FC2ブログ

品川の龍馬像

2019年09月30日
3日後のすいよう会散策の下見を兼ねて北品川からしながわ花海道を歩いた。(今年のコスモスは・・・

    4153no01.jpg
      「東海道 龍馬がゆく」  東大井1丁目1

復元された浜川砲台のあるクジラ公園へ出ると、砲台の完成披露式典(2015.11)が行われることを知って銀座から京急立会川駅へ向かったことを思い出した。
道にはテーブルが並べられ祝賀会の準備がされ、クジラ公園ではすでに式典が始まっていた。浜川中学校のブラスバンドの演奏の中、数十名の来賓たちによって除幕式が行われた。(龍馬生誕180年

   4153no2.jpg
       復元「浜川砲台」  クジラ公園

江戸時代、この一帯には土佐藩の下屋敷、お抱え屋敷(浜川砲台跡)があった。2度目のペリー来航を受け、土佐藩は「浜川砲台」を造り、大砲8門を設置した。当時、龍馬は剣術の修行で江戸に滞在し、屋敷や沿岸警護をしていたとされる。

運河沿いに浜川橋(なみだ橋)に出て石畳を行くと、おなじみの龍馬像が迎えてくれる。この龍馬像は、浜川砲台跡より当時の敷石の一部が発見された際、高知市より記念に寄贈されたもの。

   4153no4.jpg
           二十歳の龍馬像

    4153no3.jpg
          品川    兄弟像    高知
           (浜川砲台復元委員会「浜川砲台」2号より)

厳しい自然環境の桂浜に立つ龍馬像(昭和3年造)は平成に入って修復されることになった。このとき傷んで取り除かれた銅片をもらい受けて、龍馬像に溶かし込んだという。まさに血のつながった兄妹像。
桂浜の龍馬はブーツだが、立会川の若い龍馬は草鞋を履いているのが、気に入っている。

当日はさらにゆっくり歩くと、約3時間かかるだろうか。立会川の駅の傍にカフェがあったので、ここで次回の相談ができる。
願わくば、もう少しコスモスの花が開いていてくれれば・・・。
旅・散策・イベント

今年のコスモスは・・・

2019年09月29日
来月初めのすいよう会散策の下見を兼ねて品川宿と「しながわ花海道」を歩いたのは、昨日、今日と開催されるしながわ宿場まつり20193日前だった。昼の旧東海道の石畳は観光客は少なく背広姿の男性が目立った。

旧東海道品川宿は何度も訪れているし、「しながわ花海道」ができた秋からは運河を背景に風に揺れるコスモスを、そして春には菜の花を愉しんだ。散策用の栞は下見をせずともできるが、台風のあとの花海道のコスモスが気になったこともあり、秋の午後、Oさんを誘って出かけた。

下見は集合場所の北品川駅から始めた。舟だまり、北品川橋を渡り、鯨塚がある台場浦公園から御殿山下砲台(台場跡)へ。

  4152no2.jpg
          舟だまり

   4152no1.jpg
       鯨塚        御殿山下砲台跡  

鯨塚は、徳川家斉の代に、品川沖に迷い込んだ鯨の骨を葬った塚が利田神社境内に残る。
台場小学校の敷地は幕末の砲台跡を示す五角形という。

国道を渡り、旧東海道へ出ると、聖蹟公園の本陣跡、交流館を過ぎ、目黒川に架かる品川橋を渡る。石畳がつづく。
この日は名工長八のてこ絵で知られる寄木神社や荏原神社などは割愛したが、当日は寄る時間があるだろうか。

   4152no7.jpg

さらに行くと、何度かスケッチした畳店がある。いつも白い軽トラックが止まっている。(旧東海道川崎宿から六郷土手へ
大きな江戸六地蔵が鎮座する品川寺(ほんせんじ)を過ぎ、左折すると勝島運河が見え、「しながわ花海道」に出る。

  4152no3.jpg
       勝島運河に架かる鮫洲橋

   4152no4.jpg
   4152no5.jpg
      4152no6.jpg

9月に見頃を迎え10月中頃まで約10万本のコスモスが咲き誇るといわれる花海道、キバナコスモスは多少まとまって咲いていたものの、台風の影響なのか、コスモスの花はちらほら。蕾があったので、まだ咲いてくれることだろう。
彼岸花が咲く道を浜川砲台が復元されたクジラ公園に向かった。
旅・散策・イベント

中学生の職場体験

2019年09月28日
朝、いつものように郷土博物館に着いた。午前中は考古関連以外にもさまざまなことが話題に花咲く楽しい時間。午後からの資料整理、数ヶ月間前から弥生時代の山王遺跡の土器片の整理をしている。
この日の午後、近くの中学2年生男女各2名が「職場体験」で土器資料整理を体験をすることになっているという話があった。

職場体験学習は中学校などの教育課程の中の特別活動、総合学習などの枠内で生徒たちに地域社会のさまざまな事業所で、職業の現場を体験させることをいう。
何年も前になるが、たまたま入ったスタバで「中学生職場体験中」という張り紙を見たことを思い出した。(子どものお仕事体験

   4144no1.jpg
        スタバ―バックス  2011.11

主な体験現場は学区内にある職場に数名ずつ派遣され、担任の教員が現場を巡回するのだという。百貨店、スーパー、書店、衣料品店、ホームセンター、ガソリンスタンド、飲食店など、一般的には商店や製造工場などのほか、区町村役場、裁判所、警察署、消防署、鉄道、バス、空港、新聞社、放送局、郵便局、動物園、水族館のほか、病院、診療所、老人福祉施設、動物病院、スポーツ施設、小学校、幼稚園、図書館、博物館、保育所など。

職場体験の4人の中学生が机につくと、整理の仕方についてH学芸員から、そして現在、貝塚から発見された貝を研究中のY先生から動物考古学についての説明を受けた。
動物考古学は、遺跡から出土する動物遺体(主に骨、歯、角、貝殻)から、人と動物の関係の歴史を考える考古学の一分野。
動物遺体を扱うが、研究の主体はあくまでも人間であり、動物に関連した過去の人間活動を復元することを目的としているという。

郷土博物館での整理というのは主に遺跡から発掘した遺物(土器片や石器など)の写真と拓本図を照らし合わせるという地道な作業。積み上げられたテンバコに入っている遺物の中から学芸員が数個の土器片を机の上に並べると、写真と拓本図(たとえばFig12 10-9)の中から該当するものを探し出す。

今年6月に整理した山王遺跡出土の土器の底にはっきりとした葉脈の跡がついていた。こういったものは見つけやすいが、たまには机上に広げた土器片のほとんどが分らないこともある。
ちなみに山王遺跡(山王3-31-21)は弥生時代中期から古墳時代初頭(1~4世紀)の遺跡。 

  4144no2.jpg
           山王遺跡出土

その後、山王遺跡の土器片の整理を開始。友の会メンバーが傍についてサポートするが、せっかくの職場体験、あまり見つからないと困る。が、その心配をよそにとくに女子の1人が「ありました!」と次々に見つけていく。1つも見つからない男子は少々焦り始める。
緊張しているのか、訊かれたことしか答えない彼ら、何としても見つけてもらって達成感を味わってもらいたい一心で懸命にサポート。
次第にコツをつかめたのか、土器片と番号を新たにつけた紙をビニール袋に入れるのが間に合わないくらいの勢いでみつかり、机上に並べられた土器片はみるみるうちになくなっていった。
訊ねてみると、案の定、彼らは自ら希望して博物館に来たのではなかった。戦国、幕末史はともかく、古代史、考古にはまったく関心はなかったという。この日の職場体験がいつかどこかで生かされることもあるといいのだが。

2時間の資料整理後、感想文を書いてこの日の体験は終了。彼らはどんな感想を抱いたのだろうか。
わが収穫の1つ、動物考古学の存在。この研究もひいては人間を知ることであって、地球温暖化など現代の問題を考える上でも大いに生かされるということ。
また、弥生土器に縄目の文様を見つけたこと。とくに関東では、弥生時代に入ってもしばらくは縄文の土器がつくられていたということを知った。
「今からこうしたホンモノに触れる体験は貴重だよ」というK氏の言葉に妙に納得した。もし、中学生のころにこうした体験をしていたら・・・? せめて10年早く博物館に足を向けていたらと思うことしきりのこのごろだ。
絵画・博物館

「縄文鍋」

2019年09月27日
9月の郷土博物館の「縄文土器づくり」(3回連続)は平和島キャンプ場での野焼きが無事に終わった。(土器づくり 野焼き完成!

土器を焼きながら縄文鍋をつくって皆でいただくのも楽しみの1つ。貝塚から見つかった動物の骨や食べかすなどからも、彼らが肉だけでなく植物食料を主食としていたことがわかっている。
ベテランのFさんがシイタケとエノキダケ、小松菜、ナガイモ、鶏肉など、縄文人が食べていたものに近い食材を用意した。

縄文人といえば肉食のイメージが強いが、実際は彼らは雑食だったと考えられている。
彼らは大量のドングリを貯蔵した穴が各地の遺跡で見つかっているという。ドングリのほか、クルミやクリなどの木の実もよく食べていた。
春にはワラビやコゴミなどの山菜を採り、秋にはキノコ類も採っていたという。海が近い集落では、イワシやタイ、カツオやフグなど、川が近い集落ではコイやフナ、サケやマス、カキ、シジミ、ハマグリなどの貝類を食べていた。
動物ではシカ、イノシシが北海道を除く全国各地で食べられていた。また、ノウサギ、タヌキ、カモなどの小動物も。

確保した食料は、煮る、焼く、蒸す、燻製にする、日干しするなどさまざまな方法で調理された。
土器が発明されたおかげで、今まで食べられなかったアクの強い植物を茹でてアク抜きすることで食べるようになり、食料の範囲が大幅に広がった。

野焼きの合間に調理場で野菜やキノコの準備。土器づくりのときにY先生に教えていただいたハマグリの貝刀(かいじん)を、今回初めて使うことになった。

  4150no3.jpg
          ヤマイモを切る
      4150no2.jpg
       
貝刀でナガイモの皮を残して剥き、ザックザックとカットする。見ていると面白いように切れる。
小学生のK君も貝刀をつかってエノキダケのイシヅキを切り落とす。小松菜もサクサクと切れた。貝刀の威力に驚いた。

   4150no4.jpg
        エノキダケを切るK君
   4150no5.jpg

 4150no1.jpg
        キノコを切った貝刀

Fさんがつくった縄文土器はすでに沸騰していた。カットした食材を入れ、Fさんがすでに火を通してきた鶏肉、そして昆布と塩。
塩は当時、魚介類についていたのだろうという。昆布はなかっただろうが。もちろんサツマイモを包んだアルミホイルもカップも。つかった割箸はそのまま火にくべた。

   4150no6.jpg

   4150no8.jpg

  4150no9.jpg
    4150no7.jpg

弥生土器にはYさんにいただいた千葉の栗とKさんが採ってきたという山栗を入れた。柔らかく茹で上がりおいしかった。
お昼の休憩になるまでに縄文鍋は終わり、鍋も栗も美味しいと大好評だった。
自分のつくった土器が焼成できたのも嬉しいが、縄文人気分で味わった縄文鍋も最高だった。
旅・散策・イベント

縄文土器 完成!

2019年09月26日
「縄文土器づくり」の3回目は平和島キャンプ場での野焼き。心配していた台風17号の影響も受けず、涼しい秋の一日となった。
作品は午後2時過ぎには焼きあがり、次々に円形の階段に運ばれていった。
素手で持てるまでに冷めるのには30分以上かかっただろうか。実際に熊野神社遺跡(大田区)から出土した土器と比べると、片口が広がり過ぎているが、ヒビも入らずに立っているだけで感激した。(土器づくり 焼成
     
    片口
          片口土器 縄文時代前期            
 
  土版
    秋田県鹿角市出土の土版 縄文後期

   土版
         
土版は、土偶が抽象化し、手足がとれて土版になったといわれている。 穴のあいたものもあり、携帯に手頃な大きさであることから一般に護符と考えられている。(縄文の土版

 片口
                右)片口土器 熊野神社遺跡

     釣手土器

右は宮の前遺跡(山梨県西桂町)出土の猪装飾付の釣手土器を模したものとか。
まだ土器内から火が上がる有孔鍔付土器は不思議な形をしている。太鼓説、醸造用容器説などがあるが、ラグビーボールのようにも見える。曽利遺跡(長野県富士見町)出土。どちらも縄文中期。 
        
 4146no8.jpg
    4146no6.jpg                
 4146no12.jpg
               右) 小学生作 火焔土器  

土偶をつくった人も。モデルは国宝の長野県茅野市出土の「仮面の女神」。縄文後期。

       4146no13.jpg
         4146no9.jpg
   4146no10.jpg

博物館などで縄文土器づくりのワークショップ、教室などが開かれているが、土器づくりの会や同好会、サークルなども各地にあることを知って驚いた。
1年後の「土器づくり」では何をつくろうか。千鳥窪遺跡出土の注口土器がつくれるだろうか。今から楽しみだ。
旅・散策・イベント

土器をつくる 焼成

2019年09月25日
郷土博物館での土器づくりの3回目は平和島キャンプ場での野焼き。台風17号の影響で当日の天候が心配されたが、Fさんいわく「晴れ女パワー」で天気がもってくれて、涼しく、風も弱く、最高の野焼き日和になった。(土器づくり 粘土捏ね成形・整形」
ずいぶんと昔、参加したことある博物館の土器づくりだが、野焼きの日は参加できず、A氏にお願いしたため、野焼きがこれほど大変で、そして楽しい日だったとは知らなかった。

 4147no4.jpg
                  10:05  
  
2週間ほど乾燥させてあった土器を各自で火の周りに置くと、15分おきに位置を変える。燃え上がる火の近くに何度も近寄ることになるので、皮手袋、木綿の長袖で。眼鏡のフレームにも気を付けなくてはならない。
10時、薪に火をつけて土器を並べて乾燥させる準備が始まった。11時いよいよ周囲に土器を並べる。想像以上に熱い。
             
 4147no1.jpg
                 10:16
  4147no3.jpg
                 10:22
   4147no2.jpg
                  11:07
  4147no5.jpg
        向きをかえる  11:34
 4147no6.jpg
         底を焼く    11:52                
 4147no12.jpg
         縄文を描く雲  12:05    

 4147no7.jpg 
                  12:09

        1時間昼休み  薪は絶やさず

  4147no8.jpg
                   13:07 
  4147no9.jpg
    薪を井桁にくべる    13:18
      4147no13.jpg
                   13:30
  4147no10.jpg
                   13:46
   4147no11.jpg
                   14:12 

焼成後は各自皮手袋や棒きれを使って円形の階段に運んでいく。30分もすると個性豊かな土器、土偶、土版などが並んだ。冷めてから作品を接写したり、手にもって記念撮影する人など、見学や迎えの家族たちも加わり、40人ほど。すべて割れることもなく完成、あちこちで歓声が上がっていた。(縄文土器 完成!)  
絵画・博物館

台風のあとに

2019年09月24日
台風15号の関東上陸から2週間過ぎても停電は続いている。22日夜、千葉県内では約2300戸が停電。
住宅被害が、東京や神奈川、茨城など1都7県で1万3655棟に上ることが、総務省消防庁と千葉県のまとめでわかった。千葉県内の被害が最も多く、全壊75棟、半壊は997棟。一部損壊は1万587棟で、1週間前の15日から約8・5倍(22日時点)になった。

区内でも、倒れた樹、幹が割けた洗足池畔の柳、病院の案内看板など、あちこちで強風の被害を目の当たりにした。

  4149no1.jpg
    4149no2.jpg
   4149no3.jpg
       
すいよう会のO氏とは最近はLINEばかりだったが、久しぶりにメールで富士山の画像が(9/19)届いた。「長い長い梅雨が終わったと思ったら猛暑突入で、時折、お参りする本門寺さんからの富士山を見たのは1週間前。2か月半ぶりの感じです。今日で2回目です。

   4149no4.jpg
        
先日の猛烈な台風の翌日、本門寺さんへ行きましたが、最後の96段目の階段を登り切った時、目の前に信じられない光景があり、ビックリ仰天!!2本の桜の大木(老木)が、根っこから折れ、参道上に倒れて無残な姿です。可哀そう・・桜の横にある灯篭の一部も倒れてました」
2~3日後に行ったときは、跡形もなく片付いていたというが、大堂の脇の身延山の枝垂桜(一部を移植)も倒れていたが、幸い根がしっかりとあったため、後日、修復されたという。墓地の桜も被害があったそうだ。

木の実もずいぶんと落ちていた。目黒の庭園美術館前の歩道でもドングリ児童遊園でも銀杏の実が落ちている量は半端でなかった。(白金のイチョウ並木
  
縄文鍋用にと、近くの公園に落ちていたを拾ってきたが、実は薄くまだ未熟。とても縄文鍋には無理だった。そんな時、Yさんが千葉の友人からもらってきたを分けていただけることになった。台風で落ちただというが、店で売られているのと変わらない。(頭の中は縄文鍋・・・

    4149no7.jpg
   4149no8.jpg
            9.12  

多摩川沿い(ガス橋-丸子橋)のオニグルミが気になって見に行った。落ちている実もあるが、まだ、しっかり青い実が枝に頑張って残っていた。     
昨年はオニグルミを拾ってきたのは11月初め、栗同様、未熟だろう。

   4149no5.jpg
    4149no6.jpg
             9.18

縄文土器の焼成日は、台風17号の影響で天候が心配されたが、雨も降らず、涼しく、風は弱く、最高の野焼き日和となった。
野焼きの傍らで昨年つくったというFさんの土器で縄文鍋と栗を茹でた。とくには好評だった。(土器をつくる 焼成縄文鍋
旅・散策・イベント

「縄文の世界観」

2019年09月23日
今日は24節気の1つ「秋分」。「秋分の日」は、秋分に入る日をさしている。太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日で、彼岸の中日。国民の祝日になっており、国民の祝日に関する法律で「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ」という趣旨。

Rさんと港区郷土歴史館をはじめて訪れた後、ランチ後、白金台いきいきプラザへ向かった。歴史館は地下鉄白金台駅2番出口から、講演会会場のいきいきプラザは1番出口の前と近い。(港区立歴史博物館へ
縄文研究の第一人者小林達雄氏(國學院大學名誉教授)の『縄文とJOMON-人類史の中の縄文文化―』は歴史館の特別展『港区と考古学』の関連講演。

4148no1.jpg

1万5000年前に幕開けした縄文時代、縄文文化が旧石器時代につづく第二段階の始まり、それが縄文革命だという。
定住生活の開始が始まったことで、自然の中に新たに人工的空間のムラを営むようになった。

それまではヒトの手になる石器、骨器、角器、牙器、木器のいずれにしてもすべて素材を割ったり、折ったり、削ったり、磨いたりという加工作業によって作り出された。
ムラの生活によってモノを持つようになり、土器の製作が始まり、道具も一変した。粘土からつくられる土器は加熱により水に溶けない道具となった。

   4148no3.jpg
      縄文中期 応用の時代 
       (國學院大學博物館)
    4148no2.jpg
       縄文中期 火焔土器  
      長岡市岩野原遺跡出土

縄文土器は縄文人、縄文時代、文化を象徴する。本来は水平な口縁部に突起がある。もともと突起などは必要としない容器には火焔土器や水煙土器まで大きくのさばることがなくとも突起は邪魔なもの、無用の長物でしかない。縄文土器は、彼らが思いのたけを表現した情緒的な、世界でも類をみない土器だという。今や「JOMON(縄文)」や「DOGU(土偶)」は世界に通用する言葉となっている。

やがてムラの住人は自分たちの意志で頑丈で耐久性のある住居をつくり、日常生活に必要とする食料保存用の倉庫、ゴミ捨て場、共同作業場、共同墓地、そのほか、マツリをはじめとする公共的行事用の広場などを次々につくり始めた。
ムラ(全的空間)の周囲の限定的な空間であるハラ(自由空間)は、食料庫であり、必要とする道具の資材庫となった。

同じ人類でもヨーロッパなどの農耕民にとっては、ハラは農地拡大の対象であり、ムラの外にもう一つの人工的空間、ノラを設けてさらに拡大していった。それとは対照的に、縄文人はハラを舞台として自然との共存共生していた。ちなみにハラの外はソラ(天空-異空間) だという。

1万5千年前に始まり、1万年以上を超える長い縄文の歴史を通じて培われた中から縄文の世界観が醸成され、現代日本人の自然観を形成する中核となったと小林氏はいう。こうした文化的な心が縄文の文化的遺伝子となっている。
言葉が文化をつくり、文化が言葉をつくる。世界各地には6千語以上の言語があるが、とりわけ日本語にはいくつもの顕著な特性があるが、その1つが「オノマトペ」だという。
「縄文人をとりまく、草木みなもの言う森羅万象、自然との共存共生からさらに一歩踏み込んだ、自然との共感共鳴ともいうべき関係」だという。

縄文人の哲学思想は過去に存在した事実というよりも、実は己はもとより、時空を超えて、人間に等しくかかわる現在的意味を問うものである」。
縄文人の遺跡、遺構、遺物を根堀り葉堀り知ることよりも、縄文人の心、いわば哲学思想に接近を試みたという小林氏。愛読書になりつつある『縄文の思想』の「まえがき」にこう書かれていた。
絵画・博物館

港区郷土歴史館へ

2019年09月22日
白金台に目黒通りを通っていて気になっていたゴシック様式の建物がある。鉄骨・鉄筋コンクリート造りで地下2階、地上5階、塔屋3階の巨大な建物。1938(昭和13)年に竣工した旧公衆衛生院は、ロックフェラー財団の支援、寄付のもと、国が設立した機関。
設計者の内田祥三は、旧公衆衛生院のほか、隣接する灯台医科学研究所(旧伝染病研究所)や東大本郷キャンパス内の安田講堂などを設計した東大建築学科教授。

2002年に国立保健医療科学院として統廃合され、埼玉県和光市に移転するまで、建物は使用された。
2009年、港区がこの建物と敷地を取得し、郷土歴史館を中心とした複合施設ゆかしの杜として耐震補強やバリアフリー化などの改修工事を行って2018年11月、開館した。

  4145no1.jpg
          港区立郷土歴史館

以前から前を通る度に気になっていた建物なので、一度見学、スケッチ?したいと思っていたところ、特別展『港区と考古学』関連の『縄文とJOMON』の講演会があることを知って早速申し込みをした。講師の縄文研究の第一人者小林達雄氏の著書『縄文の思考』は愛読書になりつつある。

講演の当日、白金在住のRさんと待ち合わせて郷土歴史館へ向かった。途中、庭園美術館の門前には行列が出来ていた。『1933年の室内装飾』の展示中。
歴史館の方は空いていた。常設展と特別展のセット券(一般¥600)を求めると、失くさないようにとチケットを渡された。特別展示室は1階、常設展示室は3階にも4階にもあるため、展示室に出入りする度にこのチケットのQRコードをセキュリティゲートにかざさなくてはならないのは少々面倒だったが、建物の見学やカフェだけを目的に訪れる人も多いからだろう。

10年も前になるだろうか、りんりんと訪れたことのある三田の郷土資料館にあったものは歴史館に移ったという。クジラの骨格標本を見ての帰り、彼の様子がおかしく、立ち寄った医院でインフルエンザと診断されたのでよく覚えている。(いろいろな三種の神器

   4145no7.jpg
    標本の下、ペンギンに見入るりんりん   

ちなみにミンククジラの標本は、現在は歴史館の2階に展示されていた。

   4145no5.jpg
          クジラの骨格標本

    4145no6.jpg
旧講堂 
  4145no2.jpg              

Rさんは、お子さんが幼稚園時代、この構内をよく訪れたが、まだ歴史館は訪れたことがないという。「港区についてあまりにも何も知らなかった!」ととくに常設展示を丁寧にみていた。

    4145no3.jpg
       4145no4.jpg

今年は港区の伊皿子貝塚遺跡現地発掘調査が終わって40年目を迎えるという。港区の考古学研究は明治20年代に着手され、貝塚を中心とする先史(縄文)時代の遺跡が主な調査研究の対象。1958(昭和33)年から60年には増上寺徳川将軍墓の調査が行われたが、文化財保護法に基づく遺跡としては認定されなかったという。
こうしてみると、大田区には実に多くの遺跡が存在している。交通の便がネックになっているのだろうか、考古関係展示が非常に充実している郷土博物館を訪れたことのない区民の多いのは残念でならない。

午後は近くの「いきいきプラザ」のホールで講演会がある。「ゆかしの杜」1階にあるおしゃれなカフェ「ベジタブルライフ」でランチをすることにした。「八芳園」がプロデュースしているとか。提携農家から届く、新鮮な野菜をたっぷり使ったヘルシーなランチをいただいた。ランチのメニューは、月替わり、野菜だけのベジボックス、肉料理をプラスしたミートボックス、魚料理をプラスしたフィッシュボックスの3種類。付け合わせの野菜は、当日用意されたメニューから3種類を選べる。
旧国立公衆衛生院が建設されたときに、食堂として設計されたとか、内装も、至るところにこだわりが感じられる。壁には20世紀初頭の建築物に多くみられる「泰山タイル」などが使われている。
旅・散策・イベント

えきもくベンチはここにも

2019年09月21日
「旧池上駅舎の木材で作られています 駅古材活用プロジェクトえきもく」と刻まれていた木製ベンチをみたのはひと月前。その日、たまたま入った池上駅にほど近い「」でも同じようなベンチをみた。えきもくベンチのある店

       4142no3.jpg
          「えきもくベンチ」図 *Click!

先日、東邦大学大森医療センターの帰り、蒲田付近にある「えきもくベンチ」のある牧田総合病院蒲田へ行ってみた。
院内にあるのかと思いきや、玄関の外に置かれていた。このときは誰も腰かけていなかった。

    4142no1.jpg
   4142no4.jpg
        牧田総合病院 蒲田分室

  4142no5.jpg
  4142no4.jpg
         バル FUKURO  蒲田

「くさっぱら公園」にもあるというので足を伸ばした。台風のあとだったため、栗の木の下にはたくさんの栗が落ちていた。
  
    4140no1.jpg
  4142no6.jpg
    4142no07.jpg
         くさっぱら公園   千鳥町

池上周辺にはとくに多い旧池上駅のベンチ。池上周辺は地図が頭に入っている。今度池上をゆっくり歩きながら、ベンチを訪ねてみようと思っている。
旅・散策・イベント

千羽鶴 まもなく完成

2019年09月20日
桂花会のO氏のために6人の女子LINEメンバーで千羽鶴を折ることにを提案した。実際は、ネットで見ながらはじめて折ったFさんとSさんと3人。(曲げる 曲げない?

ある程度折り進むと気になったのは、3人それぞれが折った鶴をつなぐのはどういう方法がいいだろうか・・・? 9月の桂花茶会はSさんの骨折のために中止になり集まるのはずっと先になる。
フルートを習い始めたSさんは1年ほど前からFさんのお宅で月1度、Fさんのピアノ伴奏で練習をしている。9月の練習の日にFさんのお宅にお邪魔して、3人分の鶴をつなぐことになった。

   4143no1.jpg
      集めて色分け・・・  Fさん宅

十分に千羽は確実に超えているのだが、隙間時間に鶴を折ったり、色分けしたり、数えたりしているのが楽しくなってきた。依存症のようになっていることに気づいた。不器用ゆえ決してきれいに折れているとはいえないが、この日までに折った鶴は1200羽を越えた。3人合わせると2千羽近くになるだろう。

西荻窪駅で待ち合わせ。いつもはお蕎麦屋さんとのことだが、この日は休み。彼女の家のそばのイタリアンでランチ後、早速、フルートとピアノの音の中で、まずは3人分の折り鶴を色分け。千羽鶴を持参したテグスでつなぎ始めた。一時ビーズ手芸に凝っていたというFさん、たくさんのビーズを出してきた。
持参したテグスの先端にビーズをつけてから紫系、青系、緑系、黄系とつけていくとすぐに50羽。結局、これだけで3時間近くが経っていた。

出来上がった千羽鶴をFさんからO氏に送ってもらう計画は断念。彼女にはカードを頼み、2人の折った鶴を持ち帰り、自宅で繋いで完成したらO氏に送ることになった。

    4143no2.jpg

持ち帰ったその晩、翌日、新たなグラデーションで繋ぎ始めた。ただ繋ぐのは簡単だが、尾を中に畳んだ状態に保つのはなかなか難しく、しかもテグスを使ったため、油断しているとくっついているはずの鶴が動いてしまう。

   4143no4.jpg
     50羽×10本 
 
2日かかって何とか半分仕上げた。なにはともあれ、今日中に完成させて送りたいと思っている。
中国・中国の旅

白金のイチョウ並木

2019年09月19日
今日は「世界公園の日」。公園と緑を讃える日。地球規模で都市公園の重要性について情報交換を行い、公園サービスのベストプラクティスを広め、人々が身近な都市公園を楽しんだり、緑地の重要性を十分に理解したりしてもらう活動をしているWorld Urban Parksが提唱している。

先日、Rさんと待ち合わせてJR目黒駅から「港区立郷土歴史館」まで歩いた。国立自然教育園や東京都庭園美術館を過ぎ、目黒通りを行くと、開放的な広場や築山がある児童遊園があった。港区最大の児童公園というだけあってとにかく広い。開園したのは2006年。

 4141no1.jpg
            どんぐり児童遊園

何年も前に立ち寄ったことを思い出した。以前は公務員住宅地だった跡地を自然保護と生活環境保護の観点から、地域住民の意見を取り入れるためワークショップ形式で整備された。既存樹木をできるだけ保存し、自然に親しむはらっぱ広場を基本に、盛土による起伏やじゃぶじゃぶ池といった子供の遊び場、お年寄りがくつろいだり軽く運動する場等の提案がされた。公園の管理も区、住民、各町内会や団体が連絡を取り合い行うことが決定した。

  4141no3.jpg
      「筋肉のばし運動」

  4141no2.jpg
        「どんぐり図鑑」 *Click!

名前の通り、コナラ、クヌギ、マテバシイなど、どんぐりのなる樹木もたくさんあるが、この日目に入ったのは台風15号の影響で落ちたのだろう、イチョウの木の下に掃かれて集められたギンナンの山。
 
  4141no4.jpg  
  4141no5.jpg
         どんぐり児童遊園

庭園美術館前の歩道にもギンナンやマテバシイの実がたくさん落ちていた。

  4141no7.jpg
  4141no6.jpg
           庭園美術館前

そういえば、庭園美術館前あたりからつづくイチョウ並木、そしてどんぐり児童遊園を過ぎて白金プラチナ通りに来ると、そこは外苑前に負けないほどのイチョウ並木がつづいている。シロガネーゼの語源ともなった地下鉄白金駅の北西にある「白金プラチナ通り」はオシャレなレストランやカフェ、ブティックが並んでいる。

   4141no8.jpg
         白金プラチナ通り
旅・散策・イベント

頭の中は「縄文鍋・・・」

2019年09月18日
自然からその恵みをいただくことでしか命をつないでいくことができない環境で生きていた縄文人。彼らがグルメだということはよく知られている。
だが、縄文時代は食べることに対して冒険の連続だったはず。トライ&エラーの連続。1万年以上の歳月の中で食材に対する知識は蓄積されていったが、最初に口にした人はさぞかし勇気が要求されたに違いない。

縄文土器は食べ物を盛る器ではなく、住居内につくられた炉で煮炊きする鍋として用いられたといわれている。
郷土博物館で2回に渡ってつくった縄文土器を野焼きする間、Fさんが数年前につくった土器で縄文時代にあったと思われる食材で「縄文鍋」をつくることになっている。

毎年、わが家の近くの空地に零余子(むかご)がたくさんなる。Fさんに「ムカゴがあったらいいわね」と言われて見にいったところ、わずか5個しか見つからなかった。昔はもっとどこにでもあって、ムカゴご飯を炊いたりしたのだが。
ムカゴは山芋の葉の付け根にできる球芽。 実でも種子でもない。

   4140no5.jpg
             ムカゴ

LINE仲間にどこか零余子のあるところ知らないかと尋ねると、40代のRさんやKさんは「ムカゴって何ですか?」
I さんは庭にあるけど今年はできていないとのこと。Oさんも昔の家にはあったけど・・・とのこと。
世田谷のSさんも近くにはないとのこと。杉並のFさんはAmazonで売ってるけど、11月とあるから間に合わないだろうとのことだった。

馬込のJAでいろいろな野菜を販売しているので、博物館に行く前に立ち寄って訊いてみたが、「ムカゴは扱ったことないですね。この辺ではヤマイモつくっている農家ないし~」とのこと。ムカゴは諦めた。
 
台風15号の数日後、ムカゴがありそうな近所の公園に入ってみると、栗の木の下に緑色の栗のイガがたくさん落ちているのが目に入った。こうした栗は写生したくて拾った時期もあったが、縄文鍋に使えるかどうかわからないとは思いつつも、ちょうど下げていた袋の中に素手でイガ栗を10個ほどつまみいれた。

    4140no1.jpg

帰宅後、調べると、天日干しをすると割れて実が顔を出すことがわかり、とりあえず、陽に当てることにした。だが、縄文鍋には無理かな、どう考えても熟して落ちた実ではない。

   4140no2.jpg
          天日干し

あまりに緑色がきれいなので、拾った栗の画像をFさんはじめLINE仲間に送ったところ、目黒のYさんから「今日、千葉の友人から台風で落ちた栗をいただいてきました。明日、帰りがけに目黒に寄って下さればお分けします」とのLINEが!

翌日は目黒駅でRさんと待ち合わせて港区立郷土歴史館で「特別展 港区と考古学」を観たあと、小林達雄氏の「縄文とJOMON」の講演会の日だった。こんなことってあるのだろうか。思わず「ウオー」と叫んでしまった。
講演会後、目黒駅まで歩き、Yさんにたくさんの栗をいただいた。ちょうど1週間後が平和島での野焼きの日、縄文鍋に栗を入れることが出来そうだ。  

    4140no4.jpg

そんなタイミングでYさんからいただいてきた栗は明後日、博物館でFさんにバトンタッチするまで、わが家の冷蔵庫の中。
どうか、当日、雨が降らないでほしいのだが。
植物など

夏も終わりというのに

2019年09月17日
わが家の今年のゴーヤの出来はよくない。とくに地植えの3本はあまり伸びず、花が咲き始めるのも遅かった。
苗を植えたのも遅かった上に、南の国育ちとはいえあまりの暑さに育ちは、なんとかなった実は曲がってしまうものが多かった。
今年は失敗だろうかゴーヤ料理」

  4139no1.jpg

それでも8月末、ゴーヤチャンプルを最後に根に近い方から少しずつ黄色い葉が目立つようになった。いつの間にか軒まで蔓が伸びてきていた。よくみると、小さな実がついている。1cmほどの実を見つけた。

   4139no4.jpg
   4139no2.jpg 
   4139no3.jpg
   
現在は極小のものまで入れると10個以上が下がっている。8月のころと比べるとゆっくりとだが着実に大きくなっている。果たしてまたチャンプルをつくることができるかわからないが、蝶や蜂がやって花に止まったり、台風にもめげずにぶら下がっているゴーヤのパワーをもらえそうだ。
植物など

秋のセルフケア

2019年09月16日
昨年10月、眩暈が気になって受診した東邦大学の東洋医学科(医療センター大森病院)、現在は月に1度の受診、漢方薬をつづけているが、できる限りセルフケアを心がけている。
昨年暮れから担当医田中先生の「漢方サロン」が開かれるようになった。会場は誰でも使える病院内の図書室。ここは病院スタッフに承認された医学書、病気に関するパンフレットなどが揃い、司書が相談に乗ってくれる。給茶機も用意され、音楽が流れる。また、パソコンとプリンター、コピー機も自由に使えるなど至れり尽くせり。

  4138no1.jpg
           からだのとしょしつ

毎回7、8人の参加者はなぜか全員女性。この病院の患者である必要はなく、Uさんも2回目から参加。ハーブに関心がある人やアロマ関係の仕事をしている人も多い。(東洋医学的冷え身体も春に

8月末のテーマは「残暑と秋に向けての養生」。東洋医学では季節によって身体、精神の状態が変わると考えられている。
人は観るものによって影響を受ける。秋の気は爽やかで高い。
秋は、春、夏の成果を収穫する季節。つまり、春、夏に我慢したり、心身を十分に温めなかったりすると、秋には「愁」「哀」の感情が強くなるという。

何よりもセルフケアが大切。秋に適した健康法は「早寝 早起!」。これは実行中。
気持ちを穏やかに「たたみこむ」。物事を受け容れて、平和で落ち着いた気持ちで過ごす―「容平」。
「ゆっくりとした呼吸」をすることを心がける。
「肺」を守ることが肝心。風邪をひかないように。
少しは肥ってもいい??らしい。食べるのは果実、種子がいい。肺によいのは、梨、ギンナンなど。秋は苦みのあるものは避けること。

東洋医学では、セルフケアを漢方薬や鍼灸で補ってくれる。
漢方薬としては「麦門冬」「百合根」「菊花」、鍼灸は「雲門」(鎖骨の下)、肺兪など。
目の疲れにいい「菊花」だが、毎年秋になると、桂花会でSさんが菊花茶を淹れて下さる。

   4138no2.jpg
         「金絲皇菊」 2017.9

その彼女は中国湖南の旅の初日に足を骨折、9月の桂花茶会はお休みになった。10月は湖南のお茶と菊花茶だろうか?まだ先なので、ゆっくりと宿題ができる。

つれづれ

仙人草の花

2019年09月15日
台風15号の通り過ぎた翌日、ふだんはあまり通らない道を通ってみた。空地の塀際には折れたクサギの幹が道路に倒れていた。
反対側の金網のフェンスに巻き付いている仙人草に気づいた。今頃の時季に咲くのだったかと思いながら坂を下りた。

   4137no1.jpg

仙人草センニンソウ)は、日本各地に分布し、日当りの良い山野に多く見られるキンポウゲ科の蔓性植物。8~9月に咲く白い花弁に似た咢片は4枚、雄しべと子房は多くあるが、花弁はない。
果実は種子状で平たく倒卵形でミカン色で、花の後、雌しべの花柱が伸びて長さ3cmほどで羽毛状になり、風で飛散して繁殖する。実の先端につく白い羽毛状のものを仙人のひげに見立てた。(仙人草紅い花 白い花

    4137no2.jpg

センニンソウにはウマクワズ(馬食わず)、ウマノハオトシ(馬の歯落とし)、ウマノハコボレ(馬歯欠)、ウシクワズ(牛食わず)、ハコボレ(歯欠)、ハグサ(歯草)などがあり、これは有毒植物である所以。葉と茎は有毒で、汁液が皮膚に触れると引赤、発疱して水腫ができたり、飲むと胃腸炎症を起こす。

10月頃に根及び根茎を掘り出し、水洗いした後、乾燥したものが生薬 「ワイレイセン(和威霊仙)」で、鎮痛、抗掻痒作用のある生薬「威霊仙」(ボタンヅルの根および根茎)の代用品として使用されたが、現在では使用されていない。
民間では、夏から秋にかけて採取したセンニンソウの生の葉を扁桃炎、神経痛、リウマチの痛みの患部に数分貼り付けるなど、少し手荒い療法があったようだ。
植物など

縄文の土版

2019年09月14日
「縄文土器づくり」の2回目は成形・整形の日。D氏は2時ごろにはすでに土器を作り上げ、余った粘土で数枚の土版を作り始めていた。
今回モデルに選んだ熊野神社遺跡(旧山王三丁目遺跡)の片口土器は高さ19.5cmと比較的小さいが、片口のところがなかなかうまくいかず、講師のK氏に「これ以上いじっても大して変わらないのでは?」と言われ、あとは模様で頑張るしかなくなった。

となりでは、K氏が数枚の葉を用意して、土器の底に回転板かわりに敷いて縄目をつけていた。1枚、アジサイの葉だろうか、分けてもらって土器の底に敷いて縄目をつけていった。葉脈の模様が何とかついたので、名前と日付を記して完成とした。
あとは余った粘土を持ち帰り、勾玉をたくさんつくり、「野焼き」の日に持っていくことにした。
山王遺跡だったか、整理中にみた底に葉脈が残った土器のようになるだろうか。

 4136no1.jpg
        山王遺跡出土 土器片

帰宅後、ネットで「土版」を検索してみると、なんとも言えない味のあるデザインが多い。土製の勾玉もなくはないらしいが、この際、土版をできるだけ多く作ることにした。
土版は、縄文時代の後・晩期の板状土製品。 東日本に多い。 楕円形または長方形で長径は6~15cmぐらい。
文様は磨消縄文や沈線文、また渦巻文など縄文晩期の亀ヶ岡式土器の文様などが施されている。
   4136no4.jpg
    茨城県 福田貝塚出土 重文
   縄文時代晩期(前1000-前400年)
  
トーハク所蔵の茨城県福田貝塚出土の土版(縦16.7 横14.0 厚1.7)をつくりたかったが、渦巻文は難しそうなので、とりあえず大湯環状列石風のシンプルな土版を6個もつくった。この土版は数字を表しているとか。1が口、2が目、3は左側、4は右側、5が正中線。

   4136no2.jpg
         焼成を待つ

東北地方では石製の岩版がまず作られはじめ、後に土製の土版へと素材が変わる。土版には顔や身体が立体的に表現される例や、女性を示す乳房や正中線が表される例もあり、土偶と共通するような役割を果たしていたとも考えられ、また紐を通すような孔をもつことからお守りとして使われたとも考えられている。     
  
『思想を形で表すもう1つの言語―縄文人の偉大な発見』(大谷 幸市著)によると、土版や石版の文様パターンは東北と関東では大きく異なるという。東北地方では「渦巻文」、関東地方では「幾何学図形」とそれぞれの地域で文様が統一されていたようだ。    
 4136no3.jpg

古代の土器などの文様に高い関心を寄せてきた大谷氏によれば、「形を作るという言語を使いこなした縄文人の土器や土偶は文字であった」という。
絵画・博物館

片口土器を目指して 

2019年09月13日
恒例の郷土博物館の「縄文土器づくり」は、粘土を捏ねる(半日)、成形・整形、そして平和島キャンプ場での「野焼き」の3回連続のイベント。
初日の午前は友の会員の粘土捏ね、午後は一般の粘土捏ね。1週間後の成形は10時から昼休憩をはさんで4時まで。(7日が友の会員、8日は一般)。(粘土を捏ねる成形・整形) 
そして2週間あけて、平和島キャンプ場での「野焼き」が予定されている。

当初、トーハクで写生したことのある「千鳥窪貝塚出土の注口土器」を真似てつくることを考えていたが、ベテランのFさんに「それは難しいと思うわ。来年、いっしょに作りましょ!」と言われて、熊野神社遺跡出土の「片口深鉢型土器」を勧められた。このレプリカは館内に展示されていて、『ふしぎな縄文土器』に載っているだけでなく表紙になっている。さらにS学芸員に図面をいただき、寸法、厚みなどもよくわかるのだが、そう簡単にはいかない。

  4135no2.jpg
     片口土器 縄文前期  熊野神社遺跡(大田区)

   4135no1.jpg
     熊野神社遺跡 片口土器

熊野神社遺跡は旧山王三丁目遺跡。縄文土器の注ぎ口は大きく2つの形態に分けられる。
最初つくろうとした千鳥窪貝塚出土の土器のような注口土器、そしてこの土器のような片口土器と呼ばれるものがある。
片口土器は、関東地方で前期前半の関山式土器に盛行したが、その後、一般化しなかったらしい。

   4135no4.jpg
      図面で寸法を測りながら・・・
 
  4135no5.jpg
   やすませる時には濡れ雑巾をかけて

とくに片口部分がうまくいかず、「前にもつくったことがあるのに・・・」とぼやくと、K氏に「そのときは若かったから・・・。初めてと同じだから仕方ない」と慰められた。

   4135no6.jpg
       時間切れ・・・

たしかに以前縄文土器をつくったのだが、そのときの様子をまったく覚えていないほど昔のこと。土器の裏には名前も日付がなかったので、いつ作ったのかもわからずにいた。
帰宅後、中に入れてある炭をどけてみると「96 9」とあった。 1996年9月、23年も前のことになる。
「野焼き」も「縄文鍋」の経験もしなかったので、今年は平和島での野焼きが待ち遠しい。雨天の場合は1週間延期。どうか雨が降らないでほしい。
絵画・博物館

土器づくり 成形・整形

2019年09月12日
郷土博物館恒例の「縄文土器づくり」の2回目は「成形・整形」。同じく講師は友の会会長、ベテランのK氏。 1週間前に捏ねて寝かせておいた粘土から形をつくっていく。(土器をつくる 粘土捏ね

   4134no2.jpg

底をつくり、紐状にした粘土をその上に載せていく方法を実演。重なり合った粘土紐は指先で撫でるようにして均す。 
だいたい3本くらい重ねたところで、竹べらやハマグリなどの貝できれいにした方がやり易いとのこと。

  4134no1.jpg
     紐をつくる  底の厚さは約1cm
  
   4134no5.jpg
     4134no4.jpg
     
昼までに早い人は立ち上がり、大方の形が出来上がった。午後からは取っ手をつけたり、いよいよ整形。
隆起文で装飾したり、竹の棒などをつかったり縄を転がしたりして模様をつけていく。
  
  4134no6.jpg
           取っ手をつけるときは・・・

2週間後には平和島キャンプ場で野焼きをしている間、縄文鍋をつくり皆でいただくという。
縄文鍋に使うのはFさんが数年前につくった土器らしい。調理には貝刀(かいじん)を用意することになっている。
数十年前に参加したことがある土器づくりだが、平和島での野焼きは初めて。2週間後が楽しみだ。
絵画・博物館

被災地の砂で

2019年09月11日
東日本大震災から8年半。震災を乗り越えてきた砂が仙台市の資福寺の本堂にある4本の柱に、東西南北を守る4つの神獣「四神」が描かれたという。この河北新報の記事を読んだのは8月半ば。「四神」がモチーフということ、「東日本大震災の被災地で採れた砂が画材として使用されたというのが印象に残っている。

  4122no1.jpg
      白虎   (河北新報) 

直径約1mの木柱に描かれ白虎、朱雀、青龍、玄武は、幅約50cm、長さ約1m。描いたのは、宇治市の絵師福井安紀氏。
震災後、今後起こりうる災害から本堂を守るため、法隆寺などのように守り神を守ってほしいという関係者の願いを受け、東日本大震災の被災地で採れた砂などを画材に使い、厳かな雰囲気に仕上げたという。

絵付けに使った砂は、名取市閖上(ゆりあげ)地区の海岸や南相馬市で土地のかさ上げに使われたもの。閖上の砂は2月に仙台市内で開かれた福井さんの個展で、訪れた地元の女性から提供された砂で、「粒が小さくきれいな白に仕上がったそうだ。

「四神」とは古来より東アジア一帯にて世界の四方の方角を司り守護すると伝えられている聖獣。 青龍、朱雀、白虎、玄武の四聖獣(四神獣)で構成された縁起の良い神。
風水の基本的な世界観として、東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武の揃う場所は「四神相応」と呼び理想的な地勢とされる。
旅・散策・イベント

ごみと資源

2019年09月10日
今月のすいよう会は大田区内にある2施設の見学。五十嵐健治記念洗濯資料館と多摩川清掃工場。
東急線下丸子駅に集合してコミュニティバス「たまちゃんバス」に乗ってまずは洗濯資料館へ。洗濯資料館は2度目だが、皆は初めてとのこと。
資料館にはクリーニングに生涯をささげた白洋舎創始者五十嵐健治を偲ぶ遺品、著書や写真などの資料、クリーニング業の歩みをたどる、洗濯の歴史などが展示されている。(近所にある資料館

2003年に建設されたという多摩川清掃工場は比較的小規模だそうだ。月1回の見学日以外には、団体(10名以上)で申し込む必要がある。今回は10名で申し込んだが、当日はFさんが欠席のため9名になった。

資料館から多摩川清掃工場までは多摩川沿いの旧堤通を歩いた。
10年ほど前、工場隣のマンションにりんりんたちが住んでいた。さらに昔、息子が小学生のころ、清掃工場から出る余熱を利用した温水プールに通っていたこともあり、懐かしかった。

玄関を入るとハスキー犬が迎えてくれた。飼えなくなった?なら、リサイクルとで新しい飼い主を探すなど方法はあったのだろうに・・・。
  
      4132no5.jpg
           「ごみの中からでたワン」

 4132no6.jpg
 
遠くからでも見える煙突は、赤と白だったこともあるが、現在は白を基調に先端の淡いブルーの落ち着いた色。
見学は1時間半。ごみ処理についてのビデオ上映や係員による概要説明があり、数種類のパンフレットをいただいた。

 4132no1.jpg

職員の案内で制御室をはじめとする工場内設備を見学した。
ごみを高温で燃やすことにより、衛生的に処理するとともに、容積を約20分の1に減らしているという。さらに、焼却灰を溶融処理することで容積を2分の1にすることで、貴重な最終処分場を極力長く使用することを図っている。

  4132no3.jpg

以前は分別していたプラスチック類だが、資源回収されるものをのぞき、「可燃ごみ」として扱われるようになった。
プラスチック類も焼却されるようになって排ガスが少々気懸りだったので、質問をした。
プラスチック類のごみを清掃工場で焼却することにより、熱エネルギーを回収し、発電などに活用することを「廃プラスチックのサーマルリサイクル」といって、2008年から行われているという。

排ガスの状況は、多摩川土手沿いの旧堤通りの車両出入口門脇に電光掲示板には、焼却炉稼働時の排ガス中の有害物質(硫黄酸化物、塩化水素、窒素酸化物、煤塵など)濃度が常時表示されている。
使用された水もすべて規制値以下まで取り除かれて下水道へ放流されているという。

   4132no4.jpg
      ごみの中身 ごみの量  :Click!

見学者の内訳は、環境学習で訪れる小学生が8割、意外にも海外からの見学者が一般住民の倍を占めている。
毎日何気なく出しているごみについてもっと関心を持ち、3R―リデュース、リユース、リサイクルを実践、限りある資源をできる限り大切にするライフスタイルに変えていく必要があると感じた。
旅・散策・イベント

自転車保険

2019年09月09日
今日は「重陽」。重陽は、陽数(奇数)の極である「9」が月と日に重なることからいい、重九(ちようきゆう)ともいう。中国行事の渡来したもので、邪気を避け、寒さに向かっての無病息災、防寒の意味もあった。
菊花宴ともいい、685年(天武14)を起源とするが、嵯峨天皇のときには、神泉苑に文人を召して詩を作り、宴が行われていることが見え、淳和天皇のときから紫宸殿で行われた。菊は霊薬といわれ、延寿の効があると信じられ、この日、菊酒を飲むことも行われた。

今日9月9日は「救急の日」でもある。どこの自治体でも急増する救急出動件数に頭を悩ませているという。
高齢者の自転車事故も多い。高齢で運転に自信がなくなって運転免許証を返納し、自転車に乗り始める人が多いようだ。
とくに出合頭に起こる事故が多く、これは、高齢による認知ミスも大きな原因の1つになっているとか。他人事ではない。

コミュニティサイクルのポートも増えてきたように思う。これで放置自転車が減ってくれるといいのだが。
  
 4131no2.jpg
      コミュニティサイクル ポート
 4131no1.jpg

多発する自転車事故、そして遅れる高額損害補償の対策。「自転車保険の義務化」は、全国で静かに進んでいるという。国交省によると、自転車保険の義務化条例は、埼玉県、神奈川県、長野県、静岡県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、鹿児島県など9つの府県や、仙台市、さいたま市、相模原市、名古屋市、京都市、堺市など6つの政令指定都市で既に制定されている。
だが、「規制なし」の自治体も多く、ほかに「努力義務」「義務化に向けて進行中」「一部都市で義務化」と自治体によってまちまち。

東京都の自転車関連事故は全国平均の2倍。交通事故全体の36.1%になるという。
各都道府県別の自転車保険加入率トップ5(au損保調べ 2019.4)は、1位:兵庫県(71.5%) 2位:京都府(69.8%) 3位:滋賀県(69.6%) 4位:大阪府(67.8%) 5位:埼玉県(66.9%)これらの自治体ではすでに自転車保険加入が義務化されている。
一方の東京都は、加入率が49.6%と全国30位。

豊島区では、今年10月1日から、区内での自転車利用者らに対し自転車損害保険などへの加入を義務づけることがわかった。義務化は都内で初めてという。
今月3日、東京都議会に自転車の利用者に損害賠償保険の加入を義務づける改正条例案が提出された。可決されれば、早くて2020年4月に「自転車保険加入の義務化」が施行される見通し。都も都議会に、損害賠償保険への加入を義務付ける改正条例案を提出しているが、豊島区で先駆けて条例での義務化が進められることになるという。
旅・散策・イベント

「宗観好みの茶器」 九月

2019年09月08日
今日は24節気の1つ「白露」。昼夜の気温差が大きくなるこの時季は、朝晩に空気が冷やされ露を結ぶ。
朝の光に白く輝く露のことを、古の人は「白露」と表現した。白露は、露の美称「しらつゆ」のことで、秋の季語でもあります。
「露華」「露珠」「銀露」「月露」「月の雫」これらはすべて、きらきらと輝く露の美しさを表したもの。また、「玉露」も本来、露を美しい玉に見立てた言葉。

母が大切にしていた12種類の茶器「宗観好十二ヵ月の棗」は、井伊宗観、つまり井伊直弼が自らの意匠と詳細な指示で、幕末の名工である八代中村宗哲に作らせたという月次茶器のこと。(十二種類の茶器)

井伊直弼は、国学、古学、兵学、居合、茶道、和歌などにもすぐれた才能を発揮したということも、石州流の茶の湯をよくし、「12ヶ月棗」などの好み道具のほか、『茶湯一会集』『茶湯をりをり草』などの著書もある。

井伊宗観が選んだ12種の茶器は『宗観好十二月茶器の研究』に詳しく解説されている。
これらは藤原定家の『詠花鳥倭歌』の本歌取り、そしてこれらの歌をモチーフにしたのが江戸期の『十二ヶ月花鳥図』。

九月   尾花に鶉
      透塗  平棗  高さ 5.8cm 径 8.2㎝    

溜塗の平棗に尾花が黒漆で秋の夜棗ふうに描かれている。澄み渡った空には月が出ているのだろうか。
地には二羽の鶉と小さな草花が月の光を受けたかのように金蒔絵で照らし出されている。秋の夜のわびた風情が心に伝わってくるような棗である。
本歌は、透塗(木地蝋色塗)としてあるが、木地の目止めをしたとみられ現在の溜塗に近いと思われる。
旧暦九月の異名を長月という。秋の夜長の月である。雄花は、春三月の桜と対応し、鶉は同じく雉子と対応する。
また、甲の広い平棗の形は、夏に向かう晩春三月の薬器の盛り上がった甲とは逆に、冬に向かう晩秋の九月ゆえ、低くなって対応する。

      4130no2.jpg
            尾花に鶉   p30

本歌
   九月  薄     花薄草の袂の露けさを捨てて暮れゆく秋のつれなさ
   九月  鵲     人めさへいとど深草かれぬとや冬まつ霜に鶉鳴く覧

 4130no1.jpg
          薄・鶉図

宗観好十二月茶器は半年ごとの「対」の構造を持っているという。三月茶器は九月茶器と「形と塗の対」になっている。
正月茶器と七月茶器は「形の対」、二月の茶器と八月の茶器は「塗の対」になっている。
四月茶器と十月茶器は「形の対」、五月茶器と十一月茶器は「形の対」、六月茶器と十二月茶器は「形と材質の対」。
身近な人びと

曲げる?曲げない?

2019年09月07日
桂花会のメンバーの1人、数年前から闘病中のO氏が入院された。年に数回の集まりにはこの1年は元気な姿を見せておられたが、今回の暑気払いには欠席されたので気懸りだ。少しさびしい桂花会だったが、次の忘年会に出たいから頑張るとのことだったのでとりあえずほっとした。(この夏最後の暑気払い

先日、片づけをしていたとき、千羽鶴用の折り紙を入れた箱に目が留まった。ふと、桂花会女子のLINEに「O氏のために千羽鶴を」という提案をしてみた。6人で折れば・・・と軽い気持ちだった。
するとFさんから「私のような小学生以来、折紙を折ったことのないものにとっては、ハードル高すぎです。ネットなどに折り方は出ているので、それを見て練習するとして、1つ折るのに最低3分はかかりそう」「そこで、計算してみたけれど、お茶会(わが家での月1回)参加の女子4人で折るとすると、1人250羽を折ることになる。1日10羽で30分かかるとして、休みなく続けても25日間はかかるのでは?餃子包むのもままならない私としては、不安」と返事が来た。

皆がツルを折ることができるとは限らないし、折り紙などする時間などないかもしれない。できる人ができる時間に、千羽にならなくても、いくつでも、と軽く考えて提案してしまったことを謝った。「Fさんの分も折るので気にしないで・・・」と書くと、入れ違いにSさんから「早速折り始めています。Fさん無理しないで」と入った。とりあえずホッとした。しばらくして「ノルマなしなら、下手くそでもやってみるね」とFさん。頭が下がる。

PC机や食卓の横に折り紙を置いて、気分転換に1羽、2羽と折り始めた。
翌日、りんりんたちがやってきた。彼もツルを折り始めた。「ツル折れるの~!」 驚いた。実にきれいに折れている。そういえば、彼の手先は器用、幼稚園のころから彼は折り紙が好きだったことを忘れていた。
よくみると首が折れていない。未完成かと思ったら、「千羽鶴は首折らないでしょ」と。

慌ててネット検索。確かに「首(頭)を折るのは縁起が悪い」とある。さっそく、とりあえずスクリーンショットを送った。
Fさんから「初めて知った。が、当然と言えば当然!」「それこそ首のところがうまくいかず、下手でもいいというから、やってみたら結構、気持ちが落ち着くというか、精神衛生上良いみたい」と。
彼女が初めて折ったツルたちの写真が来た。30羽くらいあるだろうか、嬉しくて涙が出そうになった。

      4127no1.jpg
          Fさん 初めての折り鶴

翌朝8時前、Sさんから「今成田です。私も折り紙苦手ですが、頑張ります」と。彼女は今回の中国湖南の旅、一日目に足をくじいてしまったそうだ。病院通いに中国茶のセミナーなど帰国後の予定は目白押し。

すでに150羽は越えたわが折り鶴の首を伸ばす作業に取り掛かった。
すでに折り始めていたSさんからは「折紙は順調に進んでいます。只今120羽通過です。頭を折り曲げないことも了解です~」と。

   4127no2.jpg

「千羽は多数の意味で千羽ちょうどでなくともよい」というのはわかるが、あらためて調べてみると、日本折紙協会では、「頭(首)については折らないとどちらが頭かわからなくなるため折るように」としている。なかなか難しいものだ。
要するに気持ちが伝わればいいのだろうが。
中国・中国の旅

わが家で勾玉づくり

2019年09月06日
郷土博物館の夏休みの体験講座で行われた「勾玉づくり」を友の会でお手伝いをした。未経験の3人は1週間前に自分の勾玉のペンダントをつくった。(勾玉づくり) 
すいよう会の暑気払いのときにペンダントをつけて行ったところ、つくってみたいということになり、わが家で準備することにした。
お孫さんたちにあげたいので小さいセットがいいというSさんの要望もあり、博物館でつくったものより小さいものを13個注文した。
送料込で材料費は400円。届いた翌日、お孫さん用に5個注文したSさんに手渡した。

当日わが家に集まったのは6人。奥様のためにつくるんだと張り切るS氏と、そのS氏に誘われたO氏と男性も。アドバイスをしながら1つ仕上げた。削る部分は少ないが、小さいのもそれなりに難しい。
二胡のCDを流しながらお喋りしながら、ときに黙々と、気づくと1時間は過ぎていた。勾玉が出来上がった。

   4128no2.jpg

石は滑石というロウ石。いわゆる硬度は1でもっとも柔らかい石。紙やすりで面白いように削れるが、紙やすりがなかった古代人は
穴をあけるのも削るのも大変だっただろう。
動物の牙に穴をあけて用いたのが始まりといわれるが、その後、石、土、さらに弥生時代にはガラス、古墳時代には翡翠、瑪瑙、琥珀などでつくるようになったといわれる。(勾玉

    4128no3.jpg       
    4128no4.jpg
    4128no5.jpg
           
勾玉セットの中の紐を使わずに、ユザワヤで調達してきた紐とビーズでアレンジしたので、グレードアップ?!同じ材料から個性豊かな勾玉が出来上がった。
 
   4128no1.jpg
     8月作成      博物館で7月に作成          
旅・散策・イベント

土器をつくる 粘土捏ね

2019年09月05日
郷土博物館のイベント「縄文土器づくり」(3回連続)の1回目が終わり、明日(友の会)と明後日(一般)は成形・整形の日。

初回の粘土捏ねの日、午前中は友の会のメンバー7人、午後は16名。小学5、6年生の男子が3人は、父と子、祖父と孫と一緒に参加。
H学芸員の「縄文土器について」のレクチャーの後、床に置かれた粘土板で粘土を捏ね始める。講師は友の会会長である考古の会のK氏。

  4129no2.jpg
      大田区の縄文土器  Click!

粘土板に材料の粘土2種、川砂、そして水。まずは砂を粘土板に敷き、その上に粘土を小さくちぎって砂とまぜていくのだが、これがなかなか難しい。

 4129no11.jpg
      テラコッタ  赤色2号  川砂

「なぜ粘土に混ぜものをするのか?」
粘土に、混和材として鉱物、砂、植物の繊維、動物の毛などを混ぜる。これは、乾燥や焼成時の急激な収縮によるひび割れを防ぐためと考えられる。

 4129no9.jpg

みていると早々と粘土と砂をまとめて捏ね始めているのは男性が多い。なかなかまとまらない人には友の会のベテランがサポートする。

 4129no08.jpg
  4129no4.jpg
        4129no5.jpg   
     4129no6.jpg
       4129no10.jpg
        「紐状にして割れなければOK!」

   4129no7.jpg
     
まとまった粘土はビニール袋に入れて、成形・整形の日まで博物館でねかせる。
「捏ねた後、なぜ粘土をねかせるのか?」その理由は少々難しかった。粘土の主成分「ケイ酸塩」に水を加えたため、素地の水酸基イオンを落ち着かせることで(イオン交換)、粘土の可塑性や粘着力が出てくると考えられている。

いよいよ明日は成形。どんなデザインにするか、迷った挙句、大田区のそれもわが家からもっとも近いは「千鳥窪(久保)貝塚から発掘された縄文土器にしようと思っているのだが。注口土器というだけでなく、上部がかなり複雑な形をしている。先輩たちに無理だと言われたら諦めて、スラリとした縄文時代前期の諸磯式の深鉢土器にしようと思っている。
 
この注口土器、博物館のはレプリカで本物はトーハクにある。この土器は、F先生の日本画デッサン教室でトーハク通いしていたはるか昔、写生したことがある。当時、土器に興味があったわけでなく、「大田区千鳥窪貝塚出土」という文字が身近に感じられたからだろう。
絵画・博物館

縄文時代の櫛

2019年09月04日
今日は「櫛の日」。く(9)し(4)」と櫛の語呂合わせから、美容関係者らが制定。(1978年)

飾櫛としての櫛には、縦長の竪櫛と横長の横櫛がある。竪櫛は縄文時代に出現し、古墳時代まで確認することができる。
一方で横櫛は、古墳時代から現代まで普及する。
櫛はその形から活発な活動に適さず、結った髪に挿した装飾性の高い飾櫛であったため当初は死者を飾るために造られていたが、縄文時代後期以降は櫛歯数を増やすことにより、動いても落ちにくいものへ変化し、死者から生活を飾る道具として考えられている。

日本では縄文時代早期(約7000年前)のものとみられる木製の櫛が佐賀市の東名(ひがしみょう)遺跡から出土しているという。
郷土博物館の大昔の会では現在は『縄文の奇跡 東名遺跡』という本で勉強している。
第3章「縄文人のものづくり」「三 湿地に残されたもの」(p136)には、竪櫛は2点出土しているが、いずれも欠損品で、東日本のような漆の使用は認められなかったと、木製櫛に関する記載はわずか、写真もない。
 
   4126no1.jpg
       『縄文の奇跡-東名遺跡』

福井県の鳥浜貝塚から縄文時代前期(5000~6000年前)の木製の櫛が発見されている。この櫛は、ヤブツバキ製で一枚板から九本の歯を削り出したもので赤い漆が塗られていた。

  4126no2.jpg
  赤色漆塗り櫛 鳥浜貝塚出土
      (若狭歴史博物館) 

縄文時代晩期(前1000~前400年)の後谷遺跡(埼玉県桶川市)からは、当時の人々が使ったたくさんの土器や石器に加え、耳飾りを付けた土偶や、多くの装身具、木で作った弓などのほか、赤や黒の漆塗りの櫛(重要文化財)も発掘された。
     4126no3.jpg
    漆塗櫛 後谷遺跡出土
      (トーハク 「縄文」展)

櫛の素材は、獣の骨や木材一般から、より櫛に適した木(ツゲ、マユミなど)や竹、鼈甲、象牙、金属、合成樹脂製などへと多様化し、形状や美しさもより高度なものへと発展してきた。
なお古い日本語では髪のことも「くし」といい、現代でも「おみぐし」などといった表現で生き残っている。

日本語で櫛は同音の串と同じく、「霊妙なこと、不思議なこと」という意味の「奇(く)し」「霊(くし)び」が語源となっている。このため呪術的な意味付けが見られ、他方では女性が髪を梳くことから女性格の象徴的な物品としても扱われる。

語の読みからは「苦死」に通じるため、道に落ちている櫛を拾うことは「苦と死を拾う」ことにつながり、縁起が悪いことと忌み嫌われる。どうしても拾わなくてはならない時は、足で踏んでから拾う。贈り物にするときは、忌み言葉として「かんざし」と呼ぶ。
(Wikipedia)
絵画・博物館

「のび太」のように

2019年09月03日
今日は「睡眠の日」。そして「ドラえもんの日」。ドラえもんは2112年9月3日生れという。
連載当初の設定では2012年9月3日となっていたが、連載を続けていくうちに2012年は読者が体験できる可能性が高いのでは?と考えた作者は、2112年に変更したのだとか。

   4123no2.jpg

身長129.3cm、体重129.3kg、スリーサイズはすべて129.3cm、足の長さ129.3mm、ジャンプ力129.3cm、おまけにネズミから逃げる速さは129.3km/hとされ、小4を対象とした『ドラえもん』では、小4の「のび太」を見下ろさないということで、連載当時(1969年)の平均身長129.3cmから来ているという。
ドラえもんに関わる数字には、1・2・9・3という数字の組み合わせが多いとか。

「のび太」の誕生日は8月3日。原作では小学4年生、アニメでは小学5年生となっているらしい。
勉強はクラスの最下位。野球の打率は0.001でスポーツも苦手のまったく冴えない男の子。ジャイアンやスネ夫はもちろん、地域の子たちからいじめられることもしばしば。ママや担任の先生からもしょっちゅう叱られている「のび太」だが、そんな彼がクラスのマドンナ・しずかちゃんと結婚し、映画では大活躍してヒーローになる・・・らしい。

郷土博物館の体験学習「大麦の脱穀と麦粉菓子づくり」で仲良くなった小学3年生のS君は『「のび太」という生きかた』にハマっているとか。ママからのLINEで知った。
脱穀の日以来、一度も会っていないが、なるほど彼なら・・・納得できる。(気分は小学生 Ⅱ

     4123no1.jpg
   S君がハマっている『「のび太」という生きかた』

著者の横山泰行氏(富山大学教育学部名誉教授)は「ドラえもん学」の研究者。6年間にわたり、年平均2000時間継続して「ドラえもん」を調べ、全作品を50回以上読み、「吹き出し」「ひみつ道具」「登場人物」「事項索引」といったデータベースを作成。それらにもとづいて、「のび太」の言動を詳細に分析してきた。

のび太という男の子は、じつは想像以上に人生を上手に歩んでいるのではないか」と横山氏。この本には「のび太メソッド」と名付けたどんな人でも夢が叶う、魔法の法則が書かれているという。
「のび太」の夢が叶うのは、決して「ドラえもん」の助けがあったからでなく、彼自身の生き方に秘訣があるという。例えば、「人の悪口を言わない」「くじけない」「他人の素晴らしい面を素直に認める」など。

ひみつ道具は「のび太」の良いところを引出し、後押しして潜在意識に眠っているやさしい心を覚醒させたりする触媒だという。
そういえば、りんりんが小学生のころ、一緒にみていたことを思い出した。りんりんをのび太のイメージとダブらせていた。

「のび太」は何もかもドラえもんに頼るわけではない。試行錯誤の後、自力で問題解決をしたり、意思決定をしている。
「のび太」は自分に努力を強いることはない、したがって人にも無理強いをすることもないと書かれている。
りんりんは、失敗しても人のせいにしない。忘れ物をしても失くしものをしてもまったく懲りない。焦ることもない。「キミにはドラえもんがついていないのだから・・・」と何度注意しても意に関せず。

高校生になった今でもさして変わっていないようだ。彼がいうには、「とにかくボクは努力というものができない」のだ。
すでに「のび太的生き方」をしているようにも思える。最近、「乃木坂46」(の卒業生)に夢中の彼はどんな夢を抱いているのだろう。どんな夢かわからないが、いつか「のび太」のように自分の夢を叶えることができるといいのだが。

断捨離中というのに「無理しない生き方」を学ぼうとこの本買ってしまった。この歳でもまだ学ぶことはあるかと。
身近な人びと

「WE DO ECO」 Ⅱ

2019年09月02日
東急グループは「WE DO ECO」として2000年から自然環境への配慮、リサイクル、緑化活動、省エネルギーなどに取組んでいる。
車内のポスターだけをみても実にさまざま。(「WE DO ECO」 Ⅰ

緑化活動
  4117no2.jpg
「明日を見つめて「緑の建物」育てています」   2009.5
大岡山駅上に新設した建物の壁面・屋上を大規模緑化「東急病院」

     4116no1.jpg
        大岡山駅と東急病院

目黒線と大井町線が乗り入れ、接続駅となっている大岡山駅。東急線の駅の中でも大岡山駅は比較的よく利用する。2000年に目蒲線が目黒線と東急多摩川線に分割され、2007年に駅直上に東急病院が移転した。移転後しばらくして東急病院に通院するようになったのは、駅の壁面の緑化が始まったころだろうか。

さらにその後、荏原病院に行くことが多くなった。一昨年秋から東邦大学大森医療センターに通院するようになったが、それまでは大岡山駅前-荏原病院のシャトルバスを度々利用したものだ。
駅前の東工大構内は桜の時季だけでなく、初夏、タイサンボク、晩秋のイチョウ並木など、散策やスケッチに魅力的なスポットだ。
晩秋の東工大構内でリベンジ・スケッチのはずがお花見日和「池のみち」を歩く Ⅱ

省エネルギー
4117no8.jpg
「自由が丘、自由が丘。全照明、エコに乗り換えです」 2012.3

自由が丘駅は、東急東横線と大井町線が乗り入れている駅。1の乗降人員は約14万人、利用人員は約30万人ともなり、東急線沿線のなかではもっとも利用者の多い駅の1つ。

4年前までは東急のカルチャ―(日本画教室)やグループ展のためによく訪れた。九品仏川緑道の散策を楽しんだりもした。最近は大井町線と東横線との乗換え時に利用するくらいだが。
旅・散策・イベント

「WE DO ECO」 Ⅰ

2019年09月01日
今日は「防災の日」。台風、高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、それらの災害に対処する心構えを準備するためとして内閣の閣議了解により制定された。1923年の今日、10万人以上の死者・行方不明者を出した「関東大震災」に由来。

東急線車内でときどき目にする「WE DO ECO」という東急グループのポスター。2000年からテーマ別に、環境に関する取り組みが紹介されている。自然環境への配慮、緑化活動、リサイクル、省エネと、さまざまなところで頑張っているがわかった。

自然環境への配慮
  4117no1.jpg
「デパートの屋上で、お米づくり。環境を守る気持ち、子供だちと」 2019.8
東急百貨店本店の屋上には役30㎡の水田がある。「東急百貨店本店農業プロジェクト」では渋谷の小学生たちが自然に触れ合える場所として生れたという。この農業プロジェクトは、自然と触れ合い、食の尊さを子供たちに知ってもらうことを目的にスタート。子どもたちは農場や企業の専門家から田植えや稲刈りを教わり農業を体験。仙台市から届いた米の苗を自ら育て、収穫、食べる経験を通じて自然の大切さを学ぶという。

  4117no6.jpg
「トレー使用時よりCO2 27トン引き」  東急ストア・セントラルフーズ 2012.12
CO2排出削減をめざして トレーからノントレー包装へ。エコにもおトクな切り替え。

  4117no7.jpg
「未来の環境を考えた街づくり、世界初のゴールド認証取得」 二子玉川ライズ 2016.5
コンパクトな開発とコミュニティづくり、そして多摩川や等々力渓谷を再現したビオトープや緑地を整備するなど、周辺の生態系保全に取り組んでいることなどで、LEED ND(まちづくり部門) ゴールド認証取得。

  4117no9.jpg
「排出するのはクリーンな水。地球想いのバス、公道でビュー」 2009.7 
東京都市大学は水素バスの実用化に成功し、日本で初めて公道走行を実現。キャンパス間をつなぐシャトルバスとして利用。

リサイクル
 4117no4.jpg
「売り場の内装材に、エコ発見。そのヒミツは、原料に」  東急ストア 2012.5
再生建材や省エネ設備を導入した環境配慮型店舗を展開。例えば、たまプラーザ 店内の看板ボードの周りの壁の漆喰材は、ホタテの貝殻を原料とし、他にも、店内の装飾や内装材などに、麦わらや大豆かす、新聞紙、アルミなどのリサイクル材を使用。
旅・散策・イベント
 | HOME |