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宗観好みの茶器 三月

2019年03月31日
「一月は往ぬる 二月は逃げる 三月は去る」 今日で3月も終わり。
毎月の絵や中国茶の集まりのとき、色紙や短冊を季節のものに取り換えているが、月ごとに茶器を飾っていた時期もある。
『井伊宗観好十二月茶器の研究』(大崎善之 著)が、それらの12種類の茶器についての解説本だとわかって、嬉しくなった。
幕末史を飾った井伊直弼が、宗観と号する優れた茶人であり歌人であることを知ったのもつい最近のこと。(十二種の茶器

  茶器と本

宗観の十二月茶器構想の軸になったものは、和歌から和歌という狭義の本歌取りではく、『定家の詠花鳥倭歌』と『鴫の羽掻』所収十二カ月花鳥図だという。
宗観は、1つ1つの茶器の図案、形、大きさ、塗、色を緻密に計算し、趣向を凝らした。さらに12個全体の中につながりや対比や構成の妙を求め、それらが互いに美しく響きあう。

  1~3月border=
     正月の大棗  二月の中棗  三月の薬器

正月  黒真塗  大棗  高さ7.4cm 径7.3cm
大棗の天から、覆うように薄緑の新しい芽をつけた柳の枝が垂れ下がっている。柳の根元から竹が凛として描かれ、春告鳥(鶯)が春を知らせる。

本歌
   正月 柳    打靡き春来る風の色なれや日をへて染むる青柳の糸
   正月 鶯    春来ては幾日もあらぬ朝戸出に鶯来ゐる窓のむら竹
 

    1.2月
     一月 『詠花鳥倭歌』と『鴫の羽掻』 二月
 
2月  溜塗 中棗 高さ6.7cm 径6.5cm 
可憐な紫色の花をつけた菫、雲雀が餌をついばんでいる。
利休形の中棗に溜真塗。溜塗とは、黒漆と朱漆を混ぜて使い、年月が経つと透けて飴色になってくる。 

本歌
   三月  藤   行春の形見とや咲く藤の花そをだに後の色の縁どりに
   三月  雲雀  菫咲く雲雀の床に宿かりて野を懐しみくらす春かな  
 
*本来、本歌に詠まれた藤は、一種の「忌み花」として隠され、代わりの鳥の本歌に詠まれた菫の花が図案化されている。
*宗観の解釈、判断から、二月と三月の本歌と図を入れ替えて茶器を作っている

3月  朱塗 薬器 高さ6.4cm 径8㎝
旧暦3月は桜のさかり。甲と胴に舞う金蒔絵の花びら、花吹雪の中、雉子がいる。
薬器は、古くは薬の容器から転用されたといわれる。
 
    三月

本歌 
   二月 桜  かざし折る道ゆき人の袂まで桜ににほふ二月のそら
   二月 雉  狩人の霞にたどる春の日を妻とふきじの声に立らむ

   三月
        三月 *Click!

参考:大崎善之 著 『井伊宗観好十二月茶器の研究』 
身近な人びと

十二種類の茶器

2019年03月30日
「桜田門外の変」で大老井伊直弼が暗殺された安政7年3月3日(1860年3月24日)は季節外れの雪で視界が悪く、彦根藩護衛の供侍(60名)は雨合羽を羽織り、刀の柄、鞘ともに袋をかけていた。そのためとっさの迎撃に出難く、襲撃側(水戸脱藩者17名と薩摩藩士1名)に有利な状況だったという。
3月になってこの「桜田門外の変」を扱った番組がいくつかあった。

井伊直弼という人物が、国学、古学、兵学、居合、茶道、和歌などにもすぐれた才能を発揮したということも、石州流の茶の湯をよくし、「12ヶ月棗」などの好み道具のほか、『茶湯一会集』『茶湯をりをり草』などの著書もあることを知ったのはつい最近のこと。

きっかけはほそぼそとつづけている「断捨離」。父の書籍の整理も大仕事だったが、当時はまだ少しは若かったからさほど苦にならなかった。母の残した茶道具、茶道関係や俳句関係の整理は思った以上に進まなかった。かつて茶道を習ったこともあるし、母が長年つづけてきた稽古を裏で手伝ってきたこともあり、思い入れのある茶道具も多かった。

6年前、すでに母は稽古もできなくなっていたため茶道具関係の「断捨離」を実行した。長い間押入れを占領していた風炉釜、棚、屏風、掛軸、茶事や懐石用の道具、茶入、棗、茶碗、水差、建水、香合、蓋置、花入・・・・。お弟子さん、友人たちだけでなく、最終的にはご自身、祖母、母、兄も茶道教授というKさんに稽古用、お茶事用の道具、着物なども引き受けてもらった。
彼女の車に茶碗や水差など茶道具を詰めた衣裳箱2つ、着物や帯を入れた大きめの衣裳箱3個、釜や屏風、毛氈などを積み込んだ。書籍類は『茶道』全集16巻だけだったように記憶している。とにかくほっとしたことを思い出す。(「断捨離」再び

   茶道全集
   
わが家に残ったのは、わずかな道具のほか、紹鴎棚や屏風など数点と茶道関係の書籍類。
今年になって、書棚の中で長い間手付かずだった書籍類を何とかしようと、茶道を習っているという人たちにお声をかけた。
区民大学で親しくなって半年にもならないOさん、そして1年前に親しくなったSさんも、それぞれカートいっぱい持ち帰ってもらったおかげで残った本は半分ほどになった。

   本

あとはどうしようか・・・と眺めているとき、ふと、『井伊宗観好十二月茶器研究』(大崎善之 著)という本に目が留まった。井伊宗観・・・井伊直弼のことだと気づいたが、そのときは本を開くことはなかった。

    井伊宗観

数日後、昨年くらいまで毎月、絵や中国茶の集まりのときに飾っていた「月ごとの棗」が入った木箱のことを突然思い出した。
中に入った大棗、中棗、面中次、薬器、雪吹、割蓋など12種類の茶器は、お稽古に使うというより、生徒さんたちに形を教えるために買求めたのだろうくらいに思っていたが、それだけではない、『井伊宗観好十二月茶器の研究』の本と関連があることに気づいた。

早速、『井伊宗観好十二月茶器研究』を開いてみた。
宗観つまり井伊直弼は近世の大茶人、石州流を学びながら『南方録』を研究し、自ら有名な『茶湯一会集』を著し、「一期一会」「独座観念」を茶の湯の根本精神とした。(一期一会

   棗
  10月雪吹  7月下張棗   4月面中次  1月大棗
  11月丸棗  8月八角茶器 5月白粉解  2月中棗
  12月割蓋  9月平棗    6月金輪寺  3月薬器
 
この十二月茶器を復元、研究した「井伊宗観好十二月茶器研究会」によると、この宗観が、きわめて周到緻密な配慮をもって自ら意匠し、京都の名工八代中村宗哲に作らせた、いわゆる「井伊宗観好十二月茶器」は長い間歴史の闇に埋もれたまま世の人々の目にふれることなく、初めて公表されたのは、つい戦後のことだったという。

この研究会により ①形、寸法、塗、蒔絵までの茶器の復元 ②茶器の本歌が、『小倉百人一首』の選者として名高い藤原定家の『詠花鳥倭歌』24首であり、図案の参考にしたのは、和歌書『鴫の羽掻』所収の十二ヶ月花鳥図 ③井伊宗観が本歌をもとにし、十二月十二個の棗の、それぞれの形、塗等にほどこした細密な意図と、その対応関係の推理、解明がされたという。

本は非売品となっている。ということは、茶器12種とセットだったということだ。どうかすると残っていなかったかもしれない。母はハラハラしていただろうか? 宗観が研究したという『南方録』も残っている。いつか読まなくては。
しばらく出していなかった月ごとの茶器、4月から再び出すことにした。
身近な人びと

さくら さくら

2019年03月29日
今年は東京で桜が満開になったと報じられたのは、「サクラの日」である3月27日だった。

3月9日 六郷用水路(女堀)  (あれはシナノミザクラ)  
3月20日 千鳥くさっぱら公園   (春の中
  
3月22日  六郷用水路(南堀)
 桜
       ?サクラ        シダレザクラ

3月28日  東邦医大通り  ヨウコウザクラ(陽光桜) 
  医大通り
 医大通り
 医大通り
    下は散り落ち上は満開を過ぎて・・・

早稲田 神田川 「外国人観光客がいないね・・・」とりんりん
  神田川
      リーガロイヤルホテルが見える
  神田川 
     駒塚橋   
  神田川
      肥後細川庭園近く

早大 大隈講堂の前でちょうど正午。大勢のおそらく新入生が一斉に講堂から出てきたところだった。ガイダンスのようだった。
キャンパスを抜け、夏目坂を上がる。山門脇のりっぱなソメイヨシノが迎えてくれた。少し遅い春の墓参。

  来迎寺

KさんやSさんからもLINEのサクラが届く 
3月22日  KさんからそしてSさんからは駒場のサクラ (はじめての自由題
        
3月27日  Kさんからは駒場のサクラ   
  Sさん  
     駒場野公園ケンネル田圃 
      
     Sさん
        東大駒場キャンパス       
 
   駒場公園
           駒場公園
  前田邸
     駒場公園 前田侯爵邸

3月28日 Oさんからは「仕事で近くまで行ったので、浅草寺に。すごい人人人でした。日本人が少ない~」と。
   浅草寺
            浅草寺
旅・散策・イベント

一期一会

2019年03月28日
抑(そもそも)茶湯の交會(こうかい)は一期一會といひて、たとへば、幾度おなじ主客交會するとも、今日の會ににふたゝびかへらざる事を思へば、実に我(わが)一世一度の會()なり。さるにより、主人は萬事に心を配り、聊(いささか)も麁末(そまつ)を辨(わきま)へ、亭主の趣向何一つもおろかならぬを感心し、實意を以て交るべきなり。是を一期一會といふ。
そもそも、茶の湯の交会は、一期一会といいて、たとえば幾度同じ主客交会するとも、今日の会にふたたかえらざる事を思えば、実に我一世一度の会なり(『茶湯一会集-閑夜茶話』)

彦根藩主、大老、安政の大獄、日米修好通商条約、桜田門外の変ときけば、すぐに井伊直弼が思い浮かぶ。
文化12年、彦根藩主井伊直中の14男として生まれた井伊直弼は、17歳から15年の間、「埋木舎」という簡素な建物で隠居生活を送った。和歌、儒学、禅、剣術などを学んだが、茶の湯への熱意はかなりのものだったようだ。

直弼は宗観という茶名を持つ茶人。大老になる直前の安政3~4年にかけて著した『茶湯一会集』には直弼の茶の湯に関する考え、姿勢が集約されているという。
「一期一会」は、「独座観念」「余情残心」とともに直弼が到達した境地だという。直弼が、千利休の言行を記した『山上宗二記』といった茶書の古典にある言葉を言葉を再発見して、自身の茶会論の中核に据えたという。

世田谷区の井伊家の菩提寺である豪徳寺には何度か訪れたが、りんりんと訪れた時に井伊家の墓に案内してもらったことがあった。「彦根藩井伊家墓所」(国史跡)は「井伊直弼墓」(都指定史跡)。(「オジサン2人」

     墓
       りんりんと豪徳寺へ    2014.6

ちなみに、井伊直弼の墓は3つあるという。豪徳寺は菩提寺であることもあり、直弼の墓石があるため、長年ここに遺骨が埋葬されていると考えられていたが、10年前、修繕のために墓を掘り起こしたところ、石室がないことが分かったという。

  墓
           井伊家の墓

滋賀県彦根市の天寧寺には、井伊直弼が暗殺されたことを隠すため、血染めの土や衣服などが埋葬されてきた。
さらに栃木県佐野市の天応寺。ここも井伊家の菩提寺。ここには暗殺前日に詠んだ辞世の句と毛髪が埋葬されたといわれている。

桜田門外の変での無残な死に方からはよほど恨まれていたのだろう。あまり好印象は持っていなかったのだが、茶人としての直弼について知ったのは最近のこと。まさか「一期一会」という名言を完成させた人物だと知ったのは思ってもみなかった。
つれづれ

初めての自由題

2019年03月27日
桂花茶会が始まったのは、御宿に越されたSさんを訪ねた翌月から。ということは今年6月に6年になる。そしてこの会にOさんが加わった5年前からだろうか。中国語を忘れないようにと毎回決まったテーマでちょっとした作文を発表するようになった。
順番でそのテーマを決めるのだが、今月はMさんによって「自由題」となった。おそらく自由題というのは初めてだろう。

自由ということの何と難しいことか。孫たちが迎える入学の春にしようか、ソメイヨシノの開花宣言の前から咲き出したさまざまな桜がラインで送られてきた桜もいいが、文にするのは難しい。

駒場
                Sさんから
    Kさん
         Kさんから
   
やはり3月の初めに壊れたパソコンのことにしようか、博物館での活動か学芸員と巡った久ヶ原遺跡ツアーのことがいいだろうか?それとも来月初めに予定している「池のみち」の栞を作るまでのことにしようか?

毎月、1週間前くらいから考えて辞書を引き引き文を作り始めるのだが、今回は自由題だから簡単だと延ばしに延ばしていたら、前日になってしまった。何とか出来たのは23時半、プリントは翌朝にすることにした。こんなことは初めてだ。

春休み中のりんりんがわがタブレットに「パズドラ」を入れた。どんどんやって進めておいてといわれたが、どうもこうしたゲームは苦手。それどころか、中国語の作文がまだ終わっていない。
彼のスマホと同期?させているのはごんさん用のタブレットだが、しばらく使っていないので、ダメだ~と言って必死にやり始めた。要するに自分のスマホと2台のタブレットでわが家にいる間はほとんどゲーム。
目が悪いとはいえ、タブレットにくっつきそうになっているのを見ながらハラハラしている。

   ゲーム中
   パズドラ

それにしてもパソコンには参った。3年にならないのに基盤を取り換える羽目に。修理完了まで約2週間、初期化されたPCが戻った。データを移す段になってOfficeがどうしても入らない。結局、PCドックに持ち込み、2日後にやっとわが家に戻ったので、気分新たに焦らずに自分のPCにしていくことにした。

今日の午後、久しぶりに多摩川ガス橋近くに住むOさんとお茶をした。土手の「二十一世紀桜」もぼちぼち咲き出したという。31日には「二十一世紀桜まつり」が予定されている。今年はパス。
中国・中国の旅

4月は「池のみち」を歩く

2019年03月26日
3月半ば、すいよう会散策用の栞つくりのために下見をした。何年前になるだろうか、絵のお仲間と歩いたときは洗足池畔でスケッチが目的だったので、東工大ャンパスから洗足池まで歩いただけだったが、今回は洗足池へ流れ込む湧き水の源流まで足を伸ばすことにした。
中原街道沿いに残る供養塔と、前回偶然に見つけた道標もコースに入れることにした。どちらも江戸時代のもの。 (「江戸期の石碑
     しおり
     「池の道」散策 栞 *Click!

東急池上線洗足池駅に集合、まず、東京一低いといわれる高さ140㎝のガードがある。ときどき電車が通る線路の下、タイミングをみて辞儀してくぐることになる。

     ガード下
       洗足池駅近くのガード

ガードをくぐった後、洗足流れを少し歩くことにした。当日はおそらく桜が満開だろう。
洗足流れは全長1.5mほどの短流で、洗足池を始点とし、東雪谷と上池台の境界に沿って流下、仲池上で呑川に注ぐ。
かつては農業用水として利用されていた。池上用水ともいわれる。

途中で駅に戻り、中原街道を洗足池側に渡る。花見客で賑わう池畔は避けて街道沿いに庚申供養塔道標へ。
庚申供養塔は、文化11年に建てられた。中原街道から九品仏浄真寺へ至る旧道の分岐点にあたる。

天明の道標を通り、東工大の構内へ。
東工大の桜はどうだろうか。洗足池ほどではないだろうが、最近は観光地並みに花見の人が多くなったように思う。

    東工大
      東工大構内  2017.4.3

武蔵野台地の端、千束の谷が尽きるところにある「清水窪弁財天」は、かつて千束の谷が田畑であったころ、用水として水田を潤していた。この付近一帯を清水窪と呼んだのもこの地形のためだという。
「清水窪弁財天」から湧き出る水は洗足池に流れ込む。大田区文化財。 

     清水窪弁財天 
    弁財天
    弁財天
       池の長さは約20m
旅・散策・イベント

のんびり屋のカエルたち

2019年03月25日
「千鳥いこい公園」は、じゅんじゅんがわが家で留守番のとき、ごんさんがよく連れて行った公園の1つ。
久ヶ原遺跡ツアーの解散場所となったこの公園からは弥生時代の土器片が今でも見つかる場所だ。

3月15日、博物館で遺跡ツアーの打合せがあった後に立ち寄ってみると、ちいさな池に孵ったばかりのオタマジャクシを見つけた。
その1週間後、オタマジャクシはだいぶ大きくなって泳いでいた。

    いこい公園
        3.15     3.22

わが庭のつくばいに毎年やってくるカエル。まずオスが下見に来て、やがてメスが来て卵を産むらしいが、どうやら公園のカエルたちに比べるとのんびりしている。毎年同じペアだと勝手に思っている。

  2016
      2016.3.18

  2017
            2017.4.9

       2018
            2018.3.9

 2019
            2019.3.10
   2019
            2019.3.24

今年はオスが1やってきてから2週間後、ペアで現れた。いつオタマジャクシになるのだろうか。楽しみだ。
動物など

くさっぱら公園

2019年03月24日


   入口
        くさっぱら公園  2017.4                  

久が原台地のはずれにあるくさっぱら公園(大田区千鳥1-1)は、1992年に「手を加え、変えていける公園」としてスタート。
開園から現在まで、日常的なトラブル、楽しみや悩みを利用者と行政が共有しながら、清掃をはじめとして公園の管理運営にかかわっているという。

    公園
                      2009.11

この公園は、木のぼりや泥遊びができる、大田区では数少ない公園の1つ。プレーリーダーもいないし、焚火もできない、近所の空き地で遊ぶのに似ている。
虫取りや木登りするのは見たことがあるが、泥遊びをする子どもはあまりいないようだ。

毎年春には公園全面を耕して、どこにでもあるはらっぱのような風景を作るための種蒔きが行われる。牧草や芝など、いろいろな草の種を蒔くと、夏が過ぎて残るのは、だいたいオヒシバやオオバコなどの雑草だという。
「くさっぱらまつり」が毎年秋に開催され、フリーマーケット、腕相撲大会、こども相撲大会、楽器演奏などで賑わう。

清掃中
       清掃中       2017.4

春分の日の午後、「久ヶ原遺跡ツアー」は「千鳥いこい公園」で解散。その後、学芸員さんと友の会メンバー8人と、池上線の線路を越えた「根岸横穴墓群」へ向かう途中、「くさっぱら公園」に立ち寄った。
夕方だったが、公園には誰もいなかった。遊具があるいこい公園には大勢の子どもたちが遊んでいたのだが。

  2019.3
  2019.3    
        午後の公園    2019.3          

たまにこの公園の前を通るが、園内に起震車が停まっていて、防災訓練中だったことがあるが、まだ種蒔きやくさっぱらまつりのときに出くわしたことはない。
旅・散策・イベント

久ヶ原遺跡ツアー Ⅱ

2019年03月23日
春分の日の「久が原遺跡ツアー」は風は強かったものの今年1番の暖かさとなった。(久ヶ原遺跡ツアーⅠ

久ヶ原遺跡は大田区久が原4~6丁目の1部、千鳥1丁目1・2番の台地に位置し(東西約600m 南北約700m)、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良・平安時代、中世まで続く遺跡。
1927年に中根君郎氏、徳富武雄氏らにより発見され、これまで50回にも及ぶ発掘調査が行われてきた。
とくに弥生時代後期を中心として大きなムラが営まれていたという。

弥生という名称は、現在の文京区弥生町の貝塚で発見された土器が弥生式土器と呼ばれたことに由来する。
S学芸員は久ヶ原遺跡が早く発見されていれば、久ヶ原時代といわれているかもしれないと。

久が原6丁目(-9-10) 久ヶ原遺跡の墓域で、方形周溝墓5基を確認。
   方形周溝墓  
   
久が原6丁目(-13-10)  1947年、B29が落ちた場所を片付けながらの発掘調査。N1号竪穴住宅址の大きさは3m以上。
   住居址
           N1号竪穴住居址

久が原6-23街区 住居址7軒発掘された。
  住居址

久が原4~6丁目付近道路  1932~1948年、道路建設で竪穴住居址が約100軒見つかる。
 竪穴住居址

16時、いこい公園で解散。お疲れ様でした。

   いこい公園

今年で久ヶ原遺跡は終了。大田区には多くの遺跡がある。山王遺跡、光明寺遺跡・・・来年はどこの遺跡を歩くのか、今から楽しみだ。
旅・散策・イベント

久ヶ原遺跡ツアー Ⅰ

2019年03月22日
春分の日の昨日、大田区郷土博物館の「学芸員と歩く 久ヶ原遺跡ツアー」が行われた。気持ちのよい青空、だが、強い風は夕方までつづいた。

久ヶ原遺跡は大田区久が原4~6丁目の1部、千鳥1丁目1・2番の台地に位置し(東西約600m 南北約700m)、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良・平安時代、中世まで続く遺跡。
1927年に中根君郎氏、徳富武雄氏らにより発見され、これまで50回にも及ぶ発掘調査が行われてきた。
とくに弥生時代後期を中心として大きなムラが営まれていたという。

土器
      久ヶ原出土の土器に触れる

当日、友の会会員は30分前に集まりレジュメやイヤホンなどを渡すお手伝い。S学芸員から説明を受けた参加者(19名)は館内を見学後、久ヶ原遺跡で出土した本物の弥生式土器に触れた。

総勢25人、池上警察署までバスで移動。まずは久が原南児童公園へ向かった。
ここは久ヶ原遺跡では唯一の案内板が立てられているそうだ。1号住居址は3.4~3.8mの竪穴式住居址。

    住居址
   住居址

次に旧グリーンハイツの公園へ。弥生時代から古墳時代前期には竪穴式住居跡は53軒、溝4条。ほかに旧石器時代、縄文時代、古墳時代後期(横穴墓)、中世、近世の遺構や遺物も確認されている。
ここは久ヶ原遺跡で2.773mともっとも調査面積が広い。

   ヒルズ久が原
         旧グリーンハイツ

久ヶ原遺跡の東西方向の広さを実感できるのが、久が原5丁目(27-5)の交差点付近。弥生時代の竪穴住居址も古墳時代の横穴墓も発見されている。
  5丁目
        調査地の全景写真

久が原小学校内遺跡(1~4次調査) 久ヶ原遺跡の北側に位置し、旧石器時代~古代の遺構がある。
久が原小学校内遺跡(1・3次調査)高低差を感じられるスポット。
久が原小学校
     久が原小学校内遺跡(1・3次調査)

久が原4丁目(ー24街区付近)は 戦前(1938)の発掘調査で、竪穴住居址が5軒確認されている。
S3号住居址は道路面で切られた部分で約5.7mの竪穴住居址。
4丁目

ちなみに、地名は「久が原」、遺跡の場合は「久ヶ原」と表記。
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春の中

2019年03月21日
今日は24節気の1つ「春分」。
午後から郷土博物館の遺跡巡りに参加する。博物館見学の後、弥生時代の遺跡として著名な久が原遺跡を学芸員と巡る。昨年は季節外れの雪の中、慶大の安藤広道氏と歩いたとそうだ。
2年前、博物館で安藤氏の講演「久が原遺跡と久が原式土器」を受講したことを思い出した。あらためて遺跡の近くに暮らしていること、遺跡の上を度々通っていることに感動を覚えた講演会だった。

今年は募集20人のところキャンセル待ちが10人以上だときいて正直驚いている。
もっとも、今でも雨の後など公園で土器片が見つかることもあると言うから、11万平方メートルという広大な久が原遺跡に関心を抱く人は多いのかもしれない。

      サクラ
      サクラ

都心の最高気温が21度を超えた昨日、千鳥町駅近い「くさっぱら公園」の前を通ると、サクラが目に入った。こんなところにサクラが! この季節にこの場所を通ったことがないのだろう。どう見てもソメイヨシノではない。幹が違う。先日出会ったシナノミザクラとも違う。

    コブシ
       コブシの花

コブシも白モクレンも一気に咲き出した。庭の紅梅は小さな実をつけている。
すっかり春になった。
旅・散策・イベント

防災頭巾

2019年03月20日
卒園式が終わる前 じゅんじゅんの入学準備用品はほぼ完成した。途中で作り足すのもめんどつなので、通学用袋は1枚余分につくり、持ち手の色とポケットの形を変えてみた。体操着入れもマスク入れも1枚ずつ余分に、ランチョンマットは2~3枚とあるのを5枚。
予定がつまっていることもあり、前の晩に裁断しておき、ミシンかけはほぼ1日で終らせた。

   完成
   バッグ3  体操着入 2 ランチョンマット 5  マスク入れ 2

防災頭巾というものも必需品らしい。ふだんは二つ折りにして椅子の座布団に使うらしいが、このカバーを縫うのは本体が手元に来てから。

それにしても太平洋戦争末期の防空頭巾が原型という防災頭巾、いつ頃から学校などで用いられるようになったのだろう。娘や息子たちが使っていたようなものとあまり変わらないように見えるが、アルミ製のものなど防炎素材のものが増えているようだ。

Wikipediaによると、日本では東海地震の予測される地域で1970年代頃から普及を見せ、南関東や東海地方などの小中学校などでは、標準的な学用品の1つとして全児童・生徒が所有している学校も見られる、とある。
また、日本の国会議事堂では議員席の下に防災頭巾が備えられていると言う。これはシャンデリアなど破片が落下する危険性があるものが備えつけられているためだとか。

  防災頭巾
            
市販の3千円以下のものを選んで行った衝撃吸収性能実験の結果、日本防炎協会認定のものはどれも50%以上の衝撃吸収率があったという。また、防炎性能実験でも認定品は全て自己消火できたという。
これから6年間、じゅんじゅんが防災頭巾として頭に被るのは、避難訓練時だけであることを願ってミシンかけをする。
身近な人びと

Sさんのアンテナ

2019年03月19日
3月3日の「耳の日」はだいぶ過ぎたころ、すいよう会の中でもっとも好奇心旺盛のSさんから耳に関する情報が送られてきた。絶えずアンテナを張り巡らせている彼女からの情報は愉しい話題が多い。

「耳の聞こえ年齢検査だそうです Let’s try」 と、ドコモが取り組むCSR活動についてだった。早速開いてみると、「WEBで33展」というイベント当日のコンテンツを体験できるというものだった。

そういえば、最近りんりんと一緒に電車に乗ることがあるが、「声が大きいよ!」と制止されることがたまにある。車内アナウンスも聞こえているし、会話でも不自由していないつもりなのだが、耳が遠くなったのかもしれない。
    
    33展

10代から80代まで、それぞれ再生ができる。まずスマホの音量をMAXにしてみると、「10代」でも聞こえた。比較的高音だ。次に音量を中間にすると、10代どころか60代も聞こえない!70代ということらしい。
以前、突発性難聴になったとき、耳鼻科で聴力検査を受けたことがあった。老化のせいもあって、確か高音の一部がダメだったと記憶している。さいわい、日常生活ではまったく不便は感じていないが。

60代Sさんは「40代でした」そうだ。「私も耳の聞こえが悪いのでやってみます」といったKさんからはその後報告はない。桂花会のFさんは60代前半、40代だったそうな。

このチェックのほか、『「聞こえづらい」を聞いてみよう上映会』の動画も再生でき、聴覚に困難を抱えた人との聞こえ方の違いがよくわかるようになっている。
結局は、ドコモの「みえる電話」の宣伝なのだが、とはいえ、申込は不要、月額使用料無料、アプリをダウンロードするだけとか。まだ、今のところはまだ必要ないが、いずれお世話になるかもしれない。
つれづれ

入学準備

2019年03月18日
いよいよ2週間ほどで新学期を迎える孫たち。兄は高校生、弟は小学1年生。
その小学校入学前の準備はなかなか面倒ということで、いくつか手伝うことになった。持ち帰り用と音楽袋用の手提げ袋を2つ、給食用のランチ用マットが3枚、体操着を入れる袋、そして分からないのがマスク5枚を袋に入れて携帯するための袋。インフルエンザ予防?花粉症対策なのか。ほかにも防災頭巾のカバーも必要らしい。

そういえば、保育園バッグも2種類つくったが、今度のは何年生まで使うのか、とにかく量が多い。ユザワヤで買ってきた布地とベルトや巾着用の紐などをしばらく眺めてため息をついていたが、何とかその日のうちにレイアウト、裁断までは済ませた。
はるか昔、中学生だったか、家庭科の宿題を母親にやってもらったこともあるほど、裁縫は嫌いで不器用だが、出来不出来も採点されることもないのは救いだ。

   プリント

まずはレイアウト。そしてじゅんじゅんが選んだ恐竜模様の生地をカット。これが神経を必要以上に使うため必要以上に疲れる。失敗して布が足りなくなったらユザワヤに買いに行けばいいのだが、それも情けない。

 材料

翌日からはミシンかけ。娘たちのときに使っていたミシンは旧宅解体のときに処分したため、 りんりんの入学時に通販で買った至ってシンプルなミシンだ。ミシンの糸を途中で取り替えたりするのも面倒というようでは進まない。
布地が余りそうなので、外ポケットをつけようかな、中にもあると便利だろうか、せっかくなら楽しく作ろうかと思っている。とにかく3月中には仕上げなくては。
身近な人びと

春の公園

2019年03月17日
腰痛が酷くなり、湿布を貼ったり「当帰芍薬湯」を飲んだりしてギリギリまで頑張ったが、その後の予定を考えると何としても治しておかなくてはと整体院に駆け込んだ。診察券を見るとちょうど1年のご無沙汰だった。
当然ながら以前より酷くなったと言われた。背骨が左に歪み、股関節がズレ、頸も捻れていて、以前より酷くなったと言われた。何とか調整してもらったが、また、余程気をつけていないと戻ってしまうらしい。

思い当たることはいくつかあった。に雛人形を片付けたり本の整理をしたときなど畳の上で無理な動きをしていた。机に向かっていると猫背になっているのも良くない。外出時のリュックにはタブレットや英検の本などまで入れているため、肩や腰に負担がかかるのも当然だろう。

翌日はまだ少し痛みが残っていたが、朝からよく歩いた。バス停まで歩き、降りてからも10分ほど歩いた。用を済ませ再び五反田までバス。その後はJRと地下鉄だったが、駅を降りてからは坂道を上ったり下がったり。

3件目は池上駅前のdocomoショップに予約の時刻にギリギリセーフ。タブレットの不都合で予約したのだが、何とか自分で解決できたため、画像処理についての相談にした。スマホ、タブレットとパソコンとの画像のやりとり、本体、SDカード、そしてグラウド上の画像について、実に丁寧な説明に今までのモヤモヤが瞬く間に消えた。

気持ちが軽くなり、池上から六郷用水沿いを歩くことにした。翌週歩く予定のツアーで解散場所になっている公園までおよそ30分ほどだったが、腰を気にしながらゆっくりと。
ケヤキの向こうにぼんやりとした夕日が見えた。上の枝に宿り木だろうか、キジバトの巣のようにも見える塊が目に入った。

       公園前
        公園前のケヤキ

千鳥いこい公園(大田区久が原)は暗渠化された六郷用水沿いにある。起伏に富んだ地形を利用した緑豊かな公園。
孫たちと何度か訪れたことがある。井戸で遊んだり、走り回ったりしていた彼らの姿を思い出す。
    
         井戸
   オタマジャクシ
        小さな池にオタマジャクシ

今年はわが庭のつくばいにカエルがやって来たのは3月初め。今年はまだメスがやってこないのか、オタマジャクシどころか卵も見当たらない。

彼岸桜が満開、スミレも咲いていた。昔ならスケッチブック持って翌日にでも来るところだが、今はもうそんなエネルギーは残っていない。情けない。1年前に描き始めた「スミレ」の日本画、まだ終わらない。

夕方の公園は、まるで何かのイベントでもあるのかと思うくらい大勢の小中学生たちが走り回っていた。中には立入り禁止のロープを超えてシイノキに登って歓声を上げる中学生もいた。春休みになったのだろう。

   公園
旅・散策・イベント

はじまりの季節

2019年03月16日
小学校が2020年度から、中学校が2021年度からそれぞれ実施される新しい学習指導要領では、英語が小学3年生から前倒して行われ、中学校でも取り扱う英単語の数を増やすことを受け、北区は新年度から小中学生の一部を対象に英語、漢字、数学の検定を受ける場合に全額補助する方針だという。

中学は3年生は3級の中学卒業程度というが、りんりんは小学6年の1月に3級をとったため、高校1年の今年5月は2級(高卒程度)を受けるという。彼につられたわけでもないが、この際、同じ2級にチャレンジすることになった。すっかりご無沙汰している英語ゆえ準2級?と思ったが、どうせやるなら2級をという彼の意見に従うことにした。

春は何かを始めたくなる季節。今年の春はそんなこんなで2冊の英検用の本を購入、まずは単語をしっかり覚えることにした。彼は眺めているだけで覚えられると豪語するのだが、かつて丸暗記でやってきた頭には情けないことに何も残っていない。

   暗記用

春休み中のりんりんとダイソーに行って暗記用シートを買った。マーカーは反対側に消しペン付。それが100円で買えるとは有難い。

ダイソーやキャンドゥに行くたびに「これが100円!」という品物を発見する。今回の暗記用シートもそうだが、ダイソーオリジナルのシャーペンには驚いた。オシャレでノックしても振っても芯が出てくるというスグレモノ。
さらに今回は買わなかったが、ミニブロック(レゴ?)を見つけた。じゅんじゅん が見たら欲しがるに違いない。
老眼鏡もマクロレンズも、イヤホンや充電用のケーブルも100円とは驚く。

  暗記用

何はともあれ、道具は揃った。あとはひたすら自分の頭と気力に頼るしかない。5月末の検定はすでに諦めつつあるが、2回目の10月までには何とかしたいと思っている。
修理に出したパソコンもそろそろ戻ってくるだろう。春は心機一転、チャレンジの季節。
身近な人びと

江戸期の石碑

2019年03月15日
自分たちが住んでいる大田区について(とりあえず)もっと理解を深めたいと始まった会も4月で3回目になる。
六郷用水路は女堀、南堀の一部を辿ったところで、桜の時季はお花見を兼ねて洗足池から大岡山まで歩くことを提案。

   中原街道
        中原街道

多摩川の丸子の渡しから中原街道は、現在のさくら坂へ。上りきると、現在の中原街道に合流。長い下り坂、呑川を渡り、また上る。洗足池は台地からの湧き水を中原街道で堰き止めた溜池。

栞つくりのために下見をすることにした。以前絵のお仲間と歩いたときは洗足池畔でスケッチが目的だったので、東工大ャンパスから洗足池まで歩いただけだったが、今回は洗足池へ流れ込む湧き水の源流まで足を伸ばすことにした。

  明治の地図
      明治時代の地図

中原街道沿いに残る供養塔と、前回偶然に見つけた道標もコースに入れることにした。どちらも江戸時代のもの。
先ずは住宅地の中にぽつんと残っていた道標を勘を頼りに探し出すことから。

      道標
         南千束の道標

道しるべは小学校近くの角に佇んでいた。天明2年に建立されたもの。「秩父 西国 坂東 百番 供養為二世安楽之也」「右 いけかみみち」「左 めくろみち」と刻まれている。

中原街道沿いの供養塔は、文化11年(1814)に浄土宗を信仰する人々が建立した。向かって右側面の「従昰九品佛道」の銘文から九品仏への道しるべを兼ねたもの。この地点が中原街道から浄真寺に至る旧道の分岐点にあたる。大田区文化財。

     供養塔
       庚申供養塔  大田区文化財

今回はコースに入れなかったが、呑川が中原街道と交差する石川台の交差点角に石碑が建っている。傍の柳はまだ芽を吹いたばかりだった。供養塔は高さ1.5mほど、「南無妙法蓮華経」と刻まれている。

    石橋供養塔
      石橋供養塔  大田区文化財

この石橋供養塔も大田区文化財。安永3年(1774)に雪谷村の浄心ら6名が本願主となり、石橋の安泰を祈って建てられた。石橋は現存しないが、呑川を渡って中原街道を通るため、当時すでに石橋がかけられていたことがわかる。
石橋供養塔は、他の民間信仰供養塔と兼ねたものが多いが、この塔は石橋の無事と通行人の安全という交通安全だけを目的として建てられたもので、貴重だという。

   案内板

植え込みの一角には「呑川 清流の復活」と刻まれた石碑があり、隣にある説明板によると、平成7年より東京都では清流復活事業を実施。呑川に流れている清流は、新宿区の落合水再生センターで高度処理した再生水を利用しているそうだ。
地図を見ると、世田谷区の桜新町付近から大岡山の東工大近くの工大橋までは暗渠になっている。

呑川には、コイ、フナ、ボラなどの魚が生息。だが、最近ではミシシッピーアカミミガメやガーなどの外来生物が見つかっているという。
ちなみに、呑川という名の語源として、その昔、牛が誤って川に落ち、水を飲んでしまうことがあったから、などどいった説がある。
旅・散策・イベント

あれは「シナノミザクラ」

2019年03月14日
金魚の水槽の水を換えた。入れてあった金魚藻がほとんど食べられてなくなってしまったので、武蔵新田にある金魚屋さんまで自転車で行くことにした。

少し遠回りして旧六郷用水路を通った。途中、「南北引分」の手前まで来ると、もう桜が咲いていた。この緑道沿いの桜は3月に花が咲き、初夏には小さな少し細長い実をつける。LINE仲間に知らせようと自転車を止め、写真を撮った。

   シナノミザクラ      
    シナノミザクラ
          シナノミザクラ 

用水路とわかれて環八、多摩川線の踏切を渡る。新田神社への細い路を行くと、赤い字で「金魚」と書かれた小さな店がある。羽田屋伊東商店といういかにも昭和の店ではいつもオジサンが店番している。

   金魚や

スーパーや島忠でも売っているメダカや金魚、水草などはこの店で買うことにしている。
金魚藻を1束買った。230円なり。もう少し暖かくなったら、メダカを買いにこよう。

帰宅後、桜の情報を送ろうとLINEを開いて驚いた。Oさんからこの桜のことが書かれていた。「南北引分の近く、畑の前の小さな花が咲き始めました。あれは、なんという花でしょう? 🍒もなりますね」とあった。どうやらこの路は彼女の散歩コースらしい。実がなるのも毎年見ているのだろう。

金魚屋さんへ行く途中で桜を見たのは、ちょうど彼女がLINEにこの桜のことを書いたころだ。彼女が実際に見たのは朝だったかもしれないし、前日だったかもしれないが、2人とも咲き始めた桜に気づいたことに嬉しくなった。

何年か前に板橋区立赤塚植物園で写真をみてもらって「シナノミザクラ」とわかった桜だ。早速、「あれはシナノミザクラです。たしか支那実桜と書くのだと思います。小さな少し細長い実、美味しくないらしいです」と書いた。
植物園で「あの種の桜は街路樹には向かないのだが…」といわれたことを思い出した。実が熟すとすぐにポトポトと落ちているのを見たことがある。

今年は雪や霜の結晶を撮ることができなかった。すっかり春になってしまったようだ。うかうかしていると、シナノミザクラにサクランボがなる初夏はすぐそこに来ているのかもしれない。
植物など

再会を期して  

2019年03月13日
今年は母の雛人形を早く飾り、多くの人に観ていただいた。

      ひな人形

飾ったのはひと月前、じゅんじゅんが手伝いと称してそばで遊んでいて、ガラス越しに楓の枝にとまるツミというタカの仲間をみつけた。

つくばいに蛙をみつけた朝、啓蟄は過ぎたが、もうすっかり春。早く雛人形をしまわなくてはと焦った。

  カエル

雛人形をしまうのはもともと好きではない。とくに母が逝ってからは飾るのもさびしくなった。

「来年もまた飾ることができるだろうか」と心の中でつぶやきながら1体ずつ木箱にしまっていく。何しろ母が生まれた94年前の雛人形だ。木箱もだいぶガタがきているため仕舞う方が時間もかかる。

顔をティシュで覆い、その上から和紙で包んでから箱に入れる。箱の中には母がいれたのだろう、黄ばんだ俳句新聞が折り畳まれて隅に詰めてあったりする。捨てがたくそのまま入れておいた。

母と共に飾ったり片付けたりした年はどのくらいあっただろうか、なぜか母との光景が思い浮かばない。
身近な人びと

震災訓練

2019年03月12日
3月11日、赤坂見付にいた。たまたま1時間ほど時間が余ったため、港区のコミュニティバスに乗って終点の六本木ヒルズで降りた。
何やら大勢の人たちが集まっていた。ちょうど「震災訓練」が始まったところだった。

   訓練

「エレベーター閉じ込め体験」「AEDによる肺蘇生」「応急手当」「消火器」などの体験が出来るのだが、配られた非常食を持って回るのが精一杯。

      体験
     エレベーター閉じ込め体験 

  蘇生
      肺蘇生体験 

 消火体験
      消火体験 

ヒルズマンションの居住者やテナント以外にも自治会や学校、地元の消防団なども交えての震災訓練だとか。
平日ということもあって、報道陣や消防署関係者がどの体験コーナーでも目立っていた。

六本木ヒルズは、東日本大震災のときにも、多くの帰宅困難者を即座に受け入れ宿泊場所を提供したり1500人分の飲料水や非常食、550人分の毛布などを提供するなど話題になったという。

8年前のあの日14時46分、駒込の六義園にいた。帰宅できたのは12日の午前0時40分だったか。どこの駅にも入れず、新橋のホテルはすでに満室、コンビニの棚も空っぽ、公衆電話の前には長い列・・・
途中、休憩はしたものの約6時間歩きつづけた。このときの歩数は5万2千歩余。うち、地震後は3万5千歩。

あのときの経験から外出時にはリュックを背負うようになり、ラジオや充電器も携帯することが多くなった。
旅・散策・イベント

あれから8年

2019年03月11日
東日本大震災から今日で8年が経った。
震災被害が大きかった地域にも、東北地方にも親戚や知り合いはいないが、もっとも多く旅をした東北地方は身近に感じられる。そんなこともあって、大震災後数年経ってからLINEで「河北新報」を読み始めた。

岩手県などが出資する第三セクター三陸鉄道(宮古市)の「リアス線」が今月23日に開業する。
三陸鉄道は、岩手県の三陸海岸を縦貫する路線(北リアス線と南リアス線)を持つ、第三セクター方式の小さな鉄道会社。線路や駅舎が流失する甚大な被害を受けたが、いち早く全線復旧をめざすことを表明した。

東日本大震災の津波で13駅のうち7駅が被災した不通となり復旧工事を進めていたJR山田線宮古-釜石駅間の移管を受け、現行の南、北リアス線と合わせて誕生。総営業距離は全国の三セク運営鉄道で最長の163kmとなる。
デザインはこれまでと変わらないが、車内が広くなって乗り心地が向上したという。
ちなみに宮古を襲った高さ39.7mの津波は国内最高の高さとなったそうだ。 

  三鉄
     三陸鉄道 陸中山田駅付近

3月は旅立ちのとき。名取市閖上(ゆりあげ)地区に本年度、一貫校として再建された義務教育学校の閖上小中(児童・生徒146人)は、中学3年に当たる9年生18人を初めての卒業生として送り出した。
卒業生は旧閖上小1年時に被災。内陸部にある小学校の一角やプレハブ仮設校舎の中学校で学び、昨年4月の閖上小中開校により閖上地区に戻り、最後の1年を閖上で過ごすことができたという。

あの日、彼らと同じく小学1年生だったりんりんも中学を卒業する。長かったのか短かったのか、8年間の思い出が走馬灯のように駆け巡る。
旅・散策・イベント

平成生まれの詐欺

2019年03月10日
「ニセ電話による詐欺事件」は平成に生まれた犯罪。「オレオレ詐欺」といったことばが登場したのは2003年ころという。息子などを装ってトラブルに巻き込まれたと電話をかけて、高齢者から大金をだまし取る事件が相次ぐようになった。
平成の終わりにさらに凶悪化した詐欺の手口。大金を奪う詐欺の手法だったニセ電話が命まで奪うようになってしまった。
電話のベルが鳴れば犯罪と疑わなくてはならないという、情けない時代になったものだ。

詐欺といえば、ひと月前、母宛にハガキが届いた。「総合消費料金未納分訴訟最終通知書」「民事訴訟管理センター」「霞ヶ関3丁目1番7号」「裁判取り下げ最終期日」……もっともらしい言葉が並ぶが、「総合消費料金」ってなに?「訴訟の最終告知」とは?こういったものがハガキで届くことなどあり得ない。しかも「最終告知の取り下げ最終期日」がハガキが来てからわずか2日後とは!考えたり相談したりする時間を与えないために違いない。
そもそも1年半前に亡くなった母はそれまでの数年間は介護施設に入っていたのだが。
    
     ハガキ
 
届いたハガキを持って、ごんさんは近くの警察署へ。 
なんと管内だけでも数千枚バラまかれているとかで、「自動通話録音機」を貸出してくれたという。そろそろ固定電話をやめようと思っているので、録音機は翌日返却した。   

区内のLINEメンバー5人にこのことを伝えたところ、こういったハガキが来なかったのはOさんとYさんの2人だけだった。
Sさんは「我が家にも2週間前にきましたよ。息子宛に」。彼女はすぐに警察に電話したそうだ。 
Kさんからは「同じような葉書、2通来ました。中央官庁のホームページを確認し、詐欺なので警察署に届けました」。
何度か来たというIさんはすぐに破り捨てゴミ箱へ。彼女らしいなとおかしくなった。

数年前、大阪で一人暮らしのSさんの実母が、大金を騙しとられたことがあった。
一人暮らし、高齢者……取られるお金はないとはいえ、いつ被害者になってもおかしくないわが身、気をつけなくては。
平成に生まれた悪質な詐欺、平成とともになくなってほしいものだが。
つれづれ

工事中の代々木体育館

2019年03月09日
ひと月前、病院へ行く朝、いつものようにバス停に並ぶ人の最後尾についてバスに乗り込んだ。いつもより空いていると思いながら座れたのでスマホを取り出した。
バス停を2つほど過ぎたころだろうか、窓の外に目を遣るといつもの景色と違うことに気づいた。が、なぜ乗るバスを間違えたかすぐにはわからなかった。

いつも乗るバスは混む。たいてい手前の停留所の後方まで行列ができているので、その最後尾につけばいいのだが、どうやらこの日は手前のバス停の列に並んでしまったらしい。

慌てて降りて反対側の停留所へ。1人、2人とバス停に列ができていくが、どうやら遅れているのかバスはなかなか来なかった。本を広げる気にもなれず、再びLINEを開くと、息子から3枚の画像が入っていた。

「代々木体育館の解体工事 石垣を一度バラして、番号を振り、また戻すらしい お城のようだ」
この日の朝、通勤途中でみかけた光景らしい。彼はふだんは渋谷駅からだが、考えごとをする?ときは原宿駅から歩くのだとか。

   工事中
    工事中
    工事中

丹下健三氏の代表作「つり屋根構造」が世界的にも有名な代々木体育館。1964年のオリンピック、そして来年と、2回オリンピックに使われることになっている。
最近は山手線の車内から目にするくらいになったが、モダンな体育館は遠くからでも目立つ。

3日後、再び息子から来たのは「気持ち悪いくらい同じ」という朝日新聞デジタルの記事に載っていた写真。たしかにそっくり、驚いた。

     朝日新聞デジタル
     朝日新聞  *Click !

代々木競技場第一体育館は、来年の東京オリンピックのハンドボール、東京パラリンピックのウェルチェアラグビーと車いすバドミントンの会場として使用される予定。
そのため、建築後53年を経過し、新基準への対応を迫られた代々木競技場は、外観のデザインを変更せず、柱の補強など約22ヶ月の改修工事を経て、2回目のオリンピック会場へと生まれ変わることとなる
とのこと。
工事は今年9月までの予定という。
旅・散策・イベント

晴れ男? 晴れ女?

2019年03月08日
朝から雨の予報、六郷用水あとを辿るのは2回目。今回は7人で南堀の分流を3本、といっても半日で歩くことはできないためバスをフル活用。  
  
  栞
      「南堀支流を辿る」栞

蒲田駅東口バス停前に集まって、まずは分流の1つ「逆川通り」に入って呑川沿いに置かれた「蒲田橋の親柱」に立ち寄ってからバスに乗った。
運転席の窓に雨粒が当たっていたが、東糀谷2丁目で下車したときには雨はあがっていた。
リーダーのS氏が「あ、晴れてきた」と叫ぶ。彼が晴れ男なのだろうか。
晴れ男、晴れ女が誰かはわからないが、時おり、日が射したりするときもあったりと、おかげで午後の4時間、一度も傘をさすことがなかった。

  北前堀水門近く  

下見した日と同じように北前堀緑道を歩いた。途中、梅の木に番のウグイスを見つけたときはみんな歓声をあげた。
北前堀水門、南前堀水門、そして穴守稲荷のバス停に向かう前に入ったのはおしゃれなカフェベーカリーで抹茶ラテをいただいた。
      ウグイス
  水門 
    北前堀水門    南前堀水門    

   抹茶オレ 

お茶を飲みながら次回訪れる場所を決めたあと、蒲田行きバスに乗り六郷水門前で下車。水門は昔のままだが、周囲の景色がずいぶんと変わったように感じた。

  水門 
       六郷水門

新宿(しんしゅく)小学校付近が、「蛸の手」と呼ばれた南堀の分水口あと。このような小学校があったことは知らなかった。六郷在住のリーダーはさすがに詳しい。現在、団地や蒲田高校になっている新潟鉄鋼跡地には「日本舶ディーゼル機関発祥の地」の石碑がたっていた。
この辺りはまったく初めてだった。大田区内は比較的知っていると思っていたが、まだまだ未知の場所があるとは・・・。

   3945no6.jpg
        「蛸の手」案内図  

このあたりから南堀本流を遡っていくと、先月歩いた女堀との分水口である「南北引き分け」に至る。六郷用水、北堀と南堀本流は辿っていないので機会があれば歩こうと思っている。
旅・散策・イベント

ただいま修理中

2019年03月07日
まだ2年半しか経っていないノートパソコンだが、電源ボタンを押しても起動しないことがたまに起きるようになった。半年くらい前からだろうか、そんなときは本体の裏にあるバッテリーをはずすことにした。たいていは1分くらい放置すれば回復した。

だが、それも今年になって頻繁に起きるようになってきたので、さすがに焦りを感じた。
ある時突然、まったく動かなくなったらどうしよう---
仕方なく以前使っていたノートパソコン(Windows7)を出してきた。起動するときに異常なモーター音がするなど、いくつか問題があったパソコンだ。そのために買いかえたWindows10だったのだが。

データはバックアップ、会で配る予定の栞などの印刷はすませ、思いきって修理に出した。3週間程度かかるという。
修理代は5年間保証のお陰で7万円弱までは店が負担してくれるので助かった。それまでは古いパソコン、タブレットにキーボード、スマホでなんとかやっていこうと決めた。 

    タブレット
つれづれ

家出ではないらしい

2019年03月06日
今日は24節気の1つ「啓蟄」。冬ごもりをしていた虫たちが土の中から出てくる頃。春の気配を感じて、冬ごもりをしていた虫たちが活動を開始する頃。
「啓」には「開く」「開放する」などの意味があり、「蟄」には「虫などが土の中に隠れて閉じこもる」という意味がある。

3月1日の夕方、たまたまりんりんたちと2階に飾った雛人形を前に夕食をとっていたときのこと。ふとベランダに目を遣ると、ガラス戸の向こうにアミの姿が!北側の物置からトイを伝わり西から南側のベランダへ降りたのだろう。

  3.1
      3.1
     3.1   18:00

よほどお腹を空かせていたのか、階下から持ってきたフードを皿に入れると早速食べ始め、さらにお代わりを要求。
この猫の登場で喜んだのはじゅんじゅんよりも母親の方で、無責任にも?また来るようにと鰹節をやった。案の定、翌日、わが部屋の前に現れてフードを要求した。前日と同じ窓の前でどのくらい待っていたのだろうか。

段ボール箱に古いマットを敷いて置いておくと、食べ終わった後、入って態勢を整えて安心して眠った。かつてベランダに彼らの家があったこと、覚えているはずもないが。

    3.2
    12:3    3.2

3日の朝、雨戸をあけると、箱の中からアミが出てきた。いつからいたのかわからないが、雨戸が開けばフードにありつけることを知っているようだ。仕方なく階下からフード入りの瓶を持ってきて、下の雨戸が開くのを待っているククトモより早い朝ごはんとなった。
食べ終わるとしばらくは箱に入っていたが、10時過ぎ、どうやら鰹節はもらえそうにないと、雨の中を去っていった。

   3.3
      3.3    6:00    
     
アミは11年前、わが庭で生まれた猫だが、ともに生まれたトラは一昨年病死した。以来、トラと仲良かった兄のケシは庭を去りこの1年、わが庭に現れたことはない。今年になって近くの空き地で見かけたが、やつれた様子だった。

       ケシ
        ケシ  空き地で  2019.2

    アミ
        アミ  Nさん宅   2019.1
  
数年前にククがお向かいの地域猫グループから外れたトモをわが庭に連れてきて以来、2匹はずっとわが庭で暮らしている。

   ククとトモ
        トモ     クク   2019.2

もと野良猫、地域猫というのは兄弟姉妹で同じ場所で過ごすことは少ないらしい。彼らはそれぞれに気に入った居場所があるが、いざとなったら餌を確保できる場所も決めているらしい。本宅、別宅とも3ヶ所はあるときいたことがある。
動物など

六郷用水 多摩川へ

2019年03月05日
「南北引分」から流れてきた六郷用水は蒲田の「蛸の手」で東京湾へ、多摩川へと分かれて流れる。(六郷用水 南堀支流

多摩川へつづく流路には「子の神堀」分流と「雑色・八幡塚」分流がある。JR線路の東側へ、水路が出てきたところが「子の神堀」の始まり。
南六郷2丁目団地まで来ると、堀を模したせせらぎのあるプロムナードとなる。このせせらぎはまっすぐ南六郷緑地まで続いて右に折れ、その先には水路の終点になる「六郷水門」がある。かつてこの付近は「六郷川」と呼ばれていた。

 水門

   水門

「六郷水門」は昭和6年(1931)の竣工、大正から昭和にかけての多摩川改修工事の一環として造られた。また、当時は宅地化により生活排水が増大し、下水道が普及するまでの間、その排水処理を担うとともに、大雨時の逆流を防いでいた。
水門そのものは現役で、多摩川が増水した際には閉じられるという。土木学会の日本の近代土木遺産にも選ばれている。

   水門

「六郷水門」は何度も訪れたお気に入りの場所の1つで、本画にしたことがある。この水門近くにはわずかに堀が残っている。
多摩川の堤防上から水門を眺めると、今は亡きK氏やI 氏たちとスケッチに通った頃のことを懐かしく思い出す。
旅・散策・イベント

六郷用水 南堀支流

2019年03月04日
2回目のすいよう会は、六郷用水跡の南堀を辿ることになった。復元水路も整備されている女堀(おなぼり)や北堀が案内板(「六郷用水物語」など)も豊富で、水路跡も緑道として整備されているなど、歴史を感じさせるコースが多いが、南堀は水路もほとんど一般道に埋没している。案内地図を用意していないと「南堀」を辿るのはむずかしい。

 流路図
     六郷用水流路図 *Click!

南堀本流は「南北引分」から分水口である「蛸の手」へ。現在はJR蒲田駅の電車区になっている。タコの手が絡まるように複雑に分水していたことからつけられたという。

今回は「蛸の手」から分かれた流路のいくつかを辿る。リーダーと相談の上、シルバーパスか「都内1日乗車券」(¥500)でバスも利用することにした。

その1つ「能登川堀」は「蛸の手」からJR線と区役所下を直進して蒲田東口側へ出て、呑川と合流する。「能登川堀」は海水が逆流してくることもあったようで「逆川(さかさかわ)」とも呼ばれる。

   逆川通り
               逆川通り

当日はJR蒲田駅前に集合して、逆川通りをあやめ橋まで歩くことになる。逆川通りは耳鼻咽喉科に行くときに通るお馴染みの道。
あやめ橋近くの呑川沿いに50mほど手前にある道路に架かっていた旧蒲田橋親柱が保存されている。

      昭和59年
          旧蒲田橋の親柱
   親柱
      
呑川と合流した逆川は、夫婦橋上流で分岐して下袋用水として北前堀水門で東京湾へ注ぐ。

先日の雨の日、耳鼻科の帰りに北前堀水門と南前堀水門を下見しようと、あやめ橋からバスに乗った。
あやめ橋から東糀谷六丁目行のバスに乗り、東糀谷2丁目で下車。北前堀緑地公園を歩き、北前堀水門脇を南前堀へ。
晴れていれば子どもたちも遊んでいて賑やかな緑地公園だが、雨のせいか人通りは少なかった。
北前橋の下は自転車用道と歩道に分かれていた。

    北前堀緑道
    北前橋
        北前橋 
  
   北前堀水門
         北前堀水門

「蛸の手」から分かれた南堀の1つ「新宿糀谷村用水」は、道塚村・蒲田新宿村から糀谷村の南、荻中村の北を通って浜竹用水へと続き、南前堀へ流れて東京湾に落ちていたという。
農業用水としてはもちろんのこと、生活用水として欠くことの出来ないもので、「生命の水」とも呼ばれていたとか。
北前堀水門から南前水門までは近い。「警戒中」と書かれた船が係留されている海老取川に沿って工事中だった。

    南前堀水門
     南前堀水門と排水ポンプ場跡  

そして次の目的地は「六郷水門」。蒲田行のバスに乗るのだが、歩く距離によって3コース考えた。当日、どのコースにするかは多数決で決めることにしようと思っている。
六郷水門から蒲田行バスに乗り、蒲田本町で下車。「蛸の手」の案内図に立ち寄ることになっている。
旅・散策・イベント

京雛は京都風に

2019年03月03日
今日3月3日は「桃の節句」は。本来は「上巳(じょうし、じょうみ)」の節句」といい、3月の最初の巳の日を指していたが、のちに3月3日に定まった。

中国ではこの日に水辺で身を清める習慣があり、それが平安時代に日本に伝わった。草木、紙や藁で作った素朴な人形(ひとがた)に自分の厄災を移す習わしや、貴族階級の子女の間で始まった「ひいな遊び」という人形遊びが結びつき、海や川に人形を流してお祓いをする「流し雛」の習慣となった。 (江戸流しびな

     流しびな
           江戸流し雛       2015年

江戸時代に上巳の節句が五節句のひとつに定められると、5月5日が男の子の節句であるのに対し、3月3日は女の子の節句となり、桃や雛人形を用いることから「桃の節句」「雛祭り」と呼ばれて定着。「桃の節句」と呼ばれるようになったのは、旧暦のこのころに桃の花が咲くことや、桃は魔除けの効果を持つとされてきたからという。

関東雛の飾り方は、男雛を向かって左側に女雛を右側に飾る。
三人官女の持ち物は、長柄銚子、加銚子、盃(三宝)。仕丁の持っている道具は、大名行列での道具なのだとか。

京雛といわれる関西雛では、男雛を向かって右側に女雛を左側に飾る。
官女は盃(三宝)ではなく島台を持つ。
仕丁の持ち物は宮中で使う持ち物で、左から「熊手」「ちりとり」「箒」の順に並べる。

男雛を向かって右、女雛を向かって左に飾るのは、京都御所の紫宸殿の御即位の式典でこの並びだったのが由来。
また太陽が先に当たる側が位が上とされて、これは中国からの考え方「太陽が登る東の方角が上位となる」という考え方から来ているとか。

関東では武家中心の慣習が強く、右側が「位が上」とされていたため、男雛を向かって左、女雛を向かって右に飾るようになったと言われている。
特に江戸時代に雛人形はお輿入れのお道具として持たせていたので、権力の誇示として関東の飾り方になったと言われている。

西洋の文化が入ってきた明治時代、西洋では右側が「位が高い」とされていたのを受け、大正天皇が即位の時に立たれたのが右側だったことから、それ以来雛人形もそのように変わったと言われている。
昭和天皇即位式の時の両陛下の位置を参考にして、東京の雛人形界で決めたという。

京雛は切れ長の目、鼻筋が通った京美人、関東雛は目が大きめ、口元がほころんでいてふっくらとした顔。
母と同じ歳を重ねてきた雛人形の顔もお道具も京都風。祖父母、母とずっと男雛は向かって右側に飾っている。左近の桜、年長の左大臣が向かって右側なのでこの方が自然だと思っている。(ひと足早く雛祭り

   2019
                  2019年

今年は思いがけず多くの人に母の雛人形を見ていただくことができた。片付けるのは正直、面倒だが、来年も飾ることができるように願って丁寧に箱にしまうことにしなくてはと思う。

昨年の2月、東邦医大病院の入口脇につくられた雛段に感激したことを思い出す。京都の作者だということもあるのだろうか、男雛が向かって右側だったので嬉しかった。

     2018
               2018年
   2019
               2019年

ところが、今年、向かって左側に男雛、右側に女雛。え~何で? 思わず声をあげそうになった。昨年と違う人が飾ったのだろう、京都雛なのに・・・。昨年喜んだ分だけがっかりした。ここは東京だから仕方ないのだろう。
身近な人びと

脳トレにチャレンジ

2019年03月02日
「一月往ぬる 二月逃げる 三月去る」を実感し始めている。今年になってとくに月日の経つのが早いことに驚く。
4月にはりんりんは高校入学、じゅんじゅんは小学校入学、今月は別れの季節。

りんりんのこの半年、成長は目覚ましい。背もだいぶ伸びて、すでに母親を越した。何より自分なりの目標に向かって計画を立てるようになった。相変わらず失せ物、忘れ物はあまり減ってはいないが、学校にスマホを携帯できるようになるため、そんな機会も減るだろうと期待している。

2月末、高校入学が決まったりんりんが5月末の英語検定2級を受けると宣言。2級は高校卒業程度。「いきなり2級?準2級(高2程度)がいいのでは?」「2級じゃなければ意味ない!」と頑張る。どうやら本気らしい。

わが身を振り返ると、2級程度の英語力があった時期もあるはずだが、その後、めったに使うこともなく過ごしてきたため情けないことに中学程度の単語、熟語くらいしか残っていない。
中国語学習も中途半端、中国語検定を受けたこともないし、中国人との交流も極端に減り、すっかり中国語から遠のいてしまった。今は月1度の桂花会中国茶の集まりのために辞書を引き引き短い文をつくるのが唯一中国語に触れる機会。

春は始まりのとき、何か新しいことを始めたくなる時季。この春はりんりんに影響されて何かに挑戦したくなった。
この際、中国語でなく、英語、英検にチャレンジしようと、2人で蒲田の駅ビル内の書店へでかけた。とりあえず準2級をと思ったが、彼の強いススメで2級にした。
受かっても受からなくても、勉強することに意義があると、結果、「単語+熟語」を2種、問題集、過去問と2人で4冊購入。

    テキスト

「1日30分、20日」でできるという問題集をやることにした。それならと、彼は2冊を20日でやることに決め、やり終えたら交換してさらにやるという。驚いたのは英検勉強を終えるまでは、ゲームはやらないと宣言したこと。半年前の彼とは別人のようだ。

1日3回飲むべき漢方薬が1週間経つと1日分ほど残っていたりする、そんな人間に毎日やれるだろうかなというと、「たった30分だからできるよ!」「体験談によく70代や80代で英検〇級に受かりましたというのがあるから大丈夫!」と。まさか彼に励まされることになるとは!!
こうなったら三日坊主にならないように1日30分、やらなければ彼にも自分にも負けることになりそうだ。
検定日まで90日余だとか。「英検にチャレンジ」の春、結果はどうであれ、学習はつづける覚悟を決めたが、どうなることやら。
身近な人びと
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