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好きな四字成語 Ⅱ

2017年02月28日
今月の桂花会ではお茶をいただきながらの「好きな四字熟語」は楽しかった。
主に禅語でお馴染みの「任運謄謄」を選んだ。「明日のことを思い悩むことなく、
今を大切に」といった意味だが、好きな語句というよりとくにこれからの自分に
言いきかせるべき成語のような気がしている。   (好きな四字成語 Ⅰ

「水滴石穿」 「水滴石を穿つ」  出典:『菜根譚』
水滴も長年同じところに落ちれば石にも穴を開ける。道を究めようと学ぶ者は、
みなその様に努力をしなければならない。

自分は「易冷易热的人」(熱しやすく冷めやすい)、「三天打鱼 两天晒网的人」
(3日魚を釣り、2日網を干す)、「飽きっぽい」「三日坊主」というFさんが選んだ
成句だが、「三日坊主」も「飽きっぽい」のもわが性格のことかと思うほど。

「先忧后乐」 「先憂後楽」  出典:范仲淹『岳陽楼記』
常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。
北宋の忠臣范仲淹が為政者の心得を述べた言葉。
転じて、先に苦労・苦難を体験した者は、後に安楽になれるということ。

この成語が好きだというのはSさん。2年前、湖南・湖北の旅で岳陽楼を訪れた。
洞庭湖畔に位置し、北に長江の流れを望む「岳陽楼」の主楼は三層、1本の釘も
使用されていない。江南三大名楼の1つ。王義之、毛沢東、郭沫若などによる
『岳陽楼記』の写本が各所にあったそうだ。

         洞庭湖
                  洞庭湖と岳陽楼

「先憂後楽」ときくと、後楽園を思い浮かべる。岡山後楽園や東京の後楽園は
この范仲掩の「先憂後楽」に由来。岡山後楽園は、築園当初には御菜園場とか
御茶屋屋敷といい、後に御後園、明治4年(1871)後楽園と呼ばれるようになった。

少しばかり面倒だと先延ばしにしてしまいがちなこのごろ、この成語を久しぶりに
きくと、耳が痛い。りんりんに「今日やるべきことは明日に延ばさずに今日やろう」と
いってきたこともあるが、筋トレ、明日に延ばそうかと思い始めているところだ。

「朝気蓬勃」 元気はつらつとしている。張り切っているという意味。
奥様が書かれたという紙(カレンダー裏紙というのがいい)で、M氏らしい成語だ。

    朝気
                   元気そのもの

「逆水行舟」 「学如逆水行舟 不进则退」 
学問や仕事は努力しなければ後退する由来流れに逆らって船を進めると
いう意味。何事も努力しなければ後退することに例えられる。

「塞翁失马」 「人間万事塞翁が馬」  
故事から人間の吉凶・禍福は変転し、予測できないことの例え。安易に喜んだり
悲しむべきではないということ。

「说到曹操,曹操就到」  「噂をすれば影」
曹操の話をするとちょうど都合良く曹操が来た。
『三国志演義』で冷酷な悪役とされる曹操は情報収集力に優れていたため、
悪口など言えば、すぐに曹操が現れて殺されると恐れたことから。
中国・中国の旅

好きな四字成語 Ⅰ

2017年02月27日
今月の桂花会は「万里茶路」に因んだ3種のお茶。貴州省の緑茶「湄潭翠芽」、
福建省の烏龍茶「鉄羅漢」と紅茶「正山小種」。少し早い「桃の節句」のお菓子で。

    緑茶
              緑茶 「湄潭翠芽」 

それぞれに味わいの違うお茶をいただきながら「好きな四字成語」を発表した。
あまりにも多いため、皆が選んだのはダブらなかった。(好きな四字成語Ⅱ

あれもこれもと迷っているうちにひと月過ぎ、当日の朝5時から始めるという
情けなさ。以前、禅語の本数冊から集めた禅語をまとめたことがあった。
その中で座右の銘にしたいと思っていた「任運謄謄」か、それとも「一期一会」が
いいか、迷った挙句、「任運謄謄」を選んだ。出典は北宋時代の「景徳傳燈録」。

日本ではよく使われている禅語だが、中国語の成句には見当たらない。
「運を天に任せる」は「听天由命」とあるが、「謄」は「書き写す」という意味。
ほかにも「騰騰」となっている成語も多くみられた。

良寛は22歳から十数年間、円通寺で修行し、国仙禅師から印可状を受けた。
この印可状には「謄謄任運」となっている。良寛はこの寺でまさに「任運謄謄」の
境地を悟ったといわれている。

良也如愚道転寛 謄謄任運得誰看 為附山形爛藤杖 到処壁間午睡閑 
(良よ お前は一見愚の如くに見えるが、今やお前が得た道はどう転んでも
揺るがぬ寛い道だ お前の到達した任運謄謄の境涯を一体、誰が深く覗く
ことができようぞ わしはお前の今日の大成を祝って一本の杖を授けよう 
ありふれた自然木の木切れに過ぎぬが この杖は今日からお前が大切に
しなければならないものだ さあどこへ出かけてるがよい 到るところにお前の
世界がある どこでもよい お前の部屋の壁にたてかけて午睡するがよい
  
                                  水上勉 『良寛』より)

   良寛
        良寛和尚像 安田靫彦画   岡山県円通寺 良寛堂

「任運謄謄」は、明日を思い煩うよりも、今を精一杯生きよ、今日を充実して
生きる、そしてその積み重ねが将来となるということ。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、
是はこれ災難をのがるる妙法にて候」
という良寛の歌をはじめて知った。

「Que Sera Sera Whatever will be will be The future's not ours to see ・・・」
「ケ・セラ・セラ」はスペイン語で、「なるようになる」とか」「明日は明日の風が吹く」
といった意味だが、「任運謄謄」という禅語に似ている。

「なるようになる」「なるようにしかならない」。自分から悩みを探しに行かない、
問題をつくり出さない。これが結構難しい。肩の力を抜き自然体で。ありのままを
受け入れて前向きに生きたいものだ。『江戸の崖 東京の崖』(芳賀啓 著)を
読み終えたら、水上勉の『良寛』を読もう。
中国・中国の旅

街でみかけた車止め

2017年02月26日
味気ない車止め、防護柵もあるが、たまには楽しいデザインに出逢うこともある。

     墨田区
                墨田区 言問橋

      有明
                 江東区 有明

      高島平
                 板橋区 高島平

      神保町
           千代田区 神保町     羽ペンと本  


      烏山
                世田谷区 烏山  

       亀戸
                江東区 亀戸

   六郷
                   大田区 六郷
 
        大森
                  大田区 大森海岸     

    久が原
                大田区 久が原   弥生式土器

       洗足池
                  大田区 洗足池

      大田区
               大田区 洗足池        千鳥
旅・散策・イベント

九段の「常燈明台」

2017年02月25日
「・・・君 、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。
「あれは古いもので、江戸名所図絵に出ている」「先生冗談言っちゃいけません。
なんぼ 九段の燈明台が古いたって、江戸名所図絵に出ちゃたいへんだ」
広田先生は笑い出した。実は東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。

先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という
新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも
気がつかない、平気でいる。これが日本の社会を代表しているんだと言う。


今年は漱石生誕150年、没後100年とか、ついに漱石山房も工事に入る、
というからでもないが、kindleで漱石を読み直している。『三四郎』に出てくる
燈明台は、靖国神社近くの高燈篭のことだとわかった。

かなり昔になるが、九段下病院にKさんのお見舞いに行った折には気に留める
こともなかった。その後、北の丸公園からの帰り道、不思議な塔が目に入り
すぐ下まで行ってみると、和洋折衷の常燈明台だった。

       九段の高燈篭2014.10

明治4年に偕行社のあった地(現:東京理科大)に招魂社(現:靖国神社)の
常夜燈として建てられた洋式燈台で、一躍「東京新名所」になったようだ。
今は海などまったく見えないが、東京湾、品川沖の船舶、軍艦などの航行の
目印となり、遠くは房総沖からも見えたという。当初は通りをはさんで反対側に
建てられていたが、道路の改修に伴い昭和5年に現在地に移転。

         高燈台
        偕行社と燈明台  明治36年 (国会図書館デジタルコレクション

偕行社?出版社かと思いきや、陸軍将校と同相当官の親睦、軍事研究を
目的として明治10年に設立された団体だった。第二次大戦後解散。戦後は、
士官学校卒業生の親睦団体として再建。(「大辞林」)

『三四郎』の「・・とまた燈明台が出た」の「また」が気になって数頁戻ってみた。
「先生先生」と大声で呼びかけられても返事をしない広田先生が「どうも燈明台の
ようである」
とある。
偕行社のことを知って、広田先生の「これが日本の社会を代表している」という
意味が少しわかった気がした。今の時代、漱石が生きていたらどう思っただろう。
旅・散策・イベント

大昔の大田区

2017年02月24日
東急線の車内には、日能研の額面広告「シカクいアタマをマルくする」という
前年度の中学入試問題が月替わりで載っている。○×式一途でやってきた
「シカクい頭」には、こうした考えさせる問題はなかなか難しい。

       理科 *Click!
         2月   雙葉中学入試問題 理科 *Cliick!

チャレンジの条件は、比較的混んだ車内で、ドアの傍に立っているとき、さらに、
理数系の問題でないときに限られる。(受験シーズンシカクい頭の思いつき
今月は、女子中学の入試問題だった。理科だったが、「台地」「低地」「貝塚」などと
いった文字が目に入り、チャレンジしたが・・・。

    図

最近は、長い間暮らしている、生まれ育った地に関心を持ち始めたことから、
区立郷土博物館の講座(全3回のうち「久ヶ原遺跡と久ヶ原土器」)を受けたり、
「昭和のくらし博物館」土曜講座(全4回の1)「空間の崖 時間の崖」)の題にも
魅かれて、早速申し込んだ。博物館もわが家も立川から始まる国分寺崖線の
「しっぽ」の上に建っている。 (久ヶ原遺跡発見から90年 空間と時間の崖) 

東京の地形は、台地と低地、西部の山地に区分される」で始まる今月の問題は、
図を読み解いて考えなくてはならない。(問2)省略。
火山灰層(関東ローム層)と、れき層は、ほぼ同じくらいの時期につくられた地層で
都内では、縄文時代の貝塚が約90ヶ所で見つかっています。・・・台地に多く
見られます。火山灰層がつくられたのは、貝塚がつくられたころより少し前。


(問1) 東京の貝塚が台地に集中している理由を、貝塚がつくられた当時の気候を
考えて簡単に説明しなさい。

解答) 当時の気候は温暖で、海水面が今よりも高く、海岸線が内陸寄りだったから。
解説) (A)の①が地上に火山灰が降り積もってできたものであること、①のすぐ上に
盛土・表土があることから、①が堆積してから現在まで、(A)は海底に沈むことがなく、
陸地だったと推測できる。一方、(B)②の上には粘土層や砂層など、海底で堆積して
つくられる層があることから、(B)は②が堆積した後も海底だったと推測できる。


        碑
        JR大森駅ホーム           碑        大田区     
  
ラスコー洞窟壁画が描かれた時代には遠く及ばないが、先土器時代から
大田区(久が原小学校内遺跡)にも先住人がいたことが確認されている。
海と川に臨み、武蔵野台地の先端に位置している大田区は、昔から人が
住みやすく、交通の要路でもあった。

     品川区
       モース博士像    大森貝塚遺跡庭園       品川区 

いつの時代も人々が暮らすのは台地の上やその周辺が多いが、弥生時代に
なると沖積地にも進出してくる。このころより気候が安定し、それまで東京湾は
海岸線から50km以上も海が侵入していた。縄文後期を境に後退し、肥沃な
沖積平野を形成する。
旅・散策・イベント

あの森が消えて・・・

2017年02月23日
大田区鵜の木の地に、大規模なマンションが完成した。
この一帯は、世田谷方面から連なる「国分寺崖線」の東南端の緑豊かなところ。
環状8号線に面し、田園調布に近い好立地に関わらず、約9千㎡のほとんどが
樹木で覆われていた「天明(てんみょう)さんの森」が2年半前姿を消した。
周辺住民や行政は保存に動いたが、地価高騰や条例の限界が壁になったようだ。

   森
     ↑旧六郷用水路        環八↑      朝日新聞 2015.1 

この森の所有者の天明家は室町時代から続く旧家で、江戸時代は周辺の
名主を務めた。区内最大とされたトチやイチョウなど幹の直径1mクラスの
大木をはじめ、直径10cm以上の樹木が581本あったという。日本を代表する
植生学の専門家は、「樹木は公共財・世界的な潮流」と指摘していたが。

江戸初期、この敷地に接してつくられた六郷用水路の完成後もほとんど人の
手が入っていなかったという。     (消えた森  あの森はもう・・・
森が姿を消すまでは、六郷用水の沿道部分は散策路として愛されていた。
図書館に行くときなど、何度、この散策路を通ったことだろう。

      環八側 2014.11
                        環八側
     用水路側
                       六郷用水路側(暗渠)

環八側の歩道も、長い塀に囲まれた森の傍に来るとほっとした。秋の歩道には、
紅葉、黄葉、雪の朝の落椿の美しさは今も印象に残っている。

  環八側
          六郷用水路側    2013.12

塀から出ていた太い樹が伐られ、森は壊されて、工事が始まった。
通る度にどんどん高くなっていく建物・・・。

  完成2017.2
          環八側     278邸       六郷用水路側

このところ、OさんやUさんと六郷用水路沿いに歩くことがあった。
かつての樹々は姿を消し、マンションの周囲にはく新しく木が植えられていた。
あの「天明さんの森」の面影はどこにもなかった。
旅・散策・イベント

モデルは猫

2017年02月22日
今日は「猫の日」。「ニャン!ニャン!ニャン!」の語呂合わせでこの日となった。
今年は酉年だが、空前の猫ブームがやってきているらしい。猫ブームは、今や
約2兆円の経済効果があり、「ネコノミクス」とまで呼ばれているという。
飼い猫は過去4年間で30万匹増え、2016年には987万匹だとか。

猫の日に合わせて全国各地でいろいろなイベントが行われる。全国に先駆けて
「猫の殺処分ゼロ」を実現している千代田区。「ちよだニャンとなる会」と共同で
猫の写真展、グッズの販売会、譲渡会など「ちよだ猫まつり」が開かれた。

      フテ猫

猫のキャラクター、イラストなどは街中にあふれているが、気に入ったデザインは
さほど多くはない。そんな中、「フテにゃん」はあの哲学者みたいな?表情が楽しく、
昨年、タブレットを買い換えてYmobile契約時にもらった「フテにゃん」缶を眺めては
癒されている。夜なら窓の外にはほんものの猫アミが寝ているのだが。
ラインのスタンプも最近は、この「フテにゃん」を使うことが多い。

       江ノ猫

りんりんたちが江ノ島に行ったお土産の「江ノ猫」のパッケージには、江ノ電を
背景にして魚をくわえた猫が描かれている。江ノ島は地域猫が多いとか。
彼らは「江ノ猫」と呼ばれてる。画はフテ猫と同じ茶トラだが、クリクリの目が可愛い。
クッキーはすぐになくなったが、パッケージはしばらく捨てられずにとってあった。

     クロッチ

Sさんと落合(新宿区)の中村彝と佐伯祐三のアトリエ、林芙美子記念館を歩いた日、
帰りの車内でFさんたちにアトリエの画像を送った。「すごくきれいな青空だけど、
新宿区とは驚き。・・・」「新宿区の記念館めぐり、私も近いからいつか行こうと
思います」というので、「落合」という「クロッチと歩くお散歩マップ」を撮って送ると
「可愛い! クロッチ」と。いわれてみれば、黒猫がところどころに姿をみせている。
下落合で生まれ育ったノラ猫「黒猫クロッチ」だとか。
購入するつもりはないが、ラインのスタンプまであるのには少々驚いた。

わが庭で生まれた猫たち、彼らはフテくされることもなく、ノラ猫にならずに
のびのびと自由に生きている。
動物など

図書貸出カード

2017年02月21日
昨年、交付が始まったマイナンバーカードを図書館利用カード(貸出券)として
利用する自治体があることを知った。昨年11月から、姫路市の15図書館で
マイナンバーカードで本の貸し出しができるサービスが始まったという。
従来の図書館利用カードと同じだが、有効期限は従来のカードより長く5年とか。

借りる際、カードをICカードリーダーにセットして暗証番号4桁を入力するので、
従来のカードのように他人に使われる心配がないという。だが、昨年末までに
貸出券として登録した人はわずか34人。もっとも人口53万人の姫路市の場合、
マイナンバーカードは昨年末までで約1割が申請済みという程度らしいが。

    図書カード
         カード入れ      ビル内の入新井図書館
     
先月、図書館で2冊の『北斎』を返却後、カウンターで1冊借りようとカード入を
出したが、定位置に図書貸出カードがなかった。『北斎』を借りたときだろうか、
カード入に戻さずにポケットかバッグの中に放り込んだのかもしれない・・・。
借りるのをやめて帰宅。心当たりを探したが、カードは出てこなかった。

カードを外に落とした場合、だれかに使われる可能性がある。数日後、図書館で
すぐに再発行してもらった。カードに記載される10桁の番号が変わるだけで、
資料の検索や予約などの際に必要なパスワードは変える必要はないらしい。

図書館は実に有難い。読みたい本があったとき、まずネットで検索、予約。
近くの図書館になければ他館から取り寄せてもらえる。ごんさんに貸出カードを
渡せば、その日のうちに読みたい本を手にすることができる。
こんなに便利でいいのだろうか。もっとも、人気の本は予約者が多いために、
だいぶ待たなくてはならないが。

いつだったか、『利休にたずねよ』(山本兼一 著)を検索したら、予約待ち
数百人だったことに驚いたことがあった。読んだことは覚えてはいるが、
予約待ちをしたのか、書店で買ったのか、なぜかはっきり覚えていない。

   区図書館HP
 
現在の「予約ベスト」をみてみると、1位の『コンビニ人間』(村田沙耶香 著)の
予約待ちの人数は1294人。2位の『火花』(又吉直樹 著)が1285人。
そして最終頁、ラストは636位、20人が予約を待っている。大田区立図書館に
登録している人だけでこの数は驚きだ。

落としもの、失くしものを度々するようになったこの頃、図書貸出カードや
花屋、パン屋、美容院などのポイントカードだけでなく、ICカード類を入れて
ある財布を紛失しないとも限らない。そうなったら一大事。区内の図書館で
マイナンバーカードが利用できるようになっても図書貸出カードで十分だ。
第一、本人でなければ使えないということは、今まで同様、予約した本を
ごんさんに借りてきてもらうことはできないことになるのだから。
つれづれ

落合「アートの小路」

2017年02月20日
新宿区落合は緑豊かな地で、静かな環境に憧れた多くの文化人、芸術家が
住んだ。佐伯祐三から中村彝(つね)のアトリエまでを結ぶ「アートの小路」も
魅力的。旧鎌倉古道沿いには氷川神社、弁財天など歴史ある坂の多い散歩道。

新宿区在住の友人にSさんがいる。画を習い始めたころのお仲間の1人だが、
ご家族で印刷会社をされていることもあり、印刷関係のお付き合いが多かった。
その昔、息子の高校で3年間携わったPTA会報誌の印刷の際に、そしてその後、
母の俳句集上梓のときにもお世話になった。

先日、実に久しぶりにお目にかかった。せっかくの機会、アート散策をすることに。
10時半に目白駅。中村彝(つね)、佐伯祐三、林芙美子の記念館巡りとなった。
栞を片手にまずは中村彝アトリエ記念館へ。外観もさることながら、大正5年
当時の建築部材が再利用された床や天井、壁など、居心地のよいアトリエが
再現されている。

    3199no2.jpg
         家具も、ついた絵具も復元されたもの

佐伯祐三の自画像は教科書にも載っていたが、中村彝は名前しか知らなかった。
中村彝は新宿中村屋の相馬夫妻の厚意で中村屋裏のアトリエから下落合に
アトリエを新築。肺結核と闘いながら制作をつづけ、37歳の若さで亡くなった。

     中村彝アトリエ
     中村彝  エロシェンコ(複製) 鶴田吾郎   
       
このアトリエで、鶴田吾郎の『盲目のエロシェンコ』(中村屋サロン美術館蔵)と
競作したといわれる重要文化財『エロシェンコ氏の像』(近代美術館蔵)のほか、
アトリエの画はすべて高精度写真パネルだというが、心を打たれた。
     
天井までつづく窓は北側にあった。佐伯祐三のアトリエでも北側に高窓があった。
たしか「画を描くには北側の安定した自然光に限る」とI 先生に伺ったことがあった。
中村彝のアトリエで、彼が新宿中村屋と関わりがあることを知ってSさんの提案で、
ランチは新宿中村屋に決まった。すでに正午は過ぎていた。

     アトリエ
              佐伯祐三のアトリエ    

林芙美子記念館は西武新宿線中井駅近く。佐伯祐三記念館からお散歩マップを
見ながら歩いた。後でみると、だいぶ遠回りをしたようだ。記念館到着は13時。
庭の樹々、踏石、雪見障子、風呂場、縁の下などみると旧宅を思い出した。
   
        栞
                アトリエ、記念館の栞 *Click!

静かな記念館を出て、中井駅から電車で新宿へ。まずは中村屋でランチ。
中村屋サロン美術館の「-中村屋創業115周年記念-食と芸術の物語」で
相馬夫妻が本郷で始めたパン屋が新宿に移ってからの画家たちとの繫がり、
インドの革命家、盲目のロシア人を匿ったことから生まれたカレー、ボルシチの話!
中村彝の『小女』や鶴田吾郎の『盲目のエロシェンコ』もみることができた。

再び中村屋でティータイム。Sさんとわかれたのは5時を過ぎていた。
美術館歩きとでもいえばいいのか、ゆっくり歩いたせいか、ふだん大人しい
腰痛が暴れ出した。週明け飛び込んだ整形外科、痛み止めも効かず、結局、
整体の施術1時間で、頸、肩、腰、膝、痛みはなくなった。早く行くべきだった。
旅・散策・イベント

爪にシール?!

2017年02月19日
高齢者(65歳以上)で認知症の人は462万人(2012年)、その数は2025年に
700万人に達し、高齢者の5人に1人が認知症になるともいわれる。(厚労省)
こうした状況の中、認知症の高齢者がフラッと自宅を出たまま行方不明となる
ケースが全国で相次いでいる。認知症及びその疑いで行方不明になる高齢者は
1万2千人以上にもなる。(2015年 警視庁)

       交番
           交番の掲示板    「この人をさがしてください」
   
こうした対策として防災無線やエリアメールでの情報共有はじめ、GPS端末を
介護者に無料貸与するサービスを導入している自治体も多いという。

先月、ラジオで耳にしたのは、徘徊を早期発見するための「身元確認用シール」。
すでにGPSを使った端末を導入している入間市(埼玉県)では、高齢者に端末を
常備させるのが難しかったため、昨年11月、爪に直接貼る1cm四方のシールを
全国に先駆けて導入したという。

シールのQRコードを発見者がスマホなどで読み取ると、事前に割り当てられた
身元特定の番号と市役所の電話番号が表示される。自宅の電話番号などの
個人情報は表示されないため、第三者に悪用される危険性もないという。

     システム
                                   (オレンジリンクス サイトより)

この「爪Qシール」は耐久性に優れ、爪がのびるまで2週間使えるという。
シール16枚のほか、靴の踵に貼る身元特定番号入りステッカ―20枚や
QRコード付キーホルダー1個が無料で配布されるが、QRコードに登録されて
いるのは、市役所の電話番号と割り当てられる「身元特定番号」だけ。

導入後、入間市には、利用者の家族から感謝の声が寄せられているというが、
ネット上では、嫌悪感を表す投稿もあるというが、徘徊中の本人も、早く見つけて
もらう方がいいだろう。

ふと、思ったのは、爪に貼られたシールが気になって、剥がしたりしないだろうか?
購入した品物の値札シールなど剥がす癖があるので、私はきっと剥がすだろう。
いっそ、QRコードに似たシールをすべての爪にアート風に貼ったらどうだろう。

        シール (オレンジリンクス サイトより)

偶然、「爪Qシールによる高齢者見守りシステム」を開発したオレンジリンクス
サイトをみると、花柄のデザインの爪Qシールもあった。女性に限るだろうか?
7年後には5人に1人という認知症、爪の手入れもしておいたほうがよさそうだ。
つれづれ

遊歩道を照らす灯り

2017年02月18日
今日は24節気の1つ「雨水」。空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて
水になるという意味。草木が芽生える頃で、昔から農耕の準備を始める目安と
されてきた。春一番が吹くのもこの頃。とはいえ、本格的な春の訪れにはまだ遠く、
三寒四温を繰り返しながら、春に向かっていく。

水辺の遊歩道を歩くのも楽しい。ベンチや街路灯もオシャレ。

「入江川せせらぎ緑道」    横浜市    2016.4
鶴見区東寺尾辺りに位置する区間は、自然の小川を模したせせらぎとそれに
沿った遊歩道として整備され、「入江川せせらぎ緑道」として親しまれている。
せせらぎを流れる水は神奈川下水処理場によって高度に処理されたもので、
本来の入江川は暗渠となっている。建設大臣賞「甦る水100選」に選定された。

     せせらぎ緑道
     せせらぎ緑道
               トンボにカタツムリにカエルに・・・
 
かつて山からの湧水を水源としたこの川は建功寺と呼ばれている。戦国時代の
武士が武具や身体を洗い流したことから血の川と呼ばれていたと云う謂れもあるが、
上流の土壌が赤かったため川に流れ込んで川底が赤く染まったからと云う説
も。
  
「新川沿道」    江戸川区船堀      2014.7
新川は、天正18年(1590年)、江戸城に入った徳川家康が千葉県の行徳までの
塩の船路開削を命じ、道三堀・小名木川と同時に開削。以来、新川は江戸市中に
様々な物資を運ぶ水路、行徳の塩を運ぶ「塩の道」として多くの人に利用される
とともに、味噌や醤油を売る店や料理店などが立ち並び賑わいを見せていた。

      新川沿い
        火の見櫓 高さ15.5m

「新川千本桜計画」がスタートし、江戸情緒あふれる街並みを整備。
春には20種、718本の桜が遊歩道を行き交う人々の目を楽しませている。
西水門広場に建てられた「火の見櫓」は、明暦の大火の翌年、幕府によって
設けられた「定火消」の火の見櫓を再現。土・日・祝日10時~15時 開放。
     
       新川沿い

「音無親水公園」  北区王子           2013.7
音無親水公園は石神井川の旧流路に整備された公園。 石神井川は北区
付近では音無川と呼ばれ、 古くから景勝の地として親しまれてきた。 
昭和30年代から始まった河川改修工事で石神井川の流路が変更になり、
残された旧流路に「かっての渓流を」ということで音無親水公園が造られた。
「日本の都市公園100選」に選定されている。

    親水公園
 
音無川のこのあたりは 古くから名所として知られていた。 「江戸名所図会」や、
近吾堂板江戸切絵図、安藤広重による錦絵などに弁天の滝、不動の滝、
王子の大滝などが見られ、広く親しまれていたことがわかる。          
旅・散策・イベント

「ラスコー洞窟」の壁画

2017年02月17日
2月7日、「特別展 世界遺産 ラスコー展」(11/1~2/17)の来場者が20万人を
突破したという。ちょうどこの日の午前中、Kさんと訪れた。実のところ、あまり
期待していなかったが、各所にさまざまな工夫や演出・・・出かけて正解だった。
空いていてじっくり観ることができたのもよかった。

それにしてもラスコー壁画について何ひとつ知らなかったことが恥ずかしい。
教科書である程度知っているつもりでいたが、あれはほんの一部だったのだ。

   クロマニョン人         

今から2万年ほど前、クロマニョン人によって描かれた「ラスコー洞窟」には、
600から850頭とも言われる躍動感溢れる動物たち、多くの記号的な絵画が
残されていた。色彩の豊かさや技法も素晴らしく、数ある洞窟壁画の中でも
最高傑作と称される。1979年に世界遺産に登録された。

1940年、ラスコー洞窟発見のニュースは瞬く間に広まった。保存の観点から
1963年に閉鎖されるまで、この小さな村を訪れたのは100万人以上とか。
洞窟の閉鎖は、村にとってはダメージが大きく、また研究者にとっては死活問題。
そこで1983年、村には見学者用に再現した実物大の洞窟壁画がつくられた。

今回、フランスでの展示を終えた「ラスコー洞窟の壁画」が日本初上陸した。
最新のテクノロジーを駆使し、1mm以下の精度で再現した実物大の洞窟壁画
展示により研究者ですら入ることができない洞窟内部の世界を体感できる。

模型をみると、軸状ギャラリー、通路、身廊、井戸状空間、牡牛の広間、後陣と、
洞窟と言うより蟻の巣のように枝分かれした地下空間は全長約200mにも及ぶ。

   模型
                       1/10模型
       ネコの部屋
              洞窟の最奥部にある「ネコ科の部屋」

ディスプレイを用いた「触って学ぶ解説ブース」が多く、理解を得やすい。
洞窟に残されていた画材・道具・ランプなどの展示(世界初公開を含む)などは
撮影禁止だが、ほとんどの展示はフラッシュをたかなければ撮影OK。

いよいよ実物大壁画の洞窟へ。数分おきに照明が落ちて暗闇に包まれる。
壁に描かれたウシやウマが特殊なライトにより線刻の姿で浮かび上がってくる。
はるか昔クロマニョン人が描いた線が時を超えて・・・。

     黒ウシ
        身廊の壁画3 「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」

    バイソン
     壁画4 「背中合わせのバイソン」    壁画2 「泳ぐシカ」

ホモ・サピエンスはアフリカで進化し、5万年前から世界中へ大拡散した。
ヨーロッパにやってきた集団がクロマニョン人。外見は、現代人と変わらない。
アフリカを出たホモ・サピエンスが、日本列島には到着したのは3万8千年前。
土器が出現して縄文時代に入るのは、1万6千年前。

クロマニョン人による壁画の制作は今から4万年も前(イタリアのフマーネ洞窟、
3万6千年前のフランス ショーヴェ洞窟壁画)から始まっていた。オオツノジカ、
ホラアナハイエナ、原牛、マンモスなど、今では絶滅した動物たちも描かれている。

        大型動物
                   オオツノジカ
  
「壁画に隠された技術を紹介」「クロマニョン人の正体を明かす」といった、
「映像シアター」も2ヶ所あり、Kさんを待つ間、立ち見、そして一緒に腰かけて
再び観たことで、だいぶ理解ができたように思う。

壁画は、輪郭を石で削った後、木炭や赤土を獣脂や血で溶いた顔料で描いた。
重ねられたウマの頭は上下しているかのよう、バイソンの3本の足も動きを表し、
遠くの動物は薄く描かれるなど、絵画的にもいろいろ発見があった。

それにしてもあのような暗黒の洞窟の中で共同作業が行われていたとは!
ランプの獣脂を絶やさずに、顔料をつくり、狭い通路に、梯子をかけて天井に
描いた背景には、ネアンデルタール人とは隔絶した技術の進歩があったという。
          
そこまでして彼らは何のために描いたのだろう。楽しいから絵を描いている小さな
子どもに似ているだろうか。彼らは「描きたいから描いた」のであって、「描くこと」
そのものが大事だったのではないだろうか。
彼らが残してくれた創造的で多彩な文化遺産を体験するいい機会になった。
芸術・文化・考古

思春期・・・?

2017年02月16日
毎月曜、りんりんはわが家に下校、夕食をすませて塾へ行くことが多い。
わが家での数時間は彼にとっては至福のとき(となるように協力している)。
『七つの大罪』を何度も読み返したり、絶えずモーター音がする壊れる寸前の
PCやタブレットに入れた「マイクラ」などのゲームと、フルに時間を使っている。

SさんとFさんをりんりんに頼んでラインの「桂花会」グループに入れてもらった。
昨年初孫誕生のSさんが、近いうちスマホに替える予定。彼女が加われば、
ラインでのやりとりがますます楽しくなるだろう。

建国記念の日。ご主人と高尾山に登ったSさん。「雪がいっぱいで、泣きそうに
なりながら歩きました。お茶会の前に滑って転んではいけない、その思いだけで
歩きました。疲れたー!」
「うわぁー、凄い! 本当に美しい!心が澄みわたるようですね」とFさん。
彼女からは国立劇場開場50周年記念の「近松名作集」のポスターの写真。

   2.11     
   2.12
            高尾山の雪             文楽のポスター

私は落合のアトリエなどを歩き回り、Sさんと分かれたのは5時を過ぎていた。
帰りの車内でSさんからの高尾山の雪景色をみることになった。
翌日もSさんから多摩ニュータウン越しの富士山、丹沢の山々。美しい。

            スタンプ
             シニアにもスタンプは楽しい・・・

りんりんにいわせれば、ラインでは「こんなに長い文章書かないもんだよ。
それに読点や句読点なんかつけない」。彼や娘からのラインを読み返すと
文はプツン、プツン、?や!はあるが、句読点も読点など見当たらなかった。
シニアはシニアなりに彼らとは違った楽しみ方をしてもいいだろう。

バレンタインデー前日、午後1時半までの3時間近くを病院の待合室で過ごした。
本は持たずに出たので、ラインをしたり、タブレット内を整理したりして過ごした。
Sさんからは「今、バレンタインデーの品と、お茶会のお菓子を買いに二子玉川に
来ました。夫は餡が好きなので栗重ね餡にしました・・・」 そうか、チョコレート!
電車を降りてから駅前のコンビニに入った。なかなかオシャレなチョコもあった。
ごんさんにトリフ、りんりんに「DARS」、じゅんじゅんにはパンダのチョコボール。 
 チョコガーナ                                      
この日、りんりんは早めの夕食を済ませてテレビのニュースをみていた。今年は
自分のためにチョコを買う男性が多いとか。「俺チョコ」というらしい。りんりんが叫ぶ。
「あ~あ、お金持ってくればよかった。俺チョコ買いたい」。あげたチョコとは別らしい。
買ってあげるといっても、あくまでも自分のお金で自分が買うのだと主張したため、
お金は貸すことに。彼が買った「俺チョコ」は、シンプルな「Ghana」チョコ¥106なり。
                       
小学生に見えなくもないが、まもなく中2になる彼、この半年でだいぶ変わった。
「中二病」に罹ったのだろうか? 中二病とは、「中学2年生頃の思春期に見られる、
背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた
空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。
(Wikipedia)
身近な人びと

バナナにメッセージ

2017年02月15日
まもなく「東京マラソン2017」。「東京マラソン」ときくと、銀座で偶然出会った
2年前の光景が目に浮かぶ。銀座では最後となった桂花会(中国語同窓会)の
日だった。マラソンコースに面したビルへ行く途中、目の前を走り抜けていく
ランナーたちの姿は感動的だった。      (また1つ姿を消すビル

   東京マラソン
                 銀座        2015.2.22

今年の「東京マラソン」も印象に残りそうだ。沿道でバナナやチョコレートなどが
ランナーに差し入れられるが、今年は東京マラソン用に開発されたバナナ
皮専用のフェルトペン「バナペン」で応援メッセージが書かれたバナナ
差し入れられることだろう。このペンで書くと5分程度で文字が浮き出てくる。

半蔵門線渋谷駅のA3出口近くの「ドールのバナナ」自販機で「バナペン」付の
バナナが販売中ということだった。2010年6月、国内で初めて置かれたという
あの自販機だ。1度だけ利用したことがある。      (バナナの自販機
  
     バナナ自販機
                ドール バナナ自販機     2010.9

驚いたのは、その人気?!先日、JR渋谷駅から京王井の頭線に向かう途中、
少し遠回りして立ち寄った。自販機前には5,6人の列。「整理券お持ちですか?」
ときかれた。持っているはずもない。何と、整理券は朝の7時頃に配られるが、
その整理券をもらうために6時頃から並ぶのだそうだ。 (~2/25)  

きいて唖然とした。たかがフェルトペンのために・・・? 東京マラソンにエントリー
できるのは、応募者の1割にも満たないとか。それに比べれば、毎朝、自販機の
前を通る通勤客なら容易にバナペンつきのバナナをゲットできるわけだが。

それはともかく、専用ペンなどなくても、文字は釘やシャーペンなどで書ける。
はるか昔、故F先生に、タラヨウの葉に文字などを書いたのが、「葉書」の
語源になったとのだと教えていただいた。別名「ハガキノキ」。(はがきの木
 
    タラヨウ
  
戦国時代に武士がこの葉の裏に文字を書いて情報のやりとりをしたり、
裏面に経文を書いたり、葉をあぶって占いに使用したりしたという。
郵便局や公園でタラヨウを見つけると、文字を書きたくなる。困ったものだ。      

最近、『植物はすごい』(田中 修 著)で、タラヨウだけでなく、ネズミモチ
ヤツデ、アオキなどの葉にも文字が書けることを知った。傷がつくと病原菌が
入りこまないよう、カサブタをつくるような現象が起きるとか。  (バナナ

そして、バナナにも同じしくみがあるとも。バナナの皮などには、ポリフェノールや
ポリフェノール酸化酵素が含まれているために、皮に傷つけて、時間が経つと、
ポリフェノールを酸化酵素のはたらきでポリフェノールが黒褐色になる。

新鮮なバナナの皮は「はがき」にはならなくとも「メモ用紙」として十分に使えるとか。

      バナナ

昨年8月、りんりんは、飼い猫ショウタン6歳の誕生日、「ショウタン おめでとう」と
書いたバナナを彼は持ち帰った。そのバナナを誰が食べたかはきいていない。
旅・散策・イベント

彼らなりのルール

2017年02月14日
今日はバレンタインデー。昨日、整形外科で2時間以上待たされている間、
Uさんや桂花会の2人にラインでつきあってもらっていた。
帰宅中の車内で、お茶会の準備で大忙しのSさんがお茶会用のお菓子と
ご主人にチョコを選んでいるところというラインが入った。そうか、チョコは
今日買っておこう。だが、電車を下りるところだった。ケーキ屋さんは遠い。
駅前のコンビニでご勘弁。りんりんとじゅんじゅんとも3個購入。

猫たち、 男の子はケシだけだが、もちろんバレンタインなど関係ない。
フードは玄関近くで与えずに南側1ヶ所だけに決めて以来、ククトモ、たまに
居合わせたケシも、たまに現れるアミも並んで食べる光景は珍しくなくなった。

  16時
                     1.10         16:00

     17時
     乗り切れないアミ 手前から トモ  ケシ クク  1.18 17:05

部屋使用に関してはおかまいなし。上下に1匹ずつのときもあれば、寒いときは
2匹いっしょというときもある。今までは考えられないククケシといった組み合せも
たまにある。どうやら3匹は朝、雨戸が開くまでこの中で待っているらしい。

      ベッド
                               18:30ごろ~6:30ごろ  

アミだけは2階ベランダで眠る。最初はボール箱に雨除けのビニール袋を
被せただけだったが、今は発砲スチロールの箱が収まった厚めのボール箱に
換えたので、かなり暖かいはずだ。
PC机に向かっていると、たまに目が合う(気がするだけかもしれない)。
雨戸を閉めるまでは眩しいのか、お尻を向けて眠っていることの方が多い。
動物など

春の水辺

2017年02月13日
久しぶりに六郷用水跡に沿って歩いた。東急多摩川駅近くの踏切を渡り、
沼部駅方面に歩くと、昭和初期に作られた大田区内で最初のトンネルがある。
トンネル中央には、東京府の時代の「東」がデザインされたマンホールがある。

 六郷用水跡

「六郷用水」は、多摩川下流域六郷領の水田化を図った徳川家康の命により、
小泉次大夫が14年の歳月をかけ慶長16年に完成させた。「次大夫掘」とも。
延長23kmで、49の村、約1522haに、主に農業用水として水を供給した。
多摩川対岸の川崎市を流れる「二ヶ領用水」(同じく小泉次太夫が監督)と
合わせて「四ヶ領用水」とも呼ばれる。

  水路

ちょうど水路の清掃が行われていた。さらに歩いてゆくと、シラサギやカモの姿が。

     シラサギ
      
   桜

    コイ

鯉もいれば、どうやら蛇も現れることもあるらしい。今は冬眠中だろうか。

    ヘビ

途中から水路は消え、暗渠となる。ここから先が六郷用水最大の難工事だった
切通しで、「女堀(おなぼり)」と呼ばれている。

緩やかな下り坂を過ぎると環状八号線にぶつかる。光明寺の北西を少し行くと
「南北引分」に到着。六郷用水はここで、北堀(池上、新井宿、大森方面)と南堀
(蒲田、六郷方面)に分かれる。 (六郷用水遊歩道 六郷用水跡
旅・散策・イベント

大根の季節

2017年02月12日
冬が旬の野菜といえば、大根、ほうれん草、春菊、小松菜、キャベツ、白菜など
いろいろ思い浮かぶが、日本人がもっとも多く食べている野菜は大根だという。
大根は世界の生産量、消費量の約9割を占めるといわれるという。

冬の大根は甘くて美味しい。細胞内に多く含む水分が凍って細胞が壊れることの
ないように、体内に備えたデンプンを糖分に変えて、凍るのを防ごうとするという。
大根の収穫量は1位が北海道、2位千葉県、3位青森県・・・。(農水省 2015

「二十日大根」から「青首大根」「三浦大根」「聖護院大根」、長さ120cmになる
「守口大根」、重さが20kg以上の「桜島大根」など、大根の品種数は数百種。
これは同株で受粉しても種子が形成されない「自家不和合性」のためだとか。
現在、美味しくて育てやすい「青首大根」が流通している9割を占めているという。

     光が丘
               練馬大根     光が丘公園  2009.11  
  
現在、東京周辺で伝統的に栽培されている在来品種の野菜「江戸東京野菜」。
約30種の野菜が認定されているが、その中の、大根は、亀戸大根(江東区)、
練馬大根(練馬区)、大蔵大根(世田谷区)の3種類。(地産地消の江戸野菜

            亀戸
                  亀戸大根   2013.1

亀戸を歩くと、亀戸大根を栽培している小学校がある。大根料理の「升本」では、
鍋、寿司、サラダなどの料理のほか、亀戸大根まんじゅう、たまり漬けなど、
亀戸大根を使ったメニューは「地産地消」。大根は亀戸の10軒の農家が栽培。

大根で思い出したのはりんりんが期末試験前にやっていた問題集。

        問題 *Click!

「1.細長くのびたXは何か。 ア ひげ根 イ 主根 ウ 側根」 答えは「側根」。
「2.ダイコンの食用部分は、根・茎・葉のどの部分といえるか。」 もちろん「根」。
「ジャガイモのいもは、根・茎・葉のどの部分か」の答えは「茎」。彼は間違えた。

ちなみに、日本人の野菜摂取量ランキング2位は玉ねぎ、3位はキャベツ、そして
白菜、人参、ほうれん草とつづく。(厚労省発表 2015

以前、山形蔵王の「凍み大根」づくりをみたことがあったが、まさに天然の
フリーズドライ食品。煮物、漬物、おろし、切干し大根などいろいろと利用される。
大根が食べたくなった。ぶり大根?ふろふき大根? 旬の野菜はおいしい。
植物など

大震災の記憶薄れるなかで

2017年02月11日
東日本大震災からまもなく6年が経つ。あの日の記憶も薄れていく。
  常磐線
  昨年12月、震災後初めて福島県と宮城県の
 沿岸部が鉄道でつながった。津波で線路や駅が
 流されて不通になっていた JR常磐線相馬駅と
 浜吉田駅の間の約23kmが 再びつながった。
 原発事故で、放射線量が高い所を走る福島県の
 竜田駅(楢葉町)と小高駅(南相馬市)間は不通。

 常磐線は、荒川区の日暮里駅から千葉県北西部、
 茨城県、福島県の太平洋側を経由して宮城県の
 岩沼駅までを結ぶJR東日本の鉄道路線。

避難指示の有無に関わらず、地震や津波、原発事故の影響を受けた故郷を
離れて避難生活を続ける人は、今なお13万人。うち、6千人が東京で暮らす。
震災に関する報道は減り、被災地の実情を知る機会が少なくなっている。

地震と津波による住宅の被害が大きかった高齢者ほど、その後、認知症が
進んだというショッキングな結果が発表された。  (日米共同研究チーム)
避難生活を送る高齢者の間で認知症が表れたり悪化したりしやすいことは
以前からいわれていたが、住宅被害との関係を裏付けたのは初めてだという。

          調査

震災7ヶ月前と、約2年半後、宮城県岩沼市の65歳以上が対象。(3600人) 
認知症と判定された高齢者は、震災前の4・1%から、震災後は11・5%に増加。
全く住宅被害がなかった人に比べ、住宅が全壊した人は、認知症が0.29点分
進んでいた。性別や年齢、飲酒習慣や高血圧など他のリスク要因の影響を除く。
大規模半壊では、0.12点、一部損壊でも0.05点、認知症の進行に差が出た。

「被災に伴い発症した心的外傷後ストレス障害(PTSD)やうつ症状に加え、
住宅被害が大きくなるほど近隣住民との交流が減少し、それが認知症悪化に
関係した可能性が示された」と調査に携わった専門家は指摘。
東京新聞 1/17

ちなみに、岩沼市は、仙台市の南に位置し、東は太平洋に面した商工業都市。
人口約4万5000人。大震災では、津波により市域の半分が浸水し、186人の
死者、全壊736戸を含む約5500戸の住宅被害を出した。(2016.9 消防庁)
旅・散策・イベント

トーハク東洋館で

2017年02月10日
今年1月、トーハクを訪れた。本館の次に東洋館へ。  (トーハク本館で
中国の青銅器を本画に描いたとき以来だろうか。   (殷時代の青銅器

     東洋館

リニューアル前の東洋館には、F先生のデッサン教室で度々訪れた。東洋館に
入ると思い出すのは、Kさんが仏像を見上げて描かれる姿。東洋館は彼女も
気に入っておられたようで、デッサンした「リュトン」を本画にされたこともあった。
今、その「リュトン」の本画はわが家にある。F先生が亡くなられたのは13年も前。
Kさんが亡くなられてすでに5年半が経つ。
 
  2007 2007.7
            饕餮文 鼎            饕餮文 爵
                 殷時代 前13~11世紀   

2013年1月、東洋館がリニューアルオープンした。  (旅するギャラリー
ひと月後、胸を躍らせて入ると、展示スタイルが各所で新しくなっていて、
興奮した。とくに大好きな中国の青銅器の展示が見やすい上にオシャレに
なっていて驚いたことを覚えている。  

  2013.2 2013.2

そして昨年夏から「上海博物館との競演」の特集が組まれている。世界屈指の
質と量を誇る上海博物館の中国青銅器の中から10件が展示されいていた。

ゆっくりと廻ってゆくと、あの「リュトン」の馬が目に入った。スケッチブック片手に
じっとみつめるKさんがそこにいるように感じた。

   リュトン
      彩文土器 馬型リュトン         橙色土器 山羊頭形リュトン  
      イラン出土 前千年紀          イラン出土  前6~5

西アジアのリュトンは、上の口から液体を入れて下の小孔から注ぎ出す儀式用の
容器で、多くは動物や動物の一部の形をしている。  
馬型のリュトンの注ぎ口は足先にある。山羊頭部を象ったリュトンは宴席用酒器。

今度はユリノキが花をつける5月ごろになるだろうか。スケッチブックを持っていこう。
芸術・文化・考古

トーハク本館で

2017年02月09日
先月、久しぶりにトーハク(東京国立博物館)を訪れた。特別展は省き、本館と
東洋館をゆっくりと廻った。

   本館2017.1
                  ユリノキと本館

       階段               

本館でお気に入りの仏像は、鎌倉初期(建久年間)の「十二神将立像」
(重要文化財)。横須賀市の曹源寺に伝来した運慶派の作品といわれている。        
十二神将は薬師如来の眷族。        (十二の神と十二の動物
    
      2017.1
                 辰    未  巳  戌     申   2017.1
                      卯       酉              
               寅    丑    子     亥     午
          
館内はストロボ禁止だが、禁止マークのない展示品は撮ることができる。
帰宅後、2009年から整理している画像の中に、「十二神将立像」も何枚かあった。
見比べると、この数年の立像は、2009年の配置とは異なることに気づいた。
2009年は丑、今年は酉。その年の干支によって配置が換わるのではなさそうだ。

     2009.6
                                       2009.6

今回とくに印象に残ったのは、87年ぶりに公開された御常(おつね)御殿の
横山大観の梅図襖絵。そして前田青邨の「紅梅」、荒井寛方の「紅梅」、川端龍子の
「白梅」、下村観山の「牡丹に雀」など、当時、活躍していた日本画家たちが数多く
参加して可憐な花々を描いた天井画(障壁画)。

      天井画
           前田青邨 「紅梅」        川端龍子 「白梅」

香淳皇后(昭和天皇の皇后)の父、久邇宮邦彦王が大正13年に広尾に建てた
千鳥破風入母屋造りの「御常御殿」は現在、聖心女子大学により管理され、
「パレス」と呼ばれている。

中庭に出られるラウンジは好きな場所の1つ。窓、ドア、壁、床などの内装や
照明器具、掛時計などの凝った装飾はみていて飽きない。今回は壁の模様を
タブレットの壁紙にしてみた。

      時計
    
テラスに出てみた。春秋のみ開放される庭園は静か。冬の樹々を映す池を
みていたら、草田男の「冬の水一枝の影も欺かず」の句を思い出した。
       
      壁            
      
子どものころ過ごした旧宅の応接間に似ているからだろうか。中央に置かれた
ソファに腰かけ、壁の模様を楽しんだり、窓から庭を眺めていると心が落ち着く。
芸術・文化・考古

小畠鼎子展

2017年02月08日
新聞の広告欄で目に留まった葡萄の画。一瞬、川端龍子(りゅうし)の画と思ったが、
吉祥寺美術館『小畠鼎子展』の案内だった。小畠鼎子(こばたけていこ)・・・?
大正末期から昭和にかけて吉祥寺で暮らした日本画家。「師である川端龍子が
創立した青龍社に当初より参加し、65歳で亡くなるまでの35年間、4人の子どもを
育てながら、画に向かいつづけた」
という。龍子の画に似ているのも無理はない。

龍子の画はかなり多くを観ている。大田区南馬込にある龍子記念館、公園として
公開されている旧居、アトリエ、庭園には、区立となる前から何度も足を運んだ。
小畠鼎子展・・・・?吉祥寺なら、井の頭公園に寄ってもいいかなと出かけた。

昨年、久しぶりに井の頭公園を訪れたとき、吉祥寺駅の変わりように驚いたが、
アーケード、デパートやホテル、大型商業施設などの多い北口方面もしばらく
みないうちに変わった。吉祥寺美術館もいわゆる大型商業施設の7階にあった。

    コピス
           コピス吉祥寺A館    「小畠鼎子展」  

      パンフ
           「小畠鼎子展」 6種類のパンフ

入館料は¥100。シニアは無料、申し訳ない気分で、画の前に立つ。
青龍展の画は大きいと知ってはいたが、あらためてその迫力に圧倒された。
   
    寒暁  
           「寒暁」 1945年         「紅梅」  1952年
           183×128cm             184.5×139cm

「寒暁」の前でしばらく動けなかった。ちょうど今頃の厳しい寒さの中、何の樹か、
裸木の向こうには冴え冴えとした月が・・・・。こんな解説が添えられていた。
1945年2月、鼎子たち家族のもとに、長男・達也が出征先の南シナ海にて
戦死したとの知らせが届く。その4ヶ月後、龍子と弟子達の画室で開催された
春の青龍展に出品されたのが本作である。「寒暁」という言葉は、真冬の一日でも
最も厳しく冷え込む、明け方の時を意味する。・・・大切な子を失った鼎子の深い
悲しみに支配されているようだ。青龍社は戦時中、一度も中断なく展覧会の
定期開催を続けた。本作が発表された2ヶ月後、日本は敗戦の時を迎える。


戦争も終わった。「紅梅」の周りに梅の香が満ちているようだった。「紅梅」も
「凍解け」も春待つ心が伝わってきた。  (画は画集より)
 
     凍解け
          制作風景                「凍解け」  1957年
                               164×152cm

青龍社では当初、月1回の正研究会と月5回の例会が設けられ、ほぼ5日に
1回のペースで作品の特寄・相互公表が行われていた。・・・時に、まだ幼い
長男を背負いながらも吉祥寺から大森の龍子の画室へ通いつめた
という。

描くこと、あるいは思いのままに描けないことに苦しみながら、筆を持つ時間
「只それのみの世界に入る事」を楽しんだ女性画家
だという。
画集と絵はがきを購入。いい展覧会だった。井の頭公園に立ち寄らずに帰宅した。
芸術・文化・考古

「久ヶ原遺跡」発見から90年

2017年02月07日
大田区には、現在、約236ヶ所の遺跡が存在し、その約9割が台地上から
発見されている。遺跡の半数以上は古墳や横穴墓中心の古墳時代のもので、
縄文時代がこれに次ぐ。重要な弥生時代の遺跡の1つが「久ヶ原遺跡」。
   (はるか昔に思いを馳せてこんな近くに古墳があった) 

「久ヶ原遺跡」は、多摩川と呑川に挟まれた標高約13~19mの広く平坦な
舌状台地にあり、両河川の形成した肥沃な沖積低地を利用した水田で農耕
中心の生活が営まれていたことがわかっている。その規模は約11万㎡、
千軒以上の竪穴式住居があり、巨大な集落「ムラ」だったと推定される。

今から90年前、久が原台地上の耕地整理により道路を切り下げる工事中、
その断面に露出していた竪穴式住居址、土器が発見された。(1927年)
「久ヶ原遺跡」から出土した土器は、南関東地方の弥生時代後期前半の
基準となる土器の型式として「久ヶ原式土器」と名付けられた。

    久ヶ原遺跡出土
             久ヶ原遺跡出土   郷土博物館蔵

その後、竪穴式住居址5の発掘・調査では、焼失住居址から炭化米、植物、
木器、植物織物なども発見された。(1938年~)
その後も大田区史編纂事業の一環として、竪穴式住居址7が発掘される
(1970年)など、これまで数回にわたる発掘調査が行なわれている。
       
大田区立郷土博物館(南馬込)で特別展「土器から見た大田区の弥生時代
―久ヶ原遺跡発見 90年-」が始まった。会期中、弥生時代研究をリードする
研究者による講演会が開かれた。「弥生時代はどのような時代か」(石川日出志
明大教授)、「久ヶ原遺跡と久ヶ原土器」(安藤広道 慶大教授)、「弥生時代
後期の甕からみた南関東地方」(古屋紀之 横浜市ふるさと歴史財団館長)。

      レジメ
              第2回「久ヶ原遺跡と久ヶ原式土器」 レジメ          
  
2回目の講演会に参加。講演会(2時~5時)前に展示をみようと早めに出た。
1時過ぎに到着。開場を待つ人の列が2階からつづいていることにまず驚いた。
開場は1時半。10分並んで窓側の席をとることができた。3人掛けの机が2列、
その間に折畳椅子が2列、両端に各1列置かれていた。
展示を観て再び部屋に入ると、折畳椅子もぎっしり、後方の壁は立つ人で
見えない・・・大盛況だ。80名の定員オーバー?? 好天の日曜日、予約なし、
無料とはいえ、どうみても参加者は100人以上だ。

多摩川下流・鶴見川流域の弥生時代後期の集落は「久が原台地」のほかにも
いくつかあるが、久が原台地は宅地となったことから残ったともいえるそうだ。
わが子ども時代の主な行動範囲は、「久が原台地」とその南西の「峯台地」だ。
現在、絵の友人I さんのお宅は久が原台地の真ん中に、わが家が「峯台地」の
上ということもあって、講演は実に興味深い内容だった。

後半の質疑応答では、10名近くの専門的な内容の質問には驚くばかり。
3時間近く立ち通しの人たちにも脱帽。5時の閉館を知らせるチャイムまで
講演をつづけられた先生に感謝。博物館の外に出てはじめて現実に戻った。

      久が原南台公園
            「久ヶ原遺跡」    久が原南台児童公園
  
久が原台地上のこの公園では半地下式の住居址が発掘された。出土された
「久ヶ原式土器」は丹彩を施し複雑な幾何学模様に飾られた壺形土器。
コンクリートの壁には弥生時代の生活の様子などがデザインされている。
いつも自転車で通り過ぎることの多い久が原台地だが、たまにはのんびりと
古代の人々の生活に思いを馳せて歩くのもいいかもしれない。

ちなみに、遺跡、土器は「久ヶ原」、台地や地名は「久が原」と表記するようだ。
旅・散策・イベント

冬の牡丹

2017年02月06日
旧正月の土曜日、東照宮のぼたん苑を訪れた。    (ぼたん苑へ

「冬ぼたん」は、春と夏に寒冷地で開花を抑制し、秋に温度調節して冬に開花させる
という特殊な栽培の技術を用いて咲かせたもの。
白い「連鶴」、牡丹色の「島大臣」、濃ピンクの「島錦」「花王」「八千代椿」、黄色い
「黄冠」など多くの品種がある。

        冬ぼたん
   冬ぼたん
      冬ぼたん
     冬ぼたん
     冬ぼたん

牡丹には、早春と初冬に咲く二期咲きの品種があり、このうち低温で開花した
冬咲きが「寒ぼたん」と呼ばれる。気候の影響を受け着花率は2割以下と低い。
  
    寒ぼたん
                   戸川寒 (寒ぼたん)
植物など

ぼたん苑へ

2017年02月05日
桂花会の新年会は、上野にほど近いSさんのご主人がオーナーの店で。
一昨年夏にオープンして以来、4回目になるこの日は10人が集まった。

夕方まで時間があるので昼過ぎに家を出た。上野で「ラスコー展」(科博)か
トーハクでゆっくりと過ごし、お店まで「東西めぐりん」(コミュニティバス)に
乗るか、バスの時間が合わなければ歩くことにした。

科博前に来ると、「ラスコー展」のチケット売場に並ぶ長い列がみえたので、
この日は諦めて、東照宮の「ぼたん苑」とトーハクで4時間近く過ごした。

東照宮のぼたん苑は、1980年に日中友好を記念して開苑。 当初は上海及び、
洛陽植物園から寄贈された中国牡丹を中心に70品種だったが、少しずつ数を
増やし、現在春は110品種600株、冬は40品種200株が栽培されている。

      栞

大勢の人であふれる上野公園とは違って、ぼたん苑は比較的空いていた。
一眼レフカメラを構える人はもちろん、スマホ撮影のシニアたちが目立った。

      冬牡丹

毎年元日から2月中旬まで「東照宮ぼたん苑」に咲く牡丹は2種類だとか。
早春と初冬に咲く二期咲きの品種があり、このうち低温で開花した冬咲きの
「寒ぼたん」は、気候に大きな影響を受けるため、着花率は何と2割以下。
「冬ぼたん」は、丸2年かけて、春と夏に寒冷地で開花を抑制し、秋に温度
調整して冬に開花させるという特殊な栽培の技術を用いて咲かせたもの。

    冬ぼたん
  
いわゆる牡丹色、ピンク、白色のほかにも黄色、深紅、珍しい緑色と色とりどりの
牡丹がちょうど見ごろだった。苑内は思ったより広く、原種、特大種、海外株など
珍しい牡丹のエリアもなかなか見ごたえがあった。

苑内には牡丹を詠んだ俳句が記された木札が立っていたり、クリスマスローズや
水仙なども見ごろ。ミツマタ、蝋梅、しだれ梅なども咲き始めたところ。ところどころに
水盤やオシャレな器に開ききった花がアレンジされていたり、目を楽しませてくれる。
牡丹は画にしようと思ったことはないが、霜よけの藁囲いの中の純白の花や深紅の
一重の寒牡丹などはとくにみていて飽きなかった。    (冬の牡丹

    3190no2.jpg

お休み処でコーヒーを購入して陶製の火鉢が置かれている縁台に腰かけた。
枯山水、五重塔などを眺めながら火鉢に手を当てると懐かしい思い出が蘇った。
青い陶製の火鉢の前の和服姿の父の写真を思い出した。
 
         お休みどころ
                      お休み処から

         火鉢   
旅・散策・イベント

梅は満開

2017年02月04日
今日は24節気の1つ「立春」。旧暦ではこの日が1年の始まりと考えられていた。
暖かい地方ではこのころ梅が咲き始めるとある。
わが庭では、今年は1月から咲き始めた紅梅はすでに満開となった。 

       2.4 2.4
                      
        
    1.51.5
     1.151.15
     1.191.19
     1.241.24

1月は寒い日がつづいたが、それでも昨年、一昨年と比べると、少し早いようだ。

     2016.1.26
                   2016.1.26
  2015.2014
           2015.1.28        2014.1.26  

         2009.1.282009.1.28

2013年から2008年は2月に入ってから咲き始めたようだ。
2階のベランダからは松竹梅ならぬ松笹梅が重なってみえる。
植物など

それぞれの抱負

2017年02月03日
1月の桂花茶会は「花茶の茶芸」。1杯の茶は人の心を表し、主人と客の
和やかで温かい雰囲気を映し出す。花茶は詩のようなお茶。
恒例の「今年の抱負」の発表では、とにかく少しでも体温を上げて免疫力
アップを目指すことを目標にした。         (今年の抱負) 

    花茶の茶芸
           「天人合一」          「普降甘露」

M氏は毎年同じ「身体健康」で、月・火の「休肝日」を守ることも変わらない。
O氏も「健康長寿」、そして「中国語検定試験准一級に合格」すること。
健康のための運動は週3日以上1200m泳ぎ、水中歩分行以上。糖尿病
克服のためには甘いものを制限し、毎日青汁を飲むのだとか!
検定試験のためには、毎日NHKラジオの中国語ニュースを聴き取りに
毎日中文で日記を書くこと、成語などを覚えることだそうだ。脱帽!!

Fさんは、昨年は施設でのクリスマス会ではピアノを友人と連弾したそうだ。
長い間弾いていなかったため勘を取り戻すのに多くの時間がかかったそうだ。
ピアノに限らず楽器演奏は練習あるのみと反省した彼女の抱負は「たとえ
短くても毎日ピアノを練習する」ことに決定したそうだ。

もっとも受けたのは(失礼!)Sさんの抱負の1つ、「柔軟体操をする」こと。
『ヘタッーと開脚』(Eiko 著)という本をみながら毎日練習するのだとか。
漢詩、お茶に関することならわかる。ご主人との山登りのためでもないとか。
あまりに意外なのでその動機を尋ねると、ただ単に「かっこいい」からだという。

       本                   

それをきいたS(K.S)さんは、開脚してみせ、立ったまま両掌を床につけたりと
柔らかいところを披露。つられて私も不完全ながら開脚、床に掌をつけた。
「え~そんなことできるの・・・?!」と驚いたSさん。昔から前屈は簡単にできた。
そのかわり後屈はまったくダメだが。

「今年の抱負」の成果?の発表は12月だ。「2,3ヶ月前くらいから始めたら?」
というS(K.S)さんのことばはきつかったようだ。だが、S(M.S)さんのことだ、
うるさい外野のことばなど気にせずに毎日頑張っておられることだろう。

(K.S)さんは昨年12月、初孫誕生で大忙し。彼女は巴金の『家』を読むそうだ。
巴金は、優れた中国文学者ということくらいしかしらない。図書館で借りて
読んでみようか。日本語訳で。昨年の抱負「論語を中文で」が先だろうか。
中国・中国の旅

今年の抱負

2017年02月02日
今年はじめての桂花会では昨年同様、「今年の抱負」について発表した。
昨年は「論語を中文で読む」といった大そうな目標を立てて大失敗をしたので、
今年は「低体温をなんとかして免疫力アップ!」ということにした。

     論語

昨年は何度も風邪をひき、その度に耳鼻科で抗生剤を処方されたが、なかなか
治らなかった。今思えば、いわゆる風邪に抗生剤が効くはずもなかったのだが。
風邪は正式には「かぜ症候群」と呼ばれるもので、外から病原体が侵入し
上気道で感染を起こす「急性上気道炎」などを指す。病原体としてはウイルスが
全体の8割から9割を占め、その他が細菌による感染症という。

桂花会の前の週、いわゆる風邪をひいた。午前中は外せない用があったため、
朝8時に内科クリニックへ寄った。土日は10時からだが、平日は7時半から
コンビニ感覚で受診できるクリニックは有難い。   (内覧会に行ってみた
待合室には出勤前と思われる男性と女性の2人。男性はインフルエンザか、
辛そうだった。高感度のインフルエンザ検出装置があってすぐわかるらしい。

受付で体温を測ると34℃。低体温だということはすでにご存じの先生だが、
看護師さんの「34度ちょうどでした」にはさすがに驚かれた様子だった。
いわゆる風邪ウィルス撃退の薬はない。風邪症状を抑える薬を処方された。

     甘酒
        感冒薬とオブラート        2倍稀釈の甘酒

翌日は土曜日。出かけずに大人しくしていた。時折測る体温は35度台まで
上がった。その熱でウイルスを撃退中だったのだろうか。さらに免疫細胞が
働くようにと白湯や甘酒を飲んだり、昼間も湯たんぽを抱えて頑張った。

      体温計

だが、もともと気管支が弱いこともあって、咳は治まるどころかひどくなり、
日曜のクロッキー会とその新年会は欠席。その晩、35.9度も?あった。
I さんからのLINE報告があった。2月、3月の予定とともに「モデルさんは
変わらないのでしょうか?素敵な方だとは思いますが、少々飽きた😾」と。
毎回違うモデルと思っていたが、たまたまなのか?それとも会長さんの?の
お気に入りとか?(まさか)、じっくりデッサンしたい人が多いからだろうか?
クロッキー修行と覚悟しているが、毎回同じモデルさんだったらいやだな~。 

ちなみに、50年前の日本人の平均は36.89度。現在の平均は36.2度。
低体温の原因の9割は筋肉量の低下という。15年ほど前と比べても自分の
足を使わずにすむ便利な世の中になった。

わが筋肉量は平均以上だが、基礎代謝量は少ない。運動、食事、睡眠・・・
まだまだ改善の余地は残っている。
そんなわけで、今年の抱負、目標は「体温、免疫力のアップ」としたのだが。
つれづれ

厳冬の「寒立馬」

2017年02月01日
毎日LINEで送られてくる「東奥日報」、吹雪に耐えて立つ「寒立馬(かんだちめ)」の
姿に目がとまった。
越冬放牧地アタカでは、現在、31頭の寒立馬が風雪に耐える日々を送っている。
少雪傾向を反映し、アタカの積雪は昨年同時期の半分に当たる20cm前後。
アタカでの放牧は3月いっぱいまで。

    寒立馬
    吹雪の中、雪面を掘り返し牧草をはむ寒立馬 東通村尻屋崎〈東奥日報 1.20)

寒立馬は東通村尻屋崎周辺に放牧されている馬。厳しい冬にも耐えられる
たくましい体格の馬。南部馬の系統で足が短く胴が長くて、ずんぐりしている。
現在の形になるまでに、外来種との交配がなされた。

寒気と粗食に耐え持久力に富む農用馬として重用されてきたが、1995年には
9頭まで激減した。しかしその後の保護政策により40頭ほどに回復した。
寒立馬及びその生息地は青森県の天然記念物に指定されている。
(Wikipedia)

18年前、下北半島スケッチ旅でアタカを訪れた。(雪の中のスケッチ旅行 Ⅲ
その数年前に銀座のフォトサロンで、「寒立馬」の写真をみて以来、この目で
みたいと願っていた「寒立馬」に逢えたときの感激は忘れられない。
今年は雪が少ないらしいが、当時の画や写真をみると、かなり積雪がある。
車を降りて深く積もった雪をザクザクと踏みしめながら、彼らを追いかけていき、
クロッキーしかできなかったが、モノトーンの風景と草をはむたくましい馬たちの
姿が今も強く印象に残っている。

   アタカ  
                尻屋崎 アタカ     1999.2.11
      寒立馬

    寒立馬
    寒立馬

かつては「野放馬」と呼ばれた「寒立馬」だが、旧尻屋小中学校の岩佐勉校長が
年頭の書き初め会で、「雲に勇みいななく寒立馬 筑紫が原の嵐ものかは
と詠んで以来、こう呼ぶようになったという。
旅・散策・イベント
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