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江戸期の狛犬 大田区 Ⅰ

2016年01月31日
昨年秋から大田区内の道標めぐりを始めた。20数年前に区内の神社に
いる子連れの狛犬をクロッキーをしたことを思い出した。地図上の60社を
すべて廻り「狛犬めぐり」は終了した。当時は狛犬を見れば昭和生れか、
明治生れか・・・つくられた時代がおよそわかるようになるほど夢中になった。

大田区内最古の狛犬は六郷神社のユーモラスな狛犬。(大田区最古の狛犬

『神霊矢口渡』で知られる新田義興(よしおき)を祀る新田神社には、昭和生れの
新しい狛犬があるが、機械彫りなのか、個性なく印象が薄い。
境内に残る古い狛犬は、足利基氏家臣の畠山一族の者、その血縁者の末裔が
神社付近に来ると雨を降らし、うなり声を上げたという言い伝えがある。
吽像は戦災で失われ、現在は阿像1体のみ。造られた年代ははっきりしないが、
江戸時代のものらしい。              (歌舞伎『神霊矢口渡』 Ⅰ 

      新田神社
      「唸る狛犬」(阿像のみ残る) 江戸期?  新田神社 (矢口1)

由良兵庫之助など新田義興の家臣10人を祀る十寄神社には、それぞれ
2体の子どもを連れた昭和生れの阿吽像のほか、本殿前の砂利に直接
置かれた小さなどちらも「阿」像がいる。画は昭和生れの狛犬のみ。

   十寄神社
           享保3年(1718)   十寄神社 (矢口1)

羽田神社の狛犬は珍しい。下面に仔犬が彫られている。
                 羽田
               文政2年(1819)  羽田神社 (本羽田3)
 羽田
               
洗足池の畔にある八幡神社は、源頼朝の旗挙げ八幡とも言われている。

    千束八幡
            天保8年(1837)   千束八幡神社 (南千束2) 

今年の元旦、初日の出を拝んだあと、新田神社への途中で立ち寄った
六所神社は、子どもがいない狛犬のため、20数年前には描いていない。

     六所神社
           天保10年(1839)    六所神社 (下丸子4)    
旅・散策・イベント

大田区最古の狛犬

2016年01月30日
大田区内の神社をひと月かけて自転車で回ったのは20数年前のこと。
おそらくどこかの神社で子連れの狛犬を発見?したことがキッカケだった。
小さなスケッチブックだけを持ち、地図で神社を探しながら60数ヶ所の区内
ほとんどの神社をまわった。スマホもタブレットもなかったころだ。

子連れ狛犬の場合には5分クロッキーをし、制作年、子や毬の有無などを
メモした。(招き猫から狛犬へ狛犬迷だったころ品川神社の狛犬

狛犬の起源はペルシャやインド地方。日本ではその異形な姿を犬と思い、
日本犬とは違う異国の犬、すなわち高麗の犬と考えた。従って狛犬と獅子と
形を混同したものもあるが、平安時代には明確に区別されていた。
たとえば、清涼殿御帳や天皇皇后の帳帷の前に口を開いたのを獅子として
左に、口を閉じ頭に角を持つものを狛犬として右に置いた。

しかし後世になると混同され、寺社に置かれた獅子は次第に犬の形に近づき、
狛犬と呼ばれるようになった。獅子の勇壮な形姿が喜ばれ、もっぱら獅子舞が
広まり、狛犬の舞踊は衰退したという。
つまり、狛犬はもともと獅子を表現するもので、宮中や陵墓、神社仏閣などの
聖域を守護し、邪悪の出入りを禁ずる目的をこめて置かれた鎮獣と考えられる。

昨年冬からは神社に立ち寄ると、子連れでなくとも狛犬たちをカメラに収めたが、
やはり江戸期に造られた狛犬に魅かれる。

大田区最古の狛犬は六郷神社の愛嬌のある狛犬。以前は社殿前にあったが、
現在は前庭に置かれている。
六郷神社には、ほかに大正8年の狛犬が鎮座している。

 六郷神社
           貞享2年(1685)      六郷神社 (東六郷3)
        六郷神社

江戸時代につくられた狛犬は、六郷神社のほか六所神社、新田神社、十寄神社、
千束八幡、馬込八幡、子安八幡、御嶽神社にみられる。(江戸期の狛犬 大田区
旅・散策・イベント

空港のある大田区

2016年01月29日
大田区では、地域として外国人の過ごしやすい環境整備を進めている。
観光庁により外客受入戦略拠点に選ばれたことを受け、蒲田には
外国人旅行者が安心して飲食・買物・観光ができる店舗や宿泊施設など、
「大田区ウェルカムショップ」「大田区まちかど観光案内所」が開設された。
東急線の駅や街でこういったポスターをよく見かけるようになった。

羽田空港国際線旅客ターミナルの到着ロビー内には、空港直営の「観光情報
センター」の一部として「大田区観光情報センター」が、また、京急線品川駅
ホーム構内に「大田区観光情報コーナー」が設置されている。

昨年12月半ば、京急蒲田駅直結の商業施設ウィングキッチン京急蒲田内に
大田区観光情報センターがオープンした。
ここでは、多言語対応による区内・近隣観光地の観光案内のほか、工芸品、
地元のスイーツ等の販売、和室やテーブルで日本の伝統文化文化が体験できる。
たとえば、茶道体験(¥3500/1h)、華道体験(¥5000/1h)、書道、(¥2500/1h)、
着つけ(¥3500~4000/1h)などのほか、マンガ体験(¥3500/1h)といったものまで。
小物手作り、折り紙、簡単日本語・日本のマナーなどは予約も体験料も不要。

ラッピング電車が登場するなど、「新空港線」(「蒲蒲線」)の動きも活発になっている。
「蒲蒲線」は、およそ800m離れている東急・JRの蒲田駅と京急蒲田駅を接続し、
京急空港線と東急多摩川線を連絡する新路線の構想。

      東急線
            東急池上線          駅に貼られたポスター     

実現すれば、東急東横線・東京メトロ副都心線・西武池袋線・東武東上線や
接続する各線の沿線が結ばれ、渋谷や新宿、また埼玉方面などの羽田空港
アクセスが飛躍的に向上するといわれている。
将来的な航空需要の増加に対応するため、新空港線「蒲蒲線」の役割は大きく、
また蒲田駅と京急蒲田駅を連絡する鉄道の整備は、大田区の長年の悲願とか。

新空港線の啓発活動の一環として夏に募集した「蒲蒲線」の標語の最優秀作品と
絵画の全入賞作品を車体に描いたラッピング車両が、昨年12月20日からの
約2ヶ月間、多摩川線と池上線を走っている。
多摩川線も池上線も比較的よく利用するので、このラッピング車両を見かけたのは
昨年暮、今年になって1度だけ乗る機会があった。

      新空港線

このところ、電車のダイヤの乱れがひどいように感じる。自分が乗っている路線の
遅れならともかく、乗入れによる他の路線でのトラブルの影響は勘弁願いたい。
東急東横線も東上線、有楽町線、副都心線と乗り入れ、そこに西武が接続され、
いずれ東横線には相鉄線が日吉から入ってくるらしい。
「蒲蒲線」が実現して羽田空港へのアクセスがよくなる地域も多くなるだろうが、
こうして相互乗入れが増えていけば、遅延も日常茶飯事になっていくのだろう。
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江戸期の「道しるべ」 大田区 Ⅵ

2016年01月28日
道しるべには庚申塔や富士講碑を兼ねたものも多い。
富士講は江戸時代に成立した民衆信仰の1つで、また、富士山とその
神霊への信仰のための講社を指す。特に江戸中心に関東で流行した。

大田区の富士講は、講で集まり富士山に登り参拝後、大山、江ノ島、
金沢八景などを巡る信仰と遊びを兼ねたものと思われる。
また、月に一度ほど集まり、経文などを唱えたという。
多摩川沿いや羽田近辺で数多くの富士講がある。羽田神社、浅間神社
(丸子橋)、浅間神社(大森)、三輪厳島神社、六郷神社、安養寺など、
神社に5基、寺院境内に2基、そして唯一、路傍に立つのが「富士講燈籠」。

富士講燈籠 大田区指定有形民俗文化財 
品川と池上に至る道に「道しるべ」を兼ねた常夜灯で大田区最古のもの。

      富士講
           富士講碑と富士講燈籠   (南馬込2)   

村人には「東のお灯籠」と親しまれ、富士登山の際には近くの北野神社に
参籠し、この燈籠の前で講中の人々が祈願してから出発したと伝えられる。
馬込村を中心とする富士講縦川講の願主、世話人をはじめ約200名の
名が刻まれ、また世話人として村内の禅宗萬福寺が加わっている。

    富士講燈籠
          富士講燈籠  文政7年(1824)  高さ2.3m

台石の銘文  「北 品川道 馬込村」 「南 池上道」
笠石の銘文  右 「金毘羅大権現」 正面 「富士仙元大権現」
          左 「石尊大権現」   背面 「秋葉山大権現」       

     富士講碑
                  富士講碑

東海道常夜燈  大田区指定 有形民俗文化財  
江戸後期、東海道筋に通行人の目印として、大森村を中心に江戸、川崎などの
富士講の人々が建てた常夜燈。
もとは「谷戸の宿」(大森中1付近)にあったが、関東大震災により倒壊、破損した。
その後、東海道が第一京浜国道として拡幅された際、台石などは地元旧家に保管、
さらに三輪神社境内など転々とした後、三輪公園に移設された。(1986年)

     常夜燈
          東海道常夜燈  (大森西5) 大森三輪公園内                        
  
その際、戦災で失われていた火袋、竿石を修復し燈籠として復元した。
台石の彫刻は富士山が庚申の年に出現したという伝説を表わしている。
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ヤドリギ

2016年01月27日
      ヤドリギ   ヤドリギ科ヤドリギ属  

        学名  Viscum album
        別名   ホヤ ホヨ トビヅタ   
        分布   沖縄を除く全国

         寄生木

ヤドリギ(宿木 寄生木)は、広義にはヤドリギ類 (mistletoe) の総称的通称だが、
狭義にはそのうちの日本に自生する Viscum album subsp. coloratum の和名。

その幹から養分などを 吸い取って生息する常緑樹。 雌雄異株。
葉は2枚ずつ付き、早春、淡黄色の小花を咲かせる。
11~12月、二叉の枝の分岐部分に6mm位の球形の淡黄色の実をつける。
実の中には 粘り気成分のある種子があり、この実を鳥が食べると嘴やフンで、
種子の中の粘性物は、ほかの樹にくっつき、そこで芽生えて寄生する。

宿主は、桜、欅、榎、栗、ミズナラ、コナラ、ブナ、ヤマナシなどの落葉樹。
宿主が落葉すると、この形が遠くからでも、宿主の枝から垂れ下がった団塊状の
株が目立つようになる。
 
あしひきの 山の木末(こぬれ)の 寄生(ほよ)取りて 挿頭(かざ)しつらくは  
千年 寿()くとぞ   万葉集 大伴家持


 欅
        ケヤキ 2015.4    新田神社   2016.1.1

新田義貞の次男義興(よしおき)を祀る新田神社には、樹齢700年余の欅がある。
この欅の前の案内板には、過去に落雷や戦災によって、幹が大きく裂けているが、
毎年新緑の季節には青々とした葉を繁らせる。上部には、とても珍しい「宿り木」が
寄生しており、早春、淡黄色の小花が咲く。このために、このご神木に触れると
「健康長寿」「病気平癒」「若返り」の霊験があるという古老の言い伝えがある。

とあるが、この冬、何回か探したが、残念ながら目に入るのは葉を落した枝だけ。
植物など

1月の空から

2016年01月26日
昨日25日は、全国的にこの冬一番の厳しい冷え込みとなった。
わが庭でも蹲に氷が張り、筧(かけひ)から流れ落ちる水が凍っていた。

       凍る
            氷の厚さは1cmはなかったが・・・

人は空の下で生きているのではなく、空の中で生きている。
雲を愛でる会(The Cloud Appreciation Society)の主宰者はイギリスの
『雲の楽しみ方』の著者でもあるギャヴィン・プレイター=ピニー氏。 
彼のプレゼン「曇りの日こそ楽しもう」をYoutubeで観て入会しようかと思った
ときもあったが、そのままになっている。

この会の活動内容は、ただ空を眺めて雲に妄想を膨らませるといった
いたってシンプルなもの。
「創造的な刺激を得るために旅を計画する必要はありません。ただ上を
見て下さい」「空には想像力だけを浮かばせ今を楽しみましょう。・・・
気分がすっきりし、アイディアも創造性に対しても魂にとっても大事なこと、
いつも空を見上げましょう。つかの間の美しさに心を躍らせて雲の中に
心を遊ばせることを忘れないで下さい」


       1.24
         16:55    2016.1.24      17:00

     1.3 7:20
                 2016.1.3
                     
たしかに空を見上げていると、過去のことも先のことも忘れてしまう。
ギャヴィン・プレイタ氏のいうように、創造力も豊かになるかはともかく、
空の雲を眺めているだけで幸せな気分になれる。安上がりな気分転換だ。

雲を愛でる会の会員たちが紹介している雲のように珍しい雲でもないし、
それほど面白い形をしているわけではないが、同じ季節でもバラエティ
豊かなここ数年の雲たちをあらためて眺めるのは楽しい。
1月の雲に絞り、とくに気にいった数枚を選び出してみた。

2010年
    1.27 17:00
            1.27    東急線御岳山駅より  
2011年
        1.1717:00
                     1.17 

       1.27 14:00
                    1.27      都庁より
       1.27 14:00

2012年
        1.6 11:40
                      1.6        上野公園
2013年
        1.21 9:30
                      1.21
2014年
      1.10 11:40
                    1.10
2015年
      1.6 10:30
                     1.6               
旅・散策・イベント

「下町ボブスレー」の町

2016年01月25日
大田区の町工場の技術を結集した国産そり「下町ボブスレー」がジャマイカ代表
とともに2018年の韓国の平昌(ピョンチャン)五輪を目指すことになった。

「下町ボブスレー」は大田区の中小・零細企業などのべ100社が世界一軽い
そりを目指して開発した氷上のF1とも言われるボブスレー用のそりの愛称。
世界の強豪チームのそりはBMWなど名だたる車メーカーが開発している。
5年前、下町ボブスレープロジェクトがスタートした。
 
     ボブスレー
                         「下町ボブスレー」公式サイトより     
       
大田区は、金属加工や板金など高い技術を持った職人たちが多くいたが、
少子高齢化による後継者の不足などで、ピークには9000社以上の町工場が
今では半分以下になっている。

独自に開発したそりで日本代表が活躍すれば、世界に大田区の技術を
発信することができると考え、日本の町工場の技術力を世界に示そうと
大田区の中小企業が集結した。だが、2年前のソチオリンピックで不採用に。
改良を重ねたが、昨年11月、平昌(ピョンチャン)五輪でも不採用が決まった。
ほかの国の代表チームへの提供を模索してきた結果、ジャマイカ代表の
採用が決定したいう。

昨年10月、下町ボブスレーで有名な(株)マテリアルの地元である
水門通り商店街で開催された水門通りまつりでは、ボブスレー1号機が
展示されたという。
水門通り商店街は、京急雑色駅を下車、第一京浜を渡ったところから
多摩川付近まで続く商店街で、その先には六郷水門がある。
はるか昔、Kさんたちと描きに行き、本画にもした懐かしい水門だ。

この水門がある付近はかつて狛江から六郷まで流れていた六郷用水
(農業用灌漑用水路)の多摩川への排水口で、周辺の発達とともに
水運や生活排水の排出口の役目も果たしていた。その後、度々起こった
六郷用水の氾濫を防ぐため多摩川改修工事(1918~1933)の一環として
造られた。現在はその役目を終え、昭和初期の土木遺産となっている。

      六郷水門
             10号本画        六郷水門
  
今月初め、古川薬師を訪ねた。京急雑色駅を下りて左に行くべきところ、
勘違いして右へ右へと「水門通り」を行った。20分ほど歩いてやっと道を
間違ったことを知って戻った。途中、魚屋さん、八百屋さん、喫茶店など
通りのいたるところで「日本からの挑戦」「再・挑戦」のポスターを目にした。

    ポスター2016.1.5
        「再・挑戦」のポスター  水門通り商店街     

ジャマイカ代表の採用が決まり、もともと活気がある「水門通り商店街」は
今年はますます活気を呈していくことだろう。
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「クックパッド」に給食レシピ

2016年01月24日
今日は「学校給食の日」。文部省(現在の文部科学省)が1950年に制定。
山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で貧困児童を対象に無料で学校給食を
実施したのが明治22年(1887)。これが学校給食の起源とされる。
全国学校給食連合会の「学校給食の歴史」をみると、このときのメニューは
おにぎりと漬物に焼き魚だけだったという。

1922年、東京府直轄の小学校でパンによる学校給食が開始された。
1946年12月24日、東京、神奈川、千葉の三都県の学校で試験給食が、
翌年1月24日から全国の約300万人の児童に対して給食が開始された。
この年の4月、「6・3・3制」新学制が発足。

1952年2月から完全給食が全国市制地にも拡大実施され、4月に至り
全国すべての小学校を対象に実施されたとある。このころのメニューだが、
「全給連」のサイトには、コッペパン、ジャム、脱脂粉乳、クジラの竜田揚げ、
千切りキャベツ、そして懐かしい「先割れスプン」が写っている。

給食の1ヶ月分のメニューを載せている小学校はあるが、最近は足立区や
日野市など、自治体が学校などの給食のレシピを紹介する専用のページを
「クックパッド」内に相次いで開設しているという。
「クックパッド」は、200万品以上の料理レシピを検索できる国内最大のサイト。
食材やキーワード、調理方法をもとにレシピを検索できる。

日野市は、市立保育園が専用ページを開設し、園で実際に食べられている
給食のメニューが19品ほど紹介されている。
足立区の「東京あだち食堂」を覗いてみると、どれも美味しそう。
足立区が目指すのは「日本一おいしい給食」。化学調味料を一切使わず、
天然だしのうま味を生かした薄味で、ルーやソースもすべて手作りという。

      クックパッド

身体が温まりそうな「ベジ♪あったか♪みそクリームスープ」を開いてみた。
材料は玉ねぎ、人参、えのき茸、しめじ、ベーコン、サラダ油にみそ、牛乳。
そして、材料の下に近くのお店のチラシ・特売情報を見る(無料)とあり、
足立区の店だろう、新玉ねぎ 延岡産1玉198円(税抜)が載っていた。

クックパッドでレシピは検索したことはあるが、店の情報までは・・・。
掲載店舗は20,064店とか。郵便番号を入れるだけでわかるとはさすがだ。
ためしにわが郵便番号で検索してみると、近くのスーパーやコンビニなどの
特売情報が出てきたのには少々驚いた。

コッペパンが中心だった給食に食パンが登場、最近は菓子パンが増えたという。
ご飯の日も多いが、「ジャージャー麺、フライドポテト、サイダーポンチ、牛乳」
「チョコチップパン、ワンタン、ポテトチップス、果物、牛乳」といった献立・・・。
コッペパンに脱脂粉乳時代とは隔世の感。 (懐かしの給食学校給食の日
つれづれ

カレーといえば

2016年01月23日
カレーは、多種類の香辛料を併用して食材を味付けするインド料理の特徴的な
調理法を用いた料理に対し、欧米人が名付けた呼称。

日本では明治時代に当時インド亜大陸ほとんどを統治していたイギリスから
イギリス料理として伝わった。それを元に改良されたカレーライスは「国民食」と
呼ばれている。日本でカレーといえばカレーライスを指す場合が多い。
インド系、東南アジア系、洋食系の何れも現在では国際的に人気のある料理。

コンビニほどではないが、たいていの街に1軒くらいはカレー専門店がある時代。
こういった店にはナン、チャイやラッシー目当てで訪れることが多い。
 
        インド料理店
              カレー専門店のカレー    川崎アトレ
 
東京大学本郷の正門前にある「喫茶 ルオー」のカレーは、創業以来変わらぬ味。
食事はセイロン風カレーのみ。今も人気メニューらしい。 

      ルオー
            ルオー           セイロン風カレー

今は亡き父がよく行き、「ルオー」のマッチを持ち帰ってきた想い出がある。
赤門前にあったころの話だ。数年前、スケッチ後に訪れたとき、父と懇意に
していたオーナーではなかったが、店内の落ち着いた雰囲気もマッチや
木製のテーブルや椅子は変わらない。   (喫茶ルオーと父
             
      デニーズ2010
      南アフリカ風レッドトマトビーフカレー   デニーズ

6年も前になるが、デニーズでFIFAワールドカップ南アフリカ大会の開催に
合わせた「世界のカレーツアー」があった。欧州カレー、インド風カレー、
南アフリカ風カレー2種(うち20円を途上国に寄付)、日本風のカレー2種と
6種類のカレーのメニュ―に迷った覚えがある。(サッカーW杯も終わって

ルーを使うカレーは好きではない。何だかカレーが無性に食べたくなってきた。
キーマカレー? チキンカレー? いつどこの店に行こうか。
旅・散策・イベント

医食同源のカレー

2016年01月22日
今日は「カレーの日」。全国学校栄養士協議会が学校給食開始35周年を記念して
1月22日の給食のメニューをカレーにすることに決められて全国の小中学校で
一斉にカレー給食が出された。(1982年)
今ではすっかり家庭の定番メニューになったカレーが初めて日本に入ってきたのが、
江戸幕府が鎖国を止めて横浜を開港した安政5年(1858年)だという。

カレーといえばインドやスリランカのスパイス料理。インドのカレーはイギリスを経て
入ってきた結果、日本のカレーとは別のものとなった。
ほとんどすべてのスパイスはインドやスリランカで作られている。

インドでは胃腸薬だときいたことがある。その薬効が科学的に解明される前から
大昔の人々は効果を実感していたようだ。
また、カレーを食べることでスパイスの刺激によって「セロトニン」という幸福感を
生み出すホルモンが分泌され脳が活性化されることも明らかになった。

最近、「薬膳カレー」という健康食としてカレーを出すお店も増えているが、
カレーは様々な薬効のあるスパイスが巧みに調合された医食同源の薬膳料理。

日本で通常食べられるカレーには、クミン、コリアンダー、カルダモン、ターメリック、
カイエンペッパー(赤唐辛子)、クローブのほかにもコショウ(黒、白)、シナモン(桂皮)、
ニンニク(大蒜)、生姜、マスタード、フェンネル(ウイキョウ)、サフラン、ミントなど
約30種以上のスパイスが含まれているという。

着色
ターメリック(ウコン) 漢方薬の代表。肝機能の促進、動脈硬化の改善、
コレステロール減少、活性酸素の除去、ガンの発生・促進の抑制、健胃作用など。
カレーの色付けに使われているスパイスで、二日酔いに効くとされているのは
ターメリックに含まれるクルクミンは、胆汁の分泌を促しアルコールの分解を助け、
肝機能を高めることから。また、花粉症にも効き目があるという。

      赤唐辛子

辛味
カイエンペッパー(赤唐辛子)  痛み止め、健胃剤、風邪、デトックス。
少量の摂取で血管拡張を促し、免疫システムの向上にもつながる。 

ほかにジンジャー(生姜)、白・黒ペッパーなど。

香味
クミン 食欲増進、消化促進、胃腸痛の緩和などの効果。
瞬時にカレーだと判断できる香りの主成分。ほかに辛みもあり。
このクミンがなくてはカレーは作れないといっても過言ではない。

コリアンダー 強力なデトックス効果、殺菌作用、食欲促進、消化促進の効果。
香菜(xiang cai)パクチーを乾燥させたカレーに欠かせないスパイス。
桂花会の集まりにSさんがこの香菜を使ったひと品をつくってきて下さることがあり、
食卓が賑やかになる。好き嫌いが分かれるという香菜、私は大好きだ。

      香菜

カルダモン 健胃剤、消化整腸剤、食欲増進。
アロマテラピーでもよく精油が使用されるインドで最も古いスパイスの1つ。
芳醇な香は「スパイスの女王」と呼ばれる。漢方では去痰剤などとしても使われる。
カルダモンを摂取すると脳の前頭葉の酸素消費量に変化が起きる結果、
脳が活性化し集中力が増すといわれている。

クローブ(丁字) 心筋梗塞、動脈硬化、糖尿病、リュウマチの予防、
消化促進、免疫力向上、アンチエイジングなど多くの作用。
ポリフェノールなどの抗酸化成分が高濃度で含まれ、スーパーフードと
言われ、漢方の分野からアロマテラピーの分野まで大変重宝されている。
クローブの香りは害虫を寄せ付けないため身体に優しい防虫剤とも。

       瓶入りスパイス

白・黒こしょう、ナツメグ、ガーリック、シナモン、赤唐辛子、セージ・・・
わが家のキッチンにあった瓶入りのスパイスがあった。
植物など

「真田」色に染まりそう

2016年01月21日
今日は24節気の1つ「大寒」。寒さが厳しくなり、一年中でもっとも寒い時季。
初候:欸冬華(欸冬華さく)    蕗の花が咲き始めるころ
次候:水沢腹堅(水沢腹く堅し) 沢の水が厚く張りつめるころ
末候:鶏始乳(鶏始めて乳す)  鶏が卵を産み始めるころ


今年のカレンダーづくりは遅くまでかかったため、りんりんが昨年末までの
2年間に訪れた城をA4大の紙に並べたものがやっと完成した。
昨年訪れた城が多く、レイアウトに予想以上に時間をとられたが、
なかなかの出来栄え? りんりんが大喜びしたのはいうまでもない。

    城
                               松本城

現存天守の国宝5城のうち姫路城 彦根城 松本城 犬山城は訪れた。
あとは松江城のみ。三大名城の熊本城、大阪城、名古屋城は訪れたが、
重文の城は四国に多く、なかなか訪れる機会がない。(りんりん大阪へ

彼が真田信繁(幸村)のゆかりの地を訪れたのは、今年の大河ドラマが
『真田丸』と発表された年だった。(ある日の兄と弟丸の内に戦国武将
この年の5月、彼の好きな武将ベスト3の伊達政宗、上杉謙信、真田幸村は、
10月には真田幸村、そして直江兼続、加藤清正にかわっていた。

      2799no4.jpg2015.8
        幸村の甲冑  「真田丸」のジオラマ  丸ビルにて    

「真田丸」は、豊臣勢の大坂城を包囲する徳川勢から守るために真田信繁が
築いたとされる出城。大坂城の南、上町台地の丘陵地に築かれ、東西180m、
三方に濠を配し外側に三重の柵を、徳川方の前田勢を引き付け撃滅させた。
 
      本城跡2014.11
                真田氏本城跡    上田市

一昨年秋、「この変な幟?があるとヤル気が出るそうです」と長野のホテルで
宿題中のりんりんの画像が母親から送られてきた。この「六文銭」の幟は
「定価2200円が半額」だったとのこと。
これでヤル気効果が数ヶ月つづけば安いものと思ったものだが・・・。
なぜか今、たいした効果も認められないままわが家にある。

     ホテルで

大河ドラマはずっと見ていなかったが、今年はりんりんと話ができるように
『真田丸』を見ることなりそうだ。
これを機会に『真田三代の挑戦』(「歴史再発見」 講師 平山優)を聴き始めた。
(NHK第2 1月~3月 毎週火曜) さらに『真田幸村と真田丸』(渡邊大門 著)を
借りて読み始めた。なかなか忙しい。
『竜馬がゆく』は5巻でストップ。頭の中で混乱したまま幕末維新は後回しだ。
身近な人びと

雪の中を

2016年01月20日
1月18日の雪の朝、りんりんのところへ行く用ができた。 (雪の朝
いつもは自転車、たまに電車で行く。この日は歩いて行ったが、踏切で
電車が通るのが見えたので、駅へ回ってみた。
電車は動いていたが、ホームと改札の外まで乗客であふれていた。

      駅9:20

「とても乗れないわ・・・!」と改札を出てきた女性、歩いて行くつもりか、
混雑がおさまるまで時間調整? だが、この駅周辺には喫茶店もない。       

彼の家まで25分かかった。その間にコートの袖はびしょ濡れになった。
強い風にあおられる度にビニール傘は「おちょこ」になって濡れるし、
歩き方が悪いのか左の踵近くが滑って何度も転びそうになった。

彼の家を出たのは10時近く、相変わらず風雨は強い。

 行列10:20
            階段も2店舗の前も・・・  

雪が谷大塚駅の階段下には駅からつづく人々の列。動き出した電車に
乗りきれない人たちが辛抱強く待っている。
      
       駅   
          「5時現在、東急線は雪の影響により・・・・」
       改札10:25

改札口まで行ってみると、「急告」の掲示。ホームは乗客がぎっしり。 
混雑が緩和されるのを待とうと、改札口前のドトールに入るが満席。
少し歩いてモスバーガーへ。何とか席を確保、しばしのコーヒータイム。

駅に戻ると、まだ、速度規制が行われ、混雑はつづいていた。
幸い急いで帰らなくてもいい。ドコモショップはこんな日は空いているはず。
予想的中、いつもは混んでいて1時間近く待つのだが、店内はガラガラ。
用件はいつでもいいものだったが、お陰で待っている人を気にしなくていい。
タブレットを持ち歩くときはWiFiを切っておいた方がいいのだろうか?
詳しく説明してもらったり、「dカード」に切り替える手続きをするといった、
ちょうどよい時間調整になった。  

       ホーム11:40

そして駅へ。すでに混雑は終わっていた。ホームにはいつもより人が少なく、
1、2番線とも行先と発車時分が表示されていなかったが、まもなく電車が来た。
さすがに空いていた。

今日は桂花会の中国茶の集まり。寒いがいいお天気になりそうだ。
また、「週末に雪」の予報が出ている。まだまだ冬本番。春が待ち遠しい。
旅・散策・イベント

雪の朝

2016年01月19日
18日の朝、雨戸を開けるとベランダの手すりにはすでに積雪5cmほど。
欅も庭の紅梅、楓、槇もすっかり雪化粧。
 (5:30  6:50  8:00  14:40  16:40  17:00)

  朝
     午後
        
新聞配達の人の足跡、自転車の跡・・・
 (5:30  6:50  7:20  8:50  12:50  14:40) 
 
     朝                                  
   朝
       午後          
旅・散策・イベント

江戸期の道しるべ 大田区 Ⅴ

2016年01月18日
大田区内にある江戸期の道標は庚申塚や馬頭観音を兼ねるものが多い。
                  (江戸期の道しるべ Ⅰ) 

南千束の庚申塚道標   中原街道                    

      庚申塚
               文化11年(1814)

右面には「従是九品佛道」 正面に「庚申塚」の陰刻、頂部に「日月」の陽刻
九品仏浄真寺(世田谷区)への道。

妙福寺 馬頭観音像道標 (南千束2) 区指定有形民俗文化財   
           
   妙福寺
                  天保11年(1840)                   

洗足池畔の妙福寺境内にある馬頭観音像は、馬の健康と冥福、交通安全を祈って
地元の馬医師や馬主らにより建てられた。
中原街道と碑文谷から池上に至る道との交差するところにあったものを移設。
馬頭観世音像の下は、角柱型の道しるべを兼ねる。

各面には「北 堀之内碑文谷道」「東 江戸中延」「南 池上大師道」「西 丸子稲毛」
というように、東西南北のそれぞれの方向を示す地名が示されている。
碑文から、もとは中原街道と碑文谷ー池上を結ぶ道との交差する地点に
建てられたと推定される。
江戸時代後期の民間信仰、交通史を考える上で貴重なもの。

石川町の石橋供養塔  区指定有形文化財  (石川町2)
          
      石橋供養塔
                         安永3年(1774)

呑川沿いの遊歩道の入り口に、高さ1.5m余りの石碑が立つ。
表面には「南無妙法蓮華経」、その下に「石橋供養塔」と刻まれている。

中原街道で、呑川を渡るために掛けられていたのか、雪ケ谷村の村民が
石橋の安泰を願って建てた供養塔という。石橋そのものは現存しない。
一般に石橋供養塔は他の民間信仰の供養塔を兼ねたものが多いが、
石橋の無事と通行人の交通安全だけを目的に建てられた貴重なもの。
旅・散策・イベント

好きなものは・・・?

2016年01月17日
じゅんじゅんを預かった日、思い立ってごんさんと野毛山動物園(横浜市)に
連れて行った。ミッフィ―の『どうぶつえんで宝さがし』というビデオを繰り返し
見ているせいか、ビデオに登場するキリンとシマウマが大のお気に入り。

    キリン
                  走り出して・・・    

    モルモット
                       恐る恐る・・・
         ニワトリ

「かがやき」のヘルメットをかぶって補助輪付の自転車練習
      練習中
                  前に 後ろに 横に  兄の支え?

旧いパソコンは兄りんりんの玩具に
      見学
                   ぼくもやりたいな・・・

リンゴ、ミカン、ブドウ・・・果物大好き。ジュースになってもゼリーになっても。
リンゴを剥くのを見ていたじゅんじゅん、「こんなことができるんですか~」と。
たまに飛びだすこういったことばは、『おさるのジョージ』などビデオの影響か、
保育園で覚えたのか?
最近はウォーターサーバーから水を汲むこともできる。ズボンや靴下の着脱、
ファスナーの開閉・・・できることは日毎に増えていく。
身近な人びと

ノートといえば・・・

2016年01月16日
1970年の販売開始から12億冊以上売れた「ジャポニカ学習帳」。
動物や植物の表紙が多いが、昨年末、「日本の伝統文化シリーズ」が登場した。
2月、ラグビーの五郎丸歩選手をデザインした「自由帳」も発売されるとか。

これまでのジャポニカ学習帳の表紙には、世界に1 枚しかないオリジナル写真を
使っていたが、テーマが自然以外の表紙は37年ぶりだという。
その第一弾のテーマは「歌舞伎」のイラストで、歌舞伎座を運営する松竹が監修、
歌舞伎への理解が深まる学習頁もある。

     ノート
      『義経千本桜』『連獅子』『菅原伝授手習鑑 車引』の表紙と解説

街の文具店、駅ビルの書店でも売っていなかったので、東京駅に行ったときに
「歌舞伎屋本舗」(1番街)まで足を伸ばして買ってみた。
B5サイズの「5mm方眼」(¥324)、A6サイズの「自由帳」が2種(¥216)。
今までの大きな桝目の「こくご」「かんじ」などの学習帳はさすがに使えないが、
今回の歌舞伎シリーズの小さな方眼や無地はメモ帳代わりに持ち歩けそうだ。

「ジャポニカ学習帳」といえば、思い出すのは「昆虫の表紙」。だが、昆虫が苦手な
子どもが増え、親や教師の希望により、お馴染みの「昆虫」 が廃止になったという。
45周年を迎えた今年、「あなたの1票が復刻を決める。歴代ジャポニカ学習帳
人気投票」(4/28~6/15)が行われた。
その結果、最も投票数を獲得したのは1970年代で約5割が投票したとか。

各年代の1〜3位までを「昆虫表紙」 が上位を独占し、合計12冊のうち10冊が
昆虫の表紙。そのうち、蝶が5種類もランクイン。各年代の1位は
1970年代の 「理科 横」(クワガタ) 1980年代 「国語 18マス」(カブトムシ)
1990年代 「漢字練習帳 200字」(蝶) 2000年代 「社会 10mmマス」(蝶)
選ばれた商品は、復刻版にセットされてAmazonで購入することができるという。

     ジャポニカ
           学習帳            街の文具店のケース                  

動植物、昆虫の表紙は、当初は画家のイラストを用いていたというが、1973年より
写真家山口進氏が専属カメラマンとして表紙写真のすべてを担当するようになった。
以前、ラジオのゲストとして出演された山口氏の話を興味深く聴いたことがあった。
NHKの『ダーウィンが来た!』などにも携わる山口氏は、世界中の美しい花や昆虫、
変わった動物を追いかけて、1年のうち10ヶ月ほど海外で撮影活動をされているとか。

ちなみに、インドネシアに咲く世界一大きく、世界一臭いショクダイオオコンニャク
7年に一度咲き2日で萎れるため撮影に成功した人はわずか。山口氏はその1人とか。
そういえば、このショクダイオオコンニャクりんりんの学習帳でみたことがあった。
つれづれ

「破魔矢」発祥の神社

2016年01月15日
鎌倉幕府を倒した新田義貞の子義興(よしおき)が武蔵国の矢口で謀殺された
10年後、弟の義岑(義峯)が上野国で戦死したことで新田氏は事実上滅亡した。
新田神社(大田区)については度々触れたが、義興の祟りを鎮めるために
創建された(1358年)新田神社は、江戸時代に入ると、将軍徳川家の祖先が
この新田家であるということより、武運長久の守り神として栄えたという。

   新田神社
           大きな破魔矢が立つ新田神社

新田神社は「破魔矢」発祥の地といわれている。
「破魔矢」は「魔」を破るもので、昔から邪(よこしま)を払う力があると考えられた。
「宝暦末より矢口新田社に参詣多し、社地に矢を売始、詣人求めて守りとす」
との記述がある。(江戸時代の『武江年表』)
新田神社門前の茶店で新田軍旗の2本のセットで売られていた。
参拝者は2本買い、1本は神殿に供え、もう1本を持帰り「矢守」にしたという。
これは、新田家伝来の「水破」「兵破」の2本の矢に由来している。

      塚
             義興の塚(直径約15mの円墳)
 
のちに新田神社に参拝した平賀源内の考案で、義興の塚にしか生えない篠竹で、
五色の和紙、新田家の黒一文字の短冊を付けて「矢守」をつくった。
江戸時代後期には他の神社でも魔除けの「矢守」を売り出すようになり、
これが「破魔矢」として正月の縁起物として今に伝わる。

福内鬼外のペンネームで平賀源内が新田神社の縁起をもとに著した浄瑠璃
『神霊矢口渡』は爆発的に当り、のちに歌舞伎でも代表的な演目となった。

昨年10月と11月、『神霊矢口渡』を観る機会があった。秩父歌舞伎を大田区民
プラザで、通し狂言『神霊矢口渡』を国立劇場で。 (100年ぶりの通し狂言
国立劇場にあった「新田神社の破魔矢を抽選で50名さまにプレゼント!」の
応募用紙を2枚持ち帰り、新田神社に設置の応募箱に投函した。(郵送不可)

   国立劇場     
       新田神社などの紹介と大田区物産展  国立劇場 2015.11.28

国立劇場で『神霊矢口渡』を観た人が、新田神社に訪れて投函する人は
50名もいないだろう。とは思ったが、締切後10日余、送ってこなかった。
抽選に外れたのだろう。
元旦、初日の出を拝んだあと、新田神社に初詣。「矢守」(¥1200)を買った。

     破魔矢
       応募箱 2015.12       送られてきた矢守 2016.1

東急電鉄から大きな箱に入った「矢守」が2本送られてきたのは8日だった。
かくしてわが家には3本の矢守が!南北朝時代などを研究されているM氏が
来週の桂花会にみえるので、差上げることにした。もう1本はりんりんに。

ちなみに、破魔矢の先が鋭く尖っていないのは、人や物が目標ではなく、
邪気、邪心などを破り浄化するためだからとか。
破魔矢を飾る場所は「神棚」「床の間」「玄関」「リビング」など、頭上よりも高く。
東面または南面に飾ると、霊力がアップするという。
矢はできれば「凶」の方位に向ける。申年は寅の方角(東北東微北)。
旅・散策・イベント

おみくじ

2016年01月14日
めったにおみくじを引いたことはないが、今年は元旦、初日の出を拝んだ後に
訪れた新田神社でひいた。数種類のおみくじがあったが、可愛らしい鯛と、
まさに釣っている若者にツラレテ「一年安鯛おみくじ」(「福をつり鯛」)に挑戦した。
釣った鯛のお腹に入っていたおみくじは、約2割の確率といわれる「大吉」。
「願望 おもう通りになる」「病気 軽し なおる」・・・よかった。さっそく鯛と「大吉」の
おみくじを記念撮影。拝殿前の木の枝に結んで気分よく帰った。

   おみくじ
         「一年安泰みくじ」(「福をつり鯛」) 

2日、りんりんたちに鯛を見せて「大吉」だったこと、木に結んできたと話すと、
「大吉」は持ち帰るものだと笑われた。今さら結んだおみくじを探せないし・・・。
3日、七福神めぐりをするべく再び新田神社へ。色紙を購入して6ヶ所を巡り
新田神社へ戻ってから「おみくじ」のリベンジ? 今度は「末吉」だった。
「願望 積極的な考え方をすれば叶う」「病気 早目に治る」ならいい方だ。
この日は迷うことなく木に結んで帰ることができた。
 
「末吉」は「小吉」より悪いのだろうか?「大吉→吉→中吉→小吉→凶」の
5段階くらいならわかるが、調べると諸説あり、ますますわからなくなった。
「大吉→中吉→小吉→吉→末吉→凶」や「凶」の後に「大凶」が加わったり、
「吉」の後に「半吉→末吉→末凶→半凶→凶→小凶→中凶→大凶」の
12段階など、細分化され、「大大凶」などもあるというから驚きだ。

吉凶にかかわらず、おみくじの教訓を自分への戒めとして持ち歩くとか、
よい場合は持ち帰り、よくないものは境内に結びつけ「凶」を留めるように
お願いするといったように、それぞれの寺社により違うようだ。

また、「凶」のおみくじを利き腕と反対の手で結べば、困難な行いを達成、
つまり修行をしたことになり、凶が吉に転じる」という説もある。
「大吉」の場合も木や専用のみくじ掛けに結び神様や仏様との縁を結ぶ、
財布や鞄に入れて持ち歩き後日縁を結びに伺う、財布や鞄にしまって
持ち歩き、翌年またおみくじを引いた時に結ぶか焚き上げてもらう説も。

     勝守
           いろいろなおみくじの案内          

いずれにしても、吉凶よりも何が語られているかが大切だとか。
ちなみに、後日、りんりんが引いた「福をつり鯛」は「末吉」だったが、
迷った挙句に正月限定の「勝守り」を選んで「カッコいい」と大満足。
つれづれ

夜明けのケヤキ

2016年01月13日
まだ薄暗い冬の空にケヤキのシルエットがくっきりと浮かび上がる。
今年は天候にかかわらず、ケヤキを毎朝記録しようと思ったが、
撮り忘れた日もたまにあったりとつづかない。   (朝のケヤキ

日の出の時刻は、1月1日から13日までは6:51、14日から17日までは
6:50、その後、2、3日ずつ早くなってきている。

2016年1月1日  6:20   
        元旦

30分後、ガス橋で多摩川に映る初日の出に感動。 (初日の出

2日 6:50   3日 6:30   4日 6:40      
      2~4日
        
6日 6:50   7日 6:50   8日 6:30 
      6~8日
  
9日 6:40  11日 6:30   12日 6:50   
      9~

12日午前4時近くに東京都心と横浜市で初雪を観測した。
都心の初雪の観測は平年よりも9日遅く、前の冬と比べると29日遅いという。
午前6時の気温は、都心で2℃と寒中らしい寒さとなったというが、わが部屋は
10℃もあった。ベランダの手すりは濡れていた。昨年末から実に久しぶりの雨。
植物など

新春の「はしご乗り」

2016年01月12日
昨日の成人の日、池上本門寺の大堂前で恒例の大森鳶組合による
「新春はしご乗り」が行われた。各所で行われる「はしご乗り」だが、
鳶職人による技の解説を聞きながら楽しめるのは本門寺だけだとか。

    大堂
                            纒が登場

6年前は大堂の階段上から観たが、今年は仁王門側で始まるのを待った。
1時からの予定が大堂内での祈祷が延びて、木遣り歌の中を纏を先頭に
練り行列が始まったのは1時半を過ぎていた。

6年前と違うのは外国人の見物客が多いこと。  (はしご乗りの妙技
だが、大田区外国語ボランティアガイド養成講座修了生による英語通訳が、
演技終了後の「梯子乗り体験」希望者を募ったが、意外に消極的だった。
高いはしご段上で「金の鯱(しゃちほこ­)」などさまざまな妙技が奉納された。
 
前のオジサンの頭と時折上がる腕が邪魔になりカメラとタブレットでの
動画撮影はなかなか難しかった。
大堂側には逆光で眩しそうにカメラを向ける人たちが目に入った。

   垂れ幕
     幕を用意して・・・ 「謹賀新年」?? 

「謹賀新年」とか「祝 成人式」だろうか、垂幕は裏側で見えなかったが、
大堂をバックにはしご乗りの妙技は十分に楽しめた。
はしごの高さは三間三尺(約6m)、纏の重さは15~20kgとか。
纒は火の粉を掃うことから縁起がいいそうだ。待受け画面に最適だとか。
 
   13:43
     13:47
はしごを下で鳶口で支えるのは12人だとか。なかなかの重労働だという。

    13:48
              背中で支えて回転・・・

途中で休憩が入ったときに見物の輪をそっと離れた。仁王門のところで
振袖姿の成人たちの記念撮影に出会った。
昨日の成人の日は東日本大震災の月命日だ。穏やかな一日だった。
旅・散策・イベント

「明るい未来」?

2016年01月11日
東日本大震災から4年10ヶ月。
東京電力福島第1原発が立地し全町避難が続く福島県双葉町は立ち入りが
制限される帰還困難区域にある。
原子炉増設の機運を高める目的で、町民らから公募した標語が書かれた2基の
看板は設置から25年前後が経過し老朽化したため、昨年12月、撤去を始めた。

      双葉町
         看板の文字板を外す作業員 2015.12.21  (河北新報より)

昨年12月、町体育館前に掲げられた「原子力 明るい未来のエネルギー
原子力 正しい理解で豊かなくらし」と表裏に記された看板(1988年設置)の
文字が外され、役場前の「原子力 豊かな社会とまちづくり」などの看板
(1991年設置)も今年になって撤去された。

「原子力 明るい未来の・・」の標語を考えた当時小学校6年だった大沼さんらが
「過ちを伝える遺物として現場に残すべきだ」と訴え、各地の脱原発集会などで
集めた6902人分の署名を今年6月、町に提出した。これを受け町は、県などが
同町や隣接する浪江町に整備予定の「復興祈念公園」に移設することを検討中。

ふくしま復興ステーションによれば、双葉町の避難者数6,997人。 
内訳は県内4,030人、県外2,967人。(2015.5現在)
市町村役場(仮庁舎設置)は、いわき事務所、郡山支所、埼玉支所など。

・双葉町の公式サイト原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録
・「福島県双葉町の東日本大震災関係資料を将来へ残す」
筑波大学図書館情報メディア系白井哲哉教授らは、福島県双葉町と共同で
東日本大震災関連資料の保全及び調査研究の成果を一般公開。(2015.4~)
旅・散策・イベント

仲良しコンビ

2016年01月10日
ケシと同じ11月に8歳になったククはなぜか親戚猫?トモと仲良し。
彼らのテリトリーは家の西側と玄関のポーチからアプローチまで。
ケシトラのいる南側にはめったに行かない。    (仲良し兄妹

陽があたる場所を追い求めて・・・
     12.9
             8:30(上)     10:40(下)

午後になると・・・
    10.14
            15:00(上)        14:00(下)
 
たまには少し離れて・・・
   10.23
                     13:00

大晦日、新年も、彼らにはいつもと変わらない毎日。
動物など

仲良し兄妹

2016年01月09日
ケシは11月で8歳になった。妹トラは5月で7歳。相変わらず甘ったれ。
同時期に生まれたアミとは仲がよくない。
彼らのテリトリーはリビングダイニングに面した南側。ほんのたまに肉やパンを
ゲットできることもある。

          10.20
                    もらえそうにない・・?               
 
         10.23
                     頼んでみてよ~~   

      10.27
                    少しまってみよう・・・
       
       11.7
                       カゴ猫
動物など

明治の正月風景

2016年01月08日
関東大震災前、東京にはまだ江戸情緒が色濃く残っていた。
江戸情緒や江戸文化について書かれた『失われた江戸をもとめて』を、タブレット
(Kindle)に入れて外出先でたまに開くことがある。
その18篇の中の1つ、柴田流星の『残されたる江戸』はなかなか興味深かった。

柴田流星(1879~1913)は明治12年、小石川に生まれた。中学卒業後、
イギリス人について英語を学び、のち巌谷小波(いわやさざなみ)の
の門下となり、児童文学の執筆やロシア文学などの翻訳を手がけたが、
34歳の若さで没した。夏目漱石の木曜会にも参加。
著書に『伝説の江戸』『東京の女』『唯一人』など、訳書に『アンナカレンナ』など、
今日伝わる作品はわずか。

「三ヶ日と七草」では初日の出や初詣など、今とさほどかわらない正月風景。
正月は三ヶ日が江戸ッ児の最も真面目なるべき時だ。かれらは元日の黎明に
若水汲んで含嗽(うがい)し、衣を改めて芝浦、愛宕山、九段、上野、待乳山などに
初日の出を拝し、帰来屠蘇雑煮餅を祝うて、更に恵方詣をなす。亀戸天神、
深川八幡、日枝神社、湯島天神、神田明神などはその主なものである。
かくして更に向島の七福神巡りをするものもあれば近所の廻礼をすますものも
ある、けれど廻礼には大方二日以後の日を択び、現実はただ嬉笑の間に和楽して
終わるが多い。・・・


        七草
                     向島百花園

今日は7日。七草のセットを買ってきて七草粥をつくるのがやっと。歌も知らない。
・・・かくてぞ喜びをまつの打ちはあわただしく過ぎて、七日のまだき、澄みきった旦
あさ)の空気に高々と響き亘る薺(なずな)打ちの音、「七草なずな、唐土の鶏が
日本の土地に、渡らぬ先に、ストトントン」と彼方からも此方からも聞こえ初めると、
昨日までの門松も飾藁も名残なく取去られて、浮世は元の姿にかえるも淋しい。
しかし江戸ッ児には二十日正月までの物日はまだ乏しくないのだ。


        パスポート

上野といえば、1月2日発売の上野地区の8つの文化施設(国立博物館、科学博物館、
西洋美術館、上野動物園、下町風俗資料館、旧岩崎邸庭園、都美術館、藝大美術館)の
常設展共通入場券」(~5月¥2000)を上野動物園に行ったりんりんに買ってきてもらった。
今年は上野の杜をこの「UENO WELCOME PASSPORT」でまわることにした。
長い間できなかった「しがらみ」も捨てられた。今年はいい年になりそうだ。
旅・散策・イベント

「多摩川七福神」めぐり

2016年01月07日
暖かい正月がつづいた。今年は「七福神めぐり」をしてみたくなった。
何度か広告をみた品川区の「荏原七福神」、大田区の「池上七福神」か
「多摩川七福神」・・・。「山手七福神」を巡って以来だ。

大田区の矢口・下丸子地域には、1358年、新田義興(よしおき)が多摩川の
矢口渡で謀殺されたという伝説に関連するさまざまな逸話や史跡が残る。
昨年秋、国立劇場で、人間国宝中村吉右衛門主演の『通し狂言 神霊矢口渡』を
観る機会があったこともあり、多摩川七福神めぐり」を決めた。

        新田神社
            「恵比須」   義興を祀る新田神社

3日朝、「自転車なら・・」と不承不承のごんさんと、まずは新田神社から。
色紙(¥1000)を自転車の前カゴに入れてスタート。歩けば1時間20分ほどの
コースも小一時間で巡ることができた。風もなく、春のような暖かさ。

   頓兵衛地蔵
      「布袋尊」  頓兵衛地蔵尊      スタンプ台  

      福禄寿
           矢口中稲荷神社     「福禄寿」    

東急線武蔵新田駅裏にある小さな神社。スタンプ台は置かれていない。

  大黒天
            「大黒天」         氷川神社

      寿老人
            「寿老人」  延命寺
           
延命寺の地蔵堂にはいいお顔の地蔵立像。最明寺時頼の守本尊だとか。

    弁財天
             東八幡神社           「弁財天」   

『下町ロケット』の撮影が行われた「桂川精螺製作所」の鉄塔のすぐそばにある
「東八幡神社」にもスタンプ台はなかった。境内に「矢口の渡し跡」の石碑がある。

    毘沙門天
        「毘沙門天」  義興の10人の家臣を祀る十寄神社

途中、何組かの親子連れに出会った。なぜか、父親と男の子ばかりだったが。
新田神社に戻り、7ヶ所すべてのスタンプを押し、お汁粉、お神酒をいただいた。
長崎のからすみ、鯨ベーコンの販売、アゴ(飛魚)出汁」(無料)の店が出ていた。
飴細工の店で十二支でなく、「みけねこ」を注文。5分ほどでつくってもらった。

    飴屋
           飴細工        三毛猫トラと記念撮影?

    完成
                「多摩川七福神」 完成
旅・散策・イベント

七福神

2016年01月06日
今日は24節気の1つ「小寒」。
節分までの30日間を「寒の内」といい、寒風と降雪の時節で、寒さが厳しくなる頃。
これから冬本番を迎える。 寒稽古や寒中水泳が行われるのはこの「寒」の時季。

昨年12月の桂花会では、M氏が「七福神」を(中国語で)調べてきて下さった。
「七福神」信仰は室町時代に始まり、徳川時代には「七福神めぐり」なども
日本各地に広まったそうだ。

5年前、はじめて巡ったのは「山手七福神」だった。(はじめての七福神めぐり
江戸城の裏鬼門守護のため、将軍が鷹狩の際に参詣した目黒不動の参道筋に
置かれた「山手七福神」は江戸最初の「七福神めぐり」といわれる。

「七福神」は、仏教や中国の故事(「竹林七賢」「八仙渡海」)に由来する。
福禄寿、寿老人、布袋尊は中国、大黒天、毘沙門天、弁才天はインドから
伝わった。日本生れは恵比寿天だけ。調べてみるとなかなか興味深い。

  山手七福神
   布袋尊 寿老人 福禄寿 弁財天 毘沙門天 大黒天 恵比寿天 

「恵比寿天」 漁業の神。商売繁昌の神。
七福神中で唯一の日本の神様。いざなみ、いざなぎの第三子といわれ、
満3歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられて、やがて
漂着した浜の人々によって手厚く祀られたのが始まりと伝えられる。
左手に鯛を抱え右手に釣竿を持った親しみ深い姿で知られる。

「大黒天」 財宝、福徳開運の神。
「大自在天」の化身ともいわれ、インドの神と「大国主命」が習合したもの。
一度仏となったが、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたという。
大地を掌握する神様(農業)でもある。大きな袋を背負い、打出小槌をもち、
頭巾を被った姿が一般によく知られている。

「毘沙門天」 融通招福の神。別名「多聞天」。
インドの神が中国を経由して四天王に変わったといわれる。
右手に宝棒、左手に宝塔、邪鬼を踏みつけている。上杉謙信が信仰した。

「弁財天」 知恵財宝、愛嬌縁結び。七福神の中で唯一の女神。
インドの水の神が、音楽の神、言語の神となり、伝わった当初は「弁才天」
と呼ばれたが、財宝、芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収され「弁財天」
といわれるようになった。              (巳年の弁財天

    ポスター
          駅に貼られた「荏原七福神」めぐりのポスター

「福禄寿」 招徳人望の神。中国、道教がルーツの長寿神。
幸福の「福」、身分をあらわす「禄」、寿命を表わす「寿」からなる。
南極老人星の化身で、中国の村や町に住み人々の信仰を集めた仙人。
長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶが特徴。長寿、幸福の徳を持ち、
鶴と亀を連れ、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖もつ姿が特徴。

「寿老人」 長寿延命、富貴長寿の神。
福禄寿と同じく星の化身。微笑みをたたえ、巻物を括りつけた杖、団扇や桃を
持ち、鹿を従えた姿で知られる。団扇は難を払い、桃も鹿も長寿の象徴。

「布袋尊」 笑門来福、夫婦円満、子宝の神。
唐代に実在した禅僧といわれ、日本には禅画などの画題として入ってきた。
弥勒菩薩の化身といわれ、いつも笑顔を絶やさず、手にした袋から財を出し
与えてくれるといわれる。

七福神に一神を加えて「八福神」としているところもある。
お多福の起源といわれる阿亀(おかめ)、達磨大師、吉祥天女など。

 七福神
      荏原七福神の栞        多摩川七福神の栞

「七福神めぐり」は松の内がとくにご利益があるとされ、七の日もよいとか。
今年は2度目の「七福神めぐり」をしてみようと思っている。
近くに「多摩川七福神めぐり」(2014~)や「池上七福神めぐり」がある。
東急線沿線で大々的に宣伝している品川区内の社寺をめぐる約7kmという
「荏原七福神」には今年、七福神のキャラクターが誕生し、記念の日本酒と
焼酎も登場したという。
旅・散策・イベント

「天然記念物」? 駆除対象?

2016年01月05日
日本最古の上野動物園には日本初のものや他では見られない珍しい動物がいる。
房総半島の愛宕山をモデルに日本で初めて誕生したサル山には、天然記念物
指定の「北限のニホンサル」たちがいる。彼らは増え過ぎた青森県下北半島の
サルの一部を上野動物園がもらい受けたという。野性下では人間を除くサルの
仲間の中で最も北に生息している彼らは他の地域のニホンザルに比べると
体が大きく、毛が長く白っぽい。

上野動物園のサル山には、ニホンザル。井の頭動物園にはアカゲザルがいる。
どちらも哺乳綱霊長目オナガザル科マカク属に分類される。
アカゲザル(赤毛猿)は、アフガニスタンからインド北部、中国南部にかけて分布。
ニホンザルに比べ尾が長いので見分けられる。
実験動物として広く利用され、マーキュリー計画によりリトル・ジョーロケットに
乗ったサルでもある。
       
井の頭動物園のサル山前の案内板には「アカゲザルの野生化について」
くわしく書かれていた。
房総半島南部では、1995年ごろから、本来いないはずのアカゲザルが定着
している。飼育されていたものを起源としていることは明らかだという。   
近年は数を増やし、農業被害も起きているというが、それ以上に心配されて
いるのは、日本在来のニホンザルとアカゲザルの間に生まれた雑種のサルが
見つかるようになったことだという。

     雑種
 
このままにしておくと、アカゲザルや雑種の猿が、ニホンザルの生息域に広がり
つづけ、純粋なニホンザルがいなくなってしまうことも。


マカク属は生活スタイルがよく似ていて交雑しやすいため、ニホンザルと生息地が
重なる場所では多くの問題をはらんでいるという。
和歌山県では、タイワンザルで同じような問題が起きているらしい。
アカゲザルタイワンザルは、外来生物法の特定外来生物に指定されていて、
飼育や移動、野外に放すことが禁じられ、駆除の対象にもなっているという。

人の手で本来の生息場所から追い出されたサルたち、実験動物などとして
多く輸入されたサルたちは、侵入生物、外来生物(国立環境研究所)として
消される運命だとは。「固有性」を守るためとはいえ、かなしい。
動物など

成語とことわざの中の「猿」

2016年01月04日
猿にまつわる諺や成語は多いが、あまりいい意味では使われないようだ。
「猿の木登り カニの横ばい」 「猿の水練 魚の木登り」といったものから
「猿芝居」「猿真似」「猿に烏帽子」「犬猿の仲」「猿知恵」「猿も木から落ちる」
「猿もおだてりゃ木に登る」や「猿に烏帽子」 「猿に絵馬」「沐候にして冠す」
「猿の尻洗い」「猿の柿笑い」「猿の面笑い」(自分の欠点に気づかずに
他人の欠点をあざ笑う)など。

      アカゲザル
                アカゲザル   井の頭動物園

「猿臂之勢」 進退が自在にできる軍隊の体制のこと。
「窮猿投林」 困っているときには選り好みなどしていられないということ。
「意馬心猿」「心猿意馬」 心が煩悩や欲望のために働いて抑えがたいこと。
「檻猿籠鳥」「籠鳥檻猿」  自由を奪われ思うように生きられないということ。
「猿猴取月」「猿猴が月」「猿猴月を取る」 できもしないことをしようとして
身を滅ぼすことのたとえ。また、無謀な計画のたとえ。
           
「猿」を含まない中国の故事にもとづく成語もある。
「朝三暮四」 ①うまいことを言って、人をだますこと。 
         ②目先の違いに気をとられ、結果が同じことに気がつかないこと
宋の国の狙公は、多くの猿を飼っていた。ところが、食料が減ってきたので、
猿に与えるエサのトチの実を減らそうと考え、猿が自分に懐かなくなることを
心配し、まず、猿にトチの実を「朝に3つ、夕方に4つやろう」と持ちかけた。
すると予想通り猿は怒り出したので、「朝に4つ、夕方に3つやろう」というと、
猿はみな頭を下げて喜んだという。(「列子」)                         

「断腸の思い」  はらわた(小腸)がちぎれるほどの辛く深い悲しみ。
東晋(しん)の桓温が蜀に攻め入る際、船で三峡にさしかかった時のこと、
1人の家臣が子猿を捕まえた。母猿が子を追って百里余もついてきたが、
家臣はその子猿を殺した。これを見た母猿は泣き叫んで死んで船に飛び込み、
そのまま息絶えた。その腹を裂いてみると腸がずたずたにちぎれていた。
桓温はそれを聞いて立腹し、その家臣を免職にした。(「世話新語」)

ちなみに、中国王朝の宋時代(春秋戦国時代)は、日本では縄文時代後半、
晋は、飛鳥時代のころにあたる。
つれづれ

「見ざる 聞かざる 言わざる」

2016年01月03日
「申」という字は稲妻の形を表わしたもので、この稲妻は天の神の威光を表し、
神の発するものという考えから「かみ」の意味となり、「申」が「神」のもとの字に
なったという。
背骨と肋骨の形から成り、背中のまっすぐ伸びた形を表しているという説も。

サルの語源にはいろいろの説があるが、獣の中では知恵が勝っていることから
「マサル(勝る)」の意味とする説。アイヌ語で「サロ」、尻尾をもつものを「サルウシ」
ということから。また、古くから神聖視され、馬とともに飼えば馬の病気を砕くとして
馬の守護神であったことから「マル(馬留)」が転じて「サル」になったという説など。

「見ざる 聞かざる 言わざる」 とかく人間は自分にとって都合の悪いことや相手の
欠点を「見たり聞いたり言ったり」しがちだが、それらはしない方がよいという戒め。

論語に「礼に反することは見るなかれ、聴くなかれ、言うなかれ、行うなかれ」という
意味の「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」という一節がある。
こうした「不見 不聞 不言」の教えが8世紀ごろ、天台宗系の留学僧を経由して
日本に伝わった。天台宗は比叡山の鎮護社の日吉大社と密接な関係にあり、
日吉大社を本尊とし猿を神使とする山王信仰が「庚申信仰」と習合した結果ともいう。

        庚申塔
              庚申尊   目黒区目黒本町 

庚申塔や庚申塚の庚申は、中国の陰陽五行説に基づく「干支」という年・月・日の
数え方により、干支六十組のうちの五十七番目の庚申「かのえさる」をさす。
道教では、1年間で6~7回ある「庚申の日」を特別の日として位置付けている。

三猿さんざる、さんえん)」  
3匹の猿が両手でそれぞれ目、耳、口を隠している意匠。三猿は世界的にも
"Three wise monkeys"として知られ、「見ざる、聞かざる、言わざる」という叡智の
3つの秘密を示しているとされる。英語では"see no evil, hear no evil, speak no evil."。

3匹の猿のモチーフは古代エジプトやアンコールワットにも見られ、シルクロードから
中国を経由して日本に伝わったとみられている。
「三猿」といえば、日光東照宮の神馬をつなぐ神厩舎に彫られた「三猿」。
猿は馬の守護神とされ、農家では「申」と書かれた 紙を馬小屋に貼ったり、また、
正月や祭りでは猿が馬をひくところを描いた絵馬や神札が用いられた。

        庚申塔
           道標を兼ねた庚申尊       三猿   大田区東雪谷 

「三猿」は「庚申信仰」の伝播とともに近世以降広く用いられるようになった。
庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字などはさまざまだが、申は干支で猿に
例えられるため「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名や庚申講員の
氏名を記したものが多い。
仏教では庚申の本尊である青面金剛が彫られ、日月や猿、鶏、邪鬼等が配され、
足元に「三猿」が添えられた例も多い。
つれづれ

初日の出

2016年01月02日
申年の新年が明けた。今年は電動アシスト自転車で多摩川のガス橋まで。
今年で4年目になる。

2013.1.1
 2013
                                 2014.1.1
               2014
      2015.1.1
     2015

2016年      
     集まる
       家族連れ、カップル、学生のグループ、ペット連れ・・・ 6:32 

      もうすぐ
                                6:45
      境界
                西の空に月

橋の畔に自転車を停めて「東京都大田区と神奈川県川崎市」の境界まで
歩いて行った。さほど寒くはない。カメラとタブレットを準備。
川崎側の河川敷にはラジオ体操をする人々がみえた。

  川崎側
       6:39      川崎側河川敷     6:56

場所をさらに川崎側に移した。さすがに混んでいた。まもなく雲の端が紅い
ラインで縁どられ、まもなく太陽が昇ってきた。どこからともなく歓声が上がった。

 日の出
      6:53          6:55           6:58

   富士山
           ビルの間から富士山          7:10       
旅・散策・イベント
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