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ゴリラ舎へ

2018年01月31日
上野の藝大美術館の帰り、昨年秋に生まれたゴリラのリキに逢えたらいいと
立ち寄った。ゴリラ舎へ急いだ。  (それぞれの子育て 冬の上野の森)    

      ゴリラ舎へ
                   ゴリラ舎へ

だが、リキの姿は見えない。第一放飼場で見つけたのは黒いかたまりだった。
よく見るとそれはゴロリと横になって左手で顔を覆うナナだった。
観ていると、うるさいなあとでもいうようにむっくり起き上がり、しばらくボーッと
していたが、やがてのそのそと動き出しあっという間に視界から消えた。
リキとモモコの母子は仕方ないが、ハオコの姿も見えないとは・・・!         
      ナナ
                   第一放飼場   ナナ

第一放飼場には、シルバーバックのハオコのほかはすべてメス。ハオコとモモコ
子どもはコモモ(7歳)とモモカ(4歳)、リキということになる。そしてナナとトト

           ピーコ
                   第二放飼場   ピーコ

第二放飼場には47歳のメスゴリラのピーコ。高齢のため「健康管理のため早めに
寝室に帰ります」とあったが、運よく食事中だった。

ニシゴリラはゴリラ属の中でも1番生息数が多く、2頭から20頭の群れで生活する。
木の枝を使って遊んだり、手を上手に使って食べる。また、ナックルウォークといって、
拳を地面につけて歩くのは、樹上での生活では前足が長くなってしまうためで、
この方が歩きやすいからと考えられているという。

           長い手
                    長い手 短い足
      銅像
          シルバーバック    子ゴリラ      メスゴリラ

久しぶりにゴリラたちに逢って、同じヒト科でも彼らとはだいぶ違うことを実感した。
ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンは同じヒト科だが、ヒト・チンパンジーの
祖先がゴリラの祖先と分かれたのは約800万年前。そしてヒトがチンパンジーと
分かれたのは約500~700万年前。ヒト科は尻尾がない大型のサルといえる。
昨年暮れで放送が終わった霊長類学者の松沢哲郎氏の『心の進化をさぐる』
(NHK「こころをよむ」)のテキストを読み返した。

ちなみに動物園のゴリラはアフリカ中央部の熱帯林に棲むニシゴリラだそうだ。
彼らが平地に棲んでいてつかまえやすかったという歴史的経緯があるらしい。
上野動物園にはチンパンジーはいない。暖かくなったらじゅんじゅんを連れて
2年ぶりに野毛山動物園に行ってみようか。    (好きなものは・・・?
動物など

電柱のない商店街

2018年01月30日
中野区は今後新しく整備する区道で、原則として電柱をつくらない方針を決め、
街の景観の向上、防災力の強化をめざすという。区道は全長約340km。

日本には現在、約3550万本の電柱があり、年に7万本ずつ増えているが、
無電柱化が比較的進んでいる東京23区で8%、大阪市で6%にとどまっており、
100%のロンドンとパリ、95%の台北、46%のソウルなどと比べ遅れている。

阪神・淡路大震災を教訓に電線を地中に埋める「無電柱化」が進められてきた。
景観の問題ではなく、電柱が倒れ、消防車や救急車、警察、自衛隊も入れず、
何も手をつけられなくないといった防災上の問題の方が大きいようだ。

政府は東京五輪・パラリンピックを契機に国内全域の「バリアフリー都市」化を
目指しており、まずは高齢者や障害者の通行の妨げになる電柱について
地中化を義務づける方針という。これまで幹線道路を中心に進められてきたが、
歩道も無電柱化の対象に含めることになるという。
 
       商栄会
               戸越銀座商店街         2012.12

無電柱化ときいてまず思い浮かべるのは、戸越銀座商店街(品川区)だろうか。
全長約1.3kmの都内最長のこの通りでは、商店街の活性化、防犯機能や
景観改善の向上を目指し、区とともに約10年にわたって電線類の地中化に
取り組んできたことで知られている。

   銀六会
             地中化された商店街      2012.12

親戚の家が隣町にあり、昔はたまに行く商店街だった。ゆるキャラブームの中、
あちらこちらに現れた「ゆるキャラ」に驚くより、さすが日本初の「〇〇銀座」と
いう商店街には、電柱のない通りがあるのだと感心した。まだ、ほんの一部の
道路だったっように記憶している。(ゆるキャラブーム ユビキタス社会へ
 
「戸越銀座通り電線類地中化」が完成したのは2016年3月。そして同じ年の
12月、玄関口である東急池上線戸越銀座駅のリニューアル工事が完成した。
駅開業90周年を記念して、駅の利用者や沿線住民の意見を参考に歴史ある
木造駅舎を雰囲気を継続する上でも木材を使うことになったとか。木造の駅を
木造でリニューアルするというのは全国でも珍しいらしい。 (木になる駅舎

     戸越銀座駅
             リニューアルされたホーム     2016.12
旅・散策・イベント

ほど遠い「深い読み」

2018年01月29日
じゅんじゅんのわが家での過ごし方は少し変わってきた。ビデオを見つづける
ことは減ってきたが、かわりにタブレットでゲームをやることが多くなった。
ごんさんが将棋盤を出してきた。以前、新聞に子どもに将棋を教える方法が
載っていた。まずは王将、飛車、角行の3種で進み方を覚えるということらしい。

          2018.1
      2018.1 2018.1

最初は神妙にしていたじゅんじゅんも、駒の進め方を忘れたり、間違えたり、
外野の口出しがうるさいせいか、だんだんとやる気を失ってきた。
    
義父は、将棋が強く、幾つもの大会で優勝するほどだったそうで、わが息子
(ゆうゆうの父)に将棋の手ほどきをしてくれた。
     3535.jpg 1980.1
                    5歳の息子

         りんりん 2010.3 
                    6歳のりんりん

ごんさんりんりんが年中組のときから教えたが、集中力はなし、相手の動きを
読まない・・・。とはいえ、基本的なルールは忘れていないようだった。
りんりんの将棋修行 将棋講座と囲碁講座 棋士の相手は) 

       2018.1 2018.1
             5歳のじゅんじゅん  りんりんと対戦                 
              
そんなりんりんじゅんじゅんごんさん戦を提案したが、この方法もまもなく限界。
負けること、とくに兄に負けを認めることがどうも苦手のようだ。
しばらく席を外していたら、いつの間にかじゅんじゅんはタブレットでゲーム中。

「囲碁将棋」と一括りにすることがあるが、将棋は局所的な「深い読み」が勝負を
分けるゲームだという。一方、囲碁は全体の「バランス感覚」が勝負を分ける。
常に盤全体のバランスに気を配って打つ必要があるとか。
身近な人びと

海舟と龍馬の師弟像

2018年01月28日
勝海舟は、23歳で所帯を持ち赤坂田町の借家に引越しをして以来、赤坂内で
3度の引越しをしている。              (赤坂氷川神社と勝海舟)

東京都指定旧跡 「勝安房邸跡」  赤坂6丁目7  (明治5~32年)
明治5年(1872)、49歳のとき静岡から戻り、76歳で亡くなるまで赤坂に住んだ。
その間、参議・海軍卿、枢密顧問官、伯爵として顕官の生活を送り、傍ら有名な
『氷川清話』などを遺した。その時の屋敷跡は東京市に寄付され、氷川小学校
敷地となったが、現在は老人施設と子ども中高生プラザとして利用されている。

    小学校跡
      樹高18m 幹周3.8mの大銀杏     勝安房邸跡

敷地内の角地には港区解説の屋敷跡の説明版とともに、大きな史跡碑が
建てられており、「勝安芳邸址」「勝海舟伯爵終幕の地なり」などがみられる。
碑の横に海舟が寵愛したといわれる樹齢が約150年のイチョウが今も残る。

勝海舟・坂本龍馬師弟像」 赤坂6丁目
2016年秋、勝海舟と坂本龍馬が知り合った赤坂の地に師弟像が完成した。
銅像の高さは、勝海舟1.6m、坂本龍馬1.9m。海外雄飛を目指した志を
表現して、太平洋の向こうの米国を望むように置かれている。

     師弟像
                     勝海舟  坂本龍馬 師弟像

脱藩した龍馬は、海舟邸を訪ねて心酔、姉宛ての手紙に「日本第一の人物」
「天下無二の軍学者」の門人になり、ことの外かわいがられているとその喜びを
書いたという。一方の海舟も「なかなか鑑識のあるやつだよ」と後年述懐し、
龍馬の「人や物事を見る目」を評価した。

別邸「洗足軒」  大田区 洗足池畔  (明治24年~32年)
鳥羽伏見の戦いで敗れた江戸幕府側は、官軍の西郷隆盛と交渉するために
官軍の本部が置かれていた池上本門寺へ勝海舟を出向かせた。この会談の
結果「江戸城の無血開城」が実現し、当時の江戸の街は戦火から救われた。
勝海舟は会談の帰り道に洗足池の茶屋で休息したことが縁となり、茅葺風の
民家「洗足軒」を池畔に設けた。   (勝海舟と洗足池 勝海舟の眼差し

西郷は明治になってからもこの「洗足軒」を訪れることがあったという。
勝海舟の頭脳は偏見的な立場を持たないというので、坂本龍馬だけでなく、
西郷隆盛なども勝の意見を聞き、西郷の日本をめぐる国際環境への理解は、
多くを勝海舟から受けているといわれている。
海舟は、西南戦争で自決した西郷の留魂祠や石碑を実費で建てただけでなく、
上野に西郷の銅像を建てるのにも尽力した。(勝海舟のヒューマニズム)

     洗足池
                      洗足池   

海舟は遺言によって洗足池畔に葬られたが、のちに妻も合祀されている。
石塔の「海舟」の文字は徳川慶喜の揮毫と伝えられている。(大田区指定史跡)
洗足軒は戦後焼失し、跡地は大田区立大森第六中学校になっている。
現在、夫妻の墓所と西郷隆盛留魂祠付近は改修工事のため立ち入り禁止。

余談だが、西郷の犬好きは相当なものだが、海舟の犬嫌いはよく知られている。
幼い頃に野犬に噛まれて大怪我をし、2ヶ月近く生死の境をさまよった出来事が
トラウマになり、犬と出会うと前後を忘れてガタガタ震え出すほどであったとか。
旅・散策・イベント

勝海舟と赤坂氷川神社

2018年01月27日
先日、六本木に出たついでに赤坂氷川神社の巨樹と狛犬に逢いに行った。
前回訪れたのは9年前。落ち着いた社殿と大銀杏、楼門前の楠が印象的。
白金氷川神社、麻布氷川神社と区別して赤坂氷川神社と呼ぶことが多い。
旧社格は府社で東京十社の1つ。

      社殿

かつて真田信濃守の中屋敷跡だった米国大使館宿舎沿いに氷川坂を行くと
神社の木立が目に入る。氷川坂は、将軍吉宗の命により創建された神社が
できて以降、その名がついた坂。右側は遠江国の相良藩や陸奥国の泉藩を
統治した本多越中守の下屋敷、左側は町家だったという。

備後国浅野家の下屋敷だった氷川神社の境内には都指定天然記念物の
大イチョウが聳える。樹齢が400年といわれ、氷川神社が創建された時には
すでに樹齢100年を超す巨樹だったという。    (今年出逢った巨樹)    
善福寺「逆さイチョウ」(国指定天然記念物)に次いで港区では2番目に大きい。
  
     銀杏
         樹齢400年 大銀杏  幹囲 7.5m 樹高25m

赤坂氷川神社の付近には勝海舟の屋敷があった。氷川神社には「幕末三舟」
(勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)の「氷川神社」と書かれた掛軸が遺されている。
境内の4社を合祀した「四合(しあわせ)稲荷」は海舟の命名だとか。
本所に生まれ育った海舟は赤坂に50年以上住んだ。

新婚当時の23歳から住んだ借家は赤坂田町(今の3丁目)。蘭学を学んだ
永井青崖が、溜池にある黒田家の中屋敷に住んでいたからとか。
嘉永3年(1850)に田町で蘭学塾を開くが、このころの生活は苦しかったようだ。

勝海舟邸跡」  赤坂6丁目10 (安政6年~明治元年)
36歳で「氷川下」に転居。ここには最も活躍した時期に住んでいた。
氷川神社から坂を下りていくと「勝海舟邸跡」と書かれた木柱と説明板がある。

    勝海舟邸跡
            2011.6            2018.1

ペリー来航を機に阿部正弘が広く意見を求めた際、海舟が提出した意見書が
大久保忠の目に留まり取り立てられた。
翌年には軍艦頭取として軍艦奉行の木村摂津守とともに咸臨丸に乗艦し渡米。
帰国後、軍艦奉行に就任し、元治元年(1864)に神戸海軍操練所を設立したが、
すでに幕府の将来を見切って反幕派の浪人たちも分け隔てなく操練所に受け
入れたため、幕府の怒りをかい、操練所は閉鎖。海舟は蟄居生活に入った。

     会見の地
            
慶応2年(1866)、倒幕勢力に追い詰めらた幕府は、再び海舟を軍艦奉行に起用。
第二次長州征伐の停戦交渉を任された。坂本龍馬が訪ねてきたのも、西郷隆盛と
「江戸城無血開城」の談判をするため薩摩屋敷に出かけたのもこの屋敷。
維新当時、海舟の留守中に官軍が乱入してきたこともあったが、妹で佐久間象山
未亡人である順が応対し危急を救ったと言われている。
旅・散策・イベント

赤坂氷川神社の狛犬たち

2018年01月26日
久しぶりに六本木に行ったついでに思い切って、勝海舟ゆかりの赤坂氷川、
まずは銀杏の巨樹がある赤坂氷川神社に寄ってみることにした。
氷川坂を上ると氷川神社の木立がみえてくる。

かってこの地は三次浅野藩の中屋敷跡だった。「一ツ木」にあった小さな祠を
八代将軍吉宗が移し社殿を建立。社殿は都の重要文化財に指定されている。
以前訪ねたときに2対の狛犬しかみなかったが、境内には昭和、大正、明治、
江戸時代と、6対の狛犬があり、なかなか見応えがあって楽しかった。
大田区の神社とは違って参拝客が多く、クロッキーすることはできなかった。

<東参道 一の鳥居前>  
護国狛犬の1種   岡崎古代型狛犬
     昭和11
                    昭和11年(1936)

<東参道 石段手前>
      大正4
                    大正4年(1915) 
 
<東参道 二の鳥居前> 
獅子山は、江戸末期から戦前あたりまで好んで作られた  どちらにも子ども
     明治15 阿     
     明治15 吽
                    明治15年(1882)

<表参道 二の鳥居前>  
なだらかなたてがみと尾の曲線・・・江戸獅子の特徴      どちらにも子ども              
       弘化3
                     弘化3年(1846) 
   
<楼門の前>
都内で2番目に古いといわれる 都内最古は目黒不動の狛犬 承応3年(1654)

        延宝3
                      延宝3年(1675)
<山口稲荷神社> 
阿吽が逆に置かれている
       文政8
                     文政8年(1825)

狛犬は向かって右が阿で、左が吽がほとんどだが、なぜか逆に置かれていた。
ちなみに中国からの渡来系はどちらも阿だという。

<西行稲荷神社 参道> 
       稲荷神社
                      摩耗がひどい
旅・散策・イベント

今年出逢った巨樹

2018年01月25日
樹高の高い木や太い木を大木、巨木、巨樹などと呼ぶが、一般的な巨樹の
定義は「地上から130㎝の位置で幹周が300cm以上の樹木を対象とする」
と定められている。また、巨樹が数本の群生や、広範囲に広がりを持って
生えている場合には巨木林と呼ぶ。

以前は巨樹めぐりに夢中になっていたことがあり、23区内はほぼ踏破した。
今年になって出逢った巨樹たちの中で、藝大美術館脇のスダジイは初めて。

スダジイ    東京藝術大学美術館   台東区  
100年を経た芸術大学の校内に多数の樹木が生い茂っているが、その中でも
芸大のシンボルの大学美術館脇のスダジイは主幹が折れてはいるが、樹医の
手が施されて、今では樹勢をまして、葉も茂り当時より生き返ってきたとか。
シイノキとしては、台東区では第1番、都内で3番目の巨樹。 

        芸大
    スダジイ
        幹周 5.7m 樹高約7m  樹齢300~400年  

「梅原幸雄 退任展」と「宮迫正明の行間のよみ」展で藝大を訪れたとき出逢った
スダジイはみごとだった。以前、訪れたときはこの樹の存在に気づかなかった。

ケヤキ  新田神社 大田区 
多摩川の矢口の渡で、敵に謀殺された新田義興(新田義貞の次男)を祀る。
新田義興の眠る御塚から生えた竹が「破魔矢」の起こり。

樹齢700年と言われるケヤキは、江戸時代の落雷で幹が半分以上裂けたが、
枯れなかった。さらに東京大空襲では境内にも爆弾が落ち、社殿や町もほぼ
全焼したが、このケヤキの一部も再び焼失したものの枯れずに毎年新緑の季節に
青々とした葉を茂らせる。 (江戸期の道しるべⅢ破魔矢発祥の神社) 

      2018.1 2018.1
           幹周4.5m   樹高13m  樹齢700年     
     2009.8 2009.8

クリニックの帰りに立ち寄った。最近、観光スポットとして頑張っているからだろう、
ご神木の前に赤い鳥居、賽銭箱が設置され、武蔵新田駅(東急多摩川線)にも
大きな看板が出ていたりと、昔の静かで厳かな雰囲気はどこかへ行ってしまった。
                                       
イチョウ  赤坂氷川神社 港区
周辺には、六本木ヒルズや東京ミッドタウンなど、高層ビルや複合商業施設が
集まった地域もあるが、神社付近は静かな雰囲気に包まれ、隆起した地表が
武蔵野台地のなごりを残している。
社殿は、江戸幕府再興を意図した「享保の改革」の八代将軍徳川吉宗によって、
造営された。そのため質実簡素な造りとなっている。

ついでに訪れた赤坂氷川神社の大銀杏は以前訪れたときと変わらず。
大銀杏は、氷川神社が創設されたときにはすでに樹齢100年以上だったという。
港区で善福寺の逆さ銀杏(国指定天然記念物)につづく2番目の大きさ。
ご神木の銀杏、塀際の銀杏も古くから赤坂の地にあった大木。

        2018.1
             幹周 7.5m  樹齢400年 港区天然記念物 

       2018.1
植物など

野鳥の訪問

2018年01月24日
餌台にりんごの切端やパンのミミなどを置いていると、野鳥が次々にやって来る。
昨日は雪が降る前、そして今朝、ムクドリオナガの群れが柿の木で騒いでいた。
地面に落ちた餌をついばむところを猫に襲われ、メジロが犠牲になったことも。

         2018.1 2018.1
                    鳥を狙うクク

まず、猫の被害は受けない2階のベランダにも餌台をセットしたところ、来訪者の
多いこと。ムクドリ、ヒヨドリ、メジロ、シジュウカラ、スズメとやって来るようになった。
シジュウカラは警戒心が強いらしく、窓から2mほど離れたところでカメラを構えても
感ずかれて逃げられてしまう。

       ムクドリ
               ムクドリ         ヒヨドリ
       メジロ
               スズメ          メジロ      
    
東日本大震災から6年目の昨年3月11日、庭のカエデと白椿にごんさんがつくった
シジュウカラ専用の巣箱を架けた。巣箱入口の穴は2.8cm程度とか。
カエデには1階のリビングと2階ベランダから、椿の方は門からも2階ベランダから
見えるよう向きと高さを考えた。2本の樹の間は6mほど、縄張り争いを心配したが、
10ヶ月経つが、巣箱を利用した様子はない。(巣づくり前に巣箱をかけた日

日本では巣箱を利用する鳥は10種類ほどとか。シジュウカラ、スズメ、ムクドリ、
キセキレイ、ヤマガラ
など、もともとはシイノキなどの樹洞や石垣の隙間などの中に
巣を作る野鳥たち。一方、メジロ、カワラヒワ、オナガ、キジバト、ヒヨドリ、カラス
巣箱を利用せず、三つ又になった枝などを利用して巣をつくることが多いという。

     2018.1 2018.1

カエデが葉を落とすと、2階ほどの高さにつくられた皿巣が目に入った。巣箱を
利用しない鳥の空き巣だろう。そういえば、キジバトが葉の茂みに出たり
入ったりしていた。巣はオスが1本ずつ小枝をくわえてきて、枝にいるメスに渡し、
メスがそれを並べて作るごく簡単なものだという。
                  
         2017.52017.5

ヒナが孵った様子はなさそうだ。キジバトは敵に巣の位置を知られないために
縄張り内に偽の巣をいくつかつくるという。ひょっとすると偽の巣かもしれない。
動物など

雪化粧した庭

2018年01月23日
夜が明けると朝陽が雪に反射して眩しい。

     7:007:00
           7:00

「雪は天から送られた手紙である」といわれるように「関東雪結晶プロジェクト
進めている気象庁気象研究所の荒木氏によれば、雪結晶の成長する大気の
気象状態(気温・水蒸気量)によって結晶の形が変わるため、地上で観測された
雪結晶を読み解くことで上空の大気の状態を把握できるという。

昨日、とくに出かける予定がないので、見る見るうちに白くなっていく庭の樹々と
隣家の屋根をガラス戸の内で見ながらちょっとした整理をしていたら夜になった。こ
れほど早く雪の結晶撮影ができるとは思ってもいなかった。

   8:308:30
         13:5013:50
             18:0518:05

2時、3時、4時とベランダに出て雪景色を撮り、百均で買ったマクロレンズを
タブレットにつけていよいよ雪の結晶の撮影。(雪が降ったら霜の結晶
昨年はこのレンズを知らずに画像は今一つだったが、今回は準備万端。

結晶の撮影は2度。降り始めの2時前、ベランダに置いた黒い紙にレンズを
近づけてタブレットに落ちる雪を払いながら焦点を合わせるのは至難の業だ。
2度目は4時。部屋の中から差し出した黒い紙に雪が散るや否や室内に入れて
焦点を合わせ、ゆっくり撮れるはずだった。が、やはり室内は暖かいのだろう、
あっという間に融けていく。防寒対策をしてタブレットが濡れないよう気をつけて
ベランダで撮るのがいいようだ。

  13:40Click!13:45*Click!
                   13:40   *Click!      13:45  

     16:05Click!   16:05Click!
                        16:05  *Click!

画像を整理して焦点が合わずにボケた画像を削除すると、2時に撮ったのは
7枚、4時の分も8枚に整なった。あの「雪印」マークにそっくりの樹枝状の
結晶を見つけた。「樹枝六花」というようだ。
プロジェクトの荒木氏に画像を送ったあと、グループなど数人にLINE送信。
「雪印です、まさに!」とFさんのことばに満足して結晶の撮影は終わりにした。

そんなころ「電車止まりそうなので、そろそろ帰宅したい」と息子からのLINE。
20分後、渋谷駅ホームには入ったが、「山手線に乗れない」らしい。埼京線、
丸の内線でといっても「たぶん同じ」「ホームは一杯で戻れない」と。
早めに帰ろうという通勤客で交通機関は大混乱。23区に大雪警報が出るとは!
ラジオでこのころ都心の積雪は6cmだった。

      渋谷駅
         JR渋谷駅 山手線外回り ホーム    16:45   

夜9時を過ぎたとき門の外へ出た。寒くはなかった。電線や塀や壁に付着して
いたが、触ってみると意外にも雪はサラサラとしていて軽く感じられた。

     自然の妙

2時間おきに夜9時過ぎまでごんさんは雪かきをつづけていたが、10時半になって
2階の窓から門の外を見ると雪を除いた通り道もすっかり真っ白になっていた。
千代田区で23cmの積雪とか、1月の雪としては1984年以来の大雪だという。

過保護?

2018年01月22日
「ネコツボいらない?」と娘に訊かれた。ショウタンに買ってみたが、どうしても
入ろうとしないという。ネコナベ、ナベネコというのはきいたことがあったが・・・。
「ツボ」というからには「ナベ」よりは深いだろう。「猫ちぐら」のようなものだろうか?
(「猫つぐら」とも。新潟県、長野県産の稲わらを編んで作った猫用の寝床の一種)

   しょうたん
                    これで満足?!  

室内で飼っている猫たちではなし、そもそも猫も犬もペット扱いするのは嫌いだ。
庭にはごんさんがつくった木製引出再利用した2階建のねぐらが置いてある。
寒いときや雨の日、おそらく夜も、そのねぐらに2匹で、たまに3匹で入っている。

    木製

要るともいらないとも返事をせずにいたが、数日後、その猫壺とやらを渡された。
ためしに外に置くと、何のためらいもなくトモが中に足を入れた。数分後、見ると
壺の中に埋まっていた。

     トモ

    トモ クク
                             入りたい・・・

その後、ごんさんの観察によると、そばで羨ましそうにしていたククだったが、
トモが水を飲みに出た途端、さっとその壺に入ったという。トモは「次はどうぞ」
と順番を替わったのかもしれないが。その後はかわるがわる入っていたようだ。   
     
     クク トモ

翌日、「猫壺」とは違うが、ドーム型の寝床が置いてあった。とりっこするから
買ってきたという。呆れながらも外に出しておいたところ、トモが入っていた。
このごろは庭にも顔を見せず、2階のベランダに置いた段ボール箱の寝床で、
夜の間だけ眠るアミが少し可哀そうになってきた。
動物など

冬の上野の森

2018年01月21日
先週、比較的暖かい日、芸大美術館で開かれていた『梅原幸雄 退任展』と
『宮廻正明 行間のよみ』展を観るためにOさんと上野へ出かけた。

      噴水広場

かつてカルチャーで短い期間だが教えていただいたこともある梅原先生の
画は陳列館で。本画ものほかに、20数人だろうか、教え子たちの顔の素描も
展示されていた。先生のお人柄を思い出しながら、観ていると、素描の持つ力、
魅力が伝わってくる。サボりにサボっているクロッキーやデッサン、画がどこか
遠いところへ行ってしまったような気がした。

       芸大美術館
                  木立の中の看板
    
気を取り直して芸大前の珈琲店でランチ。落ち着く2階は大のお気に入り。
はじめ考えていたトーハクの特別展『仁和寺と御室派のほとけたち』には
あらためて行くことにした。かわりに動物園につき合ってもらうことになった。

     上島珈琲
                 黒田記念館内 上島珈琲

上野公園は不思議な魅力のある場所だ。芸術の散歩道はとくに楽しい。
現在工事中の奏楽堂前では、芸大生がオブジェの設置? 撤去?作業中。 
近くでは大勢の人たち(ホームレス)の焚き出し、集会が行われていた。
こうしたキリスト系の宣教団体主催の集会は何度か見かけたことがある。

      オブジェ
               11:20              13:10    

昨年秋に見た上半身だけの「自由な女神」もそばにあった。(上野の森に・・・)
もともとは石巻市にあったが東日本大震災で被災し、傷ついた女神像を芸大
大学院生が再生させた。2016年、市を介して所有者から譲り受け、どこにでも
行くことの出来る「自由な女神」と名づけて大学の卒業作品展に出品、その結果、
上野公園に展示される5作品のうちの1作品に選ばれたという。展示は3月まで。

        3524no03.jpg
    「自由な女神」 そして積み重なったウサギ「完結する関係性」
 
平日午後の動物園は空いていた。ゴリラ舎にまっしぐら。昨年10月に生まれた
リキとシルバーバック(オス)に会うために。だが、外にいたのは2頭のメスだけ。
食事中のパンダのリーリーを見て動物園を出た。小一時間の滞在だった。

東照宮のぼたん苑に出た。昨年2月、『ラスコー展』を諦めて立ち寄ったが、
寒牡丹は初めてというOさんにお付き合い。 (ぼたん苑へ冬の牡丹

     牡丹
         今年ならではの「シンシンとシャンシャン」付き・・・  

毎年元日から2月中旬まで「東照宮ぼたん苑」に咲くのは2種類。早春と初冬に
咲く二期咲きの品種があり、このうち低温で開花した冬咲きの「寒ぼたん」は、
気候に大きな影響を受けるため着花率は2割以下。「冬ぼたん」は丸2年かけて、
春と夏に寒冷地で開花を抑制し秋に温度調整して冬に開花させるという特殊な
栽培の技術を用いて咲かせたもの。

        十月桜
                    十月桜

東照宮前で和服姿の女性、聞こえてきたのは中国語だった。上野公園も外国人
観光客が多いことを実感。足は自然と不忍口の方へ向いた。冬空に十月桜も
上品でなかなか。トーハクの特別展も花見の時季までに行かなくては大変だ。
西郷像をみると、階段を使わなくてはと思うが、Oさんの股関節とわが膝のため?
エレベーターで下りて駅へ。彼女の歩数計は7000歩を超えていた。
旅・散策・イベント

霜の結晶

2018年01月20日
今日は24節気の1つ「大寒」。寒さがさらに厳しくなり、1年中で最も寒い時
寒稽古など、耐寒のためのいろいろな行事が行われ、 また寒気を利用した
食べ物(凍豆腐、酒、味噌など)を仕込む「寒仕込み」に最適の時季。

この寒さが楽しくなる「霜活」がブームだと、テレビ(NHK「あさイチ」)で知った。
「霜活」は、その日の温度や条件によってさまざまな形に変化する霜の結晶を
撮影して、SNSに投稿するというものだが、しかもスマホなどで簡単にできる。

このブームの火付け役となったのが、気象庁研究官荒木健太郎氏。昨年冬には
募集していた「雪の結晶」の画像を送ったことがあった。このときはマクロレンズの
存在を知らずにしっかりした結晶は撮れなかったが。  (雪が降ったら

霜の結晶を見るには、晴れた日、風のない日、気温2℃以下が好条件。
日の出の数10分前がベスト。
結晶1つ1つ見ても形が同じものはないので、そのときに出会える結晶たちの
姿をみられる。気温が低いと角張った形に、高めだと尖った形になる。

          6:466:46

ズームを最大にして、霜と10cmほど離す。さらにきれいに撮るには百均でも
買える「マクロレンズ」をはめるだけで接写が可能。(以下 マクロレンズ使用)               

     6:50
             6:49                  6:50
     7:04
              7:04                  7:05 

日が上ると、太陽の光で結晶が輝き始める。荒木氏は融けるまでのこの輝く
時間を「シンデレラタイム」と呼んでいる。七色の虹にまではいかなかったが、
神秘的な輝きは手の冷たさを忘れさせた。

      8:37
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霜は、9時を過ぎると融け始め、すっかり消えていた場所もあった。
翌朝も同じ場所へ行ったが、気温が高いせいか、わが庭には霜は発見できず。
今年は雪の結晶もマクロレンズがあれば、うまく撮れるはずだ。
旅・散策・イベント

大の犬好き 西郷さん

2018年01月19日
西郷隆盛は、明治維新の功労者でありながら西南戦争を起こして政府転覆を
図ったため朝敵となったが、大日本帝国憲法の発布の特赦により名誉回復した。
そこで薩摩関係者らの尽力により西郷隆盛の銅像が制作されることになった。
山縣有朋、勝海舟、大山巌、東郷平八郎らが臨席して除幕式が行われた(1898年)。

江戸城無血開城の際、幕府代表の西郷隆盛と会談した勝海舟が脳溢血で倒れ、
76歳の生涯を終えたのは1899年1月21日。(勝海舟のヒューマニズム)
西郷の名誉が回復され、徳川慶喜と天皇との和解の儀が成功し、西郷像の
完成を見届けて1ヶ月後だったという。最後の言葉は「コレデオシマイ」。

         会見の地
         「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 會見之地」  港区

銅像が鹿児島市と(8m)、霧島市(10.5m)のほか上野にも置かれた理由は、
かつて「上野戦争」が行われた場所であり、指揮官として朝廷軍を勝利に導いた
功績を称えるため。また、維新の最大の功労者西郷を逆賊としたことを皇室の
御用地でもある上野の地で償う意味もあるといわれる。

銅像を目にした糸子夫人が「うちン人は、こげなお人じゃなか・・・」とつぶやいた
ことは有名だが、こんな格好で人様の前に出ることはないといった意味なのか、
まるで顔が違う別人だと言う意味かははっきりしていないらしい。
陛下の懇請にも写真を撮らなかったという西郷の写真は存在しないともいわれる。
銅像はお雇外国人キヨッソーネの描いた肖像画が元になったが、彼は西郷に
会ったことはなく、弟の西郷従道と従兄弟である大山巌から類推したものとか。

      西郷像
        薩摩犬(後藤貞行 作) 西郷像(高村光雲 作) 高さ 3.7m              

若いときの西郷さんの体型はスラッとしていたという。酒はまったく飲めないが、
甘いものや脂っこい食事が大好物の西郷さんは、明治5年ごろには肥満となり、
歩くだけで息切れして馬に乗ることも出来なくなったとか。ドイツ人医師ホフマンに
肥満体と診断され、食事改善をすると同時に狩猟を趣味にして山歩きを始めた。

西郷さんの可愛がった犬は17頭(NHK『偉人たちの健康診断』)とも20頭とも。
ほとんどが薩摩犬で中にはオランダの犬もいたという。薩摩犬は気性が激しく
獰猛なため、人の生活圏から姿を消していた時もあったという。
上野の西郷さんは「兎狩り」へ出かける姿、連れている薩摩犬は愛犬のツンと
いわれるが、実はツンはメス犬。銅像ではオス犬がモデルになっているのだとか。

もとはダイエット目的で、自然豊かな東京の山で兎狩りをするため多くの猟犬を
飼い始めたというが、大の犬好きの西郷は、西南戦争時にも犬2頭を連れて参戦し、
およそ7ヶ月におよぶ戦の最中にも犬を連れて狩猟にも出かけていたほど。
追い詰められた城山で最期を悟ると愛犬の首輪を外して逃がしてやったという。
旅・散策・イベント

愛犬家だった川端龍子

2018年01月18日
昨年の大田文化の森の講演会「粋は生き様~勝海舟の敗者への眼差し~」
(渡辺憲司氏)につづき、今年もKさんと参加した。  (勝海舟の眼差し)
今回は、龍子記念館学芸員木村氏による「鳥獣百科」展の鑑賞マニュアル。

龍子にとっての花鳥画は、花と鳥だけに限らず、虫や水生生物、動物も含まれる。
「現代人は現代の生活意識に生きるべき」と、花鳥画に現代の視線を採り入れて
いくことが必要だと主張しているそうだ。

        パンフ

『百子図』(1949) 上野動物園に象のインディラがやって来た年の作品。
「百子図」というのは、子孫繁栄の象徴として描かれてきたモティーフだが、
この画では、子どもたちがゾウを取り囲んでいる。戦後、上野動物園にゾウが
戻ったという時代性が龍子らしいように思う。昔からこの画は大好きだった。

「鳥」を描いた作品  『請雨曼荼羅』 『やすらい』 『春池』 『海鵜』 『愛染』など
『愛染』は鴛鴦の番いと水に浮かぶ紅葉の鮮やかな画。今回の展示はない。
この画の風呂敷がわが家にあったことを思い出して探したが、見つからなかった。
龍子は酉年生れ。生きものでは、鳥と犬がほぼ半分を占めるとか。

         愛染
                      『愛染』      

龍子は愛犬家だという。そういえば、庭と犬が描かれた作品をいくつか思い出した。
晩年、飼っていたのはクマという白い紀州犬(熊野犬で、溺愛していたらしい。 
ある日、クマは行方不明になっり、懸命な捜索にも拘らず、戻ってこなかった。
龍子はその後、元気を失くし、この犬の失踪から1年後、息を引きとったという。
    
      秋縁
                            『秋縁』    1947

「犬」を描いた作品 『立秋』 『秋縁』 『使徒所業讃』 『春縁愛狗図』
『立秋』(1932) 庭で水を飲む犬はムクという。『秋縁』(1947)は愛犬モルとの
穏やかな日常が描かれているが、戦争の「終焉(しゅうえん)」にかけた画題。
『春縁愛狗図』 今回は展示されないが、可愛らしい洋犬がこちらをみている。

少年時代の龍子は提灯屋の描く鯉に憧れ、家で真似して鯉を描いていたという。
日本画家になると「タツのコと名乗り、たちまち鯉の名手と呼ばれるようになった。
鯉を描いた龍子は、日本画家として大成することで、まさしく龍となった」
と木村氏。       

『渦潮』 『眠猫』 『三申図』 『孫悟空』 『獺祭』 『河童腕白図』などのほか、出征する
息子に対する思いを描いた『千里虎』など。
Kさんはすでに展示を観られたという。ほとんどの龍子作品は観ているはずだが、
鑑賞のヒントをもらってから作品を前にすると、より深く味わうことができそうだ。
月1回のギャラリートークは今月は28日、Oさんを誘って鑑賞できたらと思っている。
芸術・文化・考古

ハチ公の里帰り?

2018年01月17日
渋谷のシンボル、渋谷駅前の銅像、秋田犬(あきたいぬ)の「ハチ公」は2代目。
初代銅像は1934年に彫刻家安藤照氏が制作。除幕式にはハチも参列した。
翌年、ハチは死亡。ハチの剥製は、上野の国立科学博物館の日本館2階に
樺太犬のジロとともに、内臓は東大農学資料館に展示されている。

   ハチ公
       ハチ公の剥製   科博    「チョコレート展」(2012.11)
    
初代の銅像は戦時中、国に供出された。現在の銅像は1948年に安藤氏の
長男、安藤士氏が手がけた。左耳が垂れているのは、安藤氏が中学生の時に
見た晩年のハチの姿を再現。(今も残るジロとハチの姿 坐りつづけるハチ

      3527no1.jpg
       ハチ公像 高さ85cm 幅65cm   渋谷西口 ハチ公前広場

飼い主上野博士は、ハチを大変可愛がり、渋谷から駒場の東大農学部への
通勤や出張の際の渋谷駅で送り迎えをさせていたが、大学での講演中に急逝。
ハチとの生活は、わずか1年7ヶ月余だった。上野博士が急死した後も、ハチは
約10年間、預けられた渋谷区富ケ谷から渋谷駅へ通い、博士を待ち続けた。

その姿が「忠犬」と報道され全国で話題に。小学校の教科書にも取り上げられた。
ハチと博士のエピソードは映画となり、『ハチ公物語』(1987 仲代達矢 主演)や
ハリウッド版『HACHI 約束の犬』(2009 主演 リチャード・ギア)が公開された。

渋谷駅西口の再開発でハチ公は東京五輪・パラリンピック後に一時、移転する
見通しとなった。ハチ公像のある広場は今の1.5倍の面積に拡がるという。
この像が現在地に移ったのは30年近く前。それまで地下街や広場の整備に
伴って10回ほど移転したが、すべて駅前広場内での引っ越しだとか。

秋田県大館市は、渋谷駅西口再開発の間の「里帰り」を渋谷区に求めている。
秋田犬保存会も「都会の喧噪から離れ、田舎の空気を吸って休んでほしい」と
誘致に期待。JR大館駅前のハチ公は、若いときのハチがモデルだという。
初代は、戦時中の金属供出で渋谷駅の像とともに姿を消したが、市民の強い
思いから大館駅前に再びお目見えしたのは、約40年後のこと。

ハチの銅像は、2012年に上野博士の出身地の三重県津市でも建てられた。
近鉄久居駅東口に建つ像は、上野博士とハチが互いに見つめ合う姿。

2015年には上野博士が在籍していた東大学農学部の正門近くにも一緒に
並ぶ銅像ができた。 (ハチ公と上野博士の像 本郷キャンパスの巨樹)

   東大 2015.4
         「上野英三郎博士とハチ公」像   東大農学部

ハチの命日に除幕式が行われた。「動物でも人間に対する恩を忘れない」という
戦時中の「忠犬神話」のシンボルではなく、人間と犬との本来のあるべき愛情を
表現しているという。 スケッチのときに2度ほど通ったが、ハチがちぎれんばかりに
尾を振って博士を出迎える様子は感動的だ。
 
旅・散策・イベント

南極ではたらいた犬たち

2018年01月16日
今年がイヌ年だというからでもないだろうが、近所を散歩する犬たちだけでなく、
神社やお寺でも犬たちに目がいく。「今年はわれわれの年だ」とでもいうように
堂々と歩いているように見えるから不思議だ。

かつて家で、といっても庭でだが、飼っていた犬はシェットランドシープドッグ
(シェルティ)と柴犬だけが血統書付で、ほかはほ雑種で、迷い込んできた犬が
多く、日本犬と言えるのは柴犬だけ。  (犬がいた庭 猫のいない庭

日本犬という言葉が使われるときは、日本犬保存会による「日本犬標準」(1934)
に挙げられている6つの在来犬種(大型・中型・小型)を特に指すことが多い。
秋田犬、甲斐犬、紀州犬、柴犬、四国犬、北海道犬の各犬種は、順次、文部省に
よって天然記念物に指定された(1931~1937)。

『南極物語』という映画でも有名になったタロとジロは日本犬ではなく樺太犬で、
樺太および千島列島で作り出された犬種だという。北海道では車や機械にとって
替わられるまで漁業、木材の運搬、電報配達、行商など使役犬として働いていた。
車社会到来とともに使役犬として必要なくなり、混血、雑種化したり、野に放された
ものは野犬掃討に遭うなどして、1970年代頃にはほぼ絶滅した。

1910年から12年、樺太犬は白瀬隊長ら南極探検隊に同行し、犬ぞり用の犬
として活躍し、戦後の南極地域観測隊第一次越冬隊でも犬ぞり用の犬として
採用されたこととでも有名。             (今も残るジロとハチの姿)                         

タロは、4年半ぶりに第四次越冬隊と共に日本に帰国後、北海道大学植物園で
飼育され、14歳(人間でいえば80~90歳)の天寿を全うした。
ジロは第4次越冬中に病死(5歳)し、その剥製は上野の科博日本館2階の
「伴りょ動物としてのイヌ」コーナーに、ハチ公とともに展示されている。
      
     ジロ2009
           ジロ            ハチ公と   りんりん   
    
「樺太犬兄弟を一緒に」という運動が起こり、稚内や上野でタロとジロの剥製が
いっしょに展示されたこともあったとが、ジロは南極で病死した状態で剥製に
されたこともあって傷みが激しく、容易に動かすことができなかったという。
現在は、タロは北海道大学植物園、ジロは東京の科博と、離れ離れのままだ。

     タワー下2009

東京タワーの観光スポットの1つとして、半世紀以上にわたり親しまれてきた
「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像」。この犬のブロンズ像はタロとジロ
南極で死去した13頭の慰霊の意味も込め、東京タワー完成(1958年)の翌年に
設置された。渋谷のハチ公像でも知られる安藤士氏が手がけたという。 
                 
2013年、東京タワー入口にあった像が撤去された。理由は東京五輪招致の
応援のため、あそこに招致のシンボルマークを花で描くことになったからという。
当時、「どうなるかわからない五輪のために、タロ、ジロたちが撤去されるとは」と
ネット上で撤去阻止を求める署名運動も起こった。  (タロとジロは・・・?

       撤去前2013
               撤去間もない日 2013.5

現在、15頭の犬たちは、立川市の「国立極地研究所」南極・北極科学館の近くで
余生を過ごしているそうだ。日本の南極観測の歴史や最新情報を紹介する機関。
南極大陸と北極圏に観測基地を持ち、南極観測隊を送り出している。   
動物など

さびしくなった庭

2018年01月15日
庭には昔からアカマツがあったが、ゴヨウマツを父はとく大切にしていた。
昨年夏ごろからその松が枯れ始めた。しかも2本が揃って。母が亡くなったのと
関係があるのだろうか。植木屋さんもしばらく様子をみようとのことだったが・・・。

      庭2011.3.7  
           松          紅梅             松                

2本の松、散り始めた紅梅の写真を見ると、4日後に起きた東日本大震災で
織部型の石灯籠が倒れたことを思い出した。下の「竿」と呼ばれる部分を残して
宝珠、笠、火袋、中台が落下した。3ヶ月後、ごんさんが植木屋さんと戻した。
再び倒れることのないように願うばかり。    (石灯籠庭の石灯籠 Ⅰ)

    松
                2014.2               2018.1
 
     松
                2014.3               2018.1
    
紅梅の老木は、父が亡くなった年は1月早々に1輪、2輪と次々に咲いたものだが、
その後、年によって早かったり遅かったりだが、今年はまだ蕾はかたい。

         梅
                     2018.1.13
                 

           梅2011.1.10
                     
           梅2016.1.14
                    
          梅2017.1.15                     

戌年の庭

2018年01月14日
冬の庭はヒヨドリ、メジロ、シジュウカラなどの野鳥がたまにやって来るほかは、
3匹の猫が過ごすさびしい庭になった。

日が当たらず寒いときや夜は2階建ての部屋で眠っている。一部屋にいっしょに
入ったり、それぞれ上下に入っていることもある。
     
 2匹
        クク&ケシ      眠いのか 寒いのか        
   
クク ケシ
        クク&ケシ    そろそろ出るかな・・・     
     
  1 2
        クク&トモ      占領された自転車かご

そろそろ食事の時間   協力してフードの要求  
     1                          
   2 3
    4

最近はたまにしか顔を見せないアミは夜間は2階ベランダのボール箱で眠る。
動物など

シャーロキアン?!

2018年01月13日
数年前までは日本の歴史や「三国志」の世界などに夢中だったりんりん
最近は世界史を習ったこともあるのか、『七つの大罪』や「コナン」などアニメや
「シャーロック・ホームズ」の影響か、興味の舞台がヨーロッパに移っているようだ。
行きたい外国もイギリスかフランスか・・・になった。

「シャーロック・ホームズ」(Sherlock Holmes) は19世紀後半に活躍したイギリスの
小説家アーサー・コナン・ドイルの創作した、「シャーロック・ホームズシリーズ」の
主人公、架空の探偵。ホームズの活躍する一連の作品は大ヒットし、推理小説の
分野に1つの頂点を築いた。その魅力は今も衰えず、世界中で読み継がれている。

シャーロック・ホームズは、天才的な観察眼と推理力を持つ、世界でたった1人の
「顧問探偵」。ロンドンのベイカー街にあるアパートで、ジョン・H・ワトスン医師と
共同生活をしている。体格は痩身で身長は少なくとも6フィート(約183cm)以上、
鷲鼻で角張った顎が目立つ。
        全集
      ハッチンソンによるイラスト  『緋色の習作』(河出書房)より

『緋色の習作』の(小林司・東山あかね 訳)の「はじめに」によると、日本語訳の
「シャーロック・ホームズ シリーズ」は多いが、シャーロキアンとしてはこれまでの
日本語訳では満足できない面があったという。この新訳にはオックスフォード版の
注釈を訳した注釈も充実している。

主人公ホームズの熱狂的ファンを米国や日本ではシャーロキアン(Sherlockian)
という。イギリスではホームジアン(Holmesian)と呼んでいる。(Wikipedea)
「ホームズ」は学校で何冊か読んだくらいという彼は「シャーロキアン」だろうか。

     ワトソン博士
         
「シャーロック・ホームズ」の全作品を合計するとは60(長編4、短編56)にもなり、
文庫本にして9~10冊。夏だったか、全作品完訳をWeb上で無料公開している
『コンプリート・シャーロック・ホームズ』というサイトがあることを知った。

10年ほど前、現在も運営中の『原文で読むシャーロック・ホームズ』を公開した
ITエンジニアの寺本氏は、翻訳に26ヶ月かかったとか。既存の日本語訳の
著作権に抵触しないように全作品を改めて原作から翻訳し直したという。
   
高校生のときに原文を読んでいたというシャーロキアンだったが、だれかに
頼まれたわけでもなく、翻訳家でもない彼がどうして・・・?そのキッカケは、
チェコの全作品と挿絵が網羅された英語のサイトをみつけたことだという。

英語の勉強になるのでは?と、りんりんにこのサイトをみせると、「イギリス英語
だからね・・・」という。そういえば、学校では授業も米国英語、ATも米国人だ。
今日は彼の14歳の誕生日。クリスマスイブに約束していた電子辞書を渡した。
入門から上級まで英語の原書もいろいろ入っていた。 (今どきの電子辞書
スマホにかける時間の一部でも英文を読むことに回すようになればいいのだが・・・。
英作文をするのに「Google翻訳」に頼るようでは先が思いやられる。
身近な人びと

不思議な「アドベンチャー パーク」

2018年01月12日
じゅんじゅんのクリスマスプレゼント「恐竜アドベンチャー パーク」には、アニア
(アニマルアドベンチャー)の動物などのフィギュアがいくつかついていたが、
もっといろいろなアニアがほしいためにわが家でお手伝いすることになった。
晦日だったか、金魚の水替え、ガラス拭き、掃除機、楽しそうにこなした。

    ガラス拭き
     掃除機

手伝い後、すぐにアニアがほしいという彼を元旦にね!と約束するのに一苦労。
元旦、川崎ラゾーナは開いている。彼は思ったより迷うことなく5個を選んだ。
 
      ビックカメラ
              アニアいろいろ           レジで            
 
       アニア

わが家で「アドベンチャーパーク」で遊び始めると、テレビのナレーターの真似か、
「アニア」たちを動かしながら「アドベンチャーパーク」の実況中継が始まった。
「あれっ なにか見ています。ブラキオサウルスとトリケラトプスが闘ってます!
闘ってる様子を見てみましょう。バッシャ―ン!ブラキオサウルスが勝ちました!」
「あっ、ペンギンたちが池に入っています・・・」 皆が覗き込むとやたらと照れる。

     アニア
ブラキオサウルスは首と尻尾が動く。トリケラトプスは首が動く。うまくできている。
それにしても、ペンギン、キリン、そして犬だけでなく、恐竜たちもいる。さらに
ミニカーが走っている。何とも不思議な公園だと思うのは頭が硬い証拠だろう。
身近な人びと

いまだに・・・

2018年01月11日
東日本大震災から6年10ヶ月。元旦の東京新聞朝刊に『福島除染「手抜き」
汚染土詰めた二重袋 内袋を閉めず』という記事が載った。見出しだけで呆れ
腹が立ったが、この記事が元旦の一面扱いということに何よりも驚いた。

    3521no3.jpg 新聞 *Click!
                              *Click!

東電の原発事故以降、福島県飯館村で実施された除染事業で2015年10月、
汚染土壌を詰めた二重構造の除染袋(フレコン)のうち、防水機能のある内袋が
閉められていないものが千袋、見つかっていた。雨水などが侵入し、汚染水として
漏れるおそれがある状態。・・・未発見の手抜きフレコンが今も大量に放置されて
いる可能性がある
という。 (東京新聞 1/1)

汚染土壌を二重構造のフレコンに詰める際、「作業のスピードが大事だった」と
防水機能のある内袋を閉めない手抜きが横行していた可能性が浮上している。
黒い外袋は水を通すため、内袋が閉まっていないと雨水などが入るという。

通常、土を入れたフレコンは除染現場に置かれた後、一定数が集まると近くの
仮置き場に搬出する。搬出まで数ヶ月かかることもあり、その間、雨が降ると、
手抜きフレコンの中に雨水がたまるのだという。

汚染土壌をフレコンに詰める作業は通常、フレコンキーパーと呼ばれる金枠に
フレコンを固定し、ショベルカーなどで汚染土壌を入れる。固定が甘かったり、
土が片寄ったりして内袋部分が中にずり落ち、閉まらなくなることは珍しくない。
中身を出して詰め直す必要があるが、スピードが大事で、ほとんどの業者は
そのままにしていたとか。(ある二次下請け業者が担当したもののうち35%の
内袋が閉まっていなかった。)

      土嚢スタンド

このフレコンバッグを支える金属枠で思い出したのは、大田区でつくられた
土嚢スタンド「大田の輪」のこと。         (たのしい時間
東日本大震災後、区民ボランティアグループが、津波に襲われた東松島市で、
民家の汚泥を土嚢袋に詰める際、1人で出来るようなものがあれば便利と考え、
町工場の経営者たちに相談した。開発、改良を加えて完成した土嚢スタンド
600個を東松島市に寄贈したということがあった。

飯館村などで使われたスタンドは、この「大田の輪」かどうかはわからないが、
東日本大震災からまもなく7年になる。元旦の一面がこの記事だとは・・・!
初日の出を拝んできて目にした記事に、何とも暗い気持ちになってしまった。
旅・散策・イベント

庭にやってくる鳥たち

2018年01月10日
2階からガラス戸越しに見えるカエデもすっかり葉を落とした。シジュウカラ
メジロもカエデに来てもすぐに飛び立って行く。正月に咲くこともある紅梅も
今年は遅いようだ。冬の庭は咲くのは寒椿とやっと咲き出した椿だけ。
オナガの集団は臆病なのか、ベランダまではやってこない。

野鳥たちにとっては食料不足なのか、ヒヨドリはベランダの手すりの唐辛子の鉢に
やって来るようになった。常連さんなのか、いつもシワシワになった赤い実でなく、
橙色やクリーム色の熟さず残った実を口に入れるが、あまり美味しくないのだろう、
食べきれず、メジロは口に入れることもなく飛び去って行く。

   ヒヨドリ
           「甘辛いの?ひよどりさん呑べえか?」  by I さん

この唐辛子は鑑賞用とはいえ、基本的には食用の唐辛子と同じだが、残留農薬の
問題から食用は避けるべきらしい。食用として登録された農薬でなく、花卉類用の
農薬を使用しているのだとか。

そこで屋根も壊れて使っていない餌台に年を越してしまったグレープフルーツを
置いてみると、数日後、皮と袋だけ残して実はきれいになくなっていた。
酸っぱいのは大丈夫らしい。

     餌台
          2012年             2018年

度々目にするシジュウカラの番い。昨年3月にカエデと椿の樹にかけた巣箱、
今年は使ってくれるだろうか。           (巣箱をかけた日)

   巣箱
            カエデ               白椿 
動物など

三間三尺のはしご

2018年01月09日
今年の新成人は127万人だとか。成人の日、Oさんから電話があり、本門寺に
行こうかということになった。世田谷から大田区へ越してきて2年になるが、
まだ本門寺を訪れたことがないという彼女。池上駅で待ち合わせ。駅前には
観光案内所が出ていて、午後に本門寺境内で「梯子乗り」が行われるという。
今年はすっかり忘れていた。 (はしご乗りの妙技 新春のはしご乗り

此経難持坂(石段)は遠慮して池上会館からエレベーターで。本堂の川端龍子
絶筆となった天井画を見上げ、参拝後、境内のレストランで食事をしていると、
すでに開始の1時になり、すでに大勢の観客。本堂の階段で観ることにした。
お陰で突然の雨にも慌てることもなく、この日は持参した傘も使わずにすんだ。

             木遣
            「木遣と纏振り込み」   仁王門から登場
 
梯子は3間3尺(約6m)の竹製。技は「頂上技」「返し技」「途中技」の3種。
今年は6名の大森鳶組合の乗子が披露。梯子乗り歴は4年から15年。                
       梯子のリ     
     3
     3
      3
          「腹亀」                      「背亀」
     2人
     手締め
                   手締め(十締め)

はしご乗りと鳶、江戸時代に火事が頻繁に発生したことで享保3年、八代将軍
吉宗の時に町奉行の大岡忠相が町火消の制度を完成させたことに由来する。
普段は鳶の仕事をしながら、いざ町内に火事が出たときは、即座に火消となり
火事場に駆けつけるという形ができた。   
旅・散策・イベント

増える読みかけの本

2018年01月08日
「ご予約の資料が用意できましたので、下記の図書館までおいでください。
取置期限を経過した場合にはキャンセルさせていただきます」と図書館から
メールがきた。予約していたことなどすっかり忘れていた。5ヶ月経っていた。

予約本は「夏休みこども科学電話相談」で「鳥」に関する回答者川上和人氏の
『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ』。おそらくラジオで川上氏の
話をきき、最新刊(2017.4 刊行)を知って図書館に予約を入れたのだろう。
まず大田区民だろうが、それでも予約待ち174番目だった。(鳥の行方
この本は読んでいると爆笑してしまうので、車内で読むのには向かないらしい。

      鳥類学者

「鳥類学は毒にも薬にもならない高尚な研究分野である。鳥が何を食べようが、
どこを飛ぼうが、社会にも経済にもとんと影響がない。おかげさまで、一般営利
企業によって研究されることはほぼないと言える。  そんな分野だからこそ
研究には税金が投入される。国民の皆様、ありがとうございます・・・」
(p158)

とにかく、読みかけの本が多い。まず、この本は貸出を待っている人がいるから
先に読んで返却しなくてはならない。笑ってもいい場所で。

「明治維新150年」の今年、幕末、維新関係の記事や放送が多い。
幕末維新関係の本は『敗者から見た明治維新』(早乙女貢 著)は本棚にあるが、
読み終えていないようだ。勝海舟の『氷川清話』は購入したが、読み進んでいない。
『ペリー来航 歴史を動かした男たち』(山本博文 著)『幕末から維新へ』(藤田覚 著)など
借りたが、なかなか進まない。予約者がいなければ、予約延長をしなくては。

      ペリー来航

りんりんと話していると、このころの出来事などすっかり忘れていることに気づく。
「鳥羽伏見の戦いっていつ頃?」ときくと、「戊辰戦争の最初だよ!知らないの?
大丈夫?」。「御三卿は?」など試されても「田安家、一橋・・・」う~ん、情けない。
挙句、勝海舟を知るには「黒船来航あたりから読むことだね」というアドバイスまで。
めったにみないテレビだが、大河ドラマも久しぶりに見ることにした。
日本史はある程度マスターしたのか、最近の彼の関心はヨーロッパ、どうかすると
「アウシュビッツ」とか「ホロコープ」などということばも出てくるようになってきた。

ちなみに、戊辰戦争は、戊申の年(1868年)に鳥羽・伏見で始まった新政府軍と
旧幕府軍との内戦、翌年五稜郭の戦いで終わった。旧幕府軍は旧幕府勢力と
奥羽越列藩同盟(東北北陸31藩)で、新政府軍は薩摩、長州、土佐藩など。
身近な人びと

鰹節を削った!

2018年01月07日
急に「鰹節削り器」がほしくなった。昔、祖母が使っていたものはとっくに処分した。
Amazonなどで調べてみたが、結局、久しぶりに合羽橋で買うことにした。
クリスマスイブ、クリスマスパーティの後、出かけた。着いたのは3時近かったか、
休みなのか早々と店じまいしたらしくシャッターの下りた店が多いのに驚いた。
人も少ない。道具街も店もクリスマスを感じさせるものは皆無。金や赤の器など、
正月用品が目立つ。
      合羽橋
          合羽橋            「ナイフショップ」  

大きな店(「キッチンワールドTDI」)に客の姿が。「鰹節削り器はありますか?」
「隣の隣もうちの店なんだけど、そこにならあるよ」ということだった。
包丁などがびっしりと並ぶ刃物店の中には包丁を選ぶ若いカップル、砥石を
買った男性、客は結構入っていた。奥の棚に削り器の見本が並んでいた。
食卓に置くミニサイズの桐製のもの(¥2200)を選んだ。刃も上等に違いない。

帰りの車内で鰹節を売る大田区の店を検索。久が原の住宅街と池上の本門寺
参道にある。翌朝、池上に行くが、地図でみた辺りにそれらしき店は見当たらない。
仏具屋さんに尋ねると、「隣のビルの2階だけど、看板出てないから・・・行って
みたら」といわれた。だが、インターフォンを押しても反応なし。諦めて駅に向かう。
一度だけ丹波の黒豆を買った乾物屋を通ったとき、ガラス戸越しに鰹節をみつけた。
もっとも小さいものを購入。(「本場 特撰」 \1300)     
     乾物屋

翌日、孫たちが来た時、早速削り器をおろした。鰹節とカツオが結びつかない
じゅんじゅんにカツオの画像をみせようと検索すると、鰹節の出来上がるまでの
動画もあった。それにしてもおよそ120日間かけて鰹節が出来上がるまでに
実に手間暇がかかること! カツオが本枯節になると6分の1ほどになるとか。

     鰹節削り
                ぼくにも削れたよ
        削り器

その後、じゅんじゅんにカツオの画像をみせると、ついでにマグロ、ヒラメ、ブリ・・・
タブレットは占領された。動物園の動物たちに夢中の彼、魚屋さんでみたマグロや
ヒラメ以外の魚にもますます興味が出てきたようだ。
身近な人びと

犬よりも猫?

2018年01月06日
「犬よりも猫?」「猫が犬が超える!」 ペットの数が初めて逆転した。 
猫の飼育数が1994年の調査開始以来初めて、犬の数を上回ったという。 
昨年は犬892万匹、猫952万匹と、今回は昨年より22万匹の増加。
CMや本などで人気集める「猫ブーム」の影響もあるらしい。
              
犬を飼わない理由としては「十分に世話ができない」の回答が多かったとか。
猫のいない庭ペット在宅ケア時代犬の認知症
           
        散歩
            ルール
     カート

「王座陥落に犬はがっかりするか。されど、その調査結果は、世話の覚悟が
なければ飼ってはならぬというルールの定着した証拠でもあろう。
犬は寂しい顔するまい」
とコラムにあった。(「筆洗」東京新聞 12.27)
ほんとうにルールが定着してきたと思いたいものだ。

        覚悟
            愛犬家のために     マンションの犬用シャワー?  

犬に限らないが、散歩もしつけも欠かせない犬を飼うのには覚悟と体力が必要。
悲しい別れは子どものときから何度も経験してきた。庭で飼っていたこともあり、
寿命が今の犬たちほど長くなかった。認知症になることもなく看取ってきた。             
動物など

犬の諺

2018年01月05日
今日は24節気の1つ「小寒」。寒さが加わる頃、「寒の入り」のこと。
寒風と降雪の時節で、寒さが厳しくなる頃。これから冬本番を迎える。

今年は戌年、さすがに猫年はないが、犬も猫も今も昔も身近な動物だ。
人間には非常に忠実な犬も、諺には犬にとっては不名誉なものが多いようだ。
日本の諺だけかと思いきや、英語の諺でもあまりいい意味には使われていない。

He goes to the dogs. I live a dog's.(犬のように惨めな生活を送る) 
A man is in the doghouse. (面目を失う) 犬小屋に入るというのは・・・
犬は室内で飼うことが多くなったせいか、この頃は犬小屋はめったに見かけない。
わが庭には犬小屋があった。犬も庭で飼っていた。

      シバ
                姪と柴犬チビ

Let sleeping dogs lie. (触らぬ神に祟りなし) die a dog's death.(惨めな死に方)
put on the dog (もったいぶる、見栄をはる) work like a dog(あくせく働く) など。 
dog days(真夏日)というのもある。

犬と猫がペアになった諺や慣用句で、面白くて気に入っているものの1つに
It rains cats and dogs.というのがある。「土砂降りの雨」という意味なのだが、
cats and dogsというのは「仲が悪い」から来ているようだ。
犬と猫といえば、以前、Sさんのお宅にお邪魔したとき、飼い犬のビーが突然、
2階ベランダから道路上の黒猫に向かって吠え出した。もちろん猫は無視。
ますます激しく吠えるが、喧嘩にもならなかった。

     ビー
             ビーグル犬のビー  Sさん宅

Dogs remember faces, cats places.「犬は人の顔、猫は場所を覚えている」
「犬は人につき、猫は家につく」という日本でもお馴染みの諺だが、なるほどと思う。

猫以外にも、キツネやライオン、ウサギなども動物が登場する。
Don't think to hunt two hares with one dog.(二兎を追うもの一兎を得ず)
hareはrabbitより大きく耳と後脚が長い。行く手を横切ると縁起が悪いとされる。
The quick brown fox jumps over the lazy dog.
(すばやい茶色のキツネがのろまな犬を飛び越える)
A living dog is better than a dead lion.(生きている犬なら死んだ獅子よりまし)
Better be the head of a dog than the tail of a lion. 日本では「鶏口牛後」だが、
英語では犬とライオンになるらしい。
Every dog is a lion at home.(どんな犬でも家ではライオンになる 内弁慶)は
Every dog is valiant at his own door.(自宅の入口では勇敢に振舞える)と同じか。

今はペットとして可愛がられる犬も、昔はあまりイメージがよくなかったようだ。
「犬馬の養い」(親を養うのにただ衣食を与えるだけで敬意が伴わないこと)
「犬馬の労」(主君や他人のために力を尽くして働くことをへりくだっていう)とか
「犬兎の争い」(両者が争って弱り、第三者に利益をとられること)
「犬一代に狸一匹」 (よいチャンスにはなかなか出会えないたとえ)などがある。

「犬が西向きゃ尾は東」「飼い犬に手を噛まれる」「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」
「犬に論語」「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」 「尾を振る犬は叩かれず」
「犬も歩けば棒に当たる」 は、何かをしようとすれば、何かと災難に遭うことも多い
というたとえ。後に、出歩けば思わぬ幸運に出会うといったことにも使われる。
動物など

三本足だった・・・?

2018年01月04日
「犬もカラスも昔は足は三本だった」で始まったコラム(東京新聞「筆洗」 12.27)は
能登地方に伝わる民話を紹介している。この話は昔きいたことがあるが、
あらためて調べてみるとなかなか興味深い話だ。

犬の習性の由来についていろいろな説がある。昔、犬もカラスも3本足だった。
犬は3本足に難儀し、あるとき神様に陳情に行った。神様は犬を不憫に思い、
カラスを呼び出し、1本の足を犬にやるようにといった。このときよりカラスは
2本足に、犬は4本足となった。足を授けたのは、神様、権現、弘法大師、
釈迦となっている。また脚、鍋の脚をもらったと語る説もある。

    散歩
                  散歩も大変    

犬はこの4本目の足を非常に大事にして、小用を足すときは常にその足を
持ち上げるようになったということだ。この動作はオス犬に限る。「男っぷりを
メスにアピール」しているとか、「縄張り主張」とか言われるとあまり面白くない。
メス犬は3本足でいいのでは?などといっては元も子もなくなりそうだ。

散歩途中の壁や電柱、門柱、植込みなど、トイレではないといいたいところだが、
犬には罪はないのかもしれない。ここ数年、街で目にするのは「犬への心遣い」。
「このポールにおしっこをさせて下さい」「PUSH 押すと水が流れて洗浄します」
というポールは代官山のツタヤで、さらにどこだっか「リードフック(lead Hook)」も。

       ポール
          おしっこポール         lead Hook 
       
ところで、犬に足の1本をあげる前のカラスは「八咫烏(やたがらす)」と呼ばれる。
「咫」は長さの単位(約18cm)だが、八咫とはごく単純に大きいという意味。
東から太陽が昇り西に沈むのは、太陽の中で「八咫烏」が飛び続け、太陽を
運んでいるからとか、太陽に住んでいるとする神話もあるか。カラスを太陽の
化身として信仰する国は多く、太陽の黒点はカラスと考えられていたという。

日本には「太陽のお使い」として大陸の文化とともに中国から伝わったと言われ、
「神武天皇の東征を八咫烏が先導した」とい逸話もある。カラスにまつわる地名や
八咫烏をかたどった紋やシンボルマークを持つ市町村は西日本に多くみられる。

      JFA
   シンボルマーク  日本代表エンブレム  日本代表マスコット (JFAサイトより) 
  
JFA(日本サッカー協会)のマークに起用されているのは3本足の「八咫烏」。
勝利のシンボルでもあり、また、足を使うスポーツに相応しいということから
85年以上も前に決められたシンボルマークというから驚く。
動物など

狛犬

2018年01月03日
今年は戌年、狛犬は犬とは違うが、12年前の年賀状は狛犬をデザインした。
              
    狛犬 *Click!
              子ども連れの狛犬  2006年の年賀状  *Click!

大田区内にある100余の神社を回り、子連れの狛犬を描いた年があった。
1体10分以内でクロッキーした。キッカケはどこかで子連れの狛犬をみたことらしい。
描いたのは29組の親子狛犬。多い時には1日に9つの神社を周ったこともあり、
そのうちの4社で描いたこともあった。今年は近くだけでも回ろうかと思っている。
     (招き猫から狛犬へ狛犬迷だったころ思い立ったが吉日

        クロッキー

「狛犬(こまいぬ)」とは、神社に奉納、設置された空想上の守護獣像。
本殿・本堂の正面左右などに1対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、
参拝者と正対する形で置かれることが多い。「高麗犬」とも。

    木彫
              鎌倉時代の木彫狛犬   (6号本画) 

古代インドで、仏の両脇に守護獣としてライオンの像を置いたのが狛犬の起源。
また、古代エジプトやメソポタミアでの神域を守るライオンの像もその源流とされる。
中国では皇帝の守護獣として獅子の像が定着した。遣唐使が帰国後、宮中に
獅子座思想を持ち込んだといわれる。

日本に持ち込まれた後、1対の獅子像は日本独特の「獅子・狛犬」に変わる。
向かって右側が口を開け角のない「獅子」、左側が口を閉じて角がある「狛犬」。
これらは寺の山門を守る仁王像の阿吽などと同じで仏教の影響を受けた日本
独特のもので、中国の獅子像などのほとんどは両方とも口を開いている。

      狛犬
      明治時代の狛犬   熊野神社  大田区南馬込 (明治16年)   
      狛犬    

現在では「獅子・狛犬」は少なく、形としては阿吽共に獅子に近いものが多く、
単に「狛犬」に定着している。現在では両者を併せて狛犬と呼ぶ。
明治期の狛犬 Ⅰ 江戸期の狛犬 Ⅰ 大正期の狛犬 Ⅰ  ) 
旅・散策・イベント

穏やかな年明け

2018年01月02日
今年の元旦は比較的暖かかった。多摩川に架かるガス橋に到着したのは6時半。
遠く京浜工業地帯の大きな煙突からモクモクと煙が出て西へたなびいていた。
橋上に立っていても寒さはあまり感じなかった。もっともだいぶ着込んではいたが。

        6:386:38

初日の出の時刻は6時51分ということだった。待つ間、80代くらいだろうか、
男性の声がきこえてきた。「どのあたりがみえるんですか・・・」望遠カメラを
セットしていた若い男性がやさしく応じていた。「世田谷からこっちへ越してきて
10年だけど、いい場所を教えてもらってね、よかったよ~」と興奮気味。
平和な1年の幕開けであってほしいと思った。

         6:536:53
        6:556:55    
             6:586:58


       6:596:59
               東京都大田区―神奈川県川崎市

       7:057:05
                    大田区河川敷
     多摩川
               富士山            土手におりた霜

川崎市のSさんからLINEで送られてきたのは、近所で拝んだ初日の出と富士山。

      LINE

午前0時には山門をくぐって除夜の鐘を撞き、神社でお神酒と甘酒をいただいた。
喪中ということでもないが、おせちもなし。初日の出を見てデニーズでモーニング。
再び帰宅し一休み。10時にじゅんじゅんたちと川崎ラゾーナへ。約束の「アニア」を
買ってランチ。どこもかしこもひどい混雑。まるでそれを狙って出かけているようだ。
空いていたのはデニーズだけ。何とも先が思いやられる年明けとなった。                                 
旅・散策・イベント
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