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ぽかぽか陽気の中で Ⅱ

2019年02月28日
先週のぽかぽか陽気の中、六郷用水路の女堀(おなぼり)を歩いた。大田区の魅力を再発見しようと昨年つくった会だが、フルメンバー10人で東急線多摩川駅からスタートした。
大田区最古のトンネルを抜け、復元水路をしばらく行くと上り坂になる。

「嶺の切通し」で休憩。400年以上も前、なぜ小泉次大夫は切り通しをつくって用水を通したのだろうか。
暴れ川と言われた多摩川は度々洪水を起こしていた。切り通しをつくれば、丘が自然の堤防の代わりになり、どんな洪水からも用水を守ってくれると考えたからだという。
多摩川はこの400年の間に約40回の大水が出たが、嶺村の切通しでは用水は一度も壊れなかったという。(ぽかぽか陽気の中でⅠ

環八と用水路に挟まれた「天明さんの森」が姿を変えたマンション前へ。いつの間にか「六郷用水」碑と説明板が立ち、周辺の家々からマンション建設反対の旗も姿を消していた。(あの森はもう・・・あの森が消えて・・・ )  

   マンション
    消えた森  朝日新聞 (2015.1)      
   マンション

一時、六郷用水を離れ、新しく整備された松山公園の横を通り「横穴墓」へ案内した。 この地域では、古墳時代(6世紀末奈良時代から8世紀前半)につくられた横穴墓群が数多く発見されている。
公園内には、大田区周辺に見られる特徴的な切石羨門構造をもつ墓の中の1基が発掘時そのままの形で保存展示されている。
メンバー全員大田区在住とはいえ、この墓の存在を知っていたのは犬の散歩でよく通るというSさんくらいだった。

   古墳
    埋蔵文化財 鵜の木一丁目横穴墓群六号墓  

本来なら富士山が見える松山公園だが、ここもパス。河原坂を下って鵜の木駅前から多摩堤通りに出て下丸子方面へ。
現在児童公園になっている大田区最後の田圃は地図上で。

数年前まで西堀榮三郎邸(第一次南極観測越冬隊長宅)があった切り通しを抜け、環八を渡って再び六郷用水へ。
「堰と水車(歴史物語)」「光明寺分水口(説明板)」の碑を過ぎると、「はけ」沿いに防空壕が残る空地がつづく。

  引分
     「南北引分」近く

    引分
      北堀跡 「南北引分」 南堀跡

そして「南北引分」の進路タイルの箇所でこの日の「女堀」はコースは終わり。多摩堤通りにあるコメダ珈琲店へ全員で向かう。案の定混んでいたが、それでも5人ずつの席が確保できた。5時過ぎまで楽しく談笑。 
            
次は南堀、六郷水門のコースということになった。南堀には水路はなく、少し魅力に欠ける。そこをどう補うか、リーダーとメールなどで相談中。今度の栞つくりは少々むずかしくなりそうだ。

余談になるが、わが友人、知人にはSさん、Kさんが多いが、この会のメンバーもリーダーも含めて10人中4人がSさん。
旅・散策・イベント

ぽかぽか陽気の中で Ⅰ

2019年02月27日
昨年秋、開かれた大田区民大学(生涯学習)の参加メンバーの中から生まれたすいよう会。今年1月に決まった2月の活動は「六郷用水 女堀」。参加者は10人、フルメンバーだった。
リーダーのSさんが観光協会などで集めた資料のほか、当日用に『六郷用水』を参考につくった栞を配り、東急線多摩川駅から歩き始めた。
この日はぽかぽか陽気。後で知ったが、大正以来の暖かさだったらしい。

    「六郷用水」
       『六郷用水』(郷土博物館) 

   栞
         六郷用水 栞

この日は富士山は望めそうにないので、浅間神社の見晴台はパスして踏切を渡ると、大田区最古のトンネルが見えてくる。中には東京府時代のマンホールが2つ残っている。

   トンネル
   大田区最古のトンネル  東京府のマンホール

六郷用水の完成は、徳川家康が江戸に幕府を開く6年前、今から約400年前の1611年。家康は当時の代官小泉次大夫に多摩川下流低地に水田灌漑用の六郷用水(左岸の大田、世田谷区、狛江市)と二ヶ領用水(右岸の川崎市)の工事を命じた。
完成後、300余年にわたり人々の暮らしを支えつづけた六郷用水は、灌漑用水、農作物の洗い場となり下水として利用された後、昭和40年代に埋め立てによりその役目を閉じた。

   ジャバラ
      復元されたジャバラ

六郷用水の中でも西嶺町から鵜ノ木にかけては堅い岩盤で、6mも堀りこんだ箇所もあったという難工事。次大夫が男女を交えて工事の励みとしたとの「女堀(おなぼり)」の由来が知られている。

密蔵院を過ぎ、観蔵院に向かう西嶺あたりは「嶺の切通し」と呼ばれる。高台の下、「はけ」の湧水を集めながら自然の川をうまく使い、和泉村から水路を決めてきた次大夫だが、光明寺池が古多摩川の流れの跡と知り、嶺村では切通しをつくって用水を通すことにしたという。

   1974年ごろ
    埋め立てが進む切通し 1974年頃
   嶺の切通し跡
       現在の「嶺の切通し」 

「嶺の切通し」の上にはベンチがあり、ちょっとした休憩場所になっている。楽器を練習したり、お芝居の練習をしている人を見かけることもある。
ちょうど「嶺の切通し」を過ぎるとき、「何の集まりですか?」制服姿の男子中学生に呼び止められた。平日は犬の散歩や散策する人はいるが、ぞろぞろと歩いている団体は珍しかったのだろう。
六郷用水の跡を歩いているのだと答えると納得したようだった。近くの中学校の2年生だとか。お馴染みの路だが、ほっこり、旅気分を味わった出会いだった。
旅・散策・イベント

ツミとハヤブサ

2019年02月26日
わが庭のカエデにやってきた鳥がハヤブサでなくツミというタカの仲間だということがわかった。(ハヤブサだろうか?

数日後、中目黒の「郷さくら美術館」で「竹内浩一の世界」展鑑賞後、中目黒駅前からバスに乗り不動前入口下車。立ち寄った日本野鳥の会バードショップ(直営店)には野鳥の観察に必要な長靴、双眼鏡や望遠鏡などだけでなく、書籍、資料集、野鳥や動物のぬいぐるみ、マグカップなどいろいろなグッズが並んでいた。
庭に来た鳥の名前を知りたい旨伝えると、大田区、それも池上在住の、わが家付近の様子もよくご存じのスタッフの方が丁寧に応対して下さった。

画像を見比べ、ハトより大きいか、カラスに比べるとどうか?など出逢ったときの状況などきかれた。
結果、ハヤブサではなくツミだろうということだった。それも幼鳥だろうと。
いわれてみれば、ハヤブサは幼鳥だとしても大きいし、いくら緑が多い地域とはいえ、住宅地に現れることはないのかもしれない。図鑑をよくよく観てみると、ハヤブサは幼鳥だとしてもはるかに大きく、顔つきも異なることがわかった。

昨年5月、洗足池畔を歩いていたとき、カメラを下げた男性にツミが営巣しているケヤキを教えてもらった。ツミはもっとも小さい猛禽類でタカの仲間だという。この鳥が来てから池畔のスズメたちが激減しているということだった。(初夏の洗足池畔

わが庭に来た幼鳥はひょっとしたら洗足池畔で巣立ったツミだったのかもしれない。
シジュウカラ用の巣箱は2つとも空のままだが、野鳥はいろいろやってくる。メジロ、シジュウカラ、ウグイス、ヒヨドリ、ムクドリ、オナガ、キジバト・・・もちろんカラススズメも常連さん。

     ツミ
        庭に姿をみせたツミ

ハヤブサ ワシタカ属 ハヤブサ科  Falco peregninus
頬にヒゲ状の黒色斑を持ち、頭から首の後ろは石板黒色で、背、翼、尾は濃い青灰黒色の猛禽。
オスは約38cm、メスは約50cm、翼を広げると84cm~120cm。
繁殖期には、オスは「キッキッキッ」、メスは「ガッガッガッ」といった濁った太い声で鳴く。

ユーラシア大陸の大部分と北米大陸の寒帯から亜寒帯、オーストラリアなど世界の広い範囲で繁殖。日本では4亜種が棲息し、すべて特殊鳥類に指定されている。冬鳥として渡来し、越冬。少数が繁殖する。

海岸や海岸近くの断崖で繁殖。回転の速い羽ばたきと滑翔を繰り返しながら、急降下して飛行中の鳥を蹴って捕獲、一定の食事場所の1つに運んで食べる。
獲物はほとんどヒヨドリ級の中型小鳥、ハト、カモ、シギ、チドリなどの鳥類だが、まれにネズミウサギを地上で捕らえる。

 ハヤブサ
      伸びをするハヤブサ(メス)
 
  ツミ
      営巣中のツミ オス  メス

ツミ ワシタカ属 ワシタカ科  Accipiter gularis   
顔全体が黒い小さなタカ。
シベリア南部から中国東北部、ウスリーにかけて繁殖する。日本でもほぼ全国で繁殖。低い山の森林、雑木林に棲息。留鳥または夏鳥。 
オスは体の上面が暗い青灰色で、下面は白く胸から脇にかけて黄赤褐色。メスは上面が濃い石板色、下面は白地で褐色の横斑がある。オスの目は暗紅色、メスは黄色。
オスは約27cm、メスは約30cm、翼を広げると50~63cm。
常にほとんど鳴かないが、繁殖期にオスは「キィキィキキキ」と鳴き、メスは「キキキキ」と鳴く。

春が近づいてきたこの頃、ヒヨドリなどの常連さんは来ても、珍客ツミには再会できずにいる。
動物など

ハヤブサだろうか?

2019年02月25日
今月10日から杉並区阿佐谷南の路上周辺で「フクロウが飛べずにいる」「ミミズクのような鳥を見た」などの通報が杉並署に続々と寄せられとか。その後、飼い主と名乗り出た新宿区に住む60代夫婦が駆け付けて呼びかけたもものの、ミミズクはわずかに反応するだけで降りてこなかったとか。

「まだ子どもで、掃除中にケージから出したときに窓が開いていて逃げた」のだとか。
野生ではないにしろ、巣立った鳥は、再びケージの中には戻りたくないのかもしれない。日本にはいないベンガルワシミミズクの可能性があり、体長は40~50cm、夜行性でおとなしく、寿命は20年から30年だとか。杉並の街でネズミなどを捕らえて生きているらしいが、この先どうなるのか心配だ。ベンガルワシミミズクといえば、浜離宮で正月恒例の放鷹術に登場したことを思い出した。

2週間ほど前、2階の和室でじゅんじゅんと雛人形を飾っていたときのこと。(ひと足早く雛祭り
「あの鳥なんて言うの?」ときかれて窓の外に目を遣ると、メジロがいた。「メジロよ。目の周りが白・・・」と言いかけたとき、すっかり葉を落としたカエデの枝にあまり見かけない大きな鳥がこちらを向いてとまっているのに気づいた。

     カエデ

ガラス越しとはいえ、2mも離れていない。そばにあったスマホで何枚も撮った。
たいていの鳥なら人の気配を感じただけで逃げるが、目が合っても逃げる様子もなく、それどころか、悠然とこちらを向いてモデルになってくれた。

   カエデ

こちらが気づいたときからだけも10分以上枝にとまっていただろうか。羽繕いが終わるとサッと飛び去った。
数分後、遠くのケヤキの枝にとまっているのを見つけたが、望遠鏡を取って戻るともういなくなっていた。
  
     ケヤキ

正月の浜離宮で放鷹術の実演を3回見たが、あのときみたハヤブサに似ているが、まさか・・・!(都内唯一の徳川家康像

   放鷹術
      2014.1       2010.1

ハヤブサだろうか、興奮を抑えつつ、鳥に詳しいUさんにLINE。チョウゲンボウでは?」「ハヤブサのような気がする・・・」 小さな野鳥図鑑で調べると「ハヤブサのメスは49cm、オスが42cm」とある。そんなに大きくはない。幼鳥だろうか?
動物など

水をどうぞ

2019年02月24日
プラスチックは、年間3億㌧が生産され、石油産出量の8%を占め、そのうちの半分が容器包装に使用されている。
プラスチックは軽いので遠くまで運ばれ、かつ自然分解されずに半永久的に残るという特徴がある。
そのため使用済みプラスチックは、ポイ捨てや、ゴミ処理施設へ輸送される過程で環境中に出てしまったあと、雨で流され最終的に海に流れ着く。そして、ものとの接触や紫外線の影響で劣化し、5mm以下のマイクロプラスチックとなる。(「海に漂うごみの行方」 深刻な海洋汚染

昨年夏に米スターバックスと米マクドナルドがプラ製ストローの廃止を決め、日本国内でも一気に外食各社で廃止の機運が高まったようだ。ファミレスなどでもプラスチックストローの提供をやめるところが増えつつある。ガストにもテーブル上にお知らせが置かれていた。

    ガスト
                 2018.12

「すかいらーくグループは美しい未来の実現を目指して、地球環境保護のため新たな活動に取り組んでまいります。その第一歩として、使い捨てプラスチックストローの提供を終了いたします。・・・ストローが必要なお客様には自然分解する代替ストローを用意しております」と。

日本では街にあふれる自販機、その多くはペットボトル入りの様々な飲料。いつの間にか水筒を持ち歩くことは減り、自販機で買うことが当たり前になってきた。

     自販機

ペットボトルは、世界の各地でレジ袋と並んで削減すべきプラスチックのトップアイテムとされている。リサイクルしても大量のエネルギー消費は免れず、自然界に残された場合の影響も問題となっている。
                      
ニューヨークやロサンゼルス、アムステルダムやニューデリーなど、世界30ヶ国で「水道水」をゼロ円で売る草の根運動がはじまった。狙いは1分で100万本以上も消費されている「ペットボトルゴミを減らすこと」だという。消費者と小売店が一丸となってペットボトルの水の不買運動を行う。

「水のグーグル・マップ」ともいうべき無料アプリの「タップ(Tap)」は、位置情報をもとに、街の中で気軽に利用できる水の「リフィル・ステーション(給水スポット)」を教えてくれる。
公共の水飲み場も含まれるが、その多くはカフェやレストラン。自前のボトルを持って行けば「水を無料でリフィルしてくれる」。
アプリの利用者は、無濾過の水や、炭酸入りの水、フレーバーつきの水など、細かな条件を設定して検索を行うことが可能とか。
このアプリとマイボトルがあれば、外出先でプラスチック製ボトル入りのミネラルウォーターを買う必要がなくなるというもの。

これからもストローの提供をやめる店舗は増えていくような気がする。もともと家でも外でも冷たい飲み物はまず飲むことがないので、プラスチック製カップやストローも使うこともない。ほんのたまに水のペットボトルを買うことはあるが。
旅・散策・イベント

富士山の日

2019年02月23日
今日は「富士山の日」。「223(ふじさん)」の語呂合わせから。山梨県富士河口湖町が制定。静岡県も、世界文化遺産登録運動を盛り上げようと、2009年に条例化し「富士山を後世に引き継ぐことを期する日」とした。

昨年の区民大学終了後、始まった自主グループ「すいよう会」の今年初めての打合せでは、六郷用水路散策と決定した。富士山が大田区内のどこそこで見えるといった話から、区内で見えるダイアモンド富士に3年前から挑戦しているSさんの話など富士山の話題で盛り上がった。
次の集まりまでにと、ガス橋から、多摩川浅間神社や台公園から、環八の跨線橋から、池上本門寺から撮った富士山の画像をまとめた。

 富士山
  ガス橋から 浅間神社から・・・

  富士山
   環八跨線橋から(御嶽山)   
  
多摩川の川崎市側、とくに武蔵小杉附近に超高層ビルが林立し始めたのはいつからだろうか。
ときどき環八の新幹線と横須賀線が眼下を走り抜ける跨線橋からの富士を眺めることがある。以前はさほど高いビルは見えないが、今は富士山の脇に超高層ビルが立っている。

   2013.11
              2013.11    
   2018.10
               2018.10

多摩川緑地から見る武蔵小杉の街は超高層ビルばかり。2000年1月時点では高さ100mを超える超高層ビルは「武蔵小杉地区」には「武蔵小杉タワープレイス」しかなかった。 

以前から東急東横線とJR南武線が交差する鉄道交通の要衝だったが、東急目黒線の延伸、そしてJR横須賀線に新駅が開業する事が決まり、超高層タワーマンションの建設が怒涛の勢いで始まったのだという。駅周辺に広大な敷地の銀行のグラウンド跡地や工場跡地があったのも開発に非常に有利だったとか。
 
現在、武蔵小杉駅周辺には、合計11本ものタワーマンションが林立していることになる。さらに、東急スクエアの西隣りに新たなタワーマンションが建設中で、さらに5本の新設が決まっている。横須賀線の東側にそびえるオフィスビルと合わせて、首都圏屈指の超高層ビル群の成長はまだまだ続くと言われている。

大田区内の学校では、多摩川と富士山が登場する校歌が多いのではないだろうか。わが母校の屋上からもよく見えたように記憶している。
ずいぶん昔の話だが、高台にあるわが家からは道に出ると富士山が見えた。多摩川駅近くの富士見坂をのぞき大田区にある富士見坂と名のつく坂からもう富士山は見えない。
旅・散策・イベント

野良猫 地域猫

2019年02月22日
今日は「猫の日」。猫の鳴き声「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」の語呂合わせから、1987年、猫の日制定委員会が制定。
「猫の日」は世界各国で制定されており、ロシアは3月1日、アメリカ合衆国は10月29日。動物愛護団体・国際動物福祉基金が決めたInternational Cat Day (World Cat Day) は8月8日。ヨーロッパの多くの国がWorld Cat Dayとしてる日は、2月17日。

毎夕届く東京新聞のLINEで、野良猫や、飼い主が手放した犬猫を保護・譲渡する活動をしている神奈川県動物愛護協会が「LINEスタンプ」を発売したことを知った。協会の活動には毎年数百万円足りない状況が続いているため、従来行っているグッズ販売のほかに、開発費用がかからないスタンプの販売を思い付いたという。
スタンプは、2015年に保護した雄の猫「優(まさる)」(9歳)をモデルの「動愛スタンプ~まさるバージョン」。32種類あり、50コイン(¥120)で購入できる。保護した他の犬や猫をモデルにしたスタンプも作製中とか。
   スタンプ
LINEスタンプといえば、いつの間にか増えたため買うのをやめていた。とくに猫のスタンプは十分なのだが、なぜか憎めない「まさる」を久しぶりに買った。猫好きのI さんにこのスタンプを紹介したところ、早速、「まさる」スタンプで返ってきた。

最近感じるのは、野良猫はもちろん、地域猫と呼ばれる猫たちが減ってきたということ。大田区でも区内に生息する地域猫、つまり飼い主のいない猫で、区内在住・在勤者や区内で活動する住民組織、ボランティア団体などが保護管理する猫に対しても去勢・不妊手術にかかる費用を助成している。

わが庭で生まれた猫たちと母猫の手術をしたのは10年以上も前になる。オスが1匹、メスが4匹、前後して動物病院へ連れて行ったが、捕獲するときに左手を噛まれたこともあったりと、これがなかなか大仕事だった。子猫のうちに

当時、手術費用はいくらだったか覚えていないが、現在、大田区ではオスの去勢手術に\7,000(区助成金¥6,000、獣医師会負担金¥1,000)、メスの不妊手術に\14,000(区助成金\12,000、獣医師会負担金\2,000)の助成をしている。

この10年の間に母猫は姿を消し、動物病院へ運び込んだ1匹は治療の甲斐なく死亡した。オスのケシはたまに近くの空き地でたまにみかけ、アミはわが家から少し離れたNさんのお宅付近で見かける。どちらもこの2年近くわが庭に来たことはない。

   ケシ
   アミ

そんなこんなで庭にいるのはわが庭で生まれたククと近くの地域猫たちと折り合いが悪くなり、やってきたトモと名付けた猫だけになった。

   2匹

5ヶ月前脳がやられたトモは運動機能に障害があるものの、さほど支障なく穏やかな余生を送っている。多少の不自由はあるものの無理をせずそれなりに生きている猫たちが羨ましくもある。(地域猫とはいえ
動物など

カツラの街路樹

2019年02月21日
数年前の秋の桂花会の日、Sさんが拾ってきたという数枚のハート型の葉を見て、たまに通る環八の歩道にカツラが街路樹として植えられていることを知った。「カツラの葉は黄葉するといい香りがするのよ」というSさん、黄葉の時季、落葉のマットができた雨上がりがもっとも香るとか。(桂の葉
   
  カツラ
   2014.10  環八歩道  2014.12

それ以来、その樹のそばを通る度に必ずハート型の葉を探すようになった。緑の桂の葉はほとんど香りがないが、落ちた黄葉は甘い香りがするのだという。この芳香成分についてはキャラメルのような匂い、マントールによるものと言われる。

    カツラの葉
   
最近はめっきり通らなくなった銀座の中央通り。15年ぶりに行われた街路樹の植え替え作業が今年1月末で完了したという記事を読んだ。今回の植え替えでは、イチイからカツラへとバトンタッチ。現在、通り沿いにはまだ葉をつけていない136本のカツラの若木が並んでいるという。

美しい木陰をもたらすというカツラ。常緑針葉樹のイチイは円錐形に育ち、通りに木陰をつくらないが、カツラは落葉広葉樹、枝を広げ、ハート形の葉を茂らせる。25mほどまで成長するが、銀座通りでは剪定して8m程度に保つとか。         

1874(明治7)年、銀座通りの街路樹としてカエデ、サクラ、マツが植えられたが、埋め立て土壌のため根付かず、湿地に適したヤナギに植え替えられた。道路拡張などで一時、イチョウになった後に復活したヤナギも戦災で焼失。戦後、3度目の植え替えで低木のシャリンバイが植えられた。

   街路樹
          銀座通りの街路樹   (東京新聞)

2004年から暫定的にイチイを植樹。地元の銀座通り連合会と国道事務所が議論を重ね、イルミネーションの施しやすさや、最近の景観に合うかなどを考慮した結果、カツラに決定したという。

カツラは街路樹として植えられるほか、材は香りがよく耐久性があり、建築、家具、鉛筆などの材料に、また、碁盤、将棋盤にも使われるが、最近は貴重な木材となりつつあるという。

日本では「桂」の文字はカツラ科カツラ属のカツラを指すが、これは日本固有のもの。
どうやら中国では「桂」は「月の中にあるという高い理想」を表す木。ニッケイ属の肉桂、モクセイ属の桂花(白花の「銀桂」、黄の「金桂」、赤い「丹桂」)など、数種の香木の総称。木犀(モクセイ)をいうようだ。

中国でいう「桂」にはずいぶんお世話になっている。昨年10月から通院中の東洋医学科で処方される漢方薬の1つは「桂枝茯苓桂丸」。その組成は、桂皮、芍薬、茯苓(ブクリョウ)、桃仁(トウニン)、牡丹。

中国語学習会の同窓会の名は「桂花会」、「桂枝」や「桂皮」の漢方薬になる「桂」、そして大好きな日本のカツラの樹、日中どちらも身近な樹には違いない。
植物など

観光地の交番

2019年02月20日
交番の役割は、市街地の各所に警察官の詰め所を設けることで、周辺地域の治安の維持と住民の利便を図ろうというものである。交替で番をするところであるためこのように呼ばれる。
日本の治安が良好な要因のひとつは全国の交番にあるのではないかと、他の国からの注目は高い。
外国人観光客の多い場所では、外国語(主に英語)で意思疎通ができる警官を配置することが増えてきているという。

ジャカランダの花を熱海に見に行ったのは1度だけ。その後は大田区でも環八沿いで楽しんでいる。(環八沿いのジャカランダ)
会津若松、松島海岸はりんりんを連れて、東北の城を訪れたとき、名古屋もりんりんと。名古屋城より犬山城の方が印象に残っている。

    熱海中央
        熱海中央     2015.6

   会津若松
        会津若松駅前    2015.5  

    松島海岸
        松島海岸     2014.5
 
   名古屋駅
      名古屋駅    2014.7

     吉祥寺駅
     吉祥寺駅東口  2015.11

     横浜駅前
     横浜駅前   2015.10 

   横浜元町
     横浜元町     2014.6
旅・散策・イベント

ひと足早く「雛まつり」

2019年02月19日
今日は24節気の1つ「雨水」。空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になるという意味。草木が芽生える頃で、昔から農耕の準備を始める目安とされてきた。春一番が吹くのもこの頃。

母と同い年の雛人形は94歳となり、母より長生きをしている。旧宅時代は座敷の床の間に飾ったが、現在の家では飾る場所の確保も大変で、床の間が狭いために臨時の棚をつくって窮屈な4段飾りになった時期もあった。
年毎に段は減り、茶室に内裏雛と三人官女だけを飾った年がつづいたが、母が茶道の稽古をやめて以来、飾らない年が長い間続いた。場所の確保はともかく、押入の奥にしまった雛人形関連の箱を出すのも大変だが、何より片付けるが面倒になってきたこともある。(雛人形我が家の雛人形桃の節句

   2014
              2014年   
   2015
              2015年

2014年、5年ぶりに雛人形を飾った。以来、2016年をのぞき毎年飾っている。そして3年前から母の茶室に和家具を使って段をつくり、すべての人形、道具を飾るようにした。(母の雛人形内裏雛2年ぶりのお雛様

     2017
                2017年

今年は2月半ば、桂花会の前々日、じゅんじゅんと飾った。といっても彼は同じ部屋で木箱や鉛筆などを使ってピタゴラスイッチもどき遊びをしていたのだが。
それまでの毛氈代わりの赤い布では足りないので、ユザワヤでワゴン内の、おそらくサンタクロースの衣装用かと思われるフリース真赤なフリース布(¥300×2)を買った。

    2019

昨年は、母が20年以上茶室として使っていた部屋に置いてある和ダンスを前後に並べ、上に木箱を置いたり、抽斗を開けて段をつくったが、さらに今年は隣に置いた抽斗でも段をつくった。段ができるまで約2時間。それからはさほど苦労することなく飾ることができた。
最後は花、わが家には桃の花より庭の紅梅の方が相応しいような気がした。母も喜んでくれるだろう。
    
    2019
             2019

2月半ば、桂花会当日、女性はもちろん男性も、雛段の前はしばし賑やかな空間となった。中国茶では、お菓子は急遽、雛段から下した重箱の雛あられ。     
     
明日は区民大学で一緒だった3人が見える。食事後は皆ですいよう会(自主グループ)の集まりへ。東急線多摩川駅で集合、10人で「六郷用水散策路」の女掘(おなぼり)を「南北引分」まで歩くことになっている。その後、コメダ珈琲店でおしゃべりの予定。

わが家は京都風の飾り方だとLINEで前宣伝をした。Oさんに京都風とはどんな飾り方とはどのようなもの?ときかれた。「男雛が左」の飾り方は祖母、母と拘った点だ。Sさんに珍しいといわれた庭を掃く「翁と媼」は箒を紛失している。五人囃子の太鼓のバチもなく、大臣たちの矢羽が取れたままだが、それでも人形、道具すべて飾ってよかったと思った。

そして来週、昨年交流が始まったSさんたちが見える。母の茶道の道具はほとんど多くの人たちに引き受けていだたいたが、書籍の方はそのままになっていた。茶道を習っているSさん、役に立つものがあればいいのだが。

あと何回この雛人形たちに逢えるのだろうか、飾る度、片付ける度に思う。桃の節句には紅梅は満開になっていることだろう。
身近な人びと

庭の紅梅

2019年02月18日
庭に1本の紅梅の老木がある。30余年前の建替えに伴って多くの樹や石燈籠などは移ったが、この紅梅だけは同じ場所で毎年花が咲き実をつける。

梅の開花時期は1月半ば頃から4月初め頃までと長い。また。桜と違って、咲き方も散り方もゆっくり。
父が亡くなった年のように元旦に咲き始めた年もあれば、2月なってやっと咲き始めるといった年もある。
2017年は1月から咲き始め、立春に紅梅はすでに満開となったが、今年は遅いように思う。

   2.7
         2.7
                2.7

2月9日、朝から降り始めた雪も間もなく止み、樹々に積もることもなかった。

     2.9
          雪の朝   2.9

     2.14
                 2.14
植物など

梅園の春

2019年02月17日
1月末、池上梅園に立ち寄った。この梅園は戦前まで日本画家伊東深水の自宅兼アトリエだったが、戦災で焼失。
後の所有者の遺族から寄贈され、大田区の公園として整備された。園内には区の花である梅の花、白梅150本、紅梅220本の梅の木のほか、50本のボタンや800株のツツジなど50種500本の樹木が植えられている。

この梅園で想い出すのは、10数年前に母と訪れたときのこと。ちょうど見頃の時季で人も多かった。「思いのまま」という梅をしばし眺めていた母の姿と、見晴台の下で待っていたごんさんと当時2歳のりんりんの姿が印象に残っている。上から撮った写真も残っていた。

   2006
              2006.2.25
   2006

「思いのまま」という梅は同じ樹に淡紅色、紅色、絞り、白色の花を咲き分ける花梅。毎年咲き分けの比率、場所が異なることからこの名がついたという。母はこの名前に魅かれていたように思う。

    咲き分けて思ひのままといふ名の梅 
     
母とともに「思いのまま」を見た1週間後、緊急入院した父は、翌年1月、庭の紅梅を見ることなく逝ってしまった。
そして一昨年夏、母も逝った。もう一度いっしょに「思いのまま」をみたかった。後悔しきり。
      
今年1月末に訪れたときは咲いていた梅はまだ数本。「思いのまま」は2月初めにも蕾はかたく、名札が下がってなかったら、どの樹が「思いのまま」とはわからなかった。

   おもいのまま
  「思いのまま」  「白加賀」  1.27

  おもいのまま
  「思いのまま」  「白加賀」   2.7

そして3度目は1週間後、病院が早く終わった日。「思いのまま」が気になって、1時間に1本程度の西馬込経由大森行バスに蒲田駅で待たずに乗ることができた。
本門寺裏で降りると、とにかく人が多い。見晴台へ向かう人たち、門の前で集合するグループもシニアがほとんど。
入口近くの梅の下には福寿草、蕗などが春を告げていた。

   フクジュソウ

1週間のうちに梅の花も「4分咲き」となっていた。とはいえ、園内には30種類あるという梅、中にはまったく咲いていない樹もあった。
何より嬉しかったのは1週間前にはまったく咲いていなかった「思いのまま」に白、紅、薄紅の花を見つけたこと。

   思いのまま
       「思いのまま」   2.14

カメラを下げた人たちがぞろぞろと奥へ入って行く。後を追っていくと、「座論」という紅梅が咲いていた。何度も訪れた梅園だが、この梅の樹の存在をなぜか知らなかった。
「座論(ざろん)」は、一般に「座論梅」、また「八つ房」ともいい、蕊が複数あるため実が多くなるものをいうらしいが、この梅園の「座論梅」は1つの枝に対になって花が咲き、その姿が中国の賢人が座論を交わしている姿に似ていることから命名されたという。

   座論梅
         座論梅     

冬の梅園で好きな場所は池。かつての庭にあった池の風景が蘇る。
雪つりの松もいいが、樹の影が水に映るさまを眺めるていると、母の師事した中村草田男の句を想い出す。
      
  池
      冬の水一枝の影も欺かず     草田男

今年の見頃は2月26日ごろとか。24日から3月1日にはライトアップされる。
旅・散策・イベント

至るところに自販機

2019年02月16日
街の至るところで見かける自動販売機。飲料だけでなく、お菓子、果物、生花、新聞などさまざまな自販機があるが、最近知ったのは昨年秋から病院などに設置された「とろみボタン付き自販機」。病院への導入を皮切りに、2021年には2万台の設置を目指し、さらにサービス付き高齢者住宅や有料老人ホーム等、高齢者施設へも導入されるという。

これは高齢者をはじめとする嚥下機能が低下した人の嚥下補助を目的に開発された自販機で、医療機関で使われている専用のとろみ材を使用し、とろみをつけるための撹拌作業(とろみ調整)を自動化することで飲料を提供するというもの。
とろみは、嚥下機能に応じて、薄い、中間、濃いとろみの3段階から選べるという。

 目黒
        目黒

   大森
    東京タワー付近   東邦医大前バス停

  赤坂
      赤坂       馬込 
  
日本に自販機が多いのは、治安の良さが1番の理由に挙げられるという。世界の自動販売機数を見てみると、絶対数ではアメリカ合衆国が一番多いが、人口や国土面積を勘案した普及率では、日本が世界一とか。(自販機だらけの街進化する?自販機自販機いろいろ自販機大活躍街を歩けば自販機

   御徒町駅
     ミルクスタンド JR御徒町駅

  両国駅前
    大江戸線 両国駅   JR恵比寿駅

  渋谷駅
       JR渋谷駅   
 
  都立大学駅
     東横線 都立大学駅

    田園調布駅
     東横線 目黒線 田園調布駅

    菊名駅
     東横線 菊名駅

   戸越銀座駅
   池上線 戸越銀座駅  木目調
旅・散策・イベント

アプリ連携ノート

2019年02月15日
数年前から気になっていた「ショットノート」。このノートに書いたメモを専用のアプリで撮影すると、ノート四隅のマーカーを認識して自動で台形補正や色補正、サイズ補正され、ノートの画面ぴったりにメモが取り込めるという。取り込んだメモは、メール添付したり、クラウド上に記録したりできるというアプリ連携ノート。

文具大好きだが、学生ならいざ知らず、たまの講演会やちょっとした集まりでメモすることはあっても、それをデジタル化してまで読み返すこともない生活。このノートのことをすっかり忘れていた。
先日、「福袋に入っていたけど使う?」と息子が持ってきたB5ショットノート入りのバインダ―を使うことにした。取り外しのできるペンケースもついている。

試しにアプリを入れてみるとなかなか便利。手書きしなくとも、ノートを広げてカードでも写真でも置いて写真をとればOK。
片手で持てる聖書版くらいのショットノートが欲しくなり、駅ビル内の文具売り場に立ち寄った。
1軒目、以前置いてあったが今はないとのこと、2軒目、やはりないが、こういうのならと教えてくれたのは「手ぶらで暗記 スマ単」という単語帳仕様のノート。

  ショットノート
   B5「ショットノート」と「手ぶらで暗記」

説明によると、スマホで撮影する時、ノートの四隅にある「T」マークを入れる。撮影は1回でもスマホ側には1枚1枚のカードが分割されて読み込まれる。それを「英語」「歴史」といった自分で決めたカテゴリーに分けていけば、アプリ内で教科ごとの単語帳が出来上がるというもの。

はじめに手書きすることで記憶に残りやすく、スマホアプリで反復学習が可能。暗記する時は、スマホに単語カードを表示させて自分で答えてタッチしてカードを裏返す。本当の紙のようにクルリと回転するので、見ていて楽しい。正解していれば、カードを上の「レ」に、間違ってしまった時は下の「×」にドラッグしていく。
   
   スマ単
   ぺんてる「手ぶらで暗記」紹介のサイトより

りんりんも高校生になり、スマホを持って登校するようになれば、こういう暗記方法もいいかもしれない。まずは自分用に12行用を購入してみた。ほかに少し長い文章にも対応できる6行用もある。
アプリを入れて、とりあえず左頁には「縄文時代」「弥生時代」・・・右頁には「約1万6千年前~」とか「約2500年前~」といった具合に書き込んだ。撮ってみると、すぐに読み込まれて12枚のカードになった。実に見事だ。これで文字が上手なら申し分ないのだが。

枠内に手書きするなら問題はないが、ショットノートのように印刷物などでつくろうとすると、6行あるいは12行に切り離されてカードとなってしまうので難しい。やはり、暗記用のノートだ。中国語の単語帳をつくってみようかと思ったが、テストがあるわけでなし、おそらくひと月、いや、1週間くらい続けばいいかもしれない。

そういえば、紙の辞書を持ち歩く人はいるのだろうか。電子辞書やスマホで事足りるとは思わないが、語学学習のスタイルも様変わりした。近いうちにマーカーや付箋紙で埋め尽くされた本や単語帳で勉強する姿も見られなくなるのかもしれない。
つれづれ

古墳に使われた石

2019年02月14日
大田区立郷土博物館のミニ展示企画「石を組む・石を積む -古墳をつくる技術-」(~3/22)では、区内の主な横穴式石室6例が模型(1/20)で再現されている。(大田区の古墳時代
        
6世紀代(約1400~1500年前)、関東地方の古墳に本格的に導入された横穴式石室、大田区内でも横穴式石室を伴う古墳が複数造られた。古墳の側面に入口を設けた横穴式石室には何体もの遺体を継続して葬ることができる。
切石をつくり、隙間なく精密に組みながら積む技術、石室の重量を支えるために地盤や墳丘を造成する技術などが、発掘調査によって明らかになっている。

観音塚古墳   前方後円墳 6世紀後半  田園調布4-9
発掘調査された中では、荏原台古墳群最古の横穴式石室。石材は凝灰岩の切石で直方体が基本。
馬具、太刀、刀子、鉄環、玉類のほか人形埴輪、円筒形埴輪など多くの埴輪も出土している。

   観音塚古墳  
   石室全長 4.90m 玄室長 3.50m 玄室幅 1.80m
 
多摩川台5号墳  円墳  6世紀末葉~7世紀初頭  田園調布1-63
石室の平面形は無袖形に近い両袖形で、、若干羽子板形をしている。石材は軟らかい凝灰質砂岩の切石。
  
  5号墳
  石室全長 4.26m 玄室長 2.78m  玄室幅1.16m

多摩川台4号墳   円墳  7世紀前葉  田園調布1-63
石室の平面形は左片袖形で、若干羽子板形をしている。石材は砂岩の切石で、軟らかい。サイズは発掘された多摩川台古墳群の中では最も大きく、厚さがほぼ同じようになるよう整えられている。床面には礫が敷かれているが、玄門入口部分のみ礫敷きがない。

  4号墳
  石室全長 4.35m  玄室長 2.90m  玄室幅 1.45m 

多摩川8号墳   円墳  7世紀前葉  田園調布4-3
石室の形状は両袖形で、玄室はほぼ長方形、羨道は奥に行くにつれ若干広くなる。
石材は非常に軟らかい泥岩の切石。基礎は、地表をローム層まで掘削する掘り方を伴う。

   8号墳
   石室全長 4.18m  玄室長 23.0m 玄室幅1.30m  

下沼部古墳  円墳? 7世紀前葉  田園調布本町35~42 
石室の平面形は両袖形で、玄室は長方形。石材は、軟らかい砂岩ないし凝灰岩とみられる切石。
天井石はかまぼこ形をしていたと想定される。発見当時、古墳の墳丘は耕作のため削られ、畑の土の下から天井石が現れた。石室全体が地表面下に納まるほどの「地下式」の石室。
 
  下沼部古墳
  石室全長 5.54m 玄室長 2.63m 玄室幅 1.54m 

浅間様古墳  円墳  7世紀中葉  田園調布4-33
石室平面形は両袖形、玄室は奥に行くほど広がっている。
石材は堅くしまった凝灰質砂質泥岩で、白い軽石や青灰色のスコリア(軽石に似た火山噴出物)を含む。
       
   浅間様
          左側面        右側面 
  石室全長 約4m  玄室長 2.10m  玄室幅  1.45m
旅・散策・イベント

大田区の古墳時代

2019年02月13日
大田区立郷土博物館の玄関ロビーで開かれた「石を組む・石を積む -古墳をつくる技術-」(~3/22)では区内の主な横穴式石室6例が模型(1/20)が再現されている。これら多くの古墳をつくるために意外に近くの多摩川周辺から石を調達してきたそうだ。

   展示
      郷土博物館 ミニ企画

大田区に存在する約180ヶ所以上の遺跡の9割は台地上から発見されている。なぜなら、縄文海進や多摩川、呑川など河川の氾濫で低地での生活を営むことができなかったこと、河川の土砂が厚く堆積し、発見が難しいことなどがある。
まだまだ発見されていない遺跡が、毎日生活する地面の下に眠っているという。

大田区には多くの古墳が分布していた.。そのいくつかは宅地化などのため破壊されたが、多摩川台公園を中心に、現在でも見学できる古墳が残っている。多摩川台公園内の古墳展示室には何度か訪れているが、あらためて大田区に古墳時代の遺跡が多いことに驚いた。

   多摩川台
    多摩川台古墳群  古墳展示室

帰宅後、頭の中を整理しようと『大昔の大田区』『大田区 古墳ガイドブック』(編集・発行大田区立郷土博物館)を開いた。
大田区は、武蔵野台地の縁辺にあたることもあり、その斜面を利用して造られた横穴墓が、古墳時代終末期より奈良時代にかけて数多くつくられた。
大田区田園調布、世田谷区尾山台、等々力、野毛といった、かつて武蔵国と呼ばれた地域には古墳が数多く分布する。

「荏原台古墳群」(田園調布古墳群、野毛古墳群)は、多摩川という水資源と広い平地を利用した、弥生時代以来の生産性の高い農耕社会を背景とする、強力な首長一族の墓地と考えられている。
荏原台古墳群の特徴は、4世紀前半頃から7世紀前半頃にかけて古墳が造り続けられ、各段階において分布に偏りが見られる。
4世紀前半~5世紀初頭  古墳発生期  田園調布古墳群で大形前方後円墳が築造される
5世紀前半~後半 野毛古墳群で大形円墳が順次築造される
5世紀末~7世紀  田園調布古墳群で小形前方後円墳を中心に多くの円墳が築造される

長年大田区に住みながら、池上永寿院の遺跡、ここにも古墳が築かれていたということを知ったのは昨年の夏。(池上の山でタイムトラベル Ⅰ  

   弥生時代集落跡
       弥生時代集落の跡

手元にある大田区の古墳ガイドなどに載っていないが、武蔵野の台地の南端にあたる池上の山にも、久が原と並んで弥生時代の集落が存在していたことが分かっている。
永寿院にある「万両塚」改修の過程で墓域周辺の調査(2003)をしていたところ、土器・埴輪・須恵器など古代の遺物が多数発見された。本格的な発掘調査に踏み切り、竪穴住居跡の調査・保存、遺物の復元などが行われた。

万両塚の墓域内だけでも約20棟の住居跡が確認され、池上の台地の上には、弥生時代の一大集落が形成されていたことがわかる。
ちなみに、万両塚に埋葬されている芳心院は、徳川家康と側室お万の方の孫にあたり、紀州徳川家初代藩主頼宣の娘、鳥取池田家初代藩主池田光仲の正室。
   
   堤方権現台古墳
        堤方権現台古墳

万両塚の南隣は、堤方権現台古墳─大田区遺跡」として、埋蔵文化財の包蔵地に登録されていた。古墳の周濠から多くの遺物が出土し、その多くは、墳丘を巡り古墳を聖域として区画するために配置された円筒埴輪で、古墳時代後期6世紀頃のものだと考えられている。もとは直径40mほどの円形の形状であったようだが、現在は周囲に住宅が建っているため復元墳丘は10m程。

久ヶ原遺跡にあたる公園で拾ったいくつか土器片を博物館友の会メンバーのNさんに見せてもらったことがある。どうやら弥生時代後期前半、久ヶ原土器の欠片らしい。こういった欠片は雨の後、土が軟らかくなっているときが発見のチャンスだとか。
久が原台地の南西、千鳥窪貝塚付近でも縄文時代と思われる貝をいくつか見つけたメンバーもいる。
池上に久が原に、身近に長い歴史の重みを感じながら暮らしている。そして、時折、古代にタイムスリップ。
旅・散策・イベント

大田区の旧石器時代

2019年02月12日
今年最初の大田区郷土博物館講座は、東京大学総合研究博物館の野口淳氏による『大田区に暮らした氷河時代の狩人』。
事前申し込みもなく、定員100名の講座。少し遅刻したので空席はわずかだった。

   旧石器時代

大田区にも「旧石器時代」に暮らした人々の痕跡が残されているという。
1.わたしたちの祖先はどこから来たのか? 2.氷河時代とはどのような時代なのか? 3.世界の旧石器時代と日本列島 4.日本列島の後期旧石器時代と大田区 5.氷河時代の終わりと新たな時代の幕開け 

旧石器時代は、今よりはるかに寒く、自然環境も大きく異なっていた時代。人々は周辺の山野から狩猟で食糧を得る狩猟・採集民だったと考えられるという。
火山列島日本、関東平野に降った多くの火山灰はローム(赤土)となった。ローム層中では、ほとんどの遺物は腐るため石器のような道具しか残らない。だが、土中の花粉を分析したり、獲物の解体場だろうと考えられる遺跡の調査などにより、旧石器時代の人々の生活が明らかにされつつある。

    展示
       区内最古の人たち

講座の後は何組かに分かれて、「区内最古の人たち」「旧石器時代の環境」「石器の移り変わり」など、旧石器時代の様子がわかる展示を観て再び会議室へ。ここで並べられた石器類を囲んで実際に触れる体験をした。

   石を触る
   石をさわる

大田区にもおよそ35,000~15,000年前という気が遠くなるほど昔から暮らしていた人々がいたとは!
大田区の旧石器時代の遺跡は、久が原遺跡、久が原小学校内遺跡、光明寺遺跡、大谷・下谷遺跡、雪谷貝塚、熊野神社遺跡、田園調布一丁目30番横穴墓。

  大田区 *Click!
     「大田区の旧石器時代の遺跡」 *Click!

遠くから運ばれてきたのだろう、久が原小学校遺跡や光明寺遺跡、熊野神社や横穴墓からも黒曜石の石器も見つかっている。野口氏の話では、旧石器時代の石器は割った形をそのまま利用するが、縄文時代になると、石全体に細工がされるようになるという。
大田区に遺跡が多いことは知っていたが、旧石器時代(先土器時代)から人々が暮らしてきたということは、大田区の台地は今も昔も暮らしやすい地であることがあらためてわかった。だが、タイムスリップできるなら迷わず縄文時代を選びたい。
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「河北新報」から

2019年02月11日
東日本大震災から7年11ヶ月。甚大な被害を受けた東北地方の太平洋沿岸部、徐々に復興も進んできているようだ。
毎夕LINEで届けられる「河北新報」のとくに大震災関連のニュースのおかげで、東北地方が身近に感じられる。

東日本大震災からの復興の象徴とされる気仙沼市の大島と本土を結ぶ気仙沼大島大橋(356m)が4月7日に開通するという。2014年11月に着工し、18年11月に工事が完了した。
アーチ橋として東日本最長となるこの橋の開通は地元の半世紀にわたる悲願、島の生活は大きく改善することになる。

    橋
           気仙沼大橋   

津波は東北最大の有人島に大きな被害をもたらした。本土と島を結ぶフェリーなど7隻が使用不可能となり、船着き場は瓦礫で埋まった。島は孤立し、電気や水も断絶。島民は一時、プールや沢の水を浄化してしのいだという。
市の調べでは犠牲者は33人、被災家屋は全壊776棟を含む1404棟で島全体の約4割に上ったとか。震災は島に多くの犠牲を出すと同時に、本土と島を結ぶ橋の必要性を痛感させる出来事となった。

  2011.4.5
  2011.4.5 の大島 (「河北新報」より) 

3月23日、宮古-釜石間は三陸鉄道に移管されて現行の南、北リアス線と合わせて「リアス線」となる。
13駅のうち7駅が被災、不通となり復旧工事を進めていた山田線宮古-釜石間で試運転が始まった。1月末、三陸鉄道の車両による時速25km以下で走行し宮古-釜石間を55.4kmを1往復したという。

  三陸鉄道
     陸中山田駅附近 (「河北新報」より)

三陸鉄道は、岩手県の三陸海岸を縦貫する路線(北リアス線と南リアス線)を持つ、第三セクター方式の小さな鉄道会社。線路や駅舎が流失する甚大な被害を受けたが、いち早く全線復旧をめざすことを表明した。(東日本大震災から16ヶ月
ちなみに宮古を襲った高さ39.7mの津波は国内の最高の高さとなったそうだ。

30年近く前になるが、娘と3月の岩手を訪れたことがあった。まだ雪深い田沢湖や浄土ヶ浜は今も鮮明に記憶に残っている。
浄土ヶ浜は3月ということもあったが、シーンと静まりかえっていて、まさに浄土のようだった。夏は海水浴場で賑わうということは想像できなかった。(浄土ヶ浜

   1991.3
        浄土ヶ浜 

三陸復興国立公園・三陸ジオパークの中心に位置する浄土ヶ浜は、宮古の代表的な景勝地。天和年間に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと言われている。
旅・散策・イベント

森の防潮堤

2019年02月10日
抽斗の中にとりあえず入れておいた鎮守の森のプロジェクトの冊子(2018年次報告書)を開いてみた。「本多静六」という文字が目に飛び込んできた。本多静六といえば、あの日比谷公園の「首かけ銀杏」を守った人、明治神宮の森づくりに携わった人だったか・・・。(首かけ銀杏の前で

明治神宮の森はおよそ100年前、世紀を超えたその先の森の姿を想定して本多静六が中心となって人工的につくられた鎮守の森の代表格。多様性、多層性(高さの違い)に重きを置き、人の手をほとんどかけず、自然の力によって世代交代を繰り返し、永続する自然の森を目指した。(永遠の森計画

   明治神宮

全国から寄進された10万本にも及ぶ木の中には意図していた森林計画に合わないクロマツ、ヒノキ、アカマツ、スギといった針葉樹も多く含まれていたが、すべての献木を受け入れて植栽方法で対処したそうだ。

100年以上経った今、マツ、ヒノキ、スギは一部を除いて見られず、スダジイ、カシ類も次第に姿を消したという。
調査を行った植物生態学者の宮脇昭氏によれば明治神宮はの林は「大都市の中に人工的に形成された神域林、郷土林として最もバランスのとれた、安定した常緑広葉樹林に発達することが期待される」という。
ちなみに宮脇昭氏は「鎮守の森のプロジェクト」の副理事長。理事長は細川護熙氏。

宮脇氏を知ったのは、東日本大震災直後の被災地で行われた宮脇方式の植生調査についてきいたころだったと思う。
大津波で太平洋沿岸の堤防は至るところで決壊し、松林は根こそぎ流され、集落は全滅という、壊滅的な被害を蒙った。
だが、釜石ではシラカシが、南三陸町ではタブノキが、こうした深く根を張るカシ類やケヤキなどが各地で生き残っていたそうだ。(照葉樹の森

「潜在自然植生」つまり、人の手が加わらなければ繁茂する樹、その土地土地に適した樹木があるはずで、それはわずかに残る屋敷林やシイ、タブノキ、カシ類の照葉樹が茂っている「鎮守の森」をみればわかるそうだ。
海岸には潮風にも強いクロマツが植えられてきたが、人間が手を入れなかった海岸崖地などにはカシ類が自生している。
これからの堤防を考えるとき、マツ類だけでなく照葉樹も加え、丈夫さと景観を兼ね備えた緑化を検討してほしい、マツと常緑広葉樹とで造る「森の防潮堤」を提唱している。
海岸にコンクリートの防波堤、防風、防砂のための松林、陸側に広葉樹の森をつくることで二重三重に防潮機能を強化できるという。

   防潮堤
    森の防潮堤 (「鎮守の森プロジェクト」) 

「鎮守の森プロジェクト」で行っている植樹は、宮脇氏が長年の植生調査によって確立した、その土地に適した十数種類の木を密植、混植し、苗木をお互いに競争させながら森をつくっていくというもの。
この方式により、在来の多様な樹種によって構成される豊かな森を、自然に任せるよりも短い期間でつくることができるという。(鎮守の森のプロジェクト

東日本大震災発生からまもなく8年、その記憶も少しずつ薄れつつある中、被災地の復興、「森の防潮堤」防災の森づくりは今も続けられている。近くの神社の前を通る度に鎮守の森の有難さを感じている。
植物など

一石二鳥?

2019年02月09日
最近よく耳にする「ASMR」Autonomous Sensory Meridian Responseを。直訳すると「自律感覚絶頂反応」。つまり人が聴覚や視覚への刺激によって感じる、心地良い感覚、ゾクゾク反応のこと。こうした「脳がとろけるような音」は、女子高生向けの2018年度のトレンドワードにも取り上げられ、こうした感覚を味わえる一連の「ASMR動画」はアメリカで流行したことをきっかけに、世界中で大きなブームとなっているらしい。

その中でも大人気なのが「耳かき動画」。これを10分も聞いているとリラックスして徐々に眠気が襲ってくるそうだ。
たまたまラジオでこういった音を流していたが、「炭酸飲料をグラスに注ぐ音、氷をかき混ぜる音」「パソコンのタイピング音」「鰹節を削る音」などはわからなくもないが、「粘着テープをはがすときの音」やシャカシャカという「シャンプーで髪を洗う音」など、癒され、集中力アップするという。キュウリをかじるシャキシャキ音、りんごや煎餅の咀嚼音など、好き嫌い、快不快の分かれるところだろうが、どうなのだろう。とにかくこうした動画は若者たちに人気があるのだという。

癒しというほどではないが、最近、新たに気分転換に最適なことを見つけた。そのキッカケは、郷土博物館の友の会で土器片などを整理する際に使う紙製の箱を手が空いたときにつくったこと。この紙の箱はいくらでも需要はあるときいて、自宅でもつくって持って行こうと折り始めたら実に楽しい。キチンと折れずとも構わないのは不器用人間に向いている。

    箱

不要になったポスターやA4のチラシなど、メモとしては使いにくいツルツルの広告チラシは最適。リユースにもなって一石二鳥。折り紙でつくる「三宝」などは正方形、重いものには不向き。この箱は長方形でつくれて、しかも簡単。大きいものでも3分くらいでできるのがいい。新聞紙などでつくって台所の生ごみを入れるのもいいようだ。

    三宝
   
『脳活性折り紙』といった本まで出版されているところをみると、折り紙は脳の活性化にもつながるようだ。しっかりした包装紙で久しぶりに少し大きめの三宝をつくってみた。ひな人形を飾ったら、この三宝に雛あられを入れてみることにした。
つれづれ

池上本門寺の境内

2019年02月08日
池上本門寺は、日蓮入滅後、日蓮に帰依していた池上宗仲が、屋敷の一部を寄進したことに始まる。
日本プロレス界の創始者である、故力道山が眠る寺としても有名で、2月の節分には、毎年多くの格闘家などスポーツ界、芸能界の人たちが福男・福女とともに法要、豆撒きに参列する。

今年も成人式の「奉納はしご乗り」を見ての帰りは石段下りずに池上会館のエレベーターで。総門まで池上小学校の塀に架けられている画を見ながら歩くのは楽しい。
本門寺の総門の脇にある池上小学校、高学年だろう、本門寺境内で写生した画が60数点あった。

  小学校

総門、仁王門、本堂、鐘楼、手水舎などの画が並んでいる。境内では思い思いの場所で写生したのだろう。
どれものびのびと、そして丁寧に描かれている。何点か見ていくと、人物が描かれていないことに気づいた。気になって人物を探してみたが、見つからなかった。写生しているときにたまたま人がいなかったのかもしれないが、それにしても少し寂しい。

此経難持(しきょうなんじ)坂(石段)を上ると、右手に日蓮上人説法像が立つ。
桜の樹の下には通称「箒小僧」像が。仏の教えを覚えられない珍念さんに和尚さんが「ほうき=お掃除」と覚えなさいと課題を出した。珍念さんは毎日毎日、ほうきを持ったら「お掃除、お掃除」と唱えていたが、口で覚えるよりも本当にお掃除をしたほうが良いからと、お庭を掃き始めたとか。
  
   箒小僧
     「裏を見せ 表を見せて散る紅葉」
 
  長栄堂 
        長栄堂

    仁王門
  仁王門
     仁王門 (「500個の風鈴の音を聴く」)

1945年4月の空襲で灰燼に帰した「三門」は1977年に再建、仁王尊はその2年後に新造された。
三門は山門とも称されるが、正式には「三解脱門」の略。中心伽藍へ入る重要な門であり、三種の解脱(さとり)を求める者だけが通れる。現在の三門は、鉄筋コンクリ―ト製。例年、盛大に厳修されるお会式の「万灯行列」が支障なく潜れるように通常より下層の桁と梁の高さを上げてある。

  鐘楼
            鐘楼
加藤清正公の娘で御三家紀州藩祖徳川頼宣公の正室となった瑤林院が、正保4年(1647)に寄進した。
昭和20年4月15日の空襲で火をかぶり、一部に亀裂と歪みが生じたため、現在は傍らに仮安置されている。
   
    手水舎
  手水舎
         手水舎
   
    大堂
       大堂(祖師堂)
旅・散策・イベント

子どもたちの像

2019年02月07日
街でみかけるオブジェにはいろいろあるが、子どもたちで賑わう公園などには子ども像が立っていることが多い。
板橋区の溝下公園には空を見上げる子、釣り竿を持つ子などいろいろな子どもたちのオブジェがあった。 

     溝下公園
  溝下公園
       溝下公園  
   成増駅
       成増駅

目黒は、かつて筍の特産地として知られ、見事な竹林が至るところに見られた。今からおよそ200年前、江戸時代に始まったという筍栽培は、大正中頃に最盛期となり、「太く、柔らかく、おいしい」と三拍子そろった「目黒の筍」を産したという。
すずめのお宿緑地公園には竹林には、子どもと掌上の雀の像。(目黒のタケノコ

     すずめのお宿
        すずめのお宿緑地公園

杉並区には西荻窪六童子が公園や駅前などにみられる。作者は金工作家の薮内佐斗司氏。
杉並区役所前にある若い男女の像は「お誕生日おめでとう」(津田裕子作)。男の子は左手にリンゴを持っている。

   童子
     「西荻窪六童子」から

      区役所
       「お誕生日おめでとう」

葛飾区四ツ木には、「キャプテン翼」の作者の高橋陽一の出身であることから8体のキャプテン翼の像がある。

   キャプテンつばさ
旅・散策・イベント

水口いろいろ

2019年02月06日
多くの神社やお寺には、参道または社殿の脇に、参拝者が身を浄めるために手水を使う、「手水舎(てみずや・ちょうずや)」と呼ばれる小さな建物がある。「手水舎」は「水盤舎」とも呼ばれ、置いてある水盤は通常、石造りのものが多いが、鉄や木などで作られたものもあるようだ。(寺社にある手水舎手水舎いろいろ 手水舎には) 

「手水」の起源は神道に由来し、かつては周辺に流れる河川の水や湧水で身を清めていたことに始まる。後世になると、河川の水質が汚染され、清流や湧水の確保が困難になり、境内に御手洗場が併設されるようになったという。

「水口」(吐水口)で最もシンプルなものは水道の蛇口だが、さまざまな趣向が凝らされているものが多い。ポピュラーなのは雲や雨を司る水を司る水神「龍」、ほかにも「狛犬」「蛙」亀」「兎」なども。(手水舎の龍たちⅠ

  亀戸天神
     亀戸天神  江東区   亀
 
  品川神社
    品川神社 水難除け「水かけ河童」  

  居木神社
    居木神社 品川区  狛犬

  荻窪八幡
    荻窪八幡 杉並区  狛犬

    雪谷八幡
      雪谷八幡 大田区 狛犬

   手水舎
        両大師  台東区
  狛犬
         支える狛犬たち
  狛犬
台東区にある両大師の手水舎は、青銅製の孔雀のデザイン。手水鉢を支えるのは狛犬たち。
八雲氷川神社では、天邪鬼たちが重い手水鉢を支えている。  

   手水舎
        八雲氷川神社 目黒区  
    天邪鬼
         支える天邪鬼たち
    天邪鬼    
     
天邪鬼(あまのじゃく、あまんじゃく)は、悪鬼神もしくは小鬼、また日本の妖怪の1種とされる。「河伯」、「海若」とも書く。
仏教では人間の煩悩を表す象徴として、四天王や執金剛神に踏みつけられている悪鬼、また毘沙門天像の鎧の腹部にある鬼面とも称されるが、これは鬼面の鬼が中国の河伯(かはく)という水鬼に由来するものであり、同じく中国の水鬼である海若(かいじゃく)が「あまのじゃく」と訓読され、日本古来の天邪鬼と習合され、足下の鬼類をも指して言うようになった。(Wikipedia)

「右手に柄杓を持ち左手を清める 左手に持ち替え右手を清める 再び右手で柄杓を持ち左手に水を受け口を清める 水を入れた柄杓を立て柄に水を流すように洗う」といった、お清めの方法が丁寧に書かれていることもある。
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鷽替え神事

2019年02月05日
「うそ」を「誠」に替え、今年の幸福を祈る「鷽(うそ)替え神事」。江戸時代の頃には人々が「替えましょう、替えましょう」の掛け声と共に互いの鷽を交換する習わしがあったが、現在では前年の鷽を神社に納め、新しい鷽と取り替えるようになり、早朝から参拝客が長蛇の列を作る。遠方から新幹線や深夜バスで駆けつける参拝客もいるとか。

亀戸天神では、毎年1月24、25日に行われる。鳥の「鷽」と「嘘」の読み方が同じであることから、昨年の悪いことを「うそ」にして吉事に「トリ」替えると伝えられる。また、「鷽」の字と「學」の字が似ていることから、菅原道真公を祀っている天神様のご利益を授かろうと願う受験生にも人気があるという。

   亀戸天神
   亀戸天神 2019.1.24

「木鷽」は、道真がハチの大群に襲われそうになった時にウソが窮地を救ったという逸話にちなむ。鳥のウソを模しており、頭を黒く、顔が赤く塗られているものが多い。

ウソはスズメ目アトリ科の鳥。笛のような声で鳴きかわす、頬が紅色の小鳥。ユーラシア大陸の亜寒帯で広く繁殖、日本でも本州中部以北の亜高山帯で普通に繁殖し、冬期は低い山地や丘陵地に移動することが多い。

     ウソ
   ウソ 「日本の野鳥」(山渓カラー図鑑)

亀戸天神に24日朝出かけた。1時間くらいは覚悟していたが、2時間も並ぶとは思ってみなかった。わが忍耐力、もっと他のことにも活かせるだろうと思いながら。(災いをうそにして・・・

   亀戸天神
 ウソ
 
亀戸天神の木鷽はヒノキ材、サイズは10種類のほか、懐中用の小さいものもある。1年かけて神職らが手づくりした約3万体が用意されたとか。

  木鷽
  大詰めを迎えた木鷽制作(1.19 東京新聞

湯島天満宮の「鷽替え神事」は25日に行われたという。大小2種類。高さ10cmほどのほっそりしたサイズと、その半分の高さのずんぐりした小サイズで、胴体部分に木肌を残したデザインが特徴とか。毎年1万体を用意。
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災いはうそに

2019年02月04日
今日は24節気の1つ「立春」。旧暦では立春から新しい年が始まるとされる。暦の上では春だが、2月が寒さのピークになる。

先月の桂花会の集まりの時、ふと棚に置かれた2体の鷽(うそ)に目が留まった。亀戸天神の鷽替え神事のときに求めたことは記憶しているが、それは10年以上も前のことだと思い込んでいた。
「昨年の悪いことをウソにして吉事に「トリ」替えると伝えられる神事、本来なら毎年1月24、25日の「鷽替え神事」のときに新しいものと、より大きめのものと取り替えるのだが、気になりながら何年もそのままになっていた。今年こそ取り替えに行こうと思い立った。縁日の25日を避け、24日6時半、万全の防寒対策をして家を出た。

   鳥居
       咲き始めた紅梅

着いたのは8時、正面の鳥居をくぐると、真ん中は参拝者のためにあけてあり、通路の左側にも列ができていた。池の向こう側まで人の列が見えるが、動く気配はない。
   
 行列
                 8:05

8時半、太鼓の音を合図に列が少し動いたようだった。平日ということもあり、若い人は見当たらず、かなり年配の女性も多く見受けられた。

   取り替え
     昨年の鷽たち    8:45

    8:47
      本殿がみえて  8:47

  9:55
        幾重にも  9:50

  鷽替え
        特設のテント  10:00

1時間を過ぎるころから腰が痛くなってきたが、何年も放っていたのだからこのくらいガマンガマンと言い聞かせて。
ひと回り大きい2体の鷽を求めることができたのは10時を過ぎていた。
 
   上から
    皆、我慢強い・・・  10:10

石段の下から並んで参拝。社殿の上から振り返るとその道のりの長いことを実感。到着後並び始めてから2時間、列が動き出して1時間半が過ぎていた。そういえば、街でよく耳にする中国語もきかなかった。朝早かったこともあるのか、外国人観光客は見かけなかった。

鳥居の前の紅梅と橋の脇の「冬至梅」という白梅がわずかに咲いていた。とにかく坐りたかった。道に出て、モスバーガーの看板が見えたときには有難かった。コーヒーを飲みながら、新しい鷽とご対面。

並んでいる間、とても本を読む気にはなれず、いくつかのグループにLINEをしていたおかげで何とか2時間並ぶことができた。
初めて「うそかえ神事」を知ったという人が多かった。
すいよう会のOさんは「すごい人ですね。ネットで調べてみます!!」 
Kさんは「先日、亀戸天神に初詣にいってきました。うそかえの神事知っていたらと残念です。正門の横の梅の花は満開に近かったですか?」
そしてSさんの「鷽替え、行ってみたかったのですが、用事で…来年は行きたいな」ということから、来年、4人で行きましょうということになった。果たしてどうなることやら。とりあえず、寒い中並ぶための体力づくりに励む目標ができたことはいいことかもしれない。

  鷽
   境内の鷽    歩道の鷽

帰宅後、PCをみると、亀戸天神の鷽替え神事の写真が数枚あった。なんと2013年1月25日の昼。今年のように混んでいなかったことだけは覚えていたが、十年以上前に求めた鷽を返しに来たのだとLINEで「真赤なウソ」をついてしまったことになる。
慌てて謝った。Fさんから「大笑い」の絵文字が送られてきた。たしかに勘違いも甚だしい。
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どんな鬼?

2019年02月03日
今日は「節分」。古来、この刻の節目には邪気(鬼)が現れると考えられてきた。それを払うのが「節分の豆まき」。
豆まきは、その年によって神社で豆まきに参加して頂いてきたり、孫たちと豆まきをしたりする年もある。
   
1日の朝、娘から送られてきたLINEの画像。保育園の掲示板に貼られていた「鬼からの伝言?」通り、この日豆まきが行われたようだ。どんな鬼が来たのだろう?
いじわるなこ おこりんぼ わがまま わるいことばをつかうこ うそをつくこ すききらいをするこ」はいたのかな?「おにのなかま」にいれられなかっただろうか?

   掲示

2日、節分追儺式前夜祭として豆まきが行われる雪ヶ谷八幡神社にごんさんと出かけた。

   雪谷八幡神社

紙袋を持って比較的前の方にスタンバイ。10年前、たまたま立ち寄ったので、豆をゲットする袋は持っていなかった。
今年はごんさんの袋には豆はだいぶ入った。豆まきの後、お参りして福豆、落花生、みかんを頂いた。家に着くまでに3粒の福豆が服の中から出てきたのには笑ってしまった。

    雪谷八幡
 
先日の絵の教室で「皆さんは豆まきをしますか?」「どこで手に入れますか?」から始まったN先生の話は、豆まきの話から古事記、神道とキリスト教など、脱線していった。
神社でお祓いされた豆でなくては邪気を払う効力はないとのこと。スーパーで買った豆ではだめなのだとか。豆は「魔を滅する」ことから使われるようになったときいているが。

先生によると、『古事記』ではイザナギが黄泉比良坂の麓で雷神たちに襲われたとき、桃を投げつけて追い払ったとされることから桃は霊力を持つようになったが、節分は桃の季節ではないため、豆で鬼を追い払うようになっていったと。
ちなみに、京都の石清水八幡宮のように桃の枝を使って邪気払いする地域もあるという。

桃の霊力といえば、りんりんと会津の鶴ヶ城を訪れたときのことを思い出す。屋根に鬼瓦ならぬ桃瓦が置かれていた。何でも鶴ヶ城には8つも使われているとか。鬼門の方角だったのだろうか。
「丑寅」の方角は、邪悪なもので鬼が出入りする方角のため、「鬼門」と呼んで忌み嫌い、強い霊力が秘められている桃を植えるという風習もあるという。
鬼門が丑寅の方角ということから、鬼といえば「牛の角に虎皮のパンツ(腰巻)」になったのはいつごろからだろう。

世田谷区の無形民俗文化財、喜多見氷川神社の節分祭はいわゆる福男福女たちによる高いところからの豆まきとは違う。
青(東)・赤(南)・白(西)・黒(北)と方角を表す4色の鬼たちとの「問答」が楽しい。(珍しい節分祭
 
   氷川神社
     区無形民俗文化財  2018.2.3
 
「鬼退治」には桃太郎と決まっているが、霊力のある桃でなければならないという。梨太郎でも栗太郎でもダメなのだそうだ。
こういった話は以前、りんりんにきいたことがあった。(四神相応の城郭
日本の歴史や城郭、中国の「三国志」などに興味があった彼もいわゆる社会科というのだろうか、世界地理、世界史、世界情勢・・・関心は世界に広がっている。

縄文だの古墳だのには「ぜんぜん興味な~い」という彼、まさに「今とこれからを生きる」彼と共通の話題は少なくなってきた。彼と鶴ヶ城、犬山城、名古屋城など訪れたころが懐かしく思い出される。
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都内の交番 Ⅱ

2019年02月02日
今日は「交番設置記念日」。1881(明治14)年、1つの警察署の管内に7つの交番を設置することが定められた。
町の中に交番の建物を置き、そこを中心に制服の警察官が活動するという交番の制度は1874(明治7)年に東京警視庁が設置した「交番所」が世界初のものだったが、当初は、建物はなく、街中の交差点などに警察署から警察官が出向いていた。

夕方など警察署へ自転車で向かう警察官を見かけることがある。1人のこともあれば、数人のことが多い。今まで電動自転車に乗っている警察官は見たことがない。
少し気になっていたので、調べてみると、交通違反した車を追いかけるときには普通の自転車の方が速いという若い警官もいれば、50歳以上の警察官にとっては自転車でのパトロールは身体にきついので、電動アシスト付き自転車を使用しているとも。

交番内の電話で連絡が取れるのだろうが、警察官が不在の交番が多い。近くの交番がなくなって久しい。環八沿いの交番には常時3人ほどの警察官がいる。りんりんがパスモをなくしたときにもお世話になったが、交番のせいではないが、見つかったためしがない。

都の「文化のデザイン事業」に基づき外部の建築家に委託して建設した「デザイン交番」のほかにも明るくおしゃれな交番が多いように思う。(個性的な交番交番で都内の交番デザイン交番 Ⅰ
  
  ガス橋
      ガス橋交番  2016.1.1 6:30

この年は印象に残る素晴らしい初日の出だった。交番内は明るかったが、警察官の姿はみえなかった。

    蔵前二丁目
     蔵前二丁目  2014.8.31

  御茶ノ水駅前
    御茶ノ水駅前  2017.6.16

     向島
      向島  2014.12.25 

    恵比寿駅前
      恵比寿駅前  2016.5.6

   二子玉川
     二子玉川駅前  2017.9.19 

     尾山台
      尾山台  2016.5.31 
旅・散策・イベント

昭和30年代には・・・

2019年02月01日
今日は「テレビ放送の日」。1953(昭和28)年の今日、NHK東京テレビジョン局による日本初のテレビ放送がスタート。「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります」の第一声とともに映像がブラウン管に流れた。
その後、8月に日本テレビが本放送を開始し、テレビ時代の幕が開けられた。

1897年、ドイツの発明家ブラウンによってブラウン管が発明された。日本では電気工学者の高柳健次郎らが1926年、世界で初めてブラウン管による「イ」の字の電送・受像に成功した。
1940年には日本初のテレビドラマの実験放送も行われたが、テレビの研究は戦争で中断を余儀なくされた。

テレビ時代の幕を開いたのが、シャープによるテレビの量産化。ラジオが普及し始めたばかりの1931年に、早くもテレビの研究に着手。戦中戦後に手掛けた超短波技術も大いに役立ち、1952年末に国産第1号テレビを発売、その2年後には他社に先駆け量産を開始。当時の初任給が高卒で5,400円の時代、テレビの価格は175,000円だった。

1959年の皇太子ご成婚のときにパレードのテレビ中継を見ようとテレビの普及台数が一気に急増。わが家ではどうだったか、当時の父がパレード見たさでテレビを買うとも思えないが、座敷の書院に置いてみたような気もしないでもない。

台東区の下町風俗資料館の図録をみると、昭和30年代の居間にはブラウン管テレビ、扇風機などが置かれている。

    昭和30年代
       昭和30年代の居間(再現)  

昭和30年代、さまざまな家庭用電化製品が登場した。洗濯機、冷蔵庫、掃除機が「三種の神器」としてもてはやされ、さらに電気炊飯器、トースター、魔法瓶などがある。
昨年訪れた渋谷区立郷土博物館でも昭和のくらしが再現されている。懐かしい道具ばかりだ。
白黒テレビは、やがてカラーとなり、1968年には、カー、クーラー、カラーテレビの「3C時代」を迎える。

   昭和30年代
       昭和30年代の台所(再現)
   3909no3.png
       渋谷区郷土博物館

そういえば、昭和17年築の木造平屋の台所は薄暗く狭かった。内玄関をつぶして台所を広げたのは40年代だったか。流しの横にL字型の調理スペースがあり、コンロ横に置いたガス炊飯器があり、食事づくりはずいぶんと楽になったように思う。
つれづれ
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