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マーマレードつくりに挑戦

2016年03月31日
わが家の2階から、Kさんのお宅の夏蜜柑の樹がよく見える。植木屋さんに
採ってもらったという夏蜜柑を持ってきて下さったのは2009年5月だった。
その夏蜜柑は絵の教室でご一緒のKさんのお宅で美味しいジャムに変身、
わが家には瓶入ジャムになってやってきた。 (夏蜜柑のマーマレード
翌年は3月に、それ以来毎年頂くようになった。(夏蜜柑のある風景
   
         夏蜜柑2016.3.15

今年の夏蜜柑も豊作だった。30個頂いたが、何でも600個もあったので
足りなければいくらでもどうぞということだった。
2階に上がってみると、ついこの間まで深緑の中に際立っていた橙色は
消えて緑一色になっていた。やがて欅や柿が若葉をを茂らせるころには
何の樹かわからなくなりそうだ。

      夏蜜柑2016.3.19

空のリンゴ箱に21個詰め込み、毎年ジャムづくりに励むKさんにお送りし、
最近夏蜜柑でジャムをつくったというUさんにもお渡しすることにしたが、
あとの4個を眺めていると、自分でもつくりたくなった。

マーマレードや夏蜜柑ジャムで検索すると、つくり方があまりにもいろいろで
迷ってしまった。砂糖にしても三温糖を使うのもあれば、グラニュー糖と
いうのもある。蜂蜜を加える方法もある。
実も絞って果汁と種、そして皮を使い、グラニュー糖を使って2日かけて
比較的じっくりと作る方法に決めた。
  ジャムつくり
                                 すっぱ~い!

大喜びで手伝っているつもり(邪魔?)のじゅんじゅんも加わり、レモン搾りが
見つからず、手搾りはりんりん、最終的にはごんさんが搾ることになった。
途中、じゅんじゅんは搾った果汁をスプンで口に運んだ途端、顔をしかめた。
梅干の酸味は平気な彼だが・・・。

     干す
               干して           刻んで

白い部分をこそげ落した皮を、一旦、軽く茹でてから半日干してみた。
さらに皮を薄く・・・。これがもっとも面倒な作業。

キッチンばさみで千切りにした皮を水をとりかえてもみ洗いすること数回。
皮を強火で茹でること2回。水にさらして一晩おいた。
翌朝、種と果汁を加えて強火で煮て、グラニュー糖を加え弱火で。

    出来上がり
         さらして 煮て            出来上がり                

苦味はほんのりマーマレードが完成。あえて煮詰めずに果汁は「ゆず湯」ならぬ
「夏蜜柑湯」に、皮はそのままヨーグルトのトッピングにも、しばらくは楽しめる。
身近な人びと

エリザベスの子孫・・・?

2016年03月30日
啓蟄の頃、冬眠から醒めたカエルに庭で出くわすことがある。
子どもの頃には、毎年、庭の池にガマガエルが産卵してオタマジャクシ
たくさん孵った。男の子たちが、オタマジャクシを捕りにやって来たものだ。

だが、その池も底にヒビが入り、大雨でも降らない限り池ではなくなった。 
その後、隣家の庭の池も、改築と共になくなったため、ガマガエルたちは
冬眠から醒めると、近くのお寺の池まで道路を移動したのかもしれない。 

近くの公園の水路でみつけたカエルの卵とオタマジャクシをとって来て
小さな水槽に入れた。       (これがオタマジャクシ・・・?!

  公園の
         3.13                3.17

どうしても「オジャマジャクシ」としかいえないじゅんじゅんだが、関心を持ち、
ほしいというので、彼の家で飼う?ことになった。
   
翌朝、久しぶりに庭に出て何気なく蹲踞をみて驚いた。中にウジャウジャと
カエルの卵があった。心当たりはあった。啓蟄の3日後、鳴き声をきいて
庭に出ると蹲踞の後方の石の上にいた、あのカエルだろう。
ガマにしては小さいようにも思ったが、鳴き声も「クワックワッ」、紐状の卵塊、
やはりガマガエル(ヒキガエル)ということだろう。

       カエル
                  3.13     あのときのカエル(メス)
   
     つくばい
                   3.18
     
ガマガエルを取り巻く環境は大きく変わったが、庭に残ったのもいたらしい。
コンクリ製の物干台を動かしたとき跳び出したこともあったし、雨上りの夜、
踏石に鎮座しているのに気づかずに危うく踏みそうになったこともあった。

当時、隣に住んでいた姪が中学生のころ、「エリザベス」と呼んでいたのが
庭に住むガマガエルとわかって驚いたことがあった。(カエルのエリザベス
彼女が飼っていたミドリガメが「カシオペイア」、数年後、飼い始めた猫の名が
「風と共に去りぬ」から「アシュレ」はともかく、ガマが「エリザベス」とは・・・。

庭でガマガエルをみると、どうしても「エリザベス」という名が浮かんできてしまう。
そういえば鳴き声をきいたことはない。「エリザベス」はメスだったのだろう。 
ガマガエルの寿命は10年位だという。蹲踞から育つカエルは「エリザベス」の
孫になるのか曾孫なのだろうか・・・。
動物など

めぐろ歴史資料館の「道しるべ」

2016年03月29日
目黒区の「道しるべ」の多くは神社や寺院などに移設されたものが多い。
旧区立第二中学校舎を利用しためぐろ歴史資料館は、移設された
道しるべなどが門から玄関まで並ぶ。(江戸期の道標 目黒区Ⅰ

富士講道標  (旧所在 自由が丘3)  江戸時代?  
笠印があることから富士講に関係した道標と呼ばれている。

   富士講
      正面 右 九品佛道  右面 □嶋池水谷 大成院  
           背面 南無阿弥陀仏
 (各面に寄進者名)

自由が丘二丁目道標  明治18年(1883)

      道標
      正面 右 目黒 品川               用水境 
左面 西ノ方 九品佛 背面 麻布 青山


「三田用水」境界石  (旧所在 三田1)
玉川上水から分水された「三田用水」の用地境にあった花崗岩製の境界石。
正面に「用水境」の文字が刻まれている。地上に出ていたのは約20cmだが、
基礎部分は90cm以上埋められていた。

田道橋道標  (旧所在 田道橋南)    大正4年(1915)
京都で行われた大正天皇の即位式を記念して、目黒の在郷軍人会が建立。

       田道橋
     正面 ←不動 池上   右面 北 三田村東 目黒駅 
     左面←役場世田ヶ谷  背面 御大典記念 目黒分会

    
三田周辺には明治24年から昭和20年まで軍事関係施設が置かれていた。
目黒区総合庁舎の情報センターで手に入れた「歴史を訪ねて」には
火薬製造所について詳しい。(一部抜粋)
安政4年、幕府は、軍事上の必要から三田村の約4万坪の地域に、
それまで千駄ヶ谷にあった「焔硝蔵(火薬庫)を移転したことに始まる。
明治26年、海軍省の管理から陸軍の東京砲兵工廠へ移管された。

日清戦争が始まると軍用火薬の需要が増大し、製造所は大幅に拡張され、
日露戦争後、目黒火薬製造所は、軍用火薬ばかりでなく、鉱山火薬や
猟銃用火薬などを一手に引き受けて、独自に発展の道を辿った。
昭和に入り、火薬製造が危険ということから人家が増えた目黒から群馬県
岩鼻村へ移転した。火薬製造所跡地の大部分は、海軍技術研究所を経て、
現在、防衛庁の研究所となっている。 

「陸軍用地」境界石  (旧所在 三田2)
正面は「陸軍用地」の文字、左面に「235」「239」の識別番号が刻まれている。
「三田目黒火薬研究所」(1878~1928)や「白金火薬庫」(現・自然教育園)の
間に敷かれていた火薬運搬用の軍用線路の境界に沿って埋められていた。
地上に出ていたのは約50cm、基礎部分は75cm以上埋められていた。                      

  繋ぎ石
     「陸軍用地」境界石            馬繋ぎ石

馬繋ぎ石  (大橋 氷川遺跡 出土)   昭和初期以前
明治晩年に騎兵実施学校、昭和初期には陸軍輺重兵大隊、その後に
輺重兵学校の厩舎が置かれた。花崗岩製の石柱で、上部には馬を
繋ぎとめる鉄製の環金具が残る。
コンクリート製馬繋ぎ石が登場する前の昭和初期以前のものと推定される。

火薬製造用 石臼      明治35年(1900)
目黒火薬製造所で、黒色鉛火薬を水車で粉砕するために使われた石臼。

    火薬
     「陸軍用地」境界石          火薬製造用石臼

区内には、これまでに54ヶ所の遺跡が確認されている。なかでも縄文時代
中期の遺跡は43ヶ所。現在の目黒川周辺の低地は、縄文時代には海であり、
烏山川、蛇崩(じゃくずれ)川に挟まれた東山近辺は、その深い入り江の奥に
位置していたと考えられる。

貝層標本
中目黒駅付近の蛇崩川で採取された約6万年前の貝層の一部。

     貝層標本
      イタヤガイ オオノガイ アサリ アカガイ ハマグリ ベンケイガイ ほか

世田谷区の馬事公苑付近に源を発する蛇崩川は、野沢公園付近からの
支流を合わせ目黒区に入る。支流も含めてほぼ全域が暗渠化されており、
開渠になっているのは、中目黒駅付近で目黒川に合流する数mの区間のみ。
暗渠部分のほとんどは緑道として整備されている。     (季語 日永
旅・散策・イベント

江戸期の「道しるべ」 目黒区 Ⅱ

2016年03月28日
ずっと昔から、当たり前のようにそこにあった庚申塔や道しるべも道路や
住宅の都合で別の場所に移されるものも多い。 
かつて旧目黒区立第二中学校「めぐろ歴史資料館」の庭にはそんな道標が
いくつも移設されている。       (江戸期の道しるべ 目黒区Ⅰ

     めぐろ歴史資料館

寛政九年道標   長泉院道標     寛政11年(1799) 
        長泉院道
   正面 「てうせんゐん道」 右面「 ゆふてん寺道 長せん院道」

宿山組道標   (旧所在 上目黒1付近)      寛政11年(1799)
宿山組(しゅくやまぐみ)は上目黒村に4組あった組の1つ。
世田谷区内で保存されていたもので旧所在地は不明だが、東西南北が
示す場所は現在の上目黒1丁目付近からの方角を指している。

    宿山組道標
      正面 青面金剛像 「北 ほりの内 あわしま 道」  
  「西 せたケ谷道」 「東 江戸 あさふ」 「南 ゆうてん寺 目くろ 道」


宿山組道標  (旧所在 上目黒4)   文政13年(1830)

     宿山組道標
      正面 「□□ 世田谷并ふちう あをやまほりの内 道」
      右面 「右 碑文谷仁王尊 いけかみ本門寺 道」 
      左面 「左 目黒ゆうてん寺 ふとうそん道」 

しっこし坂下道標    (旧所在 目黒4)    文政元年(1818)
この「しっこし坂」について調べたが、目黒区発行の「目黒区の坂・みち」にも
載っていない。「高地蔵」(目黒4丁目)も文政元年に造られていることから
おそらく、その付近の坂だったのではないだろうか。

    しっこし坂下道標
 背面「南 碑文谷道 左面 「東 目くろミち 正面 北 長せん院道」  
               右面 「西 祐てんじ道」      

仁義礼智道標  弘化4年(1847)   
館内に置かれた「仁義礼智道標」には「行路是東西南北 人是仁義礼智」
刻まれている。
五本木組馬頭観音 (旧所在 五本木2)  元治元年(1864)  
馬頭観音塔には仏像を彫った刻像塔と文字を刻んだ文字塔の2種類があるが、
文字塔の中でも「馬頭観世音菩薩塚」と刻まれているのは珍しい。

       仁義礼智
 正面 「向テ右 青山 そうし谷 左 いけ上」  正面 馬頭観世音菩薩塚
「みね丸子 道」
 右面 「向テ右 二子 世田谷 ほりの内」「左なかのへ 品川 道」
旅・散策・イベント

桜も老齢に・・・

2016年03月27日
今日は「さくらの日」。さくらと「3(さ)×9(く)=27」の語呂合わせと、
七十二侯の1つ「桜始開」が重なる時期であることから。 
日本の歴史や文化、風土と深く関わってきた桜を通して、日本の自然や文化に
ついて関心を深めてもらうことを目的に日本さくらの会が定めた。(1992年)

今年は21日の春分の日、東京の開花宣言が発表された。気象庁が毎年
開花の観測を行っているが、観測の対象は主にソメイヨシノ
生育しない地域ではヒカンザクラ、エゾヤマザクラ
 
メモには東京の開花の平年値は3月26日。大震災の年は28日、2012年は
31日、2013年は16日、2014年は25日、そして昨年は23日となっている。
    
    目黒川
                  目黒川    2010.4.2

一般に親しまれているソメイヨシノは寿命が60~80年。 (桜守
ソメイヨシノは、江戸末期、江戸染井村の植木屋が桜の名所の「吉野」の名を
つけて売り出したが、実際の吉野の桜はヤマザクラのため誤解を招くとして、
明治になって付けられた名。                   

都内の桜だが、4万4千本以上が弱っているとか。それぞれの地で根付いた
桜を保全する取組みが拡がっている。

目黒区では地域のシンボルになっている公園や緑道、街路樹の桜の
約2300本の4割にあたる約千本が10年後には植え替えの目安となる
樹齢60年を迎える。樹勢が衰え、枝折れや倒木が懸念されることから、
保護や植替えなどの取り組みが必要となっている。

区では、3年前、目黒の桜を後世に伝えていくため「目黒のサクラ基金」を
設立したが、今年1月、500万円以上が集まったという。

  呑川本流緑道
    記念樹の碑    呑川本流緑道  3分咲き 2016.3.24

呑川本緑道の八雲付近には「開校百周年記念樹」の碑がある。これは
目黒区立八雲小学校が昭和49年に桜6本を植樹した記念に建てた碑。    
             
老齢化した木であっても、ただ伐採するのは忍びないとの区民の意見や
目黒のサクラ基金の普及啓発のため、伐採した桜の幹などを活用した
記念品ができた。友好都市である気仙沼市で復興支援として起業した
木材加工業者に、伐採した目黒の桜を送って目黒区と気仙沼市の共通の
モチーフであるサンマをテーマにペーパーナイフが完成したという。

江戸時代には桜の名所は、墨堤(隅田川の堤防)、上野、飛鳥山、御殿山。
墨堤の桜は、4代将軍家綱が常陸国の桜川の桜を移植したのが始まりで、
その後、8代将軍吉宗が100本の桜を植えて地元の名主に管理をさせた
といわれる。墨堤の花見は江戸時代には定番となり、明治以降現在に至るまで
桜の名所となっている。

しかし、この墨堤の桜も老朽化により枯死したり、樹形が乱れたりと、
桜の生育上様々な問題を抱えてきた。
墨田区も「墨堤の桜保全・創出事業」を実施して、墨堤の桜の保全と共に
隅田公園を整備、品種の異なる早咲き、遅咲きの桜を植え、開花期間を
伸ばして新たな美しい桜並木の名所づくりを企画している。

東日本大震災の5日前はスケッチの日だった。完成前のスカイツリーを
見ながら、浅草から墨堤を歩いたことを想い出す。(隅田川沿いを歩く
植物など

苦手な「聞く・話す」

2016年03月26日
ラジオを何気なくきいていたら、「これはひどい!と話題になっている」という
コメンテーターの山田五郎氏の声だ。なにが・・・?どうやら全国公立中高生
計15万人の「英語力調査結果」(2014年度)のことだった。

そもそも中学3年生の到達目標は「英語検定」3級程度といわれているが、
その目標に到達できている生徒の割合は、
「読む」23.1%、「書く」43.1%、「聞く」18.1%、「話す」39.6%という。 
高校3年生の到達目標は「英語検定」2級程度。到達できている割合は、
「読む」29.9%、「書く」17.2%、「聞く」24.4%で、「話す」はわずか9.8%。
    

つまり、中3の2割~4割が、高3の1割~4割が目標に到達出来ていない
ということになる。もはや教育として成り立っていないレベルだと。
この数字を見ていると、中学3年生だと「読む」より「書く」の到達度が高く、
「聞く」より「話す」の到達度が高くなっているが、高校3年になると、まったく
逆になっている。これは大学受験の影響だろうと山田氏。大学入試には
ヒアリングもあるが、読解重視。英作文は比較的少なく、スピーチもまずない。
そのために「書く」も「話す」も後回しになるのだろうという。 

今や翻訳ツールがますます発達していて、もはや英語は国際語としての役割は
少なくなりつつあるという。ウォールストリートジャーナル日本版の記事を紹介し、
英語より絵文字などの非言語的なコミュニケーションを重視する傾向が世界的に
みられ、国際語としての英語の比重はどんどん低くなっている。そんなときに、
実践的英語教育に力を入れようというのは時代に逆行しているようにも思える。

国際化には絶対に英語が必要といった固定観念を一旦捨てて、そもそもなんの
ために英語をなぜ学ばないといけないのか、考え直す時期では?
日本人が英語が苦手な理由はたった一つ、必要ないから。英語ができなくとも
日本国内では生きていけるから・・・。


では、なぜ英語を勉強するか? 主に大学受験に必要だから、大学で英文の
文献を読んだり論文を書いたりするから? 国際的な仕事に就かない
多くの日本人には英検3級(中学卒業程度)程度で十分。


先生にも負担が大きく、6割以上が英語力に自信がないと感じているとか。
「聞く・話す」は慣れ。「読み・書き」は必修にして、聞く・話す」は選択にして
ネイティブの教師がいいのでは
という山田氏、同感だ。
 
     問題集

今年、りんりんは英検3級を受け、英語塾に通わずに1次試験に合格した。
2次の面接は準備不足のため、今回は受けずに6月に延期した。
「読み・書き」だけなら、問題集だけで何とかなることを証明してくれたが、
先日の易しい英単語の書き取りテストでは、ケアレスミスが多かった。
学年で1人、準2級合格のK君は母親はECCの講師、彼も長い間、ECCに
長い間通っている。準2級は高校中級程度!
つれづれ

寄木神社の狛犬

2016年03月25日
拝殿前に狛犬が新しく置かれ、それまでの狛犬が鳥居付近などに移されるなど、
2対以上ある神社も少なくない。品川神社には7対。(品川神社の狛犬

寄木(よせぎ)神社の拝殿前には、昭和、江戸、大正生まれの3対の狛犬たちが
並んでいるほか、石段脇には年代不詳の狛犬も残っている。
かつてこの神社の目の前は海で、浦安市と同様、海苔を採っていた。
昭和40年代に埋立てられた浦安沖より早く、東京オリンピックを目前にした
昭和37年、高速道路やモノレールが出来て浅瀬は埋まってしまったそうだ。

文政11年(1828)  頭に皿がある狛犬
昔、神社前に海が広がっていた頃、海苔採りのために暗いうちに海に出た。
狛犬の頭の皿にロウソクを立 て火を灯し、灯台の代わりにして沖にいる船の
目印としたと言われている。

    文政11年

だが、灯台の代わりには常夜灯の方が適しているし、同様の狛犬は岩手県遠
野の常堅寺のかっぱ狛犬や、渋谷区の鳩森八幡神社や氷川神社のように
海から離れたところにも同様の狛犬がみられることから、「盃状穴(はいじょうけつ)」
といわれる信仰の形跡ではないかという説もある。

大正2年(1916)
阿像、吽像ともに2頭ずつ子どもがいる。

     大正2年
                                     
昭和63年(1988)  大きな青銅製の狛犬

        昭和63年

寄木神社の江戸期の狛犬と似た狛犬は、品川神社の末社御嶽神社の
狛犬(年代不詳)や渋谷区の鳩の森八幡神社にもみられる。 

     不詳
                 品川神社(年代不詳)
 
     享保20年
                鳩の森神社  享保20年(1735)
旅・散策・イベント

立春から春分へ

2016年03月24日
ここ数年間、2階からみえるケヤキを今まで気が向くと撮ってきたが、
今年は雨戸を開けたとき同位置から撮ることにした。 (明けるころ
起床時刻はほぼ変わらないが、なるべく日の出時刻にと決めていても、
グズグズしていると雨戸を開けたときにすっかり明けていることもある。
2月は29日毎朝撮ったが、3月はなぜか19日だけ抜けてしまった。

立春 2月4日 日の出時刻  6:39
    2/5 2/10
          2月5日  6:38            2月10日  7:06

    2/15 2/20
          2月15日  6:38           2月20日  6:26

    2/25 3/1
          2月25日  6:24           3月1日   5:55

啓蟄 3月5日  日の出時刻  6:07
    3/6 3/11
          3月6日   6:00           3月11日  5:55

     3/16 3/20
          3月16日  5:47           3月20日  5:49

春分  3月20日  日の出時刻  5:46
植物など

「家康くん」の天下?

2016年03月23日
昨年11月、人気ナンバーワンを決める「ゆるキャラグランプリ2015」
決戦投票が静岡県浜松市で開かれた。ご当地ゆるキャラ部門では、
開催地浜松市の「出世大名家康くん」がグランプリに選ばれたとか。

     浜松城
        浜松城 byりんりん  「出世大名家康くん」 (サイトより
  
2010年に始まった「ゆるキャラグランプリ」では、インターネット投票と
決戦投票イベント来場者による投票の合計で最終順位が決まるそうだ。
ネット投票では1メールアドレスにつき1日1ポイント投票できる、つまり、
同じメルアドで別の日にまた投票できる。決戦投票当日は、来場者が1人
1.5ポイント投票できるため、開催地のキャラクターが有利になるらしい。

       ひこにゃん
         彦根市 ひこにゃん 2015年    熊本県 くまもん

あまりにもあちらこちらで登場する「ゆるキャラ」には多少うんざり。
だが、「深谷葱」がデザインされた「ふっかちゃん」はかなり気に入っている。
埼玉県深谷市には縁もゆかりもないし、葱が好きということもないが。

「ふっかちゃん」を知ったのは「ゆるキャラグランプリ」で6位(2011年)に
なった翌年だろうか。いつも行くT整体院の玄関に置かれていたのは
T氏が深谷のご実家に行かれてもらってきた「ふっかちゃん」だった。
先月、1年ぶりの整体院で「ふっかちゃん」は迎えてくれた。

            2853no3.jpg
                 深谷市 「ふっかちゃん」 (サイトより)

ちなみに5位(2012年)、4位(2013年)、2位(2014年)となったが、「家康くん」が
1位だった2015年は「みきゃん」(愛媛県)に次いで3位となった。
「出世大名家康くん」は鰻のちょんまげにピアノのデザインの袴姿の浜松での
17年間を足掛かりに出世した徳川家康の生まれ変わりとか?!
「ふっかちゃん」の方がかわいいと思っている。
    
幸村ファンのりんりんにつき合って、今年は実に久々に大河ドラマを見ている。
せっかくならとツタヤで『真田太平記』(1985年大河)数巻を借りてきたが、
続きを借りたくともなく、結局、『真田太平記』を諦めた。仕方なく、近くに
並んでいた『徳川家康』(1983年大河)を借りて見始めたら面白いこと。

滝田栄演じる家康はそれまでの「腹黒狸爺い」のイメージを一新。
平和な江戸時代を築いた人格者として描いた山岡荘八の『徳川家康』の流れ。
役所広司の信長もいいが、石川数正(江原真二郎)、本多作左衛門(長門裕之)と
家康を支えた優れた家臣たちの存在や今川家の人質時代に雪斎和尚から
孔子、孟子などを学んだことも興味深い。猛スピードで全巻見終わった。
『真田丸』を見ていると滝田家康の顔が浮かんだりと、しばらく混乱していた。

山岡荘八の『徳川家康』を読んでみたくなったが、何と文庫本でも26巻!
1年前にお小遣いの100円で買った『真田騒動』(池波正太郎)や友だちからの
誕生日プレゼント『大いなる謎 真田一族』(平山優)を読んでいる真田好きの
りんりんもいずれ読むだろう。買うのがいいか、借りた方がいいか迷っている。
つれづれ

これがオタマジャクシ・・・!?

2016年03月22日
ごんさんと公園に出かけたじゅんじゅんがシャツを濡らして帰って来た。
3月半ばの冬に逆戻りしたような寒い日だった。
旧六郷用水沿いにある高低差や変化に富んだ地形を利用し、複合遊具を
設置した「いこい公園」は緑豊かで静かな公園で、ゆうゆう、あいあいとも
行ったことがあった。                  (待ちに待った日) 
離れた場所で話ができる地中のパイプでつながっているタヌキやフクロウの
置物などユニークな遊具もある。じゅんじゅんのお気に入りの公園の1つで、
彼は「たぬきこうえん」と呼んでいる。
                   
     公園で 
             ゆうゆう、あいあい、りんりん    2014.1

水がテーマとなった広場には、昔懐かしい手動の汲み上げポンプがあり、
汲みあげた水は小さな水路を流れていく。この水路でじゅんじゅん
大量のカエルの卵とオタマジャクシを見つけたという。

    カエルの卵

図鑑でしかオタマジャクシをみたことがないというりんりんには驚いた。
早速4人で瓶を持って自転車で駆け付けた。
たしかにすごい。卵もオタマジャクシも。ごんさんはベンチで一服している。
水ごと卵ごと瓶に入れようとするが滑り落ちる。2人とも「気持ち悪い」と
触るどころではない。つまみあげて投入。1匹だけオタマジャクシが入った。

      卵
             
とりあえず小さな水槽に移して、近いうちに庭の石臼の水に放すことにした。
子どものころ、毎年のように池に産み付けられたガマガエルの卵はもっと
大きかったような気がするが、紐状の卵塊なのでやはりガマガエルだろう。
身近な人びと

「スマホ子守」・・・?

2016年03月21日
混んだ電車内などで騒ぐ子どもにスマホを渡してYouTubeなどを見せて
大人しくさせている光景をよく目にする。
静かにさせるため子守にスマホを使うという3歳児の保護者は31%、
また、スマホを触る頻度は週2回以上が23%を占めているという。

目に悪いとか、親が子に関心を向けずに楽をするためにスマホに子守を
させるとみられがちだが、騒がれたり家事を邪魔されたり、親がイライラして
感情的になるよりはいいのかもしれない。スマホに子守りをさせること自体が
悪いのではなく、子どもの発育や成長に悪影響が出ることを知った上で
一時的なお助けアイテムとして上手く使えばいいのだが・・・。

     車内
                ゲーム機にスマホに・・・     
         ゲーム機

「鬼から電話」アプリがあるとラジオできいて、これにはさすがに驚いた。
子どもが言うことをきかないとき、鬼が親の代わりにお説教してくれる?
ママの最終兵器アプリ?とか。

このアプリを起動すると、リアルな着信と通話画面が現れ、「言うこと
きかないと食べちゃうぞ」と迫力のある怖い音声で鬼が一喝するという。
セリフに「間」があるため大人が話を合わせていくと、実際に鬼と話して
いるようにきこえるとか。

シチュエーションには、言うことをきかない時(あかおに)、寝ない時(おばけ)、
痛くて泣き止まない時(救急隊員)、薬を飲まない時(医者)のほか、
歯磨きしない時、片づけをしない時が用意されているとか。
これはもう脅しでは・・・?言うことをきかず寝ないときに「鬼から電話」を
使ったら、怖がりかえって寝なくなるといったことはないのだろうか?
テレビに子守をさせてはダメといわれた時代もあった。時代を戻すことは
できない。便利なものは上手に使うことが必要では?

5月には4歳になるじゅんじゅんの場合は、朝の登園前、夜の降園後は
テレビやビデオをみるが、外出先での「スマホ子守」の必要はほとんどない。
たまに兄のスマホをいじることもあるが、それは彼にとっては遊びであり
ベンキョウでしかない。最近はスマホもあまり触ることなく、兄の時代の
電車の本がお気に入り。新幹線の名はすべて、特急もかなり覚えた。

    スマホ
             両手使いのじゅんじゅん   2015.8

ビデオにしても繰り返し観ている『おさるのジョージ』や『となりのトトロ』で
ことばや歌を丸暗記するだけでなく、ジョージはジョージ、メイはメイらしく、
それぞれの口調や声色まで上手に真似するようになった。
急に語彙が増え、たまに長い文が彼の口から飛び出して驚くことがある。
ときどきサルか?と思われることばを発することもあるが。
つれづれ

沈丁花

2016年03月20日
今日は24節気の1つ「春分」。日本の国民の祝日の一つ。
1948年に公布、施行された「国民の祝日に関する法律」によって
制定された。「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨とする。
仏教各派では春季彼岸会が行われ、宗派問わず墓参をする人も多い。

   沈丁花   ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属
          沈丁花

          学 名  Daphne odora Thunb
          和 名  沈丁花
          原 産  中国 
          漢 名  瑞香
          別 名  輪丁花

沈丁花は、香木の沈香のような良い匂いがあり、丁子(クローブ)のような
花をつける木、という意味でつけられた。

日本では室町時代頃にはすでに栽培されていたとされる。日本にある木は、
ほとんどが雄株で雌株はほとんど見られない。挿し木で増やす。

赤く丸い果実をつけるというが、わが庭の沈丁花に実がなったことはない。
実は有毒。花の煎じ汁は、歯痛・口内炎などの民間薬として使われる。

旧宅の東門への路の両側にあった沈丁花はなくなったが、紅白咲き分けの
沈丁花の鉢植えを買ってきて庭に移植したものが、いつの間にか1m余に
成長した。毎年2月ごろまず紅色が咲き始め、3月には追いかけるように
白が咲く。門を入るといい香りが漂ってくる。
咲分けの株から挿木をした沈丁花も大きくなって今は紅色の花をつける。

     咲分け
          3.3   咲き分けの沈丁花  3.19 
 
金木犀、梔子(くちなし)と共に「三香木」の1つ。
先月の桂花会の日、O氏とM氏に「帰りに一輪ちょうだい」と所望された。
花の名は苦手といわれていたO氏もさすがに沈丁花はご存じだった。

         三椏
                   三椏

三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)、オニシバリなどもジンチョウゲ科。 
たしかに三椏の枝ぶりは沈丁花によく似ている。
植物など

カエルの声に誘われて

2016年03月19日
雨戸を開けていつもの欅をベランダから眺めるのが日課になっている。
啓蟄を過ぎて3日経った朝だった。クワックワッ クワッと元気な声がした。
カエルだ。2階のベランダに出ると、すでに散り終えて、ところどころに
小指の爪ほどの実をつけた紅梅の枝の隙間から蹲踞が見える。どうやら
その辺りからきこえてくる。

庭に出てみた。やはり蹲踞付近からだった。近づいていくと声は止んだ。
蹲踞の水が動いたような気がして、中を覗き込んだがカエルの姿はない。
その場を離れると再びクワックワッときこえた。目を凝らすと蹲踞の後方の
石に鎮座しているのはガマガエルのようだ。

    ガマガエル
                             2016.3.8

わが庭にも隣家の庭にも20数年前までは池があり、ガマガエルが庭に
棲んでいた。小学生時代、春の池は毎年オタマジャクシで賑やかになり、
男子、女子と大勢のクラスメイトが集まったものだ。
池がなくなってからは、たまにガマガエルを見かけたこともあったが、
いつの間にかすっかりカエルのことを忘れていた。

2年前の5月、庭でみつけたツチガエルをりんりんが学校に持って行き、
夏休み直前まで教室で可愛がられた。(カエル跳びこむ・・・?
2ヶ月半ぶりに戻ってきたカエルは室内に入れずに玄関先においた。

    ツチガエル
     ツチガエル 2014.5.10    ガマガエル? 2015.7.24

翌朝、カエルの姿がみえなかった。ケースの蓋が開いていた・・・。
ケースで飼うのは、ミルワームを用意しなくてはならない。カエルにしても
自然の中がいいにちがいない。           (帰って行ったカエル
1年後、ひと回り大きくなったカエルを庭の隅で発見。 (1年ぶりの対面

今年、庭ではじめてカエルの鳴き声をきいた。鳴くのはオスだという。
メスは鳴き声によって、カエルの種類を見分けるという。
彼は自分のテリトリーを示すために鳴いているのか、メスを呼び寄せるために
鳴いているのかはわからないが。本格的な春がやってきた。
動物など

江戸期の「道しるべ」 目黒区 Ⅰ

2016年03月18日
道しるべが建てられるようになったのは、五街道を初め交通路が整備され、
わずかながらも生活にゆとりの出来た庶民が、寺社詣でをするようになった
江戸時代以降のこと。
目黒区内に残る約30基の道しるべは、江戸、それも18世紀以降が大半で、
明治、大正、昭和期に建てられたのが、それぞれ1基あるという。

道しるべに刻まれた地名は、当時どういう場所が栄え、どれだけ多くの
人が集まったかを教えてくれる。区内の道しるべでもっとも頻度の高い
地名は意外にも「池上」(大田区)。日蓮宗の本門寺の方角を指している。
次に多いのが「目黒」「不動」「祐天寺」「九品仏」などで、、目黒不動や
祐天寺、浄真寺が隆盛であったことを物語っている。
寺社以外では、渡し場のあった「二子」「丸子」、東海道一の宿場「品川」も。

道標には、庚申講や富士講仲間が集団で参拝するために建てたもの、
旅人の便宜を図るためのもの、辻の家が家族の長寿を記念したもの、
中には在郷軍人会が立てたものもある。
年代が分かる道しるべの中で最古のものは、「みかえり阿弥陀道標」
(下目黒3丁目 大聖院)で、宝永3年(1706)の建立。
度重なる道路改修で移動した道しるべがある一方、立派な雨風除けで
保護されているものもある。

小川坂上道標  (上目黒3)  文政12年(1829) 区文化財 
「小川坂上道標」は、「□□世田谷 井 ふちう」「あおやま ほりの内 道」 
右面「右 碑文谷仁王尊 いけがみ本門寺 道」左面「目黒ゆうてん寺
ふとうそん 道」
と刻まれている。

現在は烏森小学校の門内にあるというので、訪れてみると、学校の門は
閉じられていた。インターホンで道標について訊ねると、「わからない」と
管理の者が不在とか、構内に入るには予約は必要とか・・・せっかくなので
天祖神社に「庚申塔道標」を訪ねた後、目黒区役所に行くことにした。

    総合庁舎

目黒区総合庁舎の区政情報コーナーでは懇切丁寧に応対してもらった。
いろいろと調べたり、問い合わせてもらったおかげで、たしかに道標は
校内にあったが、現在、工事中のために、どこかに保管されているという。
工事終了後は、再び、構内に建つのだろうか。それにしても先生たちが
道標の存在を知らないとは・・・。

天祖神社の庚申塔道標   (上目黒2)  区指定文化財
天祖神社境内の木製の祠の中には2基の駒形の庚申塔がある。
右の庚申塔は彫像碑には珍しく、道標を兼ねているもので、区内の道標碑
としては最古、神社前の通り際にあったもの。   
  
     庚申塔
  「是より末 町さき四辻 大道九品仏道 右せたがい道 左 ふとう道」       
    正面に「青面金剛(日月・二鶏・三猿)」の陽刻  享保元年(1716)

     庚申塔
    奉待庚申塔 正面に「青面金剛(日月・二鶏・三猿」) 宝永5年(1708)
旅・散策・イベント

あの椎の木は・・・

2016年03月17日
新宿区の佐藤美術館で開かれている「岩田壮平日本画展」(1/8-3/6)を
訪れたのは会期も終わりに近い3月に入ってからだった。
岩田氏のデッサン教室に通われているHさんにチケットをいただいた。
「あなた好みではないと思うけど・・・」と渡されたが、みたい!と思った。

花好きだった幼少時代、それが高じて生け花を習い、そして日本画の道へ、
というだけあって岩田氏は花を知り尽くしている。壁に屏風に踊る花、花、花。
多くの花たちに囲まれて不思議な解放感、そして満足感を味わった。
昔、ポピーを描いたことがあったが、形をただ写しとるだけ、初心者とはいえ、
塗り絵の域を出ていなかった。いつかリベンジしたいと思いながら館を出た。

帰りは行きと違う道を歩いた。塀の中何本もの樹が見え、巨大クレーンが
せわしく動いていた。そこがあのスダジイの明治公園と気づくまでしばらく
かかった。あの樹はどうなった・・・?と気になり始めた。(シイの巨樹

     工事中 
   
     工事中

都内の巨樹巡りをしているとき、都立明治公園を訪れた。
樹齢約350年から400年といわれるスダジイの巨樹は見事だった。
調べてみると、2015年6月、新国立競技場の整備工事に伴い明治公園の
新宿区霞ヶ丘)「シイ」を明治神宮外苑絵画館敷地内へ仮移植したとあった。

    スダジイ2009.10
     樹齢約350~400年 高さ約5.5m 直径約9.3m 
              新宿区指定天然記念物

江戸時代、柳沢安忠(柳沢吉保の父)の屋敷内にこの樹が聳え立っていた。
付近の人は屋敷を「椎の木屋敷」、屋敷の南側を坂町方面に通じる小道を
「椎の木横町」と名付けた。かつては東西約18m、南北に7-8mほどに
繁茂し、太田道灌は鷹狩の度にこの木を目印にしたという言い伝えも残る。

   スダジイ2009.10

その後、このスダジイは雪印メグミルク(株)の敷地内に生育していたが、
1964年、25mほど離れた新社屋の玄関前に移植された。
1996年、道路拡幅計画に伴い約3km離れた明治公園に再度移植された。
移植後、明治公園で繁茂し、高さこそ5.5m程度だが根元の直径は4.7m、
幹からは5m近い大枝が伸びていたという。

先日、K さんに久しぶりにお目にかかったとき、佐藤美術館の話になった。
はるか昔、あの辺りに彼女の家があり、私が帰りに通り抜けた児童公園
辺りは女学校へ通う道だったと懐かしそうに話された。Kさんは90歳。
「悟無好悪」の人生を歩まれている。あのシイの木のようだと思った。
    
スダジイの3度目の移植は、夜間にわずか数百mの距離を30分ほどかけて
運搬した。樹木の負担を軽減するため樹木医の診断のもと、移植前から
経過観察・保護養生等の準備を経て行われたという。

仮移植期間は2019年3月まで。移植地は整備後の新国立競技場及び
明治公園敷地内の予定とか。人間の都合で何度も引越を余儀なくされた
スダジイは、終の棲みかに落ち着くまでにはまだ3年もある。
なお、公園内の樹木約1500本のうち約1280本もが伐採されるとか。
旅・散策・イベント

桜満開の会場

2016年03月16日
4年前にオープンした現代日本画専門「郷さくら美術館」は、桜の季節は
大勢の花見客で賑わう目黒川の別所橋を渡るとすぐ。 (『桜の饗宴』
今月8日、車内でいろいろと検索していたら、「桜花賞」展と「桜百景」展
(3/8~6/5)を見つけた。まさに桜尽くしの企画展の初日だった。
時間に余裕があったので立ち寄ることにした。

4年前の開館記念展以来だ。目黒川の桜は蕾はまだ固かった。
お洒落な店が増えたせいか、川沿いでは勢の大勢の若い人たちと
すれ違った。                  (目黒川沿いに咲く桜

    大きなポスター

館内は観客も少なく、ゆっくりと観賞することができた。
2階、3階の29点の「第4回桜花賞」の桜はすべて80号。見応えがあった。
取材地や作者のことばが記されていたのもよかった。

   白い花影
          「白い花影」 立尾美寿紀   (郷さくら美術館サイトより

もっとも惹かれた「白い花影」の取材地は何と日本橋さくら通り。
美術館外の大きなポスター写真を撮って早速、タブレットの壁紙にした。
Uさんにこの画像を送ると、「・・・なぜか絵の中の雲が今描いている龍図の
雲に似ています。少し頭がおかしくなったかも。・・・」
とのお返事。
いやいや、自分がほんとうに描きたい画に挑戦できる彼女が羨ましい。
    
「桜百景vol.5」展は、昨年の桜花賞受賞作品や吉川優、中島千波、林潤一、
那波目功一、栗原幸彦などの桜が満開。

          さくら川
              「さくら川」 伊達良 (絵はがき

「さくら川」は、まさに目黒川の桜!どこの橋からみた桜だろうか。
帰宅後、PCに保存している「桜」のフォルダを探したら、かなり似た構図の
画像見つけて嬉しくなった。2010年4月2日、満開だ。

  満開 
       橋から     2010.4.2     中目黒駅ホームより

昨日、Uさんたちと目黒不動尊の天井画を観た後、再び美術館を訪れた。
目黒川沿いは何度も歩いたが、桜満開のころに訪れたのは2010年が最初。
その後、人の多い桜の時季を避けていたが、今年は覚悟をして満開の桜の
中を川沿いを天神橋まで歩き、久しぶりに西郷山に立ち寄ろうと思っている。    
絵画・博物館

目黒不動尊の狛犬たち

2016年03月15日
天台宗 泰叡山 瀧泉寺は目黒区下目黒にある関東最古の不動霊場。
不動明王を本尊とし、通称「目黒不動尊」と呼び親しまれている。
江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依を受け、塔伽藍の造営が行われ、
幕府の厚い保護を受けた。五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の
1つとして広く人々の信仰を集めた。
熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と併せて日本三大不動の1つ。

<江戸初期の狛犬>   都内最古   承応3年(1654)
石段を上がると、どっしりとした都内最古の狛犬が睨んでいる。
江戸初期には、制作年や寄進者名などが台座ではなく像に直接刻まれる
ことが多いというが、この狛犬にも腹部に「奉献 不動尊霊前 唐獅子二匹」の
文字が見られる。
  阿
  吽
                 
<観音脇の狛犬>    天保11年(1840)
右側の阿像は牡丹が描かれた江戸牡丹。台座にも牡丹と狛犬の図柄。
吽像はなくなったのか、代わりに現代的な狛犬が鎮座する。尾がユニーク。

     天保11年              
<和犬型の狛犬>  文久2年(1862)? 
前不動堂を護っているのは、入口や仁王門のどっしりとした狛犬とは似ても
似つかない頭を深く垂れたすらりとした和犬。目も垂れ、耳も垂れていて、
角度によっては微笑んでいるようにも見える。犬は神使だとか。
制作年と寄進者の名が刻まれた台座は、前不動の狛犬のものいう説がある。

    和犬型
    子
                         
<八大童子前の狛犬>   昭和8年(1933)
不動明王の眷属として衆生救済に活躍する八大童子前の狛犬は昭和生れ。
台座はかなり古い。工事中のため近寄れなかった。

    仁王前
                  
<仁王門内側の石膏狛犬>  昭和53年(1978)     
仁王像と背中合わせ。「仁王門の仁王像を作った後藤良という彫刻家が
製作した狛犬の原型で、彼の死後、昭和53年に寄進された」と記されている。
靖国神社の狛犬も同じ作者による。

     石膏狛犬
                
<仁王門前の狛犬>   平成11年(1999)
大きな鈴を首から下げている唐獅子風。ユニークな鼻、目に黒目がある。

      平成
                 
ほかにも独鈷の滝の上の斜面にも和犬型石像が数頭いたりと、密教系の
寺院らしく境内至る所に狛犬や不動明王像など多くの石像が置かれている。

先月、Uさんたちと池上本門寺で「未完の龍の天井画」(川端龍子)を
久しぶりに見て以来、気になり始めた天井画。目黒不動尊で天井画をみて
帰宅後、訊ねてみると、ここも川端龍子の「波涛龍図」。だが、新しくなった
本堂の天井画はプリントで、本物は大切に保管されているという意外な答え。
今日、Uさんと目黒不動へ。プリントでも構わないので龍に逢いたいという。
再びたくさんの狛犬たちにも逢える。               (雲龍図
旅・散策・イベント

「ストリートビュー」で

2016年03月14日
3月2日、明け方の耳に飛び込んできたラジオのニュース。この日から
東日本大震災の発生から5年になるのを前に、「グーグルマップ」が
提供している「ストリートビュー」サービスは、被災した82の市町村の
沿岸部を新たに撮影した最新画像をネット上で公開。
震災後、定期的に被災地を撮影しているため、過去の画像を閲覧する
機能で被災直後の状況や、その後の復興の過程を確認することができる。

宮城県女川町では被災した地区が次第にかさ上げされていく様子など
復興事業の進み具合が、福島県浪江町の避難指示解除準備区域では
被災した建物が残されたままになっている状況が分かるという。

仙台と石巻を結ぶ仙石線は、高城町駅 - 陸前小野駅間が不通となって
いたため、松島海岸から代行バスが運行されていた。
小野駅に向かうバスの左手の高台で行われていた新しい線路やホームの
工事、津波で流されlずたずたになった野蒜駅・・・。バスの車窓から見えた
あの寒々とした風景は今でも忘れられない。(代行バスで陸前小野へ

陸前大塚駅 - 陸前小野駅間の高台移転による新ルートの区間が完成し、
昨年5月末、全線で運行が再開され、仙石線は、左手に災害公営住宅の
造成を見ながら東名駅と野蒜駅付近を通るという。
2年前の5月、りんりんと訪れた陸前小野はどんな状況だろうか。

       2013.5
          小野駅前応急仮設住宅 集会所 2013.5

グーグルの「ストリートビュー」で陸前小野を覗いたが、2013年5月や
7月ころに撮影された画像しか見つからなかった。グーグルアースや
地図にはまだ仮設住宅が載っていた。どのくらいの人たちが今もあそこで
暮らしているのだろうか。              (被災地の集会所

    集会所
           りんりんと訪れた集会所  2014.5

2012年4月、東松島市小野駅前地区応急仮設住宅の集会所で生まれた
「おのくん」は1足の靴下から作られる「ソックモンキー」と呼ばれる人形。
約80世帯が入居するこの仮設住宅ができたのは、震災から半年後。
旧鳴瀬町の野蒜地区などに住んでいた人たちが多く暮らしている。

    陸前小野
       ↑小野駅前地区応急仮設住宅         陸前小野駅↑

「東松島へ来てほしい」という思いから「おのくんハウス」での対面販売を優先。
通信販売では約半年ほど待たなくてはならない。(おのくんの里親に
手作りであるため同じ靴下でも同じように完成せず、世界で1つの人形だ。
購入者は「里親」となりわが子のように可愛がり、おのくんを「おのくんハウス」に
連れて行くことを「里帰り」という。

   おのくんハウス
           行きの仙石線から同行したS君とりんりん

朝に夕に4人?の「おのくん」の前を通る度にあの日の東松島の不思議な、
いや不気味な静けさを思い出す。彼らの里帰りはまだ叶わないが、できれば
今年中に実現させられたらと思っている。
旅・散策・イベント

「あの日から」の写真展

2016年03月13日
東日本大震災から5年。今まで都内で開かれたいくつかの震災関連の
写真展を観た。最初は3.11から3ヶ月後の「被災地の春」写真展。
その年の12月、2014年の3月、そして今年は目黒美術館で開かれた
「気仙沼と、東日本大震災の記録展」を訪れた。(気仙沼から目黒へ

「被災地の春」写真展 2011.6 赤坂サカス ギャラリー
被災者の「ココロの復興」を願って「春」と「希望」をテーマに開かれた写真展。
ボランティア、記者、カメラマン、被災地した人々などが、4月末、茨城、
福島、宮城3県の被災地を歩きながら、折にふれ撮影した「春の訪れ」を
撮影した100点近くの写真が展示されていた。 (被災地にも春が来て
  
        被災地の春展
               「被災地の春」 写真展
   被災地の春展

         
「ATOKATA展」 2011.12.   神宮前 アウディ ショールーム
篠山紀信写真集『ATOKATA(あとかた)』の発刊記念展。
震災から50日後、篠山氏は「迷いとためらいを乗り越えて」被災地へ。

    案内はがき          
それは神の悪戯でも凄惨な地獄でもなく、静謐で尊く、荘厳な光景であった。
僕は自然の力に畏敬し、畏敬をもって凝視するしかなかった。
(『ATOKATA』)

      会場

写真に題はなかった。どの風景にも不思議な静けさが漂っていた。
無残にも壊れた海辺の町を包み込む夜空に瞬く星たちの美しさ。
かつて家族が憩う窓辺だったのだろう、微風に揺れる白いカーテンが
悲しかった。しばらくそこを動けなかった。   (大震災から10か月

「六田知弘写真展 3.11 時のイコン 東日本大震災の記憶」  
                         2014.1 渋谷区立松涛美術館
「写されたモノたち自身が語る声に耳を傾けてほしい」と六田氏は、
津波の3週間後、初めて被災地に行ったときは想像を絶する悲惨な現実に
呆然としてほとんど写真は撮れず、9ヶ月が経ち、作者は津波にのまれた
地面に落ちたものを白い紙の上に1つずつのせて撮り始めたという。

      時のイコン
      表紙「草の芽の出たズック靴」  「三つのぬいぐるみ」 石巻市
                                (平凡社『時のイコン』)

撮影場所は宮城県石巻、気仙沼市、岩手県陸前高田市、福島県広野町など。
ハーモニカ、毛糸の靴下、潰れた両手鍋、種モミが入った青い網袋、
葉が出たヤカン、曲がったフォーク・・・。どれもこれも怖いくらいに美しい。
その持ち主を、その人の生活を想った。    (東日本大震災の記憶

鍵井靖章「3.11― あの日から」 2014.3 六本木 富士フィルム
水中写真家の鍵井氏は、東日本大震災発生から3週間後に三陸の海に潜って
以降、3年間に2~3ヶ月に1度は現地に赴き、120回の撮影を行ったという。
2度目にりんりんと訪れたとき、鍵井氏から写真の説明をしていただいた。
                             (海底からのメッセージ
 
       鍵井展
                   「天然のコンブが繁茂する車のタイヤ」   
                    2013.10.24 岩手県宮古市浦の沢

    海底
      「海底に沈んだ洋服」   「助手席シートに付く2匹のヒトデ」
                   2014.1.31 宮古市浦の沢 

軽ワゴンの助手席を覗くと、ちょうど胸の部分にイトマキヒトデが2匹付着していた。
水深約8mの海底まで届く薄日が車内に差し込むと、海中であることを忘れてしまう。

パンフレットによれば、定期的にこのワゴン車の撮影をつづけている鍵井氏。
時間の経過と共に車体は朽ち果て、台風などの度に少しずつ移動しているのだとか。
旅・散策・イベント

気仙沼から目黒へ

2016年03月12日
東日本大震災の発生から5年。「震災を風化させることなく、友好都市である
気仙沼市の復興を引き続き支援していくため、気仙沼市のリアス・アーク
美術館と連携した展覧会が開かれます」
(2/13~3/21) 
東急線の駅で手にした「めぐろ区報」で「気仙沼と、東日本大震災の記憶展
リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」が目黒美術館で
開かれることを知った。

  目黒美術館

目黒区と宮城県気仙沼市は、「目黒のさんま祭」をきっかけに交流を深め、
友好都市協定を締結したのは、東日本大震災が起きる半年前だったという。
リアス・アーク美術館は高台に位置しているため、津波による浸水被害を
免れたが、地震による被害は相当なもので、1年半の休館を経て部分開館、
2013年4月より全面開館し、「東日本大震災の記録と津波の災害史」の
常設展示を公開した。          (『大震災の記録と津波の災害史』)      

目黒美術館での今回の展示は、東京地区では初めて大規模なもの。
気仙沼市と南三陸町で撮影した写真約3万点と被災物約250点の中から
現場写真203点、被災物11点と被災物写真パネル61点、関係歴史資料を
加えた約400点が展示されている。入場無料。

        気仙沼市
        2011.3.23 気仙沼市仲町 取材中

気仙沼市
 冠水した路地に建物が逆さまに映り込む。
         ・・・
 毎日、壊滅した街を歩き、耐えがたい
 無残な風景を見続けていると、
 こんな光景に美しさを感じるようになる。
 一瞬でも「美しい」と感じられる「精神の
 救済」を求めているのだと思う。
 心が美しいものを欲しているのだ。
 
 
  2011.4.25  気仙沼市仲町、幸町 (写真は図録より)

今までに津波に遭った町の様子、景色などは写真展でも目にしているが、
写真に被災者でもある撮影者のことばや被災物に添えられた物語にも、
山内宏泰リアス・アーク美術館学芸員による「東日本大震災を考える
我われのキーワード」にも心がえぐられるようだった。

     タイル
       タイル片 2012.3.30~4.20 気仙沼市 南三陸町各所
津波っつうの、みな持ってってしまうべえ。んだから何も残んねえのっさ・・・
基礎しかねえし、どこが誰の家だが、さっぱり分んねんだでば。
そんでも、玄関だの、風呂場だのタイルあるでしょ。あいづで分んだね。
俺もさぁ。そんで分ったのよ。手のひらくらいの欠片でも、家だからねぇ。
残ったのそれだげだでば
                (写真は図録より)

1階も2階も静まり返っていた。会場で出会ったのは10人ほど。
1人の男性をのぞき、50代以上と思われる女性ばかり。欧米人だろうか、
2人の女性も1人で訪れていた。重たいが見応えがある展覧会だった。

□記憶・・・《被災物》被災した人を被災者と呼ぶように、被災した物は
被災物と呼べばいい。ガレキという言葉を使わず、被災物と表現してほしい。
□自然観・・・《海》海に罪はない。海は私たちに多くのものを与えてくれる。
だが、私たちの思い通りになるものではない。

100余あるキーワードの中でも短いものだ。

写真に目を遣り、キーワードを読んでは会場に置かれたイスに腰掛けた。
何ができるのだろう。図録を買うことくらいしか思いつかなかった。
旅・散策・イベント

東日本大震災5年

2016年03月11日
2万人を超える犠牲者を出した東日本大震災から今日で5年になる。

岩手、宮城、福島3県の35市町村で、プレハブ仮設住宅から学校に通う
小中学生は約3,800人に上るが、住宅再建の遅れや原発事故による
避難のため、仮設から通う子どもの割合が40%以上の自治体もある。

仙台市など7市町村はプレハブ仮設住まいの子どもは集計していないため、
実態はさらに多いとみられる。
プレハブ仮設住宅は一般の住宅より狭く物音が響きやすいため、ストレスも
多く、学習面の弊害も。                  (2/14 東京新聞より)      

「震災発生当初を思い出し今もつらいと感じることがあるか」の問いに
「よくある」が26.3%、「時々ある」が46.3%で、合わせて70%を超えた。
「あまりない」は17.7%、「ほとんどない」は9.7%。
「どのようなことを思い出してつらいか」には(複数回答)
「家族や親族、親しい人を亡くしたこと」が47.3%、「津波で自宅や
財産を失ったこと」が次ぐ。「避難所や避難先での生活」も30%近い。

(対象:3県沿岸の自治体に住む、避難生活を余儀なくされた各県100人。
①プレハブ仮設住宅 ②災害公営住宅 ③自力で再建した住宅の各100人。
福島県は原発事故避難者含 共同通信記者対面による聞き取り 2015.12)         

   東松島
       東松島市仙石線不通箇所  代行バスの中から  2014.5 

巨大津波に襲われた岩手、宮城、福島3県の沿岸部で、防潮堤の建設が
着々と進んでいるが、今なお、住民同意に至っていない地区があるという。
3県とも1割程度完成したが、進行の度合いに差が生じているという。

岩手県では全箇所で住民が同意済みで、18年度までに完成する見通し。
福島県では原発事故の影響で、原発20km圏内の災害査定が遅れたが、
大熊町沿岸など帰還困難区域を除き、15年度内に全工事を発注できる。

宮城では防潮堤建設に反発する住民と県・市町の間で話し合いが今も続く 
地区があり、工事完了のめどは立っていないという。景観や漁港の利便性に
配慮し、当初の高さや位置の変更を迫られた例も多いという。


2年前の5月、りんりんと訪れた宮城県東松島でも仙石線の復旧工事や
防潮堤の建設が行われていた。           (仮設住宅くらし

       陸前小野
           小野駅前応急仮設住宅  2014.5 

「おのくん」を求めて陸前小野駅前(とはいえだいぶ歩いたが)仮設住宅で
お会いしたTさんたちはどこかに移られただろうか。わが家の「おのくん」を
見る度に、仮設住宅の風と集会室で黙々と「おのくん」をつくられていた
人たちを想い出す。      (被災地の集会所おのくんの里親に) 

       集会所
          集会所の「おのくん」たち    2014.5
旅・散策・イベント

「桜ライン311」

2016年03月10日
まもなく桜の便りがきかれるころ。東日本大震災から明日で丸5年。
3.11の津波に飲み込まれた岩手県陸前高田市で、桜の植樹をする
桜ライン311が始まったのは2011年の秋。
これは、陸前高田市内約170kmに渡る津波到達ラインに10mおきに
桜を植樹し、ラインに沿った桜並木を作ることで、後世の人々に津波の
恐れがあるときにはその並木より上に避難するよう伝承していく活動。

    桜ライン
             「桜ライン 311」 サイトより

この「桜ライン311」というプロジェクトに見覚えがあった。2年前の3月、
りんりんと出かけた「鍵井靖章 3.11- あの日から」(富士フィルム
フォトサロン)の隣の会場で開かれていたのが「桜ライン311の軌跡」。
富士フィルムフォトサロン企画で、3人の写真家による「桜ライン311」の
始まりから現状までを捉えた写真展だった。  (海底からのメッセージ
      
昨年末時点で170km約17,000本のうちの9.32km、932本だとか。
「瓦礫撤去が進み、津波の到達点がぼやけ始めている今、一日も早く」
というが、津波到達ラインが桜並木となるまでの道のりは程遠い。

      付箋
               「咲かせよう 桜ライン」

東急百貨店では東日本大震災復興チャリティー」として東北で活躍する
イラストレーターがデザインした「桜付箋」が2月11日に発売された。
価格から消費税と製作費を除いた額が「桜ライン311」に役立てられる。
植樹には参加できないが、この「POP UP 桜付箋」を購入することにした。
売切れ次第終了とあったので、早めに渋谷本店へ。8セットをゲットした。
      付箋    
認定特定非営利活動法人「桜ライン 311」
2011年秋に任意団体として発足して2回、2012年秋からは植樹会を行い、
現在は、春と秋、年2回の植樹を基本軸とした活動に加え、2013年春からは
獣害などによる枯死が見受けられたことから、これまでに植えた全ての苗木の
状態観察と手入れ、獣害対策の作業を始めたそうだ。
旅・散策・イベント

あの日の空

2016年03月09日
5年前の3月9日、渋谷へ出かけた。昼前に比較的大きな地震があった。

3月9日の空
        3.9
        3.9

それから2日後・・・。午後2時40分ころ、六義園(文京区)の門をくぐった。
「六義園」は、徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主の柳沢吉保が築園した、
「和歌の庭」と呼ばれる「回遊式築山泉水」の大名庭園。

3月11日の空

       14:48
                        14:48
      15:19
                        15:19 
     16:18
                        16:18

14:46、大地震の直前の池と・・・・。
  14:44 
        14:44        
                 15:32

六義園からわが家までの10時間は5年経った今もパンパンに腫れ上がった
脚の痛みとともに甦ってくる。津波も原発事故の恐ろしさも帰宅後に知った。
                     (「恐ろしかった1日 歩いた歩いた
旅・散策・イベント

江戸期の「道しるべ」 品川区 Ⅲ

2016年03月08日
品川区に残る江戸期の道しるべは以下の2ヶ所ですべて廻ったことになる。
江戸期の道しるべ 品川区Ⅰ 「

西大井の題目道標  区史跡   (西大井1)
東海道と中原街道を結ぶ道の途中にあり、池上本門寺と九品仏方面に
到る分岐点に建てられた高さ1m18cmの道標。原位置。
品川用水に架かる石橋の無事と通行車の安全を願って造立。
区内最古の道標。ちなみに大田区最古の道標は延宝2年(1674)。

 元禄8年
               元禄8年(1695)
             正面「南無阿弥陀佛」 
      左「従是 池上本門寺道」  右「従是 奥澤九品佛道」
          
文政11年銘道標  区史跡   (南品川3)  
観音信仰と交通の便を兼ねて、居木村の名主により造られた観世音菩薩
供養塔道標。高さ1.05m、石質は安山岩。
もとは居木橋村と品川宿の枝郷三ッ木との境に建てられたものが、
貴船神社の境内、祖霊社前に移転保存されている。

         祖霊社 祖霊社

    文政11年
                     文政11年(1828)
        「左 北品川」  正面(梵字)「西 めくろ」  「右 南品川」

和銅2年(709)の創建の古社。境内には旧石鳥居や手水などが転がっていた。
          
      境内             
旅・散策・イベント

明治期の狛犬 大田区 Ⅲ

2016年03月07日
江戸期に造られた大田区の神社の狛犬は10対。明治期に造られた
狛犬には子連れ、子育て狛犬が多い。 (明治期の狛犬 Ⅰ )

山王熊野神社 (山王3)     明治35年(1902)

 熊野神社
       熊野神社

東八幡神社 (矢口3)     明治35年(1902) 
 
   東八幡

白山神社 (東嶺町31)     明治39年(1906)
左右どちらの狛犬とも1匹ずつ抱いている「子取り狛犬」。

    白山神社
           2837no7.jpg
           境内のご神木 樹齢600年のタブノキ

堤方神社 (池上1)      明治40年(1907)  
堤方は、池上本門寺の南東にある旧村名・旧町名。かつて小名内池という
池があり、洗足池からの水で度々洪水に見舞われたことから、堤を築き
その傍らの池を堤傍、のちに堤方と呼ぶようになった。
狛犬は、どちらも子どもを抱え、歯を食いしばっているようにみえる。

    堤方神社

子安八幡 (北糀谷1)    明治44年(1911) 
応永年間(1394年~1428年)に、鎌倉八幡を勧請したのに始まる。
江戸時代には小泉次太夫吉次の領地(旗本領)となった。

    子安八幡
              諏訪社の前の狛犬

現社殿の前には昭和生れ(昭和38年)の狛犬がいる。
石造明神型の鳥居(区指定文化財)は高さ180cm。 区内最古のもの。
旅・散策・イベント

「しょうゆ」が出来た!

2016年03月06日
江戸時代初期の頃までは大豆だけでつくられる「たまり醤油」が主流
だった。だが、完成まで3年もかかる醤油のため、短期間で作ることの
出来る製法が考えられた。麦を混ぜることで1年弱で出来るようになった。
単に「醤油」というと関東地方で発達した最も一般的な濃口醤油で、
醤油の生産高の約9割を占める。

昨年夏のりんりんの自由研究「調味料さしすせそ」は、キットを使った
醤油、味噌のほか、砂糖、塩はすぐにでき、酢も仕込むだけで簡単だった。
もっとも手間がかかったのは、わが家に預かった「しょうゆ」。

     材料
          醤油麹 塩 濾布   仕込む 2015.8.22  

ときどき仕込んだペットボトルを横にしたりして熟成を助けた。
キットの説明書には半年で完成とあるため、待ちに待った2月。

    熟成中
            9.30            2016.2.20         

ふつう醤油は冬に仕込み、次の年の秋に完成。夏に仕込んだときは
次の年の春ぐらいというが、待ちきれず半年でしぼることにした。
もろみをいれた濾布を吊るした。ポタリ ポタリと落ちていく。
一晩以上おくと落ちなくなった。無理にしぼると濁ってしまうそうだ。

    しぼる
            醤油     一晩かけて      もろみ 
       
もろみはそのままキュウリにつけたり、マヨネーズを加えてピザトースト風に、
鶏肉や豚肉などのステーキなど、いろいろな料理に使える。
2月の桂花会の昼食に完成したもろみ醤油を使ったひと品をみんなで試食した。

     もろみで
    キャベツと舞茸のもろみ醤油炒め  もろみトースト            
       
醤油はちょうど「薄口醤油」のようだった。もろみを使ったひと品はそれなりに
美味しかった。だが、塩や醤油の代わりに使うならいいが、そのままでは
かなり塩辛い。「急いては事をし損じる」・・・「拔苗助长」「欲速则不达」。
とりあえず完成した?醤油ともろみを再び合わせて、あと3ヶ月ほど熟成させて
みようかと思っている。
身近な人びと

庭の食堂

2016年03月05日
今日は24節気の1つ「啓蟄」。春の暖かさを感じて、冬ごもりしていた虫が
外に這い出てくるころ。啓は「ひらく」、蟄は「土中で冬ごもりしている虫」。
一雨ごとに気温が上って徐々に日一日と春らしい日へと変わる季節。

わが庭も時に鳥の食堂となる。ヒヨドリ、ムクドリ、オナガ、シジュウカラ、
メジロ、ジョウビタキ、スズメ、 キジバト、ドバト、カラス・・・
「トットちゃん食堂」と同じように客がやってくる。   (トットちゃん食堂
猫といってもトラだが、狙われたらかなりの確率で命を落とすことになる。
.スズメ、ドバト、ヒヨドリ、オナガ・・・今まで犠牲になった鳥は数えきれない。

        シジュウカラ
                    シジュウカラ     
       メジロ
                      メジロ
  ジョウビタキ
                  ジョウビタキ
        オナガ
                       オナガ
        ヒヨドリ
                        ヒヨドリ
           ドバト
                        ドバト
        キジバト
                        キジバト
動物など

「トットちゃん食堂」

2016年03月04日
南品川で目に入ったのは少しくたびれた手書きの立札。「トット文化館」の
前庭にポツンと立っていた。「トットちゃん食堂は冬までお休みします」
「平成二十四年五月吉日」とある。24年の冬はとっくに過ぎた。
野鳥たちがお客さんらしい。お客さんはみかけなかったが、今の時季は
営業しているのだろうか。わが庭に頻繁にお客さんたちがやってくるが。

   トット文化館
         トット文化館      「トットちゃん食堂」の立札
            
        「お客様名簿」 (お好みなど)
雀様    団体    ごはんが大好き。舌を切られてもゴハン
四十雀様 ご夫婦  ひまわり  ツィッピーツィッピー
目白様  ご夫婦   りんご みかん  くっきり素敵なアイライン
雉鳩(山鳩)様    日本画でもおなじみさん
鵯(ひよどり)様     何でも  お静かに!いじわるしないでね
椋鳥様  団体    おとなになっても黄色いくちばし
鶫(つぐみ)様      昔はとってもおいしかった (ゴメンナサイ)
尉鶲(じょうびたき)様  いつも礼装 紋付姿
白鶺鴒(せきれい)様  イザナギさん イザナミさんから お礼状

土鳩(伝書鳩)様  お隣へどうぞ
烏様          どうぞお引取り下さい


わが庭の客も同じようだ。ドバトとキジバトでこれほど扱いが異なるのかは
わからないが、そのほかは同感!

帰宅後、調べてみると「トット文化館」は、就労継続支援(B型)の事業を
行っており、通常の事業所に雇用されることが困難な、主に聴覚障害者の
ための支援を行っている。

トット基金は、黒柳徹子著「窓際のトットちゃん」の著作権を受領し設立した
社会福祉法人(1981年)。現在「トット基金」では、トット文化館(就労継続
支援B型)活動と日本ろう者劇団活動、そして劇団活動のひとつとして
手話教室を行っているという。
動物など

「言語法」制定めざして

2016年03月03日
今日は上巳、桃の節句。上巳の節句は五節句の1つで、元々は3月上旬の
巳の日だったが、後に3月3日に行われるようになった。
古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があり、これが
平安時代に日本に取り入れられた。後に、紙で小さな形代(かたしろ)を作って
それに穢れを移し川や海に流して不浄を祓う風習が「流し雛」として残る。

   流しびな
         りんりんと隅田川で江戸流しびな  2015.3.1

そして「「耳の日」。「耳の日」は、難聴と言語障害をもつ人々の悩みを少しでも
解決したいということから日本耳鼻咽喉科学会により制定された。(1956)
電話の発明者、ろう教育者であったグラハム・ベルの誕生日でもある。

「全日本ろうあ連盟」などが目指しているのは、聴覚障害者が手話を学んだり、
活用できる場を増やす「手話言語法」。
手話は互いの目をみて行う豊かなコミュニケーション手段の1つ。
「手話言語法」が制定されると自治体ごとの条例制定による地域差は解消する。
ちなみに、2014年3月時点では3自治体が条例制定、41自治体が制定を
求める意見書や請願を議会で審議中だったが、ほぼ1年半後、意見書の
採択は全国1774自治体の99.22%まで広がった。

手話のできない聴覚障害者はかなりの数に上るという。特別支援学校では、
自立活動の時間に手話を教えている。手話を専門的に研究する大学はない。
医療機関で子どもの聴覚障害が判ると人工内耳の手術を勧められることが
多く、特別支援学校に通う聴覚障害児は減少傾向。一方、普通学校に通う
聴覚障害の児童生徒は増えているという。口の動きに頼る「口話法」は
一対一なら何とか会話できても、集団では非常に難しいというのだが。

手話詩、手話歌、手話ダンス、手話ミュージカルなど、手話を用いた芸術も多い。
いつだったかテレビでみたのは「手輪るサロン」(練馬区)という、手話で交流し、
子育てを支え合う集い。聞こえるママと聞こえないママたちが一緒に運営。
地元のイベントなど積極的に開催し、自分たちで振り付けた手話ソングを
披露するなど「輪」を広げているという。

品川区のトット基金の劇団「日本ろう者劇団」は「手話狂言」「創作劇」などの
全国公演をしている。

東京大学赤門(文京区)近くに、スタッフ全員が聴覚障害者というスープカフェ
「Sign with Me」(サインウィズミー)がある。  (静かなスープカフェ) 
4年前、中国語の同学Mさんとこの店を訪れたのはオープンしてまもなくだった。
Mさんの身体には数年前からペースメーカーが入っているが、中国語、手話、
詩吟、太極拳、コカリナ(木製オカリナ)と忙しい毎日。すべて長い学習歴。

   Sign with Me
           「+150円の商品ですが、よろしいでしょうか?」
              
私も、娘が小6の時から区主催手話講座に通い、初級から上級までの2年半の
コースを修了した。手話通訳者の仕事は自分に向かないことがわかり、次第に
手話から遠ざかってしまった。その後も使う機会もなくほとんど忘れてしまったが、
同窓生のNさんや講習後にさらに勉強されて都の通訳者となられたHさんとの
お付き合いは今もつづいている。

英語、中国語、手話・・・語学センスがない、会話が苦手ということもあるが、
手話では、手の形の成り立ちや意味の関連など言語学的な面に魅かれていた。
そのころの手話の本、自作の図解入りの参考書?を見てみたくなったが、
あとのまつり。何度かの大整理を経て、すでに処分してしまった・・・。

春は新しいコトを始めたくなる季節だ。再び手話にチャレンジしようか・・・
たまに目にする区報に載っていた「手話講習会」の講習者募集に血が騒ぐ。
だが、中国語はどうするの?学習歴の割に会話もできない有様。
「言うは易く 行うは難し」と言い聞かせる毎日がしばらくつづきそうだ。
旅・散策・イベント

テーマは自由

2016年03月02日
              春望      杜甫

     国破山河在 城春草木深   感时花溅泪 恨别鸟惊心
     烽火连三月 家书抵万金   白头搔更短 浑欲不胜簪

     
2月の桂花茶会の発表は、自由題のせいかバラエティに富んでいた。
Sさんはあの有名な「国破れて山河あり・・・」の杜甫の『春望』を暗誦。

O氏はある日のNHKの中国語ニュースを発表された。録音しておき、
あとで中国語に起していくという大変高度な作業を日課とされている。
中国語に触れるのは月1度のこの集まりだけになってしまった私には
「长时间劳动已经成为日本工作方式的一个特点。根本原因在・・・」
など、O氏が文字に起こした文を見ないと分からない。情けないこと。

       インコ

愛猫を失って数年が経つFさんは、飼い始めたセキセイインコの話。
セキセイインコは中国語で「虎皮鸚鵡」というらしい。鸚鵡はオウムだが、
「虎皮」とは頭上から後頭部にかけて黒の横縞模様が入っているから?
セキセイインコの和名は「背黄青鸚哥」。この漢字は日本に最初に来た
セキセイインコの背が黄色と青だったことに由来するらしい。

Fさんは可愛くてたまらないようだ。ことばも教え始めたところとか。
「たった35グラムの1羽の小鳥のお陰で家の中が明るくなった」とか。
この話をきいて子どもが小さいころ、青いセキセイインコを飼ったことを
思い出した。たしか、途中から緑色のインコをいっしょに飼い始めたが、
仲がよくなかったし、おしゃべりもしなかったので印象が薄い。

Sさんは、『日めくり 論語抄』の話だった。   (5枚めくれば・・・
今年1月に手元に届いて以来、毎朝、Sさんご夫婦とお嬢さんは、
その日の論語を3人それぞれが読むのが日課になったそうだ。
何とお嬢さんの論語は大阪弁だという。Sさん自身は大阪生れだが、
お嬢さんは東京と中国でしか生活したことないという。

       論語抄

たとえば、「子曰く 利によりて行えば 怨み多し」(里仁第四ー12)は
彼女の大阪弁では「孔子はんがいわはりました。自分のことばかり
考えてたらあきまへん。怨みかいまっせ」
となるとか。
一同大笑いしたのは言うまでもない。

1月、「今年の抱負」は「論語を学ぶ」と宣言したにもかかわらず、
私の関心は「論語」はすでに素通り、再び「禅語」に寄り道している。
そういえば、昨年の今ごろは『三国志』や幕末維新に夢中だった。
今年は、『真田三代の挑戦』(NHK第二「歴史再発見」)を聴き始め、
『徳川家康』(33年前の大河ドラマ)のDVDを見終ったところで、
戦国時代にも興味は拡がりつつあり、頭の中は混乱している。

3月のテーマは私が決めることになり、「超越時空」(「跨越時空」)を
提案した。「タイムスリップできるなら、いつの時代、どんな地に行きたい?
生活したいか?」。O氏は「やはり皇帝になってみたいな~」、M氏は
「動物になってもいい~?」。少し広すぎるテーマだったかもしれない。
今から皆がどんなタイムスリップをするのか、楽しみだ。
中国・中国の旅
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