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「かいぼり」中

2015年12月31日
井の頭公園(武蔵野市/三鷹市)の井の頭池は北西-南東方向に延びる池。
北西端は2つに分かれ南東端からは井の頭池を源とする神田川が流出する。
江戸時代は神田上水として江戸の人々の飲み水だったかつて湧水口が7ヶ所
あった井の頭池(三鷹市)は「七井の池」とも呼ばれていた。

地下水をくみ上げて放流しているが、アオコなどの植物プランクトンが増え、
水質が悪化。外来魚が多くなり在来魚が減少、小魚やミジンコなどの隠れる
水草がほとんどなくなった。
池の水質改善や外来生物の駆除するため、かつて農作業の年中行事だった
「かいぼり」が現在行われている。

この秋、「かいぼり」が行われた井の頭池を訪れた。(かいぼりが始まって
「かいぼり」を観たあと、徳川家光が鷹狩の際に宿所を設けて休憩した
という御殿山の雑木林を抜けて道路を渡り、動物園(武蔵野市)へ。

        かいぼり
                  2015 「かいぼり」    11.23

井の頭池の「かいぼり」やリスの放し飼いの話をりんりんにしたところ、「リスをみに
行きたい~」とせがまれた。冬休みに入り、せせらぎ公園(大田区)で友だちと遊ぶ
約束を断って出かけられたのは28日になってしまった。

当日、動物園が休みと気づいたのは、動物園の門が目に入ってからだった。
仕方なく、歩道橋を渡り、井の頭池の方へ歩いて行くと、弁天池の池底が見えた。
弁財天付近の護岸工事も行われていた。
                        
         池
             「かいぼり」が行われた池  12.28
 
     ツアー
              「いのかしら池底ツアー」

12月2日から1月11日までの土日祝日(12/29~1/3のぞく)に「かいぼり中の
弁天池を歩こうという「地底人ツアー」のポスターをみつけた。それでやっと
池底に長靴の跡があったわけがわかった。 
     
          池
                 弁天橋から狛江橋方面   
          池
         狛江橋から ボート乗り場 神田川起点方面

「池のこと教えます かいぼり屋」は、運よく年内はこの日の16時まで開いていた。
ひと月前に行われた「かいぼり」で池底に現れた外来生物の多さはもちろんのこと、
ゴミと化したものたちの種類とその多さに愕然とした。
真剣に見入っていたりんりん、理科の自由研究のテーマは「外来生物」にした。

      ゴミ?
               「池はゴミ箱ではありません」

前回の「かいぼり」で約230台だった自転車はおよそ20台、瓶、缶、ペットボトル、
今は珍しいテレビデオなど。なんともはや・・・!
旅・散策・イベント

「科博メルマガ」より

2015年12月30日
上野の国立科学博物館や東京国立博物館を頻繁に訪れた年があった。
そのころ、「科博メールマガジン」を送ってもらうことにした。
毎週木曜日に届くメルマガはかなり専門的なものもあるが、バラエティに富み、
科学に疎くても、身近な鳥のことなど、興味をひかれる記事もある。

井の頭自然文化園でいろいろな種類の野鳥を観たこともあり、文京区役所の
渡辺浩氏の「鳥の学名 上野の野鳥」(650、654号)をとくに興味深く読んだ。 

科博の日本館2階の「日本とその周辺でしか見られない鳥たち」に剥製がある。
標本のキャプションに書かれている学名は「属名」と「種小名」で成り立っている。

          井の頭自然文化園
            井の頭自然文化園の鳥舎の壁

「コマドリとアカヒゲ」 
コマドリは「Luscinia akahige」、アカヒゲは「Luscinia komadori」で、種小名が逆。
江戸時代に来日したシーボルトが持ち帰った標本を元に動物学者テミンクが
両種とも新種として記載したが、その際に取り違えられたと考えられている。
鳥好きにとっては有名な話だというが、「新種記載にかかわったオランダ人2人は、
その後、誤りに気付いたのだろうか?」と渡辺氏。気付いたとしても、この場合は
学名の訂正はできないそうだ。
 
かつて両種は「Erithacus」(コマドリ属)だったが、「日本鳥類目録改訂第7版」
(日本鳥学会2012)では、上記の「Luscinia」(ノゴマ属)に統合されたそうだ。
この時の改訂で目の新設(例:ハヤブサ目)や、科の変更(例:ハタオリドリ科から
スズメ科へなど)など、かなり分類が変わったという。

「コゲラ」
キツツキの仲間であるコゲラの学名は「Dendrocopos kizuki」。
種小名の「kizuki(キヅキ)」は「キツツキの誤記」説と「新種記載時の標本採集地が
豊後の杵築のため」説がある。もし前者が正しいとすれば、コマドリアカヒゲ
種小名取り違え同様、「シーボルトとテミング」のコンビになるとか。
もっとも気になるのは日本人だけだろうと渡辺氏。
      
先月訪れた井の頭自然文化園には多くの巣箱が架けられていて、小鳥の囀りが
絶えずきこえていた。「野鳥の森」を歩くとすぐ近くにきれいな小鳥が現れることも。
ヤマガラらしい。カメラを向けても逃げない。

         ヤマガラ
               
和鳥舎の中からはコツコツという音が聞こえた。コゲラだ。自分が開けた穴に入ったり
出たりと忙しい。飽きずに眺めた。
コゲラは日本最少のキツツキ。両足と尾との三点確保で垂直な幹を上り下りする。
下りは、頭は上にしたまま跳ねながら少しずつ落ちるように下がる。

  和鳥舎

和鳥舎前の「日本三鳴鳥」オオルリ、ウグイス、コマドリについての説明板には、
なわばりを主張する「さえずり」はオス。オオルリとコマドリはさらにオスがメスよりも
色鮮やか。一方ウグイスはオスが少し大きいだけで、色合いは同じ
と書かれていた。
動物など

冬のハトたち

2015年12月29日
明け方の東の空に明るい惑星がみえている。土星、金星、火星、木星が並ぶ。
惑星が連なって見えるのは珍しいという。

今年は明け方からケヤキに群がるハトのお陰で楽しかった。(群がるハトたち
11月中ごろになると葉を落し始めたケヤキにヒヨドリカラスの姿はあっても、
ハトの姿を見かけることはなくなった。

     ハト
            キジバト       ドバトの羽ばたき        

気になってケヤキのある畑へ行ってみると、ドバトたちが虫をついばんでいる。
ドバトは、大陸に棲むカワラバトを家禽化したもので、逃出したり、飼い主に
見捨てられたものが野生化した。家禽化のため模様もバラエティに富んでいる。
    
     ドバト

キジバトイイギリの枝に1羽いたが、群れにはいなかった。ドバトのように
群をつくることはないようだ。いつみてもせいぜい数羽程度。家族だろう。
名の由来は羽縁が赤褐色で鱗状に見える模様がキジのメスに似ていることから。
山里で繁殖、冬に市街地へ訪れる漂鳥だったことからヤマバトともいわれるが、
今では都心でも見られるほどポピュラーな野鳥となった。

     ハト
             ドバト      12.13      キジバト

わが庭の葉がほとんど落ちたイロハモミジには、メジロ、シジュウカラ、ヒヨドリ
代わる代わるやってくるようになった。

       ヒヨドリ
          ケヤキ 10.22    ヒヨドリ    12.15
動物など

江戸期の「道しるべ」 大田区 Ⅳ

2015年12月28日
江戸時代、東海道が整備され、五街道の1つとして東海道は江戸と京都を結ぶ
大動脈となった。江戸近郊への名所旧跡や寺社への参詣をする行楽が流行り、
荏原郡(大田区)は日帰りや一泊程度の行楽の対象となり、江戸から船で六郷に
着き、そこから池上本門寺などに参詣して、中原街道より江戸に戻るなどといった
様々なコースが生まれた。こうした参詣者のために石造りの道しるべがいくつも
建てられた。庚申塔と兼ねたものも多い。 (江戸期の道しるべ Ⅰ

「大尽坂の庚申塔兼道標」   (仲池上2) 
大尽坂下の十字路にある「庚申塔兼道しるべ」は、旧目黒道(第二池上道)と
塚越からの道が交差するところにある。坂上が塚越への嶺道。

      大尽坂
                           享保3年(1718)        
  
堂宇内は見られなかった。(右画像は「大田区の史跡と歴史」より)
右側に「池上めぐろ江道」、左側には「せんえくほりの内江道」
正面には御題目と造立年月日、池上村下講11名の名が刻まれている。
元は路傍に立っていたが、耕地整理の時に堂宇に納められた。台座はない。

「大尽坂」 昭和初期に行われた耕地整理によってできたかなりの急坂。
昔、大尽がこのあたりに住んでいたということで名づけられたと伝えられるが、
この大尽が誰であったかについては、諸説があり明らかではないとか。

      坂
            大尽坂             花抜坂

「花抜坂」 日蓮聖人が洗足池より池上本門寺に向かう途中、この坂で花を摘んだと
伝承される坂。中原街道から別れて矢口の渡しまで通じる道だった。
昔は曲った坂道で、両側は高い崖になっていたといい、坂下は竹藪であったというが、
耕地整理により真っ直ぐな坂になり情緒はない。

「花抜坂の庚申塔兼道標」  (東雪谷5)
庚申塔兼道標では大田区内最古といわれる。荏原病院へ向かう古くからの嶺道の
坂下近く、長慶寺墓地裏側にある。堂宇に守られ地域の人達にも大切にされている。

      花抜坂
                              享保7年(1722)

右側の青面金剛が道しるべを兼ねている。正面には青面金剛と奉納の人々の名。
右面には「帝釈天王為二世安楽右瀬田ケ谷道」
左面には「享保7壬寅 雪ケ谷村 左久品仏道」とある。

「長慶寺墓地内の庚申塔道標」  (東雪谷5)
長慶寺は、はじめ荏原郡碑文谷村(目黒区碑文谷)にある法華寺の末寺だったが、
法華寺が不受不施を唱えて幕府の弾圧を受けた際、池上本門寺の末寺に変わった。
長慶寺の墓地には、集められた墓石のなかに道標が凭れかかっていた。

     長慶寺
               長慶寺              文政12年(1819)

右側面には「北ほりの内ミち」、他の面は剥落が激しく判別できなかったが、
正面には「髭題目 東いけかみ道」、背面には「施主 長久保七郎右エ門」
左面には「文政十二年巳丑年雪が谷村」とあるという(『史話12号大田区の道しるべ』)
上部は雨滴により摩耗しているように見える。

「堀之内道」は、江戸から日蓮宗妙法寺(杉並区)へ向かう代表的な参詣道で、
「妙法寺道」と呼ばれていた。 青梅街道から鍋屋横丁(中野区)で分かれ、
堀之内村の妙法寺へと続く道だった。
旅・散策・イベント

穏やかな冬の日

2015年12月27日
わが家で留守番していた兄弟。算数の問題をやっていた兄りんりんは、つけていた
ラジオの「野坂昭如追悼番組」をききながらスマホをいじったり、弟じゅんじゅん
見ているDVDやテレビをチラチラ・・・。のさかあきゆき・・・?知らないと言っていた彼、
野坂氏の「最後の手紙」が載った新聞記事を読んでいて突然叫んだ。「わかった!
『火垂るの墓』の人か~!」学校で映画を観たという。はっきり内容を覚えていた。

そんなこんなで集中できるはずもない。その様子を見ていた弟「(兄は)ベンキョ
きらいなんだよ」(じゅんじゅんは?)「ベンキョウすき!」。3年後の彼は果たして
どんな小学生になるのやら。

午前中は庭の落ち葉掃きの手伝い。箒と塵取りの使い方も堂に入ったもの。
落ち葉をバケツに入れるのに時間はかからない。たき火ができたらいいのに・・・。
「たき火ができなくなった時代を、今の子どもに申し訳ないと思う」
1年前に亡くなられたコピーライター岩崎俊一氏のことば(11月のカレンダー)を
思い出した。昭和は遠くなった。(昭和のたからもの 「昭和のたからもの」は

      落ち葉掃き
なぜか靴を左右逆に履いて・・・
      落ち葉掃き

午後になると、わが家に来る楽しみの1つ、ごんさんと公園でひとしきり遊ぶ。
夕方、兄に甘えているのか、りんりんの首に手をまわしてふざけ始めた。
自分がされたくないことをしちゃダメと注意したが、まったく効き目なし。

「己の欲せざる所人に施すことなかれ」と、孔子のことばが口に出てしまった。
するとワァーと泣き出したじゅんじゅん。なかなか泣き止まない。兄によれば、
自分だけが理解できないのが悔しいのだとか。彼のプライドを傷つけたようだ。

学校で論語に触れたことがあったというりんりんは理解できたが、4歳にもならない
じゅんじゅんにわかるはずもない。
実は、来年の桂花会(中国語学習会の同窓会)のために「論語抄」カレンダーに
載っている31の「子曰く ・・・」の中国語の原文を調べ始めたところだった。
この冬は一時的な?「論語女子」になるつもりだったのだが。

最近は昼寝せずに遊び、夕方になってソファで眠ってしまうことが多い。
この日は2時間ほど眠ったところで起こしたが、まったく泣かず、寝ぼけ眼で
大好きないくらがのったちらし寿司を口に運び始めたのには笑ってしまった。
こんな穏やかな日がいつまでもつづいてほしいと思うのだが・・・。

 *7日にラジオ「六輔七転八倒九十分」で放送された野坂昭如氏最後の手紙 (全文)
 はや、師走である。町は、クリスマスのイルミネーションに、さぞ華やかに賑やかなことだろう。ぼくは、そんな華やかさとは無縁。風邪やら何やら、ややこしいのが流行っている。ウイルスに冒されぬよう、ひたすら閉じこもっている。賑わうのは結構なこと。そんな世間の様子とは裏腹に、ぼくは、日本がひとつの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない。
 明日は12月8日である。昭和16年のこの日、日本が真珠湾を攻撃した。8日の朝、米英と戦う宣戦布告の詔勅が出された。戦争が始まった日である。ハワイを攻撃することで、当時、日本の行き詰まりを打破せんとした結果、戦争に突っ走った。当面の安穏な生活が保障されるならばと身を合わせているうちに、近頃、かなり物騒な世の中となってきた。戦後の日本は平和国家だというが、たった1日で平和国家に生まれ変わったのだから、同じく、たった1日で、その平和とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり、戦争をする事にだってなりかねない。気付いた時、二者択一など言ってられない。明日にでも、たったひとつの選択しか許されない世の中になってしまうのではないか。昭和16年の12月8日を知る人が、ごくわずかになった今、また、ヒョイとあの時代に戻ってしまいそうな気がしてならない。 野坂昭如
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身近な人びと

5枚めくれば・・・

2015年12月26日
「カレンダーの日」12月3日前から来年のカレンダーを見かけるようになった。
毎年孫中心のカレンダーはつくるが、いつの間にか予定を書きこむ卓上用は
百均で買うようになった。(カレンダーづくりやっと完成!マイカレンダー

今までもっとも気に入ったものは新聞4面を使った大きな「10年カレンダー」。
2012年1月から2022年12月までの10年間。実は東芝のLEDの広告。
見開きの2頁をカレンダーに見立て、1人の男性がリビングの電球をLEDに
取り換えるシルエット写真が先ず1枚。最後は彼が妻と3人の子どもと一緒に
電球を取り換える10年後の写真で終わる。     (10年カレンダー」)
 
  10年
        まもなく5段目に  2012.1~2022.12

そのまま部屋の壁に貼ったまま4年が経って、だいぶ黄ばんでしまった。 
先日、りんりんが見入っていて、「この3日間は電気が点いていない。きっと
旅行中なんだ」「あっ、この日帰って来たんだ。トランクが置いてあるよ」とか、
「引越ししたばかりだ.ダンボールがある」・・・LEDの灯りに映し出された画は
全部違うと感嘆の声を上げた。つまり3653種類ある。たしかにすごい!

今年、いわゆる「日めくり」が2種あったが、なぜか使うことなく1年経った。
1つは、中国語のお仲間M氏からいただいた「論語抄」の日めくり。
31種の論語が書かれた「足利流5Sの精神で読みとる孔子の教え・こよみ」。
史跡足利学校のある町から「5Sの街・足利」を全国に発信しているという。
5Sは整理、清掃、整頓、清潔、躾の5つのS。
  
     論語抄
           論語のほか、通釈と5S流の解釈    

もう1つはお寺から送られてくる「こころの暦」。1日から31日までそれぞれの
「ことば」が書かれている。

     暦    
     いつくしみ         会者定離        和合
    五月 みどりの日    七月 海の日
 
たとえば、今日26日は「和合」「ありがとう ご苦労さま すみません」
4日 「いつくしみ」「いたわりは 人にも物にも草木にも」
20日 「会者定離」には「今日かもしれず 明日かもしれず」


31日は「倶会一処」「こころはおなじ華のうてなぞ」。「倶会一処」(くえいっしょ)とは、
浄土教の往生の利益の1つ。阿弥陀仏の極楽浄土に往生すれば浄土の仏、
菩薩たちと一処で出会うことができる、という意味。
あと5回めくると、新しい暦になる。
つれづれ

「トトロの樹」を眺めながら

2015年12月25日
12月17日 Kさんと 
5年ぶりに出逢った「トトロの樹」にはベルトが巻かれ、柵ができていた。
天気雨の中、軽くスケッチ。わずかに残る葉はオレンジ色に輝いていた。
この日はアトリエ カノンは定休日だった。  (再会した「トトロの樹」

    12.17
                 12.17   曇空

12月22日 Fさん Sさんと 
わずか5日しか経っていないのに、葉は鮮やかさを失い、枯れ始めていた。

     12.22
                12.22   快晴

「アトリエ カノン」に入った。無機質なコンクリートの壁には主張しすぎない画、
ピアノの上にさりげなく置かれた皇帝ダリアだろうか、珍しい花が活けられ、
テーブルや長椅子の木のぬくもりが嬉しかった。

   アトリエカノン

「トトロの樹」が見えるテーブルでランチをいただいた。オムライスとカレーライス、
迷った挙句、3人ともカレーライスを注文した。(サラダ、ドリンク付 \1080)
家が近ければ毎週のように来てしまうだろう。西荻在住のFさんが羨ましい。

           アトリエカノン

残念なことが1つ、正面から樹を眺めるとき、目障りになるのが植込みに立つ
大きな「犬等のペット入園禁止 杉並区」の立て看板。もう少し端にあれば・・・。

店長の山中さんに「トトロの樹」のことをいろいろ話を伺った。
樹に亀裂が入ったのは3年前だとか。それからベルトが巻かれたのだろう。
昨年秋、枯れ始め、今年春には葉の出が遅く左右不均等の異常な状態になり、
プロによる樹勢回復が行われた。
そのおかげで、この秋には、繁り具合も追いつき、葉に勢いが出てきたという。

この樹の朗読劇のことが新聞(東京新聞)に掲載されたこともあり、来年、
ラジオで朗読劇が紹介されたり、(1/17 日本放送 『薬師丸ひろ子 ハート デリバリー』 
8:30~9:00
)絵本もできるという。楽しみだ。

春に萌黄色の葉をつける前に何度か通うつもりでいる。スケッチブック持って。 
植物など

街のクリスマスツリー

2015年12月24日
ハロウィン翌日の11月1日、街にクリスマスツリーが出現したのには驚いた。
街がクリスマスイルミネーションできらめくクリスマスシーズン。イルミネーション
スポットを観光タクシーで巡る(1日1組2時間)期間限定コースもあるとか。

       渋谷
                     渋谷 ハチ公前

そういえば昔は綿の雪がいくつものっていたと思うが、最近は見かけない。
このごろのクリスマスツリーのオーナメントは上品で落ち着いている。

     品川
                    品川エキュート
「みんなで変装して撮影しよう!」。箱の中に入っている撮影小道具を自由に
使って写真が撮れる。平日のせいか、撮影している人はいなかった。

      四谷 五反田
                 四谷アトレ          レミィ五反田

     駅ビル
        西荻窪ディオ       恵比寿アトレ     蒲田グランデュオ                                
                    
        蒲田
                      蒲田グランデュオ  

        2765no10.jpg
                   武蔵小杉東急スクエア

        桜木町
                       桜木町

     吉祥寺
                       吉祥寺

先日、ラジオで佐賀県唐津の「呼子のイカすクリスマスツリー」が話題になった。
クリスマスツリーにはイカやアジ(真空パック)などが下がり、自由にもらえるという。
呼子は玄界灘を望む港町。唐津は祖父母の故郷、近ければ行きたいところだが・・・。
クリスマスが終わると「イカす門松」になるのだとか。
東京では、12月5日、スーパーには正月のお飾りのコーナーができていた。
旅・散策・イベント

暮れゆく空

2015年12月23日
今日の東京の日の出の時刻は6:47。日の入りの時刻は16:32。
少しずつ日が長くなっていく。            (明け行く空

12月8日の日の出は6:38。

      15:4515:45

     16:2016:20
      16:2016:20
      16:2016:20

日の入りは16:28。

      16:5016:50
旅・散策・イベント

明けゆく空 

2015年12月22日
今日は24節気の1つ「冬至」。「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」。
昨晩10時、「火の用心」の拍子木の音が聞こえてきた。町会の人たちの夜回りだ。
拍子木の音と「火の用心」が毎晩つづけてきこえた年の瀬もあった。 (歳末雑感
そういえばここ数年きいたことがなかったと思う。自宅前で拍子木を鳴らされて
迷惑という人もいるらしい。もう少し早い時間ならいいような気もする。
防犯上の効果がどの程度かわからないが、年の瀬の風物詩だと思うのだが。

朝、5時から5時半の間に雨戸を開ける。月と金星がはっきり見える日も多い。
窓の外はまだ真っ暗。パソコンとラジオをつける。
ふと気づくとケヤキのシルエットが浮かびあがる。もっとも好きな時間だ。
6時半、ラジオ体操の音楽が流れ始めるとTBSに替える。体操すればいいと
思うこともあるが、「森本毅郎スタンバイ」をきくのが習慣になっている。
このころにはすっかり夜が明けている。

12月6日 この日の東京の日の出時刻は6:36、日の入り時刻は16:28。

                 6:366:36
    6:366:36

      6:416:41
    6:416:41
      7:307:30
旅・散策・イベント

「手すりにつかまろう」

2015年12月21日
今年の夏から全国のJR・私鉄の駅、空港などでエスカレーターの安全利用を
呼び掛ける「みんなで手すりにつかまろう」キャンペーンが実施されている。
「危険な事故につながる場合もある」として「エスカレーターでは立ち止まり、
手すりにつかまる」ことを呼び掛けている。

         駅
     長い長いエスカレーター  東京メトロ副都心線東新宿駅

日本エレベーター協会のエスカレーターの利用に関する注意は、「歩行禁止!」
「ベビーカー禁止!」「衣類の裾、靴やサンダル、傘の先の巻き込みに注意」
「黄色い線の内側に立つ」「手すりにつかまる」から「乗り口付近や降り口付近には、
立ち止まらないこと」「エスカレーターの利用中は禁煙」といった当たり前のことまで。 

      エスカレーター
            手すりにつかまって   黄色い線の内側に
 
エスカレーターの安全基準は、ステップ上に立ち止まって利用することが前提。
階段は、建築基準法では、例えば幅140cm以上、蹴上げ(段差)18cm以下、
3m毎に踊場の設置をするなどの一定の基準が決められている。
「エスカレーターは歩くように設計されていないので、階段より段差が高い」ため、
足を上げたつもりでも、つまづいて倒れ込む危険があり、歩いたり走ったりすると、
振動で安全装置が働き、緊急停止することもある。 (止まったエスカレーター

エスカレーターの片側あけは危険を伴う行為だということが、少しずつ浸透をして
きたというが、相変わらず朝夕のラッシュ時など、歩く人、駆け上がる人が多い。
因みに、東京などでは車の追い越し車線のように追越していく人は右側を行く
ことが多い。一方、大阪では大阪万博のとき国際ルールを採用したため、
急ぐ人は左側を歩くようになったという。       

右に立つか左に立つかの境目は浜松あたりともいわれる。
どちら側を空けようと、止まっていても動いていても、エスカレーターは
本来、歩いたり駆けたりするものではないのだが。
つれづれ

『竜馬がゆく』で脳トレ中 

2015年12月20日
『竜馬がゆく』文庫本全8巻をブックオフで購入したのはいつだっただろうか。
自宅では読まないことにしているので、なかなか読み進まない。
そういえば、司馬遼太郎の著作はあまり読んだことがないように思う。
以前から『中国・蜀と雲南の道』が本棚に入っているが、読んだ記憶がない。
ちなみに、実在の坂本龍馬と区別するため「竜馬」という表記を用いたそうだ。

『JIN』や『獅子の時代』のDVDや、萬屋錦之介主演の古い『竜馬がゆく』を
みたので、何とか筋は追えるようにはなったが、あまりに多くの人物が登場し、
かなり混乱してはいる。   (復元される浜川砲台 龍馬生誕180年
だが、竜馬を通して、教科書ではほんの数頁で通り過ぎた幕末維新がさまざまな
事件や出来事が複雑に絡みながら時代が動いていったのがよくわかる。

    8巻    

やっと5巻に入り、「池田屋ノ変」になるのだが、その前に長州藩士をとりまく動きが
描かれる「防長二州」が100頁近くつづく。
「なお、筆者はこの時期における長州藩の動きを描きつづけている。竜馬は、
防長二州にはいない。この時期、竜馬は長崎にあり、熊本にあり、大阪にあり、
神戸村にあり、京都にあり、さらに江戸へも旅立つ。・・・」


もちろん主人公は竜馬だが、ところどころに筆者司馬遼太郎独自の歴史観や
人物評が加わるのが楽しく、だから飽きずに読み進められるのかもしれない。
中断しても、外出先で読むのでいつものこと、スッと入って行けるのがいい。

たとえば、3巻の「海へ」はこう始まる。 
小豆粒を両掌いっぱいに盛り上げて、ぱっと座敷に撒きあげると、疎密さまざまな
すがたで、ちらばる。 
ひとの一生もそうだ。事柄が、ばかにかたまるときがある。竜馬のこの時期がそうだ。 
(いそがしいのう)と、竜馬はうまれてはじめておもうようになった。
まったく、この時期の竜馬の日常を、日記風に追っておれば、この小説は十年
経ってもおわらないかもしれない。


・・・が、事柄が、重なりすぎている。「お前の筆では追っつかんか」と、竜馬に
嗤われそうだ。
「おれも」と、竜馬は筆者にいいたいにちがいない。「もうかつてのようにぼやぼや
しちょらんから、しっかり書いてくれんとこまる
」。

       2749no2.jpg
         若き日の龍馬像       浜川砲台    品川区

画像も音声もなく、文字だけなのに、目の前に竜馬がいて、司馬遼太郎がいる、
そんな気がしてくるから不思議だ。
脳科学者の中野信子氏の話を思い出した。「味、音、匂い」の描写は脳のそれらと
同じ領域を活性化することがわかっているのだとか。
竜馬が美味しそうに味噌汁を飲んでいると、いい香りが漂ってくるし、
斬り合いになると、耳をふさぎたくなり、目を覆いたくなるわけか・・・?

読書はさまざまな脳の器官を使う。「読書は大脳のトレーニング」と主張するのは
オックスフォード大神経学の名誉教授John Stein氏。実際に体験していないのに、
本を読むことで、あたかも体験したかのように感じる。本に書かれている内容を
イメージして追体験している状態になる、ということらしい。

ついでながら、イギリスのサセックス大学の研究によると、わずか6分間の読書で
ストレスが3分の2以上軽減され、これは音楽鑑賞や散歩によるストレス軽減を
はるかに凌ぐレベル
であるとか。

家では窓の外のケヤキを眺め、外ではカフェでのわずかな時間の読書が、
気分転換、ストレス解消、さらに脳トレにもなるとは!
『竜馬がゆく』も5巻目。残るは4巻。しばらくは楽しい時間が持てそうだ。
つれづれ

再会した「トトロの樹」

2015年12月19日
杉並区西荻に「トトロの樹」と呼ばれて親しまれてきたケヤキの大木がある。
住民の存続運動が実り、マンション建設計画による伐採の危機を逃れた巨樹だ。

地域住民をはじめとした1万筆を超える署名により、杉並区がこの「トトロの樹」の
ある土地を取得し、2010年4月「区立坂の上のけやき公園」として整備された。
公園の入口に立つ石版には「みんなの想い」が記され、園内の花壇の下には
保存運動の署名簿、この話題が掲載された新聞切り抜きなど、住民の思いが
詰まったタイムカプセルが埋められているという。

樹形が映画『となりのトトロ』に登場する樹に似ていることから名づけられたとか。
樹高約19m、幹周5.5m 樹齢は推定200年以上、 枝は20m四方に広がる。
区の計測では幹囲4.85m、樹高19..5mだが、どちらでも巨樹には違いない。

ちなみに、武蔵野市、立川市、青梅市などにはケヤキの巨樹は多いが、都内では、
最大の幹周は練馬区白山神社のケヤキ(階段下は幹周8m、樹高19m 階段上は
幹周7.2m 樹高14m 国の天然記念物指定)。  (鎮守の森の対の巨樹)        
      
トトロの樹のサイトには、「まだ西荻に人もあまり住んでいなかった江戸時代の
昔から、明治維新、関東大震災、第二次大戦と様々な出来事を乗り越え、
東京という都市の変遷をこの地で眺めてきたトトロの樹
」と書かれている。

       大ケヤキ 2014.4.24
                 新緑のころ     

この公園が完成してまもなく、当時1歳のあいあいが肺炎で入院したことがあった。
病院に行く前、このケヤキに逢いに行った。公園の真中に堂々と立つ四方に枝を
伸ばした風格がある「トトロの樹」に感動した。       (坂の上のけやき公園

それから5年半余り、この樹の物語(朗読劇)がケヤキのみえるカフェで披露された
ことを新聞で知って、急に「トトロの樹」に逢いたくなった。
頼まれた年賀状をつくり終わり、自分のを考えなくてはならないが、ケヤキが先だ。
形のよいケヤキを描きたいと近所を探し歩いているというKさんをお誘いした。

先週の木曜日、下見気分のこの日は小さ目のスケッチブックにした。風もなく、
寒くはなかったが、陽がさしたかと思うとパラパラと天気雨、おかしな天気だった。

     初冬2015.12.17

5年前には樹のすぐ傍を自転車で周る子どもがいた。今は柵が出来ていたため
樹に触れてパワーをもらうことは出来なかったが、赤味がかった黄色の葉を
ところどころ残し凛として立つ姿にはじめて出逢ったときよりはるかに感動した。

台風による幹割れ(2011.9~)のためにベルトを巻かれて痛々しかったが、
カメラでは写ってしまうベルトも、描き始めると、冬空の中、美しい幹肌、
自由に伸びた枝、黄色の鮮やかな葉しか目に入らなくなった。

     残る葉

前日、Fさんに「トトロの樹」に逢いに行くとメールをしたところ、5、6年前、散歩中に
偶然出会ったそうだが、「あれがトトロの木と呼ばれていることを、初めて知りました。
大変立派な風格のある木で、たしかに一見の価値があると思います」「無理やり
仲間に入れてもらいたいけれど、明日もいないので、残念です」
と返信がきた。

公園の前のカフェは定休日だったが、「けやきの見える家」の存在を知った。
誰でもが立ち寄りお茶を飲んでおしゃべりができる個人宅開放型オープンリビング。
24日の「ヴァイオリンコンサート」など、木曜日午後はミニ講座などが企画される。

年内につづきを描きに来ることにして早々に引き上げた。西荻窪駅まで約10分。
帰りはとても近く感じた。西荻在住のFさんおススメの中華のお店で美味しいランチ。
スケッチのリベンジを決めた。Fさんの予定も空いている22日、Sさんもいっしょに
カフェで「トトロの樹」を見ながらランチが出来そうだ。片道1時間半も遠くはない。
植物など

江戸期の道しるべ Ⅲ

2015年12月18日
東海道ができる前の「旧池上道」は「古東海道」「平間道」「品川道」ともいわれた。
(品川ー大井町ー大森ー池上ー下丸子11km)(江戸期の道しるべ Ⅰ

新田義興(よしおき)が謀殺された多摩川の矢口渡の周辺には、義興に関する
27もの新田神社、十寄神社などの旧跡のほか、7つの義興に関する火雷信仰が
伝わっている。右岸の川崎側渡田にも新田神社や新田氏に関わる伝承がある。

矢口渡付近では夜な夜な光るものが往来の人を悩ますため、非業の死を遂げた
義興の亡霊を崇めて社を建立、「新田大明神」として祀ったという。
『新田大明神縁起絵巻』(非公開 東京都指定文化財)には、義興の怨霊が雷火と
なり江戸遠江の守を悩ます情景が描かれている。

新田神社(矢口1) (大田区ってすごい?!)            
樹齢700年の欅のご神木、義興の遺体を埋葬した御塚(直径15mの円墳)、
参道入口にあった石造の大鳥居、戦災で残った一体の「唸る狛犬」などがある。             

江戸時代、福内鬼外(平賀源内)による『神霊矢口渡』 のおかげで、新田神社は
池上本門寺や古川薬師(安養院)とともに、参詣者で賑わったというが、明治になり
矢口の大火、昭和の戦災により社殿が焼失、現在のような小規模な神社となった。 

         新田神社
                 七五三で賑わう新田神社

「従是右 新田大明神道」の道標は、第二京浜国道付近から移設された。

        道標
          御塚前の「新田大明神」道標   文化14年(1817)

     新田神社周辺図
          新田神社周辺図(一部)     灰塚(千鳥3 原田家邸内) 

神社に掲示された周辺図のピンク色部分は、古多摩川の矢口渡付近。
江戸遠江の守が義興の怨霊を恐れて逃げ込んだという光明寺(図右上)から
頓兵衛地蔵(中)を経て、新田神社(左)と多摩川大橋とを結んだ範囲までが
当時の多摩川の流域だったらしい。現在の多摩川は上方を流れる。

樹齢100年の椎の大木の下にある「灰塚」(千鳥の小塚)は、雷となった義興公の
怨念でこの付近一帯が焼き払われため、里人がその灰をかき集めて供養塚
として築いたものと伝えられる。    

光明寺 (鵜の木1) (古多摩川の跡を歩く Ⅰ) 
 
       光明寺

池上道、中原街道、六郷の渡し、丸子の渡し、矢口の渡し(平間道)への
五差路(千鳥3)に立つ道標は上部が折れている。破損部分は光明寺が保管。
正面には「善導大師霊場」「是より右へ三丁」「うの木光明寺」
各面に光明寺への入口や安置勧請する神仏などが刻まれている。
 
        道しるべ
          五差路に立つ「光明寺の道標」  嘉永4(1851)
旅・散策・イベント

長~いベンチ

2015年12月17日
長いベンチいろいろ。公園にもビルの前にも駅のホームにも。

港区
       六本木
                   六本木ミッドタウン
品川区
      品川
                     品川シーサイド
        仙台坂
                     大井 仙台坂
杉並区
      和田堀公園
                    和田堀公園
墨田区 
        錦糸公園
                       錦糸公園
江戸川区
         行船公園
                       行船公園   
大田区
          六郷用水
                       六郷用水跡

     久が原駅
                     池上線久が原駅ホーム
           沼部駅
                    多摩川線沼部駅ホーム     
        武蔵新田駅
                    多摩川線 武蔵新田駅
旅・散策・イベント

「座席は詰めてスワローズ」

2015年12月16日
今年の夏、東急線の駅で目に留まったポスターは「座席は詰めてスワローズ」。
東京ヤクルトスワローズとコラボしたポスターが東急線全駅で展開された。
「東急電鉄は、沿線のスポーツチームの皆さんを応援します」と書かれていた。
今年のセントラル・リーグは、東京ヤクルトスワローズがペナントレースを制した。
5人の選手の名前も顔も知らないが、なかなかインパクトがある。
    
         東急             
    (上 石川選手 山田選手 下 中村選手  畠山選手 小川選手) 

秋になり、気づくと第2弾は「世界中に日本のマナーをアピールしよう」。
五郎丸選手たち日本ラグビーチームが登場した。あまりピンとこない。


東京メトロでは、お馴染みの月替わり「車内マナー」シリーズのポスター。 
2011年「こんな人を見た」シリーズは「つめて座って、もうひと席。ご協力を
2012年には「なぜ足を 広げるの? 閉じれば 座れるのに」  
2014年は「つめて ひと席 プレゼント」 

     東京メトロ
      
西武鉄道   「つめてくれ その一言が いえなくて
       西武鉄道 

ちなみに、日本民営鉄道協会の「駅と電車内の迷惑行為ランキング」では
6年連続で「騒々しい会話・はしゃぎまわり等」がトップになったという。(2014)
「携帯電話・スマートフォンの着信音や通話」「ヘッドホンからの音もれ」がそれぞれ
4位、5位など、音に関する迷惑行為が引き続き上位となる結果が出たという。         
旅・散策・イベント

今年も残りわずか・・・

2015年12月15日
今年の桂花会の忘年会は初めて夜の集まりとなった。会場はSさんのご主人が
開かれたお洒落な居酒屋。JRの駅から徒歩10分、東京メトロの駅から徒歩2分。
集まったのは9人。月1度のわが家のお茶会には仕事でなかなか参加できない
Kさん、Aさんにも久しぶりにお目にかかれた。
会も終わりに近づいたころには店は仕事帰りの人たちでほぼ満席になった。

海外駐在生活の長いSさんのご主人は定年後、調理師学校で学ばれて、
店をオープン。料理長はその学校で長年中華の先生だったというから驚く。
旬の素材を活かした料理はお任せで、全国の銘酒は飲み放題。
実はこの日は朝から胃の具合が悪く、店に向かう途中、顔を出して失礼しようと
思ったりもしたのだが、店に着くころにはそんなこともすっかり忘れてしまっていた。

焼酎派のFさんにならってM氏、O氏とともに最初から「くじらの白麦」という焼酎の
お湯割りにした。お任せ料理は根室産柳蛸とか青森産のしめ鯖の刺身から。

   桂花会

焼酎のお湯割りを5杯(以上かも)と紹興酒。佐助豚の炙り叉焼、蒸し鶏の
ネギソースかけ、紋甲烏賊と小海老の葱塩炒め・・・。創作料理もすべて
いただいて大満足。お酒も美味しい。

もっとも若いKさんは桃、ラ・フランス、キウイ、バナナ、みかんと果実酒専門。
ご主人の出汁巻き卵は頂けなかったが、最後に登場した料理長の麻婆豆腐は
以前、新橋の中国語学習後、故沈老師と一緒にいただいた四川料理店の味を
思い出させる最高の味だった。

二日酔いはしなかったが、翌日の昼の忘年会ではビール1杯に留めた。
乾杯の前にウコンのジュース?が出てきたのには驚いた。

日本語学校で日本語を教えているAさんは、1時間遅れで到着。今年3月の
わが家での桂花会以来だ。なぜかそのときの初対面、ウーパールーパー
「かわいかった~!」という話になったが、タブレットにもカメラにもウーパー
画像は残っていなかったため、帰宅後、撮って送る約束を」した。

        ウーパー
             2014.4            2015.4 

早速、返信があった。「可愛いですねぇ! 本当にウーパールーパーは、
変身しないんですね! 年を経ても可愛いままなんですね
「あまりの可愛さに、思わず、スマホ壁紙にしてしまいました!」
             
気味いと言う人もいれば、可愛いという人もいる。今や1歳8ヶ月、メダカほどの
大きさから23cmになった彼(彼女?)を上からみると、どうみても可愛いとは
思えずにいる。正面からはつぶらな瞳の顔は愛嬌がなくもないが。
彼女は、日本語学校が休みのときしかお茶会には来られない。しばらくの間、
ウーパー通信を送ろう。とはいえ、ウーパーは猫ほど変わった話題はないが。

明日は今年最後の中国茶の会。ランチではビールで乾杯!そして昨年につづき、
Sさんのフルート演奏もあるらしい。明日が楽しみだ。  (中国茶でクリスマス
中国・中国の旅

葉を落す樹々

2015年12月14日
ハトたちの羽ばたきであれほど賑やかだったケヤキも静かになった。
葉を落した梢の上の方に留まっているヒヨドリの姿がよく目立つようになった。
近くの畑の前を通ると、そばの枇杷の花がひっそりと咲き、ケヤキやサクラの
落葉のほかに、鳥たちが落としたのかイイギリの紅い実がたくさん落ちている。

遠景にケヤキ、夏蜜柑、木守りが1つ残る柿の木、庭のモミジや紅梅の老木も
まもなくすっかり葉を落す。窓からの眺めはしばらく淋しくなる。

    ケヤキとモミジ
             11.29    窓からの眺め       12.2

ケヤキ 11.24    
        11.249:00

11.27                    
        11.2716:00
                
12.6
         12.66:40

12.11  嵐のあと
         12.1112:20
                       ベランダに飛んできたケヤキの葉

イロハモミジ 12.3  雨
          12.37:10
                           
12.10
        12.109:30 

12.11  嵐のあと  
         12.1112:30
     12.1112:30                    
植物など

「デザイン交番」 Ⅰ

2015年12月13日
「とんがり屋根」の数寄屋橋交番が建て替えのために取り壊される。
「デザイン交番」のさきがけで、取り壊しを惜しむ声も多い。

屋根のてっぺんから伸びるポールの先端に丸い玉がついたオブジェは、
当初の設計図にはなかったらしい。「何かを付ける」目印として模型に待針を
刺していたところ、当時の警視総監が気に入りそのまま採用されたという。

      数寄屋橋
              築地警察署 数寄屋橋交番
             「デザイン交番」建築の第1号

「デザイン交番」は、通常、警視庁の専門技師が設計するところ、都が始めた
「文化のデザイン事業」(1982)に基づき警視庁が外部の建築家に委託して
建設した交番。23交番と1駐在所 (小笠原母島) のうち、調布駅北口交番は
駅前整備でなくなったという。

いくつかの「デザイン交番」  (個性的な交番交番に 都内の交番
             
            成子坂            
               新宿警察署 成子坂交番 
            屋根は成子天神の本殿をデザイン化

           熊野神社
              新宿警察署 熊野神社前交番       

           護国寺
              大塚警察署  護国寺交番
               護国寺の梵鐘をイメージ

           上野公園
              上野警察署 動物園前交番
           借景は緑の木々 屋根を枯山水のイメージ         
旅・散策・イベント

「PP&M」って?

2015年12月12日
ラジオで懐かしい歌が流れた。PP&Mの「Where have all the flowers gone?」だ。
アメリカのフォーク・シンガー、ピート・シーガーの代表作として知られる。
ジョーン・バエズ、ブラザーズ・フォーや「花はどこへ行った」として日本語でも
多くの人が歌っている。
ベトナム反戦運動の中で広く歌われ、「世界一有名な反戦歌」ともいわれる。

PP&M、ピーター・ポール&マリー(ピーター・ヤーロウ、ノエル・ポール・ストゥーキー、
マリー・トラヴァース)は、’60年代のアメリカで最も成功したフォークグループの1つ。
2009年にマリーが この世を去ったが、ピーターとポールはサポートプレーヤーの
ポール・プレストピーノと共に アメリカ各地でコンサート活動を継続している。

早速、YouTubeできき直した。そういえば、ビートルズやプレスリーなどが流行ったころ、
こういった英語の歌詞をいくつか覚えたが、果たして英語学習に役立ったかどうか・・・?

りんりんがわが家に泊まった日、来年受ける予定の「英検3級」の勉強をしていた。
単語や熟語もだが、現在完了、過去完了などの時制も使い方が難しい。
ふと、「Where have all the flowers gone?」はどうだろうかと思いついた。
現在完了の疑問文がそのまま題名になっているだけでなく、何度も同じ文型が
繰り返されて記憶に残る。HAVE GONEは「行ってしまって戻ってきていない」
「もう戻ってこないのではないか」といった、GOの過去分詞 GONEのイメージを
つかむのに最適な歌だと感じた。何より歌詞に出てくる単語そのものは易しい。 

        ベスト       

先週、出たついでにPP&MのCDを借りにツタヤに行った。ビートルズはあるが、
PP&Mはない。カウンターで「ピーター・ポール&マリーはありますか?」ときくと、
「?ピーター??」30代くらいの店員は首を傾げた。歳を感じた瞬間だ。
検索した結果は、その店にたった1つ『ベスト・オブ・PP&M』があった。その中に
「Where have all the flowers gone?」は収録されていることを確かめて借りた。

ほかにも「500miles」「パフ(Puff、The Magic Dragon)」「風に吹かれて
(Blowing in the Wind)」など懐かしい曲が収録されている。
帰宅後、ウォークマンに入れた。近いうち、りんりんのウォークマンにもいれよう。
歌詞カードはとりあえずコピーした。反戦歌といわれるだけあって、死(death)、
兵士(soldier)などといったことばも少なくない。そこで、数曲を選んで歌詞を打ち、
いくつかの単語の意味を横につけて大サービス。

How many roads must a man walk down Before they call him a man ? で始まる
「風に吹かれて(Blowing in the Wind)」も胸にしみる。
                 ・・・・・・・
    How many roads must a man walk down 
   Before they call him a man ?

    How many times must a man look up?
   Before he can see the sky
   How many ears must one man have?
   Before he can hear people cry?
   How many deaths will take till he knows
   That too many people have died.

   The answer my friend is blowin' in the wind
   The answer is blowin' in the wind.


いつの時代も世界のどこかで繰り返されている戦争。戦争の愚かさを歌う
歌が消え去る日は来るのだろうか。
つれづれ

あの日から「動かぬ時計」

2015年12月11日
東日本大震災から今日で4年9ヶ月。
被災した宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の土地区画整理事業に伴い、
旧閖上中学校の時計が、解体工事が始まるために取り外されたという。
鉄筋コンクリート3階建校舎の外壁に掛かっていた時計は、校舎が増築された
1980年に卒業生から寄贈された時計。午後2時46分で止まったままだ。

     
         閖上中
        閖上中学校の時計  スマイルとうほくプロジェクトより
          
名取市には震災遺構として保存する建物はないため、時計、校名板などを
震災を伝えるものとして活用する。利用方法が正式に決まるまで大切に保管し、
今後、別の場所で一般公開する方針だという。

震災前、閖上地区では、5,500人の住民のうち、津波で750人が犠牲になり、
41人がいまだ行方不明。震災当時、卒業式で学校に残っていた生徒は全員
助かったが、帰宅した14人が津波の犠牲になったという。
       
        
被災後、閖上小は市内の小学校に間借り、中学校は公園の仮設校舎を使用。
一度も閖上中学校に通うことなく、仮設校舎で中学生活を終えた生徒も多い。
津波を逃れた人々が震えながら一晩を過ごした2つの校舎・・・。
10月、閖上小と閖上中のお別れ式が行われ、卒業生や在校生ら約600人が
小学校の体育館で校歌を歌い、それぞれ思い出の教室を巡ったという。
両校は仮校舎で授業をつづけているが、2018年の春、小中一貫校として
新しい地で再出発することになっている。

東日本大震災から2年後、あの日から動かなくなった9つの時計の写真が載った
新聞をまだとってある。                   (あの日から動かぬ針

          新聞
                               宮城県石巻市
 
被災地に今も残る多くの壊れた時計。動かぬ針が示すのは、強い揺れが襲って
きた瞬間か、それとも巨大津波が到達した時刻か。止まった時計たちは無言の
問いかけを今も続けている。
 (2013.3 産経新聞) 
旅・散策・イベント

「高所平気症」?

2015年12月10日
JR東京駅の北側に高さ390mの超高層ビルが建つ。12年後の完成時には
大阪あべのハルカス(300m)を超え、東京が再び日本一の座につくことに。
約100年遅れでエンパイア・ステートビル(381m)を追い越すことになるという。
ちなみに世界で最も高いのはアラブ首長国連邦のブルジュ・ハリファ(828m)。          

        高層ビル
          霞ヶ関ビル(156m)      横浜ランドマークタワー(296m)

戦後、高さ制限が撤廃され、東京には霞が関ビルを皮切りに100m、200m台の
超高層ビルが次々と誕生した。1993年、日本一の座は横浜ランドマークタワーに。
その天下は、大阪にあべのハルカスができるまで20年以上つづいた。

高層ビルといえば、高層マンションで生活する子育て世代が増えているが、
ベランダからの子どもの転落事故も増えているという。
その多くは子どもだけが室内に残っているときに発生。親を探そうとして、
あるいは興味のあるものがベランダの外にあれば覗きたくなるのだとか。

      高層マンション
                 高島平団地  板橋区

東京消防庁によると、管内で発生した乳幼児の高所からの転落事故は
2011~2013年の間に65件発生している(うち52人が重症以上)。
現在、建築基準法で定められているマンションなどのベランダの柵の高さは
110cm以上。これは子どもが容易に乗り越えられてしまう高さだ。

最近は「高所恐怖症」ならぬ「高所平気症」ということばをよく耳にする。
幼いときから高いところで生活していると、高い所に恐怖心を抱かなくなるらしい。
高い場所が危険かどうかを判断する感覚は、4歳ごろまでに大人の約8割ほどの
レベルまで発達するという。自分の目線の高さを基準に地面との距離を把握し、
「高いかどうか」を判断するという。
だが、高層階の部屋では空に近い景色は見えても地面が見えないため、
高い場所が怖いと思う感覚が育ちにくいのだと専門家はいう。

子どものころはジャングルジムや滑り台など怖いと思ったことはなかったが、
いつのころか正真正銘の高所恐怖症になっていた。じゅんじゅんが滑り台を
トントン上って行く。それを見ているだけでゾクゾクするのだからかなり重症だ。
つれづれ

始皇帝の夢

2015年12月09日
10月末に始まった特別展始皇帝と兵馬俑展はUさんと行くことになり、
早々と前売り券を用意していた。(10.27~2016.2.21)
なかなか時間が合わずトーハクを訪れたのは12月に入ってからになった。
平日の昼近く、小春日。すでに入場者10万人を超えた(11/20)こともあるのか、
思ったより空いていて比較的ゆっくりと観ることができた。

   ケヤキ
            ケヤキ                ユリノキ                

トーハクの門をくぐるといつも目に入るのがユリノキ。本館前のケヤキは見頃、
ユリノキはだいぶ葉を落していた。
帰りに立ち寄った庭園(10/29~12/11)では、目に鮮やかな銀杏の黄色、池面に
映るの深紅・・・何より渋い紅や黄色に色づいたケヤキに心奪われた。

      平成館

1974年に発見され、今なおつづく兵馬俑の発掘。
紀元前221年、中国大陸を初めて統一した秦の始皇帝はわずか13歳で即位し、
すぐに自分の陵の造営を始めて死ぬまでの38年間、建設は続けられた。
巨大陵墓のほど近くに埋められた陶製の軍団「兵馬俑」は約8000体。
同じ顔がないわけだ。これらモデルは実在する軍隊の兵士たちだという。

『中国国宝展』(2000年)『中国王朝の至宝展』(2012年)でも何体かの兵馬俑は
観たことがあったが、「銅車馬」を2両揃って観たのははじめてだと思う。

第三章「始皇帝が夢見た永遠の世界」の会場には10体の等身大の俑が並ぶ。
将軍、騎兵、歩兵、弓兵などのほか、御者、馬丁、さらに残念ながら頭部がない
力士だろうか大きなお腹の雑技俑も。立像だけでなく、正座する馬丁や跪く射手も
いたりと、実にバラエティに富んでいる。
跪く兵士・・・だれかに似ているようで気になって仕方がない。

    記念撮影
                      撮影コーナー

レプリカの兵士は約70体。会場内は撮影禁止だが、彼らが並んだ撮影コーナーが
設けられ、代わる代わる撮影をする人たちで賑わっていた。
ここで撮影して公式サイト上でみんなで兵馬俑をつくろう。めざせ8000人!
「Instagram(インスタグラム)」 に投稿するように呼びかけている。
投稿された写真には、若いカップル、小学生たちなども写っていた。

それにしても展覧会にもいろいろな楽しみ方があるものだ。
「朝日コネクト」というアプリをタブレットにインストールして、パンフレットの
兵馬俑の写真にかざすと、兵士たちが浮き上がって踊り出した。面白い!

    踊る
      パンフレット          踊り出した兵士たち 

数年前、実際に中国で見たいと、北京と西安、そして始皇帝陵などを訪れるツアーに
申込んだものの、寸前にキャンセルした苦い思い出がある。   (「兵馬俑」再び
秦始皇帝陵博物院で兵馬俑を観ることはできそうにない。今回がラストだろうか。
中国・中国の旅

江戸期の「道しるべ」 大田区 Ⅱ

2015年12月08日
「道標」とは旅人のために街道の分岐点(追分)などに、路傍石や木などに
方向や距離などを記し路傍に立てた標示物で、今でいう道路標識。
江戸時代のころに設置されたものが多いが、町中の表通りの交叉路や山中、
峠に設置されることもある。石を四角柱状に削りだして造られたものが多いが、
地蔵の台座、常夜灯や灯籠に案内表示を刻んだものもある。

江戸近郊への名所旧跡や寺社への参詣をする行楽が流行った。
大田区(荏原郡)は日帰りや一泊程度の行楽の対象となった。
江戸から船で六郷に着き、そこから池上本門寺などに参詣して、中原街道より
江戸へ戻るなど色々なコースが生まれた。本門寺へ「池上道」を示す道標は、
大田、世田谷、目黒区に合わせて22基が残る。(江戸期の道しるべ Ⅰ

「祖師御硯水道」は本門寺最古の道標道標。祖師堂(大堂)と「硯洗い井戸」へ。
現在は宝塔右側の狩野家墓域の石段下にあるが、元の位置は分からない。
正面には「右祖師御廟処 南無妙法蓮華経 左祖師御硯水」
右側には「南無妙法蓮華教 麻布永坂町」とある。
 
   祖師御硯水道
      元禄10年(1697)               元明元年(1781)
       
元明元年、日蓮聖人5百年遠忌を記念して御廟所の石坂改修時に造立された。
正面には「祖師御硯水道」、右面には「祖師御廟所道」と刻まれている。   
大坊坂は此経難持坂(しきょうなんじざか)が出来るまで祖師堂への参道だった。
大坊坂の脇に宝塔がある。坂の途中には宗家花火鍵屋の墓がある。

       宝塔
               宝塔           鍵屋の墓

ちなみに鍵屋初代は奈良より江戸へ出て日本橋に店を開いた。(1659年)。
葦の管に火薬を練って小さな玉をつくり、「火の花」「花の火」「花火」と称して
売り出したところ、飛ぶように売れた。
隅田川で、将軍家宣の命ではじめて花火を打ち上げたという。(1711年)

       
峯の薬師」(真言宗観蔵院)前の道標(西嶺町22)の造立は明和3年(1766)。
観蔵院の開創年代不詳。隣接の光明寺が真言宗であった頃(1321-1332年に
浄土宗に改宗)頃に観蔵院はその加行道場として建立されたといわれる。
正面は「峯之薬師道 左 新田ミち」、右には「明和三丙成歳十二月吉日」
     
   峯の薬師
               観蔵院             明和3年(1766)
旅・散策・イベント

散り落ちる前に

2015年12月07日
今日は24節気の1つ「大雪」。雪が激しく降り始めるころ。
『暦便覧』では「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」とある。

初候 「閉塞成冬」 天地の気が塞がって冬となる(日本)
次候 「熊蟄穴」 熊が冬眠のために穴に隠れる(日本)
末候 「鱖魚群」 鮭が群がり川を上る(日本) 


色づいた木々も葉を落し始めた。    (蔦紅葉

今の時季、目に入るのは紅葉した「夏蔦」。冬には葉を落す。
歌に詠まれることも多く、「紅葉蔦」「錦蔦」などとも呼ばれる。 ブドウ科。  
一方、「冬蔦」は基本的には常緑で落葉しない。「キヅタ」ともいう。ウコギ科。
ヨーロッパでは、蔦は雷や魔除けになり、裕福な家の象徴として蔦を這わせた
大きな石造の家が多い。

    ツタ 
                  夏蔦      12.5     
                       
    イイギリ
                イイギリ 12.5      (11.13)

      ヒメシャラ
                 ヒメシャラ   12.6
    
    コブシ
                 コブシ      11.28  

      カツラ
                カツラ        12.1

      ブラックベリー
               ブラックベリー    12.18
植物など

イケメンゴリラは上野にも

2015年12月06日
名古屋市の東山動物園のニシローランドゴリラシャバーニが世界中で大人気という。
シャバーニの写真集がAmazonの写真集カテゴリでベストセラー第1位になるなど、
大ブレイクのきっかけは春のイベントでキャンペーンモデルに採用されたことだとか。
10月に19歳になったシャバーニは、ダンディで筋骨隆々で逞しいイケメンゴリラ。
じっと見つめる視線が話題となり、女性の来園者「ゴリラ女子」が増えたという。

            写真集
           東山動植物園オフィシャルゴリラ写真集 「シャバーニ!」
             (A5版横64ページ) 1080円(税込)  

2頭の妻を持つシャバーニは、子ども2頭のイクメンでもあるという。
野生のゴリラが成熟し始めるのは13から15歳、完全なおとなになるのは20歳過ぎ。
父親になるとみるみるうちに筋肉ができ、後頭部が飛び出し、腕の毛が伸びて立派な
風体になる。メスや子どもにやさしく接するようになり、とくに子どもが慕うようになると
オスの態度は一変。オスらしくなる秘訣は育児、つまりイクメンになるということらしい。

ゴリラと人間が似ている点は、お互いに対面して挨拶をすることだそうだ。
だが、ゴリラは、まず見つめあってから近づくという。なぜならゴリラには白眼がなく、
モニター出来ないために近付いて相手を確かめるという。(随分とヒトに近いゴリラ
ほかの類人猿、たとえばニホンザルは対面を避ける。見つめることは脅しとなる。

上野動物園にシャバーニの兄がいる。ハオコという名前で22歳、シャバーニ
顔つきがよく似ている。やはりイケメンゴリラとして常連客には有名で、開園と同時に
一目散にゴリラ舎を目指して行く女性ファンも多いとか。
ちなみに、ニシローランドゴリラのオス全部がイケメンと呼ばれるわけではないらしい。

ハオコの前のゴリラブルブルは、「歌舞伎役者のような存在感」として愛されていた。
はるか昔、日本画デッサン教室に入って初の屋外スケッチが上野動物園だった。
F先生にお会いすると、開口一番、「あなたはゴリラを描きなさい」といわれ、
「ほかの動物ではだめ?」という言葉を呑んでゴリラ舎の前へ行った。

        クロッキー
          
シルバーバックのゴリラはどっしりとして比較的動かなかったが、自分が描かれて
いるのがわかるのか、恥ずかしそうに視線を避けるので描きにくかった。
手こずっているからだろうか、いつまでもモデルやってられないというように、
突然、立ち上がって移動開始。勿論、追いかけたが、中途半端なクロッキーになった。
今でもゴリラときくと、F先生のことばとイケメンのブルブルの姿を想い出す。
シルバーバックは、成熟して背の体毛が鞍状に白くなった雄のゴリラの通称。

上野動物園には何度か訪れたが、ブルブルがいなくなってからはゴリラ舎には
行っていない。人物、動物、植物も、クロッキーデッサンをさぼっているこのごろ、
ゴリラ舎の前で絵を習い始めたころの初心を思い出すのもいいかもしれない。
急にシルバーバックに逢いたくなった。ゴリラ舎に一目散! 「ゴリラ女子」??
動物など

プラレールに囲まれて

2015年12月05日
3歳半になったじゅんじゅんのお気に入りはプラレール。兄のときに「トーマスと
その仲間たち」が走っていたレールには、「こまち」「はやぶさ」「やまびこ」などの
新幹線が走るようになった。           (何といっても「しんかんせん

     2歳半
                   2歳半のじゅんじゅん

1年前には通訳が必要だった「ア~ッチ」(こまち)「アウチャ」(はやぶさ)、「アッ~テ」
はやて)「ア~ピコ」(やまびこ)「アオ~ミ」(のぞみ)、「アッケー」(100系)なども
今はだれにでもわかるようなってきた。   (「アッチ~」と「アプチャ」と・・・?
いつの間にか1人でレールをつないでプラレール世界をつくっている。

たまに彼の家に行くと、リビングにはピアノ、ソファのほか、鉄棒やトランポリンが
置かれていて、2階の子ども部屋からきたプラレー一式が床一面に広がっていて
足の踏み場もない。

        リビング
           3歳半ともなると・・・
      ショータン
                  ショータンの居場所は・・・  
      2743no1.jpg
             山あり谷あり? 高架駅、鉄橋、なぜか踏切もあり

彼が来ると、わが家の部屋もプラレール世界となる。マックの景品のプラレールの
DVDをチラチラと見ながら、「かがやき」たちを走らせる。
身近な人びと

竹垣いろいろ

2015年12月04日
日本人と竹との長い関わりの中で生み出された様々な竹垣。

井の頭自然文化園 三鷹市 
入口に置かれたパンフに農園芸職員による伝統的な竹垣が載っていた。
童心居とその周辺を見て回ったが、「御簾垣」(みすがき)は確認できなかった。

 パンフ
              御簾垣     光悦寺垣      四ツ目垣・・・
光悦寺垣
先ず目に入ったのは、ギボウシ園の光悦寺垣。ツワブキが咲いていた。
京都の光悦寺にある竹垣で、本阿弥光悦が創作した光悦寺垣は、
細割竹を束ね半円形に曲げ、その中に菱格子に組む。上品な趣。

   光悦寺垣
                    光悦寺垣
四ツ目垣よつめがき)」
シャクナゲ園外周にあったのは四ツ目垣。歴史はかなり古く、平安時代や
鎌倉時代の文献にその原形らしきものが登場する。
胴縁と立子(たてこ)との四ツ目格子が特徴のシンプルな竹垣。
シンプルで茶室の露地などによく用いられる。

      四ツ目垣
                    四ツ目垣

      童心居
           野口雨情の書斎を移設した童心居
竹穂垣
竹枝を用いた竹垣の総称。さまざまな形式でつくられているが、竹穂を立子に
したものを竹穂垣と呼んでいる。黒穂を用いた竹穂垣が一般的。
蓑垣
京都嵐山にある臨済宗天竜寺派の「宝厳院」の枯山水庭園「獅子吼の庭」に
用いられている。雨具の蓑が由来。下向きに葺いた竹穂が特徴。

   蓑垣 竹穂垣
              竹穂垣            蓑垣  
金閣寺垣
前の「四ツ目垣」の変形種で、その名前のとおり京都の「金閣寺(鹿苑寺)」の
夕佳亭付近にある。
丸竹の立子(たてこ)を等間隔に配し、半割竹の押縁を表裏から立子を挟む
ように渡して結束する。

      金閣寺垣
                     金閣寺垣
建仁寺垣
京都東山の臨済宗建仁寺派大本山の寺院にあり、江戸時代に流行し、
現在でも非常に人気があるとのこと。

     建仁寺垣
                    建仁寺垣
銀閣寺垣
「建仁寺垣」の変形種。高さを90cmくらいに縮小したもので、京都の「銀閣寺
(慈照寺)」の入り口に用いられているもの。
     
       銀閣寺垣
                    銀閣寺垣

赤塚植物園 板橋区
植物園の日本庭園見本園には竹垣、庭石、石灯籠などが配されている。

       日本庭園

沼津垣
駿河湾に面した沼津市付近は強い西風を防ぐために古くからつくられてきた。
箱根山に多く自生する箱根竹と呼ばれる直径1cmほどの細いメダケを使い、
10数本ずつ束ねて杉綾模様で編んでいく。
沼津御用邸や若山牧水記念館などで目にすることができる。

      沼津垣
                    沼津垣
桂垣
桂離宮のものを原型とする竹垣の形式。横に使った竹穂を縦に扱った割竹で
間隔をおいて押さえる竹塀式のものと、生きた竹を折り曲げてそのまま垣と
するものとがある。

      桂垣
                    桂垣

       光悦垣
                   光悦垣
旅・散策・イベント

最高齢の「はな子」さん

2015年12月03日
「小寒」の日、井の頭公園で「かいぼり」をみたあと、武蔵野の自然林の中を
自然文化園の動物園で楽しんだ。
お目当てのゾウのはな子は寝部屋から運動場に出ていた。さすがにお歳!
左後足をプラプラするだけで移動せずにいる。上野のように仲間もいない。
寒くない? 淋しくない?と声かけたくなった。

        はな子 
                 はな子      井の頭動物園

もっとも大きい哺乳類はシロナガスクジラ。次がアフリカゾウで、誕生時の体重は
約120kg、12年でおとなになると、7.5㌧にもなるゾウもいる。寿命は70年。
アジアゾウは4~5㌧と少し小さい。

アフリカゾウの耳は大きく三角形、長い牙。アジアゾウの耳は小さく丸みを帯びる。
アジアゾウの牙は短く、メスにはないことも。
頭の形が平なのがアフリカゾウで、2つの山があるのがアジアゾウ。
アフリカゾウは気性が荒いが、アジアゾウは比較的温厚で、人間によく慣れるとか。
両種の違いは、耳の形しか知らなかったが、大きさも性格もずいぶんと違うようだ。

はな子は戦後、最初に来日した(1949年に上野動物園、1954年に井の頭動物園)
戦争中に餓死させられたゾウ花子の名をついだ。推定1947年生れの68歳。 
日本国内の最高齢のアジアゾウ。  (動物園も長寿社会動物園のゾウたち
ちなみに、オスのアジアゾウとしては多摩動物園のアヌーラ。推定1953年生れ。
アフリカゾウでは多摩動物園のメスアコが推定50歳。

         はな子
                 「はな子のくらし」 *Click!

これまで与えたエサは、バナナ、さつま芋、キャベツ、小松菜、人参など。
だが、2011年12月ごろから高齢による体調、嗜好の変化がみられるようになり、
さまざまなエサを与えて健康管理を行っているという。  
まともな歯が1本のため飼育係が毎日、「はな子スペシャル食」をつくるそうだ。 
はな子は暑さには意外に弱く、打ち水や公開時間を減らしたり、体を冷やす
茄子や園内に生えるドクダミを摘んで与えたりと、さまざまな工夫をしているという。

野生のアジアゾウの寿命は60年といわれるが、動物園のゾウは寿命が短く
野生の半分以下しか生きられないとする研究結果が報告されている。
はっきりとした理由はわかっていないが、ストレスと肥満が関係するらしい。

       上野
        若いアジアゾウ(雄 推定1998年生れ) 上野動物園

上野動物園には、1977年から98年生れのメス3頭、オス1頭のアジアゾウがいる。
はな子の長寿は仲間がいないためにストレスが少ないからか? (ゾウの鼻
野生のアジアゾウの寿命を超えた。1年でも長く生きてほしい。
動物など

童心にかえって

2015年12月02日
井の頭公園で「かいぼり」を見て自然文化園へ。   (かいぼりが始まって
水生物園では魚類や蛙などの両生類、水性植物など比較的ゆっくり見て回った。
わが庭で昨年みつけたカエルはやはりツチガエルだったことを確認できた。
白鳥、鷺などの水鳥はパス。いわゆる水族館とは違って、静かにゆっくりと楽しめる。

歩道橋を渡って動物園(本園)へ。
「モルモットふれあいコーナー」から子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。
当日生まれたてのモルモットが2匹、それぞれのケースに入っていた。
あまりにも小さいため、母親とともにいなければハムスターと間違えるところだった。

         モルモット
                  「本日生まれました」
   モルモット
        茶色    生れたて  白と茶色ツートン

「リスの小径」は、ニホンリスが暮す空間に自由に入り、通り抜けることが
できる。何匹くらいいるのだろうか、目の前でリスたちが動き回る。

       リス
                 めまぐるしく動き回るリスたち
     リス
                  じっとしているリスをみつけた
   
「指をかまれないように」といった注意書きがあった。そういえば、子どもたちが
小さいときに飼っていたリスに指をかまれたことがあった。結局、慣れることなく
逃げられた。リスはもともと野生、小さなケージの中で飼うのは可哀そうだった。

武蔵野の自然林の中で、久しぶりに童心にかえって身も心もリフレッシュ。
上野の森もいいが、井の頭の自然文化園の森はまた訪れたい場所だ。
動物など
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