FC2ブログ

「破魔矢」発祥の神社

2016年01月15日
鎌倉幕府を倒した新田義貞の子義興(よしおき)が武蔵国の矢口で謀殺された
10年後、弟の義岑(義峯)が上野国で戦死したことで新田氏は事実上滅亡した。
新田神社(大田区)については度々触れたが、義興の祟りを鎮めるために
創建された(1358年)新田神社は、江戸時代に入ると、将軍徳川家の祖先が
この新田家であるということより、武運長久の守り神として栄えたという。

   新田神社
           大きな破魔矢が立つ新田神社

新田神社は「破魔矢」発祥の地といわれている。
「破魔矢」は「魔」を破るもので、昔から邪(よこしま)を払う力があると考えられた。
「宝暦末より矢口新田社に参詣多し、社地に矢を売始、詣人求めて守りとす」
との記述がある。(江戸時代の『武江年表』)
新田神社門前の茶店で新田軍旗の2本のセットで売られていた。
参拝者は2本買い、1本は神殿に供え、もう1本を持帰り「矢守」にしたという。
これは、新田家伝来の「水破」「兵破」の2本の矢に由来している。

      塚
             義興の塚(直径約15mの円墳)
 
のちに新田神社に参拝した平賀源内の考案で、義興の塚にしか生えない篠竹で、
五色の和紙、新田家の黒一文字の短冊を付けて「矢守」をつくった。
江戸時代後期には他の神社でも魔除けの「矢守」を売り出すようになり、
これが「破魔矢」として正月の縁起物として今に伝わる。

福内鬼外のペンネームで平賀源内が新田神社の縁起をもとに著した浄瑠璃
『神霊矢口渡』は爆発的に当り、のちに歌舞伎でも代表的な演目となった。

昨年10月と11月、『神霊矢口渡』を観る機会があった。秩父歌舞伎を大田区民
プラザで、通し狂言『神霊矢口渡』を国立劇場で。 (100年ぶりの通し狂言
国立劇場にあった「新田神社の破魔矢を抽選で50名さまにプレゼント!」の
応募用紙を2枚持ち帰り、新田神社に設置の応募箱に投函した。(郵送不可)

   国立劇場     
       新田神社などの紹介と大田区物産展  国立劇場 2015.11.28

国立劇場で『神霊矢口渡』を観た人が、新田神社に訪れて投函する人は
50名もいないだろう。とは思ったが、締切後10日余、送ってこなかった。
抽選に外れたのだろう。
元旦、初日の出を拝んだあと、新田神社に初詣。「矢守」(¥1200)を買った。

     破魔矢
       応募箱 2015.12       送られてきた矢守 2016.1

東急電鉄から大きな箱に入った「矢守」が2本送られてきたのは8日だった。
かくしてわが家には3本の矢守が!南北朝時代などを研究されているM氏が
来週の桂花会にみえるので、差上げることにした。もう1本はりんりんに。

ちなみに、破魔矢の先が鋭く尖っていないのは、人や物が目標ではなく、
邪気、邪心などを破り浄化するためだからとか。
破魔矢を飾る場所は「神棚」「床の間」「玄関」「リビング」など、頭上よりも高く。
東面または南面に飾ると、霊力がアップするという。
矢はできれば「凶」の方位に向ける。申年は寅の方角(東北東微北)。
旅・散策・イベント
 | HOME |