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子どもの「お仕事体験」

2011年11月30日
このところ、「中学生職場体験」を行っている施設や店をよく見かける。
職場体験は、中学校などの教育課程の中の特別活動、総合学習などの枠内で、
生徒たちに地域社会のさまざまな事業所で、職業の現場を体験させることをいう。

主な体験現場は、区町村役場、裁判所、警察署、消防署など。鉄道、バス、空港など。
病院、診療所、老人福祉施設など。小学校、幼稚園、図書館、博物館、保育所など。
百貨店、スーパー、書店、衣料品店、ホームセンター、ガソリンスタンド、飲食店など。
新聞社、放送局、郵便局、動物病院、スポーツ施設、動物園、水族館など。
学区内にある職場が選択される場合が多く、生徒は各職場に数名ずつ派遣され、
担任の教員が現場を巡回するのだという。

      体験学習中
       カウンター内に中学生の姿が見える  スタバックス 目黒区       

マクドナルドの職場体験学習活動(2005年~)は、1店舗あたり3名くらいの中学生が
5日間以上の職場体験を通じて子どもたちの勤労観、職業観を育てることを目的とし、
仕事の楽しさや大変さを経験するほか、チームワークやコミュニケーションといった
対人能力などを学んでいくという。

小学生以下のお仕事体験でよく耳にするのは、「子ども店長」。
ファミリーマートでは、子どもたち(4歳から小学低学年程度 1時間程度)が店長を務め、
商品整理、レジの操作、接客などを体験するといった取組をしているという。
制服を着て記念撮影をしたりと、「リアルお店屋さんごっこ」といったところだろうか。

はるか昔、妹と縁側でやった「お店屋さんごっこ」を思い出した。隔世の感がある。
コンビニもファーストフード店もなかった。もっぱら郵便局や本屋さんごっこだった。
本を並べ、袋やおもちゃのお金も用意して・・・。準備が終わり、いざ開店となったのに、
待ちくたびれた妹は買いに来てくれなかった。そんなシーンが浮かんできた。

キッザニア東京江東区豊洲)では、子どもたち(3〜15歳)が約50のパビリオンで、
空港やテレビ局、銀行、消防署、病院、新聞社、ピザショップなど約70種類の「仕事」が
体験できる。施設の全てが実際の3分の2スケールで作られている。
私が子どもの頃、キッザニアがあったら、母に「連れて行って!」とせがんだことだろう。
わが娘や息子が子どもの頃にあったら、彼らを連れて度々行ったに違いない。
孫のりんりんは今までに数回出かけている。
初めてのときは、ピザショップでピザ作り。生地をのばし、ソースをぬったりトッピングを
したりして、オーブンで焼き上げたピザは、自分で味見をするのだという。楽しかったそうだ。

2度目はテレビ局。出演者のほか、音響エンジニア、テレビカメラマン、ディレクターなど、
皆で協力してテレビ番組を作りあげる。このときのテレビ番組のビデオを見せてもらったが、
りんりんはるちゃんの司会役はなかなかのもの。しゅうくん兄弟はディレクター。

          テレビ局
               キッザニア内のテレビ局

今の情報社会で子どもたちは、自分で経験しなくても何でも知ってるつもりになりがちで、
想定外のことが起こったときにどう対応したらいいか分からないといわれる。
まだまだ、りんりんたちはこれからも、いろいろな職業体験ができるだろう。
トーマスになりたかった年少さん時代。その後、パイロットや科学者が憧れになり、
今は音楽家らしい。
十数年後の彼に会ってみたいものだが、こればかりはドラえもんに頼むしかないか?!
つれづれ

「べん強がすきになりました」?!

2011年11月29日
西堀榮三郎(第一次越冬隊長)邸の前をたまに通る。昭和12年に建ったこの西堀邸が
公開されたことを知り、訪ねてみることにした。       (山小屋風の昭和の家
石段を上がり、樹齢80年というヒマラヤ杉にまず圧倒されながら、玄関のカウベルを鳴らした。

玄関の日本カモシカやペンギンの剥製に迎えられた。「白瀬日本南極探検隊100周年」の
展示中だった。最初に南極に行った船のあまりの小ささに驚いた。あの「宗谷」とは大違いだ。
見学後、榮三郎氏自らが煉瓦で作られたという暖炉、どっしりとした、無垢の桜で作られた
テーブルや椅子が置かれたリビングでの三男峯夫氏とのお話は楽しかった。

        リビング
                   暖炉のあるリビング

峯夫氏とは年齢も小学校も違うが、光明寺の池やかつてザリガニをとった沼(現 大田区民プラザ)、
今は暗渠となった六郷用水など、共通の話題も多く話がはずんだ。
翌日、山好きのUさんと、そしてつい最近も、絵のお仲間4人と伺った。

りんりんの最近の愛読書は『南極物語』。『南極大陸』(TBSテレビ)にも夢中だ。
我が家に泊まった翌日、彼を連れて西堀邸を訪ねた。
よほどうれしかったのだろう。いつも1頁でやっとの彼の日記は、この日4頁を越えた。

東芝製のブラウン管テレビが置いてあった。リモコンもなく、ダイヤルをまわし、
つくまで1分ほどかかるが、1秒で消えることなど、彼にとっては驚きだったようで、
「昭和のテレビだ!」としきりに感心していた。
(榮三郎氏は東京電気工業(現 東芝)で真空管の開発に当った。ブラウン管は真空管の1種)

かつての峯夫氏の勉強部屋だったという屋根裏部屋も見せて下さった。
2Fに行って、やねうらべやに行きましたが、はしごがたてになっていて、
こわくて、足がすくんでしまいました。このこわさは、一生わすれないと思います。

梯子を上るのが怖かった彼だが、下で待つ私にも彼の興奮が伝わってきた。
やねうらべやに昔のおもちゃがありました。カラフルなマッチに、本物のようなおもちゃの
ピストル、そして、手作り鉄道モケイにベッドなどがありました。
下りるのはこわくありませんでした。なぜかはわかりません。


    屋根裏
             ヒマラヤ杉と屋根裏部屋           屋根裏部屋へ

桜の椅子に腰かけて1時間。「なぜ勉強をするのか、わかるかな」「算数の勉強を毎日
10分でもいいからつづけてごらん。算数が大好きになると、国語も理科も、自然と
ほかの教科もできるようになるから」といったお話をして下さった。
「毎日、算数を1問でもいいからやろうね!」と「ユビキリゲンマン」、約束をした。

翌日、りんりんがお礼の手紙を書いた。精一杯丁寧に、きれいな字で。
元気にしていますか。ぼくはげんきです。あれから、10分で1頁できるようになりました。
やっぱり、あの話を聞いてから、べん強がすきになりました。よかったな。と思っています。


数日後、ブックオフのこどもコーナーで、齋藤孝の「ガツンと一発」シリーズ第1巻の
『勉強なんてカンタンだ!』を見つけた。小学生対象で、中古とは思えないほどきれいだ。
齋藤孝氏(明治大学教授)は『声に出して読みたい日本語』などの著者。(新聞読みますか?

勉強がドンドンたのしくなる「作戦」初公開!と帯にあるように、「勉強ラクラク大作戦!」
「量をたくさんやるだけ!(ピアノやサッカーの練習と同じだ)」「しぼり込み方式」
「時間を区切って一気に!」「そもそも、なぜ勉強するのか」など、
西堀峯夫氏のお話と共通する点が多い。ピアノもサッカーもやっているりんりん
「作戦」といった言葉に弱い彼にはぴったりの本だ!と購入した。

西堀氏は「とにかく算数」、齋藤氏の本は「勉強はぜんぶ国語だ!」「算数だって国語だ!」。
算数も国語も毎日、少しずつでもつづけることが大事だと実感できる日はいつだろう。
「信長が死んだのは49歳だったんだって」「平敦盛が一の谷の合戦で・・・」などで
頭がいっぱいのりんりんだが、わずかながら「西堀効果」と「齋藤効果」が出てきたようだ。
身近な人びと

しおり

2011年11月28日
本を読むのは車内が多い。ここまで読みたいと思う頁に栞(しおり)を挟んでから読み始める。
目標の頁まで読めずに本を閉じることになることが多く、栞を挟みなおさなくてはならない。
が、わざわざセットし直さなくても、「ページを繰ると、勝手に追いかけてくる不思議な栞」が
あると聞いてほしくなった。

その栞は「スワンタッチ」。スワンの形をした薄い金属製のカラフルな栞だ。
タカハシ金型サービス(株)の読書好きの皆さんが知恵を出し合い、長年培った金型成型の
技術を駆使し悪戦苦闘の末、開発したそうだ。
裏面に何度も貼り直しができる両面テープで栞本体を本の裏表紙の見返しに貼り付け、
読みかけの頁にスワンのくちばしの部分を引っかける。
頁を繰ると、くちばし部分は素材の弾力で、ページを追いかけて動くため、
そのまま本を閉じても、読みかけのページにくちばしが挟まっているという仕掛け。

 スワンタッチ

アマゾンなどでも購入出来るとはいえ、150円の栞を1つ注文というのもどうかと思い、
川崎のヨドバシカメラに行った帰り、東急ハンズに寄ってみた。
色は5色だが、もっとも欲しい緑色の栞は品切れ。赤、黄、青、黒を数枚ずつ購入した。

ためしに、読みかけの文庫本にセットしてみた。厚い本には向かないが、文庫本には最高!
スワンの体部分は貼り直しができるが、いっそのこと、はがきなどに貼り付けたものを
裏表紙の見返しに挟めばいいように思う。読み終えたら台紙ごと挟みかえればいいのだから。

早速、孫りんりんへ青いスワンをあげた。
彼は栞がついている本でも、本を開いたまま返して置いたり、カバーを挟みこむことが多く、
よく母親に注意されている。彼の愛読書『南極物語』など、カバーは外れ、紙はめくれ上がり、
ついに元の形に戻らなくなった。

図書館で本を借りると、「○日までにお返し下さい」と書かれたペラペラの紙が挟まれてくる。
それを栞代わりに使うこともある。
とくに栞にこだわってはいないのに、文具類が好きなせいか、思ったより栞を持っていた。
エジプトのお土産にいただいたパピルス製の栞もあった。紙製とは限らない。
金属製のもの、木製や三国志に登場する京劇面の栞など、中国製のものは頂いたものだ。
買ってはみたが、使いにくくてそのままの栞もある。「スワンタッチ」はお気に入りの栞だ。

  しおり
           麻製                陶製 (平山郁夫美術館)

      折り紙
            折紙 りんりん作               木製 (中国)

三国人物
                紙製 「魏国人物」 (成都武候祠博物館)

「魏国人物」の栞は張さんに頂いた。曹操・孫権・劉備はよく知られているが、
この栞には10人の「三国人物脸谱」、伝統劇の役者の隈(くま)どりが描かれている。
「三国」は、魏()、呉(ご)、蜀(しょく)。
つれづれ

大田区の坂 Ⅱ

2011年11月27日
大田区には2つの富士見坂がある。しかし今は、どちらの坂からも富士の姿は見えない。       
多摩川駅近くの田園調布富士見坂と鵜の木駅近くの鵜の木富士見坂だ。(大田区の坂 Ⅰ

富士見坂   鵜の木1丁目 
交番横の路地を入り二股を右に進んだところ。富士見坂であることを示す標識はない。
坂は多摩川によって造られた台地の縁に、S字カーブを描いている。
1990年頃までは富士山もよく見えたらしいが、現在は坂上からの見通しはきかない。
 
       富士見坂
 
小学生のとき、この近くに同級生が住んでいたので、何度も通ったことのある坂道だ。
今は、図書館からの帰りなどにたまに通る。何もこの坂道を通らなくてもいいのだが、
車の多い道を避けるためには仕方がない。ハアハア言いながら登って行く。
連れがいない1人のときは、坂上に辿り着くと、しばしの「調心・調息」タイムをとる。
富士が見えればこういうことも必要ないのだろうが。

河原坂   鵜の木1丁目10番と12番の間にある坂道
このあたりは、昔、多摩川の河川敷で、この河原に出る坂道であったといわれる。
現在は切通しになっていてゆるやかだが、昔は道幅も狭く急な坂道で、河原の畑に
行き来する荷車などは大変難儀をしたという。

           河原坂

実は、3年近く前、はじめて電動自転車に乗った日、この坂を下りるときにブレーキのかけ方が
まずく、電柱に激突した。幸い、大した怪我はなかったが、以来、避けて通る坂道になった。

ぬめり坂 南久が原一丁目25番と二丁目30番の間の坂道
光明寺(こうみょうじ)の脇を北上するこの坂道は、昔の鎌倉街道筋で、多摩川の平間の渡し
(現在のガス橋付近)に結ばれていた。
昔は、多摩川は東急多摩川線のあたりを流れていたため、このあたりは低湿地だった。
大雨が降ればすぐに坂がぬめったので、「ぬめり坂」という名がついたといわれる。

   
     ぬめり坂
 
『大森区史』には、「鵜の木に用水を渡ってうっそうとした樹下を登るなだらかな坂がある。
なだらかな坂ではあるが、ぬめって上れなかった。付近の豪家に美しい娘があった。
娘は人々の難渋を気の毒に思い、自ら望んでその坂に生埋めとなった。
以来、その坂の通行は容易となり、大いに付近は繁盛したという
」と記している。

此経難持坂  池上本門寺表参道   
本門寺の正面にある石段の坂。慶長年間、加藤清正の寄進によるものと伝えられる。
「法華経」宝塔品の詩句96文字にちなんで石段を96段とし、詩句の文頭の文字「此経難持
しきょうなんじ)」をとって坂名とした。石段は元禄年間に改修されたといわれる。

本門寺には年に数回は訪れるだろうか。初詣、お花見、お会式のほか、最近は、風鈴の音を
聞いたり、キャンドルナイトなどイベントも楽しんでいる。 (キャンドルナイト風鈴の音
この石段はいつも休み休み上る。
  此経難持坂
               キャンドルナイト  大震災から3ヶ月  

大坊坂  池上Ⅰ丁目11番先
本門寺の経蔵の裏、六層になった石段坂が大坊(だいぼう)坂。
本門寺の子院の1つ、大坊(本行寺)に因んだ坂名。
この地はもと池上氏の屋敷で、日蓮を崇信した池上宗仲は、日蓮の死後その屋敷を寄進し、
日蓮門下六老僧の1人、日朗の弟子である日澄を開山僧として大坊を起こした。

      大坊坂

この大坊坂を上る第三の踊り場から左に下る石段の先に朱塗りの宝塔がある。
日蓮宗の宗祖・日蓮の荼毘所(だびしょ)跡と伝える地に建つ、特徴ある形式の塔婆(とうば)で、
2010年12月に国の重要文化財に指定された。

実は、数年前までこの宝塔の周囲は墓地で、ごんさんの親戚の墓もあった。
大坊坂を下りて、何度かお参りに訪れたが、都指定から国指定の重要文化財となる
ことが決まり、宝塔前の整地が行われるため、墓地は移されることとなってしまった。

  宝塔
     修理前の宝塔(両脇は墓地)        改修後の宝塔  2010.12
旅・散策・イベント

「茶馬古道」 旅だより

2011年11月26日
Sさんからの長沙だよりが届いた。今回は黒茶の故郷「安化」へ旅した話だ。
2年前、湖南省の黒茶の郷から茶友が持ち帰った1枚のパンフレットを見たことが、
馬に乗って「茶馬古道」を旅したいという、彼女の夢の始まりだった。

「茶馬古道」は、もうひとつのシルクロードともいわれる。
中国西南部に位置し、馬を主要な交通手段にした民間の国際商業貿易ルートだった。
西南部辺境での茶と馬の交易を行うためのロードで、通商は唐宋時代に盛んとなり、
明清時代に入って最盛期を迎え、第2次世界大戦の中後期に頂点に達した。
雲南・チベットルートと四川・チベットルートに分けられる。

彼女はその後、お茶の勉強会で「湖南省の黒茶」に出逢い、翌年に行った上海の茶葉市場で
初めて湖南省の黒茶の店を見つけ、ますます「湖南省の黒茶」に夢中になっていった。
そんな中で夫の駐在が湖南省長沙市に決まり(自分の中では何かに導かれるような感じで)
長沙にやってきました。そして10月、国慶節の休みで安化に行くことになりました。
2年間の夢だった安化―茶馬古道への旅が実現!です。


1日目、長沙を発ち、「江南鎮」を経て「洞市老街」にある「利源隆茶葉工場」を見学し、
「安化茶馬古道風景区」の中心「高城村」に到着したのは、夜遅くなってからだった。
翌朝、「茶馬古道を馬で歩きたい!」という彼女の夢が叶うときがきた。

         洞市老街
                        洞市老街

パンフレットでは平地を歩く写真だったので、これなら私でも大丈夫とわくわくしながら
馬に乗ったが、実際には、石板が敷きつめてある細い山道を馬は登っていく。
昔はこんな辺鄙な山の中を馬は茶を積んで遥かウイグルやロシアまでいったのだと、
頭では思いをはせているが、実際にはかなりの急勾配である。

しかも馬は思っていたより速く進む。前3日間雨がふっていたので道がぬかるんでいる。
大丈夫かなと思ったときに、4頭先の馬が脚を滑らせ、人が落馬した。
感激と緊張の入り混じった気持ちで馬に乗っていると山頂に着き、下りに入った。
  

 茶馬古道
                 「茶馬古道」を行くSさん

本来は山頂から山を越えていくのだが今の観光コースでは出発点に戻るようになっている。
下りはもっときつかったが必死に馬にしがみつきつつ「夢がかなった!」と
夢見心地でいる間に1時間半のコースは終わった。出発地点に戻ると、先に着いていた
夫の友人が私に親指をつきたててサインを送ってきた。「やったね!」私も興奮して
同じサインを返しながら、「やったー!夢がかなった!」 感謝、感謝。

そして、3日目は、期待の白沙渓茶工場見学。だが、前日の茶馬古道で張り切り過ぎた
ためか、彼女は体調を崩して、説明を聞くこともお茶の試飲もできなかったとか。
中国・中国の旅

ゲームは苦手

2011年11月25日
「リアル脱出ゲーム」がブームだという。富士急ハイランドや東京ドームなどで行われる
こともあるらしいが、常設の「脱出ゲーム」ができたということをラジオで知った。
新宿区東新宿のアジト オブ スクラップでは、11人が1組で閉じ込められた部屋で
謎を解いて脱出するというゲームだそうだ。

11人はほとんどが初対面。制限時間は60分。(予約制 大人¥2500 学生¥1500)
宝探しのように暗号や謎のアイテムを見つけて、探し当てた鍵で部屋を脱出するゲーム。
部屋は机、椅子など家具が置かれた、ごく普通の部屋(130平米)で、大きなイベント会場と
違って、家具などをひっくり返すこともできるそうだ。

11人もいれば、鍵は簡単に見つかるだろうと思ったのだが、わずか8%の成功率だという。
制限時間内で脱出した組は55分以上がほとんどで、最も速かった組は30分で脱出したとか。
はじめのうち、不安いっぱいで入室した人たちも、退室持には仲良くなっているのだとか。
因みに、「アジトオブスクラップ」の店長さんによると、脱出できるのは、柔軟性があること、
遠慮しない、周りを気にしない人が多いそうだ。

控えめな?私には向かないようだが、面白そうだ。1人で参加する勇気はないし、
一緒に参加する相手はみつかりそうにない。孫たちはまだ無理だろうし・・・。
いや、直観力に優れるこどもは役に立つかも? りんりんを誘えばきっと行きたがるだろう。

たまにゲームで気分転換したくなる。ネット上にも数え切れないほどのゲームがある。
その中、キッズ用のゲームランド「脱出」というのをみつけた。「森の廃屋」「学校のかいだん」
「スペースエスケープ」「スイーツエスケープ」「クリスマス・イヴ」「ドーラの脱出」・・・。
私にはこのくらいがちょうどよい。と思ったのだが、始めてみると進まない。情けない!

脱出ゲーム
                脱出ゲーム 「ヘヤカ・ラデール」

諦めて「まちがいさがし」に移った。「まちがいさがし」だけでも10種以上ある。
制限時間内に7つの間違いを見つければよい。簡単そうだったが、あと1つというところで
時間が来てしまい、出来たのは3回目。
制限時間の決められていない「クロスワードパズル」だけは完成したが、ゲームは苦手だ。

直観力もないし、やり始めると、出来るまでやりたくなる癖がある。
出来たら出来たで、さらにやりたくなって、やめられなくなるという有様だ。
1回と思って始めたゲームが夜中の1時、2時となってしまったこともある。
就寝前のパソコンやゲームなど、脳によくないし、寝付けなくなるに決まっているのに・・。

今年6月、86歳で亡くなったKさんを思い出す。彼女は毎朝決まってパソコンで「麻雀」を
楽しまれた。成績がどうであっても、毎日1回に決めているのだと伺ったことがある。
なかなかKさんのように切り替えができないので、ここ数年、ゲームをしないでいたのだが、
パソコン(Windows7)を買い替えてから、再び、麻雀牌を使用するソリティア ゲーム
「Mahjong Taitans」をやるようになった。

   上海
     亀    龍    猫    「Mahjong Taitans」      要塞
    要塞    カニ   クモ         
  完成!
              完成すると花火があがる

「Mahjong Taitans」の牌の配置は「亀」「龍」「猫」などの6種類。
1日1種に決めたのだが、完成するとあがる花火が見たくて?ついつい、・・・。
つれづれ

食の箱庭「幕の内弁当」

2011年11月24日
新聞の折り込み広告の中に、「駅弁大会」などと書かれたスーパーのチラシをたまに見かける。
各地の駅弁を集めてデパートやスーパーで販売する催しだが、駅弁は駅売り弁当というよりも、
地方色豊かなお弁当といった色合いが強い。
駅弁とは、主として鉄道駅で販売されている弁当のことで、特に、販売される駅や鉄道路線、
地域に限定の弁当を指す。「駅弁」の語は、「駅弁当」または「駅売り弁当」の略である。
また、年配者の中には「汽車弁当」を略した「汽車弁」と呼ぶ人もいる


日本最古の駅弁は、明治10年、日本鉄道宇都宮駅で握り飯2個とたくあんを竹の皮に
包んだものを発売したのが最初とする説が広く流通しているが、その後の調査研究により、
高崎駅、神戸駅、梅田駅、上野駅などが最初だという説もある。

ふつうのお弁当と比べてかなり割高だが、旅の途中でもないのに、なぜか、ほんのたまに
食べたくなることがある。
ごんさんは、山形に単身赴任していたことや、東北地方への出張も多かったこともあってか、
山形県米沢駅の「牛肉どまん中」が大好きで、チラシにこの弁当が載っていると買いに行く。

私はとくにこれ!といったものはないが、鶏肉の弁当を買うことが多いように思う。
日本で初めての鶏飯駅弁(大正2年)は、鹿児島本線、長崎本線の鳥栖駅(佐賀県)という。
10年近く前、どこのスーパーだったか、鳥栖駅の「かしわめし」を見つけた。
父が生れたのは鳥栖駅の傍だと聞いていたので、父に買って帰った。1人では食べ切れず、
母と2人で分けたと記憶しているが、懐かしかったのだろう、SLの絵がついた包装紙が
しばらく父の部屋に置かれていた。

駅弁資料館というウェブサイトには、館長が実際に食べた駅弁を中心に、3700種余の
駅弁などが収められている。写真や価格、販売場所などが詳しく載っているのには驚いた。
また、「空弁資料館」という101空港の300余種の空弁のサイトもある。

         旨囲門

東京駅八重洲中央口改札口近くで「駅弁屋旨囲門(うまいもん)」という駅弁の店をみつけた。
ここは東日本各地の名物駅弁を集めた新しいタイプの店で、店頭に東京駅限定「東京弁当」
(¥1600)の写真があった。東京の老舗の浅草今半の牛肉たけのこ、人形町魚久の鮭、
築地 すし玉青木の玉子焼、日本ばし大増の野菜のうま煮入りの贅沢なお弁当だ。

       東京弁当
          東京駅限定「東京弁当」  

白飯と副食とを組合わせ、簡単なおにぎりなどと比べ、手のこんだ弁当が「幕の内弁当」と
呼ばれるようになったのは、江戸時代後期だという。
芝居の幕間(まくあい)や幕の内に観客が食べるから「幕の内弁当」と呼ばれるようになった。
ほかにも、「幕の内側で役者が食べるから」「相撲取りの小結が幕の内力士であることから
小さなおむすびの入っている弁当を幕の内弁当と呼ぶようになった」という説もある。

「幕の内弁当」を指して「食の箱庭」ということをラジオで知った。
駅弁の「三種の神器」は卵焼き、かまぼこ、焼魚だというが、彩り豊かなおかずとご飯が
ぎっしり詰まった幕の内弁当は「食の箱庭」という表現がぴったりかもしれない。
「ゆうどきネットワーク」(NHKテレビ)が「情報の幕の内弁当」といわれているのも頷ける。

余談になるが、「駅弁大学」ということばがある。太平洋戦争後のGHQ指導下で行われた
学制改革により、「一県一国立大学化」が実現され、各地方に国立新制大学が急増した
状況に対する評論家の大宅壮一(1900~1970)の諷刺から派生した言葉で、昭和年間には
しばしば蔑称として、近年、匿名掲示板などで国立大学攻撃に使われることが多い。
大宅はこれを諷して「急行の止まる駅に駅弁有り、駅弁あるところに新制大学あり」と
発言したとされる。
(Wikipedia)
現在では、旧帝国大学(東大、京大、大阪大、名古屋大、九州大、東北大学、北海道大)の
7大学以外の大学をいうようになったという。
旅・散策・イベント

「風景印」 目黒区Ⅴ

2011年11月23日
今日は24節気の1つ小雪。わずかながら雪が降り始めるころ。
『暦便覧』では「冷ゆるが故に雨も雪となりてくだるが故也」と説明している。


目黒区内の田園都市線、東横線、目黒線、大井町線沿線にある郵便局を訪れたのは1年前。
東横線沿線柿の木坂局、自由が丘局、大井町線沿線の緑が丘局。(風景印 目黒区 Ⅱ) 
そして、中目黒駅前局、上目黒四局と目黒中町局(祐天寺駅)、目黒鷹番局(学芸大学駅)、
目黒原町局(目黒線洗足駅)。これで風景印がある目黒区内24局すべてを回ったことになる。

中目黒駅前局目黒中町局
 中目黒駅前 中町
  正覚寺鬼子母神堂と三沢初子像                祐天寺

駅名にもなっている祐天寺は、祐天上人が開山した浄土宗の寺院。

  正覚寺
        正覚寺 鬼子母神堂                 三沢初子像

三沢初子は仙台藩伊達家の4代藩主綱村の母で、歌舞伎『先代萩』のモデル。
正覚寺には三沢初子の墓がある。

  祐天寺 
           祐天寺                      仏足石

上目黒四局
上目黒四蛇崩川緑道
         蛇崩川緑道                       蛇崩川緑道     

目黒鷹番局       
 鷹番 碑文谷公園
  碑文谷公園のポニー 弁天池のボート                  弁天池

碑文谷公園にはこども動物広場があり、ウサギやモルモットに触れたり、ポニーに
乗れたりするらしいが、訪れたのが平日だったからか、ポニーの写真が貼られた柵の中に
動物たちの姿はなかった。       

目黒原町局
 原町立会川緑道
         立会川緑道と桜                    立会川緑道

立会川は、碑文谷池と清水池を水源とする小さな流れが合流した後、目黒区の南部を流れて、
品川区を経て東京湾に注ぐ。
目黒線西小山駅近くから碑文谷八幡宮までの約1kmの緑道は春にはみごとな桜のトンネルが
出来る。かつては蛍も飛び交い、小魚が泳ぐ清流だったが、暗渠化されて緑道になった。

    ポール
       中丸橋  セミ      月見橋  カルガモ       新橋  ヘビ

カルガモ、シジュウカラ、ホタル、ヘビ、ナマズ、セミ、カエル、カタツムリ、カメ、てんとう虫。
当時、川沿いに生息していた生き物たちがポール型の標識として残る。(立会川緑道で
この緑道を通って、円融寺、すずめのお宿緑地公園を何度か訪れた。
りんりんと一緒のこともあった。彼は「あっ!カメだ!」「てんとう虫!」とポールを見つけては
大はしゃぎ。1kmの緑道は難なく歩けた。
呑川緑道でも九品仏緑道にもいくつかあったポール。味気ないガードレールや車止めとは
違って、こうしたポールを見ながら歩くのも楽しい。
旅・散策・イベント

屋上で過ごす 

2011年11月22日
「デパ地下」「デパオク」といったことばを聞く。「デパ地下」は脚光を浴びているが、
デパートの屋上「デパオク」は活気がないように思える。
少子化の影響もあるだろう、採算がとれないからなのか、遊園地が定番だったデパオクも、
最近は、屋上庭園やドッグパークなど、様変わりしているらしい。

デパートの屋上には思い出がある。大学生の頃、当時の渋谷東横デパートの屋上に立寄り、
ペットショップで、犬たちを眺めるのが好きだった。そこで逢って飼うことになったのが
柴犬のチビだった。それまで家で飼った犬は、獣医さんから譲ってもらった犬以外、
迷い込んできたノラ犬だったので、血統書付の犬を飼うのははじめてで、不安があったが、
チビは15年間、立派に番犬を務めた。

蒲田東急プラザの屋上  大田区
屋上の「プラザランド」は、都内で唯一の「ビルの屋上に観覧車がある遊園施設」。
   観覧車

東急プラザに行くことはあるが、小学生になった孫のお相手をしなくなってからは、
屋上まで行くこともなくなった。平日の昼、数年ぶりに屋上に上がってみた。
閑散としているかと思いきや、アンパンマンだのドラえもんだののキャラクターものや
ワンコインで動くいろいろな遊具。豆汽車もあった。小さな子どもを連れたママたちや
女性たちのグループなど、思い思いのときを過ごしていた。
所要時間約3分の可愛らしい花の形の観覧車(¥200)に乗っている人はいなかった。
係員は手持無沙汰の様子。高所恐怖症でなければ、乗ってみたいのだが。
因みに「デパオク」というのは、「激安オークション」のことも意味するようだ。

伊勢丹本館屋上  新宿区
屋上庭園「アイ・ガーデン」には、ヤマユリ、タチバナ、サルスベリなど約200種の草花や
樹木が植えられている。ネームプレート付きのポールが11ヶ所に置かれ、専用の
携帯端末を10cm程度近づけることで、付近の草木の解説が文字や音声で確認できる。

今年6月、この「アイ・ガーデン」に「野菜畑」が登場したという。今話題の
「水気耕栽培方法」と「漢方農法による土耕栽培方法」で、ミニトマト、ミニパプリカ、
ナス、キュウリなど9種類が栽培されているという。(~11.30)
収穫された野菜は、社員食堂でサラダなどとして提供されているそうだ。
味がいい、安心して食べられるというので、来年は実際に商品として売ることも検討中とか。

「水気耕栽培方法」は土を使用せず、水の中に根を晴らせる栽培方法。
環境にやさしく、土で育てるのに比べて2~3倍の速さで野菜を育成することができる。
また、植物にとってストレスが少ない環境のため、苦味が少なく糖度の高い野菜が育つ。
「漢方農法」は、漢方生薬を使って土壌に栄養を与えながら病害虫排除を行うことで、
漢方生薬に含まれるアミノ酸・酵素などが野菜本来の味を引出すという。

ほかにも、「新宿マルイ本館」の英国洋式庭園や、「銀座三越」の芝生広場と屋上農園など、
都会のオアシスとして親しまれているという。

国立科学博物館 地球館屋上 台東区
科博の屋上にあるハーブガーデンだ。ハーブ(Herb)は、「香りのある草本植物」を意味する。
ヒートアイランド防止対策として屋上緑化の推進がいわれていた頃にできたハーブガーデン。
タイム、バジル、ローズマリーなどおなじみのハーブが、現在160種ほど植えられていて、
各ハーブには、植物名、分布、用途などがパネルに書かれている。

   ハーブガーデン

ウッドデッキの上にベンチが置かれ、雨水をためて、それを自動で散布するシステムもある。
ここでは、飲食も可能。ハーブの香りを楽しみながらのんびりしたひとときを過ごすのもいいが、
エレベーターを下りると、ハーブガーデンへの入口に貼られた「ハチに注意」にギクッとする。
花の時季には、ハーブの香りに引き寄せられて集まるハチたちにとっても楽園なのだ。

   スカイツリー
           2009.8 撮影写真                 2010.1
 
実は、何度も足を運んだお目当てはハーブではなく、建設中の東京スカイツリーだった。
そういえば、完成してからは1度も行っていない。

      トーハク方面 2009.11.29

そろそろ、上野の森も色づいた頃だろう。屋上から黄葉の中のトーハクの白緑の屋根も
1年ぶりにみたくなった。近いうちに、上野の秋を愉しんで来ようと思う。
旅・散策・イベント

2つ目のキッズケータイ

2011年11月21日
りんりんはケータイを換えた。こんどはブルーの「コドモダケ」だ。
以前のキッズケータイはGPS機能、防犯ブザー、通話やメールのほか、子ども用とはいえ、
カメラ、ゲームなどの機能もあったため、こそこそとゲームで遊んだりすることもあった。
「コドモダケ」はGPS機能、防犯ブザー、通話、メールの機能しかついていない。
この「コドモダケ」のラジオCMは、耳にする度にクスッと笑ってしまう。
コドモダケ
「もしもし ママです」  
「いつもお世話になっているまあくんです」 
「今何をしているの?」 
「とりこみ中です」
「まあくんは どこにいるのかな?」
「にっぽんです」
「きょうは 公園で遊ぶっていってたわよね~」
「まあくんも あそんでばかりじゃないんです」
「ふう~ん 忙しそうだし 電話切ろうかな~」
「だめです!」
「ママに何かいうことあるでしょ」
「にんげんは まようことで せいちょうするいきもの・・・」        コドモダケの広告
「そうじゃないでしょ!」 
「あの~ まいごになりました」「むかえにきてください」
コドモダケ♪ コドモダケ♪ GPS機能で もしものときも安心・・・ 

ケータイを新しくした翌日、「コドモダケ」を持ってわが家にやって来た。母親から登録を
頼まれたが、すでに6件が登録済みだった。前の晩、彼は1人で説明書なしで登録していた。
彼の頭には、自宅、わが家、両親、ごんさんと私のケータイ番号がインプットされているが、
ごんさんの番号の末尾が違っていた。危ない危ない!

「コドモダケ」はランドセルに入れておく。校内や通学途上の通話やメールは当然禁止。
前のケータイのようにゲームが出来ないのがりんりんはつまらないようだが、
親にとってはあくまでもGPS機能が目的だ。

いつだったか、クラスメイトと話に夢中になって歩いている下校途中の彼を偶然見かけた。
しばらく様子を見ていると、曲がり角で立ち止まって話し込んでいた。
こんな調子だから、スイミングに遅刻したり、ピアノのレッスンを休むことになる。
実際、通学時間は片道20分なのに、どうしたら下校に2時間もかけられるのかと不思議だ。

通話に関しては、無料とはいえ、彼のお相手は結構疲れるもの。宿題をやっていないので
テレビを見せてもらえないといった訴えが多い。もっと楽しい報告だといいのだが。

そんな彼は友達とはゲーム(DSとWii)で遊ぶことが多く、「H君にポケモンの??を
(DSに)入れてもらった」「Wiiでだれだれの顔をつくってとSちゃんに頼まれた」とか、
私にはわけがわからない話が多い。昭和時代の私には、生れたときからパソコン、ケータイ、
テレビやビデオ、ゲームに囲まれている子どもたちについて行けないのは当然かもしれない。

 プレステ3
                プレステ3とブックオフで購入したソフト

ドコモのクロッシー(超高速データー通信)購入時、オマケについてきた「プレステ3」を
「僕にやらせて!」とあっという間につないだ。ま、このくらいの接続は私でもできるが、
それにしても・・・! 
彼は早くゲームをしたかったのだが、このときソフトはまだ1つも揃っていなかった。
身近な人びと

切手のデザイン

2011年11月20日
11月1日から、来年のお年玉付き年賀はがき、無地、インクジェット紙、写真用、絵入り
(寄付金付や金箔風)などのほか、いろどり年賀、ディズニーキャラクター年賀など、
10数種類の年賀はがきが販売されている。昨年同様、総発行数は38億2千万枚だとか。
年賀状作成のための素材やスマートフォン対応サービスなどもますます増えているようだ。

年賀切手も発売された。毎年、のんびりしていると、年賀切手、とくにお年玉籤付切手は
すぐに売り切れてしまう。今年は辰年。例年と同じ干支の郷土人形の「龍」の絵柄。
寄付金付の年賀切手は、はがき同様に4割が東日本大災害の被災者支援に使われる。

現在、記念切手などのデザインを手掛けるデザイナーは6人と意外に少ないことを知った。
その中、もっとも長い20年のキャリアを持つ玉木明氏がラジオにゲスト出演された。
愛知芸大を出て、広告関係の仕事をしたいと思っていたという玉木氏が、切手デザイナーを
選んだ動機は、地味な仕事だが、自分がデザインした切手はずっと残ると思ったことだとか。

ふるさと切手の発行も多いが、玉木氏によると、切手発行まで準備に長くかかるので、
オンタイムで取材ができないそうだ。たとえば、ねぶたの切手では、津軽三味線の店に行ったり、
地元の人たちと話したり、また、飛騨高山の切手のときは、山車が通る道をレンタサイクルで
辿ったこともあるそうだ。

寄付金付
                     「東日本大震災寄付金付」

切手デザインにもパソコンが導入されて10年ほど経ち、手描きの時代に比べてデザインを
取り消したり、やり直したりすることが早く、容易になったという。
「東日本大震災寄附金付」切手も玉木氏のデザイン。東日本震災発生後、急きょ発行が決まり、
6月に発売された(~2011.9)。
通常2、3ヶ月かかるデザインを実質1週間でこなさなければならなかったそうだ。
モチーフであるハートを手描きでデザイン。これをスキャンした後、色を付けたり重ねたりして
花の絵を構成し、短期間に5種類のデザインを仕上げたとか。

展覧会の案内葉書などに、50円の記念切手を使うことが多いのだが、80円に比べると少ない。
郵便局で50円の記念切手を見つけると、2シートくらい買っておくことになる。
引出しの中にシートごと残っている切手も数種類あった。

     切手
   「ふるさとの花」「尾瀬」「国土緑化・国際森林年」 「高校定時制通信制教育50周年」

「高校定時制通信制教育50周年」(1997年)の記念切手も玉木氏のデザインだという。
黒板(緑?)にフクロウとハトなどがチョークで描かれている。夜学の暗いイメージとは違って、
楽しい切手だ。14年前に発行された切手だが、今でもあのデザインは印象的だ。
当時、どんどん使ってしまったので、引出しの中を探してみると1枚しか残っていなかった。

小さい画面にいろいろ盛り込みたくなるが、むしろ、削いだ方が味が濃くなる。
1画面には1メッセージ
」と玉木氏。これは本画を描くときにも共通しているように思った。
旅先で目に入るものを左から右、上から下まで、時間のある限り画面に入れたくなってしまう。
メモ代わりのスケッチならそれでもいいが、構図の段階はまさに「削いでいく」ことになる。

とくにY先生に教わるようになってからは、ほとんどの風景画(中国でのスケッチ画)は
「これは要らない、ここも要らない」といわれ、構図の段階では「これだけ!?」というほど
切りとられることになる。そろそろ仕上げ段階の「北京胡同の赤い扉」の画も、
現在構図作成中の「安徽省の古村落」の路地の画も削られて、スケッチの7割くらいになった。
この2年近く描いているのは中国の画ばかり。花の画や静物画も描きたくなってきた。
つれづれ

Tさん ただ今北京に留学中

2011年11月19日
北京に来て今日から語学学校が始まりました。生徒20人くらいのこじんまりとした民間の
学校で融通が利きます。最初に中国語のチェックを受けて、とりあえず中級クラスに
入りました。中級ですが新単語が多く大変に感じました。同じクラスはイタリアの中年男性、
スウェーデンの男の子2人です。

北京短期留学中のTさんから「北京だより」が届いた。
1274no03.jpg
北京は初めてで不安というTさん。
彼の出発前、ランチをご一緒した。
私の北京滞在はほんのわずか、しかも9年前。
北京在住のSさんや年に数回1ヶ月間滞在される
Hさんからの情報をお伝えしたり、
わが書棚の北京関係の数冊をお貸した。
(ステイ先は「海淀区」 学校は市の中心にある                            
           地図左上には「八達嶺長城」)

その中の1冊、『北京を中国語で歩く』を持って、3週間の語学留学に旅立たれた。
毎日満員のバスにのり45分くらい揺られて学校に行き、お昼は10元のどんぶりご飯を 
食べ、現地の人のようです。
今朝は奥さんから「最近は強盗、殺人が多くて大変、近くでも2人殺された」と聞き、
殺伐さを感じます。年金暮らしの夫婦のホームステイしていますが、早口でしゃべられると
通じないので筆談状態です。テレビは時々字幕が出ます。字幕は良いです。
今日の復習をしたり学生の昔に戻ったみたいです。
 
   北京老街
  冬の風物詩「糖葫芦(タンフール)」 Hさん写            胡同    2002.10               

昨年秋、大学卒業後はじめてのクラス会があった。出欠はがきに近況を書いたことがキッカケで
幹事の1人、Tさんとのメールのやり取りが始まった。Tさんは退職後、顧問(非常勤)となり、
社会復帰、家庭復帰中です。区でやっている中国語を始めて3ヶ月程度です。
英語、ドイツ語ができる為かわりと順調に行っているような。


そんな彼が、中国語学習を始めた動機は、仕事で度々行く台湾では英語しか使わないので、
レストランとか独り歩きで、中国語で会話ができるようになりたいということだった。
中国語学習は週2回。既に5年程度やっているとか、残留孤児の人がいるらしいとかで、
皆良くできる人で僕だけ落ちこぼれ状態です。CDをパソコンに取り込み、家族がいない時を
見計らい大きな声で復唱して独習。ピン音が身に付きません。


クラスメイトとはいえ、彼が2年のときドイツに留学したことは覚えているが、実のところ、
その後の彼のことはほとんど記憶にない。
1年前のメールには、僕は大学2年までとても内気で、人とまともに話ができない性格でした。
ドイツに2年行き、自分で生きて行かなければならないので性格が少し変わりました。
会社ではずっと営業で嫌いな客と話さざるを得ず、性格が変わりました。
最近は仕事を継続している傍ら中国語とかスイミングスクールのおばさんとか近くの近隣の
オバさんとも世間話ができるようになりました。性格は状況によって変わるのですね。


今年5月、中国語学習が中座している私に、彼が1月から始めた「ロゼッタストーン」による
学習を勧めて下さった。彼の通う中国語教室は生徒数は30名と多く、会話の授業になって
いないので、今年1月から「ロゼッタストーン」で学習開始されたそうだ。
これがとってもお勧めです。コースの題材が優れています。写真とテキストが出て自然な流れの
なかでパソコン上で学習します。発音認識ソフトが優れておりこれの許容範囲を調整でき、
厳しいと少しでもおかしいとパスしません。波形分析やイントネーションも出てきます


また、ネイティブの先生による50分のインターネット授業は9ヶ月間何回でも受けられ、
カナダの女性やブラジルの男性など生徒は1人だったり4人のことも。区の教室ではできない
生きた会話のやり取りができるのが魅力だとか。
今年1月に僕に癌が見つかり放射線治療をつづけ、先々週終了。すぐ死ぬことは無いんですが、
こんなことも色々な事をしたい動機になっています
」というメールが来たのは5月だった。

福島原発事故以来、放射線の人体への影響がいろいろといわれているが、
彼は、1回2シーベルト(2000ミリシーベルト)を40回。その都度レントゲンやCTで位置確認したため、
かなり高レベルの放射能にさらされたそうだ。
彼の抗ガン治療の開始と「ロゼッタストーン」学習開始がほぼ同時なのには驚きだ。 
8月、検査の結果は良好だったそうだ。

10月、僕のほうは相変わらず中国語をやっています。「ロゼッタストーン」はレベル3まで
ほとんど終わりました。少し話せるようになりました。会話力を高めるために北京の民間の
語学学校に今週末から3週間行ってきます。宿泊はホームステイにしたので、
この家の人とも中国語で話すほかないので語学力が上がるのではと期待しています。
 

北京に留学の私の長年の夢は実現しそうにない。せめて、彼のオススメの学習方法を始めようと
思ってから、すでに半年が経ってしまった。
中国・中国の旅

日常的な「チキンゲーム」

2011年11月18日
中国の上海、北京、天津、長沙の4都市を訪れた社会学者の宮台真司氏の第一印象は、
「中国はとにかくデカイ!」だそうだ。「街はとてつもなくデカイ、建物もデカイ。道もデカイ。
クラクションも人の声もデカイ」のだそうだ。
高速道路は5車線、一般道路も3~4車線。さすがに学生が多い北京は自転車も目立つが、
車(とくにドイツ車などの高級車が多いとか)が街にあふれ、クラクションが鳴り響き、
そのやかましいことと言ったら・・・! 

ジャンクションでは、車は6列、7列。ひしめき合い、あと5cmで接触というギリギリまで
幅寄せし、譲ることはなく、ドライバーにとっては「日常」で、平然としているのだとか。
このつばぜり合いは、まるで「チキンゲーム」だそうだ。

チキンゲーム」とは、別々の車に乗った2人のプレイヤーが互いの車に向かって
一直線に走行するゲーム。日本ではチキンレースと呼ぶのが一般的。
激突を避けるために先にハンドルを切ったプレイヤーはチキン(臆病者)と称され、
屈辱を味わう結果になる。

この言葉は、ある交渉において、2人の当事者が共に強硬な態度をとり続けると、
悲劇的な結末を迎えてしまうにも拘らず、プライドが邪魔をして双方共に譲歩できない
状況の比喩として使われる場合もある
。(Wikipedia)

中国では、車と車だけでなく、人と車もチキンゲームは日常茶飯事のことだという。
人は信号無視して道路を横断する。車が近付こうとどんなにクラクションが鳴ろうとも、
人は気が付かないふりをする。車は人がゆっくり歩いているのを前提で、ギリギリまで近づく。
そこで、急に走り出すと、一巻の終わりだと忠告を受けたそうだ。

新幹線にしても、曜日や時間によって料金が変わるという。発車時刻に近づけば近づくほど、
料金が安くなるため、乗客はギリギリまでねばって、少しでも安くチケットを手に入れようと
する。まるで、閉店間際の地下食品売り場と同じ。ここでも「チキンゲーム」が行われている。
今年の夏の高速鉄道事故があったばかりの高速鉄道だが、そもそも広軌の在来線を
時速約160kmで走っていたのが、高速で走ることになっただけといったところらしい。
日常という非日常、非日常という日常、チキンゲームが中国を理解するポイントだと宮台氏。

   上海空港へ
               2002.4       上海空港へ          2001.4

今まで中国の旅では上海浦東空港を利用することが多く、上海市にも立ち寄った。
「黄山・安徽古村落(2001.4)」「桂林・烏鎮(2002.4)」「常州ミニ留学(2002.12)」
「上海・江南水郷(2004.4」)「江南・南京(2004.9)」の旅で上海市に立寄った。
このころ、上海市内は、自転車は多かったが、車は今ほど多くはなかったと思う。

黄山の旅の終わりに上海で1泊し、早朝、タクシー2台に分乗して空港へ向かう高速道路で
怖い思いをした。今思うと、あれが「チキンゲーム」だったのだろう。

北京には2回(2002.11/2003.1)。ほんの短い旅だったが、時間が許す限り市内を歩いた。
最初の旅は3人。胡同でのスケッチを終えると、故宮の閉門時間(10~3月は15:30)が
迫っていたので、タクシーに乗った。故宮に行きたいと伝えた。運転手は慣れたもの。
まるでサーキットと化した狭い胡同を飛ばし、大勢の人が行き交う道ではクラクションを
鳴らしつづけてすり抜ける。まさに人と車の「チキンゲーム」だ。

大通りに出れば、今度は車の渋滞。結局、正南門の午門に行くのでは間に合わないと、
北に回ってくれたおかげで、閉門直前に神武門をくぐることが出来た。
怖い思いをして、間に会わなかったら、いや、事故を起こたらと思うとゾーとする。
寿命が縮まった?気がした。運転手にとってはいつものことなのだろう。

 太和殿前
                 中国最大の木造建築 太和殿

明の永楽帝が15年の歳月をかけて築いた紫禁城。
清朝の宣統帝を最後に、明清の14名の皇帝が491年に渡り紫禁城に居を構えた。
紫禁城は、1頭の龍だといわれる。無数の星が瞬く天体ともいわれる。

    太和殿前
                  太和殿前の鶴と亀の像 

『紫禁城の黄昏』という、清朝最後の皇帝溥儀の家庭教師を務めたジョンストンの著書があるが、
私にとって、「黄昏の紫禁城」だ。通り抜けただけだったが、黄昏の中に浮かび上がった、
かつて皇帝の居城は、10年経った今でも脳裏から離れない。
観光客が少なかったことも幸いだった。再び訪れる機会があれば、晩秋か冬の黄昏がいい。
中国・中国の旅

大田区の坂 Ⅰ

2011年11月17日
東京は坂の街だ。東京23区内には名前のついた坂道だけでも700以上あるといわれる。
ちょうど武蔵野台地の東の端にあたる大田区は、区の面積のほぼ半分が久が原台、荏原台と
呼ばれる台地で占められ、その台地部を大小さまざまな坂道が細かく走っている。

古くから引き継がれ、愛称で呼ばれてきた坂道も多い。「桜坂」「富士見坂」「ぬめり坂」と
いった坂名の由来は想像がつくが、ずっと気になっていた坂が「どりこの坂」だ。

どりこの坂   田園調布一丁目26番と51番の間の坂道
東急多摩川駅前にあった「多摩川園」という遊園地が、多摩川園ラケットクラブに替り(1979)、
そのクラブも閉鎖され(2000)、今はその一部が「田園調布せせらぎ公園」となっている。
せせらぎ公園の北側にある坂が「どりこの坂」。

標識によると、昭和の初めごろ、坂付近に「どりこの」という清涼飲料水を開発した医学博士が
屋敷を構えたので、誰いうとなく「どりこの坂」と呼ぶようになったといわれている。
それまでは、池山の坂と呼ばれていた
という。

どりこの」は、軍医だった医学博士高橋孝太郎氏の発明による、ブドウ糖、アミノ酸を
主成分とした、虚弱体質や腺病質の人向けの濃縮飲料。
講談社社長の息子が飲んでいた縁で講談社ルートで全国の薬局で販売された。1本1円20銭。
年に100万本は売れていたが、戦争が厳しくなって砂糖が輸入できずに製造中止になった。


     どりこの坂

「どりこの」は、私が生れる前に「幻の飲料水」となった。飲んだことも聞いたこともないわけだ。
因みに、「どり」は共同研究者だったドイツ人のイニシャル、「こ」は孝太郎からとられ、
「の」は助手の野口からとられたとか。

桜坂   田園調布本町18番と19番/42番・43番の間にある坂
東急線沼部駅から東光院前を通り北東へ向かうと、石垣にはさまれた切通しの坂道になる。
この坂は、旧中原街道の切通しで、沼部の大坂と呼ばれていた。このあたりの村落は荷車、
旅商人の往来でにぎわい、腰掛け茶屋などが坂道の両側にあったともいわれている。
その後、地元有志により、両側に50本の桜が植えられた。
(現在、桜の木は28本)
坂名は坂道の両側に植えられた桜にちなむもの。
坂上にはオリンピック東京大会記念の国旗掲揚台と「さくら坂」の石柱が残る。

  桜坂
         さくら坂上  2011.10               4歳のりんりん  2008.4
         
     さくら坂
         さくら坂下 2011.10         坂上にある国旗掲揚台と石柱

福山雅治の「桜坂」の歌で、突然、観光名所になった。普段は閑静な住宅街の坂道だが、
桜の季節のほんの2週間程だけ 桜のトンネルをつくり多くの人たちで賑わう。

おいと坂   田園調布本町24番と25番の間の坂道
東急線沼部駅近くの小さな坂道。かつて、坂下に「雄井戸(おいと)」と呼ばれる井戸があり、
旧中原街道を隔てて西側にあった「雌井戸(めいと)」とともに人々に親しまれてきた。
『大森区史』によれば、北条時頼がこの地を訪れた際、雄井、雌井の水により病を癒したと
伝えられる。今は住宅街の中のあまり目立たない真直ぐな坂道だが、それまでは竹藪の中の
急な、曲った坂道であったと伝えられている


     おいと坂

富士見坂   田園調布1丁目
多摩川に架かる丸子橋近く、東急線多摩川駅前の「せせらぎ公園」の南側の坂で、
大正末期の耕地整理によって出来た比較的新しい坂。緩やかにS字カーブを描く。
かつて富士山がよく見えたのだろうが、眺望はまったく開けない。

          富士見坂

緩やかな坂に見えるが、多摩川方面から自転車を引いて坂を上るのは結構きつかった。
電動自転車でないこともあるが、歩く方が楽だと感じた。何しろ、長い坂だ。
周囲には中高層のマンションが多いこともあって、坂道を下ってくる人は意外に多かった。
帰り道は大変だろうなと、私だったら、帰宅が夜になったら、少し遠回りになっても
池上線雪が谷駅から歩くだろう。
旅・散策・イベント

「アオムシ」の行方

2011年11月16日
今日、にわのそうじのてつだいをしていたとき、祖母が、わあ!青虫!といいました。
びっくりして行ってみたら、本当でした。びんにいれてかうことにして、3,4時間後・・・
はっぱがたくさんあったのに、なくなっていたので、祖父がいそいでえだをもってきて
中にいれました。かわいかったです。白いすじにはびっくりしました。


10月になって、ずっと気になっていた庭の草取りをした。孫りんりんが手伝えたかどうかは
ともかく、久しぶりに暑くも寒くもなく、心地よい一日だった。
わが庭でもっとも古い木の1つ、紅梅の根元に、実生(みしょう)から育った木が1mほどに
なっていた。その蜜柑に似た葉を繁らせた木が目障りだったので、皮手袋をした左手で
枝を押さえ、ハサミでスパスッと切った枝をバケツに入れる直前に目に入ったアオムシ!
エメラルドグリーンのきれいな色をしていたが、さすがに気持悪かった。

りんりんはカブトやクワガタを飼ったり、ダンゴ虫で遊んだり
するが、いわゆる「虫好き」というのとは違う。
アオムシは興味がないわけではないが、自宅で飼う?つもりはないらしい。
以前、ヒヤシンスを育てたパスタ瓶を出して来た。ここに、枝ごとアオムシを入れて、
わが家に置いておくことになったのだが、それからが大変だった。

アオムシの飼い方など知るわけもなく、慌ててサイトで検索した。「カラスアゲハ」の
幼虫らしいこと、幼虫にはそれまでいた樹の葉を与えないとだめだということがわかるまで、
かなりの我慢が必要だった。

    10.11 10.12
                   10.11                     10.12

そこで困ったのは、アオムシのいた樹をほとんど切ってしまったこと。残った葉はわずかだ。
そのわずかな葉を瓶の中に入れると、数時間後には、ほとんど食べ尽くされていた。
暗くなってから、庭に出たごんさんが塀際に同じ樹を見つけた。2m以上あるこの樹なら、
当分、アオムシくん用に葉を供給できそうだ。

10.16 10.18
                   10.16                          10.18

毎日、ムシャムシャと食べていた葉も食べなくなって、体が透き通るように見えたので、
慌てて鉢に土を盛り、葉付き枝を挿した。100円ショップで買ったカゴをかぶせて
陽が当らないところへ置いておいた。

         1247no04.jpg 10.25

数日後、そっとカゴをとってみると、枝にも土の上にもアオムシはいなかった。
土にもぐった?のだろうか、サナギにならずに逃げ出したのだろうか?
どこかでサナギになって、春になってきれいなカラスアゲハになるだろうか。 
もといた木に移しておいてあげれば、よかったかと後悔しきり。
ひと月経ったが、まだ、鉢はカゴをかぶせたままにしてある。
 
まったくの偶然だが、近くの空地からはみ出している草の上にアゲハチョウを見つけた。
あの行方不明のアオムシが変身したはずはないのに、不思議と親近感を覚えた。

          キアゲハ? 
                    キアゲハ?
動物など

新聞 読みますか? 

2011年11月15日
急速に進んだ「新聞離れ」。日本の新聞発行部数は、この10年、毎年1%ずつ減ったという。
10年前は1世帯当り平均1.13部だったのが、昨年は0.92部。しかも会社や個人で
複数部とっている場合もあるので、まったく新聞をとらない家庭は急増しているのだとか。
月尾嘉雄氏(東大名誉教授)の話(TBSラジオ)に驚いた。

それを裏付けるのは、NHKの「生活時間調査」。新聞を読む人(男性)は、
2000年には20代が31%、40代が58%、60代が79%だったが、
昨年は、それぞれ13%、41%、68%となった
という。女性も同じような結果だとか。
また、文化庁の「国語に関する世論調査」の「毎日の主な情報源」については、
たとえば、30代男性の95%(2001年)だった「新聞」は85%(2008年)になり、
「テレビ」は93%から79%になった。一方、「ネット」は24%から55%に増えた
という。

         新聞販売機
           新聞自動販売機          「新聞少年の像」 

日本の新聞は、95%が配達だという。「新聞週間」(10/15~21)の中の日曜日は
「新聞配達の日」。港区有栖川宮公園には「新聞少年の像」が建っている。

わが家では、新聞をとらない時期があったが、父が亡くなり、母との同居生活になってから、
朝刊だけの産経新聞にした。私が目を通すのは、日曜版「おやこ新聞」。話題のニュースや
社会問題を小学生向けにわかりやすく解説してあって面白い。(機能性肌着 ヒートテック)
この「おやこ新聞」をとっておいて、小2の孫りんりんに渡している。

          おやこ新聞
        「警察犬や盲導犬のほかに、犬はどんな仕事をしているの?」 

りんりんが小学生になったとき、小学生新聞のお試し購読をしたが、漫画しか見なかったそうだ。
無理のないことだろう。小学生新聞は4~5年向きで、受験用に購読するケースが多いとか。
因みに、「朝日小学生新聞」は44年前、「毎日小学生新聞」はなんと75年前の創刊だ。
「朝日」(¥1780)と「毎日」(¥1430)の小学生新聞は、毎日発行。「読売」は週1回(¥500)。

「新聞って、読んだ方がいいの? 先生にも言われるけど、テレビのニュースじゃダメ?」
『全国こども電話相談室 リアル』(TBSラジオ)で、中三の男子の相談に応えたのは、
『新聞で学力を伸ばす』という本の著者でもある齊藤孝氏(明治大学教授)。
ラジオに出演している中学生たち、街でインタビューに答える中学生のほとんどは、
新聞を読まないということだった。「1面って何?」という子どもたちに驚く齊藤氏。
そして、「つまらないからやらない? 読まなくてはダメ。慣れると面白くなるよ。
新聞を読むことで日本語力がつく。新聞も使い方次第
」とのアドバイスがあった。

まず、自分が気になる「マイ記事」を選び、切り抜く。それだけで頭が良くなるとか。
新聞が自分側に近づいてくるから捨てられなくなる。さらに、人にわかり易く話す練習を
することで活字力がつく
という。
「池上彰さんはニュースの世界を変えた。これからはみんなが池上さんになろう」と結んだ。

「新聞離れ」気味の私は、「テレビ離れ」もしている。ごんさんが見ている番組を
つい、見ることもあるが、自分でテレビをつけることはない。
大した理由はないが、目だけでなく頭が疲れるのだ。とくにドラマとCM。
そんなわけでわが情報源はラジオ。CMもラジオだと気にならないから不思議だ。
ここ数年、いつもラジオが傍にある生活を送っている。
「ラジオは脳にいい」と言われるが、そこまでは期待はしていないが、とにかく便利だ。
手を休めることなく、必要以上に目を使うこともなく、自然に耳に入ってくるのがいい。

おまけに、ポッドキャスト(Podcast)が誕生したおかげで、すでに放送済みのものを
録音することなく、ダウンロードして聞くことができるようになった。
また、3.11の大震災後に購入したラジオ付きICレコーダーのおかげで、メモする代わりに
録音ボタンを押すだけで、いつでもどこでも好きなときにゆっくりと聞くこともできる。
だが、あまり頼り過ぎると、脳に効くどころか、記銘し記憶する力がなくなりかねない。
つれづれ

口上の中の「四字熟語」

2011年11月14日
9月半ば、世田谷八幡宮で行われる恒例の「奉納相撲」。以前からFさんと観に行く約束を
していたのだが、すっかり忘れてしまい、気がついたときには10月になっていた。
もともと大相撲をはじめ、スポーツ観戦もあまり好きではないが、一昨年、たまたま観た
東京農大相撲部員による「奉納相撲」はなぜか気に入り、昨年も出かけていったほどだ。

10月末、かつての中国語学習会のお仲間、Mさんから久しぶりに電話があった。
週1度、つづけている学習会で発表したいので、琴奨菊の大関昇進時の口上にあった
「万理一空」のような四字熟語を、ほかの大関たちのも調べてほしいということだった。

宮本武蔵の兵法書から引用したという、「万理一空」は「すべての理(ことわり)は一つの空に
つながっていく。どんな努力も目指す先は一つ。努力の先に光がある」といった意味だとか。
そういえば、学習会で「四字成語」が流行ったことがあった。Mさんはいろいろと調べたものを
コピーして下さった。私は私で、「動物」「自然」などのテーマ別に、日中対照の四字成語の
一覧表を作った。あれほど夢中になって作った表も覚えることなく、今は本棚の奥に・・・。

大関や横綱の昇進時の口上には必ず「四字熟語」が使われているのかと思いきや、
貴乃花や若乃花の藤島部屋から始まった流行で、それまでは、例えば、千代の富士の
「横綱の名を汚さないよう(大関の名を汚さぬよう)一生懸命頑張ります」といった口上が
慣例だったようだ。

       初代若乃花
                     初代若乃花   

2年前、江戸東京博物館に行った折、両国駅近くで、相撲のオブジェを見つけた。
京葉道路から両国駅までの道の両側に4種類の力士のオブジェがあった。
下の台には、初代若乃花、北の湖や千代の富士など、歴代力士の手形がはめられていた。
     オブジェ
これまでに四字熟語が使われた口上は
大関貴乃花 「今後も不撓不屈の精神で相撲道に精進いたします」
横綱貴乃花 「横綱の名を汚さぬよう、不撓不屈の精神で相撲道に不惜身命を貫きます」
大関若乃花 「今後も一意専心の気持ちを忘れず相撲道に精進いたします」
横綱若乃花 「横綱として堅忍不抜の精神で精進していきます」
大関貴乃浪 「今後は相撲道に勇往邁進する所存です」
大関武双山 「大関として常に正々堂々、相撲道に徹します」
大関白鵬   「大関の地位を汚さぬように、全身全霊を懸けて努力します」
横綱白鵬   「横綱の地位を汚さぬよう、精神一到を貫き、相撲道に精進いたします」
大関琴光喜 「いかなるときも力戦奮闘し、相撲道に精進します」

以前調べたことがあるが、「正々堂々」は中国語で「堂堂正正」だった。あとはどうだろうか?
「全身全霊」は「全心全力」、「一意専心」は「一心一意」、「勇往邁進」は「勇往直前」、
「不撓(う)不屈」は「不屈不撓」だ。
四字熟語の多くは中国からと思っていたが、日中辞典には、これだけしか載っていなかった。
「不惜身命」は仏語だった。Mさんの中国語学習のお役に立つだろうか。
因みに、Mさんは70代半ばの九州男児。彼の毎日は、中国語のほかに、手話に詩吟にコカリナ
(木製のオカリナ)・・・。晩酌は毎水曜から日曜までと決めてあるところがスゴイ。
つれづれ

「今日も元気で・・・」

2011年11月13日
1年前、過去最大のタバコ税増税があった。禁煙外来への受診が増えたり、禁煙に挑戦した
人も多かった。増税前の調査の回答者を対象に、今年夏、実施されたネット追跡調査では、
喫煙者の3人に1人が禁煙に挑戦したが、そのうち、6割以上が禁煙に失敗したそうだ。

禁煙に挑戦した理由の第1位は、「タバコ税の増税」(74.6%)で、「自分自身の将来の
健康が気になって」(36.7%)を大きく上回ったという。
禁煙に失敗した人は、「自分の意志のみ」(59.2%)が最も多く、次いで「禁煙グッズ」
(20.0%)、「飴、ガム、缶コーヒーなどで紛らわした」(15.4%)と、手軽な方法で
禁煙に挑戦し失敗した喫煙者が多く、2009年と比べると、禁煙挑戦率(35.1%)、
成功率(38.5%)とも増加したが、成功率は決して高くないという。
禁煙に失敗した人も含め、喫煙者の4割以上が今後禁煙に挑戦したいと考えているとか。

たばこ
       「セブンスター」 ¥440       シガレット菓子で禁煙は無理?

日本では、「喫煙はあなたにとって肺がんの原因の一つになります。・・・」
「喫煙はあなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます。・・・」「人により程度は異なりますが、
ニコチンにより喫煙への依存が生じます」
など、タバコの箱の表裏両面に8種類の文言が
書きこまれている。ほかの国に比べると、ずいぶんとやんわりとした警告文だ。

オーストラリアでは、タバコのパッケージ表の4分の3の面積と裏の全面には、病んだ
歯茎や失明した目、入院する子どもなど、健康に対するたばこの害を訴える警告画像が
印刷されることになったという。ネットを覗いてみたら、恐ろしくて目を覆ってしまった。

カナダのパッケージには「煙草は心臓破りだ」「煙草は肺がんを引き起こす」「僕たちに
毒を盛らないで」「毎年煙草によって小都市の人口に匹敵する人数が死亡する」
など。
喫煙者は早死にする」「喫煙は動脈を詰まらせ心臓病と脳卒中の原因となる」などと
書かれているのはイギリスのタバコ。

タバコの健康被害だけでない。肥満が原因とみられる医療費は各国で増大している。
デンマークは、世界ではじめての「脂肪税」を導入した。これにより、飽和脂肪の摂取量を
少しでも減らし、国民の健康を改善して平均寿命を10年で3年延ばすためだとか。
課税の対象は、飽和脂肪酸が多く含まれる食品で、バター、チーズ、牛乳、ピザなど。
増税だけで効果があるのかなど、疑問の声も出ているというが、他にも塩分や糖分に課税する
国もある。ハンガリーでは、ポテトチップなどの脂肪や糖分の多い食品に課税する法律が
実施された。国民は「ポテトチップ税」と呼んでいるとか。

          タバコカフェ
               喫煙者専用カフェ    JR新橋駅前

喫煙することは、体にガンの種を蒔いて、毎日水をやっているようなものだといわれるが、
現在の煙草は以前に比べ、発ガン性物質が3倍となっていて、膀胱がんのリスクは4倍とか。
タバコの煙にはフィルター側からの直接の主流煙と火元から立ち上がる副流煙の2つがある。
主流煙には約4000種の化学物質が含まれ、その中の200種以上は発ガン性物質を
はじめとする有害物質で、この有害物質は副流煙の方に多く含まれているという。

日常生活で摂取している食品や、空気中にも有害物質はあるし、タバコが体に悪影響を
及ぼすかどうかは、体質が大きく影響するともいわれる。
子どもの頃から父の煙草の煙の中で過ごし、結婚後はごんさんの煙・・・。
今でこそ、室内では吸わないようになったが、庭で吸っていても煙が入ってくることもある。
副流煙のせいか体質なのかわからないが、心臓や肺機能など、あちこちが悪いのは私の方だ。

タバコが健康によくないことは、ほとんどの喫煙者が十分承知していることだろう。
それでもやめられない人、やめる気のない人、ごんさんはどちらだろうか。
それはともかく、タバコを吸いつづけるなら、気持ちよく吸ってもらいたいものだ。
「今日も元気だ タバコがうまい」? 「具合が悪いときには、吸いたくなくなる」という
ごんさんの言葉。考えてしまう。
つれづれ

晩秋の北京から

2011年11月12日
北京のSさんからのメールには、北京はこのところすっかり晩秋の様相だそうだ。
まだポプラ系の葉は緑のままだが、イチョウは黄色というより茶色く枯れ、粉々に砕けて
落ちてきているが、植物園(頤和園の近く)のイチョウは見事に黄色く色づいていたとか。

紅葉には適度な水分も必要らしく、山で風が遮られる北京の街の西側は、植物の生育に
適しているとか・・・。香山公園は清の乾隆帝の時代からマルバハゼの植樹が始まり、
今では9万本の紅葉が楽しめるらしいが、週末は10万人の人出、「人山人海」で、
もちろん渋滞もすごい
らしい。

「人山人海」は、好きな中国語の1つだ。「黒山の人だかり」といった意味。
香山公園は10月中旬から11月上旬にかけて、山一面に紅い絨毯が敷かれたようになり、
公園全体が見渡せる頂上の香爐峰から皇帝が愛した錦秋の景色を堪能できる。
因みに、白居易の漢詩、清少納言の「枕草子」で知られる香爐峰は、江西省の廬山にある峰。
 西菅村
                    西菅村の楊さん宅                
   
晩秋の北京といえば、9年前の短い北京の旅を思い出す。アルバムに、最高―最低気温が
書き添えてあった。北京10℃―1℃、上海は14℃―10℃、東京16℃―10℃。(2002.10.27)
李さんの案内で訪れた香山近くの西菅村(海淀区)が印象深い。 (はじめての北京訪問
香山へ向かう車の渋滞に巻き込まれ、スケッチの時間はほとんどなくなったが、
村の人びとの暖かいもてなしが嬉しかった。   
オリンピックを境に、この村の様子は変わっているかもしれない。

万里の長城を訪れた前日、雪が降った。午前中は八達嶺(市内から60km)、午後は居庸関
市内から50km)を訪れた。うっすらと雪化粧した山々の紅葉が印象に残っている。
  八達嶺
                         八達嶺長城より
        八達嶺

わが家の近くの銀杏の黄葉はだいぶ遅いようで、くすんだ緑色のまま。
先日見た中杉通り(杉並区)やガス橋通り(大田区)のケヤキもわずかに色づいた程度だった。
まだ、緑色が混じっているくらいのこの時季のケヤキが好きだ。

ところで、Sさんは、先週、東京の友人2人に合流して敦煌、ウルムチの旅に出かけられた。
ダンナさまもビーも放り出して! この機を逃すと一生行けないと断行です。
その為の防寒グッズをそろえていたのですが、友諠商店にカシミヤ製のレギンス
(要するにモモヒキ)を見つけ、これが有れば無敵かと思ったのですが何と1300元!
吓了一跳でしょ!!! 日本円で26万円くらいでしょ!


もちろんそんなものは買いません。それで隣の偽物市場に寄ってみたらなんと450元!
これでも高いと討价換价、350元までねばって買い求め我が家で試着したところ、
チクチクとなんとも心地悪い。触った時確かに柔らかだったのに???
これは騙されたと憤慨していたのですが、ふと思い立って裏返して見たところ、
なんとふんわり温か! それにしても中国商人のしたたかさに脱帽。それに表だけカシミヤ風に
作る技術にも脱帽です。レギンスを裏返しにして身につけ、シルクロードの旅に行ってきます。


彼女が上海滞在のとき、上海市内や江南水郷を案内していただいたり、上海で合流して
南京や鎮江など(江蘇省)の旅をしたことがある。
9月のメールでは、「敦煌、ウルムチの旅行に誘われ、悩んでいる。半分以上行く気だが、
愛犬ビーが気がかり」の様子だったが、その後、東京、上海と北京を離れるときに預けたが、
案ずるより産むが易し、ビーちゃんはなかなか順応性があるようだ。

「吓了一跳」は飛びあがらんばかりに驚くこと。「討价換价」は値段を掛け合うこと。
中国・中国の旅

大震災から8ヶ月

2011年11月11日
今日は「介護の日」。「いい日 いい日」の語呂合わせだという。
東日本大震災から8ヶ月経った。毎日震災関連のニュースが報道されている中、
あまり報道されていない介護の現場。
被災した介護職員も多く、介護資格を持つボランティアも必要とされているという。
    1248no01.jpg
  東急線各駅には、毎月20日、沿線スタイルマガジン
  『サルース』が無料配布される。
  駅にもよるが、数日経つと棚には1部も残っていない
  こともあるほどの人気だ。
 
  もっとも楽しみにしているのは、コピーライター
  岩崎俊一氏のエッセイ「大人の迷子たち」。
  今月は「動かすべきは 体だ。口ではない」。

  「勇気を 元気を与えたい」 「光を 笑顔を与えたい」
  「がんばれ 東北 がんばれ日本」・・・。
    「サルース」         震災以来、耳にしたり目にしたさまざまな言葉。

「人は大きな悲しみの前で、語るべき言葉を持たない」という岩崎氏の言葉に、
それまで胸の奥にずっと引っかかっていたものが何かわかったような気がした。

「あなたはひとりじゃない」 「みんながついています」 「強く未来を信じて」
「日本の強さは団結力」 「日本は1つのチーム」 「みんなが笑顔になれますように」
「日本の力を信じてる」 「世界中の人たちが日本を応援しています」


これは、震災直後、テレビから溢れ出した言葉の数々である。
これ以上はないともいえる惨事の前で、饒舌に語られたこれらの言葉をどう見るか。
もちろんウソだとは言わない。どの言葉にも真実のカケラは入っていると思う。でも、
被災地の人から見たらどうだろう。聞いてうれしかっただろうか。白々しくは感じなかったか。
そもそも、テレビを見るどころ出ない人びとに届いたのか。受け止め手のいない
立派な「言葉たち」が、虚しく空中をさまよう様が、僕の脳裏を掠(かす)める。


          1248no02.jpg 4.10
              産直市場「がんばろう 東北」  有楽町交通会館 

口だけでしょ。言うだけなら、誰でも言えるよ」。文句を言うのも、言い訳をするのも簡単だ。
人にできることはただ一つ。行動だけなのかもしれない。

先月、久しぶりの孫娘の子守をした日、昼寝をしなかったあいあいがついに5時過ぎ、
ソファで寝入ってしまった。遊びに疲れたゆうゆうとテレビ(NHK)を見ていた。
居酒屋も食堂も流された町に、人が集える場所を作りたいと、岩手県大槌町で移動居酒屋を
始めた地元出身の2人の若者の話だった。1年前、会社を辞めて引きこもっていた若者と
津波で婚約者を失った若者。震災前までは、地元の町に関心がなかった2人だったが、
7月、彼らは友人の協力を得て、ワゴン車を厨房に作り変え、手づくりの居酒屋が完成した。

町を出た友達が、戻ってこられる町を作りたいと、現在、町づくり会議にも参加しているとか。
「失ったものは多いけど、今の方が頑張れる」「自分たちが頑張ったとしても、
復興が早くなるわけでないだろうが、それでも1秒でも2秒でも早くもとの町に戻るなら・・・」

移動居酒屋を運転しながら話す若者の言葉が心に残った。 

       「東北から全国へ、笑顔の招待状が届きました」 2011.10
     JRポスター
    「旅する笑顔を 東北の力に 東北の方から元気メッセージ」  JR東日本ポスター

震災を境に変わったものは多い。変わったのは、被災した人ばかりではないと思う。
死なないことを大事にするか。生きることを大事にするか」。
何かが変わったのだとしたら、人が生きることに積極的になったことも、間違いなく
そのひとつである
」と、岩崎氏は書いている。(同誌10月号
つれづれ

富士が見える坂は・・・

2011年11月10日
東京には坂道が多い。小説の舞台になった坂道、商店街の多くの人が行き交う坂道、
住宅街の静かな坂道、ビルの谷間の石段など、いろいろな坂道がある。
「富士見坂」と名のつく坂道もある。かつてはこの坂から富士山が望めたことだろう。
都心でも富士が見える場所はいくつもあるが、それが坂の上からとなるとなかなか難しい。

荒川区の「日暮里富士見坂」は、都内で「富士見坂」と名のつく約20ヶ所の坂のうち、今も
富士を望める最後の「富士見坂」といわれ、「関東の富士見100景」の1つ(2004年)と
なっている。

10年前には、この坂から100km以上離れた富士山の姿が完全に見えていたが、
文京区の本郷通り沿いにマンションが建ち、左側の稜線が途切れたという。
その後、マンション建て直しのために、眺望ライン上の建物が一時的に取り壊され、
右側稜線の全体が見えていた時期もあったが、マンション完成に伴い建て直し前と
ほぼ同じ程度に右側稜線の一部が塞がれたという。

ところが最近、この坂から6km以上離れた新宿区に、高層ビルが建つことが分かった。
それができると、山頂と稜線の一部しか見えなくなり、富士山と判別するのは難しくなるとか。
「日暮里富士見坂を守る会」(富士見坂眺望研究会)では、ビルの高さを下げるなどして、
「江戸の昔から愛された貴重な風景遺産を残してほしい」と訴えているが、行政側の見解は
制限することは難しいとのことだ。

この話をラジオで聞いた数日後、晴れて風が強い日、この坂に寄ってみようと思い立った。
西日暮里で下りて急な坂道(諏訪台通り)を上りきるとすぐだった。前方でタクシーが止まり、
中から大きなカメラを下げた若い男性が下りて来た。富士山の撮影に来たのだろう。
学生のようにもフリーターのようにも見えた。

       富士見坂
                   日暮里富士見坂

富士見坂の掲示板に貼られた写真には富士山が写っていたが、いくら目を凝らしても、
富士山が在るべきところは白い雲に覆われていて、ビルしか見えなかった。
案内板を読んでいた若者は「見えませんね~」「見たことあります?」と話しかけてきた。
「見たことないです」。富士山が見えたら、会話はつづいたかもしれない。
富士山のないビルだけの写真を撮って、坂を下りて行くと、散歩中のオジサンとすれ違った。
下りきったところで坂を見上げると、先ほどの若者がそのオジサンと話していた。

富士見坂
        雲に覆われた空                 掲示板の写真  
     
その後、谷中を抜けて根津まで歩いたが、途中、大通りでタクシーを拾う若者が目に入った。
彼は取材に来たのだろうか、後日、再び富士を撮りにあの坂に行くのだろうかなどと思った。
このあたりは、江戸時代には日暮の里(ひぐらしのさと)と呼ばれ、西日暮里公園のある
道灌山から諏訪台にかけて、眺望のすぐれた名所だったという。

因みに、日暮里富士見坂のほか、都内の富士見坂は、千代田区の永田町、九段北、神田。
港区の西麻布、 南麻布(新富士見坂)、南麻布(青木坂)、芝公園。
文京区の大塚、白山(御殿坂)、本郷、小日向(藤坂)、湯島。
目黒区の上目黒(目切坂)、青葉台。大田区は田園調布と鵜の木。
渋谷区は渋谷(宮益坂/旧富士見坂)と東(南郭坂)。
品川区小山(八幡坂)、豊島区高田、世田谷区岡本。北区赤羽、足立区新田。
旅・散策・イベント

ミズヒキ

2011年11月09日
      ミズヒキ  タデ科 ミズヒキ属
       学 名   Antenoron filiforme
       和 名   水引 水引草
       漢 名   金線草

          みずひき

北海道から南西諸島まで全国各地に、国外には中国、ヒマラヤに分布する。
低地の木陰などのくらいところに育つ。高さ30~60cm。
初夏の頃までは、葉に鼻緒のような黒い模様がある。

夏から秋、葉腋(ようえき)や枝頂から、長さ20~40cmになる花穂を出し、
赤または白の米粒ほどの花がまばらに咲く。花弁に見えるものは萼で、
長い期間、花が咲いているように見える。雄しべが実の外に残り、小さな実は先端が
かぎ状に曲がっているため、動物について散布される。

なお、「金水引」と呼ばれるものは、黄色の五弁の花が咲くバラ科の植物。

近所の道の脇に1本の桃の樹がある。春には花を咲かせ、初夏に小さいながら実をつける。
駅からの帰り道には(行きは急ぐため素通り)ここで必ずと言っていいほど立ち止まる。
夏から秋にかけて、桃の樹の根元に、毎年顔を出すのが、ホトトギス(杜鵑)と水引だ。
杜鵑も咲き、道路まで枝を伸ばした水引も赤い小さな花を咲かせている。

杜鵑はわが庭にも昔は固まってあったが、いつの間にか消えてしまった。
ところが、先日、草取りをしていて、萩と金木犀などの茂みに2株発見した。

     道端
    
      あるかなきか茂みのなかにかくれつつ水引草は紅の花もつ   九条武子

和名の由来は、進物用の紅白の紙糸「水引」に似ているから。
「水引」は紙縒りに糊をひいて乾かし固めた飾り紐で、贈答品や封筒に付けられるが、
その形や色により様々な使い分けがある。ふつう数本を合わせて中央から色を染め分ける。
吉事の場合は紅と白、金と銀、金と赤など、凶事の場合は黒と白、藍と白などとする。
また、鶴や船などの置物や髪飾りとしても使用される。

水引の起源は、小野妹子が隋から帰った際、同行した答礼使が持参した貢ぎ物に結ばれた
紅白の麻紐にあり、そこから宮廷への献上品には紅白の麻紐で結ぶ習慣が生れたという。

水引の語源は、紙縒りがもとの紙に戻らないように糊水を引いて乾かし固めたからとする説、
紙縒りを着色水に浸して引きながら染めたという説がある。
植物など

お風呂の効用

2011年11月08日
今日は24節気の1つ「立冬」。冬の気配が現われてくる頃。
中国では、立冬、立春、立夏、立秋を「四立」と呼び、とくに立冬は非常に大切な節気で、
古くは皇帝が祭壇を設けて祭祀を行い、庶民も伝統的な節気を重んじるようになった。
南方では、鶏肉やアヒル、魚を食べ、北方、とくに北京や天津では餃子を包む。寒くなると、
露出して凍傷になりやすい耳を守るため、耳の形に似た餃子を食べるのが習慣になったとか。

立冬の養生法は、夜寝る前の足湯(足浴)。手足には冷えやストレスに関するツボがたくさん
あるだけでなく、血管がたくさん通っている。「足浴」の部分浴だけでも体全体が温まるため、
睡眠を促し、風邪の予防にもなるといわれる。
「足浴」は、専用のフットバス、もしくは深めのバケツに40~42度の熱めのお湯をはり、
両足を20分ほどお湯につける。できればふくらはぎのあたりまで。

肩凝りがひどいときに「手浴」がおススメ。大きめの洗面器40~42度の熱めのお湯をはり、
両手を20分ほどお湯につけるだけ。できれば肘のあたりまでつければ効果的。

日本は大のお風呂好き。「食育」だけでなく、最近は「浴育」という言葉も聞くようになった。
「風呂文化研究会」のWEB絵本サイト「おふろにはいろう!」などというのもあるほどだ。
このところ、ラジオでこうした「浴育」風のCMを耳にする。たしか東京ガスのCMだ。
「これだけは忘れないでくれ」という部屋での父親の言葉は「伝わりません」。それが、
お風呂場だと「~パパ~!」。「お風呂だったら伝わるね」そしていつまでも忘れないという。

お風呂で思い出すのは、中国語学習を始めた頃のラジオ講座「郷に入れば郷に従え」篇。
日本人の家に招かれてお風呂に入った中国人張さんの驚きや失敗談が載っていた。
湯船の中で身体を洗い、そのお湯を全部流してしまったこと。
初めての銭湯では何もかもが驚きだったことなどが書かれていた。(裸のつきあい

在日外国人の目には「湯船に浸かって疲れを取る」という日本の文化は素晴らしいと映る
ようだが、来日間もない外国人には、日本のお風呂は驚くことばかりだとか。
同じお湯に一緒に入るのも、暑い夏にシャワーでなく、湯船につかるのも不思議なのだ。

    銭湯
            下町資料館    銭湯の番台        台東区
      
ところで、私のような低体温の人が体温を挙げる簡単な方法は入浴だ。「週に2度だけ、
42~43度の熱めのお風呂に10分間入ると免疫力がアップする」と聞いて以来、
実行しているのだが、43度でも熱いと感じないのは、よほど全身が冷えているからだろうか。

因みに、湯温41度のお風呂は、副交感神経が優位になってリラックスできる。血行促進され、
免疫力もアップするが、湯温が42度以上になると、交感神経が刺激されて体が緊張する。
血圧も上がり、心臓への負担も大きくなるので、心臓の弱い人や冷え性の人は半身浴や
足湯がいいとも聞く。42~43度の半身浴? 私のように心臓もよくないと迷ってしまう。
どうやら、入浴だけで、体温アップ、免疫力アップは難しいようだ。
つれづれ

5本指 3本指・・・ 

2011年11月07日
大震災以来、節電でエレベーターやエスカレーターが止まるなど、歩く機会が多くなった。
「歩く」こと、そのための「靴」を見直す人も増えているという。

5本指の靴がある。アメリカで大ヒットした「ファイブフィンガーズ」。
裸足に近い感覚で歩くことができ、5本指で地面を「つかめる」、足、膝、足裏など、
普段使わない筋肉を使うので、シェイプアップにもなるそうだ。

普段はなかなか使う機会がない足の指は、1本1本が全部別々の脳につながっている。
足の指を丁寧にもみほぐしたり、身体中のツボが集中する足の裏を押したり叩くだけでも
脳からのホルモン分泌が盛んになり、血行が改善され、リラックス効果も大きいといわれる。

昨年春、日本でも販売されたと聞いたことがあったが、どんなものかピンとこなかった。
「5本指の靴」を実際に東日本橋の問屋街(中央区)で見たときには「なるほど!」と思った。

    5本指靴 2011.9
                   
足の指を1本ずつ包むことで、保温力がアップ。足指が動くことで血行も良くなり、
肩こりや冷え性の改善にもつながるというのは魅力だ。
さらに、蒸れにくくニオイも軽減するという、かなりの優れモノらしい。
「5本指の靴」を履いて電車に乗るには勇気がいるし、足にフィットする靴を見つけるのは
大変だろう。(¥13000~)

5本指の靴下は普通に売られている。現在、私のソックスの半分は5本指のもので、
ほかに、3本指の靴下が2足ある。
顎関節症がなかなか軽減せずにいたので、いろいろと検索しているうち、辿り着いたのは
なぜか「顎関節症と外反母趾」の関係。

外反母趾、指上げ足(浮指)、扁平足などは、足裏の異常(退化)から来るという。
これからの時代に求められる靴下の役割とは、これまでのように足を保護することに加え、
「履くだけで足裏のバランスを整え、正しい歩行を促す
」機能が必要なのだという。

なぜ3本指?親指と小指を別々に分けたり広げると、残りの3本が前に出て指の間が開き、
踏んばれるようになる。本来、動物の足はこのようにできている
のだとか。犬や猫の親指が
他の指よりもやや後側にあり、小指と離れているのはこのためで、ライオンやヒョウは
60~80km/時で走ることができる。「3本指靴下」はこの動物の原理の応用
だという。

「外反母趾」用の3本指テーピング靴下を購入したのは半年前。2足を代わる代わるに
履いていたら、あっという間に足裏に穴があいた。相当、偏った歩き方をしていたようだ。
だが、外反母趾は、とくに右側がひどかったのだが、だいぶよくなったように思う。
顎の方は、口腔外科で「智歯」(親知らず)を抜いて口腔内の調整したからか、
3本指靴下のおかげかわからないが、食事する際、さほど支障はなくなったので助かる。

2本指の履き物は下駄や草履。最近はワンピースにもGパンにも似合いそうな下駄もある。
谷中(台東区)の履物屋さんには、お洒落な下駄が並んでいた。

       谷中 2011.9 

因みに、下駄と草履の違いは? ゴム底の下駄もあるが、カラコロという音が心地よい
下駄は普段履きで、あらたまった場所には不向き。
草履は足袋を履く。踵を引きずって音を立てるのはタブー。

「ビジカジ」という、ビジネスシューズ形のスニーカー、「走れるビジネスシューズ」と
いったイメージの靴底がゴムのビジネスシューズが震災前の2倍の売行きだとか。
社員がこの靴を履いてフルマラソンを完走したことなどもあって、人気が出たようだ。

ビーチサンダル、ゴム草履にもいろいろな素材がある。海辺やプールサイドだけでなく、
普段履きとして手軽な履き物になり、100円ショップやコンビニでも売られている。
ごんさんが愛用しているゴム草履はイグサに布の鼻緒で見た目にも悪くないのだが、
この草履で自転車に乗るのはやめてほしいのだが・・・。もっとも夏の間だけなのだが。
つれづれ

「工場見学」ブーム

2011年11月06日
「社会科見学」「工場見学」がブームだということは知っていたが、今年1月に出た
『工場見学 首都圏』(昭文社)が、発売後1ヶ月半で20万部を突破したと聞いた。

今までは、子ども向けやマニアックなものしかなく、ネットで個々に調べるのも面倒。
というわけで、このガイドブックには、具体的な情報、例えば、予約の有無、お土産などまで、
地図入りで紹介されているとか。
初版に掲載された工場は120ヶ所。今回出た改訂版では185ヶ所に増えたそうだ。

こうした見学は、学校で行くものというイメージだったが、最近は大人も子どもも楽しめる
ちょっとした旅でもある。工場見学なら日帰りで行けるし、料金も無料の場合がほとんど。
「安近短」の旅の背景にあるのは「景気の低迷」だとか。
その上、お土産までもらえるところが多く、企業にとってはPR効果絶大だ。

だいぶ前になるが、東急沿線マガジン『サルース』の「大人とこどもの社会科見学」に、
横浜「崎陽軒」シウマイ工場、「キリン横浜ビアビレッジ」、「日清オイリオ」横浜事業場が
取上げられていた。

創業100年を超えた老舗「崎陽軒」の横浜工場では、シウマイの製造工程が見学でき、
過去の制服のレプリカや、醤油入れ「ひょうちゃん」、これまでのパッケージなどの展示も
あるという。見学の最後には、シウマイの試食があるという。
1950年、横浜駅ホームで初めて「シウマイ娘」がお目見えし、一躍人気者になったという。
彼女たちの審査基準は厳しく、身長158cm以上だったとか。
聞いたところでは、この工場見学は大人気で、なかなか予約が取れないらしい。

  シウマイ
   軍配持つ/犬の散歩する「ひょうちゃん」        駅構内の売店 

神奈川県の主要駅には崎陽軒の売店があるし、地下鉄や私鉄駅の売店でも、いわゆる
駅弁としてだけではなく、手土産やお弁当として販売されている。
横浜方面に出ると、旅気分で売店に寄ってシウマイを買って帰ることも多い。キッチンの抽斗に
醤油入れが2つ入っていた。現在、48種類もの「ひょうちゃん」の醤油入れがあるのだとか。
漫画家の横山隆一氏がシウマイの醤油入れに目鼻を付けたのが始まりだとか。

キリン横浜ビアビレッジには、工場見学ではなく、生麦(横浜市)でのスケッチ後、立寄った。
赤レンガ造りのレストランへ入り、遅いランチはビールとソーセージの盛り合わせ。 
美味しかったこと! おしゃべりに花が咲いた。
苦い思い出もある。あの日は暑く、行距離が長かったせいか、歩くのが苦手なKさんは
懲りたのか、その後、足を痛めたこともあって、スケッチ会にはあまり参加されなくなった。

恵比寿(渋谷区)にあるビールの記念館は見学したことがある。(えびす講と恵比寿の街
恵比寿ガーデンプレイス(1994年10月)が出来てまもなく、故F先生のデッサン教室で行った。
菊の寄せ植えを前に写した懐かしいSさんとKさんといっしょの1枚しか残っていない。

F先生が亡くなられた年、それまで所属していた絵の会を退会した。
その直後、絵の仲間数人で月1回、スケッチをするようになった。もう、7年が経つ。
キリンビールのビアビレッジを訪れた2年後、再び、恵比寿ガーデンプレイスを訪れた。
このときの参加者は7人。久しぶりにKさんも参加された。
ビアステーションで撮った写真も1枚だけ。黒ビールのジョッキを手に「乾杯!」 
この直後、地震が起きた。3.11の大地震と比べれば大したことはないのだが、
あのときは「地震だ!」と騒いだことも思い出される。

   ビアステーション
              恵比寿 ビアステーションで           2006.8
  
京浜工業地帯など工場エリアの夜景を船上から見学する夜景クルーズも人気だという。
夜景評論家が同行し、3時間程度で巡るバスツアーもある。(大人¥3200 子供¥2500)
はとバスの夜景コースの中にも、「川崎工場の夜景」を愉しむツアーがある。
毎土曜日、東京駅を夕方発ち、コリアタウンで焼き肉の夕食、夜景スポットを見学後、
お台場などのドライブといったルート。予約待ちだという。(大人¥5980 子供¥4380)

かつて区内の神社を回り子連れ狛犬のクロッキーをしてまわったことがあった。
一昨年、夢中になった都内の「巨樹巡り」、「風景印」集めに郵便局を巡るのも
「安近短」の日帰り旅だと思っている。
旅・散策・イベント

機能性肌着「ヒートテック」

2011年11月05日
今日は「津波防災の日」。東日本大震災を受けて、6月に成立したばかり。
法案の提出時には、震災の起こった「3月11日」とする案だったが、あまりにも死者、
行方不明者が多く、また被害を受けた人たちの心情をおもんぱかり、「稲むらの火」の故事
(安政南海地震 1854年)にちなみ、同地震と津波の発生日の11月5日となったという。


立冬も近いが、寒くなった。日本には「四季」がなくなったのか、「二季」になったと
言う人もいるほどだ。たしかに、春らしい春、秋らしい秋の日数が少なくなった。
夏が終わったと思ったら、もう冬仕度をしなけらばならない。

「高級ブランド街」のニューヨーク5番街に、大手衣料品チェーン「ユニクロ」が、
世界最大の売場面積を持つ店舗をオープンし、人気のヒートテックからダウンジャケットまで、
日本と同じ価格帯で販売されるとあって、多くのニューヨーカーが駆けつけたという。

          ユニクロ
               クイーンズスクエア店   横浜市

「ヒートテック」ということばをよく耳にするが、これはユニクロの機能性肌着のことで、
ほかにも各メーカーから機能性肌着が発売されていることを「おやこ新聞」で知った。

毎日曜日に連載される産経新聞の「おやこ新聞」では、今話題のニュースや社会問題を
テーマに取上げて、小学生向けにわかりやすく解説してくれる。登場するキャラクターは
好奇心旺盛な小学4年生「ももちゃん」、新聞が大好き博識70歳の「おじいちゃん」、
愛猫の「ウメ」。彼らの会話も楽しく、グラフや写真入りの記事はわかりやすい。
小学2年生のりんりんには少し早いようにも思うが、渡している。反応は今1つ。

         おやこ新聞

「新幹線より速い、超高速鉄道!リニアモーターカーとは?」「原子力発電所の事故で話題に
のぼる放射線って、どんな性質を持つの?」「今年のプロ野球は投手の天国?飛ばないボール、
統一球とは?」「ご当地グルメで町おこし!B-1グランプリってどんなイベント?」
「警察犬や盲導犬のほかに、犬はどんな仕事をしてるの?」など、テーマは多岐にわたる。

10月はじめのテーマは、「着るだけでホカホカする機能性肌着って、どんな肌着?」だった。
機能性肌着は企業が開発したハイテクの繊維がカギだと、おじいちゃん。
例えば、ユニクロの「ヒートテック」は、レーヨン、アクリル、ポリウレタン、ポリエステルと
4種類の繊維を編み込んでいる。イオンの「ヒートファクト」は、特別なアクリル繊維を使って、
肌触りをよくしているのだ
とか。

ももちゃんが「いつ頃できたのかしら?」と訊くと、おじいちゃんが答える。平成6年発売の
ミズノの「ブレスサーモ」がスキーウェアの中綿に使われのが最初で、肌着としては9年とか。
雨を受けた羊から湯気が上がる姿がヒントになったというから面白い。

おじいちゃんによると、ユニクロの「ヒートテック」が持つ主な機能は、発熱、保温、
吸汗速乾、抗菌、ストレッチ、静電気防止、形状保持で、さらに、今年の「ヒートテック」には、
男性用に消臭機能が追加され、女性用に保湿機能が改良された
のだそうだ。
冬毛+機能性肌着でコタツネコも卒業かニャ~」というネコのウメのことばに、
わが庭の猫たちが「ヒートテック」を着た姿を想像して笑ってしまった。
 
子ども用のマスクにアンパンマンやキティちゃんの絵がついているのは知っているが、
おしゃれな色柄の「ガーゼマスク」を見つけた。天然抗菌キトサンガーゼを使用した立体裁断。
洗濯も可能だという。(¥420)

マスク

マスクやマフラー1枚は上着1枚と同じ暖かさという。冬の外出にこの2点は欠かせない。
これからはヒートテックの肌着に薄いセーター、薄い上着。そして、マフラーとマスク。
だが、いくら何でも柄入りマスクは恥かしい。100枚600円の使い捨てマスクがいい。
つれづれ

今日もバスは走る

2011年11月04日
湖南省の省都長沙に住むSさんから「長沙たより」が送られてきた。  (長沙から秋のたより)彼女によると、長沙に地下鉄はなく、地下鉄建設(13年、14年に2本開通予定)のため、
交通渋滞がひどく、交通手段はバスかタクシーになるそうだ。
私はバスに乗るのが大好きです。ただじっと座っていると知らないところに連れて行って
くれるという夢があります。また、バスの中で心温まる光景を目にします。
                       ・・・
でも、こんなやさしいバスにも乗るコツがあります。1元札2枚をちゃんと用意しておくこと。
ついたばかりの時、バスに乗ったら2元が無く、5元札を出しておつりをと言ったら、
何か言われ、3回目に大声で「次に乗る人から直接貰え!」と怒鳴られてしまいました。
財布の中には2元まとめて3回分は用意しています。


忘れられないバスの思い出がある。江蘇省常州に1週間の短期留学中のことだ。
大学の前には何系統ものバスが来る。目的地に確実に行くためには注意が必要だった。
京杭運河をスケッチしに1人で乗ったこともあったが、このときは、まったく問題なかった。
休みの日、クラスメイトのSさんと2人で、地図を持って出かけたまではよかったが、
辺りが暗くなって、帰りのバスが分からなくなった。1時間ほど迷子になっていただろうか。
何とか大学の宿舎に辿り着いたときは夜遅くなっていた。

   常州市内
                      バスを待つSさん  常州市内

上海でも北京でもバスに乗った。北京のバスは混んでいたし、乗る際に割り込む人も多く、
マナーは悪かった。東京の満員電車に馴れているとはいえ、無事に降りられたときには
クタクタだった。もっとも10年前のことだ。
   
     上海市内
         上海市内   バスを待つ
           
10年前の「桂林の旅」の途中、当時日本在住の趙さんの上海市内のお宅にお邪魔した。
趙さんのママと姐姐(姉)の片言の日本語と私の片言の中国語で楽しいひと時を過ごした。
お暇するとき、バス停まで送って下さったママ。バスが来た。上海語でわからなかったが、
どこそこに下ろして!と運転手に頼んで下さり、助かったことを思い出す。
いつまでも手を振るママの姿が忘れられない。

長沙のSさんのマンション近くのバス停には9種類のバスが止まる。目下、彼女のの宝物は
「5元のバス路線図」だという。夢は9種類全制覇して終点まで乗っていくことだとか。
「夢とやさしさ」を乗せて今日も長沙のバスは走ります。
中国・中国の旅

懐かしい薬

2011年11月03日
今日は「文化の日」。1948年(昭和23)に公布・制定の祝日法で「自由と平和を愛し、
文化をすすめる」国民の祝日に定められた。

富山の売薬や赤チン、メンタムなど『なつかしのお薬博覧会』が浅草で開かれていると、
ラジオで聞いた町田忍氏の話。町田氏は写真家、昭和B級文化研究家。
以前、テレビで銭湯について語っていたのを覚えているが、庶民文化を研究しており、
それに関するコレクションや写真などの蒐集でも知られる、自称「庶民文化探求家」。

「雷門を背にしてすぐ」「秘密基地だからわかりにくいですよ」と、町田氏。
上野に出た折、「めぐりん」(台東区コミュニティバス)で浅草まで行くことにした。
雷門から参道を歩いてみたが、どうもありそうにない。事前に調べてくればよかったと
後悔しきり。諦めて地下鉄の駅に向かったとき、案内所が目に入った。
「薬の博覧会」と訊ねてもわからず、「秘密基地・・・とか」と言ってみると、
「ああ、秘密基地ね」とすぐにわかってもらった。「秘密基地」がギャラリーの名前とは!

雷門を右に見て通りを少し行くと、2階のベランダから女性(マネキン)が覗いている」から
すぐにわかるということだった。
「浅草庶民文化資料館 参拾坪の秘密基地」。この風変わりな博物館(2011.4オープン)、
展示品の大半は名誉館長の三遊亭あまほろ氏のコレクションだとか。

 「30坪の秘密基地」
        「なつかしのお薬博覧会」開催中!        女性マネキンが目印

        長屋
             「長屋」のジオラマ模型  桶細工師三浦宏氏 作

現在、あまほろ・町田忍コレクション「なつかしのお薬博覧会」(~11.27)  入場無料
なつかしの薬パッケージ、薬ホーロー看板、置薬箱、薬絵葉書、おみやげにした版画など、
薬に関するあらゆるグッズが集められている。

      富山薬
          「柳行李」 懸場帳 そろばんなど           ほうろう看板

富山藩二代目藩主が、江戸城で急病になった大名を薬で救い、各大名から薬の販売を
頼まれたことが「富山売薬」の始まりとされている。
300年にわたり、日本中で親しまれてきた富山の売薬の歴史は「先用後利」。
お得意さんに先に薬を配置し、後に使用した分だけ代金を頂いた、一種のクレジット商法。
年2回訪問し、必要に応じて置き薬の中身を変えたり、健康上のアドバイスをしたり、
また、日本中を旅する語り部でもあり、その顧客リストは、最大の財産であったという。

  伝統薬其の二
   「伝統薬コレクション」 棒状蚊取線香 ポンプ式殺虫剤 ハエ取りリボンなど

いろいろ
    「薬瓶の世界」   キンカン 赤チンなど            仁丹 メンソレータムなど
             サトちゃん サトコちゃん ケロちゃん コロちゃん

       正露丸
                    こんなにたくさんの「正露丸」

胃腸薬「正露丸(せいろがん)」の旧称は「征露丸」。日露戦争開戦前という時代背景から、
ロシア(露国)を征伐すること、将兵の士気高揚の意味を併せて命名されたとか。
『正露丸』は大幸薬品(大阪府)の商標登録で、類似品が多く訴訟に発展したこともあるが、
今や、「正露丸」は一般名詞として認識されているが、つい最近、「正露丸」の製品の
表示名や包装箱のデザインが似ているとして、大幸薬品が富山市の「キョクトウ」を訴えた。

わが家に配置薬があった記憶がないが、紙風船は懐かしく、「ケロリン」の紙風船を
1つ頂いてきた。それにしても、金鳥の蚊取線香に棒状のものがあったとは!
蚊取線香もキンカンも、蚊の多い夏には欠かせないもの。ハエ取りリボンも懐かしい。
ウサギや鶉などを飼っていた頃、ごんさん手づくりの小屋の上方にぶら下げていた。
今年、猫が食べ残した餌にハエが集まるので、スーパーでこのリボンを探したがなかった。
「明治は遠くなりにけり」。昭和も遠くなったことを「秘密基地」で実感した。
旅・散策・イベント

山小屋風の「昭和の家」

2011年11月02日
先月から『南極大陸』(TBS開局60周年記念ドラマ)が始まり、高視聴率を記録しているという。
りんりんは小学生向きの『タロ~! ジロ~! 南極物語』(学研)を夢中になって読んでいて、
ドラマも熱心に観ている。ドラマの原案は、『南極越冬隊タロジロの真実』(北村泰一 著)という。
星野副隊長(香川照之)は西堀榮三郎がモデルとか。

西堀榮三郎(1903-1989)は、京都大学理学部卒業後、京大講師、助教授を経て民間企業
(東芝)に移り、真空管を発明した天才技術者といわれる。また、登山家(日本山岳協会会長)で
『雪山賛歌』の作詞者としても有名。19歳のとき、来日したアインシュタインの通訳を務めた。
著書は『南極越冬記』『石橋を叩けば渡れない』など多数。

図書館からの帰りにたまに通る路にヒマラヤ杉や銀杏などに囲まれた山小屋風の家がある。
そこが第1次南極観測隊では副隊長、第1次越冬隊では隊長を務めた西堀榮三郎氏の
ご自宅だということは子どもの頃から知っていた。

西堀氏のご親戚の姉妹とはご縁がある。私の妹が小学校で妹のTさんとクラスメイト。
私は子育て中に生協活動を通じて、やはり子育て中の姉Kさんと頻繁に行き来した。
生協をやめてからもしばらくお付合いがあったが、そういえば、ここ数年お会いしていない。

 切り通しイイギリ5.jpg
           切り通し                     イイギリ

西堀邸のある切り通しは、白いエゴの花が舞い散る初夏やイイギリの赤い実のなる今頃は、
自転車から下りて上を見上げながらゆっくりと通ることが多い。大好きな路の1つだ。

 西堀邸案内

久しぶりにこの道を通ると、「第一次南極越冬隊長 西堀榮三郎邸 人生にロマンを求める会」の
文字が目に入り、この家が公開されていることを知った。(大田区 東急線鵜の木駅下車 月火休
掲示板に「お一人で静かに読書や瞑想に耽ったりロマンを求めるのも 良いですよ」とあった。
さらに、「イギリスのB&Bのように泊れる部屋やバーべキュウ設備」もあるそうだ。

   西堀邸
      幹周3mはあるヒマラヤ杉と西堀邸

階段の上には「白瀬 日本南極探検隊100周年」の旗が翻っていた。
白瀬日本南極探検隊の隊長 白瀬矗(のぶ)と隊員26名が、わずか204tの南極探検船
「開南丸」に乗り、東京芝浦を出航したのは、明治43年11月のことだという。

「昭和のくらし博物館」をりんりんと訪れたのは昨年の春。   (昭和のくらし博物館」へ
今度は、りんりんと昭和12年に建てられた西堀邸に来ようと思いながら歩き出したとき、
中学生らしき女の子がバッグを下げて西堀邸の階段を上がって行く。掲示板にあったあれだ!
「算数や数学の苦手な小学生・中学生諸君 一緒に勉強しませんか」(人生にロマンを求める会)
「毎日10分か15分だけでも算数や数学を勉強することで論理的に考える力が付き、
全ての教科の成績が上がり、日々の勉強が楽しくなると信じています」
(無料)

夏休み、りんりんの勉強に付き合ったことがあるが、とくに算数の問題を解くのが面倒らしい。
数題を暗算で解き、答えを書き入れた。「式は?」に、後から乱雑な字で嫌々書いていたことを
思い出した。彼の家が西堀邸に近かったらいいなとも思ったが、仮に家が隣でも、
本人のやる気がなければどうにもならない。

一番大事なのは、まずやってみる勇気なのだ! 失敗したら、またやり直せばいい」
「勇気は自信に先行する」
。これは西堀榮三郎氏のことば。
勇気というより度胸だけはあるりんりんと、とにかく一度行ってみようと思っている。
旅・散策・イベント

4歳になったケシとクク

2011年11月01日
誕生日おめでとう!! 今日、ケシククは4歳の誕生日を迎えた。
彼らが生れた半年後、トラアミが生れ、彼らは兄、姉となった。だが、彼らが1歳の誕生日を
迎えるひと月前、母猫チビは4匹の子どもを残して姿を消した。   (ケシとククの誕生日
未だに甘ったれのトラにやさしいケシ。お向かいのさいとうさんのところで、親戚の子猫たちの
教育係を務めている?クク

10月になって、ごんさんが買ってきた猫用ベッド?をセットした。
淡いグリーンだといいのだが、在庫一掃の安売りのため、ピンクしかなかったのだとか。
色など無頓着な猫たちには大人気。入れ代わり立ち代わり思い思いの形で。
ククが入ることはめったになく、まして、ほかの猫たちと入ったことは見たことがない。

  ケシとトラ クク
          4歳の誕生日おめでとう!!           クク

兄ケシと妹トラ
            ケシとトラ
  ケシとトラ


兄ケシと妹アミ 
  ケシとトラ


妹たち アミとトラ
  アミとトラ

このベッドにはケシとトラとアミ、3匹が入ることもある。
すでに2匹に占領されたところへ来た1匹が「なあんだ、いっぱいだ」と諦めることもある。
動物など
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