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明治大学博物館 古墳の広がり

2018年09月30日
明治大学博物館の考古部門では、50年以上にわたる調査研究の成果を公開している。重要文化財に指定されている群馬県岩宿遺跡、埼玉県砂川遺跡、神奈川県夏島貝塚、栃木県出流原遺跡など、いずれも戦後日本の考古学の発展を促した重要資料。(明大博物館 黒曜石縄文人はグルメ?稲作のはじまり

墳丘をもった墳墓は弥生時代にすでに登場しているが、現在は、本州、四国、九州において作られた前方後円墳が造られた250年頃から600年頃までの350年間を古墳時代とするのが定説となっている。また、前方後円墳の造営が終了した後の7世紀代に造営された方墳・円墳・八角形墳などのことを「終末期古墳」と呼んでいる。

東日本では、近畿とそれほど変らない時期に前方後方墳が出現する。そして、古墳時代中期には全200mを超える巨大古墳が築造される一方で、東北地方南部でも関東とほぼ同じ時期に、また北部ではやや遅れて古墳が出現し、終末期に至るまで継続的に古墳が造営された。

   古墳の出現
      
      古墳 *Click!
   東北・関東および近畿の古墳 *Click!

茨城県の霞ケ浦北辺には、東日本で第2位の全長を持つ「舟塚山古墳」などの大型の前方後円墳が数多く築かれる。底部に穴を開けた儀礼専用の壺形土器や、壺を載せる器台の形をした埴輪が注目される。

    前期古墳
     底部穿孔壺形土器  円筒埴輪  
 
  舟塚山古墳
     舟塚山古墳出土の埴輪(レプリカ)

古墳は、多くの場合数基ないし十数基で群をなしている。こうした古墳群は、ふつう比較的大型の前方後円墳を中心として中小の前方後円墳・円墳など、大きさや形の異なるもので構成されている。古墳時代後期には、多い場合には数百基もの小型墳が群集した群集墳が形成されている。

  古墳群
             壺型土器

      土器の形式と年代 *Click!
    土器の分布と年代 *Click !

7世紀になると、近畿地方では前方後円墳の築造を停止するが、高塚の墳墓は円墳や方墳として引き続き造営され、7世紀半ばには大王の墓として八角形墳が新たに創り出された。
東日本では7世紀以降にも前方後円墳が継続して造られていたが、主流になったのは円墳や方墳で、横穴墓なども盛んに造られた。また、近畿地方においては大王の墓であった八角形墳や上円下方墳が関東でも築造されていて、この時代の近畿と地方との関係を物語っているという。

大田区にある古墳といえば、「多摩川台古墳群」。ここは、多摩川下流域左岸の台地の上、田園調布付近から世田谷区野毛付近に所在し、昭和初期に54基の古墳が確認されていた荏原台古墳群の一支群にあたる。(大田区の古墳) 
6世紀前半に円墳の2号墳、その後2号墳を前方部に利用した1号墳(全長39mの前方後円墳)、以降3~8号墳(直径15m前後の円墳)が7世紀中頃まで継続して築造されている。
 古墳展示室
   多摩川台公園古墳展示室

古墳の石室からは装身具や武器・武具、馬具、土師器、須恵器などが出土、墳丘からは埴輪が発見されている。都指定史跡指定(2000)。「古墳展示室」には実物大の再現古墳、荏原台古墳群の古墳分布を示すパノラマ地図、古墳からの出土品などが展示されている。  
芸術・文化・考古

明治大学博物館 稲作のはじまり

2018年09月29日
弥生時代は日本列島で米作りが始まった時代。紀元前5~7世紀頃に始まり、3世紀半ば頃に次の古墳時代へと移行した。この時代には「クニ」といえるようなまとまりができ、「王」と呼ばれる人物も登場する。また、朝鮮半島や中国との交渉が非常に活発になるのもこの時代。(明治大学博物館 黒曜石 縄文人はグルメ?

稲作の開始 今から8千年ほど前に中国の長江中・下流域で作り始められた稲作は、5千年前頃になるとアジア各地に広がり始めた。日本列島で水田を伴う稲作が始まるのは、それよりも2千年以上後のこと。まず北部九州に伝わったのが弥生時代の開始時期で、急速に西日本一帯に広がっていく。「遠賀川式土器」と呼ばれる土器様式の広がりは、初期の稲作の広がりを示すものと考えられている。

 稲作
       稲作の開始

列島北部の稲作遺跡  初期の稲作の広がりは、ほぼ名古屋と福井を結ぶラインの西側にあり、東へ、そして北へ行くほど時間的に遅れるものと考えられていた。だが、そうした定説は青森県弘前市の砂沢遺跡で、弥生時代前期の水田址が発見され(1987年)、大きく見直されることになった。ただし、厳しい天候のためか、東北での稲作は長く継続的に行われることはなかったという。

再葬墓  東日本の縄文晩期から弥生中期にかけての時期に壺を棺として埋葬した墓制のこと。千葉県佐倉市の岩名天神前遺跡の発掘調査(1961年)が行われ、壷の中から人骨が見つかったことから、この種の遺構が墓であることが明らかになり、骨を入れた壷の頸部が細いことから、何らかの遺体処理を行ったものと推測されたため「再葬墓」という概念が出された。

   再葬墓
         再葬墓

「再葬墓」とは文字通り2回の葬儀を執り行う墓制。遺体を骨にする「1次葬」。骨になった遺体を壷に入れて埋めるときに行う「2次葬」。弥生時代に限らず、縄文時代から古墳時代、果ては現代に至るまで行われている。

弥生時代中期  南関東地方が本格的な農耕社会に入った。この地方で「宮ノ台式土器」と呼ばれる土器を製作・使用していた時代には南関東に環濠集落が登場し、それを中心に地域のまとまりができてきた。また、西日本からの墓制である方形周溝墓の出現や、石器から鉄器へと道具の材質が代わっていくのもこの時代。

弥生時代後期  中期の環濠集落が解体し、地域社会が再編された。環濠集落を含む集落は小型化し、内陸部へと進出し、土器の特徴も小地域ごとに違いが際立ってくる。こうした動きが次の古墳時代への移行することになった。
後期には関東地方一円で個性豊かな土器群が展開し始める。南関東の弥生土器では、戦前に久ケ原式、弥生町式、そして前野町式という3つの土器型式が設定されていた。その後、70年代以降になると発掘調査が進んで、それらとは違う臼井南式、朝光寺原式いった土器も知られるようになった。

   弥生時代後期
   弥生土器
    2世紀の南関東  台地上の環状集落

弥生青銅器   弥生前期末に朝鮮半島から剣・矛・戈・鐸・鏡などの青銅器が伝来した。特に剣、矛、戈といった武器形青銅器は北部九州を中心に発達。それらは、もともとは実戦的な武器だったが、やがて殺傷能力を失い、首長の権威の象徴となった。北部九州においては首長個人のものとして、その墓に副葬されたが、後期になると祭りの道具となり、地中に埋められるようになった。

   銅鐸

銅鐸は近畿地方を中心に独自の発達を遂げた。祭りで使われる楽器だった鐸は音を出す機能を失い、儀式のための道具となり、鐸も集団の祭器として地中に埋められた 。

弥生時代とは、前方後円墳によって示されるような古代の王権が出来上がる前の、激動の時代だったといわれる。弥生時代の始まりを表すのが水田稲作農業の開始と金属器の登場とすれば、弥生時代の終焉を表すものは巨大な墳丘を持つ王の墓ということになるという。およそ1万8千年つづいたという縄文時代に比べると弥生時代はおよそ千年と短い。古墳時代はさらに短く、およそ400年。
芸術・文化・考古

明治大学博物館 縄文人はグルメ?

2018年09月28日
明大博物館の「考古」は、トーハクや國學院大學博物館とはまた違った興味深いものだった。(國學院大學博物館

縄文時代は、全世界的な気候の温暖化と歩みを合わせて列島に登場した土器、石鏃、竪穴住居など生活をめぐる新しい文化要素によって旧石器時代と画されるという。

神奈川県の「夏島貝塚」は縄文時代早期前半から貝層が形成されていることから、日本列島の海浜部では最古の貝塚の1つ。第一貝層が形成された約1万年前は陸つづきだったが、「縄文海進」による海水面の上昇によって、縄文時代前期までには海上の島となった。

  夏島貝塚
       夏島貝塚
   夏島貝塚
     貝層から    「縄文海進」

遺物や豊富な動物遺存体は、縄文時代人が森林と海浜の両方の環境に適応した狩猟採集漁労民だったことを物語る。
出土したのは、マグロ、マダイ、カツオ、スズキ、メバル、ブリ、サバ、ヒラメなどの魚類、キジ、ガン、マガモ、サシなどの鳥類、ニホンジカ、イノシシ、タヌキ、二ホンイヌ、モグラ、アナグマ、ムササビなど。貝類は、ハマグリ、バイガイ、オオノガイなどの二枚貝のほか、数種類の巻貝。

 貝層標本
   貝層剥離標本  称名寺式期の貝層

縄文時代中期から晩期にかけての杉田貝塚の貝層剥離標本が展示されている。杉田貝塚は横浜市南部にある丘陵平坦部に位置する。貝層が傾斜しているのは丘陵斜面に貝などが廃棄されたため。ハマグリなどの貝類をはじめシカ、クロダイ、スズキ、カツオなどの動物遺存体が出土している。

 製塩
     山の塩と海の塩

縄文時代の後期末から晩期初頭になると、霞ヶ浦沿岸に製塩遺跡が登場した。薄手の製塩土器で海水を煮詰めて、塩を生産する土器製塩。茨城県法堂遺跡では、多量の製塩土器が出土した「特殊遺構」が見つかっている。

縄文時代でも旧石器時代に劣らず人々は石器作りに黒耀石を大いに利用していた。が、原産地で手に入れる方法は大きく異なる新しいもので、地面を掘って黒耀石を採掘していた。長野県の星糞峠黒耀石原産地に鉱山が残されていた。
数千年から1万年前は「黒曜石」を介した「ヒトとモノの交流」があった。(明治大学博物館 黒曜石

縄文時代晩期の東日本には、亀ケ岡式土器と総称される土器群などいくつかの土器型式が分布している。先行する縄文時代後期に引きつづき、晩期でも土偶に代表される優美な呪具・装身具が数多く生み出され「亀ケ岡文化」の特色ともなっている。弥生時代への移行を目前にひかえた縄文人の精神世界の一端を垣間見ることができる。

    晩期
   土偶
         土偶
 
もっとも印象に残ったのは「日本列島の4万年と展示資料」。およそ3万年前に姶良カルデラ(鹿児島湾と桜島を囲む)の火砕噴火があった。噴出物は巨大な火砕流となって地表を走り九州南部に広がっていき、空中に吹き上げられた火山灰は偏西風に流されて北東へ広がり列島各地に降り積もった。関東地方で10cmの厚さの降灰があったとされる。

 4万年 *Click!
     日本列島の4万年 *Click! 

理系だという大学生たちと共に解説をきいたので、「年代を測定するには放射性炭素年代測定法でなく、今は・・・」といった話は難しかったが、「日本列島の4万年」をみると、先史時代(~古墳時代)に比べ、歴史時代(橙色部分)の短さは十分に理解できた。

『縄文の思考』(小林達雄 著)によると、「人類文化のはじまりを、真夜中の午前零時に合わせて時計の針を進め、今日現在までを丸一日の24時に設定すると、中国大陸における5,60万年の北京原人の登場が22時に相当し、日本列島への人類の渡来はたかだか8分前の23時52分となる。

そして人類文化第二段階の縄文文化の幕開けは、わずか3分前の23時56分30秒に相当することになる」
という。江戸時代がいくら長く続いたといえ、ほんのわずかな時間に過ぎないことにあらためて驚いた。

何万年もの間、戦いのなかった旧石器時代と縄文時代。平成が終わろうとする現在までの短い間にいったいどれほどの戦乱、戦争が起きていることか。ますます縄文時代にタイムスリップしたくなった。
芸術・文化・考古

明治大学博物館 黒曜石

2018年09月27日
7月、トーハクの『縄文展』、そして8月末、偶然訪れた國學院大學博物館の『日本文化の淵源を求めて』で縄文の世界に触れて以来、数年前から燃え始めた「縄文」が急に勢いを増した。(國學院大學博物館 土器
9月、久しぶりに画の教室へ。「『縄文展』行った人いますか?」の先生の問いに「行きました!」と答えたのは私1人。先生と縄文の話で盛り上がったせいか、明治大学博物館にも考古学の展示があったことを思い出し、急遽、行ってみることにした。

    博物館

明治大学博物館はJR御茶ノ水駅から歩いて5分。地下2階の常設展へ向かう。展示は、大学史、商品、考古、刑事の部門に分かれている。すぐに「考古」に行きたかったが、まず、刑事、商品部門をさっとみた。有名な拷問道具「ニュルンベルクの鉄の処女」と「ギロチン」などの前はパス。時代劇でもお馴染みの十手などの補者具や拷問の道具などもあった。商品部門には漆器、染織品、和紙、陶磁器などの日本の伝統工芸品の数々が展示されている。

入館料無料、会場では数人の「友の会」の方々が観覧者それぞれに展示の解説をしてくれる至れり尽くせりの博物館だ。「考古」の入口近く、テーブルに黒曜石が置かれていた。友の会の方に「試してみては?」といわれ、尖った黒曜石で紙がよく切れた。古代人はこの石で矢じりや斧をつくったのかと納得。ここでも大田区の多摩川台の古墳群や久が原土器の話などで話が弾んだ。

  黒曜石
        黒曜石

考古学の展示は、日本列島で最初の旧石器時代の遺跡、重要文化財に指定されている群馬県岩宿遺跡から始まった。無土器時代、先土器時代とも呼ばれた日本列島の旧石器時代の遺跡は、現在5千ヶ所以上が知られている。

金属器の前の時代では、黒曜石は「獲物を狩る」生活必需品だった。原産地が限られている黒耀石などが地域を越えて利用された。関東地方は黒耀石を通じて信州とつながり、黒耀石の一大消費地となった。塊を割り砕いた欠片も「細石刃」として骨角製の槍に装着したと考えられるとか。

縄文時代は、全世界的な気候の温暖化と歩みを合わせて列島に登場した土器、石鏃、竪穴住居など生活をめぐる新しい文化要素によって旧石器時代と画される。信州の霧ヶ峰から八ヶ岳の一帯には、火山国日本を代表する、縄文時代を代表する良質な石材であった黒曜石が産出する。

黒曜石はガラス質の火山岩。流紋岩質や安山岩質のマグマが冷えて固まったもの。割れ目は貝殻状で、先史時代には石器に使用された。黒曜石の粉末は、日本画用の天然岩絵の具にもなっている。

先月、訪れた郷さくら美術館に設けられた「日本画の材料」コーナーには、黒曜石などの原石とそれぞれの岩絵の具が展示されていた。産地はブラジル、南アフリカ、中国など、日本産は金茶石、軽石くらいだった。天然岩絵の具の中でも比較的安い絵具はあまり気にせずに使っていたが、あらためて貴重な岩絵の具、大切に使わなくてはと思っている。

  日本画材料
紅珊瑚末 ソーダライト(紫雲末) 電気石末 
金茶石(岩金茶) 孔雀石(松葉緑青) 藍銅鉱(群青) 
水晶末 虎目石(丁子茶) 黒曜石末 軽石(盛上)
芸術・文化・考古

東京メトロの野菜工場

2018年09月26日
地下鉄の車内で目に留まったのは、「東京メトロが育てた野菜」と書かれたポスター。東京メトロが始めたとうきょうサラダというプロジェクトは、2015年から栽培がスタートしたという。東西線の西葛西駅から葛西駅間の高架下の50坪ほどの土地に野菜工場がある。

この植物工場は高架下を管理しているグループ会社と協同で運営。現場で栽培をしているメンバーは農業未経験、中には元々東西線の運転士だった人もいるのだとか。フリルレタスなどのレタス類、ロメインレタスやチコリ、バジル、ベビーリーフ、ハーブ類を栽培。そこで採れた野菜の品質の高さが注目を集めているという。

 東京サラダ

野菜工場というと、人材派遣サービス「パソナ」本社(千代田区)の都市型植物工場「アーバンファーム」を何度か訪れたことがある。偶然見つけたパソナの広告につられ、りんりんと立ち寄ったのは6年も前。その後、Sさんの友人の案内でSさんと2人で。2階までは見学可能。

   カボチャ
   パソナ
             2012.2

パソナのオフィス内で人工光や水耕栽培技術など野菜作りのさまざまな試みがされていた。ロビー奥にある受付の天井では水耕栽培でカボチャが、その隣にある畑では高照度ランプによって綿花が、「トマトの応接室」と呼ばれる応接室では、壁と天井を利用してトマトが栽培されていた。秋に収穫された稲の稲架(はざがけ)に見とれたことを思い出した。 
      パソナ
   パソナ
              2013.11

館内の植物工場施設や外壁をあわせると、なんと200種類以上もの植物を育てているとか。採れた一部は社食で提供される。色とりどりの花に囲まれたカフェスペース、子育中の社員のために企業内保育園まであった。(健康もエコも野菜の栽培
植物など

東京の縄文遺跡

2018年09月25日
7月にトーハク(東京国立博物館)で『縄文展』みて以来、ずっと気になっていた『縄文にハマる人々』をみた。「もしかしたら、日本の絶頂は縄文時代だったのかもしれない」と、この映画は縄文にハマった人々を筆頭に、考古学や民俗学の専門家、さらには文化人やアーティスト、そして縄文に人生の全てを傾ける人々への5年にわたる取材の集大成。
1000点近くもの縄文土器や土偶たちの想像を超えた数多くの造形が登場した。

 映画
  シアター「イメージフォーラム」  

映画に登場する博物館や遺跡は全国で50ヶ所以上。うち東京は5ヶ所。東京国立博物館、國學院大學博物館、大森貝塚遺跡庭園、さらに訪れたことのない三鷹市遺跡調査会展示室、東京都埋蔵文化財センター。関西以西大阪府、奈良県、岡山県、佐賀県、鹿児島県のわずか5ヶ所だった。
 
      縄文土器 *Click ! 
       縄文土器 *Click 

帰宅後、『東京人 縄文散歩』(8月号)を開き、「tokyo 縄文遺跡地図」をあらためて眺めた。東京には多くの縄文時代の遺跡があることは漠然と知ってはいたが、想像以上に多く点在している。都内では、縄文時代の貝塚が約90ヶ所で見つかっているとか。何度も訪れた大森貝塚の公園だのほか、あの居木橋にも雪ヶ谷にも貝塚があったとは! 

 東京人
   「tokyo 縄文遺跡地図」

大田区(久が原小学校内遺跡)にも先土器時代から先住人がいたことが確認されている。海と川に臨み、武蔵野台地の先端に位置している大田区は、昔から人が住みやすく、交通の要路でもあったようだ。

「大森貝塚」は、品川区から大田区にまたがる縄文時代後期から末期の貝塚。明治10年(1877)アメリカの動物学者E・S・モースが横浜から新橋へ向かう車窓で発見し、そこで土器、石器、人骨なども多数の資料を発掘し、その成果を「SHELL MOUNDS OF OMORI」として刊行した。この発掘が日本の考古学、人類学などの発展に大きく貢献するとともに日本の先史文化を海外にも広めた。

    モース博士像
        モース博士像

品川区内の遺跡一帯が大森貝塚遺跡庭園(国指定史跡)となっており、園内では保存された貝塚標本(剥離標本)から貝殻が堆積している様子を実際に見ることもできる。さらに、大森貝塚碑やモース博士の銅像などもある。

   遺跡庭園
    大森貝塚遺跡庭園 (品川区)
    
大田区側ではJR京浜東北線の線路近く、貝塚を発掘したとされる場所に「大森貝墟」の碑が建てられた(昭和5年)。その5ヶ月前、品川区側には「大森貝塚」碑が建てられた。その後、どちらがモースの発掘した場所かの議論が紛糾し、昭和30年に大森貝塚が国史跡に指定されるという時もまだ判然としなかったために、双方が指定された。
ちなみに、現在は品川区の方がモース発掘の場所というのが一般的な説。JR大森駅ホームには、縄文土器を模った「日本考古学発祥の地」の碑がある。(大昔の大田区)   
旅・散策・イベント

「ヤマト政権」へ

2018年09月24日
かつては歴史の常識と思われていたことが変更されることも珍しくないという。今は「大和時代」「大和朝廷」ではなく、「ヤマト政権」「ヤマト王権」と呼ぶようになったということを最近になって知った。

3世紀からはじまる古墳時代。邪馬台国をはじめ、島根県の出雲、岡山県の吉備など、全国各地に同じような政治的役割をもつ国が発展していった。規模が大きい国が邪馬台国、そして各地のトップを統治する王が卑弥呼。邪馬台国の衰退後は各地の国が力をつけてくる。

70年代前半頃までは古墳時代を「大和時代」、その政権を「大和朝廷」と呼んでいたが、70年代後半から発掘調査で重大な古墳が発見された。朝廷は天皇中心の政治体制を表すもので、天皇不在の古墳時代に合わない。
         
大和路
     桧原神社より箸墓古墳 1997.11

「箸墓古墳」など大きな古墳が奈良盆地南東部に存在することから「ヤマト」、「ヤマト政権」「ヤマト王権」と呼ぶようになったという。ほかに「ヤマト王国」「大和政権」「大和王権」「大和王国」と書くかといったことも歴史学者の間でもまとまっていないとか。

『早わかり 日本史』(河合敦 著)では、「古墳の出現は、大和政権(朝廷)成立の証拠でもある」。朝廷はカッコ内。

     3714no03.jpg
      大仙陵古墳 堺市  (Wikipedia)

4世紀半には全国へ拡散、中期に前方後円墳が巨大化。このころつくられた「仁徳天皇陵」は、現在は「大仙陵古墳」と呼ばれている。宮内庁が発掘を認めていないため「仁徳天皇陵」であると確定することは学術上不可能であるというのがその理由。(歴史は変わっていた

「聖徳太子」は「厩戸王(うまやどのおう)」の併記となり、645年で覚えていた「大化の改新」は、「改新の詔」を出した646年に。
「1192(いいくに)つくろう」で覚えた鎌倉幕府成立は、全国に守護・地頭を置くことを朝廷に認めさせた1185年とされる。

さらに、「鎖国」という表記は東アジアの中で交易を続けていたことから、表現を緩めて「いわゆる鎖国」などに。
河合氏は、「そもそも鎖国という言葉がよくない」「この言葉のせいで、日本は一切外国と交際せず、国を閉ざしていたと思ってしまうが、それはまったくの誤解で、江戸幕府は盛んに国際交流をはかり貿易を行っている。オランダ、中国、朝鮮、琉球がそれである」という。

このごろ度々耳にするようになった「平成最後の〇〇」には辟易している。「平成最後の夏」は終った。この夏が「酷暑最後の夏」になればいいのだが。
旅・散策・イベント

ネット上とはいえ・・・

2018年09月23日
今日は24節気の1つ「秋分」。七十二候は、初候:雷乃収声(雷が鳴り響かなくなる) 次候:蟄虫坏戸(虫が土中に掘った穴をふさぐ) 末候:水始涸(田畑の水を干し始める)で、日本、中国とも同じ。
「秋分の日」は、二十四節気の秋分に入る日をさし、昼と夜の長さがほぼ同じになる日で、彼岸の中日。「祖先をうやまい、なくなった人をしのぶ」という趣旨になっている国民の祝日。

    彼岸花

インターネットが急速に発達していく今日、ネット上にお墓を持つことが出来る時代にまでなったという。この「ネット墓参り」は、大きく分けて「併存型ネット墓」と「単独型ネット墓」がある。一般的に「併存型ネット墓」と呼ばれるのは、実際にお墓を持っており、ネットを通じてお参りするシステム。

昔、実際のお墓とお参りをするためのお墓を別々に用意していた。この「両墓制」が発展したものが現代の「ネット墓」に近い。お参りの方法は、実際のお墓の写真や故人の情報をあらかじめ登録し、お参りしたいときに写真などをネット上に表示してお参りをするというもの。

2つ目の「単独型ネット墓」はネット上にできたバーチャル墓(仮想霊園)。併存型ネット墓と違って、多くは散骨という形をとるために遺骨を納めるお墓が実際にない場合、経済的にお墓を建てることができない場合に利用されることが多いという。画面上でお花を供えたり焼香などをしてお参りが出来るというもの。

登録料(¥3000)、維持費(年に¥2000~3000)、オプションで音声登録料、内容変更手数料がかかる。ホームページを公開するように故人の写真や映像を投稿したり、参拝者からのメッセージを投稿することも出来る。 お墓がある場合は、ほかに実際のお墓の年間維持費がかかるが、実際にお墓がない場合は、ネット上お墓の年間維持費くらいとか。

  寺

だが、実際のお墓がある場合は、定期的に実際のお墓へ出向いて、手入れをする必要があるが、それができないというデメリットがある。もっともお墓のメンテナンスの代行サービスというものもなくはないが。
ほかにも、実際のお墓の前で手を合わせるという意味での「お墓参り」はできない。先祖の墓を放置しっぱなしにするより、ネット上とはいえ墓参りする方がいいかのではというが、はてさてどうなのだろう。

ふと、縄文の人々のことを思った。縄文時代前期以降、中部・関東を中心にいわゆる環状集落が形成されるようになると、住居群に囲まれた中央広場には多くの土壙墓が群在するようになる。「縄文の円環」とも呼ぶべき空間配置の背後には、縄文人の独特の世界観、他界観が存在していたことは明らかだという。例えば、青森県の三内丸山遺跡には、道幅が15mもあるメインストリートの両側に整然と向き合って並ぶ土壙墓が、発掘されているだけでも約500基も確認されている。

「日本人は推定4500~5500年も前から死者を大切にしてきた、先祖を心のより処、精神的な支えとしていた」といわれている。お墓の前で手を合わせることは、はるか昔からつづいてきた「いのちのつながり」をあらためて考えるいい機会になるように思う。
旅・散策・イベント

勝海舟と大田区

2018年09月22日
来年夏に洗足池畔に開館する(仮称)「勝海舟記念館」の改修工事が着々と進んでいる。安藤広重「名所江戸百景 千束の池袈裟懸松」にも描かれている洗足池は、晩年の勝海舟と関わりがある。8月の大田区報では海舟の特集が組まれた。

    区報 *Click
         大田区報 *Click!

薩摩藩邸で行われた「江戸無血開城」の交渉は、官軍が本陣を置いた池上本門寺(松濤園)で海舟と官軍代表との最後の談判が行われた。当時、東海道には官軍の兵が多く駐在していたため、海舟は中原街道から本門寺へ向かう途中、洗足池畔で休憩をとった。
このとき洗足池の景色を非常に気に入り、のちに洗足軒という別荘を現在の大森第六中学校の地に構え、旧幕臣たちと交流したという。洗足軒はその後、焼失した。

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      弘化元年「江戸近郊図」 (区報)
   洗足軒
    当時の洗足軒  「千束の池袈裟懸松」 

海舟の没後、海舟に関する図書などを収蔵する「清明文庫」が洗足軒脇に建てられた。公園内には海舟夫妻の墓もある。
勝海舟のヒューマニズム勝海舟の眼差し
  
     旧清明文庫
       改修前の旧清明文庫

来年夏、オープンする記念館(旧清明文庫」には、海舟の人物像に触れる展示や、海舟や地域にまつわる資料のほか、咸臨丸のOG映像なども公開される予定。正面中央は、ネオゴシック様式を基調とし、建物細部にアールデコ調の模様なども施され、国の登録有形文化財に登録されている。

 増築棟
  増築棟
       旧建物正面

  旧清明文庫
    左奥:旧清明文庫 手前:増築棟 

図書館からの帰り、少し遠回りして改修工事中の旧清明文庫の前を通って駅に向かった。増築部分はまるで見えないが、改修中の正面部分がみえた。来年のオープンが楽しみだ。 
旅・散策・イベント

勝海舟の像

2018年09月21日
2018年は江戸無血開城から150年、2019年は勝海舟(1823-1899)没後120年にあたる。坂本龍馬や西郷隆盛に大きな影響を与えた勝海舟は、火消の新門辰五郎とも懇意にしていたという江戸っ子の一面もみせる。幕臣の中では異色な存在。「幕末三舟」(山岡鉄舟、高橋泥舟)の1人。

勝安芳像」 墨田区吾妻橋 墨田区役所内 
都内で最も大きい勝海舟こと勝安芳像。高さ2.55m、台座を含めると約5.5m。維新後、政治家として新政府に参加する一方、幕臣時代はことごとく対立していた主君徳川慶喜の地位や生活面の手当て、旧幕臣の不満を抑えるための努力を続けた。(江戸から東京へ勝海舟と洗足池」勝海舟のヒューマニズム

勝安芳像

この像をはじめて見たのは、東日本大震災の5日前。浅草雷門に集まった6人、スケッチというより隅田川沿いに向島百花園まで建設中のスカイツリーみながらの散策になった。途中、区役所前の銅像があまりにも高いのに驚いたことを覚えている。(隅田川沿いを歩く

2003年、生誕地である本所亀沢町に所縁の墨田区で銅像建立の機運が高まり、市民有志により、生誕180年を記念して建てられた。右手を突き出し新しい日本を思い描きアメリカを目指そうとする40歳ごろの海舟。

勝海舟翁之像」 墨田区 能勢妙見堂境内海舟の維新後の姿を描いた像は、洋装の胸像。あごに髭を蓄えた壮年期の姿。父小吉が息子の開運を祈願して別院にて水垢離をしたこと、大怪我で九死に一生を得て大成したことなどに因んで、別院の創建200年を記念して建立された。 

       勝海舟翁之像

勝海舟・坂本龍馬師弟像」 港区赤坂6丁目 
銅像の高さは海舟1.6m、龍馬1.9m。2016年秋、勝海舟と坂本龍馬が知り合った赤坂の地に師弟像が完成。海外雄飛を目指した志を表現していて、太平洋の向こうの米国を望むように置かれている。 (海舟と龍馬の師弟像

師弟像

墨田区の40代の海舟、妙見堂の壮年の海舟、龍馬と共に海のかなたを見つめる海舟、それぞれいい顔をしている。
銅像ではないが、江戸東京博物館で出逢った「勝海舟江戸開城図」(江戸城明渡の帰途) の画(1885年)が強く印象に残っている。作者は旧幕臣の洋画家 川村清雄。  

勝海舟
 
「江戸城の石垣を背景に毅然と立つ海舟の背後には、今にも斬りかかろうとする抜刀した旧幕府軍将官の姿が。また、足下には葵紋の軒丸瓦が転がり、徳川の世の終焉を象徴する。作品からは大政奉還後の事後処理を委ねられ、江戸無血開城に尽力した海舟の苦しい立場が伺い知れる」とあった。                      
旅・散策・イベント

バスの中でも「要注意」

2018年09月20日
今日は「バスの日」。日本で最初にバスが走った日を記念する記念日。京都市(堀川中立売 - 七条 - 祇園)で二井商会(苗字に井が入った福井九兵衛と坪井清兵衛が創業)により蒸気自動車を改良した乗合自動車で、1903年(明治36年)の今日始まった。ただし、1904年経営破綻で営業を終えている。

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    最近の都バス  天気予報まで

先日、渋谷駅からバスに乗った。久しぶりに乗った都バスの車内で意外なものをみつけた。窓の柱に設置されたUSB充電ポートだった。ずいぶんと便利になったものだと感心したが、帰り乗ったバスはごく普通のバスだった。どうやら、まだ実証実験中で、このポートが設置された都バスは、渋谷営業所が運行しているバス1台のみらしい。それにしてもこの希少なバスに乗った日は、國學院大學博物館の存在を知ったいい日だった。

   充電
         
都営バスでは全車両に無料のWi-Fi環境も整備されている。高速バスでは当たり前になったモバイルIT環境が、一般の路線バスにも普及し始め、都営バス全路線で電源ポートが常設することになれば、車内でUSB充電ポートやWi-Fi機器の電源を気軽に利用できるようになる。都営バスのUSB電源ポートは車内に5ヶ所、利用状況は職員が乗り込んで目視によりチェックしており、データは集計中だが手応えを感じているという。いずれ路線バスでも常設が当たり前の風景になるかもしれない。

その都バスだが、東京新聞(9/3)1面の記事に驚いた。新聞によると、発車時や急停車時に乗客が車内で転倒するなどして、毎年100人前後が怪我をしていることが、都への取材で分かった。警察は、都営バスと都内の民営バスの負傷者数を、多い年でも55人しか統計に計上していないことも判ったという。

都では、車両との衝突事故を除いたバスの発車時や急停止の際、乗客が転倒するなどの事故で怪我する人が毎年(2013-2017年)98~121人いたという。女性が7割超で、半数近くが70歳以上。重傷は2~8人だった。一方、警察統計によると、都内の乗合バス全体の負傷者はわずか26~55人。都バスの輸送人員は、民間を合わせた都内の乗合バス全体の26%なので、都内の負傷者はさらに多いことになる。

  表
   バス車内事故の負傷者数 (東京新聞)

都バスでは、2017年度、怪我人117人のうち、車の割り込みなどによる急停車が最多の61%、運転士が乗客の着座を確認しないなど、発車時が26%だったという。警察の統計では、怪我人29人のうち急停車持が7%、発車時が34%と、都の統計と逆になっている。
都は負傷者が出た事故をすべて警察に届け出ているとしているため、この説明が正しければ警察内部で何らかの意図をもってデータを著しく低く改ざんしていた可能性がある。警察統計は国土交通省が事故防止対策の基礎データとして使用しており、対策の有効性にも問題が出てくるという。

女性は男性より筋力が弱く、買い物袋などで手がふさがっていることが多いので、急ブレーキのときは手すりにつかまっていてもよろけることがあるという。70歳以上の都民が安く利用できる「シルバーパス」の発行枚数は年々増加、2人に1人が所持しているという。この「シルバーパス」を利用して都内を回る日が来るのが楽しみだ。とりあえず、筋力をつけてリュックで出かけることを心がけようと思う。
旅・散策・イベント

QRコード

2018年09月19日
毎月19日は「東急の日」だとか。東急線にはいつもお世話になっている。最近気になっていたのが、駅のホームドアに設置されたQRコード。何のためだろうと思っていたが、どうやら一般向けではなく、「駅係員が車椅子のお客さまなどをご案内する際、乗車位置を速く正確に伝えるため」だということがわかった。QRコードを読み取ってみると、「3,2,3」といった数字が現れた。どのドアから乗ったのかを、降車する予定の駅へより早く、正確に伝えられるという。ちなみに、東急池上線はすべて3両編成。「3,2,3」は、「3両編成の2号車、3番ドア」を意味しているという。

    ホーム 
        東横線      池上線 
        
東急線の各駅に設置されている券売機で、銀行預金のキャッシュアウトができるようになるというニュースをきいた。2018年度中にゆうちょ銀行と横浜銀行のスマホアプリを使った実証実験が行われ、正式サービスは2019年春に開始する予定だとか。スマホアプリで事前に引き出し額の申請を行い、表示されたQRコードを券売機の読み取り機へかざすことで現金を引き出すことができるという。券売機で暗証番号を入力する必要もなく、ATMと比べて時間が大幅に短縮される見込みだとか。

ここ数年、多くの人がパスモやスイカなどのICカードを利用するようになり、券売機で切符を買うこ人が減ったせいだろうか。そういえば、東京メトロやJRの都内1日乗車券などを買うことはあるが、東急線の券売機でいつ切符を買っただろうか、思い出せない。
    プリンター
テレビ画面「ライフライン情報」 プリンター内インク情報

たしかにQRコードはあちこちで見かけるようになった。最近では國學院大學博物館で「HANI-1グランプリ」を入れたときだろうか。素早くサイトに入れるので楽だ。LINEの「友だち追加」に利用することもあるし、たまに店のアンケートに答えてプレゼントをもらうとか、だいぶQRコードの恩恵に与っている。

   埴輪クランプリ

QRコードが決済に広く使われているのは中国で、多くの中国人が利用している「WeChat」の決済サービス「WeChat Pay」が人気で、利用者は2億人だという。日本でもようやくQRコードによる決済が導入され、NTTドコモがローソンでQRコードでの決済を行えるようになったという。利用した料金は毎月の携帯使用料金と一緒に支払う仕組みらしい。

便利という反面、いつもバッテリーの心配をしなくてはならない。ケーブルは持ち歩いているので、コンビニでもファストフード店でもコンセントがあれば問題ないが、モイルバッテリーに頼るしかない場合の方が多いかもしれない。何年も前にドコモPointで交換した重いバッテリーは家に置いて来ることが多いので、あまり役に立っていない。りんりんは学校以外の外出には重たいバッテリーをいつも持ち歩いている。それでどのくらいの時間持つのかわからないが。

3.11のときの東京では、スケータイ、スマホは数時間でつながらなくなり、コンビニの充電器はすぐに売り切れた。だが、公衆電話には長い列ができていたが、自宅に電話ができた。(恐ろしかった一日歩いた歩いた黙々と
大地震が首都圏で起きたら、北海道のようなブラックアウトが起きるかどうかはわからないが・・・そんな日が来ないことを切に願うのみ。
旅・散策・イベント

洗足池畔の樹々 Ⅲ

2018年09月18日
洗足池は昔から景勝地として「名所江戸百景」(広重画)などでも有名で、現在までその優れた風景が残されている。池周辺は、武蔵野台地の一部である荏原台がいくつもの谷によって樹枝状に刻まれている地形で、その谷地部が池や湿地になっていた。古来よりため池として谷筋の水田灌漑に利用されてきた。

池の周りには100本以上の常緑樹、落葉樹がある。9月はじめの朝、洗足池畔の西側を半樹を見ながら半周した。 (洗足池畔の樹々 Ⅱ

ムクノキ ニレ科 ケヤキやエノキの仲間で、成長が早く各地に巨木が見られる。その雄大な樹形から天然記念物や御神木とされることも多い。
  クロマツ
   クロマツ  ムクノキ  シダレヤナギ

エノキ ニレ科 ケヤキやムクノキなどとともに各地の一里塚や神社仏閣に植栽され、その巨木が今日でも見られる。
サワラ ヒノキ科 肌目は緻密だが、 ヒノキにくらべればあらい感しで、またヒノキのような香気、 光沢がない。
  エノキ
    エノキ   ケヤキ   サワラ

ネズミモチ アサ科 秋になる実がネズミの糞に似ていること、葉がモチノキに似ていることからネズミモチと命名された。庭木としての観賞価値はあまり高くないものの、堅強な性質を持ち、都市部の劣悪な環境でも耐える。 
   ネズミモチ
      
ウバメガシ ブナ科 材質が緻密で硬いことから、焼き鳥、ウナギの蒲焼、炭焼焙煎コーヒーなどに使われる「備長炭」の材料になることで知られる。 
  ウバメガシ     
植物など

洗足池畔の樹々 Ⅱ

2018年09月17日
先週は久しぶりにKさんとランチ。楽しい時間を過ごした。下のお子さんがまだ小3という彼女は、昨年から染織(友禅とか)を習い始めたこともあり、日本画の方も今月いっぱいお休みだが、LINEではちょくちょくトークする。もっとも若い友人だろうか、どうかすると母娘ほどの年の差があるが、お互い自然体で付き合える。

待ち合わせ時間前に洗足池駅で途中下車。前回は池の右を半周した。ソメイヨシノイロハモミジのほか、ハンノキ、ケヤキ、シラカシ、エノキ、ウバメガシ、トウカエデなど、常緑樹、落葉樹が50本ほど。(洗足池畔の樹々) 
正面のシダレヤナギシダレザクラを過ぎると、イチョウ、イロハモミジ、ウバメガシなど多くの種類がみられる。シラカシ、エノキ、ミズキ、イヌシデなどが池の奥までつづいていた。シラカシ、クロマツ、イヌシデなど池の上に迫り出している樹が多い。

    洗足池

シラカシ  ブナ科  街路樹としてよく見かける高木。材が白い木なので「白樫」。樹皮は黒いので「黒樫」とも。
   シラカシ 
 シラカシ

イヌシデ カバノキ科   四手(紙垂)とは、しめ縄や玉串などに垂れ下がる、細長く切った紙のこと。果穂を四手に見立てた。「イヌ」は一般的に、役に立たないもの。 
   イヌシデ
     
ヤマグワ クワ科 クワとも呼ばれ、カイコの餌として畑にも植栽されていた。日本全国に分布。 
  ヤマグワ
      
ミズキ ミズキ科  春先に枝を切ると、水のような樹液がでることからこの名がある。
   ミズキ
植物など

國學院大學博物館 勾玉

2018年09月16日
國學院大學博物館に立ち寄ったことはラッキーだった。とくに考古学展示室はトーハクとはまた違った雰囲気の中で多くの縄文土器や土偶、埴輪などに出逢えて満足だった。 (大学の博物館 Ⅰ大学の博物館 Ⅱ

関連イベントではすでに3回まで終了していたが、9月1日の「勾玉を語る」は副館長によるミュージアムトーク。参加費無料、予約不要。今回は1人で出かけることにした。

   勾玉 剣 鏡
    勾玉 剣 鏡   光が当たる勾玉

「勾玉」は、先史・古代の日本における装身具。祭祀にも用いられたと言われるが、詳細は分かっていないという。博物館創設者である樋口清之氏が晩年までこだわりを持っていた資料の1つだとか。

早めに着いたので、席を確保してから考古学展示室を1周した。前回、Oさんと一緒だったこともあるのか、見落としたものもあった。ホールに戻ると、80席以上ある椅子はほぼ埋まり、それでも足りずに補助椅子も並べられた。

   レジュメ

「勾玉の研究史」につづいて「勾玉の起源〰縄文勾玉」「弥生時代の勾玉~」「古墳時代の勾玉~」そして「ヒスイについて」。15頁もあるレジュメが配られ、大型スクリーンを前に「勾玉」について貴重な話を伺った。
  
   勾玉
          勾玉ができる過程 出雲石

弥生時代以降、翡翠と共にブランド化がはかられたのが、出雲花仙山で産出する碧玉(通称 出雲石)。出雲では、古墳時代前期後半ごろには翡翠、瑪瑙、水晶などを使った勾玉が創られたという。
  翡翠
     翡翠の加工    翡翠と道具
   
各時代を通して用いられた翡翠のうち最も良質なものは、新潟県糸魚川及びその周辺で、ほかには鳥取県若桜町、兵庫県養父市などから発見されている。最後に加工法の紹介。

トーク後、前のテーブルに置かれた原石に持上げたり、道具を操作したり貴重な体験をした。翡翠は冷たく重たかった。これを勾玉に加工するのはかなりの根気がいりそうだ。

     終了
        質問攻めにあう講師 

この日から勾玉デザインのストラップを探し始めた。Oさんのように瑪瑙でも何でもいいのだが、思うようなものが見つからず、結局、ネットで購入。糸魚川の翡翠というが、この値段でホンモノ?と思うのだが、気にいっている。
芸術・文化・考古

國學院大學博物館 土偶と埴輪

2018年09月15日
國學院大學博物館の企画展『日本文化の淵源を求めて』初公開は大型(180cm)の人物埴輪。盛装した男子。千葉県出土。古墳時代後期。(大学の博物館

 人物埴輪
            盛装男子 6世紀後半

埴輪は、古墳墳丘に樹立された土製品。弥生時代後期の吉備地方で生まれた円筒埴輪と、家形埴輪、人物埴輪、動物埴輪などの形象埴輪に大別される。

埴輪
人物埴輪
人物埴輪
中央は群馬県太田市「長手出土の埴輪」。天冠を被ってオシャレ。群馬HANI -1グランプリにエントリ-した埴輪。

エントリー

Web投票は17日まで、毎日1票。応援することに決めた。大学生たちが投票すればすぐに1位になるだろうと思いきや、わが投票開始日には15位だった。

縄文時代につくられた遮光器土偶は、目にあたる部分がイヌイットやエスキモーが雪中行動する際に着用する遮光器(スノーゴーグル)のような形をしていることからつけられたが、目の誇大表現と考えられている。主に東北地方から出土し、縄文時代晩期のものが多い。

完全な状態で発見されることは稀で足や腕など体の一部が欠損していたり、切断された状態で発見されることが多い。多産や豊穣を祈願するための儀式において土偶の体の一部を切断したのではないかと考えられている。

     遮光器土偶
      縄文時代晩期   東北地方出土
 遮光器土偶

遮光器土偶(半身)とレプリカが並べて展示されている。
土偶の体内もみられるようになっている。

 土偶
 透明パネルの中に空中浮遊しているような土偶たち。
遮光器土偶
    遮光器土偶    上段左と中央  
芸術・文化・考古

國學院大學博物館で 土器

2018年09月14日
7月はトーハクの『縄文-1万年の美の鼓動』で国宝を含む貴重な縄文文化に触れた。(2日つづきの上野で

先週、Oさんと訪れた渋谷区郷土博物館開館の帰り道に目に入ったのが国學院大學博物館の企画展のポスター。開館90周年記念企画展『日本文化の淵源を求めて』を開催中だった。入館無料。せっかくだからと寄ることにした。
この博物館は、90年前当時、学生だった樋口清之氏が創設した考古学陳列室に始まったという。考古学を中心に11万点の膨大な資料を所蔵。

    博物館

常設展示は、縄文・弥生時代の土器や土偶などを展示した「考古」、祭具や正殿の復元模型など神社関連の展示を行う「神道」(撮影不可)、國學院大学にゆかりのある資料を扱う「校史」の3つのゾーンから構成されている。
企画展(~9/9)では、初公開の大型の人物埴輪、武人埴輪、勾玉など、重要文化財をはじめ名品揃い。

考古展示室には旧石器、縄文、弥生、古墳時代など数々の土器などが展示されていたが、とくに縄文土器は実に多い。およそ1万年間という途方もない長さの縄文時代は、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の全6期に区分される。

  旧石器 縄文
     旧石器時代      縄文前期

中期
  縄文中期    火焔型土器    加曾利式土器

深鉢(火焔型土器)は、新潟県長岡市の岩野原遺跡出土。
加曾利式土器は、縄文時代中期後半の土器。日本最大の加曽利貝塚(千葉市)で発掘された土器。加曾利E式土器とかB式土器と、発掘地点で呼ばれている。

後期 晩期
    縄文後期        縄文晩期

縄文土器は、実用(料理や貯蔵など)と呪術の両面の用途を併せ持っていた。そのため複雑な模様やおよそ実用的とは思えないものもあった。高温で焼くことができなかったため、色は黒っぽく、厚ぼったく脆かった。多くは表面に縄目の模様。モチーフは神と崇める山や海、猪や蛇など多岐に渡る。

弥生土器は、稲作が始まり、壺型や甕型、高坏などのより実用的な形のものが増えた。色は赤みを帯びてきた。丸や三角、直線や波など、シンプルなデザイン。

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         弥生土器
  弥生
    弥生土器     免田式土器
        
免田式土器は、熊本県球磨郡免田地方の地名にちなんだ弥生時代中期末から古墳時代前期の土器。多くの長頸壺の胴部に重弧文の文様が描かれ、重弧文土器とも。

帰宅後、「縄文散歩」(「東京人」8月号)をパラパラめくっていたら、渋谷区郷土博物館と國學院大學博物館の写真を見つけた。丘の上にある青山学院初等部、國學院大學、広尾高校の一帯は、縄文時代中期の遺跡だと書いてあった。さらに、代官山の蔦屋書店も菅刈公園も縄文の遺跡。NHKや国立代々木競技場を含む代々木公園周辺にも縄文時代中期の遺跡が数多く点在しているとか。
芸術・文化・考古

70年目の「ハチ公像」

2018年09月13日
終戦の日の8月15日、渋谷駅ハチ公前広場に設置された「忠犬ハチ公像」(2代目)が建てられてから70年目を迎えた。今では国内外から多くの観光客が集まる東京の観光名所の1つとなっている。 今も残るジロとハチ公の姿) 
ちなみに科博のハチの耳は立っているが、渋谷ハチ公像の左耳は垂れている。これは、生まれつきのものではなく、皮膚病の後遺症とか野犬にかまれたせいとか。(坐りつづけるハチハチ公と上野博士の像秋田犬ハチ) 

 ハチ 
  忠犬ハチ公像  ハチの剥製 科博 2009.9

1932年の新聞記事をきっかけにもの悲しげな老犬ハチの姿が多くの人々に感動を与え、全国から銅像建立に向けた寄付金が寄せられた。2年後には、渋谷駅前にハチ公像が建立され、除幕式には歩けないほど多くの人々が祝福に集まったという。当時存命だったハチも出席したという。

白根記念渋谷区郷土博物館・文学館では「忠犬ハチ公像」建立70年記念の「ハチ公と忠犬ハチ公像」(~10/8)が開かれている。

  郷土博物館
        渋谷区郷土博物館

Oさんに誘われて渋谷へ。郷土博物館へはハチ公バスか日赤行の都バス。ちょうど来た都バスに乗り、国学院大学前で下りた。
「ハチ公」関連は1階のみ。限られた場所以外は撮影禁止。

 ハチ公展

ハチの生涯を振り返るほか、初代と2代目の銅像制作に関するエピソードのほか、日本犬研究家でハチの話を新聞に寄稿し世に広めた斉藤弘吉氏の資料などのほか、飼い主だった上野博士の妻やヘレン・ケラーとハチとのつながりも紹介されている。上野博士は現在の渋谷区松濤付近に住んでいて、2匹の犬をすでに飼っていた。3匹目の犬が「ハチ」ということをはじめて知った。初公開資料を含め約200点を展示。

日中戦争から太平洋戦争の戦況悪化に伴う金属回収運動の高まりから駅前の「忠犬ハチ公像」も供出され、溶解後に機関車などの部品になったといわれる。

3年後、戦後復興のシンボルとして「忠犬ハチ公像」が再建された。手掛けたのは、初代を制作した彫刻家の安藤照の長男士氏。東京大空襲で父とハチ公像の原形を失ったため、初代ハチ像のイメージを継承しながらも、士氏ならではの2代目ハチ公像」を完成させた。戦後間もなくで銅が不足していたため瓦礫の中で見つけた父の代表作、「大空に」を溶かして制作したというエピソードがある。

常設展も面白かった。戦前の住宅再現などのほか宇和島伊達藩など下屋敷も多くあったとかで、本物の江戸時代の道具も展示されていた。

戦前
          戦前の住宅

猿楽町付近で発見された縄文土器に直接触れたり、粘土の上に縄文模様を付ける体験もできるコーナーもあり、親子で楽しそうに縄目をつけていた。何より驚いたのは、明治神宮付近で発見されたナウマンゾウの化石。
 縄文体験
  縄文模様をつける親子

郷土博物館を出て、國學院大學博物館に寄った。この日は思いがけず、縄文時代にタイムスリップ。また、ゆっくり訪れようと思う。
芸術・文化・考古

宇宙の日

2018年09月12日
今日は「宇宙の日」。毛利衛が日本人として初めてスペースシャトルに搭乗して飛び立ったこの日に定められた。国際宇宙年に科学技術庁(文部科学省)と宇宙科学研究所(宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所)が制定(1992)。

先月、じゅんじゅんとプラネタリウムへ。少し宇宙に興味を持ったようだった。(ハチとめぐった火星)その後、訪れた東芝未来科学館ミュージアムショップでみつけた10分で組み立てられるという「天体望遠鏡」を購入(\1800)。月のクレーターも見える15倍。

組立

天体望遠鏡の組立はほとんどごんさん。出来上がり、三脚に付けて早速観察開始。部屋からは「葉っぱしかみえないよ~」。三脚の扱いはともかく片目をつぶることができない。まず、ウィンクの練習が必要のようだ。

望遠鏡

「子ども科学電話相談」に寄せられるのは「天文.宇宙」に関するものが多い。コスモプラネタリウムでお会いしたこともある永田美絵先生が担当のときラジオをきいていた。   (にわか「宙ガール」

「人間や動物は子どもを生むけど、星も子どものようなものを生むのか知りたい」という小5女子。永田先生の回答は「星も星の赤ちゃんをつくるんです」「どうやって星が生れるかというと、とっても軽いガス、水素が宇宙にはいっぱいあって、他のガスといっしょになって生まれる」という。
「そういうガスがだんだんと集まってギュギュギュッと押されると、真ん中が熱くなってきて・・・、宇宙ではもうずっとずっとオシクラマンジュウやってるようなもの」という。1000万度を超えるほど熱くなると、水素がヘリウムに変わって、輝き出すということ(核融合反応)が起きる。これが星の誕生だという。
 
永田先生の話はつづく。空や雲、星空も、プラネタリウムの小宇宙も好きだが、かなりの「天文・宇宙」音痴。小学生のころから科学全般が苦手ということは変わらない。この「子ども科学電話相談」は、小学生に戻って科学を学びなおす好い機会だと思っている。

  見えるもの

月 アンドロメダ座大星雲 土星 プレアデス星団(すばる) ペルセウス座星団 オリオン座大星雲 かに座のプレセペ星団 金星
望遠鏡の箱に「この望遠鏡で楽しめるいろいろな天体」が載っていた。わが家に置いておき月を眺めようと思ったが、彼は持ち帰った。どんな星の観察をしたか、三脚の扱い方、ウィンクは上手になったか、ききそびれた。
身近な人びと

賢治も愛した「小岩井農場」

2018年09月11日
東日本大震災から7年半。被災した岩手県陸前高田市のガソリンスタンドが約2km離れた移転先でオープンし、15mの津波到達を伝えてきた看板がモニュメントとして掲示されているという。

小岩井生乳100%ヨーグルトに替えて2ヶ月くらいになる。朝、新しいヨーグルトの蓋を開けると、中蓋シールに3人の顔写真とともに「Episode of KOIWAI 」が載っていた。
岩手山南麓に広がる「小岩井農場」は、もとは火山灰土に覆われた不毛の原野でした。それを見た井上勝が小野義眞と岩崎彌之助の多大な協力を得て開墾耕作を開始。日本最大の民間農場として、1891年(明治24年)に開設し、現在に至っています。
  ヨーグルト

小岩井農場は1890年、日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業した翌年に開設された。共同創始者小野義眞は、日本鉄道会社副社長、岩崎彌之助は三菱社二代目社長、井上勝が鉄道庁長官だった。3氏の頭文字をとって「小岩井」農場と名づけられたとは知らなかった。修学旅行で訪れたこともあるが、「小岩井」というのは地名くらいにしか思っていなかった。

宮沢賢治はいくつかの作品の舞台に小岩井農場を選び、とくに『春と修羅』所収の「小岩井農場」は1922年5月の⼩岩井農場⾵景が⽣き⽣きと描かれ、当時の様⼦を知る上でも貴重な資料となっているという。
 本部事務所
 「本部事務所」 国登録有形文化財 1903年竣工

農業に関する国の登録有形文化財は全国で100件しかないが、約3000㌶に及ぶ小岩井農場には、1割近い9件の文化財がある。いずれも明治末期から昭和初期の施設だが、半分以上が今も現役というから驚きだ。

 二号牛舎
     二号牛舎 農場内最古(小岩井農場サイト

上丸牛舎は、棟の木造2階建て牛舎の総称。オランダから乳用種牛を輸入、品種改良を進め、全国に乳用牛を供給してきた。近代的な酪農の推進役を果たしてきた農場の歴史を今に伝える象徴的施設で、とくに二号と四号牛舎は100年以上も前のものだという。

  四号牛舎
       四号牛舎(小岩井農場サイト)  

上丸牛舎は、20年前の岩手山西側の火山活動に伴う地震(震度6弱)、東日本大震災(震度5強)と、平成に入ってから大きな地震を2度経験している。農場の育ての親といわれる岩崎久彌社長は関東大震災の経験者。一号牛舎建設時、50年もつ頑丈な牛舎をつくるよう指示したと伝わる。もともと湿地帯で地盤の悪い所だが、東日本大震災では4棟とも被害は全くなかったという。

肝心の生乳100%のヨーグルトは、何と言ってもまろやか、コクがある。生乳を専用タンクの中で長時間かけて発酵させ、発酵が終わったらじっくりとかき混ぜるという手間をかけて丹念に作られるという。また、酸味の少ない味は100種以上もの乳酸菌から酸生成をあまりしないものを厳選している。価格は高目だが、とにかく美味しいので当分、ほかの銘柄に替えるつもりはない。
旅・散策・イベント

嘘みたいな話

2018年09月10日
図書館に行くときは、予約した本を借りるか読み終えたというのか、読み終えずに期限ギリギリで返却する場合、あるいは受験生気分で閲覧室に直行する場合とがある。が、先週は珍しく気分転換に書庫を廻っていると、「高橋源一郎」の文字が目に飛び込んできた。ファンだというわりには彼の著作を読んでない。唯一買ったのが『ぼくらの民主主義なんだぜ』で、りんりんにと思ったが、「そのうち読むから」ということでまだ本棚にある。

よく考えると、著者名より『嘘みたいな本当の話』(内田樹と高橋源一郎 選)の題名にひかれたのかもしれない。白色と緑色の2冊を借りて閲覧室で読み始めた。帰りの電車内で読み、滅多に読むことのない家でも読みつづけ、その日のうちに1冊目読了。途中、朝から塾で缶詰のりんりんの気分転換にと、何話か選んでLINEで送っていた。翌日、ちょうど顔を出した彼にこの本を見せると、「あっ、ウチダタツル!知っている」、たまにテストに出るのだとか。高橋源一郎も知っている。

この本は日本版の『ナショナル・ストリート・プロジェクト』。さまざまな人の経験した「嘘みたいな本当の話」を集めてみたら、そこから生き生きとした日本人の生活感がにじみ出てきて、「日本というのはどんな国か」が浮かび上がってくるのではと内田氏は思ったそうだ。ショートストーリーの要諦は「いきなり始まって、ぷつんとカット・アウト」で、「犬と猫の話」「おばあさんの話」「そっくりな人の話」「変な機械の話」「あとからぞっとした話」など、10個の募集テーマ。字数は1000字以内。

「私が会ったなかで、いちばん物忘れのはげしい人の話」の「忘れ物」の話は実に短い。「友人は自転車でコンビニへ行き、歩いて帰ってきた」。最寄り駅近くのスーパーに自転車を置き、電車で出かけると、帰りには徒歩で家に帰ったことはある。紛れもなく「物忘れのはげしい人」のようだ。小学1年だったか、下校時、ランドセルを忘れて帰宅したりんりんに比べればマシだとは思うが。
    
 忘れ物
「友人は自転車でコンビニにi行き、歩いて帰ってきた」 

1巻を読み始めたりんりんは時間ギリギリまで読んでいた。学校で朝の読書の時間に読みたいというので、Amazonで注文した。出版社も著者にも申し訳ないと思いつつ、バリューブックス」の中古本を購入した。以前、この会社に段ボールに不要の本を詰めて送った(着払い)ことがあった。(大学古本募金) その後、ラジオでこの会社の話をきく機会があり、「本を循環させることに一生懸命」なのだときいて嬉しくなったことを覚えている。
   
 VB
    同封のメッセージ

本が届いた。2冊とも文庫本、代金は1円、送料が350円と265円。有難い、申し訳ないと思いながら同封のメッセージ「ぼくたちが本を届けながら考えていること」を読んだ。毎日約2万冊の本が届くが、そのうち約半数を 「オンラインでの販売がむずかしい」という理由で古紙回収に回しているという。創業11年目の今年、新しいサービスに挑戦することを決意したとも。
外出先で読むことが多い本、持運びする必要のないKindleは便利だが、紙の本も捨てがたい。
つれづれ

菊の節句に

2018年09月09日
今日は五節句の1つ「重陽」。菊に長寿を祈る日。陽(奇数)が重なる日、そして、奇数の中で一番大きな数字という意味で「重陽」といわれる。(菊の節句 重陽

古代中国では菊は「翁草」「千代見草」「齢草」と言われ、邪気を祓い長生きする効能があると信じられていた。日本では、中国の影響を受けて8日の夜に菊に綿をかぶせ、9日に露で湿ったその綿で体を拭いて長寿を祈っていた。
(杉並区の風景印菊にちなんで) 
 菊のきせ綿 
  大宮八幡宮「菊のきせ綿」  杉並区 2009.9

こうした風習が忘れられてしまったのは月見の行事や秋祭りなどに紛れたり、残暑厳しい新暦9月9日に、満開の菊花は間に合わず、暦と季節感との大きなズレが原因だったといえる。(重陽の節句と敬老の日

ふと「菊」という漢字の「米」が気になって「新漢語林」(電子)で調べてみた。
解字 音符の匊は、両手ですくいとるの意味。すくいとるとき、そろった指のように花びらが一点に集まって咲く「きく」の意味。   
 菊

「米」は出てこない。書棚から両親の形見となった厚く重い「大字源」を出した。
解字 音符の艸と、音符の鞠(ちぢまるの意=局)とから成る。小さく縮まった葉を持つ草、「菊」の意。  
 大字源

それにしても最近は紙の辞書は滅多に使うことなく、ついつい電子辞書に頼ることが多くなっている。 
「菊」の語源・由来を検索した。(「語源由来辞典」)
奈良時代に観賞用として中国から渡来したもので、漢音が語源となっている。漢字「菊」の下部は手の中に米を丸めて握ったさまを表し、それに草冠を加え多くの花をまとめて丸く握ったような形をした花(球状花序)を示す。
「手の中に米を丸めて」とある。菊の中の「米」に納得。
つれづれ

長かった一日

2018年09月08日
今日は24節気の1つ「白露」。大気が冷えてきて、明け方、草木に露がつくことが多くなり、秋を感じられるようになる。

この夏、関東甲信など東日本では平年を1.8度上回ったという。東京都心は計12日と平年(2日強)の5倍超。「平成最後の夏 戦後最も暑かった」という新聞の見出しにあらためて驚いた。この異常な気象にはもちろんだが、「平成最後の〇〇」というワードが枕詞のように使われることにもうんざりしている。

台風21号は、近畿地方を中心に大きな被害を出した。8月までに台風21号が発生するのは47年ぶりで、台風21号の発生日時としては1971年に次いで観測史上2番目に早い。 非常に強い勢力のまま上陸するのは、1993年の台風13号以来25年ぶりという。台風の直撃を免れた東京でも、5日の早朝まで激しい雨や風、そして雷に見舞われた。

雨風が激しく吹き付ける音や雷鳴にはだいぶ慣れてきたが、いざ寝ようとすると、お隣のテリアの甲高い声が気になった。そのうち鳴き止むだろうときいていると、「ワン ワン ワン」の繰り返しがしばらくつづき、次に「ウッワン ウッワン ウッワン」が繰り返される。怖いのだろう。そのうち「ワン ワン ウッワン ワン ウッワン・・・」と不規則に30分以上つづいただろうか。

ラジオもかき消されるほどの窓も外の雨風、いつの間にかうとうとしていたらしい。枕元のスマホが鳴った。目覚ましのメロディとは違う、Yahoo防災速報の警戒音だった。まだ真っ暗、1時過ぎだ。「強い雨(24mm/h)」が発表されたようだ。たしかに窓雨風は激しい。最近は「アメッシュ」でなく「雨なう」(高解像度降水ナウキャスト)を使うことが多い。早速、開いてみると、雨雲が近づいてきていた。

   01:00
  01:10  「雨なう」  03:00

その後も度々「Yahoo災害速報」が鳴った。2時30分に「激しい雨(3mm/h)」そして3時になると「非常に激しい雨(79mm/h)」3時10分には「猛烈な雨(80mm/h)」と次第に激しくなっていく。「雨なう」をみると、雨雲の中、雷も鳴っていた。「東京都防災」には1時から3時過ぎまで「竜巻情報」も出ていた。

  03:00
  「東京都防災」 3:00 「Yahoo災害情報」
  竜巻注意報   猛烈な雨(80mm/h) 
  04:00
   04:00  「雨なう」  06:00

激しい雨と風の音、災害情報の警報音で度々目を覚ましたが、4時過ぎには起きて恐る恐る雨戸を開けた。窓の外のちぎれんばかりに揺れる樹々を眺めながら「これで大地震があったら一体どうなるのだろう」とふと思った。5時過ぎ、地震を感じた。ラジオをつけると、しばらくして「茨城県沖で震度4、マグニチュード5.6」と。後に「東京は震度1」東京わかったが、何とも嫌な夜明けとなった。

夜が明けても風は強かった。ゴーヤのネットが一部外れたくらいで、ベランダも庭も大した被害はなかった。ツクツクボウシの声とともに陽がさしてきた。9時前、またYahooの警戒音がなった。今度は「熱中症情報-警戒」。そして夕方まで「強風波浪注意報」が出ていた。

さわやかな台風一過どころか、蒸し蒸しした暑い1日となった。幸い出かける予定がなく、昼食後、籐椅子でしばしの昼寝。風が止んだのは暗くなってからだった。いつもは少しうるさく感じる虫の音が心地よかった。
だが、6日午前3時過ぎ、「Yahoo防災速報」の警報音が鳴った。見ると、地震が発生したのは北海道。大田区の情報しか入らないと思っていたのだが。「平成最後の夏」は酷暑と災害で忘れられない夏になった。
つれづれ

記録的猛暑

2018年09月07日
この夏は酷暑に加えて、局地的大雨や落雷、そして大型台風、大きな被害をもたらした上、北海道で起きた震度7の揺れの地震。6日午前3時過ぎに「Yahooの災害速報」が鳴って飛び起きた。

8月27日は午後8~9時頃に練馬区で約75mmの1時間雨量を観測。世田谷区では1時間に約110mmの猛烈な雨が降ったとみられ、記録的短時間大雨情報が発表された。この日、珍しく在宅。LINEグループでその雷雨の様子を伝えあった。といっても、6人のうちの3人で。調布市のKさんから「国領も雷、大雨です~」。杉並のFさん「西荻もメリメリ、バケツをひっくり返たような雨。その少し前に帰って来たのよ。上野の昆虫展をみてきたの」。巨大蜂の模型と彼女の写真が送られてきた。

  蜂模型
     蜂の巨大模型  科学博物館 

Kさんの「大きな蜂と美女!」に「ありがとう。ビジョじゃなくて汗ビショビショよ」。これには笑ってしまった。「縄文展に行くつもりが、月曜は休みで科学博物館だけがあいてたの」「世界のゴキブリの展示もあったのよ。面白かった」そうだ。「意外なものがみられてよかったのでは?!」とKさんに「さすがにゴキブリの写真はとらなかったけど、大きくて怖いのもいた」そうだ。
 
蝶標本
 虫
       科学博物館  by Fさん         
2日後の「子ども科学電話相談」で、小2女子の質問は昆虫、「チョウチョの鱗粉を全部とるとどうなりますか?」
どちらかというと昆虫は苦手だが、Fさんの蝶の標本をみたせいか、丸山先生の鱗粉の話に興味を持った。
羽根の模様は鱗粉でできていて、仲間かどうか、雄か雌かを見分けているという。落葉の色に似せた態模様の茶色い蝶もいる。鱗粉は体が冷えないよう守ったり、雨をはじくといった大切な役目があるから、鱗粉をとってしまうと仲間かどうか見分けられなくなったり、濡れて飛べなくなったりするとか。もともと鱗粉は毛の一部なので簡単にとれないそうだ。

「恐竜」や「天文・宇宙」が好きな子に負けずに「昆虫」好きの子どもは多いようだ。夏休み中とあって『大昆虫展 in 東京スカイツリータウン』や上野の科学博物館『特別展 昆虫』も人気。カマキリ先生(香川照之)が「昆活マイスター」の科博はじゅんじゅんにはむずかしかったらしい。

雷雨の晩のLINEトークは、雷雨が激しかった午後8時ごろ始まった。杉並ではおさまってきた8時半、国領はまだまだ、わが家でも雷雨の真っ只中だった。窓に吹きつけるしぶき、稲光する間もなく窓が割れるかと思うほどの衝撃音、去ったと思うと、また大きくなる雷鳴。落ち着かずにトーク画面とにらめっこしていた。

ここ数年、異常気象が続いている。その中でも大きな原因となっているのが気温の上昇と海水温の上昇。さらに、異常気象を抑えるには二酸化炭素の排出を減らすことが絶対条件だが、この排出量が多いのがアメリカと中国。環境問題と考えられがちな地球温暖化は政治経済問題の側面が強いという。

明日は「白露」だという。日中は暑くても、朝夕は肌寒く感じ始める頃というが、本格的な秋がちゃんとやってくるのだろうか?
旅・散策・イベント

江戸からくり

2018年09月06日
東芝未来科学館のヒストリーゾーンには、江戸末期から明治初期にかけて活躍した「東洋のエジソン」の異名も持つ東芝創業者田中久重が設計、製作したからくり、「万年自鳴鐘」などが展示されていた。     

からくり人形がとりわけ大きな発展を遂げたのは江戸時代。当時のハイテクを駆使した江戸のロボットともいえる。りんりんと犬山城などを訪れたときに立ち寄った「犬山からくり展示館」では「犬山祭」で奉納するからくりが人形中心に展示されていた。このときは実演をみなかったせいか、残念ながらあまり印象に残っていない。

 3770no5.jpg  
    犬山からくり人形展示館   2014.7 
  
久留米生れの田中久重は幼少から発明、細工の才を発揮、「からくり儀右衛門」と呼ばれた。30代半ばで上方に出て時計師として最高峰の職人に上りつめた。75歳で上京、国産電信技術の礎を築いた。蒸気機関や大砲の製造など西洋技術を国産化したことでも知られる。久重の功績は、「弓曳童子」や最近発見された「文字書き人形」など今に残るからくり人形を作り上げたというところにもあるという。

「弓曳童子」 江戸からくりの最高峰。矢台に置かれた矢の4本を人形が順番に手に取り、連射していく「弓曳童子」の実演に見とれた。現存の久重作の2体は久留米教育委員会などの所蔵。
 弓曳童子

4本のうち1本が的にあたった。あたった時には満足気、はずれた時には悔しげな表情を浮かべるといった説明をきいたせいもあり、矢の行方とともに顔の表情も楽しんだ。微妙な糸の弛みを用いて4回のうち1回は的をはずすよう羽根に細工がしてあるとか。じゅんじゅんは矢が飛ぶのが怖いらしく、遠くから眺めていた。

 童子
                    
「連理返り人形」(複製) 江戸時代。 棒の部分に封入された水銀の移動により、肩に棒を抱えた2体の唐子人形が前の唐子を飛越しながら段をおりて行く。うまくいってもいかなくても歓声が上がった。 
  連理返り人形

「からくりほととぎす」 幕末~明治初期。 籠の中の鳥が羽根やくちばしを動かし囀る。鳥籠の下に機構があり、ゼンマイにより鳥の羽根を動かし、ふいごの仕掛けによって鳥の鳴き声を再現している。               
 ほととぎす
 文字書き人形
    「亀の盃台」    「文字書き人形」

「無尽灯」をみて、どこかでみたことがあると思ったが、『仁』に田中久重と「無尽灯」が登場したのを思い出した。「無尽灯」は、油皿の油が減ると自動的に補給されるように作った灯明台。
旅・散策・イベント

「明かり」のサイエンス

2018年09月05日
東芝未来科学館のサイエンスショー「冷え冷え大実験」は電気を使わず身近なもので簡単に涼しくなる5つの方法の紹介だった。(「冷え冷え」体験
午後も2列目の席でわかりやすい説明と実験に小学生になった気分で参加。テーマは「明かりのサイエンス」。アーク灯の仕組みを紹介、白熱電球の誕生、さらにLEDの明かりとどう違うか、実験で解き明かしてくれた。

アーク灯は電極に炭素棒が用いられるとかで、シャーペンの芯で実験した。明るかったが、さすがに空気中の酸素と反応してすぐに燃え尽きた。マイナス196℃の液体窒素に入れると消えずに輝いた。

 アーク灯

白熱電球のフィラメントに京都の竹が使われていることは知っていたが、電球を発明したのはエジソンではなかった。ジョセフ・スワンで、エジソンはスワンの発明した白熱電球を「実用に耐えうる品」に改良したことだという。
エジソンは様々なものを使って実験したが、中には友人のヒゲというのもあったという。エジソンは、世界中の竹を集め実験を行い、辿り着いたのが、京都岩清水八幡宮の境内に生えていた真竹だった。
 竹

現在、東芝科学未来館の脇に植えられている竹は、科学館が八幡宮より寄贈を受けた竹で、東芝未来科学館が現地に移転した際(2014年)、移植したものだという。じゅんじゅんがいたこともあり、帰りに見ることができなかった。

日本でも、白熱舎(現東芝)が同じ八幡宮の竹を使用し、1890年に初めて実用電球の製造に成功し、10余年にわたり使用されたという。

LEDは「発光ダイオード」と呼ばれる半導体のこと。意外だったのは、LEDの現象そのものはかなり昔に報告されていたということ。その後、青色LEDが開発され、光の3原色「赤緑青 」のLED光源が揃ったことで1996年に青色LEDと黄色蛍光体による白色LEDが発表され、その後改良が加えられたのだという。白色は全ての色の可視光線が乱反射されたときに知覚される色のこと。
 光の三原色
   赤 青 緑が合わさると白くみえる

LEDは信号、駅の電子掲示板・・・電球だけでなく、すでに身近な日常生活の中に紛れ込んでいる。LED電球は普通の電球と比べると、非常に長持ちする。また、夏の夜、小さな虫が明かりに群がることもないのも利点の1つ。これまでぼんやりとしていたLEDについて、お陰でだいぶわかったように思う。
旅・散策・イベント

「冷え冷え」体験

2018年09月04日
先週、じゅんじゅんと行った東芝未来科学館で思いがけず楽しい時間を過ごした。東芝の創業、現代から未来までの技術が紹介されている。さまざまな実験や体験ができ、大人にも楽しい。入場無料という上に駅から雨に濡れずに行かれることも有難い。

「ヒストリーゾーン」(「創業者の部屋」など)、超電導実演、静電気の体験ができる「サイエンスゾーン」「フューチャーゾーン」(街の未来へ、情報の未来へ、エネルギーの未来へ)などに分かれている。

   発電トライ
      磁石とコイルを回して 「発電トライ」

夏休み最後の土曜とあって小学生が多かった。彼らに混じってサイエンスステージ(30分)を午前と午後、前の席を陣取って楽しんだ。その間、じゅんじゅんごんさんと度々「発電」競争したり、SCiB(二次電池)でバス(模型)を動かしたり、意外にも退屈することなく色々と試してまわっていた。

午前のサイエンスショーは「ひえひえ大実験」。5つの涼しくなる方法は、①「~を叩いて涼しくなる」 ②「~を見て涼しくなる」 ③「~を伸ばして涼しくなる」 ④「~をかけて涼しくなる」 ⑤「手作り~で涼しくなる」
①は、ボール箱でつくる空気砲。段ボールの小さい方の面に円く穴を開けるだけ。持ち方、叩き方にコツがあるが、狙い定めてうまく叩くと5mくらい離れていても風を送ることができる。残念ながら叩く方は決して涼しくはないが。
帰宅後、ボール箱でつくったが、じゅんじゅんの力ではなかなかむずかしかった。

空気砲
           「箱を叩いて 涼しくなる」
  
②は寒色、例えば青い色から感じる涼しさ。科学的に証明されているらしい。
③は風船。皆に1つずつ配られた風船(ストロー状)を思い切り伸ばしたら一気に縮めて鼻の下に当てると冷たい!逆に伸ばしたままだと熱く感じる。
④はお湯を入れた霧吹きを頭上10cmくらいのところで霧を吹いていくと、一気に涼しくなった。気化熱だという。
⑤は手作り冷却パック。水と園芸店などで手に入れた「尿素」でつくれる。

冷却パック

「宿題終っていない子?」「自由研究が終わっていない」と答えた子に「もう、今日帰ったらできますよ」と。30分の小学生体験は実に有意義だった。
ラゾーナで昼を済ませてから戻り、午後からのサイエンスショーも楽しんだ。この回は立見も出るほどの人気だった。 
旅・散策・イベント

「日本画 ショート トリップ」

2018年09月03日
この夏の郷さくら美術館は「日本画 ショートトリップ―ようこそ避暑地ヘ―」という趣向でなかなか凝っていた。
若い友人Kさんと中目黒高架下のLONCAFE STANDでランチ後、立ち寄った。

Ⅰ「圧巻の世界遺産を訪ねて」タージ・マハル(インド)、ポタラ宮(チベット)、アクロポリス(ギリシャ)、モン・サン=ミシェル(フランス)、マッターホルン(スイス)。

   Ⅰ
マッターホルン
  中島千波 「峻嶺 マッターホルン」 (172×340)

Ⅱ「あこがれのヨーロッパ/古都を歩く」エッフェル塔、アルルの跳ね橋と街角(フランス)、サンタマリア聖堂(イタリア)、ウィーン(オーストリア)、サントリー二島(ギリシャ)。

   Ⅱ

Ⅲ「贅沢アーバンリゾート」-渓流美と湖水、苔の森を訪ねて-世界遺産、ヨーロッパを旅して3階の森林の中、涼しさは冷房のせいばかりでないだろう。マイナスイオンに包まれてゆっくりと鑑賞できた。上高地、野尻湖、鎌倉、群馬の吹割の滝、京都木津川の夕景など。

   Ⅲ
     朝の渓 
      清水信行 「朝の渓」 
     映える
      渡辺嘉代 「映える」

Ⅳ「夢の休日 桜紀行」日本三大桜 岐阜県「薄墨桜」、山梨県「山高神代桜」、福島県「三春の滝桜」、吉野、出雲大社の桜など13点。桜は実に100人100様。季節外れのお花見を楽しんだ。

  Ⅳ
    樹下胎想
  牧野環 「樹下胎想」 第1回「桜花賞」(2013)

「樹下胎想」の取材地は長野県、勝間薬師堂の枝垂桜は夫婦桜。画面中央の桜の枝に結ばれた鍵と桜の樹の持つ不思議な力を感じた。どちらかというと抽象的な画を好むKさん、彼女も一番好きな桜だという。
帰宅後、『桜百景-郷さくら美術館-』という以前購入した図録をみたが、この画は載っていなかった。
芸術・文化・考古

薩摩のサツマイモ

2018年09月02日
中南米が原産とされる薩摩芋が日本に伝来したのは、慶長2年(1597)のこと。中国に漂流した宮古島の役人が帰島する際、中国から苗を持ち帰ったのが始まりとされている。唐芋、甘藷、琉球藷などと呼ばれていた。後に別ルートで中国から琉球、薩摩に伝わり、盛んに栽培されるようになって薩摩芋と呼ばれるようになった。

徳川吉宗は、飢饉の際の救荒作物として西日本では知られていたサツマイモの栽培を青木昆陽に命じた。小石川薬園、下総国(幕張)、上総国(九十九里町)で薩摩藩から取り寄せた芋を試作させた結果、享保の大飢饉以降、関東や離島でサツマイモの栽培が普及し、天明の大飢饉では多くの人々の命を救ったという。昆陽の墓がある目黒不動尊滝泉寺では、毎年秋に「甘藷まつり」が行われている。
   目黒不動
  目黒不動尊    昆陽青木先生之碑 甘藷講碑  

日本の生産地は、鹿児島県、茨城県、千葉県、宮崎県、徳島県が全国1位。全国生産量4割弱を産する鹿児島県は、栽培に適した水はけの良い火山灰を含む土地が広がる。また、台風の多い鹿児島では、地上に実を付けず、比較的風害にも強いサツマイモは他の作物より有利だったという。

薩摩といえば芋焼酎。ふだん飲まないが、飲むなら芋焼酎と決めている。(今度は芋焼酎) 7月の桂花会では最初から最後まで芋焼酎で通した。  
芋焼酎は、海外からの脅威を感じた薩摩藩の島津斉彬が西洋銃製造に必要なアルコールとして、コスト高の米焼酎にかわってつくられたという話、品種改良して芋焼酎を薩摩の特産品にしたという話は『西郷どん』で知った。今、美味しい芋焼酎を味わえるのは斉彬公のお陰かなと思うようになった。  
 リボベジ
  6.27 リボベジ サツマイモ  7.30

サツマイモは、ヒルガオ科サツマイモ属。水をあまり必要とせず干ばつに強く、肥料や農薬も少なくてすみ、雑草の発生を抑え、収穫期が長く大量に獲れる。主に塊茎部分が利用されるが、葉や茎も食用にでき、主に炒めものや佃煮、かき揚げなどの天ぷら素材などにも利用される。

リボベジ
     7.30       8.20   

江戸時代、サツマイモを常食していた藩(薩長土肥)では、死者が出なかったどころか人口が増加した。そのため維新戦争に動員する兵力が他藩に比べ格段に多かったときいたことがある。

「リボベジ」(再生野菜)に明け暮れた8月、サツマイモはなるほど救荒作物だと、そのパワーに驚いているうちに夏も終りに近づいた。 (リボベジ生活
植物など

校歌に見つけた鳥海山

2018年09月01日
甲子園が終わり10日が過ぎてもなお「金農フィーバー」がつづいている。ラジオをきいていたら、全国農業新聞でも一面に大きく取り上げられてたという。農業新聞が高校野球を取り上げるのは初めてだとか。

1週間前の「大曲花火」の昼の部で「金足農業高校 感動をありがとう花火」200発が打ち上げられた。チームカラー紫系の花火が夜の部の生中継でほんの少し紹介された。

花火
 「金足農業高校 感動ありがとう花火」 (NHKBS)

ふだんは野球も甲子園もテレビ観戦しないが、この農業高校のことをラジオでしきりに話題にするため、決勝戦の日、応援しようとテレビをつけた.。吉田投手の疲れた顔のアップ、広がってゆく得点差…、途中で消した。

翌日は、絵のグループLINEも金農、吉田投手の話題で静かに盛り上がっていた。「吉田選手、侍ジャパンに選ばれたとか!楽しみがふえました」とUさん。大の巨人ファンのYさんは、「吉田君が巨人の輝ける星になることを楽しみにしています。だめだったら根尾君の昴でも…」と。「7時のニュース、帽子をとっている吉田輝星!かっこいい!!」とお孫さんが吉田選手似というUさんから再び。若さの秘訣はこういったところにあるのかも。

決勝戦では、およそ1分半という校歌を後ろに何度も反って歌う姿をみることができなかったので、翌日、YouTubeでみた。作詞は日本文学者の近藤忠義、作曲は「春が来た」「朧月夜」など数々の唱歌を手がけた岡野貞一。

可美しき郷 我が金足 霜しろく 土こそ凍れ 
見よ草の芽 日のめぐみ 農はこれ たぐいなき愛
日輪の たぐいなき愛 おおげにや この愛
いざやいざ 共に承けて やがて来む 文化の黎明
この道に われら拓かむ われら われら われら拓かむ


霜、凍、農、日のめぐみ…太陽の光が少ない中で農作業を頑張る彼らの姿が目に浮かぶ。秋田県の日照時間は47都道府県中で最下位だという。

  鳥海山
      象潟   秋田県    2002.5

金足農業高校のサイトに3番まで校歌が載っていた。 
可美しき郷 我が金足みはるかす 大野の極み 
見よ鳥海は あまそそる
3番に鳥海山が歌われている。あの雄大な鳥海山を思い出して懐かしくなった。
山形と秋田の両県に跨がる標高2,236mの鳥海山は、出羽富士とも呼ばれて親しまれている。秋田県では秋田富士、山形県では庄内富士とも呼ばれる。

  鳥海山   
      押切地区  山形県   2002.5

鳥海山はごんさんの単身赴任中に度々訪れたお馴染みの山。秋田県側では象潟、遊佐、本荘などからもスケッチしたが、鳥海山といえば、庄内平野の向こうに裾野を広げて雪をかぶった庄内富士の姿がまず浮かぶ。

金足農業高校のサイトに「絆のカブトムシプロジェクト」という記事を見つけた。造園緑地科3年生が昨年に続き、剪定実習で集めた腐葉土に自然産卵してふ化したカブトムシを飼育し、東日本大震災で被災した小学校に届けるという心の復興支援プロジェクトを実施。小学生達は大喜びだったとか。農業高校ならではの心温まるプロジェクトだ。
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