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昭和の屋上観覧車

2019年04月30日
かつては各地のデパートにあった屋上遊園地は年々減少。東京でも松屋浅草(2010)、東急百貨店東横店(2013)、松坂屋上野店(2014)など閉園が相次いでいるという。
現在、小型の観覧車が営業している屋上遊園地は、丸広川越店と大田区の東急プラザ蒲田だけだが、今年の9月、川越市の丸広百貨店の屋上遊園地が閉園するという記事を読んだ。
1968年の開業以来、親子3代にわたって親しまれてきた川越店の観覧車は建物の耐震工事に伴うスペース確保のために撤去されるという。

都内唯一の屋上遊園地、東急プラザ蒲田の観覧車は2014年に一時閉店するまでの46年間にわたって「蒲田のランドマーク」だった。(屋上で過ごす消える屋上遊園地

   東急プラザ
        東急プラザ蒲田

観覧車を残してほしいという声も多く、観覧車は公募約3000通から「幸せの観覧車」、東急プラザ屋上は「かまたえん」と決まった。半年の間休止していたが再びまわり出した。(はじめての観覧車
リニューアルオープンの数日後、りんりん、じゅんじゅんを連れて屋上へ。2人とごんさんが乗った観覧車に手を振ったことを思い出す。

  観覧車
  屋上
        byりんりん

考えてみると、昔絵の友だちに桜木町の大観覧車に誘われて恐る恐る乗ったことはあったが、観覧車もリフトも高いところは苦手だ。
じゅんじゅんも小学生、彼と屋上にいくこともないだろう。昭和、平成とまわり続けてきた蒲田の屋上観覧車。明日からの令和の時代にも頑張ってほしいと思う。
旅・散策・イベント

子どもガーデンパーティ

2019年04月29日
4月最後の日曜日、どこの図書館でもいいので迷ったが、池上からバスに乗って大田文化の森の図書館に行くことにした。
バス停を下りると目に入ったのがはしご車。

   はしご車

「おおた文化の森」は、この日平和島、馬込、池上、多摩川、洗足池など区内10ヶ所で開かれる「子どもガーデンパーィ」の会場の1つ。ちょうど準備の真っ最中だった。子どもたちが地域の人々と触れ合う機会を作るとともに、地域のコミュニティづくりのきっかけにすることを目的としているのだとか。

館内に入ると大勢の人でロビーは埋め尽くされていた。その間をすり抜けてエレベーターに乗った。図書館と情報館のある2階は、屋外やロビーとは打って変わってシーンとしていた。まずは下見がてら情報館マルチメディアコーナーへ。体験コーナーでExcel文書を作成した。1時間無料だが、空いていれば継続可能。結局、2時間近く作業していたようだ。

  2階から
           2階から

図書館で3冊借りて外へ出ると、ちょうどお昼時、階段に腰かけて焼きそばを食べている子どもたちもいれば、消防士の体験やはしご車の搭乗体験を待つ長い列ができていた。

30m級のはしご車だろうか、消防士、ヘルメットをかぶった父親と子ども(小学生と幼児)がバスケット?に乗ると、はしごはみるみるうちに伸びて、あっという間に会館の5階を超え、空高く上がっていった。母親だけでなく周りの人たちもスマホを向けていた。

   消防士
   搭乗
     いってらっしゃい

  伸びる
   
  帰還
         おかえりなさい

めったに体験できないはしご車搭乗体験、どのくらいの親子が体験できたのだろうか。
意外にスピードがある。怖がっていないだろうか、勝手に心配していたが、戻ってきた子どもは泣いた様子はなかった。
旅・散策・イベント

保護犬カフェ

2019年04月28日
都内の図書館で区外在住にも貸出をしている区は約半数。先日借りたい本が大田区にはなく、豊島区の図書館にあることを知り予約をしたところ、運よく数日後に連絡が入った。受取りは巣鴨図書館、かの有名な巣鴨地蔵通り商店街を抜けて少し行ったところにある。

    ことりカフェ
       ことりカフェ  巣鴨

途中、ことりカフェという店の前を通った。
鳥のいるカフェは以前、浅草で見かけたことがあるくらい。フクロウが「招き鳥」の役を果たしていたので、印象に残っている。

   アウル
     アウルカフェ  浅草

猫カフェ、うさぎカフェ、いろいろあるが、最近は保護犬などに出会えるカフェが都内でも増えているようだ。
大阪市を中心にふれあい譲渡会を開催し、里親を探しているNPO法人「ラブファイブ」(Lovefive)にも保護犬カフェがあるという。
ここは犬猫の殺処分をゼロにするために活動している。飼育放棄されたり、保健所に収容されている犬たちを保護し、毎週公園での譲渡会や保護犬カフェなどで里親探しを行っている。活動範囲は現在、大阪、奈良、愛知、千葉。

    ドッグラン
       ドッグラン  芝浦中央公園

長い間、犬を飼っていたが、シェルティを癌でなくしてからわが家には犬はいなくなった。父が亡くなると、いつの間にか庭はノラ猫(地域猫)たちの庭と化した。
実は猫より犬の方が好きなので、犬との暮らしに憧れることもあるが、今や、犬を飼うことはできない。だが、もし飼うとすれば、シェルターや譲渡会に出かけて・・・というのでなく「保護犬カフェ」のようなところで出会った犬の里親になりたいと思うのだが。

それにしても2017年、約4万頭の罪の無い犬猫が殺処分されているが、これでも年々減ってきているというから考えただけでも恐ろしくなる。
動物など

用水沿いの散歩道

2019年04月27日
六郷用水の女堀の南北引分付近には、遊歩道と崖との間にある畑には季節の野菜や花がつくられている。

2015.11
                 2015.11

 2019.4
             ジャスミン  2019.4

「・・畑の脇にいい香りの木 これはなんでしょうか?」すいよう会のLINEメンバーの中ではもっともこの畑に近いOさんから久しぶりに写真が送られてきた。

     ジャスミン
           Oさんから

早速、「羽衣ジャスミンでは?」と送ると、その1分後、Sさんから「ハゴロモジャスミン」の検索結果が。タッチの差だ。

      結果
         Sさんから  *Click!

すると「やっぱりジャスミンですか! いい香りです。ありがとうございました。サクランボの色も少し赤くなってきました」と、歩道に植えられたシナノミザクラの写真が送られてきた。

      実
         Oさんから     

こちらからも数時間前に通ったときにやはり色づき始めた実の写真を送った。同じ道を通り、同じように花や木に目が行く仲間がいることが嬉しい。

   実
        雨粒の残るシナノミザクラ 

フェンスから顔を出したエンドウには絹さやがいくつも下がっている。

  さやえんどう

これからますます六郷用水沿いに歩くことが楽しくなった。
植物など

あの木もこの木も

2019年04月26日
六郷用水跡の歩道は大好きな散歩道だが、1週間前から造園業のトラックが数台横付けされて木の伐採が行われている。
かつては「マイさくら」と決めていたソメイヨシノもついに跡形もなくなってしまった。(かわる景観
恐らく、ビワもイイギリもいずれ葉を繁らせ、実をつけるかもしれないが、当分はなんとも哀れな姿で立っていることになりそうだ。

イイギリ
  いいぎり
          2013.12.3
   いいぎり
          2019.4.23

ビワ
   ビワ
          2017.11.22  
 
    ビワ
          2019.4.20

ソメイヨシノ  
   サクラ
          2013.3.30

    桜
          2019.3.31 

2015年ころに根元から1m弱残して伐られたが、その後、枝を伸ばして花を咲かせたのだが、この4月、根元から消え去った。
  
防空壕が顕に
    防空壕
           2013.11.1

    防空壕
           2019.4.24

それにしても、防空壕の行方が気になる。壕の中にもうタヌキやアナグマたちはいないだろうか、古墳時代の遺物が出てくることはないのだろうか。
植物など

かわる景観

2019年04月25日
歩道に植えられたシナノミザクラの実が色づき始めた旧六郷用水南北引き分け近くの景観が変わりつつある。
国分寺崖線の尾ともいわれる崖から歩道までに生えているはさまざまな木々は季節を感じさせてくれる大好きな散歩道だ。
ソメイヨシノは散り、イチョウは萌黄色の葉を繁らせていた。枇杷の木は実をつけ始めたところなのだが、ちょうど1週間前に伐採されてしまった。
秋に赤い小さな房状の実をつけるイイギリも何の木だかわからなくなるほどバッサリと切られた。

   4.17
       始まった伐採 4.17

ごんさんが通りかかったのは伐採が始まった初日だった。立ち会っていた大田区の職員に「何か建つんですか?」と尋ねたところ、「防空壕の調査」だという答えが返ってきたという。
崖には少なくとも70年以上経った防空壕が3つ残っている。ごんさんは小学生のころ中に入って遊んだこともあるという。当時の記憶では、畳3帖分ほどの狭い壕だったようだ。

ごんさんの母にきいた話では、戦時中には近所の人たちとこの防空壕まで避難しにきたことがあったという。何人くらい入ったのだろうか。当時、新田神社近くに住んでいた母がずいぶんと離れているのにと驚いたことを覚えている。(残る防空壕

  防空壕
  防空壕
          残る防空壕

これらの防空壕のある付近は横穴墓がある地域(根岸横穴墓群)として知られている。防空壕の調査をすれば、ひょっとすると何か古墳時代の遺物が発見されるかもしれない。早速、郷土博物館のS学芸員に連絡をとったところ、博物館には情報は入っていないという。
翌日、大田区役所に問い合わせたが、防空壕は私有地の中だし・・・と、担当課でもきいていないとのこと。

  4.18
            4.18

以来、出かけるときは少し遠回りしてこの道を通るようになった。朝、夕通る日もあるが、その度に木々がどんどん丸裸にされていっている。ビワイイギリ、サクラ・・・歩道に覆いかぶさるように伸びた枝、その下を通るときは少し暗いと感じたものだが、そこがまた魅力なのだが。

  4.19
   4.19
           4.19

すいよう会のLINE仲間Oさんは気づいていた。「今朝、散歩で行ってきました。すっかりすっきりしてしまいましたね。なんだかあの鬱蒼とした雰囲気が懐かしく思います!!」と。
  
そして3日目、伐採された枝を片付けている造園業の人に尋ねたところ、「境界線をはっきりさせるためらしいよ」と答えてくれた。
としたら、ここまで木を切る必要があるのだろうか。
丸見えになった防空壕は戦争遺跡となるはずもなく、横穴墓と認められることもなく、潰されてしまうのかもしれない。

 4.20
                4.20

数年前、わが庭にやってきたアナグマやタヌキたちはこの防空壕に住んでいたと勝手に考えている。彼らが今、どうしているのかはわからないが、わずかに自然を残すこの崖地や崖上の空地は人間にとっても貴重な場所だったのだが。
旅・散策・イベント

ビルの中の図書館

2019年04月24日
先日、ある専門書を図書館で借りようと、いつものように大田区立図書館で検索したが、区内で所蔵する図書館はなし。
はるか昔、利用カードをつくったことのある目黒区立図書館を検索した。ここは区内在住在勤はもちろん、区外の人も利用できるのだが、残念ながら目当ての本はなかった。

片っ端から調べてみると、区外でも利用できる区は、千代田区、中央区、港区、新宿区、文京区、台東区、品川区、目黒区、世田谷区、渋谷区、豊島区、北区と約半分の23区だった。
あとの区は、区内在住、在勤、在学と隣接区というのがほとんどだが、これほど自治体で異なるとは思ってもみなかった。

なんと区内に17館もある大田区では区内在住、在勤、在学のみとなっている。
ちなみに、図書館の数は、世田谷区の21館がもっとも多く、次が足立区の18館。意外にも中央区には3館、千代田区には6館しかない。
探している本が所蔵されていて、しかも区外の人が利用カードを作れるという条件を満たす区は港区と豊島区のわずかに2館だった。

土曜日、散策を兼ねて?港区の港南図書館に行ってみた。駅や海の方角はわかるのだが、途中で迷ってしまった。いつもはGPSの位置情報は使わないようにしているが、この時はお世話になった。つくづく「地図の読めない女」を自覚した。
   
 港南図書館
        港南図書館

品川港南口から芝浦中央公園の中を横切ってビル群の中にやっと見つけたビルの中の図書館。さすがに高層ビルやマンションが多い地域だ。窓口で利用カードを作っている間も、大勢の人が次々にやって来る。事前に調べた通り、借りたい本は予約中。遅くとも3週間後には借りられるだろう。
 
  豊島区中央図書館
       豊島中央図書館

翌日、荒川線(さくらトラム)に乗りたくなって、上の条件に合うもう1つの豊島区中央図書館へ。東池袋4丁目で降りて図書館へ向かう途中、交差点脇の歩道に献花台が設けられ、親子連れなど大勢の人たちが手を合わせていた。2日前に起きたあの痛ましい「池袋の事故」現場だったことを知った。

図書館を訊ねたところ、高層のオフィスビルの4階だった。事前に検索した時点では貸出中とも予約中とも書かれていなかったが、行ってみると貸出し中。早ければ1週間以内に連絡が来るだろう。港区よりは早そうだ。利用カードをつくり予約をした。

  カード

港区の港南地区も豊島区のサンシャイン60近くの東池袋の図書館も高層ビルの中。大田区には比較的古く小規模な図書館が多い。
買えば簡単なのだが、本は極力買わないように決めたので、交通費かけても借りることにした。連日の図書館行きで思わぬミニ旅の気分を味わった。なるべく同じルートでがわが旅のルール。出かけるにはいい季節になった。
旅・散策・イベント

「禰宜舞」

2019年04月23日
豊作と厄払いを祈る例祭「禰宜(ねぎ)の舞」が、21日、西嶺町の天祖神社で奉納された。
川崎市の芸能無形文化財に指定されている白幡八幡大神の禰宜舞は、江戸時代から続く伝統的な神楽で、徳川家康が関ヶ原に出陣する際に先勝祈願のため、白幡社の神主に神楽を舞わせたのが起源とされているという。
禰宜とは、現在では神職の位を意味するが、16世紀頃までは神職の総称だったという。

昭和初期までは多摩川沿いの神社を中心に約20か所で行われていたが、現在都内ではこの天祖神社でしか見られない貴重な例祭となっているという。

寛文年間(1661-1673)に嶺村の住人数人が、伊勢神宮へ参拝した時に授与された御神霊を、お祀りし創建。
昭和初期に、東調布第一小学校が木造校舎の一部を、建て替えた時の古材を譲り受けて境内に嶺町公会堂を建立、その中に社務所、嶺町々会事務所を併設。
戦時中にはこの公会堂に、大森区役所(現大田区役所)嶺町出張所が設置され、第二庁舎が新築されるまで、ここで事務を執っていた。
昭和47年に環状八号線建設に伴い、境内が半分以下になったが、、翌年、本殿・鳥居・社務所を建立、参道・玉垣と境内整備も完了し現在に至る。氏子区域はなく、崇敬者を以て維持されている。
(境内掲示より)

   神社
       嶺天祖神社

舞う面は天狗、女面など5種類。舞うごとにお面と衣装を変える。舞いそのものは単調で、太鼓の響きから別名「デデデンコ舞」ともいわれている。舞は川崎市の白幡八幡大神の小泉家の一子相伝による口伝だとか。今年の舞い手は同社の古川さんだそうだ。

りんりんの家に自転車で行くときなど、必ずこの嶺天祖神社の前を通る。環八沿いにあるが、階段を上の境内はひっそりとしている。狛犬もいない。
今まで区報などで「禰宜舞」の記事を目にしたことはあるものの、まさか毎年この神社で行われているとは思ってもみなかった。

今年、はじめてOさんと行ってみようということになった。狭い境内では注連縄に囲まれてゴザが敷かれ、神膳矢、餅、笹が供えられていた。
15時開始。まず最初は神職が大祓詞を奏上して部隊を祓い清める。鈴と御幣で舞う。

   1

「猿田彦命(さるたひこのみこと)」が始まる。通称天狗さま、道祖神で道案内役、人生の道案内の神。
太鼓のデデン、デデンという音のみ。御幣と鈴を持ち、歩き回ってシャンシャンと鈴を鳴らすだけの単純なもの。 

  1
       猿田彦命

「天鈿女神(あめのうずめのみこと)」。天岩戸の前で踊って天照大御神を慰め踊り、芸能の神。鈴と御幣を持って「猿田彦命」同様の舞。

  2
       天鈿女神

休憩の後は、「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」の舞。天岩戸の前で祝詞を唱えて祈祷し、神事、祭りを司る神だという。

 3
       天児屋根命

そして「彦火火出見命(ひこほほでのみこと)」。山の幸の神。山で鳥獣を狩猟司る神。
少しだけテンポが速くなった。鈴と御幣で登場するが、途中弓矢をとり、矢を飛ばした。矢は5本くらいだったか、そのうちの1本は梅の枝に引っ掛かった。前にいた男性が枝をゆすってゲット。もう1本は屋根の上に乗ってしまった。

   4
      彦火火出見命
 
最後は「大山祇命(おおやまずみのみこと)」。山々の緑、山から湧き出ずる清水、樹々から生ずる木の実等、山の大自然を司る神。
まかれたビニール入りの餅を掴んだと思ったら滑って地面に落ちた。しっかり拾ったもの、あとから配られたものも入れて2人で7個ゲット。

  5
      大山祇命

舞が終わると、大釜の湯に笹を浸し、頭上で振るという「湯花神事」があったようだが、立ちっぱなしで腰がかなり痛くなっていたこともあり、一足先に帰ることにした。
旅・散策・イベント

「五禽戯」との出会い

2019年04月22日
昨年秋に入会した太極拳の会は、今年になって都合がつかなくなりやめた。だが、週1度でも身体を動かしていないと調子が悪結局、以前からSさんに誘われていた会に入会した。バス一本で行かれるのも有難いが、何より入会金不要というだけでなく、費用は当日参加した時のみでOK(その上、他のどの会に比べて安い)というのがいい。そんなこともあるのか、登録メンバーは40人ほどと多い。

お揃いのウェアを身に着けている人は半分くらいだろうか。センターの体育館いっぱいに広がって運動するさまは壮観だ。「今日は少ないわね」と言うところをみると、普段はもっと大勢集まるということだろう。
見学がてらのつもりが、真ん中に入って見よう見真似でやり始めると、隣の方が「これでは自分の身は守れないでしょ。だから腕はここに・・・」「ここはシャッコツ(尺骨)といってね・・・」といった具合に丁寧に教えてくださった。
あとでSさんにきくと、先生とは別に、四隅に控えているベテランの人たちは皆の動きをチェックしてアドバイスしてくれる人たちだとか。「その中でもNさんの動きがすごく奇麗なので、私はなるべく彼女のそばに行くのよ」とも。

ところで、今まで「24式太極拳」は何回かやったことがあるのだが、最初に行った「五禽戯」はまったく初めてだった。
「五禽戯」は、中国後漢時代(紀元前3~2世紀)の名医・華陀が5禽(虎、鹿、熊、猿、鳥)の動きをヒントに創編して以来、1800年間の歴史と伝統があり、健康効果があるとされている。

華佗は薬学・鍼灸に秀でた医師であり、「五禽戯」の創編者と言われる。現在の安徽省亳州市の出身。
世界で最初に麻酔をも発明し、麻酔薬を使って腹部切開手術を行ったといわれている。そのため、人々から「神医」と呼ばれた。
三国志で有名な曹操の典医となり、頭痛や眩暈の治療をおこなっていたという。

   五禽戯
    
「健身気功 五禽戯」のプリントによると、「五禽戯とは、五種類の動物の戯れる動きの様子を模倣した運動プログラム」とある。
なるほど自然界で動き回り、運動不足とは無縁な動物たち。
熊のように「指を立てて~!」などと動物の形を真似ることに納得。「掌を張って指の関節を折って」とか「親指に4本の指をつけて」は猿の手だろうか。

虎戯 勇猛果敢に獲物に襲い掛かる虎の動きをイメージ
          手の握力増強、全身の骨と関節を丈夫にし、特に背骨、肺、腰、生殖泌尿器を丈夫にする
          鍛えられる臓器は、腎臓と膀胱。 気力・体力の強化、横隔膜を柔軟にする

鹿戯 軽快な動きでのびのびと草原を駆ける鹿をイメージ
          血管や筋肉の収縮力を高めてしなやかにする 股関節を強化し、背骨の歪みを矯正し腰椎を強くする
          鍛えられる臓器は、肝臓と腎臓

熊戯 鈍重沈着でゆっくりと動く熊の動きをイメージ
         胃腸など消化器系統を強くし、下痢や便秘を予防して股関節を強化する
         鍛えられる臓器は脾臓、肝臓、胃

猿戯 動きがすばしっこく、機敏な猿の餌を取る動きをイメージ
         脳を刺激して反射神経と判断力を高める
         首や眼の動きを円滑にし、精神的緊張や鬱状態を予防し治療する
         鍛えられる臓器は心臓と小腸  肩甲骨を柔軟にする

鳥戯 優雅に羽をはばたかせて空を舞う、鶴をイメージ
         肺活量を増加して呼吸力を強化し、手首、膝、股関節を強化し、平衡感覚を養う
         鍛えられる臓器は肺と大腸、腕・脚を柔軟にする

虎の勇猛さ、鹿の優しさ、熊の穏やかさ、猿の器用さ、鳥の軽快さを真似ながら、体力増強、気力増進に加え、気血の周流を良くしながら身体を柔軟にし、内臓の機能を高める効果があるというから、気血の流れの悪いわが身体には「自己治癒力を高めるために鍛錬する健康法」はぴったりだと感じた。

    太極拳
       
この会では、1年を通して24式太極拳を学ぶという。この日は7の「右攬雀尾」と8の「左攬雀尾」を丁寧に練習した。真似をするだけで精一杯だったが、終わってみると、汗をかいていることに気づいて驚いた。
この次のときまでに少し覚えていきたいと思っている。祝日や振替休日になりがちな月曜日だが、太極拳は休みにならないということも嬉しい。
中国・中国の旅

縄文土器の文様

2019年04月21日
先日、Fさんと訪れた國學院大學博物館、2人とも関心があるのはやはり考古ゾーン。(國學院大學博物館 土器) 

日本列島における土器の出現は、約16,000年前に遡るという。土器は完新世の発明品と考えられていたが、東アジア、極東地域では更新世の最終氷気にすでに土器の使用が始まっていたことが確実になっている。
この日は縄文草創期、前期、中期、晩期の土器をじっくりと見て回った。今までの2回と違って、それぞれの時期でこれほどまでに形や模様の異なることを発見した。それぞれの時期でもっとも印象に残った土器を選んでみた。

草創期  イメージの時代
  草創期
        円孔文土器 十日町市

早期 主体性確立の時代
   早期

前期  発展の時代
  前期
     興津式 出土地不詳

中期  応用の時代
     中期
        勝坂Ⅳ式 川崎市宮前区

後期  
     後期
      堀之内I 式土器 市川市

晩期  
   晩期
     大洞CⅠ式土器 秋田県鹿角市

考古ゾーンのほぼ真ん中に「縄文原体標本」という抽斗があった。抽斗を開けて熱心に見ている家族がいた。
縄文土器の表面に転がしてつけた縄目の文様のもとになったコード(原体)と模様がつけられた粘土、そして土器片が並べられていた。そのバリエ-ションの多さに正直驚いた。

   標本
   標本
   標本
         縄文原体標本

今年9月、大田区郷土博物館恒例の「縄文土器づくり」がある。それまでにこの「縄文原体標本」を研究して、いくつかのコードをつくってみたくなった。
芸術・文化・考古

ここにも「令和」?

2019年04月20日
今日は24節気の1つ「穀雨」。
この時期の雨は百穀を潤すという意味があり、「百殻春雨」とも呼ばれる。 穀雨の前に種まきを終える必要があり、農地の準備を始める目安ともされている。この時季の雨は穀物だけでなく、草木などすべての植物の生長を助ける恵の雨でもある。

4月に入って2回目の日曜日は忙しかった。この日、「六郷用水北堀を探る」(六郷用水の会)にも参加したかったが、午前中は、友の会で親しくなったFさんに誘われて国學院大學博物館へ出かけた。

実は、前日、Oさんから「久しぶりにクロッキー会にいかない?」とお誘いがあった。I さんも参加するとのこと。とくにI さんとは久しぶりなので会いたいが、先約がある。というより、最近はクロッキーどころか日本画にもあまり気が乗らなくなっている。(クロッキー再開
半年前から大田区関連の地域、遺跡、考古などに関心が広がり、郷土博物館友の会に入会して以来、区内の遺跡出土の土器などの整理が面白くて仕方がないこともあるのだろうが。

そんなこんなで、まずはFさんと國學院大學博物館へ。今回は縄文、弥生土器を中心にじっくりと観た。
Fさんと分かれて、クロッキー会場のある下丸子でOさんたちと待ち合わせてランチをご一緒した。I さんとも久しぶりに絵の話ができてうれしかった。彼女の画歴は半世紀。彼女の師T先生の画も彼女の画も大好きだ。ああいう日本画が描けたらいいのだが・・・。

  博物館
     國學院大學博物館

國學院大學博物館は渋谷から歩いても10分とかからないが、この日は日赤医療センター行バスに乗った。この路線は青山学院初等部、実践女子学園、そして國學院大學を通る、スクールバス(¥220→¥180)のような都バスだ。
日曜日とあって、博物館周辺は実に静か。
渋谷川を望む東渋谷台地周辺は、縄文時代から古墳時代の遺跡が確認されている。近世・近代の氷川裏、トキワ松には薩摩藩下屋敷、皇室御料地、東伏見宮邸なども置かれた。國學院大學は1923年(大正12年)に飯田町から移転。

博物館では、特別展『武士を描くものがたり―比べてみる軍記の世界―』(~4/21)が開催中だが、その展示室のそばに寛政版の『万葉集』巻五「梅花歌三十二首并序」、つまり「令和」の典拠となった「初春令月 気淑風和」が載った箇所が展示されていた。
次回企画展「和歌万華鏡―万葉集から折口信夫まで―」に先駆けてのことだとか。

     万葉集
  万葉集
     國學院大學図書館所蔵 
     寛永版本〈寛永20(1643)年版〉

それにしても、「令和」「令和」と世の中は騒ぎすぎではないかと思う。新元号の発表以来、書店に行けば、出典となった万葉集の関連本が、入り口付近などの目立つ場所に積み上げられている。秋葉原に300もの「令和」関連グッズを扱う店がオープンしたとか、「令和」と命名された純米酒、菓子、箸、マグカップ、Tシャツ、スマホケースなど、すでに多くの商品が販売されてるという。

  令和へ
      平成(最後の下取り)から令和(Tシャツ)へ
   
ハロウィンやバレンタインのようなイベントとは違うと思うのだが、さまざまな「令和」に関連したビジネスが増えていくのだろうか。便乗した悪質な詐欺も横行するようになったとは。
旅・散策・イベント

春の河川敷

2019年04月19日
多摩川浅間神社から河川敷に下りて、久しぶりに土の感触を味わいながらガス橋に向かって歩いた。雨あがりの風の強い日だった。(晴れた日に
丸子橋の下をくぐると、満開を過ぎたソメイヨシノがポツンと立っている。
  
   桜
  
    渡しあと
       大田区文化財 「丸子の渡し跡」 

あちこちに水たまりができている。グランドは使用不能のところも。土手の上は散歩したりランニングする人もいるが、河川敷にはほとんど人はいない。

  グランド

芽吹き始めた柳が風に吹かれている。
なんともいえず冬にオニグルミを拾った付近に行ってみたくなり、川の方へ歩いていった。

    柳
     柳
      柳の緑、菜の花の黄、ハマダイコンの白

  クルミ
      オニグルミ
 
オニグルミは花をつけていた。クルミは1つしかみつからなかった。(青いくるみ
「二十一世紀桜」の並木でも花は残っていた。あらためて「たまリバー」の案内板をみると、丸子橋からガス橋は23㎞となっていた。ガス橋手前で多摩川を離れた。(花見ごろ

   桜
       二十一世紀桜

  案内
      「たまリバー」 *Click!

ガス橋近くで土手を離れて家まで歩いた。ずいぶん歩いたと思ったが、歩数計は6千歩を超えていなかった。
旅・散策・イベント

晴れた日に

2019年04月18日
実に1年半ほどご無沙汰している歯科クリニックを予約した。奥歯で噛むときにたまに痛みが走るようになってだいぶ経つ。麻酔して古い金属を取り去るまでの時間は辛くて耐え難かった。しばらく通うことになるものの、とりあえず終わって歯科を出るときの爽快感は格別だった。
ランチタイムは麻酔が切れるまでお預け。雨上がりの澄み切った空、足は自然と多摩川浅間神社へ向いた。

浅間神社にお参りして展望台へ。富士山が見えても見えなくても、ここに立つと心が洗われ、爽やかな気持ちになる。
パワースポットとか、映画のロケ地とか、シンゴジラの現れた神社だといっても、平日の昼間は訪れる人も少なく静かでいい。
浅間神社古墳の上に建てられた神社だけあって、心地よい風が通り、眼下に多摩川、晴れた日には富士山、丹沢、箱根の山々も望めるスポット。

創建は鎌倉時代。出陣した源頼朝の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来たところ、草鞋の傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにした。亀甲山へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。守り本尊である富士吉田にある浅間神社に向かって手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたのが、この神社の起こりとされる。

この日、富士山は厚い雲に隠れて見えなかったが、雪を残した遠くの山々がくっきりと見えた。

   上流
        多摩川上流 二子橋方面 
      東急線
          東急線と桜
 川崎側
          多摩川右岸 川崎側

  丸子橋
           丸子橋

神社の階段を下りて河川敷へ。満開をすでに過ぎた桜も花冷えがつづいたおかげか、散らずにいる。桜を背景に神社の鯉のぼりが泳ぐ光景は珍しいかもしれない。

  鯉のぼり
 
ランニング、ウォーキングする人、犬の散歩の人はいるが、さすがに満開を過ぎた桜の下ではお花見をする人はいない。あまりにいい天気なのでガス橋に向かって歩くことにした。途中でOさんを呼び出そうかなと思ったが、彼女は絵の教室だったことを思い出し、河川敷に下りてオニクルミの木まで行ってみることにした。
旅・散策・イベント

身体も春に

2019年04月17日
昨年12月につづき、東邦大学の2回目の漢方サロン(無料)に参加した。場所は病院内の「からだのとしょしつ」。
昨年秋から診ていただいている大森病院東洋医学科の田中先生のお話だ。数ヶ月遅れて田中先生を受診しているOさん、漢方に関心があるUさんを誘った。ほかは40代から50代くらいの女性がほとんどで、実に熱心にメモをとっていた。2回目の人も多いように思った。

今回のテーマは「春~気持ちを整える」。今回の漢方のお茶は、カモマイルとペパーミントのブレンド。気分が落ち着き、リフレッシュ。どちらかというとミントは苦手なのだが、爽やかな味わいのハーブティだった。

     ハーブティ

季節によって身体、精神の状態が変わる。春夏秋冬、とくに春と秋は観るものによって人は影響を受けるという。
春は、風が強く、寒暖差も激しい。気が上昇、発散するため気持ちが乱れやすい。
東洋医学的には、季節性の気分障害、頭痛、めまいやのぼせなど、体調を崩しやすい。
また、いろいろと過敏になるためアレルギー、感染症も増える。
身体も筋肉が緊張しやすく、肩こり、そして顎関節症も春に多いという。

セルフケアは大切。春に適した健康法、まずは「早寝早起」。服装はゆるめのものを、歩くときは大股で。手足も背筋も伸ばすこと。
ストレスに有効なツボは、期門、三陰交のほか顎や耳もツボが集まっている。

    菜の花
        
食事には、香りを上手に加えることがポイント。春には芽、緑のものを摂る。例えば、菜の花、タケノコ、アスパラガス、セリ、ネギ、そら豆、グリンピース、タラの芽、フキなど。
冬から春にかけての植物の多くは根に集中させた養分から勢いよく芽を出し、茎、葉を成長させる。茎や葉は東洋医学でいう「肝」(自律神経系)の症状に対して意識してゆったりと過ごすことが大切だとか。

「肝」が高ぶると、「脾」の機能低下が起きやすい。「肝」を鎮めるには、香りが気の巡りを改善するセリ科の植物がよく利用される。
「脾」を強くするには、甘みのある食物が適する。辛いものもいいが、春は塩、酸味は身体を収斂させるので控えめに。

漢方薬としては、柴胡、香附子、薄荷がおすすめだとか。ハーブティを飲んでみようかと思っている。久しぶりにルピシアに行ってみようか。
まずは心を鎮めてリフレッシュさせてくれるというミントティから。胸やけを防ぎ、消化を助ける。中国茶の黒茶と同じような効果があるようだ。胃の痛みや鼻づまりも緩和するというからありがたい。
中国・中国の旅

イロハカエデ

2019年04月16日
2階の部屋の南側の窓からイロハカエデがよく見える。芽吹いた若葉に見とれている間もなくその葉を広げ、蕾の紅色が目立ち始めた。毎年のことだが、今年の春はとくに萌え出した若葉が鮮やかに感じる。

イロハカエデ   カエデ科/カエデ属
           学 名 Acer palmatum 
           原産地 福島、福井以南から九州までの暖地

    イロハカエデ
       2016.5

イロハカエデは、いわゆるモミジの基本種。葉が5~7つに大きく裂けることから、イロハニホヘトの文字を当ててイロハカエデまたはイロハモミジと呼ばれるようになった。別名のタカオモミジは京都の高尾山に由来する。

若葉の展開と合わせて、柄のある小さな花を下向きにつける。花は雄花と両性花が交じるが、両性花の数は少ない。
暗い紫色を帯びた萼片は5枚ある。花弁は黄緑色で萼片よりも短くやはり5枚ある。雄しべは8本。 
春の芽出しと共に花が咲き、プロペラ様の翼果ができる。実は熟すと二つに分かれ、回転しながら飛んでいく。  

3.26
   3.26
  3.26
                
4.2
   4.2
  4.2              

4.6
   4.10
  4.10 

プロペラのような実(翼果)をつけ、実が熟して飛んでいくまでは、若葉と紅色の花のコントラストを楽しむことができる。
植物など

「虹始見」

2019年04月15日
4月5日は「清明」。清明とは万物が清らかで生き生きとした様子を著した「清浄明潔」という言葉を訳した季語で、花が咲き、蝶が舞い、空は青く澄み渡り、爽やかな風が吹く頃。
72候は今日から「清明」の末候の「虹始見」。

初候 「玄鳥至」 つばめきたる   冬の間、暖かい東南アジアで過ごしていたツバメが海を渡って日本に来る頃。
次候 「鴻雁北」 こうがんかえる  冬の間、日本で過ごした雁が北のシベリアへと帰っていく頃。
末候 「虹始見」 虹はじめて現る  春が深くなるにつれ、空気が潤ってくる。雨上がりに、西の方の空に初めて虹がかかる頃。

「虹始見」としてはひと月早いが、3月11日の朝、東日本大震災から8年目の朝、雨が上がった後、虹が出た。
レインボーブリッジにも虹がかかったとTwitterなどにもいくつもの写真が投稿されていたが、この日は朝早くから出かけていて、虹が現れたことはまったく知らなかった。

数日後、OさんからのLINEに多摩川に架かる虹の画像が!彼女は「二十一世紀桜」(ガス橋から丸子橋にかけての桜並木)を見下ろす高層マンションに住んでいる。彼女の友人が撮ったという、まさに東京都と神奈川県を結ぶように多摩川上流に架かった虹の画像。左に武蔵小杉の高層マンション群、右奥には丸子橋が見える。

    虹
    多摩川に架かる虹  *Click! 

虹を大きな蛇と見たてたために「虫偏」なのだというが、空に架かる大きな生き物に見えてくるから不思議だ。

虹とは、赤から紫までの光のスペクトルが並んだ、円弧状の光。太陽の光が、空気中の水滴によって屈折、反射されるときに、水滴がプリズムの役割をするため、光が分解されて、複数色の帯に見える。
雨上がり、水しぶきをあげる滝、太陽を背にしてホースで水撒きをしたときなどにも見えることがある。

多くの日本人が虹の色を7色と答えるのは、ニュートンの虹の研究に由来する学校教育によるもので、知識として「赤 橙 黄 緑 青 藍 紫」と暗記したためだという。
江戸時代末期に西洋科学を取り入れ始めるまでは、日本の文献で虹の色の数を「七」と記載したものはなく、古くは5色、沖縄地方では2色(赤、黒または赤、青)とされていた。

「虹の色数」は、国により文化により、虹の色数は異なるが、これは実際に見えている虹の色が違うからではないという。
色の数は、物理学の視点では無限の色が有る、と見るのが正しい。なぜなら、地上に届く太陽光のスペクトルは連続しており、連続する物を「数える」ことは出来ないからだという。
実際の虹を見ても、赤・黄・緑・青ぐらいしか見えないことが多い。ときに条件がよくて、物理的には7色すべてが現れている場合でも、7色の1つ1つにはっきりした区切りがあるわけではなく、その境ははっきりしなく、色は連続して変化している。

赤と橙の間にも橙とかオレンジ色といった中間色があり、黄と緑の間にも黄緑があるはずで、
同じ色を見ていても、その色を表現する言葉のあるなしで虹の色数も異なるということになる。
 
   虹の色
     虹の色 (ウェザーニュースより)

例えば、南アジアのバイガ族は、明るい色(赤や黃など暖色系)を「赤」、暗い色(青や紫など寒色系)を「黒」の2色だという。
3色のところがあるかと思えば、8色とみなす民族もいる。
日本、韓国、オランダでは7色だが、4色(ロシア・東南アジア諸国)、5色(フランス、ドイツ、中国、メキシコ)、6色(アメリカ、イギリス)とする国や民族がある。
つまり、虹を何色とみるかは、国や民族あるいは時代によっても異なってくるのは当然なのだろう。
旅・散策・イベント

富裕層の仲間入り?

2019年04月14日
上海の趙さんからのWeChat には顧村公園の桜、アモイの呉さんからは友人たちとギリシャ観光の多くの写真が送られてきた。
呉さんは「ここ数日ギリシャに旅をして、一昨日帰国した」という。ギリシャの海を背景にサングラス、ジャケット姿の呉さんはすっかり富裕層の仲間入り。

 ギリシャ
    ギリシャ
      呉さん ギリシャ旅行

中国の富裕層は、20歳代から40歳代の国内で成功した人が中心だという。一般には中国人の富裕層はすでに2億人に達した言われている。改革開放政策が始まった当初の30年ほど前は1万元程度の「万元戸」と呼ばれたひとたちは羨望の的だったが、今は個人資産が1億5千万元(約20億円)を超える人も大勢いるらしい。(彼らも富裕層・・・?

呉さんとの出逢いは彼がアモイの大学を卒業後、日本語学校在学時に東京農大に留学が決まった秋のこと。(農大収穫祭
当時東京農大の1年生だった張さんに招待された収穫祭の中国人留学生会のテントで呉さんを紹介された。
以来、呉さんと交流がつづいている。
群馬県の赤城山の麓の農業関係の会社に勤め始めたころ、泉州生まれの林さんと結婚し、沼田を生活の拠点にした。

アモイでの結婚式にはKさんと出席。沼田の病院でU君が誕生したときは、Sさんとりんりんと3人で会いに行ったことも今は懐かしい思い出だ。
その後、呉さんに案内してもらって客家、アモイなど、スケッチ旅行ができたのも彼のおかげだ。

2011年秋には沼田市内に家を構えてからは日本と中国を行き来することが多くなった。いくつもさまざまな起業を試みたが、うまくいったのかどうか、彼にとって忙しい時期だった。
泉州(福建省)に5年前につくった農場は軌道に乗り、今や彼も40代半ば。中国を拠点に、大学で教鞭をとったり、起業家として大活躍の様子をWeChat のおかげで知ることができる。(呉さんの試験農場呉さんの農場

   農場
   農場

彼の始めた無土、無農薬栽培の「霧栽培」は、根が空中にあるところが水耕栽培とは違う。液肥を(濡れない)ドライフォグにして栽培装置内に浮かんだ根部に白濁充満させることで、根毛の発達を著しく促進させるとともに、無駄なく液肥を吸収させる画期的な栽培システム。低環境負荷、低コストの次世代型施設園芸として日本でもすでに行われているという。

呉さんへのWeChatにも、趙さん同様に日本橋江戸桜通りや東工大構内や公園のソメイヨシノ陽光桜などの画像を送った。桜の季節も終わり、これからは新緑の季節。
中国・中国の旅

ほっとなLINE

2019年04月13日
東京都は、4月1日より都内在住・在勤・在学の人を対象にLINEアカウント「相談ほっとLINE@東京」を開設。これまで「ネット・スマホのトラブル相談」「自殺相談」「いじめ等の教育相談」3つのLINEアカウントで対応してきたが、今回、窓口を一本化したという。

都教育委員会による「教育相談」は、都内の学校に通う中高生を対象に、進路やいじめ、友人関係の悩みなどを臨床心理士などのカウンセラーとリアルタイムでやりとりができる。
対象となるおよそ70万人の生徒には、相談窓口にアクセスするための専用のQRコードが配布されたとか。
昨年、試験的にLINE相談窓口を設けたところ、電話の窓口と比べて相談件数が3倍になったという。

昨年4月現在、スマホ利用率は中1では約72%、高1は約95%とか。iPhone利用の割合は、中1では約40%だが、高1になるとは約63%だとか。(2018.4)
4年前の都の調査(小4~高校1500人)では、スマホの保有率は、およそ小学生12%、中学生49%、高校生83%だったのに対し、昨年は中高とも1学年だけで、4年前の3学年分よりはるかに多くなっている。(たかがスマホ されど・・・) 

小学校に上がったじゅんじゅんは学校へは持って行かないが、キッズケータイとPASMOをはじめて持たされた。
りんりんの場合は小6になってスマホに替えたばかりの会津の旅では新幹線の中でも磐越西線の中でもスマホに夢中だった。

 小6
  姿勢の悪さは今も変わらず  2015.5

中学でiPhoneに替えて以来、この春は3台目のスマホ。(2つ目のキッズケータイ
高校では授業時間以外は使うことができるのも学校生活を楽しくしているようだ。
それまではSuicaや眼鏡を何度失くしたことか、ついには昨年プレゼントした電子辞書まで失くすような彼だが、肌身離さずのiPhoneは失くしたことはない。Suica(定期)も、スマホケースに入れるようになってから紛失の心配はほぼなくなった。

入学式の翌日はガイダンス。早速、LINEで生の学校情報を仕入れてきた。仏像から人間を知るという日本史の先生は、授業も仏像の話が多いとか、ジブリに傾倒している国語の先生は授業も試験もジブリ関連とか、理科は70点満点で平均が10点以下だったとか・・・。留年する生徒も多く、実際、隣は留年生だったとか。リアルタイムのやり取りができるLINEは必須アイテムのようだ。

羨ましいのは、長い伝統の「ことばと文化」の授業。語学を学んで受験や就職に役立てるといった発想ではなく、文化や言語に優劣など無いということを自然に学び、言語や文化に触れながら世界に目を開いていくという。
24言語の中、同時に2ヶ国語可能らしい。たとえば、前期はスペイン語とフランス語、後期はフランス語と中国語を選択しようかというので、以前使っていた中国語の電子辞書と、息子が大学のときに使った中国語の辞書と、をとりあえず渡しておいた。きっと重たい紙の辞書を使うこともなさそうだが。

LINEは中学校のグループともつながっていて、偶然学校が同じ下車駅だというN君と一緒に登校できるかなと喜んでいた。どうやら行きも帰りも車内では、5月末に迫った英語検定のための暗記でなくゲームの方に傾くこと間違いなし。こんな調子では秋の受検になりそうだ。
 
    消えた電話
       「公衆電話撤去のお知らせ」

あと何年かすると、公衆電話を使えない、いや見たことがない子どもたちが増えるだろう。小学生ではケータイ、スマホを持っていても、バッテリーまで持ち歩く子どもはそういないだろう。いざという時のために街から消えつつある公衆電話の使い方をじゅんじゅんに教えておかなければ。
身近な人びと

瑠璃色の斑文

2019年04月12日
明日から6月2日まで、世田谷区の静嘉堂文庫美術館で、国宝の「曜変天目茶碗」(稲葉天目)が展示される。
現存する「曜変天目茶碗」は世界でわずか3点しかなく、そのすべてが日本にあり、3点が国宝、1点が重要文化財に指定されている。
国宝の3点は大阪市の藤田美術館、世田谷区の静嘉堂文庫美術館、京都市の大徳寺龍光(りょうこう)院が所蔵。
この春、光彩の現れ方がそれぞれ異なる「奇跡の三碗同時期公開」となった。

茶道とはすっかり縁がなくなり、茶碗などにはほとんど関心がなかったが、3月の桂花会でS さんが滋賀で曜変天目茶碗を観た感激を中国語作文のテーマに選んだことで気になり始めた。
彼女は大阪での法事を終えた翌日、甲賀市のMIHO MUSEUM(ミホ ミュージアム)で特別展『大徳寺龍光院 国宝曜変天目と破草鞋(はそうあい)』が開かれていることを知り、急遽、滋賀に向かったそうだ。彼女が購入したクリアファイルをみせてもらったが、なんとも言えない瑠璃色に魅せられた。

国宝の「曜変天目茶碗」は、12世紀から13世紀、現在の中国福建省南平市建陽区にあった建窯で作られたとされる。
いずれも南宋時代の作とされるが、作者は不詳。
南宋のある時期、建窯で数えるほどわずかな「曜変天目茶碗」が焼かれ、それから二度と焼かれることは無く、なぜ日本にだけ現存し、焼かれた中国には残っていないのか(器が割れ欠けている完全でない状態のものは発見されている)、大きな謎として残っているという。

「曜変天目茶碗」は、天目茶碗のうち、最上級とされるもの。略して曜変天目と呼ばれることもある。なお、「曜変」は「耀変」と書かれることもある。
窯の中で火を受けるうちに美しい光彩が生まれたとか。光があたると、黒い地肌に広がる瑠璃色の斑文が、宇宙に浮かぶ星のように美しく浮かび上がるのが特徴。こうした文様が現れる理由は完全には解明されておらず、再現は不可能とされる。
日本では室町時代から唐物の天目茶碗の最高峰として位置づけられている。

        ポスター
         MIHO MUSEUMポスター *Click!

中国では曜変天目は不吉の前兆として忌み嫌われ、すぐに破棄されたために現存せず、わずかに破壊の手を逃れたものが密かに日本に伝来した、とする説も唱えられたが、後述の中国での陶片の出土状況から南宋時代の最上層の人々に曜変天目が使われていたことが示唆されている。

稲葉天目とも呼ばれる静嘉堂文庫の曜変天目茶碗は、もと徳川将軍家所蔵であったものが、三代将軍・家光の時代、春日局を経て、後に淀藩主となる稲葉家へ伝えられたとされる。

  天目茶碗
   曜変天目
左から 
    国宝 曜変天目     京都大徳寺龍光院
    国宝 曜変天目     (「稲葉天目」) 静嘉堂文庫美術館
    国宝 曜変天目茶碗  大阪・藤田美術館
     
京都も滋賀も遠すぎる。せめて静嘉堂文庫の「曜変天目茶碗」は観たいと思っている。なるべく早く、空いている日を狙って。
中国・中国の旅

9年ぶりの春まつり

2019年04月11日
東日本大震災から8年1ヶ月。全国の多くの小中学校で入学式が行われた8日、福島県浪江町の7小中学校の合同休校式が、町内に昨春開学した「なみえ創成小・中学校」であったという。東電福島第1原発事故で臨時休業となったり、避難先で再開したりしたが、それぞれ生徒減少に伴い休校を余儀なくされた。
二本松市で再開している浪江、津島の両小の児童が卒業すれば、遅くとも2021年4月に、原発事故前に開校した計9つの小中学校が全て閉校する見通しだという。

昨年4月、浪江町の広い範囲で避難指示が解除されたことを受けて小中一貫校として「なみえ創成小・中学校」が開校した。校舎は、事故後7年間無人だった浪江東中の建物を改修したもの。
学校には避難先から家族が戻るなどした6人が入学したほか、3人が転入して全校児童は16人で出発したという。

   なみえ創生小中
     なみえ創成小・中学校オフィシャルサイトより

6日、「なみえ春まつり」が権現堂集会所と隣の請戸川リバーラインであった。浪江町の遊歩道約300mに沿って約130本のソメイヨシノが植えられている請戸川リバーライン、夜にはライトアップされる。
この春まつりは、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で中断を余儀なくされ、避難指示が2年前に一部解除された町の主催で9年ぶりに再開された。日中にはステージイベントほか、ご当地グルメ「浪江焼きそば」などの露店市が開かれた。

       花火  河北新報より

夜には桜並木の頭上で花火大会があった。主催者からのあいさつに続き、子どもたちのカウントダウンで始まった花火大会、今春完成した「なみえ創成小・中学校」の校歌などの音楽に乗って約1000発が打ち上げられ、ライトアップされた桜並木を一層輝かせたという。(河北新報 4/8)
旅・散策・イベント

灌仏会

2019年04月10日
8日はお釈迦さまの誕生日「花まつり」。伝説によると、お釈迦様はインドで生まれ、生まれたインド系太陽暦の2月15日が中国に伝わった時点で、中国歴の4月8日に換算され、日本に伝わった時には日本の旧暦の4月8日が誕生日ということになったといわれる。

この日、全国各地の仏教寺院で様々なお祝いが行われるが、その多くはお釈迦さまの像に甘茶を灌ぐ儀式「灌仏会」が行われることが多い。「灌仏会」の「灌」は、「そそぐ」という意味から、産湯を意味することも。

義父の墓がある馬込の萬福寺は、度々訪れる郷土博物館の近くにあるが、なかなか立ち寄る機会はなく、灌仏会の日、雨が上がったこともあるが、お彼岸に叶わなかった墓参を兼ねて訪れることにした。
11時少し前、山門をくぐると満開の桜が迎えてくれた。昔訪れた等々力不動尊の境内で行われた「灌仏会」を想像していたが、境内はシーンと静まり返っている。日時を間違えたのかと思い総受付に尋ねると本堂に案内された。

     本堂
   祭壇

驚いたことに、僧侶2人のほか、参列者は檀家の女性とお寺の方だけ。
ちょうどお花見の時季、前日も寺のすぐ近くで馬込文士村の桜まつりが行われ2万人で賑わったというが、お釈迦さまの誕生日を祝うことを忘れているのは残念。クリスマスやハロウィンなどは騒ぐのに・・・。といった、ご住職の講話のあと、お焼香。
右手で天を指し、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と唱える誕生仏に甘茶を灌いだ。
参列者が少ないこともあり、花まつりのデザインのサクマのドロップと甘茶を「お孫さんの分も・・・」とたくさんいただいた。

  甘茶など

甘茶は、ユキノシタ科のアマチャという木の葉から作ったお茶。カフェインは含まず、甘味と苦味がある。
アジサイと違って葉にツヤがなく、アジサイにある毒性はなく、ヤマアジサイの突然変異で誕生したと推測されている。

仏教が発祥したインドでは、白い象は「聖獣」、とても神聖な生き物。お釈迦様の前世は天界で暮らしていた菩薩なのだとか。
お釈迦さまの母「摩耶夫人」は、六本の牙を持つ白い象が、自分の右の脇の下から体に入ってくる夢を見て、自分が身ごもったということを知ったという。
そしてこの6本の牙には、ちゃんと意味がある。仏教では、悟りを開くために6つの修行がある。これを仏教では「六波羅蜜」と言い、白い象の6本の牙はこの「六波羅蜜」を表している。布施、忍辱、自戒、精進、禅定、智慧。
「人の役に立つこと」「耐え抜くこと」「努力を惜しまないこと」など、誰もが実践できそうな修行なのだが・・・。

    白象
      等々力不動尊   2009.4.8 

灌仏会はお祭り、イベントになっている寺院の方が多いかもしれない。初めて出会ったあの「花まつり」のように。10年前のことだが、等々力不動尊の境内にお御堂が置かれ、甘茶を1人ずつ誕生仏に灌いだことをはっきり覚えている。紙の張り子でできた白い象の牙は写真をみると2本だ。

   花筏
       花筏    Sさんから 

帰る途中、SさんからのLINEを見ると、「中目黒あたりはひと晩の雨ですでに流れてしまったようです」と、雅叙園付近の花筏の写真が送られてきた。
午前中で帰ってきたとあったので、ドロップをお孫さんにいかがと電話をした。昨年秋、区民大学で知り合った彼女は最寄り駅同じ4人組の1人。2人の家のちょうど中間、ちょうど満開を過ぎた桜の下で会うことになった。

ご開帳の話、甘茶の話、6本の牙の白い象の話、灌仏会の話で盛り上がった。
彼女は灌仏会のこの日、国の重要文化財(旧国宝)の「生身(しょうじん)釈迦如来像」のご開帳があるので目黒の大圓寺を訪れたそうだ。
以前、池上本門寺では、五重塔の上から蓮華(紙製)散華があったのだとか。長い間、大田区に住んでいて知らなかった。

   花まつり

夕方、彼女から「白象のいわれ掲載ありです」と、傍線が引かれた子ども向けの話が送られてきた。彼女の好奇心には脱帽。
たまにお孫さんが来ると、一緒にポケモンを探して歩くらしい。「ポケモン」やっていたころが懐かしい。
旅・散策・イベント

上海から桜のたより

2019年04月09日
「中文導報(Record China)」に気になる記事(2019.3.28)を見つけた。中国の桜産業協会の執行主席が広東省広州市で記者会見を開き、「桜の起源は中国にあり、2500年余前の『礼記』に栽培記録が残っている。秦漢時代にはすでに宮廷に植えられていた。
その後、桜は唐の時代に大いに栄え、民間にも桜をめでる伝統があった。唐代の詩人、白居易の言葉にも出てくる。
日本の権威ある著書『桜大鑑』にも「日本の桜は中国のヒマラヤ山脈を起源とする」との記述がある」と説明した。

中国でも桜ブーム、お花見も盛んに行われているらしい。上海のお花見スポットは顧村公園などだとか。中国の桜産業は急発展しており、栽培面積は世界一だそうだ。
スターバックス中国はここ数年、春になると桜をテーマとした商品を販売しており、ドリップコーヒーの「スプリングシーズンブレンド」など関連商品が中国で飛ぶように売れているという。また、ファミリーマートやセブン-イレブンなどコンビニも「桜の季節」限定の特設コーナーを設置しているのだとか。

WeChat を久しぶりに開くと、上海の趙さんから実に20枚以上の画像が入っていた。菜の花をバックにはしゃいだり、桜の前でポーズをとる趙さんたち。お花見が盛んにおこなわれているようだ。

    上海
    上海
      上海
            踊る人たち・・・

「顧村公園や魯迅公園の桜は満開。ただ、上野公園の比ではないです。日本の桜の季節が懐かしいです。
写真は皆スマホで撮ったものなので、あまりクリアでないです。あなたが撮った日本の桜の写真を待っています」。

と中国語で。

こちらから送った桜の写真を10枚ほど。1枚だけ日本橋の江戸桜通りで撮った写真だが、ほとんどが大田区内の桜。
博物館友の会メンバーのFさんとLINE開通した夜、彼女の家の裏手で撮ったという桜と雪柳の写真が送られてきた。ソメイヨシノではない。サクラの名を尋ねたところ、「ジンダイアケボノ」だという返事がきた。大好きな神代曙とは!

   ジンダイアケボノ

多摩川の右岸、丸子橋付近にはさまざまな桜が植えられているらしい。それもちゃんと名札が下がっているとか。
お花見というより、自然の残る川沿いの道を歩いてみたくなった。新丸子駅まで電車にするか、多摩川駅から丸子橋を渡ってみようか、地図を眺めている。
中国・中国の旅

「池のみち」を歩く Ⅱ

2019年04月08日
洗足池で集まって池から流れる「洗足流れ」の桜を観たあとは、かつての街道を思いながら江戸期の道標2基を経て東工大構内へ。
イチョウ並木を抜けるとちょうど見ごろの桜の下を通って、駅前のカフェへ。ここで次回の予定を決めて、最後の目的地である清水窪弁財天へ向かった。(「池のみち」を歩く Ⅰ

閑静な住宅地の中で木々に囲まれた「清水窪湧水(清水窪弁財天)」は、目黒区との区境にあり、洗足池に流入する清水窪湧水路の谷頭部にあたり、かつては広い湧水池があった。洗足池の主な水源であり、区の文化財に指定されている。
池は現在では、水道水の補給、ポンプ循環が行われていて、余水はかつての洗足流れに沿う暗渠を通り洗足池に送られている。

今年になって建てられた「「桜のプロムナード」の案内板の横には「清水窪辨財天」と書かれた古びた木の板が下がっている。 

 入口

石段を下りて行くと鬱蒼とした木々に覆われた崖からは、滝のように水が流れ落ちている。ここは東京名湧水57選の1つ。

       湧水
  池
         約20mの池

大岡山駅経由洗足池に向かう道に新しくできた「桜のプロムナード」の絵タイルにもかかわらず、洗足池までのかつての湧水路を辿る人は少ないようだ。この日も境内ではだれとも会わなかった。

大岡山駅で一旦解散。8人は洗足池まで歩くことなった。商店街を抜け、洗足池の桜山までは地元の I さんの案内。池畔の桜はすでに散り始めていた。屋台や提灯がお花見ムードを盛り上げる。
途中、最小の猛禽類であるツミが巣をつくったケヤキのそばを通ったが、葉を落とした枝にツミの巣は見当たらなかった。

   桜山  
  池 

工事中だった勝海舟記念館の建物はすでに出来上がっているようで、遠くからでも見えるように図書館の壁にも大きく記念館のポスターが貼られていた。まだ、「この夏開館」としか書かれていない。
洗足池駅着17時。Kさんが「1万歩超えた!」と叫んでいた。休憩を含み4時間歩いたことになる。
旅・散策・イベント

「池のみち」を歩く Ⅰ

2019年04月07日
初代広重の浮世絵に描かれるなど昔から景勝地として知られている洗足池公園は、周辺は武蔵野台地の一部である荏原台がいくつもの谷によって樹枝状に刻まれている地形で、その谷地部が池や湿地になっていた。洗足池や小池はその一部だが、ため池として谷筋の水田灌漑に利用されてきた。
池のある公園としては都内でも有数の広さを誇り、園内にはソメイヨシノを中心に200本以上の桜が池の周囲を囲むように植えらている。松や柳などの樹木も多く、池のほとりと池の西北部一帯に広がる桜山は今の季節はとくに賑わう。

先日のすいよう会は洗足池駅に11人が集まった。東京一低いといわれるガード下をくぐり、洗足流れの桜のプロムナードへ。
「洗足流れ」は、洗足池の湧水を利用した全長1.5kmほどの短流で、かつては下流部の灌漑用水として利用されてきた。
洗足池のボートハウス横の水門から放流された水が、東雪谷と上池台の境界に沿って流下し、仲池上で呑川に注ぐ。
池上用水ともいわれる。

 栞
     「池のみち」 散策の栞

一旦駅へ戻り、桜と歩道沿いの柳を見ながら中原街道を行く。
中原街道は(相州街道・御酢街道・中原往還・猿町街道・江戸間道)虎ノ門を起点としている。徳川家康は好んでこの道を使った。

 中原街道
   明治時代の「迅速測定図」 *Click!
 
江戸時代になり、東海道が整備されると中原街道は脇往還道になったが、平塚の食用酢が江戸に運ばれた。明治から大正にかけて物流の道になり、東京から川崎方面へ肥料が運ばれ、川崎方面から野菜などが運ばれ、大正から昭和初期頃には、この街道沿いの農家は東京市を控えた野菜生産地として発展。
砂利道で起伏が多く馬車や荷車は難儀をした。馬にも厳しい道で、死んだ馬を弔うため馬頭観音の碑が所々に作られた。

ちょうど中原街道から九品仏浄真寺へ至る旧道分岐点にあたるところに庚申塚供養塔が見えてくる。文化11年(1814) 区有形文化財。
そして住宅地へ。天明2年(1782)に建てられた小さな道標がある。そして中原街道沿いの道標へ。大田区在住とはいえ、初めて見たという人がほとんど。
まして住宅街にポツンと建つ道標は誰も知らなかった。この道標は数年前、東工大構内でスケッチ後、洗足池まで歩く途中で偶然見つけた江戸期のものだが、大田区の文化財でないのが不思議だ。
「移されたのじゃない?」「向きが違うかも。九品仏だったら向こうだし・・・」みんな興味津々。

    道標
     月山 湯殿山 羽黒山 天下泰平 
     秩父 西国 坂東 百番供養為二世安楽之也 
     (右面)いけがみみち (左面)めぐろみち

東工大へ着くころには、春の強風もおさまっていた。穏やかな日差しの中、イチョウ並木を抜けると、わがおススメスポットの桜並木。
だが、入学式翌日とあって、桜並木のウッドデッキは新入生歓迎、勧誘の学生さんたちで占められていた。ソメイヨシノはちょうど見ごろ。下の広場には春休みの子どもたちの姿が見られた。

  東工大
  東工大

  東工大

駅前のカフェでテラスでティータイム。5月の会の相談。馬込文士村を歩くことになった。
休憩後、洗足池の源流「清水窪弁財天」(清水窪湧水)へ。(池のみちを歩く Ⅱ) 
旅・散策・イベント

宗観好みの茶器 四月

2019年04月06日
三月になって『井伊宗観好十二月茶器の研究』が、以前母が大切にしていた12種類の茶器についての本だということがわかった。
井伊宗観、つまり井伊直弼が自らの意匠と詳細な指示で、幕末の名工である八代中村宗哲に作らせたという月次茶器「宗観好十二ヵ月の棗」は、藤原定家の『詠花鳥倭歌』の本歌取り、そしてこれらの歌をモチーフにしたのが江戸期の『十二ヶ月花鳥図』だという。(十二種類の茶器宗観好みの茶器

 茶器
               峰春作 「十二月茶器」

4月  卯花に郭公
潤(うるみ)塗 面中次 高さ7.9cm 径6.9cm 
大きさと形をみると石州公の好みを思い出させる。旧暦四月を卯の花月というように、白い卯の花は初夏を清楚に彩る。
甲に郭公(かっこう)が一羽高く鳴いて飛んでいる。
漆は潤塗。黒漆に朱または紅殻を混入して栗色の落ち着いた光沢をもつようにする技法。
   
本歌
   四月  卯花   白妙の衣ほすてふ夏のきて垣根もたわに咲ける卯花
   四月  郭公   郭公しのぶの里にさとなれきまだ卯花の五月まつ頃  
 
    四月
      
  面中次
      P21 面中次  わが家の面中次(朱塗?) 
 
宗観は驚くほど細密な意図で、図柄や棗の形、塗、色に工夫を凝らしている。
1年を分け、半年ごとの対で棗を構成している。例えば正月と7月や4月と10月、5月と11月は形の対に、3月と9月は形と塗の対、6月と12月は形と材質の対。

4月の面中次の対になっている10月の雪吹(黒叩塗)は同じ弓矢形で同じ面取りになっている。

      10月
          10月  残菊に鶴         
身近な人びと

清々しい季節

2019年04月05日
今日は24節季の1つ「清明」。万物がすがすがしく明るく美しいころ。
『こよみ便覧』には三月節に「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」と記されている。
さまざまな花が咲き乱れ、お花見シーズン。

中国では清明節は「掃墓節」とも呼ばれ、祖先の墓を参り、草むしりをして墓を掃除する日。また、春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも。
『白蛇伝』で許仙と白娘子が出会ったのも清明節でにぎわう杭州の郊外。
また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、穀雨以後の茶葉を「雨後茶」という。中国で緑茶は清明節に近い時期に摘むほど、香りと甘みがあり、高級とされている。(清明の日に

日本の5月は八十八夜で、新茶の季節でもあるが、中国の新茶は4月の清明節(4月5日前後)が大事なポイントになり、この清明節の前に摘んだお茶がよいとされるという。

    緑茶
       緑茶3種 安徽省 黄山毛峰ほか

緑茶は一般的には、水色、透明度がわかるグラスで飲むことが多いが、彼女はときに、お気に入りの青磁「天青」(複製品)でお茶を愉しむそうだ。
1000種類以上あるといわれるほど多種多様な中国茶、中国茶は、茶葉の酸化や発酵を抑えるために茶葉を炒るので、香りがよく立つ。独特の上質な香りが特徴で、味がじわじわゆっくりと出てくるので、5煎前後、高品質のお茶なら10煎前後、淹れる度に微妙な変化を楽しむこともできる。

   緑茶         
                  2014.7

中国緑茶は茶葉を煎ることで液体はやや黄色が強くなり、ふくよかな味わいになる。
日本茶は蒸して酸化や発酵を抑え、茶葉を蒸すことによって味がよく出るという特徴がある。水色は鮮やかな緑色で中国緑茶より薄味だが、より甘みが感じられる日本の緑茶を好む人も多い。
日本国内で生産されているお茶は緑茶がほとんどで、緑茶の種類にもいろいろあり、栽培方法や摘採時期、製造工程などから、味や風味の異なる緑茶に仕上がる。

上海に住んでいたこともある茶芸師のSさんは、浙江省、江蘇省、や安徽省のお茶を飲むことが多かったというが、あまり日本では知られていない湖南省の緑茶を飲んでみて、ずいぶん違うなと思ったそうだ。(静岡茶と狭山茶の違いのように)
たとえば、浙江省は旨味のあるやさしい味わいのお茶が多く、江蘇省は形が美しく、渋みがあり、安徽省は穏やかな味のお茶が多いように感じたそうだ。(湖南省の緑茶)
今年の新茶だが、茶芸師のSさんが安徽省などで新茶を仕入れ、5月に淹れてくださることになっている。そのために4月の桂花会はお休み。5月の会が楽しみだ。
中国・中国の旅

遅すぎることはない?

2019年04月04日
日本に中国から医学が伝わったのは5~6世紀以降。その際、多くの漢方処方薬や生薬、医学の本が持ち込まれた。
その後、室町時代までは伝来した中国の医学にそって医療が行われていたが、それ以降は日本で独自の発展を遂げ、日本の風土や気候、日本人の体質やライフスタイルに合った医学に進化し、確立していった。

西洋薬はたいてい1つの有効成分で作られていて、血圧を下げたり、細菌を殺したり、熱や痛みを取ったりするなど、1つの症状や病気に対して、強い効果がある。

一方、漢方薬は
①自然科学的で伝統的医学
②心と体を一体としてみる心と体を一体としてみる
③個人の体質・特徴を重視し、症状をみる(原因が特定できないものや「未病」状態でも治療できる)
④天然物がベースとなった生薬を混合した「漢方薬」を使う(複数の症状にも効果)

漢方薬は 一剤でいろいろな症状を解消したり、和らげたりする
また、飲んですぐに効くタイプの漢方薬と、飲み続けることで効いていくタイプがある
同じ病気でも、発症してからの経過日数、症状によって用いられる漢方薬が異なる
治療の両輪) 

   漢方

昨年秋から東邦医大(東邦大学医療センター大森病院)の東洋医学科の田中先生にお世話になっている。現在、受診は月に1度。処方されているのは2種類、「苓桂朮甘湯」(コタロー)と」四物湯」(ツムラ)。
そして足がつったときのために「芍薬甘草湯」(ツムラ)も。
効能をみると、急激におこるけいれん性の疼痛やこむら返り、神経痛、腹痛などの改善、抗がん薬(タキサン系微小管阻害薬など)による筋肉痛や関節痛などとある。頓服のため1日に1包。

     漢方
         
先月末、この頓服薬をこむら返りではなく、腰痛が治まらないときに飲んだ。
ミシンかけがつづいたせいか、歩きすぎたのか、持病とはいえ、とにかくひどい。いやゆる西洋薬、ロキソニンなどの鎮痛剤は皆無。横になっても寝返りができるだろうか、朝、起き上がれるだろうか。出かける予定が詰まっている。
こむら返りではないが、「芍薬甘草湯」で何とかなるかもしれない。夜、寝る前に1包飲んで床に就いた。

朝、目が覚めると、難なくベッドから起き上がれた。痛みで目が覚めることもなく、寝返りもうてたようだ。
念のため、出かける前に1包飲んだ。いつもの薬は休まなくていいのかもしれないが、飲まなかった。
昼近く、薬の効果が切れたのか、腰が痛み出したが、この日はもう飲めないので我慢した。
翌朝、飲まずに1日が過ぎ、数日後、もっとも腰に負担となる展覧会も何とかなった。
飲んですぐ効くタイプとはまさにこの「芍薬甘草湯」ような漢方薬のことだろう。

東邦大学東洋医学科の三浦教授(三浦於菟先生の「誰も教えてくれない東洋医学の話」)によると、
漢方は、単にオランダ医学と区別する目的で使われた言葉だが、東洋医学は西洋医学に対する言葉として、明治後期頃から使われ始められた言葉。
西洋医学にはない素晴らしいものがある東洋の医学。日本古来の医学を見直そうという気持ちが込められた言葉といえるという。
東洋とは、日本を含めたアジアという意味が込められ、西洋文明に対するアジア文明という意味が込められていが、中国語では日本という意味になるという。つまり、東洋医学は日本人が創った言葉で、日本の医学つまり古くからおこなわれている伝統的な民族医学という意味にもなる。
東邦大学において東洋医学科としている理由は、ここにあるという。

もっと早く東洋医学科に・・・と思わなくもないが、ここまでいろいろと寄り道をしてきたことで、東洋医学の素晴らしさを実感できるのかもしれない。
つれづれ

たかが石ころされど・・・

2019年04月03日
先月だったか、『美の壺 いい感じの「石ころ」』(再放送)をたまたま見て、ヨーロッパ中心に流行しているという「ロックバランシング」というアートがあることを知った。
新聞やテレビでも取り上げられているようだが、日本では「石花」と名付けられ、このアートを楽しむ石花会は、さまざまなイベントを企画したり、毎月14日を「石の日」と定め、少なくとも毎月1回は「石花」創作に取り組み、画像をWEB上に投稿したりするのだとか。

博物館友の会で「光明寺遺跡」の石器類の整理をした。光明寺は、環状8号線の建設工事関連の発掘調査(1993~1994)で「光明寺荒塚古墳1号墳」「光明寺荒塚古墳2号墳」のほか、旧石器時代の生活跡、縄文時代の遺物、弥生時代の方形周溝墓、また近世にわたる火葬墓や集石墓も大量に発見された。2千年にわたる日本の墓制をたどる貴重な遺跡といわれる。(「はるか昔に思いを馳せて」「こんな近くに古墳があった」(大田区の旧石器時代

除夜の鐘を撞きに行く光明寺が遺跡だということは知っていたものの、旧石器時代の遺物が発見されていることに驚いたものだった。大田区にもおよそ35,000~15,000年前という気が遠くなるほど昔から暮らしていた人々がいたとは!

わが家にある石ころの中にまさか旧石器時代の石はないだろうが、それらの石の名前を知りたくなった。父が旅先で拾ってきたものが多いが、スケッチで河原や山に行くと、記念に拾ってくるようになった。わかっているだけでも秩父の武甲山、下北半島の仏が浦、出羽の鳥海山、伊豆大島など。雨畑硯で有名な山梨県の雨畑川原で拾った石は数十個ともっとも多い。仲間が拾った石も預かって共に宅配便で送ったこともあった。

  石
     わが家の小石 (一部)

石器片の整理をキッカケにKさんおススメの『かわらの小石の図鑑 日本列島の生い立ちを考える』(千葉とき子・斎藤靖二 著)を購入した。
本にわが家にあった小石とそっくりな写真をみつけた。荒川河原の黒色片岩とある。

   かわらの小石の図鑑
    黒色片岩
        黒色片岩  

黒色片岩は、泥岩に熱と圧力が加わってできた変成岩。泥岩の中の石英の粒が集まって白い層、鉄、マグネシウム、アルミニウムなどを含む粒が緑泥岩と白雲母に変わって緑色の層、炭質物が石墨の粒になって黒い層をつくっている。

この石を拾う癖が、父譲りのものらしいと自覚したのは、父の書斎を片付けていて、そこにたくさんの石があるのを見たとき。
わが家にある石ころの中に旧石器時代の石があるとは思えないが、長い間かけて形づくられた石ころかそれぞれに異なる場所で出来上がった模様や形を眺めるのも楽しいかもしれない。どうやら、この石好きは二代限りで終わりそうで、少し淋しい。 (大きな石 小さな石
旅・散策・イベント

江戸桜通り

2019年04月02日
日本橋三越で開かれている「春の院展」。今回はOさんと2人で。
三越は日本最初の百貨店として1935年に完成。以後80年が経過し、2016年には国の重要文化財に指定された。
久しぶりに訪れた三越本店は昨年秋、30年ぶりにリニューアルされて明るくモダンになった。だが、院展会場となった催事場の床は傷だらけ、あちこちにカーペットのようなもので補強がされていて、歩くとミシミシ音がする箇所もあった。

会場が分かれていることもあるが、久しぶりの展覧会場は疲れる。院展を観た後、エレベーターを1階で降りると、耳に飛び込んできたパイプオルガンの音色。ホール2階バルコニーに置かれたオルガンでの生演奏だが、パイプはみえない。近くの係員に尋ねるとパイプはなぜかカーテンの中だという。演奏日は水金土日、午前10時、正午、午後3時の3回。グッドタイミングだった。

江戸桜通り
江戸桜通り
          江戸桜通り  2019.3.31

店を出ると、「江戸桜通り」の桜が目に入った。この通りには三越本店や三井本館など石造の歴史ある建物が建ち並ぶ。日本橋本石町から日本橋本町へとつづく桜並木は桜の名所。江戸桜はソメイヨシノの別名とか。
当初、国立劇場でさまざまな桜を観に行こうかとも話していたが、ランチの店を探しながら歩くうちに面倒になり中止。

帰宅後、送られてきた「郷土博物館友の会だより」を開くと、4月の「展覧会情報」の最初のページに日本銀行貨幣博物館で「春爛漫!桜咲く錦絵 -日本橋・江戸桜通りへようこそ 2019-」が開かれていることを知った。4月14日までだった。
ここなら立ち寄ることができたのだが、残念だ。

   貨幣博物館
         貨幣博物館  2016.4.6

月1回、友の会メンバーに送られてくる「たより」には、毎月、博物館や美術館情報がいくつも載っている。大田区内の記念館、博物館のほか、東京国立博物館(「両陛下と文化交流-日本美を伝える-」)、東京ステーションギャラリー(「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」)、練馬区立美術館(「ラリック・エレガンス 宝飾とガラスのモダニティ」)などや横浜開港資料館(「浮世絵でめぐる横浜の名所」)、鎌倉国宝館(「北斎と肉筆浮世絵」)など神奈川県まで。

横浜開港資料館を訪れたのは1年前、タマクスの木と咸臨丸の模型を間近に見たことが印象に残っている。(咸臨丸の日
タマクスは資料館の中庭に聳え立つタブの樹。「ハマの歴史の生き証人」といわれるこの樹は、江戸時代、横浜が小さな農漁村
だったころからこの地にあったタブノキ。通称「玉楠」。1854(嘉永7)年のペリー来航時に艦隊に随行してきた画家ハイネの「横浜上陸」などに描かれている。

   タマクス
    横浜開港資料館 タマクス 

1931年に英国領事館として建てられた旧館(横浜市指定文化財)は、近代化産業遺産に指定されている。幕末から昭和初期にかけての横浜の歴史や文化に関する資料を25万点以上揃え、横浜の歴史を知ることができる資料館。(ペリー提督もみた「たまくす」
また、タマクスの木に逢いに行ってみたくなった。桜の時季を過ぎたころに。
旅・散策・イベント

少々疲れ気味

2019年04月01日
今日は4月1日。月の始まり、そして週の始まり。さらにまもなく終わる平成という時代にかわり新しい元号が発表される。
新学期、入学式を迎えるのは孫たちだが、こちらも何かと慌ただしかった3月。
じゅんじゅんの入学準備、わが子のときはこういった準備をしたのだったか、まったく覚えていないから不思議だ。

なぜ必要なのか今一つ分からないまま、ランチマットを5枚縫ったのは3月半ば。体操着の袋2枚、手提げ袋3つ、マスク入れといったものまで、縫って渡したのだが、第二弾の防災頭巾のカバー、ハンカチ入れ、上履き入れには手こずった。(入学準備防災頭巾)

防災頭巾はカバーに入れて座布団代わりにするのかと思いきや、椅子の背に置くクッションなのだという。椅子の背あての寸法が分からないまま、カバーを作るのは結構面倒だった。ネットでデザイン、作り方を探すが、ほとんどがバッグ状の上から入れるデザインで、要求された横から入れるデザインがほとんどなかったのも困った。

   カバー
        横入れタイプ

さらに、多めに用意した布地が不足。以前、りんりんに用意したものを足し、ダイソーで買った布も足すことになった。
もっとも参ったのはミシン。途中で糸が切れたり、下糸がなくなったり、前回と今回のミシンかけで上糸も2つ終わった。幸いなことに針の糸通し成功の確率は以前よりアップしたが、焦れば焦るほど糸が切れる、間違えて縫ってはほどくの繰り返し・・・、なんやかんやでとにかく終わったのは午前2時になっていた。

   上履入

マジックテープを買いにダイソーへ行くと、白色と黒色の2色しかない。仕方なく、黒い方を選んだ。
今、「マジックテープ」と言わないのか、「ファスナーテープ」と書いてあった。
このテープができたときは感動したが、今や、当たり前、マジックでもなんでもないのだろう。魔法瓶も魔法とは感じなくなった。昭和は遠くなりにけり。
身近な人びと
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