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麦刈り

2019年05月31日
今日は72候は「小満」の末候にあたる「麦秋至」。
5月には珍しい真夏日となった日曜日、大田区立郷土博物館で「大森麦わら細工」の保存に取り組んでいる会の「麦刈り」が行われた。(麦秋)

今年春、博物館近くの畑の一角にあるのは博物館(「大森麦わら細工の会」)で育てている麦だとSさんに教えていただいた。それ以来、博物館への往復は必ず麦の畑を見るようになった。
ゴッホの絵やF先生の絵の印象が強く、麦畑、麦刈りとかにちょっとした憧れを持っていたので、大森麦わら細工の会に参加して麦刈りを体験することにした。

    麦

当日は午前9時集合。腰痛が出ると作業もできないと思い、ごんさんに来てもらった。
ありがたいことに今月半ばに始めたAKA博田法のお陰でスムーズに動けた。さすがに真夏のような日差しの強さには参ったが、プルーンの木の下で時折水分補給と休憩しながらの3時間は楽しい「麦刈り」初体験となった。

   9:20
       開始        9:20

まずは1株ずつきつく縛る、鎌で刈る、刈った束を道路近くへ運ぶ、郷土博物館と大森海苔のふるさと館共用のバンに積み込む、博物館に用意された梯子に架けるといったところが午前中の作業。

   9:30
                  9:30
   9:45
                  9:45

F氏は数日前の豪雨のせいで倒れ、折れた麦もあるのが惜しいと嘆いてはいたが、今年の出来は丈が高くて太く、りっぱな麦がバンが3往復することになるほどの大豊作だそうだ。

    10:05
                   10:05

ごんさんは刈る専門、私は束ねられた麦を道路近くに運んだり、バンの中のF氏に1束ずつ渡した。
博物館で架け終っって戻ったバンに積み込むと、ごんさんと2人、麦架けをするべく畑を後にした。(麦架け
植物など

ごみ分別もアプリで

2019年05月30日
今日は「ごみゼロの日」。日本で美化活動とともに、ごみの減量化と再資源化を促す啓発活動を実施するための記念日。
これは、「ご(5)、み(3)、ゼロ(0)」の語呂合わせ。

大田区でも昨年の11月からスマートフォンでの無料アプリ「大田区ごみ分別アプリ~資源とごみの分け方・出し方~」を導入したが、大田区の場合、ごみは「可燃ごみ」と「不燃ごみ」。そして新聞・チラシ、雑誌・雑がみ、紙パック、段ボール、飲食用びん、飲食用かん、食品トレイ、ペットボトル、発泡スチロールの9品目は「資源物」として週1回の回収。

  アプリ

ごみの収集日やごみの出し方、出す時の注意点、ごみ分別辞典、よくある質問など、簡単に確認できるアプリ。
当日や翌日、週間、月間の資源とごみの出し方のスケジュールが簡単にわかる「カレンダー機能」、資源とごみの出し忘れを防ぐための「アラート機能」、そして「ごみ分別辞典」でごみの出し方、注意点を確認することができるというもの。

区では、毎年「資源とごみの分け方・出し方」のパンフレットが(日本語、英語、中国語、ハングル、タガログ語、ネパール語)作られているが、とくに若い人や外国人にはアプリの方が利用しやすいだろう。

 資源  

この「分別アプリ」には、インクカートリッジ、小型家電、廃食用油回収ボックス設置場所など、拠点回収場所もわかるという。
インクカートリッジはゴミ扱いせずに家電量販店のほか、最近は回収ボックスを置いてある図書館や郵便局に持っていく。
「ごみゼロ」には無理でも、リサイクル(再生利用)・リユース(再使用)・リデュース(ゴミ減量)・「リフュース」(購入拒否)を合わせて4Rを心がけてはいるが・・・。
ちなみに、欧米の4Rは、リサイクル(再生利用)・リユース(再使用)・リデュース(消費削減)・「リペア」(修理)をあわせて4R。
つれづれ

今年はお休み?

2019年05月29日
大田区の蘇峰公園の山王草堂記念館前にあるカタルパは、徳富蘇峰の生涯の師であり、同志社大学の創立者である新島襄ゆかりの木。

   カタルパ
           カタルパの花 (大田区HP)

カタルパは、明治10年代に同志社の創立者新島襄がアメリカから種子を持ち帰り、蘇峰と蘇峰の父 淇水に送ったのが始まりと伝えられている。
山王草堂のカタルパは、熊本市立徳富記念館にある2代目の木から挿し木した3代目の木として、1990年に贈られたもの。
2人の深い師弟愛を象徴する由緒ある木として今も大切に保存されている。

毎年5、6月には香りの良いベル形の白い花をつけるはずなのだが、今年はどうしたことか、5月になって2度訪れたが、蕾すら見当たらなかった。(馬込を歩く Ⅱ

  カタルパ

記念館の方に尋ねると、隣のクヌギの大木の陰になっているためではないかとのこと。その後、今度は電話で問い合わせると、大田区の公園課から調査に来たが、おそらくクヌギのせいだろうという。
クヌギは昨年も一昨年も隣にあったのだろうに、なぜ今年だけなのか。昨年の塩害ということは否定された。

    カタルパ
      記念館前  2019..5.11

園内には小さいカタルパが2本植えられているが、どちらもまだ花を咲かせたことがないという。

       カタルパ
        カタルパの小径付近のカタルパ

今まで見に行こうと思っていながらなかなか機会がなかったカタルバ、今年思い立ったときは咲かないとは。相性が悪いのかもしれない。
植物など

昭和は遠く

2019年05月28日
今月の桂花会は2ヶ月ぶり。Sさんは中国安徽省へ新茶の買いつけに忙しかったため、4月はお休みだった。
今回の発表は中国語で「俳句あるいは短歌」。昨年・・・4月も同じテーマだった。(萬緑の中に

俳句
     今回はフルメンバー8人

提案者のM氏が選んだのは芭蕉の句。鎌倉の初夏の風景が思い浮かんだという。
   目には青葉山ほととぎす初鰹  山口素堂 

M氏は季語や字数に拘らない自由な俳句が面白くなってきたそうだ。そして選んだのは金子兜太の3句。  
  朝にはじまる 海に突込む 鴎の死      (1944年 南洋戦線)
  魚雷の丸胴 蜥蜴が這い回って 去りぬ   (1944年 南洋戦線)
  海に青雲 生き死に言わず 生きんとのみ  (1945年 第二次世界大戦終結)

金子兜太ときいたとき「大好き!」と叫ぶと、「私も!」とFさん。金子兜太ファンというのはともかく、今回選んだ草田男の句と彼女が選んだ句が全く同じだったのには驚いた。
   降る雪や 明治は遠く なりにけり  

この句は満州事変が勃発した昭和6年作。明治34年、中村草田男は清国、現在の福建省の厦門(アモイ)で領事の長男として生れた。
明治から大正を経て昭和へ。20年ぶりに母校の小学校付近を歩いていると、母校は昔のままと変わらない。その時、小学校から出てきたのは金ボタンの外套を着た児童たちをみると時の流れを感じさせられる。明治のよき時代は遠くになってしまったものだと。

    万緑

彼女が草田男の句を選んだ理由の1つは、草田男氏は彼女の出身校(成蹊学園)で33年もの間教鞭をとっていたこともあるようだ。彼女が習ったのは『萬緑』を引き継いだ香西照雄氏だったそうだが。
  
そして次はわが番。昨年は中村草田男の「萬緑の中や吾子の歯生え初むる」を選んだ。草田男の句がとくに好きなわけではないが、「萬緑」の同人だった母の師でもあり、わが家に師の色紙や短冊などが多く残る、身近な俳人ということもある。

  色紙
      母が大切にしていた色紙

 降る雪や 明治は遠く なりにけり  今年はこれしかない!と選んだのが、Fさんとまったく同じ句だったのには驚いた。 
昭和6年当時大学生の草田男の句。明治という時代が終わり、昭和の時代に。なんと64年もつづいた。そしてその後平成の時代が30年。今年5月平成は新しい令和という時代に代わった。

個人的には平成の時代は子育てと親の介護に追われた。今になって昭和の時代が懐かしく思われてならない。
草田男が今生きていたらどんな句を詠んだだろう。平成も終わった今、昭和は遠くなった。まして明治はなおのこと・・・・。
万緑の中や平成終わり告げ昭和はるか遠くなりけり・・・? ふと浮かんできた草田男風の5・7・5・7・7も昭和の画像とともに載せてみた。 

H氏は「万葉集」から「令和」の出典部分を漢文で。

O氏は百人一首。 
   大枝山 生野の道の 遠ければまだ文もみず あまのはしたて   小式内侍

Sさんは芭蕉の句。 
   閑さや 岩にしみ入る 蝉の声  芭蕉 
   
中国ではセミのことを「蝉」より「知了zhiliao」ということが多いらしい。鳴き声がそう聞こえるからとか。
これからセミが鳴き始めたら気をつけてきくことにしよう。

月1度の集まりだが、中国茶の魅力のほかに、これほどまでに様々な分野に関心を広げてくれるとは。できるだけ長く続けたいとあらためて思った。 
中国・中国の旅

新茶3種

2019年05月27日
2ヶ月ぶりの桂花茶会は令和最初の茶会で、「新茶を飲みましょう」。
先週、訪れた宇治市では抹茶づくりの真っ最中、静岡の緑茶は5月初めから5/12で終了したとのこと。
中国での茶摘みはさらに早く、おおよそ清明節(4/5頃)前後と言われている。
この日は3種の新茶を味わうことができた。

   新茶

安徽省でつくられる3種類の新茶はどれも香りがよく爽やかな味わい。
Sさんは安徽省六安市の霍山県農民茶業合作所で六安瓜片霍山黄芽が作られるところを見学したという。
六安瓜片は緑茶。霍山黄芽は黄茶。

   六安瓜片
         六安瓜片    

  霍山黄芽
         霍山黄芽

太平猴魁は黄山市産の緑茶。中国十大銘茶の1つ。4月中旬から5月1日、早朝5時半から10時半に茶葉を摘むのだとか。
清朝の頃初めて作られたこのお茶は安徽省を代表する尖形緑茶という種類に属す。
茶摘みから始まり、製茶に至るまで大変手のかかる作業の連続で作られることで、どの茶葉も形が揃い、まるで精巧な「押し花」のよう。扁平で太平猴魁特有の「網目」がしっかり付いていた。

「猴魁」は猿の王を意味する。伝説によると、息子を亡くしたこと悲しみ、病気になり山で死んだ猿の王を農民が埋葬したという。翌年、埋葬した場所にお茶の木が生えてきた。農民はこのお茶の木をよく世話をし、その葉からは非常に良質の尖形緑茶が出来たという。

   太平猴魁
         太平猴魁   鳳凰の舞?

一芯三葉で摘まれた茶葉は大きく、鮮やかな緑色。香りは蘭花の蜜のように甘く、水色は薄めの黄色。
お茶を淹れた際の茶葉は外観がとても美しく、水中で茶がゆっくりと揺れ動く様子は「鳳凰の舞」と賞される。
中国・中国の旅

「どうぶつむら」

2019年05月26日
井の頭自然動物園の象のはな子が逝ってから今日で3年が経つ。(静かに穏やかに逝きました

久が原商店街の「ライラック祭り」は「どうぶつむら」も大人気。ポニーの乗馬体験はすでに整理券はなくなっていた。
ヤギ、モルモットウサギ、鶏やアヒル、そして七面鳥ホロホロ鳥などと遊べる「どうぶつむら」にも長い行列。(商店街のお祭り

   どうぶつむら

  どうぶつむら

こうした商店街に1日のみ設けられた移動動物園で、七面鳥ホロホロ鳥をみることができるとは! 

シチメンチョウ(七面鳥)  キジ目 キジ科の最大種。英名はWild turky。
胴は金属光沢がある黒い羽毛で覆われていて、メスよりオスの方が光沢が強い。
また、オスは胸部の羽毛が逆立っているが、頭部や頸部には羽毛がなく赤い皮膚が露出し、発達した肉垂がある。繁殖期になるとオスの皮膚は色が鮮やかになり、胸部が隆起する。

        七面鳥 
   七面鳥
              シチメンチョウ

和名の七面鳥の由来は頭部の首のところに裸出した皮膚が興奮すると赤、青、紫などに変化するため、七つの顔(面)を持つ様に見えることに由来する。
アメリカ合衆国、カナダ南部ならびにメキシコに分布し、開けた落葉樹と針葉樹の混合林に生息する。
食性は植物食傾向の強い雑食で果実、種子、昆虫類、両生類、爬虫類等を食べる。

食用として知ってはいるが、実際に目にしたのは初めてかもしれない。
トルコを意味する名前が北アメリカ原産の鳥につけられている理由は、トルコ経由で欧州に伝来したホロホロチョウとの混同によるもの。 

ホロホロチョウ  キジ目キジ科 全長53cm。 南アフリカなど(家畜) 
胴体は黒い羽毛に覆われ白い斑点が入る。頭部に羽毛はなく、ケラチン質に覆われた骨質の突起がある。また咽頭部には赤や青の肉垂がある。雌雄はよく似ているが、肉垂と頭部の突起は雄の方が大きい。現在日本では動物園などで飼われているに過ぎない。

   ホロホロ鳥
           ホロホロチョウ

食性は雑食で、昆虫類、節足動物、甲殻類、果実、種子等を食べる。
フランスや西インド諸島で飼育されており、フランス料理などで用いられることが多い。野鳥に似た歯ごたえで癖がなく、美味として知られる。
旅・散策・イベント

商店街のお祭り

2019年05月25日
そろそろ蚊も出始めた。すでに先週、草取りを手伝っていたじゅんじゅんは脚を刺されてしまった。
昨年から雨水が溜まる蹲や甕などにはボウフラがわかないように網を被せていたのだが、玄関前に置いてある甕にはメダカがいなくなってからいつの間にか水草もなくなり、ただ緑色の苔がべったりと内側についていた。甕を洗い、メダカを買うことにした。

メダカを売っている店は徒歩10分圏内にいくつかあるが、久が原のライラック通りの中ほどにある店で買うことにして久が原駅で降りた。
ライラック通りでは「ライラック祭り」が開かれていた。ちょうどわが家に来ていたお祭り大好きじゅんじゅんを呼び出した。
  
    まつり
     ライラックの花咲く通り

ライラック通りはその名の通り、道の両側にライラックの木が植えられている。駅から東へ、「柳の交番」 まで続く商店街。歩行者天国となった道の両側にはヨーヨーすくい、金魚すくい、餅つき、焼きそば、焼鳥などの屋台、さらに「どうぶつむら」ができていた。
 
  まつり

   モチツキ

    かき氷

昔は、ウサギも売っていた精米店の前に金魚メダカが入ったバケツが置かれていた。中の水槽にはたくさんのメダカが泳いでいたが、外に置かれたバケツから10匹すくうことになった。
「金魚やメダカすくい」のコーナーではないのだが、彼がメダカすくいをしているといつの間にか子どもたちが集まってきた。

      メダカ

帰宅後、メダカを甕に移した。彼の選んだ10匹の中にはごく小さいものや黒メダカも混じっていた。
室内には数年前、彼がお祭りの金魚すくいで持ち帰った3匹の金魚がいる。そんなことは忘れているが、水替えは大好き。
「カマキリ先生」のお陰か、虫も好きで、いろいろ自分で検索している。
彼はできそうにないものは極力避けたがるため自転車にはまだうまく乗れない。目下、キックスケーターの練習中。

   メダカ
旅・散策・イベント

勝海舟と大田区

2019年05月24日
勝海舟没後120年の今年、9月7日に大田区の洗足池畔に勝海舟記念館(5/14竣工)が開館する。
この記念館は、国登録有形文化財である旧清明文庫を増築改修し、勝海舟の歴史的功績と洗足池とのゆかり、時代背景等をわかりやすく展示するとともに、勝海舟の想いを未来につなげる記念館となるという。

   記念館
       9月開館する「勝海舟記念館」

   図書館
        洗足池図書館  

記念館開館まで、大田区郷土博物館に「海舟が眠る洗足池」が常設展示されている。また、玄関ホールにはミニ企画展「幕末・明治における勝海舟と大田区」の資料やパネルなどが展示され、4月と5月の2回、学芸員によるミュージアムトークが行われた。

   玄関ホール
         玄関ホールのミニ展示

2回目の5月の会に参加した。定員20名(申込不要)のところ集まったのは30人ほど。海舟ファンで玄関ホールはいっぱいになった。
「勝海舟といえば、咸臨丸でサンフランシスコへ行ったこと、江戸無血開城の立役者、或いは大河ドラマを思い浮かべる人が多いのでは・・・」で始まったトーク。
海舟関係の講演講座にほとんど出たこともあり、すでに見聞きしたことがほとんどだったが、大田区との関わりは千束と池上だけでなく、大森にも関係があることをはじめて知った。わずかな期間だったが、大森の台場に大砲が据え付けられていたそうだが、まもなく長州前田御茶屋台場に移されたという。

   3階
        3階 常設展示

3階には「洗足池と洗足軒」や「海舟の遺品」などが展示されている(撮影禁止)。もっとも印象に残っているのは、海舟自ら描いた墓の図と「海舟」と刻まれた墓だけが佇む昔の写真。

徳富蘇峰の旧宅を記念館とした山王草堂にも「蘇峰と海舟」のコーナーがあったが、9月には海舟記念館がオープンする。
広い視野を持って世界をみていた海舟が大田区と深い関わりがあったことに思いを馳せながら洗足池や池上周辺を散策する楽しみが増えた。(馬込を歩く Ⅱ
絵画・博物館

おとなしい猫

2019年05月23日
このところ大森山王のOさんのお宅へ何度かお邪魔している。彼女が絵をやめたときに額やパネルなどをいただいたことがあったが、今回は美術関係の本をもらってほしいという。とりあえずKさんと2人で伺った。
室内の調度などは10数年前とあまり変わらないようにも思うが、ずいぶんと断捨離が進んでいる様子。

20年以上前になるだろうか、わが家で飼っていた犬も彼女が飼っていたのもシェットランドシープドッグだった。
あるとき、わが家のアルバートと彼女のラブ嬢と「池上の弁天池付近でお見合いをさせたけれどうまくいかなかったのよ」とKさんに話すOさん。そんなことがあったこと、すっかり忘れていた。
彼らは最後の犬だった。そして今はどちらの家にもそばにいるのは猫たちだ。

   みいちゃん

彼女の家に暮らすのはみいちゃんという猫。ほかにも庭にやって来る猫も面倒を見ているそうだ。
みいちゃんはお利口さん、おとなしく、哲学者みたいにも見える。猫が苦手だったKさんも撫でたり、抱っこさせてもらえたほど。
当たり前なのかもしれないが、紙製の爪とぎ器?でしか爪を磨がない。りんりんのところの猫は躾がなっていないようで、所かまわず爪とぎするので、壁はボロボロになっている・・・。

  写真
         みいちゃんの写真

上に向けた前の掌に顔を載せて眠るみいちゃんの写真を得意げにみせてながら、彼女は獣医師である次女のNさんも珍しいと認めたという話をしてくれた。前脚を折りたたんで座るいわゆる「香箱座り(こうばこずわり)」はよくみるが、掌を上に向けるのは初めてだった。顔を覆って泣いているようにも見えるし、眩しいのだろうか、反省しているようにも見えて面白い。

    伏せる

次にお邪魔したときにはこのポーズを実際に目にすることができた。このときの写真は5月のLINEの「初夏、進まない断捨離」のプロフィール画像にに使わせていただいた。もちろん、みいちゃんに無断で。
反省しているようにも見えるが、実際はおしゃべりがうるさくてうんざりしているようにも見える。

先日、Oさんとの電話の最後に「話したいことがあるの」と、みいちゃんの話を始めた。彼女が帰宅して「みいちゃん、おやつ食べる?」と訊いたときに「ウン!」と答えたのだとか。「はい、はい、みいちゃんなら言いそうだけど・・・。今度、きかせてもらいます」と約束したのだが。
そういえば昔、わが家の犬に「ゴハン」と言わせようと訓練したことがあった。来る人来る人に「ゴハンと言っているでしょ」ときいたが、「ゴワン!」としか聞こえないと言われたことを思い出した。

ちなみに、「香箱座り」とは、前足を胸の下にしまいこむように、折り曲げて座っている状態のこと。片足のみを折り曲げていたり、前足を腕組みするようにして座ったりする場合も、「香箱座り」と呼ぶことがあるようだ。英語圏ではパンの塊に例えて「catloaf」と呼ぶ。 

 アミ
      香箱座りのアミ  2008.11
動物など

馬込の野菜

2019年05月22日
郷土博物館で、F氏が育てた「馬込半白節成胡瓜」の苗を下さったので、2ついただいて育てるのが上手なKさんにもらっていただいた。
 
  苗
          
この胡瓜の起源は『東京府の産業農業』によると、明治初年に南葛飾郡砂町の青節成の種から偶然に一変種を発見し、改良を加えて完成したという説があると記載されている。
馬込が半白胡瓜の特産地となったのは、それまでの特産地であった大井町付近が宅地化したため、その周囲に産地が移動したのが契機。

  胡瓜
       半白節成胡瓜   (大田区HP)

そして、明治末から大正にかけ、キュウリ栽培にたけた篤農家が現れ、キュウリの収穫の一方、種を採り販売も行い、この品質保持や改良により、種は地方へも発送され、温暖な各地で栽培され、「馬込半白」の名を有名にした。
戦後になり、流通のため、変質しにくい店持ちのする品種が好まれるようになり、また、都市化により農地が減少し、衰退していった。都営浅草線西馬込駅近くに記念碑が立っている。

        碑
        発祥の地 記念碑

「馬込大太三寸人参」は、1950年に農林省に種苗名称登録された西洋ニンジンの改良種。
鮮やかな朱色で、長さは10cm(3寸)程度、短い円錐の尻つまり形をしており、根の先が丸みを帯びているのが特徴。芳香があり、柔らかく甘く、9月~12月にかけて出回った。

元来、東京の南部、荏原郡の台地は、『東京府下農事要覧』によれば、長ニンジンが栽培されていた地域。長ニンジンは30~50cmの長さに成長し、赤土の台地の上に黒ボク(黒土)が厚く堆積している土地に色の良いものができた。
明治末から大正初期頃に西洋ニンジンが持ち込まれた。このニンジンの交配、品種改良を試みるうちに、大型で色の良い、三寸人参がつくれるようになった。

三寸人参が本格的につくられるようになったのは種苗名登録された1950年以降で、馬込の農家はどの家も秋の野菜は三寸人参をつくる状態だったという。
馬込地区の市街化が進んだ、1963年ごろまでで終わり、現在では、ごくわずかの農家が栽培しているだけになった。現在では、ごくわずかの農家が栽培しているだけで、稀にJA馬込支店の直売所に出回るという。ときどき通るこの直売所で小松菜とか絹さやなど買って帰ったこともある。

   5.10
              5.10
     5.19
              5.19

郷土博物館玄関前のプランターで育てられていた人参を抜いて「持って行って下さい」とのことだったので、3本いただいてきた。
人参の後のプランターには、「馬込半白節成胡瓜」を植えるのだそうだ。
これからは博物館に行く度に、胡瓜の成長具合をみるという楽しみができた。
植物など

麦秋

2019年05月21日
今日は24節気の1つ「小満」。「陽気盛んにして万物しだいに長じて満つる」という意味。木々が若葉に覆われ青々しく万物の成長する頃で、やや汗ばむような陽気となる。

初候は「蚕起食桑」 蚕が桑の葉を盛んに食べだす頃。
次候は「紅花栄」 紅花の花が咲きほこる頃。紅花は染料や口紅になり、珍重された。

そして末候は「麦秋至」 今月末から「芒種」(6月5日)まで。麦の穂が実り始める頃。「秋」は実りの季節を表し、穂を揺らす風は「麦の秋風」。
        麦

馬込の郷土博物館に行く途中、畑がある。その一角で麦が栽培されている。この麦が黄金色に変わっていく様子を楽しんでいるが、まもなく博物館の「大森麦わら細工の会」による「麦刈り」が行われる。お天気がどうだろうか。(馬込の麦畑

    5.1
             5.1
   5.11
            5.11
  
「大森麦わら細工の会」の見学をさせてもらった日の午前中は、刈りとった麦を架ける準備作業が行われた。倉庫から脚立を出してきて竿を渡し、紐で固定。今年は例年より多く収穫できそうだとのこと。

 準備

その後、室内でそれぞれ麦わら細工の作品にとりかかったところで、麦刈りに参加の旨告げて、ひと足先に失礼した。
植物など

洗足池 和の響

2019年05月20日
馬込散策も尾崎士郎記念館を最後に大森駅へ向かった。4人はバスで、歩いた5人は大森駅ビル前で解散。そしてSさんと2人は洗足池行バスに乗って「春宵の響」の開演時間1時間前に着いた。バスを降りると龍子公園でいっしょだった女性に遇った。

自転車で梅屋敷から来たという彼女は洗足池がこの日の第一の目的で、龍子公園は時間があるので立ち寄ったのだという。終わったら銭湯に行くのだとか。今年になってから銭湯巡りを始めたと、地図を広げながら「今日は久松温泉にしようか、それとも・・・」と楽しそうに話す。ゆっくり時間をかけて廻ったらいいのではというアドバイスを喜んでくれた。ずいぶん前になるが、大田区内の神社の子連れ狛犬をクロッキーして回ったが、半年くらいで終わってしまったことを今は後悔している。

   池
        18:10

「春宵の響」は、平成7年、洗足池西岸に三連太鼓橋(池月橋)が竣工したのを記念し、笛の名手で人間国宝の寶 山左衛門氏を迎えてはじめられたという。(主催 洗足池 「春宵の響」実行委員会 大田区)
J-comの中継などもあるせいか、池畔には多くのカメラがスタンバイしていた。橋の上にはピアノ、マイクなどが置かれていた。
カメラとカメラの間に立つ。18時半、まだ明るいうちから始まった。

  18:10
          18:10

笛と小鼓、謡(能楽)、仕舞、義太夫、囃子そしてピアノ。
インプロビゼーションという、事前に観客から集めたお題での即興演奏は迫力があった。お題は「海舟」そして「令和」。
時折変わる照明で幽玄の世界を際立たせているように感じた。

  18:50
      18:50
  19:00
      19:00 

  19:10
      19:10

あたりが暗くなるにつれ、背負っているリュックが重たく感じられた。堪らずリュックを地面に置いたのはだいぶ経ってからだった。
午後1時から馬込から山王を歩いた(1万2千歩)こともあるが、帰路はさすがに腰も足も痛くなっていた。

大田区長の挨拶の中で、「この夏開館」といわれてきた勝海舟記念館の開館は9月7日だとわかった。この日はちょうど郷土博物館での「縄文土器づくり」の日に当たる。楽しみは多いが、これから来る梅雨と暑い夏を乗り切るのは大変だ。
旅・散策・イベント

馬込を歩く Ⅱ

2019年05月19日
5月のすいよう会は馬込を歩いた。大森駅からスタート。新井宿の義民六人衆の墓がある善慶寺、春日神社を経て龍子公園へ。
アトリエや庭をみてからバスで萬福寺へ向かった。(馬込を歩く Ⅱ

区内では今はほとんど見られない武蔵野の面影を残す馬込自然林を抜け、蘇峰公園まで歩く。九十九谷と言われるだけあって大森山王から馬込にかけてのアップダウンは少々きつい。

  公園
     蘇峰公園

蘇峰公園内の山王草堂記念館前にあるカタルパは、和名をアメリカキササゲといい、蘇峰の生涯の師であり、同志社大学の創立者である新島襄ゆかりの木。二人の深い師弟愛を象徴する由緒ある木として今も大切に保存され、毎年5、6月には香りの良いベル形の白い花をつける。だが、今年はどうしたことか、蕾も見当たらなかった。

     カタルパ
         カタルパの木

山王草堂は、徳富蘇峰の旧居を大田区が譲りうけた。蘇峰は日本最初の総合雑誌「国民之友」を発行、続いて「国民新聞」を創刊した人物。蘇峰の代表作である『近世日本国民史』は、1918年のときに着手、1952年90歳にして完結した。全100巻のうち半分以上が大森山王時代に書かれたものだとか。

 国民史
    『近世日本国民史』全100巻

  書斎
      復元された書斎

  蘇峰海舟
       「蘇峰と海舟コーナー」

   ステッキ"
    蘇峰愛用のステッキ

尾崎士郎の記念館にも立ち寄った。1923年に山王界隈に移り住んだ尾崎士郎は『人生劇場』のヒットにより人気作家として不動の地位を獲得。記念館は、旧居(客間・書斎・書庫・庭)を紹介することで、ありし日の馬込文士村のにぎわいを後世に伝えるため2008年に開館した。『九十九谷』という作品もあるという。

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尾崎士郎は大の相撲好きで、大森相撲協会を結成し、文士仲間で相撲をとり戦後は横綱審議会委員もつとめた。自宅でもしばしばふんどし姿になり、ケヤキの大木を相手に鉄砲の稽古を繰り返したという。

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       鉄砲の稽古をしたケヤキの木  
絵画・博物館

馬込を歩く Ⅰ

2019年05月18日
5月のすいよう会は「馬込ウォーク」。大森駅に13時集合、解散は17時。今回は9人で馬込を歩いた。が参加。誰が「晴れ女」か「晴れ男」かわからないが、散策には絶好の天気に恵まれた。

 馬込
      馬込ウォーク *Click!

馬込は、駒込や牛込の地名と同様に、約千年以上も昔の荘園時代の頃より馬牧があったことを物語っている。
ここから上池上にかけて多くの馬が放牧されていたと思われるが、後年、宇治川先陣争いに梶原景季の大功を助けた名馬「磨墨」の塚があることや、同じく佐々木高綱の「池月」が上池上の小池付近の産と伝えられることなど、馬の伝説がこの地方に残っている。
駒込、馬籠とも書いたといわれる。
また、一般に「まごめ」とか「まごこ」とかは狭い道路を越えることの意味で、この地は北に洗足池がある、高低がはなはだしく、俗に「九十九谷」とか「十三谷」と呼ばれる狭い道が多かったので、それを越えていくとする説などがある。


まずは大森駅から池上通りを下り、義民六人衆の墓があることで有名な善慶寺へ。以前は度々車やバスで池上通りを通っているが、この寺は訪れたことはない。

善慶寺から春日神社に立ち寄って龍子記念館へ。14時の公園(川端龍子の旧居、アトリエ)の案内時間に間に合った。わが会のメンバーのほか、画を観終わった数人と一緒に園内へ入る。5月に来たのは初めて。
5月初めにKさんが撮ったときは満開のナニワイバラの花だが、この日はすでに終わっていた。

    ナニワイバラ
      5.8  ナニワイバラ  5.15

「爆弾散華の池」ではガマの穂が薄茶色の綿毛となり、池は河骨(コウホネ)の葉で覆われていた。ほんの2つ3つ黄色い鈴のような花を見つけた。目黒の自然教育園の池でスケッチして、本画にしたことがあった。ずいぶんと昔のことだ。

  河骨
        爆弾散華の池

園内でもっとも多いという梅の樹はすでに実をつけていた。踏石にこぼれ落ちた柿の花があまりにも多くて避けることができずに踏みながら歩いた。

  アトリエ
         アトリエ前で

アトリエや庭の説明はいつもより少し簡略だと感じた。あとで気づいたのだが、案内は龍子記念館でなく山王草堂の黒崎氏だったからかもしれない。昨年の12月、参加した記念館講座「蘇峰が語る師・勝海舟」の講師が黒崎氏だったことを思い出した。

時間の都合で記念館の方は省略。バスに乗り萬福寺前で下車。郷土博物館は次回に訪れることにして、萬福寺へ向かった。
山門前に「磨墨(するすみ)」の像がある。
この寺には義父の墓があり、花まつりの日に訪れたときは満開だった桜も青葉を繁らせていた。(花まつり 今年は・・・

  磨墨

 萬福寺

萬福寺を出て「馬込自然林」へ。ここは初めてだった。石段を登り、木立の中を抜けただけになった。とにかく馬込は坂が多い。
そして最後の目的地、山王草堂へ。16時までに記念館に入館すればセーフということで、急いだ。(馬込を歩く Ⅱ
旅・散策・イベント

「断捨離」はむずかしい

2019年05月17日
「東北応援バザー」の開かれている神社へ行ってみた。(ひき算の生活

   白山神社
        鯉のぼり泳ぐ神社

前日に持ち込んだバッグ類と20冊ほどの本は売れるだろうか気にかかる。鯉のぼりが泳いでいる下、会館の中にも外はたくさんの衣類や雑貨、そして人たちでいっぱいだった。

神社

まず驚いたのは「レジ袋に詰め放題300円!」という衣類の山。買うつもりはなかった衣類だが、ついついレジ袋を購入。
敷物の上に積まれた衣類は婦人物が多かったが、おもにTシャツを選んだ。りんりんが着るかな、ごんさんでもいいし、これからの季節いくらあってもいいからと詰めていった。

中に入ると、これまた、部屋にも廊下にも多くの衣類、雑貨。値段も外とは違って300円とかほんのたまに1000円とかの値札がついていた。
ふとみると、前日持ち込んだグレーのバッグに500円の値がつき、パソコン用のバッグには300円がついていた。唯一持って行った衣類には300円、ほっとした。

まとめ役をしているMさんと話す機会があった。彼女とは長い付き合いだが、今回初めて知った。春、秋の2回、前回は20万円もの売上があったという。「この間、閖上(ゆりあげ)に行ってきたのよ」とも。

   石巻

玄関前に並べられていた石巻の名産品の中、サンマとイワシの缶詰、カリントウを購入。午後からの約束があったので、とりあえず、荷物を置きに家に帰った。

    衣類
       レジ袋の中にTシャツ11枚と短パン1枚

バザーを機にバッグや本を減らしたものの、衣類を増やしたことに我ながら呆れてしまった。つくづく断捨離は難しいと感じた。
旅・散策・イベント

ひき算の生活

2019年05月16日
現在、いわゆる「断捨離」に向き合っている、向き合わざるを得ない状況にいる。何でも一挙に片付けたい性分を抑えて少しずつでもやらなくては・・・と心と体の間で日々揺れ動いている。

数日前の朝も「断捨離」をとにかく始めなければと思ったとき、ラジオから「ダンシャリ」ということばが聞こえた。 断捨離を提唱したやましたひでこ氏の話だった。彼女の著書を読んだことはないが、「断捨離」という言葉を度々使っているが、不要なものを処分するくらいにしか考えていなかった。

彼女のいう「断捨離」は、ヨガの「断行」「捨行」「離業」という行法哲学からヒントを得たという。欲望を断ち、執着を捨て、あらゆることを手離して、自在に生きるということ。縛りから解放されるということ。

振り返ってみると、今までモノ、とくに衣類や雑貨などはかなり処分してきた。リサイクル、寄付などもしてきたが、家具、書籍類、祖父母の代からの置物といった、想い出深いものにはなかなか手が付けられないでいる。

机の上にモノが溢れているのは、頭の中・思考も整理されていないのと同じ。逆に言えば、だからこそ家の中、机の上を片づけることによって、心や頭の中も整理することができるということらしい。
あの人からもらったものだから――。
とくに必要なわけではないけれど、もったいなくて捨てられないー、言うまでもなくこういったモノが多い。

なぜ、それらを手元に残しておくのか?それは、自分ではなく「モノ」を中心に考えているから。
自分自身を取り戻すためには、「引き算」をすればいい。不要なモノを断ち、不適なモノを捨て、不快なモノから離れて自在となる
――これが「断捨離」の発想だという。

  神社
            樹齢600年のタブ

そんなとき、神社で開かれる「東北応援バザー」のポスターを見つけた。持ち込みは前日、とりあえずバッグ類を出してきて振り分けた。結果、バザー用に大小8個、捨てることにしたものも5個以上あった。
処分できなかったバッグ類だが、こういった機会があれば思い切りよく断捨離できるものだ。

  バッグ

片づけるのではなく、余計なモノを減らす。 仕舞うのではなく、過剰なモノは捨てる。モノを留め置くのではなく、放す。 モノを抱え込むのではなく、手放す。入れ替わりにスッキリとした新しい自分自身、生活空間を手に入れることになるはずと。

これはヒトの断捨離で実証済み。数年前、年賀状をはじめそれまでの付き合を見直した。するといつの間にか、今までと違った何かが入ってきた。友の会しかり、、水曜会しかり、そしてこれからは絵も基礎のクロッキーからやり直そうという気になっている。
つれづれ

バラと駅舎 Ⅱ

2019年05月15日
田園調布駅西口のロータリーに咲く色とりどりのバラ。ちょうど見ごろだった。(駅舎にバラ Ⅰ

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噴水周りをひと回り。Oさんの用をすませてケンタの2階で休憩することにした。窓からみると、駅舎の方を向いてスケッチをする女性たち、懸命に鉛筆を走らせていた。現地集合のスケッチ会は魅力だ。

   スケッチ

田園調布の駅舎はまだ移築される前に描いたことがある。そのころはえり好みせず込み入った建物でも何でも描こうとという意欲があったのだが。
旅・散策・イベント

バラと駅舎 Ⅰ

2019年05月14日
1週間ぶりに田園調布駅で下りてみると、Uさんと雨の中歩いた銀杏並木も緑が一層深くなっていた。この日はOさんにお付き合い。
噴水前は種々のバラが見ごろだった。バラ園でないからか、バラに名札のようなものはついていない。だが、10数種ものバラが咲いていた。

  駅舎

周りながらバラを撮っていると、「一緒に撮りましょうか?」と若い女性に声をかけられた。丁重にお断りしたのだが、田園調布という土地柄だろうか、渋谷や新宿だったらこういうことはないかもしれない。

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植物など

誕生日プレゼントは・・・

2019年05月13日
5日の子どもの日、1週間早いじゅんじゅんの誕生会、といっても彼のリクエストで手巻寿司での夕食とケーキの簡単なもの。ひと月会わない間にずいぶんと背が伸びたりんりん、測ってみると165cm、すでに母親を越した。

一方、じゅんじゅんは120cm、兄の小1のときに比べるとはるかに大きいが、あまり伸びてはいないという。彼の初挑戦は1人でわが家へ来ること。とはいえ、PASMOとケータイを下げてわずか2駅乗っただけで、母親に駅まで見送られ、ごんさんが駅で出迎えたのだが。

行き
 行き              帰り
      帰り

五月飾りの兜を片付ける手伝いをし、以前から大好きな金魚の水替えでは小石を洗ったり、3匹の金魚を一挙にすくい上げるなど慣れたものだったという。
自転車は練習中。まだ1人で乗れないようだ。りんりんのときはどうだったか、あまり覚えていないが、焦ることもないだろう。すぐに飽きてキャッチボールをしたがったとか。
  
   自転車

この日はほかに草取りもしたそうだ。草の中にハサミムシを見つけて、持ち帰ったらしいが、すでに息絶えていたとか。
この日はゲームをすることなく、ハサミムシなどいろいろな虫について検索していたとか。最近の彼は「かまきり先生」の影響か、虫に興味を持っているようにみえる。誕生日プレゼントには、アリの巣(飼育観察)がほしいのだとか。

 スタンプ

かと思うと、「仮面ライダージオウ」のローソンスタンプを集めるのも忘れない。「仮面ライダージオウ」は最高最善の魔王を目指す、平成最後の仮面ライダーなのだとか。りんりんのスタンプ集めにもつきあったことがあったが、コンビニではないため電車に乗り降りするのが結構大変だった。
身近な人びと

大田区の情報館

2019年05月12日
大田区には16の区立図書館のほかに大田文化の森情報館がある。図書コーナーとマルチメディアコーナーに分かていて、どちらも大田区図書館の貸し出しカードの提示で利用できる。
「マルチメディアコーナーは、初歩的なパソコンの操作、インターネットによるホームページの閲覧、グラフィック製作や画像編集などが体験できるコーナー」だそうだ。
今まで図書コナーは何度か利用したことがあるが、マルチメディアコーナーの存在を知ったのは、つい最近のこと。

今年もSさんたちのコーラスグループの会計報告書を会計のFさんに頼まれた。昨年のExcelデーターをもとにつくり、LINEで確認しあえたので今年は実に楽だった。

Excelといえば、PC内の、例えば、医療関係、アカウントやパスワードなどの端末情報などのExcelデーターをスマホでも共有したいと考えている。まず手始めに乱雑になった端末情報を整理しながら外での空き時間にスマホで作るつもりでいたが、スマホでのExcel入力は結構面倒でなかなか進まなかった。

そんなころ、KさんがExcelがうまく使えないという話があり、連休中、情報館のメディアコーナーでやってみようということになった。
たまたま前日、文化の森でバスを降りたのでメディアコーナーに寄ってみた。
受付で貸出カードを提示、申込書に記入するだけ。ネットコーナーには数台、奥の体験コーナーには学習ソフト別、オフィスソフト別の卓にそれぞれ5台ずつのパソコンが用意されていた。椅子もなかなか快適だが、難をいえば、パソコンの画面が比較的高い位置にあるので、少々上向きになる首が疲れる。

   メディア館

Excel利用はもっとも奥の卓、となりはPowerPoint用。ここでずっとリュックに入れっぱなしだったメモを取り出し、パソコンに打ち込んでいった。翌日に予定していたKさんとのExcel作成のために持っていたSDカードを受付でウィルスチェック。1時間後、カードリーダーを貸りて保存して完成。完成。なかなか上手くできている。念のためにと持ち歩いていたSDカードが役に立った。

学習ソフトコーナーで年配の男性が囲碁ゲームをやっているのがよく見えた。この男性は、翌日Kさんと来たときにも同じ席でやはり囲碁を学習?していた。ひょっとして毎日来ているのかもしれない。
学習ソフトの一覧表を見ると、「地図スタジオ」「最強の囲碁名人」「もっと上を目指す人のための将棋」「ITトランプ・花札・百人一首」「英会話センス 瞬間応答」など20ほど、実にバラエティに富んでいる。
ネットコーナーでヘッドフォンをしてゲームに興じていた小学生数人もやはり両日とも来ていた。

大田文化の森は、大田区役所が蒲田駅前に移転(1998年)後、その跡地を活用して(2001年)建てられた施設で、スタジオ、ホールのほか、多目的室、創作工房、集会室など幅広く利用できるようになっている。
メディアコーナーの利用料は、イラストレーターやフォトショップが使えるパソコンは2時間200円、インターネット閲覧パソコンは最初の30分無料で、その後、30分100円。Excelなどのオフィスソフトなどの利用は1時間無料。保存可能なメディアはUSB接続メモリ。

    Excel     

最近、大田区以外の図書館に行くことがあった。駅前だったり高層ビルの中にあったりと、交通の便がよく新しい施設が多い。それに比べると大田区の場合は数は17館と多いものの、比較的古く、駅から離れているところがほとんど。
そんな中、文化の森の情報館はバスを利用することになるが、ちょっとしたカフェもあるし、何より図書コーナーとメディアコーナーが魅力。近ければ毎日??というわけにもいかないだろう。
旅・散策・イベント

女川の子どもみこし

2019年05月11日
東日本大震災から8年2ヶ月になる。河北新報に嬉しい記事が載っていた。5月3日、東日本大震災の津波で被災した宮城県女川町の白山神社の子どもみこしが修復され、2010年以来、9年ぶりに例大祭で本みこしと揃って披露された。黄金色を基調に高さ約1m20cm、幅約60cm。

震災の影響で、社殿に保管していた本みこしと子どもみこしが破損。流失は免れたが、海水で漆が浮き上がり、金属製の飾りがさびたりするなど激しく損傷した。
そのため女川町への支援活動を展開するサッポロホールディングスにより新潟県三条市で半年をかけて修復作業が行われた。

  子どもみこし
       こどもみこし  (河北新報より)

町役場近くの白山神社を発着点に町内のみこし巡行に参加したのは神社関係者や氏子総代、大人、一般を含む総勢70人。
このうち、子どもみこしには町内の小学生を中心に16人が新調の法被や鉢巻き姿で、JR女川駅前のシーパルピア女川などの目抜き通りを皮切りに大原南、清水などを回るコースに臨んだ。

ちなみに2011年6月時点で判明した女川の人的被害は死者488人・行方不明者454人。
復興に際しては将来の津波被害に備えて、住宅は津波が遡上しにくい高台に、商業施設などを低地に整備する街づくりを進めている。震災前から少子高齢化が進んでいたうえに、復興計画づくりや宅地造成に時間がかかり、町外へ転出した住民も多いという。
女川では2012年から毎年3月に開かれていた「女川町復幸祭」が「復興のむこう側へ」として、今回で最後の開催となったという。
旅・散策・イベント

スケッチ断念

2019年05月10日
南馬込でKさんと自然に近い状態のナニワイバラを見て以来、気になって、実に数年ぶりにスケッチをしてみたくなった。Kさんにお願いしてスケッチにつきあっていただくことに。(ナニワイバラ

   ナニワイバラ

4日、現地で待ち合わせたところ、ちょうど角で出会った。一緒に中に入り、ナニワイバラのそばに行くと、1人の女性と鉢合わせ。どうやらこの空地(駐車場?)の持主のようだった。この花を描かせてほしいというと、「どんどん伐っていいから、好きなだけ持っていきなさい」と親切にビニール袋、水、植木鋏などを用意してくれた。

「龍子記念館にあんなにたくさんあったのに、今は少しになってしまったわね」と嘆く。たしかに、Kさんの撮った写真をみると、昔のように竹垣いっぱいに咲いていたナニワイバラの面影はなくなっている。

   龍子公園
      龍子公園  by Kさん

花の話はもちろん、よく写真を撮りに来る人がいること、目が悪いので白内障の手術を勧められているけど迷っているということ、日赤の先生なのだけど・・・、極楽鳥花を鉢から抜いたらサツマイモみたいだったなどなど。今思うと、20分くらい立ち話をしていたように思う。

  ナニワイバラ

いざ描き始めようと、の大木に絡まるナニワイバラの前に立つ。その方によると、その栗の木は30年以上前に彼女の父親が苗でなく、の実から育てた木だという。

その樹を伝って空へ伸びる蔓に圧倒される。その中、蕾もある垂れ下がっている1枝に決めたが、上を向きながら片手に持った画用紙に描いていくのは至難の業だった。どうにも線が定まらず、どうしたことか、フニャフニャした情けない線になる。まるで生れてはじめて引いた線のようになった。

とにかく首が痛くなった。途中からクロッキーに切り替えて何とか4輪ほどで、あとは写真で・・・と諦めた。
この数年、まともに写生をしてこなかったか、いやというほど思い知らされた。見るのが恐ろしく、帰宅後もまだそのままにしてある。

の木の隣にはビワがある。地面すれすれに青い実をつけている。その隣に珍しい種類のアジサイ(名前は失念)があるが、まだ咲いていない。
Kさんは「アジサイとビワ」の構想が浮かんだようだった。実はそのままに残して、彼女はビワの枝をいただいた。
ナニワイバラの方は、大変だった。背伸びして蔓を引っ張り、用意された鋏で2本切ったが、花びらがパラパラと散る、棘が痛い。やはりどうぞと置いてあったポリ袋へ突っ込むが、はみ出して持ちにくかった。

大森駅前のコンビニで45㍑のごみ袋を買ってそっと移して、Oさんのお宅へお邪魔した。すぐに水で濡らしたティッシュに包んでもらい、夕方までおしゃべり。
帰宅後、花瓶に移したが、その後、1週間近く元気でいてくれた。野生の蔓バラの強いことに驚いた。

 玄関

ナニワイバラ(難波茨)の原産地は中国。自然に野性するほど強健だという。繁殖は挿し木。
来週、Kさんが見えたとき、花の終わった枝を持ち帰って挿し木をして下さることになっている。根付いてから花が咲くのは3年ほどかかるとか。今から楽しみだ。
絵画・博物館

ナニワイバラ

2019年05月09日
馬込は大正後期には田畑が広がる東京郊外で、小林古径、川端龍子、伊東深水など多くの画家等が暮らしていたが、徐々に文士が移り始めてきた。関東大震災後、更に多くの文士が移り住み、文士たちの交流が盛んになる。

馬込文士村は、現在の大田区の山王、馬込、中央の一帯。その文士村に関する常設展示コーナーがある郷土博物館に通うようになったことに加え、区民センターや、文化の森の情報館も利用するようになり、度々馬込一帯を歩く機会が増え、気がつくと馬込、南馬込在住の人との交流も多くなった。

連休中、Kさんと文化の森から西馬込方面に歩いていたとき、樹に絡まって2階の屋根より高く蔓を伸ばしている白い花が目に入った。
高い木々に囲まれた空地には2台の車が駐車していた。中に入り、間近で見ると、あの龍子記念館の自宅の竹垣に咲いていたあの白い花と同じだ。龍子公園となってからは少なくなったというが、バラの中ではもっとも好きなナニワイバラに出逢えて嬉しかった。Kさんのお陰で思いがけず馬込ミニ散策ができた。

    空へ
       
太極拳で久しぶりに身体を動かして帰宅すると、すいよう会のO氏のメールに本門寺からの富士山の画像が添付されていた。
「健康を兼ねて、週3回程度、本門寺さんのお詣りと階段を昇降してます。今日は晴天、気温が低く、風も強く、よく見えたので、思わず撮りました」と。そういえば、彼は池上在住。
返信にこのナニワイバラの画像を添付したところ、「花のことはあまり知らないので、調べたところ難波茨と書き、江戸時代に難波商人が販売したことに由来しているようですね! 外出時にキョロキョロ探してみます!」と。

  ナニワイバラ
      ナニワイバラ 

翌々日、ふと思い立ってナニワイバラの咲く場所を確かめにいくことにした。バスを西馬込で下り、カンを頼りに歩いていくと目に入ってきた高い樹。意外に迷わず辿り着いた。
連休中のこともあるのか、人通りも少なく、駐車している車も2日前と変わらない。

      ビワ
          ビワの樹から栗の樹へ

ナニワイバラは散り始めてはいたが、まだ蕾もいくつもあった。よく見るとほかにノイバラも咲いている。ビワの青い実が地面すれすれになっていた。
大きな栗の樹の枝には乾びたカラスウリが下がっていた。
馬込は比較的緑が多いところだが、これほどの自然にまかせて・・・というのは珍しいかもしれない。久しぶりにスケッチしたくなった。
植物など

新緑の中

2019年05月08日
昼頃に雨の予報が出ていた2日、Uさんと田園調布駅で待ち合わせた。少し早めに着いたので、西口のロータリーに出てみた。放射状につづく銀杏並木は微妙に違う表情をみせていた。バラは咲き始めたばかり。

田園調布は渋沢栄一の提唱で日本で初めて計画的に開発された地域。福沢諭吉に代わって1万円札に登場する(2024年)渋沢栄一は、「日本資本主義の父」と呼ばれた実業家。
多摩川東側の丘陵地に広がり、緑あふれる理想の住宅地として大正末期の1920年代に分譲が始まった。

この噴水前のベンチを目にする度に必ず思い出す光景がある。同窓会の後だろうか、総勢23人、母たちが石のベンチを占めている。当時流行っていたパノラマ写真だ。

   噴水前
          母たち      1997.4.8  

地下化された田園調布駅に伴って、旧駅舎は復元、バス停もバスターミナルに移設された。駅周辺もすっかり変わったが、この噴水のあるロータリーや放射状に伸びる銀杏並木は今も変わらない。

   噴水
                    2019.5.2

      右
       向かって右側の街路

      中
       中央の街路

      左
       宝来公園へ

雨に洗われた銀杏の新緑の中を宝来公園に向かう。この公園は大正14年、武蔵野の旧景を保存し永く後世に残すために、田園調布会が街の一角の潮見台の地を広場としたことから始まるとか。
自然林を生かし、武蔵野の面影をしのばせる閑静な公園。

ウメ、サクラ、ツバキ、サザンカ、クヌギ、シイなど約70種(1,500本)の花や樹木があり、湧水のある池にはカモ、約300株あるというキショウブも咲き始めていた。
このときがもっとも雨が激しく、藤棚の下で傘をさして新緑を前にしばし眺めていた。どちらが雨女だろうか。
旅・散策・イベント

「なんじゃもんじゃ」の白い花

2019年05月07日
なんじゃもんじゃの白い花が咲いている。
原産地は日本、朝鮮半島、中国福建省。英名はスノーフラワー。学名は「ヒトツバタゴ」。名前の由来は、一つ葉の「トネリコ(タゴ)」から。
江戸時代の植物学者、水谷豊文がトネリコに似た木を発見し、トネリコは複葉なのに対し、この木は托葉のない単葉であったのでヒトツバタゴと命名した。

明治時代、東京の青山練兵場(今の明治神宮外苑)の道路沿いに、この樹があり、名前がわからなかったので「何の木じゃ?」とか呼ばれているうちにいつのまにか「なんじゃもんじゃ」という名前になったとか。 現在の樹は2代目だという。明治神宮外苑で大きなヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)の樹を見たのは秋。残念ながら「雪を被ったように見える」5月には訪れたことがない。

   絵画館前
     絵画館前のヒトツバタゴ    2010.10

近所の歩道には、整備改修する際に沿道住民の希望を入れて、ハナミズキ、ヒトツバタゴ、コブシなどのさまざまな木が植えられた。

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     ヒトツバタゴ      2011.5.3

ヒトツバタゴは、絵画館前の樹に比べればまだまだ小さいが、今年は4月末から咲き始めた。(なんじゃもんじゃ白い花
  
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     大きくなったヒトツバタゴ   2019.5.2

近くのLINE仲間になんじゃもんじゃの画像を送った。区民プラザでのクロッキー会に参加する予定のI さんにもこの道を通ってみてくださいと。Sさんは「通ったら見てみます」。この歩道沿いのマンションに住むOさんは「これ何の木だろうと言っていたところです」と。

因みに、都内でなんじゃもんじゃの樹が見られるのは、大田区では洗足池の勝海舟夫妻の墓。明治神宮内苑、外苑、光が丘公園、小石川植物園、新長島川親水公園、板橋区立赤塚植物園、憲政記念館 駒沢公園、砧公園と。
今まで初夏に洗足池の海舟夫妻の墓所には訪れたことがないから、この木の存在に気づいていなかったのも無理はないかもしれない。
植物など

白い花

2019年05月06日
今日は24節気の1つ「立夏」。暦の上では夏が始まる。日々その色を濃くしていく新緑。「薫風」「風薫る」頃。
初夏には白い花を咲かせる木が多い。

今年はまだエゴノキの花はみていないが、わが庭では白山吹はすでに散り終え、ナンテンの花も咲き始めた。
コデマリもつづいた雨で色あせてきた。

 こでまり
     コデマリ

   姫リンゴ
     ヒメリンゴ

  なんじゃもんじゃ
     ヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)

  シャリンバイ
     シャリンバイ

  キウイ
     キウイ

  ハナミズキ
     ハナミズキ

ヤマボウシもひと足遅れて咲き始めた。 

  うつぎ
     ウツギ(空木) 
植物など

端午の節句

2019年05月05日
今日は国民の祝日「子どもの日」。「端午の節句」「菖蒲の節句」とも呼ばれる。日本ではこの日に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習がある。

奈良時代、5月5日の節会が重んじられ、天皇が邪気を払うという言い伝えがあった菖蒲を冠につけ、臣下にも菖蒲酒をあたえ、御殿の軒には菖蒲を葺いた。
鎌倉・室町の時代になると、政治の中心が朝廷から武家に移り、菖蒲が「尚武」つまり武を尊ぶの意味にも通じるので、「尚武の節目」としてこの日が重んじられた。
端午の節句が現在のように男の子の誕生を祝う日になったのは、江戸時代に入ってからのこと。

鯉のぼりは、江戸時代に武家で始まった、端午の節句である旧暦の5月5日までの梅雨の時期の雨の日に、男児の出世と健康を願って家庭の庭先で飾られた紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描き、風をはらませてなびかせる吹流しを鯉の形に模して作ったのぼり。皐幟(さつきのぼり)、鯉の吹き流しとも言う。

多摩川浅間神社の見晴らし台の下に鯉のぼりが泳いでいた。

   多摩川
   多摩川
     多摩川浅間神社 

兜や鎧は身を守る道具。武家社会の中で、男子にとって非常に大切なものだったが、江戸時代に入り、泰平の世となってからは、子供の身を守り、災いがかからないようにという願いを込めて、鎧や兜を飾る風習が広がった。

     國學院
      平安時代末期 紅裾濃威大礼大鎧 
 
國學院大學博物館に展示されていたのは、源義経公着用鎧(写)。
東邦大学大森医療センターには京都製の大鎧が飾られていた。

    東邦医大
      京製 大鎧  平安光雲 作 

      竹翁作
            竹翁 作

今年は何とか飾った40数年前の兜。母の雛人形を飾ることに比べれば楽だが、来年はどうなることやら。
旅・散策・イベント

馬込の麦畑

2019年05月04日
今日は「みどりの日」。平成最後の日、令和はじめの日とも雨だったが、みどり眩しい季節になった。

大田区郷土博物館の前に畑がある。中世には馬込城があったといわれる地域だ。馬込城は別名、梶原城、馬篭城と呼ばれ、戦国時代、旧馬込村を領した後北条氏の家臣・梶原助五郎(三河守)が築いたと伝わる。助五郎は鎌倉幕府の有力御家人であった梶原景時の末裔であると『新編武蔵国風土記稿』などは推定しているが、史実かどうかは不明だという。

  畑
         奥に麦畑 

4月末、Sさんとこの畑の前を通ったときに目についたのが、青々と風にそよぐ麦の穂だった。
「あっ、麦畑!」というと、彼女は、郷土博物館で体験講座が開かれたり展示されている「麦わら細工」に使うのだと教えてくれた。

「大森麦わら細工」は、江戸時代の中頃から大森でつくられ、東海道を行き交う旅人たちに江戸土産として売られていた。動物やでんでん太鼓などを編んだ「編み細工」と、小箱へ模様や文様を張り込んだ「張り細工」がある。
江戸時代の麦わら細工の様子は、浮世絵や『江戸名所図会』などにも描かれていて、人気の江戸土産だったが、明治時代に鉄道が敷かれて人の流れが変わると、次第に売れ行きも衰え、麦わら細工の職人も減り、大田区の最後の大森麦わら細工職人も、昭和20年代で生産を終えてしまったという。

郷土博物館で開催された特別展「麦わら細工の輝き」(1999)で再び多くの人の目に留まることとなり、その翌年に発足した「大森麦わら細工の会」の活動を通じて、大森麦わら細工の技術が復活したという。

    細工
    編み細工 張り細工 (大田区HPより)

昨年から大森、馬込に出かけることが多くなった。勝海舟や川端龍子などに関する講演会や講座などに参加したり、郷土博物館の友の会に入会したことが大きい。
馬込の絵の仲間に紹介されたSさんに誘われてこの春から太極拳に通い始めたことで、月に6回は馬込付近に出かけていることになる。
今月半ば、大田区民大学後につくったすいよう会で「馬込文士村」を歩くことになっている。
また、最近は、絵に夢中になっていたころ度々訪れていたOさんのお宅をKさんと訪れたことから、行動範囲は大森にも広がりつつある。

   麦 
          麦

麦わらといえば、昔の麦わらのストローを思い出す。今、使い捨てのプラスチックストローなど廃止の動きがある中、麦わらのストローもいいかもしれない。もっとも、冷たい飲み物を飲まないせいか、この何年もストローというものを使ったことはないが。
4月末、Kさんとこの畑の前を通った。以前みたときと比べ、はるかに伸びた麦。倒れるのを防ぐために支えをしたり、いろいろと手をかけて育てられている。今年の麦刈りは26日の日曜日。見学に行ってみようかと思っている。
旅・散策・イベント

宗観好みの茶器 五月

2019年05月03日
母が大切にしていた12種類の茶器が、『宗観好十二月茶器の研究』に詳しく解説されている。
井伊宗観、つまり井伊直弼が自らの意匠と詳細な指示で、幕末の名工である八代中村宗哲に作らせたという月次茶器「宗観好十二ヵ月の棗」。これらは藤原定家の『詠花鳥倭歌』の本歌取り、そしてこれらの歌をモチーフにしたのが江戸期の『十二ヶ月花鳥図』だということがわかった。(十二種類の茶器宗観好みの茶器宗観好みの茶器4月

五月  橘に水鶏(くいな) 
黒刷毛目塗 白粉解(おしろいどき) 高さ 5.6cm 径6.7cm
旧暦五月を「橘月」という。橘は万葉集にも「橘は実さえ、花さえ、その葉さえ」と優雅さを詠まれているという。

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        p22    五月

塗は漆を固くして刷毛目を出す黒刷毛目塗で、水面の流れの感じを表している。
旧暦五月は梅雨。昔の白粉は米の粉や胡粉を水で解いた。
   
本歌
   五月  蘆橘  郭公なくや五月の宿がほにかならず匂ふ軒のたち花
   五月  水鶏  真木の戸をたたく水鶏の曙に人やあやめの軒の移香    
 
   4000no2.jpg


五月に白粉解は梅雨の水っぽさを意図したものか、仲夏の対をなす十一月の丸棗の小ぶりの丸い感じと通じるものか、定かでない。わが家の棗を見ると、何の花か、実かわからないが、だいぶ簡略化されている。

   11月
      11月 枇杷に千鳥  
身近な人びと

近づく夏

2019年05月02日
まもなく「立夏」。そして今日は「夏も近づく 八十八夜・・・」という茶摘み歌にとうたわれている「八十八夜」。
末広がりの姿をしていることから、幸運を呼ぶとされてきた「八」の字。その「八」の字が二つ重なった「八十八夜」は縁起のいい日と考えられていた。また、「八十八」を組み合わせると「米」という字になり、昔から農業に従事する人々にとって重要な日とされてきた。

   立会川緑道   
    緑道
           立会川緑道

冬の寒い時期にゆっくりと養分を蓄え、春になるといち早く芽吹いた茶葉を収穫してつくった新茶(一番茶)は、その後に摘まれる茶葉よりも栄養価やうまみ成分が多く含まれている。その後、二番茶(6月中旬~7月上旬)、三番茶(7月中旬~8月下旬)とつづく。

毎年このころはSさんは新茶の買い付けに中国、今年は安徽省だろうか。そのため先月の桂花会はお休みだった。
5月の桂花会では今年の新茶を味わえると思うと今からワクワク楽しみだ。

   茶の里
     「利源隆」のある湖南省安化県

     桂花会
     「利源隆」の呉さんが参加 2018.6

「新茶を飲むと病気にならない」「八十八夜に摘まれたお茶を飲むと長生きできる」などと言い伝えられてきた。
お茶の木は生命力の強い木で、葉を摘んでもまた新たに新芽が伸びてくるため、年に3回ほど茶摘みが行なわれる。
京都宇治では、通常、煎茶は二番茶までで、玉露は一番茶のみ。昔から一葉一葉を丹念に手で摘み取る方法を大切にしてきた。しかし手摘みは時間とコストがかかり、多くのの煎茶園では機械摘みが主流となっている。

一芯二葉(二葉摘み) 新芽の先端から2枚目の葉まで摘みとる。玉露や煎茶の最高級品。
一芯三葉(三葉摘み) 新芽の先端から3枚目の葉まで摘む。玉露や煎茶の上級品。
一芯四葉~五葉(普通摘み) 新芽の先端から4枚目、5枚目までの葉を摘みとる。        

先日、ラジオで耳にした話は意外だった。お茶の1人当たりの消費量が最多なのはアラブ首長国連邦で、年間6.24kgの茶葉を消費。これは年間消費量が0.99kgである日本の約6倍になる計算で、1回分を茶葉5gと換算すると、1年に1200回お茶を入れているという計算になるという。
このほか消費上位には中東諸国やヨーロッパが並び、世界で一番紅茶を飲むとされているイギリスはお茶の消費全体で見ると6位、日本は17位で、お茶の生産地として有名な中国もこのランキングでは25位だとか。(トリップアドバイザーによる)

調べてみると、まったく異なるデーターがいろいろ。世界で最もたくさんのお茶を消費している国は中国で、およそ87万t。続いてインド。第3位はCIS諸国(ロシアなど旧ソ連構成国の連合体)、第4位にトルコ、そして約13万tを消費する日本が第5位にランクインといったものもある。
中国・中国の旅
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