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変わる東京の街 Ⅱ

2012年01月31日
今年5月、東京スカイツリーが開業する。           (変わる東京の街 Ⅰ
4月には、ウォーターフロントのお台場に大型複合施設「ダイバーシティ東京」が開業。
ペリー来航後、砲台が建造された台場は、最新のレジャーランドと進化しつつあるそうだ。

4月26日、渋谷駅周辺開発事業の1つ、渋谷駅東口に複合施設「渋谷ヒカリエ」が開業。
若者の街「渋谷」が大人も楽しめるエンターテイメントシティーに変貌。(変わり続ける渋谷
今年度中に地下駅となる東急東横線の真上に建つヒカリエ(地上34階、地下3階)の
ミュージカル中心の劇場「シアターオーブ」(11~16階)は、壁から椅子まで青一色だとか。

        ヒカリエ

こけら落とし公演は、ブロードウェイミュージカル『ウェストサイドストーリー』(7/18~8/5)
Tさんに先行予約をしていただいた。7月が待ち遠しい。 (『ウェストサイド物語』が渋谷に!

6月、赤レンガのJR東京駅丸の内駅舎では、戦災前の屋根や内装の復元工事が完成する。
これは、1914年(大正3年)に創建された東京駅丸の内駅舎を可能な限り保存しつつ、
戦災により焼失した部分を復元し、創建当初の3階建ての建物に近づける工事という。
南と北にあるドーム球状の屋根材には、宮城県石巻の3.11の津波で流されずに残った
天然スレートが使われているという。
10月には駅舎内に東京ステーションホテルが開業する。 
        東京駅

2009年の夏、すでに「東京駅丸の内駅舎保存・復原工事」が行われていた。 
駅前の中央郵便局の建物正面の時計の針はなく、郵便局建て替えのため、八重洲北口に
移転した旨の案内板が掛けられ、すでに営業していなかった。(ただ今、工事中

 中央郵便局
 
東京駅を中心とする大手町、丸の内、有楽町地区「大丸有エリア」では、この10年、
次々に新しい高層ビルが誕生してきた。
さらに、26年春には、高層ビルの隣に「大手町の森」が誕生する予定だという。

8月、「アークヒルズ」「六本木ヒルズ」(港区)を開発してきた森ビルが、その中間に位置する
地域で、再開発と自然環境の再生「虎の門・六本木地区プロジェクト」を完成させる。
約2万㎡の敷地内には、オフィスと住宅の複合棟と住宅棟のほか、植物で埋め尽くされる
森ができ、都心の新たな散策路となりそうだ。

JR東日本が山手線の駅間で最も長い(2.2km)品川―田町駅間(港区)で、約40年ぶりに
新駅を建設することがわかった。
山手線の新駅は、西日暮里駅(荒川区)以来で、30駅目となる。

新駅建設とともに、再開発が計画されているのは、車両基地「田町車両センター」の跡地。
上野駅が終着駅となっている宇都宮、常磐、高崎の3路線を東京駅まで延伸し、東海道線と
直通運転する東北縦貫線を13年度中に完成させる予定があり、その後は東海道線などの
車両基地が大幅に縮小される。この空きスペースに、大規模なオフィス街や商業施設の建つ。
完成予定は2020年だとか。
 駅名ファイル
           山手線駅名 京浜東北線駅名 ファイル(鉄道博物館)

新駅には並走する京浜東北線も停車する計画だという。
現在、山手線と京浜東北線が並走する田端~田町駅は、京浜東北線の全列車は日中
快速運転となる。停車駅は、田町、浜松町、東京、秋葉原、上野、田端のみ。
私が比較的よく利用する新橋や有楽町駅は通過するため、田町か浜松町で反対のホームに
来る山手線に乗換えることになるのだが、これがなかなか、タイミングが合わない。
田町駅でドアが開く直前に山手線のドアが閉まり、発車してしまうことも度々だ。
特に急いでいないのに、次の山手線が来るまでがやたら長く感じられる。
帰りは、夕方になっていることが多く、全駅に停まるため、得した気分になるから不思議だ。
旅・散策・イベント

変わる東京の街 Ⅰ

2012年01月30日
今年5月、「東京スカイツリー」と「スカイツリータウン」(墨田区)がグランドオープンする。
世界でもっとも高い自立式電波塔としてギネスに登録されたスカイツリーは、
寺社の屋根などに見られる「反り」など、日本古来の建築様式を意識したデザイン。

テレビで知ったが、第1展望台(2000人収容)は地上350m、ビルの16~18階くらい、
第2展望台(900人収容)は地上450m、29階にあたるそうだ。 
面白いのは、29階にあたる第2展望台の方が、31階建のイーストタワーより高いこと。
業務用エレベーターは日本最速、一般の4台は第1展望台まで50秒だという。
災害時のことを考えて各階に停まることができるそうだ。
因みに、634mの高さの塔だが、2mはアンテナ部分で、作業の人間は632mまで。 
   1月
     2010.1 245m         2011.1 549m         2012.1 634m

2年前の1月、245mのときから、上野に行く度に、科博の地球館屋上に寄って、
スカイツリーが伸びていく様子を見るのが楽しみになった。(マイ スカイツリー スポット
ほかに、トーハク、シビックセンター25階(文京区)、東京都庁45階の展望室(新宿区)、
隅田川にかかる相生橋、中央大橋などからも、その姿を楽しんだものだ。

大地震の5日前、絵のお仲間と浅草から隅田公園、向島百花園と、墨田川沿いを歩いた。
当時、609mだったスカイツリーを業平駅ホームから見上げたが、あまりの高さに
クラクラしてその場にしゃがみ込んだことを思い出した。   (隅田川沿いを歩く

 震災前
     隅田公園            言問橋             業平橋駅        
      
2008年7月の着工から約3年、3.11の大地震の1週間後、634mに到達した。

    1317no03.jpg
         8月 浅草寺         9月 両国橋       9月 東日本橋

     震災後
         10月 浅草       11月 蔵前橋        11月 厩橋 
                   
区内の賃貸住宅に住む20~30代の人たちに行った、東京タワーとスカイツリーを
比較したアンケートの結果をラジオで紹介していた。
どちらが好きかという質問に、スカイツリーは17%、タワーは48%で特に女性に多い。
だが、世界に誇れるのはスカイツリーと答えた人は58%、東京タワーは21%だったとか。

また、部屋から夜景が見えるとすれば、家賃にどれくらいプラスする価値があるかを訊くと、
東京タワーが約9千円、東京スカイツリーが7千円と、およそ2千円の差があったそうだ。
開業後は淡い水色や紫の光で全体を照らす予定というが、昨年のクリスマスと大晦日、
白一色にライトアップされたスカイツリー(125m~)を見た後のアンケートだったら、
夜景のお値段は、東京タワーとさほど違わなかったかもしれない。
旅・散策・イベント

音楽の効果 

2012年01月29日
「モーツァルトは癒される」「モーツァルト効果」といったことばをしばしば耳にするが、
音楽から得る安らぎや癒しの力は大きいことが知られている。(高周波音でリラックス
ストレスや疲れを感じたとき、心地よい音楽を聴いて、心が癒されることが多い。
わが家でもっとも多いクラッシックのCDはモーツァルトだった。今は、数枚を残して、
ほとんどりんりんの部屋にある。

脳には「セロトニン神経」と言われる、心と体を元気にする神経が備わっている。
有田秀穂医師によれば、この神経は「太陽の光」と「意識的なリズム運動」で活性化される
性質があるが、現代生活では、コンビニやファミレスなどの24時間営業などで昼夜逆転の
生活ができるようになり、さらに、パソコンが急速に一般化してきて、便利で快適な
生活様式が実は知らず知らずのうちに「セロトニン神経」を弱らせてしまっているという。
1319no01.jpg
 セロトニン神経の活性化には、「太陽の光」を浴びること、 
 「人とのふれ合い」と「リズム運動」が肝要。
 活性化を促す生活習慣は、座禅、ウォーキング、ジョギング、
 水泳、読経、カラオケなど、いろいろあるが、いずれも、
 ひたすら集中して行うことがポイントで、おしゃべりしながら、
 テレビを見ながらというのではダメだそうだ。
 ウォーキングも、ひたすら歩くことが大切だとか。
 噛むことも大切で、ガムを噛むこともリズム運動だという。
 
カラオケで歌うのもいいが、セロトニンのためには、ひたすら歌いまくるのだとか。
それでは、周りは迷惑だろうな。 だからといって、「ひとりカラオケ」というのも寂しい。
私は、カラオケどころか歌うのも苦手だ。肺活量が極端に少ないので、苦しくなってしまう。
たまに好きな歌やメロディが浮かんでくることはあるが、口ずさんだりすることはない。

昨年、テレビ(NHK「首都圏ネットワーク」)で、カラオケが健康に役立つことを紹介していた。
越谷(埼玉県)には、カラオケルームが設置されている診療所があるという。
歌って舌の筋肉が鍛えられ、肥満防止にもなる。睡眠時無呼吸症候群と診断された男性が、
食事制限と毎日のカラオケで、体重が10kg減り、症状が改善できたという例もあるそうだ。
上田(長野県)では自治体の健康づくり事業にカラオケを取り入れているという。
お腹で声を出す腹式呼吸で血流がよくなり、心肺機能を高める効果があるとか。

杉並区には、シニア向けの健康をテーマにしたカラオケ店が登場したそうだ。
カラオケ教室は和室。最新の計測機器で体脂肪や筋肉量を自由に測ることができる。
また、食事メニューは精進料理のみ。徹底していること!

カラオケでの健康づくりの注意点は、自分にあった音程を歌うことだという。
音程が高すぎると血圧に悪いが、テンポの遅い曲を歌って腹式呼吸、歌詞を暗記することで
脳が活性化される。また、声を出すことでストレス発散が出来るというメリットがある。

銀座(中央区)のソニービルでは、脳科学者の茂木健一郎氏監修によるプロジェクトの
一環として、「いい音診療所」が開かれている。(~3月末 第2,4土曜 無料)
この診療所では、患者ならぬ体験者は、予め25の質問事項があるカウンセリングシートに
自身の症状を記入する。そのシートをもとに、フィジカル、メンタルの両面から診断が行われ、
ストレス解消科、リフレッシュ科、安眠科、ドキドキ科、リラックス科の5つに分かれる。

選ばれた音楽は、その場でソニーの高性能スピーカーシステムと「ウォークマン」で
体験できるほか、全員にその「処方音」がプレゼントされるという。
白衣の医者とナースはエンジニアだとか。ラジオで聞いていて、笑ってしまった。

        CD
         「リラクゼーション」「瞑想」「快適睡眠」「自律神経に優しい音楽」・・・

そういえば私も、リラクゼーションとか癒し系の音楽を熱心に聞いていた時期があった。
ソニービルの「いい音診療所」で処方されるのもこういった音楽だろうか。
懐かしいジャケットをみたら、メロディを思い出した。
久しぶりに、今晩はこの中のどれか1枚を聞きながら床に就くことにしよう。
つれづれ

丸窓のある家

2012年01月28日
昨年は、4歳になったククにとっては忙しい年だった。さいとうさんのガレージで育つ子猫たちの
教育係を務めていたため、わが庭にはめったに姿をみせなかった。
さいとうさんのところには、どうしても捕獲できないラスカルミケが次々に生んだ子猫たちが
集まっているのだ。昨年8月生まれの子猫たちも大きくなった。

わが庭にやってくる猫たちの住居は、新装なった入口兼丸窓付の木製の家。
昔、子どもたちが使っていたクローゼット内の抽斗を重ねて、丸窓を開けただけだが、
中にフワフワのベッドを敷いてあるので快適のはず。
彼らは1階より2階を好む。より暖かさを求めて、ケシトラが一緒に入っていることが多い。

1月のみぞれが降った寒い日、ククがやって来た。鰹節トッピングのドライフードを食べると、
1階の部屋で眠りについた。とくに具合が悪い様子はない。
面倒を見ていた子猫たちが一人前になったのか、新任の教育係が現れたのかはわからないが。
朝になると、1階にはアミが入っていて、ククの姿はなかった。
翌日も夕方やって来て、食後は1階に入ったのだが、翌朝、中にはアミが入っていた。
   2階建
         出るアミ               クク              入るトラ
 覗く
         クク 1階             ケシとアミ 2階           アミ 2階

2階に3匹が入っているのに、1階はククだけということもある。
教育係を務めていたククに一目置いているのか、遠慮しているのか、よくわからないが。

         1338no1.jpg
                  奥にトラ ケシ アミのしっぽ

半年ぶりに戻ってきたククは、その後、夜も1階で寝るようになった。
雪の朝、カーテンを開けると、3匹は2階から出てきた。ククはおとなしく1階に入ったまま。
3匹の食事後、出てきてゆっくりと食べる。ククはやはり、教育係をリタイヤしたようだ。

       クク
               リタイヤ後の1日は長い?
         クク

4匹ともチビの子。ケシククが4歳、アミトラが3歳半。ケシだけが雄。
動物など

春節の北京から Ⅱ

2012年01月27日
春節を北京で過ごされているSさんとHさんからメールをいただいた。( 春節の北京から Ⅰ

大晦日にはHさんご夫婦とともに餃子つくりをされたSさん。
初めての春節を犬と一緒に過ごしています。車も人も極端に少なくなり、妙に静まり返った
街なのに、明るいうちから遠くで花火や爆竹の音は聞こえていました。
昨夜の夜中12時、我が家の近辺はあちこちに花火禁止の立て札が立てられていたにも
係わらず、道路の真ん中に仕掛けられた花火や爆竹が1度に炸裂!
火薬を発明した国ではありますが、なんとも圧巻です。まぁ、一見の価値はあったと
思いながら冷気のつたわる窓から眺めてました。
(1/23)

          市内 2011.2
             春節前の仮設花火店   Hさん撮 

そして、Hさんからも「春節を迎えた北京」だよりが届いた。
こちらは、ここ数日良いお天気が続いています。ただ、乾燥はひどいです。
春節を迎え、街中は人も車も本当に少なく、さっぱり、すっきり!
道幅も普段は車が多すぎて見透しがきかない為、その広さが今一つわからないのですが、
ここ数日は本来の広さが確認出来る状態です。

今回花火の打ち上げの時間は予め決められているようです。それに合わせて路上仮設の
花火店も店舗は出来上がってはいても、販売は19日までしていませんでした。
でも、打ち上げ開始可能時刻以降は、爆竹の音はまわりじゅうから聞こえだし、除夜の
12時に近づくにつれて花火の打ち上げはピークとなり、とてもきれいで十分に楽しめました。

春節飾りを市場で買ってきて、室内に飾りつけてみました。窓に張り付けているものは、
今年の新商品らしく、セロテープなどの接着剤無しで張り付きます。とても便利!
そして、やはり干支の龍の柄のものが多かったです。
(1/24)

    Hさん宅
           
わが家でも、「福」を庭に面したガラス戸に貼っていた時期がある。(春節と対聯のこと
門や鴨居に貼る、「福」の紅い紙は、上下逆さまに貼られることが多い。
これは、「福到来(福が来る)」の「到 dao」が、「倒す」と言う意味の「倒 dao」と
同じ発音をすることから、「福」の字を逆さまに貼るようになったというもの。
明の太祖朱元璋(洪武帝)と馬皇后の伝承によるとする説や西太后説など、諸説ある。
春節の期間、日本の縁日にあたる、「廟会(ミャオフイ)」が開かれ、大勢の人で賑わう。
「地壇公園」「陶然亭」「龍潭公園」「朝陽公園」「前門大街」「東岳廟」などが有名。
Sさんは同じマンションのご夫婦と廟会に行かれたという。

今日は近くの東岳廟へ「ミァオ会」見学に行ってきました。小さな道教の廟ですが、
それでもこのがらんとした街の何処からこんなに人が出てくるのかと思えるほど
にぎわってました。
昨日は、「白雲観」(北京西南)へ。こちらも道教の廟ですが、もっとすごい人出で、
あの中国独特の太いカラフルな線香がまるでキャンプファイヤーのようにボウボウ燃えて
いました。この乾燥した北京、しっかり消防車も控えていましたが、舞い上がる埃と灰で
足元が真っ白になりました。

今日は北京市のお達しで、もう花火、爆竹の類は禁止のはずなのに、この時間、やはり
バンバン聞こえて来ます。本当に花火、爆竹好きなのですネ!犬がプルプル震えだしました。
これだけ花火の音聞いたら、少しは慣れてもいいと思うのですが・・・。

24日19時半、愛犬ビーちゃんが花火を怖がるのも無理はない。

何度か訪れた中国だが、春節や国慶節を避けたため、残念ながら「春節」の体験はないが、
新年を中国で迎えたことはあった。超短期留学中の常州(江蘇省)の大学宿舎の部屋で、
テレビの朱鎔基首相の挨拶を見ながら年を越した。
1日の夕方、雪の積もった北京に着いた。翌日、朝から晩まで北京市内を歩き回ったが、
寒い冬の1日といった感じしか受けなかった。8年も前のことだ。(冬、北京に寄り道)   
中国・中国の旅

春節の北京から Ⅰ

2012年01月26日
今年の中国最大のイベント春節は1月23日だった。大晦日の「除夕」から1週間、
22日~28日の連休中、地方で働いている人でも「除夕」までに故郷に帰るため、
毎年、春節前後は「民族大移動」とも言われる帰省ラッシュが起きる。

人口の半数以上が地方出身者である北京は、春節になると町全体が閑散として、
いつもは渋滞でどうにもならない道も嘘のようにすいすいと進めるらしい。
こういった時期には、故宮などをじっくり観たり、スケッチしたりできるだろう。
いや、Hさんによると、この時期のスケッチは、手がかじかんで無理だとか・・・。
8年前の1月2日、朝から晩まで雪の残った市内を歩き回り、鐘楼やいくつかの胡同で
スケッチをしたことが自分でも信じられない。

ご夫婦で北京に赴任中のSさんからのメールには、Hさんが北京に来られたと書かれていた。
Hさんは、年数回、単身赴任のご主人のもとで、ひと月近く滞在される。

さて、こちらHさんが来燕。昨日は早速、地元市場へ春節の飾りを買いに行ってきました。
まぁ、ド派手な貼り付け物からぶら下げ物まで?? 市場をひと廻りすると、赤と金色に
すっかり目が慣れて、思っていたものより派手なものが欲しくなるから不思議です。


「来燕」とは「来北京」の意味。今から3千年以上も昔、北京市近辺には「燕国」があった。
秦の始皇帝が初めて中国統一を成し遂げるまで、「燕国」の首都は「燕京」と呼ばれていた。

春節のお休みで主人は帰国。私は犬のためと称して、春節見物で北京に残ります。
昼間は気楽に「ミャォ会」でも見に行ってみようと思ってます。
22日夕方から、Hさんご夫婦と一緒に、中国語の老師のお宅で餃子作り! 
この老師、Hさんのお友達で、どちらのご主人様も「歳男」だとか。60歳ではありません!


楽しそうな餃子づくり! 餃子づくりは共同作業だ。中国語学習に熱心だったころ、
日中学院の中国人老師家族と生徒たちで、日光の山荘に1泊したことがあった。
華厳の滝や中禅寺湖などの紅葉も楽しんだはずだが、印象に残っているのは、餃子つくりだ。
張老師のご主人や徐老師たち男性が餡をつくり、みんなでわあわあ言いながら包んだこと、
張老師や陶老師たちと大きな鍋でかなりの量の餃子を茹でたことを思い出した。

       日光で
              3組の老師家族と6人の生徒

中国では、春節の大晦日に家族全員で餃子を包み、日本人がおせちやお雑煮を
食べるように、餃子を食べて新年を祝う風習がある。南方ではワンタン。
こういった風習は、明の時代に始まり、清の時代に定着したと言われている。
  
    餃子つくり
            餡づくり                  皮づくり      
  餃子つくり
         包餃子              乾杯!              茹でる
              
餃子は縁起のよい食べ物とされているが、それは、餃子の形が清の時代まで使われた
貨幣に似ているからで、餃子を新年に食べると金運が良くなると考えられている。
そして中国語では、子どもを授かる「交子」と「餃子」の発音がよく似ているため、
子孫繁栄の縁起をかついだ料理とされている。

餃子の中に、1つだけ小銭を入れて包み、この餃子が当たった人は1年間幸せに過ごせる、
というおみくじ餃子「咬春(yao chun)」を楽しむと聞いたことがある。
茹でたものはすべて餃子と言われるが、焼き直して食べた「鍋貼」は餃子とは別物らしい。
私は、焼き餃子「鍋貼」(guo tie)より水餃(shui jiao)つまり、茹で餃子の方が好きだ。

日本に焼き餃子が多いのは、日本が満州に駐屯していたころ、満州人が餃子で新年を祝い、
翌日、日本人がおすそ分けの餃子を鍋貼にして食べるようになったからとか。
満州に駐屯していたのが関東軍宇都宮師団であったことから、宇都宮に餃子が伝えられ、
そこでアレンジされた餃子が全国に広まることになったそうだ。

因みに、日本で初めて餃子を食べた人物は、亡命中の朱舜水から教わった徳川光圀だとか。
中国・中国の旅

鎌倉は「いい国」?

2012年01月25日
世界文化遺産登録を目指す「富士山」(山梨県、静岡県)と「武家の古都 鎌倉」(神奈川県)に
ついて、文化審議会は、文化庁などが作成した正式版の推薦書を了承した。
今夏から秋にかけてユネスコ諮問機関が現地調査し、来年夏には登録の可否が決まるという。
世界遺産には、文化遺産、自然遺産という区分があり、日本では、姫路城や原爆ドームなどが
文化遺産、また、白神山地、屋久島、知床などが自然遺産として登録されている。

当初、富士山は、自然遺産としての登録申請が検討されたが、富士山のようなコニーデ型
火山はさほど珍しくはなく、世界的に貴重な自然が残るとは認められないこと、
また、開発が進みすぎていて自然が保全されていないこと、ゴミ問題、屎尿問題などもあり、
自然遺産登録の申請を断念、文化遺産としての登録を目指すことになったそうだ。
富士山は浮世絵に描かれるなど「日本文化を象徴する名山」として、富士五湖なども含まれる。
鎌倉は茶や禅の文化を生んだ武家政権の都として、鎌倉大仏や鶴岡八幡宮などで構成される。

        八幡宮 2009.7
       「大銀杏」 樹齢1000年 高さ約30m 幹囲6.8m。市天然記念物

凌霄花(のうぜんかずら)を写生に、鎌倉に通った頃、八幡宮の「大銀杏」は健在にみえたが、
一昨年の春、強風のため根元から倒れた。この大銀杏の根元部分は空洞になっていたという。 
鎌倉幕府三代将軍の源実朝を暗殺した公暁(くぎょう)が、この木の陰に隠れたという伝説から
「隠れ銀杏」とも呼ばれ、大仏と並ぶ鎌倉市のシンボルだった。

鎌倉時代の始まりは、「1192(いいくに)つくろう 鎌倉幕府」と覚えている。
日本の歴史、文化史や年表などとすっかり縁がなくなって数十年経った。
鎌倉時代は1185年から1333年と変わっていることを知ったのはつい最近だ。
「こども電話相談室リアル」(TBSラジオ)をたまに聞くが、勉強の悩みなどを相談する
「回答室」コーナーがなかなか楽しくためになる。

「鎌倉時代っていつからですか? 1185年って教わった気もするんですが・・・」
中学生の女の子からの質問だ。彼女の母親は「1192(いいくに)作ろう鎌倉幕府」と
答えたという。「どっちが正しいの?」

先生の回答によると、鎌倉時代は、本格的な武家政権による統治が開始した時代。
1192年は源頼朝が征夷大将軍になった年。1185年は全国に守護地頭を設置した年。
壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し、日本全国の支配権が頼朝に移って、鎌倉幕府の基礎ができた。

どちらが正しいというわけでないが、名と実を重視すれば征夷大将軍の名を得た1192年、
幕府の実質的な権力が定まったということでいえば1185年となるという。
2007年の教科書では「1185年」に変更されているそうだ。
そうなると・・・?「1185(いいやこ)こらで鎌倉幕府」と覚えればいいだろうと。
歴史において、発見や年代などが変わることはよくあること。時代により、重視するものが
変わるからだという。

調べてみると、ウェブ上では、鎌倉時代の始まりは「1185-」がほとんどだ。
国立歴史民俗博物館の「こどもサイト」には、「1185年 源頼朝が鎌倉に幕府を開く」の
次が「1219年 源実朝が殺され、源氏将軍がほろびる」となっていた。
だが、学研の「キッズネット」のように、「1192年に源頼朝が鎌倉幕府を開いてから、
1333年に幕府がほろびるまでの約140年間をいう
」といったものもチラホラあった。 

鎌倉

歴史といえば、加来耕三氏(歴史家、作家、武術家)の話が印象に残っている。(TBSラジオ 2011.11)
最新刊『消えた戦国武将』(加来耕三 著)の話、家康と信長についての誤ったイメージなど、
教科書には載っていない歴史の話が盛りだくさんだった。 

意外だったのは、水戸光圀の話。光圀は正しくは「黄門さま」と呼べないのだという。
「黄門」というのは、中国の黄色い門の中で仕事をした「黄門侍郎」という役職を指し、
日本では中納言に当たる。光圀は権中納言。中納言になれなかった理由がおもしろい。

光圀は5代将軍徳川綱吉の「生類憐みの令」を無視して牛肉、豚肉、羊肉などを食べていた。
さらに、寒いだろうからと、野犬20匹(50匹の説も)を捕えてその毛皮を綱吉に献上した。
そうしたことが綱吉の怒りに触れ、隠居を命じられた光圀は権中納言で終わったそうだ。

映画やテレビドラマでも「水戸黄門」「黄門様」としてもお馴染みだが、文武の奨励、
検地や藩主の知行制の整備、『大日本史』の編纂などでも知られる。
『大日本史』の編纂に必要な資料収集のため家臣を諸国に派遣したことや、
隠居後に水戸藩領内を巡視した話などから、諸国漫遊がイメージされたと思われるが、
実際の光圀は日光、鎌倉、金沢八景、房総などしか訪れたことがなく、関東に隣接する
勿来と熱海を除くと、現在の関東地方の範囲から出た記録は無いという。
(Wikipedia)
旅・散策・イベント

「アナログゲーム」人気

2012年01月24日
震災後の節電意識の高まりで、クリスマスや正月に限らず、家族や親しい人とインドアで
楽しむという「イエナカ」志向が強くなり、人生ゲーム、野球盤、ルービックキューブなど、
電気を使わない「アナログ」ゲームが人気だという。コンピューターゲーム全盛の時代だが、
こういったアナログゲームは、家族で会話しながら同じ時間を共有できる魅力がある。

横浜そごうのギャラリーで友人の画を観て、エスカレーターで下りていくと、ロフトに出た。
「みんなで楽しく盛り上がろう アナログゲーム マーケット」という文字が飛び込んできた。
家族や友人が集まるこの季節に、みんなで考えたり笑ったり、盛り上がろうというのだ。
たしかに、アナログゲームは人気があるようだ。大人にはお馴染みの懐かしいゲームも、
子どもには新鮮で楽しいようだ。イベント会場には、冬休みの親子連れや学生の姿が目立った。

           アナログゲームマーケット
                        茶の間?もあるマーケット

       オセロ カードゲーム
               「オセロゲーム」        百人一首、トランプなどカードコーナー
    
        野球盤
                     「野球盤」コーナー

       ルービックキューブ
            ルービックキューブ             人生ゲーム

昨年夏、ごんさんが見ていた高校野球中継に、孫りんりんはまったく興味を示さなかった。
ピッチャーとバッターくらいはわかるようだったが、S(ストライク)、B(ボール)、1塁、2塁・・・
ライトやレフトなどの名称も聞いたこともなかったらしい。
クラスメイトも野球に興味ある子はいないよという。『野球盤』を買ってみた。
何回かゲームにつきあうと、ゲームのやり方もすぐに覚えた。
だれも相手がいないと、盤のあちらとこちらと移動しながら、1人で遊んでいたこともあった。

よほど面白かったのだろう、野球ゲームで遊んだことを日記に書いたこともあったが、
この頃、ごんさんも私も相手をしなくなったし、1人でやろうという気も起きないらしい。
ゲームは大勢でワイワイと遊ぶのが楽しいようだ。孫りんりんの最近の日記に、
「今日、Oくん、Kくん、Mくんと『人生ゲーム』をしました・・・」と書いてあった。

1968年の発売以来、人気がある『人生ゲーム』は、定番のほか、団塊、バブル、IT3世代の壁を
乗り越える「ギャップ天国」、より劇的な人生を体験できる「ドリームチェンジ」、世知辛い世の中を
リアルに再現した「激辛」がある。
。今まで大人のゲームだと思っていたが、
対象6歳からというものや大人と一緒に6歳からといった種類があることは知らなかった。

ゆうゆうは、「オセロゲーム」が得意。真剣に相手をしても、彼女になかなか勝てない。
WiiやDSも夢中のりんりんたちが、『人生ゲーム』をしながらどんなことを話しているのか、
一度、聞いてみたいものだ。
身近な人びと

ペットのためには

2012年01月23日
今日は「春節」。休日は春節の大晦日(「除夕」「大年三十」)から1週間。
中国、台湾(春節)、韓国(ソルラル)、ベトナム(テト)、モンゴル(ツァガーンサル)では、
もっとも重要な祝祭日の1つ。日本の正月と同じで、会社や学校も長期休暇となり、
帰省したり旅行に行くために、交通機関は非常に混雑する。

中国の「1人っ子政策」はよく知られているが、昨年秋、黒龍江省ハルピン市では、
「1軒1匹政策?」(養犬管理条例)が今春から施行されることになったという。
ハルピン市内では、多くの市民が放し飼いの犬にかまれたり、狂犬病にかかるという
被害に遭っており、社会問題になっている。
市民の安全と社会秩序を守るため、住民が犬を飼う場合、1世帯1匹までと決められた。
大型犬や獰猛な犬は飼育禁止となるが、具体的にどのような犬種が禁止されるかは、未発表。
ほかに、オープンテラスでの飼育禁止、公共場所での犬小屋設置禁止、また、定期的に
毛の手入れをして入浴をさせる飼い主の義務などが定められているそうだ。


日本では、深夜まで営業しているペットショップがあり、都会の繁華街の店などには、
勤務を終えて立ち寄る女性も多いという。全国のペットショップ約2万4千店のうち、
午後8時以降も営業しているのは数百店。ガラスケースに入れられた子犬や子猫は、
店内の照明や街頭のネオンにさらされたり、酔っぱらいにガラスを叩かれたりして、
眠れず、健康を害しやすく、落ち着かない性格になることがわかっているそうだ。

子犬や子猫が健康に育つためには、少なくとも1日12時間以上の睡眠が必要という。
環境省は、動物愛護法の施行規則を改正して、今年6月を目途に、午後8時以降に
子犬と子猫を展示販売することを禁止する方針だという。

   ペットのために
           犬の温泉、ようちえん、スイミングプール
  
業界初となる「犬のためのドッグフードのテレビCM」(ネスレ)ができたと聞いた。
ドッグフードって犬のためでは? と思ったが、選ぶのも購入するのは人間なのだ。
このテレビCMは、犬と飼い主に聞こえる「ピン!」という音、犬の玩具に似ている音、
犬には聞こえるが人間には聞こえにくい犬笛のような高周波音という、3つの異なる音を
含んで作られたもので、ドイツではすでに放映が始まっているという。
ドイツの街には、ドッグフードの匂いを散歩中の犬が嗅げる特殊なポスターがあるのだとも。

ほとんどの飼い主は、パッケージやCMでドッグフードを選ぶだろうが、わが家で飼った
最後の犬、アルバートを紹介して下さったHさんは、数匹の愛犬、愛猫のために?
フードの味見をされていた。
       
   フードいろいろ
             賞味期限間近で半額のペットフードいろいろ

わが庭に犬がいなくなり、父が入院したころから、庭は猫たちの生活の場になった。
現在、わが庭で生まれた4匹の猫のうち3匹が籍を置く。彼らのために、ごんさん
数ある中から、カツオ、マグロ、白身魚、チキンなど内容で、キャットフードで選んでいる。
トラアミがガラス越しにテレビ(の方角)を見ていることがある。
これからは、犬たちが自分のフードを選ぶ時代が来るのだろうか。
猫好みのキャットフードのCMができても、わが庭の猫たちには選ぶ権利はなさそうだ。
動物など

今年の年賀状 

2012年01月22日
今日は「お年玉付年賀はがき・切手」の抽選が行われる。
お年玉付き年賀はがきが発売されたのは1949年のことだという。

今年の賞品の1等は、ハイビジョン液晶テレビ、海外旅行、国内旅行などの豪華賞品だが、
当たるはずもなく、わずかに可能性があるのは、4等の「切手シート」くらいだ。
両親の分を含めて千枚近くの年賀状があった頃でも、1~3等が当たったことはないし、
4等が当たった年賀状は多くても4枚か5枚だった。  (年賀はがきかケータイメールか
今年頂いた年賀状は、無地がほとんどだが、いろどり年賀、ディズニーキャラクター年賀、
年賀切手やお年玉つき年賀切手を貼ったものも数枚ずつあった。

    年賀状
     無地、ディズニー、いろどり年賀、年賀切手、お年玉つき年賀切手など   
     
年賀状を年内に書くようになったのは、1899年12月以降だという。
毎年、頼まれた年賀状つくりを優先するので、私が年賀状を投函するのは早くても晦日頃だ。
いつもは自分の画をスキャンしてつくるのだが、今年はちょうどいい画がなくて困った。
24年前の辰年に、川越喜多院(埼玉県)で龍といっしょの羅漢さんを描いた画をもとに、
ごんさんにつくってもらった版のことを思い出して、あれを使おう!と、版木を探したが、
見つからない。捨てたのだろうか? 羅漢さんの画の方もどこかに紛れて出てこなかった。

そこで、版画になりそうな題材を探した結果、日中友好会館で剪紙の展覧会で購入した
本の中から「双龍会」という山西省の蘇さんの作品を選んだ。
ごんさんが義父の形見の彫刻刀で彫っている姿を見て、はるか昔、義父の年賀状が
自作の版画だったことを思い出した。
わが家でも、私が絵を習い始めて数年は、私が描き、ごんさんが彫った年賀状だった。
記憶に残る版画は、寅、卯、辰、巳。そのうち、辰は喜多院の羅漢像だが、寅と巳は、
飛騨高山の布製の玩具。卯年には、飼っていたウサギの親子がモデルになった。

版はクリスマス頃には出来上がっていたが、なぜか刷るのは大晦日になってしまった。
お年玉付きの切手を30枚しか用意していなかったので、とりあえず、30枚だけ刷って、
あとはよくできた1枚をスキャンして、年賀状にプリントすることにした。
版画用絵具の濃度や量は微妙だ。力の入れ具合も難しい。腕も肩もビリビリと痛くなり、
夕方になって整体院に飛び込んだ。三が日をのぞき、1年中開いている整体院が有難かった。

三が日を過ぎた頃、昨年6月に急逝されたKさんの絵のお仲間の1人、Yさんから
お電話を頂いた。Kさんのことから始まって、今年の年賀状の話になったとき、
「双龍会って何の会ですか?」と訊ねられた。「剪紙 双龍会」の文字を入れたせいだった。
「剪紙の作品の題で、双龍、ふたつの龍が会うという意味だと思うのですが・・・」
「あっ~そうか! 気がつかなかったなあ~」これが初笑いとなった。

  双龍
        剪紙 「双龍会」             瀋陽故宮 双龍
 
数日後、テレビを見たごんさんが、あの剪紙の龍は「瀋陽故宮の大成殿の龍が
モデルだ」という。ネットで調べると確かに似ていた。(よく見ると龍の向きが違ったが)
中国には、ああいった柱がほかにもあるだろうが、いつか、瀋陽故宮にも行ってみたい。

元旦に届いた賀状の中に、中国の長沙(河南省)からSさんからの絵葉書があった。
昨年春、北京に行かれたSさんは、夏、国慶節、年末年始と、数回帰国されたが、
Sさんは、昨年夏、「1年は戻らないつもり」で長沙に旅立った。
今年の春節は明日23日。ふたりのSさんに「双龍会」の賀状メールを送ることにした。
絵画・博物館

本が読みたくなる頃?

2012年01月21日
今日は24節気の一つ「大寒」。寒の真ん中で、一年で最も寒い時期。
『暦便覧』では、「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。
武道ではこのころ寒稽古が行われる。

東京では、この冬、空気の乾燥がつづき、歴代3位、35日の「乾燥注意報」も昨日で
ストップした。因みに、昨年は2位の38日。1位は65日(1973~1974年)。

新入学、新学期の時期を迎えて、電車の扉で「図書カード」の広告を見かけるようになった。
「もらうと本が読みたくなる」。柴犬が炬燵で熱心に本を読んでいる?柴犬がかわいい。
室内でマフラーは少々気になるが。
以前の「図書券」に比べると、プリペイドカードは使いやすい。 (本屋さんの苦闘ぶり) 

          図書カード
       
「ラノベ」が人気だという。「ラノベ」は「ライトノベル」の略語(和製英語)。
アニメ・漫画調のイラストが表紙や挿絵として付いている、主にティーンエイジャー向けに
書かれたエンターテインメント小説のことだが、漫画ではないため、学校でも読めるとか。
因みに、慶応大学生協では、文庫本売上げの20%が「ラノベ」だそうだ。

    1316-1.jpg
         シリコンスチーマー          おみくじ    ライト付シニアグラス

ライト付シニアグラス、要するに老眼鏡だが、3.11の帰路を思い出して、暗いところで
地図が読めるなら便利だろうと購入した。普段はかけないし、幸いなことに今は使うことがない。

以前からヒアリング用のCD付の語学のテキストや会話本は多いが、最近は、美容関係の本に
美容矯正のベルトが付いていたり、女性雑誌にバッグがついていたりと、付録は本の方かと
思うほどだ。今流行りの「タジン鍋」などは、料理本のすぐ隣に並べられていることが多い。
それにしても、本屋さんにはいろいろなものが揃っている。   (書店にタジン鍋

     カレンダーなど
    江戸時代のファッション誌風『小袖雛形』・・・      カレンダー 
     
     和綴じノート
      太宰治『竹青』『富嶽百景』『走れメロス』などの絵柄のノート

上野駅構内で、和綴じの太宰治の文庫本を見つけたと思ったら、和綴じのノートだった。
文庫本(¥735)や単行本サイズのノート、「恥の多い生活を送ってきました」(『人間失格』)
と書かれた鉛筆や筒型ペンケース、太宰治の本の内容を絵柄にした文具が並んでいた。

         学習雑誌
            「四年生」「三年生」のケースにはほかの雑誌が

「小学三年生」「小学四年生」(小学館)が3月号をもって休刊することになった。
「五年生」「六年生」は昨年すでに休刊したが、「一年生」「二年生」は残る。
休刊の理由は「学年別で男女共通の雑誌という枠組みでは、成長と変化が著しい小学生の
ニーズに合わなくなってきたため
」だとか。
スマートフォン普及の影響で、若年層の雑誌離れが加速したことも原因の1つといわれる。
学習雑誌のほかにも、「旅」(新潮社)など、数多くの歴史ある雑誌が休刊、廃刊したという。

小2の孫りんりんは、毎月の発売日前に「小学二年生」か「コロコロコミック」の
どちらを買うか迷っていたことがあったが、「三年生」の休刊で、彼は迷うことはなくなる。
それにしても、子どもの頃からお馴染みのものが消えるというのは、なんとも淋しいものだ。
旅・散策・イベント

丸いポストと自販機

2012年01月20日
ランドセル、人力車、乾電池、郵便ポストに自販機。今は当たり前になっているものが、
実は明治に生まれたものだという。            (明治生まれのランドセル

1871年、日本の郵便が開業し、2点の赤くて丸い鉄製ポストが考案されたという。(1901年)
その1つが発明家の俵屋高七の考案。もう1つは、発明家中村幸治が考案したもので、どちらも
試験的に設置されたという。改良が重ねられて正式に採用されたのは、中村式ポスト。(1908年)
郵便の投函口は、雨が入らないように回転式になっているので、「回転式ポスト」と呼ばれる。

日本で最初の自販機は、発明家の俵屋高七が考案した「たばこ自動販売機」。(1888年)
第3回内国勧業博覧会で絶賛されたが、実物は現存していないという。
現存する日本最古の自販機は、俵屋高七が考案した「自働郵便切手葉書売下機」。(1904年)
この機械は木製で、切手の販売と葉書の販売、そしてポストと3つの機能を備えたユニークな
ものだという。江戸の木工技術とからくり技術が結集された素晴らしい機械。

自販機とポスト
  自働郵便切手葉書売下機     書状集箱           郵便ポスト     
     逓信博物館       日本橋南郵便局          三鷹市      

どちらも東京の逓信博物館に展示されている。
何代目になるのか、現役の「赤くて丸いポスト」を見かけることがある。

電車の切符、映画館や博物館などの入場券、飲料の自販機などのほか、病院の
お見舞い用の花かごなど、自販機はどんどん進化して、初代の自販機の面影はない。

     オススメ
             タッチパネル式 「次世代型自販機」 品川駅構内

自販機の前に立った人の性別、年代などを判断して、「オススメ」マークが付く。
帽子を被って眼鏡をかけたり、帽子も眼鏡もとってと、2度ほど試してみると、
3本とも違った「オススメ」マークが付いた。       (進化する自動販売機

      タイ焼き
          冷たいタイ焼き  港区新橋      アイスクリーム  

       バナナ
                   バナナの自販機    渋谷駅構内

     苔
                  ルーフ緑化自販機   目黒区自由が丘

    本 新聞 傘
         冊子            新聞               傘

全国の自販機設置台数や取扱商品の幅広さは、世界でも類をみないそうで、外国人窃盗団の
目には「道路にお金、金庫がある」と思われているほどだという。   (自販機だらけの街
つれづれ

明治生れのランドセル

2012年01月19日
明治政府は、日本の近代化を進めるため、欧米諸国の制度や技術などを盛んに取り入れた。
明治時代初期には、欧米の文化が急速に流入し、風俗や衣食住にも大きな変化が起きたが、
こうした「文明開化」の動きは都市中心で、農村にはあまり行き渡らなかったという。
「文明開化」という言葉は、福澤諭吉が『文明論之概略』(1875年)の中で、civilizationの
訳語として使ったのが始まり
という。(Wikipedia)

明治時代、日本人は新しい文化を取り入れつつ、次々に新しいものを生み出した。
今では当たり前になっている、乾電池、人力車、郵便ポスト、自動販売機、そして、
ランドセルも明治生まれだという。          (丸いポストと自動販売機

「乾電池」 屋井先蔵による世界に先駆けた発明。(1887年)
「人力車」 和泉要助、鈴木徳次郎、高山幸助が東京府に製造許可を出願した。(1870年)
       2年後には、駕篭はほとんど姿を消した。その後、改良が加えられ、輸出された。
       東南アジアの国々でも広まり、今でも人力車が活躍している国がある。

明治10年に開校した学習院では、西洋式軍隊制度で導入された布製の背嚢(はいのう)を、
通学用に採用。この背嚢は、オランダ語で「ランセル」と呼ばれたことから、
「ランドセル」という言葉が生まれ、通学用の背負いカバンを意味するようになったという。
明治20年、当時の総理大臣だった伊藤博文が、大正天皇の学習院の入学祝に、
箱型のランドセルを特注で作らせ献上したのが、現在のランドセルに近いもの。そのため、
ランドセル工業会が推奨する標準型のものは、「学習院型ランドセル」と呼ばれているとか。

       ランドセル売り場

12月にもなると、学習机やランドセルがデパートに並び、テレビCMが流れるようになった。
「男子は黒、女子は赤」が主流だったが、ピンク、茶、紺、緑、青などカラフルな色のものが
売れ始めたのは2000年代に入ってからだというが、最近はツートーンカラーのものもある。

ランドセルの多くは手作りだという。この春に1年生になる孫ゆうゆうのランドセルは、
ピンクと茶色のツートンカラーらしい。昨年、「まだ来ないんだけど」と嬉しそうに話してくれた。
      
     通学

学習指導要領が改訂され、A4版クリアファイルを曲げずに入れられるランドセルもできた。
今のランドセルは皮製のものは少なく、多くは軽いクラリーノ製だというが、あのガッシリした
ランドセルを背負っての通学は、肩が凝るだろうと思ったこともあったが、心配は無用らしい。
おしゃべりしたり遊んだりしながら、下校する小学生たちを見ていたら、実に楽しそうだった。  

明治生まれのランドセルは、軽く、カラフルになった今も、小学生たちの必需品だ。
大震災後、被災地の小学生たちに、全国各地から使い終わったランドセルが届けられた。
そんなことを思い出した。
忘れ物の天才りんりんが、入学間もなく、ランドセルを学校に忘れて来たことがあった。
それから2年近く経ち、大分貫禄のついたランドセルだが、大切に使ってほしいものだ。 
   
つれづれ

半年ぶりの「桂花会」

2012年01月18日
中国語講座の沈老師が亡くなって3年が経つ。その後、引き受けて下さった黄老師の講座は
わずか2年で閉じることになった。生徒数の減少がつづいたためで、仕事上、健康上の理由で、
また、お2人がご主人の転勤で中国に行かれることになったのだ。そこで、学習会はできないが、
「桂花会」と名付けた同窓会をつくり、年に2回集まることにした。 

   在りし日の沈老師 2007.12 
       在りし日の沈老師が腕を振るわれた  調理室を借りての忘年会 

1回目の「桂花会」は昨年5月。午後1時から4時までお馴染みの銀座の和食の店で。
参加者は13人。話題はもっぱら3.11の地震のこと。  (小さな同窓会」

今年1月。半年ぶりの「桂花会」は時間も場所も同じだったが、参加者は8人と寂しかった。
昨年春、千葉の御宿に越されたS同学は、今回も2時間以上かけて参加された。
来られない方は、家庭の事情のほか、今回は健康上の理由が多かった。
Mさんの胃癌再発(内視鏡で摘出)。Oさんは、昨年末、脳梗塞で倒れ入院中だが、
ご自身でメールができるようで、とりあえず、ほっとした。

昨年秋からペースメーカーをつけられたMさんは、お酒を控えておられるかなと感じたが、
元気そのもの。Mさんは50歳のとき、脳梗塞で2年間入院されたことが転機となり、
かまたみのる医師方式の「がんばりすぎない、がんばらない」生活をつづけておられる。

そのMさん、黄老師から「今、○○ビルにいるのだけど・・・」と電話があったとき、
「○○ビルなら知っているから、迎えに行ってくる!」と飛び出して行かれた。
何でも、老師はスマホで検索したら、駅の反対側の○○ビルの同じチェーン店が出たそうだ。
老師のスマホの待受画面には昨年7月に誕生したお孫さん。かわいくてたまらない様子だ。

昨年同様、夕方からのお茶とお酒でおしゃべりタイムは盛り上がった。黄老師を囲んで、
中国語の単語が(なかなか文にならない)飛び交った。亡くなった沈老師の想い出、
日中の文化の違い、黄老師との「初次見面」(初対面)のときのことも話題になった。

3年前、現在、北京在住のSさん、長沙在住のSさん、Fさんと私の4人で、吉祥寺(武蔵野市)の
ホテルで黄老師をお待ちした。大学の講義を終えて駆け付けて下さった黄老師が、
「沈老師は私の友人です。友人から頼まれたので」と快く引受けて下さったときの安堵感と、
なぜか、ホテルの正面に飾られたクリスマスツリーが忘れられない。
それから、ひと月もしないうち、沈老師が逝かれた。          (再見!
  
    講座案内
           「沈老師の中国語講座」の頃の掲示板   2008.6        
   
当時を振り返って「あなたたちに初めて会ったのに、生疏 (sēhngshū)感がなかった」と
おっしゃった黄老師のことばが嬉しかった。
きっと沈老師が大好きだから、昔からの知り合いのような親しみを感じるのだろう。
沈老師のことを想う度に涙ぐんでしまうのは、Fさんや私だけではないはずだ。

次回の「桂花会」は6月2日に決定! 
現在、闘病中のMさんもOさんも、じきにお元気になられるだろう。
中国語学習はいっしょにできないが、年に2回の「桂花会」だけはずっとつづけていこう。
2人のSさんもいずれ中国から戻られる。賑やかな桂花会ができる日が楽しみだ。
中国・中国の旅

油断大敵

2012年01月17日
阪神・淡路大震災から17年が経つ。そして、東日本大震災から10か月。
震災直後の被災地で、「○○にいます」といった張り紙のある家が盗難に遭ったと聞いた。
物資不足とはいえ、盗難、略奪、強盗、詐欺など震災に便乗した犯罪は悲しい。

    1287no02.jpg 2010.3
         ガソリンスタンドで         スーパーで          大田区

いつの時代もどこの国にも詐欺を働く人がいる。そして、被害に遭う人がいる。
1人で留守番している子どものところへ、サンタさんから電話がかかってきた。
「プレゼントをあげるから、宝石とかお金とかを玄関の外へ置いておいて」と言われ、
子どもはその通りにしたが、サンタからのプレゼントはなかったそうだ。
ラジオで聞いたロシアの話だ。よりによって、純真な子どもを騙すとはひどいサンタだ。

家族や親戚になりすまして騙す「オレオレ詐欺」は減ったらしいが、区や市の職員とか
銀行員などになりすまして、自宅まで現金や通帳を取りに行く「手渡し型」が増えたという。

「ワンクリック不正請求」「チケット詐欺」などネットを使った詐欺も増えているらしい。
「チケット詐欺」は、インターネットの掲示板やオークションを通じて、コンサートや
スポーツ観戦などのチケットが「余分に取れた」「事情で行けなくなったから」などと、
代わりにイベントに行きたい人を募集するといったものだが、これも振り込め詐欺だ。

最近はあまり聞かないが、ケータイの「ワン切り」も1種の振り込め詐欺だ。
電話をかけ、相手の着信履歴に自分の電話番号を残すために1,2回鳴らしてすぐに切り、
相手にかけさせるのが狙い。そして、折り返しの電話に音声ガイダンスなどを流すもの。
パソコンとアナログモデムさえあれば簡単なプログラムをつくることで自動化できるため、
1990年代後半に爆発的な流行を見せ、特に、不当請求や架空請求(振り込め詐欺)の
前駆として知られている。
(Wikipedia)

区の中国語学習会に熱心に通っていたころ、女性講師の陳老師が、話題の事がらについて
書かれた文が教材になった時期があった。その中に、ワンギリの話があったことを思い出して、
探してみたら当時のプリントが出てきた。「狂牛病」「桂花(金木犀)」・・・懐かしい。

          中文 * Click!
          「日本の祭日」「狂牛病」「ワンギリ」など * Click!

まだ、今ほどケータイは普及していなかったが、ワンギリの被害がよほど多かったのだろう。
最後の行には、「如果是不熟悉的电话号码,千万不要回电话」(よく知らない電話番号なら、
くれぐれも電話をしないように)と書かれている。「千万」という言い方を思い出した。

身近なところでも、何人か集まると1人や2人は「この間、それらしき電話がかかった」
「うちにもかかってきたことがある」という。あのKさんでさえ、ほんのわずかの間、
信じてしまったというから、手口は巧妙だ。ご主人がいらしたので事なきを得たというが。

絵のお仲間のところにも「ほめほめ詐欺」「ほめちぎり詐欺」らしき電話がかかったという。
都は「ほめ上げ商法」と名付け、注意を喚起しているが、「あなたの作品はすばらしい!」と
文芸書への掲載や展覧会への出品を促して、強引に高額な契約を迫ろうとするもの。
掲載条件などを確認せず、無料と思いこんで掲載を承諾するケースがほとんどで、
解約を申し出ても、「すでに印刷しているので無理」と言われたり、掲載されたはずの
雑誌も存在しないケースもあるという。被害報告はおそらく氷山の一角だとか。
褒め言葉に乗ってしまった恥ずかしさから泣き寝入りする人も多いらしい。
実際に作品を観て、褒めるわけではないだろうと思うのだが・・・。

自分は騙されないと自信がある人は、意外に被害に遇いやすいとも言われる。
息子に「騙されやすいから気をつけて」と言われる私だが、わが家にそれらしき電話が
きたことはないし、第一、振り込むだけの預金もないから大丈夫だと思っているのだが、
油断大敵。千万、騙されないようにしなくては。
つれづれ

「さくを つくりました」

2012年01月16日
りんりんの家にアメショーのショータンが来てからすでに1年余が経った。
1階、2階、家中を出入り自由の気ままな生活を送っている。
ドアが少しでも開いていると、自分で開けて出入りするが、もちろん閉めてはくれない。
娘はショータンが「お手」をするようになったのに気をよくし、暖房中の部屋に入ってきたとき、
「ショータン、閉めて!」と、閉めることを教え込もうとした。もちろん、数日で断念したが。

        ショータン  お手

そのショータンだが、玄関を開けたとき、ほんのたまに外へ出てしまうことがある。
玄関から出て、車庫に行って車の下に入るか、塀と建物の間を抜けて奥へ行ってしまう。
幸いなことに、今まで道路(私道なので車はめったに通らない)に出たことはなく、
車の下にいても奥の方にいても、キッチンからパンを取ってきて「パン!」というと、
姿を現すと聞いていた。マタタビよりパンの方が効果があるのだとも。

私が1人で留守番をしているとチャイムが鳴った。うっかりリビングのドアを閉めずに
玄関ドアを開けたため、ショータンが外に出てしまった。牛乳屋さんだった。
この日、車はなかった。牛乳屋さんの相手もそこそこに、キッチンにパンを取りに行き、
「ショータン~ ショータン パン!ショータン パン!」と叫んでも、庭の方へ回って
みても姿は見えない。塀を越えてお隣の家の庭にでも行ったのか?! あ~どうしよう!
私は一時完全にパニック状態になっていた。
今思えば、彼の外出時間はわずか数分の出来事だったと思うが、何食わぬ顔で現れて、
私の足元でごろんと横になったときには、手に持っていたパンを放り出して、とにかく
ショータンを掴んで家に駆けこんだ。

そんなことがあってから、ごんさんは娘の要請で、塀と建物の間に猫が行かないように
柵を作ることになった。りんりんは何を手伝ったかわからないが、よほど面白かったのだろう、
いつもは「書くことがない~」と、はかどらない日記だが、わが家に泊まったこの日、
集中して、珍しく丁寧な字であっという間に書き上げた。

日記 *Click!
今日、祖父と、家で、猫がにげださないように、
さくを作りました。まずは、木のさぎょう。
木を切って、サイズを合わせます。
(はじっこだけ長いのは、どうしたんだろう。)と
思いました。祖父はよく考えたなー。
しつがいきのスペースまでとるなんて。
つぎに、ネット。これがまた、引っぱると
すぐ切れるんだわ。でも、あんな太いのになあ。
それと、それと、結束バンドが、はめられなかった。
帰ったら、できたのに。それにしても、おかしい。
それで、さくはかんせい。 できあがってよかったあ。

(出かけていた間に完成していたということらしい)
      りんりんの日記 *Click! 

    完成
      もう一方はラティスで         道路側の塀に張ったネット

実は、ショータンの脱出事件を内緒にしておこうとも思ったが、結局、白状してしまった。
そんなこともあって、柵ができたのだから、あながち失敗とはいえないかもしれない。
昔、わが庭で飼っていた犬のチビは、雷や花火の音がすると、木戸を飛び越えて度々逃亡した。
外飼いの犬と違って、室内飼いの猫は逃げるつもりなどないのだということを知った。
猫が逃げる気になれば、高さ1mの柵など何の役にも立たないことは十分承知しているが。
動物など

正月三が日の空

2012年01月15日
1日
          12:00
                大きなケヤキ   世田谷区              

2日 浜離宮庭園(港区)に「放鷹術」を観に出かけた。
       13:10
       14:30
                    浜離宮庭園 港区

2011年の空も変化に富んでいる。 
   2011.1.1
                             2011.1.1
   2011.1.2
                             2011.1.2

3日 プリンターのインクを買いに出かけたが、いつになく、雲が気になった。「地震雲?」
この日、各地で「地震雲」らしき雲が観測されたようだが。
元旦にも地震があったが、3日、4日にはさほど大きな地震は起きていないのだが・・・。

       11.15
       11:15
       11.45
       12:00
       13:20
       13:20
旅・散策・イベント

りんりんと上野へ

2012年01月14日
今日、明日と大学入試センター試験が行われる。
このころは厳冬期に当たるため、全国的に大雪になったり、ぐずついたりすることが多く、
「センター試験の日は雪の特異日」とも言われているが、首都圏では降雪が大々的に
報道されているだけで、統計的には平年とさほど変わらない
という。(Wikipedia)

トーハクで『北京故宮博物院200選』を見た後、科博へ立ち寄った。(中国の至宝に並ぶ列
地球館屋上のハーブガーデンからスカイツリーを眺めるのが、お決まりのコース。

地球館へのエスカレーター前で、『ノーベル賞110周年記念展』(~1/22)のポスターと、
「ノーベル賞メダルをもって記念写真をとろう! 本日のさわれるメダルは経済学賞」と
書かれた案内が目にとまった。せっかくだから、メダルをこの目で見てみることにした。
1部はノーベルの足跡を追う企画。第2部では、18人の日本人ノーベル賞受賞者の
功績や人となりを紹介している。

    メダル

平日のせいか、会場内は空いていて、メダルの展示のコーナーは誰もいなかった。
迷ったが、りんりんにも見せようと、メダルを持って記念撮影。
スウェーデンからやって来た本物のメダルだという。ずっしりと重たかった。
表面はノーベルの肖像。物理学・化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞、そして、
日本人受賞者はまだの経済学賞それぞれに応じたレリーフが裏面にデザインされている。

   経済学賞
       表面 ノーベルの肖像          裏面  経済学賞

りんりんの冬休みも終りの日曜日、再び上野の森へ出かけた。
彼と上野へ行くのは3年ぶりだ。動物園は勘弁してもらい、トーハクと科博に行くことにした。
まず、科博のノーベル賞の会場へ。朝早いせいか、記念撮影コーナーも空いていた。
この日の記念撮影用のメダルは生理学・医学賞のメダルだった。

     生物・医学賞
                           生理学・医学賞   

撮影後、日本人受賞者のコーナーの業績、略歴とエピソードが書かれた展示に興味を示し、
持参した「かんさつノート」に何やらメモしていた。見ると、「湯川秀樹 1907-1981」
「日本の美と伝統のために生きようと考えた」(川端康成の「ゆめ言葉」)とあった。

伝記も好きな彼は、エピソードも覚えてはいるようだが、人物が明治生まれなのか、
昭和生まれなのか、漱石と同じ頃だとか、生まれた年が気になるようだ。
展示を見ながらも、「野口英世はなぜないの?ノーベル賞とったんじゃないの?
たしか本に書いてあったと思うんだけど・・・」と譲らない。バッグに入れていた電子辞書で
野口英世を調べたが、ノーベル賞という文字はなかった。それでも納得できないようだった。
因みに、野口英世は、ノーベル生理学・医学賞候補に3度なったが、受賞はしていない。

記念展の会場を後にして、「たんけん広場」で遊び、「360度シアター」で恐竜と宇宙の
世界を楽しみ、科博を十分に堪能した。

    板
       ミラー
          通り抜けられる板            不思議なミラー             
   
その後、先日見損なったトーハク本館の「天翔ける龍」(~1/29)展に付き合ってもらった。
「ハラ減った~」といいながらついてきた彼が「自在置物 龍」のところで動かなくなった。

「自在置物」は江戸時代の動物の形をした金属製の置物で、からだの節々が動く。
太平の世になり甲冑の需要が減った江戸時代、 動きやすい甲冑を作る技術を応用して
甲冑師たちが作ったとされている。

この置物に実際に触れることはできないが、デジタル画面で動かす疑似体験が出来る。
幸い、空いていたので、彼は何度も何度も龍を動かしていた。

      1329-6.jpg
             自在置物 龍 明珍宗察作 江戸時代(1713)

尾形光琳の「風神雷神図屏風」(重文)、曽我直庵の「龍図屏風」などの絵画には
さほど興味を示さず、安土桃山時代の鎧兜、刀剣などには興味を示したが、ついに、
「みどりのライオン(コーナー)」につかまってしまった。「きもの」型と「円鏡型」の紙に
日本の模様印を押す「ハンズオンコーナー」で、1人1枚の割り当てに私の分も入れた
2枚でも足りず、思い通りの作品をつくるために、さらに1枚もらって頑張っていた。
30分以上待っていた。漢字練習や計算問題にあれほどの根気強さがあればと思いながら。

1時半を過ぎていた。「お昼を食べたらまたここに来たい」という彼。とにかく、
トーハクを出た。再び、「はらへった~」が始まった。野口英世像の前を通り、西郷隆盛像の
前に来たとき、犬を見て「あっ、ツンだ!」。銅像の下で同じような恰好をして1枚!

駅近くの店で遅い昼をすませると、「(トーハクに)戻らないの?」それは勘弁してもらって、
帰りの車内で居眠りしたのは、博物館のハシゴでへとへとになった私だった。
旅・散策・イベント

りんりんの冬休み

2012年01月13日
りんりんの冬休みは、従妹とのクリスマス兼誕生会から始まった。
年末年始は、札幌の祖父母のところで昨年同様、スキー三昧。
1日スキー教室のほか、従弟のトモくんたちとスキーを楽しんだようだ。

28日の日記は、ホテルでゆっくり書いたのだろう。丁寧に書かれている。
今日は、札幌のりょこう1日目です。朝10時、猫を家に、家を出ました。
しょーたん、いい子にしているんだよ。 そして、ひこうきは、ぼくのままを空こうにおいて、
北海道にたびだった。パパといっしょ、ママはさびしそうだった。ぼくもさびしかった。
そして、札幌は、早朝氷点下16℃(-16ど)。ついたときはマイナス1どほど。
そして、オレンジジュースをのみながら、カードを見ながら、1時間半いじょうバスをまった。
明日、スキーをするから、小たるに行くため。2時間かけて、ホテルへ。
そして、お風呂に入った。ろてん風呂はもうさい高。早くスキーしたいな。
そして、8:15ごろ、すしやですしをたべて、まんぷく。ああ、おいしかった。


29日の日記には、キロロスキー場でブリザードを体験したり、すでにできること?を
習ったと書かれている。
30日、祖父母の家から従弟の家に行って、従弟たちとスキーを楽しんだ。リフト4回。
・・・ケーキをいただきます!あっそうだった。今日は、ぼくのたんじょうび。
次の日の朝、おきて、あさごはんたべて、すぐスキー。なんと今日は11回。
(昨日はこわくて、おそいすぴーど。)今日は、めちゃくちゃ早いぶんだけたのしかった。
・・・(おわり)30日と31日がつながっております。


スキー人口はピーク時の4割以下に減り、有名スキー場が次々と閉鎖されているという。
東京生れの私たちはスキー経験がない。子どもたちをスキー場に連れて行ったこともない。
りんりんは札幌、ゆうゆうたちは岩手に帰省すれば、スキーの機会に恵まれている。

  札幌で 札幌で
      りんりん4歳の冬   従弟と            札幌市内            

わが家に泊まった晩、彼の日記を読んで、思わず吹き出してしまった。
札幌の祖父に「パパをどうやって育てたの?」と訊ね、パパが子どもの頃、札幌から青森まで
お使いに行かされたという話をする彼の話しっぷりが少し大人びていた。
8歳になって1週間、札幌で従弟たちと過ごしてきて、少し成長したように感じた。

今日、札幌から帰ってはじめて、祖母と会いました。帰って来てから、初めてなので、
久しぶりだなぁなーんて思いました。・・・「8才らしくなったねぇ」と聞くと、
つい、うれしくなってしまいます。
それにしても、なんで、あんなにやさしいこと言ってくれたんだろう。ありがとう。


それにしても、何気なく言ったことばが、ずいぶんと効いたものだ。
いつまで効き目があるかは疑問だが。春にはもう3年生だ。
身近な人びと

家族みんなで

2012年01月12日
東日本大震災をきっかけに「家族の絆」を再確認した2011年だったといわれる。
昨年のクリスマスケーキは、苺の数が多い、4、5千円程度の大型がよく売れたとか。
クリスマスイブには、家族や親しい人と大きなケーキを切り分けた人も多いだろう。
孫の誕生日兼クリスマス会は、ゆうゆうの大好きなチョコレートケーキとりんりんには
チーズケーキを用意した。どちらも小さ目だが、2種類のケーキを味わえた。

       誕生日
            りんりん8歳           ゆうゆう6歳

日に何度も耳にする「キ ズ ナ」、そこかしこに「絆」の文字が溢れている。
「エコ」「節電」「絆」を謳えばモノがよく売れるのだそうだ。
親しい人との結びつきを大切にしたい気持ちは人一倍あっても、それは心の奥。
へそ曲がりの私にはキャッチコピーと化した「絆」を口に出せないのだ。

中国語で「絆」はマイナスの意味が強いことを知ってからは、さらに使えなくなった。
ここは日本だが、「绊 bàn」 つまずかせる、引っかける。足払い。人を陥れる罠。中日辞典
日本語でも「絆(ほだ)す」は、 自由を束縛する。 つなぎとめる。 手かせや足かせ。

ところで、最近のカレンダーの特長は「情報の共有」と「記録」といわれる。
手帳と違い、家族全員が見るので、家族のコミュニケーションツールにもなるという。
震災が起きたときのように、災害などで一時的に連絡が取れなくなっても、
カレンダーに書き込まれた予定を見れば、居場所を特定がしやすいというものらしい。

        カレンダー
          「みんなのスケジュールカレンダー」  街の文具屋さんで

わが家では、居間には既成のカレンダー。私の予定は100円ショップの卓上型に書き込む。
もう1つ、世界で1つだけ?のオリジナルカレンダーは、前年撮った3人の孫の写真から、
月毎に数枚(最近は5枚になることも)を入れたもの。   (カレンダーづくり
以前、孫たちの写真はアルバムに入れていたが、プリントアウトが面倒で、りんりん
入園頃からストップしたままだ。1年分のデーターから数枚を選び出すのはひと仕事だが、
アルバムに代わる彼らの成長記録のようなもの。しばらくつづけていきたいと思っている。

        カレンダー
                 Nさん一家のカレンダー

昨年末、Nさんのお孫さんたちのカレンダー作りを頼まれ、何とか年内に完成させた。
Nさんのご子息たち(長男は女児2人、次男は男児2人)に1部ずつ、奥様たちのご実家に
1部ずつの4部。Nさんのところには、4人のお孫さんの写真を載せたカレンダー。
写真が月1枚と少ないのも苦労する。中にピンボケのものがあって調整に時間がかかった。

Nさんの家の近くのカフェで、カレンダーをお渡ししたのは、晦日の夕方だった。
ガラス越しに目に入ったのは、向かいの八百屋さんやお菓子屋さんも見えないほどの人の波。
まるでアメヤ横丁のような賑わいだった。
翌大晦日は長男、次男一家とお墓の大掃除に行かれるという。カレンダーが間に合って
よかったとNさん。そして、2日後の1月2日に皆で初墓参というのが恒例なのだとか。
身近な人びと

大震災から10か月

2012年01月11日
2011年3月11日14時46分。忘れもしないあの日から10か月が経った。
昨年秋のことだが、篠山紀信の写真集ATOKATA(あとかた)』の発刊を記念して、
東日本大震災の写真展が開かれていることをラジオで知り、出かけたことがあった。
震災から50日後、篠山氏は「迷いとためらいを乗り越えて」被災地に行かれたそうだ。

私はそれらの写真を見ることに少しためらいがあったが、「話の肖像画」―震災と表現―」
(写真家 篠山紀信との対談 産経新聞)を読んで、思い切って出かけた。 

「これだけのことが起きてるのに、見なかったことにはできない。ただ、どうすればいいのか
わからなかった。撮ろうと思いながら、何もできずにうろうろしていた」
「人間ってのは
圧倒的な負のパワーに対したとき、それを押しのけようとプラスのパワーがわいてくるもの」


「防潮林がなぎ倒されて、潮で赤茶色になってて、水がひいていないが、
その水面がとてもおだやかで。そういう光景に、静謐(せいひつ)と荘厳を感じた」

仙台市の荒浜を訪れて、気持ちが変わったそうだ。

会場は神宮前にあるアウディのショールーム。表参道からならすぐにわかるだろうと
簡単に考えていたが大間違い。自分がひどい方向音痴だったことを忘れていた。
地上に出てから迷って迷って、徒歩5分のところ、30分かけてやっと会場に辿り着いた。

エレベーターで2階に上がると、巨大な写真が目に飛び込んできた。
展示されている写真は、写真集の判型(292mm×362mm)の5倍近い大きさだとか。
広い会場には、私のほかには男性が1人、そして受付の女性の2人だけ。


案内はがき
          それは神の悪戯でも凄惨な地獄でもなく、
          静謐で尊く、荘厳な光景であった。
          僕は自然の力に畏敬し、畏敬をもって凝視するしかなかった。

                           (篠山紀信写真集『ATOKATA』)

写真には題はなかった。どの写真にも不思議な静けさが漂う。だが、じっと見ていると
必死に訴えかけてくる。とくに印象に残ったのは2枚。
無残にも壊れた海辺の町を包み込む夜空に瞬く星たちの何と美しいこと!
しばらくその前を動けなかった。涙が溢れた。
そして、かつて家族が憩う窓辺だったのだろう、微風に揺れる白いカーテンが悲しかった。

昨年末、テレビ(NHK)で知ったのは、人形の街、岩槻(さいたま市)の「おもかげびな」だ。
東日本大震災で家族を失った人の心の支えにしてもらおうと、人形職人とNPOが協力して
「おもかげびな」を作り、材料費や送料は募金活動でまかない、希望者に無料で届ける。
遺族から届いた写真や手紙を元に、亡くなった人に似た、高さ約15cmの木の人形を
作っていくのだそうだ。
胴体部分に「見守って下さい」「今までありがとう」といった遺族からのメッセージが入る。
子どもだけでなく、大人や高齢者の人形もあるようだ。

今は祖父母の家で暮らしている東松島市(宮城県)の姉弟は、毎日、保育園の行き帰りに、
亡き母そっくりの「おもかげびな」の頭を撫でて、「行ってきます」「ただいま」と声をかける。
寝るときにも母の「おもかげびな」に話しかけるのだそうだ。孫たちを思って胸が詰まった。
旅・散策・イベント

「中国の至宝」に並ぶ列

2012年01月10日
除夜の鐘を撞いて新年を迎えたことも、初日の出を拝むために早起きしたこともあったが、
このところ、歳のせいか、寒い中を出かけるのが億劫で、敬遠していた。

そこで、今年の初詣は、トーハクの北京故宮博物院200選(~2/19)へ行くこととした。
今年はトーハク開設140周年にあたり、日中国交回復40周年にもあたるということで、
特別展にはかつての「紫禁城」、故宮博物院の180万件もの名品の中から選りすぐりの
200件が展示されている

トーハクにも数多くの中国の名品が収蔵されていて、常設展示された青銅器や唐三彩など、
さまざまな名品を写生するために、Kさんたちと度々通ったが、今回の展示品の約半数は
国宝級の「一級文物」で、日本初公開の名品も多数あるという。

先週、『法然と親鸞』展や『空海と密教』展ほどは混んではいまいと思い、病院の初通院の後、
上野に向かった。案の定、大きな門松が置かれたトーハクの門前には人は少なかったが、
平成館前で入場制限が行われていて、看板には「待ち時間は10分」と書かれていた。
 門 平成館前
                               
『法然と親鸞』のときに比べれば、館内に入るまでは何のこともなかった。
ところが、2階では、通行できるだけのスペースを残して「清明上河図」を観るための
長い長い列が、階段をぐるっと取り囲んでいた。3時間待ちだという。多くは年配の人たちだ。
「清明上河図」について何の知識もなく、立ち通しで待ちつづける人たちが不思議だった。

帰宅後、調べてみて、なるほど「神品」といわれる理由がわかった。
「清明上河図」には、市民の生活が衣食住にいたるまで細かに描かれ、宋時代の風俗を
知ることができる一級の資料だという。全長約5m、縦24cm。
各場面では庶民の幸せな日常生活が生き生きと描かれており、人々の表情もさまざま。
画面の中に登場する人物はなんと773人!とか。
(張択端 筆 北宋時代 中国故宮博物院蔵 一級文物 展示期間 ~1/24)

この「神品」のおかげで、Ⅰ部もⅡ部も人はまばら。特別展が開かれていない平日の
常設展並みで、特別展をあれほどゆっくりと鑑賞できたのは初めてのことだった。

第Ⅰ部には、書画、陶磁器、青銅器、漆工、琺瑯(ほうろう)、染織など。
「清明上河図」の前には二重三重の人。係員の「お進みください」の声も届かないのか、
列はほとんど動かない。外で10分、館内で3時間も待った人たちだから無理もない。
作品に沿って重なる人の列と、「清明上河図」の大写しビデオが何台も設置された
壁の間を通り抜けただけだったが、とりあえず私は満足した。

「明黄色彩雲金龍文緙絲朝袍」の前で、『蒼穹の昴』(原作 浅田次郎 NHKテレビ)で見た
光緒帝の龍の礼服を思い出した。正面を向いた龍が何とも可愛らしい。5爪の龍だった。
皇帝のみが許された色と龍の模様の最高位の礼服にしばし見とれた。
    礼服
       「明黄色彩金龍文緙絲朝袍」 「大紅色彩雲金龍錦朝袍」 (絵葉書)

Ⅱ部にも黄色と紅色の服が並んでいた。紅色の服は、乾隆帝の父・雍正帝の礼服だという。
Ⅱ部は清王朝の世界観がテーマ。
清王朝の最盛期を築いた第6代皇帝の乾隆帝(けんりゅうてい)の4つの顔が登場する。
乾隆帝の時代(在位60年)は清の絶頂期。モンゴル、台湾、ベトナムなどに侵攻し、
領土はそれまでで最大となった。そして、傘下におさめた民族を支配するために、
自らのイメージを使い分けたのだといわれている。

第1は、満州族の長。清の皇帝の姿。満州族の正装時の若い乾隆帝。
第2は、中国文明のパトロンでもあった天子としての姿。歴代の皇帝にならって古器物を収集し、
文化面でも最高指導者であることを世に示したという。
「乾隆帝是一是二図軸」は、乾隆帝自らと、その愛した文物を描かせたもので、故宮博物院に
残されたものが集められていた。
作品の題名にもなっている「是一是二」とは、「私は1人?それとも2人?」という意味。
たしかに、後方に同じ格好の肖像画が架かっているのが見える。
  乾隆帝
          「乾隆帝像」         「乾隆帝文殊菩薩画像」 「乾隆帝第閲像軸」

第3は、チベット仏教の庇護者、菩薩王としての姿だ。清は自らを、巨大帝国を築いた
元の後継王朝として位置づけ、元にならってチベット仏教を信仰した。
第4は、欧米列強と肩を並べる、東洋の国際帝国の君主としての姿。
清に宮廷画家として仕えたイエズス会宣教師のカスティリオーネ(郎世寧)の作という。
この画家の名は聞いたことがある。浅田次郎の『蒼穹の昴』に出てきたのでは?
今度、ゆっくりと『蒼穹の昴』を読み直してみよう。
中国・中国の旅

今年の初夢

2012年01月09日
今日は「成人の日」。新成人の夢はどんな夢を抱いているのだろう。
都内の新成人は約11万5千人(男性約5万9千人、女性約5万5千人 1/1現在)で、
過去最少となった昨年を約千人上回ったという。

初夢は、元日から2日の夜、または、2日から3日の夜に見る夢とされることが多いが、
私の夢には、初夢といわず普段の夢にも富士山などが登場しない。     (龍と獏
今年の初夢は3日の明け方に見た。ちっともお正月らしくない夢だった。
富士山や茄子はもちろん、十数時間前にこの目で見た鷹さえも夢に現れなかった。

2日の午後、新春恒例の「諏訪流の放鷹術の実演」を見るためにKさんと浜離宮を訪れた。
大手門前の駐車場には旅行社の大型バスも数台停まっていて、開演30分前というのに
会場はすでにたくさんの人が集まっていた。私は2度目。    (クロマツの老木たち
今年は何か淋しく感じられた。2年前はオオタカやチョウゲンボウなど9羽が登場し、
鷹匠、鷹匠補、門下生も多かったが、今年は4羽のオオタカと1羽のハリスホークだけ。
門下生は、ひと月前に入門した若者と何と1時間前に入門したという若者の2人だった。

   鷹匠たち
                        実演を終えて

浜離宮恩賜庭園(中央区)は、寛永年代まで一面の芦原で、将軍家の鷹狩場であった。
海を埋め立て屋敷を構えたのは松平綱重。6代将軍家宣のとき、屋敷は将軍家のものになり、
幾度かの造園改修工事を経て、ほぼ現在の姿の庭園が完成したのは11代家斉のときだという。

いつも夜はラジオを聞かない。朝6時にセットして寝るが、たまに早く目が覚めるときがある。
そんなときはスイッチを入れて、ベッドの中で過ごす。
2日の晩はラジオをつけっ放しで寝てしまった。翌朝5時、いつものテーマ曲が聞こえてきて
目が覚めた。夢を見ていた。初夢だ。

初夢の出演者は、北京に短期留学されたTさん、お孫さんの世話に忙しいSさん、Nさん、
和歌山から駆け付けたSさん、ほかにだれだったか、ざっと10人くらいだった。
一昨年秋、大学卒業後数十年ぶりに開かれたクラス会の同席者だったと思う。
どこかの区民センターのような雑然とした部屋に集まっているみんなに、なぜか、
クラス会に欠席されたOさんを紹介していたのは私のようだった。

        クラス会
              
今回も年賀状を出したのは新年になってから。大晦日、住所録の整理をしながら年賀状を作り、
元旦に投函できたのは20枚に満たなかった。以前はソフトを使って宛先も印刷していたが、
数年前から宛先だけは手書きを心掛けているので、大晦日から2日まで宛名書きに追われた。
プリンター任せだったら、TさんもSさんも、Oさんのことも思い出すことはなかっただろう。

10年以上前、京橋のビルの階段でOさんと出遇った。私の日本画と彼女の油彩の教室が
同じビルで同じ日だったのだ。その後、グループ展に伺ったくらいで、普段はお会いする
ことはなく、年に1度の年賀状のおつきあいだけだ。
日本画教室が自由が丘(目黒区)になって半年経ったとき、再び、Oさんに声をかけられた。
彼女は水彩画を習い始めたそうだ。2人の教室が曜日も時間帯までもが同じとは驚いた。

ロビーで立ち話をするだけで、お茶をご一緒したこともないが、そのうち、ゆっくり
2人のクラス会でもしたいなと思っている。
今年の彼女からの年賀状には「時々お会いできるのがうれしいです」と書かれていた。

初夢の場面はいつの間にか移っていた。わが旧宅の薄暗い応接間にみんながいた。
「日本茶がいい? それとも紅茶? インスタントだけれど、コーヒーがいいかしら?」などと
訊いていた。返答はあったのかどうか、次の場面は、現在のわが家のキッチン。
食器棚からコーヒーカップを取り出した。有田焼のカップ5客とあとは白いカップだったか、
結局、あまり使っていないコーヒーサーバーを出してきて、コーヒーを淹れたようだ。
次の場面は、だれかがこぼしたのだろうか、濡れたマットが裏返されて2つ折りになっていた。

富士も鷹も出てこなかったが、悪い夢ではなかった。住所録も軽くして年を越したことだし、
これからは交友関係を広げずに、今までの交友関係をもっと大切にしようと気づかせてくれた、
ちょっとおかしな初夢だった。
つれづれ

旧宅時代の想い出

2012年01月08日
父が逝ってから5年になる。父の書斎は私の部屋になった。書棚の一部には、父の蔵書や
数枚の写真のほか、父が集めた面白い形の石や蜂の巣まで入れてある。
仏壇は母の部屋にあるが、父は仏壇やお寺にではなく、この部屋にいるような気がしている。

父愛用の一枚板の書机は、娘の家のリビングにある。
大分傷もついたが、曾孫にあたるりんりんが宿題をしたり、おやつを食べたりと、毎日大活躍だ。
書見台、筆立て、文鎮、ペーパーナイフ、虫眼鏡(父は天眼鏡と言った)などは私の机の上。

戦前に祖父が建てた平屋の日本家屋は増築を繰り返したが、住みにくくて嫌いだった。
縁側に9枚の雨戸があり、怠け者の私は「閉めなさい」と言いつけられないことを祈っていた。
薄暗い玄関灯を頼りに新聞を取りに行くことも何とかして逃れたかった。郵便受けまでは
わずか20歩ほどなのに、椎や松、金木犀や熊笹などの陰に何かが隠れているようで
怖くて仕方がなかった。風の強い日などはとくにビクビクだったことを思い出す。
心臓が弱いのは、この「肝試し」の繰り返しのせいかもしれない・・・?

   旧宅母家
    
玄関にも雨戸があった。こんなところまで閉める必要はないじゃないかと思っていたが、
父には逆らえなかった。戸締りにうるさい父こそ、怖がりだったのかもしれない。

玄関と浴室の曇ガラスの上方には、戦時中、黒い布を吊った和釘が残っていたのが
何とも不気味だった。戦後生まれの私にも戦争の恐ろしさが伝わってきた。
近所にも度々焼夷弾が落とされ、お隣の家は丸焼けになったと聞いたことがあるが、
幸いなことに、わが家は池の水が消火に役立ったらしい。

昨年、旧宅とほぼ同時期に建った西堀榮三郎(第1次南極越冬隊隊長)邸を何度か訪れた。 
西堀邸の地下に防空壕があり、戦時中、近所の人たちでいっぱいになり、西堀一家は
入れなかったという話を伺ったとき、旧宅の座敷と茶の間の下にあった地下室を思い出した。
縁の下から光が差し込み、電燈もあったが、私の知る限り薄暗くジメジメしていた。

いつだったか、父は南側のベランダの脇に地下からの臭気抜き煙突をつけたが、
風の強い日などカラカラとうるさかったし、庭からの眺めはあまりいいものではなかった。
地下への階段は、台所とベランダにあったが、めったに地下室に入ることもなく、
階段に、自家製の味噌(2回)や毎年漬けた梅酒を保存するくらいしか役に立たなかった。

旧宅を解体後、一旦更地に戻すときに、この地下室と池を埋めるのが大変だったようだ。
その地下室にほんの一時期だったが、なぜか卓球台が置かれていたことがあった。
わが家に卓球好きはいないのになぜ? 単なる父の思いつきだったとも思えないのだが。

旧宅の座敷と茶の間との間には鶴と松がデザインされた欄間があった。
欄間(らんま)とは和建築の隣り合わせた部屋と部屋、部屋と廊下などの天井と鴨居との
間に取り付けられた、採光・通風のための格子板や透かし彫りの板のこと。

   旧宅座敷
             座敷側                       書院側

欄間彫刻でもっとも有名なのは富山県の砺波平野の南端に位置する井波地方だそうだ。
14世紀頃に社寺仏閣の大工仕事の中にその端を発する。江戸中期、特に瑞泉寺が消失し、
その再建のために京都本願寺より御用彫刻師が派遣された。地元大工が御用彫刻師について
彫刻の技法を本格的に習ったのが「井波彫刻」の始まりとか。明治に入ると、それまでの
社寺向けの彫刻技術が、民間住宅の神棚、置物、衝立などに活かされるようになったという。
「井波欄間」は、風景、花鳥、人物などの透かし深彫り。材料はクス、ケヤキ、キリの木など。

    書院
                       書院と縁側の間

父は欄間を新居のどの部分にも使えないことを残念がっていた。20年以上も前のことだ。
座敷と茶の間との間の欄間のほかに、座敷の紫檀の床柱と茶室の床柱も残した。
茶室の床柱は1尺の長さに切って欄間立て?にすることになった。切るのはごんさんの役目。
床柱は非常に堅くて、電動鋸の刃を数本折った。文字通り「刃が立たない」ほどの堅さだった。

    座敷
                       茶の間と座敷の間

見上げたときに美しく見えるデザインになっているという欄間。
かつて見上げていた旧宅の欄間なのに・・・。今は廊下の床に静かに立てられ、
飛べないでいる鶴たちを見下ろすのは寂しい。
身近な人びと

赤い実の赤い色   

2012年01月07日
「赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い 赤い実を食べた・・・」という童謡(北原白秋 詞 成田為三 曲)が
あるが、赤い実を食べても鳥は赤くならない。
それはともかく、赤や橙色、黄色など派手な色の実は遠くから目立つ。
赤い実は、鳥にたくさん食べてもらい、種を運んでもらうのだと思っていた。
鳥によって運ばれたのだろう、わが庭の思いがけない場所に顔を出す実生苗も多い。

『したたかな植物―あの手この手のマル秘大作戦』の著者、多田多恵子氏の話をラジオで
聴いて(『夢☆夢Engine』TBS)、身近な植物の見方が変わった。  (たんぽぽの秘密)  
彼女の著作には、子ども向けに『びっくりまつぼっくり』など絵本や図鑑も多い。

図鑑を作成するため、彼女は基本的に味見してみるそうだ。スタジオに持参されたのは
イイギリ」の実。赤くてきれいなイイギリだが、ほんとうに美味しくないという。
南天」は不味いだけでなく毒があるとか。観察していると、南天の実を食べに来たヒヨドリが
数粒食べるとピ~ピ~と飛んで行ったそうだ。 
因みに、葉に含まれる毒の量はわずかで危険性は殆どなく、逆に食品の防腐作用がある。
また、南天葉(なんてんよう)という生薬にもなる。

 イイギリ   南天
           イイギリ                        南天

イイギリや南天は、魅力的な赤い実をつけて、「おいしそうでしょ」と鳥を誘う。
だが、実際は実は不味い。鳥にずっと居座られては困るのだ。なぜなら、糞の中の種が
親の木の下にまとめて出されると、親や兄弟の木と競争することになるからだ。
鳥たちに数粒だけ食べてもらって、遠くへ運んでもらうのが、赤い実の戦略だという。

あらためて見ると、わが庭の南天のきれいなこと! 根元に実が落ちていることはない。
たまに近所のイイギリの下を通ると、風のせいか鳥が落としたのか、房のままの実を見かける。

「では、さくらんぼりんごなど、赤くても美味しいのはどうして?」という松尾氏の質問には、
そういった実は一度に熟さない。鳥は非破壊的に色で識別して赤いものだけを少しずつ
食べるので、不味くする必要はないのだとか。
赤くないキイチゴやブルーベリーも時間差で以って熟すことで防衛しているそうだ。

また、キウイなど地味な実のターゲットは動物で、色ではなく、甘い香りで誘う。
鳥は目が利くが、熊、タヌキなどの動物は色には鈍感だとか。赤くて香るりんごは両刀使い。
   
       ナツミカン

みかんの葉を陽に透かすと、星空のような白い点々が浮かぶ。
それが、みかんの皮にもある香りの強い精油成分の貯蔵庫。この香りの成分のおかげで、
動物からも菌類からも身を守ることができているそうだ。
ほとんどの虫は柑橘類の葉を食べないが、アゲハチョウの幼虫だけがその防衛を打ち破り、
今や独占状態となったとか。

わが庭でアゲハチョウの幼虫を発見したのは昨年の10月。柑橘系の葉をムシャムシャと
食べていたが、蛹になった姿を見ないうちにどこかへ消えた。  (アオムシの行方
植物など

たんぽぽの秘密

2012年01月06日
今日は24節気の1つ「小寒」。いわゆる「寒の入り」。小寒とは寒さが最も厳しくなる前。
小寒から節分までが「寒の内」で、1年の内で最も気温が低い季節。

昨年の12月13日、静岡では早々とタンポポが咲いて、記録を更新した。
気象予報士森田氏によると、今までもっとも早く咲いた記録は1月6日(2011年)で、
その記録日の前、ひと月以内に咲いた場合には、返り咲きや狂い咲きとしないという。
そのルールはおかしいと森田氏。だが、暖冬化の影響で花の咲く時期は年々、早まっている。
タンポポは冬の花といわれる日が来るかもしれない。

        たんぽぽ          

夜遅くまでラジオをつけていることはめったにないが、たまたま、流れていた『夢☆夢Engine』
(TBS)に聴き入って、珍しく夜更かしをしたことがあった。
この『夢☆夢Engine』(毎土曜24:30~25:00)は、物理や化学、生命科学などさまざまな
科学分野から、その道の達人が登場する。松尾貴史や理系学部出身の岡村アナウンサーが、
ゲストの話をわかりやすく掘り下げる番組。

この日のゲストは『植物のしたたかさ』の著書でもある植物生態学者の多田多恵子氏。
多田氏は子どもの頃から根っからの植物好き。小石川植物園が研究の場。
牧野富太郎博士ゆかりの分類学研究室に所属し、お昼にハルジオンのおひたしを食べたり、
洋種ヤマゴボウの試食にトライして気が遠くなったり、野鳥の撮影に夢中になって池に
はまったりと、多感でワイルドな学生生活を過ごされたそうだ。
現在、主婦業、大学講師、著述業そして研究者と、4足のわらじ生活を送る理学博士。      

この夜のテーマは、植物に隠された生き残るためのスーパーテクニックやその不思議な世界。
大の苦手の理系の内容だが、わかりやすく、ときに笑いを誘う絶妙なトークに惹きこまれた。

その中の1つ、「タンポポ」の防衛の話は意外だった。
タンポポを引きちぎると、白いベタベタした汁が出る。虫が葉を口に入れると、口の周りに
その汁がついて口が開かなくなり、それ以上食べられなくなるそうだ。
それもそのはず、この液体には「ラテックス」とよぶゴムの成分が含まれていて、
酸素に触れると固体に変化し、食べようとする虫の口を固めて塞いでしまうそうだ。
ちなみにこのゴム成分は、茎が傷つくと、「水絆創膏」となって病原菌から身を守るという。
ロシアタンポポは特に多くの天然ゴム成分が含まれていて、第二次大戦中、ロシアでは
このタンポポを栽培して戦車のタイヤを作ったこともあるのだとか。

      ムラサキカタバミ

カタバミ、ベコニア、イタドリ、スイバなどにはシュウ酸が含まれてる。
多田氏は無農薬栽培の「カタバミ」を持参された。味見した松尾氏は「すっぱ~い!」。
何のため? カタバミの葉は体にシュウ酸を蓄えている。シュウ酸は血液に入ると、
不溶性のシュウ酸カルシウムとなって体の中で結石となる。これもカタバミの防衛だという。

葉をくしゃくしゃに丸めて10円玉をこすった松尾氏。「ピカピカの10円玉になった!
赤ちゃんみたい!ピンク色!」と驚くことしきり。表面の酸化銅が還元されたのだとか。
昔の人は銅鐸とか銅鏡などをカタバミの葉で磨いたのだろうと多田氏。

道端でよく見かけるカタバミだが、調べてみると、カタバミは酢漿草とも書くようだ。
この漢字を見ただけでも「酸っぱ~い!」。
これからはカタバミを見ると、梅干しを見たときのように唾がでてきそうだ。
味見する気はないが、孫りんりんと一緒に、どす黒くなった10円玉を生まれたてのピンク色に
変えてみようと思う。

赤い実が実る植物たちの防衛についての話も興味深いものだった。(赤い実の赤い色
植物など

「幸せの5条件」

2012年01月05日
昨年の11月、国賓として来日されたブータン国王夫妻は東日本大震災の被災地を訪れ、
福島県相馬市の小学校で子供たちと交流した。国王は、ブータン国旗にも描かれている
龍について触れ、「みなさんの中に人格という龍がいます。年を取って経験を積むほど
龍は大きく強くなります。龍を養ってください
」と児童らに語りかけたという。
人口約70万人の小さなヒマラヤの国ブータンは、国民の心の充実を追及する「国民総幸福量
(GNH)」という考え方に基づいて政治を進めている国として知られている。
ブータンは英語。自国語では「ドゥクパの国」といい、「雷龍の国」という意味だという。

          おやこ新聞

11月末の産経新聞日曜版「おやこ新聞」のテーマは「ブータン」特集だった。
その記事の中、ブータンは「国民総幸福量ランキング」の8位。1位はデンマーク、
2位スイス連邦、3位オーストリア、以下、アイスランド、ハバマ、フィンランドとつづく。
因みに、日本は10位以内に入っていない。

経済力でいえば日本の方がはるかにゆたかなんじゃが・・・」と首を傾げるのは、
登場人物の1人「おじいちゃん」だ。
「人間の幸福というものは、決してお金やモノで満たされるものではないというよい例じゃな」
「多くの不安材料を抱えた国じゃからなあ~今の日本は・・・」
とおじいちゃんはつぶやく。

昨年末、Uさんとのメールのやり取りで、もっぱらの話題は「幸福の5つの条件」についてだった。
「・・・何時だったか、ラジオ深夜便で、幸せの5項目を言っていました。
1 健康であること 2 朝起きて、今日の一日、何かをすることがあること 3 美しいことを
美しいと思える心。 そして、あとの二つがどうしても思い出せないのです。
当たり前のことを言っていたのですが、どうしても思い出せません。いまも気になっています」

あとの2つは何だろう? メールをもらって、私も気になり始めた。

調べてみると、なあんだ、スイスの精神分析家ユングの言葉だったとは!
「ラジオ深夜便」(NHKラジオ)の「こころの時代/明日へのことば」の中で、
Uさんの心に残ったのは、『楽隠居のすすめ』-『鶉衣』のこころ-(岡田芳郎 著)に
引用されているユングの「幸福の5条件」だった。
なお、『鶉衣』(うずらごろも)の著者は江戸中期の尾張藩士であった横井也有。
   
     雲
                         双龍?
ユングの「幸福の5条件」とは
① 心身が健康であること。 
② 朝起きて今日やることがあること。
③ 美しいものを見て美しいと思えること。
④ 楽しい対人関係が保てること。
⑤ ほどほどにお金があること。


なるほど。ごく当たり前の平凡なことだが、実に大切なことだ。
私に関して言えば、②と③は軽くクリア。自信がある。④はまあまあかなと思う。
①は? 病床で闘っている人たちを思えば、私の腰痛や頸、肩の痛みなど何でもない。
胃腸の調子も決してよくないが、処方された漢方薬を真面目に飲んでいれば今は何とかなる。
あちこち気になるが、病院に通ったり、整体院に飛び込むことができるのは有難い。

⑤は、×ではないが、○でもない。「ほどほど」とは? 人によってそれぞれだろうが。
私は①から④までの条件が満たされるなら、自由なお金が多少あるに越したことはないが、
それより自由な時間の方が有難いかな。

要するに、まず、健康だ。健康であれば、病院や整体院にお金を使うこともない。
自分の足で好きなときに好きなところへ行きたい! 美しいものは美しく感じられるし、
いろいろな人とのおつきあい、思わぬ出逢いにも胸躍る。毎朝、起きるのが楽しみになる。
今年の目標は健康的な生活。筋トレと脳トレの時間を増やし、病院通いを減らすことだ。
つれづれ

成語の中の「龍」

2012年01月04日
龍はインドの神話や中国の神話に登場する伝説上の生物。悪の化身とされている
西洋のドラゴンとは全く異なり、特に中国では、四霊(麒麟、鳳凰、亀、龍)の1つとして、
あるいは皇帝の始祖とされている。漢時代には、皇帝の象徴として宮殿、玉座、衣服、
美術品などの「皇帝コレクション」に描かれるようになった。

龍顔(天子の顔)、龍眼(天子の目)、龍髯(天子の口髭、龍の口髭)、龍袍(天子の服)。
龍舟(天子の乗る舟)、龍車(天子の専用車)など、天子にまつわる「龍」の二字熟語は多い。
龍顔は天子の顔だが、駱駝に似るといわれる龍頭は科挙の主席合格者を指すこともあるとか。

龍湫は、滝、瀑布。龍鐘は失意のさま。龍馬龍駿龍種などは、駿馬、優れた馬のこと。
龍馬精神 力が旺盛で健全で活気に満ちる精神を言う。

一昨年夏、『龍馬伝』ファンだった孫りんりんは京都の龍馬ゆかりの地を訪ねた。
龍馬が近江屋事件の前に潜伏した材木問屋『酢屋』は、現在は木工ギャラリーになっている。
ここで購入した龍と馬の箸置きをお土産にもらった。おが屑入りの箱に大切に仕舞ったままだ。
昨年はお江ファン(お江の故郷の滋賀を訪ねたときはクッキー)。今年は平清盛ファンになる?

          箸置き
                     龍と馬の箸置き 

因みに、「竜」と「龍」に意味の違いはないが、「竜」は常用漢字、「龍」は名前に使える漢字。
白龍(天子の使者)、四神の1つ。青龍蒼龍黄龍(黄金色の龍)。さまざまな龍がいる。
蛟龍 未だ龍とならない大きな鱗のある水神龍。水中に潜み雲雨に乗じて天に昇る。
蟠龍 天に昇らない大地神龍。
臥龍 野に隠れて世に知られていない大人物(特に諸葛亮 孔明を示す)。
昇龍 昇天する龍、蜷龍はとぐろを巻く龍。
雲龍 雲、風、嵐を呼ぶ龍。
龍の雲を得る如し 龍が雲を得て天に昇るように、機に臨んで盛んに活躍するたとえ。
飛龍 天空を飛ぶ龍。
飛龍雲に乗る 英雄がその才能をふるう時を得るたとえ。
飛龍天にあり 聖人が天子の位にあり人民がその恩沢を受けるたとえ。
龍門 黄河中流の山西省と陝西省の境にある。鯉がここを登ると龍になるといわれる。
龍門の滝登り 登竜門 立身出世すること。
龍鱗 老松の皮。龍笛 龍の声を真似て作ったといわれる横笛。雅楽で使われる。
    双龍
                 剪紙「双龍」  馬 瑞蓮 作 
          
中国では皇帝は龍の化身、皇后は鳳凰の化身と言われ、龍と鳳凰の故事成語も多い。
龍は、頭は駱駝、角は鹿、耳は牛、目は兎、項は蛇、掌は虎、爪は鷹、腹は蜃、鱗は鯉。
鳳凰は、嘴は鶏、頷は燕、頸は蛇、背は亀、尾は魚で、黒・白・赤・青・黄の五色。(Wikipedia)
龍躍鳳鳴 才気満ち溢れている様。
龍瞳鳳頸 立派な相、貴人の相。
龍駒鳳雛 幼年より才気すぐれた者。
龍蟠鳳逸之士 非凡な才能をもつが発揮できずにいる人。

龍と虎の故事成語も多い。 
龍行虎歩 威厳のある歩き方。
龍潭虎穴 龍や虎が居住する所ですなわち非常に危険なところを言う。
龍闘虎争 互角の力をもった両雄が激しい戦いをすることのたとえ。
龍腾虎跃 威風堂々として非常に活発な様子。

昨年は、春にとりかかった本画が終わらず、秋、いよいよ「画龍点睛」というところで、
風邪や雑用でまったく進まず、ついに年を越してしまった。
一龍一猪(勤勉と怠惰の結果、大きな差ができること)。
猪は怠惰? 中国の猪は豚のことだが・・・? 龍になれずともせめて怠惰にならずに、
今年こそ、画に限らず何ごとも「龍頭蛇尾」とならないようにしなくてはと思っている。
つれづれ

龍と獏

2012年01月03日
縁起が良い初夢は「一富士(いちふじ)、二鷹(にたか)、三茄子(さんなすび)」ということばがある。
江戸時代に最も古い富士講組織の1つがある駒込富士神社の周辺に、鷹匠屋敷があったこと、
駒込茄子が名産物であったことに由来する
らしい。(Wikipedia)

初夢は、元日から2日の夜、または、2日から3日の夜に見る夢とされることが多いが、
私の夢には、初夢といわず普段の夢にも富士山などが登場したことはない。
見るのは不可解な夢が多い。学校の昇降口、階段、トイレの場面がほとんどで、
試験場にいる自分だけがパジャマ姿だったり、何かに間に合わなかったり、焦ったりと、
悪夢というほどではないが、あまりいい夢はみない。

室町時代末期には、正月に良い初夢を見るために枕の下に宝船の絵を敷く際、
悪い夢を見ても獏(ばく)が食べてくれるようにと、船の帆に「獏」と書く風習も見られた。
江戸時代には獏を描いた札が縁起物として流行し、箱枕に獏の絵が描かれたり、
獏の形をした「獏枕」が作られることもあった。
(Wikipedia)

獏は、中国から日本へ伝わった伝説の生物。獏の図や文字は縁起物として用いられた。
人の夢を喰べて生きると言われ、悪夢を見た後に「(この夢を)獏にあげます」と唱えると
その悪夢を二度と見ずにすむといわれている。

以前、読んだ短編集「リライブ」(小路幸也 著)は不思議な話だった。(獏との取引に応ずる?」)
この本に登場する獏は、悪夢を食べるのではない。人が死に臨んだとき、獏(バク)」が現れて、「死にゆくあなたの思い出をいただくために参上しました。
その代わり、取り戻したいものを差し上げます」と囁きかけるところから、この本は始まる。

中国の伝説では獏が悪夢を食べる描写は存在せず、獏の毛皮を座布団や寝具に用いると
疾病や悪気が避けられるといわれ、獏の絵を描いて邪気を払う風習があった。
こうした「悪夢を払う」俗信が転じて「悪夢を食べる」と解釈されるようになったようだ。
また、唐代の書『唐六典』には「莫奇(ばくき)」という神が夢を食べるという記述があり、
これが獏と混同されたとの説もある。

獏は、鼻は象、目は犀、体は熊、脚は虎、尾は牛にそれぞれ似ているとされる。
その昔、神が動物を創造した際に、余った半端物を用いて獏を創造したためと言われている。
干支の中では唯一の架空の生き物であり、神の使いとしてあがめられている龍も
中国の伝説上の生物だが、獏とはだいぶ異なる姿をしている。  (龍の姿は・・・
龍の頭は駱駝、目は兎(鬼)、耳は牛、項は蛇、腹は蜃(しん)、 鱗は鯉、掌は虎、爪は鷹に
似ているといわれている。

花入 印池
        3爪の龍   張さんに頂いた花入と印池     5爪の龍 

りんりんがわが家に来たとき、趙さんに頂いた綿入れのベストを着せた。
最近の子どもたちは毛糸のセーターをめったに着ないようだ。綿のTシャツにGパンの
りんりんは寒い寒いとストーブの前を離れない。あらためて見ると、ベストに龍の模様!
3年前に頂いたベストだが、さすがにキュウクツになり、飾りボタンを閉めるのに手間取る。

中国には龍が至るところで見られる。皇帝の龍は5本の爪、ふつうは3本の爪・・・。
龍の模様の花入れや印池を出してきて、龍の姿は9つの動物に似ていることなどを教えた。
うなじを動物と勘違いしたり、蜃などはピンとこなかったようだが、数日後、質問してみると
全問正解。どうやら丸暗記できたようだ。でも、龍の姿を覚えることより、
現在、学習中の「九九」の「7の段」あたりをチェックした方がよかったかもしれない。
動物など

龍の姿は・・・

2012年01月02日
今年は辰年。江戸東京博物館(墨田区)の『歴史の中の龍』展(~1/29)では、龍をかたどった
武具や火事装束、工芸品の他、龍に関した江戸時代の典籍、錦絵などが展示されているという。
上野動物園(台東区)で人気を集めているのはフトアゴヒゲトカゲ。オーストラリアに棲息する
雑食性の爬虫類。英名にはドラゴンがつき、ちょっとメタボな竜に見えるという。
水族館の人気者はタツノオトシゴ。サンシャイン水族館(豊島区)の特設「干支水槽」には
3種類のタツノオトシゴが集められているそうだ。(産経新聞

昨年のクリスマスイベント開催中に行ったしながわ水族館(品川区)のタツノオトシゴの水槽の
前は静かだった。主に生きた小型のエビを与えて飼育される「ビッグベリーシーホース」。

          タツノオトシゴ
            ビッグベリー シーホース   しながわ水族館
 
タツノオトシゴたちは、近々、辰年で脚光を浴びることも知らずに、のんびりと水槽の中を
上がったり下がったりしていた。南オーストラリアの比較的冷たい海に棲息しているそうだ。
今日2日からオープンする水族館。静かだったタツノオトシゴの水槽は「干支水槽」となって、
多くの人たちに囲まれて賑やかなことだろう。

ところで、龍は中国神話の生物。古来神秘的な存在として位置づけられてきた。
十二支に各々動物が当てはめられた際、唯一採用された伝説上の生物。
その起源は、古代に長江や漢水に実在したワニの一種で、寒冷化により絶滅した後、
伝説化したという説もある。

中国では殷・周時代にすでに図案化されていたが、その形態や観念が一般化されたのは、
戦国から漢代にかけてだという。麒麟、鳳凰、亀とともに「四霊」とされた。
龍は神獣・霊獣であり皇帝のシンボルとして、天子の権威と結びつくようになった。

秋になると淵の中に潜み、春には天に昇るとか。その啼き声によって雷雲や嵐を呼び、
また竜巻となって天空に昇り自在に飛翔すると言われる。

龍の姿について書かれたもののうち、もっとも有名なのは、2世紀に書かれた『三停九似説』。
のちにその説を引用した南宋時代の博物誌『爾雅翼』によれば、「龍に九似あり」と。
三停とは、体が頭から肩、肩から腰、腰から尾の3つの部分からなるというもの。
九似とは、龍を9つの部位に分け、それぞれがどんな生物に似ているのかというもの。

頭の駝(駱駝)に似たる、角の鹿に似たる、眼の鬼(兎)に似たる、耳の牛に似たる、
項の蛇に似たる、腹の蜃(しん)に似たる、鱗の鯉に似たる、爪の鷹に似たる、
掌の虎に似たる。
「鬼」というのは、幽霊のことなので、「兎」の誤記でないかと言われている。
蜃は、「蛟(みずち)の属で蛇に似るが大きく、角があって龍に似ている」という。
また、口辺に長髯をたくわえ、喉下には一尺四方の逆鱗があり、顎下に宝珠を持つといわれる。

          刺繍
             元時代  刺繍(部分)   5本の爪の龍

元の朝廷は五爪の龍を天子の象徴とし、一般の使用を禁じた。
「北京紫禁城の九龍壁」「北京北海公園の九龍壁」「山西省大同の九龍壁」の
中国三大九龍壁の龍の爪は五爪だ。
なお、4本爪は貴族、3本爪は士族、2本爪は臣民、1本爪は卑民を守護するとされる。

日本では龍の爪の数に中国ほど意味を見出しておらず、一般的には三爪で描かれるが、
京都の天龍寺の天井画の龍や錦絵などに描かれた龍は5本爪だという。

わが書棚の中国コーナーにある、張さんから頂いた花瓶に描かれた龍の爪は3本だ。
張さんによれば骨董品らしいが、それらしく作られたものだろうと私は思っている。
やはり張さんが下さった「印池」にも龍が描かれている。安徽省古村落の民家で実際に
使われていたものだが、そこに描かれているのは、なぜか5本の爪の龍だ。
今年は、これらの龍たちを玄関に飾ることにしよう。
つれづれ
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