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折り返し地点

2013年06月30日
6月も今日で終わり。多くの神社では「大祓(おおはらえ)」が行われる。
6月と12月の晦日に行われる大祓の神事は、それぞれ、夏越祓(なごしのはらえ)、
年越祓(としこしのはらえ)と呼ばれる。            (茅の輪くぐり

      水無月の夏越の祓いする人は 千歳の命延ぶというなり

6月は六月祓とも言われて、茅の輪潜り(ちのわくぐり)が行われる神社も少なくない。        
これは、茅草で作られた輪の中を左、右、左と8の字に3回通って穢れを祓うもので、
今までに都内のいくつもの神社で「茅の輪」を潜った。 (茅の輪めぐり

          母の分も一つくぐる 茅の輪かな   一茶

昨年の6月末、鎌倉の鶴岡八幡宮にOさんと立ち寄った。
七夕祭や大祓のポスターはあったが、くす玉と吹き流しに飾られた参道には、
茅の輪はまだ見当たらなかった。

     八幡宮

     七夕祭 大祓

今年は多摩川浅間神社で茅の輪を潜ることにした。大祓の時期は初めてだ。
今年の元旦、ガス橋から初日の出を拝み、多摩川沿いを丸子橋まで自転車で。
浅間神社で初詣。富士山もよく見えたあの日からちょうど半年が経った。

この神社は富士山信仰でも有名。源頼朝の妻政子が戦地に向かった夫を思い、
後を追って来たが、わらじの傷が痛み、やむなくここに逗留することに。
ここ亀甲山(かめのこやま)に登った折、富士山のあまりの美しさに、
頼朝の武運長久を願って身につけていた正観音像を建てたという。

      茅の輪つくり

     茅の輪準備中
          浅間神社   6月29日 10:30 

昨日の朝、たまたま通りかかった浅間神社の階段を上ってみると、
本殿前ではまさに今日の夕方の大祓のために「茅の輪」を準備中だった。
今まで「茅の輪」はいくつも潜ったが、夜の夏越祓は機会がなかった。         

今日は日曜日。午後4時からということなので、りんりんと行くつもりだ。
満月から新月への真ん中、下弦の月。半年の罪や穢れを祓い、リセットしたい。
清々しい心で残りの半年を迎えられそうだ。
旅・散策・イベント

4人に1人が高齢者

2013年06月29日
高齢者、介護、認知症に関する話題の多いこと。
65歳以上の高齢者の総人口に占める割合は24.1%(2012)と過去最高に。
これは1947年生まれの団塊世代が65歳になる時期を迎えたことが、
急ピッチで高齢化が進む要因になっているという。

介護が必要になったら、だれに頼る? 団塊の世代の意識は男女で大きな差が
表れた。男性の半数余りが妻、夫と答えた女性は3割に満たなかったとか。

介護保険制度スタート後、特別養護老人ホームなどの老人福祉施設が設けられ、
入浴や食事などの介護を受けられるデイサービスステーションも増えている。
朝夕などはサービスステーションの送迎車を何台も目にすることも多く、
ビルやかつての店舗にケアステーションが次々にオープンするこのごろだ。

だが、介護の現状は厳しい。全国約6千か所の特別養護老人ホームには
約41万人(2008年)が入居している。特別養護老人ホームは入居金不要。
相部屋で比較的低料金(数万~10数万円/月)、終身利用できる。

       整形外科前
                 整形外科

入所待機者数は全国で約42万人以上。そのうち在宅で待つ人(約20万人)の
34%が重度の要介護4~5だという。介護老人保険施設や医療施設など、
実際に長期滞在ができない施設で入所を待つのは約22.3万人といわれる。
また、在宅の1~2の要介護者のうち、単身世帯などを中心に常時職員のいる
施設への入所を希望するケースも増えてきている。
待機高齢者数には、複数の施設に入所申込をしている者も含むが、
特別養護老人ホームが圧倒的に足りないのが現状だという。

さらに、認知症を患い介護が必要な高齢者が共同生活を送るグループホームも
不足しているという。グループホームは、全国で総定員数約14万3千人だが、
認知症高齢者は軽度も含め約150万人に上り、防災上の対策も問われている。

国立長寿医療研究センターによると、認知症が疑われるお年寄りのうち、
5%の人は耳に大きな耳垢が詰まっていて、耳垢を取り除くと聴力が上り、
認知機能もよくなったとか。ほとんどの人は耳垢以外の原因ということに?

気になるのは、歩幅が狭い高齢者ほど認知症になりやすいという、東京都の
健康長寿医療センター研究所の調査結果だ。年齢や身長などの条件を
調整して、歩幅を「広い」「普通」「狭い」の3群に分けて分析。
普通の速さで歩く時に、歩幅が狭い群は、広い群に比べ、認知機能が低下する
リスクが3.4倍高かった。特に女性ではその差が5.8倍になった。
男性では速く歩いた時の差が大きく、狭い群のリスクは広い群の4.4倍に。

歩幅を手がかりに、認知症の早期発見や予防が可能になると期待されるという。

    上野公園
              さすが小学生

このごろ自分でも歩く速度が落ち、歩幅が狭くなったことを実感する。
そういえば、まず気づいた母の異変は歩き方だった。少し前のめりになって
歩幅は狭く小刻みに歩くようになった。前頭葉の委縮が始まっていたのだろう。

ちなみに、普通、歩幅は身長☓0.45で、大股に歩くなら☓0.5だとか。
測ってみると、これはまずい。明日から手を振って大股で歩かなくては。
つれづれ

抱っこして歩くと・・・

2013年06月28日
「おやこ新聞」の「だっこして歩くと赤ちゃんは落ち着く・・・そのことが科学的に
証明されたって?」(産経新聞日曜版 6/23 )という見出しと
猫が子どもを口にくわえているイラストが目を惹いた。
哺乳類の赤ちゃんが母親に運ばれる時におとなしくなる仕組みの一端が
理化学研究所などの共同チームによる動物実験で明らかになったという。

わが庭で生れた4匹の猫たちは5歳を過ぎたが、どの猫だったか忘れたが、
親猫チビがくわえたまま万年塀を駆け上ったのを目撃したときは衝撃だった。
今でも万年塀をみると、あのときの光景を思い出すことがあるほどだ。

     おやこ新聞

人間の場合、母親が抱っこして歩くと赤ちゃんはリラックスするという、
当たり前に思えることが科学的に証明されたという。
生後6カ月の人間の赤ちゃん12人に「座る」行為と「立って歩く」行為を
繰り返してもらうと、母親が抱っこして歩くと泣く時間が10分の1に、
自発的な動きは約5分の1に減少、心拍数も母親が歩き始めて3秒程度で低下。
つまり、リラックスした状態になるという結果が出たという。

マウスの実験では、子どものマウスの首の後ろの皮膚感覚をなくしたり、
姿勢を制御する小脳の働きを抑えたりすると、運ばれるときも暴れるなどした。
母親がするように赤ちゃんのマウスの首の後ろをつまみ上げると泣き止み、
自発的に動く量も減ったそうだ。

     抱っこ
        ゆうゆう 6ヶ月        あいあい 2ヶ月  

哺乳類の子どもは、母親がくわえて運びやすいように大人しくなり丸くなる。
こうした「輸送反応」が起き、リラックス状態になることで、敵から素早く
逃げられるなど、母親の子育てに協力しているのだという。
「輸送反応」には、小脳皮質と、首の後ろをつかまれている感覚、そして
空中を運ばれている感覚も必要なこともわかった。

この記事を読んだ日、じゅんじゅんを預かった。母親が玄関のドアを閉めた直後、
バイバイの手を止めて泣き出した。早速、抱き上げて歩くとすぐに泣き止んだ。
「ほんとだ。3秒で泣き止んだ! 実験の通りだ」とりんりんと笑った。
数歩しか歩けなかったじゅんじゅん、10日見ないうちに数m歩けるようになった。
たまに尻もちをつくが、そんなことでは泣かない。なかなか逞しい。
つれづれ

お墨付きカレー

2013年06月27日
久しぶりに孫あいあいが熱を出したので、2日連続で阿佐ヶ谷へ出かけた。
朝7時過ぎ、乗換えの少ないルートを選んだ。春から埼玉方面への直通運転が
始まったお陰で、渋谷で乗換えることなく新宿三丁目まで行き、少し歩くが
丸ノ内線に乗り換えて南阿佐ヶ谷まで。丸の内線の車内は空いているし、
混んだ東横線だけを我慢すれば、JR利用より乗換えは少なくてすむ。

昼過ぎ、あいあいと「オセロゲーム」やトランプの「神経衰弱」で遊ぶうちに
昼ごはん。午後、ごんさんとバトンタッチ。
以前、自転車の前籠用に買った「杉並ベルト」がくたびれてきたので買おうと
杉並区役所に立ち寄った。グリーンカーテンは順調に伸びていた。

       墨つきカレー

肝心の「杉並ベルト」はなかったが、「阿佐ヶ谷文士 御墨つき伽哩(かりー)」を
みつけた。文士たちのインクを模した、イカスミ入りの真っ黒なルーが特徴という。

「七夕まつり」で知られる阿佐ヶ谷の町では、昨夏、「阿佐谷の名物を」と、
地元の飲食店や雑貨店の若手商店主らが集まり、誰もが好きな「カレー」を
売り出すことに決めた。区民からアイデアを募集したところ、イカスミを
インクに見立てた「文士カレー」が選ばれた。
レシピはフランス料理店のオーナーシェフが担当。ルーは、イカスミのほかに
竹炭も入れてより黒くし、パプリカなどを加えてまろやかに仕上げたとか。

     FikaFika

この「お墨付き」のカレーは、区役所1階のレストラン「FikaFika」で
(¥750)食べられるほか、レトルト「阿佐ヶ谷文士御墨つきカレー」
(¥525)は、同じく1階の売店で販売されている。買って帰ろうかとも
思ったが、クリニックに行くのに荷物になるのでこの日はやめた。

大正末期から昭和初期にかけて、井伏鱒二、横光利一、三好達治、太宰治、
金田一京介、北原白秋、大宅壮一、中川一政、橋本明治、棟方志功、
徳川夢声など、阿佐谷界隈には多くの文士や作家が集まっていた。

阿佐ヶ谷などの魅力について、井伏鱒二は「荻窪風土記」に記している。
「・・・私は昭和二年の初夏、牛込鶴巻町の南越館といふ下宿屋から
この荻窪に引越して来た。その頃、文学青年たちの間では、電車で渋谷に
便利なところとか、または新宿や池袋の郊外などに引越して行くことが
流行のやうになつてゐた。新宿郊外の中央沿線方面には三流作家が移り、
世田谷方面には左翼作家が移り、大森方面には流行作家が移つて行く。
それが常識だと言ふ者がゐた。

関東大震災がきつかけで、東京も広くなつてゐると思ふやうになつた。
ことに中央線は、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪など、御大典記念として
小刻みに駅が出来たので、市民の散らばつて行く速度が出た。 

新開地での暮しは気楽なやうに思はれた。荻窪方面など昼間にドテラを
着て歩いてゐても、近所の者が後指を差すやうなことはないと言ふ者がゐた。
貧乏な文学青年を標榜する者には好都合のところである。・・・」


2009年は「太宰治の没後60年・生誕100年」の年だった。
この年の秋、Hさんからの手紙に「昭和8年頃から13年くらいまで太宰治が
下宿していた家」の写真が同封されていた。昭和8年というのは、太宰治が
井伏鱒二宅に近い碧雲荘に転居し、小説を発表し始めた頃にあたるそうだ。

Hさんの手紙を受け取ってまもなく、ゆうゆうの保育園の運動会があった。
運動会をみた後、太宰治の住んでいたという「碧雲荘」まで歩いた。
1階に大家さんの玄関と2階への出入口があった。(現役の「昭和の家」

    碧雲荘

当時、Hさんはかつての阿佐ヶ谷文士村、天沼に住んでおられたが、
昨年、もう1つの文士村「馬込」に越された。
文士村といえば、馬込と阿佐ヶ谷しか知らなかったが、田端、新宿大久保、
目白など、意外に多く、当時はどこも武蔵野の雰囲気があったとか。
旅・散策・イベント

ほんものそっくり

2013年06月26日
ベーコンや目玉焼きのピアスが大人気だとか。どちらも2千円近いが、
この春からこうしたアクセサリーが話題になっているという。
作っているのは埼玉県所沢市の食品サンプルメーカー「畑中」で、ほかにも
ベーコンスクランブルエッグのカチューシャ(¥5800)といったものまで。

食品サンプルは、実は高い技術が開発され尽くされているので、今以上に
見た目のインパクトを出すことには限界があるという。
ところがアクセサリーは、食品サンプルだと500円、900円のものが
3千円、5千円で売れる。1万数千円というカチューシャも売り切れたとか。

ラジオなので、見えなかったが、耳からベーコンの塊がぶら下がっているのを
想像するだけでおかしかった。(TBSラジオ『森本毅郎・スタンバイ』

       食品サンプルの店

そういえば、浅草合羽橋商店街には食品サンプルの店も多く、ミニュチュアの
寿司の形をしたキーホルダーなどが食品サンプルとともに所狭しと並んでいた。

     サンプル
       麺類は特価千円  ローストチキンは3万円!
  
ふわふわのパンとか、パリパリパリと音を立てて割れる味のりのようなもの、
見た目が似ているだけではなく、触感もほんものに非常に近いものをつくる
技術を持つ食品サンプルメーカーの新しいフィールドが「医療」の世界。

大手「いわさき」がそのさきがけとなり、カテーテル治療のトレーニングが
できる心臓血管の人体模型を作っている。
カテーテルは、心臓などを検査したり治療する時に血管に通す細い管。
こういった手術は細いカテーテルを血管のなかに入れ、指先に伝わる血管の
感触で進めていくその感触を覚えていくためには、触感をも再現する、
食品サンプルの技術の高さで作られた血管が必要だった。

食べ物の模型は、実際のものをシリコン樹脂で型取りをしてコピーをする。
だが、生きた人の体をコピーするわけにもいかない。技術的にはかなり
難しかったが、4年がかりで医療現場の要望に応えることができたという。

カテーテルといえば、今年の春、桂花会(中国語学習会)のKさんが
頸動脈の狭窄部を拡張するためのカテーテル手術を受けられた。
何でも99%詰まっていた血管は手術後、順調に流れ出したそうだ。

入院中のため御宿の旅には欠席されたが、今月、わが家での中国茶の会には
お元気で参加された。カテーテル手術のお陰で命拾いしたとKさん。
日進月歩の医療技術、そして食品サンプルの可能性もますます広がりそうだ。
つれづれ

アメリカから来た泰山木 

2013年06月25日
    おおらかな泰山木の初花よひとつが天を仰いで開く  鳥海昭子

毎早朝、NHKラジオ「ラジオ深夜便」でその日の誕生日の花にちなんだ歌人
鳥海昭子の短歌が紹介される。先週17日の誕生花は「タイサンボク」だった。
鳥海昭子(とりのうみ あきこ)は山形県鳥海山麓に生れた。
『ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日』 という本も出ている。
タイサンボクの花言葉は威厳、自然の愛情。    

2年前の6月末、東工大の大岡山キャンパスに立ち寄った。(タイサンボク
雨の日だった。整形外科でレントゲンを10枚も撮って気持ちが沈んでいたが、
タイサンボクの真っ白な花を前にしてすっかり心が晴れたことを思い出す。

近所でタイサンボクが咲き出したので、東工大の樹も咲いている頃だろうと、
6月初め、絵のお仲間とスケッチに行った。少し早過ぎたようだったが、
目の高さのところにもいくつか咲いていた花をスケッチできた。
東工大の会館2階にある精養軒でスケッチの時間より長いランチタイム。

       タイサンボク
 タイサンボク

タイサンボクは葉も大きく、20cmほどの芳香のある白い花を咲かせる、
ときに丈が20mにもなる大陸的な巨木。
「泰山」という名から中国原産と思われがちだが、原産地は北アメリカ南部。
アメリカ合衆国南部を象徴する花木とされ、タイサンボクの州と愛称で呼ばれる
ミシシッピ州の州花、州木であり、ルイジアナ州の州花に指定されている。

明治6年、日本に初めて公園ができた。上野恩賜公園には、グラント将軍の
来日を記念して、夫妻によって植樹された大きなタイサンボクがある。
南北戦争で北軍を勝利に導いたグラント将軍は、大統領(第18代)となって
からも将軍と呼ばれた。その後は戦争や軍隊を忌避する発言で知られていて、
「二度と見たくないのは軍隊の行進である」ということばが残っている。

グラント将軍は芝増上寺でも「グラント松」(ヒマラヤ杉)を植樹している。
参道を挟んで第41代ブッシュ大統領お手植えの樹「ブッシュ槙」も。
また、練馬区光が丘にはグラント将軍の名をとった「グラントハイツ」と
呼ばれた米軍家族宿舎があった。
植物など

胃カメラ検査

2013年06月24日
胃の調子が悪いので、先月、いつもの漢方内科で胃カメラの検査を受けた。
以前、ラジオできいた岡田正彦教授(新潟大医学部)の話は半ば忘れていたが、
バリウムでの胃がん検査はしたくなかった。

今や2人に1人が癌に罹り、3人に1人が癌で死亡する時代。
だが、「検査を受けようが受けまいが寿命は延びることはない」という。
睡眠時間、体重、生活習慣、過去に受けた医療行為など、あらゆる条件を
考慮した上で、「がん検診を受けた人と受けない人が十数年後どうなったか」を
追跡調査した世界中の論文を過去20年にわたって読みつづけてきた岡田教授。
「がん検診を受ける人は受けない人に比べ死亡率が高くなる」ことがわかった。

「エックス線検査の放射線被爆のデメリットより、早期発見のメリットの
方が大きい」と国や専門家たちは主張するが、岡田教授によれば、これには
科学的根拠がなく、早期発見のメリットを科学的に証明した論文はまったく
なかったそうだ。 

胃がん検診をやるのは世界中で日本だけ。しかも、大規模な追跡調査がない。
胃がんを減らすどころか、むしろ増やしている可能性があるという。
肺がん検診ではレントゲン写真1枚撮るだけだが、胃がん検診では、検査中、
放射線を浴びることになるので、被爆量は肺がん検診の100倍以上になる。
胃がんの死亡者数が減少した本当の理由は、日本人の塩分摂取量が減ったことが
大きく関係しているという。             (健診と検診

最初に受けた検査は4年前。近所のクリニックで鼻から内視鏡を入れた。
胃にヒダがなく胃壁も薄いといわれたが、消化能力が不足しているのだろうか。
ポリープはあったが問題なし。ピロリ菌もいなかったのは幸い。
2年前は総合病院で軽く麻酔をされて口からの検査。今回も経口内視鏡で。
どれも胃の具合が悪いときに仕方なく受けたが、2年毎というのは嫌になる。
ちなみに、胃カメラ(上部内視鏡)で食道・胃・十二指腸を観察できる。
経口内視鏡の方が、視野範囲が広く病変の見逃しが少ないという。

総合病院で検査を受けた後、薬を処方されたが、症状は軽くなるどころか、
暮正月にもっとも具合が悪くなった。
1月末、漢方内科を兼ねる消化器内科を比較的近所に見つけた。
ときには脈、舌、お腹をみたりと丁寧な診察、そのときの症状に合わせた
漢方薬が合っていたのか、通院を始めて早いもので1年半になる。

     クリニック

今回、9時の診察時間30分前に検査室に入った。胃の中の泡を消す薬を飲み、
咽喉には麻酔のゼリー状の薬、そしてスプレー。検査台に横になると
鎮静剤の注射。早起きしたせいか、いつものクリニック、いつもの先生で
安心したのか眠ってしまったようで、気づいたら検査は終わっていた。
9時、診察室で検査結果について簡単な説明を受けた。ポリープは数個。
検査日まで10日ほど服薬したからかほとんど治まっていたが、炎症があった。

そして、次の受診時、ポリープは心配するようなものでなく、ピロリ菌もない
という検査結果にほっとした。それはそれでよかったのだが、岡田教授の話を
思い出した。胃がん(バリウム)検査のように被爆量を気にすることもないが、
1万円近くする胃の内視鏡検査を「した方がいいでしょうか?」と自分から
言い出したことを後悔した。
これからは暴飲暴食せずに、そしてストレスをためないようにしなくては。
つれづれ

姉と妹の1歳

2013年06月23日
りんりんと弟じゅんじゅん。やはりちょっとした表情や仕草が似ている。
じゅんじゅんの髪の毛の少なさも1歳ごろの兄にそっくりだ。
娘のところは男の子2人、息子のところは女の子2人。 (兄と弟の1歳

りんりんとは2つ違いのゆうゆうは今年小学2年生。

ゆうゆうの1歳   2005.12  
       12.23         
          一升餅をリュックに入れて背負ったが・・・

     1.31 2.23
       1歳1ヶ月 歩く練習       1歳2ヶ月 

あいあいの1歳   2008.2
       1.31 3.13
          11ヶ月             1歳

      5.13
                 1歳1ヶ月

彼女たちの父親の1歳
     8月 9月
          1歳             1歳1ヶ月

彼は比較的のんびりと育った。歩くのも1歳を2ヶ月ほど過ぎてからだった。

「待て待て」といひつつ逃ぐる児冬日燦    大好きな母の俳句だ。
1歳の夏には歩けなかった息子も冬には庭を走りまわるようになった。
「待て待て」と言いながら。
身近な人びと

兄と弟の1歳

2013年06月22日
5月、まさに1歳の誕生日に熱があったじゅんじゅん
バースディケーキのキャンドルの火を不思議そうに眺めていた。

じゅんじゅんの1歳  2013.5
      5.12
      
その後のひと月は2度ほど熱を出した。食欲もあり、機嫌も悪くないが、
つい1週間前、気管支炎になり咳がつづいた。

     階段
      下りる  2013.6      上る  2013.5

だが、そのひと月の間の成長ぶりは目を見張るものがある。
階段を這い上るだけだったのが、今は片足を下ろして距離を測るように
1段、2段と慎重に下りていくことができるようになった。
「伝い歩き」、数秒「立つ」のがやっとだったが、「よちよち歩き」5,6歩。

     6月
      悲しいよ~   2013.6   「トーマス」でご機嫌なおる

      6月
       りんりんをみつけた    木魚とリンで演奏?

りんりんの1歳  2003.12   
       12.30
         一升餅をポケットに入れて・・・

りんりんの1歳は札幌の父親の実家で。写真には冷えピタのおでこが!
兄弟仲良く1歳の誕生日に熱を出したことになる。
        
          1.1
                2ヶ月先輩の従兄と

囃されてなほ二歩三歩冬うらら 1歳ごろのりんりんを詠んだ母の句だ。

彼らの母親の1歳
彼らの母親は歩くのが早く10ヶ月で歩き始めた。歯も早く生えた。

    10ヶ月
          10ヶ月        1歳1ヶ月

歩くのが早い、歯が生えるのが早い子は神経質な子だといわれた。たしかに、
不慣れということもあったが、彼女を育てるのはなかなか大変だった・・・。
身近な人びと

これも黄金比・・・?

2013年06月21日
今日は24節気の1つ「夏至」。一年で、昼間が最も長く、夜が最も短い日。
冬至と比べると昼間の時間差は4時間以上。暦の上では夏の真ん中にあたるが、
実際には梅雨の真っ盛りで、農家では田植えに繁忙を極める頃。
暑さのピークはまだ先にとはいえ、すでに30℃前後の日も数日あった。

いよいよ本格的な夏の到来だ。夏といえば「カレー」。カレーライスか
ライスカレーかはどちらでも構わないが、食べ終わった後にルーが余ったり、
逆に少し足りなかったり、そんなアンバランスを解消するためのカレールーと
ライスの領域線がプリントされているお皿が登場したとか。
「黄金比率カレー皿」(陶磁器製 ¥1050)というネーミングにも驚きだが、
なんとも不思議なお皿が登場したものだ。

「黄金比率」というのは、古代ギリシア以来「神の比」とまで呼ばれた黄金比。
人間にとって最も安定し、美しい比率とされ、建築や美術的要素の一つとされる。
縦横2辺の長さの比が黄金比になっている長方形は、どんな長方形よりも美しく
見えるという。たとえば名刺。
黄金比、黄金分割とも呼ばれている。英語ではGolden section。

          柿の種

AKB48の国民小選挙や「爽健美茶」の国民投票など、国民投票流行りだが、
今年2月から3月末まで柿の種で有名な亀田製菓で「柿の種比率国民投票
キャンペーン」を実施(10万5千人)して、柿の種とピーナツの混合比率について
消費者の意見を募った。結果、もっとも多かったのは、柿の種対ピーナッツの
重量比率が「7:3」で28.5%、現在の比率の「6:4」が好みという人は
20%だったという。
その1位に選ばれた「7:3」の「120g 亀田の柿の種4袋詰国民投票比率」が
期間限定で40万袋売り出されているらしい。

亀田製菓が柿の種にピーナツを混ぜたのは1966年から。当時の柿の種と
ピーナツの割合は「7:3」。その後、消費者の要望や調査により何度か
配合比率を変えたが、「6:4」が黄金比として落ち着いているのだそうだ。

亀田製菓では、国民投票では「6:4」が1位になると思っていたところ、
まさかの3位だったそうだ。期間限定の「柿の種」の評判がよければ、
いずれ「7:3」が「柿の種」の黄金比になるのかもしれない。

      柿の種
                 捨てられない缶

お隣のHさん、ご主人の実家は新潟。ときどき笹団子や柿の種のお土産を
いただくことがある。郷愁を誘うデザインの缶入「柿の種」にピーナツは
入っていない。よく見ると亀田製菓ではなく「元祖 浪花屋製菓」だった。
国産のよい米を使っていて、ちょっぴり辛く何とも美味しい。
つれづれ

日本のラーメン

2013年06月20日
全日空の日本発着の主要欧米路線で、人気ラーメン店チェーンの「博多一風堂」
監修のラーメンを機内食として今月から提供が始まった。
アジアでは定着している日本のラーメンが、今、欧米で「クールな食べ物」
として人気が急沸騰しているそうだ。

ロンドンの歓楽街に日本のラーメン屋が開業。ロンドンでは日本人だけでなく、
日本でラーメンの虜になった欧米人が相次いで店をオープンさせたところ、
どこも行列ができ、現地新聞がラーメンの特集を組むほどの盛り上がりだとか。
日本の食材などを輸入販売するジャパンセンターで昨年開店したのは本場の
博多ラーメン。柚子や高菜を入れたりとバラエティ豊かなラーメンは大人気。

ロンドンだけでなく、パリとかベルリン、フランクフルトなどでもこうした
ラーメン店は大人気で、お昼時には長い行列が出来るほどだという。
ニューヨークで博多「一風堂」の1500円ほどするラーメンが大人気。
赤ワインとゆっくりと楽しむのがツウだとか。
      
       大勝軒

国内のラーメン店は飽和状態。約1割の3500店が出店、ほぼ同数が閉店。
競争が激しく、質の高さやバラエティに富んだラーメンが進化を遂げたことが
世界に広まった背景にあるとか。寿司の次に「世界食」になりそうだという。
アニメやファッションだけが「クールジャパン」ではないようだ。

日本では空前の袋麺ブームだという。生麺っぽい食感が魅力のインスタントの
袋麺がもっとも目立つ棚に置かれるようになった。「マルちゃん正麺 醤油味」
「サッポロ一番 麺の力 中華そば」「ラ王 醤油」などだ。
最近のわが家には「冷やし中華」袋麺が常備されている。私は冷たいものは
苦手だが、ごんさんはいろいろな具をトッピングして
お昼につくることが多い。一見店で出てくる冷やし中華と変わらない。

   ラーメン

セブンイレブンやイトーヨーカドーで「一風堂」カップ麺が販売されていることを
知り買ってみた。カヤクの焼豚やネギが今一つ。麺やスープは美味しかったが、
やはりラーメンは器にも少々凝った、雰囲気のある店で食べるのがいい。

何度か入院したが、退院したら真っ先に食べたいのがラーメンだったほど、
以前はラーメンが食べたくなるときがあった。だが、最近は街で「ラーメン」の
看板を見ても、以前ほど食べたいと思わなくなったのは歳のせいだろうか。
旅・散策・イベント

布のぞうり

2013年06月19日
室内で愛用しているのはスリッパではなく、Kさんご夫妻合作の「布ぞうり」。
鼻緒部分はKさん、本体部分がご主人の合作だ。
なんとも気持ちがよく、年中履いて履きつぶし、ついに修繕不能になった。
その話をしたのかどうか、再びKさんが1組下さった。Kさんが亡くなって2年。
ということは、2足目は3年ほど履いているということになる。

       布ぞうり
             2足目の「布ぞうり」

その大切な「布ぞうり」だが、春からつづけた大整理の中で片方を紛失した。
いくつものゴミ袋に囲まれて坐りこんでいたときに脱げたことも度々あった。
きっとゴミと一緒に袋の中に入れてしまったのだろうとすっかり諦めていた。

ちょっとした雑貨店でみつけた「布ぞうり」は3千円くらい。
キットも売っているが、それも千円以上はする。美容院でみたのか、
「布ぞうりのつくり方」が載った雑誌を買って帰り、挑戦したが
不器用なこともあってうまくいかずに断念した。買うか作るか悩んだ。

       作りかけ
           古布、綿ロープは用意したが・・・

そんなとき、机の下で発見した。知らず知らず奥の方に押しやっていたようだ。
片方を捨てずにおいてよかったと思いながら、早速、「布ぞうり」を洗った。
ますます愛おしい履物になった。
     
人間は足が衰えると頭脳も身体も衰えるというデータがあり、歩くことは
脳を含む全身の血行をよくする効果が認められている。
掴んで歩くことで自然と足裏の運動になり、靴の生活の中で使うことのない
筋肉を鍛えるのに「布ぞうり」はもっとも適した履物だという。
5歳までに約80%が完成するといわれる「土踏まず」。形成されてない
「ベタ足」やちゃんと形成されていない子どもたちが増えているとか。
上履きの代わりに「布ぞうり」を取り入れている小学校も増えているらしい。

「布ぞうり」はとにかく履き心地がいい。フローリングを傷つけることなく、
バタバタと音がしない。履くだけで床掃除も出来る?し、汚れたら洗える。
わが家では、廊下から畳、畳からフローリングとお構いなしにぞうりで
移動している。スリッパではこうはいかない。
 
2本指や5本指ソックスで履くこともあるが、冬でもたいていは素足だ。
素足でも足の裏からポカポカするのが感じられる。
浮き指、外反母趾の予防にも、足のむくみやだるさ、膝痛にも効果抜群
というのは実に有難い。ますます大切にしなくては!
つれづれ

能面との出会い

2013年06月18日
早いもので絵のお仲間Kさんが亡くなられて今日で丸2年になる。
スケッチのときも、人物や身近なモチーフのデッサンにも彼女の姿があった。
もっとも高齢でもっとも熱心だったKさん、わが家に往復3時間かけてみえた。
2年前から人物デッサンはストップしてしまった。

Kさんのご主人は退職を機に能面打ちの活動を開始して30年が経つそうだ。
能面師10数人の団体を主宰され、年1~2回、能面展を開催されている。
今までの作品には能楽の舞台で生かされているものもあるそうだ。
お宅に伺ったとき、仕事場を見せていただくことがあるが、まだ木地の能面が
いくつかあった。大小さまざまなノミや彫刻刀など道具の多さに驚いた。
能面には反りの出にくい、耐久性もある檜が最適だそうだ。

能面展は何度か拝見させていただいた。いつも丁寧に解説をして下さるのだが、
小面(こおもて)、蝉羽(せみのは)、若女(わかおんな)、万媚(まんび)、増女(ぞうおんな)、
孫次郎(まごじろう)など、姥(うば)はともかく、女面はこちらの方が若いかな~くらい
しかわからない。実際には、口元や髪の毛の描き方など決まりがあるというが。

      能面展 2009.5

Kさんからご主人の作品を頂いたのは数年前。Kさんが縫われた杏色の能面袋に
収められた面は「蝉羽」だった。上品で優しい表情をしている。
蝉羽は丹波猿楽の名門梅若家に伝わる女面。やや細い目の開き方に特徴があり、
やわらかく、豊かな女の情感をたたえた面。「半蔀」などの陰のある役に向く。


架けるのは台板を用意してからと、能面袋のまま押入れに仕舞った。
その後、気になりつつもなかなか架ける機会がなくそのままになっていた。
能面は生きている。壁にかけられて埃を被ることで表情に深みが出るが、
たまには休ませてあげてほしい。かといって仕舞ったままもよくないと、
度々Kさんにいわれていた。

       蝉羽
                    蝉羽

茶道具の整理から始まった3ヶ月がかりの「断捨離」をめざした大整理の中で、
「蝉羽」に対面した。「もう暗いところはうんざり」といわれただけでなく、
Kさんにも叱られたような気がした。
能面袋を抱えながらどこにかけたらいいかと家中を見て回った。
以前、壁に架かっていた観音像を杉板からはずして「蝉羽」をつけてみた。
代わりに観音像の方はしばらく休んでいただくことにした。

部屋に入る度に目に入る「蝉羽」。絵だけでなく何ごとにも手を抜かず
努力されたKさんを想い出すことになりそうだ。
絵画・博物館

雨の日も晴れの日も

2013年06月17日
今年は早々と梅雨入宣言があった。晴れの日がつづき拍子抜けしていたが、
どうやら本格的な梅雨に入ったようだ。
祐天寺近くに「上目黒コミュニティ道路」がある。絵タイルを見ながら歩けば、
雨の日も苦にならない? だが、コミュニティ道路というのは歩道ではなく、
自動車の通行を主たる目的とはしない道路のこと。住宅地の道路整備手法の
1つで、歩行者の安全件や快適性を考慮した道づくりを目的として発足した。
自動車の速度は道路上でのほかの活動を妨げない程度に抑えられなければ
ならない。
つまり、歩行者と同じくらいのスピードで走行することになる。

上目黒コミュニティ道路 上目黒小学校~五本木児童遊園(目黒区

    晴れの日も雨の日も
          鳥
    魚 鳥
    花
          紅葉
    樹
旅・散策・イベント

お父さんは好きですか?

2013年06月16日
今日は「和菓子の日」。平安中期の承和年間、国内に疫病が蔓延した。
仁明天皇は年号を嘉祥と改め、その元年(848年)の6月16日に
16個の菓子や餅を神前に供えて疾病よけと健康招福を祈ったとされる。

これを起源として、「嘉祥菓子」の習俗が、さまざまに形を変えながら、
平安期から中世・近世まで存続した。
江戸時代になると「健康と招福」を願う行事として、6月16日に嘉定通宝
16枚で菓子を求めて食べる風習が庶民の間に広がった。
こうした故事に因み、日本の食文化を正しく後世に伝え残すために制定された。

そして今日は「父の日」。1週間前、1歳の誕生日に熱を出したばかりの
じゅんじゅんが気管支炎になり、2日連続でわが家は臨時の保育園となった。
2日目の夕方、デザートを買って来た娘。その中に「父の日」用のゼリー
コージーコーナー)が入っていた。ビールに見えてもノンアルコール。

       ゼリー
        娘からごんさんへ  「ゼリーDEカンパイ!」

女子高生300人(カルピスのWeb調査)に父親について質問したところ、
「好き」(27.3%)と「どちらかといえば好き」(32.5%)合わせて約6割が
好意的、「きらい」(7.5%)と「どちらかといえばきらい」(10.1%)を
合わせた嫌悪派は約2割だった。これは意外だった。

父親に点数をつけるとしたら何点か訊いたところ、最も多かったのが「80点」
(17.9%)で、その理由に挙げられたのは、「家族のために働いて、ここまで
育ててくれたから」「ご飯をつくってくれるし、お母さんとも仲がいい」など。 

父親300人の自己採点は、「50点」が全体の約1/3(29.8%)を占めた。
「理想のお父さん」は誰かを訊いたところ、なんと「自分の父親」と俳優の
阿部寛が各13人でトップに並んだそうだ。
 
     新橋
              
この結果をきいた『全国こども電話相談室・リアル』(TBSラジオ)に出演中の
中学生たちは「意外!」と驚いていたが、そのラジオ番組『リアル』が街で
女子中学生に「あなたはお父さんが好きですか?」と訊ねたところ、
「好き」はなんと75%で、その理由は「優しいし、いろいろなところへ
連れて行ってくれる、工場見学など」「自分のことわかってくれる」
「学校のことなど相談できる」「自分の意見を尊重してくれる」「趣味があう。
EXILE が好き」「口うるさくない」などだった。

嫌いな理由は? 「家族のことを考えてくれない、自分のことしか見えていない」
「自分のことを理解してくれない」「格好よくない」など。
「お父さんなどどうでもいい」「理由なしに嫌い」という悲しい理由まで。
  
子どもが変わってきたのだろうか。それとも父親が変わってきたのだろうか。
「たまの休みくらい休ませて」といったお父さんは少ないのかもしれない。
つれづれ

ムズカシイ花の名前

2013年06月15日
「コンボルブルス・クネオルム」という花の苗を買ったのは3月だったか、
4月だったか、わが家での絵のお仲間の集まりのときだった。

今月初め、Uさんから「何ヶ月か前に描いたお花がまた咲き出しました。
嬉しい!! なんていう名前かご存知ですか?」というメールを受け取った。
さすが花を育てるのが上手なUさんだ。わが家の花はとっくに終わった。
花ガラがついたまま門の横に放りぱなしだった。真っ直ぐ40cmほどに伸びて、
銀色の葉は陽の光の中でキラキラと輝いているが、再び花が咲きそうにない。

   コンボルブルス
            コンボルブルス

あのヒルガオにそっくりな花の名前・・・? 近所の花屋さんで買ったが、
きいたことのない花の名だったので、レシートの裏に書き写してきた。
ネットで調べて、やはりヒルガオ科だった!と喜んだことを思い出した。
早速、メモをみたが、3月も4月もモチーフの名は記入していなかった。

       昼顔
                 ヒルガオ

『花屋さんの花の図鑑』『花の名前の手帖』にもそれらしき花はなかった。
野草、花木、茶花の図鑑などいろいろあるが、それらに載っているはずはない。
さて、困った。こうなると何としてでも知りたくなるのが性分。
翌日、自転車で筋トレに向かう途中、2軒の花店に立ち寄って訊ねてみた。
買った店ではないのを知りながら、ちぎった葉を見せて「花はヒルガオに
そっくり。このような葉で・・・、名前を知りたいのですが」「・・・?」
わからなくても仕方がない。三度目の正直、買った店へ。

だが、この店でもわからずじまい。帰宅後、「ヒルガオ」でネット検索したら
「コンボルブルス」が現れた。ヒルガオ科セイヨウヒルガオ属。
ヨーロッパ南部に分布。海岸地帯に生え、マウンドを形成し丈は60~120cm。
葉は灰緑色の細かな毛に被われた披針形、漏斗形の花は白、ピンク、ブルー。
暑さにも寒さにも強い。花言葉は「絆」「縁」だそうだ。

そういえば「コンボ・・」に覚えがある。この名で検索して辿り着いたときの
嬉しかったこと。早速、Uさんにメール。その返信には、それにしても
「コンブスブルムクネオルム」という名前は、花がかわいそうな名ですね。
あんなに可愛い花なのに、なんだか怖そうな男爵みたい。・・・
とあった。

その後、彼女は「コンボをコンブ」と送ってしまったのに気が付いたそうで、
昆布好きだとはいい、失礼しました」。そう、彼女は昆布には少々うるさい。
ひょっとすると、この夏、わが庭でもコンボルブルスの花が咲くかもしれない。
そのときまで、せっかくインプットしたこの名前、覚えていられるだろうか。
植物など

「お気に入り」スポット

2013年06月14日
トラは高いところが好き。塀から屋根に、屋根からベランダの柵に移り、
ベランダの中へ下りて毛づくろいをする姿をよく見る。
午後になると、急勾配の屋根の上で夕方まで過ごすことがわかった。

     トラ
        屋根の上のトラ    2階の窓から見ると滑り落ちそう       

ケシは半年違いの妹トラと仲良しだが、2階のベランダや屋根に上らない。
ノソノソと歩く後姿はまるでゴリラのよう。
   
       ケシ
      
ケシと同い年のククは彼らとは別行動を
とることが多い。食べに来る時間も寝る場所も別。

   クク
      庭も道路の方もよく見える門柱の上が好きなクク

門がよく見える西側の軒下に置いたかつての3階建の個室に寝ることがある。
安心しきっているせいか、雨戸の開け閉めにも動かずにぐっすり。
           クク

トラと姉妹のアミは昼間はどこにいるのか、お腹が空くとふらりとやって来る。
「アミはアミ戸をガリガリ」したり、鈴を鳴らして食べに来たことを知らせる。
網戸の場合は無視するか、「ダメ!」と叱る。
狭いところが好きだが、すぐに跳び出せることが第1条件のようだ。

        アミ        
動物など

高齢者のための住い

2013年06月13日
65歳以上の人が総人口に占める割合のことを「高齢化率」という。
これが7%を超えると「高齢化社会」、14%を超えると「高齢社会」、
21%を超えると「超高齢社会」ということになる。
日本の高齢化率は1970年に7%、1994年には14%を超えた。

2005年、高齢者人口は過去最高の2560万人、高齢化率は初めて
20%を突破した。総人口の減少のため、高齢化率はさらに上昇し続け、
2015年に26%、2050年には36%に達すると見込まれていて、
日本人の3人に1人が65歳以上の「超超高齢社会」も時間の問題という。

老人福祉法、介護保険法、高齢者住い法などが出来たり改正された結果、
高齢者向けの住いには、19種類ものさまざまな種類があるという。
公的な特別老人ホームや高齢者ケアハウス、厚労省管轄の有料老人ホーム、
また、国土交通省と厚労省が平成23年度に登録を開始したサービス付の
高齢者住宅なども増えている。

高齢者向けの住宅には有料老人ホーム、高齢者専用賃貸住宅、適合高齢者
専用賃貸住宅、高齢者円滑入居賃貸住宅、高齢者向け優良賃貸住宅
がある。
有料老人ホームは、経済、健康、孤独の3大不安から解放されて過ごせる場。
多くは、入居一時金を支払って入居の権利、利用権を得る。毎月の管理費、
食費、光熱費を支払う限り、ホームでの生活は保障される。
老後の暮らし方としては1つの理想だが、経済、健康面に問題ない場合の話だ。

ある程度自立していて食事や入浴などのサービスを受けられる養護老人ホーム、
ケアハウス、軽費老人ホーム(A型)
もある。

介護を必要とする場合には
1)介護等のサービスを提供する老人福祉施設  特別養護老人ホーム
2)介護等のサービスを提供する高齢者向け住宅  介護サービス付ケアハウス、
  介護サービス付養護老人ホーム、介護サービス付有料老人ホーム、
  介護サービス付適合高齢者専用賃貸住宅、認知症グループホーム

3)看護、医学的管理下で介護及びリハビリテーションを受けられる施設
  介護老人保健施設    
4)療養上の管理、看護、医学的管理下で介護及びリハビリテーションを
  受けることができる病院、診療所  介護療養型医療施設

      グループホーム

母は、父が亡くなってから長年教えていた茶道や俳句の会を続けられず、
止むなく閉じた。日常生活の異変に気づき調べたところ前頭葉委縮がみられ、
その後「ピック症」という前頭側頭型認知症と診断された。原因不明で、
患者数はアルツハイマー型の1/3から1/10程度だとか。

要介護1の認定を受けてデイサービスに通い始めた2年後、母は要介護3に
なったものの、記憶障害、計算力、見当識などはほとんど問題なかった。
今年4月、やっと区内のグループホームに入所することができた。
グループホームは小規模な生活の場で少人数単位の共同住居。食事の支度、
掃除、洗濯などをスタッフと共に行ったり、散歩や買物に出ることもある。
   
母のところは、築1年。歯科、内科の月2回の訪問診療のほか、個別外食
(実費)などもある。大分慣れてきた様子に、わが家から週6日異なった
デイケアステーション通いの生活より、個室と同じフロアーで毎日行われる
デイサービスに参加する生活の方が快適かもしれないと思うようになった。
つれづれ

アルバム整理

2013年06月12日
何年前だろうか、娘の誕生から中学入学ころまでの子どもたちのアルバムを
整理した。コイルで綴じられたものや布製の分厚いものなど、形も貼り方も
マチマチのアルバムの写真をポケットアルバムに収めるのはひと仕事だった。

昭和の終わりころ、子どもがカメラを持ち歩くことも普通になり、さらに
一個人所有の写真の枚数が増えた。厚紙に貼るタイプのアルバムだけでは
到底間に合わなくなり、大量の写真をどんどん整理する必要が出てきた。
その目的に合致したものとして、写真が1枚ずつ入るように区分けされた
ポケット式のアルバムも盛んに利用されるようになった。
(Wikipedia)

     子どもたち
     2歳の娘お茶を点てる?   1歳の初節句 従妹と

その後父の入院がキッカケで、7年前、両親の結婚からほぼ60年間の
「わが家」のアルバムから1枚ずつ剥がした写真をポケットアルバムに
移すことにした。糊でしっかりくっ付いている写真が多く、思った以上に
この作業は難渋した。

父の写真は、下駄に着物姿の父の子ども時代の貴重な数枚から晩年まで、
大学、学会、講演会やテレビ出演、調査旅行と4冊に分けた。
これとは別に母や家族と写真、仲人を務めた教え子たちの結婚式とか
恒例の藤や紅葉の下に集う写真などは「吾家」のアルバムに収めた。

    わが家のアルバム
     庭の風景     祖父と庭で(左上) 母と私(右上) 父(右下)             

両親の結婚から始まったアルバムは、数枚の祖父母の写真、私と妹、
そして孫たち、曾孫りんりんゆうゆうが登場した6冊目のアルバムは
07年の父の逝去と「偲ぶ会」を最後に中断している。

晩年の父は、庭の樹や花などを撮りまくった時期があった。
デジカメ登場前のことだ。フィルムの出し入れは近くの写真店にお任せ。
被写体は四季の庭の写真がほとんどだが、新居完成までの数ヶ月の間、
仮住まいの多摩川が見えるマンションのベランダから撮った川や空の写真は
当時流行ったパノラマが多く、1枚でポケットアルバムの1頁を占めた。

     孫たち
        「孫たち」No1     電車好きのりんりん              

りんりん誕生後の孫たちの写真画像は膨大な量だ。
娘と私のデジカメ画像、ビデオの映像を合わせてパソコンには保存済み。
念のためにと頼まれたわが家での分と娘の分ともCD-ROMに焼いていった。
その中から選んでプリントした写真はわが家でも1冊、2冊と増えていき、
ゆうゆうが誕生してからは6冊目に入った。
だが、この孫たちのアルバムは彼女が1歳半、りんりんが3歳半になった
07年途中、CD-ROM保存分は08年11月で中断したままになっていた。
このときのプリンターは表面にプリントできたので楽しかった。

     孫たち
           2003.12~2008.11の14枚

      わが家のアルバム
           2003.12~2012.12の改訂版26枚
                
今年3月から始めたわが家の断捨離を兼ねた大整理がほぼ終わってから、
とりあえずパソコン内の気が遠くなるほどの画像の整理を始めた。
娘のパソコン買換え時に預かった画像の多さに参りながらも、ダブったり
似たような画像を選ぶのも結構大変で、途中で誤って消してしまったり、
そんなこんなで1週間をかけてやっとりんりん誕生から2012年までの
改訂版CD-ROM1セット26枚を2セット焼き終えた。

     ポケットアルバム
      孫たち6冊、子どもたち6冊、わが家と庭10冊

うっとうしい梅雨前にたまった宿題を何とか終えた爽快な気分だ。
7月の画展が終わり落ち着いたら、6年前からストップした写真をプリントし、
第2弾ゆうゆう姉妹の分のCD-ROMづくりに取りかかろうかと思っているが、
どれほどの時間とインクや用紙が必要かを考えると恐ろしくなる。
身近な人びと

つながらない電話

2013年06月11日
東日本大震災から2年と3ヶ月。ほっとする話題があった。
福島県の大槌町の海岸を一望できる高台に住む佐々木さんの自宅の庭に
「風の電話」がある。ボックスは震災前にすでに設置されていたが、
「震災で突然の別れを強いられた被災者の心の助けになってほしい」と
改めて植栽を整備したそうだ。電話線はつながっていない。
古いダイヤル式の黒電話の受話器を持ち上げても風の音しかしないのだろう。

「風の電話」を知った被災者や全国のボランティアが訪れるようになった。
ボックスの中に置かれたノートには「ようやく別れを告げられた」といった、
ことばが記されるようになったという。

     風の電話
            「風の電話」      (「大槌みらい新聞」より)

この「風の電話」がきっかけで、石造りの小さな図書館が建てられた。
写真集や画集、新書、文庫本が揃う1階には談話用のテーブルが置かれ、
2階は絵本や児童書が中心で、全国から寄せられた蔵書は約4千冊。
花の香りに包まれ、鳥の声の中で本を読める「森の図書館」。


JR関内駅前にある横浜市教育文化センターは建築後40年以上が経過し
耐震強度が不足していることから、横浜市の定めた耐震改修促進計画に基づき
平成27年度までに耐震対策を実施するとしていたが、東日本大震災が発生
したことから、前倒して平成26年度以降に解体する方針が決定したという。

    市教育文化センター
            横浜市教育文化センター

年に1度の「ハマ展」やKさんたちの「能面展」など、度々、展覧会を観た
横浜市民ギャラリーはこの教育文化センターの中にあるため、今年3月11日を
もって閉館した。新たなギャラリーは、旧職員厚生施設「いせやま会館」を
改修整備して来年の秋にオープンする予定だという。

JR東日本や東京メトロなどのほか、私鉄や道路会社など、インフラ関連企業を
中心に耐震工事が始まっている。街ではオフィスビルや工場、分譲マンション、
病院など至るところで耐震工事が行われるようになった。
耐震改修促進法の改正により、旅館・ホテル業界は「15年12月末までに
耐震診断・工事が義務化」される。対象となるのは、1981年以前に
建てられた5千㎡以上の建築物。耐震診断・工事には莫大な費用を要する。

東日本大震災などのように、旅館・ホテルが避難所などが「防災拠点」として
認められると、改修の補助金は国や地方公共団体から拠出されるというが、
どうなるだろう。利用する側は、安心して泊まれる宿でなくては困るのだが。
旅・散策・イベント

あの日から動かぬ針

2013年06月10日
今日は「時の記念日」。日本初の時計「漏刻時計(水時計)」が鐘鼓を打った
という史実(日本書記 671年4月25日)は、現代の太陽暦で6月10日にあたる
ことから決められた日本国内の記念日。

4年前からこの日は時計の画像を載せている。街で見かけた楽しい時計、
お洒落な時計、ユニークな時計の写真は50以上。    (街の時計) 
今年は東日本大震災2年後の産経新聞記事「動かぬ針の証言」から
9つの時計を選んだ。あの日から動かなくなった9つの時計・・・。

被災地に今も残る多くの壊れた時計。動かぬ針が示すのは、
強い揺れが襲ってきた瞬間か、それとも巨大津波が到達した時刻か。
あの日から2年。止まった時計たちは無言の問いかけを今も続けている。

 地図
   その9つの時計は、岩手県山田町、大槌町、
   大船渡市、宮城県気仙沼市、石巻市、
   そして福島県南相馬市、大熊町、楢葉町。

        1  
1 岩手県山田町の海を望む高台に、壊れた大きな時計が飾られていた。
  針は津波に襲われた午後3時27分で止まり文字盤は焼け焦げ、
  震災被害の凄惨さを物語る。JR陸中山田駅舎に設置されていた時計で、
  駅舎は取り壊されたが「防災の教訓に」と展示された


         2
2 町長や職員ら40人が犠牲になった岩手県大槌町の旧町役場。
  朽ち果てた建物を震災遺構として保存するのか、それとも解体か――
  町民の意見は分かれている。壊れた時計の短針は「4」の少し前で
  止まり、長針は折れていた


3
   3 夕暮れ時の大船渡駅前。
   家路を急ぐ車を、壊れた石づくりの時計塔が
   見下ろしていた。
   針は3時25分をさしている。
   駅前商店街の魅力アップにと平成8年に
   建てられた、高さ5㍍。
   周囲は日本庭園風に整備されていたという


 
 4
4 気仙沼市の「グラウンド・ゼロ」には漁具や椅子、机などが並ぶ。
  津波で流された自宅跡地に伊藤雄一郎さんが犠牲者鎮魂の場にと設けた。
  がれきの中で拾った時計は2時46分に合わせた。
  「あの時を忘れないように」と
 

     5      6   
5 石巻市立門脇小学校の時計は焼け焦げて止まっていた。
  校舎は津波に襲われた後、炎に包まれ「津波火災」という現象が
  知られるひとつのきっかけになった

6 石巻市立湊第二小学校の時計は2時50分で止まっていた。
  津波で校舎1階の天井まで浸水したが児童は上の階に避難して助かった。
  隣の小学校との統合が決まり、校舎は集会所などとして使われるという。
  壁一面に子供たちの絵やメッセージがペイントされていた


      7   8
7 高校野球の練習場にも壊れた時計が置かれていた。
  東京電力福島第1原発の20㌔圏内で、避難指示解除準備区域にある
  南相馬市小高区の県立工業高校。現在は市内の別の場所に移っている  
8 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県大熊町。
  物々しい検問を通って入った町では汚染土を入れた黒い袋が積み上げられ、
  解き放たれた牛の群れの姿があった。町立熊町小学校では荒れ果てた
  校庭の向こうに2時48分で止まった時計が・・・
     

      9
9 東京電力福島第1原発事故の放射線除染作業が続く楢葉町。
  町立楢葉中学校の家庭科室の時計は2時48分を刻み
  黒板には「調理実習の手順」が。校内全ての時間が止まっていた。
  楢葉町では昨年8月から住民の帰宅が可能になったが、住むことは
  許されていない。


「東日本大震災2年」特集「動かぬ針の証言」は、次々に流れ去るテレビの
映像よりはるかに強烈に、あの震災の恐ろしさを語っているように思う。
新聞記事にこれほどの衝撃を受けたのは初めてだ。
旅・散策・イベント

至福のとき

2013年06月09日
昨年秋、中国湖南省長沙から帰国されたSさんは中国茶芸師の資格をもつ。
毎日中国茶を飲みつづけられているせいか、肌も若々しくスリムだ。
そんなSさんは、今までにも桂花会(中国語学習会同窓会)メンバーのために
何度かお茶会を開いて下さった。

日本での生活が長かった沈老師は長い間日本茶しか飲まれなかった。
老師がSさんの淹れて下さる中国茶をいただいたとき、中国茶の魅力、
美味しさを初めて知ったとおっしゃっておられたことがあった。
6年前、沈老師は新茶の季節のお茶会に欠席された。そして初秋から
上海での闘病生活を送られたが、12月、老師は逝かれた。

5月の連休明け、御宿にSさんご夫妻を訪ねての旅行中、「中国茶をいただき
ながらおしゃべりを!」という話が持ち上がった。     (御宿へ

         姫沙羅
第1回目は、入院中で御宿の旅に不参加だったKさんの快気祝いを兼ねて。
御宿旅参加組の女性4人と参加できなかった男性KさんとMさんの2人。
会場はわが家お茶をゆっくり味わうにはちょうどいい人数だそうだ。
この日の短冊は「自然無為」、花はお茶の花に似ている「姫沙羅」を選んだ。
お菓子は日本風に和三盆と御宿のお土産「落花生クッキー」。

     中国茶
      「緑茶です。今日は黄山毛峰を持ってきました」

「こうして皆さんにお茶を淹れられる機会を持ててとても嬉しい」と、
数百種もあるといわれる中国茶の中から、緑茶から花茶まで発酵の違いで
分けられる7種類の茶葉を用意して下さった。その中、「緑茶」から順に
「プアール茶」までの6種のお茶を淹れて下さった。

      お茶の分類
 青茶「铁观音」・青茶「老从水仙」・花茶「龙珠茉莉」・ 白茶「白毫银针」
 黒茶「普洱砖茶」・黄茶「君山银针」・ 緑茶「黄山毛峰」・ 紅茶「祁门红茶」

ちなみに6種類は                (中国が誇る世界の銘茶)   
緑茶(不発酵茶)龍井、碧螺春、黄山毛峰など
白茶(弱発酵茶)白毫銀針、白牡丹など
黄茶(弱後発酵茶)君山銀針など
青茶(半発酵茶)鉄観音、岩茶、凍頂烏龍茶など
紅茶(全発酵茶)キーマン、ラプサンスーチョンなど
黒茶(後発酵茶)普洱茶など
花茶(再加工茶)ジャスミン茶、桂花烏龍など

お土産に頂いた岩茶や鉄観音などをマグカップに注ぐといった淹れ方とは大違い。
中国茶は日本茶と比べ香りを大切にすることは十分知っているつもりだが、
それぞれのお茶葉の香り、淹れたお茶の香り、器に残る香り、それぞれの
香りを聞くことも中国茶の楽しみだ。

味も1煎目、2煎目と微妙に異なることを改めて実感できた。
「さっぱり」くらいはわかるが、「最初は少し苦味を感じ、舌の奥で甘味に
変わる・・・」などと、香りも味もことばで表現するのは難しい。

中国人は茶葉の形状にもこだわるそうで、「君山銀針」という有名な黄茶は
生産量が少なく高価なお茶で、湯の中で立つのが素晴らしいと珍重される。
 
     立つ茶葉
     
御宿の旅のあと、上海へ中国茶の勉強に行かれたばかりのSさんだが、
今月末、「マイレージがたまったから・・・」と、再び上海へ飛ぶ予定とか。
「へそくりがなくなったら、このお茶の趣味はやめることにするわ」とも。
趣味?? 趣味の域はとっくに脱してはいませんか?
中国・中国の旅

屋根の上で

2013年06月08日
わが庭で生れた4匹の猫たちのうち、高いところが好きなのは5歳のトラ
朝は恐らく夜中も2階のベランダにある以前ごんさんが猫たちのために
スノコで作った3段の棚で丸くなって寝ている。

午後になると門や道路がよく見える北側の屋根の上で過ごすことが多い。
帰宅して門を入ると屋根の上のトラと目が合うことも度々だ。
                
      トラ        
           2階の窓から見ると・・・         2013.5

すっかり忘れていたが、たまたま昔の写真を整理していたら、当時のわが庭の
猫たち全員が揃っていた。トラたち4匹の母猫チビを連れてきたチャトランも
写っていた。2009年4月末、夕方の懐かしい写真だ。

     4.29
          チャトランとケシが挨拶          16:57

       4.29
           チャトランとククが挨拶      16:57

     4.29
         アミとトラが近づいて         16:57

         4.29
            アミとトラの挨拶   彼らは姉妹  16:57
  
     4.29
          挨拶はすんだし             16:58       

      4.29
        そろそろ毛づくろいでもしようか      16;58

    4.29
         ケシは・・・?             16:58

ここ数年、屋根で過ごす猫はトラだけになってしまった。
ケシは屋根や2階のベランダまで上がらなくなった。ここ数年、塀の上を
歩いている姿を見ない。そういえば、ケシは昔から木登りも下手だった。
動物など

シニア向けサービス

2013年06月07日
年々、65歳以上の人が総人口に占める割合「高齢化率」が上がりつづける今、
駅、金融機関、病院、美術館でもシニア向けサービスがされるようになったが、
食品スーパーでも開店時間を早めたり、陳列棚の位置を下げて見やすくするなど、
さまざまな工夫がされている店も増えてきているように思う。(シニアシフト

    イオン
              朝7時開店 食品売場

ネットなどの宅配サービスも盛んだが、1日に1回は外出して食料品を買う
ことが楽しみな高齢者も多い。そんな人たちのために、店内を面白くして
楽しく買い物できる工夫を始めた店も多くなった。
古いスーパーではエレベーターもなく、車椅子で買物できるどころか、
すれ違うのも難しい狭い通路も珍しくないのが現状だ。

病院にしても、スタッフや医者が高齢者の生活のスタイル、身体や気持ちも
十分に理解し、大きな声で応対するなど、優しく気遣いができることが
重要になってくる。

シニア世代のフィットネスクラブ利用は増加傾向にあるという。(経産省2012)
セントラルスポーツ、ルネサンス、メガロスの大手3社では、60歳以上の
会員が30%近くに上るという。
今、スポーツクラブではシニア向けにさまざまな工夫をしている。
東急スポーツオアシスでは、シニア専用の「新宿エクササイズルーム」を開設。
「介護予防教室」「ゆるやかヨガ」「らくらく体操」「いきいき太極拳」など、
60歳から始める健康づくり「中高年・シニア向けのプログラムが揃っている。

    オアシス
         東急スポーツオアシス雪谷店  大田区

スポーツクラブNAS西日暮里店の8階には、カラオケや映画館まである
「元気横丁」という翔和30年代の町並みを再現したエリアがあるという。
だが、シニアのフィットネスクラブ通いは、ただ単に楽しむだけでなく、
倒れてしまったら・・・? 家族に迷惑をかけたくない、自分の健康は自分で
守らなければ!という、そんな切実な気持ちの表れでもあるようだ。
旅・散策・イベント

4年生は忙しい!

2013年06月06日
4年生になったりんりんの下校後の生活は大幅に変わった。
母親が6月から仕事を始めたことで「鍵っ子」になった。

考えてみれば、学童保育は3年生までということは、下校後の時間は
1人で行動できるはずということなのだが、彼に限っては・・・!
塾に遅刻したり、下校後、何かを始めて時間がなくなり、鍵のかけ忘れも度々。
ピアノに行く日、出るべき時間にピアノを弾いていたとか!
GPS機能では居場所を知るだけがやっとで、行動内容までわからない。
話を聞けば心配は尽きない。

生活が変わったのは彼らだけでない。昨年9月から保育園に通うじゅんじゅん
休園時にはわが家で預かることになった。
6月の初出勤日、咳がひどいじゅんじゅんは休園した。
早速、朝8時半から母親が帰宅した夕方5時までわが家は臨時の保育所となった。
夕食後、2人が帰宅した7時、どっと疲れが出た。
食欲はあるし、眠いときかお腹が空いたとき以外は泣かないのが幸いだ。

        トーマス
        ご機嫌悪いときには『機関車トーマス』の動画が1番

5月末、久しぶりにやって来たりんりん。4年生になって幼稚園から何とか
毎日つづけてきた日記を書いていないという。忙しくなったようだ。
引出しの中の少々黄ばんだ原稿用紙を見つけた。作文を書くことになった。
「起承転結、う~ん・・・」などと言いながらもメモをせずに、じゅんじゅん
猫たちの動向が気になりながらも小一時間で書き終えた。題は最後に決めた。

    「4年生」
 4月から、新しく4年生になった。はりきってスタートした4年生。
4年生の生活が始まったのだ。
 まず、4年生になった、委員会や合唱団、クラブなども始まった。そして、
担任はH先生に、階と教室が変わった。
 委員会は、お昼の放送を楽しく、放送委員会。お昼に、クイズなどを出したり、
早口ことばを言ったり、と、テレビのような演出が、緊張しながらも楽しくできる。
倶楽部は音楽部。部員のみんなと楽しく演奏するのは毎回楽しい。
 合唱団では、ペアを作ったり、交かん日記を書いたり、それぞれのパートに
別れて苦手を消したり、いろいろと練習をしている。ぼくのパートはソプラノで、
高い声を出すパートだ。
 というわけで、4年生になって、変わったこと、あるいは新しく始まった
こともあった。だから、というよりは、それでなのだが、4年生として、十分に、
またさらに上に頑張って行きたいと思う。


      作文

どうやら朝の授業前の合唱団の練習には遅刻の常習犯らしいが、さすが4年生。
以前は間違えた字を消さずに上書きしたりしていたが、消しゴムを使って書き直して
あったのには驚いた。段落にも気をつけている。3年生と4年生の間は大きい。
坐った、立ったと注目を浴びる1歳の弟に「僕だって立てる!」と張りあう?のも
正真正銘4年生なのだが。

キッズケータイを卒業し、ケータイを替えたりんりんは目下デコメールの研究中。
母親が仕事、じゅんじゅんがわが家にという日、16:03、塾への電車の中からか、
「じゅんじゅんのお預かり、ありがとうございます。まだまだですが、引き続き
よろしくお願いします」には笑ってしまった。
身近な人びと

梅漬けて

2013年06月05日
今日は24節気の1つ「芒種」。芒(のぎ)を蒔くころ。
芒はイネ科植物の果実を包む穎(えい)という突起を持った植物。
『暦便覧』には「芒ある穀類、稼種する時なり」と記されているが、
現在の種まきはこれよりも早い。

       田植えどき夜は月かげ田をわたり   石田波郷

「梅雨入り」や「入梅(にゅうばい)」、「梅雨明け」はよく耳にするが、
梅雨が終わるのを「出梅(しゅつばい)」ともいうらしい。
今年は梅雨入り宣言が早かったせいか、「梅雨の中休み」それも「長休み」が
いつになく嬉しい。「梅雨のずる休み」とは決して思わない。

青梅がスーパーの店頭に並んでいる。大小さまざまの果実酒用の瓶やリカーが
傍に並んでいるところもある。青梅を漬けるころだ。(青梅を漬けるころ
今年は十数年ぶりに梅酒をつけようか。物置を片付けていて、梅干しを漬けた
大きな甕を発見。だが、果実酒瓶は処分してしまったらしい。

    梅雨
           
庭の梅の実で梅酒をつくっていたころが懐かしい。
台所の床下にあった地下室への階段の途中に琥珀色になった梅酒を運び出し、
ためておいたウィスキーや焼酎の瓶に漏斗を使って移し替える。
そして、空いた果実酒の瓶に青梅と氷砂糖を入れ、ホワイトリカーを注ぎ込む。
ふだん母の手伝いはしなかったが、この毎年恒例の行事には嫌がらず参加した。
漬け終わって地下室へ運んで終わり。ひと仕事だった。

     実梅落つ稿終へて旅果てしごと    

母の句集には「梅雨」や「梅漬ける」を詠んだ俳句が多い。

     梅漬けてとろり一とせ睡らせる      
    
     梅漬けて昨年の会話と似しことを
    
     梅漬けて事無きをもて足るや汝     

     描きし絵に説明長き子梅雨曇る 


何の絵を描いたのか、忙しい母はそれでも相手をしてくれたのだろう。
3歳半ごろの私はすでに理屈っぽく、アマノジャクだったと思う。

昨年、ゆうゆうあいあい姉妹は梅酒をつくる手伝いをした。
カレンダーづくり用に受取った中に梅酒づくりの画像が数枚あった。
実のホシ(軸)を竹串でとり除いたり、出来上がった瓶を眺めたり、
ほほえましい光景だ。カレンダーにどの画像を選ぶかずいぶんと迷った。

    梅酒
   梅酒
              
送り梅、走り梅雨、返り梅雨、戻り梅雨・・・。   (雨のことば
梅雨の期間はふつう1ヶ月から1ヶ月半程度だが、年によって前後する場合があり、
そのような年は猛暑・少雨であったり、冷夏・多雨であったりと、天候が良くなく
気象災害も起きやすいといわれる。
梅雨が長くなりそうな今年、梅雨明けは待ち遠しいが、盛夏、猛暑、極暑の日が
少なくなるならいいが、 ゲリラ豪雨や台風などは来ないでほしい・・・。
身近な人びと

傘のある風景

2013年06月04日
あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい(え) うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン
『あめふり』は、北原白秋作詞、中山晋平作曲による日本の童謡。
1925年(大正14)に雑誌『コドモノクニ』で発表された。

歌詞の中の「じゃのめ」とは、いわゆる「蛇の目傘」で、竹の骨に紙を張り、
上端を中心に同心円状の蛇の目模様を施した日本独特の傘のこと。
元禄のころから作られた蛇の目傘は、中央と周囲は青土佐紙、中間は白紙張りで、
僧侶や医師が用いた。享保時代、京阪地方では、上下に「渋」に「べんがら」を
混ぜて塗り、白地を残した蛇の目傘、江戸では、女子は中間の白地の少ない
黒蛇の目、男子は紅葉傘と呼ばれる青土佐紙と白紙張りの上品な傘を用いた。

      巣鴨
           「和風16本骨傘の店」   豊島区巣鴨

安価なビニール傘が普及している今、蛇の目傘は高級傘となっている。
子どもの頃、木綿の傘がふつうだった。まだ折畳み傘はなかった。
街で蛇の目傘の人はあまり見かけないが、最近は強風にも強い16本とか
24本など骨が多くて軽い傘とか、つえ傘、ステッキ傘といった傘など、
さまざまな傘が目立つようになった。晴雨兼用の傘はふつうになった。
最近の子どものビニール傘はカラフルで一部が透明になっているものもある。
たまたま見かけたのはその透明部分が前になかった。

     雨の日
                  
子どものころ、街の玩具屋さんで買ってもらった蛇の目傘をくるくる回して
遊んだ記憶がある。
あめふれふれ かあさんが じゃのめでおむかえ うれしいな
最近、この童謡にまつわる怖い噂があることを知った。
あらあら あのこは ずぶぬれだ やなぎの ねかたで ないている
柳の下で泣いている子はこの世の子どもではないのだとか。
お母さんの傘で嬉しそうに帰る子を恨めしく見ている。
3番を歌うと・・・。決して傘を貸してはいけない・・・とか。

「柳の下」「ずぶ濡れ」といったことからだれかが言い出したのだろう。
ただ単に「ずぶ濡れの子に自分の傘を貸してあげて、自分はお母さんの傘で
楽しそうに帰っていく」といったそんな画が浮かんでくるのだが。

昔はお母さんが駅や学校の門で子どもを待つ光景をよく見かけたものだ。
雨に限らず車でお迎えの光景はたまに見るが、働いているお母さんも多い。
置き傘をしたり、鞄には折畳傘を入れている子もいるだろう。

わが家でもっとも軽い晴雨兼用の折畳傘をバッグに入れて持ち歩くようになって
だいぶ経つ。それまではコンビニに駆け込んでビニール傘を買ったり、
時間に余裕があれ雨宿り兼コーヒータイムに。雨は上がったためしはなかったが。

断シャリの度に傘も処分してきたが、それでも今回の大掃除・大整理で
並べなおすと、折畳傘も長い傘もあることあること。高級傘は1本もない。
折畳傘は軽いのがいい。結局、いつも同じものを持ち歩いている。
つれづれ

梅雨のころ

2013年06月03日
今年の梅雨入りは早かった。先月29日、「関東甲信地方で梅雨入りしたと
みられる」と発表された。去年より11日早く、平年より10日早い。

  5.3
          5.35.3


   御宿 5.8

連休明けに訪れた御宿(千葉県)では五月晴の空が広がっていた。

梅雨入り宣言の朝 
     5.29
   5.29 5.29

梅雨入りしたとはいえ、晴れの日が多い。「梅雨の中休み」のことを
「梅雨のずる休み」ということもあると、気象予報士が言っていた。
そろそろ真面目に雨が降る日になりそうだ。

   6.2 6.2

梅雨入りが早かった年は、大雨による災害が発生しやすいのだそうだ。
旅・散策・イベント

ドン・ロドリゴの見た駿府城

2013年06月02日
先月、中国語のお仲間と千葉県御宿(おんじゅく)に1泊の旅をした。
慶長14年、御宿沖で座礁した船に乗っていたのは、当時フィリピン諸島での
任務を終えてメキシコへ帰る途中の長官ドン・ロドリゴ一行。
『ドン・ロドリゴ日本見聞録』(村上直次郎 註訳)に記された駿府の徳川家康と
江戸の将軍秀忠についての見聞は興味深い。(御宿とサンフランシスコ号

外国貿易を奨励していた徳川家康は、慶長の初め、宣教師を介しフィリピン
諸島の長官にイスパニアの商船を浦賀に入ることを勧めた。
慶長13年夏、1隻が入港した。時の長官ドン・ロドリゴから家康と秀忠に
手紙と贈物があり、お返しとして返書に太刀・長刀・鎧が添えられた。

慶長10年、家康はわずか2年間で征夷大将軍職を息子の秀忠に譲った。
平和国家「江戸」を目指す家康は、将軍職を引退後、江戸には秀忠を、
名古屋には義直、紀伊和歌山に頼宣を配置した。
そして、「大御所」として戦力的な拠点として東海道を自由に使える
戦略的な拠点として駿府を選び、この地に移り住んだ。
隠居とは名ばかりで、代表権(外交・軍事・経済を支配)を持ち、むしろ
二代将軍秀忠が江戸で隠居していたと見るのが真相だといわれる。

   見聞録
     『ドン・ロドリゴ日本見聞録 ビスカイノ金銀島探検報告』

『ドン・ロドリゴ日本見聞録』によると、サン・フランシスコ号の遭難者に
ロドリゴがいることを知った家康は、ウィリヤム・アダムス(三浦按針)を
御宿の岩和田に派遣し、ロドリゴを駿府城に招いた。
ロドリゴは、大多喜城に立ち寄り、江戸城の壮麗さと街の繁華に驚く。
それから駿府城に行き家康に面会する。

皇帝は大変大きな部屋におり、その部屋の精巧なることは言語に尽くされず、
その中央より向に階段があって、これを上り終れば黄金の綱がある。
部屋の両側に添ってその端、つまり皇帝のいる場所より約四歩の所に達する。
その高さ2バラ(1m67cm)であり、多くの小さな戸(襖のこと)がある。
家臣たちは時々皇帝に招かれ、この戸より出入りする。彼らは皆ひざまずいて
手は床上(畳)に置き、全く沈黙して皇帝に尊敬を表していた。
 
                (中略)
皇帝は青色の天鳶絨の椅子に座り、その左方約六歩の所に私のために予め
これと異なる椅子が用意されていた。皇帝の衣服は、青色の光沢のある織物に
銀を以て多くの星や半月が刺繍されており、腰には剣を帯し、頭には帽子または
他の冠物はなく、髪を組んで色紐で結んでいた。皇帝の歳は60歳くらいで
中背の老人であり、尊敬すべき愉快なる容貌で秀忠公より肥満していた。


        駿府の家康
          徳川秀忠畫像 伯爵 松平直之氏像 *Click!

駿府城と家康の風貌を伝えた数少ない史料という。とくに内部の見事な装飾、
警護の兵士が多かったことなどにロドリゴが注目したことがわかる。

江戸初期の市街について、此市及び街路には観るべき物甚だ多く、市政も亦
大に見るべき所あり。ローマ人の政治と競うことを得べし、市街には互に優劣なく、
皆一様に幅廣く又長くして直なること西班牙の市街に勝れり。家は木造にして
二階建なるものあり、而して外観に於いては我が家屋優良なれども、内部の美は
彼遙に勝れり。又街路は清潔にして何人も之を踏まずと思はるる程なり。


はるか昔、受験で日本史を選択してかなり細かく学習したはずなのだが、
家康が駿府に隠居していたことすらすっかり忘れていた。
テレビっ子の孫りんりんはNHKの大河ドラマがキッカケで、とくに戦国から幕末に
興味を抱くようになった。年表を食い入るように見ていた姿を思い出す。

いわゆる「レキチル」といわれる「歴史好きの子ども」とは少し違うが、
4年生になった今も歴史好きであることには変わらないようだ。
最近買い替えたケータイのアドレスに「ryoma」でなく、「masamune」の文字を
使ったところをみると、いつのまにか「伊達政宗」ファンになったらしい。
旅・散策・イベント

蚊はどこまでも

2013年06月01日
今日は気象記念日。1875年(明治8年)6月1日、現在の気象庁に当たる
東京気象台が創設された。
東京における気象観測、地震計による観測の始まりの日で、気象記念日は
これを記念したもの。同時に、全国的な測候所建設業務が開始された。

先月29日、「関東甲信地方は梅雨入りしたとみられる」と発表された。
平年より10日早く、2008年と並んで統計開始以来3番目の早さとか。

         河骨

いよいよ本格的な蚊の季節が到来した。
毎年今ごろ、小さな鉢の中で河骨(こうほね)が鈴のような花を咲かせる。
ひと月前、わが家にみえたSさんが、玄関前に置いた鉢を覗き込んで
「ミジンコがいる! ボウフラも・・・」と教えて下さった。
バケツで汲んだ水を鉢にたっぷり入れボウフラ追出し作戦を開始したが、
面倒なので、南側の水道の下に置いて度々水を溢れさせるようにした。

      2008.2
        蹲で飲み方学習中の生後3ヶ月のケシ

庭の蹲(つくばい)は水を少しずつ出しているので水は入れ替わるが、
わが庭に来る猫たちの人気№1のかつての石臼の水飲み場は雨水が溜まる。
慌てて石臼の水をかき出したところ、いつのまにか猫たちは河骨の鉢から
水を飲むようになった。蹲の水飲み場が人気がないのは不思議でならない。 

       2012.8
                5歳のケシ

蚊が活動できるのは気温が15℃以上。それ以下だと地下駐車場などに
移動して繁殖するそうだ。そして排水パイプなどを通して上昇して来て、
排気口などから室内に侵入してくるのだという。
たとえば、東京メトロでは年2回トンネルなどに殺虫剤を散布したり、
都営地下鉄でも月に1,2回、薬剤を撒いているという。

一般住宅で需要が伸びているのは、ベランダや玄関先などに架けるタイプの
虫除けで、以前は5月の大型連休明けからだったのが、最近は4月初旬から
売れ始めるという。今やビルの地下で年中蚊が発生するのは常識だという。

昔はわが庭も近くの空地も木が多く、他所に比べて蚊が多いのは仕方ないと
諦めていた。とくに夕方、数十匹の蚊が網戸越しにこちらを見ている?中で、
洗濯ものを取り込むにはかなりの技が必要だった。

1歳の息子のおでこが蚊に刺されて真っ赤に腫れ上がった11月半ばの
写真がある。わが庭で蚊が活動するのは5月から11月。
1年の半分は蚊に悩まされる生活が気が遠くなるほどつづいている。
わが目の中に1年中蚊は飛んでいるが、痛くもか痒くもないのが幸いだ。
つれづれ
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