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「8」の字に

2019年06月30日
今日6月30日は「夏越の大祓」。茅の輪をくぐり「生活の中で知らず知らずに身についた穢れ、災厄をお祓いする」日。
毎年、どこかの神社の茅の輪をくぐるが、今年は愛宕神社にじゅんじゅんを連れて行った。
愛宕神社の「千日詣り ほおづき縁日」は毎年6月23日、24日で、すでに朱塗の神門に茅の輪がつくられている。
大勢の人が集まるため、茅の輪は「三人で~!」の声の中、8の字に回らずに直進する。(茅の輪いっしょに

今年は除夜の鐘を撞き、新年を迎えたが、半年も経つと多くの災厄はを抱えているような気がする。
落とし物だけでも6月になってGパンのポケットに入れたはずのTカードがなくなっているのに気づいたときはもう遅かった。一緒に入れた釣銭は残っていたのだが。
Tカードにはポイントはたいして貯まっていなかったので、数週間後に近くへ行った折、立ち寄った。拾った人がツタヤでDVDなどを借り、そのまま返さずにいた場合、弁償金を払う羽目になる。幸い使われた形跡はなく、紛失したカードは止めてもらったが・・・。

久しぶりにりんりんの家に行くことがあった。自転車で行くことが多いが、この朝は東急線御岳山駅から歩いた。途中、御嶽神社の前に来ると、参道の途中に「茅の輪」がつくられていたので立ち寄った。
静かな境内、ゆっくりと「8」に字に回って参拝した。

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         御嶽神社  2019.6.25

2年前の御嶽神社の茅の輪の写真を見ると、7月1日のほぼ同時刻。1週間も経つとさすがに竹の葉は散ってなくなったようで、茅の輪は黒ずんでいる。

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                 2017.7.1

りんりんとは夏の大祓にも参列したし、茅の輪は何度かくぐっている。
もっとも印象に残るのは、多摩川浅間神社の大祓の神事。(「大吉」でやっていきたい!
照りつける太陽と強風の中、配られた「大祓詞」を宮司にあわせて奏上、その後切麻(きりぬさ)を右手でつまみ、左・右・左と肩に振り掛けて穢れを祓い落とす。切麻(切幣)は、小さくて四角い紙の切端と. 小さく切った麻が混ざっている。    

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      小4のりんりんと  2013.6.30     

さすがに高校生になった彼と茅の輪くぐりはできない。部活にバイトに多忙な毎日を送る彼のLINEも途絶えがち。せいぜい「は?」と返信があればいい方だが、送った御嶽神社の茅の輪の画像をみて、バイトの前に神社を通るから寄ってみるとの返事がきた。
旅・散策・イベント

紫陽花の季節

2019年06月29日
今年は梅雨の晴れ間も多く、Sさんから送られてくるハート型紫陽花のお陰で楽しく過ごしている。(ハート紫陽花オンパレード
ビオウヤナギキンシバイのような黄色い花やカラークチナシなどの白い花などにあまり目がいかないのはそのせいだろうか。

多摩川台公園
大田区イチオシのあじさい園に立ち寄ったが、今年は人の多さと、「はねぴょん」までが立っていてちょっとした観光地だった。(はねぴょんここにも

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      多摩川台公園 あじさい園
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小田原城
18日、新潟・山形地震があった。新潟市内の施設で暮らしているを心配した。「今朝、電話したら施設は大丈夫とのことで、ほっとしています」との返事。そんな彼女からは小田原城とアジサイ。
本丸東堀では、約25000株のアジサイが見ごろを迎えているとか。

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       小田原城  Kさんから
 
多摩川台公園
度々訪れるが、あじさい園のほかに自然林の道、古墳、展望広場、水生植物園(『調布浄水場』沈殿池跡)、四季の野草園(『調布浄水場』ろ過池跡)、山野草のみち、広場などがある。     
多摩川のはるか向こうに望む丹沢や富士山、亀甲山古墳、宝莱山古墳や多摩川台古墳群の散策が一番の魅力なのだが。

池上のあじさい寺 妙見堂
今年、Sさんからのハートアジサイのお陰で、池上の妙見堂が「池上のあじさい寺」と呼ばれていることを知った。
妙見堂は、加藤清正の娘、瑤林院(紀井大納言頼宣夫人)が手刻して、初め本門寺に納め、のちに昭栄院に移されたという妙見菩薩立像を祀っている立像は区の指定文化財。

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        妙見坂 

川崎のあじさい寺 妙楽寺
その後、Sさんからは川崎市の妙楽寺のハートアジサイも送られてきた。このお寺は「川崎のあじさい寺」と呼ばれているそうだ。
  
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        妙楽寺
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ほかのLINE仲間に転送すると、Sさん(桂花会)から「先週行きました」と。

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       妙楽寺    Sさんから 

Uさんからは「妙楽寺はスケッチに行ったとき、お寺の都合で入れなかったお寺ですよね」と。それで思い出した。この日、ちょうど葬儀があり、仕方なく「四季の森公園」に行ったことがあった。スケッチメモを見ると、UさんのほかにKさん、Sさんが一緒だった。
2004年6月、15年も前のことだ。
このころはYさんご夫妻、F氏、Kさんなども加わり、毎月スケッチに行っている。5年ほどでメモの記入は終わっている。
おそらく、この後、わが家で人物デッサンを始めたように記憶している。
旅・散策・イベント

ハート紫陽花 オンパレード

2019年06月28日
今年の6月はすいよう会のメンバーSさんから送られてきたアジサイ、それもハート型の花の画像が実に多かった。
「池上のあじさい寺」とも呼ばれる妙見堂で撮ったものから「川崎のあじさい寺」妙楽寺のほか、六郷用水の緑道、彼女の家やわが家の近くのものも多い。

「ハートあじさい探し名人!」「ハートあじさいみつけるのが上手ですね」との声に、「入院中の方と、手術前の知人がいますので、今年はマメに」見ているのだとか。(ハートマークの紫陽花あじさいの季節

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      妙見堂   6.2            6.9 
  
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                 6.9
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          6.11           6.13 

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          6.15           6.17
  
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       池上        6.18
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       妙楽寺       6.19
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彼女に刺激されてアジサイが咲いていると近づいて、ハート型がありはしないかと探すのだが、これがなかなか難しく、数年前から始めたという彼女には敵わない。
5月半ばのすいよう会で「はまべ公園」の緑道で初めて逆さになったハートに出逢って以来、多摩川台公園で風に揺れるハートを見つけただけ。

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      呑川緑道  6.5    多摩川台公園 6.17   
植物など

「はねぴょん」ここにも

2019年06月27日
梅雨の晴れ間、歯科検診の後、すぐ近くの多摩川台公園へ立ち寄ってみた。約750mにわたって多摩川に沿って伸びる丘陵地に作られた公園で、東急線多摩川駅を出てすぐのところにアジサイ園がある。  
アジサイ園には、ガクアジサイ、西洋アジサイ、ベニガクアジサイなど、丘一面に7種類約3千株のアジサイが植えられているため、例年、アジサイの咲く時季には大勢の見物客が訪れる。

覚悟はしていたが、平日の午前中にも拘わらず、とにかく見物客の多いこと!おそらく遠くからのシニアのグループ、スケッチするグループ、子ども連れ・・・。

まずはLINE仲間で流行している「ハート型のアジサイ探し」をしてみたが、それらしき花を見つけ撮ろうとするが、風で揺れてなかなかうまくいかなかった。

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      ハート型? 微妙・・・

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上を見ても下を見ても人、人、人。アジサイ園を抜けて古墳の方へ行くとさすがに人は少ない。
この日、富士は見えなかったが、多摩川をしばし眺めてリセット。古墳展示室へ行くが、残念。月曜日休館だった。   

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人が多いのは覚悟していたが、驚いたのはアジサイの向こうから「はねぴょん」がこちらを見ていたこと。といっても「はねぴょん」のパネルだったが。この公園もいつの間にか観光地になったということらしい。

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     はねぴょんとアジサイ
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大田区公式PRキャラクターの「はねぴょん」。
羽田空港の飛行機をかたどった被り物、桜坂の桜の花びらの首飾り、好きなことは「お散歩のあと、銭湯に入ること」と「おいしいものを食べること」というだけあって、よく見ると風呂桶と手ぬぐいを持っている。
日本の空の玄関口「羽田空港」の「はね」、そして桜の名所や銭湯などを「ぴょんぴょん」と駆け巡ることから「はねぴょん」と名づけられたとか。

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「はねぴょん」の夢は、「国際都市おおた」を日本中、世界中のみんなに知ってもらうことだという。
確かによくいろいろな場所で「はねぴょん」に出会う。
つい最近出会ったのは、「東松島市&大田区 絆音楽祭」の会場、蒲田の日本工学院で。
いつの間にか舞台にも登場、東調布信用金庫や東松島市のゆるキャラたちと一緒にフィナーレの「花」を歌っていた。

「はねびょん」はかわいいが、羽田空港に桜に銭湯・・・ずいぶんと欲張っているものだ。 深谷の「ふっかちゃん」のように一目瞭然「ネギ」といったゆるキャラの方が好感が持てるのだが。   
旅・散策・イベント

茅の輪いっしょに

2019年06月26日
毎年6月23日と24日に開かれる愛宕神社の「千日詣り」は今年で3回目。今年はじゅんじゅんを連れて行った。日曜日だったせいかとにかく混んでいた。
「出世の石段」は登る気力も体力もなく、迷わずエレベーターで神社へ。境内から駐車場までつづく長い列には驚いた。(千日分のご利益

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駐車場まで長い列ができていた。神門につくられた茅の輪をくぐり、本殿に参拝するまでの列らしい。
途中、手水舎で浄め、福が身に着くという「招き石」を撫でたりすることはできたが、参拝できるまで30分以上かかっただろうか。

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神門に設けられた茅の輪。「8の字」にくぐることが多いが、じゅんじゅんと手をつないでいっしょに跨いだ。

出世の石段を上から見下ろすと、ここを馬で上り下りした人がいたとは考えられないほどの急勾配。
その昔、徳川将軍家光公が芝の増上寺に参詣した帰り道、この愛宕山の上にある源平の梅を取るよう命じたが、誰もが躊躇する中、丸亀藩の曲垣平九郎が、この急勾配の石段を馬で上り降りし、みごと梅を取ってきたとか。
その梅と伝えられる「将軍梅」が境内にあった。

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         「出世の石段」
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       平九郎手折の「将軍梅」

ほおづきが食べ物だと思っていた彼にいろいろ説明したが、「茅の輪」の意味もどの程度伝わったかわからない。
だが、連れてきた甲斐はあったようだ。省略しようかと思っていたお祓いを受けたいと言い出したのは彼の方だった。

本殿でお祓いをして下さったのが、ほおづきを選んでいただいた神職の方だったのは驚いた。

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社務所では「学業お守り」を、売店では憧れのラムネを欲しがった。はじめて飲んだラムネはおいしかったらしい。ビー玉が入っていると、じゅんじゅん、興奮気味で帰りの車内ではしゃべり通しだった。

実はこの日、雨の予報が出ていた。彼が持ってきた傘がないのに気づいたのは地下鉄神谷町駅を出たとき。東横線の中か、日比谷線の中か、ホームの椅子に腰かけたときか・・・。
結局、東急線、東京メトロ、そして乗り入れている東武鉄道まで問い合わせたが、この日は出てこなかった。
家に傘はあるだろうし、名札もついている、2日もすれば出てくるだろう。
だが、翌日も雨の予報、途中でバトンタッチしたごんさんが買う羽目に。
1週間早かった茅の輪くぐり、半年分の厄落とし、7月からいいスタートがきれるといいが。
旅・散策・イベント

明年再見!

2019年06月25日
今年は、蒲田のジャカランダに4回も逢いに行った。
6月1日は東日本大震災「絆 音楽祭」の前に、13日は病院の帰りに、14日はSさん夫妻を案内した。(梅雨空に紫雲の花2日続きのお花見
そして19日、わが家での桂花会茶会の後、Fさんを案内した。ケニアのナイロビ駐在時代、ジャカランダの花が庭や街に咲き誇る季節に日本の桜を思ったというFさん。

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        ナイロビのジャカランダ

梅雨の晴れ間、池上線蓮沼駅から環八に向かって歩きながら「少し曇っている方がジャカランダの花が映えるような気がする」というと、「ケニアではいつもこんな感じ。陽ざしが強かった・・・」と。
空地越しにみえてきたジャカランダに歓声を上げた。この日、彼女は数10年ぶりにジャカランダに対面した。
  
もう散ってしまったかと思っていたが、満開を少し過ぎたくらいだろうか、4回目のこの日初めて、環八を渡り住宅公園側からジャカランダを眺めた。車道側も天辺まで花が咲いているのが見えた。ひょっとするとこの日が満開で、もっともいい時期だったのかもしれない。

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          6.19


散り落ちて茶色くなった花びらからは何とも言えない悪臭がするというが、花びらを拾って嗅いでみたがわずかに何か臭うといったところ。
ふと見ると、彼女はケニアを思って涙ぐんでいた。公園、植物園、温室でもない、熱海のような観光目的に植えられたのでもない、ここのジャカランダ。37年前、苗を植えたというガソリンスタンドのオーナーに感謝、区の伐採計画に反対した地元住民にも感謝、そして、何よりも交通量が多い環八沿いで排気ガスにも負けず、イチョウの街路樹の間で頑張って花を咲かせるジャカランダに感謝。桂花会茶会の後片付けもせずに飛び出した甲斐があった。

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         歩道側
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        住宅公園側から     

蒲田駅で分かれた。彼女は東京駅から中央線で西荻まで。帰りの車中からの彼女のLINEを読んで胸があつくなった。
本当に素晴らしかった。37年頑張って大きくなってくれました。梅雨の晴れ間に、その周辺だけにナイロビの高原の風を運んでくれているみたいでした。ジャカランダの庭、ケニアの人たち、全てが蘇ってきて、涙がこぼれました。西日を浴びながら、帽子を飛ばされそうになって・・・。今日このことも、一生の素晴らしい思い出になります・・・
来年は是非ご主人と逢いに来てほしい。

絵を始めたころは、桐の花が好きだった。ここ数年は蒲田で見て以来、ジャカランダの花が大好きになり、梅雨の季節にこの花に逢える梅雨も嫌ではなくなってきた。
明年再見! どうかそれまで伐られることなく立っていてほしい。
植物など

油断大敵

2019年06月24日
5月、あざみ野の整形外科を受診した。院長先生の診察の日だったが、朝からの雨で思っていたほど混んではいなかった。
主訴は腰痛、AKA療法を希望。ついでに膝、足先も痛いときがあるということも付け加えた。
レントゲン数枚、DXA(デキサ)法による骨密度の測定、血液と尿検査が終わると、さほど待たずに診察室へ。どうやらAKA療法に向いているらしい。ベッドにあおむけから左を下に、また仰向け、右を下にといったことを数回繰り返した。痛くも痒くもない。それがAKA療法だったことを後で知った。

お陰で腰痛は何とかなりそうだが、腰椎や大腿骨の骨密度を正確に計測できるという骨密度測定(DXA法)の結果は驚きだった。
腰椎の方は同年齢の平均骨密度と比較して同等(110%)といえるようだが、大腿骨(頚部)は92%とだいぶ下がる。若年成人の平均骨密度と比較すると66%に当たるのだとか。平均値の70%以下になると「骨粗鬆症」と診断されるという。

   骨密度 border=
    
ちなみに骨密度の計測値から推測する骨粗鬆症の患者数は、国内で現在約1300万人と考えられ、さらに増加し続けているらしい。

何年も前、骨密度を(手で)測ったことがあり、平均をはるかに超えていたこと、骨だけは丈夫だと思っていたがというと、手で測る(MD法)骨密度測定は「甘いからね~」と言われた。
「骨粗鬆症とわかってよかったですね」と院長先生のことばをかみしめながら帰路についた。

次の受診日、血液検査の結果からも正真正銘の「骨粗鬆症」だということがわかった。「骨の新陳代謝」の速度がわかる「破骨細胞活性」という項目が基準値(120~420)をだいぶ超えていた。つまり、「骨芽細胞」による骨形成される速度に比べ、「破骨細胞」による骨吸収の速度が速いということらしい。そのため骨密度の値にかかわらず骨折の危険性が高くなっているのだとか。

そこで処方されたのが、破骨細胞の活性を抑制する薬。1ヶ月に1錠服用することになる。5年もつづけるのだそうだ。
そういえば、母もそういった薬を飲んでいたことがあった。

適度に運動し、必要な栄養をとり、骨密度が低下しないようにする。転倒や骨折を防ぐことが最大の目的。
薬だけに頼らずに少しでも骨密度を低下させない食事を心がけなくては。
早速、Amazonで「骨粗鬆症の食事」といった本を2冊購入。

   
   本

カルシウムを多く含む食品 牛乳、乳製品、小魚、干しエビ、小松菜、青梗菜、大豆製品など
ビタミンDを多く含む食品  サケ、ウナギ、サンマ、メカジキ、イサキ、カレイ、シイタケ、キクラゲなど
ビタミン K を含む食品    納豆、ほうれん草、小松菜、ニラ、ブロッコリー、レタス、キャベツなど

何年もご無沙汰の近所の整形外科に行こうか迷っているときにOさんに勧められたAKA療法。この療法のためにあざみ野まで来たお陰で骨折、寝たきり、認知症・・・のコースから少しで外れることができそうだ。
次に骨密度を測定したときにどのくらい改善されているだろうか、楽しみだ。
つれづれ

バーチャル参拝

2019年06月23日
今年は4年ぶりに愛宕神社の「千日詣り ほおづき縁日」に行き、茅の輪をくぐることにした。(千日分のご利益
あらためてネット検索すると、「バーチャル参拝」の文字が目に留まった。

慶長八年に徳川家康によって創建された愛宕神社。バーチャル参拝が始まったのは、1996年からだという。
参拝は大鳥居の写真から始まる。

一 大鳥居  「鳥居は世俗と神域との結界です。ちょっとここで立ち止まって、世俗のことは忘れてみましょう」「では、深呼吸をひとつして、心を静めて、鳥居をくぐりましょう」

二 出世の石段  86段の急な石段。江戸時代、馬でこの階段を一気に駆け上がり紅白の梅の枝を折って徳川家光に献上した曲垣平九郎の故事に由来している。

三 一の鳥居  「深呼吸をもうひとつして、心を静めて、鳥居をくぐりましょう」

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四 手水舎  「手は行為の象徴です。あなたのふるまいを清めましょう。口はことばの象徴です。あなたのことばを清めましょう」

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       手水舎     2009.6.23
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      神門と茅の輪  2015.6.23

五 神門 丹塗りの門  「いよいよ敬虔にならなくてはなりません。もう一度、心を鎮めましょう。
本来は、参拝のあと、神様にお尻を向けないようにするため、ここまでは後ろ向きに下がります」とある。
以前、参拝に訪れたとき?後ろ向きに下がったことはないように思う。
 
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六 社殿外観
七 招き石  この石をなでると福が身につくという。
八 お賽銭箱  「お賽銭箱に静かにお賽銭を入れたあとは、参拝します」 正しい参拝の仕方は「二礼二拍手一礼」
これで参拝は終了。このまま帰っても、さらに、ネットのお宮の中に入るのも自由だ

九 社務所  各種お守りやおみくじがある。鯉の餌も販売している。
ネット上では、「おみくじを引く」をクリックすると 「心を鎮めてスマートフォンを振るか、おみくじをタッチしてください」

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神社本庁は、バーチャル参拝などに対して「インターネットを使ってPRや情報発信をすることは奨励しているが、参拝の原則は実際に拝観すること。それをネットだけで完結させるのは・・・」と注意を喚起している。だが、ネット参拝の是非については解決するまでには時間がかかりそうだ。日光東照宮や明治神宮など、すでに神社本庁を離脱している神社も多いとか。

今日明日は愛宕神社の「千日詣り」。1週間早く茅の輪をくぐることができる。今年は10年ぶりに参拝してこようと思っている。
旅・散策・イベント

アサガオのタネ

2019年06月22日
今日は24節気の1つ「夏至」。梅雨も後半に入り、日がどんどん長くなりそろそろ夏が来るという頃。

夏の花アサガオが梅雨入りまもなく花を咲かせた。
アサガオは日本で古くから親しまれているが、日本原産の植物ではなく、奈良時代に中国から渡来、薬草として用いられたのが始まりだとか。観賞用として楽しまれるようになったのは江戸時代で、大きな花の「大輪アサガオ」や、葉や花がユニークに変化した「変化咲きアサガオ」が大流行した。

昨年夏、2階ベランダでゴーヤアサガオを育てた。今年5月末、ゴーヤのプランターで、双葉になっていたアサガオを数本発見。別のプランターに植え替えたところ、どんどん蔓が伸びていった。

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          6.9

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            6.10

梅雨入りが発表された2日後、すでに咲き終わった花と蕾を見つけて驚いた。
慌ててネットを張ったが、その後、蔓は伸びているが、花はまだ咲いていない。

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             6.15

『植物はすごい 七不思議篇』(田中修 著)にアサガオのことが載っていたことを思い出した。第二話 アサガオの〝七ふしぎ〟に詳しく書かれていた。あらためてじっくり読んでみることにした。

ふしぎの一 なぜ、タネは硬い皮をもつのか? 硬いと発芽しにくい。硬いことはどんなメリットがあるのだろう
タネが硬くて厚い皮に包まれていることは暑さや寒さ、乾燥に耐え抜くのに役立つという。
硬くて厚い種皮は、十分な水が存在する場所でないと発芽しない。また、土壌に多くの微生物がいると分解され、水と空気が入ることで発芽の準備が始まるのだという。
   
同じ年に同じ株でできたタネのすべてがいっせいに発芽してしまうと、その後にすべてが枯れるような乾燥や寒さや暑さが突然に訪れ、全滅する危険性があるという。動物に食べられることも人間に刈られたりすることもある。
「アサガのタネが硬く厚い皮をもつことは、このように、次の世代へ命をつないでいくための工夫の一つ」だという。
乾燥した低い温度の場所でなら、5~10年間、発芽能力を保ちつづけるという。 

4年前、庭の南側にゴーヤを収穫後の土にタネが落ちたのだろう、10月末になってアサガオの芽が出てきた。

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          2015.10.26

『植物のふしぎ』を読んでみると納得できる。日当たりもよく、水分も微生物もたっぷりといった場所だったことは確かだ。
冬が来ることを知ってか知らずか、これが次の世代へ命をつないでいくための工夫だったのか、感動を覚える。

昨年の夏は、門の出入りの度に目に入るフウセンカズラの可愛らしいフウセンと、次々に咲くアサガオはしばし暑さを忘れさせてくれた。
今年、蒔いた覚えもないが、昨年と同じ場所にフウセンカズラの芽が出てきた。アサガオは見当たらなかったので、昨年採ったタネを蒔いた。

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               フウセンカズラ

あれからひと月経つが、アサガオは一向に芽が出ない。日当たりは悪くはないのだが、雨任せではだめなのだろうか。
2階のベランダに放っていたプランターに落ちたタネからは芽を出したが、採って瓶に保管していたものを蒔いても芽は出てこない。不思議といえば不思議だが、環境が大きく影響していることを考えれば、アサガオにしてみれば当然のことなのだろう。
植物など

マイクロチップ

2019年06月21日
日本では、年間約7万頭(環境省 平成28年度データ)もの犬や猫が殺処分されている。無責任で身勝手な飼い主や業者が見捨て保健所や動物管理センターに収容されるケースが後を絶たないという。

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   「殺処分される犬猫達」  「犬の平均寿命」
    NPO しっぽのなかま

先週、成立した改正動物愛護法には動物虐待に対する厳罰化などに加え、マイクロチップ装着の義務化も盛り込まれている。
マイクロチップの装着は、犬猫を販売するペットショップやブリーダーなど繁殖販売業者に義務付けられ、飼い主に引き渡す前に装着することになる。
施行後、販売業者から犬猫を購入した場合、飼い主はマイクロチップの登録情報変更手続きを行う必要がある。
すでに飼われている犬猫に対しては、飼い主に努力義務がある。

ほかに、出生後56日(8週)経っていない犬や猫の販売を原則禁止。現行法では、経過措置として「49日(7週)」とされていた。
動物の虐待への罰則も強化。動物を殺傷した場合、「2年以下の懲役または200万円以下の罰金」から「5年以下の懲役または500万円以下の罰金」に引き上げる。
原則、公布から1年以内に施行するが、マイクロチップの義務化は3年以内、「56日」規制は2年以内とする。

マイクロチップの装着を法律や条令などで「義務付ける」ことには反対している団体もある。
JAVA(NPO法人 動物実験の廃止を求める会)は、日本の殺処分システムがなくならない限り、「チップがない場合は所有者がいない」として野良猫や迷い猫が命の危険にさらされる可能性があると危惧している。

「自分の犬や猫が迷子になった時のことを考え、できる限りの対策をとっておきたいといった本来の使い方なら、マイクロチップを普及させることに反対しない」という。
だが、すべての関係機関(清掃局、警察、道路公団などなど)にチップのリーダーを置いて、必ず読み取り確認しないと、マイクロチップを入れたとしても無駄になる。

このほかにもマイクロチップの義務化には多くの問題があるという。マイクロチップ義務付け問題Q&A」に詳しい。
 
Sさんをはじめ地域猫対策に熱心な人たちのお陰で、ここ数年、わが地域ではノラ猫は皆無、地域猫も激減しているように感じる。
わが庭で12年前に生れた猫も今は1匹と彼女が連れてきた猫が1匹、地域猫なのか外猫なのか、穏やかな毎日を過ごしている。彼らは手術済みだが、チップは入っていない。

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来月、JAVAでは「動物愛護法改正報告会&法律に見放された動物たちを守るための勉強会」を文京区のシビックセンターで開催する。
大田区では明日「大田区地域猫対策講演会」(於:消費生活センター)が開かれる。講師は地域猫対策の発案者である黒澤獣医師。
申込不要なので、行ってみようかと思っている。   
動物など

綱島にあった氷室

2019年06月20日
京都の瑠璃光院の「八瀬氷室」という銘菓をお土産にいただいたとき、10年前のスケッチのとき訪れた綱島にかつて氷室があったことを思い出した。(思わぬ収穫 綱島篇八瀬氷室

北綱島村の旧家飯田家は、代々名主を勤め、荒地の開墾、農業の振興、鶴見川改修などに尽力したという。
横浜市指定有形文化財の茅葺寄棟造りの主屋は明治22年、長屋門は江戸時代後期のもの。

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          飯田家の長屋門 2009.4

飯田広配は、横浜の外国人がボストンや天津などから輸入した氷をたくさん消費しているのを見聞し、外国人より製法を聞き、改良を加えて港北地域の特産品とした。
  
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         主屋   2009.4

氷場は、山からのきれいな湧き水を使い、石灰で消毒。12月ごろから凍り始め、1月から2月が最盛期。一度凍った氷の上に薄く水を張り、3日から5日かけて7cmくらいの厚さに凍らせた。途中で溶けたり、ゴミが入ったり、また、曇りや雪になってもやり直しだったという。

よい氷が出来ると、氷が最も厚くなる早朝に氷場の上に渡した梯子に乗って、氷鋸で50cmくらいの正方形に切り出した。1枚が17kgほどあったとか。切り出した氷は、分厚い土蔵造りの氷室の中に10枚ずつ積み上げられ、おがくずをかけて夏まで保管されたが、ほとんど溶けなかったという。

飯田家では鶴見川沿いの氷室から船に乗せ横浜に出荷し、真砂町の氷室に一時保管し販売していたが、地場産業として製氷が盛んになると、荷馬車や大八車も使うようになり、販路も神奈川、横須賀、東京などへ広がった。
天然氷づくりは、関東大震災による製氷設備の被害と機械製氷の普及により昭和に入ると廃れていった。
  
   庭
       北斜面には氷場跡      2009.4

屋敷地の南側には小高い山があり、北側はかつて水田だった。私がスケッチした竹林は水が湧き、かつての氷場だったということを後で知った。

ところで、現在、天然氷の氷室は日本に6軒、そのうち日光市には3軒が集まっているという。
2年前にりんりんと恵比寿のガーデンプレイスのセンター広場に設けられたヒュッテで販売される四代目氷屋徳次郎のかき氷を味わうことができた。(日光の天然氷

どんなに暑い夏でもかき氷や冷たい飲物は避けているが、天然氷は別だ。天然氷は明らかに人工の氷とは違った。
かき氷を持ったときあまりの軽さに驚き、まるで綿菓子のような食感。キーンとした冷たさはなく口の中でふわっと拡がってなくなる。
今年もガーデンプレイスで日光の天然氷のかき氷を販売するのだろうか。
旅・散策・イベント

銘菓「八瀬氷室」

2019年06月19日
昨年秋に受講した大田区民大学で知り合い、今年から始まった自主グループ。10人余のメンバーの中で最寄り駅が同じ4人のLINEグループができて数ヶ月、ほぼ毎日、身近な情報や散策や旅先で目に入った花や風景などの画像が行き交っている。

メンバーの中でわが家にもっとも近いOさん、歩いて1分といったところだろうか、彼女から送られるのは旅先で撮った風景が多い。
そんな彼女が先週末、訪れた京都は梅雨のせいか、観光客は少なかったそうだ。土曜日、日曜日と思ったより寒かったが、お天気には恵まれたという。

   書院

「お庭の木々のライトアップが、黒漆の大きな机に映り込んでいます」。瑠璃光院の夜間拝観が素晴らしかったそうだ。
瑠璃光院は、京都の八瀬の無量寿山光明寺の「京都本坊」の寺院。

元は明治時代の公卿・三条実美の庵で、およそ1万2千坪の敷地に数寄屋造りの建物と洛北の雄大な自然を借景とした日本庭園。カエデ紅葉が約100種類以上、苔は15種類が植えられているという。
普段は非公開だが、春と秋に特別公開しており、新緑や紅葉が書院の机に反射した美しい光景と、苔が瑠璃色に煌めく日本情緒溢れた「瑠璃の庭」に魅了され、多くの観光客が訪れるのだとか。
    
    
         




彼女が東京に帰ってきたのは大雨の中、その翌日、瑠璃光院の「八瀬氷室」をお土産にいただいた。
シャリシャリした氷のような触感の皮の中にたっぷりの大納言小豆を閉じ込めたよう、みるからに涼しげ、美味しくいただいた。

   氷室

「八瀬氷室」菓は、瑠璃光院の近くでつくられていた天然氷の姿を借りた銘菓だとか。「千年も前の書物『延喜式』によると、瑠璃光院のほど近くにも氷室があったとか、なるほどと思いが及ぶ地、それがここ八瀬の里」だという。

氷室で思い出すのは、スケッチで訪れた綱島の飯田家の長屋門の脇にあった氷場跡の池。もう10年も前のことになるが、毎月スケッチに行っていたころのこと、この日の参加者は7名。
長屋門をスケッチしていると、ちょうど掃除しておられたご当主(24代目)が、普段は閉ざしてある門を開いてお庭を案内して下さった。(思わぬ収穫 綱島篇)
旅・散策・イベント

二日つづきの花見

2019年06月18日
ジャカランダはノウゼンカズラ科 キリモドキ属(ジャカランダ属)。
中南米原産の高木。世界三大名木の1つ。別名は紫雲木、キリモドキ。

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さだまさしの歌で知ってはいたが、桂花会でナイロビで暮らしたFさんの写真と話で、どうしてもジャカランダをこの目でみたいと思ったのが4年前。熱海で開花しているときいて、家を飛び出したのは梅雨入りする数日前だった。ジャカランダの並木は、曇空に青紫の色が映えて、実にみごとだった。 (ジャカランダの花)          
その後、大田区の蒲田に1本のジャカランダの木があることを知り、その後ほぼ毎年逢いに行くようになった。

若いときナイロビに暮らした桂花会のFさんの話では、10月から11月ごろ、庭も街もジャカランダで街が紫一色に染まるとか。この花が咲くと彼女は日本の桜を想ったという。中国語では「蓝花楹」という。(もっとも好きな樹は・・・

昨年は、Fさんと、四川省成都でみて感動したというSさんにLINEを送った。(環八沿いのジャカランダ

今年は6月に入って3回も逢いに行ったが、2度目はほぼ満開だった。桂花会の後に寄ることにしてはいたが、それまで花が持つかどうかわからない。Sさんに電話すると、ちょうど山登りの最中だった。どうしても見たい!と、翌日の午後、案内することに決まった。
Fさんにも電話。残念ながらこの日は都合が悪く、予定通り翌週の桂花会の後に案内することになった。
彼女がナイロビでみたジャカランダは、散り落ちて紫色の絨毯のようになると、アンモニア臭のようななんとも言えない臭いがするのだという。いっそ満開を過ぎてもいい、散った花を嗅いでみたいとも。

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      ナイロビのジャカランダ 

Sさんとの約束の日、梅雨も中休み、曇天の中時折陽がさすといった絶好のお花見日和。少し遅れる連絡をしようとLINEをみると、「今日は夫も一緒です、どうしてもジャカランダを見たいというので」と入っていた。ご期待に沿えるかどうか・・・。そんな心配は無駄だった。

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ランチをご一緒し、アーケードを通って環八に出た途端、「お~、あった!」とご主人の歓声が上がった。
お2人とも四川省でジャカランダの並木を見て感動して以来、気になっていたが、日本では川崎市緑化センターの鉢植えの木しか見たことがなかったそうだ。
しばらく2人ともスマホを向けていたが、そのうち、Sさんはジャカランダ目的に栃木からやってきたというご夫婦と話を始めた。 
   
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        スマホを向けるS氏

数年前、区役所の道路維持計画のもとで伐採の話が出たそうだが、地元民の猛烈な反対運動で伐採を免れたという。
伐採は免れても、車道や歩道に張り出した枝は伐られてしまうかもしれない。地面から2mほどのところで花が見られる今年、目の奥にしっかりと焼きつけておこうと思った。

小一時間いただろうか、ジャカランダを後にした。ランチのときに話題になったアロマスクエアにある「高砂コレクション」にご案内した。
ここは高砂香料工業という香料のメーカーの「香り文化と歴史」に関する企業ミュージアム。古代エジプトやローマ時代から現代に至る香水瓶など多数を展示。

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        火道具

大田区民にも意外に知られていないギャラリーだ。(蒲田から海が見えた
中国茶芸師でもあるSさんは香り、お香にも興味があり、さまざまな展示を熱心に見入っていた。彼女の中国茶への探求心は限りなく広い。以前受けたアロマ検定の香りテストで、高砂香料の社員がダントツだったとか。高砂香料について知ってそのわけがわかったそうだ。  
植物など

梅雨空に紫雲の花

2019年06月17日
大田区西蒲田の環八沿いに1本のジャカランダが青紫色の花を咲かせている。
世界三大花木の1つにして「南半球の桜」とうたわれるジャカランダ。中南米原産の高木で「世界3大花木」の1つ。
葉が出る前に開花することや花の付き方が似ていることから、「紫の桜」「熱帯の桜」とも称される。(ジャカランダの花

4年前、熱海と蒲田ではじめてジャカランダに出逢ったときから、この花の虜になった。
中南米原産だが、和名「紫雲木」という和名があるように、の花にも似た青紫の花は日本の空にもよく似合う。今は春の桜より楽しみにしているのが、梅雨の中、曇り空に映える紫雲の花。

蒲田のジャカランダは35年以上も前、ガソリンスタンドのオーナーが、鉢植えの苗を店の前に植えたことが発端とか。
日本では中々咲かせることが難しく、新宿御苑でも12年経っても花が咲かないとも聞くが、交通の激しい環八沿いで排気ガスにもめげずに大きく育ち、毎年今頃、青紫色の花を咲かせてくれる。一目見るために、最近は遠くからやって来る人たちも多くなったようだ。

今年は6月1日、早いかなと思いつつ蒲田の工学院大学に行く前に寄ってみた。数年前に訪れたときにあったスタンドはなくなり、今は空地になっている。
数メートルおきに植えられた街路樹のイチョウに挟まれて立つジャカランダ。咲かない年もあるというが、蕾がたくさんついていた。
  
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          2019.6.1

幹に架けられた木札には、「ジャカランダ(JACARANDA) 『2004年浜名湖花博のジャカランダより東京蒲田にある樹の方がすてきです』とインターネットでこの樹が紹介されました」と書かれていたが、今年は無残にも紙は剥がれ落ち文字はまったく消えていた。(忘れられたジャカランダ環八沿いのジャカランダ
  
再び蒲田からの帰り道、環八沿いを歩いて行った。蒲田駅陸橋を超え、さらに行くと、前方に見えてきたのは青紫色の樹。「咲いている!」と声を上げそうになった。近づくとほぼ満開。歩道や植え込みに散り落ちた花はわずか。

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         2019.6.13

翌週の桂花会の後にジャカランダに案内する予定だったが、満開を過ぎてしまうかもしれない。Sさんに電話をすると、恒例のご主人と山登りの最中だった。
翌日午後ならということで、蒲田駅で待ち合わせてランチ、ジャカランダの花見コースが決まった。
植物など

「梅子黄」

2019年06月16日
今日は「芒種」の末候「梅子黄(うめのみきばむ)」。梅の実が黄ばんで熟す頃の意味。
6月も半ばになると、梅の実はだんだんと黄色く熟していく。
歩いていると、黄色く熟した梅の実が目に入る。このお宅では梅酒をつくるのかな、梅干しにするのかななどと思いながら見上げている。

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    緑道の白梅   
  
わが庭の紅梅も老木ながら新しい枝にびっしりと実をつけている。熟して地に落ちた梅の実も多い。
来年は実どころか花も咲かないのではと心配になってきた。

ずいぶん前になるが、この紅梅で梅干しをつけたことがあったが、お世辞にも美味しいとは言えなかった。
以来、梅干しも梅酒も紅梅ではつくることはなくなった。
 
母が梅酒を漬けていたのはいつ頃までだっただろう。台所の地下室への階段の途中に梅酒の瓶がいくつか置かれていた。
夏になると、薩摩切子のグラスに梅酒を注ぎ、暗い廊下を応接間まで運ぶ母の姿と氷がグラスとぶつかるチリチリという音を思い出す。

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     ほとほとと実を落す梅に迎へらる 

「新築成り曽住の地に戻る(1991.7)ときの母の思いが、今、紅梅をみているとひしひしと伝わってくる。   
その翌年、新居で再び梅酒(白梅)を漬け始めるが、

     梅漬けつつ不足がちなる日も懐し

2002年には梅を漬けなくなっていたようだ。
     
     梅漬けずなりてもろもろ面倒に

 紅梅
              庭の紅梅

紅梅が満開のときから夏、秋、そして冬までつづいた父の入院。

     この庭に夫(つま)との歳月梅は実に

庭の主役はいつも紅梅だった。建替えで枝垂れ桜も藤もなくなったが、紅梅は今も同じ場所にある。
植物など

祖母の博多人形

2019年06月15日
断捨離は細々と進行中だが、迷うのは祖父母、父母の想い出につながる品々。人形もその1つ。
先月、棚を整理しようと思い立ち、干支の土鈴などと共に博多人形を出して並べてみたものの、眺めただけで終わってしまった。

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博多人形は福岡市博多産の土人形。粘土で粗型を作り彫刻し、焼き上げたのち彩色。
1600年、瓦職人の正木宗七が製作し藩主黒田長政に献じたのが起源とされ、文政年間(1818-1830年)に人形師中ノ子吉兵衛が制作した素焼人形が今日の博多人形の始まりとなった。

その後少しずつ素焼き人形自体やその技術が博多一帯に広がり、博多人形文化の土台が築かれていった。
博多人形という名称が生まれるきっかけとなったのは、1890年(明治23年)に行われた第3回内国勧業博覧会でのこと。
その美しさや優美さによって表彰されることが決まった際、表彰状に「博多人形」と明記されたことで、博多人形という名前が生まれ、世に広まることとなった。伝統的工芸品。

博多人形の特徴は、繊細かつ豊かな人形たちの表情や細かな彫り込み、そして素焼き人形とは思えない美しい曲線美や落ち着いた発色。美人、歌舞伎、武者、能、風俗、道釈、童、節句と分けられる。

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一般に博多人形とよばれているものは、伝統的な造型のほか、現代風俗を扱ったものなど「新博多人形」として博多名物の1つとして全国的に知られ、海外にも盛んに輸出されている。江戸時代の伝統をもつ古博多土人形は、中ノ子吉兵衛の後継者によって現在同県春日市でつくられている。

わが家に残る博多人形は明治生れの祖母のもので、箱も残っていないので作者もわからないが、おそらく古博多土人形ではないかと思っている。人形だけでなく、30数年前に家を建替えたとき処分したものは多いが、小さい博多人形だけを残してあったようだ。

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眺めていると何とも言えない表情にますます思いきることができなくなってしまう。
たしか物置にも人形供養用の箱の中に人形たちが眠っていることを思い出した。 
身近な人びと

海苔のふるさと

2019年06月14日
今回のすいよう会の区内散策は「大森 海苔のふるさと館」と呑川緑道。参加者は7人と少なかったが、たまに陽が差す程度のまあまあの天気だった。

   ふるさと館
           大森 海苔のふるさと館 2階

大森駅に集合、バスを平和島5丁目で降りるとふるさと館の裏側に着いた。ここはいつ来ても空いている。(海苔のふるさと館
1階、2階と館内の展示をみてから見晴らしのよい屋上で休憩。こういうときリーダーはいつも)チョコレートを差し入れてくださる。

海苔づくりは今から300年ほど前、江戸時代の享保のころに始まったといわれる。品川から大森周辺の海辺に「ひび」と呼ばれる粗朶木(そだぎ)を建て、その枝に育つ海苔を摘み取った。
とくに浅瀬の広がる大森周辺は大きな産地として発展し、江戸時代の終わりごろ、ここから海苔づくりは各地へ伝わり始めたという。東京都沿岸部の埋立て計画に応じるため、1962年末、海苔養殖生産中止を決定し、翌年春にその歴史を閉じた。

大森ふるさとの浜辺公園から貴船堀を通り旧呑川緑道を歩いた。ちょうど海苔養殖が盛んだったころの海岸線のようだ。向かい側には平和島や昭和島がみえる。
浜辺橋の欄干には弁天橋と同じように、かつての海苔養殖の様子が描かれた画が設置されていた。(海苔のふるさと)

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       遠くに富士も見える

呑川の名の由来は大雨の度に氾濫し流域の田畑を呑み込んだからとも、灌漑用水や飲料水として利用されたからとも。
呑川は大森海苔の生育に必要な栄養分を運ぶ河水となったり、特に下流は海苔船の交通路としても大切な役割を果たした。
やがて付近に住宅や工場が増え、水や海が汚れ、さらに肝心な海苔場が東京オリンピックを契機に埋め立てられることになった。

  緑道
        かつての海岸線を歩く

ついついアジサイが目に入るのはLINE仲間のSさんの撮った「ハート型のアジサイ」が話題になっているからか。Sさんの凝り方は半端でない。昨年も多摩川台公園に何度も足を運んだとか。(ハートマークのアジサイ
そんな話をしながら歩いていると、逆さになったハート型のアジサイを見つけた。

   はーと
     浜辺公園で     Sさんのベスト?ハート
 
その後、アジサイが咲いているのをみると、知らず知らずのうちにハート型を探していることに気づく。だが、この日の逆さのハートのあとは見つかっていない。3日後、Sさんから3つも送られてきた。毎日1つ発見していることになる?彼女のハートはこれで5つになった。
旅・散策・イベント

あざみ野の街

2019年06月13日
この5月からAKA療法を受けることができる整形外科がある東急田園都市線あざみ野駅を何度か利用している。駅に降りる度にあざみ野の街に魅かれていく。

   駅前

初診の日は朝から雨。ちょうど朝の通勤通学の時間帯にあたったせいか、駅前のバス乗り場は大勢の人でごった返していて少々面食らってしまった。かと思うと、ロータリーの向こうには竹林が広がっている。地図は頭に入っていたはずだが、不安になってスマホに頼るはめに。

     竹林
 
大きな街だ。駿台、栄光ゼミナール、河合塾、大手の塾がいくつも建っている。ドコモショップも大きい。
早渕川を渡ると整形外科、内科、眼科などが入っているメディカルプラザはすぐだった。
診察、検査、AKA療法と初診にも拘わらず、ほとんど待たずに済んだのは、雨のお陰でキャンセルの電話が多かったこともあるのかもしれない。

  竹林 

数十年来、悩まされてきた腰痛、わずか10分ほどの療法を受けただけで痛みをまったく感じないことが信じられなかった。雨の竹沿いの道につづくユリノキを見上げながらスキップしたい気持ちを抑えながらゆっくりと歩いた。
駅構内ではツバメの巣に目を遣る余裕が生れた。

帰りの車内で早速LINE仲間にツバメの巣と竹林越しに見える茅葺屋根の家の画像を送った。
Fさんから「燕も可愛い」「結婚してから2年くらい、あざみ野の隣の江田という駅の近くに住んでいたの。それでも、茅葺屋根の家には木が付かなかった!40年くらい前だけど」。

竹林は昔からあったのでは?と思うのだが、「田園風景はかなり残っていたけど、竹林ねぇ?」覚えはないという。そんなこともあり、あざみ野の竹林をGoogleマップでみたり、「あざみ野」関連のサイトを覗いたりしてしばし楽しんだ。

「あざみ野」という地名が誕生したのは、1976年(昭和51)。土地区画整理事業の施行にともない、あざみ野の街が新設され、翌年には東急田園都市線「あざみ野駅」が開業した。駅の開業にあわせて駅周辺も開発され、ビルなどが次々と建設された。その後住宅街の建設が加速され、高級住宅街としてのブランドイメージも定着していった。
  
    川
       あざみ野駅前の早渕川

地元の要望により名付けられた「あざみ野」という名は、早渕川の土手に「野あざみ」が咲いていたのが由来だとか。
メディカルプラザに行くときに渡るのはこの早渕川。さすがに土手のアザミといったイメージはないが、多摩丘陵の南端部に位置するこの付近は、森、沼地、水田と数多くの動植物から構成される豊かな自然あふれる谷戸だった。

早渕川は鶴見川水系の支流で、横浜市青葉区美しが丘西に源を発し南東に流れる。綱島西付近で鶴見川に合流する。
約30万年前、多摩丘陵の成立とともに雨の浸食と湧水によってできたと考えられている。蛇行が比較的あるために早瀬や渕があり、そこから「はやぶちがわ」という名前が付けられたと推測されているが、確かな資料に名前の由来は記されていない。
昔から付近の住民達にとっては貴重な生活水、農業水として重宝されていた。それ故に水争いも多く、渇水のため水が十分行き届かなかった荏田村の住人が堤防を築き石川村を水攻めしたと言う言い伝えが残っている。
(Wikipedia)

  古墳
        古墳の位置図(「赤田の古墳」より)

あざ駅と江田駅の間には多くの古墳が残る。
荏田古墳群に位置し市ケ尾古墳群に隣接する「長者原遺跡」には、かつて古代の武蔵国都筑郡の役所である郡衙(ぐんが)が存在し、有力豪族がこの地に存在していたことがわかっている。
それ以前には縄文、弥生、古墳時代の遺跡のようだ。
長者原遺跡(荏田猿田公園)に隣接して「赤田古墳遺跡群」があり、また、市が尾の方には朝光寺原遺跡、稲荷前古墳などがあるが、高速道の開通で、遺跡は皆破壊され何も残っていないのは残念だ。

「江田にお城があったとなんて知らなかった・・・!」と古墳よりお城の方が気になったFさん。
荏田城は、平安時代、源義経に仕えた江田(荏田)源三広基の居城であったとの伝承がある。荏田城の東を古鎌倉街道が通り、南を矢倉沢往還(大山道)が通る。
東名高速道路の建設によって西側の斜面が削られたが、大半は民有地で竹林となっているため立入禁止だという。
旅・散策・イベント

駅ツバメ

2019年06月12日
多くの人が行き交う鉄道の駅でツバメの巣をよく見かける。人の近くで営巣すれば、蛇やイタチなど肉食動物が近寄ることができないためだといわれる。人の近くで子育てをする姿が観察できる、貴重な野鳥。

ツバメは、台湾やフィリピン、マレーシアなどで冬を過ごし、春になると日本に渡ってくる。
農村ではツバメが稲につく害虫を食べてくれることから、巣がある家は商売繁盛の象徴として古くから大切にされてきた。「土喰うて虫喰うて渋うい」と聞こえる鳴き声も可愛らしいという。何度もツバメの姿はみているが、まだその声はきいたことがない。

ツバメは、雄と雌が協力しながら子育てをする。ヒナは多い時には一日100匹程度の虫を食べて育つというが、巣には5羽前後の雛が育ちますから、一日あたり約500匹の虫を、雄と雌が引っきりなしに与えることになる。そんなことからツバメは「働き者で子育て上手な仲良し夫婦」の象徴として大切にされてきた。

そんなツバメが最近減っていると言われる。ヒヨドリコゲラなど都心部に進出してくる野鳥がいる一方で、身近にいたツバメが都会から姿を消しているという。
ツバメの巣に必要な泥などが都心部では手に入りにくくなっていることもネグラの確保も難しいこともある。
日本野鳥の会では毎年7月に多摩川での「ねぐら入り観察会」を開催したり、ツバメのねぐらを確保するために、ボランティアが河原を整備し、葦原の保全を地道に続けている。

東急線あざみ野駅には2ヶ所に巣があり、2組が子育てをしている。乗降客も多く、駅前はビルが建ち、賑やかな街だが、まだ竹林が広がるなど自然が残っている。人もツバメにとっても暮らしやすいのだろう。

 駅前
 ツバメ
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         あざみ野駅   2019.5

1980年代までは東京駅、上野駅、秋葉原駅ほか国鉄時代のたくさんの山手線駅構内で巣が観察できたというが、2016年に確認されたJR駒込駅改札での営巣が、山手線での最後の1つになったという。これは駅が改修されてツバメが巣作りできる場所が減ってしまったり、再開発により餌となる昆虫が減ってしまったことが主な原因といわれる。

10年前、東急線綱島駅でツバメの巣に気づいて以来、この時期は改札口を出ると構内の上の方に目が行くようになった。

   二子
        二子玉川駅   2009.6

  2011
             大岡山駅     2011.6

画像が残っているのは、綱島駅(2009) 二子玉川駅(2009 2010) 鵜の木駅(2009) 下丸子駅(2010 2011 2012 2013 2017 2018) 大岡山駅(2011)多摩川駅(2012 2013 2016 2017)。年々、巣が空いたままになっている駅が多くなったように感じる。
動物など

絆音楽祭

2019年06月11日
東日本大震災から8年と3ヶ月。
6月1日、大田区民と東松島市民有志による「大田区&東松島市 絆音楽祭」が開催された。
大田区と東松島市との交流は、2011年の東日本大震災の際に大田区が「被災地支援本部」を設置し、東松島市の被災者を支援したことから始まり、2016年11月には「友好都市提携協定」を締結した。
  
    チラシ

「音楽だけでなく、東日本大震災を忘れない!それこそが我々、未災者が防災という大切なことを気づくそういう場所にしたい」と
いうこの催しも8回目。

この日は郷土博物館で、1週間前に収穫した麦を麦わら細工用にカットする日だった。午前中だけ参加して途中、ごんさんと合流して午後から蒲田の会場へ向かった。
午後の部は始まっていて、東松島市のグループ「アフリカン・ジェベバラ」のアフリカ音楽の演奏から。

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「東松島市各地に里帰りした大田区生まれの松たち」

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       大田区の支援ボランティア活動

大田区にある日本体育大学荏原高校のダンスは楽しかった。中学校でダンス部に入ったゆうゆうの姿とだぶらせながら見ていると、「〇〇~~!」といった黄色い声があちこちから飛んでいたのには驚いた。
青春、情熱、友情・・・若さ溢れる舞台を楽しんだ。何でも現在部員は女子30人、男子3人とか?

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東松島市の職員中心のグループ、大田区と東松島市の絆オールスターズなどの演奏の後、フィナーレは「花は咲く」を全員で。
ロビーでは、宮城県の松ぼっくりを種から育てる「松ぼっくりの里帰り大作戦」の紹介や東松島市の物産販売、防災危機管理課のコーナー、携帯トイレの普及と販売などが行われていた。

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あの東日本大震災を忘れられていくのだろうか。関心が薄い区民が多いのか、このイベントのことがあまり知られていないようで、ホールは空席が目立ったのは残念だった。
旅・散策・イベント

街の時計

2019年06月10日
今日は「時の記念日」。街角の時計を見るとシンプルなものやデザインに凝った時計といろいろ。なかなか面白い。
今までの「街の時計」のタイトルは多く、2011年2012年2015年

   上野公園
           上野動物園

    飛鳥山
           飛鳥山公園

       皇居外苑             
皇居桜田門時計台
皇居外周ランでは最もメジャーなスタート地点。寄贈したアシックスのロゴマークの形になっている。コースの長さはおよそ5km。コースの中には信号がなく、また車道を横切ることもない。
時計の反対周りで走ると、桜田門から竹橋まではフラットなコース、竹橋から千鳥ケ淵公園まで登り坂、千鳥ケ淵公園から半蔵門までほぼフラットコース、そして半蔵門から桜田門までが下り坂のコース。

   目黒
目黒川船入
大正期、治水とともに目黒川を船が運航できる運河が1937年に完成。1994年、山手通りと駒沢通りの交差点近くの通称「船入場」に東京都が洪水調整池を地下に設け、大雨のときの備えとなっている。その上部には目黒区が憩いの場を整備。

    四谷
           四谷のビル

      熱海
               芝浦   

      熱海
               熱海

        立会川
               立会川 

    奥沢
                奥沢

      公園
          蒲田の公園
旅・散策・イベント

駅の時計 Ⅱ

2019年06月09日
明日は「時の記念日」。およそ1250年前のこの日に、天智天皇が水時計を用いて時報を行ったという故事に由来しているというが、制定されるきっかけのひとつとなったのは大正9年に東京国立博物館の前身である国立教育博物館で行われた『時』展覧会だったとか。

2009年から毎年欠かさず6月10日前後は街でみかけた時計が多い。駅舎にも駅構内にも、駅には時計がつきもの。駅の時計は2015年にも。

  熱海駅
           熱海駅
  上野駅
           上野駅

      亀戸駅前
           亀戸駅前

    横浜
           横浜駅構内

     桜木町駅
            桜木町駅

     川崎駅
            川崎駅構内

       大森駅前
             大森駅前
旅・散策・イベント

馬込の給水塔

2019年06月08日
とりあえず大田区内をもっと知ろうと始まったすいよう会も今月で5回目になる。今月は大森海苔のふるさと館へ。

5月にはS氏が企画して馬込を歩いたが、そのときに立ち寄れなかった郷土博物館には7月に行くことにしH学芸員に30分ほどの解説をお願いした。
ちょうど博物館では「羽田からストックホルムへ-三島弥彦の挑戦-」の特集展示もある。「馬込文士村」関係の展示や昔の道具、海苔養殖などをみて廻ると1時間以上かかるだろう。

博物館のほかに「行くところを考えて~」とS氏に頼まれ、地図を眺めて博物館からのコースを考えることになった。
西馬込駅前のライフコミュニティの角に地場野菜の記念碑「馬込半白節成胡瓜、馬込大太三寸人参発祥之地」がある。
そこから6、7分ほどの「馬込給水塔」にいってみようか。
この双子の給水塔があることは以前から知ってはいた。スケッチしようかなと思ったこともあったが、車で通ったくらいで間近で見たことがなかったので、先日下見をしてきた。馬込西公園の高台に上ると双子の給水塔が木々の合間からわずかに見えていた。

  給水塔
     (1983年撮影 大田区HPより) 

戦後生まれのどっしりと構えた給水塔で安定感がある。どちらも鉄筋コンクリート造。
2基のうち、南側の第一給水塔が1951年に、北側の第二給水塔が1954年に完成。高さ28m、直径32m。

  第一
                第一給水塔
  第二
                第二給水塔
 
2基の給水塔は、地域の水瓶としてふさわしい威容を誇っている。震災などに備え常時12,000m³の飲料水を貯えている現役の給水塔。現在も稼動中の施設のため、内部に入っての見学は不可。近くからその大きさを実感できる。

  給水S
     
水道局のサイトをみると、災害時給水ステーション(2019.4.1)一覧が載っていた。幸いなことにこうした給水ステーションを利用する事態を経験したことはない。

大田区内にある給水所は馬込、上池台、東海給水所の3ヶ所。そのほかに萩中公園、下丸子公園など5つの区立公園には「震災対策用応急給水槽(1,500㎥)」が設けられていることをはじめて知った。
ちなみに千代田区、品川区、墨田区など「震災対策用応急給水槽」だけの区も多い。
旅・散策・イベント

忘れられたジャカランダ

2019年06月07日
この時季に気になる花の1つにジャカランダの花がある。 
月1度の桂花会の集まりでは、Sさんが淹れて下さる季節の中国茶をいただきながら、各自中国語で発表する。4年前、「私の好きな樹」がテーマのときにFさんが選んだのがこの花だった。ケニヤに暮らしたとき庭で咲いていたという。
ジャカランダは、鳳凰木(フランボヤン)、火炎木(スパト­デア)とともに世界三大花木の1つだが、日本ではあまり知られていない。原産地は中南米。

・・・蒼空に紫色の花が咲き乱れてた・・・さだまさしの『ジャカランダの丘』の歌をきいて思い描いていた花だが、実物をみたことがなかった。
ジャカランダの花が街を紫色に染め上げる光景は見事だときいたことがある。Fさんによれば、散り落ちた花はアンモニアのような悪臭があるらしいが。

だいぶ前になるが、熱海の親水公園沿いに本州一多くのジャカランダが植えられていて、梅雨シーズンに開花するときいたことを思い出した。夕方から雨の予報が出ていた曇の朝、熱海行きを決行した。
道路沿いのジャカランダの並木は、一斉に咲くわけでないが、曇空に青紫の色が映えて、実にみごとだった。 (ジャカランダの花) 

熱海から戻って数日後、東急線蒲田駅近くの環八沿いにジャカランダがあるというので、蒲田から歩いて行った。だが、青紫色の花は見当たらず、諦めかけたとき、特徴ある葉に気づいた。うっかりすると通り過ぎるところだった。
 
     ジャカランダ
   ジャカランダ
            蒲田付近   2017.6.11
    札

ジャカランダ(JACARANDA)「2004年浜名湖花博のジャカランダより東京蒲田にある樹の方がすてきです」とインターネットでこの樹が紹介されました 
誰が架けたのか、幹にずいぶんと古い木札が架かっていた。(環八沿いのジャカランダ

先日、早いかなと思ったが、蒲田からの帰り、環八のジャカランダの様子を見に行った。
わずかに青紫色の花が咲いていた。この木がジャカランダで青紫色の花が咲くことを知っていないと隣のイチョウとも区別がつかずに通り過ぎてもおかしくない。
 
     2019 
 2019
                   2019.6.1
 木札
        
架かっていた札に書かれた文字は消えて花名さえわからない。なんとも悲しくなった。 
今年は花が少ないのかわからないが、まだ早いのか、1、2週間後にまた来てみようと思いながら蒲田駅へ戻った。

明日、熱海ではATAMI ジャカランダフェスティバル2019が開かれる。
6月5日現在、幼木は100本あるうちの70本が開花しているという。高い木の方は開花し始めているものの花芽は少ないという。
旅・散策・イベント

麦切り

2019年06月06日
今日は24節気の1つ「芒種」。 『暦便覧』こは「芒のげある穀るい稼種かしゅする時なればなりとある。
芒(のぎ)のある穀物や稲や麦など穂の出る穀物の種をまく季節ということから、芒種と言われている。実際の種まきは、これよりも早い時季に行なわれる。
「芒」とは、米や麦などイネ科の植物が実った時、その果実の先端にある針状の突起のこと。

「大森麦わら細工の会」に参加するようになって3回目。麦刈りから1週間。博物館脇で朝から黙々とすっかり乾いてカサカサになった束をカットしている会の人たちに加わった。

 麦

今年はいつもの丈より長く、りっぱな麦が倍近く穫れたというが、雨風に穂の近くが折れてしまったものが非常に多い。(麦刈り麦架け

   穂
      一節で
   二節で

穂、1節目、そして2節目のところに鋏を入れることを教わった。穂、その下の細く長いもの、太くてまるで麦ストローと分けていく。それぞれに用途が異なるとか。
思ったより難しく慣れてきたころには正午になっていた。みんなは2階でランチタイム。きりのいいところまでやって午前中で失礼した。

    麦切
   
しばらくは毎月の例会は部屋で。不器用なので張細工を習おうかと思っている。
10月末の種蒔き、12月の土寄せ、1月の麦踏み、3月の土寄せと楽しみがつづく。
植物など

ハートマークの紫陽花

2019年06月05日
今見ごろを迎えているアジサイ。Sさんから池上妙見堂で撮ったというハート型のアジサイの画像が送られてきた。ハート型は初めてみた。

   妙見堂  
    妙見堂
        池上妙見堂    2019.6.2

「池上のあじさい寺」といわれる妙見堂は、日蓮宗に属す池上三院家の1つ。本門寺の五重塔から池上会館へ向かう先にある。 ふだんはあまり人通りの少ない場所にあるお寺だが、妙見坂はこれからの季節にはアジサイ坂と化すという。

3年前の正月、りんりんと自転車で「池上七福神めぐり」をしたことがあった。妙見堂は、石段の下で待っていて、彼が御朱印をいただいてきたことを思い出した。

  妙見坂
       冬の妙見坂    2016.1.6

Sさんから送られてきた妙見堂のハートマークをLINE仲間に送ったところ、目黒区のKさんから昨年上大崎で撮った少しふっくらしたハートが送られてきた。

    Kさん

「ハート型アジサイ」を検索してみた。2010年頃から宇治市の三室戸寺のハート型のアジサイが一躍有名になったという。この寺は「花の寺」として知られ、「あじさい寺」とも称される。
数多くの紫陽花の中からハート形の花を見つけると、恋が叶うと言われているとか。

ハート型のアジサイは、通常のセイヨウアジサイの花が重みで垂れ下がってできるため、最初からハート型のアジサイがあるわけではなく、またいったんハート型になってもさらに形が崩れるため、数日間しか見ることはできないのだとか。

今年はほぼ毎日コンスタントに歩くようになった。どちらかというとガクアジサイの方が好きで、最近はカシワバアジサイなどに目が行くことが多いが、恋の成就はともかく、ハートマークを探しながら歩いてみるのもいいかもしれない。
植物など

庭のアジサイ

2019年06月04日
玄関前から門の間に4種類のアジサイがある。そのうちの2種類は母の日のプレゼント。
挿し木したものも土に移したものもずいぶんと大きくなった。

    2017
               2017.6.13
   2019
                2019.6.1

   2019
               2019.6.1

     2009
               2009.5.19
       2019.6
                2019.6.3

    4033no1.jpg
        カシワバアジサイ   2019.5.14
  4033no2.jpg
                    2019.4.30
  4033no3.jpg
                    2019.5.27
   4033no4.jpg
                     2019.6.1

梅雨入り間近。雨の日の外出は好きではないが、門を開け閉めする度に目に入るアジサイは鬱陶しさをしばし忘れさせてくれる。
植物など

宗観好みの茶器 6月

2019年06月03日
母が大切にしていた12種類の茶器が、『宗観好十二月茶器の研究』に詳しく解説されている。「宗観好十二ヵ月の棗」は、井伊宗観、つまり井伊直弼が自らの意匠と詳細な指示で、幕末の名工である八代中村宗哲に作らせたという月次茶器のこと。
これらは藤原定家の『詠花鳥倭歌』の本歌取り、そしてこれらの歌をモチーフにしたのが江戸期の『十二ヶ月花鳥図』だということがわかった。(十二種類の茶器宗観好みの茶器三月宗観好みの茶器4月宗観好みの茶器五月

六月  撫子に鵜飼 
摺漆塗 金輪寺 高さ 7.1cm 径 6.9㎝
旧暦六月は「水無月」ともよばれ夏の終わりである。鵜飼ははなやかで、また、ものさびしい夏の風物詩。

     六月
         撫子に鵜飼
        p25    六月

塗は生地に生漆を摺り込んだ摺漆塗となっているが、漆の量が多く溜色を呈している。
十二月の老松茶器の春慶塗に通じるものがある。
   
本歌
   六月  常夏  大かたの日かげに厭ふ水無月の空さえ惜き常夏の花
   六月  鵜   短夜の鵜川にのぼる篝火のはやく過行く水無月の空
 
  六月

晩夏の六月に金輪寺を用いたのは本歌が蔦であるため晩冬の十二月の老松茶器の材質と形の好対照のためだろうか。

       12月
              12月
             枇杷に千鳥  

鵜飼は、筑後川流域など各地で行われるが、有名な岐阜県長良川では5~10月に行われる。撫子も今、見られる花。
これからは鬱陶しい梅雨の季節。6月は旧暦であれば晩夏なのだが。
身近な人びと

病は気から?

2019年06月02日
Oさんのお宅にKさんとお邪魔したときのこと。リビングや玄関などの壁に張ってある数枚の画についての話になった。これらの絵は「クスリ絵」といって眺める・触れるだけで体の不調が消え、運気が上がる幾何学アートとか。

  本

Oさんは『クスリ絵』という分厚い本を出して見せてくれた。丸山修寛医師が研究・開発したオリジナルの治療法だという。
「気に入ったのあったら持って行って」と言われ、『クスリ絵』の厚い本をパラパラめくっていたKさんが選んだのは明るい色が何色も使われている曼荼羅だった。その前ページに書かれている説明を読んで、彼女はときどき頭痛に悩まされるので、この絵はピッタリだというのには驚いた。
   
何より彼女がこういった絵を選んだことが意外だったが、「ここには虹の色が全部入っているわ!」と喜んで持って帰ることに。
私はといえば、気になる絵が多いこともあり、ゆっくり見てみたいのでこの本を買うことにした。

「クスリ絵」は部位別に分かれている。「頭部・目の不調」「胃腸・膵臓の不調」「首・肩・腰・足の不調」「心の不調」などほぼ全身におよび、さらにそこから詳しい症状別に絵が並ぶ。
曼荼羅のような図形、幾何学模様を取り入れたもの、古代文字をモチーフにしたものなどバラエティ豊かなデザイン。

   サクセスボール
        サクセスボール

「クスリ絵」は丸山医師が神聖幾何学や数学、量子物理学、カタカムナ(古代文字)、東洋医学などの概念を取り入れて20年以上かけて研究・開発したもの。そのどれもが、生命エネルギーの調整や人間が持つ自然治癒力、潜在能力を引き出すのに最適な形や色で構成されているという。   
見たり、触れたりすることで、潜在意識に働きかけて、生命エネルギーを補い、不調を引き起こす原因となる負の記憶を一掃する。
マイナスの記憶が取り払われると、人間が本来持っている免疫力が上がり、潜在能力が引き出されて、不調や問題が次々と解決していくという。

気の流れをよくしたり、関節の可動域をよくしたりと、実にありがたい。副作用が少なく、経済的負担も少ないのに効果が高いという「クスリ」としての側面だけでなく、生命エネルギーを高めることによる「開運効果」もあるという。果たして効果はどうなのか?

膠原病で悩まされていたOさんによれば、効果あるようだという。腹痛のときにこの絵をお腹の痛いところに当てていたらよくなったと、少しクシャクシャになった絵を見せてくれた。
模様や図形、色などを感じ取ってそれを脳に伝える皮膚。手で触れたり、服の内側(内服)、皮膚で感じ取るといった昔ながらの治療法は有効だろう。

本を手に入れてまず、切り離して手元に置くために選んだのは、「シッティングブッダ」という絵。ブッダが座禅し、円陣を組んでいるようにも見える。
長時間のデスクワーク時に活用するといいようだ。椅子の背もたれに置いたり、お尻の下に敷いたりすると腰痛改善にも役立つという。目のヒーリングにも効果的。視野も広がるのだとか。瞑想効果があるというように絵を見ていると落ち着くのでもっとも気に入っている1枚。   
「サクセスボール」は(成功へと導く力も秘めている 胃腸をケア 免疫力の向上)。ときどきほかの絵と取りかえてみようと思っている。

   sitting budda
         シッティングブッダ

   4031no01.jpg
        曼陀羅ボルテックス

この絵は甲状腺を活性化、喉の不調を緩和、代謝ホルモンのバランスを調整と書かれている。今はスマホのホーム画面にしているので、もっとも目にしているかもしれない。 

わが家に見えたときにKさんが選んだ1枚は「バランシングフラワー~調和~」。これはストレスによる胃痛のケア。
本から切り離して差し上げた。翌日みえたMさんの選んだ「スーパーあんど」は、頭痛、胃痛、風邪対策。彼女は効能を読まずに絵で選んだ。ピンク系が好きなのだとか。

  バランシングフラワー
      Kさんの選んだ1枚
  
  4031no3.jpg
      M さんの選んだ1枚

「病は気から」の「気」とは、気分とか感情というのでなく、東洋医学でいう「気血水」の「気」だという。身体の中の経絡を通って巡る「気」が滞ったりすることが病気の引き金になるといった意味という。
東洋医学的には肺が大気から「気」を取り込む、脾臓が食物から「気」を取り込む、腎臓(泌尿生殖器全体)が「気」を貯めると捉えられているのだとか。

「腰痛の緩和」というクスリ絵を眺め始めたのとAKA博田療法を始めたのはほゞ同時。どちらもOさんのおススメ。
果たしてどちらが効いたのか、どちらもよかったのかはわからないが、あれほど辛かった腰痛が改善したのは嬉しい。
絵画・博物館

麦架け

2019年06月01日
気温は高いがカラッとした日曜日、朝9時から麦刈りにごんさんと参加した。

 9:00
         麦刈り前 

麦畑を見るのも初めて、麦刈りも初めての体験。遠くから見ているのと実際に麦に触れるのとでは大違い。
軍手やシャツに小さな棘が刺さってチクチクする、目にも粉のようなものが入ったのか、何度か痛い思いをした。
何より木陰で休憩していても照りつける強烈な日差しには参った。 (麦刈り

刈り取った麦を博物館へ運ぶ。2台目のバンが出たとき、2人で博物館へ移動した。干場の方は日陰だろうと思ったこともあるが、いろいろな作業を体験したいということもあった。
ところがこちらもなかなか大変。こちらにはF氏のほか2人しかいなかった。架ける前にチェックするとゆるい紐かけの束も多い。炎天下の畑でしゃがんで紐かけをするのは重労働にもかかわらずかなり高齢の女子が携わっていたのを思い出した。結びなおす作業が加わり手間がかかった。

   積み下ろし
  架ける

バンに乗り、麦の束を渡していく作業は2台分。一体何束あったのだろうか。あまりの豊作に梯子が足りないのでは?と心配したほどだったが、12時過ぎに何とかすべて架け終わり、久しぶりに達成感を味わうことができた。
一段落したので先に失礼した。心配した腰痛はなかったが、火照った顔は夕方になっても治まらなかった。
軽い熱中症になったのは、50代の女子?のみ、博物館で少し休んだ後は麦を架けたり、紐を結びなおしたりとすっかり回復した様子だった。

    架ける

翌日の太極拳に行くときに少し遠回りして畑を通った。麦のあった場所はすっかりきれいに片付いていた。
来年はまた、違う場所を耕し、種子を蒔くのだとか。
 
 麦刈り後
         麦刈り後 

今年度の予定表をみると、3月に土寄せ、4月に麦の支柱たてをし、5月末の麦刈りのあと、6月には麦わら切り。
10月になると、種蒔き、12月に土寄せ、来年1月には麦踏みがある。とくに麦踏みは今から楽しみだ。
植物など
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