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富士の見えた日

2019年01月31日
東京都環境局「大気情報」には、都庁から富士山が見える日の統計が載っている。午前9時、撮影地点は都庁舎31階(標高169m)。
それによると、だいたい12月、1月に見える日が多く、平成29年度12月が25回、1月が20回と多い。今年の1月はまだわからないが、少なくとも今月は、都庁の展望台や文京シビックセンター展望ラウンジを訪れた日にはほとんど見えなかった。(帰りは違うルートでこの日も富士は見えず

1月半ば、区民大学受講生による自主グループの今年最初の集まりがあった。来月の予定を決めると、富士山の話題で盛り上がった。
Sさんは数年前、ダイアモンド富士に夢中になり、大田区内のあちこちから見たという。
環八の跨線橋から、浅間神社から、ガス橋から・・・などからもよく見える。次回の集まりでは、富士山の写真(一応区内から)を持ち寄ろうということになった。

丸1日予定がなく、晴れた日曜日、思い切って文京シビックセンター展望ラウンジに寄ってみると、都庁と手前のビルの間に雪を被った富士山がくっきりと見えた。ほぼ2週間ぶりにリベンジ成功。

    シビックセンター
    都庁舎の横に
    
  シビックセンター
      大山、秩父連山も

 シビックセンター

LINE仲間からも富士山の画像が送られてきた。シビックセンターのラウンジから富士山の画像を送った途端、Fさんからは西荻のマンションからの富士山。「これ、うちの窓からよ」「同じ方向眺めているのね」。高いビルに遮られることない富士山。

 西荻
     Fさんより  杉並区
     
よほどこの日は天気が良かったのか、山梨に行かれたSさんから、新倉浅間神社からの富士山、河口湖の冬花火、そして「トリプル富士山」と彼女が名付けた西湖の氷祭りの写真の写真が送られてきた。
 
     新倉浅間神社
         新倉浅間神社   
     西湖
    「トリプル富士山」 西湖の氷祭り

ご主人とアイゼンつけての冬登山、Sさんからは南アルプス入笠山(標高1,955m)からの富士山。東京側から見る富士に比べると雪が少ないようだ。

   冬登山
          入笠山より 

そして、この日は多摩川沿いのマンション5階、Oさんのところからも「今日は長く見えています」とか。
帰路の池上線御嶽山駅ホームからもシルエットが見えた。
さまざまな場所からの富士山をみることができた1日になった。
旅・散策・イベント

動物園の課題

2019年01月30日
上野動物園に初めてジャイアントパンダがやってきたのは1972年の10月。日本のパンダブームはここから始まった。この日だけで5万6000人が上野動物園に集まったとか。ランラン(蘭蘭)とカンカン(康康)は仲も良く、2世誕生が期待されたが、1979年、ランランが死亡した。
1980年の今日、ホアンホアン(歓歓)が来園する。半年後にカンカンが死亡してから2年後、日中国交正常化10周年を記念してフェイフェイ(飛飛)がやってくるまでホアンホアン1頭だけになった。

ワシントン条約により絶滅危惧種は海外に贈与できなくなったため中国から海外に贈られた最後のパンダとなったのがリンリン(陵陵)。常にパンダがいた上野動物園は、リンリンの死(2008年)によってパンダが1頭もいない状態になり、1年の動員数が60年ぶりに300万人を割るほどの打撃を受けたそうだ。上野動物園のアンケート(2008年)では「見たい動物」の1位はパンダだったとか。

2011年2月、再び上野にパンダがやってきた。東日本大震災のため公開は遅れたが、約3年ぶりに公開された。
4万件を超える応募の中から決まった名前は、オス「比力」がリーリ(力力)、メス「仙女」がシンシン(真真)。上野にパンダがやってくるパンダの名前たまたま・・

 シャンシャン
   
そして、2017年6月、誕生したシャンシャン(香香)は、ジャイアントパンダの歴史の中で、自然交配でかつ順調に成長している、初めてのパンダとなる。

    シャンシャン
        シャンシャン        2018.7

動物園は「経営困難」「デジタル化の遅延」などの課題を抱えているという。そんな中、動物園に行きたくなるアプリが昨年秋に誕生した。これは、 KDDIが全国の施設と提携した one zoo(ワン ズー)というアプリ。

第一弾として、旭川市旭山動物園 (北海道)、よこはま動物園ズーラシア (神奈川県)、天王寺動物園 (大阪府) と提携。提携動物園は順次拡大予定らしい。
動物園で撮影されたオリジナルの動画コンテンツが毎日配信されることで、いつでもどこでも可愛く癒される動物たちの動画を楽しめるという。また、会員登録すると、オリジナルの「園内マップ」「スタンプラリー」「音声ガイド」などを通して、動物園をより便利に楽しむことができるようだ。
     one zoo
さらに、有料会員には、動物園のイベントへの招待、入園料が割引となるクーポンなども提供。サービス利用料の一部は全国の公立動物園に寄付し、動物園により施設の修繕などに利用されるという。
アプリ利用者の動向を統計的に分析し、動物園の動線設計などに活用することで、動物園の集客力向上や経営課題の解決に貢献していくのだとか。

上野動物園は年間パスポートをつくって以来、ご無沙汰しているが、上野動物園は「one zoo」のアプリにはまだ入っていない。情報を知るには上野動物園公式サイトで十分かと思っている。
動物など

「南極の日」

2019年01月29日
今日は「南極の日」。1957年のこの日、日本の南極観測隊が南極・オングル島への上陸に成功し、昭和基地を開設、本格的な観測が始まった。

最近、南極の1月は雪と氷の世界ではないということを知って驚いた。地面の茶色い風景が見られるという。気温は長野駅近くの長野地方気象台付近の気温と同じくらいだとか。昭和基地では、雪面に砂をまき、太陽の光で除雪をするので、1月は観測隊の夏作業がもっとも盛んに行われる時期だという。

タロとジロの生存が確認された日は1959年1月。南極観測船「宗谷」から飛び立ったヘリコプターが南極の昭和基地に着いたとき、南極観測隊に同行し、前年に置き去りにされ15頭のカラフト犬のうちタロとジロの2頭が生きているのが発見された。この出来事は映画『南極物語』にもなった。

東京タワー入口にいたブロンズ像のカラフト犬たちは、東京五輪招致のために撤去され、立川市の国立極地研究所南極・北極科学館前に移転した。(タロとジロは・・・?

  タワー
        撤去の日      2013.5

日本人として初めて南極大陸に上陸したのは、探検家の白瀬矗(のぶ)。1910年11月、白瀬矗と隊員26名が、わずか204tの南極探検船「開南丸」で芝浦沖を出航した。
1912年1月、南極大陸に上陸、南緯80度5分の地点(大和雪原と命名)まで達したが、南極点には達しなかった。食糧不足などから探検を断念して帰国した。

「南極」ときいてまず思い浮かべるのは、第一次南極観測隊の副隊長兼越冬隊長を務めた西堀榮三郎。11歳のとき、京都で白瀬の南極講演を聞き、南極探検を志すに至ったという。白瀬が南極探検を志したのも11歳であったとか。
西堀榮三郎(1903-1989)は、京都大学理学部卒業後、京大講師、助教授を経て民間企業(東芝)に移り、真空管を発明した天才技術者といわれる。統計的品質管理手法を日本の産業界に導入し、戦後日本の工業発展に多大な功績をもたらしたことでも知られる。また、登山家(日本山岳協会会長)で『雪山賛歌』の作詞者としても有名。19歳のとき、来日したアインシュタインの通訳を務めた。
  
  西堀邸
     在りし日の西堀邸

1937年(昭和12年)に建った西堀榮三郎邸が公開されていた時期があった。「白瀬日本南極探検隊100周年」の展示中のほか、友人やりんりんと何度か訪れた。

   リビング
                2011.10

石段を上がると、樹齢80年というヒマラヤ杉にまず圧倒された。玄関では日本カモシカやペンギンの剥製に迎えられた。榮三郎氏自らが作った煉瓦製の暖炉、無垢の桜材のどっしりとしたテーブルや椅子が置かれたリビング。いかにも探検家、登山家の家だと感じた。(山小屋風の「昭和の家」

  2019.1
                 2019.1
            
その家も5年前、解体され、工事用の柵で囲われたままになっている。
この切通しを通る度にいろいろなことが想い出される。榮三郎氏がつくったという、置かれた真空管のテレビ、防空壕の話、山の話など、ご子息の峯夫氏からいろいろ貴重なお話を伺ったこともついこの間のことのようだ。
旅・散策・イベント

アライグマは害獣・・・

2019年01月28日
昨年の10月、港区赤坂に現れたアライグマの捕獲劇に報道陣や野次馬でごった返したらしい。捕獲後、動物愛好家らからは、その処遇について、ツイッター上などで心配する声が上がった。「山に返そう」という署名も集まったようだが、結局、業者に引き渡されたという。

アライグマは北米原産。体長は60cmから100cm、体毛は灰褐色から茶褐色。尾には5本から10本の黒いリング状の模様があり、目の周りから頬にかけての斑紋は大きなアイマスクのようで特徴的。2足歩行で前足を水の中にいれ、指でエサを探す行為が手洗いに似てることが名前の由来。目が悪く手触りでエサを確認しているという説などもあるが、はっきりわかっていない。

アライグマを主役としたアニメ「あらいぐまラスカル」が放映されると、一躍人気を集め、ペット用に大量に輸入されたが、成長するにつれて気性が荒くなるため飼育は難しく、捨てられたり飼育施設から逃げ出したりして野生化する。「特定外来生物」に指定され(2005)、現在は、学術研究などを除き、輸入や飼育は禁じられている。(夜の訪問者

 アライグマ*Click!
 「アライグマの特徴」*Click!大田区HP

繁殖期は春から初夏にかけて、1匹のメスが産むのは3~8匹。野生化したアライグマニホンザリガニなど絶滅危惧種を捕食するほか、雑食性で生ごみなどを食べることから、都心でも河川や下水道などを利用して生息地が広がっている可能性がある。環境適応能力が高く天敵もいないという。
農作物被害や人への感染症被害も懸念され、被害の深刻さから「害獣」と呼ばれる。駆除を行う業者が各地で活躍しているほど。

   アライグマ
     井の頭文化園  2016.4

わが家に現れたアライグマは今どうしているだろう。2年前の春、深夜に玄関の外でカチャカチャという音が聞こえたので恐る恐る階下へ。何ものかがいる。カチャカチャに加えてコツンコツンとドアに当る音。鍵を開けようとしている? 外灯をつけてドアノブをガチャガチャさせると、その音は止んだ。小窓からみると、一旦退いて中の様子を窺う動物がみえた。4年前、庭に現れたタヌキともアナグマとも違う。外灯の光に浮かび上がったのは縞々の太い尾、グレーの大きな体は紛れもないアライグマだった。

ドアを開けるとすでに姿はなく、キャットフードを入れていた瓶とその蓋が転がっていた。フードはひと粒も残っていない。インスタントコーヒーの空瓶だ。蓋はねじらないと開かない。さすがアライイグマラスカルは可愛いけれど・・・アライグマに似ている?!

都内のアライグマ捕獲数は右肩上がりに増えている。環境省が今年8月に公表した調査では、2016年度は過去最多の599匹と大幅に増加。分布域は全国で10年前の3倍に広がり、生息が見られなかったのは秋田、高知、沖縄の3県だけという。
わが家に来たアライグマはこの599匹に入っているのだろうか。それとも近くの防空壕跡かどこかで逞しく生き延びているような気もする。
動物など

さいごは神頼み?

2019年01月27日
受験シーズンも本格化して、神社やお寺に合格祈願に訪れる人たちの姿をよく見かける。関東地方で、合格祈願におススメの神社は菅原道真を祀る湯島天満宮らしい。亀戸天神社(江東区)、谷保天満宮(国立市)とともに「関東三天神」に選ばれている。

湯島天満宮は、開運・勝運をつかさどる天之手力雄命と、学問の神様である菅原道真を共に祀る神社。菅原道真が生まれるはるか前から、岩穴の中に閉じこもった天照大神(あまてらすおおみかみ)を、岩穴から引きずり出した力持ちの神様、天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀る神社として人々に信仰されてきたが、室町時代に村人の手によって菅原道真も祀られるようになったという。(合格祈願 他人頼み

   湯島天神

湯島天満宮や亀戸天神社には何度か訪れたが、もっとも印象に残るのは、湯島天神の菊祭りと節分の豆撒き。(梅の季節落花生の豆まき
節分のときに訪れたときは受験シーズンの真っ只中。梅はちらほらだったが、合格祈願の絵馬の多さに驚いたものだ。 
   
    絵馬
                  2018.1

今年の正月、りんりんのために母親がいただいたお札の名入れが2時間待ちなので諦めたとかで、11日、お札を預かって出かけた。境内は受験生らしき姿もちらほら、朝早かったこともあって思ったより混んでいなかった。
受付で番号札を受取り、「合格大福」のテント前で待っていた。京都大原などに店舗がある豊寿庵が期間限定販売している。
大福は6種類。苺大福、豆大福、蓬大福の3個入りが¥700、6個は\1,400。それぞれに合格につながる意味?が書かれていた。ちょうど「大安吉日」。少々迷ったが、「ほうじ茶」味に魅かれ、6個入りを購入。

   豊寿庵
   2019年初春の大福 お品書き
豆大福 つぶ餡 マメは元気、勤勉。集中力と気力
塩大福 こし餡 いまの己を越す。こし餡は飛躍
ベリー大福 苺こし餡  ベリー大福=ベリービッグラッキー。幸運
蓬大福 つぶ餡 蓬は古来より万能薬。健康
栗大福 こし餡 かち栗は古来より勝利をあらわす縁起もの
ほうじ茶大福 こし餡   焙じるは奉じるに通じ、学問に謹んで勤めます

  合格大福

りんりんは和菓子はあまり好きではない。どうやら小豆や餡が苦手らしい。小豆餡でない苺餡を食べた。幸運を願って。ちなみにほうじ茶大福は期待したほどではなかった。やはり大福は塩大福がいい。

彼のリュックにはいくつかのお守りが下げられている。新田神社の「勝守」北野神社(止め天神)のお守りも。お札に合格シャープ・ボールペンセットなど合格グッズは数えきれない。確か家には合格だるまもあった。
正月早々、インフルエンザに罹ったりんりん、合格祈願もだが、まずは全力発揮できるようにダウンしないようにお願いしなくては。
旅・散策・イベント

風呂の日

2019年01月26日
毎月26日は「風呂の日」だとか。2月6日は「風呂の日」(HOT JAPAN)、4月26日は「よい風呂の日」(日本記念日協会)で、11月26日は「イイフロの日」(日本浴用剤工業会)。
ちなみに「銭湯の日」は10月10日。1999年まではこの日が「体育の日」であった。スポーツで汗をかいたあとに入浴をすると健康増進につながることから。

昨年夏、東蒲田の「大正湯」に、「西郷どん」と「勝海舟」のペンキ絵が登場した。描いたのは、日本で唯一の女性銭湯絵師で、映画『シン・ゴジラ』(2016)と大田区の銭湯がコラボした「ゴジラ湯」のペンキ絵でも注目を集めた、現役最年少の銭湯絵師。
男湯は「西郷と桜島」、女湯は「勝海舟と洗足池」という構図で、浴室で両者が対面。湯船につかりながら、江戸の町と100万人の命を戦禍から守り、現在の東京へと発展する礎となった偉業に思いを馳せることができるという。

   大正湯
       ペンキ絵  「東京銭湯」より

西郷隆盛と勝海舟の会談によって新政府軍の江戸総攻撃が回避、「江戸無血開城」が行われてから150年の昨年、両者の会見が行われた池上本門寺内の松濤園をはじめ、晩年の勝海舟にもゆかりのある大田区では、西郷の出身地である鹿児島県と共同で、「どんと来い!幕末・明治プロジェクト~江戸を救い、東京を作った出会い~」と題した特別企画が始まった。

   大正湯

大田区などの臨海部周辺には、淡褐色や黒褐色の「黒湯」と呼ばれる温泉が広く分布し、古くから銭湯で利用されている。メタケイ酸や炭酸水素塩類(重曹)などを含む25度以下の温泉で大昔の海水を由来とする「化石水」であると言われている。
都内で最多の銭湯数を誇るという大田区に長い間住んでいるが、黒湯にお目にかかったことはない。もっとも風呂好きではないこともあって、今まで一度も銭湯に行ったことがないのだが。
旅・散策・イベント

2人の「麒麟児」

2019年01月25日
『麒麟児』(冲方丁 著)を読み終えた。本はほとんど外出先で読むと決めているが、この本は別だった。分厚い本だったこともあるが、後半からは家で一気に読んでしまった。
勝海舟と西郷隆盛、「江戸無血開城」を命を賭けて成し遂げた2人の「麒麟児」。この2人を中心に、開城前後の流れ、舞台裏がとくに海舟サイドから詳細に描かれている。
   
      『麒麟児』
          
「麒麟」とは、中国の神話に登場する想像上の生き物で、鳳凰・龍・霊亀と並び、四霊と呼ばれ神聖なもの。獅子の頭を持ち、虎の目をして、鹿の角と体を持ち、牛の尾と馬の蹄を持って龍の鱗と黄色い毛に覆われている。
中国では「麒麟児」は傑出した人物のたとえ。頭脳に優れ、性格は温厚で心優しく、動物はもちろん植物も含めて一切の殺生をせず、平和な時代にしか現れない事から「聖人が現れ世の中を治める前兆」とされている。

   日本橋
        日本橋の「麒麟」    

ちなみに、動物園にいる「キリン」もこの言葉に由来があるという。首の長いキリンは中国語で「长颈鹿」。これは直訳すると「首長鹿」。
永楽帝の命令のもと大船団を指揮してアフリカにまで航海した武将鄭和はその途上で得たジラフ、つまりキリンを永楽帝に献上する際、色や姿が伝説上の「麒麟」とよく似ていたこと、現地での「キリン」の呼び方が発音が似ていた事から「麒麟(jílín)」と名付けて献上したという説がある。

大河ドラマ『西郷どん』をみたり、幕末維新、海舟関係の本も何冊か読んだこともあり、江戸城無血開城までの流れと結末、ちょっとしたエピソードなど知っている。この本(308頁)には、ほぼ無血開城前後のことしか描かれていないとは信じられなかった。

魅力的に描かれる海舟、内戦を回避し無血開城のために奔走するカッコよさ。ますます好きになった。だが、無血開城の前に幕臣山岡鉄舟(本では鉄太郎)が官軍の駐留する駿府に辿り着き、命懸けで西郷と対峙した。鉄舟に心を動かされた西郷は将軍慶喜の身の安全を保証した。
山岡鉄舟は、ただ「幕末の三舟」(勝海舟と高橋泥舟と)の1人ということくらいしか知らなかったが、この人物がいなかったら、無血開城への道は途絶え、江戸は焦土と化していたことがわかった。
鉄舟はのちに、明治政府で静岡藩権大参事、茨城県参事、伊万里県権令、侍従、宮内大丞などを歴任した。こうした幕臣はほかにいないといわれる。

『麒麟児』第一章は、海舟が鉄舟の初対面の場面から始まる。
七日ほど前のことだ。勝は、初めてその人物が自邸に現れたとき、まずこう思った。 
(また厄介者が来やがったぜ)・・・今では勝に共鳴する人々の中にも、かつては勝を暗殺する気でいたものは、存外多いのである。そのときやって来たのは、山岡鉄太郎と名乗る男だ。三十三歳。とにかく、でかい男だった。まず図体がでかい。身長六尺二寸(百八十八センチ)、体重二十八貫(百五キロ)はあるという評判だった。しかもただでかいだけでなく、まさに黒鉄のように鍛えられた巨漢である。そして、声がでかい。 

 
山岡鉄舟は、剣は神陰流や北辰一刀流を学び、槍は樫原流槍術を学ぶなど、武道の達人。剣術だけではなく、禅や書道にも熱心で、とことん追求する人物。ちなみに西郷隆盛は180cmとか。

終章は留魂の碑。西郷は、西南戦争に敗れた後、新政府への反逆者として最期を迎えた。海舟は、西郷の死を悼み、三回忌にあたる明治12年、西郷の詩が刻まれた碑を徳川家ゆかりの寺に秘かに建てた。石代から彫り代そのほか全て、自費でまかなった。

表には沖永良部島に流罪となった際に西郷がしたためた有名な漢詩「獄中有感」、裏には「嗚呼君能く我を知る 而して君を知るも亦我に若くは莫し」(ああ、あなたはよく私を知っている そして あなたを知るのは私かいない)と刻まれている。

    留魂碑
         留魂碑  洗足池公園  

現在は荒川放水路の建設に伴い移されて、大田区洗足池畔の海舟夫妻の墓所の傍にある。勝海舟のヒューマニズム洗足池畔の記念碑

気づけば、夕暮れが迫っていた。勝は、じっと留魂碑を見つめつづけていた目を、ようやく辺りに向けた。・・・それから、思い切り息吹をし、地面に顔を戻すと、碑に微笑みかけた。「おれたちが死んだ後、この国を支えてくれる日本人の子らが、きっといい国にしてくれる。あんたもおれも、結局のところ、そう信じて働いてきたんだ。おれは、世に残れる人として、もう少しばかり働きますよ、西郷さん」 そして背を向けた。・・・

今の日本に2人が生きていたら・・・果たして「いい国になった」と言ってもらえるだろうか。
つれづれ

ちょっと変わった郵便ポスト

2019年01月24日
今日は「郵便制度施行記念日」。1871年(明治4年)のこの日、「郵便規則」が制定され、東京と京都、そして大阪の間で郵便業務が開始。それまで飛脚便に頼っていた郵便業務を前島密が建議し郵便制度が始まったことを記念する日。
翌年には全国展開され、今日と同じような郵便制度が普及した。

郵便制度の確立によって、それまでは飛脚が東京~大阪間を3日と6時間もかけて配送していたのが、78時間に短縮された。その後、郵便役所はさらに横浜、神戸、長崎、函館、新潟と全国展開が図られた。
また、江戸時代に地域のまとめ役だった名主に自宅を郵便取扱所とする旨を要請、制度施行の2年後、全国約1100ヶ所の名主が郵便取扱所を快諾したことから、郵便制度は全国に拡大した。

東京郵便役所が置かれた現在の日本橋郵便局には「郵便発祥の地」の碑と前島密の胸像が設けられている。

   前島密像
     郵便発祥の地  前島密像

千代田霞が関郵便局前には天球儀が付いている「郵便創業120年記念ポスト」がある。正面には「郵便局の木」たらようの木が植えられている。郵便は館内にはポスタルショップと、切手枠型の壁鏡がユニークなカフェもある。(はがきの木「風景印 千代田区 Ⅳ

    記念ポスト   
       郵便創業120年記念ポスト
   千代田霞が関
        千代田霞が関郵便局

郵便ポストはその名のとおり郵便はがきや封筒を投函するための箱。 日本の郵便法による正式名称は郵便差出箱。

  横浜
     横浜港局    本郷三丁目局 

   品川駅
      品川駅   東京駅構内
 
コンビニエンスストアが増えるにつれ、郵便ポストはローソン、サークルKサンクス、ミニストップなどの店内に設置されたり、オフィスビルの中や前、ホテルや病院のロビーや玄関前などに宿泊者や入院患者のサービスのために設置されていることもある。

   病院
       病院内

   合羽橋
    延命院      合羽橋
旅・散策・イベント

都営地下鉄三田線で

2019年01月23日
今年初め都営地下鉄を利用した日、春日駅で「三田線開業 祝 50周年」のポスターに目が留まった。
都営三田線は、品川区の目黒駅から板橋区の西高島平駅までを結ぶ、東京都交通局が運営する鉄道路線。路線名の由来は名称制定時の終着駅である三田からだが、開業当初は「都営地下鉄6号線」だったことがわかる。

 ポスター

1968年 地下鉄6号線 志村駅(現 高島平駅)~巣鴨間 10.4km開業
1972年 巣鴨駅→日比谷駅間  7.3km延長開業
1973年 日比谷駅→三田駅開業  3.3km延長開業
1976年 高島平駅→西高島平駅間 1.5km延長開業
1978年 地下鉄路線名改称  6号線→三田線
 
   相互運転
2000年 三田線全駅でホームゲート稼働
三田駅→目黒駅間 4.0km延長開業 東急目黒線との相互運転開始(→武蔵小杉駅) ワンマン運転開始 
2008年 東急目黒線との相互運転区間→日吉駅

三田線を利用するようになったのは、全線開通して東急目黒線との相互乗り入れが始まってからだと思う。
当時本画を描き始めた極楽鳥花(ストレッチア)を見にいった板橋区立熱帯環境植物園の植物や魚たちは、生活している環境ごとに展示されている。植物は4つのゾーン、ミニ水族館は海水・汽水・淡水3種類の水域に分かれ、東南アジアの生態を中心に展示している。

シモバシラの氷の結晶が見られる板橋区立赤塚植物園も目黒線、三田線を利用して何度か訪れた。赤塚植物園には野草を見に行ったのだろうか、ユーカリの木をはじめて見たのはこの植物園だった。静かでちょっとした森の中にいるようだった。

   植物園
     板橋区立赤塚植物園

もっとも利用した駅は春日駅ではないだろうか。ずいぶん前になるが、駅に直結しているシビックホール(シビックセンター2階)で毎月上映される現代中国映画の会員になって頻繁に見たものだ。この会は非営利の日中友好団体現代中国映画上映会によって1973年から45年以上つづく自主上映会。中国語学習に役に立つと頑張っていた頃が懐かしい。

    映画会

今月26日に上映予定の『故郷の香り』(原題 「暖」)は見たことがある。貧しい農民、聾唖のヤーバ(哑巴)を演じたのは香川照之。あのヤーバが強烈にだった。この作品の演技で東京国際映画祭の最優秀男優賞を受賞したとか。何編もみた中国映画の中でももっとも印象に残る映画の1つ。
それにしても、あのヤーバが、じゅんじゅんが大好きな「カマキリ先生」と同じ人物だとは、いまだにピンとこない。(カガワテルユキさん
中国語の勉強ということは忘れて、ただ映画そのものを楽しむというのもいいかもしれない。また中国映画を見に行きたくなった。
旅・散策・イベント

韋駄天

2019年01月22日
『西郷どん』は熱心にみたが、今年から始まった大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』は見ていない。
足の速い人を意味する「韋駄天」(いだてん)の由来が気になって調べると、もともとは、仏舎利を奪って逃げた捷疾鬼を追いかけて捕まえた足の速い神から来たことがわかった。

      韋駄天
    韋駄天像 北京妙応寺 (Wikipedia)

「韋駄天」は増長天の八将の一神で、四天王下の三十二将中の首位を占める天部の仏神。
特に伽藍を守る護法神とされ、中国の禅寺では四天王、布袋尊とともに山門や本堂前によく祀られる。
日本の禅宗では厨房や僧坊を守る護法神として祀られる。また小児の病魔を除く神ともいわれる。
密教の曼荼羅では世二十天の一尊として西方位に配される。
韋駄天が釈尊のために方々を駆け巡って食物を集めたとの俗信に由来して「御馳走」という言葉が出来たという。

四天王は仏教の世界観における須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住む帝釈天に仕え、仏教を守護する四つの神の総称。

   東寺
    増長天立像 帝釈天騎象像 持国天立像
     東寺(教王護国寺)講堂蔵 国宝
     
東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天(たもん)天。八部鬼衆を所属支配し、その中腹で伴に仏法を守護する。
中国に伝わる過程で今のような姿になっていったと考えられ、出で立ちは唐時代の武将の姿。
四天王が邪鬼を踏みつけている姿は日本特有のもので、鎌倉時代初期からと考えられているようだ。

四天王 *Click!
   興福寺 四天王立像 国宝 *Click!
   広目天 増長天 持国天 多聞天

持国天(梵名: धृतराष्ट्र)中国では白顔に琵琶を持った姿が一般的。「国を支える者」
増長天(梵名: विरूढक)中国では青顔に宝剣を持った姿が一般的。「成長、増大した者」
広目天(梵名: विरूपाक्ष)中国では赤顔に龍を持った姿が一般的。「尋常でない眼、特殊な力を持った眼」
多聞天(梵名: वैश्रवण)中国では緑顔に右手に傘、左手に銀の鼠を持った姿が一般的。「よく聞く所の者」

トーハクの「密教展」と「興福寺展」で求めた絵葉書を見ると、増長天立像はどちらも邪鬼を足で踏みつけ、下方を睨んでいる姿。ほかの像に比べるとより凄みを感じる。
久しぶりにトーハク本館に行ってみたくなった。
絵画・博物館

この日も富士は見えず

2019年01月21日
連休の中日、渋谷に出たついでに、文京シビックセンターで見えなかった富士山のリベンジを兼ねて都庁へ。シビックセンターより高いし富士山に近いからと、期待は大きかった。(帰りは違うルートで
45階の展望台へのエレベーターは15分待ち。空いている方なのかもしれない。手荷物検査は簡単だった。バッグの中が見えるように開くだけ。

   エレベーター
    エレベーター    15分待ちの立札

だが、富士山どころか丹沢の山々も見えなかったため早々に引き上げた。

   西
           富士山見えず
   富士山

    スカイツリー
       2018.1   スカイツリー  2011.1        
   東京タワー
       2018.1   東京タワー    2011.1
  
2011年1月、この日も富士山は見えなかった。スカイツリーは建設中。りんりんは小学1年生だった。
たしか、東大レゴ部の「東京都庁」のレゴ作品を見るのが第1目的だったように記憶している。このころの彼は東大レゴ部に入りたいと真剣に願っていた。ついこの間のことだと思っていたが、もう8年も経ったとは・・・。(レゴブロックそして東大レゴ部に入るそうだ

   2011.1
      2011.1 

東京オリンピックのコーナーには、都市鉱山からつくろう みんなのメダルプロジェクトの幟が立っていた。ちょうど回収されたスマホにガチャンと穴を開けているところだった。
それを見ていた中国人らしい家族連れに係員が「中国人ですか」と中国語で話しかけた。安徽省の人たちだった。係員は自分が上海人だといった。この程度の会話なら聞き取れる。だが、彼らはこのプロジェクトにさほど興味はないらしく、パンフレットを持って立ち去った。久しぶりの中国語、もう少し聞きたかったのだが。

   都市鉱山 

今までケータイ電話をいくつも回収ボックスに入れたり、ドコモの店舗に持って行った。もともと2020大会開催には反対だが、わが家の鉱山でそれらを眠らせておくこともないだろう。
近いうち、富士山のリベンジを兼ねて都庁へ行くことにした。タブレット、デジカメ、ケータイ、母の使っていた電子辞書と計算器・・・。たしか、物置に古い電話機があったし、使わないエアコンのリモコンもいくつかある。
旅・散策・イベント

シモバシラの冬

2019年01月20日
今日は24節気の1つ「大寒」。小寒から立春までの30日間を寒の内といい、大寒はその真ん中にあたる。
寒稽古など、耐寒のためのいろいろな行事が行われるのもこのころ。凍り豆腐、寒天、酒、味噌などの「寒仕込み」にもっともよい時期とされている。

今年の初登山はご夫妻で高尾山というSさん、初LINEは高尾山からの富士と「草の茎に霜がついたもので、珍しいそうです」という草の写真が送られてきた。枯れた茎に綿菓子の綿ような白いものがついている。どうみても霜には見えなかった。

   高尾山から
      高尾山から  2019.1.4
     シモバシラ
       
その2日後の朝刊に「シモバシラ 咲いた 氷の花」という記事を見つけた。板橋区立赤塚植物園で、シモバシラにみごとな氷の結晶が現れたという。Sさんの写真に写っていたのはこのシモバシラだ。Sさんの高尾山で撮った写真は、霜ではなく氷の結晶だったが、新聞の写真よりきれいに撮れていた。
    
    シモバシラ

シモバシラはシソ科の多年草。雪寄草(ゆきよせそう)。
冬、地上部が枯れたあとも地中の根は絶えず地中の水を吸い上げて茎の上の方まで送り続けている。寒い冬の朝、吸い上げた地中の水分が枯れた茎からにじみ出て、羽毛のような氷の結晶ができる。いわゆる「霜柱」とは別の自然現象。

結晶ができるには条件がある。気温が氷点下ぐらいにまで下がった早朝、強い風が吹いていないとき、雨や雪が降っていないこと、積雪がないとき。これらの条件がそろうと、茎に吸い上げられた水分が茎のちょっとした割れ目からはみ出して外気に触れて「氷」になり、それが横方向に少しずつ押し出されて広がり茎に「氷の花」が咲いているように見えるようになるという。

「山渓カラー名鑑」に載っているシモバシラの写真をみると、たしかにシソの仲間だと納得。花期は9-10月。分布は関東地方以西の本州、四国、九州)。

     シモバシラ
   9月のシモバシラ 「日本の野草」より

シモバシラの学名Keiskea japonicaの属名は植物学者の伊藤圭介にちなむ。伊藤圭介(1803-1901)は、幕末から明治期に活躍した理学博士。「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作った事でも知られる。
業績を称えてシーボルトらにより献名された日本の植物には有名なものが多いという。アシタバ、スズラン、マルバスミレ、ユキワリイチゲなど。

赤塚植物園では、結晶が出た朝は通常より早い午前8時半ごろに開門するという。見ごろは1月下旬まで。
この植物園は訪れたことがあるが、とにかく遠い。シモバシラの結晶をみたいが、高尾山はもちろん、この植物園を早朝に訪れるというのはとても無理だろう。
植物など

「三角食べ」? 「ばっかり食べ」?

2019年01月19日
先月、食事の食べ方についての記事が目に留まった。「三角食べ」は本当にいいことなの?「ばっかり食べ」はダメ?
最初におかず、次に汁物という具合に1品ずつ順に食べるのが「ばっかり食べ」。
一方、1970年代に一部地域で推奨された「三角食べ」は、最初におかず、ごはん、汁物などを一口ずつ行ったり来たりするというもの。この方法が推奨されたのは、「完食させたい」という学校現場のニーズから出た指導ではないかといわれる。

りんりんは小さい時から「ばっかり食べ」を注意されていた。中学生になった今もあまり変わらない。気づくとサラダがまったく手を付けないまま残っていたりする。決して嫌いというわけではないのだが、とりあえず目に入ったものだけを集中して食べているようにみえる。だが、外食のときは多少意識するのか、そうとも言い切れない。

   食べ方
管理栄養士に聞いてみると、「どちらにもメリットとデメリットがある」という。「三角食べ」のメリットは、残した場合にも比較的栄養バランスが取れること。また、硬さが異なるものを混ぜて食べると噛む回数が増え、肥満防止に役立つという。食材が混ざるのを嫌う子は食事が苦痛になるといったデメリットも。
「ばっかり食べ」も、1つずつ食材の味を楽しめるメリットはあるが、嫌いなものや後回しにしたものを食べ残すことになりかねない。

結局、食べ方に正解や優劣はなく、子どもの成長に必要な栄養をとれていればどちらも問題ないようだ。ご飯と一緒に食べておいしい献立もあれば、単品で味わうものもあるので、決めつけることなく料理に合った食べ方でいいのではと。
つれづれ

おむすび? おにぎり?

2019年01月18日
昨日1月17日は「おむすびの日」だとか。JAなどでつくる「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」が定めた(2000.11)。
阪神大震災ではボランティアの炊き出しで、すぐ食べられる「おむすび」が配られた。
この感謝の意味も込めて、お米の大切さ、食生活を見直す運動が始まった。また、「むすび」は「結ぶ」につながり、人と人とが手を結ぶといった意味も込められている。

ちなみに「おにぎりの日」は6月18日(2004)。これは石川県旧鹿西町にある竪穴式住居跡から、日本最古のおにぎりの化石が発見されたことに由来する。鹿西町の「ろく」と、毎月18日に制定されている「米食の日」から決められた。
この当時のおにぎりは、粽に近いものだったのではないかと言われている。
 
「おむすび」と「おにぎり」の違いは?日本人にとってはどちらの呼び名も浸透している。日本おにぎり協会でも大きな違いはないと考えているようで、きっちりとした線引きがなされているわけではなさそうだ。

   専門店
     「おむすび権兵衛」

山の神にあやかって三角形は「おむすび」、ほかの形のものは「おにぎり」という説、逆に、「おにぎり」が三角で、「おむすび」は俵型という説も。
また、西日本では「おにぎり」、東日本では「おむすび」という説、元はこれが逆だったという説も。
「おむすび」が古い言葉で、「おにぎり」は江戸時代から広まったという説もあるし、逆に「おにぎり」の方が古い言葉という説も。

わが家では「おにぎり」という。祖父母、父の故郷、九州風なのだろうか。母は小さい俵型だったが、にぎりやすいのは三角の「おにぎり」。
  おにぎり
そういえば、お雑煮に入れる餅は西日本では丸餅、関東では四角と言われるが、祖母、母は九州風、丸餅だった。丸くても四角でもいいが、煮た餅が澄まし汁の中でドロっとしていて嫌だったこともあり、今は関東風に焼いた四角い餅を入れている。
「おにぎり」「おむすび」、さらにお雑煮の餅も、もはや、どこどこ風といえないかもしれない。
「おむすびの日」は、震災の記憶を風化させることなく、温かい心の象徴として米の大切さを思う日でもあるという。
つれづれ

防災とボランティアの日

2019年01月17日
今日は「防災とボランティアの日」。1995年の今日、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生した。この阪神・淡路大震災では、政府や行政の対応の遅れが批判された一方で、学生を中心としたボランティア活動が活発化し、「日本のボランティア元年」と言われた。これをきっかけに、ボランティア活動への認識を深め、災害への備えの充実強化を図る目的で、閣議で制定が決定され、翌年から実施された。

ボランティアとは、英語で「自発的な」という意味の「voluntary(ボランタリー)」、ラテン語で「自由意志」を意味する「voluntas(ボランタス)」が語源とされ、自ら進んで奉仕活動をする人、することを指す。広辞苑では、「志願者・篤志家・奉仕者」「自ら進んで社会事業などに参加する人」という意味。

そのなかで「災害ボランティア」は、地震や火山の噴火、水害などの自然災害が起こった地域の住民を助けるために行うものを指す。古くから自然災害の際に被害を受けた人を助けることは行われていたと考えられるが、特に注目を浴びるようになったのは、阪神・淡路大震災から。被災地に130万人を超えるボランティアが駆けつけた。

2011年3月11日の東日本大震災は、さらに大きな範囲、規模の災害となったが、阪神に比べて駆けつけるのが難しいという立地条件や、被災地側が受け入れ態勢を整えることに時間を要したことなどもあり、7月の時点で約57万人(ボランティアセンターなどに届け出た人のみの数)がボランティアに従事したと報告されている。
また、被災した宮城、岩手、福島の3県のうち、原子力発電所事故の影響が心配される福島県へ向かうボランティアの数が極端に少ないという傾向がある。

   東松島市
         東松島市  2014.5

大田区は、東日本大震災後、宮城県東松島市と「災害時における大田区と東松島市との相互応援に関する協定」を締結した。区民からの公募による災害ボランティアを東松島市へ派遣して、屋内外の汚泥除去などを行った。汚泥を土嚢袋に詰めて搬出する際、土嚢スタンド「大田の輪」(復興支援特別賞を受賞)が大活躍した。

   土のうスタンド

この土嚢スタンドは、土嚢袋の口を開けて立てた状態でも保つことができ、軽量(約500g)で、安価、十分な強度と耐久性を持たせて作製されたもの。(たのしい時間土のうステーション

よく耳にする「NPO」(Non-Profit Organization)は営利を目的とせず、 自発的、主体的にさまざまな公益活動を行う民間の組織のことを指す。「民間非営利団体」とも呼ばれる。
NPO法人データベースをみると、23区で最も多いのは港区の1,036件。新宿区(915)、千代田区(912)、渋谷区(703)とつづく。最も少ないのは荒川区の91件。
大田区は270件。「災害看護支援機構」「自立就労支援機構」といったものから「水・底質改善あおこ撲滅プロジェクト」「日本伝統文化の会」「大森まちづくりカフェ」といったものまでいろいろ。

日本では「NPO」は地域社会で福祉活動などを行う団体、「NGO」は環境・人権・開発援助など、国際的な活動を行う団体という意味で使われる傾向にある。
「NGO」(Non-Governmental Organization)は、「非政府組織」と訳され、 一般的には、開発、人権、環境、平和など地球的規模の問題の解決に、「非政府」かつ「非営利」の立場から取り組む、市民主体の組織。

つい最近知ったウォーターエイドジャパンは、NGO法人。すべての人々に清潔な水、適切なトイレ、衛生習慣。健康で尊厳ある暮らしに欠かせないこの3つを届ける活動をしている。(ランドセルとポリタンク
旅・散策・イベント

奉納 はしご乗り

2019年01月16日
1月6日に「東京消防出初式」が行われた。これは消防車両分列行進、消防演技などのほか、江戸消防記念会による木遣り、はしご乗りなどを披露する新春恒例の防火・防災行事。
   
  出初式

5日、SさんからLINEで送られてきたのは、彼女が参加した地元消防署の出初式で隊員たちが一斉に放水をしている様子の画像だった。 
   
「はしご乗り」は、一般には出初式と言われ、消防に関係のある人たちによって受け継がれているものと、鳶職人が伝承しているものとがあるが、いずれも鳶職人のルーツと関係があるそうだ。
江戸時代、火事が頻繁に発生したことから、八代将軍吉宗の時、町奉行大岡忠相が町火消の制度を完成させたことに由来するという。当時、鳶の親方がその役目を担った。
現在は、当時の役割が2つの職業(消防と鳶)に分かれたが、いずれも伝統と歴史を重んじ、今に受け継がれている。

毎年、成人式の日に池上本門寺で大森土木鳶建設組合による「奉納 はしご乗り」が披露される。出初式のはしご乗りは見たことがないが、「謹賀新年」や「祝 成人式」の垂幕は本門寺のはしご乗りでしか見られないのかもしれない。(はしご乗りの妙技新春のはしご乗り三間三尺のはしご

今年の成人の日は風もなくコートが要らないほどの暖かさだった。毎年、本堂の階段の上を定位置に決めている。
13時、木遣、纏振り込みから始まった。都無形文化財にもなっている「江戸木遣」の中、纏を振りながら登場すると一斉に歓声が上がる。木遣はいつきいてもいいものだ。

   木遣

栞によると、今年の乗子は4年から10年のベテランまで5名。「膝八艘」「腕溜め」「腹亀」「背亀」「肝潰し」「二本花散らし」などを披露。技の解説をするのは、鳶会社の3代目社長米田氏。

    成人式
             背亀
   肝潰し
             肝潰し
     肝つぶし    
     膝八艘
     膝八艘       腹亀       
    2人技
        2人技に3人技
     3人技

はしご乗りが終わると、はしごの上から「手ぬぐいまき」。まるで豆撒きのよう。
1時の開始時に15名の体験希望者に番号札が渡され、2時からは2mのはしご乗り体験が始まった。大人も子どもも恐る恐る手を離すのがやっと。
  体験
  体験

纏を持つ乗子と記念撮影する晴着姿の女性、穏やかな成人の日ならではの光景が見られた。
旅・散策・イベント

帰りは違うルートで

2019年01月15日
4日、いつもと異なるルートで早稲田へ行った。墓参をすませ、漱石山房記念館へ。((都電荒川線)
  
   記念館

2階の「人と人を結びつける ことば」(~3/10)では、新宿区に寄贈・寄託された資料を中心に、原稿・書簡・絵画・書籍をはじめ、それらの背景を示す資料もあわせて展示されている。漱石の自筆書簡は、学生時代の友人や、面識のない学生、作家を志望する女性など、さまざまな人たちに宛てた「人と人を結びつける」ことばにあふれている。
 
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館内は意外にも人が多かった。2階の展示を見終わって、ブックカフェでほうじ茶をいただいている間も、次から次へと入館する人やグループの多いこと。何度か訪れた記念館だが、この日ほど混んでいたのは初めてだった。ブックカフェ(無料)を利用することもできるので、近所の常連さんも多いのかもしれない。

 本を選ぶ

展示室へ上がる人、ビデオを見ている人、カフェで漱石関連の本を選ぶ人、お茶を飲みながら本を読む人・・・、カステラでティータイムをしている子ども連れも多い。

記念館を出て、大江戸線牛込柳町駅まで歩く。帰路はできる限り往路と同じにならないようにしている。大江戸線を春日駅で降りて、かつて毎月のように「中国映画の会」に通った文京シビックセンターへ向かう。ギャラリーでは新春にふさわしく東洋大学の書道展をやっていた。

   25階

エレベーターで25階(地上105m)の東・西・北側は展望ラウンジとなっている、知る人ぞ知る穴場スポット。
東側には東京スカイツリー、西側には新宿副都心と富士山、北側には筑波山等を望む大パノラマというところだが、富士山はうっすらとしか見えなかった。

   スカイツリー
      新宿副都心   スカイツリー
  六義園
        六義園方面
   後楽園
     後楽園遊園地

春日駅から三田線で目黒駅経由で帰宅した。今年歩き初めの日の歩数計は11,404歩となっていた。

元旦の初日の出、初詣から始まって水族館の5日まで、在宅したのは2日のみ。しかも5日からはインフルエンザに罹かったりんりんからじゅんじゅんを隔離するため2晩預かり、7日からは学校、塾とも欠席のりんりんを1週間預かるという、なんとも忙しい年明けになった。
旅・散策・イベント

(都電荒川線)

2019年01月14日
4日、今年はじめの墓参。いつもは寺のある早稲田に行くのにJR高田馬場駅からバスか、東京メトロ東西線を利用するが、時間に余裕があるこの日は五反田駅から都営ルートオンリーのミニトリップを思い立った。浅草線五反田駅から三田駅へ。三田線に乗換えて西巣鴨駅で降りた。荒川線の新庚申塚駅から早稲田行に乗った。

三田線のホーム柱の路線図をみると、西巣鴨駅のところに「東京さくらトラム(都電荒川線)」のシールが貼られていた。そういえば、この名称になってから荒川線に乗るのは初めてかもしれない。

  ホーム
       三田線三田駅ホーム

都電荒川線に「東京さくらトラム」と愛称がついたのは2017年4月からだとか。この愛称が発表された直後には地元民からは「都電荒川線」で呼び親しまれているのに、なぜ名称を変える必要があるのか?と疑問も多数聞かれたという。
「さくらトラム」? 荒川線の沿線には飛鳥山や面影橋といった桜の名所がいくつかある。だが、桜は全国で咲き、春の一時期だけ。都電荒川線の路線で大切に育てられているバラの方がインパクトがあるという。

東京都では、荒川線は新宿、豊島、北区も走っているので、「荒川線」という名称だと「荒川区しか走っていない、荒川区の電車」という印象を与える」というのも理由らしい。だが、都電荒川線の大半は荒川区を走っている。また、荒川区は沿線の美化・緑化にも力を入れてきた荒川区としては納得がいかないと。
路線図に「東京さくらトラム(都電荒川線)」とシールが貼ってあるのは、この名称が浸透していない証拠だろう。.

荒川線は巣鴨とげぬき地蔵尊に初詣の人たちで山手線のラッシュアワー並みの混雑。ほとんどの人は大塚駅で降りた。後でわかったのだが、地蔵尊の高岩寺の縁日は毎月4のつく日、とくに1月、5月、9月は例大祭となっている。

  荒川線
      新庚申塚駅

終点の早稲田駅で下り、早稲田大学の構内を抜けて夏目坂下へ。演劇博物館や大隈講堂の前も静か、人の姿もあまり見なかった。

   早稲田大学
  坪内博士記念演劇博物館  大隈講堂 

行きの車内で急に思い立ったため、坂下のスーパーで買った花を供えるだけの墓参のあと、開館していることがわかった漱石山房記念館まで正月風景を楽しみながら歩いた。
旅・散策・イベント

ランドセルとポリタンク

2019年01月13日
「日本の子供がランドセルを背負う朝。世界には、ポリタンクを背負い、遠く離れた水場へと、1日に何度も往復もする子供たちがいます。水を確保するために学校へいけない。そんな子供を減らさなきゃいけない。すべての人に、清潔な水を。ウォーターエイドジャパンに、ご協力ください」。ACジャパンの支援キャンペーンをよく耳にする。

 AC

新聞などで目にするポスターの左側には水のタンクを背負う女の子、右側に日本のランドセル姿の女の子。エチオピアに住むカウェサちゃんは、毎日午前4時に起きて、2時間かけて水を汲む。誰かがやらなくてはならないからと、毎日の水汲みのために学校に通うことを諦めたという。

ウォーターエイドは、イギリスで設立され、37年間にわたって水・衛生分野に特化して活動してきた国際NGO。1991年にはイギリスのチャールズ皇太子が会長に就任。2018年現在、アジア、アフリカ、中南米など計34か国で水・衛生プロジェクトを実施している。

じゅんじゅんのランドセル選びに付き合った。ランドセル売場に並べられたカラフルなランドセルを目にして「ウォーターエイド」のCM、ポリタンクを背負う子どもの姿が目に浮かんだ。

一時、カラフルだった男の子用も黒色が多く、青や緑、ゴールドなどの縁や、刺繍やラインなどがアクセント。A4クリアファイルや2020年度から導入されるタブレットが入るように大型化、そして身体への負担を軽減するために軽量化してきているようだ。

  ランドセル

じゅんじゅんは黒に濃緑色の縁取りがあるランドセルを気に入っていたが、結局、店員さんと皆が勧めたゴールドの縁どりのものに落ち着いた。何度か鏡の前で背負ったが、途中、教科書が入った感じをつかむためにと2㎏の袋まで用意されていたのには驚いた。

  ランドセル
       2㎏の教科書を入れて・・・
   
それにしても小学生のランドセルは重たそうだ。ラジオできいたが、月曜日は7㎏になることもあるとか。さらにサブバッグなどを持つと・・・。(リュックにしたら

最近、コートにブーツ姿の女性が真っ赤なランドセルを身に着けるといったファッションが話題になったとかで、訪日観光客の土産としても人気が高いという。(ランドセル海を渡るランドセル

加熱するランドセル商戦は年々早まり、夏休み、ゴールデンウィークと前倒し気味だという。少子高齢化だけでなく、低学年のリビング学習が増え、学習机の分もランドセルにいく傾向があり、購入の平均単価も上昇傾向で、17年度の百貨店、総合スーパーの平均値は6万円ほどだとか。ちなみに購入したランドセルは、年末年始の10%引で6万ちょっとだった。3月に中旬に納品。
3ヶ月後にはいよいよピカピカの1年生。
身近な人びと

2種類の甘酒

2019年01月12日
今年も除夜の鐘を撞いたあと、神社に初詣。30分近く並んで参拝した後に甘酒をいただいて身体も心も温まった。
 
  甘酒

甘酒は日本の伝統的な甘味飲料の一種で、見た目はどぶろくに似て混濁している。甘粥とも呼ばれる。主に米麹米、あるいは酒粕を原料とする。

酒粕の甘酒は、酒を造ったときの副産物で、アルコールが含まれている。酒粕は、米麹に酵母菌を加え発酵させて作られ、麹菌と酵母菌の2つの発酵の力で、栄養価がとても高い。蛋白質や食物繊維、ビタミン、ミネラルなどの他にも発酵によりできたペプチドやアミノ酸、麹菌と酵母菌由来のβーグルカン、葉酸なども含まれている。

米麹の甘酒は、蒸した米に麹菌を繁殖させた米麹でつくられ、ノンアルコールのため誰でも飲むことができる。麹の発酵により、ビタミン類を作る。米のデンプンがブドウ糖やオリゴ糖に変わるため自然な甘みがある。(菌活ブーム
ちなみに、日本の伝統的な食文化に欠かせない甘酒・お酒・みりん・味噌なども米麹を発酵させて作る。

      甘酒
      酒粕の甘酒  米麹の甘酒

冬の飲み物のイメージが強い甘酒だが、江戸時代には「甘い 甘い あ〜ま〜ざ〜け〜」の行商の声も夏の風物詩だった。当時の江戸幕府は庶民の健康を守るため、老若男女問わず購入できるよう甘酒の価格を最高で4文に制限しており、武士の内職としても甘酒造りが行われていたという。現在も俳句の夏の季語として使われている。(そして「暑熱順化」

  萬屋 
  池上本門寺参道 萬屋酒店
   甘酒

「飲む点滴」ともいわれる甘酒は、夏バテ防止の栄養ドリンク。アルコール分が1%未満であればアルコール飲料ではなくソフトドリンクとして扱われ、未成年者でも飲用が許される。ちなみに「飲む点滴」といわれるのは米麹の甘酒。

何年か前の夏、池上本門寺参道にある萬屋酒店で瓶入りの甘酒を求め、桂花会のとき冷やして出したことがあった。酒粕の方の甘酒だったせいかSさんの具合が悪くなった。彼女は奈良漬はもちろん、スイーツでも、お酒の香りだけでも受付けないことを思い出した。

最近、酒粕甘酒と米麹甘酒の効用は異なることを知った。
酒粕の方は、美肌効果がある。作り方は意外に簡単。お湯400ccに酒粕100gをとき、加熱しながら生姜と砂糖を入れていく。そして、一煮立ちしたら完成。
米麹の方は、高血圧予防、整腸作用、ダイエット効果がある。また、風邪やインフルエンザの予防、免疫力アップといいこと尽くめだが、8時間前後待たなければいけないことと、保温状態にした時の温度に気をつけなければならないとつくるのは少々面倒だ。

市販の甘酒は、加熱殺菌の高い熱でビタミンが変成して微生物は死滅し、貴重な酵素の活動が停止してしまうという。となると、免疫力アップのためには米麹でつくるしかないのだが、迷うところだ。
つれづれ

「まちびらき」に向けて

2019年01月11日
東日本大震災から7年10ヶ月。昨年12月現在、警察庁によると、全国の死者は15,897人、行方不明者は2,534人。
昨年10月、気仙沼市の岩井崎海岸で工事関係者により発見された遺骨が大震災の行方不明者の遺骨であることがわかった。12月の月命日に家族の元へ帰ることができたという。宮城県の死者は9, 542人、行方不明は1,220人。岩手県の死者は4,674人、行方不明は1,114人。福島県は死者1,614人、行方不明は196人。津波被害が甚大だった宮城県が圧倒的に多い。

宮城県名取市の熊野那智神社が今年5月、20年ぶりに神事「お浜降り」を行うことになった。神社の由来に因んで閖上(ゆりあげ)地区へ神輿を運行する行事で、大震災後、再建が進む閖上地区の「まちびらき」に合わせるという。震災後に修復された「懸仏」(国指定有形文化財美術工芸)の収蔵庫建設費とともにクラウドファンディング(CF)で経費を募っている。
  
   那智熊野神社
   懸仏
    懸仏・銅鏡 (名取市観光物産協会)
 
閖上といえば、津波で社殿や鳥居が流された「閖上湊神社」も再建の目途が立っていない。(伊勢から宮城へ
津波で山頂の富主姫神社が流失。山頂に残った樹木等には山頂より2.1m上方まで水位が上がった痕跡が見つかった。

2011年6月、津波で流失した石の鳥居のかわりに松の流木の鳥居が建てられた。その鳥居も傷みが目立つようになり、20年に1度の「式年遷宮」で取り外された檜製の鳥居が贈られることになった。

5月には閖上湊神社の鳥居も建ち、熊野那智神社では20年ぶりに「お浜降り」の神事も行われる。閖上地区は「まちびらき」で賑わうことだろう。
旅・散策・イベント

「ポキッと折れる傘」

2019年01月10日
昨年12月24日からずっと傘の出番はない。雨の日はあまり好きではないが、こう空気が乾燥してはたまらない。
郵便局で目に留まったのは「ポキッと折れるんです」と書かれたビニール傘。郵便局に傘というのも意外だったが、傘が折れるというのはどういうこと? 気になった。傘を持たずにちょうど雨が降り出してたら買ったかもしれない。

    折れる傘
         
調べてみると、突風を受けた際に「あえて折れる」ことで事故を防ぎ、しかも一度閉じて開けば元に戻るという。この傘はかなり売れているらしい。何でも開発をしたのは傘のメーカーではないというから驚きだ。化粧品やせっけんなどを主に通信販売で取り扱う横浜市の「長寿乃里」が中国の工場で製造しているそうだ。
最大の特徴は、グラスファイバー製の傘の骨にヒンジ(ちょうつがい)が備え付けられており、風速15m以上の風にあおられるとヒンジが折れて、風圧に耐えるという。ポキッと折れたあとは折りたためば元通りになる。この構造は特許を取得(2015)。

昨年12月から今年3月にかけて、東京、神奈川の164郵便局で試験販売したところ、降雨や降雪が少なかったにもかかわらず2000本が完売したとか。今年6月から45都道府県約4500の郵便局で1080円で販売中。
黄色のキッズ用の傘もあり、持ち手にネームプレートがあったり、前が見えるように傘の一部が透明になっていたり、反射テープがついていたりと、至れり尽くせり。

強風の吹いた翌日など骨が折れたビニール傘などが道端に転がっていたりする。決して使い捨てではないはずのビニール傘だが、コンビニのゴミ箱にそのまま捨てられていたりすることも多い。
ゴミの分別もしづらいため、処分場でも傘の形のまま埋め立てられているという。

   傘
   傘

ビニール傘を生み出したのが享保6年創業という由緒ある浅草の傘工房だという。最初は傘業界から猛反発を受けたが、東京オリンピックで、たまたま観光にアメリカからやってきた大手洋傘流通バイヤーの目に留まり、アメリカへの輸出が開始。それがビニール傘が世界に広まるきっかけだったそうだ。

「郵便局で傘」という意外性もあるが、コンビニと違って郵便局でこの傘を買う人はポイッと捨てることはないだろう。通販でもビックカメラなどでも購入できるようだ。何度も繰り返し使え、ポイ捨て傘が減ることになる。
旅・散策・イベント

正月の水族館

2019年01月09日
5日の土曜日、しながわ水族館にじゅんじゅんと。館内は意外に空いていたが、イルカショーには多くの人、空席はほどんどなく、立ったまま観覧。水が反射して眩しい。(ここにもイノシシ
「ゆきやこんこん あられやこんこん・・・」の歌に合わせてイルカたちが歌う?

 イルカ
      歌うイルカたち
     イルカ
  イルカ

次のショーはアザラシ館で。早めに行って子ども専用ラインの中で待つ。数種類のアザラシのうち、ショーにはゴマフアザラシが登場。お腹に置かれたおみくじの箱を持つと、トレーナーがおみくじを引く。鏡餅をもっていたのは何分くらいだろうか。

  アザラシ
  アザラシ
        おみくじは「吉」
  アザラシ

アシカショーも楽しい。イルカたちがジャンプする大水槽との間に柵を置いて始まった。手?を振ったり、逆立ちしたり、輪を首で受けたりと大活躍。

   アシカ
      アシカ

久しぶりに童心にかえって楽しんだ。アシカショーでもアザラシショーでも「吉」、いい1年になるような気がしてきた。
動物など

ここにもイノシシ

2019年01月08日
縄文時代、クマ、イヌなど動物の形をした土製品は東日本や東北地方で多く作られているが、中でもとくにイノシシが多いという。
イノシシは多産であることから、縄文時代には豊穣の象徴として、縄文時代の精神世界においても重視されていたとされ、土器文様としてイノシシ装飾が見られる。

    イノシシ
       重要文化財 弘前市立博物館  

縄文時代後期から晩期にかけて、イノシシ形土製品は北海道から関東まで見られるが、縄文後期の弘前市十腰内2遺跡出土(1960)のイノシシの土製品は群を抜く大きさで写実性に富み、完成度が高いという。全長18cm、高さ9.7cm、厚さ4.8cmで、前脚長2cm。
農作物を荒らすのは困るが、このような土製のイノシシは可愛らしいこと。

わが家のイノシシ、金属製の土鈴が気に入っている。はっきり覚えていないが、かなり前の亥年に購入したもの。

   土鈴

イノシシは幼少期にはシマウリ(縞瓜)に似た縞模様の体毛が体に沿って縦に生えており、成体よりも薄く黄褐色をしている。この縞模様は授乳期を過ぎた生後約4ヶ月程度で消える。幼少期は天敵が多く、この縞模様は春の木漏れ日の下では保護色となる。その姿かたちからウリ坊、うりんこ、うりっことも。

お正月のしながわ水族館でウリボウに似ている魚たちに出会った。「干支水槽」が特別につくられ、ウリボウのような縞があるヌノサラシイノシシの口に似ているイラキュウセンが泳いでいた。

   干支水槽

   ヌノサラシ
       ヌノサラシ 
三重県以南の太平洋岸からインド洋にかけての岩礁域やサンゴ礁域に生息。最大で25cmほどになるハタ科の魚。

   キュウセン
     キュウセン  「海猪魚」(中国名)
日本各地の沿岸からシナ海にかけての砂礫底に生息。危険を感じると砂に潜る。

   イラ
      イラ
       イラ  「猪歯魚」(中国名)
本州中部以南の南日本からシナ海にかけての岩礁域に生息。最大で40cmほどになるベラ科の魚。平たい体と大きなおでこ、そしてまるでイノシシの牙を思わせるような犬歯が特徴。
絵画・博物館

野菜のかたち

2019年01月07日
今日は五節句の一つ「人日(じんじつ)」。七日正月。七草がゆを食べることから「七草の節句」ともいう。
古来、中国では、正月の1日を「鶏の日」、2日を「狗の日」、3日を「猪(豚)」の日」、4日を「羊の日」、5日を「牛の日」、6日を「馬の日」とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日を「人の日」として犯罪者に対する刑罰は行わないことにしたとか。

また、7種類の野菜を入れた羹を食べる習慣があり、これが日本に伝わって「七草粥」となったという。
日本では平安時代から始められ、「人日」を含む五節句が幕府の公式行事となり、将軍以下全ての武士が七種粥を食べて「人日の節句」を祝った。(Wikipedia)

   JA

最近「ミニ野菜」「ベビー野菜」が多く出回っている。通常よりも小さいサイズで成熟する野菜を「ミニ野菜」、密植や早採りをすることで小ぶりのまま収穫するものを「ベビー野菜」というようだ。

こういった野菜の種子をよく見かけるようになった。家庭菜園を考えてもプランターなど狭いスペースでも育てられ、栽培期間が短いため病虫害に遭うことも少なく、収穫の楽しさを味わえるなど、「ミニ野菜」はビギナーにおすすめの野菜だとか。

ベビーコーンミニトマトペコロス(プチオニオン)などはおなじみだが、ラジオをきいていたら、ミニ大根のほか、ミニ白菜、ミニ葱などがあるらしい。「ころっ娘」というミニ大根は20cmくらいで、歯切れがよいという。
そのメリットは、包丁で切る手間も省け、まるのまま調理すれば野菜の栄養をあますところなく摂取できること。さらにカット野菜より日持ちし、単身者や少人数の家庭で重宝する。使い残しもなく無駄がないといいことづくめ。

生産者にとってもメリットは多いとか。1つ1つが軽いので作業が楽。そして収穫までに時間がかからない。ミニサイズは流通面でも多種類の野菜を面積が限られた売場にを置くのに都合がよい。風味も損なわれず、栄養価や水分の減少を抑えられる。また、切り売りしないですむのでラッピングなどの手間が省ける。

   葉大根
  
ときどきJAの前を通ることがある。「東京野菜」の幟があるときには、区内生産者の野菜が並んでいる台が出ている。ほんのたまに買って帰ることがある。
先日は、ミニ大根なのか、葉大根が置かれていた。葉は炒め物などに。大根は味噌汁に、やわらかくて美味しかった。

驚いたのはトップバリュというお米の代わりに食べる野菜が登場したこと。お米のように小さくカットされ、冷凍されたブロッコリーカリフラワーは、炒飯やリゾットなどに使えるらしい。
茶碗1膳のカリフラワーでやっとごはん1/25の糖質」。お米からカリフラワーに「ベジ スイッチ」すれば、カロリー、糖質をカットし、食物繊維もとれるという。イオンで販売している。一度試してみたくもあるが・・・。
植物など

23万人分の4?

2019年01月06日
今日は24節気の1つ「小寒」。節分までの「寒の内」は寒風と降雪の時節で、寒さが厳しくなる頃。寒稽古や寒中水泳が行われる。

帰省ラッシュがつづいた12月30日、10時前に東京駅を出発予定だった「やまびこ・つばさ」のブレーキが故障。その影響で東北新幹線など376本に運休や遅延が出た。
東京駅は一時大混雑し、午後になっても東北・上越・北陸などの各新幹線が遅れ、帰省およそ23万人に影響が出たという。この中に11時36分の「やまびこ」で岩手の祖父母の家に向かうゆうゆうたちも。

ゆうゆうが生れた翌年からつづく恒例の「1年間の歩みカレンダー」づくり、今年はA3サイズ、A5サイズ、はがきサイズの3種、計8セット。2018年1年分の写真の中から厳選した?100枚近くを2日がかりでレイアウトしてプリントした。(カレンダーづくり優先
   
 カレンダー

出来上がったカレンダーは東京駅エキュート内の書店で渡すことが多い。東京駅に着いたのは11時前。いくら帰省ラッシュとはいえ新幹線改札周辺の人だかりが尋常でない。「・・・東北・山形新幹線の車両トラブルの影響で、東北・上越・北陸などの各新幹線が遅れているため、番線が変わります・・・」しきりにアナウンスしている。

  改札付近
  チケット売場
      行列
       エキュートのみやげ品売場

11時を過ぎてやって来た息子たちにカレンダーを渡して次の待ち合わせ場所へ向かった。「(新幹線)遅れるなら別にいいよ」などと言っていた息子だが、出発予定時間を1時間半過ぎても「まだ東京駅にいる(泣)」というLINEが入った。孫娘たちも大きくなったからいいが、小さい子ども連れの家族たちの帰省はさぞ難儀したことだろう。

「がんばれ!」「いってらっしゃい」のスタンプをゆうゆうに送った。さすが中学生、スタンプでOK!が返ってきた。以前はスタンプを使うのに抵抗があったが、最近はやたら濫用している。いい歳して・・・。
身近な人びと

縄文人とイノシシ

2019年01月05日
イノシシと人との付き合いは長いことが約2万年の遺跡から証明されている。縄文人にとってイノシシシカとともに大事な食料で、主な狩猟対象の獣だった。「縄文カレンダー」をみても「夏島貝塚貝層から出土された動物」の中にもイノシシが載っている。縄文人はグルメ

     縄文カレンダー
   「縄文カレンダー」 大田区郷土博物館

   明大
     夏島貝塚出土の動物たち  明治大学博物館

昨年秋に訪れた「東京都埋蔵文化財調査センター」に縄文人がつくったという「落とし穴」の模型があった。はるか昔から多摩丘陵の縄文人たちは落とし穴を掘って、シカイノシシを獲っていたようだ。長さ1.5m 幅1m 深さ2mほどで、そこには篠竹などが埋め込まれ、足が絡まって出られないようになっている。

  おとし穴
     縄文時代の落とし穴  

八王子寺沢地区の遺跡では、600基以上の落とし穴が見つかっており、けもの道に沿って掘り続けられていたことがわかる。多摩ニュータウン地域では、これまでに1万5千基以上にのぼる落とし穴が発掘されているという。

農水省によると、イノシシは狩猟鳥獣であり、捕獲する方法は銃器によるものと罠によるとある。さすがに落とし穴というのはなかったが、全国で約 21万頭以上が捕獲されており、捕獲数は増加傾向にあるという。また、農作物被害状況は、イノシシが獣類のなかで被害金額が一番多いという。
動物など

おちょこ

2019年01月04日
「猪」に関する成語、ことわざなどは馬、猿、鶏、犬などに比べて少ない。(成語の中の亥
「おちょこ」に「猪口」に猪という漢字が使われているが、猪の形に似ているとも思えない。どうやら「猪口」は当て字になるらしい。
ちなみに、中国では「猪」という漢字は豚のことなので、「猪口」はそのまま「豚の口」の意味。

猪口」は、日本酒を飲むときの盃や、蕎麦を汁につけるときに用いる蕎麦猪口などの小さな器。口が広く、底がすぼんだ形をしている。
語源としては諸説あるようだが、ちょっとしたものを表す「ちょく」や安直の直と関連するとも、小型の器といったところから小さなものを意味する「ちょっとした」「ちょこっと」との語句「ちょこ」から由来しているという説が有力。

   おちょこ
      おちょこ

器量、視野が非常に狭い、または無い人を「お猪口」「お猪口の裏」と揶揄する例えに使われる。
へなちょこ」も大した事ないものといった意味。

猪口才」というのは、小生意気なこと。小賢しいこと。また、そのような人。「小さく動く」という意味の「ちょこちょこ」「ちょこまか」に由来し「猪口」とは関係ない。
     
酒器の「お猪口」と「ぐい吞み」は大きさも形も違うようだ。お猪口はぐい呑みに比べて小振りで、徳利とセットでついてくることが多い。祖母が使っていた徳利とセットのお猪口は棚の奥にあるが、母も使っていなかった。
わが家の食器棚には産地も形もさまざまなぐい吞が入っている。ほとんどはごんさんが出張先で求めたもの。

    ぐい吞み
      ぐい吞み

20年くらい前までは正月は来客が多く、大忙し、お燗するのもなかなか大変だった。いわゆる徳利でお燗をしていた時代もあったが、いつからか電子レンジでお燗した?お酒を徳利に移していた。その際、樽酒の香りをつけるためにか割箸をお酒の中に入れていたように思う。
父も母もいない今、賑やかだった正月の風景が懐かしい。
つれづれ

成語の中の「亥」

2019年01月03日
今年の干支は「亥」。猪に因んだ熟語、慣用句、成語は?ときかれてまず思いつくのは「猪突猛進」。
猪突猛進」は、がむしゃらに進むこと。

突進力が強い半面、犬と同じくらい鼻が敏感で神経質な動物。前にしか進めないと思われているが、急停止や方向転換もきちんとできるという。
イノシシの成獣は70kgかそれ以上の体重があり、短足で寸胴な体だが、意外にも優れた身体能力を持つ。時速45kmで走る事も可能であり、イノシシの全力の突撃を受けると、大人でも跳ね飛ばされて大怪我を負う危険があるのだとか。

ポンパドールの紙製の3段重入りの干支のパン、イノシシはずいぶんと可愛い。じゅんじゅんに好きな動物をどうぞといわれ4つ選んだ。

  干支の重箱
 パン

家畜化されたイノシシブタ。中国語では「猪」の漢字は主にブタの意味で用いられており、イノシシは「野猪」と呼んで区別する。

  土鈴
           土鈴

一竜一猪」(いちりょういっちょ・いちりゅういっちょ) 努力して学ぶ人と、怠けて学ばない人との間には大きな賢愚の差ができるということ。「猪」は豚のことで、無恥な愚かな人のたとえ。
亥を抱いて臭気を忘る」 自分の欠点や醜さは自分では気づかないこと。

猪勇」 向こう見ずの勇気。「猪武者」 向こう見ずに敵に向かって進む武者。
猪見て矢を引く」というのは、事が起こってから、あわてて対策を講ずること。

猪も七代続けば亥になる」 「猪」も人に飼われて七代ともなれば「豕(いのこ)」になる。豕は猪の古称、または家畜化した豚のこと。文字通り野生の猪も7年も経てば家畜化し、飼いやすくなること。つまり長い年月には変化や進歩があるということ。

遼東の豕」 ごく当たり前のことを誇りに思ってうぬぼれること。また、そのような人のたとえ。 遼東で珍しいとされた白頭の豕が河東では珍しくなかったという「『後漢書』の故事から。
遼東は、かつて中国に存在した郡。現在の遼寧省の一部と朝鮮の一部に相当する。河東もかつての郡。現在の山西省南部にあたる。
つれづれ

今年の元旦

2019年01月02日
除夜の鐘を撞いた後、近くの八幡神社へ。お参りして帰宅したのは1時を過ぎていた。(年明け
4時から6時まで仮眠。6時半近く、自転車でガス橋へ向かう。土手に自転車を止め、大田区と神奈川県との境まで来ると、橋の欄干は人で占められている。さらに神奈川県側の7年前からの定位置まで行き、わずかな隙間で日の出を待った。
2013、14年は素晴らしい初日の出を拝んだ。2015年がまったくダメだったが、2016年から18年は最高の日の出が見られた。

 2019.1.1
       6:39         6:53  

そろそろ日の出時刻の6時51分というのに、厚い雲はとれそうにない。振り返ると見えるはずの富士山も雲の中。上流の二子橋方面は雲がみえないのに・・・。しばらく頑張ったが、奇跡は起きなかった。土手に沿って自転車を走らせるが、やはり雲の中。

  河原
    富士の姿を探しながら    
  1.1
     雲の中の富士 7:20

多摩川浅間神社で初詣は取りやめ、りんりんの家に向かった。途中、まだ7時半だというのに年賀状配達のバイクを何度か見かけた。
自転車を置いて正月特訓に出かける彼に付き合って渋谷まで。見送ってからUターン、もしやと思って多摩川駅で下車、浅間神社へ向かった。
浅間神社の見晴台からは富士山が雄大な姿をみせていた。東横線、目黒線、乗り入れている副都心線などさまざまな種類の車両が見られて楽しい。川の水は少ないせいか、富士山、東急線の線路、土手、川を入れて撮るのが非常に難しかった。

   富士
   富士
     浅間神社から  9:10

初日の出も、富士山も見えず、先行き不安なスタートに思えたが、浅間神社へ寄ってよかった。
遅いお雑煮とおせちの朝食をとると急に睡魔が襲ってきた。年賀状に取り掛かったのは3時を過ぎていた。
今年の抱負は「Never give up にしようかな」と桂花会グループにLINE。「その意気、その意気!」とFさんに励まされた。

この日のLINEは初詣に関してが多かった。川崎市のSさんからは、「溝の口神社へ行くとすごい行列になっています」と。
帰省した30日には「新潟市内は雪がなくて助かりました」というKさんからは、「雪まじりの曇り」の元旦になったそうだ。
3年前に世田谷から多摩川沿いのマンションに越してきたOさんは今はすっかり大田区民。かなりマイナーな六所神社と池上のなんとか神社にも行ってみたいと思っていると。

大田区のまちには小さい神社がいくつもある。区民大学で仲良くなった同じ町の住人3人がバッタリ出会うことはあまりなさそうだ。Sさんは「例年は紅白後に鵜の木八幡へ行くのですが、今年は冷えて手術後の脚が痛み、初詣まだなのです」と。
Oさんは、紅白後に氷川神社と今泉神社に。氷川神社ではお神酒とお汁粉、今泉神社ではお神酒とお蕎麦をいただいたとか。

「紅白を見てから初詣に」という人が多いせいか、どの神社でも参拝の列が急に長くなるときがある。
そういえば最後に紅白をみたのはいつだろう、ずいぶん見ていないような気がする。もっとも普段からあまり見ないテレビ、年末年始はとくに見ずに過ごすことが多い。
旅・散策・イベント
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