、溢れ出した温かい応援メッセージの数々。
ラジオで読まれたいくつかのメッセージに胸が熱くなった。

そんなメッセージを集めた本が、発売されるということだった。「がんばろう 日本!」
「東日本大震災チャリティーブック」と書かれたこの本の収益金全額(¥880)は
義援金として寄付されるという。

ラジオを聞いた日の朝、書店入口に開店5分前に到着。開店と同時に店内へ入った。
店員さんに「今日発売の『エール』という本はありますか?」と訊ね、探してもらったが、
店内にはなかった。検索後、すでに届いているが「仕分け中」らしいと、店の奥へ消え、
まもなく1冊の小さな本を手に持って来た。
  
      「エール」

寝る前に少しだけ読もうと、この本を開いたのだが、「元気出そうぜ」「捨てたもんじゃないよ」
「日本人でよかった」・・・。多くの人たちのわずか数行の言葉に、涙があふれてとまらない。
気がつくと141人目。終わりの頁だった。
読み始めるまでは、未だかつて経験したことのない大災害を嘆き、毎日のようにつづく余震や
これから来るだろう大変な日々に怯えていた。自分はもうどうなろうと構わないが、
子どもや孫たちのことを考えると、日を追うごとに不安は増すばかりだった。

読み終えたあと、久しぶりに涙を流したからだろうか、さっぱりした。そして元気になった。
普段、自分のことしか考えないオトナたちも、眉をしかめたくなるような若者たちも、
ちいさな子どもだってみんな、できることをできる範囲でやっている。そう思えた。

明日は「子どもの日」。子どもたちの話でもっとも胸を打ったのは、葛西臨海公園で
地震に遭った母子の話。まだ、津波も原発事故のことも知らないときのことだ。
親子が自宅まで5時間半歩くことになった。いつもはすぐに「抱っこ」「お菓子」と
要求する3歳の女の子が、自分の足で半分も歩いたそうだ。
小さな子どもにも「ただ事ではないこと」が起き、自分はどうすればいいかわかったのだ。
こどもたちはちゃんとわかっているのだ。何歳かわからないが、大人にも重たいリュックを
背負った子どもたちは義父母の家に着くまで、「持って」とも「抱っこ」とも言わず、
もくもくと歩いたという。

ベビーカーの赤ちゃんと幼稚園児の兄の話もいい。「地震が来たら怖いね」という母親に、
「大丈夫!」とベビーカーに覆いかぶさるようにして赤ちゃんを守ると言った小さな兄。
頼もしい息子をもって、この母親はどんなにか心強いことだろう。
大地震以来、地震の度に怯える愛犬に「大丈夫だよ」と撫でてあげるのは5歳の男の子。

毎月500円のお小遣いをもらっている小学生の弟が一生懸命貯めた5千円を募金箱へ
入れたのを見て感動した兄(姉)がいる。
3歳の女の子のお小遣いは10円玉だけ。その10円玉を「地震で泣いている人たちに
1つずつあげるの」と言ったそうだ。それで地震がなくなると信じているらしい・・・。
小4になると「日本を守りたい!」と、財布と貯金箱の中身すべてを募金する子もいる。
いつも買っているコミック雑誌を買えなくてもいいからと。

    テレビマガジン

りんりんは2年生になった。毎月、『テレビマガジン』誌を買うが、付録を組み立てると、
お小遣いで2冊は買えないのだが、ほかの雑誌もほしがる。そんな彼に『エール』の中から
子どもたちの話を読んであげた。神妙にきいていた彼は、来月、1冊で満足できるだろうか。

この本の中の141のメッセージの最後の数行には、「感動した」「ただただ感動するばかり」
「ありがとう」「感謝します」「ジーンときた」こういった言葉があふれている。
「日本に生れてよかった」「日本人でよかった」「日本がますます好きになった」」とも。
何と温かいんだろう。みんな何と素敵なんだろう。人間って「捨てたもんじゃない」のだ。
つれづれ

大震災後の空  

2011年05月03日
3月11日 地震直後の空
               六義園
          六義園
                       六義園 (文京区)       

  3.16&17
                 3.16   10:30                    3.17   12:00
  3.23
               杉並区                          3.23  10:00     

23日、東京都の金町浄水場から厚労省の暫定基準値の乳幼児に対する基準値を超える
放射性物質を検出したと発表された。

   3.24
                                            3.24  18:00

    3.27
                                            3.27  13:00

    3.28
                    3.28  7:40                      7:50
   3.28
                  3.28  11:30                       11:40
            4.3
                 4.3   10:20                       10:30

    4.4
                4.4    13:00     中野区               14:00

   4.7
                  4.7   13:00                     14:50

4月11日の空           
       4.11
                                      12:20

3月の巨大地震からひと月、毎日のように地震があり、震度5以上のものは30回以上に上る。
この日の夕方も、福島浜通りを震源とする強い地震(震度6弱)があった。
旅・散策・イベント

「心機一転」 気功の時間

2011年05月02日
今年は、厳しい状況の中で、不安や複雑な思いを抱えながら新しい生活のスタートを
きった人たちが多かったと思う。
4月、新学期、新年度ということばを聞くと落ち着かなくなる。何か始めたくなる。
テレビやラジオの中国語講座を始めようかと思い、テキストを買ってみたが、
どちらも入門編はさすがにやさしく、中級編はビジネス向きなので、1、2回でやめた。
中国語学習会は1月で解散した。年に数回は集まろうと「桂花会」をつくった。
明日はその集まり。楽しみだ。

そんなことで中国語とはすっかり縁遠くなってしまった。
気功の講座は、渋谷から自由ヶ丘(東急線)に移り、新学期を迎えたが、体験講座を受けた
8人のうち、4人の若い女性が入会したので、講座はにわかに活気が出た。

楊先生は張り切って、気功の前にいろいろと講義をして下さったり、いろいろな食材を
紹介して下さるのだが、まず、気功の動きのうち、足の形を中国語で覚えることになった。
数人がノートを見ながらボードに書いた「正歩」「開立歩」「馬歩」などの漢字に
「四声は違っているかもしれませ~ん」と私がピンインと四声を書くことになるのだ。
数字の「1・2・3」の「四声」(音の高低と長短)の説明をすることに。
「er」の「e」は烏の「カァ~」に近い発音、1声は高いところで、2声は下から上に・・・
などと説明したりと、昔教わったことが少しは役立ったようだ。

楊先生は「放射性物質から身を守るには、それぞれの免疫力アップしかない!」と強調される。
「ドクダミは(中国語で)何て言いますか?」私は慌てて日中辞書を引く。鱼腥菜、あるいは
蕺菜 と、日本語では見たことがない違う漢字だった。
根元を乾燥させて煎じたドクダミは、放射性物質に負けないそうだが、Mさんが試みたところ、
乾燥させていたドクダミにカビが生えて来て上手くいかなかったとか。

杏仁は、杏の種子の中にある仁(さね)のこと。この仁には2種類の成分があり、
杏仁豆腐となる甘い杏仁(あんにん)と漢方薬の材料となる苦杏仁(くきょうにん)があるそうで、
この苦みが身体によく、血液浄化、呼吸系の疾患などにもよいそうだ。
中国語で「無花果」と書く「いちじく」もすぐれた食品。日本でも「無花果」と書くが、
乾燥したいちじくを毎朝、5粒ほど食べるとよいそうだ。
「豆苗」もよいとのことで、楊先生のお勧めは「豆苗」の花椒炒めだ。
最近、スーパーでよく見かけるのでよく買う。安くて美味しいので重宝している。
この日の朝もスープに入れて食べたが、案外、知らない人が多かった。

          豆苗
                次から次へと伸びる豆苗

柳の芽のお茶、桑の葉、槐(エンジュ)、楡(ニレ)の実なども免疫力を高めるそうだ。
楡の実は中国の昔のお金のような形をしているというので「楡樹銭」という。
近くに、排気ガスにまみれた槐の街路樹があるが、あの可愛らしい実が薬になるとは驚きだ。

            楡
              春楡の木    新宿御苑        楡樹銭

せっかくの機会なので、中医学を習うことで、今より健康に気を付けるようになって、
しかも中国語の復習になるなら一石二鳥だ。
私にとってもこの春は新学期だ。心機一転。なるべく休まないようにしようと思う。
中国・中国の旅
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