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自転車 大活躍

2011年10月31日
わが家には3年前から電動自転車がある。初めて乗ったとき、坂道で電柱に激突したので、
私はめったに乗らなくなり、以来、ごんさん専用となっている。
1年前、ちょっとした買物用にと小さ目の安い自転車を買ったが、タイヤが小さいため、
スピードが出ない。明らかに私より年上の人たちにどんどん追越されて行くのは
気にならなくなったが、歩道に乗り降りする度にガタガタと大きく揺れ、快適走行は無理だ。

スーパーの前で見たのは、お洒落なリヤカー?付自転車。数分後、この自転車に乗った
女性が脇を通り抜けて行った。交差点や角を曲がるときなど、運転は難しそうだ。

   チャイルドトレーラー
             チャイルドトレーラー?             片手運転

どうやら、後方に荷物を乗せる自転車は、「サイクルトレーラー」とか「バイシクル
トレーラー」というらしい。また、子どもを乗せるものは「チャイルドトレーラー」といい、
自転車に幼児用座席を設けるよりも転倒リスクは少ないとされており、地域によっては、
1~2人の子供を乗せたトレーラーをよく見かける。自転車と同様、後部には反射器を設置。
子供を乗せるシートにはシートベルトがあり、風雨よけは標準装備である。
(Wikipedia)

午前中が多いだろうか。ときどき見かけるのは、空缶と一体となった自転車。
運転には高度の技術が要りそうだ。

 8:40 8:45
       ただ今 仕入れ中                    空缶トレーラー?   

     12:20
                          ただ今 積み方の研究中

10:30 7:30
                     どちらさんもお見事!

自転車に乗るには、交通ルールやマナーのほか、「ブタハシャベル」が大切だという。
レーキ、イヤ、ンドル、シャタイ、ベル。自転車点検の合い言葉だそうだ。
まず、ブレーキの利き具合をチェック。左右の差はないか。次はタイヤを見る。
空気圧、傷、何か刺さっていないか。ハンドルに曲がりや歪みはないか。
車体は、サドルの高さ、チェーン、ライト、反射機材をチェックして、最後はベル。
音はどうか。作動状態をみる。
いつだったか、帰る途中、ライトをつけたはずが、点灯しなかったことがあった。
運よく警官に遭わずに数分で帰り着いたが、ビクビクしながら走るのはもうこりごりだ。
旅・散策・イベント

人も街も元気に!

2011年10月30日
阿佐ヶ谷(杉並区)の「パールセンター」の中程にある「わが ふるさと館」前のワゴンでは、
区内の作業所でつくられたパンやお菓子、手芸品などが販売されている。
孫のところに行く途中、前を通ることがあり、気になってはいたが、まだ入ったことはない。
   
      ふるさと館

この4階建のビルは、阿佐谷パールセンターを含む商店街の活性化と、地区住民の交流の
活発化を目的として建てられた
(2008年)とか。
1階はコミュニティスペース、2階はギャラリー、3階は集会室(4階は事務局)になっている。
「阿佐ヶ谷七夕祭」で有名なパールセンターだが、「ジャズストリート」(10/28-29)に
つづいて、今日は「ハロウィン仮装コンテスト」が行われる。

       ハロウィン
        ハロウィン仮装コンテスト間近のパールセンター入口   2011.10.5


旧東海道沿いに「あおよこ」の名で親しまれている「青物横丁」(品川区)がある。
周辺には文化遺産が多く、隣接するベイエリアには高層マンションやオフィスビルが建ち並び、
新旧が融合する商店街。スケッチに訪れる度に活気あふれる楽しい街だと感じた。
因みに、「青物横丁」というのは地名ではなく、江戸時代からあった青物市場の名残りの俗称。

この商店街では商店と民間企業による宅配サービスもすでに開始されているというが、
1年前、「買物支援サービス」(¥200/30分)というサービスが始まったそうだ。
1人暮らしの高齢者が大学生などのボランティアと一緒に買物をし、自宅まで運んでもらう
というもので、自宅にこもりがちな高齢者の外出を促すことにもつながるという。

    青物横丁
      カボチャと絹さやをかたどった街灯      大正初めに建てられた畳店 

    
住民の半数が65歳以上となった戸山ハイツ(新宿区)に「保健室」が出来た。(団地に保健室
武蔵野市の「村山団地」でも、8千人の住民のうち65歳以上の高齢者が45%を占めて、
「買い物弱者」「買い物難民」は増える一方だとか。

4年前、商店主が出向き、商品を選んでもらう宅配サービスが始まったが、理容美容、
薬局など、街に出て買物をしたいという希望も多かった。そこで考えられたのが、自転車に
よる「送迎サービス」。電話一本で迎えに来てくれるのは、前輪部分にカートがついた
2人乗りの電動自転車。街の商店主たちが交代で運転手を務めるのだそうだ。

1年前に始まった無料のこのサービス、利用者は1日10人程度だが、27人に増えた日も。
赤いカートに黄色い椅子とカラフルな自転車は目立つ。「流し」もOK。
今では、この自転車を見かけると手を振ってくれる人もいて、街に笑顔が増えたとか。

利用者が普段と違う様子だったり、しばらく送迎を利用しない人がいると支援センターに
連絡したりと、「見守り」を兼ねたこの自転車は「人も笑顔も運ぶ」のだとか。
歯が弱い人でも食べやすいように「柔らかい米」で炊いたおにぎりを作った米屋さん、
魚を無料で焼くサービスを始めた魚屋さん、商店街も活気づいてきたそうだ。
心配になったのは、雨や風の強い日。こういう日は宅配サービスを利用するのだろうか。

駅までは歩いて5分。年中無休、夜中まで開いているスーパー、24時間営業のコンビニが
徒歩圏に何軒もある便利な生活。何でもネットで購入出来る。最近買ったのはミシン。
読みたい本がどの図書館にあるか知ることも、予約や予約延長もネットで出来る。
今の自分はこういった生活に慣れ過ぎてはいないだろうか。大地震や台風などの災害にも
極めて脆い東京に住んでいることを忘れないようにしなくてはと思う。
旅・散策・イベント

団地に「保健室」?!

2011年10月29日
新宿区にある都営戸山ハイツアパートに出来た「保健室」のことを、ラジオで知った。
63年前の建設当時はファミリー向けの高級団地として知られていたが、高齢化が進み、
現在は住民の半数が65歳以上だという。
1人暮らしが増え、一時期、孤独死がつづいたことから、「見守り活動」が始められた。 

その活動の1つ「暮しの保健室」がオープンした。これは、団地の1階の空き店舗につくられた
「保健室」で、白木をふんだんに使い、明るく開放的な雰囲気だ。具合が悪くなった時のための
休憩用ベッドのほか、キッチンもあり、来訪者はゆっくりとお茶を飲んでくつろぐのだとか。

看護師のほか、自宅で家族を介護した経験のあるボランティア数人が常駐するほか、
日によって地元の薬剤師や保健師も待機して、相談に応じるという。
厚労省の在宅医療連携モデル事業のため、利用者の費用は不要で、地域住民も利用できる。
病院に行くほどではないがちょっと相談したい、薬のこと、健康のことなど、
気になることや困りごとを相談できる窓口だ。

相談者の年齢は65歳以上が多いが、中には中学生や子育て中のお母さんもいるそうで、
簡単なマッサージなどもしてもらえるのだとか。
相談所というより誰でも立ち寄れる場所として、地域の憩いの場所となっているという。

私の子育て時代は、生協の共同購入をしたり、子どもたちを介しての近所づきあいもあった。
今は、その子どもたちも独立して、夫婦2人で暮らすところも多い。
中には、ご主人を亡くされた人もいれば、ご主人や親の介護で忙しい人、あるいは、
自分たちの今後を考えて引越しされたご夫婦もある。今、ほとんどといっていいほど、
道で会うこともないし、近所づきあいもない。
お向かいのさいとうさんとは立ち話はするのだが、あくまでも猫のことオンリーだ。
こうした保健室がある団地の生活がちょっぴり羨ましくもある。

だが、「保健室」ができた戸山ハイツには、まだ問題があったそうだ。
それは、「保健室」に来ない、あるいは来られない人たちをどう見守るかという問題だ。

     ケータイ売場
               見守りケータイの売場

そこで考えられたのが携帯電話だという。この携帯電話は、ボタン1つで24時間対応の
コールセンターに繋がるようになっていて、センターには、ケータイの持ち主の持病や
かかりつけの病院の情報があり、すぐに対応出来る仕組みだ。 (見守ることのむずかしさ

さらに、1日1度開くだけで、あらかじめ登録していた家族などに自動でメールが送信され、
歩数計もついているケータイのおかげで、見守りが出来るそうだ。
ケータイはレンタルで、通話料以外の月々の基本使用料などは病院が負担する。
利用者がこの病院を定期的に受診することで、お互いにメリットがあるということらしい。

何も団地に限らないが、近所づきあいも減り、元気がなくなった1人暮らしの高齢者は
ますます増えて行く。こうした団地は全国にあるという。
戸山ハイツのような「見守り活動」の試みは全国に広がっていくことだろう。
つれづれ

「風景印」 中央区 Ⅴ

2011年10月28日
八重洲地下街局
  ヤンヨーステン
 ヤン・ヨーステン像 東京駅八重洲口と新幹線       ヤン・ヨーステン像

東京駅八重洲地下街に「ヤン・ヨーステン像」、八重洲通り沿いに記念碑がある。
ヤン・ヨーステンは、徳川将軍の外交顧問を務めたオランダ人。
1600年、豊後(現大分県)沖で難破したのが縁で日本に住みついた。
徳川家康の信任を得て、和田倉門外堀端に屋敷を与えられた。彼の名が八重洲の語源。


日本橋局日本橋南局 
  日本橋  日本橋南
      前島密像  日本橋                 日本橋  獅子 

昨年8月、日本橋プラザ内局が移転、日本橋南局と改称。
日本橋二局と日本橋通一局は統合され、日本橋通局は廃止された。
日本橋局に「郵便発祥の地 前島密像」、日本橋南局に「前島密像」「書状集箱」がある。

    1204no4.jpg
                         日本橋  

   前島密像
   日本橋局 「前島密像」    日本橋南局 「前島密像」と「書状集箱」    
                  
日本で郵便制度が始まった明治4年に、日本で最初のポストが誕生した。
脚付の台に四角い箱をのせた木製ポストは、「書状集め箱」と呼ばれ、東京に12ヶ所、
京都に5ヶ所、大阪に8ヶ所、そして3都市を結ぶ東海道の宿場62ヶ所に設置された。


日本橋人形町局中央人形町二局
  人形町  人形町2
       人形町商店街                  甘酒横丁 けやき並木

   からくり櫓  からくり櫓
       人形町からくり櫓                  「江戸落語」の櫓      

正午から19時までの毎正時に「人形町からくり櫓」のからくり人形が駆動する。
人形町通りを挟んで東側に設けられた櫓のテーマは江戸落語。
からくりが駆動すると、下層の幕が開いて落語演者の口演が始まる仕掛けだという。
西側に設置された櫓は火消しがテーマ。
人形が着ている印袢纏(しるしばんてん)は地元人形町の"は組"と同じものだとか。
人形町は、何度か訪れたが、からくり人形が駆動するところはまだ見たことがない。

 甘酒横丁
             甘酒横丁                  「尾張屋」跡          

明治初期、横丁入口に尾張屋という甘酒屋があったことから、甘酒横丁と呼ばれるようになった。
今は、明治40年創業の手作り豆腐店で「甘酒」が売られている。
横丁に大正5年創業の老舗の鯛焼き屋「柳屋」がある。東京の鯛焼き御三家の1つと言われ、
週末は長蛇の列ができるそうだ。
たまたまカメラを向けたこの日は、鯛焼きの店に並ぶ人はいなかった。えらく暑い日だった。
甘酒も鯛焼きも買う気にはならなかった。
旅・散策・イベント

まずは体験

2011年10月27日
東大が、学生の入学時期を4月から9月に移行する「秋季入学」の実施を検討中というが、
カルチャーの講座は、4月と10月から新学期になるところが多いようだ。
私が通うカルチャーでは、受講を継続する場合、優先申込が出来るのだが、
よほどの人気講座でなければ、開講当日の手続きでも充分間にあうし、中途入会も可能で、
この場合は、わずかな受講手数料と受講回数分の受講料を支払えばいいので助かる。

 カルチャー
      講座のパンフレット                  講座が探せるタッチパネル       

最近、カルチャー教室では、短期、一日コースなど手軽に受講できる講座の人気が、
とくに女性の間で高まっているとか。
以前からこうした短期コースや一日体験コースなどはあったが、月1回の講座が増えたり、
月1~2回の1日コースの受講者が3年前の倍になったカルチャー教室もあるのだとか。

季節のグリーティングカードや小さな壁飾りなど、毎回1つの作品を作るといった手工芸講座や
美容講座、また、パソコン講座、写真講座、歴史や旅などの講座などならわかるが、
きいたところでは、プランタン銀座(中央区)の5回コース(¥13000)の茶道講座が人気だとか。
90分を5回の茶道講座というのはどういうものかと思ったら、椅子に座って気軽な雰囲気で
作法を学ぶ講座のようだ。仕事帰りに、美味しい?和菓子を頂きながら一服できる時間
というのも受講の目的の1つかもしれない。

そういえば、かつて茶道を習っていたとき、立礼(りゅうれい)式のお点前も習ったことがあった。
店頭でのデモンストレーションや外国からのお客さまとか正坐が出来ない人のために、
立礼式のお茶席が設けられることが多いが、これが流行るとますます茶道の敷居が
低くなりそうだ。

いずれにしても、まずは体験して、気に入れば本格的に受講するという短期コースは人気だ。
1つのことを極めるというより、広く浅く何でもやってみようという時代なのかもしれない。

今年4月、楊先生の気功講座に1日体験の日が設けられ、たしか8人の体験受講者があった。
若い女性がほとんどで、実に賑やかな1時間半となったが、次回から受講した人は半数だった。
楊先生のがっかりされた様子を思い出す。
ほかにも講座をいくつか体験して、もっとも合うところを選んだ、そんなところかもしれない。
結局、もとの古い?メンバーに落ち着いて、いつも通りの静かな講座となっている。
つれづれ

長沙の街では

2011年10月26日
国慶節の前日にSさんから届いた「長沙だより」には、湖南省の省都長沙の街の様子や
長沙の人たちについても興味深いことが書かれていた。  (長沙から「秋のたより

国慶節を控えて、街はお祭りの雰囲気があふれ、毎日あちこちでいろんな施設がオープンして
いきます。今日は近くのショッピングモールのオープンで(デパート、スーパーと映画館まで
合わさった総合商業施設)私も見に行ってきましたが、普段はわりに静かな河西地区も人で
ごった返していました。中にはパジャマ姿のおばさんまで。(あ!やっぱり長沙だ!)
7階では河西初めての日本料理レストランが開業して、満席で大人気のようです。


長沙の人たちは新しいもの、楽しいことが大好きな陽気な人々です。それを表すような
面白い統計があります。これは中国の20都市を4項目のランキング方式で割り出したもので、
それによると、「世帯月収中央値」 19位、「現在家計状況をラクと感じる率」 8位、
「家族友人との付き合いにお金を使う率」 3位、「日常ストレスを感じる率」 20位となる。

この結果からは、月収が低くても、特に生活に不便はなく、家族や友人との付き合いには
お金や時間を惜しまずに、賑やかな生活を楽しみ、ストレスの少ない人生を送る長沙人の姿が
垣間見え、『中国で最も幸福な都市』の一つに選ばれたゆえんが分かるように思われる。
日本リサーチセンター中国20都市消費者調査ミニレポートVol.7明日は明日の風が吹く- 長沙

「このレポートを見て、とても納得がいき、陽気でやさしい長沙人がますます好きになった」とか。

長沙人といえば、たまたまラジオ(TBS)で耳にした、社会学者宮台真司氏の話を思い出した。
上海―長沙―北京―天津の4都市をまわり帰国されたばかりの宮台氏が見聞きされた話だ。
湖南省省都の長沙は毛沢東の故郷でも有名だ。多くの人が毛沢東のペンダントをかけていたり、
タクシーにも毛沢東の写真が貼ってあったりと、毛沢東は長沙ではアイドル並みの扱いだとか。
その意味は「ノスタルジー」だと宮台氏。昔はたしかに不自由だったが、真の絆があった。
今は権力や金が絡むと一挙に豹変する。彼らは「資本主義化した今」が嫌なのだという


長沙には行ったことはないが、毛沢東が1949年10月に中華人民共和国の建国宣言をした
北京の天安門には、大きな毛沢東の写真が飾られている。天安門前に広がる天安門広場は、
総面積40万㎡の世界最大の広場で、長安街も含めて100万人が収容できると言われている。

 天安門広場

北京の旅でもっともハラハラしたのは、天安門広場での待合わせだ。(初めての北京訪問
午後、Aさん、I さんと「夕方、天安門広場で!」と約束後、別々にスケッチをした。
待合わせ時間に広場に行くと、大勢の観客が集まっていた。
天安門広場では、毎日、日の出と日の入りに合わせて、警備兵による国旗の掲揚と
「降旗」のセレモニーがあることを忘れていたのだ。

掲揚台の近くの台の上で「降旗」を見ていた私をI さんが見つけてくれたことも、
観衆がほとんど引き上げたあと、広場の真ん中に残っていたAさんと会えたことも、
奇跡に近いと思っている。それにしても、随分と滅茶苦茶な待合わせをしたものだ。
アルバムを開いたとき、この待ち合わせの日が9年前の今日だったことに驚いた。
中国・中国の旅

「また来るね~!」

2011年10月25日
大きくなった親戚猫ミケの子の行動範囲も広がった。 (ミケの子育て ここはサイコー!
ついに、わが庭の南側にやって来た。南側にはわが庭の猫たちの寝室と食堂?がある。
どうかすると、侵入猫はトラに追い払われることもあるのだが、このときは不在。
とはいえ、もしトラがいたとしても、親戚猫ミケの子だということを知っているだろうし、
それも子猫だ。きっと彼らには寛容だろう。

きょうだい
     
         じゃれる
             
       開けて!
                    網戸越しにご挨拶

     よろしく

好奇心のかたまり。2匹のうち、1匹は警戒心はないようで、網戸越しに中の様子を覗う。
網戸を開けても逃げない。そろそろ、名前をつけようか。
動物など

「もしも・・・」のとき

2011年10月24日
今日は24節気の1つ「霜降」。
秋も一段と深まり、寒冷を覚えるようになり、各地で朝霜を見る季節になる。
楓や蔦が紅葉し始める。この日から立冬までの間に吹く寒い北風を「木枯らし」と呼ぶ。


「終活」と言う言葉を聞いた。人生の終末を迎えるための活動のことで、経産省のいう
「生前準備」とか「ライフエンディング・ステージ」と同じような意味らしい。
昨年、コクヨが発売した『エンディングノート』は、遺言書のセットに加え、死について
希望などを書き込むものだが、発売以来3ヶ月で目標を上回る5万部を超えたという。

コクヨの『もしもの時に役立つノート』の「もしもの時」は、人生のエンディングだけでなく、
免許証やパスポートの番号、クレジットカードの暗証番号やパスワードなども記録しておき、
財布を落としたときや物忘れしたときにも役立つとのだとか!? 購入者の半数近くが
50代以下の現役世代らしい。
    エンディングノート

それにしても、書店の棚にさまざまの「終活」関係の本が並んでいるのには驚く。
残しておくべき情報は多いし、家族へのメッセージも残しておきたい・・・といったところか。
東日本大震災以来、こういったエンディングノートが秘かな人気だという。

生れて初めて海外、中国への旅が決まったとき、もしも・・・と考えて、パソコンに
「もしものとき」フォルダをつくった。住所録の中、連絡してほしい人に印をつけたほかは、
どんなことを記入したかはっきり覚えていないが、かなりの覚悟で出かけたことは確かだ。
その後10年間、何度か中国へ行ったりしたが、「もしものとき」は面倒になり、その後、
更新せずに削除した。

大震災の影響というより、自分の身体や歳のことを考えると、今こそ、真剣に「終活」を
始めなければと思う一方で、どこかでは「そのときはそのとき」とも思っているため、
「終活」どころか、「老前整理」ならぬ「老中整理」「断捨離」もはかどらずにいた。

自分のものだけを考えれば、大したことはない。衣類は適当に処分してもらえばいい。
画の本や絵具、中国関係の本は(相手の迷惑は考えずに)引取ってもらいたい人を決めた。
そのほかの本は、図書館に寄付できたらいいし、残りは処分して構わないと思っている。

だが、わが家にはまだ、母の茶道具、蔵書のほか、4年前に亡くなった父の蔵書、
棚の奥に眠ったままの食器や花器などのほか、わずかだが、祖父母の遺した品々もある。
娘や息子の小中学校時代のアルバムなど(たしか成績表もあった)を処分出来ずにいる。
物置の中は今や乱雑に詰め込んである有様で、考えただけで頭が痛くなってしまう。

とりあえず、『エンディングノート』(日本実業出版社)を買った。この本を参考にして、
今度こそ、「もしものとき」フォルダをつくろう!と決めたところで数ヶ月が経ってしまった。
やはり、面倒なのだ。今年中にはなんとかするつもりでいるのだが、どうなることやら。
「そのときはそのときだ」ということばが頭をかすめる。
つれづれ

2011年10月23日
この時期、中国では、柿とリンゴを買って「事事平安(shishi pingan)」と祈る習慣がある。
中国語では「柿」と「事」は<shi>と発音し、りんごの「苹」と「平安」の「平」の<ping>が
同じ発音だからだという。
また、商店は栗と柿を並べて「利市」(商売繁盛)縁起を担ぐそうだ。
「栗」は「利」<li>に通じ、「柿」は「市」<shi>と同じ発音だ。こじつけにも思えるが、
リンゴも柿も栗も旬の果物。たっぷりと召し上がれということだろう。     

この時期、中医学では、唐辛子、山椒、生姜、ねぎ、お酒など、刺激性の強いものは避け、
肺を潤す食品、梨、柿、ミカン、バナナ、人参、蓮根、白きくらげ、昆布、海苔、豆製品を
摂るようにするとよいとされる。

身体が暖まり免疫力が高まるという生姜だが、いつ摂ってもいいとは限らないようだ。
そういえば、楊先生も「生姜は夜には摂らないないように」といつもおっしゃる。
柿だけは苦手。栗はさほど好きではないので、お菓子以外に頂くことはあまりない。

栗は食材としてでなく、画材として気に入っている果物の1つだ。(栗の季節を迎えて
栗のスケッチは比較的多く、色紙や本画に描いたこともある。
昨年の今頃は、11月のグループ展に間に合わせるべく苦労していたことを思い出す。

    栗     ブナ科クリ属
           学 名 Castanea crenata

近所に栗の樹がある。栗の花が咲くのは6月。かすかに香る。

 6.14
                              6.14
 7.19 9.1
                      7.19                    9.1
           9.3
   9.3 9.15
                                    9.15
大きくなる前に実は落ちてしまう。毎年のことだ。       
    
      9.21  台風襲来
    9.21

       みなし栗 ふめば こころに 古俳諧      富安風生

       行く秋や 手をひろげたる 栗のいが     松尾芭蕉
       
       待つことは長し 栗の実 落つることも     山口青邨 
植物など

床屋さんのシンボル マーク

2011年10月22日
「バラ売りの美容院」とでもいうのだろうか、荻窪駅(杉並区)近くにカラーやカット専門の
「低価格美容室」があるそうだ。カット、ポイントカラー、オートシャンプーなど、
発券機で必要なチケットを買う。美容師はパートの子育て中のママさんが多いそうだ。
以前から「10分1000円ヘアカット」の店をよくを見かけるが、これからますます
美容院の低価格化が進むことになるのだとか。

        10分カットの店
            10分カットの店にはサインポールはない
 
理容店を示す細長い円柱形の看板はサインポール(Barber's pole)と呼ばれている。
営業中を表すためにサインポールを回すが、営業中でも予約客でいっぱいだと止めたり、
閉店後は回転させずに常夜灯代わりに明かりのみつけている店もあるそうだ。 

日本では、右側に行くに従って上がる、いわゆる「Z巻き」が圧倒的に多い。
街で見かけるのはほとんどが赤・白・青の3色の縞模様。

このサインポールの誕生には諸説あるが、12世紀のヨーロッパでは、理容師が外科医
(理髪外科医)を兼ねていたため、木の棒に包帯と血液を連想させる白と赤の布を
組み合わせて巻き付け、目印として外に置いたという。
1745年、イギリスで、理髪師と外科医の組合が分離したのがきっかけで、その時に
理髪師は赤・青・白の看板、外科医は紅白の看板を掲げるように決められたとか。

どれも同じかと思っていたが、こうやって写真を並べてみると微妙に違う。
オレンジ色のものが珍しいと思ったが、ほかにもいろいろな色があるようだ。


街で見かけたサインポール
     理容室

     理容室

     理容室

          理容室

かつて亡父が行き、今はごんさんが行くのは、ご夫婦でやっている街の理容店(右上)。
りんりんも幼稚園の頃から行っているが、帰りにもらうお菓子がお目当てのようだ。
最近の彼は「後は切らないで」とか、「シャンプーはしない」とか、自分で注文をつけるのだと
ごんさんに聞いた。それで2200円とは高いものだ。

どなたかも1000円カットのファンだそうだが、千葉県で「1000円カット規制条例」が
施行され、全国に広がりつつあるという。
(流水式の洗髪設備が必要。既存店舗は増改築の時期が来るまではそのままでいいらしい) 
旅・散策・イベント

運動会シーズン

2011年10月21日
「ヨーイ ドン!」。秋の運動会シーズンもそろそろ終わる頃だ。
りんりんの運動会は青空のもと、体育の日の前々日に行われた。毎年、幼稚園時代から
欠かさず見てきた運動会だが、今年は私が風邪をひいて咳がひどく、残念ながらパスした。
孫娘たちの運動会は明日。今年から2歳のあいあいも参加する。
昨年は雨だったため、近くの小学校の体育館で行われた。     (雨の日の運動会

       体育館で
                  体育館での玉入れ            2010.10

ところで、8月末に開幕した「世界陸上」だが、「男子100m決勝」で、世界記録保持者の
ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)がフライングで失格したニュースに驚いた。
昨年、国際陸上競技連盟の「スタートルール」が変更され、フライイング1回で失格となる。

各人1回まではフライングが許されていた時代もあったが、「複数選手のフライングが続き、
競技進行に支障をきたしたため、その後、1レースで1人目だけが許されることになった。
しかし、故意にフライングをして周囲に重圧を与える選手も出現したため、公平さを保つ
目的などから、フライイングを一切認めない
」厳しいルールに変更されたのだという。

ところで、スタートの合図は、オリンピック、世界陸上ではすでに主催国の言葉から英語に
改められているというが、今年、日本陸上競技連盟のルールも変更になり、大きな大会では
スタートの合図を英語で行うことになった。これは、国際大会に馴れる必要があること、
さらに「ヨ~イ」から「ドン!」までのスターターによる時間差をなくすためだとか。

「位置について」「用意~ドン!」は「On your mark!」「Set!」「Go!」になった。
因みに、「位置について、用意、ドン!」は、陸上競技連盟が一般に公募(1928年)して、
採用されたもので、それ以前は「支度して」「いいか」などと言われたというから面白い。

       スタート

今年のりんりんの小学校の運動会だが、りんりんたち2年生の徒競争から始まった。
昨年の徒競争ではなぜか?1等賞をとったが、今年はビリから2番目だったらしい。
「よそ見して走っていたよ・・・」と、ごんさん。写真の中のりんりんは後を振り返っている。
昨年の日記は1等賞がよほど嬉しかったのか、絵入りだった。(思わず勝った? 1等賞
今年の日記には「くやしかったです」と書いたのだろうか。

最近は徒競争でも順位をつけないところが増えているようだ。また、運動会に限らず、
子どもが野球やサッカーなどで怪我をしても大騒ぎする親が多いと聞く。 
痛い思いをしながら上達していく、そしてはじめて他人の痛みもわかると思うのだが。

明日の運動会は、来春小学生になるゆうゆうにとっては保育園最後の運動会になる。
天気予報では雨。今年もまた、体育館での運動会になるのだろうか。残念だ。
来年は晴れてほしい。そして、2人の、いや、3人の孫たちの運動会が重ならないことを祈る。
身近な人びと

変わる北京の胡同

2011年10月20日
9月下旬からご主人の赴任先の北京に滞在されているHさんから「北京だより」が届いた。
彼女によると、10年北京で暮す人の話では、今年の北京は寒くなる速度が遅いようで、
去年は、国慶節後には寒くなっていたのに、今年はまだ薄着でいられるとのことだった。

今日も昼間は21.2度くらいあり、ちょうど過ごしやすい気温です。
そんな良い気温に助けられて、今日も胡同へスケッチに行ってきました。


現在、私は10年前スケッチした四合院(というより雑院の赤い門)の本画を描いている。
そろそろ仕上げの段階というのに、なかなか上手くいかない。

実はこの胡同、「東媒廠胡同」というのだが、彼女は今年1月、この場所を訪ねて下さった。
寒い中、迷いながら探して探して・・・。そして、あの写真の家を見つけました!
添付された写真を見ると、保護地区なのか、胡同はそのまま残っていたが、壁の煉瓦部分は
白く塗られ、赤い門は茶色や青緑色の頑丈な門に変わっていた。北京オリンピックを境に
すっかり変わってしまった北京の様子に驚いたものだ。   (懐かしい北京の胡同

この秋、彼女は再び、この門がある「胡同」付近を目指して歩いてみたそうだが、
やはり、たどり着けなかったです。迷路です。そして悲しい事に、この間歩いた時よりも
さらにきれいな煉瓦で作り変えられた家が増えてしまい、情緒が少なくなっています。

古い煉瓦作りの家を探しながらぐるぐると歩いていたら、屋上にテラスを造ってカフェに
なっている所を見つけました。上から胡同の瓦の連なりをスケッチしてみたくなり、
入ってみました。


  
              テラスから

一枚スケッチをして、お店を出たら、なんと后海の観光名所、銀錠橋からほんの少し
西に入ったところでした。西に西にと歩いていたつもりで、結局ぐるっと回っていたようで、
元いた所から少しだけ北に移動しただけでした。やはり、迷路です。((+_+))
でも、思わぬアングルで胡同をスケッチする事が出来て良かったです。

明日はSさんにまだ行った事のない市場へ連れて行っていただきます。


Sさんは今年5月からご主人と愛犬ビーちゃんとの北京暮し。  (北京のみやげ話
国慶節の休暇中、東京でお会いしたが、北京生活を語るSさんはすでに「北京人」!
北京に行きたい!彼女に京杭運河の始まる地点に案内してもらわなくては・・・。
中国・中国の旅

図鑑も3Dの時代?!

2011年10月19日
1週間前、荒川に現れて以来、姿を消していたゴマフアザラシのアラちゃんが一昨日
6日ぶりに現れた。
午後には志木市長の会見があり、住民票が交付されたそうだ。 (そういえばタマちゃんは?) 
こうした騒ぎに迷惑顔の河原に居を構える人?によると、アラチャンはひと月前から
鮎を食べに来ていたとか。今回は野鳥の会の人によって撮影されたことが騒ぎの発端らしい。
アラチャンはともかく、この辺りにカミツキガメも現れているらしい。

話は変わるが、幼児に人気がある「あんぱんまん」が、ことばを教えてくれる「ことばの
図鑑」があるそうだ。ライオン姿のアンパンマンにタッチすると、「らいおん」ということばを
発するという。見た目は絵本感覚だが、お値段はかなり高め。     (いまどきの教材

          図鑑
                     図鑑コーナー        

書店の児童書コーナーで、『このホネなあに?3D 動物ふしぎ図鑑』を見つけた。
この夏、発売された小学低学年~高学年向きの図鑑だ。(日本図書センター¥1900) 
「動物を知ることは、わたしたち人間を知ること。自然や動物たちのふしぎを知って、
みんなも地球にやさしい動物博士になろう!」

     3D図鑑

3D(スリーディー)は、「three-dimensional」あるいは「three dimensions」の略語で、「3次元の」
「3次元」を意味する。物体構造などのモデリング、立体視等の用語などに用いられる。
コンピューターグラフィックス、写真、映画、テレビ、ゲーム機なども3D時代が来たが、
3D技術を導入したソフトは、骨折治療などに生かされている。

「3Dビュアで観よう!3D 動物園」「3Dでびっくり!きょうりゅう」といったしかけ絵本や
「ディズニー3Dブック カーズ」などの絵本はあったが、この図鑑はただの3Dではないらしい。
通常の青・赤2色の3D画像とは違い、付属のメガネをかければ3D画像、メガネ無しなら
普通のイラストや写真として見ることができる、日本初のダブルユースの図鑑。
すでに100万部が売れたとか。初めて図鑑を開く子どもたちの関心も集めることになりそうだ。

         DVD付き
                    DVD連動図鑑

それにしても、書店に並ぶ図鑑の多いこと!40分のDVD付きの図鑑(講談社¥1800)もある。
「地球環境調査キット」や「顕微鏡セット」「むしめがね実験せっと」なども並んでいる。

大型書店ができて、町の本屋さんがどんどん消えて行く。
数年前に店舗面積の半分が不動産屋になった、わが町の本屋さんはまだまだ頑張っている。
毎月、中国語講座のテキストを配達してもらったりしてご縁もあったが、
最近は渋谷などの大型書店やネットで購入するため、この本屋さんに行くことはない。
当時、レジの横にマルチーズがちょこんと坐っていたが、犬好きのご主人は、このごろ、
雑誌や本棚の脇にペット用品を置くようになったらしい。
昨日、ごんさんがここで猫用の「焼きかつお」を買ってきた。
つれづれ

ワサビの臭い コーヒーの香り

2011年10月18日
先月末、イグ・ノーベル賞が発表された。この賞は、人を笑わせ、そして考えさせる
ユニークな発明や研究に贈られるものだが、今年はワサビの臭いで火災を知らせる
警報装置を開発した日本人7名が化学賞を受賞した。    (漂ってくるにおい) 

聴覚障害者のために開発されたというこの装置だが、よりによってあのワサビとは!           
ラジオで、企画の段階から足掛け7年もかかったという担当者の苦労話を聞いた。
レモンやアロマ、花の香りとか、病院と提携してありとあらゆる方法を試したというが、
最後に辿り着いたのがワサビだったという。
ワサビの臭いは空気より重く、火災の煙の臭いは上にいくので混じらない特徴がある。
また、揮発性があり、煙草や煙のようにいつまでも残らない。因みにこの装置は5万円。

臭いと防災で1つの目的を達した今、癌患者独特の臭いを感知して癌を発見するセンサーを
開発中だとか。また、レモンの香りで着信を知らせるという楽しそうなストラップがあるという。

レモンの香りもいいが、香りといえば、何と言ってもコーヒーの香りは格別だ。
あの独特の香りには、リラックス効果と、頭の回転を速くさせる効果があるそうだ。
コーヒーの中でも、リラックス効果が大きいのはグアテマラとブルーマウンテン。
一方、脳の働きを活性化し、頭の回転をよくするのは、ブラジル、マンデリン、コナだとか。
因みに、コーヒーには日本の水道水や多くのミネラルウォーターなどの軟水が向いている。

アロマと呼ばれる香り成分には、DNAの酸化や心臓の老化を妨ぐ抗酸化作用のある物質が
300種以上も含まれている
というが、その効果は淹れたてのときだけで、残念ながら
5分もすると、その効果はなくなるという。

       コーヒータイム

アメリカのドーナツチェーンの調査によると、「1日の仕事を乗り切るにはコーヒーが必要」と
いうビジネスマンは1/3。そのうちの半分は、「コーヒーがないと仕事の能率が落ちる」と
答えたとか。因みに、飲む量が多い職種は、科学者や研究者がトップ。
コーヒーに含まれるカフェインには覚醒作用があり、頭をシャキッとさせてくれる働きがある。

「なるべく飲まないように」と言われると、飲みたくなるのがコーヒーだ。
気功の楊先生に「あまり飲まないほうがいい」と言われ、家ではめったに飲まなくなった。
コーヒーの香りも味もさることながら、外でゆったりと味わうコーヒータイムの「ゆとり」は、
至福の気分を招いてくれる。
つれづれ

「日本の水はクール!」

2011年10月17日
1887年の今日、横浜市に日本初の近代的な上水道が完成し、水量豊富な相模川から
鉄管で水をひき、野毛山の貯水池から横浜市街に給水が開始された。
しかし、当時の浄水場は関東大震災で壊滅したが、その野毛山貯水池跡には
日本近代水道の創設者として知られるイギリス人の工兵中佐パーマーの胸像がある。

「水道週間」は、毎年6月1日~7日。水道について国民の理解と関心を高め、
公衆衛生の向上と生活環境の改善を図るための週間。1959年に厚生省により制定。
水道を中心に「水」、特に飲料水、家庭用水に対する認識を高めることを目的としている。

また、8月1日は「水の日」。この日からの1週間が「水の週間」とされている。
年間を通じてもっとも水の使用量が多く、水について関心が高まるのが8月上旬だからとか。
     ミネラルウォーター
     現在、日本には外国のもの200種のほか、
     800種類のミネラルウォーターがあるそうだ。
     わが家でもサーバーを設置して、大分の天然水を
     買うようになって2年が経つ。

     3.11の大震災後、東京の金町浄水場の水に
     放射性物質が多く含まれていることがわかり、
     一時、街のコンビニや自販機のペットボトルが消えた。
     このとき、5歳と2歳の孫娘のいる息子のところへ
     サーバー用の天然水ボトル2個(計24ℓ)を送った。
     そして2週間が過ぎて
横浜マリンタワー 東京タワー

その後、ボトル数を追加注文して、息子のところへ定期的に送るようになった。
娘の家は近いので、空きペットボトル6本に詰め替えて渡すことになる。
2年前にはこのウォーターサーバーがこれほど役に立つとは思ってもみなかった。

   サーバー
                 使用済みの容器は資源ごみに

食堂に入ると無料で水が出てくる国、水道の蛇口から出る水をそのまま飲める国は多くない。
東京の水道水は美味しい。都庁や都立公園、病院などの都関連の公共施設では「東京水」
(500mℓ¥100)が販売されている。この「東京水」には、カルシウムなどのミネラルが、
市販のミネラルウオーターと同等レベルで含まれていることがわかった。(東京の水道水

東京にある京料理の老舗では料理に使う水をすべて京都から運んでいる。
千葉県上総地方に伝わる「上総掘り」。人力だけで500mの井戸が掘れる技術は
水不足で悩む世界の国々で役立っている

ごんさんお気に入りのテレビ番組『COOL JAPAN ~発掘! カッコイイ日本~』(NHK)の
特集「日本の水」を見た。来日間もない外国人たちが感じた日本の水は「クール!」だった。
つれづれ

岩絵具「色とりどりの宝石」

2011年10月16日
人生の先輩、目標だったKさんが急逝されて3ヶ月が過ぎた頃、大きな段ボール箱が
送られてきた。すべてKさんが大切に使われてきた岩絵具だ。ビニール袋入りのもの、
試験管のような瓶入りのものなどが、いくつかの箱にぎっしりと詰まっていた。

岩絵具には、天然岩絵具と新岩絵具がある。天然のものは、原石の不純物を除いて
細かく砕いたもので、深みのある色を出すことができる。
めのう、緑めのう、珊瑚、象牙、碧玉、黄碧玉や水晶末なども含まれる。
新岩絵具は、顔料を含んだガラスの粉が使われている。固形にしてから砕くという、
科学的に作られたもの。鮮やかな色が豊富に揃い、天然のものに比べて安価。
因みに、1両目(15g)の新岩絵具の群青は¥700程度だが、天然の群青だと¥4500。

      岩絵具
   袋入  天然 群緑 8番 10番 12番          
   瓶入  新岩 群緑 9番 12番      袋入  天然 岩群青 12番 13番
      
どちらの絵具とも、粒子状で、3番から13番と数字が大きくなるほど粒子は細かくなり、
もっとも細かいものは「白(びゃく)」と言う。粗いものほど色が濃く、細かくなるほど淡くなる。

岩絵具は、和紙に色を定着させるために、接着材の役目をする膠(にかわ)と水で
溶くのだが、この濃度がなかなか難しい。濃すぎると画面にひび割れが起きたり、
薄すぎると色を重ねたときに、下の色が動くといった失敗をしやすい。

 絵具棚    抽斗
   数年前まで使用していた5連の棚           現在使用中の抽斗

絵を初めた当初、岩絵具はすべて小さな瓶に入れて、ごんさん製作の絵具棚に入れていた。
10年前、日本画をやめられたOさんから岩絵具や額などを頂いた。そして、数年前、
90歳を超えられた I さんからも岩絵具をたくさんいただいたので、棚を追加し、
道具一式の棚と背中合わせに付けて移動式の棚に並べることにした。
買ってきた袋入りの絵具も瓶に移して、棚に色分けして並べるのを楽しんだものだったが、
2階の扉付きの棚をセットした後は、100円ショップで買った小さな抽斗などに移した。

Kさんの岩絵具を頂いたのは、1階で描くことに決めて岩絵具や道具を移した直後だった。
天然の岩絵具や普段は買わない粗い絵具も使わせていただくことにして、Kさんの岩絵具と
自分の絵具を畳の上に広げ、整理を始めた。100円ショップに何度か足を運び、
小さな抽斗を何段にも重ねて、瓶入りも袋入りの絵具も系統別にしまうことにした。

7年前のグループ展のとき、I さん、Kさんのお2人とも80歳を過ぎておられた。
お2人とも30号のほか数点を(新作ではないが)出品された。お2人の画の力強いこと!

作品 
       I さんの作品 「桜島」 30号            Kさんの作品 「ポピー」 15号

日本画絵具独特の色も花や鳥の名などがついた色名も実に日本的で美しい。
「蘇芳(すおう)」「辰砂」「山吹」「若葉」「鶯」「鶸色(ひわ)」「浅葱(あさぎ)」「皮鉄」「青磁」
「水浅黄」「利休鼠」「藤紫」「紫紺」「古代紫」「古代朱」「古代錦」「納戸」「岱赭(たいしゃ」)・・・。

粗いものから細かいものまで順番に並べたり、微妙な色の違いで分けたりすることも
大好きな作業でまったく苦にならない。楽しみながら少しずつ。結局、数日かかった。
抽斗に入りきらない多くの絵具は、日本画のお仲間に使っていただくことができた。

準備万端整った。色とりどりの宝物を眺めながら、宝の持ち腐れにならないように、
いい画を描かなくては!と言い聞かせている。
芸術・文化・考古

長沙から「秋のたより」

2011年10月15日
中国では毎年、国慶節の大型連休中の「民族大移動」が話題になるが、中国に暮している
日本人もそれぞれの連休を過ごすことになる。
9月下旬、北京に単身赴任中のご主人のもとへ行かれたHさんは、ひと月中国で過ごされる。
5月に北京に赴任されたSさんは、愛犬をペットホテルに預けて日本に戻られた。
その合間の彼女を囲んでの「桂花会」は楽しかった。        (北京のみやげ話

今年の夏から湖南省の省都長沙に暮すSさんから「秋のたより」が届いた。
来た、来た、ついに来ました! 待ち望んでいた秋の到来です。といっても日中温度32度、
まだまだ暑いですが(この文を書いて2日後の今日は20度)、なんと言っても朝晩は
22~25度ぐらいで、ひところと比べるとほんとうにしのぎ易くなりました。
ところが長沙の人たちに聞くと長沙は夏と冬だけで、春と秋がとても短いそうです。
そういえば、つい先日まで毎日34度は続いていたら、ある日急に15度に下がりました。
翌日は13度で北京よりも寒くなりました。大陸性気候は恐ろしい!と思いました。
周りに海がないので突然暑くなったり、寒くなったりします。


そういえば、北京のSさんからのメールには、9月半ばの北京はすっかり秋になって、
最高気温が14度のこともあり、びっくりです。もうヒートテック着てます」とあった。

       北京郊外 2002.10
             民家の庭先  北京郊外 西菅村 
 
東京の9月の半ばといえば、連日の「真夏日」にうんざりしていた頃だ。大型台風直撃のあと、
10月に入ると急に冷え込んで、14度という、11月下旬並みの日にはさすがに慌てた。
おかげで、人並みに風邪をひいてしまった。

しかしながら確実に秋は来ていて、スーパーには、みかん、りんご、栗、冬棗(姫りんごに
似ています)、竜眼(桂円の名前で出ているところもあります)等々。
私は特に竜眼が気に入って毎日感激しながら食べています。また、野菜の種類も多く、
豊富に食べ物が並んでいるのを見ると「湖広熟すれば、天下足る」という俗語を思い出します。
(湖南、湖北、広東、広西の4省が豊作であれば、中国全土の食料がまかなえる)

また、来たときには百日紅(さるすべり)と泰山木ばかり目立っていたマンション内公園に
金木犀がとても甘い香りを放っています。

  
「冬棗」の果実は丸くて艶がある。皮は薄くて鮮紅色。クロウメモドキ科。
果肉は乳白色で、歯ざわりがよくて汁も多い。甘くてすがすがしい香りがして、栄養豊富。
「竜眼」はムクロジ科。丸く茶褐色の果実をブドウの房のように一度に多く実らせる。
果肉(仮種皮)はブドウに似た白く果汁の多いゼリー状で、竜の目に似た大きな種子がある。
同じムクロジ科のライチと似ているが、竜眼の実は小さく種が大きいため可食部は少ない。
冬棗と竜眼
          冬棗                         竜眼

Sさんは、国慶節の連休に「黒茶の故郷 安化への旅」をされた。
彼女はお子さんが小さい頃、広東省広州市に住んでおられたが、そこで中国茶芸師の
資格をとられ、その後、日本でも中国茶の勉強をつづけられていた。
お宅ではいつも中国茶しか飲まないと伺った。彼女がスリムなのはそのせいかもしれない。

湖南省安化県は、「安化黒茶」の故郷。16世紀初期から安化で黒茶がつくり始められ、
四川省をしのぐ生産量になったという。
黒茶は、緑茶を麹黴の働きによって発酵させ、蒸して固めた典型的な「後発酵茶」で、
昔から四川、雲南、湖南、湖北、貴州省などの各民族に販売するため発展してきたので、
民族の喫茶習慣に合わせてさまざまな種類がつくられている。

長沙にある漢代の墓「馬王堆」から、「價一笥(茶一箱)」と書かれた木牌が発見され、
「茶」が副葬品として用いられていたことがわかる。唐代に湖南の衡陽や岳州でつくられた
「団餅茶」は有名で、皇帝に献上する貢茶であったという。   (長沙からのたより

ところで、Sさんご夫妻の「安化への旅」だが、メンバーはご主人の友人である長沙人のご夫妻、
その部下と運転手との6人。「さて、この6人の珍道中、いったいどんな旅になりますことやら
「長沙だより」はこう結ばれていた。
次の「長沙だより」は、この旅のみやげ話だろうか。今から楽しみだ。
中国・中国の旅

そういえば 「タマちゃん」は?

2011年10月14日
荒川の秋ヶ瀬取水堰(埼玉県志木市)に7年ぶりにアザラシが現われた。
早速、アラちゃんと名付けられたアザラシはゴマフアザラシで、タマちゃんとは違う種類だそうだ。

アゴヒゲアザラシのタマちゃんが多摩川の丸子橋付近に現われたのは2002年8月。
まもなく、タマちゃんは多摩川から横浜市の鶴見川の大綱橋近くへ、そして横浜駅近くの
帷子川などに移動した。タマちゃんの動向が報道されることにより、市民の関心が薄かった
都市河川や東京湾の状況に関心を持たせる効果を生んだという。
(Wikipedia)

鶴見川に現れた頃、横浜市より特別住民票を与えられ西区民となった。登録氏名は西玉夫。
なお、住民票発行の根拠となる法律は存在せず、法的には市町村や特別区が発行する
広報印刷物の一種にすぎない。これに関して、在日外国人たちが、「私たち人間にこそ
住民票を」とアザラシのコスプレをして抗議行動を行う一幕もあり、以後、各地で海獣を
中心とした野生動物が一定期間出没した事で特別住民票を発行する自治体が相次いだ。


「タマちゃん」は、この年の新語・流行語大賞の年間大賞に選出されたり、
タマちゃんを題材とする楽曲も多く作られ、CDや写真集が発売された。
2003年、荒川(朝霞市)に出没していたタマちゃんは、翌年の4月には姿を消したが、
「タマちゃんブーム」はつづいた。

タマちゃんパン

タマちゃんが現れた多摩川丸子橋に近い東急線多摩川駅構内の神戸屋に「たまちゃんパン」
(多摩川店限定)が登場。発売当時(¥170)は珍しく、よく手土産に持って行った。
餡がぎっしり詰まったお饅頭のようなパンの評判は上々だった。    (神社と古墳
現在も(¥210)販売されているが、家族が増えて、トレイの上は「タマちゃんファミリー」が
勢ぞろいして実に賑やかだ。          

たまちゃんバス

ブームからだいぶ遅れて、大田区第1号のコミュニティバスとして「たまちゃんバス」が走り
始めたのはちょうど2年前。図書館までたまに乗ることがある。(便利なコミュニティバス

天気予報士森朗氏によると、アラちゃんが現われた今年と、タマちゃんが現れた年の天候には、
日本に接近した台風が多いという共通点があるという。(02年には8個、今年は今現在で5個)。
台風で海が荒れて海水がかきまぜられると、アザラシはえさを追って海水温が下がった
日本海沿岸に南下するというが、群れから外れるアザラシも多いのでは?という。

今はもう10月。そろそろえさも少なくなる日本近海にアラちゃんはいつまでいるのだろうか?
因みに、アザラシは1日に100km、毎時10kmの速さで移動するのだとか。 
動物など

いまどきの教材

2011年10月13日
『アンパンマン おしゃべりいっぱい!ことばずかん』という、知育玩具があるらしい。
「物の名前」や「色・形」などに興味のあるアンパンマンエイジたちが、アンパンマンと
楽しく「ことば」が学べるという。(日本おもちゃ大賞 エデュケーショナル・トイ部門初代大賞受賞

この図鑑は電池使用で持運びも出来る大きさ。ものの名前、まち、動物園、水族館、乗り物、
色々なお店、コンビニなどの絵にタッチすると、アンパンマンたちが、ことばや数字、色、形、
アルファベットまで教えてくれるというが、価格は7千円近く、かなり高価だ。

『どうよう うたのえほん』(¥1680)は、ボタンにタッチすると歌が流れ、カラオケも選べる絵本。
孫娘ゆうゆうが愛用した1巻、2巻とも草臥れている。あいあいも2歳半。そろそろ卒業だろう。

うたのえほん

「どんぐりころころ」「うさぎ」「あかいとりことり」「こいのぼり」「しゃぼんだま」など、
かなり昔の童謡のほか、比較的新しい「いぬのおまわりさん」「あたまかたひざポン」や
「アンパンマンのマーチ」まで、16曲が楽しい絵と楽譜付で収められている。

小学生になると、覚えなければならないことが多い。今年春に発売された暗記ソングCD
『うたって覚えよう!九九のうた、県庁所在地』(キングレコード)が爆発的に売れているという。
ふつう、教育用のCDは3千枚がいいところだが、このCDはすでに3万枚を突破したそうだ。

小学校2年から4年が対象。動画で見ると、ややこしい県庁所在地もロックンロールのリズムに
のって自然に覚えられそうだ。「じゅげむ(古典落語)」「むか~しむかし(日本史年号)」
元素記号、アルファベットなど、昔からある暗記のための歌など14曲が収められている。 

今年から「脱ゆとり教育」を主旨とした新学習指導要領がスタートし、小学校2年生で九九、
中学年で47都道府県の名称・位置、高学年で英語の必修化など、暗記を必要とする項目が
増えたことからでは?
との見方が強い。

小学2年の孫りんりんには、このCDは要るだろうか。
九九は、1年のとき、短い間だったが、どちらかというと嫌々通った珠算教室で覚えた。
日本史に興味がある彼の頭の中には、いつの間にか年号がインプットされている。
「日本の歴史」や「歴史人物伝」などで自然に楽しく覚えているようだ。それに引きかえ、
年号や系図、人名など、受験勉強用の丸暗記だと、情けないことに何も残っていない。

      家紋

あるとき、食卓上の箸置きを見て「小早川ヒデアキのだ!」と嬉しそうに叫んだことがあった。
どうやら、大河ドラマ『天地人』でみた旗印と同じだという。小早川秀秋ってだれ?
関ヶ原の合戦で西軍を裏切ったといわれているあの人?
調べてみると、三頭の右巴、左巴と「巴」の家紋は実に多い。秀秋の紋は「三頭右巴」で、
箸置きの紋は「左巴」だ。このことは、まだ、りんりんに言っていない。
身近な人びと

いまどきの信仰

2011年10月12日
金木犀が香る頃になると、「お会式(おえしき)」が始まる。  (お会式と金木犀の香り
お会式は日蓮門下の諸派で日蓮の命日10月13日などにあわせて行われる法要。
数十万人の参拝者が訪れる祭りとして、特に池上本門寺(大田区)が知られている。
歌川広重(二代)の『江戸自慢三十六興』『江戸名勝図会』で描かれていることから、
江戸時代末期にはすでに始まっていたと考えられる。

池上本門寺では、お会式おえしき)が昨日から行われているが、今晩は「万灯練供養」。
各地から集まった信徒団体の講中が、行列し万灯や提灯を掲げ、纏(まとい)を振り、
団扇太鼓や鉦を叩き、題目を唱えながら境内や寺の近辺を練り歩く。「神様、仏様」と
都合のいいときに神仏にすがるのは、昔も今も日本人の信仰のカタチ
という。
宗教学者の鎌田東二氏によると、日本人にとって「神」とはパソコンのフォルダのようなもので、
「超すごい」などの形容詞や副詞で表現される物事への総称
だとか。(産経新聞「賢く節約」)

    お守り?
    建長寺 ケータイお守り(産経新聞)          明治神宮 「清正の井」    

「神」がパソコンのフォルダのようなものという話には妙に納得してしまった。
今年の菖蒲の時季に明治神宮内苑を訪れた折、大人気のパワースポット「清正の井」に行った。
それ以来、ケータイで撮った画像をケータイの待受画面にしている。(運がついたかは不明)

それにしても「ネット神主」や「ケータイの待受画面のお守り」の存在には驚いた。
鎌倉(神奈川県)の名刹建長寺が、ケータイにダウンロードしてお守りとして利用できる画像を
提供しているというのだ。法堂の天井に描かれた「雲龍図」と「ご朱印」の2種類(¥525)。

さらに「ネット神主」だが、これは熊本県の宝来宝来(ホギホギ)神社では遠方に在住し、
簡単に参拝できない人のために、始めた願い事別の参拝のサービスだ。(参拝料¥300)
ほかにも、あらゆる願い事をネットを通じて受付けている新宮神社(高知県)などもあるとか。

   おみくじ          
りんりんと多くの寺社を訪れたが、参拝前におみくじのところに直行することも度々だった。
今年は思いつくだけで、春にお江ゆかりの増上寺(港区)、茅の輪をくぐった渋谷の金王
こんのう)八幡宮、夏に大船の大観音寺(神奈川県)だろうか。 (りんりんと「茅の輪」くぐり
「大吉」のおみくじに大喜びした後、茅の輪をくぐったりんりんを想い出す。

今も昔も神社やお寺は神霊験あらたかな場でありつづけるだろうが、こうした安くて手軽な信仰は
流行を追うような感覚で、とくに若者を中心に広がって行きそうだ。
旅・散策・イベント

大震災から7ヶ月

2011年10月11日
3月の東日本大震災が起きた日から7ヶ月が経った。
福島県の小学校では、事前に除染を行ったり、屋外プログラムの時間を減らすなどの、
放射線対策を凝らして運動会の実施にこぎつけたとか。体育館で行ったり校庭に
ブルーシートを敷いての玉入れが行われたところもあるとか。

首都圏の鉄道は9月初めから徐々に通常ダイヤに戻ったが、大震災で大きな被害を受けた
東北新幹線も先月23日から、震災前の通常ダイヤに戻った。
4月末、東京ー新青森間の全線で運転を再開したが、被害の45%が集中した、福島と岩手県の
一関の間は、運転速度を落としての運転がつづいていたという。

新幹線復活
  東北・秋田・山形新幹線      「はやぶさ」    9.23 復活  いつものダイヤへ 

東日本大震災の被災地では雇用問題が深刻になっているが、ラジオを聞いていると、
そういった支援の取り組みとして、本社を移したり、コールセンターをつくったりと、
街を元気にする会社がしばしば話題に上るようになった。

たこ焼きチェーン「築地銀だこ」は、震災直後に宮城県石巻で炊き出しなどを開始し、
8月には市内に飲食店や運動用具店などを集めた「ホット横丁石巻」を開設したが、
今回、石巻に本社を移すだけでなく、加工工場を新設することになったという。

通販サイト「アマゾン ジャパン」は、来春、仙台に24時間対応のコールセンターを、
「ワタミ」も岩手県陸前高田市に宅配弁当の注文を受けるコールセンターを開設する予定だとか。
「アマゾン」の通販は電話での注文はあまりしないが、よく利用する。とくに本の注文が多い。
中古の本を古書店で探すのは大変だし、書店にない場合の取り寄せては結構面倒だが、
「アマゾン」利用なら出かける必要もなく、注文した本はすぐに送られてくる。実に便利だ。

今年の「節電の夏」のおかげで、いいこともあったようだ。
全国200の小学校から観測結果を集めて、昨年と今年の7月の気温を比べたら、
都心の気温が0.6度下がり、都心と郊外の最高気温がほぼ一致したという。
熱帯夜やゲリラ豪雨の原因となるヒートアイランド現象が緩和されたことになる。 
0.6度?大したことないと思ったが、平均気温がこの100年で3度上ったことを考えると、
この差は大きいのだそうだ。

オフィス熱はとくに中央区と千代田区が大きい。千代田区役所では10年前よりビルの
屋上緑化に補助金を出しているが、残念ながら、効果はそのビルだけだとか。
オフィスでは、遮熱フィルムを設置したり、人が退室するとセンサーが働き消灯、
空調25%オフを心がけたりと、各ビルでの節電対策は有効だという。
           
節電はこれからもつづく。保温性の高いヒートテックの肌着も爆発的に売れているというが、
「男性用腹巻き」の売り上げも伸びているそうだ。2千円前後の薄手のチェック柄が多いとか。
どうやら、節電対策からエアコンを控え、その分、水分を多く摂取したため胃腸が弱った
こともあって、防寒着の他、秋バテ対策グッズとして買い求める人が多いらしい。

体温が低く、いつも胃の辺りが冷たい私は、数年前に薄手の軽い腹巻を買って、外出時にも
使っていたが、いつの間にか擦り切れて穴が空いてしまった。
今は、孫りんりんがわが家に泊ったときにのみ活躍する。
就寝時には、少し草臥れた、イオンドクターのウェストウォーマーというらしいが、要するに
厚手の腹巻きを長年愛用している。冬には勿論、熱帯夜のときも手放せない。

 秋

お鍋の季節だ。今年は鍋の具そのものより、食感にバリエーションがある「つけだれ」に
スポットがあたっているそうだ。
節電の夏は、家で過ごす時間が増えたという。秋になっても節電をやめるわけにいかない。
寒くなっても、鍋ものを囲んでの夕食には暖房をせずに節電ができるかもしれない。
それにしても、スーパーの棚には、たくさんの「つけだれ」が並ぶ。
寄せ鍋、豆乳鍋、トマト鍋、カレー鍋、みそ鍋、とんこつ醤油鍋、キムチ鍋、ちゃんこ鍋・・・。
今夜あたり、久しぶりに豆乳鍋でもしよう。
つれづれ

孫文のこと 

2011年10月10日
中国は今月1日、建国62周年の国慶節(建国記念日)を迎えた。
北京の天安門広場には1日早朝、国旗掲揚式を見るため全国から約12万人が集まったという。

9月29日に中国初の小型宇宙実験室「天宮1号」の打ち上げを成功させた中国だが、
7日までの国慶節の大型連休は、旅行などで5億人もの「民族の大移動」の時期だ。
Sさんご夫婦は北京から東京へ戻られ、8月から湖西省の長沙に行かれたSさんご夫婦は、
長沙人ご夫婦たちと「黒茶の郷 安化」へ旅をされたそうだ。

今年は、清朝が崩壊した辛亥革命100周年。長崎では、孫文と長崎出身の実業家
梅屋庄吉との交流を辿る『孫文.梅屋庄吉と長崎』の特別企画展(~3/25)が開かれているが、
トーハク(東京国立博物館)では、特別展『孫文と梅屋庄吉』(7/26-9/4)が開かれた。
「誰モ見テイナイ写真」というだけあって、長崎大学などが所蔵する当時の稀少な写真
約260点が展示された。浅草、長崎、上海、パリ、ニューヨークなども初公開された。
    
8月末、『空海と密教美術展』を見た。次の会場『孫文と梅屋庄吉』展では、宋慶齢故居で
見た孫文や宋慶齢の写真のほか、100年以上も前の紫禁城の写真にも見覚えがあった。
3年前、東京都写真美術館で開かれた『紫禁城 写真展』で見たのと同じ写真だった。

    パンフと紫禁城写真
   「孫文と梅屋庄吉」  2011年    「紫禁城写真展」 写真美術館 2008年
「太和門」
          「太和門」  小川一真「紫禁城写真」   1901年撮影

清朝末期、紫禁城の建造物を詳細に写真撮影した日本人写真師の小川一真が、紫禁城の
調査に同行し、300枚以上のガラス乾板を使って撮影した貴重な写真(トーハク蔵)だ。
この写真が撮影された10年後、「辛亥(しんがい)革命」が起きた。

「辛亥革命」は、1911年10月10日の武昌蜂起を契機に中華民国を打ち立てた革命。
西洋列強による圧迫と内部の腐敗で清朝の求心力が失われ、地方の省が次々と独立。
清朝は倒れ、2000年以上続いた王朝体制は崩壊した。
孫文(1866~1925年)は、東京で中国同盟会を結成し、「三民(民族、民権、民生)主義」を
提唱するなど革命を主導した。1912年の中華民国樹立に伴い、臨時大総統に就任した。
孫文は宮崎滔天、梅屋庄吉、犬養毅らとも交流を深めた。(北京時事)

「中国革命の父」と言われる孫文(孫中山)と妻宋慶齢が住んでいた(1918-1924年)家は
上海のフランス租界にある。
上海の孫文の故居をSさんに案内していだだいて訪れたのは、2004年の4月だった。
館内を見学したあと、孫文の銅像と写真を撮り、隣の藍染店で十二支のテーブルセンターを
買ったことを思い出した。

      孫文故居
               「孫中山故居記念館」    上海市香山路
 
それより前の2002年の晩秋、北京の「宋慶齢同士故居」をスケッチの合間に訪れた。
庭は広く、池があったりと、建物も立派な四合院造りだった。思えば、清朝最後の皇帝、
後に満州国皇帝となった溥儀が誕生した王府だったところだった。 (サンザシ
宋慶齢はここで亡くなるまでの18年間過ごした。    (やはり北京は寒いです

「辛亥革命」によって中国は、アジアで最初の共和国を樹立し、清朝260余年の支配と
秦漢以来2000年にわたった皇帝専制の歴史にピリオドを打ったことになるが、
孫文は、有名な「革命尚未成功、同志仍須努力 (革命未だならず)」との一節を遺言に記して
北京に客死し(1925年)、南京に葬られた。その巨大な墓は「中山陵」と呼ばれる。

中国では孫文よりも孫中山の名称が一般的であり、孫中山先生と呼ばれているが、
中山という号には、面白いエピソードがある。日本亡命時代、孫文が東京の日比谷公園付近に
住んでいたとき、公園の界隈に「中山」という邸宅があり、孫文はその表札の字が気に入り、
自身を孫中山と号すようになった
とか。(Wikipedia)
たしかに、中山公園、中山路など、中国の街には、至るところに「中山」とつくところがあった。
中国・中国の旅

寒露の頃

2011年10月09日
今日は24節気の1つ「寒露」。朝露が一段と冷たく感じられる頃。暦の上では晩秋の始まり。
雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き止むころ。

寒露七十二候の二候は「菊花開く」。ちょうど今頃が旧暦の9月9日の「重陽の節句」。
「重陽の節句」は「菊の節句」とも言われ、各地で菊人形展が行われる時季でもある。
福島県の二本松の菊人形は有名だが、大震災の影響で一時は開催も危ぶまれた今年は、
今月15日から(~11/13)時間を短縮して無料で開催されることになった。

大円寺
       谷中 大円寺(台東区)      「おせん菊人形」 谷中まつり 10.8    
   
菊人形というと、何十年も昔のことだが、子どもの頃に母に連れて行ってもらった
多摩川園の菊人形展を想い出す。
多摩川園(大田区)は、大正14年に開園、浦安にディズニーランドが開園する3年前
(1979年)に幕を閉じた。現在は大田区営の「田園調布せせらぎ園」となっている。

   多摩川駅
             「せせらぎ公園」   多摩川駅ホームより

多摩川園は、毎秋恒例の「菊人形展」のほか、「お化け屋敷」が人気のイベントだった。
わが家からもっとも近い遊園地で、園内には飛行塔などもあったし、動物園もあって、
サルやタヌキなど、犬猫以外の動物たちを初めて見たところだった。奥の山の上には
「大山すべり」という長い滑り台もあったが、一度も滑ったことはなかったと思う。

何よりはっきり覚えているのは、「ビックリハウス」。中に入り、椅子に腰かけていると
壁が廻るのだが、自分がひっくり返ったようで怖かったのだが、結構好きだった。

この時季の養生は「白露は身を露わにせず、寒露は脚を露わにせず」。
白露の節気が過ぎたら体が露出する服を避け、寒露が過ぎたら脚を冷やさぬようにということ。
気功の楊先生も毎年この時季になると。中国医学の「養陰潤燥」を力説される。
この養生のポイントは、夏に消耗した精力や栄養を補うこと、乾燥する空気によって
損いやすい肺と大腸の機能、例えば、口の渇き、鼻の乾き、皮膚の割れ、便秘などを
未然に防ぐよう備えることだそうだ。

ラジオを聞いていたら、「秋と言えば?」のインタビューの答えの多くがおでん、うどん、
豚汁やけんちん汁・・・。菊人形もいいが、立ち上る湯気、温かいものが恋しくなってきた。
旅・散策・イベント

ペットが迷子になったとき

2011年10月08日
先月半ばの「三毛猫ウィロー 約2600kmの旅」の話には驚いた。
5年前、アメリカコロラド州から姿を消した三毛猫ウィローがニューヨーク市内の路上で
拾われた。動物愛護団体の検査で体内に埋め込まれたマイクロチップの存在がわかって、
飼い主との再会が実現することになったという。
宗谷岬から沖縄本島間にあたる距離をずっと歩きつづけたのだろうか?
だれかに飼われていたのでは?こればかりはウィローに訊いてみないとわからない。

       ウィロー マイクロチップ
       三毛猫ウィロー(AP通信)             マイクロチップ

マイクロチップとは、獣医師によりペットの体に埋め込まれる迷子札のようなもので、
大きさ直径2mm、長さ約11mmで、一般的な注射とほとんど変わらないため、
動物に負担やストレスがかからず、安全だという。
迷子、災害、盗難、事故・・・ペットは住所も名前もいえない。そんなとき、マイクロチップは
確実な身元証明になる。ペットだけでなく、ほ乳類、鳥類、は虫類、両生類、魚類など、
ほとんどの動物に使用できるそうだ。

ペット用のマイクロチップは世界的に普及が進んでおり、フランスやシンガポールなどでは
装着が義務化されているが、アメリカや日本の普及率は数%だという。

りんりんの飼い猫ショータンが家族になって、来月で1年になるが、
ペットショップですでにマイクロチップが埋め込まれていたそうだ。
最近のショータンは玄関のドアが開いていると、外へ出てしまうことがあるそうだ。
逃亡する気はないので、マタタビで捕まえることができるらしいが心配だ。

つづくペットブーム。人間と動物の共生の大切さが言われる裏側で、年間30万頭にも及ぶ
犬や猫の殺処分という問題を抱えているという。
犬猫を飼っている人、マイクロチップのことを知っている人に見つけられた迷い猫なら
動物病院へ運ばれて、飼い主のもとに戻ることもできるのだが・・・。

ペット保険を扱う保険会社が、10歳以上の犬猫の割合を都道府県別に調べた結果、
1位は福井県(男性は4位)。2位は沖縄県(女性が長寿日本一)。3位は島根県と東京都、
共に人間の平均寿命で上位。人間の長寿県では犬猫も長生きだとか。

飼い主は、自身の健康管理はもちろん、ペットにもストレスを与えないよう食事や散歩などにも
気をつけている人がほとんどだったとか。飼い主の愛情はペットが長生きする秘訣らしい。
考えてみると、ペット保険をかける飼い主はすでに愛情たっぷりということなのだが。
動物など

父愛用の文具

2011年10月07日
針を使わないステープラーが出来たのは知っていたが、実際に8枚綴じのものが
千円以下で販売されていたので購入してみた。(コクヨ「ハリナックス」)
針を使わないため安心、針の入れ替えもない、廃棄のときも針をはずす必要ない、
省資源で環境にやさしい。4枚綴じのものが発売されてから1年で100万台、
5月に8枚綴じのものが出来てから、すでに28万台が売れているとか。

文具は昔から好きだった。文具は成熟商品だという。文具業界は新しい製品を
ヒットさせるのは大変なことらしいが、進化する文具も少なくないらしい。

コクヨのカッタ―ナイフ「フレーヌ」は、刃先にフッ素加工を施してあるため、
糊が刃に付きにくく、刃こぼれもしにくいという。 
「キリヌーク」(オルク)というカッタ―は、圧力の強さを無段階に調節でき、
薄い新聞から厚い雑誌の切り抜きまでOKという。
これは便利だと思うが、結構、慣れるまで時間がかかりそう。

「ハンドカッタ―」の新しいものは、切り口は真っ直ぐ、ほこりが着きにくく、さわっても
痛くないものが出来たそうだ。
セロテープよりメンディングテープを使うことが多いが、このカッタ―では苦労している。
急いでいるときに限ってうまく切れないことが多い。切り口のせいかどうかわからないが。
  
プラチナ万年筆は看板ブランドの万年筆を33年ぶりにモデルチェンジして、1年放置しても
すぐに書き出せるという「新世代万年筆」が生れたそうだ。久しぶりに出すとインクが固まって
使えないという欠点をカバーしたとか。

万年筆というと、日常的に使っておられた日本画デッサンのF先生の字を想い出す。
F先生が亡くなられてすでに7年。いただいた個展の案内状もお礼状を大切に取ってある。

         父の文具          

万年筆は使わなかったが、父の机には、文鎮、大きな虫眼鏡、陶器のペン立て、書見台などが
載っていた。父も文房具は好きだったので、父が逝ったあとの整理は大変だった。
かつての父の書棚の半分以上が私の画関係や中国関係の本、母の俳句や茶道関係の本で
占められている。父の本の前には父の写真数枚のほか、父愛用の文具を置いてあるせいか、
早稲田の墓や仏壇ではなく、父はこの書棚にいるように感じている。

めっきり涼しくなって、やっと机周りを整理し始めた。
ペン立てやネジが1つ外れた書見台は以前から使っている。書棚から父が愛用していた
虫眼鏡、竹製の文鎮、父が「ひご(肥後守)」と言っていた小刀を出してきて使うことにした。
煙草ケースや灰皿はそのまま書棚に残した。入院するまで煙草が手放せなかった父だった。
そんな父の机と同じように雑然としてきた。父は苦笑しているかもしれない。

「肥後守(ひごのかみ)」は、日本で戦前から使われていた簡易折りたたみ式ナイフ。
同形状のナイフの総称として呼称されることが多い。
この形状のナイフの製造が始まったのは1890年代と考えられている。単純な構造のため、
安価に製造でき、ほとんど壊れる所が無いため、長く使用出来る。1950年代後半頃からは
鉛筆を削る文房具の一つとして子どもにも行き渡ったが、鉛筆削り器やカッターナイフの
普及に加えて全国に拡がった「刃物を持たない運動」に押されて徐々に姿を消した。(Wikipedia)
身近な人びと

秋の空

2011年10月06日
9月13日  
バスを待つ間、空を見上げていた。雲は見る見るうちに形を変えて南から北へ流れて行った。
20分近い待ち時間はあっという間だった。

9.13             
9.13                              
9.13
                                              
わた雲にすじ雲・・・秋の雲 
9.7 9.12
                9.7                         9.12
                                       
9.6 9.13 
                9.6                         9.13
   
9.14 9.15
                9.14                         9.15

9.16 9.21
                9.16                     台風15号襲来   9.21 

9月27日
9.27

10月3日
           北
                             北
西東
                           西   東
           南
                             南 

朝、雲を見ながら駅へ向かう。西の空、南の空とさまざまな形の雲に見とれて、
電柱にぶつかりそうになる。電線の合間からでなく、のんびりと雲を眺めたくなった。
近いうちに多摩川の土手にでも行って来よう。
旅・散策・イベント

5時になったら 「こんばんは」 ?

2011年10月05日
お彼岸を過ぎて朝夕めっきり涼しくなった。日の暮れるのも心なしか早く感じられる。
何気なく使っている「こんばんは」だが、ラジオ(TBS)を聞いていたら、
夕方の挨拶「こんばんは」は、秋の彼岸から春の彼岸までは夕方5時過ぎからで、
春の彼岸を過ぎたら夕方6時を過ぎてからと決められているということだった。
 
「こんばんは」は、「夜、人に会ったり、他家を訪問した際などにいうあいさつの語」で、
「夜」は、「日の入りから日の出までの暗い間。太陽が沈んで暗くなっている間。(大辞泉)
つまり、太陽が沈んで暗くなってからの挨拶が「こんばんは」ということ。

5年前の調査(NHK放送研究所)によると、「こんばんは」は午後5時から可、という回答は、
北海道では半数を超えているのに対して、九州沖縄では10%にも達していないという。
これは、地域によって日没の時刻が異なるからだという。
因みに、「おはようございます」についての調査では、年代による意識の違いが目立つという。

   9.9 2011.9.9
                   秋の夕方         17:00

さらに前の調査になるが、テレビ出演者が挨拶するときに「こんばんは」は使うのは、
何時からだと違和感がないか? 午後5時からは32%、午後6時からは49%という結果。
また、各テレビ局でも異なる。札幌局では、夏も冬も午後5時過ぎには「こんばんは」。
東京局では、夏は6時から「こんばんは」。福岡局は夏も冬も「こんばんは」は6時から。

   12.10 2009.12.10
                    冬の夕方       16:40

   3.14 2010.3.24
                     春の夕方       17:40
                 
中国語で「こんばんは」は、「晩上好」。これは、英語のGood Eveningに由来する表現で、
中国人同士ではあまり使われないと習ったことがある。
たとえば、「下班了」(会社からお帰りですか?)とか、「吃飯了」(ご飯済んだ?)など
もっとも有名な挨拶のひとつ、「你好」は時間の概念はなく、朝昼晩を問わず使える。

ところで、「こんばんは」の語源は「今晩は・・・ですね」の「今晩は」。
「こんばんは」は「こんばんわ」と誤表記される理由は多々あるが、「和」に通じる「わ」が
親しみやすい印象を受けることから、あえて「こんばんわ」と表記されることもあるとか。

このところ、ケータイメールを中心に「こんばんわ」「こんにちわ」が増えているらしい。
これは「こんにちわ」「こんばんわ」と発音する単独の語として使われているからで、
Googleの検索結果では「今晩は」はともかく、かな表記では「こんばんわ」の方が多いとか。

また、昭和61年までは学校で「こんばんわ」が正しい表記だと教えていたと言う説もあるが、
どうやら、その根拠はないようだ。少なくとも私は「こんばんは」「こんにちは」と習ったし、
これからも「こんばんは」と書いていくつもりだ。
つれづれ

箸にまつわる慣用句

2011年10月04日
箸はもともと中国で使われていて、これがアジア各地に広まった。
箸文化圏といわれるのは、日本、朝鮮半島、中国、ベトナムだが、中国の麺類の普及で、
タイやミャンマーでも箸は欠かせない。

中国語学習を始めた当初、ラジオ講座を熱心に聞いていた時期があった。
そのテキストの「中国語で日本を語ろう」シリーズには、銭湯のこと、満員電車のことなど、
中国人留学生が驚いたことが面白おかしく書かれていた。

その中、日本と中国の食習慣の違いの話はとくに印象深く、数行を除き、肝心の中国語は
覚えていないが、内容は今もはっきり覚えている。箸の置き方も日中両国では異なるのだ。
「中国的筷子是竖着摆,大头朝自己,另一头正对桌子的中心。日本呢,筷子要横着摆,
大头朝右,尖头朝左。(中国の箸は縦に並べ、太い方は自分に向け、もう一方は卓の中心に
向けて置く。日本はといえば、箸を横に並べなくてはならない。太い方は右、尖った方は左に)」


   箸
          日本は横置き               中国は縦置き

また、日本の箸は先端が細いのはなぜ?という留学生の疑問に、日本の友人の答えは、
「たぶん日本人は魚が好きで、尖った箸は小骨を取るのに便利だから」。なるほどと思った。
蕎麦を食べるのにも中国のような箸では食べにくいだろう。

ずんどうで長い中国の箸は、食卓中央の大皿に盛った料理を取り分けるのに必要だった。
一方、日本では、銘々膳の方向へ進んで、「細く」「軽く」が主流となった。(箸 あれこれ

「箸より重いものは持ったことがない」「重いものは箸と茶碗」「堅いものは箸ばかり」
過保護のたとえ。中国ではこういったことわざは生れないだろう。
中国の箸は、玉(ギョク)、象牙製などが多く、日本の木や竹の箸のように軽くはない。

「箸にも棒にもかからない」「箸がころんでも笑う」「箸に当り棒に当る」など、
箸に因んだことわざや慣用句は少なくない。

中国にも箸に因んだことわざや謎々がある。
「细筷子塔桥」(細い箸で橋をかける)  难过(つらい)という意味だが、
日本の「石臼に箸を刺す」(無理なこと、だだをこねる)と似ている。
「筷子撞钟」(箸で鐘をたたく)これは、不声不响(何の音もしない)の意味。
「姉妹2人は同じ丈」「厨房の出入りはいつも2人」「いつも2人にまず味見させ」
箸はいつもペアなのだ。

日本には、「箸を取る」「箸をつける」「箸を休める」「箸を置く」といった、箸中心の食文化
独特の表現がある。また、「箸の上げ下ろしにも小言をいう」と言われるように、
箸の扱いは、食べることだけでなく、日常生活に密着した基本動作の1つと見なされているからだろう。

渡り箸、迷い箸、探り箸、握り箸、ねぶり箸、拾い箸、刺し箸。  (かけはし?!)      
箸のマナーを巡ることばは多い。取りかけたおかずをほかのものに変える「移り箸」、
箸で皿ごと手前に引き寄せる「寄せ箸」・・・。 
 
箸を使えるようになるのは3,4歳頃からだろうか。
7歳の孫りんりんはもちろん、いつの間にか5歳のゆうゆうも上手に箸を使いこなしている。
つれづれ

かけはし?!

2011年10月03日
先月のスマップ中国公演は、来年の「日中国交正常化40周年」を前に政治的な思惑も
あるというが、ともかく大成功をおさめて、十分に日中友好の懸け橋となったようだ。
(『週刊文春』に載った写真では、後方の席はガラガラだったらしいが。)

ところで、友好の「橋渡し」はいいが「箸渡し」はタブー。箸置きがない場合、
ちょっと茶碗や器の縁に箸を渡してしまいがちだが、この箸渡しはよくないらしい。

いつだったか、東急沿線マガジン『サルース』に、和食の作法の基本についての特集があった。
箸の持ち方、お茶碗・お椀の持ち方などのほか、うっかりしがちなNG集もあった。
「つい、やっていませんか?」の頁のタブー例は、結構、やっているものも多かった。

「この橋渡しはいただけません」 渡し箸をすると、人に箸先を見せることになって失礼。
「命ある料理の上に箸を渡すのは、料理に対しても、作ってくれた人にも失礼にあたる」
とか。
これを読んでから、家でも出来るだけ箸置きを使うようにした。また、外で箸置きがないときは、
割箸の箸袋を縦に山折りにしたりして代用するようにしている。

「クロスプレーはアウトです!」 右にあるものは右手で、左のものは左手でとる。
手を伸ばして取ると、食べ物の上を横切ることになり見苦しいもの。・・・・

「ご飯は取り皿ではありません」 おかずや香のものを取るときに、ご飯で受けて食べる
というのも、ついやってしまいがち。・・・

「品よく・・・のつもりが」 料理を口元に運ぶ際、手で受け皿を作るのは、一見上品のようだが、
タブー。汁気のあるものは、器できちんと汁気を切って、大皿の場合も取り皿を近づけて。
「気をつかったつもり、でも本当は・・・」 直箸は失礼だという意識から、箸を逆さに返して
大皿から取ると、箸の両方の先が汚れることになり、人にも失礼にあたる。取り箸を使うこと。


クロスプレーはやったことはないが、ご飯茶わんを取り皿代わりにすることはやっていた。
取り皿がないとき、手で受けるのはタブー。椀の蓋や懐紙で受けるようにするとよいらしい。

ついでに、調べてみると、明らかにタブーだと思われる「箸のタブー」の多いこと!
「迷い箸」   箸を持ったまま、どの料理を食べようかと迷う動作。
「探り箸」   料理の中から自分の好きなものを箸で探し出すこと。
「握り箸」   箸を握ったままの手で茶碗を持つこと。箸は利き手で、茶碗はもう一方の手で。
「拾い箸」   料理を自分の箸から他人の箸へ直接渡すこと。これは火葬場を連想させ不吉。
「刺し箸」   箸で料理を突き刺して食べること。
「ねぶり箸」 箸をなめること。

面白い命名は「涙箸」だろうか。これは、汁気の多い高野豆腐などを取り皿や口元に運ぶとき、
ちょうど涙のようにぽたぽたとこぼすことだとか。

     渡し箸

りんりんはときどきわが家で食事をするが、「渡し箸はタブー」と彼に注意したことがあった。
その後、つい、うっかり私が「渡し箸」をすると、「ほ~ら、ほら・・・」と得意そうなりんりんの顔!
お箸はあまりにも身近で、自分の手の一部のような感覚で無意識に使っているのだろう。

外でも、パスタやハンバーグステーキなどに箸がついてくる店が多くなった。
それも使い捨ての割箸ではなく、木製の箸を置くところが増えているように思う。

日本では、もともと箸は、神様への供物につかわれるための神聖なものだったそうだ。
日常的に箸を使う国は、6ヶ国1地域といわれるが、箸ひとつで全ての食事をすませ、
その置き方まで気にかける国は、日本の他にない
」といわれる。
「命あるものをいただく」という気持ちを忘れずに、お箸を上手に使って「いただきます」。
つれづれ

北京のみやげ話

2011年10月02日
国慶節の休暇を利用して北京から一時帰国されたSさんを囲んで、「桂花会」(中国語
学習会の同窓会)の半数が銀座の和食の店に集まることになった。
黄老師からは「7月におばあさんになり、忙しいです」というメールを頂いた。
前回の5月の会は、Sさんは、北京に行かれた直後で欠席。今回は、8月に湖南省の長沙に
行かれたSさんが来られない。
3月の大震災のあと、千葉の御宿に居を移されたSさんは、5月の集まりにも参加されたが、
今回はホテルを予約されたので、ゆっくりとお話ができるだろう。
Sさんから直に伺う「北京の話」も楽しみだ。

すでにメールで伺ったSさんの話。まずは、スマップのコンサートの様子。
アラ還の彼女たちご夫婦には、スタジアムの真ん中(つまりサッカー場)の席での鑑賞は
かなりきついものがあったようだ。というのも、物々しい警戒の中、入場するのに30分、
トイレの行列15分。始まったとたん全員総立ち! 大画面しか見えず、ものすごい歓声!
彼らの中国語での挨拶や『月亮代表我的心』『世界上唯一的花』など中国語の歌の披露は、
中国側から国賓級の歓待を受けるだけあって大したものだったそうだ。
翌日の新聞に「用不太標準的普通話」と書かれたらしいが。(中国語は今1つだったようだ)
「疲れました~」が正直な彼女の感想。とにかく疲れ果てたらしい。

翌朝5時半発でアモイ(福建省)に行き、知り合いのご夫婦二組と永定の土楼を訪ねたそうだ。
私がアモイや泉州、永定や南靖の土楼を訪れたのは6年前。2度目のアモイ・泉州は4年前で、
呉さんの結婚式のときだった。どちらの旅も呉さんが案内役だった。(唐で学んだ空海

      永定の客家土楼
               客家土楼群   福建省永定県

彼女のメールには、「全部中国語!頭がしびれる感じでしたよ! 世界遺産になって
観光客も多いらしいですが、北京の人の多さに比べると全然問題ありませんでした。
土楼は長い時間かけて行くだけの価値はありました
」と、歴史の重み、中国文化の
素晴らしさを堪能されたという。
すでに「秋高気爽」の北京から出かけると夏に逆戻りした感じで、すっかり日焼けされたとか。

翌日は泉州の中国人丁さんの別荘に招待され、中国的歓待受けて来たそうだ。
中国人のお金持ちはスゴイ!泉州も歴史の古い街で、お寺や博物館を案内されましたが、
なかなか興味深いものがありました。唐の時代の石塔やお寺、土の中から掘り出された
宋の時代の木造船、500年くらい前のイスラム文化の伝来・・・
」。
泉州は烏龍茶、酢、石材、磁器でも有名な街。
これらの旅は、アモイ・泉州へ 再びアモイ・泉州へ 土楼の旅Ⅰ  に書いた。

泉州
            泉州岩茶                      石彫

丁さんはイスラム教徒、ペルシャの貴族の末裔で、お子さん4人のうち2人はフランス留学中、
あとの2人は香港で教育されているそうだ。
彼女のメールを読んでなぜか『宋家の三姉妹』を思い出した。
中国・中国の旅
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