FC2ブログ

野菜不足?

2013年08月31日
今日は「野菜の日」。 全国青果物商業協同組合連合会など9団体が、
もっと野菜について認識してもらいたいと「や(8)さ(3)い(1)」の
語呂合わせから今日8月31日を「野菜の日」に制定した。(1983)

野菜摂取量の目標は成人1日当たり350gだが、「国民健康・栄養調査」に
よると、実際の摂取量は10年前より18g少なく、とくに20、30代は
240gにも達していないのだとか。(厚労省 2011年)

少ない量でも従来の野菜より高い栄養を摂ることができる「機能性野菜」が
注目を集めているという。「機能性野菜」には、野菜には含まれないビタミンB12を
添加したカイワレダイコンや、リコピン含有量を増加させたトマトなど、
本来は含まれていなかったり、微量にしか含まれていない栄養成分を人工的に
添加した野菜のこと。

   トマト

スーパーやデパ地下の野菜売り場でもいろいろな種類のトマトをよく見かける。
以前、ブロッコリーなどのスプラウトがいいときいて、買ってきた時期があったが、
つづかなかった。
新聞によると、「ブロッコリースーパースプラウト」は、通常のブロッコリーの
20倍以上の高濃度スルフォラファンを含む機能性野菜。平成13年に発売開始し、
昨年までの約10年間で出荷量は10倍に増加した。 (産経新聞)

     スプラウト

スルフォラファンはアブラナ科のブロッコリーに微量に含まれている成分で、
体内の解毒酵素の働きを強める。米国やフランスなど各国で研究が進められ、
ピロリ菌の除菌、高血圧や心臓病の改善、紫外線から目を守る可能性など
いいことづくめ。「KAGOME高リコピントマト」にはリコピン含量が1.5倍。
昨年度の売り上げは前年度の1.5倍だという。

おそらく、つづかないだろうと思いつつ、「ブロッコリースプラウト」と
値段も少々高い「高リコピントマト」を買ってみた。トマトはとくに美味しいと
いうこともなかったが、たまにはいいかもしれない。

    トマト
              高リコピントマトなど

20年も前のことだが、1年間だけ、南側に家庭菜園をつくったことがあった。
近くのホームセンターで買ってきた苗はピーマンとナスと綿の苗、あとは・・・
覚えていないが、トマトは難しそうでつくらなかった。
ピーマンはいくつもなった。野菜ではないが、棉も育ち、トロロアオイに似た
淡い黄色の咲いたときは感激した。そして、棉の実はクリスマスごろ、
花屋さんにある棉の実と同じだった。夢中でスケッチし、本画にも描いた。

どうも、野菜どころか、植物を育てるのは苦手だ。ゴーヤのグリンカーテンが
うまくできたのは一夏だけ。何年かつづけたが、ついに、昨夏で終わった。
剪定しなかった楓が日除けになっているからと、今年は、初めから諦めた。
来年もおそらく・・・。涼しい夏だったら考えなくもないが。
年々、夏が暑く長くなっている夏。身体も動かないし、頭も働かない。
植物など

シェアリングブーム

2013年08月30日
シェアハウスがちょっとした人気だという。シェアハウスとは、1つの住居を
複数人で共有することである。ハウスシェアリングとも言う。
通常の賃貸マンション・アパートに共用部施設があり、その共用部をシェアする
暮し方が、ここ数年間で20〜30代の若者に人気が出始めた。
共有のスペースでの交流が自然にでき、日常を豊かにしていくというのが目的。
さらに、業者が介在し入居者を募るため、初期のゲストハウスよりも総じて
設備やサービス面で充実している。

従来のシェアハウスでは、経済面での負担を減らすためにシェアをするという
目的であるのに対し、目的や目標を共有する人同士で住む「コンセプト型
シェアハウス」や「ソーシャルアパートメント」が増えている。

外観はまるで高層マンション。5~7畳のワンルーム。
トイレ、風呂、台所の共用スペースはテーマ別。たとえば、料理。独り暮らしでは
揃えられない高級な圧力鍋やパンつくりの用具など、専門的な料理器具も揃う。
また、気に入った本を持ち寄って貸し借りできる読書がテーマのスペース、
海外の化粧品メーカー設計による女性専用スペースもあるという。
「フィットネスジム」「シアタールーム」「音響設備」の設備があるところも。

標準タイプの場合、家賃と共益費で5万~10万円/月。独身者の入居が
ほとんどで、社会人の入居率が高いという。イベントやパーティが開催される
ことも多く、他業種で活躍する人々とのコミュニケーションの場ともなっており、
新規ビジネスの立ち上げや一生のパートナーとの出会いに繋がることもあるとか。
震災後、人との繋がりが重要視され始め、関東中心に全国に広がりを見せている。

      シェアハウス
                 共有スペース
 
大田区にもいくつかシェアハウスがある。国籍もカナダ、アメリカ、イギリスなど
国際色豊かなところもあれば、館内禁煙、無断友人宿泊禁止、共用部のゴミ出しは
当番制などルールはさまざま。

テレビでみたのは、体重1kg減らすごとに家賃が千円安くなるシェアハウス。
ほかにも外国人割引があったり、共用スペースでは英語のみのところなど。
外国人と朝夕の挨拶を交わし、時には一緒に食事をしたり、ゲームをしたり、
そんな何気ない生活の中で自然に英語が身についていくというもの。
語学レッスンも可能で、「家中留学」は魅力だ。
数十年前にこういったシェアハウスがあれば「家中留学」してみたかった。

だが、安易に飛びついてトラブルを引き起こすこともあるらしい。
たしかに、共同生活していく上では、マナーを守り、他の住人についても
配慮できる人でないとシェアリングは難しいだろう。

さらに「脱法ハウス」問題。シェアハウスの中にも消防法など法律・条例が
定める基準を守っていない「脱法ハウス」が増えているという。
都内を中心に350以上あるという。それらは、居住スペースの面積不足が
8割以上、仕切り壁の耐火性不足による火災時の危険性が7割以上だとか。
つれづれ

水上バスに乗って Ⅱ

2013年08月29日
浅草から水上バスに乗った。吾妻橋をスタート、駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋、
新大橋をくぐる。    (隅田川に架かる橋 Ⅰ  水上バスに乗って Ⅰ)     
清洲橋、永代橋、勝鬨橋の3橋が、国の重要文化財(建造物)に指定された。

清洲橋  中央区―江東区  清洲橋通り もとは「中州の渡し」
        清洲橋

下流の永代橋と対をなす橋として「震災復興の華」と呼ばれた優美な吊り橋。
世界で最も美しいとされたドイツ・ライン川のケルンにある吊り橋がモデル。

隅田川大橋  中央区―江東区  水天宮通り
        隅田川大橋
            上が首都高、下が一般道の2階建
 
永代橋  中央区-江東区 永代通り 
        永代橋

江戸幕府5代将軍徳川綱吉の50歳を祝し、徳川幕府が末永く代々続くように
名付けられた(元禄11年)と言われている。もとは「深川の渡し」。
 
中央大橋  中央区  八重洲通り 
        中央大橋
    
佃大橋  中央区  都道473号
        佃大橋

        水上バス
                  水上バス「竜馬」

勝鬨橋  中央区  晴海通り 
      勝鬨橋
        勝鬨橋 跳開部 
                     
勝鬨橋は、わが国で最大規模の跳開橋。1980年を最後に開橋されなくなった。

築地市場と東京タワー       
       築地市場
つれづれ

水上バスに乗って Ⅰ

2013年08月28日
トーハクの門を出たのが昼近く。真昼の太陽がギラギラと照りつける中、
駅まで歩きたくないなと思っていると、ちょうど「東西めぐりん」(台東区
コミュニティバス
)が来た。浅草まで乗って行くことにした。
バスを降りれば浅草とて暑いことには変わりはない。あまりの人の多さに
うんざりしていたら「水上バス乗船場」が目に入った。待合所に入ると、
さほど待たずに隅田川ライン(日の出桟橋行)の水上バスが出航するという。

隅田川に架かる橋は、千住大橋、水神大橋、白髯橋、桜橋、言問橋、そして
吾妻橋など。水上バスは12の橋をくぐるという。(隅田川に架かる橋 Ⅰ 


ずいぶん昔、F先生のデッサン教室の屋外スケッチで浜離宮(だったか)に
行ったことがあった。スケッチが終わり、水上バスに何人かで乗ったことを
想い出した。あのときは、日の出桟橋から浅草だったか・・・?

     吾妻橋 

乗り場の対岸にはスカイツリー、墨田区役所、アサヒビール本社が並ぶ。
思いがけず隅田川めぐりの約40分の船旅ができる。(¥760)
2階に出てみたり、冷房のある1階の客室に行ってみたり、久しぶりの
船旅を楽しんだ。デッキに出ると、船内アナウンスは聞き取りにくかった。
                    

吾妻橋  台東区―墨田区  雷門通り
       吾妻橋
  
駒形橋  台東区―墨田区  浅草通り
     駒形橋
     駒形橋

東京都公園協会の水上バス「東京水辺ライン」など、隅田川は航行船が多い。

     水上バス

厩橋  台東区―墨田区  春日通り
      厩橋

蔵前橋  台東区―墨田区  蔵前橋通り
      蔵前橋

(総武線)
     総武線

両国橋  中央区―墨田区  京葉道路 
     両国橋

          スカイツリー

新大橋  中央区―江東区  新大橋通り
      新大橋
旅・散策・イベント

トーマス大好き 

2013年08月27日
じゅんじゅんは1歳を過ぎたころ、兄のりんりんがそうであったように、
「機関車トーマスとなかまたち」がもっともお気に入りの玩具になった。

       りんりん
                  りんりん 1歳3ヶ月

りんりんが日記の題材に困るとき、弟のことか、猫のことを書くことが多い。
今日は弟のことをかきます。さいきん、弟はトーマスがすきになっています。
今日、木せいのトーマスをせんろにものせられるようになり、また、トーマスの
仲間の名前を憶えていて、本のキャラクター(もちろんトーマスたち)をゆびさし、
母にその名前を読んでもらうのです。「トーマスをもっておいで」というと、
たしかにトーマスですが、トーマスの本をもってきたので・・・、「確かにトーマスだ。
カワイ~!!~~」とついいっていました。(カワイーから)⇒当たり前

    
        トーマスの絵本
                じゅんじゅんのお気に入り
        木製トーマスと仲間たち

最近のじゅんじゅんのトーマスへの執着は半端ではない。
わが家に来るときもトーマスと仲間たちの絵本と木製玩具全種類を持参する。
ビデオが見られないときはスマホで動画のトーマスをせがむ。

           PC
          パソコンでもスマホでも、熱があっても「トーマス!」
      スマホ
身近な人びと

キカラスウリ

2013年08月26日
  キカラスウリ  ウリ科 カラスウリ属   
            学 名 Trichosanthes cucumeroides
           別 名 玉章(たまずさ)・ツチウリ・キツネノマクラ・ヤマウリ
           原 産 中国・日本

            カラスウリ

夏の夜に、花弁の縁が糸状に長く伸びる花を咲かせる。蕾の時にはきれいに
折り畳まれているが、夜が来ると短時間で完全に開ききる。
「糸」の一本一本がからまることなくみるみる伸びていく。不思議でならない。

翌朝にはしおれてしまう一日花。ヨルガオやゲッカビジンなどの夜咲きの花は、
白もしくは白っぽい色をしていることが多い。白色は月の光の下でよく目立ち、
花粉を媒介してくれる蛾などの目印となるから。        
調べて分かったことは、花が終わると糸状の部分は、花びらの内側に丸まって
収納され、雄花はすぐに散ってしまうこと。

     キカラスウリ雌花

キカラスウリの花期は8月、9月。カラスウリと比べると、花は繊細ではない。
夜に花開くが、翌日の昼頃まで咲いている。
キカラスウリの根から採取されるでんぷんは「天瓜粉・天花粉」と呼ばれ、
あせもなどの薬や白粉(おしろい)として利用されてきた。
主に夜行性のスズメガが飛来しポリネーターになる。

      線路まで

たまに通る線路沿いの道で、植込みの樹にからみついた白い花をみつけた。
線路側の道端にも、線路のすぐ近くまでもその蔓は伸び、白い花が咲いていた。
よく見ると、緑色の実もいくつかあった。どうやら、キカラスウリだ。
9月頃に黄色く熟すことだろう。

    キカラスウリ実

旧宅の庭には知り合いに分けていただいた雌雄両株の烏瓜があった。   
夏の夕方、白い繊細な花が咲いたときも、かわいい実がなったときも感激した。
夢中になってスケッチをした。夕方だったせいか、暑さの記憶はない。
熱中症ということばなどきいたことがなかったころだ。   (烏瓜
植物など

廃棄されるもの

2013年08月25日
日本の社会に供給された物は1年間に約16億㌧(うち7億8千万㌧が輸入)で、
そのうちの35%に相当する5億7千万㌧は廃棄物。(2010年)
43.3%は再利用され、40%は埋め立てられるという。
月尾嘉男氏(東大名誉教授)の話(TBSラジオ)は衝撃的だった。

それにしても食品廃棄物の多いこと! 8500万㌧(7割は輸入)が供給され、
4分の1が廃棄されている。1年間に発生している食品廃棄物は1,900万㌧、
うち食べられるのに捨てられる(食品ロス)は500~900万㌧(2010年)。
つまり、賞味期限間近のものや品質には問題がないものの、包装不備などで
市場での流通が困難になり、商品価値を失った食品が廃棄されることが多い。

    上野公園
             上野公園  炊き出し風景

それまで廃棄されていた食品の提供を原則として無償で受け、生活困窮者を
支援しているNPO等の市民団体を通じて野外生活者や児童施設入居者などの
生活困窮者に供給する、フードバンク活動を中心に行っているNPO組織が
「セカンドハーベスト・ジャパン」。

こうした活動はアメリカでは国・州の保護があり、社会に浸透しているが、
日本ではまだ馴染みが薄いため、活動規模が小さいそうだ。
「セカンドハーベスト・ジャパン」に食料を提供している企業は外資関係の
会社が大多数を占めており、日本企業の協力はまだまだ少ないという。

       清掃工場
                  清掃工場

廃棄されるもので急速に増加したのが紙おむつ。それも大人用紙おむつは
今や、乳幼児用の1.6倍になったという。
高齢者の多い鳥取県の伯耆町では可燃ごみの6分の1が紙おむつだという。
燃焼温度が高いため焼却炉が傷むなどの弊害が出ることから、使用済みの
紙おむつから固形燃料を製造しているとか。

「愛・地球博」では廃棄物が再利用された。イタリア館の床には割れたガラスを
再利用した床材が使用された。また、不要のゴムタイヤを粉々にして作られた
会場への道路は、騒音も少なく、透水性に優れ、凍結しにくいとか。

今、廃棄物が多いのは東日本大震災の被災地。南三陸町では、焼却灰をセメントと
混ぜて砕いた石のようにして道路の舗装に使用。まさに一石二鳥。
精神的に役立つ廃棄物として月尾氏が挙げたのは「震災津波バイオリン」。
「千の音色でつなぐ絆」は、これらの弦楽器を千人の演奏者が受け継ぎながら
思いを繋げるプロジェクト。
演奏会では皇太子さまが初めてこの震災ビオラ演奏された。 (3年目の夏
つれづれ

何かを得るには

2013年08月24日
半年前に予約した『世界から猫が消えたなら』(川島元気 著)が回ってきた。
単なる猫の物語ではないと思っていた。案の定、「これは僕からあなたに
宛てた最初で最後の手紙、つまり遺書です」とあった。
余命いくばくもないとされた30歳の「僕」はキャベツという猫と暮している。
陽気な悪魔が僕の周りにあるものと引き換えに1日の命を与える。
僕と猫と陽気な悪魔の摩訶不思議な7日間がはじまった―――


         世界から猫が消えたなら

悪魔がやってきた。実に派手なアロハシャツとショートパンツ姿だ。
「なくてはならないと思っていたもの」、いや、「あって当たり前」のものが、
「僕」の命と引き換えに毎日1つずつ消えていく。
火曜日、世界から電話が消え、水曜日、映画が消え、木曜日、時計が消えた。
そして金曜日、「世界から猫を消してください」と悪魔に告げられた「僕」は・・・。

この本を読み始めたとき、以前、読んだ『リライブ』(小路幸也 著)を想い出した。
人が死に臨んだとき、姿を現した「獏(バク)」は悪夢を食べずに、人の思い出を食べる。
「死にゆくあなたの思い出をいただくために参上しました。その代わり、
取り戻したいものを差し上げます」と獏はささやく。
『世界から猫が消えたなら』に登場する派手な悪魔とはかなり違っていたのだが。

幼い頃、飼い猫を亡くした著者は、携帯電話を失くしたとき、手にしてから
わずか10年のモノに、自分の大切な記憶を預けていたことに驚いた。
心もとなく電車の中を見渡すと、自分以外はみんな携帯電話を見つめている。

その光景を眺めながら、携帯電話なしに過ごしたらどうなるかを考えたという。
こういったことが『世界から猫が消えたなら』を書くきっかけになったとか。

「何かを得るためには何かを失わなくてはならない」。度々出てくることばだ。
ケータイを持ち始めてまもなく落としたことがある。幸い、交番に届いていた。
ケータイを忘れて出かけたことも数回あった。すでにケータイ依存症になっていた。
気づけば10年以上、手帳も時計も持たず、ケータイやスマホに頼っている。
家族、友人の電話番号、何ひとつわからないことに愕然としたこともあった。

『世界から猫が消えたなら』を読んだ翌日、渋谷のヒカリエで開かれている
『岩合光昭 写真展 ねこ』(8/1~25)にりんりんと出かけた。

      ねこ展

240点の写真の中、わが庭や近所の猫に似た猫はいなかった。
りんりんは「ハートのシッポ」を持つ田代島の猫が気に入ったようだった。
街角の猫、自然の中の猫たちの姿は、猫好きのりんりんはもちろん、とくに
猫好きではない私も十分に満足した。
つれづれ

炭酸水ブーム

2013年08月23日
今日は24節気の1つ「処暑」。暑さが峠を越えて後退し始めるころ。
『暦便覧』では「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」と説明している。
二百十日・二百二十日とともに台風襲来の特異日とされている。

炭酸ブームだという。ハイボールの大流行のおかげもあって、炭酸水も爆発的に
売れているという。「炭酸水中毒」になっている人も多いのだとか。
銀座のアンテナショップに広島、山形、茨城、福井県のご当地サイダーが登場。
大宮盆栽だー、金魚サイダー、富士山サイダーなど、地ビールならぬご当地
サイダーも次々と登場している。コンビニの棚にも「北海道民に愛されている
サイダー」とか「オホーツクの恵 塩サイダー」など、さまざまな炭酸飲料が
並んでいたのには驚いた。
   
    炭酸水
      メンズサイダー     ポッカサッポロ 塩サイダー

炭酸には血管を広げて血のめぐりをよくする働きがあるため、代謝がよくなる。
疲労回復、ほかにも、デトックス効果、ダイエット効果が。
ただ、あまり冷えたものだと内臓を冷やしてしまうため、常温の方がいいようだ。

明日、明後日はJR高円寺駅(杉並区)周辺で恒例の「高円寺阿波おどり」が開催される。
これを記念して「高円寺サイダー」(¥200)が同駅周辺のコンビニ店に登場した。
瓶入りで、2人の踊り手のシルエットを配した青いラベルが目印で、見た目にも
涼しさを出すため、サイダーも青色。

6月に販売した「高円寺南サイダー」が好評だったため、味やラベルなどに
改良を加え、「高円寺サイダー」として売り出すことにしたという。
阿波踊りにかけて、泡(サイダー)?。2400本の限定販売。
周辺のコンビニのほか、祭り当日はブースでも販売されるとか。

    サイダー
             高円寺南サイダー
 
8月初め、阿佐ヶ谷に行った帰り、高円寺南口のコンビニに立ち寄った。
青色の「高円寺南サイダー」が並んでいた。めったにサイダーなど飲まないが、
旅の記念?にと2本購入。バッグに入れて割れないように持ち帰った。
その後、数週間経つが、勿体ないような気がしてまだ、冷蔵庫の中。

阿波踊りは一度も見たことがない。せめて高円寺で見てみたいとは思うが、
人ごみは苦手。2日間で延べ157の連、参加者は1万人以上。約百万人の
見物客が見込まれているとなると・・・。だが、一度は見てみたいものだ。
旅・散策・イベント

多摩川の河口へ Ⅱ

2013年08月22日
多摩川の河口「0km地点」をめざし、大田区側からタクシーで大師橋から
川崎側へ入った。                (多摩川の河口へ Ⅰ
多摩川に平行する国道を走ってもらう。京浜工業地帯だ。
道路の拡張工事が行われ、工場移転のあとが配送センターになったりと、
運転手さんが「しばらく来なかったらずいぶん変わったものだ」と驚いていた。

どうやら先は東京湾アクアライン方面らしい。急遽、殿町の公園前で下りた。
あとで分かったことだが、そこで下りなければ多摩川に出られなかったのだ。
もともとは東京湾に面していた殿町は、海苔養殖でも有名だったが、現在は
埋め立てられて「浮島」が出来たため、多摩川と運河に面しているだけだ。

     空港

公園脇の道を多摩川に向かった。「多摩川八景」の1つ、多摩川の河口だ。
葦の向こうに群青色の多摩川が見えた。対岸は羽田空港(東京国際空港)だ。
飛行機が次から次へと飛び立っていく。遠くに見える赤い橋は滑走路で、
多摩川河口域に建設されたことで通水性が確保されているという。

    多摩川

大師橋から多摩運河までの一帯は多摩川最後の堤防(約2.5Km)がつづく。
どんどん浅瀬になっていて、干潮時には広範囲に干潟が出現するそうだ。
高い塀と多摩川との間の堤防道を進む。「海まで1km地点」を通過、
0.4km地点を過ぎる。目の前はどうみても海だ。
りんりんが水の中にクラゲを見つけた。あちこちでボラが飛び跳ねる。

 1km 0.4km

「多摩川河口」の標識がある場所に出た。ベンチが置いてある。砂浜だ。
「わ~い!」と階段を下りるりんりん。砂を持ち帰りたいというので、
バッグに入っていた小さなビニール袋を渡すと砂を詰め込む。
自由研究の模造紙にこの砂も貼ろう!とやる気満々に。

    河口
              多摩川河口  砂浜

その先には小さな建物があった。りんりんは「行き止まりだよ」というが、
人が来るので、最後まで道があると思っていた。まさしく「0km地点」だ。
「多摩川河口水位観測所」の建物で視界は遮られた。その先は海、いや
「多摩運河」。そしてその向こうは浮島らしい。

   飛行機

ランニング中のオジサンに「行止まりなんですね~」といったのがきっかけで
「一緒に行きましょう」といわれ、今来た道を3人並んで引き返すことに。

オジサンは話し続けた。この辺りは干潮のとき潮干狩りができること、
海苔がとれるようになったこと、近くの殿町小学校を出たこと(何十年前?)、
たまに多摩川大橋まで走ることなど。お陰で楽しく歩けたが、すでに5時半。

川崎行きバスはすぐに来たが、道は大渋滞。京急の駅まで歩くべきだったと
後悔したが、後の祭り。りんりんはスヤスヤと。
彼を家に送り込んだのは7時を過ぎていた。家族は夕食を待っていてくれた。
長いのか短いのか、楽しく充実した旅だった。

多摩川に住んでいながら、多摩川についてほとんど関心を持たなかった。
りんりんの自由研究につきあったおかげで、多摩川がより身近になった。
涼しくなったら、自転車で多摩川べりを走ってみよう。
旅・散策・イベント

多摩川の河口へ Ⅰ

2013年08月21日
「多摩川」を自由研究のテーマに選んだりんりんに再びつき合うことになった。
山梨県笠取山の多摩川の源流「水干(みずひ)」から小河内ダムまでは父親と
行ったので、今回は多摩川の河口ということになった。

前回の「調布取水堰」行きに負けず劣らずの猛暑には参った。身近な多摩川
午後2時、蒲田駅で待ち合せて羽田空港行のバスに乗り、空港入り口で下りた。
ミニ旅の始まりはよかったが、このときすでに3時近かったことを忘れていた。

バス停からすぐに「海老取川」に架かる弁天橋と赤い鳥居が目に入った。
磯の香りがした。「わあ、海だ! 」。突然、ハイテンションになったりんりん
地図を見ると、左岸(東京都大田区)の多摩川の河口「0km地点」まで行くのは
大変そう。弁天橋から「羽田の渡し」の石碑まで堤防を歩くことにした。

    弁天橋

ハゼ釣りをしている人、堤防から海を(多摩川)眺めている人、シートの上に
寝そべっている人・・・「暑いのにご苦労さま」。いや、それは自分のことだ。
岸辺には大小様々の船が係留され、漁師町「羽田」の風景。
ハゼ釣りの小学生を羨ましそうに覗き、「釣りをしてみたいな」とりんりん

    河口ちかく 

    船

    多摩川

    葦原

首都高と大師橋が見えてくる。この辺りにあるはずの「羽田の渡し」の石碑が
みつからない。自転車でやってくるオジサンに訊いてもわからず、歩き続ける。
首都高の下まで来た。
日陰でのんびりしているオジサンに訊ねると石碑の場所はすぐにわかった。
石碑の脇には、旧大師橋の親柱が置かれていた。

    羽田の渡し
            「羽田の渡し」石碑 (表裏)

          大師橋親柱
                旧親柱

古くから、羽田漁師町(大田区)と上殿町(川崎市)を渡る「羽田の渡し」が
存在していた。渡し場付近の川幅は約40間(約80m)くらいで、「おーい」と
呼ぶと対岸まで聞こえたという。
ここで使われた渡し船は、20~30人の人々が乗れるかなり大きなもので、
この船を利用して魚介類、農産物、衣料品など、生活に必要な品々が羽田と
川崎の間を行き来していた。昭和14年に大師橋の開通により廃止。

    旧堤

羽田第一水門のすぐ後ろには、大正末期に造られたレンガの旧堤防が
旧河岸に沿って湾曲しながらつづく。

    第一水門
              羽田第一水門と大師橋
  
せっかくだからと、右岸(神奈川県川崎市)の「ゼロkm地点」をめざして
大師橋を渡ることにした。歩いて橋を渡る元気は残っていなかった。
羽田神社の前でタクシーをつかまえた。    

    大師橋
              大師橋 (産業道路)  
旅・散策・イベント

ゲリラ豪雨には

2013年08月20日
全国各地で局地的に強い雨を降らせる「ゲリラ豪雨」による災害が起きている。
今夏の「ゲリラ豪雨」は、全国で昨年より3.5倍多く、9月までの発生回数は、
関東甲信では前年同期の実測値と比べて3.2倍と予想されるという。

豪雨の回数は増え、地下空間は広がる。ゲリラ豪雨など都市型水害の脅威が
言われるが、水害対策をしている地下街は4割程度とか。
首都圏では、200年に1度の大型水害を想定した対策が徐々に動き出している。
6月、国交省は「水防法」を改正して、避難確保計画又は浸水防止計画の作成、
訓練の実施、自衛水防組織の設置などを行うように管理者に義務付けた。

降水量50mmを超えると、水が下水道から路上に溢れ出す、地下階、地下鉄、
地下道、地下街に流れ込み、川が氾濫、決壊することもある。
マンホールの蓋が水で持ち上がる程になると、溢れ出るまではあっという間とか。
1993年に台風11号が関東地方を直撃し、営団地下鉄(東京メトロ)の
赤坂見附駅が浸水、ホームまで水で溢れたことがあった。

      駅 
                溜池山王駅      

東京メトロ溜池山王駅の階段の壁には、止水版のお知らせと、2004年の
台風22号接近時の浸水した道路の写真が貼られている。

2010年7月の夕方、阿佐ヶ谷(杉並区)から、趙さんのところへ行くために、
石神井公園駅(練馬区)までバスに乗った。
窓に打ち付ける雨と川と化した道路。バスが浮くのではないかと恐ろしくなった。
駅前のバス停から西武線の改札口までにびしょ濡れ。傘などまったく役に立たず。
趙さんのマンションは駅前だが、結局、この日の訪問は取りやめて帰宅した。

        ゲリラ豪雨
           西武池袋線 石神井公園駅        2010.7 


「まち」を生き物として捉え直すことで、地域に見合ったモデルづくりを進める
研究が行われている。ラジオで、都市計画の専門家谷口守教授(筑波大大学院)の
興味深い話をきいた。都市計画は街を診る医者のような仕事だという。

街は人がつくる最大のもの、巨大な生命体。オフィスや住宅などは細胞、
交通システムやさまざまなインフラは循環器に見えてくるという。
そして、人と同じように、病気になったり治ったり、年をとるだけでなく、
生活習慣病、肥満、骨粗しょう症なども。そして、都市も予防や改善ができる。

人口が減っていく今、街を縮めていく時期だという。
「アポトーシス」という、無駄なものが自然になくなる、捨てていくという
プログラムが、人には組み込まれているという。老朽化した建物、シャッターが
閉まった商店街、役割を終えた施設についても同じだという。
たとえば、居住者が激減した高層マンションの上層階をカットする「減築」。
あるいは、使われなくなった構造物などを取り壊して元の環境に戻すなど、
状況に応じて、さまざまな対策が必要になるという。

止水版や防水扉も増えている。透水性舗装の道路も見かけるようになった。
ちなみに、東京メトロの水害対策は、止水版(147駅、出入口792ヶ所のうち
537ヶ所設置済)、防水扉(隅田川以東の駅出入口に設置)など。
旅・散策・イベント

俳句の日

2013年08月19日
今日は「俳句の日」だそうだ。正岡子規の研究家の坪内稔典が「819(ハイク)」の
語呂合わせから、夏休み中の子供たちに俳句への興味を持つようにと制定した。

母は若いころから中村草田男に師事していた。母の茶道具の整理が終わり、
次は俳句関係の本の整理を思い切って断行。古書専門店に引き取ってもらった。
ほかにも草田男のレコードや自句自解のカセットテープなどもあった。
母の自作句集、母の句が掲載された同人誌『萬緑(ばんりょく)』、草田男からの
手紙、いくつかの短冊、箱書きがある掛軸などは残すことにした。

        万緑
             処分した『萬緑』

     緑の中や吾子の歯生え初むる  (『長子』所収)

草田男の代表作とされるこの句は、教科書にも載るほど有名。
辺り一面が草木の緑に覆われた状態を万緑(ばんりょく)と言う。
初夏の新緑の瑞々しい緑より強い真夏の深い緑に近い。 
この語は漢詩に用いられていたが この句により夏の季語として定着したという。 
  
     秋の航一大紺圓盤の中  (『長子』所収)

この句は、北海道を俳句旅行中の船中での作句。見渡す限りの海原。水平線が
円を描いている。船は1つの大きな紺色の円盤の中にいるようだといった意味。

        扇子
              秋の航一大紺圓盤の中
 
母の友人Hさんは草田男(~1983)に師事した俳人だが、師の没後、「萬緑」
主宰者となった成田千空氏(~2007)も亡くなると「萬緑」を退会された。
彼女は数年前まで車を運転されて日本中を旅された。写真の腕前もプロ級。
なかなか旅ができない母に、旅先で撮った写真を送って下さったことも。

膝の手術を受けられてから、Hさんは運転免許も返納し、旅に出ることも減り、
話題も主に日常や飼い猫のことが多くなった。彼女の猫好きは半端ではない。
現在は、月に数回、俳句教室に出かけられる程度。(ペットロスの悼みを癒す

母が手紙を出していたのはいつごろまでだっただろう。手紙のキャッチボールが
もっとも頻繁だったのは、父が亡くなった翌年だった。
母のの引出しやライティングデスクなどから出てきたHさんからの手紙類は
相当な量で、その多くが便箋に4枚程度。綺麗な細かい字で書かれている。

     手紙
     
菓子の包装紙、カレンダーの裏紙 経木、シールや庭の楓の押し葉を貼った
封筒は見ているだけで楽しくなる。
そういえば、こういった手作りの封筒が2人の間で流行ったものだ。
封筒つくりを愉しんでいた母を想い出す。
次第に母の返信も滞るようになった。手づくり封筒どころか、簡単な挨拶文だけの
葉書になっていった。Hさんからの封筒には「8.19着」とか「8.19受」と
書かれているが、中には「返未」と書かれたものが何通もあった。

先日、『ねこ』展で購入した来年の「ねこカレンダー」をお送りしたときに、
母の入所先のホームの住所をお知らせした。「お返事は頂かずともお便りさせて
いただきましょう」と書かれた葉書をいただいた。 
     
     冬の水一枝の影も欺かず     (『長子』所収)
    
     降る雪や明治は遠くなりにけり  (『長子』所収)

平成も25年。今や、「昭和は遠くなりにけり」。
難解といわれる草田男の句の中でも、この2句と「秋の航一大紺圓盤の中」と
「萬緑の中や吾子の歯生え初むる」は空で言えるほど親しんでいる。
それにしても、早く秋が来てほしい。
身近な人びと

身近な「多摩川」

2013年08月18日
今年も夏休みのりんりんの自由研究につき合うことになった。
1学期に「水道キャラバン」の授業を受けたこともあって、社会科の自由研究は
「多摩川」にしたという。               (水道メッセンジャー
お盆休み、父親と車で山梨県の多摩川の水源地、小河内ダムなどに行った
りんりんは、翌日、資料持参でわが家にやって来た。

先ずは模造紙を横に3等分してつなぎ、絵巻物のようにすることにした。
私の「多摩川散策絵図」の川部分だけを写し取り、青いサインペンで塗った。

多摩川にはアユが生息していて、江戸城に献上していた時代もあった。
その後、明治になって上納制度が廃止され一時はさびれたが、明治22年の
甲武鉄道(現JR中央線)の開通をきっかけに舟遊び・鮎漁、鮎料理などに
訪れる人々が増え、活気を取り戻したという。    (多摩川のアユ

高度成長期の60年代、水質悪化などでアユの遡上はみられなくなったが、
下水道の整備、生活排水や工場排水などが処理場で処理された水が多摩川に
流れ込むようになり、水質が改善され、多摩川にアユが戻ってきた。
今春遡上したアユは、2006年の調査開始以来、最多の推定389万尾の
稚アユが遡上したとか。(国土交通省京浜河川事務所 3/18~6/12)

多摩川の鮎は東京湾から川を遡って、上流で餌をたくさん食べて太った後に、
中流の小石に産卵して一生を終えるのだという。人工の堰は遡上時の障害と
なるため、 国は「魚道」を確保する対策を取り、個体数も調査している。

取水堰のことを調べたいというりんりんを連れて、国交省の京浜河川事務所へ。
「取水堰のことはあそこに見える建物(都水道局調布取水所)で訊いて下さい」と
言われ、炎天下の河原を取水堰めざして歩いた。

         京浜河川事務所
           国交省 京浜河川事務所田園調布支所        

河口から13kmの地点にある多摩川でもっとも下流にある「調布取水堰」は
昔は飲料水を取水していたが、高度経済成長期にはこの付近の多摩川は、
生活排水などで泡が立つほど汚れていた。
1970年、飲料水の取水を停止した。現在は工業用水のみの利用。

       丸子橋
         丸子橋の向こうにわずかに見える調布取水堰

     取水堰
            調布取水堰  上流方面

いつもは東横線内から見る取水堰を間近にみた。暑いせいか、釣り人も少ない。
再び、道路に出て水道局の取水所へ。電話をして門を開けていただいた。
壁のヘルメット、雨合羽、長靴などが置かれた部屋に通され、2人の局員の方が
丁寧に応対してくださった。取水堰の役目、アユ遡上、洪水時の多摩川の写真の
説明など、小一時間、楽しい時間だった。
ちなみに、年々増える取水堰付近のアユを食べたことがあるという局員によると
「正直、美味しくなかった」そうだ。上流まで遡上したアユは美味しいらしいが。

     取水堰
      第一魚道    閘門 第一.第二水門 第二魚道 起伏堰  

     洪水時
             台風9号による増水 平成19年9月7日 
       最高水位AP+8.6(昭和13年9月に次ぐ歴代2位) 

東京湾の河口から13kmの「調布取水堰」は、潮の満ち引きにより、水道の原水に
海水が入らないように建設されたという。
ここまで、海水が入ってくるとは! 子どものころから見ている取水堰だが、
考えたこともなかった。津波のときは・・・?とふと思った。
来年の初夏、アユの遡上を見に来ようとりんりんと約束して、多摩川を後にした。

アザラシのタマちゃんが最初に発見されたのがこの取水堰のすぐ下流の丸子橋付近。
2002年の8月だった。その後、タマちゃんは鶴見川、帷子川へと移動したが、
あのタマちゃんの出現は、多摩川など市民の関心が薄かった都市河川や東京湾の
状況に関心を持たせる効果を生んだ河川の環境を考える契機となった。
旅・散策・イベント

ショータンは3歳になった

2013年08月17日
夏休みになったりんりん。毎日提出することのない日記の文字は乱雑。
クラスメイトと遊ぶ予定のないときには、日記の題材に事欠くのか、
弟のことか、猫のことになることが多いようだ。
彼にとって、3年前に家族となった猫のショータンは次男、1歳の弟は三男らしい。

      ショータン
             スパイダーマン??

今日は、猫のことをかきます。「他己紹介」―3兄弟次男ショータン-
うちの猫は、オスの二才で―す。アメショーのくせに「ぐるぐる」がない、
ブサイクな猫で、愛知県生まれの活発な優しい猫です。たまにあみ戸に
のぼり、スパイダーマン?みたいなことをします。おい、かっこつけて
すわんないでくれよ。お願いだよ。ブサイクだかなんだかわかんないし、
第一、じゃまなんだよ。でも、「ごろ~ん」ところがって「ンニャァ」とないて
ころがったおなかをみせられたら、何でも許しちゃいますよ。ええ。


     ショータン
              じゃましないで!

「ぐるぐる」とは、アメリカンショートヘアーに特徴の渦巻き模様のこと。
アメショーは、運動能力の高い、大きな脚を持つ中型の猫。慈愛深く長生き。
社交的な性格で、同居人(犬も含む)と仲良く暮らすことが可能。
狩りが得意だが、明るく優しい気質で、小さい子どもの遊び相手にもなれる。
その飼いやすさから日本でも90年代後半頃より流行し始めた。(Wikipedia)

    ショータン
             トレーニングは欠かせない?!

ショータンは今日、3歳になった。
小さい子ども、1歳のじゅんじゅんが顔を触っても尻尾をひっぱっても我慢して
静かにその場を去るという。一方、りんりんが相手の場合、彼がちょっかい出すと、
やめて!と、時と場合によっては、ひっかかれることにもある。
動物など

樹の下に

2013年08月16日
自分の命はできるだけ決めたほうがいい。葬式も自分流。お墓の入り方も
自由流。そう考えると、生き方も自分流になる。
一度だけの人生、そうこわいものはない。死ぬときや死んでからの準備が
できると、生きることに勇気がもてるようなる。ここが大事だと思う。

大好きな鎌田實氏(諏訪病院名誉院長)のことばだ。

『大・大往生』という鎌田氏の最新刊は「老いと死にどう向き合うか」がテーマ。
永六輔氏の『大往生』のもうひとつ上を行こう! と、ユーモアたっぷりの
鎌田氏らしいネーミング。近いうちに読んでみようと思っている。
死に立ち向かう方法はひとつではない、死を受け止める予行演習・・・。

ここ数年、葬儀の形が変わってきた。核家族化が進み、高齢化などで病院や
介護施設などでの生活が長くなり、おつき合いしている人も少なくなった。

お墓をめぐる意識の変化も目立つ。コブシやナツツバキなどの樹木を墓標に、
地面の下に遺骨を埋葬する「樹木葬」は以前から耳にしていたが、樹木の下に
合葬する「樹林墓地」も増えてきているという。

    こぶし
         春        こぶし       夏

東京では、町田市の民間の霊園で7年前に「樹林墓地」が整備された。
昨夏、小平の都立霊園で「樹林墓地」(樹林型合葬埋蔵施設)の募集を始めた
ところ、500体分に16倍超と応募が殺到したという。
都は昨年の人気を受け、今夏は募集数を1600体分に増やした。
すでに応募は締め切られ、今月末の抽選後、使用は12月中旬からだとか。

    こぶし
            秋              冬

この「樹林墓地」は、約830㎡の敷地に計1万700体が埋葬できる。
芝生が一面に敷き詰められ、墓石となるナツツバキやコブシなどが植えられた
地下に、埋葬するための深さ2m余りの筒が27ヶ所に設けられていて、
底の部分が直接、土につながり、遺骨は歳月を経て土に還ることになる。
利用料は1人13万円余り、その上、管理料もかからないそうだ。
来年度には個別埋葬の樹木墓地の開苑が計画されていて、さまざまな形態の
墓地が選べるようになっていくことになるようだ。

こうした「樹林墓地」が関心を集める背景には、「木の下で眠りたい」
「土に還りたい」という思いを抱くこともあるが、少子化や核家族化などで
墓を守り続けることが難しくなっている、社会や家族の事情もあるようだ。

各地の霊園では荒れてしまった墓が問題になっているという。遺族などに
連絡しても、遠くて行けないとか、墓の存在も知らなかったとの返事。
さらに、半数近くは宛先不明で返ってくるのだとか。

祖父母、伯父、伯母の墓は、佐賀県鳥栖(とす)の虹ノ松原にあった。
それまで、墓参にいくことはなかなか叶わず、親戚にお願いするしかなかった。
沈丁や筑紫より墓移すべく 20年近く前、早稲田のお寺の墓地に改葬した。
今、早稲田の寺には、父も眠っている。
墓の近くの小さな築山にはかつてわが庭にあった楓の根元に母の句碑が立つ。 

   句碑   
            柿の秋夫の書斎の窓も光り

土(宇宙)から生まれ「土に還る」。死ぬという表現には悲しい響きがあるが、
元にあったところへ還ってとけこむ、「還る」だけのこと。
私は好きな樹の下に眠りたいと思っているが、おそらく、この寺にお世話になる
だろう。楓の樹と父を詠んだ母の句碑が立つ土とつながっている場所に。
植物など

『戦いの中の青春』 Ⅴ 読み終えて

2013年08月15日
今日は終戦から68年目の記念日。 『戦いの中の青春』を読み終えた。

八月十五日 この頃にはもう、私達の心にも工場にも、この先どうなるのだろう
という不安と空虚な倦怠感がただよっていたように思います。
あの昼、工場の屋上で全員が集まって放送を聞きました。お言葉はよく聞きとれ
ませんでしたが、戦争は終わったのだ、負けたのだ、ということはよくわかりました。
ポカンとした虚脱感、ホッとした感情、これらの入りまじった気持ちでながめた
屋上の真夏の暑く白い日ざし・・・。


考えてみますと、私達は日本の大きく激しい流れの中を生きて来たのだと思います。
激流も中に入ってただよっている者には、その激しさがよくわからず、ぼんやり
浮かんで押し流されて来たように思います。
あれから三十年、またある日突然流れが変わって、今までの考え方はまちがって
いたなどと言われる日の来ないようにと思っています。

             (『戦いの中の青春』「流れの中で 深沢蓉子」より)

この本は、女子大入学の寸前に日米開戦、卒業の年に終戦という戦争の時代を
過ごした女子学生たちが、戦後30年、それぞれの戦争体験を綴った手記。
母もこの手記を寄せた1人。勤労動員先の陸軍造兵廠で6人でつくった短歌集を
持って日本女子大を訪れた。               (戦いの中の青春

暑い日だった。女子大近くの交差点で目に留まったのは、信号待ちの間も
スマホから目を離さない女子大生たち。タンクトップにショートパンツ姿。
いつも目にする当たり前の光景なのだが、なぜだろう、妙な違和感を覚えた。
長袖長ズボンの防災服に防災頭巾を抱えた母の姿が一瞬目に浮かんだ。
もう70年近い月日が流れている・・・。

       目白

先頃、久方ぶりに学園を訪ね、その偉容に驚嘆いたしました。学園は今も昔も
若者がいっぱいで、過ぎし日と少しもかわりません。そして、悠久の大義
とやらの美名のもとに天翔って逝った若者達も、今恋人を求めてその人生を
エンジョイする若者達も、思えばその短いつかの間の人生を精一杯生きて
行くという信条に変わりはないと思います。

戦後三十年、経済大国となり、祖国日本は繁栄を極めています。たとえ戦争に
破れても、万葉に詠われたうまし国日本は見事に再建されました。この国に
生まれた私は、この国がある限り、悲しい運命を乗り越えて、愛する家族と
共に残りの人生を幸せに生きて行きたいと思います。それが生き残ることの
できた私のせめてもの責任だと思います。
健やかに今日も明日もいのちある限り・・・

         (『戦いの中の青春』「命ある限り 沖中智恵子」より)  

そして、一番ケ瀬康子氏は「叫びー戦争と私」でこう結んでいる。
戦争は、人々の生命を奪い、人生を根底から狂わせてしまう。二度と戦争を
許してはならない――――。警戒警報が聞こえなくなった東京の空のもとで、
焼け野原になった東京の街々を歩きながら、幾度それを思い、決意したことで
あろうか。その想いが、私の戦後の一歩を、またその後の歩みを、結局は
大きく左右したといっても言いすぎではない。

         
一番ケ瀬康子氏は、社会福祉学者。母校日本女子大の名誉教授。海外の
社会福祉事情にくわしく、老人福祉、保育、女性問題などの啓蒙につとめた。      
つれづれ

『戦いの中の青春』Ⅳ  歌集

2013年08月14日
入学寸前に日米開戦、卒業の年に終戦という戦争の時代を過ごしたかつての
女子大生が綴った手記が、戦後30年、『戦いの中の青春』という本になった。
母も手記を寄せた1人だった。             (戦いの中の青春
その後、『戦いの中の青春』(日本女子大43回生卒業30周年記念文集編集委員会編)は
「戦争と平和」市民の記録のシリーズに入った。
     
学園生活とはおよそ縁遠い軍の施設の中で、『白埴(しらはに)』と『茶の花』
2種類のの短歌集が生まれた。(戦いの中の青春 北区に残されたもの
それらの歌は、当然ながら、学徒出陣、防空壕、空襲、焼野原、傷病兵など、
戦時ならではの歌が多いが、「時局が感じられない」と評された歌もあった。
故郷を、山を、花を詠った歌、どれもあの時代を真剣に生きていたあかしだ。

        ひまわり

花の歌のなかで、向日葵の歌が目立った。 『白埴』より
   向日葵の黄なる花弁うち萎れ実はいるも重し夏たくる陽に      明子  
   駅近く群り咲ける向日葵は車窓に映ゆるまぶしくも映ゆ       美野
   日まはりの日増にのびて影をつくりその下草のいたいたしけれ   道


手記(1976)によると、『白埴』の11人のうち1人が亡くなっている。
『茶の花』の6人のうち3人が終戦後まもなく相前後して亡くなられたとか。
何回か編集会議を開き、長い間大切にしていた和紙を持ち寄り、
歌を作り、めいめいが自分の歌を原紙に書き、表紙を張り合せ、刺繍糸で
和とじにした「歌集」
で、わずか15部ほどしか作れなかったという。
先月、母が大切に保存していた1冊を日本女子大記念館に寄贈した。
     
       「茶の花」
             『茶の花』

『茶の花』にも向日葵の歌を見つけた。
     向日葵の大き花弁に唇つけて君を愛すと告げてみたき日   弘子

よく2人の兄の話をされていた彼女は戦後まもなく亡くなったそうだ。
「兄召さる日」と前書きがある歌が何首も綴られていた。 
     泣くまじと歌ひ送れどくちびるの端のふるへをかくすよしなく  弘子   

この歌集が誕生したとき、終戦はもう目の前に迫っていた・・・・。

父は古希を過ぎてから「戦場の日々」を綴り始めた。
     戦いつ死ぬべくありし若き日を思い起こして歌つくり初む

そして、父の歌つくりはいつまでつづいたのだったか。
     妻も子も孫もひとしく危ぶみぬ古希の手習いいつまで続くと
     戦いつ一万粁を歩きたる細りし脚を撫でいとおしむ
つれづれ

七夕まつり

2013年08月13日
仙台、平塚と日本三大七夕の一つに数えられる「阿佐ヶ谷七夕まつり」。
「阿佐ヶ谷七夕まつり」は、JR阿佐ヶ谷駅前から青梅街道の杉並区役所前まで、
700mのアーケード「阿佐谷パールセンター」で行われる。 
商店主たち手づくりの吹流し、薬玉、アニメのキャラクターなどのはりぼてが
飾られ、様々な出店が並ぶ。          (阿佐ヶ谷 七夕まつり
7月末、阿佐ヶ谷に行った。パールセンターを通るとちょうど七夕飾りの制作中。
ところどころ枠組みだけのものや未完成のショクパンマンなどが下がっていた。

「七夕まつり」期間中の阿佐ヶ谷の街はホームから駅前広場もおまつり一色。
パールセンター入口は大勢の人でごった返していた。

       駅
       
      南口より

       くすだま
               
ゆうゆうが生後8ヶ月のときから、ほぼ毎年見に行っていた「七夕まつり」。
今年、孫たちはちょうど七夕まつりの間、岩手の祖父母の家で過ごしていたため、
荻窪の友人Fさんと出かけた。制作中のはりぼてがどうなっているか興味があった。

    ?
    ショクパンマン
     人魚

    猫たち
            佳作
     虹に願いを
       地域特別賞 「虹に願いを」 阿佐ヶ谷中学校1年

     オールスターズ
           「ASAGAYA Super60' All Stars」

     ペットボトルで
                                
どちらも地域特別賞。「僕は杉並清掃事務所の体験学習で、4年生と
園児たちがつぶしてくれたペットボトルでできてるよ!」
「たま七」は杉並区立第七小学校4年生の作品。

    七夕
         
     キャラクター
  
「パーシー」、「なみすけ」(杉並区キャラクター)、なぜか「くまもん」、
ほかにも、あんぱんまん、ドラえもんなど大勢の人気キャラクターが勢ぞろい。

今年の七夕まつりは60回。パールセンターのサイトには、第1回(昭和29年)から
昨年までの作品の中からはりぼて傑作100選を発表している。
旅・散策・イベント

悩むこともため息も

2013年08月12日
夏バテの大きな要因は「自律神経の乱れ」と小林弘幸教授(順天堂大学医学部)。
汗や湿度の不快感など、ちょっとした不快感によるストレス、激しい温度差、
そして脱水により、自律神経のバランスが乱れ、体調を崩しやすいという。

       クク
                  夏バテ?

自律神経の働きを良くして「体の調子」を取り戻す方法の1つは「呼吸法」。
といっても難しいことではなく、呼吸を意識して、ゆっくり吐くことが大切。
吐く息は副交感神経をぐっと高めてくれると小林教授。
不安なことがあったり、緊張したりしていると、人は無意識に呼吸を止めている。
そうした交感神経が非常に高まった状態のときに「ため息」をつくが、それは、
止まっている呼吸のリカバリーショットだとか。

「ため息」のススメ? 「ため息」ならお得意だ。これからは遠慮なくつける。
さらに、部屋に花を飾るといったこともいいそうだ。
玄関にはなるべく花を欠かさないように心掛けているが、部屋の雑然とした
机や棚の上にはめったに花瓶を置くことはない。庭の外の緑と外猫たちに
癒されているのかもしれない。
ちなみに、猫もため息をつくというが、窓の外からは聞こえてこない。

    クク
            ため息が聞こえそう

呼吸のほかに、腸内環境を整えること、軽い運動、階段をつかう、車内で立つ
というだけでも、アンチエイジングの鍵である自律神経は整うという。

今日『みんみんの庭』は5年目に入った。「三日坊主」の私としては珍しい。
パソコンに向かう時間にあれもこれもできる。目にも腰にもよくないのも
承知しているのだが・・・。悩むほどではないが、迷うことが多い日々。

「1日10分でもいいから、思い切り悩むことが必要」という専門家もいる。
何が悩みか書き出してみると、はっきりしなかった悩みが何であるかわかり、
解決策はみえてくる。悩むことで、五感を刺激し、いろいろなことに気づく。
解決に辿り着き心が軽くなる。
わからないことがあるから悩み、また、悩んだ分だけ考えが深くなるとも。

「悩み」大辞泉を引くと、「悩み」とは、①思いわずらうこと。心の苦しみ。
②やまい。病気。
と、マイナスイメージがある。
「悩み」を真剣に考えることなく、ただ「悩み」から逃げよう逃げようとする、
また、グレーゾーンで考えていることがほとんどで、一体何に悩んでいるのか、
はっきりしていないので悩むのだという。

「悩み」も「ため息」も、私の中でプラスイメージに変わりつつある。
始めた頃の思いとは大分ずれてきたが、『みんみんの庭』は単なる「脳トレ」
と化したが、これをやめたときのわが脳がどうなるかは明らかだ。
もうしばらく「ため息」の中でつづけていきたちと思っている。
つれづれ

3年目の夏

2013年08月11日
東日本大震災から今日で2年と5ヶ月。「海の日」、福島県いわき市の2つの
海水浴場が海開きした。震災後、閉鎖されていた勿来海水浴場は2年目、
四倉海水浴場は震災後初めての海開きとなった。(~8/18)
震災と原発事故前の海水浴客総数は、四倉が10万人、勿来が18万人で、
今年は四倉が5万人、勿来が9万人が見込まれている。
いわき市に9つある海水浴場のうち、四倉と勿来以外の海水浴場は復旧工事が
完了していないため、再開時期は未定だという。

福島県放射能測定マップ(8/8)によると、勿来海岸の放射線量は1cm
高さ地点で0.10μ㏜/時50cm高さ地点で0.09μ㏜/時となっている。
この値が高いのか低いのかはよくわからない・・・。
四倉海水浴場は、福島第1原発からおよそ35kmの場所にある。

最近、若者や子どもたちの「海離れ」が言われる。約20年前は3千万人を
超えていた海水浴客は、2011年には3分の1以下に減ったという。
プールなど、ほかに夏のレジャーはいくらでもあるからといったこともあるが、
海水浴で身体がベタベタになるのが嫌、後始末が面倒だ、日焼けしたくない、
虫やクラゲが嫌といった理由も多いとか。
海開きが再開されて喜ぶいわき市のことを思うと何とも複雑な気持ちになる。


「石巻川開き祭」(7/31~8/1)は、河川の改修や水上交通の整備などにより
発展したことを記念して、100年ほど前から石巻(宮城県)で行われている。
東日本大震災の後は犠牲者の供養と復興を願う祭となった。

            花火大会「河北新報」より
         
昨年は、東日本大震災により、規模を大幅に縮小し8月1日のみ開催された。
今年は、旧北上川で、仮設住宅に暮らす人などが1万個の灯籠を流した。
祭りのフィナーレは花火大会。技巧を凝らした創作花火や中越地震で被災した
長岡市の団体から贈られた復興祈願花火、全国花火サミットの石巻開催記念の
スターマインなど約6000発が打ち上げられた。
ちなみに、震災前、約1万6000発を市内陸部から打ち上げていたが、
震災の影響で2011年から規模も縮小されたという。

「旧北上川」は、大震災による津波の被害にあった石巻湾への流れをいう。
岩手県および宮城県を流れる一級河川の北上川は「新北上川」のこと。
16世紀、伊達政宗は、北上川、(はさま)川、江合(えあい)川の水系を1つにし、
また、北上本流の河口を石巻につけかえた。明治に入り、河口の石巻から
盛岡まで航路が改良され、さらに河口部の放水路として、新北上川が開かれた。

      北上川2012.8
        イギリス海岸のりんりん (北上川 岩手県) 
      
東日本大震災の津波で残された流木などで作ったバイオリンを世界中の奏者
1000人が弾く「千の音色でつなぐ絆」が進行中だ。
先月の学習院OB管弦楽団の第67回定期演奏会で楽団メンバーの皇太子様が
演奏されたのは、バイオリン製作者の中沢宗幸さんが岩手県陸前高田市の
「奇跡の一本松」や津波で流された家屋の材木などを使った「震災ビオラ」。
松は表板と裏板をつないで楽器を響かせる「魂柱」に使われているという。

今年6月、復原された「奇跡の一本松」から徒歩10分ほどの場所にバスの
新駅が設置された。8月末までの土日祝日やお盆期間などの日中時間帯に
バス上下10本が停車するという。
旅・散策・イベント

『戦いの中の青春』Ⅲ 板橋区に残されたもの

2013年08月10日
JR埼京線十条駅南部一帯はかつての東京第一陸軍の造兵廠で、火薬や弾丸の
ほとんどを造っていた。       (『戦いの中の青春』 北区に残されたもの
線路の東側(北区)が東京第一造兵廠。西側(板橋区)が第二造兵廠だった。

母たちがかつて勤労動員された陸軍の造兵廠があった地を訪れたのは、
『戦いの中の青春』を読み始めたのがきっかけ。 (『戦いの中の青春』

十条駐屯地、北区中央公園を過ぎ、埼京線の線路を越えると板橋区だ。 
石神井川沿いの東京家政大学から帝京大学医学部の一帯は、旧加賀藩
下屋敷の広大な敷地に作られた東京第二陸軍造兵廠、通称「二造」があった。
「二造」は火薬の製造所で、火薬はもちろん機関銃や大砲、風船爆弾なども
製造されたという。今でもいくつかの痕跡を見ることができる。

愛誠病院は「二造」時代の建物が再利用されている。その病院と石神井川の
間の路地に建つレンガ造りの建物は「理化学研究所板橋分所」の研究施設。
板橋火薬製造所時代の建物がほぼ当時のまま残り、内部の見学が可能。
湯川秀樹博士、朝永振一郎博士が過去に研究していた施設という。

         理化学研究所
              理化学研究所板橋分所
   
さらに行くと、愛歯技工専門学校があり、構内の建物も「二造」時代のもの。
ここは火薬庫であったとされ、万一の事故の際、爆風を上に吹き飛ばすため
壁を頑丈にし、屋根を弱く造ったとのこと。

   愛歯技工専門学校
              愛歯技工専門学校

「加賀公園」は加賀前田家下屋敷跡。屋敷の中を石神井川が流れ、兼六園の
約7倍ほどの広さがあったというが、当時の面影を残すのは築山の一部だけ。
弾丸試射のための標的だった壁や火薬の研究に使われた弾道検査管が残る。

     加賀公園
            レンガ積みの標的が残る加賀公園

       圧磨機圧輪記念碑
           「圧磨機圧輪記念碑」 加賀西公園

「加賀西公園」も加賀藩下屋敷跡で、園内には「圧磨機圧輪記念碑」がある。
これは実際に工場で使用された圧磨機の圧輪でつくられたモニュメント。
ベルギーから輸入された(慶応元年)圧輪は、明治9年より陸軍工場内で
黒色火薬の製造に用いられた。
この圧輪を回転させる動力には石神井川の 水が利用されたとか。

石神井川に架かる緑橋畔の「みどりばし緑地」には、「二造」の建物の一部が
モニュメントとなった「レンガパーク」があった。
    
     二造
     二造
 
実際に「二造」に使われたレンガは、上部中央のほんの一部で、あとはレプリカ。
手前には「二造」の地図や建造物の構造図、モノクロ写真なども展示されている。 

    二造
              かつての二造

この「二造」だった建物は、2時間ほど前に訪れた北区立の赤レンガ図書館と
よく似ている。図書館はもと第一陸軍造兵廠の砲兵工廠銃砲製造所。

石神井川に沿った緑道を歩いていると、付近一帯が日露戦争から太平洋戦争にかけて
12万坪もの軍事施設が存在していたことなど忘れてしまいそうだ。
ちなみに、赤羽に「近衛工兵第一連隊の兵舎」「陸軍被服廠」「赤羽火薬庫」など、
王子駅から隅田川まで「東京第二陸軍造兵廠」(二廠)、巨大な軍事施設が広がっていた。
旅・散策・イベント

『戦いの中の青春』Ⅱ 北区に残されたもの 

2013年08月09日
今日は「長崎原爆忌」。長崎の空が白く輝き、時計の針が止まった。
青空に噴き上げる巨大なきのこ雲。1945年8月9日のことだった。


ゲリラ豪雨に見舞われた7月の蒸し暑い日、母が大切に保存していた歌集を
バッグに入れて女子大の記念館を訪ねた。女子大生たちが勤労動員生活の中で
詠んだ短歌は、和紙にガリ版刷。とても70年も前に作られたものとは思えない。
戦後30年発刊の『戦いの中の青春』に寄せた母の手記の下書き原稿と共に
寄贈することにした。             (戦いの中の青春

女子大記念館を出て、母が動員された「陸軍造兵廠」の跡を訪ねることにした。
朝、プリントアウトした地図をみながら、JR十条駅から歩くが、それらしき痕跡は
なかなか見つからない。自衛隊の十条駐屯地にかつての「陸軍造兵廠」の名残、
赤レンガの塀があった。レンガの塀が途切れると、高い柵になった。その柵越しに、
ちょうど昼休みだったこともあって、ランニングする隊員たちの姿もみられた。
広い駐屯地の庭には、3日後の「盆踊り大会」のためにやぐらが用意されていた。

「造兵廠」とは、兵器を造る廠、軍直轄の工場のこと。日露戦争中、明治政府は
兵器工場を開設した。その後、相次いで工場は増設され、最盛期には赤煉瓦の
建物が約20棟並んでいたこともあった。太平洋戦争後は米軍に接収され、
ベトナム戦争時には負傷した米兵のための病院としても使われたという。

   駐屯地
    かつての造兵廠の外壁  煉瓦が残る十条駐屯地正門

『戦いの中の青春』の中、Nさんの手記「霧深き朝」を読むと、国文学部4年生
および3年生は、昭和19年4月、第一陸軍造幣廠文書係と第三製造所工務掛
その他に配属されたことがわかる。
非常に広い構内で、下十条の駅から歩いて十分余りの所に正門があり、歩哨が
立っていて、お辞儀をして通りましたが、通用門は駅前にあり、工員達はほとんど
そこから入りました。もう1つ本部裏に裏門があり、ここにも歩哨が立っていました。
私たちは正門から入ることに決められていましたが、朝、遅れそうになると駅前の
通用門から飛び込みました。そこから本部までの長い構内の道中には、いろいろな
職種の人達がいて、1人でそこいらを通り抜けるのは、とても気の疲れるものでした。


     1839no02.jpg
               赤レンガ図書館      
  
「造兵廠」の面影を残す275号棟は、銃の弾薬を造る兵器工場だった。
当時の外壁や柱や梁を残し、北区立の「赤レンガ図書館」の一部となった(2008)。
レストランも入って、中央公園の中でもひときわお洒落な建物となっている。

        レストラン

図書館と駐屯地の間の遊歩道を行くと、「中央公園文化センター」の裏側に出た。
この建物は「陸軍第一造兵廠」の本部だった。戦後、造兵廠の一部は米軍に
接収され、ここも米軍施設として使用されたが、区をあげての返還運動が実り、
日本に返還され(1971)、文化センターとして生まれ変わった。

      中央公園文化センター
                中央公園文化センター

だが、「耐震工事及びエレベーター設備工事のため来春まで休館」のため、
館内に入ることはできず、残念だった。
   
入廠式、退廠式の記憶はない。管理掛に配属された六名は、一列縦隊で
「今日からここで仕事する旨申告」して挨拶したのである。
本部の傍のバラック風二階建の細長い建物で、外からの階段を上り、戸を開けると
面会所である。その隣りが将校控室、その隣りが事務員室。ここのロッカーに
持物を入れ、ここの細長い机と椅子で休憩したり食事をしたりした。


Hさんの「雨空」に登場するバラック風二階建の建物などあるはずもないが、
本部はこの「文化センター」のことだろうか。
Hさんは母の親友の1人。幼いころよく遊んでいただいたことを想い出す。

今思うと、もっと積極的に学びとる方法もあったと思われる。消極的でつたない
生き方であったと思う。しかし、どこにいてもその人らしい生き方しかできない
のだとも思う。

戦後30年、Hさんは『戦いの中の青春』に寄せた手記「雨空」をこう結ばれた。

Hさんは、その後、輸血が原因で肝炎を患い、数十年に及ぶ闘病生活の後、
2007年12月に亡くなられた。この年は父が逝った年でもある。
戦友を失って塞ぎこんでいた母をときどき想い出す。
旅・散策・イベント

線香花火

2013年08月08日
夏の風物詩、隅田川の花火大会は、約30分後に雷雨のために中止となった。
大会は今回で36回目。雨天順延はあったが、中止になったのは初めてという。

日本に花火が登場したのは、鉄砲が伝来し火薬を使うようになってからのこと。
古くは伊達政宗や徳川家康が見物した記録が残っている。
享保の大飢饉(1733)の死者を慰霊するために日本初の花火大会とされる
「両国川開花火」(現在の隅田川花火大会)が行おこなわれた。

打上げ花火や仕掛け花火に対して、線香花火やねずみ花火、吹出し花火などは
「おもちゃ花火」と呼ばれている。
線香花火は、おもちゃ花火というものの、さだまさしの『線香花火』のイメージ。
蛍のように儚く消える美しさがある。          (今年の夏は・・・) 

  線香花火
     中国製        純国産「大江戸牡丹」

線香花火は江戸時代に生まれた日本独自の花火だが、今や99.9%は外国産。
わらの先に火薬をつけた「すぼ手」と、紙をよった「長手」の2種類。
「すぼ手」は主に西日本で親しまれ、香炉や火鉢に差して楽しまれていた。
その様子が仏壇に供えた線香に似ていることから、この名がついたとされる。

江戸幕府の火薬製作所があった三河(愛知県岡崎市)のほか、北九州(福岡県)と
信州(長野県上田市)が、線香花火三大産地として栄えた。
1975年ごろから安い中国産に押され、国内メーカーは危機に追い込こまれ、
1998年、国産の線香花火は姿を消した。

    山縣商店
             蔵前花火問屋 山縣商店

「300年続く日本の伝統を守らなければ」と、立上ったのは大正3年創業の
花火問屋「山縣商店」(台東区)。愛知県の花火製造メーカーの協力のもと、
2000年に国産線香花火を復活させた。完成した「大江戸牡丹」と名づけられた
花火は中国産の約10倍の値段(¥525/10本)がするが、燃え尽きるまでの
「起・承・転・結」が美しく出る。

「起・承・転・結」は、それぞれに「牡丹」(ジリジリ) 「松葉」(パチッパチッ)
「柳」(シュ シュ) 「散り菊」(チカチカ)と4つの表情を見せる。
短い時間の中で見せる美しく儚い様子は、人の一生に例えられている。

寺田寅彦は『備忘録』の中で、「線香花火の一本の燃え方には『序破急』が
あり『起承転結』があり、詩があり、音楽がある」
。        (花火) 
荘重なラルゴで始まったのが、アンダンテ、アレグロを経て、プレスティシモに
なったと思うと、急激なデクレスセンドで、哀れに淋しいフィナーレに移って行く。
そしてソナタの一曲が終わる
」。チャイコフスキーの『悲愴』を想い出すという。

     国産花火
      九州三池「不知火牡丹」  三河伝承「大江戸牡丹」 
             
ここ数年、孫たちと楽しむ線香花火は中国製だった。丸くなった火玉がすぐに
ポトリと落ちてしまう。今年は国産のものを用意しておくことにした。

     しょうのう船
               しょうのう舟

ネット注文するつもりで蔵前の花火問屋「山縣商店」のサイトを見ていたら、
お店を覗いてみたくなった。7月末、ちょうど上野に出たついでに立ち寄った。
花火のほかに「しょうのう舟」も購入。舟はじゅんじゅんも喜びそうだ。
旅・散策・イベント

環八雲

2013年08月07日
今日は24節気の1つ「立秋」。暦の上では秋だが、まだまだ暑さがつづく。
青空に点々と、小さい斑点や白い波紋を見せる「いわし雲」は「うろこ雲」
「さば雲」ともいって、秋を代表する最も美しい雲といわれる。巻積雲の俗称。
この雲が出るとイワシが大漁になるので名付けたという説もある。

      いわし雲 2012.9.29
                 いわし雲

夏にみられる「かんぱち雲」の「かんぱち」は魚ではない。
「環八(かんぱち)」(環状八号線)という道路の名前が付いた雲のこと。
「環八」は大田区羽田空港を起点として北区岩渕町に至る、東京の都心部の
縁を囲むように走る。この道路の上空に数列に並んで出現する積雲が「環八雲」。

この雲は1970年頃から観測され始めた新しい雲で、天気の良い日の午後、
「環八」上には、雲が出来やすい条件が備わっている。

① 車の排気熱などによるヒートランドアイランド現象で、早朝から都心の
気温が郊外に比べ数度高くなるため道路に沿って上昇流ができやすい。

② 午後になると、東京湾から都心に向かって「海風」が吹き始めるとともに、
さらに、東京湾の西隣にある相模湾から北上する大気の流れが、東京湾からの
大気の流れとぶつかり、行き場を失った流れが向きを変え、暖まった都心の
空気が「環八」沿いに吹き寄せられて上昇気流となる。

③ 吹き寄せられた都心の空気には汚染物質が含まれ、さらに排気ガスに
含まれる「浮遊粒子状物質」も多く、上昇気流によって空気中の水蒸気が集まり
雲粒の核になる。道路に沿うように、雲が帯のように連なって浮かぶ。

晩夏から初秋にかけて頻繁に発生し、ゲリラ豪雨(都市型集中豪雨)が
発生する一因となっているそうだ。つまり、「環八雲」はヒートアイランドと
大気汚染という、環境破壊によって生まれた汚れた雲なのだ。

    環八雲 2011.8
                 環八雲

排気ガスが雲の核となるのであれば、ほかの国道や幹線道路にもこうした雲が
現れてもいいのだが、環七と環八だけらしい。環六(山手通り)は?
環七と環八の起点大田区に東京湾からの海風が直接入り込むからだとか。

数年前、りんりんと行った図書館の児童室で見つけた『環八雲ってどんな雲?』
塚本治弘 著)は衝撃だった。               (くもをみていたら
わが家もりんりんの家も「環八」からそう遠くない。。もっともお馴染みの道路だ。
早く「いわし雲」の秋にならないかなと、空を見上げながら溜め息をつく。
つれづれ

『戦いの中の青春』 Ⅰ

2013年08月06日
戦後68年。今日8月6日は「広島原爆忌」。先月末、詳しい耐震調査のため
世界遺産の原爆ドームを囲っていた足場が撤去され、約2ヶ月半ぶりに
元の姿を取り戻したと報じられた。    

『日本女子大卒業生の手記「戦いの中の青春」』「戦争と平和」市民の記録④
43回生卒業30周年記念文集委員会編 1992) という本を読み始めた。
この本は、入学寸前に日米開戦、卒業の年に終戦という戦争の時代を過ごした
女子大生が勤労動員に明けくれ、空襲、疎開、食糧難などをくぐった青春の記録。
戦後30年、戦争体験を風化させないようにと、有志数十名が書き綴った手記
(『戦いの中の青春』1976)に、高良留美子氏の解説が加わり、「戦争と平和
ー市民の記録」シリーズとして発刊されたもの(1992)。

手記に登場する歌集に心当たりないだろうか? 手記を綴った1人である母の
ところに、女子大の学芸員の方を通して研究者から問合せがあった。
今春、母の茶道具から始めた整理は、本や手紙類を最後に終えたばかりで
『戦いの中の青春』も手記の原稿も、歌集も母の書棚に入れた覚えがあった。
研究のお役に立てばと、寄贈することにした。(戦いの中の青春 詠う

     『戦いの中の青春』
       『戦いの中の青春』(1992版)  母の原稿(1976)

初めて『戦いの中の青春』を開いた。「叫び」「想い」「空襲」「励む」「詠う」
「故郷を離れて」「炊
かしぐ」「生きる」「祈り」とテーマ別になった手記は
「遺骨を抱いて」「特製の防空壕」「勝利を信じて」「命ある限り」「飢える」
「闇の帰路」「恐怖」「戦いの片隅で」など、題名だけでも胸が詰まる。

ざっと目を通すと、板橋の「陸軍造兵廠」、吉祥寺(武蔵野市)、大崎(品川区)、
蒲田や大森(大田区)などの工場に動員されたことがわかる。戦いの中の青春

母の手記には、終戦の3日前まで、板橋の陸軍造兵廠に動員されていたとある。
旧加賀藩下屋敷跡地に作られた第二陸軍造兵廠、通称「二造」は火薬製造所で、
火薬のほかにも機関銃や大砲、風船爆弾などの製造も行われていたという。

私達は毎日、一時間も二時間もかけて通勤し、飢えと闘い、空襲の危険に
さらされ、懐疑的になることも許されず、矛盾や不平を訴えるすべもなく、
ただ真面目に働いていました。月二回程度の「学校日」がどんなに嬉しかった
ことか。魚が水を得たようだと言う人もあり、「勉強がこんなにすばらしい
ものとは」と感激する人もあり、とにかく皆生きかえる思いのする日でした。
それも次第につぶれるようになり、班長からは日曜も出勤するように命じられる
ことが多くなりました。


広い構内ですれ違うときは「歩調とれ、頭(かしら)右」、母親の着物でつくった
モンペの上下や男物のズボンにあり合せのブラウス、配給の布製軍靴、手製の
防災頭巾といった服装、そんな中での「歌集」つくり、空襲警報の恐怖などが
綴られているが、終戦後何年経っても、サイレンが聞こえたり、何かを始めよう
というとき、お手洗いに駆け込む「空襲警報」後遺症の人が随分いたとも。

    愛歯技工専門学校
       愛歯技工専門学校     圧磨機圧輪記念碑
       旧「二造」火薬庫      加賀西公園内 
   
民間の工場に動員された人も多かった。社会福祉学者の一番ケ瀬康子氏も
その1人。海外の社会福祉事情に詳しく、老人福祉、保育、女性問題などの
啓蒙につとめた。元日本女子大学名誉教授。(1927-2012)

女子大学校で本格的な講義を聞いたのは一年生の時だけであり、二年目、
三年目は全く学徒動員、勤労奉仕に明け暮れた。登校するのは週一度の
帰校日だけであった。
私たちの通っていた工場は蒲田にあった。そこではボール盤工、また厚生課の
手伝いのような仕事をした記憶がある。毎日、朝早く暗い頃に寮を出て、機械の
騒音のなかで十時間以上を過ごし、兵器の部品をつくっていた。帰りは暗くなり、
警戒警報のなかを寮にたどりつくこともあった。


今、自らの意思で高校や大学に通っている若者はどれほどいるだろうか。
戦後30年の手記『戦いの中の青春』が発刊されてすでに37年が経つ。
何が変わったのか、何も変わっていないのか・・・。

6年前、父が逝き、手記を綴った母の親友Hさんも5年前に亡くなった。
グループホームに入所した母の本棚に長い間眠っていたこの本を手に取った
今年の夏は、私にとっても1つの節目になった気がしている。
明日は立秋。今日はまさに夏の節分だ。
旅・散策・イベント

夏の節分

2013年08月05日
明日8月6日は「夏の節分」。
節分は「季節を分ける」ことを意味し、各季節の始まりの日の前日のこと。
江戸時代以降は立春前日を指す場合が多い。

「勝利」に喩えた炎天下の明るさ。陽ざしはまだまだ強い。
母の師、中村草田男の飾り皿を仕舞えずにいる。

        草田男
     
     炎熱や勝利の如き地の明るさ   中村草田男

最近は、節分を前にコンビニエやスーパーに「恵方巻」夏バージョンが登場した。
セブンイレブンの「恵方巻」は、全国発売開始当時(1998)は35万本という
販売本数だったが、年々売り上げが伸び続け、今年は590万本を記録したとか。
今年の夏は、「夏の恵方巻」「夏のサラダ恵方巻」「夏の炭火牛焼肉恵方巻」の
3種を中心にラインナップ。
ファミマの「まるかぶり寿司」「夏の海鮮恵方巻」など5種類を販売するという。
サークルKサンクスでは通常の太巻のほか、「韓国風ピリ辛牛肉巻き」を販売。

      恵方巻

スーパーのイオン(2010~)では、夏休み中の子どもたちが親しみやすいように、
卵やどら焼きの皮などを具材に使った「ドラえもんのえほうまき」を販売。
イトーヨーカ堂が海鮮4種を使った太巻きなど、サミットは夏の節分では初めて
恵方巻きをバイキング形式で販売するという。

歳徳神の在する方位を恵方に向かって事を行えば、万事に吉とされる。
太巻寿司を恵方に向かって私語を交えずに丸ごと食べる。今年は「南南東」。
丸ごと食べるのは「縁を切らないため」、巻き寿司は「福を巻き込む」から。

明日は立秋。暦の上とはいえ、この熱さ、「恵方巻」気分にはならない。
夏の節分より夏の節電の方がしっくりくるのだが。
旅・散策・イベント

橋の日

2013年08月04日
今日は「橋の日」。河川と橋を通し郷土愛の精神を培い、河川の水質向上を図る。
「8()4()」の語呂合わせに由来する。
橋には、川や海、谷を越える橋だけでなく、道路、線路、窪地を跨ぐ陸橋も多い。
四谷見附橋(新宿区ー千代田区)、聖橋(千代田区)、両大師橋(台東区)、駒込橋(豊島区)、
八ツ山橋(品川区)など。      (駅に近い橋線路 道路を跨ぐ橋


堀之内橋 豊島区  明治通りが山手線と湘南新宿ライン(池袋~大塚)を跨ぐ。

   堀之内橋

橋には山手線を走っていた103系電車やD51のレリーフが飾られている。

 D51
       電車
 電車
       電車

     1884no6.jpg
       大塚方面        区の木「ソメイヨシノ」と「稲穂」 

音無橋  北区 3つのアーチ型の橋脚と欄干の優雅な曲線美が印象的。
昭和5年の架橋以来、交通の要、王子のランドマークとして親しまれている。
この橋から川の下流方向には、「日本の都市公園100選」「手づくり郷土賞」に
選ばれた「音無親水公園」がある。水車や東屋などがあり、春には桜の花見客、
また、夏には水遊びの子どもたちでたいへんなにぎわいを見せる場所。

         音無橋

       音無橋

塚山橋 杉並区   神田川に架かる橋。

      塚山橋
       塚山橋

近くに縄文時代中期(約[3500~4500年前)の「下高井戸塚山遺跡」がある。
昭和13年に初めて本格的な発掘調査が行われ、4軒の竪穴住居跡が発見され、
昭和44年には台地の東側斜面に住居跡1件、昭和48年には西東側斜面に
住居跡が20件発掘された。
これらの調査により塚山遺跡が縄文時代中期の環状集落であることがわかった。

     塚山公園
               区立塚山公園 
   塚山公園

「キケン!! ヘビがいますのでこの中にはいらないでください」
ヤマカガシは日本では最も生息数が多い。全体に暗いオリーブ色で、
黒と赤のまだら模様が目立つ。水田や水辺などの多湿地に生息する。
本来、大人しく、手を出したりしない限り噛まれることはないが、毒がある。        
旅・散策・イベント

昆虫食の時代に?

2013年08月03日
今日は「二の丑」。ニホンウナギの棲息数が激減、絶滅危惧種に指定された。
築地市場によると、丑の日前後の生きたウナギの取引価格は過去最高を
記録したという。(標準的な大きさで¥5500)

今年はいつになく7月だけで3回も鰻重に舌鼓を打った。(猛暑の日には
「丑の日」前、絵のお仲間とのランチは鰻重というのは、毎年夏の恒例行事。
今年も近くの店から配達してもらった。「丑の日」にはスーパーで買った鰻。
3回目は、今年から始めた中国茶の会で。数日前に予約して配達を頼んだ。
家族だけで切り盛りしているからとはいえ、数年前からまったく値上げせず、
配達代もとらず、実に良心的な店だ。もちろん、美味しいのは言うまでもない。

     鰻重

ところで、このところしきりに報道される「昆虫食」。国連食糧農業機関
(FAO)が、将来の食糧危機にそなえて昆虫食を提案する報告書を発表した。
2050年の世界の人口はおよそ90億人と予想されるという。

現在、世界ではアジア・アフリカを中心に約20億人が1900種以上の
昆虫を食べているといわれる。その数は、アフリカで500種類、メキシコで
400種、タイで300種にもなるという。
中国では、周代の書物に帝王の食事の献立が記録され、アリ、セミ、ハチが
食べられたとある。現在でも中国では200種以上が日常の食用になっている。

日本でも一部の地域で、イナゴ、カイコ、ハチの子、ザザムシなどの昆虫食が
あるが、あくまで「伝統食」の範囲を出ないという。
江戸時代にはタンパク質源として150種程度の昆虫が全国各地で普通に
食用とされていたという。
大正時代の調査では、日本全国で50種類以上の昆虫が食べられていたとも。

最近になって昆虫が食料として注目される背景にはタンパク資源の不足という
問題があるという。家畜や魚類を中心に世界で生産されるタンパク質源は
年間1億5千万㌧程度に対し、人口の急増で、推定約5千万㌧が不足になる。

「栄養価が高い」「飼育が簡単」「環境への負荷が少ない」のも利点。
東大名誉教授の月尾嘉男氏によれば、昆虫が食料として登場するのは、
①地球に生息している多種多様な動物のうち、もっとも種類が豊富。
②繁殖が異常なほど速いということ。もし飼育の仕組みを確立すれば、
家畜や魚類などと比較できないほどの数量になる。
さらに、蚕と桑の関係が好例のように、昆虫は人間が食料としない草木を
エサとするから競合しないという利点がある。


     桑と蚕
            次太夫堀民家園  世田谷区

③昆虫は変温動物であるから、家畜のような恒温動物と比較して、体温維持の
ためのエネルギー消費が微量であり、効率がよい。現在、人間が飼育や
養殖している家畜や魚類と比較してあらゆる側面で優秀な食材。


どうやら「昆虫食が人類を救う」ということは大げさなことではないらしい。
将来の食糧危機に対して貴重な食糧になりうるという昆虫だが、どれほど
すぐれた食料であっても、昆虫食に抵抗感を持つ人(私も)は多いだろう。
昆虫を日常的に食べる、そんな時代が近いうちにやってくるころまで、
生きているつもりはないのだが、蒲焼どころか、ウナギを見たこともない
といった人がほとんどになるかもしれない。
来年の夏もまたみんなで、美味しい鰻重で暑気払いができますように。
動物など

おしゃれな駅のベンチ

2013年08月02日
東京メトロ副都心線は、和光市駅(埼玉県)から東京渋谷の渋谷駅を結ぶ。
今年3月、副都心線は、東急東横線・みなとみらい線との相互直通運転を
開始した。                  (相互乗り入れからひと月 

阿佐ヶ谷のゆうゆうのところへ行くときには渋谷駅でJRに乗換えていたが、
乗入れ後は「渋谷」で下りずに「新宿三丁目」で丸の内線に乗り換えれば、
南阿佐ヶ谷まで一本で便利だ。因みに、副都心線渋谷駅ホームは地下5階。
人身事故やゲリラ豪雨などで信号が故障したり、直下型地震などが起きたとき、
地下駅ホームへのエレベーターやエスカレーターが止まったら大変だ。

     渋谷
                渋谷駅

殺風景な地下ホームには、駅それぞれのカラー、デザインのアクリル製の
おしゃれなベンチはは楽しい。     (エネルギッシュな地下のアート


               明治神宮駅
    明治神宮 北参道
                北参道駅


               新宿三丁目
   東新宿 新宿三丁目
                東新宿駅 

   西早稲田
                西早稲田駅 

    雑司ヶ谷
                雑司ヶ谷駅

                 要町駅
     要町 千川
                 千川駅
旅・散策・イベント
 | HOME | Next »