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帰って行ったカエル

2014年07月31日
5月、庭の草取りをしていてみつけたツチガエル。りんりんが早速学校へ持っていった。
学校の理科室に移ったカエル。「気持ち悪~い」派と「かわいい~」派が半々だったとか。
3日目、住居用に大き目のケースと、プール用にイチゴが入っていたケースを持っていった。

        5月 5.11

その後、土を持っていったり、小石とサザエの殻を持ってきた子もいたりと、理科室から
教室へ引越ししたカエルは人気者になったという。小さな素焼きの植木鉢が本宅になり、
貝殻が別荘になったと報告してくれた。イチゴケースの池にはじめて跳びび込んだときは
歓声が上がったという。       (カエル跳びこむ・・・?大きくなあれ!!

その後、「カエルは元気?校庭に放してあげたら?」と何度かいってみるが、耳を貸さない。
エサもミルワームに落ち着いて、ホームセンターで2度ほど買って持たせたところで
夏休みになった。終業式の日、3人がかりで重くなったプラスチックケースを持ち帰ってきた。
水と陸どころか、カエルはドロドロになった土に潜っていたが、元気だった。
    
        ケシとトラ
                  カエル 7.18  

割箸でミルワームを食べさせる。慣れたものだ。せめてこのミルワームがなくなるまでと、
庭に放すことを渋るりんりん。仕方ない。それなら土を入れ替えて快適な住いをつくろうと
約束した翌朝、ごんさんが新しい土を用意してドロドロの土からカエルを探す。いない!
保護色のカエルを見落したのでは?いや、やはりいない。

前の晩、エサをやったりんりんが蓋を閉めなかったからだ。学校では蓋をしなかったという。
持ち帰ったケースのそばで興味津々だった猫たち、トカゲは度々捕まえて玩ぶトラだが、
泥まみれのカエルを捕まえることは考えにくい。

息が苦しくなるだろうし、壁は滑るから上れるはずがないと主張していたりんりん
カエルがいないことを知ってしばらく気を落していたが、その晩の日記には
・・・たまたまここで見つけたカエルだから、むしろうれしいくらいで、悲しいとは思っていない。
でてきた涙があるならば、悔しいということではなく、カエルが故郷にかえってきたのだな
という感動や喜び、また淋しさがあるかもしれないが、それほどではない。今もカエルは
うちの庭の草原で駆け巡っていることだろう。

負け惜しみのようにも思えるが、それはともかく、3ヶ月近く留守にしていた庭に戻ったカエル、
「井の中の蛙」にならずにすんだ。めでたしめでたし。
動物など

雷雨の中の帰京

2014年07月30日
「気象情報」に頻繁に登場する「熱中症」「猛暑日」「集中豪雨」「突然の雷雨」・・・。
7月20日、24日と都内でも雷雨に見舞われた。

24日、太平洋高気圧に覆われた東日本と西日本は、全国58地点で猛暑日となった。
関東南部は夕方、東京都を中心に強い雷雨に見舞われ、停電が相次いだ。
この日、娘の帰りが遅くなるため、じゅんじゅんを保育園に迎えに行き、戻ったのは5時半。
雷鳴が聞こえ始めたころ、りんりんは降り出す直前にピアノのレッスンから帰宅した。
「東京アメッシュ」を見ると、「赤色(猛烈な雨)」や「ピンク(非常に激しい雨)」「オレンジ色
(激しい雨)」が大田区付近にも拡がり始めていた。
雷鳴もひどくなり、すぐ近くに落ちた!と思った瞬間、20日の晩の雷雨を思い出した。

        アメッシュ

19日、りんりんと犬山城、桶狭間、テレビ塔へ。
20日の朝は名古屋城から名古屋駅に戻り、ひつまぶしの店でじゅんじゅんたちと合流。
早く名古屋に着いた娘は近鉄百貨店の開店と同時に名古屋で2番目に美味しいといわれる
「まるや」の前に置かれた3番目の椅子でじゅんじゅんと待っていたらしい。そのおかげで、
11時きっかりに店内へ入れたが、きくところによると4時間待ちは当たり前だとか。
「ひつまぶし」目指してつづく長い長い列には驚いた。彼らの我慢強さには驚いた。

     行列

「リニア鉄道館」では、じゅんじゅんは本物の新幹線の中を走り回ったり、大はしゃぎ。
それはそれでよかったが、4時半の新幹線乗車前に熟睡し、車内ではきわめてテンション高く、
空いてはいたが、周りに必要以上に気遣いつづけることに。すでに疲れ果てた。

新横浜を過ぎた途端、雨粒が窓に当り始めた。品川駅下車して京浜東北線に乗換えた。
大井町、大森とドアが開く度に雨の激しさが増す。蒲田駅下車。東急線の改札を入ったとき、
池上線が発車してしまった。次の電車に乗り発車を待った。娘が家に車を取りに行く間、
りんりんたちと駅で待つことにしたが、いつまで経っても動かない。
激しい雷雨のため運転を見合わせている旨のアナウンス。多摩川線は停車したままで
行先表示も消えていた。やがて、池上線の表示も消えた。

やがて振り替え輸送を始めたというアナウンスに変わった。当分動かないということだ。
タクシー乗り場までも傘は役に立たない。しかもタクシー待ちの行列は長い。
大人だけならどうにもなるが、ベビーカーのじゅんじゅん・・・!

ごんさんは夕方から飲み始める。車があっても役に立たない?!
結局、お向かいのさいとうさんに蒲田駅までのお迎えを頼んでもらった。
幸いなことに、さいとうさんはそろそろ一杯やろうと思っていたところだったそうだ。

驚いたことに、国交省が大田区田園調布本町(娘の家の近く)に設置した雨量計では、
午後7時20分までの1時間に101mmの猛烈な雨を観測したという。
娘の家経由でわが家に到着したのは午後8時半。落雷の影響で運転停止した池上線、
多摩川線の復旧9時半ごろ。新幹線は午後7時前から約1時間、品川−新横浜間が
上下線でストップしたようだ。品川着6時半の新幹線だったことも幸いだった。

翌日、関東甲信越の梅雨明けが発表された。梅雨明け後から8月上旬くらいまでは
「梅雨明け十日」といって天候が安定することが多く、猛暑に見舞われることもある。
ちなみに「ゲリラ豪雨」という呼称は、集中豪雨が日本国内各地で続発した2008年夏以降
一般に広く使用されるようになったとか。
身近な人びと

名古屋城は復元工事中

2014年07月29日
りんりんと名古屋に着いてすぐ犬山城を訪れた。       (犬山城の天守から
午後は桶狭間古戦場へ。夕方、予定していた長久手行きは断念してテレビ塔にした。

翌朝、11時にじゅんじゅんたちと合流するため焦っていた。
8時にはタクシーで名古屋城に着いてしまった。入館は9時からだった。うっかりしていた。
名古屋城の前で時間調整することにした。能楽堂の前の広場には加藤清正の像がある。
観光客はほとんどいないが、犬の散歩をする人、ランニングする人たちがチラホラ。セミの声。
まださほど暑さは感じない。日陰のベンチでぼんやりしているといつの間にか9時になった。

       待つ
              名古屋城              広場で
      
名古屋城は日本100名城の1つ、国の特別史跡。徳川家康が、息子義直のために築城。
前身は戦国時代に今川氏が築いた名古屋城の二の丸付近にあったという那古野(なごや)城。

     名古屋城

家康は大阪の豊臣氏との決戦を前提として、畿内と関東の中間地点に名古屋城築城を
諸大名に命じた。加藤清正、福島正則、前田利光、池田輝政、黒田長政、細川忠興など
豊臣家ゆかりの大名を中心とした西国大名20家。江戸、駿府城につづく天下普請。
石垣の積み方も多種多様、石垣の築造を命じられた諸大名が他大名と区別するための
目印に記号を刻んだ石もあった。

       天守の礎石
                      天守の礎石
     
名古屋城は明治維新に至るまで尾張徳川家の居城で、かつては姫路城、熊本城とともに
三大名城に数えられたが、名古屋空襲(1945)によりそのほとんどが焼失。
天守閣も石垣だけになった。焼失をまぬがれた3つの櫓と3つの門などは重要文化財。

戦後、外観は旧状そのままに天守は歴史資料館として鉄筋コンクリートで復元された。
内部にはエレベーターがあるのには驚いた。
当時の石垣の石を運び込む様子を再現した「石引き体験コーナー」でりんりんが綱を
力いっぱい引くと、すぐにブザーが鳴って終了。拍子抜けしたようだ。

       石引き体験   

「てんかさまでもかなわぬものは 金の鯱ほこ雨さらし」といわれた大天守の金の鯱も焼失。
鯱は空想上の生きもので、水を呼ぶといわれることから火除けのまじないとされてきた。
金の量は慶長小判で1940枚といわれている。金の鯱は江戸時代、尾張徳川家の財政が
苦しくなるたびに、金の鱗は何度も剥がされ、その度に純度の低い金に取り替えられたとか。
ちなみに、現在の鯱は北側の雄の方が高さも重さなどわずかに大きいという。

       しゃちほこ
         取り替えられた鯱        レプリカ            

本丸御殿は、文献や古写真、実測図、障壁画など多くの豊富な資料が残されており、
忠実な復元が可能であるため、2009年に復元工事が始まった。
2013年5月、玄関と表書院の公開が始まったが、全体の完成予定は2018年。
完成した名古屋城に行くのもいいが、再び名古屋を訪れる機会があれば、今回断念した
長久手や長篠に行きたいとりんりん。そのころはおつき合いできそうにない。
旅・散策・イベント

桶狭間古戦場は今・・・

2014年07月28日
犬山城を出て、遠く雷鳴を聞きながら犬山駅へ急いだ。       (犬山城の天守から
名古屋駅経由有松駅までやってきたものの、案内図をみると信長と今川の銅像が立つ
「桶狭間(おけはざま)古戦場公園」までは思ったより遠い。まずは駅ビルでランチ。

「桶狭間の戦い」と言えば、織田信長と今川義元の名が挙がるが、戦いの前日に大高城へ
兵糧を運び入れた若き家康(松平元康)の存在を見逃せないという。そして、この武将たちの
人生は桶狭間の戦いで大きく変わり、日本の歴史に大きな影響をもたらしたという。
かつて武将達が通った路が桶狭間で交叉しており、この「桶狭間武将三路」の筋には、
それぞれ桶狭間の戦いにゆかりの史跡や神社仏閣がある。

       銅像
            織田信長公              今川義元公

「信長路」 おけはざま山の今川本陣を目指した路。この戦いでの勝利が全国覇権の礎となり、
信長の人生、日本の歴史を変えていく。
「義元路」 大高城へ向かう途上、おけはざま山に陣を構える。盤石の作戦も信長の智略と運に
阻まれ、海道一の名将も不覚をとった。
「家康路」 若き家康が大高城へ向かった兵糧入れの路。戦いでは武勲を上げたが、戦後
今川より離反独立。戦国を生き抜き、天下統一を果たした。

時間と体力があれば、「信長路」「義元路」「家康路」を歩きたいところだが、予定では
まだ長久手古戦場が残っていたため、桶狭間古戦場公園にタクシーで行くことにした。
桶狭間の合戦から450年目の2010年に整備された公園。戦いの中心地で、
おけはざま山の本陣から追われた今川義元の最期の地と言われる。  

タクシーが公園前で停まると、信長と義元の像が見えた。山の上ではなかった・・・。
運転手さんに待っていてもらうことにした。写真を撮ったり、桶狭間の戦い当時の地形、
城、砦などのジオラマをみたり、滞在時間わずか10分で有松駅に戻った。

       今川義元墓
           今川義元戦死の地   墓碑に手を合わせるりんりん          

       ジオラマ
         織田軍城砦(善照寺)と今川軍城砦(鳴海城)

東海道沿いの有松の古い町並み(天明4年の火災以降の建物)は名古屋市の
「有松町並み保存地区」に指定されている。電柱がなくすっきりしている。
有松駅前には、オブジェや歩道橋の欄干に「有松絞り」がデザインされたガラス板が
埋め込まれていた。

          オブジェ
       歩道橋

「有松絞り」(鳴海絞り)は、江戸時代以降日本国内における絞り製品の大半を生産しており、
国の伝統工芸品にも指定されている。「有松絞り」「鳴海絞り」と個別に呼ばれる場合もある。
木綿布を藍で染めたものが代表的で、模様については他に類を見ない多数の技法を有する。
旅・散策・イベント

犬山城の天守から

2014年07月27日
夏休みになったりんりんと名古屋へ。今年の自由研究のテーマにはリニアモーターカーと
新幹線の比較を選んだ。じゅんじゅんと娘と合流後の「リニア鉄道館」がこの旅の主な目的。

9時に名古屋駅着。観光案内所で夕方までに廻れそうな戦国武将ゆかりの地を訊いた。
まずは国宝犬山城へ行くことにした。名鉄犬山遊園で下車、帰りは犬山駅で乗車し名古屋を
経由して有松駅下車を勧められた。有松で桶狭間古戦場跡へ行き、再び名古屋へ戻り、
長久手古戦場まで行かれるだろうということだった。

犬山遊園駅下車。木曽川沿いに遊歩道を歩く。途中、川の中州付近に卵を温める水鳥に
カメラを向ける人たちがいた。水鳥は鵜だろうか? 木曽川の鵜飼は犬山附近で行われる。

国宝犬山城は、天文3年(1537)、織田信長の叔父、織田信康によって木之下城から
城郭を移して築いたといわれる。天守、石垣、土塁が現存する日本最古の様式。
江戸時代までに建造された「現存天守12城」の1つ。また天守が国宝指定された(1935)
4城のうちの1つ(他は姫路城、松本城、彦根城)。

        犬山城

木曽川沿いの小高い山の上に建てられた「後堅固の城」で、中仙道と木曽街道に通じ、
木曽川による交易、政治、経済の要衝として、以後戦国時代の攻防の要となった。
天守から木曽川、濃尾平野を一望、晴天には名古屋城、小牧城、対岸の岐阜城も望める。

        城内
             急な階段             石落しの間  

西北の隅に石落しの間。石を落して侵入者を防ぐ間(4畳余)は石垣より外に突出している。 
鯱瓦は、昭和36年から40年の解体時に瓦替えたもの。
鬼瓦は天文6年、犬山城築城当時に使用した瓦で、慶長年間修復時に取り替えた瓦。

     しゃちほこ
              鯱瓦                鬼瓦

        木曽川
                 天守からの木曽川の眺め
         天守より
     
            天守より
                        天守から手を振るりんりん  

犬山城は、別名白帝城。解体修理完了(1965)後、全国唯一の個人所有の城として
保存されてきたが、「財団法人犬山城白帝文庫」(2004)の所有となって現在に至る。 

犬山城を出るころに雷が鳴り始めた。城のすぐそばにみつけた「犬山甲冑制作同好会」の
工房へ入る。所狭しと並ぶ甲冑。りんりんは大好きな真田幸村の六文銭兜を
かぶせてもらったり、いろいろな話を伺ったりと楽しい雨宿りだった。
この甲冑工房の作る甲冑は戦国時代に実際に使われていた甲冑から取った型紙を使い、
現在手に入るアルミ、鉄などの材料で復元し、戦国時代の甲冑を忠実に再現しているとか。

         甲冑制作工房

雨は小降りだが、雷鳴はつづいていた。「からくり人形館」を見学後、犬山の城下町を
犬山駅へ急ぐ。犬山城から徒歩20分。木曽川沿いの道もよかったが、帰路の城下町も
風情があってよかった。思えば最近は散策やスケッチする時間のない旅ばかり・・・。          
旅・散策・イベント

自販機大活躍

2014年07月26日
日本の街には自動販売機が溢れている。飲料だけでなく、お菓子、バナナ、タイ焼き、切符、
入場券、新聞、本、傘、煙草、おみくじまで。最近とくに目につくのは、「省電力」「CO2削減」、
「災害救済ベンダー」など飲料の自販機だけでも枚挙にいとまがない。 (ちょっと気になる自販機

          自販機

駅のホームの自販機。電車を待つ間、目が行くのは天気予報。「あめ のち くもり 19℃」
「はれ 21℃」「くもり 27℃」・・・最低、最高気温まで。ポットを持ち歩くことが多いので
滅多に買わないが、「ほっと一息しませんか?」「眠気すっきり!」それだけでほっとする。

駅のホームの天気予報         
      2014.6
           くもり  27℃         くもりのちあめ  31℃ 
   「気分リフレッシュ!」 2014.6    「ほっと一息しませんか」 2013.8

        2013.11
        はれ時々くもり 10℃      あめのちくもり  19℃                  
     「眠気スッキリ!」 2013.11   「ほっと一息しませんか」 2013.10 

           2013.4 2013.4
             はれ 21℃  「春らしい陽気ですね」

 昼の分まで夜冷やす新発想「ピークシフト自販機」
         ピークシフト
        「飲んだあとはリサイクルだよ」 「うれしいことにノンフロンですと」
              「ふむふむピークをシフトしてるってこと?」
  
         浅草
        「清涼飲料販売箱」 浅草   環境シンポジウム2010        
 
東京農大「食と農の博物館」の自販機には「バオバブの木」
       バオバブ
         食と農の博物館         5歳でも届くよ
旅・散策・イベント

緑茶に涼を求めて 

2014年07月25日
7月の桂花会の中国茶の会は梅雨明け前の蒸し暑い日だった。6月末、新茶を求めて
上海へ行かれたSさんがこの日のために用意されたのは、涼しさを呼ぶ緑茶と菊茶。

中国緑茶は、中国でもっとも多い茶類で、「一長四多」の特長があるそうだ。
「製作、飲用の歴史」が最長、「産量」「銘茶種類」「品種や形」「飲用人数」が最多。
緑茶はまた、不発酵茶であり、中国茶の中の主要な茶類となっている。
生産範囲も広いが、中でも浙江省、安徽省、江西省が産量、質量ともに最高だという。
(中国茶=烏龍茶と思っている人が多いが、代表的な烏龍茶は福建省と台湾)

    緑茶
この日彼女が持参された緑茶は 平水珠茶・ 龙井茶・开化龙顶・ 安吉白茶(浙江省)
金井茶(湖南省)、涌溪火青・黄山毛峰 (安徽省)、蒙顶甘露( 四川省)、崂山茶 (山东省)。
そして、美味しく淹れていただいた緑茶は、浙江省の惠明茶望海茶
漢方薬の材料、目の疲れをとり、消炎効果がある菊花茶は、さっぱりした味わいで、
ガラスのポットに入れると見た目にも美しい花茶。

       緑茶

ほとんどの中国茶は冷茶として飲んでも美味しい。この日の冷茶は鳳凰単叢(広東省)。
ガラスの茶海、茶器、茶杯のほか、里芋の葉を模した敷物などでも涼しさを演出された。
用意していた風船蔓の実やモミジの葉を添えるととてもよくマッチした。

       望海茶
 
緑茶とほかの茶類との大きな違いは外観の美しさを重視するところで、そのため、
緑茶のや水色の美しさを鑑賞するために、ガラスの茶器を用いるのが一般的。
緑茶の美しさは美人のようであるといわれてきた。
この日のテーマは苏轼(蘇東坡)の詩「欲把西湖比西子 从来佳茗似佳人」から。
「美しい西湖は絶世の美人西施のようであり、佳いお茶は美人のようである」。

       饮湖上初晴后雨 二首    苏轼
       水光潋滟晴方好,山色空蒙雨亦奇。
       欲把西湖比西子,淡妆浓抹总相宜。


この日の宿題は、各自が思うところの「美人」について。なぜか中国古代4大美女の1人、
西施を選んだのはSさん、Mさんと私だった。       (沈魚落雁 閉月羞花
王昭君がOさん、Sさんは楊貴妃。白居易の「長恨歌」の半分ほどを暗誦された。お見事!

中国人以外の美女を選んだのはFさん。彼女は卡特琳娜德诺芙。誰かと思ったら、
カトリーヌ・ドヌーブだという。カタカナのない中国は人名も地名もこういった漢字を
当てはめることになる。こういった漢字を調べる字典があるそうだ。
Fさんのもっとも好きな作品は『昼顔』で、これは中国語では「旋花」とか。

Mさんの思う美人は・・・? 西洋ではヴィーナスとクレオパトラ。中国は西施。
日本では「江の島神社の弁天像」が最高だということだった。この弁天像は裸体。
是非、見に行くべきだと力説された。

緑茶を例えるなら美人。緑茶に多くの種類があるように、美人もいろいろ。
美人について語り合いながら?(私は自分がつくった中国語を読むだけで
精一杯だったが)緑茶を味わう、なんと贅沢な時間だったことか。
8月はお休み。9月の中秋のお茶会が待ち遠しい。
中国・中国の旅

厄を落として財布も落として

2014年07月24日
西武鉄道、京浜急行、京王電鉄、東武鉄道、東京急行など、私鉄各社が消費電力の少ない
新型車両の導入に本腰を入れているという。
もっとも頻繁に利用している東急線は全車両の53%が環境配慮型の車両に。
中でも東横線は最新型の「5000系」に更新される。使用電力約40%削減、車内温度を
朝晩と日中で変更。また、ホームとの段差を小さくするなどバリアフリー対策も施している。

       3000系
             3000系              池上線90周年記念 

先月末、りんりんと奥沢神社で「茅の輪くぐり」をし、半年分の厄を落とした日の翌日だった。
彼の財布がバッグの中にない。バッグのファスナーが開いていたので周りを探したがない。
そういえば、奥沢駅から電車に乗り車内で財布を開いていたりんりんを思い出した。

      財布
           茅の輪をくぐって        置き忘れた財布

座席上に置き忘れたかもしれない。翌朝、最寄駅で財布の落とし物がないかを訊ねた。
奥沢駅で目黒線に乗り、多摩川駅で下りたときに忘れたようだ。目黒線には東京メトロ
南北線と都営三田線が乗り入れて、車両はさまざまだ。それによって保管する駅が異なる。
「3000系だった」というりんりん。「3000系なら目黒線。だとしたら武蔵小杉駅に
あるかな」ということで、すぐに連絡してくれた。
財布にはパスモは入っていなかったが、270円くらい残っている、PUMAのロゴ部分に
名前が書いてある。「それならあります」という。やはり目黒線の車内に忘れたのだ。
  
翌日、出かけたついでに武蔵小杉駅で財布を受けとった。落し物には苦い思い出がある。
目黒線の大岡山駅で下りるとき、ベビーカーに乗ったりんりんの靴片方を車内に落とした。
目黒線でなく、乗入れている東京メトロ南北線、埼玉高速鉄道(目黒ー浦和美園)だったため、
翌日、往復2時間、浦和美園駅まで。かなりの交通費をかけて靴を引きとりに行った。
埼玉スタジアムのイベントがないときの駅には乗降客はいなかった。

りんりんによると、東急線の車両は目黒線なら3000系、5000系、東横線なら4000系、
5000系、池上線は1000系、7000系、7700系、7600系など。
さすがに比較的新しい6000系はわかるが、1000系、2000系、旧7000系、8500系、
9000系など、素人目にはステンレスに赤いラインで同じようにみえる。

      池上線
                  
今、そのラインが緑とクリーム色のニューフェイスが池上線や多摩川線を走っている。
今年5月ごろ、試運転の列車が走り出すと、りんりんはもうすぐ乗れると喜んでいた。
先日、りんりんとこの車両に乗ったとき、ほんとうは目黒線を走るはずだったと説明された。
たしかに、車内の駅名表示もデジタル化されていて、今までの池上線とは何か違う。
昨年春の東横線と日比谷線との相互乗り入れ運転休止に伴って余った地下鉄乗入れ用の
車両(目黒線?)のようだ。
見慣れた赤いラインより、塗装し直した?三日月のようなデザインが気に入っている。
身近な人びと

500個の風鈴

2014年07月23日
今日は24節気の1つ「大暑」。快晴が続き、気温が上がり続けるころ。
『暦便覧』には「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されている。
小暑と大暑の間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送る。

夏の風物詩の1つ、風鈴。冷房のなかった時代に蒸し暑い夏をやり過ごすため、
日本人は風鈴の音に涼の風情を感じてきた。
池上本門寺で『500個の風鈴の音を聴く』(~7/20)が行われた。 (風鈴の音
10回目だそうだ。以前2度ほど訪れたが、今年は行きたがっていたりんりんと。
日曜日、暑くならないうちにと早朝に本門寺へ出かけた。

此経難持坂(しきょうなんじさか)上から仁王門、仁王門から日蓮聖人像にかけての
境内に南部風鈴500個が並んだ。短冊には願い事やイラストが描かれていた。
此経難持坂の96段の石段は6月の「キャンドルナイト」以来だ。(電気を消して
りんりんには追いつかなかったが、何とか息切れせずに上がった。

         2010.7.4 2010.7.4
                  此経難持坂から

      2014.7.132014.7.13                        
      
        2011.7.162011.7.16
                     仁王門
     
     2014.7.13 
旅・散策・イベント

下駄のこと

2014年07月22日
今日は「下駄の日」。下駄の寸法を表わすのに「七寸七分」というように「7」がよく使われ、
下駄の跡が「二二」に見えることから、全国木製はきもの業組合連合会が制定。

日本の伝統的な履物、かつ隠し武器でもある。一般的な下駄は木の板を組み合わせて
できており、そこに穴を開け鼻緒を通すことにより構成されている。
具体的には足を乗せる部分と、地面に設置する「歯」の部分が組み合わされている。
歯は通常2本だが、1本のものや3本のものもある。歯がないものもある。
山での修行をしている山伏などは一本歯の下駄を履いていることが多い。
また、山の妖怪である天狗も一本歯の下駄を履いている。

「下駄」という呼び名の成立は戦国時代と推測され、「下」は地面を、「駄」は履物を意味する。
それ以前は「アシダ」と呼称された。
下駄は主に普段着用として使われている。今は、履く機会は少ないが、とくに浴衣を来て
外出する際には素足に下駄履きが好まれる。
最近はサンダルタイプのお洒落れなものをよく見かけるようになった。

         サンダル型

洋服に下駄を合わせていた時期もあり、昭和などでは学生服に下駄というスタイルで
バンカラというファッションも存在した。バンは番長から、カラは下駄を履いたまま歩く際に
地面との接触でカランカランという音がなるため。
      
下駄で思い出すのは、父が亡くなった年の夏、仕立てなおした父の着物を着、下駄を履いた
りんりんの姿。なかなか似合っていた。着物か下駄のせいか、この日は走り回ったり
せずに神妙にしていた。ダンゴ虫を見つけて覗く様子はいかにも3歳の男の子。

       りんりん

夏祭りでは子どもたちは浴衣や甚平姿。だが、下駄を履いている子はみあたらない。
ビーチサンダル、クロックス・・・靴に靴下を履いている子どももいる。
 
       2238no1.jpg

「下駄骨折」という骨折があることを知った。足の小指(第5趾)の根本、足の甲の部分に
ある第5中足骨部分の更に根元、足首に近い部分はよく骨折を起こす部分らしい。
この部分を骨折しても歩けることも多く、足首を捻った、捻挫と思われがちだが、
いわゆる足首の捻挫とは腫れのある部分や痛みのある部分が異なるという。

下駄に関する慣用句には
下駄を預ける-決定権を譲り全面的に相手に任せる。
           (自分に関する問題など、自分では動けなくなるから)
下駄を履かせる— おまけとして加算する。下から押し上げるイメージの言葉。
           (試験の点数などに関して、下駄を履くと背が高くなることから)
下駄を履くまでわからない—全て終わるまで結果はわからない。
下駄と焼味噌—味噌を板に付けて焼いたものと下駄とは、形こそ似ているが実際は
            大変違う。形は似ていても内容が全く違う物事のこと。
下駄も仏も同じ木の切れ—下駄も仏像も、元は同じ木からできたもの。
            尊卑の区別はあるが、その根本は同一であるもののこと。

寿司下駄—寿司を盛る木製の台。
下駄履き—1階に住居以外のテナントが入る形態のマンションを「下駄履きマンション」という。
下駄電— 国鉄時代の都市近郊電車(国電)の通称。日常の足として使えることから。
つれづれ

いろいろなかたち

2014年07月21日
今日は「海の日」。海の日は、日本の国民の祝日の1つ。7月の第3月曜日。
1996年に「海洋国家として広く国民に海への理解と関心を求める日」として
休日に定められた。
1876年(明治9年)、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく
灯台巡視の汽船「明治丸」により航海し、7月20日に横浜港に帰着した。
これにちなみ、1941年(昭和16年)に逓信大臣村田省蔵の提唱により制定された。

明治丸はその後、東京商船学校(現東京海洋大学)の練習船として使用され、
現在は東京海洋大学越中島キャンパスに保存されている。

          相生橋
                相生橋   江東区越中島

相生橋は隅田川の派川に架かる橋で、交通の便と月島に水道を導くために架けられた。
橋の名前は永代橋に相対する橋として名付けられた。その後、東京湾口に埋立地が
造成されるとともに、勝鬨橋、佃大橋などが架けられ、名前もその意味を失っている。
1999年にトラス橋に架け替えられた。

      江東区
           旧禅正橋  江東区      上野公園  台東区

旧弾正橋(八幡橋)は、工部省赤羽製作所で造られた国産第1号の鉄橋。
この弾正橋は、もとは京橋楓川(中央区)にかけられていたが、大正2年の東京市区
改正事業によって新しい弾正橋がかけられたので、旧弾正橋は元弾正橋と改称された。
関東大震災後の帝都復興計画により、元弾正橋は廃橋となり、現在地に移して
保存することになり、富岡八幡宮の東隣りにあるので八幡橋と改められた(1929)。

          上野
                   上野駅   台東区
 
       大田区
                    池上会館  大田区
        大田区                   
  
      千代田区
             サンケイビル   千代田区    ていパーク  
 
      六本木
                     六本木   港区

         JT
                      JT    港区   
旅・散策・イベント

レンズ交換

2014年07月20日
車内で女優の綾瀬はるかとサッカーのネイマール.選手による「ウェアラブルカメラ」
(パナソニック)の広告に目が行った。ウェアラブルカメラ4Kを実際に装着した2人の目線や
スタジオでの撮影風景を含めた「100%目線ムービー」で構成されている。
その2人の“Neymar Jr.'s eyes”と“Haruka's eyes”がサイトに公開されているという。
ウェアラブルカメラとは身体などに装着しハンズフリーで撮影する事を目的とした
小型カメラの総称。「目線ムービー」のウェアラブルカメラの価格は4万前後。
パナソニックのカメラのほかにも、眼鏡のように耳にかけるカメラもあるようだ。

      広告
                     ウェアラブルカメラの広告

緑内障に罹る危険を減らすべく、5日間の入院で白内障手術を受けて3ヶ月が経った。
そろそろ眼鏡をつくり直す時期だ。すでにかかり付けの眼科で処方箋を受けている。
5月、りんりんの眼鏡をつくるのにお伴したZoffでは5千円とか9千円でもできるようだ。
  
         Zoff
               じゅんじゅん 似合うかな?   Zoffで
                                           
遠近両用眼鏡はあくまでも外出用。家ではパソコン用に中近の眼鏡を使用している。
たまに通るメガネストアーの前に「レンズ交換」の旗が立っていた。
ひょっとして新しい眼鏡をつくるより、レンズ交換できるならそれもいいかなと店内へ。
格安メガネ店では自社製品以外での持ち込みのレンズ交換はできないらしい。
この店で購入したものではないが、いいフレームなのでとレンズ交換を勧められた。

            眼鏡
 
考えてみると外出時にしか遠近両用は使用しない。というより、手術前でも遠くは裸眼でも
不自由なかった。どちらかというと近くの文字を読むための眼鏡だ。2つあっても仕方ない。

数日後、眼科の処方箋を持参した。老眼が強くなっているし、乱視も強くなっている。
以前同様、レンズには薄くカラーを入れることにした。1万6千円也。
1週間後、連絡を受け、店に立ち寄った。5分程度でレンズ交換は終わった。
レンズがキレイになったほか、見た目はまったく以前の眼鏡と変わらない。
掛けてみると、今までとは少し違うような気がしたがそれも家に帰るまで。
翌日からまったく違和感なく過ごしている。
つれづれ

街灯 Ⅲ 

2014年07月19日
わが街の街灯がどんな形だったか・・・? よく見かけるわりにまったく覚えていない。
丸い形、四角い形、三角もある。似ているようで似ていない・・・。 (街灯 Ⅱ

葛飾区
    葛飾区
          四ツ木        渋江        木根川橋

杉並区
     杉並区
         高円寺                浜田山

         杉並区
                        阿佐ヶ谷
     
北区     
       北区
         赤羽          森下通り        志茂

     北区
                                   飛鳥山

     北区
                                    王子
旅・散策・イベント

学習再開! 

2014年07月18日
6年前に沈老師が亡くなり、中国語学習会は黄老師が引き継がれた。 (老師交代
その会も2人のSさんが中国へ行かれるなど、2年ほどで閉会せざるを得なくなった。
それから丸3年の間、ラジオでもテレビでもできるはずなのだが、中国語学習はストップ。
さらに、中国人の友、知り合いの多くは留学を終えて1人2人と中国へ帰国していった。

沈老師、黄老師の学習会はなくなったが、同窓会「桂花会」は年1、2回はつづけてきた。
御宿に越された最年長のSさんご夫妻を訪ねたのが昨年の5月。御宿のホテルでSさんが
美味しいお茶を淹れて下さった。
そんな中、毎月1回わが家で開くことになった「桂花会茶会」。せっかくなら中国語を
できるだけ使うようにとの黄老師のアドバイスもあり、漢詩を詠んだり、ちょっとした
テーマを設けてのお茶会となってきた。

昨年暮、思い切って比較的自由になる個人レッスン(月2回、1時間半)を始めた。
乗換え3回往復2時間かけ通ったが、じゅんじゅんが熱を出したり、園のお迎えが入ったり、
午後のレッスンは休みがち。さらに、6月になると、夜にクラスをいくつも持っておられる
老師の体調がよくないということもあるが、この個人レッスンは中断せざるを得なくなった。

せっかく再開した中国語学習。ここでやめたくはない。以前から桂花会のMさんから
誘われていた学習会に入会する決心がついた。何より午前中のクラスというのが嬉しい。
板橋区成増―!遠いと思ったが、1年前に東横線が副都心線とつながったお陰で
連絡さえよければ乗換え1回、1時間で着く。       (相互乗り入れからひと月
ちなみに、成増は板橋区の西端に位置し、南は練馬区と、西は埼玉県和光市と隣接。

        会館
    
沈先生の中国語学習会を思い出させる会館、そして教室。今までいくつかの学習会に
参加したが、この会はユニーク。席は番号札で決まる。
偶然、Mさんの隣の席になった。いくつかクラスを持たれているベテランの内モンゴル
出身の烏老師。彼女は日本は長いそうだ。この日の出席者は10人程度。
男性は70代がほとんどだろうか。女性の方は年齢にばらつきがあるようだ。
和気藹々の会というのが第一印象だ。

自己紹介後、教科書の問題を口頭で答えたり、ヒアリングを書きとった文を1人ずつ
黒板に白墨で書く。こういった授業は何十年ぶりだろうか、懐かしい!と思っていると
老師に当てられてしまった。そこにはちょうど「抱歉」の文字が書けない。
この文だけができませんとお断り。次の文に換えて下さった。
他说:“没关系。”我们就一起进舞厅去了。なんとか書き終えほっとした。

     教科書

頭のどこかに残っていた中国語が蘇えりつつある予感。次回から入会を決めた。
授業後、老師は帰られたが、Mさんたち数人とランチタイム。近くの東北故郷料理、
内モンゴル家庭料理の「唐堂」へ。こうした学習会は楽しみも多い。そういえば
かつての沈老師の教室も午前中。四川料理をご一緒したことを懐かしく思い出した。
何はともあれ再開!なんとかなるだろう。
中国・中国の旅

久しぶりの折り鶴

2014年07月17日
りんりんの学校の2年生男子が大怪我をした。現在も入院中の彼のために何ができるか、
クラス全員で「鶴」を折ることにし、家にある折り紙を持ってくることになったという。
りんりんはなんと500枚ほど持っていったと得意げに報告してくれた。
母親によると、金銀、青緑色の折り紙は絶対持っていかないと頑張ったらしいが、これで
メモ用紙にしたり、引出しの中の折り紙も有効に使われて喜んでいることだろう。

「鶴」の折り方を知らない子がほとんどだったという。休み時間には「ぼくのところに
長い列ができたんだ・・・」と、彼のほか4人ほどが先生になって折り方を教えたのだとか。
数日後、折り鶴は400羽を超えたという話をきいた。

学級通信には、「はじめはお互いで教えあって、ようやく形になる姿がとても心強く、
ほほえましかったのですが、だんだん折られて提出される折り鶴が美しくなるのを見て、
さすがに5年生だと感心しています。・・・大事なのは一羽一羽に祈りをこめること。
千羽折ることが目標ではありません
」とあった。

りんりんは3歳のころから折り紙や工作が大好きだった。
先日もS君たちと江戸東京博物館に「官兵衛」展を見に行ったが、自分へのお土産と称して
『戦国武将の時代折り紙』(「かぶと」「家紋と付き物」「雅な器」)という1600円の本を買って
母親に「しばらく預かり」を言い渡されたほど。
   
       学校へ
               学校へ   40羽の折り鶴

千羽鶴は、最も有名な折り紙である折り鶴を千羽作り、糸などで綴じて束ねたもの。
長寿のシンボルでもある折り鶴を千羽折ることで、病気快癒・長寿がかなうという
俗信があり、入院者への贈り物などとしてよく用いられる。
平安時代、当時の貴族社会では、それまで布で包んでいた贈り物などを、紙を使って
包むようになった。やがて、贈り物を包んだときに、紙に折り目がつくことに着目して、
包みを美しく折って飾るようになり、それが最初の折り紙といわれている。

百均で50枚入りの折り紙を買って心をこめて折った鶴40羽をりんりんに託した。
だが、残りのキラキラした10枚は持っていかないで、自分のお守りにするという。

       キラキラ

紫は「友情」、金色は「金運」、橙色は「体力」、 ピンクが「健康」・・・さらに、勉強(青)、
心情(赤)、環境(黄緑)、芸術(緑)。後は思いつかないらしく、銀色を「全部」とし、
あと1色は決まらないままだったが、とりあえず満足したようだった。

もうすぐ夏休み。千羽鶴の祈りも届いて、2学期には元気な姿をみせてくれることだろう。
身近な人びと

2階まで伸びて

2014年07月16日
グリーンカーテンにするべく、南側に十数本の苗を植えたのは5月の連休明け。
リビングの前には風船蔓、和室の前にはゴーヤの間にヒョウタンとへちまを植えた。
西側の和室前は夕顔の苗を植えた。             (準備万端
7月になると、へちま、ひょうたん、風船蔓、夕顔は2階のベランダまで伸びた。

       ひょうたん ゴーヤ
       ひょうたん  ゴーヤ  へちま         ひょうたん

         うらから
            部屋から  ゴーヤ   へちま   ひょうたん

       ひょうたん
                ゴーヤ              ひょうたん

ヒョウタンの白い花は次々に咲くが、まだ、それらしき実は発見できず。
へちまは2本あるが、1本がやっと2階近くまで伸びたが、蕾はまだ。
何といってもリビング前の風船蔓はみごと。かわいらしい風船が数えきれないほど
ぶら下がり、いかにも涼しげ。十分にグリーンカーテンの役目を果たしてくれている。

      風船蔓

5月半ば、種を蒔き双葉になった朝顔の鉢を蕾をつけた夕顔の鉢の傍に置いた。
朝顔がネットに巻きつき始めたと思ったら、1つ、2つと花が咲き始めた。
夕顔の方は部屋の方からみると、葉の裏に小さな蕾があった。

      花
             朝顔                夕顔の蕾

毎夏の夕方、近くの塀に咲くヨルガオの蕾と似ているが、花が微妙に違うようだ。
苗を植えて2ヶ月。ヒョウタンやへちまがなるだろうか。庭を眺める楽しみが増えた。
植物など

何人掛け?

2014年07月15日
街の至る所にあるベンチ。今回はなが~いベンチ。     (ベンチいろいろ
だが、こういったベンチに腰掛けている人はあまり見かけない。

       上野公園
              上野公園  台東区

     錦糸公園
              錦糸公園  墨田区

        六本木
             六本木ミッドタウン  港区

        銀座
                 銀座   中央区

      中央区
                       中央区

      高輪
                  高輪   港区

       トリトンスクエア
                トリトンスクエア  中央区

      自由が丘
                 自由が丘  目黒区
旅・散策・イベント

猫のほかに・・・

2014年07月14日
わが家にやってきたウーパールーパーは、3ヶ月の間に13cmを超えるまでに成長した。
水槽の中に入れた小さな植木鉢は、ますます小さなものに見える。
生のイトミミズを与えるために苦労したこともうそのよう。
今は「ウーパールーパーのエサ」を耳かき1杯程度。エサは独り占めのわが家の
ウーパーに比べ、同時期に学校の理科室にいった4匹は6cm程度だとか。

         ウーパー
                          7.10

じゅんじゅんがお祭りでとってきた金魚は1週間しか生きられなかった。金魚屋さんで
買ってきた3匹は元気。いつもお腹を空かしているのだろうか、人が近づくと水槽の縁に
3匹揃って寄ってくる。以前、ウーパーに買った「半生アカムシ」をスプーン1杯ほど
入れるとあっという間にパクパクと食べつくしてしまう。
じゅんじゅんが来ると、この金魚のエサやりは彼のしごと。真面目な顔で少しずつ入れる。

     金魚
                               7.10 
          
       メダカ 
                   甕にアサザ        7.6

メダカたち、玄関前に置いた甕には5匹に室内にいた3匹を加えた8匹がいるはずだが、
こちらもすべて確認することはできない。アサザの鉢底などに隠れているのだろうか。
南側においた石臼には、恐らく咲き終わって安くなった睡蓮を買ってきて入れた。
こちらには、5匹を入れたのだが、たまに覗いても4匹しか確認できない。
                                   
         メダカ
             石臼に睡蓮       ヒメダカとクロメダカ    7.6
       
7月6日、アサザを分けていただいたUさんのお宅では、花が咲いたそうだ。
   
        あさざ
                               アサザの花    

「早朝から咲きだしたのか、8時頃観たときも、とてもきれいでした」。
「うちの黒メダカは、餌をあげた時に水面に上がってきて観ることができます。
なにしろ黒くて分かりづらいです。火鉢のほうのは、かなりベビーが増えていて、
布袋草にまだ卵がついています。メダカ報告終わり。(笑)」


玄関前に置いた甕のアサザは可愛らしい葉が出始めたが、花芽はみあたらない。
室内の水槽で孵った小さなメダカは透明なので、老眼鏡をかけても見にくかったが、
日毎に減っている気がしていたが、エアポンプを止めてみると数匹しかいなくなった。
早く外の鉢に移しておくべきだった・・・! 後悔先に立たず、後の祭り、亡羊補牢・・・。

近いうち、Uさんからクロメダカの稚魚をいただくことになっている。
今は猫たちのノドを潤しているかつて河骨を入れていた鉢で飼うことにしよう。
動物など

沈魚落雁 閉月羞花

2014年07月13日
次回の桂花会のお茶会までに準備することを思い出し、頭を抱えてしまった。
テーマは、「好きな美人について」というもの。5月の会でSさんが準備できるようにと
早めに提案された。もちろん、中国語でということになるが、とくに中国人に限らない。
歴史上の人物でも、現代の人でもかまわないとのとこだ。

この宿題?を2ヶ月近く延ばしていたのだが、ついに明後日に迫った。困った。
以前、お土産に頂いた中国四大美女が描かれた小さな衝立を出してみた。
表面は4人の美女、裏面は花鳥風月の画。4人の美女はだれがだれだかわからない。

       衝立

ネットで「中国四大美人」を検索すると、同じ作者と思われる美女の画がいくつも出てきた。
「沈魚落雁」「閉月羞花」でそれぞれ絶世の美女を表わす四字熟語になるが、画題としては
「沈魚美人」「落雁美人」「閉月美人」「羞花美人」と呼ばれる4人の美女を連作したものになる。
たしか漢検問題集(準1級)にも「沈魚落雁」と「閉月羞花」という四字熟語が載っていた。

     沈魚落雁
       西施 「沈魚美人」   王昭君 「落雁美人」
            閉月羞花
               貂蝉 「閉月美人」     楊貴妃 「羞花美人」

貂蝉でなく、虞美人(秦末)を入れる場合、王昭君を抜き、卓文君(漢)を加える場合も。
中国古代四大美女は西施、貂蝉、王昭君、杨玉环となっている中国でサイトには、
彼女たちはみな「闭月羞花之貌 沉鱼落雁之容」の美しさを備えていたとある。

西施は春秋戦国時代、越の国に貧しい薪売りの娘として生まれた。谷川で洗濯している
姿を見出されて越国の王宮に召し出された。たとえ乱れ髪で粗末な恰好をしていても
美しいと評された西施の美貌に迷い、呉の王夫差は越の狙い通り国を傾けてしまう。

这时,鱼儿看见她的倒影,忘记了游水,渐渐地沉到河底。从此,西施这个“沉鱼”的别号,
在附近流传开来。彼女が川で洗濯する姿に見とれた魚たちは泳ぐのを忘れてしまったとか。
               
西施から連想するのは、芭蕉、雨の象潟・・・。  象潟や雨に西施がねぶの花  
紀元前466年に鳥海山が噴火し、発生した大規模な山体崩壊による流れ山が日本海に
流れ込み、浅海と多くの小さな島々ができあがった。やがて、浅海は砂丘によって仕切られ
潟湖ができた。小さな島々には松が生い茂り、風光明媚な象潟の地形ができあがった。
江戸時代までは、九十九島・八十八潟が景勝地となり、「東の松島 西の象潟」と呼ばれた。
松尾芭蕉の『奥の細道』では 松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し と評された。 

しかし文化元年(1804)の大地震で海底が2.4mも隆起し、潟の海水が失われて現在の
陸地になった。水田の中に美しい島々が残る。 国の天然記念物 鳥海国定公園指定地。

        象潟 2002.5

芭蕉がこの地を訪ねたのは300年以上前。今は芭蕉の眺めた景色を望めないが、
今も102の小島が水田地帯に点々と残され、かつての象潟を彷彿とさせる。
2度ほど象潟を訪れたが、合歓(ねむ)の花はなく、雨も降っていなかった。
5月、水が張られた田圃の中に浮かぶ小島を見ながら、芭蕉の句を想い出した。

西施が生まれたのは紀元前500年頃。春秋時代、2500年も前のことだ。春秋時代は、
周の東遷から晋が三分して韓・魏・趙が独立するまでの約360年間(前770~前403)。
明日の中国茶の集まりで話すのは「西施」に決めた。「沈魚美人」の謂れに芭蕉の句、
象潟の思い出などを織り交ぜることにしたが、中国語の作文はどうなることやら。
中国・中国の旅

台風が過ぎ去って

2014年07月12日
気象庁が10日午後4時過ぎに発表した都内の気象情報によると、台風が最接近するのは
11日午前0~6時。1時間の最大雨量は40~50㎜。都内の小学校など、前日のうちに
始業時間を2,3時間程度遅らせる自治体もあったが、朝には雨はすっかり上がっていた。

           6.11
   
        11:00

        12:30

        13:00
        13:00

台風は温帯低気圧に変わり、日中の最高気温は何と34℃。蒸し暑かったこと!
台風が過ぎ去ったのはいいが、あまりの蒸し暑さと強い日差し。梅雨が明けたのか、
そもそも梅雨はあったのだろうか?暑くて長い夏になってしまうのだろうか?
旅・散策・イベント

仮の「仮置き場」

2014年07月11日
東日本大震災から3年4ヶ月。福島県飯館村で原発事故に伴う国直轄の除染が
帰還困難区域を除く19の行政区で進んでいるという。 (3年目の春が来て

取り除かれた放射性廃棄物を保管する仮置き場の確保面積は目標のわずか約8%。
暫定措置として「仮」仮置き場を設けてしのいでいるのだという。
仮置き場は土地を3年間借りる契約を結び、除染廃棄物を入れた専用の袋を保管する。
「仮」仮置き場は1年契約で更新可能。賃借料は仮置き場と同じ。
村は2016年3月の帰村を検討中だが、除染廃棄物が家の周囲に残ったままでは・・・。

東日本大震災からまもなく3年という2月、渋谷区立松涛美術館で開かれた六田知弘
写真展『3.11 時のイコン 東日本大震災の記憶』を見た。(東日本大震災の記憶
被災地で作者がみつけたモノたちの記憶だ。イコン(icon)は、聖画像のこと。
その中に、震災後1年半経った「汚染廃棄物仮置き場」フェンスの写真があった。
静か。悲しいほど美しい。今、このフェンスの中はどうなっているのだろう。

        仮置き場
        「(放射能)汚染廃棄物仮置場のフェンス」 福島県広野町 2012..11.9

少し前の新聞に福島原発の汚染水の浄化を考えた淡路瓦職人の話が載っていた。
低温で焼いた粘土が、放射性物質のセシウムやストロンチウムを効率よく吸着することを
近畿大の山崎教授とともに突き止めたという。

淡路瓦は、南淡路市を中心に生産されている粘土瓦。
三州瓦(愛知県)、石州瓦(島根県)と並び、日本三大瓦の1つとされている。

淡路瓦の原料である粘土を水とこねた後、1~2cmの円や星型にくりぬき、約300度で
1時間半ほど焼いて完成。1200度で18時間焼く瓦に比べると、簡単に大量生産できる。
それぞれ約3万ベクレルのストロンチウムとセシウム入りの約50mlの水と焼き上がった
製品を混ぜると、99%以上を吸着し、海水や雨水にさらしても溶け出さなかったという。
現在、特許申請中。実際に汚染水に困っている現場で使える日が早く来るといいのだが。
つれづれ

菌活ブーム

2014年07月10日
今日は「納豆の日」。「なっ(7)とう(10)」の語呂合わせから。
関西での納豆消費拡大のため、関西納豆工業協同組合が制定(1981)した。
翌年、全国納豆工業協同組合連合会が改めて「納豆の日」として制定した。

「納豆」「納豆汁」などが冬の季語である事や「納豆時に医者要らず」という諺がある。
納豆の時期は冬。生産量日本一は茨城県、消費量は、北関東から南東北にかけて多く、
消費量日本一は福島県。消費量が少ないのは西日本で、最下位は和歌山県。
納豆菌は血栓溶解作用、動脈硬化予防効果が期待される。    (納豆

このところ「菌活」ということばをよく耳にする。醤油、味噌、漬物、納豆、甘酒、パン、
チーズ、ヨーグルト、人は昔から菌を使った食品を食べたり飲んだりする習慣がある。
さらに、ビール、ワイン、日本酒、焼酎などの酒も菌類の力を借りてつくられている。

菌活は文字通り、「菌を食べる」それも、もちろん良い働きをしてくれる菌を積極的に
摂ることをいう。人の消化管には100兆以上もの菌が存在しているといわれるが、
すべてが良い働きをするわけではなく、年とともに悪玉菌が増える傾向にあるとか。

よく知られている良い菌には、「菌類(きのこ)」「乳酸菌」「納豆菌」「麹菌」などがある。
近年、塩麹や甘酒などをはじめとした「発酵食」が、あらためて見直されていて、
「菌」を食べることで期待できる効用が大きくクローズアップされるようになった。

        甘酒
                   夏の甘酒

菌は種類によって期待できる効果が異なり、例えばヨーグルトに含まれる乳酸菌は、
花粉症対策、味噌、塩麹、甘酒などに含まれる麹菌は整腸作用、また、「甘酒」は
夏バテ予防も期待できる。きのこは免疫力を高め、ビタミンB群も豊富に含んでいる。
もっとも食事で取り込んだ菌はたいてい3日ほどで体外に出てしまうため、毎日継続して
食べることが重要だという。

納豆が持つ臭いとねばねばした食感に対して、欧米人からは「かなり食べにくい」との
声が聞かれるが、納豆を好む欧米人も多く、かつ増えつつあるらしい。
「世界の臭い食べ物」にも納豆はしばしば選ばれ、シュールストレミング、ホンオフェ、
エピキュアーチーズ(缶詰) 、キビヤック、くさや(焼き立て)、鮒寿司につづく。

そして、納豆の次は、くさや(加熱前)、沢庵漬け(古漬け)、臭豆腐となっているが、
慣れているせいか、あまり納豆が臭いと感じたことはない。
臭豆腐といえば、中国浙江省の旅を思い出す。西塘の街はずれで、「臭豆腐」の
看板がかかった路地をスケッチし、本画にもした。だが、臭豆腐を食べたことはない。

         臭豆腐
          「管老太臭豆腐」   西塘 浙江省

シュールストレミングは、スウェーデンで食されているニシンを塩漬けにした缶詰。
醗酵中のまま缶に詰めるため缶の中で醗酵が進行し、 開けると強烈な臭いを発する。
その強烈な臭いから「世界一臭い缶詰」と評されることがある。
ホンオフェはエイを発酵させた刺身。キビヤックは海鳥の漬物、エスキモーの伝統料理。
つれづれ

さらに大きく

2014年07月09日
今日はウーパールーパーのことことを書きます。ウーパールーパーが絵のように
ブクブクに下半身を上げています。気持ちがいいのか、何回もやって、
何回も助けています。気持ちがいいならもう助けないぞ~~~! 6/22


   ウーパー
               6.22

    ウーパー
          5.9                       6.7

       土管
               5.28              6.22

久しぶりに水を替えた。あらためて見ると実に大きく育った。何と13cm5mm。
そういえば名前がついていないウーパー。まだまだ大きくなるのだろうか。
餌をやり過ぎなのだろうか? 同じときに生まれた学校のウーパーたちも元気らしいが、
理科室の4匹は10cmくらい、教室の4匹は6㎝ほどらしい。

      13.5センチ
             13.5cm                     7.2     
           上 前
                              つぶらな目
動物など

土のうステーション

2014年07月08日
短い時間で狭い地域に降る豪雨が増え、都内でも床下や床上浸水などの被害が出ている。
世田谷では、昨年7月の集中豪雨により区内200ヶ所で家屋の浸水や道路冠水が起きた。
今年7月、世田谷区は区民がいつでも土のうを持ち出せるようにと「土のうステーション」を
区内30ヶ所に設置したという。偶々通った深沢区民センターの玄関脇にも置かれていた。

        土のうステーション
                土のうステーション   深沢区民センター

今回は被害の大きかった東部の上馬、鶴巻、深沢などの地域をモデル的に設置し、
来年度以降は、過去の浸水実績、区民からの要望、利用状況などを見ながら、
地域を広げていくとのこと。重さは5kgと10kgで、各50袋、合計100袋。

2012年、江戸川区では、「土のうステーション」を区内24ヶ所に設置。ほかにも
板橋区、渋谷区、杉並区、目黒区など公園や区の施設に設置されているようだ。
       
大田区では、ステーションはまだ見かけないが、土のうを無料配布しているらしい。
3年前の「大田の工匠展」で、東日本大震災後の宮城県東松島市で大活躍した
土嚢スタンド「大田の輪」が展示されていたのを見た。

     スタンド
        「大田の輪」            東松島市の様子

この土嚢スタンドは、土嚢袋の口を開けて立てた状態でも保つことができる。
東日本大震災復旧支援のため、軽量(約500g)で、安価、十分な強度と耐久性も
持たせて作製されたもの。(復興支援特別賞を受賞)

土嚢とは、布袋の中に土砂を詰めて用いる土木資材のこと。適宜、土砂を詰め袋を縛り
積み上げることで、水や土砂の移動を妨げることができることから水害時の応急対策や
土木工事全般に用いられるほか、爆発物の処理、銃弾や砲弾破片を防ぐ遮蔽物などにも
用いられる。砂を詰める場合には砂嚢ともいう。(Wikipedia)
      土のう袋                  
保管できるスペースのある家では、必要数を確保しておくといいらしいが、ごんさん
用意している土嚢袋はゴミ袋かわりのようだ。
今は、吸水ポリマーが入った土のう袋が簡単に手に入るようになった。
110gの袋が水を10分吸うと膨らんで16~20kgになるものや、わずか3分で土のうに
なるものもあるようだ。自然乾燥後に廃棄又は塩カル溶液で脱水処理するという。
この夏、土砂災害や低い土地の浸水など、土嚢が必要になる大雨が降らないでほしい。
つれづれ

七夕

2014年07月07日
今日は24節気の1つ「小暑」。梅雨明けが近づき、暑さが本格的になり、蝉が鳴き始める。
梅雨明け前の集中豪雨が多く発生する時期でもある。

今日は「七夕」。毎年夏に開催される「阿佐ヶ谷七夕まつり」が60周年を迎えた。
昭和29年、阿佐ヶ谷に多くの人が集まってほしいという願いから始まった「七夕まつり」は、
今では東京を代表する夏の風物詩となった。7月7日の月遅れである8月7日を中日として
5日間開催される。今年は8月6日から10日まで。

      七夕まつり 2009.8
                    阿佐ヶ谷七夕まつり    

JR阿佐ヶ谷駅では、今日から発車メロディーが童謡『たなばたさま』に変わるという。
『たなばたさま』は、昭和16年に文部省発行の『うたのほん 下』に掲載された唱歌だが、
毎年10月に「阿佐谷ジャズストリート」が開催される阿佐ヶ谷。夏の発車メロディもピアノを
ベースとしたジャズ風の曲にアレンジされる。
「阿波踊り」で有名なJR高円寺駅では、夏のみ発メロは「阿波踊り」のメロディに変わる。

         阿佐ヶ谷駅 2005.8
                    りんりん2歳半

七夕まつりは、平安時代より詩歌管弦、書、裁縫などの上達を祈る行事として宮中を中心に
広く定着した。雅楽器、筆硯、五色布、七夕馬などを飾り、7月7日の朝には天皇が芋の葉に
ついた朝露で墨を摺り、梶の葉に御歌を書かれた。これが短冊の始まりとなった。
中国では五色の糸をつるし、芸事の上達を願う。五色とは中国の五行説の緑・紅・黄・白・黒。
笹は精霊が宿る依代である。

日本古来の豊作を祖霊に祈る祭に、中国から伝来した乞巧奠(きっこうでん)などが習合したもの。
乞巧奠は古代中国の魔除けの風習と牽牛織女の伝説に由来する。
日本では七夕の夕、乙女が水辺の棚の上の忌み小屋で、機を織ってお盆の先触れの神を
待つ棚機女(たなばたつめ)の信仰が結び付いた。

杉並区の大宮八幡宮(東京のヘソ)では、平安の七夕・乞巧奠飾りと神事が行われる。
武蔵国の三大宮の1つで「多摩の大宮」とも呼ばれ、境内は15,000坪と都内でも3番目の
広さを持つ境内を擁した源頼義の建立したお宮。

5年前、この八幡宮を訪れたのはちょうど重陽の節句のころだった。(菊の節句 重陽
清涼殿には「菊被綿(きくのきせわた)」が飾られていた。
菊被綿は重陽の前日に菊の花を白、赤、黄の真綿で覆って菊の香を移し、9日の朝、
朝露で湿ったこの真綿で顔や身体を拭って、不老長寿、若返りを願った宮中行事。
旅・散策・イベント

世田谷の城

2014年07月06日
先月りんりんと立ち寄った世田谷城と奥沢城は、吉良氏によって築かれたと言われる。

世田谷城 南北朝時代、足利氏一族の吉良治家の頃に築城されたといわれる平山城。
世田谷区豪徳寺に本拠を置いた奥州吉良氏が代々居を構えた。
戦国時代、北条氏傘下に入っていたが、豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が降伏し
開城(1590年)し、その後、廃城となった。江戸城改修に石材を利用したという。
     
     世田谷城址
                     世田谷城址公園

経堂台地から南に突き出た舌状台地上に占地し、三方を取り囲むように麓を烏山川が流れ
天然の堀を成していた。豪徳寺付近に本丸を置き、世田谷城址公園付近まで城域が
拡がっていたものと考えられ、城址公園内から北に延びる空堀及び土塁が現存する。
城址公園内の遺構に関しては公園整備時に手が加えられているが、豪徳寺住宅脇の
遺構は旧態を留めている。

奥沢城 吉良氏によって築かれたと言われる平城。世田谷区指定史跡指定。
世田谷城の出城として用いられた。
周囲の平野部に南の台地から北方に突き出た舌状台地上に占地し、台地上の九品仏
浄真寺境内に方形に廻る土塁が残る。
現在は開発が進んで失われたが、城跡周囲には近年まで堀跡及び「奥沢の底なし田圃」
と言われていた深田が拡がっていた。往時はこの堀と北麓の沼地とで、三方の守りを
固める構えとなっていたものと考えられる。

     浄真寺
                       浄真寺

九品仏浄真寺の本堂脇の池に群生する鷺草は有名。この鷺草には哀しい伝説がある。
「世田谷城主・吉良頼康には、家臣の大平出羽守の娘で常盤姫という美しい側室がいて
頼康の寵愛を一身に受けていた。古くからいた側室がこれを妬み、常盤が不義を為したと
あらぬ讒訴をしたため遠ざけられた。悲しんだ常盤は幼い頃から愛育した白鷺の脚に
遺書を結びつけ、両親の住む奥沢城に放った。たまたま奥沢城附近で狩をしていた頼康が
白鷺を射落としたところ、脚に手紙が結んであったので開いてみると常盤の遺書であった。
頼康は驚いて世田谷城に帰館したが時すでに遅かった。白鷺の射落とされた場所からは
一本の草が生え、やがて鷺にも似た可憐な花をつけた・・・」


      鷺草
                      鷺草園

浄真寺境内にある区立鷺草園は何度か訪れた。鷺草は区の花にも指定されており、
8月には多くの人が訪れる。真夏、ここだけは鷺が群れ飛ぶ別世界だった。

平城(ひらじろ)は、平地に築かれた城をいう。
平地に土塁と堀で囲った鎌倉時代初期から南北朝時代にかけての武士の住まい「方形館」、
後の室町・戦国時代にかけての守護の居館などの「館」がもととなった。(Wikipedia)
戦国時代以前は山城が中心で、平城はほとんど築かれなかった。地形的に適当な山がなく、
平地に城を築く場合は、河川を防衛線として利用したり、土塁・堀を築いて防御とした。

代表的な近世の平城の例では、名古屋城、駿府城、二条城、広島城など。
平城として見られることがある江戸城や大坂城の分類は平山城とすることがある。
また水城としては、高松城、今治城、中津城(以上、日本三大水城)、高島城、膳所城など。

東京都には、江戸城を含め、20余の城があるとは驚いた。
近世には、天守が建てられた城もあったが、江戸時代には武家諸法度発布による
天守などの無許可造営の禁止、必要ないとのことでの中止、災害による亡失、
藩の財政難という経済的な理由等により次第に建築されなくなったようだ。
旅・散策・イベント

オジサン 2人

2014年07月05日
先月、りんりんにつきあって漢字検定を受けた。結果はまだだが、不合格は言うまでもない。
会場は世田谷線上町駅近くにある医療保健大学。雨降りというだけでも気が重いのに、
乗換え4回、上町には何度か来ているのだが、実に遠く感じられた。

食堂だろうか、待合室が2部屋あった。子どもの受検を待つ親たちが多い。
りんりんが7級を受けている間、冷房がきつい場所を避けて席を探した。
いざ、勉強開始と思った矢先、テーブルの向かいに70代くらいのオジサンが坐った。
年季の入った準1級問題集らしき本を隣の親子に見せながら話しかけた。

「いや~1回目は受かったんだけど、まぐれかもしれないから、もう1度受けるんですよ」
「前回は〇○点で満点に近かったが・・・」「この年になっても頑張っていることを若い人に
示したいということもある」「なにも自慢しているわけではないんですよ」
いや、自慢話だろう。話しかけられたらイヤダ。そっと席を立ち、隣の待合室へ移った。

りんりんが戻り、「できたよ」と報告。40分近く休憩。彼は引き続き6級の会場へ。
私は3階。あのオジサンと同じ部屋でないことを祈った。準1級の部屋はいくつもあり、
ひと月前に申し込んだせいか、最後の部屋の最後の席だった。オジサンはいなかった。

会場を出るころには、雨が上がっていたので、世田谷城址公園まで歩いた。
世田谷城は吉良治家によって築城されたとされる城。堀と土塁は残るが、ほかには
城らしきものは見当たらず。世田谷城の範囲は城址公園から豪徳寺の範囲と推定される。
豪徳寺に寄って世田谷線宮の坂駅まで歩くという提案にしぶしぶだったりんりんだが、
「彦根藩井伊家墓所」(国史跡)「井伊直弼墓」(都指定史跡)があると知ると、俄然元気になる。
   
         井伊直弼の墓
                         井伊直弼の墓

「井伊直弼の墓」に行きたいという。境内の奥に井伊家の墓所があるらしいが、
どこにあるのだろう。広い墓地の中でウロウロしていると、1人の女性に説明する
オジサンが目に入った。りんりんが訊ねると、墓まで案内して下さり、豪徳寺のこと、
吉良家のこと、井伊家のこと・・・わかりやすく説明して下さった。ボランティアの方だ。
2代目藩主の直孝、奥に13代直弼の墓。直孝の時代に近江のほか武蔵国世田谷も
井伊家の所領となり、豪徳寺の墓地がつくられた。直弼の死までには200年経つ。

          参道

5時の鐘が鳴った。お礼を言って墓所を出たが、参道で再びオジサンに出会った。
「あそこにあるサザンカの根元をみてごらんなさい。観音様のように見えるでしょう。
誰が彫ったのでもなく、自然が創ったものだから素晴らしいでしょ」。
漢検会場のちょっぴり苦手なオジサンを思い出しながら、宮の坂駅へ向かった。
旅・散策・イベント

大森の絵タイル Ⅲ

2014年07月04日
大森(大田区)にはチンチン電車、大森海岸、海苔、大森貝塚、大森熊手、麦藁細工
といった歴史がある。JR大森駅東口の駅前広場から大森駅周辺シンボル道路には、
それらを表現した絵タイルやモニュメントが多い。    (大森の絵タイル Ⅰ Ⅱ」

     チンチン電車
      ループ状の歩道   チンチン電車の敷石

京急が国鉄の品川と結び、大森停車場前 - 大森海岸駅間は大森支線となった。
単行電車が終日折り返し運転を行った。1937年に廃止された。
停留場の概念が存在しなかったため、当初はどこでも乗降を行ったとされる。

大森停車場前停留場は、方向転換の際のポール付け替えの手間を省くため、
ラケット形状のループ線になっていた。当時の遺構は何も残っていないが、路面に
敷設した軌道線の廃線跡がそのまま道路となった。ルート上の歩道には当時の
車両の絵タイルが埋め込まれ、大森支線があったことを今に伝えている。

    人力車
     お祭り 
     飛行機
     すずらん
     麦藁細工
        
      熊手
      大森鷲神社の酉の市     江戸時代盛んだった麦わら細工
                    
      2218no8.jpg
            大森貝塚             大森海岸

大森貝塚は品川区から大田区にまたがる縄文時代後~末期の貝塚。モース貝塚とも。
旅・散策・イベント

絶滅危惧種 メダカ

2014年07月03日
春の小川は、さらさら行くよ  えびやめだかや こぶなのむれに
今日も一日 ひなたでおよぎ   遊べ遊べと ささやきながら


『春の小川』の歌詞の2番には「メダカ」が登場する。
3年前、渋谷区の松涛美術館に行った折、偶然、電柱の標識に「春の小川」の文字を
みつけた。電柱を辿っていくと、「水源ココ」の電柱があった。水源をを探したが、
マンションしかない。数年前まで湧き水の出る池は埋め立てられ源流部を示す目印や
遺構は全く残されていないそうだ。

      春の小川跡

この「春の小川」のモデルは「河骨(こうほね)川」とされる。
『春の小川』の作詞家 高野辰之の邸宅は「河骨川」の源流付近にあり、よく川沿いを
散歩していたといわれる。自筆原稿は発見されておらず、歌のモデルの川について
決定的資料はないが、現在の代々木3丁目に居を構えていた。当時、一帯は一面の
田園地帯で、宇田川の支流の1つである河骨川が田を潤していた。 (春の小川は
河骨川は1964年11に暗渠化されたが、かつての岸辺、小田急線の代々木八幡駅に
ほど近い線路沿いに歌碑が建てられた。

メダカは、体のわりに目が大きく上にあることから、「目高(メダカ)」と付 けられた。
流れのゆるい小川や水路などに生息し、動物プランクトンなどを食べる。
また、ボウフラを好んで食するため、ボウフラ退治の益魚としても知られている。
1回の産卵で、約10個の卵を産む。メダカの産卵時期と水田に水が張られる時期は一致、
日本の稲作文化と共存してきた「水田の魚」とも称される。
メダカは、水温40度近くまで耐えられるとも、海水の混じる河口付近でも生育可能とも。

だが、野生の日本メダカは生息数が減ってきているとレッドデータブックに記載され、
絶滅が危惧されている。1999年、「絶滅の危機が増大している種・メダカ」と発表された。
その理由として、水田、用水路の変化、農薬散布、アメリカから入ってきた外敵カダヤシ
(メダカの稚魚のほか藻なども食べ、増殖力旺盛)、生活排水などが言われている。

野生のメダカには地域ごとに異なる遺伝的特徴があるが、一般的には外見からその違いが
わからないため、違った地域で育ったメダカが放流されたりすることがあった。その結果、
もともとその地域に棲息していたメダカとは異なる遺伝的特徴をもつメダカと置き換わり、
遺伝的多様性の失われた地域も出てきた。こうしたことを防ぐために、「ショップで購入した
改良メダカや採集して繁殖させたメダカを自然の川に放さないようにする」というルールを
守ることが大切
と、「産卵藻」の袋に入っていた栞に書かれていた。

メダカといえば、いつだったか、毛利庭園の池で、「宇宙メダカ」を見た。この毛利池には
スペースシャトルコロンビア内で向井千秋さんらが行なった実験で、脊椎動物として初めて
宇宙で誕生したメダカの子孫が放流されている。2003年、1万匹が毛利池に放流された。
宇宙メダカを一般の河川に放流することや、野生のメダカと交配をすることは禁止されている。
その点で、この毛利池は外部河川とつながっていないことから、放流が可能だったという。

      毛利池
                     毛利池   港区

メダカが絶滅危惧種とならったりんりん、わが家で増えたメダカを多摩川に放したいと
思ったようだ。とんでもないことだ。生態系が変わってしまうらしい。第一、多摩川は
今やタマゾン川と化した。ピラニアなどアマゾン川にいるような魚の餌食になってしまう。
近くの公園の池に放すのもよくない。
メダカが増えるのは嬉しいが、わが庭でビオトープの真似事がどこまでできるだろうか。
動物など

メダカ その後

2014年07月02日
今日は「半夏生」(はんげしょう)。七十二候の「半夏生ず」からつくられた雑節の1つ。
半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃。一説に、半夏生(カタシログサ)という
草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃ともいわれる。
梅雨も終盤となり、農事の節目とされ、田植えを終わらせる頃。

      2221no01.jpg
         半夏              半夏生

Uさんにいただいたアサザを植えた鉢ごと甕に沈めた。   (メダカの引越し
水槽の中の3匹のメダカを移そうと思っていた矢先、りんりんが「産卵藻」にメダカの
卵を見つけた。親メダカと一緒にしておくと稚魚が食べられてしまう危険があるため、
早速、アサザが入った甕に3匹を移した。

今日、メダカの水槽をのぞくと、モに透明な小さな物体が。卵です。10匹中7匹が
死んだ今、その仲間の中に13匹もの命が生まれようとしているのです。 6/21


卵が産み付けられた藻だけを水槽に残した。りんりんは理科で「魚の育ち方」を学習中。
不透明の白い卵は受精しなかったものだという。
すぐさま割箸で藻についた白い卵を取り除いた。7個くらいあっただろうか。

今日、メダカの水そうをみたら、とても小さなメダカがいました。4匹もいました。まだ6~9こ
ぐらい卵が残りました。子孫はん栄、まさに産めよ殖やせよです。大きくなあれ! 6/23


24日、わずか2mmほどの透き通ったメダカを7匹発見した。25日には18匹になった。
「子孫繁栄」「産めよ増やせよ」? 学校で『戦争とくらしの事典』を読んで知ったのだとか。

          メダカ誕生
             メダカの水槽 (隣にウーパー、向こうに金魚の水槽)

「メダカの水槽を見たらメテンになっちゃったよ」。「メテン?」「そうだよ。目が点になった!」
りんりんは言う。最近の彼の日記は「メダカ」の観察日記のようだ。
今日、メダカの水槽を見たら、目が点になってしまいました。子メダカが4、7、10、12、15、
18匹もいました。それでも卵で今にもふかしそうなものが3こくらいあるのです。
子孫はん栄どころじゃありません。 6/25


「まだ、子メダカに餌あげなくていいよ。ぼくたちにとってはこ~んな大きなものをひと口で
食べなきゃならないってことだもの、ピザとか、スイカとか・・・ね、そうでしょ」と興奮気味。
果たして、いつから何をどうやって与えたらいいのだろうか?

猫たちが鉢から水を飲むのを見かける。メダカたちは大丈夫だろうか。
Uさんのお宅ではまったく猫の被害はないそうだし、そういえば蕎麦屋の店頭に置かれた
金魚鉢は網を被っていないし、火鉢の中でメダカや金魚を飼っているお宅もある。
とりあえず、大雨と猫対策として、網を被せた甕と鉢をポーチの階段に乗せた。

河骨を入れた鉢にボウフラを発見。3匹のメダカをアサザ入りの甕から鉢に移した。
現在住人?がいない甕、そして石臼にもメダカを10匹くらい入れたい。
水槽の稚魚が大きくなるにはまだまだ。近いうちに昭和の金魚屋に行ってこよう。
動物など
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