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勾玉

2019年07月31日
大田区立郷土博物館で開かれた夏休みの体験学習「勾玉づくり」を通して、あらためて勾玉の不思議な魅力を感じている。(勾玉づくり) 

勾玉とは、古代の人々が石で作り、首にかけていた装身具。勾玉の始まりは、狩猟した獣(熊、猪、狼)などの歯牙に穴をあけ、首にかけたものと言われている。主に弥生時代や古墳時代に人望や尊敬の証として用いられていたと考えられ、またお守りや魔除けの意味合いもあった。
大阪府の池上曽根遺跡という、弥生時代の中でもかなり規模の大きな集落跡には非常に大きな神殿があったことがわかっている。26本の柱のうち傷ついていない柱は1本だけ。その柱の下にはヒスイの勾玉が埋まっていたという。

『古事記』には「曲玉」、『日本書紀』には「勾玉」の表記が見られる。語源は「曲っている玉」から来ているという説が有力。
勾玉の形は、「胎児」「動物の牙」以外にも「月の形」や「魚」が由来なのではないかといわれる。
古代の人々は勾玉1つを作り上げるのにおよそ11年かかっていたといわれている。当時の平均寿命15年程度と言われるため、まさに物心付いたときから一生を懸けて作ったことになる。

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      勾玉製作資料  國學院大學博物館蔵 

1年前、國學院大學博物館で副館長によるミュージアムトーク「勾玉を語る」に参加した。(國學院大學博物館 勾玉

日本書紀、古事記などで勾玉に関する記載があり、縄文時代とみられる遺跡から出土している事実があるが、朝鮮半島でもヒスイでできた勾玉が韓国で発掘されているが、韓国本土ではヒスイの産出はなく、日本産の勾玉が輸出されて海を渡ったのではないかと考えられている。

博物館の体験学習「勾玉づくり」当日、勾玉についての本やさまざまな石が並べられ、実際に触ったり手に持ったりして、古代からさまざまな石が勾玉につくられていたことがわかる。
勾玉はその後、つくられなくなったという。おそらく、仏教の伝来と関係があるらしい。

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今回勾玉につくったのは鉱物の中でもっともやわらかい石の1つ「滑石」。色は一般に白でろうそくの蝋や真珠のような光沢を持っているために、これを主成分とする岩石は「ろう石」と呼ばれることもある。

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             滑石

ヒスイを原石にした糸魚川周辺(新潟県)とメノウを原石とした出雲地方(島根県)が代表的な生産地と言われている。
日本各地の古墳、遺跡から出土した勾玉の中には、ヒスイ製、メノウ製とともに滑石製のものも多く含まれている。
友の会のOさんは、来月、富山に行くので、ヒスイ海岸(宮崎・鏡海岸)でヒスイを探すと張り切っている。
スマホケースのストラップは、小さいが糸魚川のヒスイ製の勾玉。これをつけてから気のせいか前向きになったようだ。
絵画・博物館

勾玉づくり

2019年07月30日
夏休みの自由研究のためか、子ども対象の体験学習があちこちで行われている。サマーキャンプとか変わったところでは明治神宮の「子供神社体験学習」(1泊2日)といったものから、町の掲示板で学校や町会などによる木工教室などの案内もよくみかける。

大田区でも海苔のふるさと館や郷土博物館などで体験学習会が開かれている。
博物館では「勾玉づくり」「大森麦わら細工」「大麦の脱穀と麦粉菓子づくり」「六郷トンビ凧づくり」のほか、「多摩川台公園古墳探検ツアー」などが企画されているが、「勾玉づくり」は、小学1年生から参加できる会のため、午前午後、各30名のところ毎年キャンセル待ちが出るほどの大人気。(勾玉

サポートには友の会メンバーが自作の勾玉を下げて参加。今年はベテランのK氏と入会1年未満の3人。
1週間前、勾玉づくり未経験の3人は学芸員に習って自分の勾玉をつくった。セットには、すでに穴が開いている滑石(ロウ石)と紙やすり、紐などがセットされている。粉だらけになるため、エプロンとマスクは必携。

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       勾玉セット     完成品

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当日は心配された台風の影響はなくなり、午前、午後とも親子、兄妹姉妹、友だち同士で参加の小学生のほか付き添いの保護者たちが集まった。とくに午後の部は両側に並べられた椅子は満席になった。

まずはS学芸員の「勾玉について」のレクチャー、途中で「宝莱山古墳」の展示を見に展示室へ移動。多摩川台古墳群で発見された滑石製の勾玉を鑑賞。

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      午前の部(上)    午後の部(下)
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        展示室へ

いよいよ勾玉づくり開始。セパレートボックスの中で滑石を紙やすりで削っていく作業。途中で飽きて、削ってたまった粉で遊び始めたりする子もいる。母親は妹が小さいから終わったころに迎えに来るという。全面的にサポートが必要だった。
じゅんじゅんと同じ小1男子、扱いは慣れているつもりだが、叱咤激励するもなかなか難しい。退屈してボックスの中の新聞紙をやすりで切り始めたり、そんなときはほかのメンバーにバトンタッチ。

すぐ後ろの席の3年生男子2人、粉だらけの手でカメラを操作しているので、撮ってあげて以来、彼らのカメラ係を引き受けた。
「社会のY先生は何でも知っているんだ。結構オタクだよね・・・」。学校の様子をきくのも楽しい。会話を楽しんでいると、他の子どもから声がかかる。

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      クラスは違うという2人

午後の部では姉妹で参加の妹の方の進み具合がかなり遅れていた。2人の間には父親、妹の方は手を出すのを嫌がっていると父親からSOS。ある程度削って父親に渡した。

石を濡らしたまま、フェルトで磨こうとする子に注意したり、長さを調節できる紐の結び方を何人かに教えたり、2時間経たないうちに仕上げに入った子も多くなった。
「勾玉づくり」は初めてという子が多かったが、2回目、3回目、さらに6回目という6年生男子も。彼は小学1年生から参加しているとか、今までの作品を披露。昨年、今年はオリジナルデザイン。

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    水の中で磨く      6年生の作品

朝9時から夕方5時まで、これほど動いた日はここ数年なかったように思う。AKA療法を受けたお陰か、気分の問題か、腰痛はまったく感じることなく、夏の楽しい思い出になった。
はじめての夏休み、スタンプラリーをやっているじゅんじゅんだが、来年は「勾玉づくり」を勧めよう。
旅・散策・イベント

「技術の宇宙」

2019年07月29日
大田区は、日本の産業を支える「モノづくりのまち」。機械部品や金属工業を中心に、従業員9人以下の工場が約8割を占める3500軒の町工場が集まる。製造業の事業者数も従業員数も23区中最多。昭和50年代のピーク時は、工場数が9000軒を超えた。

JR蒲田駅に隣接する大田区役所の3階から11階のおよそ30mの吹き抜け空間には、大小さまざまな工業部品のアートモビール「テクノコスモス」(「技術の宇宙」)が下がる。区内の製造工場でつくられた小さなスプリングからロケットの先端までの103品目、836個が50本のワイヤに連なっている。
1998年、庁舎が現在地に移転したのを機に設置された。制作監修は美術家の逢坂卓郎氏。98年度ディスプレイデザイン コミュニケ―ション部門優秀賞/特別賞を受賞。

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        テクノコスモス    2018.3

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区役所を訪れる度にアートモビールを眺めるのが楽しみになっている。(蒲田駅周辺のオブジェ
今までは上の階から見下ろすことが多かったが、先日、1階から見上げたとき、まさに宇宙の中にいるような不思議な感覚を覚えた。

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        1階から  *Click!
    
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       モビールアート *Click!
旅・散策・イベント

ここにも匠の技

2019年07月28日
今年4月に大田区蒲田にグランドオープンしたホテル オリエンタルエクスプレス 東京蒲田は、京浜急行蒲田駅から徒歩3分、羽田空港国際線ターミナル駅から快特で5分とか、アクセスは抜群。

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     金属網にも匠の技
  
地元の町工場10社以上とコラボし、実際に使用されていた製造機器や工業製品をロビー天井の金属網、客室廊下の金属製の波板、フロアナンバーなどに取り入れられている。町工場の雰囲気と、その匠の技がホテルのインテリア、デザインなどの細部に見え隠れするという。

蒲田がある大田区は、約3500もの工場が集積する「ものづくりのまち」として知られている。
ほとんどが従業員9人以下の小さな町工場だが、その特徴は、
「高度な技術力」-工場が集まるとお互いにもっと良いもの作ろうと競うため、高い技術力が育つ。
「仲間まわし」-工場から工場へと加工をまわすことによりひとつの部品(あるいは製品)を作り上げる。
「住工調和」--住宅と工場がひとつの地域に混在している。(「モノづくりのまち」 モノづくりの街)

かかりつけの病院ならぬ薬局がこのホテルの近くにあることがわかり、先日、足を伸ばしてホテルの前まで行ってみた。
思い切って入ってみると、エントランス入口には歴史を感じさせる旋盤機が置かれていた。

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      エントランスに置かれた旋盤機

フロントには大田区初の多言語対応の自動チェックインカウンターを導入。精算だけでなく、チェックインからチェックアウトまで自動で完結するという。

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フロアナンバーはそれぞれの階で異なるというが、入るとすぐ左側に各フロアナンバーで使われた技術の解説が一覧できるようになっている。1Fから「合せる」「掘る」「削る」「折る」「磨く」「曲げる」という技術が生かされている。

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   「合せる」 「掘る」 「削る」 「折る」 「磨く」 「曲げる」
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      4F「折る」     フロアナンバー
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      6F「曲げる」    フロアナンバー
 
ロビー横のカフェもおしゃれ。全長6mの鉄板を折り曲げて製作された照明はまさに匠の技が生かされている。
   
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お茶をしたかったが、宿泊者限定だった。薬局から呑川親水テラスを通ってだいぶ歩いたが、帰りは京急蒲田駅は近かった。
もともと羽田空港に近くアクセスはいい蒲田は、銭湯めぐりをはじめとして日本文化を体験できる施設や下町の風情を残した飲食店など、旅を愉しめるスポットかもしれない。
連携している音声ガイドアプリ「ON THE TRIP」で、館内の工場製作品にまつわるエピソードを聞くこともできる。

ロビーでしばし展示を見ていると、「わあ、涼しい!」と小学生の女の子と母親が袋を下げて入ってきた。近くに買い物に行ったのだろう。夏休みが始まって1週間ほど経ったころだ。
旅・散策・イベント

馬込半白節成胡瓜 Ⅲ

2019年07月27日
今日は「スイカ」の日。スイカのさらなる消費増加を願って、生産者が共同で制定。スイカの模様が綱に見えるということで、な(7)つのつ(2)な(7)=「夏の綱」の語呂合わせから。
スイカの果実は園芸分野では果菜(野菜)とされるが、青果市場での取り扱いや、栄養学上の分類では果実的野菜に分類される。
スイカの生産において圧倒的な地位を占めるのが中華人民共和国で、収穫量1位、世界の80%近く。

スイカの種は、縞模様の位置に集中して配置されているので、種を取りやすくするには黒い縦じま部分に包丁を入れてカットすればいいとか。スイカは好きではないため、はるか昔子どもたちがスイカ割りをしたとき以来、食べたことはない。そんなわけで、正直どうでもいいのだが。

スイカはウリ科。キュウリ、スイカ、カボチャ、ズッキーニ、ヒョウタン、ヘチマ、トウガン、テッポウウリ、ユウガオ、ツルレイシ(ニガウリ、ゴーヤ)、メロンなど多くの種が古くから果菜や果物として栽培されてきた。

キュウリゴーヤが同じウリ科、雌雄同株だということをあらためて知った。茎や葉がしっかりするまでは雄花ばかりが咲きつづけるのは毎年緑のカーテン用に育てるゴーヤだけでなく、馬込の郷土博物館周辺の「半白節成胡瓜」も同じだとわかった。
その郷土博物館の馬込半白節成胡瓜だが、今年の出来はよくない。現在、タネをとるための胡瓜が2本下がっているが、ほかのキュウリはなかなか大きくならない。

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                  7.12

だが、萬福寺前のバス停近くのお寿司屋さんの脇に植えられた半白胡瓜は跡形もなくなっていた。
たしかたくさんなっていたのを見たのは7月初めだったから、タネ用キュウリもでき、いくつも収穫できたのだろう。

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         郷土博物館のタネ用半白キュウリ  7.19

博物館の苗と同じタネからとれた2本の苗を育てているKさんのお庭では、すでに何本も収穫して、酢の物やヌカ漬けとして食卓に上がったそうだ。
先日、そのうちの2本をいただいたので、早速、酢の物でいただいた。皮が硬いて剥いてしまったせいか、シャキシャキした歯ごたえは減ったが、とてもおいしかった。

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        Kさん宅の半白キュウリ  7.15

それにしても今年は太陽がどこへ行ったのだろうと思うような寒い7月になった。記録的日照不足のために夏野菜は生育不良のため高騰、夏休みが始まったというのにプールは閑散、体調を崩した人も多いとか。本格的な風邪をひいてしまったのは、水止舞で水をかぶってしまったからではないだろう。
植物など

一服の涼?

2019年07月26日
「先ほどNHK『土曜すてき旅』で、大田区の海浜を中心に放送していました。その中に水止舞があり、今年初めて舞手になった女子中学生の稽古から出演までがありました。面白そうなので、来年はみたいですね!」すいよう会のO氏からLINEが来た。
今年の「水止舞」に行くかどうか迷っているとO氏に書いたから行かなかったと思ったのだろう。

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            水止舞   2019.7.14

毎年7月14日に行われる大田区大森の厳正寺の「水止舞」、郷土博物館でこの展示はみたことがあるものの、実際の祭りには行ったことがなかったが、結局、Oさんと出かけ、すっかり水をかぶってびしょ濡れになってしまったこと書いてを数枚の画像とともに送った。
NHKラジオの『音の風景』取材班の人は隣にいたが、テレビの方は「花籠」と呼ばれる女の子を追っていたのか、とにかくプロ・アマのカメラマンたちも容赦なくバケツの水が浴びせられていた。(小雨の中の「水止舞」)

「私のふるさと富山では、5月と10月に大きな祭りがあります。春は、30くらいの町内全てが、獅子舞を早朝から夜遅くまで舞っています。私も学生時代に、太鼓を叩き、町内巡りをしたことがあります!
秋は、13台の山車が出て、昼だけでなく、夜は提灯をつけて、各町内をめぐります。一度だけ、山車の中で太鼓を叩いたことがあり、また、家の内外で、皆でお酒を飲み騒いだことなど、懐かしい思い出です」


O氏とはおおた区民大学の後、今年になって自然発生的にすいよう会ができた。区内を一緒に散策するようになって半年余、女子4人組とは早々始まったLINEだが、メールの連絡だったO氏とLINEでつながってから間もなくひと月。彼の属している生涯学習関係のことなど真面目な話題もあるが、「雨男」だの「晴れ女」だの、ああでもない、こうでもないと結構、LINEらしからぬ長い文章が行き交うこともある。

O氏のふるさと富山のお祭りは「おわら風の盆」しか知らない。故郷のある人が時々羨ましいなと思う。
富山県といえば、はるか昔スケッチ旅行で訪れた五箇山の管沼集落。そして白川郷など雪の中レンタカーで周った旅は忘れられない。
「菅沼は富山県、合掌造りで世界遺産になってます。おわら風の盆は、八尾市で山に近い方です。私は射水市(旧新湊市)で、海までの距離が200メートルのところでとれました!」

1995年に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録された白川郷や管沼集落を訪れたのは2000年の2月末。
観光客が多いかと思っていたが、さすがに、雪の深い時期だけあって、学校帰りの小学生に出会ったくらいで、中でも、五箇山の菅沼集落は静かだったことを覚えている。

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           管沼集落  2000.2.28
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アルバムを出してみた。何と若かったこと!大雪の中をレンタカー(A氏運転)でSさん、Sさん、Mさんとの5人の旅。そんなことを書いてO氏に菅沼の写真を送った。
「20年前ですね!時間をあまり気にせず働いていた頃ですね。大雪と寒さにびっくりしたことでしょう!」とO氏。スケッチ旅行と称して遊び回っていたころが懐かしい。

このころのスケッチ旅は雪の中が多いせいか、大雪に驚くというよりむしろ、童心にかえって雪だるまをつくったり、雪合戦したり・・東京では体験できない楽しい旅だった。下北半島では雪吹にも出遭ったし、美山・三方五湖、新潟県高柳の環濠集落も雪の中。不思議なことに寒さの記憶は残らない。(雪の中のスケッチ旅行雪下ろしの体験
これからますます暑くなる夏、雪の中の旅の風景を思い出すと少しは涼しくなるといいのだが。
旅・散策・イベント

モデルになった貝たち

2019年07月25日
わが家まで1時間かけて月1回、デッサンに通われていたKさんが亡くなってもう8年が経つ。彼女からは岩絵の具や額のほか、モチーフ用のホネガイ、オウムガイなどの貝もいただいていたが、写生したのはオウムガイだけ。

この春から始めた「断捨離」で、まずは先月の博物館の友の会の集まりのとき、わが家にある貝を持っていった。
この会には土器や石器だけでなくさまざまな分野に関心がある人が集まっている。とくに仕事で海外を飛び回っていたK氏は世界の貝について実に詳しい。この日持参した貝すべてをもらっていただいた。

ホネガイ アクキガイ科  殻高さ 約10cm  房総半島以南  熱帯太平洋地域に広く生息
棘のような長い突起が特徴。この突起は等間隔で規則的に並んでおり、120度ごとに綺麗に3方向に分かれて並んで伸びている。下方に伸びる長い水管の部分には直角の方向にも短い突起が見られる。
ホネガイは貝を食べる肉食性の動物であることでも知られ、強靭なヤスリのような歯を使って成長の際に邪魔になった自らの貝殻の突起を切り落として成長していく。また、この棘状の突起を作るには通常、半月以上かかるとされている。

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          ホネガイ
 
クモガイ  スイショウガイ科  殻高さ 約16cm 紀伊半島以南  水深10mほどまでの砂地に生息。
殻口の外唇は広く開き、その縁に上下合せて7本の指状突起がある。幼貝では突起は発達していない。
この形をクモに見立てたのが和名の由来。肉は食用、殻は飾りものになる。

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          クモガイ

オウムガイ  オウムガイ目 オウムガイ科に属する軟体動物  大きさ30㎝ 
南西太平洋からインド洋にかけてのサンゴ礁が発達する熱帯域の水深150~300 mの範囲に生息。
はっきりした茶褐色の放射色帯を持つ、横から見た巻き込んでいる殻の形がオウムのくちばしに似ていることからこの名前が付けられた。
足は60~80本程あるが、同じ仲間のタコやイカのように吸盤はなく、また、素早く動きいて生きている魚を捕らえることはできず、主に魚やエビ、カニなどの生物の死骸を食べているらしい。

殻は、巻き貝のそれによく似て見えるが、内部の構造は大きく異なる。巻き貝の殻は、「気房」と呼ばれる細かい部屋をもたずに奥までが一続きでほとんど奥まで肉が入っているのに対し、オウムガイの殻の内部には規則正しく「気房(きぼう)」に分けられている。もっとも出口に近い部屋が広く、ここに体が収まり、それより奥は空洞。
オウムガイはこの「気房」にガスを満たすことによって海底に沈むことなく浮かび、ガスによって得られた浮力と口から取り込んだ海水を漏斗から勢いよく吹き出すことによって、進行方向に泳ぐことができるという。本体が死んでも殻は浮くため、まれに日本にも死貝が漂着する。

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         オウムガイ

オウムガイ類は、古生代後期の海の王者で、「生きている化石」といわれるが、遺伝子を用いた研究では現在のオウムガイは古くて500万年前に現れたとされ、それほど古くはないともいわれる。また、絶滅の危機に瀕している生物のように思われがちだが、進化の途上にあるという考え方もあるとか。
動物など

縄文人が食した貝

2019年07月24日
縄文人は、主に台地の上に住み、数軒から数十軒の竪穴住居によって構成されるムラを営み、狩猟、採集、漁撈などによって支えられていた。煮沸具としての土器の使用は、食べ物の範囲を広げ、縄文人の食生活を豊かにしたといわれる。
 シイ、カシ、ナラなどのドングリ類、クルミ、トチ、クリといった木の実、シカ、イノシシなどの動物、スズキ、クロダイ、マダイなどの魚類、ハマグリ、バイガイ、アカニシ、アサリ、カキなどの貝類が中心だった。(明治大学博物館 縄文人はグルメ縄文の森

1877年、腕足類研究のため来日したアメリカ人動物学者エドワード・モース氏によって発見、発掘された「大森貝塚」は日本考古学発祥の地といわれている。
貝塚の位置については、近年の調査により、品川区大井6丁目の「大森貝塚碑」付近であることがほぼ確実になっている。
大田区側にも「大森貝墟碑」」が建てられている。どちらの碑も国指定史跡となっている。

大森貝塚  縄文時代後期・晩期
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   日本考古学発祥の地 大森貝塚 

大田区で発見された「地点貝塚」の1つ、「田園調布南遺跡(都立田園調布高校内)」の第7号土坑からはブロック状の貝層が認められる。(はるか昔に思いを馳せて大田区の縄文遺跡

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     地層剥離標本 縄文時代前期        

土坑の中にはハマグリ、マガキを主体に、ヤマトシジミ、アカニシなどの貝の体積が、3つのブロック状となって捨てられていた。そのため、地点貝塚(廃棄された住居の竪穴に貝が捨てられてできた貝塚)的性格をもつ土坑ではないかといわれている。
なお、土坑内の土壌分析中に天然真珠や孔雀石製装飾品も発見された。

昨年11月、1階ロビー展示では、区内の遺跡から発見された貝類が展示された。(画像は一部)
ハマグリ、アサリ、ムラサキガイ、バイガイ、オキシジミ、ヤマトシジミ、シオフキ、マガキなど、その種類の多さに驚いたことを覚えている。

田園調布南遺跡  縄文時代前期
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  バイガイ カガミガイ ムラサキガイ イガイ オキシジミ  
  シオフキ アカニシ オオノガイ ツメタガイ ヤマトシジミ
    
下沼部貝塚  縄文時代後期・晩期
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    オオタニシ  イボウミニナ マガキ  イタボガキ
    バイガイ    シオフキ  オオノガイ アサリ
    オキシジミ   ハマグリ  
動物など

ゴーヤのふしぎ

2019年07月23日
今日は24節気の1つ「大暑」。大暑の頃は日本では多くの地域で梅雨明けを迎え、安定した夏空が広がるようになる。
暑さの本番はこれからで、8月上旬~中旬にかけて暑さのピークを迎える。

街を歩いていると、ゴーヤの緑のカーテンをつくっているお宅が多く、黄色い花やすでに実になったゴーヤが目に留まる。

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                    2019.7.6

7月になってベランダの鉢に植えたゴーヤは順調に伸びて、雄花を咲かせているが、まだ、緑のカーテンにはほど遠い。(ゴーヤのカーテンゴーヤ三昧ゴーヤのその後ゴーヤの夏

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                     2017.8

田中修氏は、『植物はすごい 植物の七不思議篇』「ゴーヤの七ふしぎ」を読み返してみた。

緑のカーテンはなぜ涼しいのか?」
緑のカーテンの特徴は、葉の緑色の効果、花や果実を期待しての栽培の楽しみ、太陽熱を遮断することによる節電に役立ち、温暖化に貢献する。
さらに緑のカーテンが簾やよしずと異なるのは、カーテンを構成している個々の緑の葉が盛んに汗をかくということ。汗をかいて温度の上昇を抑えるので、緑のカーテンが太陽の熱で温められることはないという。

なぜ、雄花と雌花に分かれているのか?」
多くの植物たちは、暑さに強い子ども、寒さに強い子ども、乾燥に強い子ども、日陰に強い子ども、病気に強い子どもなど、いろいろな性質の子孫を生みたいのだという。いろいろな性質の子孫がいると、自然というさまざまな環境の中で、どれかの子どもが生き残り、その種類は存続していくことができるからで、その思いが形になったのが、雌雄同株と思えばわかりやすいという。

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      小さな実と雌花   2017.8    雄花   

なぜ、花や実が落ちるのか?」
ゴーヤが雄花と雌花に分かれていて他家受粉を行うのは、より強くて丈夫な子孫を残すため。しかも、ある時期まで雌花は全く咲かないという。
雄花の役割は、花粉をつくり、雌花のメシベにつけること。その役割が終われば、枯れ落ちたり、萎れることになる。

株が充実する前に実がなってしまうと、株がそれ以上生長することができなくなって、実のなる数が少なくなってしまう。
株が充分成長したころに雌花が咲き、たくさんの雄花が用意した花粉が虫によって雌花に運ばれ、ゴーヤは確実にたくさんの実をつけるというのは納得できる。
ベランダのゴーヤは雄花ばかり。だが、90%は雄花というから心配することはなさそうだ。

表面のブツブツは何の役に立つのか?」
ゴーヤの表面のブツブツの役割?考えたことはなかった。
田中氏によると、この表皮で覆われていると、夏の強い太陽の光で乾燥することにも耐え、果実が水不足になって干上がるということもない。虫がかじるだけでも大変だし、タネが育っている果実の中の部分は食べられることはない。強い光が当たると、タネに害を与える有害物質が発生する。ブツブツはデコボコをつくって影をつくり、太陽の光が実全体に直接当たらないようにしているのだという。

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                2017.8
        
「なぜ、果実は苦いのか?」
ゴーヤチャンプルになる緑色の果実、これは成熟する前のもので、苦みが少しある。この苦みは果実が熟すまでは、中のタネを動物に食べられないように苦みで守っているということになる。

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               2017.9

熟した黄色のゴーヤは放っておかれると、「美味しくなった実をみせびらかすように」割れてくるという。
このころの果肉は甘みができ、スプーンですくって食べることもできるという。

そういえば、何度かこういった爆発したゴーヤをみているが、食べる勇気はなかった。やはりゴーヤチャンプルが一番だと思っている。今年は苗を植えたのも遅ければ、梅雨も長かったせいか、数年前のような大豊作は望めないだろう。
植物など

自習はどこで・・・?

2019年07月22日
先日、東急線武蔵小杉に直結した高層ビルの5~6階にある川崎市立中原図書館に行った。この図書館は、川崎市の中央図書館としての機能を持ち、専門性の高い蔵書を揃え、自動書庫、自動貸出機など最新鋭の設備がいくつも揃い、ネットなどが使えるコーナーもある。エレベーターから出ると窓の外に緑の芝生が広がり、ビルの中にいることを忘れる。

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      川崎市中原図書館

201席ある閲覧席は、一般、社会人専用席、児童席、小中高専用席などに分かれている。驚いたのは平日の午前中だったにもかかわらず、閲覧席、自習スペースは空席がなかった。駅に近いということもあるだろうが、大田区内の図書館ではこういった光景は見たことがなかった。
JR大森駅に近い入新井図書館もビルの中にある。比較的新しいため、設備も整っているが、この中原図書館ほど混んでいたことはなかった。

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         ビルの中の入新井図書館

図書館のサイトには、開館前の整列方法が載っていた。5階エレベーターホールに並ぶこと、土曜日・休日・学校休校期間には、4列に整列する場合があること、エレベーターホールが満杯になった場合、安全確保のため、入場を制限する場合があるというもの。
今度はもっと早い時間に来なくては駄目だと思った。大田区には17もの図書館があるのに、わざわざ神奈川県まで行くこともないのだが。

公立図書館で持ち込んだ資料で自習していいのか、以前から議論されている問題がある。
図書館の閲覧席は、「資料を閲覧する、資料を使って研究・調査・学習をする」ための席と位置づけられ、「学習室」を設けている館はごくわずか。現役の中高生、大学生や資格試験に挑戦する人たちが参考書や問題集などを持ち込んでの受験勉強や試験勉強は原則としてできないことになる。

都内では中央区、港区、品川区などを除いて自習可能としている区は少ないようだ。自習可能な図書館がある区もいくつかあるようだが、全体的にみれば、多くは持ち込んだ資料、本での自習は原則禁止している図書館が多いように感じる。

図書館には本を借りにというより、中国語の宿題などどちらかというと自習目的に行くことがほとんど。最近は図書館の方はご無沙汰気味で、カフェに行くことが多くなった。というのも区内の図書館はほとんど制覇?したので、少々飽きたのかもしれない。(2つの図書館)
大田図書館には一般閲覧席のほかに、学生閲覧席、パソコン専用席、児童用机席などがあり、学生閲覧席といっても老若男女、本を何冊も積み重ねて片っ端から読んでいる人もいれば、持ち込み可なのかどうかはっきりしないが、問題集や参考書を広げて試験勉強する人も多い。

大田区では盛んにいわゆる「生涯学習」を推奨していて、蒲田駅前図書館もある消費生活センターの2階に「生涯学習コーナー」ができたほど。ここはミーティングなどができるようにテーブルも置かれていて、すいよう会ができた当初は数回利用したことがある。
中国語学習にしても生涯学習なのだが、図書館で堂々と・・・というのはなかなか難しいようだ。図書館のような静かな環境もいいが、逆に騒がしいカフェが最近はかえって落ち着いて自習も読書もはかどる。車内も最適の読書やスマホ、ときに瞑想の時間となる。
旅・散策・イベント

「ヒヤリ・ハット」

2019年07月21日
7月の桂花会のお茶は八宝茶と2種類の安茶。八宝茶が終わると、安茶をいただきながらの発表タイム。今回のテーマは「ヒヤリ・ハット」。なかなか難しい。Sさんの「安茶について」とM氏の「アイヌの城を訪ねる旅」の話もあった。(わが「ヒヤリ・ハット」

ヒヤリ・ハットとは、重大な災害や事故には至らないものの、直結してもおかしくない一歩手前の事例の認知をいう。文字通り、「突発的な事象やミスにヒヤリとしたり、ハッとしたりするもの」である。(Wikipedia)
ハインリッヒの法則というのがある。

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10年以上前の四川省旅行での「ヒヤリ・ハット」の話はM氏。四川省には多くの世界自然遺産がある。この旅で彼が印象深かったのは、四川の劇(川劇)の鑑賞。特に古老の「變面吐火」の演技だとか。
もう1つは、日本人には非常に珍しい四川料理の数々、その中でもおいしかった料理名を尋ねて「鶏脚皮」とわかったときの「ヒヤリ・ハット」。名前をきいてからはだれも食べなかったそうだ。

O氏の話は、自宅近くの坂を自転車で下りているとき、停車中の車のドアがいきなり開き、あやうくぶつかるぶつかりそうになったこと。
以前、友人がこのような状況で右腕骨折という重傷を負った事件後、自転車に乗るときは十分注意をするようになった。とくに停車中の車の横を行くときはある程度の距離をとるようにしていたため、友人のような事故にならなかったとも。まさに「ヒヤリ ハット」ですんだことになる。

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         O氏とT氏の「ヒヤリ・ハット」

T氏の話は1ヶ月前のこと。翌日のゴルフ用にスポーツドリンクがいることを思い出し、慌てて買いに行ったそうだ。大好きなゴマ煎餅とドリンクを籠に入れてレジに来たとき、紙幣がなく小銭だけだと気づいたそうだ。ゴマ煎餅を戻し、ドリンクだけを買って帰ったという話。「ゴマ煎餅」ときいた途端、先日、Oさんからいただいた「オニザキのゴマ煎餅」がわが家にあったことを思い出して妙におかしくなった。
    
もう1つの「ヒヤリ・ハット」は、スペインに1ヶ月余の短期留学を終えての帰路、空港ロビーで仲間たちや先生のことを思い出しながらビールを飲んでいた。どうしてもパスポートが見つからなかった。最後にパスポートを使ったのはどこだったか、思い返してみた。保安検査場に急いで戻ると、係員が笑ってパスポートを返してくれたという。
何とそこで、彼はロビーに戻り、ビールを飲み干してから搭乗したのだとか。機内ではぐっすりと眠ったのは言うまでもない。

そして、もともとオッチョコチョイだというSさんは、買い物に行くのに財布を持って行かないことや、約束を忘れることも多く、「ヒヤリ・ハット」は日常茶飯事だとか。その彼女が忘れもしない出来事は今年の元旦に起きた。
新年を祝うため、家族親戚が彼女の家に集まっていた。当時2歳の孫娘が(子ども用)の椅子から突然落ち、そのまま気を失ったため慌てて救急車を呼んだそうだ。隊員に精密検査をするようにと促されて両親が病院へ連れて行ったが、結果、孫娘は何の問題もなく、元気に家に戻ってきたという。
思うに、今回のテーマ「ヒヤリ・ハット」は彼女の提案だった。頭の中にはこの新年早々の大変な出来事があったに違いない。
中国・中国の旅

わが「ヒヤリ ハット」

2019年07月20日
今月の桂花会は、八宝茶と安茶2種。八宝茶が終わると、安茶をいただきながらの発表。(それぞれの八宝茶
テーマはSさんが提案した「ヒヤリ ハット」。
Wikipediaによれば、ヒヤリ・ハットというのは、重大な災害や事故には至らないものの、直結してもおかしくない一歩手前の事例の認知をいう。文字通り、「突発的な事象やミスにヒヤリとしたり、ハッとしたりするもの」とある。

「ヒヤリとする」「ハッとする」の略語(造語?)ということはわかるが、さて、困った。今回の宿題のおかげで「ヒヤリ ハット」が日常的に、災害や事故まではいかずともニアミスは度々起きていることに気づいた。

数ヶ月前、どこかの店だったか、会計をしていた時だと思う。伝票と料金を出すと財布はリュックにしまい、お釣りとポイントをつけてもらったTカードをとりあえず後ポケットに入れて店を出た。
その後、お釣りとカードを財布に戻そうとしたとき、カードがないことに気づいた。今思えば、これが「ヒヤリ」とした最初だった。

帰宅後、もしやと思って財布の中、リュックの中を探したがカードは入っていなかった。たまっているポイントはわずか。クレジット付にしていたTカードを1年前にただのポイントカードに替えたのは賢明だったかもしれない。

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紛失後2週間ほど経ったとき、ツタヤの前を通りかかったとき、カードを作っておくことを思いついた。まだ、幸いにもTUTAYAでは使われた形跡がなかった。それまでのカードを停止し、新たにカードをつくった。

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           つくり直したTカード

Tカードを紛失してもポイントを使われるだけではないことがわかった。もし、拾ったカードで借りたビデオや本を返さないと、延滞料金が発生、カードの主が弁償しなくてはならなくなる。旧作だったら格安料金、何枚まで借りられるのだろうか、延滞料金はどのくらいになるのか、わからないが、考えただけでもゾ~ッとする。これが2度めの「ヒヤリ・ハット」。

この「ヒヤリ ハット」を中国語で訳すとなるとなかなか難しい。「ヒヤリ」で調べると、「打寒戦」「打冷戦(口語)」になる。どうもしっくりこない。「ハット」で調べると「突然」(気づく)とか、「驚く」となる。
「Google翻訳」ときたら・・・「Hiyari 帽子」!使えない。仕方ないので、「ヒヤリ ハット」のことばを使わずに書くことにした。
毎回、この宿題を始めるのはギリギリになって四苦八苦することになる。前日になって「あっ 宿題やっていなかった」と「ハット」気づくことが多い。といっても、余裕をもって始めても同じことかもしれないが。
中国・中国の旅

それぞれの「八宝茶」

2019年07月19日
桂花会の7月は「八宝茶」と2種類の「安茶」。
「八宝茶」は中国の家庭でごく一般的に親しまれている健康養生茶(調和茶)。
「八宝」とは八つの宝ではなく「たくさん」の意味。9種類の材料を混ぜても八宝茶と呼んでも差し支えはないとか。
日本では八宝茶を取り扱っている店が少ない。中国産で製造から半年前後と、賞味期限が短いということもあるようだ。

この日は8人、フルメンバーで「八宝茶」から始まった。何といっても自分で調合するのが楽しい。
Sさんが今回用意したのはさまざまな材料11種類。この中から7種類をそれぞれが選ぶことになった。例えば、香りが強い菊花とバラを選ぶのは避けた方がいいと注意を受けた。

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         菊花  金銀花 氷砂糖
          甘草   無花果   白きくらげ
        薔薇  葡萄干  枸杞   陳皮
 
紅棗(紅なつめ)・・・ 老化予防 免疫力向上
枸杞(くこ)・・・老化予防 免疫力向上
菊花・・・眼精疲労の緩和 解毒
銀耳(白きくらげ)・・・ 免疫力向上 肌荒れ防止      
無花果(いちじく)・・・便秘に有効 女性ホルモン補う
葡萄干(干しブドウ)・・・免疫力向上 貧血予防
陳皮・・・健胃 咳や痰を鎮める 
竜眼・・・鎮静 健胃 めまい 不眠
金銀花(すいかずら)・・・デトックス作用
甘草・・・鎮痛 鎮咳剤 甘味料
薔薇・・・美容 リラックス
氷砂糖
茶  屯緑

男性陣も効果をチェックしながら「まず老化予防だな」などと言いながら選んでいた。

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 枸杞 紅棗 銀耳 金銀花 葡萄干 陳皮 甘草  緑茶

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  Fさんの八宝茶  菊花 紅棗・・・ 

飲み終わったあと、枸杞の実や棗、白きくらげなどそのまま食べられるものも多い。ワイワイいいながら楽しい時間だった。
ほかにも木耳(黒きくらげ)、山査子(さんざし)、桂皮(シナモン)、蓮実などさまざまな材料が用いられる。
中国・中国の旅

小雨の中の「水止舞」

2019年07月18日
約700年の歴史を持つ大田区の厳正寺の水止舞(みずどめのまいは、古くから水害に悩まされたことから伝わる、雨を止める祈りの行事。法螺貝を吹く龍神をこらしめ、獅子舞で鎮める。都の無形民俗文化財に指定。
毎年7月14日(雨天決行)の13時から15時に行われる。

大田区立郷土博物館で「水止舞」に登場する藁の龍神や獅子たちの展示をを何度か見ているが、実際に厳正寺を訪れたことはなかった。
   
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          郷土博物館 常設

今年は日曜日、朝から雨、まるで早々と「雨乞い」をしたかのようだった。
Oさんと蒲田駅でランチ後、大森駅からバスに乗る。寺へ向かう道は傘をさしたが、境内では帽子だけでしのげた。

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           開始を待つ龍神たち

保存会の栞によると、「水止舞」の起源は、元亨元年(1321)年に遡る。武蔵の国が大干ばつに見舞われた際、住職の第二世法蜜上人がワラで龍像を作って祈祷を捧げ、雨を降らせた。
しかしその2年後、今度は長雨が続き、田畑が流出。長雨は2年前の雨乞いの祈祷のせいだと上人を恨む人が出てきたため、上人は今度は獅子の仮面を3つ作って「水止(しし)」と命名。それを農民にかぶらせて舞わせ、太鼓を叩かせ、法螺貝を吹かせ、龍神に雨がやむよう、「水止」の祈祷を捧げたところ雨は止んだ。
これより人々は感謝の舞として、「水止舞」を捧げるようになった。

ちなみに、現在は加持祈祷は行われていない。

「水止舞」は、「道行」と呼ばれる「雨乞い」の儀式から始まる。藁で編んだ縄を渦巻き状に巻きあげた雄雌2匹の龍神の中に法螺貝を吹く者が1名ずつ入る。
「道行」の列は寺から約150mほど離れた大森東中学校前から始まるのだが、今年は雨のため寺の門のすぐ近くからだった。
道行することができず獅子たちは舞台上で待機中。

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      びしょ濡れになりながら法螺貝を吹く

13時ちょうど、鐘楼の鐘の音を合図に法螺貝の音が響き渡る。容赦なく水がかけられる。なんと水をかける人の多いこと。ボーイスカウトの子たちまでバケツを持って走っていく。当然ながら龍神の周囲にいる人にも水はかかった。
すんでのところでずぶ濡れになるところだった。レインハット、上着は水をはじいたものの、濡れたTシャツは帰宅するまで乾かなかった。カンカン照りの日だったらさぞかし気持ちよかっただろうが。

慌てて境内に入り、舞台の脇を通り、本堂の階段のところへ移動して、びしょ濡れの龍神が舞台に上げられるのを待った。

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         藁(龍神)解かれて

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           水止舞
  
舞台についた龍神、縄は解かれ、舞台では花籠2人を従えた赤い面の雄獅子と、黒い面の若獅子と雄獅子が、奉納笛、唄に合わせて「水止舞」を披露。花籠の持つ竹はこすり合わせて波の音を出しているとのこと。
NHKラジオの音の風景の取材、大田区の広報などのほか、アマチュアカメラマンも多く見られた。

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帰りはほとんど待たずに蒲田行きのバスに乗れた。バスを降りると雨は止んでいた。小雨の中の「雨乞い」の儀式と「水止舞」、効き目があったのだろうか。
とりあえずカフェに入った。来年もまた行くことになったら、晴れていてもレインコートを持っていくべきだろう。それにしてもこの日のコーヒーの美味しかったこと。
旅・散策・イベント

都立高校 スマホ解禁

2019年07月17日
今日は「東京の日」。1868年(慶応4年)のこの日、明治天皇の詔勅により「江戸」が「東京(とうけい)」に改称された。東京が名実ともに首都となったのは廃藩置県が行われた1871年(明治4年)のこと。

東京都教育委員会は6月20日、これまで禁止としていた都立高校への携帯電話やスマホの持ち込みを容認することを決めた。
学習での利用など必要に応じ、校内での使用も解禁する。2018年度からWi-Fi環境の整備を始める。
対象となるのは都立高のほかに都立の中等教育学校や中学校、特別支援学校で、各校の校長が個別に判断する。
小中学校については、各区市町村教委の判断に任せる。
大阪府の小中学校や広島県立高校も持ち込みを認めるなど、公立校でスマホを巡るルールを緩和する動きが始まっている。

都教委の2018年度の調査によると、都立高校の生徒の約97%がスマホを利用。 災害時の連絡手段として持ち込みの解禁を求める声が上がっていることに加え、スマホを用いた授業を試験的に導入している高校もあることから、時代の変化や実態に合わせたルール改定が必要と判断。今後は高校長が持ち込みや校内使用の可否を判断する形になるという。

スマホの校内への持ち込みを巡っては、文部科学省が2009年、小中学校では原則禁止、高校では使用制限すべきだとする通知を出している。小学生ならわからなくもないが、高校生が持ち込んではいけないとされていたことに驚いた。
電車通学が多い高校生、車内でもファストフード店などでスマホを使っているのが当たり前の風景。
  
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だが、登下校時のとき、災害対策のためというのは理由にならなるのだろうか。電磁波も気になるし、スマホ依存症、いじめ、授業の進行にも影響することも、とくに中学生以下の場合にはデメリットの方が多いように思う。(スマホ依存症
りんりんとスマホの付き合いはかなり長い。
電車通学など許可を受けた場合をのぞき持ち込み禁止だった中学のとき、スマホを持っていき厳重注意されたことがあった。
塾の日は、私服と塾のテキストとスマホを彼の家にとりに行き、わが家で夕食を食べさせて送り出し、制服や教科書などを家に置きに行くことを数年間つづけた。

彼の毎日は一変した。塾通いもなくなった彼にとっては朝夕の通学時間は至福のスマホタイムになる。
高校入学後すぐ、クラス全員の連絡網がLINEでつくられたという。当然ながら部活の連絡網もスマホで。休講やテスト範囲などの連絡もすべてスマホで片付くらしい。
実にゆるいというソフトテニス部活に入った。いつまで続くかと思っていたが、日曜日も出かけて行っているようだ。週2度のバイトも始めた。

Suicaや鍵は何度も失くした彼だが、ガラケーをスマホにしてから3、4台目だろうか、スマホだけは不思議と失くしたことがない。
最近はスマホケースにSuicaを入れているので、どうやら失くしものは激減したようだ。
彼に何か連絡があるときは、朝の通学時間帯や休み時間にLINEをする。たいていは既読がつくだけだが、たまに「おー」とか「なぬ」「ほー」「あらー」といった感嘆詞で返してくれることも。最近の長めの返事は「授業きいていますか?」に対しての「あー」「きくことにした」というもの。

公立小の子どもを持つRさんの話では、保護者間の連絡はすべてLINEだという。いいのか悪いのか、そういう時代なのか・・・。
りんりんみたいにプリントを持ち帰らなかったり、テストの範囲などのお知らせを見なかったりしてきた子もスマホだったらメモってくるかもしれない。
そういえば、スマホで育ったきた世代には入社後、パソコンが使えない若者が多いともきく。

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       スマホ優先席?のシニア3人

彼らも心配だが、いかにもスマホを持ち始めたばかりのシニアたちの姿が車内で非常に目立つようになった。それも夢中でゲームをしている人が多い。姿勢もよくないが、乗り越さないだろうか心配になる。
かくいう自分もスマホ歴の長い割には、LINEで返信していてあやうく乗り越しそうになったことがある。以来、気をつけるようにしている。
身近な人びと

きのこ出現

2019年07月16日
このところ、わが家の恒例になっている「ゴーヤのグリンカーテン」だが、今年はぐずぐずしているうちに、土を入れたまま放置していた昨年のゴーヤの鉢からなぜか朝顔の双葉がいくつも顔出した。
慌ててプランターに移したところ、蔓はぐんぐん伸びて、毎朝、1つか2つか花を開く。今のところすべて赤紫色の花ばかりだが。

このところ雨が多い日がつづいたせいか、やはり昨年、ゴーヤを育てた土が残っている鉢の1つに白いきのこを発見した。
きのこはわが庭でも木の下などで見かけることはたまにあるが、日当たりのよい2階のベランダの鉢にきのことは驚いた。

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早速、LINEで写真を送ったが、きのこに詳しい曽孫さんがいるKさんからのLINEにはさらに驚いた。彼女のところにも同じキノコが生えたので、ちょうど「きのこ博士」(曽孫)に問い合わせているところとのことだった。
翌日のKさんからのLINEで「オオシロカラカサタケ」という毒きのこということがわかった。触ったら石鹸で丁寧に手を洗うようにという伝言も。きのこ博士はりんりんと同じ高校1年生。

翌日、花のようにもみえたきのこはシナシナとなり、さらに翌々日、ほぼ消滅していた。
Kさんのお宅でもやはり自然消滅したという。

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この鉢とまったく別の鉢にゴーヤの苗を植えて1週間経った朝、ふと見ると、手すりの壁側、少し日陰だろうか、ゴーヤの陰にきのこを発見。まだ、かさを開く前だろろうか。迷ったが、割り箸で抜いたところ2本が繋がっていた。
 
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名前がわかったので調べてみると、オオシロカラカサタケは、カサの大きさが直径5㎝から25㎝と成長すると大型のキノコに分類される。土から出た幼いときは、卵型の茶色だが、成長すると徐々に白色になりカサも開くという。
ということは、発見したときにはカサが開いて白い色になっていたので、出現して何日か経っていたことになる。
このきのこは熱帯地方の、そもそも日本には存在しないキノコだったが、1980年ごろから本州でも確認するようになったとか。
春から秋にかけて西日本、東海地方でみられる毒キノコという。

「きのこ」とは実は俗称で、「きのこ属」とか「きのこ科」といった正式な分類があるわけではなく、植物ではなく菌類の仲間。
きのこもその実体はやはり微生物。本体である「菌糸」は地中などに張りめぐらされていて見えない。
地下や植物基質に「菌糸」や「胞子」の状態で常に存在しているが、菌糸や胞子を肉眼で確認することはとても困難。
だが、気温や水分量の変化など、何らかの刺激やストレスがかかると、菌糸から子実体が出現し、そこで胞子がつくられて繁殖するのだという。

シイ、カシ、ブナ、モミ、マツの森にはよく見られるというきのこ。たしかにわが庭にも近所にもシイマツの木が多い。
いずれにしても庭ならきのこの出現には驚かないが、日当たりのよい2階のベランダに1年以上置いてあった鉢に突然登場したのは不思議。いつの間にか土の中で菌糸が広がっていたのかもしれない。

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ゴーヤの鉢からきのこを取り出した翌朝、再び顔を出したのには参った。今回は何とかうまく取り出したと思うが、毒きのこが生えた鉢になったゴーヤは食べていいのだろうか。きのこ博士に訊いてみなくては。
植物など

3万年前の航海再現

2019年07月15日
今日は「海の日」。国民の祝日の一つ。当初は7月20日、2003年より7月の第3月曜日。
海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願うという趣旨で1995年制定、翌年から実施された。
1876年明治天皇が東北・北海道巡幸の際、汽船明治丸で横浜に帰着した日にちなみ、1941年以来〈海の記念日〉とされていたのを改称。

アフリカで誕生した現生人類(ホモサピエンス)が大陸を経由して列島にやってきたのは3万年以上前の旧石器時代とされる。
遺跡調査などから、有力な渡来経路は北海道、対馬、沖縄の3ルート。
このうち昔は大陸と陸続きだった台湾を経由し、琉球列島を北上する「沖縄ルート」は主要なルートの1つとみられる。

国立科学博物館などによるプロジェクトは2016年、当時も利用可能だった材料と技術による3万年前の航海再現プロジェクトを開始。実験の資金はクラウドファンディングなどの寄付による。
プロジェクトには海流の専門家や人類学など多様な分野の研究者が参加し、舟だけでなく、沖縄ルートの全体像を明らかにしようとしている。

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2016年には与那国島に自生するヒメガマを束ねた「草舟」で与那国島から西表島に向かったが到着できず。
2017~18年は太くて空洞の大きい熱帯性の「マチク」でつくった「竹いかだ」で実験。安定性は高かったが、スピードは出ず、割れやすかった。

今年の2月、博物館の友の会でO氏が紹介された「日本人の祖先渡来 3万年前の謎」という新聞記事には、この夏、沖縄ルート(台湾ー与那国島)航海の挑戦について。草舟、竹いかだ、そして今回の丸木舟の写真も載っている。(毎日2/21)
そして6月には、「3万年前渡来 丸木舟で再現」という記事(毎日6/9)には、3回目の今年は、耐久性もあり、時速4kmで航行できる丸木舟を選んだと書かれている。

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丸木舟は縄文時代には使われていて国内でも160以上出土している。だが、台湾や沖縄の旧石器時代の遺跡からは、大木を伐採できそうな石斧(せきふ)がみつかっていないのだとか。
石斧の複製品を使い、杉の大木から丸木舟を作るのに成功した。
到着地で定住し人口が増加したことを想定、女性を含む5人が舟を漕ぐ。航行距離は200km。

7月8日午後2時過ぎに台湾を出発した丸木舟(全長約7.6m)、星や太陽の位置を頼りに、流れの速い黒潮を横切って、5人は夜を徹して2日近く漕ぎ続けた。
9日午前11時半過ぎ、与那国島ナーマ浜に到着。
    
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  到着した丸木舟 (科博/プロジェクト」チーム提供)

伴走船に乗ったプロジェクト代表の海部陽介・国立科学博物館人類史研究グループ長は「いろんなドラマを乗り越えてきた5人の姿に胸を打たれた。祖先たちも(苦難を乗り越えて)やらなければ(沖縄の)島にたどり着けなかったと思う」と話したという。

「人類が約700万年前にアフリカで誕生してから、どのように世界中に拡散して暮らしてきたのか、3万年前にどのように日本に人が渡って来たのか、技術、環境を追体験することで解き明かす、そういった実験を通じて祖先が航海に成功した経緯がみえてくることに意義があると。

与那国島に到着!をニュースで知って、2月と6月の新聞記事(コピー)を少し興奮しながら読み返した。
旅・散策・イベント

馬込半白節成胡瓜 Ⅱ

2019年07月14日
大田区立郷土博物館を訪れる度に馬込半白節成胡瓜の様子をみるのが習慣になった。(馬込半白節成胡瓜 Ⅰ

すいよう会の集まりの日、萬福寺前のバス停前にある秀寿司の横にある半白胡瓜を見に行った。想像していたより力強く、胡瓜もたくさんなっていた。見とれていると、Sさんたち3人に声をかけられた。
Oさんが種をとるための茶色がかった胡瓜を発見。昨年まではこういった種用の胡瓜どころか半白胡瓜も見たことがなかった。

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          種用の半白胡瓜

この場所から博物館は近い。玄関ホールに集まり、2階の「大田区の地中の歴史」を見学後、3階へ。(皆で博物館へ
「半白胡瓜」(模型)と「種用に完熟させた半白胡瓜」(模型)、そして種が展示されていた。常設展示なので見たことがあるはずだが、まったく記憶がないのは関心がなかったせいだろうか。

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          半白節成胡瓜(模型)  
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        種用に完熟させた半白胡瓜

2日後、再び博物館へ出かけた帰り道、JA東京中央馬込支店の前に半白節成胡瓜がなっていた。

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今年の夏はわが家のゴーヤでなく、馬込のあちこちで半白胡瓜を観察する楽しみができた。KさんがLINEで送って下さるお庭の「博物館の胡瓜ときょうだい?胡瓜」の写真も楽しみだ。
植物など

馬込半白節成胡瓜 Ⅰ

2019年07月13日
今月のすいよう会では大田区立郷土博物館見学の後、玄関外で育っている馬込半白節成胡瓜を見てから西馬込駅方面に向かう。途中、麦刈りをした畑にはサトイモなどが植えられていた。
二国の交差点を渡ると西馬込ライフコミュニティの角に「馬込大太三寸人参と馬込半白節成胡瓜発祥之地」碑が立っている。

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上部が緑色で、そこから先に向けてだんだん白くなるこの馬込半白節成胡瓜は、馬込村(現在の馬込地区)が発祥。
馬込村では、昔から大井節成胡瓜が多く栽培されていたが、明治時代に馬込中丸の篤農家・河原梅次郎が、この大井節成胡瓜を掛け合わせて改良したのがこの胡瓜。この地で栽培されたのは昭和38年頃までだとか。

5.19
   F氏が種子から育てた苗  5.9

以前は、友の会で来館する度に麦の様子を見ながら畑の前を通ったものだが、この夏は博物館の胡瓜を見るという楽しみが増えた。だが、雄花が目立ち、全体に花が少なく晩熟のようだ。(馬込の野菜
  
     .5.24
               5.24

    6.14
               6.14

      6.21
               6.21
  7.KKK
         胡瓜発見    7.5          

郷土博物館でF氏にいただいた2株の苗は馬込のKさんにお願いした。博物館より大分早く胡瓜もなり、蔓はどんどん伸びて長い支柱に替えなければならないとか。

    6.15
        Kさんの庭     6.15

  6.29
              6.29

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              7.3

半白胡瓜の長さは20~25㎝程で現在の胡瓜に比べて太く、両端が丸いのが特徴。胡瓜本来の風味が強く、みずみずしくパリッとした食感があり、古くからぬか漬けに使われてきた。生に味噌を付けたり、薄切りにしてサラダや和え物にしたりしてもおいしく味わえるという。
JAの無人売店でも並べられるだろうか。もっと普及するといいのだが。
植物など

皆で博物館へ

2019年07月12日
7月のすいよう会は悪天候も考えて郷土博物館と西馬込の給水塔のコース。梅雨の真ん中、雨に降られるのではないかと覚悟していたが、曇り空のお陰でさほど暑くなかったので助かった。
欠席者は3人。当日、博物館に集まったのは8人。大田区民とはいえ、はじめて訪れた人がほとんどだった。

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2階の考古ではH学芸員の熱の入った説明に、皆大田区が遺跡の宝庫だということを実感したに違いない。(はるか昔に思いを馳せてこんな近くに古墳があった久が原遺跡発見から90年郷土博物館縄文海進・海退大田区の縄文遺跡大昔の大田区古墳に使われた石大田区の旧石器時代大田区の古墳時代

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     「大森貝塚の発見」

それにしても何度も観ている展示だが、気づかなかったことや知らなかったことの多いことにあらためて驚いた。何しろ旧石器時代から人々が暮らしていた大田区、縄文、弥生に加え、都内最大級の古墳群など、トップクラスの遺跡を擁している大田区だ。

常設展示では、大森貝塚を発見したモースのコーナーから旧石器時代、そして縄文時代、弥生時代、古墳時代へと、時代順になっていて、パネルで発掘された時の情報や当時の暮らしなどが詳しく紹介されている。
縄文人が如何にグルメだったか、「縄文カレンダー」は何度みても楽しい。
    
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              「縄文カレンダー」  
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    縄文前期中葉 田園調布南遺跡

田園調布南遺跡(都立田園調布高校内)には方形周溝墓、縄文時代前期の土抗からはブロック状の貝層が見つかっていて、地点貝塚的性格を持っていたといわれる。天然真珠、孔雀石製装飾品も見つかっている。

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       「久ヶ原遺跡の発見と出土土器」 
       弥生後期前半  
   
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       「弥生時代から古墳時代へ」
     山王遺跡(弥生中期~古墳時代初頭)  

小一時間、「地中の歴史」コーナーを見学した後、「水をめぐるふるさとの暮らし」へ。ここでは六郷用水を中心に、厳正寺の水止舞などについての説明を受けた。
毎年正月の恒例行事となった「六郷鳶凧」の大きいこと。江戸時代の終わりごろ、八幡塚村(東六郷)の人が多摩川の河原で捕まえた鳶を見ながらいろいろ工夫して作り出したという。多摩川で獲った魚を河原に並べて干したところ、カラスの群れに荒らされて困った。そこで鳶凧を上げたところ、カラスが驚いて逃げ回ったことから盛んに作られるようになったともいわれる。

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         水止舞    六郷鳶凧  

3階の「麦わら細工」について説明を受けたが、「馬込文士村」と昔の道具、海苔養殖は省略。「あらためて来なくては・・・」という声がきかれた。
絵画・博物館

「松ぼっくりの里帰り」

2019年07月11日
東日本大震災から8年と4ヶ月、時が経過するとともに、風化が進み、被災者に寄り添った支援が難しくなっている。
そんな中、今年5月、大田区立松仙(しょうせん)小学校の6年生が育てた松が、東松島市宮の森小学校、そして鳴瀬未来中学校、浜市海岸に植えられた。
宮城県の津波で壊滅的被害を受けた松の「まつぼっくり(松くい虫抵抗性)」の種を採取、発芽させたものを大田区内で育て、東松島市に里帰りさせるという縁プロジェクトの「松ぼっくり大作戦」。

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     縁プロジェクト「松ぼっくり大作戦」 

「縁プロジェクト」は災害支援ボランティア・大田区社会教育団体。東日本大震災発災後、宮城県東松島市でのボランティア活動メンバーが中心となり、大田区、大田区被災地支援ボランティア調整センター及び東松島市と連携、協働し、さまざまな活動を行い、将来にわたっての相互交流事業を展開していく。
「松ぼっくりの里帰り」は大田区民は東松島市の被災者への想いを松の苗木に託し、被災地に届けたい、さらに植樹された松を「大田区と東松島市の絆」として、また「3・11を忘れない」ために後世に残していきたいと企画された。

この企画を知ったのは先月初めに開催された「大田区&東松島市 絆音楽祭」。(絆音楽祭

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大田区のマスコット「はねぴょん」のほかに登場したゆるキャラたちの中に、松仙(しょうせん)小学校の「まつぼっくりくん」と「かさじい」というゆるキャラがいた。当日はまさか小学校にゆるキャラがいるとは知らなかった。

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      まつぼっくりくん  かさじい

松仙小学校は久が原の閑静な住宅地にある。とくに松の木が多い印象はないが、緑が豊か。松ぼっくりを育てる小学校として選ばれたのは、この校名が関係あるのだろうか。
「松仙」という名前のいわれは、明治時代に小学校がある辺りは、西側が「老松」と言い、東側を「床仙」と言っていたとか。2つの地区を合わせて「松仙」という名前になったようだ。現在は「老松」「床山」という地名は残っていない。

この春、小学1年生になったじゅんじゅん、彼が通った保育園ではほとんどが松仙小学校(創立昭和28年)へ入学するらしい。彼の通う小学校はなんと明治11年創立、区内でも古い小学校の1つ。ゆるキャラはいない。
旅・散策・イベント

古代の赤い色

2019年07月10日
赤は、太陽や火という、人間には欠かすことのできない生命の色。赤い色は神聖な色として、旧石器時代、縄文時代から土器や木製品の表面に塗られたり、人を墓に埋葬するときに上から振りかけたりして使われてきた。

赤色顔料としては、水銀を含む鉱物「辰砂」から作られる、赤鉄鉱や褐鉄鉱の鉄鉱物から作られるベンガラ、鉛を熱して生成する「鉛丹」が代表的なもの。
地球上に一番多く存在する「赤色」は酸化鉄といわれている。酸化鉄を多く含んだ土壌を焼くと鮮やかな赤色顔料ベンガラになる。(寺社の赤い色」ベンガラの赤い色

ベンガラは着色力・隠蔽力が大きく、耐熱性・耐水性・耐光性・耐酸性・耐アルカリ性のいずれにも優れており、安価な上、無毒で人体にも安全だという。

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   久ヶ原遺跡      長野市篠ノ井遺跡       
        
最近、ベンガラで赤く彩色された弥生土器をあらためてじっくり見たことがキッカケのようにも思うが、多摩川台公園古墳展示室の人形の顔に塗られた真っ赤な隈取が辰砂なのかベンガラなのか、妙に気になり始めた。
秦の始皇帝が不老長寿の薬として水銀化合物を飲み早死にしたことを思うと、当時、古墳時代の人たちの顔に隈取として用いたのが、「辰砂」の朱色だとすると・・・。
 
先日、久しぶりに古墳展示室に立ち寄った。国指定史跡の亀甲山古墳や都指定史跡の宝莱山古墳など、4世紀から7世紀に造られた古墳10基が園内に点在する多摩川台公園にある展示室には、築造当時のままに復元された前方後円墳などのほか、当時の墓前祭を再現した5体の人形が並んでいる。

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     マツリの風景 「墓前祭」

墓前祭は、亡くなった前首長の葬送の儀式だけでなく、新首長の即位を広く人々に知らせるための、世代交代を執り行う儀式でもあり、石室の前で、巫女がとりしきり、楽人たちが音楽を奏でた様子を再現している。
髪形や衣装も、顔の赤い隈取の模様も1体1体異なるが、主に群馬県の「塚廻古墳」から出土した埴輪を参考に作られているらしい。

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   大刀を持つ女    新首長   太鼓をたたく男
         巫女            琴を弾く男
      
展示説明には5体とも「赤い隈取」としか書かれていなかったので、思い切って受付で訊ねたところ、「ベンガラ」だということがわかってホッとした。
墓前祭の背景に遠く富士山が描かれていた。今も天気の良い日には公園の木々の合間から富士山がみえることがある。
4世紀前半頃からこの台地に古墳を築いた人々の生活を垣間見たような気がした。
絵画・博物館

ベンガラの赤い色

2019年07月09日
このところベンガラとかとか、赤い色が気になり始めた。赤色は、おそらく古代人が最初に意識した色だという。太陽や燃える火に通じる色であり、宗教的に神聖な色とされ、めでたい色、高貴な色として扱われてきた。

赤色顔料としては、水銀を含む鉱物「辰砂」から作られる、赤鉄鉱や褐鉄鉱の鉄鉱物から作られるベンガラ、鉛を熱して生成する鉛丹が代表的なもの。
地球上に一番多く存在する赤色は酸化鉄といわれている。酸化鉄を多く含んだ土壌を焼くと鮮やかな赤色顔料ベンガラになる。
ベンガラの名はインドのベンガル地方で産出したことに由来する。

ベンガラは、人類が最初に使った赤色の無機顔料で、フランス南西部のラスコー洞窟やスペイン北部のアルタミラ洞窟での赤色壁画は約17,000年前に描かれた。

日本では縄文時代に土器などに施した赤色彩色にはベンガラを使用している。
9,500年前の鹿児島県上野原遺跡の土器、6,000年前の福井県三方町の鳥浜遺跡の弁柄櫛、5,500年前の青森県三内丸山遺跡の土器、3,000年前の青森県亀ヶ岡遺跡の土器などにベンガラが使われている。

古墳時代には、北部九州に多い装飾古墳でベンガラの赤い壁画が見られる。赤色は当時「魔除け」、「厄除け」、「再生(血の色)」などと信じられていた。
奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末)では、石室の内壁面に漆喰を塗り、その上に描かれた人物像には極彩色が用いられている。女人像の赤い上衣はベンガラで、帯の赤は(水銀朱)で彩色されているという。
 
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       「高松塚古墳壁画 西壁女子群像」

「高松塚古墳壁画 西壁女子群像」(明日香村教育委員会提供)のクリアポケットの絵でみても帯の色と上衣の赤い色は異なってみえる。これらは、天然の鉱物からの無機顔料であったため変色することなく現在まで鮮やかな色を維持しているという。
なお、鉛丹は奈良時代になるまで使われなかったという。

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          護国寺  2013.2

寺社でも赤い色を目にする機会は多い。寺社でみられる朱塗りはベンガラなどの顔料が使われるのが一般的らしい。(寺社の赤い色)   
日本の暮らしにも古くから根付いている素材で、漆器や九谷焼、伊万里焼、有田焼などの赤絵にも使われた。また防虫、防腐の機能性から家屋のベンガラ塗りとしても使用されてきた。

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       吹屋の街並み (Wikipedia)

江戸末期には緑礬を焼成して顔料用酸化鉄を作った。岡山県高梁市、成羽町、吹屋のものが好まれた。
吹屋は、石州瓦とベンガラ漆喰壁の赤い町並みで知られ、歴史的町並みの残る6.4㌶の範囲が重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
絵画・博物館

寺社の赤い色

2019年07月08日
日本全国にある神社寺院の数は神社がおよそ8万1千社、お寺はおよそ7万7千社だという。(2017年宗教統計調査)
墓参、初詣、節分の豆まき、夏の大祓の茅の輪、大晦日の除夜の鐘・・・こういったときくらいしか訪れない寺社だが、どの街にもまるでコンビニ並みに神社があるように感じる。実際は、コンビニの数より多いというから驚きだ。
ちなみに、もっとも神社が多いのは新潟県、寺院が多いのは愛知県だとか。多いかと思っていた東京都はどちらも5位以内には入っていない。
     
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        鎌倉 寿福寺       2009.7
   
朱色の社殿、鳥居や総門、鐘楼などをよく見かける。朱色は古くから火や太陽、生命を表す色とされ、悪霊や災厄を払う力があると考えられている。
神社の入口にある鳥居に朱色を使うことで、悪霊や邪気が侵入するのを防いでくれる。鳥居の材質は木材、石材、金属の3種類があるが、朱色の原料である(に)を精製した「水銀朱」は、昔から木材の防腐剤として使われてきたという、実用的な面でのメリットもあったという。

は、中国湖南省辰州の地名に由来して辰砂しんしゃ)「丹砂(たんしゃ)」「朱砂」などと呼ばれている。
製法は、これらを含有する鉱脈から辰砂を含む鉱石を掘削・粉砕し、水中で比重分離して採取したといわれる。

の化学成分はHgS(硫化第2水銀、天然のものはヒ素Asを含有)で、水銀(Hg)、ヒ素は有毒。
しかし、この有害な顔料は、仙薬、不老長寿の秘薬(「丹薬」「仙丹」)として一部の人々の間で服用されてきた。
平清盛などはこの仙薬を服用しすぎて病気になったとか。また、弥生時代に大陸からこのを求めて大和地方を目指した「除福」一行があったなどとする説もある。

社殿ができる以前は崇拝の対象は山や滝とか巨木などの自然物。本来の鳥居の色は、神聖な色とされていた白色の白木でつくられたという。
鳥居などに朱色を用いるのは、仏教の考え方を融合させた「神仏習合」の時代からのもので、稲荷神社や厳島神社など平家ゆかりの神社には朱色が使われている。

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          馬橋稲荷神社

出雲大社のように平家、桓武天皇が権力を持つ以前の神社、また、源氏系の神社や伊勢神宮や明治神宮など皇族系のところもほとんどが白木造だという。

「辰砂」という岩絵の具を持っているが、どうもピンとこない。以前、O氏が博物館友の会に持参した記事(2019.3.1 朝日/3.2 毎日)を読み直してみた。
「朱色の原料である辰砂と呼ばれる鉱物の採掘跡とされる徳島県阿南市の若杉山遺跡で、弥生時代後期(1~3世紀)とみられる土器片が見つかった」「弥生時代には地表から掘るだけで、硬い岩盤を掘り進めるなど高い技術が必要な坑道はなかった考えられていた」が、発掘された十数点の土器片のうち5点が弥生時代後期のものと判断されたという。

若杉山遺跡は全国唯一の辰砂の採掘遺跡。国内の鉱石採掘跡は、山口県美祢市の長登銅山跡(8世紀頃)が最古とされてきたが、500年以上さかのぼり、若杉山遺跡は国内最古の鉱山遺跡となる可能性があるそうだ。

ちなみには権力の象徴とされ、3世紀の三国時代の歴史書『魏志倭人伝』によると、倭(日本列島)の山では(辰砂)が採れ、女王卑弥呼が中国王朝にを献上したとされる。
旅・散策・イベント

七夕の短冊

2019年07月07日
今日は24節気の1つ「小暑」。そして「七夕」。
中国では、織女にあやかり機織りの技が上手くなるように、ひいては様々な手習いごとの上達を願う「乞巧奠」(きっこうでん)という行事が催されるようになった。
やがて遣唐使によって日本に伝わると、宮中行事として取り入れられ、詩歌や裁縫の上達を願って星に祈りをささげ、梶の葉に和歌をしたためてお祀りするようになった。

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     すずめのお宿緑地公園  2010.7.2

日本では旧暦の7月はお盆や稲の開花期、麦などの収穫期にあたり、お盆に先立ち祖霊を迎えるために乙女たちが水辺の機屋にこもって穢れを祓い、機を織る行事が行われていた。
水の上に棚を作って機を織ることから、これを「棚機」(たなばた)といい、機を織る乙女を「棚機つ女」(たなばたつめ)と呼んだ。

やがてこの行事と「乞巧奠」が交じり合い、現在のような形に変化していった。七夕(しちせき)と呼ばれていた7月7日の夕方は、棚機(たなばた)にちなんで七夕(たなばた)という読み方に変わっていった。

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          大船駅  2015.7.1

日本には奈良時代、中国からの影響が強く、五色の糸を星に供える習慣があり、室町時代には、書道の上達を願い硯や墨、短冊に書いた和歌などをおさめるようになった。
笹竹に短冊をつるして願い事をするようになったのは、江戸時代から。手習いごとをする人や、寺子屋で学ぶ子が増えたことから、星に上達を願うようになったという。
  
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昔は里芋の葉は月からこぼれ落ちた天の水を受ける傘の役目をしていたと考えられ、葉に降りた露は、神からおすそ分けしてもらった天の水と考えられていた。
七夕の朝、里芋の葉に溜まった朝露を集めて墨を摺り、その墨で文字を綴って手習い事の上達を願うというもの。
また、地方によっては、里芋の露を集めて、それをお供えする風習もあるのだとか。

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水耕栽培していたサトイモだが、6月になって鉢植えにしたところ、みるみる伸びて、もっとも大きい葉は30cmにもなった。(サトイモの雫
つれづれ

宗観好みの茶器 七月

2019年07月06日
明日は七夕。七夕の架け橋を作る伝説の鳥が鵲(かささぎ)。

母が大切にしていた12種類の茶器「宗観好十二ヵ月の棗」は、井伊宗観、つまり井伊直弼が自らの意匠と詳細な指示で、幕末の名工である八代中村宗哲に作らせたという月次茶器のこと。
七月の茶器は女郎花(おみなえし)に鵲(かささぎ)。

これらが『宗観好十二月茶器の研究』に詳しく解説されている。
これらは藤原定家の『詠花鳥倭歌』の本歌取り、そしてこれらの歌をモチーフにしたのが江戸期の『十二ヶ月花鳥図』。(十二種類の茶器宗観好みの茶器三月宗観好みの茶器4月宗観好みの茶器五月宗観好みの茶器六月

七月   女郎花に鵲
      潤朱塗  下張棗  高さ 6.7cm 径 5.6㎝

旧暦七月は「女郎花月」ともいい初秋である。女郎花は秋の七草の一つで黄色い細かい花を傘のように咲かせ、その繊細な風姿は野にあってどこか女らしい。
鵲は七月七日の七夕に天の川に羽を並べて彦星を渡す伝えられている。
形、塗とも石州好みのふくら棗の影響が感じられる。

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            女郎花に鵲   p26

本歌
   七月  女郎花  秋ならで誰もあひみぬ女郎花契りやおきし星合の空
   七月  鵲     長き夜にははねを並ぶる契とて秋まちわたる鵲のはし

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       女郎花・鵲図
身近な人びと

ヤマモモの実

2019年07月05日
       ヤマモモ  ヤマモモ科ヤマモモ属
        学 名   Myrica rubra
        原産地   中国 日本
        漢 名   楊梅 
        別 名   山桜桃  火実

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暖地に生育し、暑さには強い。日本では関東以南の低地や山地に自生する。高知県の県花(山桃)、徳島県の県の木(山桃)。 
緑化を目的とする植樹に古くはヤマモモがよく利用されたという。現在では街路樹として公園や街路にも植えられる。

りんりんの家に寄り、東急線沼部駅に向かって「桜坂」を降りていると、目に留まったのが、赤くなりかけた丸い実。春には賑やかだった桜坂、葉を繁らせた桜の木のそばに隠れるようにして立つ木。赤い実がなっていなければ気づかないだろう。果実酒になりそうな実が1つも実が落ちていないのが残念だった。

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確かに見たことがある木だが、名前が思い出せない。写真をLINEグループと華道教授のFさんに送った。結局、検索してヤマモモとわかり、図鑑で確認した。

果実は甘酸っぱく生で食べられる。赤から黒っぽくなるにつれ甘くなる。また、ジャム、缶詰、砂糖漬け、リキュール等に加工される。
樹皮は褐色の染料なる。また、樹皮は「楊梅皮(ようばいひ)」という生薬になるという。「楊梅皮」はタンニンに富むので止瀉作用がある。消炎作用もあるので筋肉痛や腰痛用の膏薬に配合されることもある。

梅酒用に揃えたホワイトリカーが少し余っているので、ヤマモモの実10粒くらい漬けてみたいと思い、「ヤマモモ販売」で検索してみた。苗の販売が多い中、メルカリで「ヤマモモの実 10粒 ¥509 中古品 送料無料」というのを見つけた。「中古品」?? 「食べる事は出来ますが第4種郵便で送りますので多少潰れたり鮮度が落ちたりすると思います。種子取り出し用とお考え下さい」とのことだった。

「古事記」で、伊邪那岐命が「桃の子()」を投げつけて黄泉が国の雷神を退散させるという部分があるが、この「桃の子()」は山桃の実だとの説がある。
以前から、あの桃の実を投げたというのはどうなのだろうと思っていたので、この「山桃」説に賛成。

桜坂のヤマモモの実が熟すのはこれからだろう。折をみて自転車で拾いに行くつもりだが。
植物など

それぞれの旅

2019年07月04日
「旅」がテーマだった6月の桂花茶会。少々、はずれて「我が祖先の旅」として「朝顔、厳密には生薬である種子が奈良時代後期に遣唐使船に乗ってはるばる唐から日本に旅をしてきた」ことを書きたかったのだが、ほかにも、平安時代だの、東南アジアだとか、最近では熱帯アメリカが原産地だという説もあり、なんだかはっきりしない文になってしまった。

案の定、中国の旅が多かった。内モンゴの旅はM氏。ウルムチの旅はSさん。

10年前、退職した男性10人で雲南旅行を思い立ったというO氏は、そのときの昆明空港でのハプニングについて。
昆明といえば、生れてはじめて降り立ったのが昆明空港だった。O氏より10年も前の4月、当時は直行便がなく関西空港経由だった。
昆明空港には張さんと現地ガイドの羅さんが迎えてくれた。わずか10名のために、マイクロバスには「 雲南省貴州省 少数民族訪問団」という大げさな紙がフロントガラスに張られていた。
雲南省は、稲作文化発祥の地といわれ、大部分が2000m以上の高地で日本とほぼ同じ面積。全人口の3分の1は24の少数民族が占める。雲南省ではナシ族、イ族、貴州省は長角ミャオ族、大紅ミャオ族などを訪ねた11日間の旅だった。

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        昆明空港  1999.4
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        昆明の街

ご主人の湖南省の省都長沙への赴任で「安化黒茶の里に行きたい」という夢がついに叶ったSさんはもちろん、安化黒茶との出逢いについて。
「利源隆茶業」を見学し、茶馬古道を馬で旅するという、安化黒茶を追求する今の彼女の出発点にもなった忘れられない旅だ。
彼女の好きな言葉「有縁分 千里来相会」はまさにこの旅のことかもしれない。(安化黒茶の魅力湖南からのお客様
 
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          利源隆茶業

そしてケニア赴任中、唯一の楽しみは旅行だったというFさん。容易く行けるヨーロッパには度々旅行したという。
はじめてドイツミュンヘンに行った時のこと。彼女は英語圏の国ではご主人に頼りつつも何とか英語で会話できたが、ドイツ語は学生時代に第二外国語で学んだ程度。旅行前、ケニアでだいぶ勉強したが、自信はなかったそうだ。

旅行第一日目、それまでの努力が試されるとき。ホテルに戻る道がわからなくなったので、感じのよさそうな若者に「マリア広場はどこですか?どう行けばいいですか?」とドイツ語で訊ねたそうだ。
すると、驚いたのなんの、彼は流暢な日本語で答えてくれたのだとか。そのあとは当然、日本語で会話したそうだ。
彼は日本に留学経験があり、ミュンヘン大学で日本文学を専攻している若者だった。
こうした偶然の出来事を思い出す度に不思議な感覚を覚えるのだとか。
旅・散策・イベント

朝顔の旅

2019年07月03日
6月の桂花中国茶会のテーマは「旅」について。中国の旅は1999年の雲南・貴州省の旅から2005年の福建省の厦門・客家土楼まで10回以上。それぞれに思い出深い旅で、どの旅を選べばいいのか迷っていた。
そんなとき、早々と咲き始めた朝顔に目が行った。朝顔の原産地はどこだろう、中国だったらいいのだが、そんなことを思った。

いっそのこと「朝顔の旅」にしてもいいのではと思って調べてみることに。
朝顔の原産は中国で、「牽牛(けんご)花」と呼ばれ、奈良時代末期、遣唐使によってその種子「牽牛子」が生薬として日本にもたらされたという説が有力。

なお、遣唐使が初めてその種を持ち帰ったのは平安時代とする説もある。
原産地は、自生種が存在するヒマラヤかネパールから中国にかけての地域か熱帯アジアが有力だったが、近年になって、熱帯アメリカ大陸が原産地であるとする説が出されている。

中国の『名医別録』(4世紀頃)にも記述があるようにかなり古くから薬用植物として扱われていたという。
「牽牛子」は、当時、朝顔の種子は非常に貴重なものだったため、高値で取引されていた牛と交換していたことに由来する。
七夕は年に1度、牽牛(彦星)と織女(織姫)が巡り逢う日。織女は朝顔姫とも呼ばれていることをはじめて知った。

朝顔の種子「牽牛子」は、下剤や利尿作用がある成分が含まれており、日本に伝来してからも、平安時代には「百薬の長」として、その後も長い間薬草として扱われてきた。

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          「我祖先的旅行」

ここまでが「朝顔の旅」。中国語で文をつくるのがやっとで、あとは朝顔の花や牽牛子といわれる種子、入谷の朝顔市で撮った写真で埋めたというのが正直なところ。

日本には桔梗や槿など、「朝顔」と呼ばれていた花は複数あったが、中国から牽牛花が伝わると、朝しか咲かない花こそ、「朝顔」という名にふさわしいと考えられるようになったのだとか。

江戸時代になると、草花の品種改良が盛んに行われ、「牽牛花」と朝に咲く花全般の「朝顔」は明確に区別されていた。
数多くの草花の新種が生まれる中、朝顔は空前のブームを起こした。
文化・文政期(1804~1830)になると、第1次朝顔ブームが到来。ブームの発端は、「丙寅の大火」(1806年)。この火事により、下谷(台東区)に大きな空き地ができたため、植木職人たちが品種改良した朝顔を栽培し、特に、現代では「変化朝顔」呼ばれる、一風変わった姿の朝顔が人気を集めたという。

嘉永・安政期(1848~1860年)になると朝顔の第2次ブームが起こり、1200もの系統が生み出されたり、「朝顔図譜」がたくさん出版され、朝顔の優劣を競う品評会が行われていたという。

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       入谷あさがお市  2009.7.7

明治時代になると、朝顔栽培の拠点は下谷から入谷に。朝顔人気は相変わらずで、入谷の朝顔市は、多くの人でにぎわった。
この朝顔市は、現在でも「入谷朝顔まつり(朝顔市)」として続き、入谷鬼子母神(真源寺)の境内とその前の言問通りの歩道に100軒もの露店とともに多くの人出を呼ぶ東京名物にもなっている。

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Yさんと行った入谷の朝顔市で淡いブルーと白色の混じった朝顔の鉢を買ってきたのはもう10年も前のこと。スケッチしたのかしなかったかはっきり覚えていないが、ひと夏楽しんだ。
あのころは今のように暑かったのだろうか。(今年の夏は入谷朝顔市
中国・中国の旅

サトイモの雫

2019年07月02日
今日は「半夏生(はんげしょう)」、七十二候の「半夏生(はんげしょうず)」。「半夏」とは烏柄杓からすびしゃく)という植物の別名で、この毒草が生ずる季節という意味。

芽が出ていたサトイモ'(水栽培)を玄関の台の上に置いたところどんどん伸びていく。
昨年、「リボべジ」をりんりんが夏休みの家庭科の自由研究に選んだため、サツマイモ、人参、大根、ワケギなどの再生野菜(リボーンベジタブル)をわが家で栽培をしたのでなかなか大変だったが、終わってみると充実感があった。(「リボべジ生活リボべジその後

  6.3
           6.3
   6.6
           6.6

よく見ると、サトイモの葉の先や茎に雫が光っていた。蓮のロータス効果と違うのだろうか。調べてみたら、どうやら違うことがわかった。

「ロータス効果」についても、昨年の春休みにりんりんが調べるのを手伝ったことがあった。(ロータス効果」)
ロータス効果は、の葉の表面が水をはじくことをいう。の葉の表面には、ワックスのような物質でできた無数の突起があるため、水が表面に広がらず、水滴のまま葉の上を滑り落ちる。これにより、葉の表面についた汚れや虫を絡めとり、きれいな状態を保つことができるのだという。

   6.10

サトイモの葉やバラの花びらの水をはじく効果は「ロータス効果」とは異なるという。蓮の葉の表面についた水滴は、蓮の葉のように表面から浮いているわけではなく、「花弁効果」と呼ばれる水滴を吸着する現象だという。

七夕の短冊に里芋の葉の朝露ですった墨で書くと願いごとが成就するときいたことがある。
朝露を集めるのにサトイモの葉が使われるのは、葉の形状的に雫がたまりやすい、水をはじきやすい、などの性質があるから。
芋の葉の雫は天の川の雫を受ける傘、その雫は月からこぼれ落ちた神様の水「天水」である、といった旨の興味深い解説が見つかった。

イモは、親イモに寄り添うように子イモ、孫イモと、一つの種芋からたくさんのイモができるため、子孫繁栄の縁起物として正月料理などでよく使われる。特に、親イモ、子イモ、孫イモが塊状になる品種ヤツガシラ(八頭)は、末広がりを意味する「八」と、組織の長(かしら )になる立身出世の意味合いで、特に縁起がよいとされる。

年に一度しか会えない牽牛織女は百人の子を授かるとの俗説により、七夕は子宝祈願の絶好の機会であったとか。
そして子沢山の縁起物であるサトイモの葉の雫で墨をすり、七夕様に祈願すればきっと子宝に恵まれると考えられたとも。

   6.10
             6.10

子芋は期待しないが、鉢に移した。これからの暑い夏、青々としたサトイモの葉と雫をみれば、しばし暑さを忘れられるような気がする。
室内では今年ももっとも長持ちしたサツマイモのリボべジの栽培を始めようと思っている。
植物など
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