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りんりんと「茅の輪」くぐり 

2011年06月30日
今日で半年が終わる。多くの神社では、半年の間に知らず知らず犯した罪や心身の穢れを
祓い清めて、本来の姿に戻って明るい生活を送るための「大祓」が行われることだろう。
6月晦日は「夏越の大祓(なごしのおおはらい)」、12月の晦日を「年越の大祓」という。

大祓が儀式として整備されたのは日本の律令体制が発足した頃だが、その元となった
祭儀や風習は律令以前からあっただろうとされ、人形(ひとがた)、形代に自らの罪穢れを移し、
川や海にそれらを流したり、穢れを祓う茅を輪にしてくぐったり身につけたりする。
現在、神社でよく見られるような大きな「茅の輪(ちのわ)」をくぐるようなスタイルとは
だいぶ違ったものだったようだが。          (茅の輪くぐり」 茅の輪めぐり
 
茅とは、「ち」「かや」「ちがや」のことで、菅(すが)、薄(すすき)などの多年生草木。

  茅の輪 おみくじ
             茅の輪                おみくじは「大吉」

一昨年の6月末は、都内の神社を回り、いくつもの「茅の輪」をくぐった。
欲張ったせいか、一旦落とした穢れを拾ってしまったような気もするのだが。
昨年は、「茅の輪」でなく、荻窪八幡(杉並区)の「祓い門」をくぐった。   (夏越祓い

そして、今年。数日前、孫りんりんと渋谷区ふれあい植物センターにホタルを見に行った折、
金王(こんのう)八幡宮へ寄ってみると、すでに「茅の輪」がつくられていた。
初めて見る「茅の輪」にりんりんは歓声をあげた。彼にも「落としたい穢れ」がいっぱいあるのだ。

輪を左に、次に右に、又左にと8の字にくぐるという神社が多いので、その通りにくぐったが、
「違うよ」とりんりんに指摘されやり直すことになった。この神社の「茅の輪のくぐり方」図は、
左、右と8の字にくぐってから真っ直ぐ進むのだ。

8の字というより無限大(∞)のようだ。なぜ、8の字なのだろうか、以前から気になっていた。
どうやら、神前に向って右が上位、左が下位となり、神前に向っていきなり直進するのでなく、
左回り、そして右回りと回り道をするので、結果的に8の字に回ることになるようだ。
みつばちの「8の字ダンス」のような特別な意味があるのではないようだ。 

渋谷の地に渋谷城を築いた河崎基家により創建されたとされる金王八幡宮は、
金王桜で知られている。この桜は、雄しべが花弁化したものも混じり、1枝に一重と八重が
入り混じって咲く珍しい桜で、江戸三名桜の1つに数えられたという。

   椎
             2009.9                     2011.6

ご神木の椎の木には圧倒される。昭和初期、雷に幹を貫かれて、中が抜けてしまった椎の木。
毎年椎の花が咲き、実が育つという。        (秋祭りの山車とお神輿

ここにはまた、都内では最古といわれるお神輿がある。このお神輿は、江戸時代初期、
金王八幡神社の氏子であった人たちが鎌倉八幡宮の大祭に参詣の折、そこの神輿を担ぎ出し、
そのまま持ち帰ってしまったものと伝えられている。当時の鎌倉七神輿の1つだという。

りんりんがひいた十徳おみくじは「大吉」でカエルのお守りが入っていた。
はじめての「茅の輪」が嬉しかったようで、この日の日記には、8の字の画と解説がついた。
身近な人びと

「干し野菜」ブーム

2011年06月29日
干しシイタケや切干大根など昔からお馴染みの乾燥食材だが、身近な野菜を干してつくる
「干し野菜」がブームだという。
キャベツやホウレンソウなどの葉もの類、トマト、タマネギ、ブロッコリー、人参、大根など、
レタスやもやし以外の野菜は簡単に「干し野菜」になるようだ。
専用の網やカバー付きのザルなども紹介されているが、台所にあるザルでも構わない。
マンションのベランダでも、陽が当る窓際でも風通しがよければ出来るし、冷蔵庫でも
つくれるそうだ。

東日本大震災後、保存がきく「干し野菜」が見直されているのも頷ける。
だが、保存がきくだけではなく、干すことで旨みも甘みも増し、たんぱく質や炭水化物、
カルシウムや植物繊維なども濃縮され、栄養価もアップする。
調理時間も短縮できる。生野菜と同じように料理に使ったり、また、水分の吸収がよいため、
スープや煮込み料理、煮物にも適しているようだ。
安いときに多目に買って、「干し野菜」をつくれば、野菜を無駄なく使えるということも。

     書店で
                     やさい関連のコーナー

レーズン、いちじく、マンゴーなどのドライフルーツは以前からあったが、
最近は「干し野菜」も種類がずいぶんと増えて来たように思う。
久しぶりに行った書店の料理コーナーに「やさい」関連の本が何段にも並んでいた。
その中、「干し野菜のすすめ」「干し野菜は太陽の味」「干し野菜の深味レシピ」など、
干し野菜の作り方や各種のレシピ本の多さに驚いた。

            干し野菜
                 人参、蓮根、ホウレン草

結局、本は買わずに、書店の帰りに立寄った自然食品の店でみつけた「干し野菜」は、
キャベツ、ホウレン草、大根葉、人参、蓮根、南瓜、玉ねぎ。牛蒡は「9月まで欠品です」。
人参、蓮根、ホウレン草を買ってみた。賞味期限は11月。

自分でつくれたらつくりたいと思い、調べてみると、意外に簡単そうだった。
皮つきのまま、食べ易い大きさに切ったら、あとはザルに入れて干すだけ。
表面がサラッと乾燥していること、皮に皺がよっていること、しんなりしていることが
出来上がりのポイント。保存は密閉容器や袋に入れて 冷蔵庫で5日以内に使いきること。

やはり大震災後、根菜類の売行きが好調らしい。常温でも貯蔵がきくため、じゃが芋、大根、
人参などの根菜類をまとめ買いする人が増えたという。
電子レンジで便利に使える器具などの普及で、調理の幅が広がったことも背景にあるらしい。

梅雨が明けたら、わが家でも「干し野菜」に挑戦してみることにした。
ウッドデッキの上だと、猫たちに蹴飛ばされる?可能性もある。
窓際で、人参、蓮根、牛蒡あたりから始めたいが、果たしてうまくできるだろうか。
日射しの強い夏が干し野菜作りにはいいかと思ったら、空気が乾燥している冬の方が
「干し野菜」つくりには適しているらしい。
植物など

「風景印」 中央区 Ⅲ

2011年06月28日
日本橋には、かつて魚市場があった。各街道の出発点というだけではなく、人もモノも
集まった地でもあった。                 (「風景印」中央区Ⅱ

日本橋三井ビル内局新日本橋駅前局
   三井ビル内   新日本橋駅前
      日本銀行本店 区花つつじ           日本橋ビジネス街 区花つつじ

 日銀 ビジネス街
           日本銀行本店旧館            日本橋ビジネス街

日本銀行本店旧館は、日本人建築家(辰野金吾)によるはじめての本格的様式建築。
明治15年、永代橋そばに開業。業務拡大に伴い、江戸時代に金座があった現在地に移転。
ルネサンス様式を加味したネオバロック様式。関東大震災により一部焼失したが、
ほぼ原形をとどめている。

日本橋小舟町局日本橋室町局
  小舟町  室町
          大提灯 区花つつじ          日本橋魚河岸発祥の地碑 区花つつじ 
    
  大提灯 魚河岸碑
          浅草宝蔵門 大提灯            魚河岸発祥の地碑      

3月のスケッチの日、浅草雷門(台東区)に集合した。  ( 「隅田川沿いを歩く)      
少し早く着いたので、開店前の仲見世を通り、突き当りの宝蔵門まで歩いた。
そのときは、提灯に書かれた「小舟町」が、お隣りの中央区にある町だとは知らなかった。
約340年前、小舟町の魚河岸商人の信徒たちが提灯を奉納したのがきっかけで、
今も町会の人たちに受け継がれているのだという。
7年前に新調された大提灯は、高さ約3.7m、幅約2.7m、重さ約400kg。

「日本橋魚市場発祥地碑」は、日本橋の北詰の東側に建つ。「日本橋 龍宮城の港なり」
龍宮城の住人である海の魚がことごとく集まった日本橋。乙女像は龍宮城の乙女らしい。

このあたりから北 (三越の東側一帯) にかけて、大きな魚市場が広がっていた。
家康が江戸に幕府を開いた際、 摂津の佃村などから漁民を江戸に移り住ませて魚をとらせた。
実は彼らは江戸湊周辺を警備する水軍だったという説もある。
幕府に納めた残りの魚を舟板の上に並べ、一般に販売したのが魚河岸の始まりとされる。
関東大震災で築地へ移転するまで江戸および東京の台所として活況を呈していたという。

魚河岸とともに発展した日本橋は、昭和中頃、日本橋川と橋の上に首都高速が建設された。
現在、首都高速を地下に埋め、かつての美しい水景を取り戻す計画が進んでいるという。
旅・散策・イベント

ショータンはぼくの弟!?

2011年06月27日
日曜日の朝、孫りんりんから電話で「ぼくの部屋の片づけを手伝って」という要請があった。
わが家から自転車で10分程度の彼の家だが、今年になってからはほとんど行っていない。
昨年の秋、猫のショータンが仲間入りしてから壁紙ははがれ落ち、カーテンは傷だらけだと
聞いてはいたが、想像以上にひどい有様だった。
  11月 12月
     生後3ヶ月  2010.11                       2010.12

母親が片づけてしまえば、やってもらえるからとやらないし、放っておくとこの有様らしい。
口応えも負けてはいないようで、母子で意地の張り合いがつづく。
そこで私の出番になったらしいが、これもまた、想像以上に散らかり放題の部屋。
本棚から出た本、箱から飛び出してあちこちに散らばったレゴなどなど。
足の踏み場がないとはまさにこのことだ。

使わなくなったミニコンポとモーツアルトやベートーベンなどのCDを就寝用にあげたが、
ケースに入れずに放ってあったCDは母親に取上げられてしまったという。
開けっ放しにしていた洋服タンスの抽斗をショータンがトイレ代わりにしたとかで、
まずは洗い直した衣類を抽斗に入れることからやるようにいうが、途中で気が散って、
衣類の片づけ1つ、なかなかはかどらない。
それでも、何とか、本、玩具などを一緒にそれぞれの場所に納め、掃除機をかけて、
雑巾がけをさせて、終了。この状態がせめて1週間、保てればいいと願いつつ。

久しぶりにりんりんが学校からわが家に帰って来た日、ランドセルの中には
筆箱が入っていなかった。相変わらず忘れ物はなくならないようだ。
戻って来た日記帳を見ると、丁寧な字で書いた日が増えて来たし、感動したことや
反省?や希望など、自分の心を素直に表した日記もあった。そうはいっても、
サッカーの練習試合の日など、興奮が収まらないのか、乱雑で判読しにくい日もあったが。

その中にあの片づけの日のことを書いた日記を見つけた。
今日はなにもありませんでした。でも、かたづけが、きびしかったので、そぼをよんで、
てつだってもらうことにしました。そうすると、およそ、三十分でおわってしまいました。
そして、ピカピカに! ねこもうれしそうでした。「おにいちゃん、これぐらい、
きれいだったらいっしょにねれるね。」とつぶやいていたかのように。
おとうとのしょーたんが、おうえんしてくれて、本とうにうれしいです。

    ☆かたづけは大じですね。 いつでもせいりせいとんを 心がけようね。

あの2時間が「およそ、三十分でおわってしまいました」とは! 30分で終わるくらいなら、
私の出番は不要だろうに。実にコンパクトにまとめられていて、思わず笑ってしまった。
最初の1行「今日はなにもありませんでした」は、ないだろう!?
「たのしいこと」はなにもなかったということなのだろうが・・・。少々、がっくり。

   11月 12月
            2011.1.1                「お手」!をする   2011.3

いつの間にか、猫のショータンは弟になった。兄の汚い部屋にもすっかり慣れてしまった。
ショータンが片づけを手伝うことはないが、そばにいることが励みになるのだろう。
せっかく寝ているのに、無理矢理抱っこされたりするが、じっと我慢する、やさしいショータン
ひとりっこのりんりんにとってはかけがえのない弟だ。
ついでながら、りんりんの母親は、おやつのときに「お手!」をさせることに成功した。
弟の躾もいいが、兄の方もお願いしたいものだ。
身近な人びと

記憶のふしぎ

2011年06月26日
『記憶はウソをつく』(榎本博明 著)は、冤罪や事件の目撃証言といった事柄を例にとり、
記憶というものがいかに頼りないのかということが書かれていた。(あいまいな記憶

この本を購入しようと、書店で検索してもらった際、「記憶がウソをつくですか?」と訊ねられ、
「いえ、記憶は・・・」と答えたものの、一瞬、メモの書き間違いかと思ったほどだ。
「が」と「は」の違い。似たような題名があるものだ。

『記憶がウソをつく』(養老猛司×古舘伊知郎)も読んでみたくなり、アマゾンで購入した
(新品同様、送料なしで¥250)。こちらの方は、対談ということもあるのか、読みやすかった。
最初から終わりまで、頷いたり、驚いたり、あまりの面白さに電車にこのまま乗っていようかと
思ったこともしばしば。ドトールに入ってキリがいいところまで読んだりもした。
恐らくこんなことは『蒼窮の昴』(浅田次郎 著)以来だ。

養老猛司氏は解剖学者。ことばの名人古舘アナが養老氏に次々とユニークな質問する。
第1章「言葉を記憶する」から始まって、「記憶は嘘をつく」「忘却とは幸せの証明である」
「懐かしさはどこから来るのか」「身体が記憶する」「郷愁を誘う感覚の記憶」
「日本人の脳の不思議」そして、「記憶をリセットする」の第8章まで
「記憶」とか「脳」など、本来は難しい脳科学の話なのに、仏教、スポーツ、漫画、
匂いや味、音楽、絵画、外国語学習などまで、縦横無尽に広がっていく2人の話。
まるで目の前でトークショーを見ているようだった。

 記憶はウソをつく
      「言葉を記憶する」「忘却とは幸せの証明である」「懐かしさはどこから来るのか」・・・

『記憶がウソをつく』の第2章は「記憶は嘘をつく」だ。
男と女では記憶の仕方が違うのか」 養老氏によれば、男女の脳ははっきり違うそうだ。
空間把握能力は男性の方が優れているが、一方、言語能力は弱いという。
車の運転をみていると、狭い道ですれ違うときなど、車幅が読めない女性が多いとか。
運転に関しては車幅も読める方だし、縦列駐車も得意だったが、地図は読めない。
『話を聞かない男、地図が読めない女』と言われるが、やはりそうなのだろうか。
語学はどうだろう、受験英語はともかく、残念ながら語学の能力はない・・・。
それはともかく、養老氏によれば、男性は右脳と左脳、別々に動かすことは得意だが、
まとめて動かすのは女性の方が強いのだとか。左脳は言語野。

気付かないうちに記憶が独りでに変わる!?」 脳が変わってしまうため、
意図的に替えたりアレンジしていないのに、記憶が自然に変わってしまうらしい。
我々が記憶と称しているものは、ただいま現在の記憶。いま現在の脳に合ったものが
残っているのであって、合わなかったら捨ててしまっているはず
」で、簡単な筋書きに
変わっていたりするらしい。

断片をつないで物語にしないと記憶できない」 次々に飛び出してくる古舘氏のエピソード。
すごい記憶力!そして言語力、表現力!にも驚きの連続。
ストーリー性を持たない記憶はたいてい落ちてしまうそうで、無意識のうちにいろいろと
脚色、編集して物語をつくるのだそうだ。物語は、別の言い方をすれば、「嘘」だということ。
過去の出来事を上手につなげて面白い物語に仕立てられるほど記憶に残るのだとか。

         欄干から
                 欄干越の庭 *Click!       1987.4

幼い頃、欄干から身を乗り出して落ちたときの物音を、泥棒かと勘違いした父が箒をもって
駆け付けたという話こそ、何とも怪しいものだ。            
幼い私自身の記憶であるはずもないのに、私の記憶として残っているということは、
私自身があの部屋と南側に突出した濡れ縁と木製の欄干、そこから眺める庭が
大好きだったからに違いない。
今でも夢に現われるのは、木に囲まれた庭と旧宅の茶の間や座敷、そして欄干のある部屋だ。

因みに『嘘をつく記憶ー目撃・自白・証言のメカニズム』(菊野春雄 著)という本もある。
記憶というものは、よほどあてにならないもののようだ。
つれづれ

猫に教わったこと

2011年06月25日
猫は本来単独で生活する動物。自分の縄張りを守るためにケンカをすることがあり、
武器となる爪や牙は、どちらも鋭く深い傷を作る。

30年以上も前のこと。当時の木造平屋の旧宅にはL字型になった縁の下があった。
あるとき、庭で放し飼いをしていた犬のチビが、ノラ猫をその縁の下に追い詰めたときに
やられた。勇敢な?チビは鼻の脇に深い傷を負い、動物病院に連れて行ったと思うが、
傷はなかなか治らなかった。                 (想い出の犬たち
猫に噛まれたり引っ掻かれた傷は治りにくいと言われたことを覚えている。

わが庭にやって来る猫たちは、ほとんどの地域猫は手術済みで、おむかいのさいとうさん
ところとわが庭を中心に秩序あるコミュニティをつくっているらしい。
無駄な争いはしない。たまに、どこかの飼い猫が侵入してくると、争いが起きるように思う。
そういった傷をざらざらした舌で舐めつづけ、1週間もすると治ってしまうようだ。

昨年夏、さいとうさんのところで養生していた老いた黒猫がいたが、
プランターに入ったままじっと動かず、そばに寄るとギッと目で威嚇されることも度々だった。
病気療養中だったのか、治療に専念した?おかげで、秋には元気な姿をみせていた。

         老猫

わが庭の猫たちは怪我が多い。情けないことに、捻挫をしたのか足をひきずっていた猫たち、
ケシククトラもじっとしていると思っていると、いつの間にか治っていた。
最近は、アミが頸に、ククが後ろ足に傷を負ってひたすら舐めていた。

何でも顔や前足に傷を受けたときは相手と向かい合って負った「向かい傷」だとか。
まだまだやる気は十分で、勝ったかもしれないという。
だが、後ろ足や尻尾に受けた傷は「追われ傷」。逃げているのに追いつかれて噛み付かれたり
引っかかれたりした傷で、完全に負けてしまった証拠だという。

           クク
                    追われ傷?を負ったクク

  ククとアミ
        向い傷?のアミ                 療養中のクク

猫を人間と同じように捉えることで、強いはずのバイタルフォースを弱めてきたとも言われる。
本来、動物は、病気や怪我をしても、バイタルフォース、自己治癒力があるはずだが、
近頃の飼い猫の健康状態は悪化していて、人間のような深刻な病気にかかったり、
病気が慢性化したり、感染症の発症におびえながら暮らしているという。

わが庭の猫たちに「自然と調和して生きる」大切さを教わったような気がする。
彼らをみならって、病院や整体院通いを減らしていかなくてはと思うのだが・・・。
動物など

お寺や公園の井戸

2011年06月24日
お寺には、今も現役の井戸が多く残っていた。      (両寺の巨樹と井戸)      

   蓮長寺 玉林寺
           蓮長寺   品川区            玉林寺    台東区 

蓮長寺の井戸には、ふたりの女性の名と屋号と思われる文字が刻まれている。
東海道品川宿のころに寄進されたものだろうか。
品川の荒神様と呼ばれる海運寺、蓮長寺とも南品川にある古刹。
   満願寺 海運寺
          海運寺   品川区            満願寺    世田谷区  

    寛永寺 普斎寺 
           寛永寺   台東区            普斎寺   立川市
 
「下町風俗資料館」は、谷中6丁目で江戸時代から代々酒屋を営んでいた「吉田屋」の
建物を現在地に移築したもの。明治43年に建てられた建物は、出桁(だしげた)造で、
江戸中期から明治時代の商家建築が特徴。屋内には、秤、漏斗(じょうご)、枡、樽、徳利、
宣伝用ポスターや看板など酒類の販売に用いる道具や商いに関する資料が展示されている。
   谷中 池上
 旧吉田屋酒店(下町風俗資料館)台東区      萬屋酒店   大田区

池上本門寺の参道沿いにある「萬屋酒店」は、明治8年築。厨子二階建て、出桁造で、
江戸時代から継承された町屋の代表的な建築様式が特徴。国有形登録文化財。
建てられた当初は茶屋として、本門寺への参詣客をもてなしていたという。
現在でも酒店として営業している。店の前をよく通るが、1度も店内に入ったことはない。
秋になったら参拝帰りに「昔風のおいしい甘酒」というのもいいかもしれない。


「亀塚公園」は、江戸時代は上野沼田藩の下屋敷で、明治期は華頂宮家の屋敷だったが、
宮家の建物は解体され、更に戦災で庭園も被災した。戦後に公園として整備されたため、
聖坂に面して華頂宮邸時代の塀が残るほかは、昔の面影はほとんどない。
園内の「亀塚」と呼ばれる高台からは、古墳時代の土師器や須恵器の破片が見つかった。
     向丘 亀塚
                  川崎市           亀塚公園    港区

 
     目黒区 大田区
                  目黒区                   大田区
旅・散策・イベント

歴史ある井戸

2011年06月23日
2009年の夏、鎌倉の井戸をいくつか巡ったが、樋口一葉が使っていた井戸、そして
世田谷や港区のお寺などでもたくさんの井戸に出逢った。  (古井戸いろいろ
今では使われていないものがほとんどだが、今も現役の井戸もあった。

     次大夫堀 駒場
       次大夫堀民家園  世田谷区          駒場公園    目黒区

次大夫堀民家園」は、名主屋敷(主屋1棟、土蔵2棟)、民家2棟、消防小屋などを復元し、
次大夫堀や水田とあわせて、江戸時代後期から明治にかけての農村風景を再現している。

木々に覆われた「駒場公園」は、加賀百万石の旧前田家当主・前田侯爵邸の庭園跡地。
昭和4年に化粧レンガやタイル張りのおしゃれな洋館が、翌年、書院造りの和館が完成した。
和館は自然の巨木を生かし、名石をあしらった奥庭や芝生の広場が設けられ、
侯爵がロンドン駐在武官であったことから、外人客接待用に建てたとも言われている。


   小石川後楽園 宮野古民家
   旧養生所の井戸 小石川植物園        宮野古民家園   目黒区

小石川植物園」(文京区)は、8代将軍徳川吉宗の時代に設けられた「小石川養生所」が
あった場所で、園内には今でも養生所の井戸だけが残っている。
小石川養生所は貧困者のための施療所で、町医者小川笙船の意見により、
享保7年、この場所につくられ、明治維新のときに廃止されるまでつづいた。
この養生所の井戸は水質が良く、水量も豊富で、大正12年の関東大震災の時には
避難者の飲料水として大いに役立った」。

町奉行の下に属し、貧困者には治療のほか、衣服に至るまで配布されたという。


 飯たきの井戸
     「浅岡飯たきの井」  港区          湯島聖堂  文京区

現在の港区役所前には、「飯たきの井」の跡がある。 
山本周五郎の歴史小説『樅の木は残った』で有名な「伊達騒動(1660年)の際に、
嗣子亀千代(のちの綱村)を毒殺の危険から守ろうとして、母の浅岡の局がこの井戸の
水を汲んで調理したと言い伝えられる。江戸時代、ここに良源院(増上寺分院)があり、
仙台藩伊達家の支度所として、藩主などの増上寺参詣時などに使われていた」。



 鎌倉 井の頭
          鎌倉市               「お御茶ノ水」 井の頭公園

井の頭公園」(三鷹市)の約半分を占める井の頭池の西側にある「お茶の水」の由来は、
その昔 当地方へ狩りに来た徳川家康がこの湧水の良質を愛して よく茶をたてました 
以来この水はお茶の水と呼ばれています
」と書かれていた。
現在も湧き出る水は、地下水をポンプで汲み上げているそうだ。 

「井の頭公園」は日本で最初の郊外公園。歴史は、古くは安土桃山時代末期にまで遡るが、
江戸を中心に関東地方を治めることになった徳川家康は、人々の飲み水を確保するため、
この地にある七井の池(7つの湧水)の水質調査を命じ、日本で最初の上水道となる
自然流路の神田上水を完成させた。

井の頭公園にスケッチに訪れたとき「お茶の水」の文字を見て、湯島聖堂のあるJR中央線
お茶の水駅を連想したが、「お茶の水」の名は、お茶をたてた水という意味と知って納得。
そういえば、神田川の源流が井の頭公園にあるのは知っていたが、神田上水を整備したのが
徳川家康だとは!ここが 徳川将軍家の鷹場となったというのも頷ける。 
旅・散策・イベント

天の恵み

2011年06月22日
今日は24節気の1つ「夏至」。北半球では太陽が最も高く、昼間の時間が最も長くなる日。
「夏至」という言葉が入って来たのは、中世になって中国から二十四節気が入ってきてからで、
その後、各地で太陽の生命力を得るために夏至の日を祝うお祭りが開催されるようになった。
近年、夏至の日は昼の時間が長いので「電気を消してスローな夜を」というタイトルで
節電を呼びかけるイベントが行われるようになった。

大地震の数日前のスケッチの日、浅草から隅田川沿いを歩き、向島百花苑に立寄ったが、
途中、「天水尊」と書かれた青いタンクがいくつも目に入った。
また、墨田区には「路地尊」と呼ばれる天水尊も、町中至る所に設置されていて、
樋を伝って来る雨水を溜めたタンクの水はさまざまに利用されているそうだ。

墨田区では「流せば洪水 溜めれば資源」と、水の貯留・浸透及び利用に取り組んでいて、
雨水利用促進助成制度があり、雨水タンクを購入する際には助成金が出るという。

             天水尊

一昨年、九品仏緑道沿いの公園で、ビヤ樽型の雨水タンクを初めて見たときには驚いたが、
その後、あちこちでこの樽型のタンクを見かけるようになった。

   雨水タンク
        小田急線経堂駅前              九品仏緑道  

都市化の影響で街はコンクリートに覆われたために、雨水の浸透能力がなくなり、
降った雨はそのまま下水道に放流される。雨水が下水道の処理能力を超えた場合は、
マンホールなどから下水が逆流する「都市型洪水」が発生し、被害が生じているという。

それぞれの建物で雨を貯めれば、下水道への負荷を軽減することができ、都市型洪水の
防止に寄与するだけでなく、貯めた雨水は、水資源として活用できる。
雨水を溜めることで、水道代、電気代、エネルギーの節約はもちろん、雨水が流れ出すのを
抑制したり、災害時の雑用水となることも忘れてはならない。 

都民1人1日当り約300㍑の水を使っているが、そのうち、口に入るのは5分の1だそうだ。
植え木の水やり、打ち水など、雨水は有効に使わなくてはと思うのだが、わが庭では、
つくばいに溜まった雨水は猫たちの飲み水になっている。
雨水タンクはないまでも、せめて井戸水で打ち水や散水が出来るといいが、わが家の井戸は
10年ほど前にはすでに涸れていた。近くにマンションがいく棟も建ったせいらしい。
つれづれ

神宮の杜

2011年06月21日
表参道に行った折、久しぶりに「明治神宮御苑」(渋谷区)に立寄った。ちょうど菖蒲の時季だ。
ここ数年、表参道や原宿付近に行くことはあっても、神宮御苑に入ることはめったになく、
はるか昔、内苑に菖蒲を見に来たことを想い出しながら、広い参道を北門へ歩いた。

この御苑は、江戸時代には、肥前熊本藩加藤家、近江彦根藩井伊家の下屋敷の庭園だった。 
明治時代、宮内省所管となったが、畑がほとんどで、荒れ地のような景観が続いていた。
大正になって「永遠の森」を目指して造営工事が始まった。
このころ、東京では公害が進んでいて、都内の大木や老木が次々と枯れていった。
伊勢神宮や日光東照宮のように杉を植えたいと望んだ政府を説得して、林業関係者は
100年先を見越して椎や樫などの照葉樹を植えたという。     (照葉樹の森

「明神鳥居」  高さ12m 幅17.1m 柱の太さ直径1.2m 重さ13t
南参道と北参道の出合い口の大鳥居(第二鳥居)は、わが国で最も大きい木造の鳥居。
篤志家により奉献された2代目。原木は樹齢1500年の台湾のヒノキ。

「菖蒲田」 流麗な曲線を描く菖蒲田に約150種1500株の菖蒲が咲く。
絵を描く人には会わなかったが、ケータイを菖蒲に近づけている人は多かった。
「橋の上では写真撮影禁止」の立て札も目に入らないらしい。

     菖蒲田
             
「清正井」 この地が熊本藩主加藤家の下屋敷であったことから、土木の神といわれた
加藤清正に因んだ名がついたという。富士山から出た気が流れる「龍脈」上にあり、
「清正井」は自然の湧水として、とくに気が集まっているという。 
この井戸は、「パワースポット」として有名になり、多くの人たちが訪れるようになり、
昨年などは整理券が発行されて何時間待ちという話をきいた。(パワースポットの中心点

入口で入場料(¥500)を求めると、「清正井へ行かれますか?」と訊かれた。
どのくらい待つのだろうかとも思ったが、それならそれで引き返そうと、整理券を手にして
ガードマンの立つ分かれ道へ向った。

   整理券
            「清正井 整理券 入苑時間 13:00~ 明治神宮」  

    井戸へ
               「清正井」の待受画面は運気が上がるとか・・・

             清正井

井戸の前に人は少なかった。慣れたもので、ガードマンは案内役も兼ねているようだった。
四季を通じて水温は15℃前後。水の中に手を入れてはいけないと注意された人もいた。
神宮の杜に降った雨が湧水となって菖蒲田を潤しているのだそうだ。
澄み切った水を見ていると、心がけ次第だとは思うものの、パワーが出て運気がアップする
ような気がしてくるから不思議だ。

井戸でパワーアップして、杜の中を北門へ戻る。左へ行けば代々木方面、右は原宿方面。
散策のときは出来るだけ同じ道を通らない主義?だが、原宿駅に戻ることにした。
途中、駐車場から大型バスが5台出て行った。震災後激減した観光客も戻って来たようだ。

「奉献 清酒と葡萄酒」
以前は気付かなかったが、参道の両側に「清酒菰樽(こもだる)」と「葡萄酒樽」が並んでいた。
「和魂洋才」を旨とした明治時代、明治天皇は、断髪、洋装をはじめ、衣食住の様々な分野に
おいて西欧文化を積極的に採りいれられた。食文化においても率先して洋食を、西洋酒としては
特に葡萄酒を好まれたと、案内板にあった。 

  菰樽
        清酒菰樽
                  葡萄酒樽
                       フランスブルゴーニュ地方の葡萄酒樽

森がつくられて100年近く経つ明治神宮では、植生や下草の生育状況、生息する動物の種類、
外来種の侵入状況といった生態系の現状の調査(~2012年)を行う。30年ぶりの2回目の調査。

今や、東京ドーム15個分の境内に17万本もの木々が豊かに生い茂り、はるか昔から
原生林であったかのような杜となった。
すぐ隣に山手線が走り、若い人たちが集まる賑やかな街がある都心にいることをしばし忘れ、
照葉樹の杜からパワーをもらった梅雨の神宮散策だった。
旅・散策・イベント

照葉樹の森

2011年06月20日
今回の大津波では、太平洋沿岸の堤防は至るところで決壊し、松林は根こそぎ流され、
集落は全滅するという、壊滅的な被害を蒙った。だが、釜石ではシラカシが、南三陸町では
タブノキが、こうした深く根を張るカシ類やケヤキなどが各地で生き残っていたそうだ。

以前から「宮脇方式の森づくり」を提唱する宮脇昭氏(生態学者・横浜国大名誉教授)によれば、
「潜在自然植生」つまり、人の手が加わらなければ繁茂する樹、その土地土地に適した樹木が
あるはずで、それはわずかに残る屋敷林や「鎮守の森」をみればわかるそうだ。そうした森には、
シイ、タブノキ、カシ類の照葉樹が茂っているはずと。    (鎮守の森の対の巨樹

昔、日本の98%は森林で、その93%近くが常緑広葉樹を主とする照葉樹林帯だった。
だが、今の日本には、その土地本来の森はたったの0.06%しか残っていない。
ほとんどは人間が手を入れて、二次林や人工的単一樹種の林にしてしまったのだという。
そのため、台風や地震、洪水などには、二次災害が起こることになるのだ。

「白砂青松」という言葉のように、海岸には潮風にも強いクロマツが植えられてきたが、
人間が手を入れなかった海岸崖地などにはカシ類が自生している。
これからの堤防を考えるとき、松類だけでなく照葉樹も加え、丈夫さと景観を兼ね備えた
緑化を検討してほしいと、宮脇氏は提言しつづけている。      (貴重な緑

   椎の木
             椎の木      湯島聖堂    文京区

宮脇氏は、後に「宮脇方式」と呼ばれる、土地本来の植生をポット苗を用いて植える方法で
環境保全林造りを初めて新日本製鐵大分製鐵所で行う。この森造りの成功によって、
企業や地方自治体など宮脇方式を取り入れた森造りが盛んになった。
国外においては、熱帯雨林再生プロジェクトに参加したり、マレーシアではポット苗を
植樹する方法で、再生不可能とまでいわれている熱帯雨林の再生に成功する。
また、中国の万里の長城でモウコナラの植樹を行うプロジェクトを進めている。
(Wikipedia)

以前、ハーブ専門店でもらった小冊子『命を守る森のささやき』で、「宮脇方式」のことを
知ったが、先月、ラジオ(TBS)で聴いた宮脇氏の話に、あらためて、樹木の大切さを思った。
早速、『三本の植樹から森は生まれる』(宮脇昭 著)を借りて来た。

その中の「宮脇方式森づくり」・5つの視点は、ラジオでも紹介された。 
1 土地本来の木を植えよう・・・潜在自然植生を探す、本物は長持ちする         
2 「混ぜる混ぜる」一種類だけでの木を植えない・・・密度効果 モノカルチャーは存在しない

 下草も必要だしバクテリア必要。森の下には森があると。    
3 植樹から3年は除草の管理、あとは自然の力・・・15-20年でできる森づくり
4 自分の手で木を植える
5 こどもたちにいのちの大切さを教える


イギリスなどの荒野の真似をして芝生公園をつくったり、アメリカ花水木やニセアカシヤなどの
街路樹を植えてきたが、3年以上経っても手入れが必要なモノはニセモノだとも。
照葉樹林文化をルーツとする日本人は、今こそ率先して人類を救う正しい木を植えるべきで、
昔に戻すのではなく、長く対応できる「ホンモノの森」をつくるべきだと宮脇氏はいう。

     タブの木
             タブノキ      白山神社    大田区

わが家から歩いて5分以内のところには、小さいが、鎮守の森がいくつかあるし、
シイの大木がある民家や多くのの樹木が残る空地も2ヶ所ほどある。もっとも近い空地には、
シイ、マテバシイ、カシ、イチョウ、サクラ、ケヤキ、ハクウンボク、ビワ、イイギリ・・・
数え切れないほどの樹木が生えていて、四季折々の緑のある風景を楽しむことが出来る。
照葉樹が多い、比較的恵まれた環境にいることをあらためて知った。

わが家では、20年前までは屋敷林とは言えないまでも、塀の内側の椎が木造平屋の家屋を
囲んでいた。その手前にサンゴ樹とかネズミモチとかの、幼い頃の私の木登り用の木があり、
池の周りには梅、柿、ドウダンツツジ、もみじなど、覚えきれない種類の木があった。
庭を掃くことや草取りを手伝わされるのが嫌で嫌でたまらなかった。1年の半分近くいる蚊に
刺されることはもちろん、クモの巣やトカゲやヤモリの突然の出現はもっと嫌だった。

建替えで庭も狭く、樹木も少なくなったが、蚊はまったく減らず、相変わらず夏は辛い。
父が南側を芝生にした。手入れは思ったより大変で、20年以上経った今では、
青い芝生のイメージはどこへやら、ドクダミ(好きな花ではあるが)やらヒメジョオンやら、
さまざまな草で覆われている。

因みに、照葉樹林の特徴は、スギ林等の針葉樹林よりも酸性雨に強いこと、林内の湿度が高く、
落葉期が集中しないため山火事に耐性があること、針葉樹などと比べ比較的根が深いため
水源涵養林として適性が高いなどの利点をあげることができる。
(Wikipedia)

明治神宮(渋谷区)の杜は、大正時代、100年先を見越して照葉樹を植えたことで、
今は自然林のような豊かな杜になっている。            (神宮の杜
植物など

あいまいな記憶

2011年06月19日
今日は「父の日」。父と旅したことも一緒に出かけたこともほとんどなかった。
幼いころの想い出は、怒られたつまらない思い出ばかりで、楽しかったことは思い出せない。

旧宅時代のこと。腰高の窓から突き出した濡縁には、木製の欄干がついていた。
地上1mくらいのその上から、幼い私は落ちたことがあった。南側の陽が当る濡縁の上は、
大人になっても大好きな場所だったから、さぞかしお気に入りの場所だったに違いない。

あるとき、濡れ縁に出て遊んでいるうちに欄干から身を乗り出した。その瞬間、真っ逆さまに
落ちたのだが、幸い、植込みの間だったので大事には至らなかったらしい。
下に踏石があったらと思うと今でもゾーッとする。ドスンという音に、隣の部屋で原稿を
書いていた父は、泥棒の侵入だと思い、近くにあった箒を手にとって駆付けたという話である。

落ちたとき泣いたのか?擦り傷程度で済んだのか?母が留守だったのか?何歳のときか?
それとも、箒をもって駆け付けた父を母が見たのか? よく考えるとおかしな話だ。
聞かされたこの出来事は、あるときから自分自身の記憶としてインプットされてしまった。
    欄干
       解体直前の欄干    1990.11     欄干の前の父とアルバート  1988.1

『記憶はウソをつく』(榎本博明 著)を借りて来た。
「人がウソをつく」のではなく、「記憶がウソをつく」というのだ。
記憶を巡るトラブルや言い争いは日常茶飯事で、記憶というものは、後から入ってきた情報や
現在の心理状態の影響を受けやすく、刻々と姿を変えてしまうことがある
と、まえがきにある。
記憶の怪しさを科学的に解明することを目的としている。

様々な心理学的実験の結果を紹介しながら、いかに記憶というものがあやふやなものか、
また、偽造されたり改変されたりしやすいものかを紹介している。
記憶は書き換えられるもの。今の自分の状況が影響する。想像し、イメージしたことが記憶に
紛れ込む。話しているうちに自分もだまされていく。別の日の記憶の断片が混入する。
記憶は、記録されたノートを辿るといったものではなく、思い出す度に再構築されるのだとか。

記憶ほどあてにならないものはないようだ。冤罪事件に焦点が当てられているのだが、
自分がこういった事件にいつ巻き込まれてもおかしくないということを知って怖くなった。

幼い頃の記憶は、周りの大人たちによって話された内容や写真などをもとに取り込まれた
記憶である可能性が大きい。つまり、自分の体験でないものが記憶の中に取り込まれる。
しかも、時間とともに記憶は薄れていくのに、繰返し話していると、記憶は強化されてしまう。

旧宅が解体され、影も形もなくなった欄干だが、たまにあの出来事を想い出すことがあった。
ほんとうに父は泥棒と思ったのだろうか?箒をつかんで駆け付けたのだろうか?
父が話を面白くしたような気もしている。生前、父にほんとうのところを訊いておけば
よかったなと思わなくもないが、私自身の記憶として大切にしておくのもいいかもしれない。

最近、植木を眺めながら一服していた父の姿や庭を駆けまわっていた犬たちの姿を想い出す。 
庭でお気に入りの赤い長靴を履き、棒を振り回して遊んでいた幼い私の姿も目に浮かんでくる。
これは、母の友人Hさんによってつくられた記憶だ。4年前、そのHさんも逝ってしまわれた。
つれづれ

ハコネウツギ

2011年06月18日
      箱根空木  スイカズラ科 タニウツギ属
              学 名 Weigela coraeensis
              別 名  ベニウツギ

      二色空木  スイカズラ科 タニウツギ科    
              学 名  Weigela decora

   

「箱根空木」は、日本各地の海岸近くに自生するが、庭園樹として植栽されることもある。
花期は5〜6月頃で漏斗状の花を咲かせる。白い花が次第に紅色へと変化する。
名前に箱根が付くが、箱根にはわずかしか自生していない。

「二色空木(にしきうつぎ)」に似ているが、淡い黄色がかった白色から紅色に変わる。
山地型のニシキウツギから海岸型のハコネウツギへの移行型が多いので、
看板などがない限りほとんど区別がつかないという。
 

   ツキヌキニンドウ   スイカズラ科 スイカズラ属
                 学 名  Lonicera sempervirens 
                 和 名  突抜忍冬
                 原 産  北米
            
「突抜忍冬」は常緑蔓性低木。花序のすぐ下の葉だけは基部が合生して1つの長蛇円形になり、
この葉から突き抜けて花序がでることから、突抜忍冬の名前がついた。
開花直後は内側が黄赤色であるが、やがて内側も外側と同じ紅色になる。

            ツキヌキニンドウ

近所のお宅の塀から顔を出すハコネウツギ(ひょっとするとニシキウツギかもしれない)や
ツキヌキニインドウは、普段は気にもとめずに通り過ぎている。
花が咲き始める5月、6月になると、塀の側を歩き、立ちどまって眺める。
茎が葉を突き抜ける様子が、何度眺めても不思議で仕方がない。赤い実がなるというが、
未だ実をみたことはない。
因みに、忍冬というのは、スイカズラのこと。
植物など

被災地にも春が来て

2011年06月17日
東日本大震災から3ヶ月経った6月11日は朝から雨が降っていたが、夕方には止んだ。
この日、「被災地の春」写真展が開かれていた赤坂サカス(港区)の赤坂ギャラリーに立寄った。
あの大地震の日、昼頃にわずかな間、雨が降ったことを思い出した。(恐ろしかった1日
            
この写真展は、被災者の「ココロの復興」を願って、「春」と「希望」をテーマに開かれた。
ボランティア、記者、カメラマン、被災地した人々などが、4月末、茨城、福島、宮城3県の
被災地を歩きながら、折にふれ撮影した「春の訪れ」を撮影した100点近くの写真が
展示されていた。(主催 TBSなど 今日で終了)。

   被災地の春

桜やタンポポなどの春の花やあどけない少女の笑顔などが映し出された写真がほとんどで、
それらの写真1枚1枚につけられた短いコメントにも胸を打たれた。

命息づく「春」。生きているんだ、生きていこう!
被災地に穏やかな春がやってきました。津波に呑まれた大地から、すっくりと
黄水仙が立ち上がっていました。被災者から、皇后さまに手渡されたあの花です。
被災者は、「この花のようにがんばりますから」と伝えました。


命の輝き、息づく春が、被災者を勇気付けることもあるのですね。
被災者の心を踏みつけたのは自然でしたが、一方で自然には心を癒す力もあります。
現場を歩き、ふと気づいた被災地の春を写真におさめました。


 被災地の春写真展

写真展を見ながら、「それでも、人に、春は、届けられた。」ということばを思い出していた。
東急沿線のフリーマガジン『SALUS(サルース)』 6月号、コピーライター岩崎俊一氏の
連載エッセイ「大人の迷い子たち」の題だ。

岩崎氏のエッセイが大好きで、毎号、楽しみにしている。東急沿線に住んでいてよかった!
今回の「それでも、人に、春は、届けられた。」は、何度読み返しても心の奥に響いてくる。

・・・人間は、地球という場所を借りて生きる一生物にすぎない。・・・
この世の主人公のつもりで生きている人間の、驚くばかりの無力さに思わずたじろぐのである。

余震の夜の翌日、友人と酒を飲んだあと、青山墓地へ向かった。すっかり忘れていたが、
今年の桜はどうなっているのだろうか。
通りはしんと静まり返り、人影はなかった。しかし、桜はほぼ満開になっていた。
ところどころに灯る街灯に、鮮やかなピンクが浮かびあがる。ああ、と思わずため息が洩れる。

確かに僕たちは、地球のわずかな振動にあわてふためく、ちっぽけな生き物かもしれない。
だが同時に、地球が咲かせるこの花の美しさに胸をふるわせ、そのいのちの儚さに心を痛める、
地上でただ一つの生き物であるとも思う。

そしてこの春を前に、この花を見ることもかなわずに逝った何万ものいのちがあることに、
今更ながら胸塞がれ、僕はひとり立ちつくしていた。
旅・散策・イベント

「風景印」 中央区 Ⅱ

2011年06月16日
「江戸っ子」が住んでいた江戸城下、日本橋、神田あたりがいわゆる「下町」だという。
江戸城の北西、寺社、武家屋敷が立ち並ぶ付近は「山の手」。

隅田川とJR(神田―東京駅)に挟まれた下町には、「日本橋」が頭につく粋な町名が多い。
大伝馬町(おおでんまちょう)、蛎殻町(かきがらちょう)、茅場町(かやばちょう)、小網町(こあみちょう)、
小舟町(こぶなちょう)、富沢町(とみざわちょう)、浜町(はまちょう)久松町(ひさまつちょう
本石町(ほんごくちょう)、室町(むろまち)、馬喰町(ばくろちょう)など。

日本橋本町局小伝馬町局 
   日本橋本町 小伝馬町 
    石町の鐘 吉田松陰終焉の地碑 区花つつじ     伝馬 区の花つつじ          

江戸時代、大名や大店の商人を除き、庶民は時計を持っていない。そこで、時計を見ながら
鐘で時を知らせていた。「石町(こくちょう)時の鐘」は江戸で最初の時の鐘。都指定有形文化財。
当初、江戸城内にあったが、御座に近すぎるため、石町に移された。現在は十思公園内にある。 

「時の鐘」は、その後、本所、上野、芝、浅草、目白、赤坂、市谷、四谷などに設けられ、
鐘の音が聞こえる範囲の町からは、住民から「鐘楼銭」を徴収して、維持されていたという。

    時の鐘   処刑場跡
      「石町の鐘」 十思(じっし)公園           処刑場跡  大安楽寺          
   絵タイル 絵タイル

東京メトロ小伝馬町駅近くの歩道に、伝馬と牢屋敷が描かれた絵タイルをみつけた。
「伝馬(てんま)」は、古代から近世までの日本に見られた使者や物資を馬で運ぶ交通制度。
江戸唯一の牢獄「伝馬町牢屋敷」は、現在の十思公園や大安楽寺付近。約2600坪あった。  
大安楽寺に「処刑場跡碑」、吉田松陰「終焉の地碑」が十思公園内にある。

日本橋大伝馬町局  
  大伝馬町 富塚
   椙森神社の富塚碑  区花つつじ         椙の森神社の富塚碑 

湯島天神、谷中感応寺(現天王寺)、目黒の龍泉寺は「江戸の三富」と称されたが、
椙森(すぎのもり)神社でも、寺社奉行立ち会いでの富くじが盛んに行われていた。
江戸の町は火事が多く、寺社が焼失することも度々で、享保時代以降は主に寺社普請の
ために有力寺社で富くじ興行が行われてきた。「富塚」はその興行を偲んで建てられた。

富くじは、抽籤によってくじ購入者が賞金を得る賭け事。日本古来のものや漢字表記では、
富籤(とみくじ)という。現代では富くじを総称して宝くじと呼ぶ用例も多い。
宝くじは、日本において当せん金付証票法に基づき発行される富くじ(「当せん金付証票」)。
なお、賞金付きの籤を購入するギャンブル一般を指す普通名詞は富くじが正式。
(Wikipedia)

ほんの気まぐれで宝くじを買ったことがあるが、当った試しがない。ごんさんもたまに買うが、
数年前、宝くじ売場のおばさんに黄色い袋をもらい、買った宝くじをその袋の中に入れて
西に置いておくように勧められたことがあった。風水の金運アップ作戦だろう。
その作戦で3千円で10万円当ったことがあったので、私もやってみたが、何の効果もなかった。
最近は宝くじを買うのはやめて、黄色いお財布を買った。効果のほどは??
旅・散策・イベント

おじさん おばさん

2011年06月15日
『おしさん・おばさん論』(海野弘 著)を読んだ。登場するのは ドガの叔父、ピカソの伯父、
ミレーの大叔父のほか、ベートーヴェン、ゴッホ、ロダン、チェーホフなど、古今東西の伝記や
文学の中から集めた100人のおじさん、おばさんたちだ。

彼らは、「両親による直線的継承とも、友人による水平的な親愛とも違い、斜めに文化や知識を
伝えてくれる存在。家族と外部の境界にいて、私と他者との間に、斜めに橋を架けてくれる」。


1075no2.jpg  プロローグが面白い。
  「今日では、彼らはあまりに不当に扱われている。
  おじさんはくさく、おばさんはださい。いいイメージがない。
  だから、女性誌、男性誌がいかにおじさん・おばさんに
  ならないかを特集し、本が書かれる。
  しかし、だれでも年をとる。おじさん・おばさんが
  伝えてくれるものを文化といっていいかもしれない
」と。
  そして、忘れていた彼らの思い出はいつか戻ってきて、
  「自分がおじさん・おばさんになったとき、
  かつての自分を再発見する
」という。

母の兄と姉は夭折したため、私には父方のおじ・おばしかいない。
そのおじ・おばの多くは九州在住だったこともあり、めったに会うこともなかった。
私が小学生の頃、博多(福岡県)の伯父が上京した折、わが家に泊ることがあったが、
そのとき、伯父とどんな話をしたのかまったく記憶がない。
高1の夏、母と妹と唐津(佐賀県)に墓参に訪れた折、博多の伯父の家に立ち寄ったが、
大宰府天満宮で伯父と撮った写真と、「九州の夏は暑い」という印象しか残っていない。

父の末の妹、叔母一家とは、父が亡くなるまでは頻繁に行き来した。
最初の記憶は、叔父に妹と2人、品川のアイススケート場に連れて行ってもらったこと。
当時の叔父の家は宮崎だった。出張で上京し、わが家に泊ったときの話だ。
叔父が手とり足とり教えてくれたお陰で、私も妹もどうにか滑れるようになった。
写真を撮っていないこともあって、ことのときの叔父の姿も言葉も想い出せないが、
今でも「アイススケート」ときくと、叔父や品川のスケート場を連想することがある。

私が大学生の頃、この叔父一家は東京に越して来た。2人の従弟は中学生だった。
勉強を嫌がる上の従弟の勉強をみるために1時間かけて通った。2年くらいつづいただろうか。
今、それぞれにいい父親になった従弟たちとの付き合いはほとんどなくなったが、
彼らのおばさんのように、勉強以外にも何かを伝えようと頑張っていた頃が懐かしい。

ごんさんの母方の叔父も伯母も全員が東京在住。『おじさん・おばさん論』でいう
「斜めの文化や知識を伝えてくれる存在」だったようだ。彼は今でも「○○のおばちゃん」、
「○○おじちゃん」と呼ぶ。叔父は2人、伯母は4人。結婚当初、覚えるのに一苦労だった。

私たちはどうだろうか。子育て中の甥や姪から大学生の甥まで6人の「伯父・伯母さん」だ。
冠婚葬祭のときにしか顔を合わせない甥や姪もいるが、歩いて10分のところの姪とは、
義母を誘って食事をすることもある。あそこのカレーが美味しかったとか、親戚猫のミケが
子どもを産んだとか、たわいもないことで盛り上がり、義母は呆気にとられることもしばしば。

そんな伯母と姪の関係は、親子とも違う。およそ文化や知識の伝達とは程遠いが、
ときとして姉妹のようにもなれる、なかなかいい関係だ、と私は勝手に思っている。

     娘たちの叔父さん
             息子とK叔父 1982           娘とK叔父  1973 
  
その姪の父親、K叔父さんとわが子のツーショットを見つけた。若い!驚くほどスリムだ。
まだ独身だった叔父さんだ。遊んでもらっていた娘も息子も親になった。 
思えば、最近、子育てに忙しい娘や息子たちとゆっくり話をしたり食事をすることもなくなった。
身近な人びと

アイスプラント その後

2011年06月14日
先月、ラジオで「アイスプラント」が、健康増進や病気予防に効果があることを知った。
近くのレストランが栽培する数種の野菜の中にその「アイスプラント」があったのを思い出し、
立寄ると、シェフはわざわざ「アイスプラント」入りのサラダをつくってくれた。そして、
収穫したばかりの「アイスプラント」袋いっぱいお土産にいただいた。
さらに、鉢を持参して「アイスプラント」をわけてもらう約束まで。 アイスプラント
その日の夕食にいただいた「アイスプラント」サラダを加えた。

このレストランの近くの整体院に通いだして3年経つ。その後、紹介したMさんが通い出して
2年近くになる。彼女が整体院を予約した日にランチを一緒にすることがあるのだが、
「アイスプラント」に惹かれて、このレストランでのランチにすることにした。

サラダ
  彼女はカレーライス、私は
  手づくりハンバーグを注文した。
  カレーライスはアイスプラント
  のサラダが付く。
  ハンバーグには付け合せの
  レタスサラダがあるが、シェフは
  別にアイスプラントサラダを
  サービスしてくれた。そして、
  「鉢をもってらっしゃいよ」。

一旦、帰宅し、散髪から戻っていた孫りんりんと、プランターを持って再びレストランへ。
「これはいい土だからね~」と、「アイスプラント」1株をプランターに移してくれた。
「塩水はやったばかりだから、しばらくは水だけでいい」「日なたに置く」などが注意点。
帰宅後、調べると、「アイスプラント」の栽培は、10月から5月末で、夏は難しそうだ。
水耕栽培のものを置くスーパーもあるが、種子や苗は10月からの予約販売のようだ。

それから1週間も経たないうち、絵のお仲間Sさんを整体院に紹介することになった。
当日、やはり、その前にランチをすることになり、この店に入った。
以前、お嬢さんが買ってきてくれたそうで、彼女は「アイスプラント」を知っていた。

今までレストランで栽培中の「アイスプラント」に気づいていたものの、ある日突然、
身近になったこの植物の苗を、近所の花屋さんで見つけときは、偶然ではないとさえ思った。
「いつまた入るかわからない」というので、10個買った。1個60円なり。(写真左

 わが家のアイスプラント
                         
急に身近になった「アイスプラント」とレストランだが、その後、コーヒーが飲みたくて
ひとりで寄ったことがあった。この日の目的は、「アイスプラント」ではない。
実は、はじめてこの店に入ったときに、ウェイトレスが中国人では?と感じたので、
シェフに訊ねると、中国の大学を出て、今、日本語学校に通っているとのことだった。

彼女と中国語で話そうと勇んで入ったのだが、結局、日本語の会話オンリーという始末。
日本に来て、この6月で1年の彼女は、午前中、日本語学校へ通い、午後はアルバイトと
忙しい毎日を送っている。大連出身とのこと。この程度は、中国語でも会話出来たのに・・・! 
次回こそ、中国語で訊いてみよう。「大連はどんなところ?」「日本では何を勉強したい?」
植物など

キャンドルナイト

2011年06月13日
「でんきを消して、スローな夜を」を合言葉に始まった「100万人のキャンドルナイト」も
今年で9年目を迎えた。毎年、夏至や冬至の頃に各地で行われているが、今年は
東日本大震災から100日目にあたる6月18日に行うところも多い。

今年で4回目の増上寺と東京タワー(港区)では、東京タワーのライトアップが消され、
キャ ンドルの灯りでライブなどを楽しむというもの。被災した生産者だけではなく、
復興を応援する全国の生産者が自慢の食材を持ち寄る「食べて復興応援屋台」が開かれる。
東京ミッドタウン(港区)は今年で3回目。環境や平和について考え、東日本大震災の復興の
祈りを込めた、約2500個のキャンドルがスマイルマークが芝生広場に描き出されるという。

大震災から3ヶ月の一昨日、朝から降っていた雨は、夕方にはすっかり上った。
池上本門寺(大田区)に着いたのは6時少し前。総門の内で福島の特産品が販売されていた。

        17:50
       此経難持坂(しきょうなんじざか)の96段の石段に並んだ灯籠 

18:00 演奏開始  
     18:10
                     和太鼓演奏
   18:20
          岩手県石巻市の小学生が描いたメッセージランタンも並ぶ

いわき食菜館の方が大震災の被害状況を話し始めると、膝に抱いた赤ちゃんに向かって、
「いわきなんてたいしたことないよ。おばあちゃんなんか、おうちがぜ~んぶなくなっちゃって
どうしていいかわからないんだよ!」。周りに聞えるような大きな声で・・・。
きっと東京の親戚のところに身を寄せておられるのだろう。

       雅楽演奏
                     僧侶による雅楽演奏

19:00 カウントダウン 重要文化財の五重塔のライトや境内の灯りがいっせいに消され、
キャンドルの灯りが浮かび上がった。

       19:05         
     竹ランタン
           18:00      境内には竹のランタン        19:15

 影絵
                      影絵
大堂へ
       19:15
 いのり
               大堂の階段に「いのり 2011.6.11」
        
       I❤3M
                「I❤3M」       此経難持坂の下

「I❤3M(アイラブ3メートル)」とは、自分の周り半径3m360度圏内で考えていくことで、
髪も町も綺麗にしていこうという、大田区の床屋さんたちの青年たちの活動。

     19:35 ❤

7時半、本門寺を後にした。不思議なことに、終了予定の9時過ぎ、小雨が降り出した。
それまでは本門寺の境内は闇の中、あたたかいランタンの灯りに包まれていたことだろう。
旅・散策・イベント

梅雨の空

2011年06月12日
今年の梅雨入りは早かった。5月27日、「関東甲信地方は梅雨入りしたと思われる」と、
気象庁が発表した。平年より12日早く、昨年より17日早いそうだ。
統計開始以来、関東甲信は2番目、東海は3番目の早さだという。    
実は、梅雨入りした頃も、都内ではまだスギやヒノキの花粉が飛んでいたという。
東日本大震災後の余震でスギの木が揺れ、東北地方でも花粉の飛散量が増え始めた。
今年の花粉飛散量は、昨年に比べて9倍以上、過去平均2.7倍で、2位だった。

梅雨入り前の空 

5.6 5.24
     
梅雨入りの日
5.27

梅雨の晴れ間
 5.30

梅雨入りが早いと明けるのもはやいのだろうか? そうとは言えないらしい。
気象予報士の森田氏によると、梅雨入りが早い年は、集中豪雨など天候不順の可能性もあり、
梅雨明けは7月18~20日あたりらしい。暑い夏も困るが、梅雨空がつづくのも嫌になる。

梅雨空
6.3
旅・散策・イベント

震災から3ヶ月

2011年06月11日
東日本大震災による影響はさまざまなところに及んでいる。節電によって暗くなった
夜道でのひったくりや「震災詐欺」などの犯罪も増えているらしい。
被災していない人の間で今も見られる「震災五月病」や「震災太り」。
未だに横になると揺れている!と感じるときもある。実際に地震だったこともあるが。

節電は衣食住に広がっている。電気を使わない魔法瓶は生産が追いつかないほどだというし、
電気炊飯器の代わりにと、土鍋が売れているそうだ。簾やよしずの売行きも好調で、
「省エネ マジックすだれ」などというのも登場した。

          スーパーで 
            扇風機(¥1980と¥2980)や簾いろいろ   スーパーで

電器店はもちろん、今まで電気製品を扱わなかったスーパーにも扇風機が並んでいるし、
充電式の扇風機も比較的安く手に入る。夜間の充電で、昼間、5時間以上使用可だとか。
エアコンの設定温度を少しでも上げることも大切だが、扇風機を併用することで
電気代を50%カットできるとも言われている。

エアコンが苦手な私は、たいていは扇風機を使うようにしている。パソコンに向かうときは、
卓上のミニ扇風機とUSBケーブルでパソコンにつなぐミニミニ扇風機も役に立つ。
幸い、家の西側を除いて樹に囲まれているし、部屋も1階で風通しもいいせいか、
昨年のあの酷暑の夏も、網戸と簾、そして扇風機のおかげでなんとかしのぐことが出来た。
もっとも、午前中に出かけ、比較的涼しい夕方に帰宅という日が多かったからかもしれない。
会員制の自習室も急増しているらしいが、私は図書館で積読状態だった本に挑戦するつもりだ。
  
パソコンの節電だが、マイクロソフト社の実験の結果は参考になった。
Windows PC 自動節電プログラム」で約 30%の 消費電力削減効果が期待できるそうだ。

起動時と終了時に多く電力が使われるため、電源オフからの起動はスリープからの復帰に
比べ、3倍以上の電力を消費するという。シャットダウンとスリープの使い分けがポイントだ。
わが家の(Windows XPデスクトップ)場合、1時間45分以内なら「スリープ」にしておく方が、
省エネだということがわかった。
また、ディスプレーの明るさを100%から40%に落とすことで約23%の節電になるそうだ。

また、充電器や家庭用の蓄電器なども売れているというが、「省エネ」ならぬ「創エネ」も
身近になりつつあるようだ。一般家庭向きに、折り畳んで持運びが出来、30秒で組立て可
という「太陽光発電機」(約16万円)や小型の風力発電機(150~200万円)も登場したとか。

ところで、先日、だいぶ草臥れたパソコン用の「中近両用眼鏡」を作り替えたとき、
「災害用眼鏡」(¥4980)があることを知った。近眼から遠視、老眼まで対応できるとか。
度数の調節が「いつでも」「誰にでも」「何度でも」可能なこの眼鏡なこの眼鏡は、災害時の
緊急用や一時的なスペアの眼鏡として開発され、
世界で初めて日本で商品化された。
今回の大震災後に登場したのではないそうだ。
            災害用眼鏡
そういえば、緊急時、忘れがちなものの1つが眼鏡のスペアだということをきいた。
緊急持出用にこの眼鏡を買っておこうかなと一瞬考えたが、バッグにはいつも「遠近」の
眼鏡が入っているし、自宅には「中近」が新旧2つ揃ったので買うのはやめた。

煎り豆
   料理研究家の坂本弘子氏のオススメは豆。
   避難先での、とくに子どもの脳が心配だという。
   脳を守るために煎豆やレトルトの煮豆を
   用意しておくこと。チョコや飴より羊羹がよいそうだ。
   
   数年前まで豆類を受けつけなかった孫りんりんが、
   美味しい美味しいとよく食べるのには驚いた。


非常用持ち出しバッグはあれもこれもと詰め込むと、いざというとき、重たくて移動が大変だ。
そんなことから、水、ラジオ付手回ライト、レインコート、濾過フィルター、レスキューシート、
簡易トイレなどが入っているキャリーバッグの予約をした。このキャスター付バッグの内側は
防水仕様で、水の配給時、タンクやバケツの代わりが出来るという。そろそろ、届く頃だ。
このバッグをずっと使わずに済むことを願うのだが。
つれづれ

街で見かけた時計

2011年06月10日
今日は「時の記念日」。およそ1250年前のこの日に、天智天皇が水時計を用いて時報を
行ったという故事に由来しているというが、制定されるきっかけのひとつとなったのは、
大正9年に東京国立博物館の前身である国立教育博物館で行われた『時』展覧会だったとか。

万年時計
  科博の地球館に展示されている「万年時計」
  (重要文化財)は、からくり儀右衛門こと田中久重に
  よって製作された和時計。
  6面ある文字盤には、日々変化する昼夜の長さや、
  季節の移り変わりに合わせた不定時法という時刻表記を
  用いた和時計と、現在のように時を一定に刻む
  定時法の西洋時計、さらには干支、七曜、二十四節気、
  月の満ち欠けが表示してあり、天頂部には、太陽と月の
  運行を表す天球儀が備えてある。それら全てが
  ゼンマイを巻くことによって一斉に動き始める。
  
                        (科博メールマガジンより

この1年、街で見かけた時計たちはまだまだある。      (いろいろな時計)       
      麻布郵便局
             麻布郵便局  港区

麻布郵便局は、昭和5年に建てられた鉄筋コンクリート5階建。柱の装飾はアールデコ風。
旧逓信省貯金局。建物正面の時計に針がなかったのを見た。東京駅丸の内にあった
中央郵便局の時計の針が、解体直前に外されていたのを思い出した。

      代々木
       NTTドコモ代々木ビル 渋谷区     ファーストフード店  新宿区

ドコモビル(高さ240m・50階建)の地上150mには、直径15mもある円形の時計がある。
窓らしきものは見えず、時計塔のように見えるが、下半分は部屋、上半分は支柱とケーブルが
走っている空洞だとのこと。

    中野 上野
           中野区役所前             トーハク 台東区

  世田谷
    希望公園 世田谷区     上野公園 台東区     馬事公苑 世田谷区    

馬事公苑の時計の上には風見鶏ならぬ風見馬?

   内幸町
   内幸町 千代田区   こども発達センター 大田区    銀座2丁目 中央区 

   世田谷
    東洋大学 文京区   NHK放送センター 渋谷区  アイランドタワー 新宿区

新宿副都心の新宿アイランドタワーの前に聳え立つ時計塔はお洒落。
四方にそれぞれ鐘が設置されていて、毎日9時、12時、18時と3回鳴るという。
残念ながら、聞くことができなかった。表と裏には天文時計と星座時計が時を刻んでいる。

   アイランドタワー
            星座時計                   天文時計   

この天文時計は、東京を中心とした太陽、月、星の動きを表示する「東京の天文時計」で、
機能、外観については、チェコのプラハ天文時計(1410年)がモデル
だと説明にある。
旅・散策・イベント

いろいろな時計 

2011年06月09日
明日は「時の記念日」。いろいろな時計があるものだ。
あくまでも試験に合格するためという「合格時計」は、文字盤に特徴があるそうだ。
12時間の表示より分単位の把握が重要であることから、文字盤の60分計をメインに表示し、
「分」が目立つように出来ている。あと○○分!が一目瞭然。
朝日が昇るがごとく、約30分をかけて徐々に明るくなるランプ&時計「サンライズクロック」。
「時間通りに起こす」のではなく、「最も起きやすい時刻に起こす」と「腕時計型目覚まし」は
センサー内蔵で、身に付けている人が浅い眠りのときにアラームが鳴るしくみ。

毎年、時の記念日には、街で目に留まった時計を並べた。
2008年(時を告げる 2009年時の記念日 2010年時を刻む

      三崎坂谷中小
               大名時計台      三崎坂 谷中小学校前   台東区

谷中小学校の前には、「大名時計博物館」にある大名時計を模した大きな和時計が立ち、
時を告げる。この博物館は、 勝山藩(現岡山県)下屋敷を陶芸家の故上口愚朗が買い取り、
収集した時計を展示してある。

 新宿 切手博物館
       新宿駅西口 世界時計          切手博物館  豊島区

切手博物館は、学習院大学キャンパスの向いにある。JR山手線目白駅から徒歩3分。
変わっていて面白いのは、切手で入館が出来ること。また、ふみの日(23日)は無料。
世界各国の切手が揃っていて、購入することもできる。
昨年訪れたときは、いかにも切手蒐集家といった人ばかりだった。 (切手の博物館にて
   
      横浜
       港の見える丘公園 横浜市         「時忘れじの塔」 台東区

上野公園清水観音堂脇にある「時忘れじの塔」は、東京大空襲の犠牲者を悼む慰霊碑。
故林家三平夫人海老名香葉子さんらにより建てられた。自身の家族がモデルになっているそうだ。       
旅・散策・イベント

スプン1杯の蜂蜜

2011年06月08日
社会性昆虫であるアリとハチ。働かないアリはいるが、働かないハチはいないのだろうか。
それが、いたのだ!                   
ミツバチの働きバチはすべてメスで、通常メスの幼虫は主に花粉と蜂蜜を食べて育つが、
働きバチの頭部から分泌されるローヤルゼリーのみで育てられたメスは女王バチとなる。
              
オスは未受精卵から発生するが、巣の中では働き蜂に餌をもらう以外特に何もしない。
オスバチを指す英語「drone」は「なまけもの」の意味。
女王バチと交尾を終えるとオスバチは死ぬ。交尾できずに巣に戻ったオスはまもなく、
働きバチに追い出されるなどして死に絶えるとか。
(Wikipedia)
     蜂蜜漬け
     ミツバチと人間とのお付合いの歴史は長いそうだ。
     お付合いといってもハチは人間のために
     蜜を集めているのではないのだが。
    
     働きバチが一生かかって集める蜂蜜はごくわずか。
     花のある時期は約1ヶ月。この1ヶ月間に集められた 
     蜂蜜はたったのスプーン1杯だという。
     有難くいただくことにしなくては。

人間は、蜂蜜、プロポリス、蜜ろう、ロイヤルゼリーをいただいているだけではなく、
スイカやイチゴなど、果物や農作物の受粉までもお世話になっているのだ。
つまり、ハチが少なくなると、農業にも大きな影響が出るということになる。
東北地方では、越冬のために海岸近くに巣箱を置いていたために、津波で巣箱が流され、
女王バチは全滅してしまったそうだ。

この春、赤坂のTBS放送センター8階ベランダにやって来たのはイタリー系セイヨウミツバチ。
イタリアから来たのではなく、鹿児島で越冬したミツバチだとか。(働かないアリと働くハチ
ラジオ(TBS)を聞いていたら、ミツバチを飼うにあたり、東京都農林水産部畜産振興係に
「家畜」の飼育届を提出したという。
都会でミツバチを飼うところはあるが、放送局で飼うというのは、世界でもTBSだけだとか。
因みに、ヨーロッパでは、古くから家畜のランクは、1位がウシ、2位がブタ、3位がミツバチ、
4位がニワトリとされているらしい。ミツバチはりっぱな家畜だった!

日本の山々は杉や桧などが多いが、都会には、桜、花水木、ツツジ、マロニエ、ユリノキなど、
花が咲く木も多く、民家や店先の花壇や鉢にもミツバチが好きな花が咲く。
ミツバチにとって、都会は意外に住みやすい環境のようだ。生物多様性プロジェクトの一環で、
赤坂にやって来た8万匹のミツバチ「みつばちあ」は、現在、10万匹にまで増えたそうだ。

家畜どころか、人間や動物たちの敵?スズメバチがわが庭に巣を作ることもあった。
だれも刺されることはなかったが、土バチには父が刺されたことは度々あったようだ。
父が刺されたのは、このときがはじめてではなかったようで、部屋に戻ってから意識を喪った。
母に呼ばれた妹は119番に電話したが、気が動顛して咄嗟に住所が言えなかったそうだ。
病院で父の意識は戻り、幸い、大事に至らなかったが、スズメバチだったらと思うとゾーとする。

         ハチの巣

父はスズメバチの巣をガラスケースに入れて飾っていた。マーブル状の芸術作品は、
物置にしまったままだが、父の書棚には、今も面白い形の石のほか、何バチがつくったのか、
小さな巣が2つ並べてある。父が好きだった「松浦漬」の空缶や「鶴の子」の菓子箱まで。
そういったものを捨てられずにいるのは、父のDNAしっかりと譲り受けたからだろうか。
因みに、「松浦漬」は、鯨の上顎付近の軟骨を刻み、水にさらして脂を抜き、酒粕に漬けた、
江戸時代から明治にかけて捕鯨の基地だった佐賀県唐津市呼子の名産。日本珍味五種の1。
動物など

スイカが爆発?

2011年06月07日
ラジオを聞いていたら、中国江蘇省のスイカ畑でスイカが次々に「爆発」したという。
こういったことはよく起こるらしいが、今回の「爆発」(と言った)は、大規模だったらしい。
「爆発」という言葉と、「スイカ爆発事故調査委員会」ができたということを聞いたとき、
思わず笑ってしまったが、笑いごとではなく、成長促進剤(膨張促進・甘味増強剤)などを
使いすぎたことに加え、豪雨に見舞われたことが原因だとか。  

中国人はスイカをよく食べるが、スイカの値が高騰したため、俄かスイカ農家が急増して、
スイカが大きく甘くなり、売り値がよくなると、使用した翌日、畑のあちらこちらから
「ボン!」「ボン!」という音が響いてきたという。これは、異常に大きくなったスイカが
破裂する音だった。本来なら収穫前に使う促進剤を収穫直前に用いたらしい。

この「膨張促進剤」は、もともと米国で開発され、日本でも用いられていたことが分かった。
日本では弊害が多いことが分かり、使われなくなったというが・・・。

1091no7.jpg  三浦産 
    まだまだ高い!  2011.5                三浦産  2010.8

これは、近所の八百屋さんの店頭に飾られていた三浦産(神奈川県)のスイカ。
夏の店先に並ぶスイカを見ても、私には風鈴や簾と同じ?単なる夏の風物詩でしかない。
スイカは、メロンのようにまったく駄目ではないが、あまり好きではないので、
子どもが小さいときには買ったこともあるが、そういえば、長いこと食べていない。

だが、気功の楊先生によれば、スイカはすぐれた野菜らしい。 (スイカは野菜です!
皮は解毒作用、利尿作用などがあり、腎機能を高める。種は解熱作用、潤腸作用、イライラを
鎮める鎮静作用があるそうで、実だけを食べて、皮や種は薬、捨ててはならないのだそうだ。
      ゴーヤ
      スイカの爆発事件で思い出したのは、
      グリーンカーテンにするべく育てた
      ゴーヤ(苦瓜)のこと。
      一昨年8月のある朝、   
      緑色のゴーヤが色づき始めた。
      翌々日、ゴーヤはオレンジ色になって割れ、
      中から真赤な実がのぞいていた。

      その後も破裂するゴーヤがあったが、
      成長促進剤どころか肥料も与えなかったので、
      破裂の原因は自然現象だ。
    
残念ながらその音は1度も聞いたことはない。ゴーヤは免疫力を高めるなどの効果がある。
結局、収穫時期を誤ったのだろうか。この年、食材になったゴーヤは1つもなかった。
今年、ゴーヤの苗を3本プランターに植えた。果して、破裂せずに収穫できるだろうか。
植物など

めざすはグリンカーテン

2011年06月06日
今日は24節気の1つ「芒種」。稲や麦など芒(のぎ)のある穀類の種を蒔く意味。
田植えの時期で、農家の忙しくなる時期。ちょうど入梅の時季にあたる。

今年の夏は、電力不足が懸念される中、ゴーヤーなどつる性植物で建物の窓際を覆い、
室内温度の上昇を抑える「グリーンカーテン」はますます注目集めているようだ。

         杉並区役所2010.8
             みごとなグリーンカーテン    杉並区役所 

3年前、ごんさんが「緑のカーテンづくり」の講習会に行き、2階のベランダにカーテンを
吊るすべく、何種類かの種を蒔いたが、朝顔は屋根まで蔓を伸ばし何とか花を咲かせたが、
ゴーヤ、ヘチマはあまり伸びず、実をつけることなく枯れてしまった。( 緑のカーテン

一昨年も挑戦したと思うが、ゴーヤの収穫は上手くいった。
もう少し、もう少しと言っているうちに、あっという間に黄色くなってパカッと割れた。
結局、食卓に上った実はいくつもなかったと思う。

           ゴーヤ 2009.9
 ゴーヤ
   
   昨年は、朝顔の苗を植えたが、
   カーテンには程遠く、
   あの酷暑には日除の役目は果たせず、
   ただ、今日は紫色の花が咲いた!とか、
   単なる観賞用に終わった。

   今年は、何としてもカーテンだ。
   南側のデッキ傍につくることにした。
   猫たちの食堂とごんさんの喫煙所?の
   邪魔にならないように、とりあえず
   朝顔の苗4本とゴーヤの苗3本を植えて、
   ネットを軒先まで伸ばした。
   カーテンには、まだまだ苗が必要だ。

   3週間で、ゴーヤはずいぶん伸びたが、
   朝顔は・・・                                   
         



       
     朝顔
             紫        青       5.19      白       赤
     6.3
                              6.5             
数年前 もらった港区の「みどりのカーテン 身近なエコを楽しもう!」の栞には、
「がんばって環境のための行動に取り組むことも有効だが、一時的な大きながんばりよりも
普段の生活に小さくて楽しい環境活動を取り入れ、長続きさせることがさらに重要」とあった。
この夏、地球の環境も大切だが、まずは自分が少しでも快適に過ごせればいいのだが・・・。
植物など

熱中症

2011年06月05日
記録的な猛暑の昨年は、熱中症による死亡者数は過去50年間で最多だったそうだ。
熱中症とは一度罹ると4分の1もの人が命を落してしまう恐ろしい症状だが、
発症が増加した背景には、地球温暖化現象や都市部のヒートアイランド現象があげられ、
とくに東京、大阪、名古屋など大都市での発症数が増えているという。

熱中症のピークは3つあるそうだ。
1つは0歳から1歳まで。5分間くらい大丈夫と思って車に置き去りにする場合など。
次は15歳前後。ほとんどはスポーツ、運動中で、頑張り過ぎると危険。
そして、3番目は高齢者。抵抗力がないことに加え、冷房を我慢する人も多いそうだ。
60歳以上の割合が圧倒的に多く、全体の8割以上を占めていて、その中の3割の人が
室内で発症している。屋外での運動中だけ気を付けていればよいというわけではないようだ。

多くの場合、喉乾いていることがわからなかったり、水分を摂ることを忘れたり、また、
とくに高齢者は過度な節電をしがちで、体調を崩したり、熱中症を発症することがある。
そのため、水分を定期的に摂る、何かをする前に飲むようにする必要があるようだ。

  自販機

本格的な夏より、暑さに慣れていない頃がもっとも危険だといわれる熱中症。
対策として、暑さが本格化する前の今の時期から運動をして、汗をかく機能を高めておき、
暑さに対応できる身体をつくることが大切だといわれる。
朝夕の過ごしやすい時間帯に、1日20~30分程度の運動をつづけるのがいいらしい。
私が通っているフィットネスでは、店舗ごとに点数券を発行している。集めた点数ごとに
靴下とかTシャツなどと交換できるものだ。例えば、週に3回以上ワークアウトすると1点、
雨の日には1点、水を持参して飲むと1点といったもの。  (アメリカンスタイルのフィットネス
このお陰で、週3回のワークアウトを目指すようになり、水も十分に摂るようになった。
 
犬や猫の熱中症も増えているらしい。わが庭にやって来る猫たちは心配は要らないが、
室内で飼う場合は十分気をつけなくてはならないだろう。   (犬や猫も熱中症に)  
昨年秋、孫りんりんが飼い始めた猫、ショータンにとってはじめての夏。心配だ。
   
もちろん、犬や猫だけではない。人間たちも節電しながら、熱中症対策をしなくてはならない。
ガーゼのタオルケットや多種多様の「ひんやりグッズ」、お洒落なステテコも売れているとか。
昨年、東京駅のエキナカの店に並んだ「アートステテコ」に驚いたものだったが、
今年、ごく普通のスーパーにもカラフルなステテコが登場した。 (老舗の工夫あれこれ

アートステテコステテコ
          アートステテコ            「部屋着にもズボン下にも」 スーパー    

打ち水、簾、グリーンカーテンも効果があるだろうが、風鈴の音やガラス食器のように
目や耳で感じる涼しさというのも悪くはない。 (風鈴の音 記録的な今年の熱暑!
鬱陶しい梅雨が終わると、節電しながら「日本の夏」を乗り切らなくてはならない。
つれづれ

りんりんが反省した日

2011年06月04日
小2の孫りんりんが学校から直接わが家に来たときのこと。
日記帳の中に、恐らく、彼がはじめて書いた反省文のようなものを見つけた。
年長の頃からつづけている日記だが、「きょうは○○にいって・・・」式のものでなく、
自分の気持ちを素直に表せるようになった。ただ、字に関しては・・・? 以前に比べると、
だいぶ丁寧に書くようになってきたが、日によってムラがあり、読めない箇所もある。

きょう、子どもの日のかぶとのしゃしんをとれませんでした。この日までにとるつもりでも、
また、らい年となるんです。ざんねんでざんねんでしょうがなく、「早くさんすう6まいほど、
こくご4まいほどをおわらせればよかったな」とおもいました。「ぼくのせいで、こんな、
かなしみをすることになったんだから、らい年ぐらい、ちゃんとしたいな」とおもいました。
しょーたんも、かなしんでいるんだろうと、おもっています。
大すきなねこにもうこんなかなしみをさせたくないとおもって、いまも、らい年につづけて
がんばって生くつもりです。
さあて、やっと、あしたは、あたらしいかん字をならえるなっとほっとしていましたが、
このかなしみは、一生わすれないようにします。

☆けっきょくかぶとをかぶったしゃしんをとれなかったんだ。ざんねん・・・。また来年ですね。

           兜飾り
                  初節句    生後4ヶ月のりんりん              

訊いてみると、猫のショータンに兜を被せて写真をとりたかったそうだ。
なるほど、それなら「しょーたんもかなしんでいるだろう」という箇所も理解できる。
もっとも、ショータンの方は兜など被せられずにすんで、ほっとしているに違いないが。
「算数と国語の宿題を終わらせたら」という約束を破ったために写真を撮れなかったのだろう。

夕方、母親とショータンが迎えに来た。8月で1歳になるショータンはずいぶんと大きくなった。
部屋を探検し終わると、遠くの子どもたちの騒ぐ声が気になるのか、太くて長い尻尾を
ゆさゆさと振りながら外を眺めていた。まもなく、やって来た猫たちが食べ始めた様子を
ガラス越しに凝視していたが、自分と同じ仲間だということがわかっているのだろうか。
  
     ショータン
                             生後9ヶ月のショータン
         
探検中に写真立てを落としたり、りんりんが開けた障子の穴を覗いたり、目が離せない。
夏休み、この弟?を預かることになると、壁や障子・カーテンなどに被害が及ばないように
対策を講じなくてはなるまい。
身近な人びと

猫と鈴

2011年06月03日
わが庭で生れた猫は、11月に4歳になるケシクク、先月3歳になったアミトラの4匹。
実に仲よしだ。ケシだけが雄。4匹とも手術すみ。

    手入れ
          姉クク   妹アミ       妹トラ   兄ケシ
 
おっとりとしている。やんちゃで臆病なトラにとってやさしくて頼もしい兄だ。
だが、ケシは最近よくやってくる親戚猫たちには弱い。

 ココ
               すごすごと引き下がるケシ

彼らは、お腹が空くとふらりとやって来て、ガラス越しに室内のごんさんと目を合わせるまで
行儀よく待つ。最近は、4匹とも鰹節をトッピングするまで、動かないことがほとんどだ。
しかも、ほんの少し口をつけただけで満足。器に残ったフードは次の猫が来るまで残っている。
おむかいのさいとうさんによると、あちこちで喧嘩を売っているキジ猫(飼い猫?)だというが、
そういった猫はお断りだ。

猫たちは同時に集まればいうことがないが、ほとんどバラバラ。そろそろ蝿もやってくる。
器に蓋をしておくと、ケシと親戚猫ココのように前足で蓋を開けることができるのもいれば、
できないのか、やる気がないのか、トラのように人の姿を探してニャア~と訴える猫もいる。

はるか昔、ウサギを飼っていたとき、小屋の中に鈴を下げて、ある条件付けに成功した。
雄のウサギは「開けて」ほしいとき、鈴の紐をくわえてパッと放すという技を覚えた。
  クク
  わが庭の猫たちにも、鈴を鳴らして合図するという
  方式を導入しようと思いついた。
  ちょうど近所のスーパーで開かれていた「燕三条
  金物市」で鈴を買ってきた。器の上方にぶら下げた
  鈴に対する4匹の猫たちの反応はさまざまだ。
  
  ククは2週間経っても鈴が鳴ると一目散に逃げ出す。
  ケシは初めの1週間は逃げ出したが、今は慣れた。
  はじめから平気だったアミも鳴らすことはない。  
  臆病なトラだけがマスターした。


鈴の下を通って尾で触れて鳴らしたり、顔を鈴に当てて鳴らすこともできるようになった。
まず、顔にあてて・・・そのまま進むと  チリ~ン いい音がする。

    トラ       
動物など

水郷古鎮の切手 浙江省

2011年06月02日
中国の水郷古鎮の切手には、江蘇省の周荘、同里、甪直の古鎮、そして、浙江省の
烏鎮、西塘、南浔の3古鎮が描かれている。        (水郷古鎮の切手 江蘇省) 
                   
桐郷烏鎮
            烏鎮
烏鎮

烏鎮が最も栄えたのは唐の時代。京杭大運河が町を囲むように流れる古鎮。
「昔のありのままの姿で復元する」ことを第1の目的にした観光地化がなされているため、
建て直してたり、呼び込みの声などもなく、静かなよき水郷古鎮の印象が深い。

2002年の桂林のスケッチ旅行の帰りに烏鎮に寄り、雨上がりの古鎮を数枚スケッチした。
水路沿いには煉瓦造りに白い漆喰を塗った家が建ち並ぶ。水路を見下ろす窓の鉢植えの花、
白い壁、屋根瓦の黒のコントラストが美しかった。
宏源染泰坊(藍染め)や皮影劇(影絵劇)もよく知られている。   (中国の人形劇
 越劇台 路地 *click!
             越劇の舞台                  雨に濡れる石畳 *click!

嘉善西塘 
            西塘
     西塘

西塘は中国最大の水郷古鎮。唐の時代に村落が起こり、現在も明清時代の建築物が残る。
300以上の歴史ある瓦が、用途と年代が書かれたプレートと共に展示されてる瓦の博物館、
漢の時代から現代に至るまでの、約千個のボタンが展示されている鈕釦博物館に立ち寄った。
西塘にはボタン生産企業が多く、生産量は全国の40%だとか。

           瓦の博物館
                    江南瓦当陳列舘

       路地    本画
             弄堂            午下がりの古鎮 60号 本画 

2004年の春、上海に滞在されていたSさんと2人で訪れた水郷古鎮。
運河沿いの道には観光客は多かったが、聳え立つ壁と壁の間の細い路地「弄堂」に入ると、
静かで、数百年も前にタイムスリップしたようだ。
上海からの日帰りだったため、滞在時間が短く残念だった。
「臭豆腐」の看板がある弄堂で描いたスケッチをもとに、60号の本画を描いた。
   
湖州南浔
          南浔
周庄や鳥鎮ほど知られていないが、張石銘古居などの観光スポットがある。


    古鎮游

烏鎮の水路沿いの店で偶然見つけた『珍蔵版 中国古鎮游』の「浙江・江蘇・上海の古鎮」と
「福建・広東」(陜西師範大学出版社)のガイド本を購入した。32元。厚さ1cmはある。
江蘇省の周荘や同里など7ヶ所、浙江の25ヶ所、上海の2ヶ所の古鎮について、
写真入り(一部カラー)で詳しく紹介されている。

訳そうと張り切ったのだが、最初の数頁で止まって、文字通り「珍蔵版」になっていた。
中国語講座も終わってしまったので、中国語に触れる機会がなくなった。
水郷古鎮に思いを馳せながら少しずつ訳していこうか思っている。
中国・中国の旅

水郷古鎮の切手 江蘇省

2011年06月01日
中国には「南船北馬」という言葉がある。運搬・交通の手段は、北の「馬」に対して、
南の長江の下流一帯に広がる江南地方では「船」が主役だった。
水郷地帯には、大小数え切れないほどの運河が張り巡らされ、いくつもの小さな町がある。

「水郷古鎮」(2001年)の切手には、長江下流の太湖周辺にある6ヶ所の古鎮が描かれている。
このうち、周荘、同里(2000年)、烏鎮(2002年)、西塘(2004年)の4ヶ所を訪れたが、
それぞれ趣の違う古鎮だった。

           地図 Click!
                  江南水郷 地図 *Click!

昆山周荘  
             周荘
    周荘

「東洋のベニス」とも言われる中国第一の水郷には、明清時代の建築がそのまま残り、
元明時代の石橋は20本余りもある。だが、観光客が多く訪れるようになり、
大半が商店となった民家やジャンクといわれる舟での運河巡りなどの光景からは
古鎮といった趣はあまり感じられなかった。

呉江同里 
             同里
水が占める面積は総面積の5分の1。50近くの橋が架かる運河の町。
1月に訪れた同里は印象深い。17世紀頃、帆を張って運行する船を通すためアーチ型に
つくられた運河に架かる石橋が何とも言えない。人は石段を、自転車はスロープを行き交う。       
品字型に架けられた「太平」「吉利」」「長慶」と呼ばれる3つのアーチ型の橋「三橋」が有名。

     同里
                
スケッチしていると、白いドレスの花嫁と花婿を先頭に十数人の列が眼の前を通り過ぎた。
その後、何度も3つの橋を渡る人たちを不思議に思った。   (冬の江南の旅 水郷
後できくと、結婚の慶事、66歳の過寿のとき、吉祥の意味を込めて、必ずこの「三橋」を
渡る習慣があるという。

呉県甪直  
               呉県甪直
蘇州市から南へ約25km。「難しい地名、忘れ難い古鎮」と呼ばれる。
2千5百年の歴史を誇り、米の集散地として栄えた。かつて72余あった宋、元、明、清時代の
大小さまざまな石橋は、今は、40余りとなった。他の水郷に比べるとさほど観光化されていない。
古めかしい木製の門や窓枠がある白壁の民家は平屋や二階建が多い。
中国・中国の旅
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