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ハロウィンの街

2019年10月31日
街はハロウィン一色。街のいたるところでハロウィン関連のグッズや飾りを見かける。
ハロウィンの起源は、古代ケルト人が行っていた秋の収穫祭や悪魔祓いの儀式、その発祥はアイルランドやスコットランドだとされている。紀元前5世紀頃のケルト人の暦では、11月1日が新年だったため、今日10月31日が日本でいう大晦日にあたるからとも言われている。

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         武蔵小杉  20182018.10

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        川崎   2019.10

ケルト人はカブやサトウダイコンの中をくり抜いてランタンを作り、悪魔除けとして飾っていた。これがアメリカに伝わった時、アメリカではカボチャが多く収穫されていたことや、ランタンに加工する際に扱いやすかったことから一気に広がり、カボチャがよく使われるようになったという。

花屋さんの店先には黄色や緑色のハロウィンかぼちゃが並んでいる。

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      しながわ水族館  2017.10

御嶽山商店街のイベントでもらった「ジャックオーランタン」をりんりんたちとつくったり、夕方、商店街を歩いてお菓子をもらう彼らにつきあった年もあった。今は懐かしい思い出だ。(トリック・オア・トリート!ランタンが完成した
旅・散策・イベント

天然のたい焼き?!

2019年10月30日
JR蒲田駅の東口は東邦医大、区民センターアプリコ、区役所や生涯学習センターなどに行くときによく利用する。駅前のたい焼き屋さんに行列ができているのをよく見かけたが、あまり気に留めていなかった。

先日、いつものように前を通ると、待っている人が2、3人だった。看板をみると「天然鯛焼」と書いてある。そういえば、ラジオで「たい焼き」には養殖モノと天然モノがあるときいたことがあった。
10月も終わりになり、さすがに肌寒くなってきた。「天然モノ」のたい焼きというものを食べてみたくなった。注文をすると、整理券を受け取り、焼き立ての「たい」を待つことになる。

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     焼き上がりを待つ

誕生して100年以上は経つというたい焼きだが、天然と養殖とに分類されるようになったのは近年になってからとか。
「天然モノ」とよばれるたい焼きは、一丁焼き(もしくは、2匹焼き)の焼きごてのような鋳型で手焼きしたモノ。
1匹ずつ丁寧に焼き上げることで薄皮でサクサクに仕上げ、しっぽまであんこが詰まったこだわりを売りにしているものが多いという。

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       「天然 鳴門鯛焼本舗」 

職人がいくつもの焼き型を火床の上でガチャガチャと音をたてながら直火で焼き上げるという。焼き型が2kg以上と重いこと、焼きあがるまでの間が長く行列ができやすい。
ちなみに「東京たい焼き御三家」は、「たいやき わかば」「浪花家総本店」「柳屋」だという。

養殖モノは作り手の負担軽減や大量販売を目的としている。縁日やスーパーの屋台などでよくみられるたい焼きで、一度に6匹~10匹くらい、生地を焼き型に流し入れて焼き、片側にあんこをのせて両側を合わせて仕上げる。あんこ以外にもカスタードやチョコレートなどバリエーションに富んだ中身が楽しめるのも特徴だとか。
細やかな火力コントロールができないため、「天然モノ」に相対して分厚くふんわりとした皮になり、天然モノのような薄皮でサクサクッとした食感は味わえない。

この日、あんこのたい焼きを注文、整理券を受け取り5分ほど待ったが、出来立てのたいを持ち帰った。帰宅後、少し時間が経っていたが、皮のサクサク感は残っていた。小豆餡は十勝の小豆とか、豆本来の味がしておいしかった。また、蒲田に出たときには買って帰ろうと思っている。
旅・散策・イベント

5階からの眺め

2019年10月29日
甲府地方気象台は22日午後、富士山の今季の初冠雪を観測したと発表した。平年より22日、昨年より26日遅いという。

Oさんから届いた富士の初冠雪。10日も経ったというのに、台風の爪痕は残り、大きな水たまりにビルが映っている。
多摩川沿いにある彼女のマンションからは武蔵小杉の高層ビル群に遮られることなく遠く富士が望める。

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          初冠雪   10.22

お邪魔したときにリビングから眺めた景色は素晴らしい。ときには富士山、美しい夕焼け、春には、眼下に桜並木がつづき、川辺には萌黄色の柳も、そして少し遠くに胡桃の樹も見えるはず。(今年の桜 Ⅱ

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                2017.4.1
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台風19号は5階とはいえやはり恐ろしかったという。川と河川敷の境目はまったくわからない。夕方には「氾濫危険水位」に達した多摩川、大田区でも「避難勧告」が出た。

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                   10.12

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     丸子橋付近   10.12 17時ごろ

初冠雪の日、ちょうど京浜東北線で多摩川大橋を渡った。川の水は濁っていた。水がひいたグランドで子どもたちの元気な声が聞かれるのはいつになるだろう。(「五風十雨」は遠く
旅・散策・イベント

四川省の少数民族

2019年10月28日
今日はパンダの日だとか。四川省のパンダ生息地 「四川パンダ生息地」には世界中のパンダの30%以上が生息している。(世界遺産登録 2006)

先日、中国四川省の大涼山には山頂の秘境で伝統の暮らしを続けてきたイ族を取材した『秘境中国 謎の民 天頂に生きる~長江文明を築いた悲劇の民族』(NHK再放送)を見た。取材はかなり前のようだが、中国奥地の少数民族、涼山イ族(彝族: Yízú)の歴史や現在の生活を記録した興味深い番組だった。イ族は中国の少数民族の1つ。

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「険しい山が連なる大涼山。その山頂の秘境で、涼山イ族の人々がシャーマンを中心とした不思議な暮らしを営んでいる。彼らがなぜ社会と隔絶された場所を選んだのか。
最近の研究によって、人々は5千年前に、黄河文明と並ぶ長江文明を築いた王国の末えいであることが分かってきた。その後、さまざまな苦難の歴史を経てここにたどり着いたのだという。イ族の伝統的な暮らしを見つめ、知られざる歴史の謎をひもとくミステリー紀行」。


今から約5千年前といえば、日本は縄文時代の真っ盛りだ。そのころ中国の南西部長江のほとりに古蜀国が栄えていた。 
貿易なども盛んで、金銀など富を蓄積していた豊かな文明国家で、世界で最初に稲作を始めた民族だといわれていた。司馬遷の『史記』では、紀元前316年に秦の将軍司馬錯に滅ぼされたことが記されるのみという。

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       古蜀国から大涼山へ

やがて、北に隣接し政治的にも軍事的にも優れた漢民族国家が生まれ、富を奪うため侵略を始めたため、イ族は数千年にわたる侵略を受け、南下を強いられて山中に身を隠した。稲作農民だった彼らは蕎麦をつくり、羊などの牧畜民になっている。
  
山中の小さな村落には、それぞれシャーマンがいて、行事や死者の葬式を取り仕切る。彼らが5千年前に持っていた文字は、シャーマンが引き継いできたが、今でも完全には解読されていない。
彼らの死後に行く場所は、かって自分たちが住んでいた古蜀国。村人全員参加の葬儀には、そこへたどり着く道筋の呪文を唱える。

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      青銅立像  三星堆遺跡 

1986年、4千年前の三星堆が発見された。発見したのは大涼山に住むイ族の人たち。発見されたものは2.6mの実人像、1.3mの黄金仮面、高さ4mの神樹など。青銅立人像は長江文明を支配していた国王のシャーマン。三星堆の王国の名は古蜀国。
この国の広さは3.5㎢で、神殿の発掘によって100以上の黄金仮面も発見された。古蜀国の符号とイ族の経文から推理する。
三星堆からは高度な古代文明をもった人々が暮らしていたことがわかり、黄河文明に次ぐ第5の長江文明といわれる。

とくに印象に残ったのは、天まで届くといわれる「天梯」という鉄の階段。大涼山の山頂にある村に行くには梯子が必要、全長53m、天に向かって昇る梯子が絶壁に掛けられている。

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             天梯

助け合って暮らしているイ族、弔いの儀式では死者の魂は「天にかえる」「村を守る」「戻るべき場所へかえる」とされる。戻るべき場所とは祖先のいた古蜀国の馬牧河(ムンパク)。
ナシ族やプミ族と同様、伝統的には火葬の習慣を持っていた。この習慣は、高原に居住する遊牧民の世界観につながるものだという。

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彼らの日常会話はイ族語。中国政府の働きかけがあって若者は中国語を学び始めた。大涼山は中国有数の観光地である楽山に近い。彼らも楽山に出て仕事をする。3万人が集う羊毛節は今では国を挙げてのお祭りとなった。

20年前に訪れた雲南省や貴州省で出合ったナシ族、ペー族、貴州省のいくつかのミャオ族など、少数民族の地がすでに観光化されていた。
イ族の暮らしも少しずつ変わり始めている様子を伝えていた。いずれイ族の住む大涼山も観光資源になりつつあるのは仕方のないことなのだろう。
中国・中国の旅

「五風十雨」は遠く

2019年10月27日
最近気になっている言葉は「五風十雨」。五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降る意。気候が穏やかで順調なことで、豊作の兆しとされる。出典は、『論衡』-是応。ちなみに「十風五雨」という四字熟語もあり、こちらも似たような意味。

昨年は台風の発生数多く、勢力強く、上陸も多く、台風の当たり年といわれていたが、今年も次から次に強い台風が日本に接近・上陸した。
9日3時に三浦半島付近を通過した15号は、東京湾に抜けて北東に進み、9日5時前には千葉県千葉市付近に上陸した。関東上陸時の勢力では過去最強クラスとされる。(台風のあとに

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        15号  2019.10.9

とくに19号は、12日に首都圏を中心に公共交通機関の計画運休が実施された。台風は広範囲で台風接近前から猛烈な雨と風をもたらし、13日にかけて13都県で大雨特別警報が発表された。
多摩川をはじめとする複数の河川で氾濫や決壊が発生した。わが家では紅梅の枝が折れたくらいですんだのは幸いだった。(台風が来た日

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        折れた紅梅の枝   2019.10.13

翌朝、多摩川の様子を見に行ったLINE仲間がいる。多摩川まで歩いて15分ほどの友の会のYさんとまち歩きの会のOさんの2人。そして画像はなかったが、多摩川沿いの高層マンションに住むOさんから。5階とはいえ、怖かっただろう。

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         多摩川大橋   2019.10.23

ガス橋付近に行ったOさんによると、人もゴミも多かったそうだ。
Yさんもガス橋付近。遠く富士山のシルエット、水は比較的きれいだが、流れ着いたさまざまなゴミが映っている。

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台風が来た10日後、京浜東北線で多摩川を渡った。帰りの窓から上流方面に目を遣ると、川の水は濁り、緑地帯は泥に覆われていた。
夕方、K君のママから「今日土手に行ってみたら 全部流されていて悲しくなりました」。丸子橋近くの土手だろう。

年毎に「五風十雨」とはほど遠い日々になっているように感じる。暴風雨も日常的になってきた。
大雨警報が出た日、バスを待つ間、軒先で風雨を避けていたにもかかわらず、急に風が強く吹いて傘がおチョコになった。珍しく15本の骨の傘をさしていたのだが、みると、4本が外れていたのにはガッカリした。

ずいぶん昔になるが、恩師のコラム名が「五風十雨」だったこともあるが、大井の仙台坂にある「仙台味噌醸造所」で、以前、「五風十雨」という味噌を買ったことがあった。
次回のまち歩きの最後に訪れる予定はこの仙台味噌醸造所。久しぶりに「五風十雨」の味噌をOさんの分と2つ買う予定でいる。
旅・散策・イベント

プラスチック製ストロー

2019年10月26日
5mm以下のマイクロプラスチック問題の一因として嫌われているプラスチック製ストロー。多くの飲食店などでは、プラスチックごみの環境汚染を防ごうと、プラスチック製ストローを廃止して、代わりに紙製、木製、金属製などのストローを使う動きが広がっている。

だが、東京新聞(9.30)によると、体の不自由なひとたちや寝たきりの高齢者は、曲げることができるプラスチック製のストローは重宝しているが、今のところ代替品の金属ストローは硬くて子どもが嫌がる、紙製ストローは唇を切ることもある、マイストローは衛生面が心配という声も出ているという。

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           曲がるストロー  (東京新聞)
       
昨年夏に米スターバックスと米マクドナルドがプラ製ストローの廃止を決め、日本国内でも一気に外食各社で廃止の機運が高まった。ファミレスなどでもプラスチックストローの提供をやめるところが増えつつある。ガストにもテーブル上にお知らせが置かれている。(水をどうぞ

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        プラ製ストロー中止のお知らせ

プラスチックは、年間3億㌧が生産され、石油産出量の8%を占め、そのうちの半分が容器包装に使用されている。
プラスチックは軽いので遠くまで運ばれ、かつ自然分解されずに半永久的に残るという特徴がある。
そのため使用済みプラスチックは、ポイ捨てや、ゴミ処理施設へ輸送される過程で環境中に出てしまったあと、雨で流され最終的に海に流れ着く。そして、ものとの接触や紫外線の影響で劣化し、5mm以下のマイクロプラスチックとなる。(海に漂うごみの行方深刻な海洋汚染

日本は1人当たりの使い捨てプラごみの排出量が米国に次ぎ世界で2番目に多という。プラスチック製品の回収、リサイクルを進めることも必要だが、プラスチック製ストローを減らすことだけで、問題は解決するのだろうか。食品の個別包装に使うプラ製品を減らすことも必要だろう。
旅・散策・イベント

難しい問題

2019年10月25日
東急線車内でみる日能研の額面広告シカクイ頭をマルクする』は、中学の受験問題とはいえ、難しく考えさせられる問題が多い。
スマホの画面ばかりを見ている人がほとんどで、車内の紙の広告というものに目が行く人がいったいどれくらいいるのだろうと思うことがある。とはいえ、席に座ればスマホをいじっている1人だが、月毎に替わる日能研の広告は見ることにしている。

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        9月 額面広告

ふだん算数や理科の問題は避けるのだが、サレジオ学院中学校の算数問題は「プラスチックごみ」という言葉が気になった。かつてのように計算したり、ただ式を解いたりすればいいというものではない。問題に込められたメッセージを理解しないとならない。

世界でプラスチックごみが増え続けて年間3億トンを超え、環境中に流出して観光や漁業にもたらす悪影響などの損害が年間130億ドル(やく1兆4千億円)にのぼるとの報告書を、経済協力開発機構(OECD)がまとめた。
「プラスチックごみは一部が焼却やリサイクルに回るが、投棄や埋め立てで環境中にたまる量も増えており、2050年には約( )億トンに達すると予測している」。
OECDは「プラスチックの使用量増加や不適切な廃棄が環境に深刻な影響を及ぼしていると指摘。使用抑制やリサイクル強化のため、レジ袋などの使い捨て製品の有料化や課税を各国が導入する必要があるとした。(以下省略)


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実際の新聞記事をもとに、生徒2人が2050年のプラスチックごみ発生量を予測した。が、新聞記事に載っていた予測は、彼らの予測よりも大きく上回るものだった。

プラスチックごみの中でもとくにクローズアップされているのは「海洋プラスチック」の問題。東京スカイツリーおよそ222基分とか。
このペースで海のプラスチックが増えていくと、2050年には、海にいる魚すべての重量よりプラスチックの方が重くなると言われていて、「プラスチックの海」になってしまうのではないかと懸念されている。
プラスチックごみは、川から海へ、波の力や紫外線の影響などで細かく砕けていく。5mm以下になった海洋プラスチックはマイクロプラスチックと呼ばれ、世界中の海に存在しているという。
旅・散策・イベント

「御嶽の霊水」

2019年10月24日
今日は24節気の1つ「霜降」。風がいっそう冷たく感じられ、地域によっては霜が降りる頃。暦の上では、秋の最後の節気となり、霜降が過ぎると、冬がやってくる。
ハナミズキの葉が紅葉を始めていた。ケヤキも心なしか深い緑から茶色がかってきたようにみえる。
まだ、衣替えをすませていないことに焦りを覚えている。

先日の『嶺の御嶽山と一山行者』の関連講演で、気になっていたイオンの前にある「嶺の霊水」の謎が解けた。
木曽御嶽講四大講祖の1人である一山(いっさん)行者が開祖沿たと伝わる嶺の御嶽神社は、木曽御嶽山の関東第一分社として関東一円から参詣者や修行者を集めた。(嶺の御嶽神社

御嶽神社のある嶺地域は、台地部でも湧水が多く、神社での水行でも活用されていた。
信者の中には江戸の豪商なども多く、かなりの寄進がされた。一山行者が御嶽山7合目の地名から神社隣の宿泊もできた茶店の屋号を田ノ原屋と命名したという。
田ノ原屋の主人は、一山行者の遺徳をしのぶ嶺一山講の代表として、現在のイオンのある地に御嶽神社を参拝する信者のための禊の井戸を築いた。その水は現在まで枯れることなく流れ続けているというもの。

今この湧き水は、イオンの駐輪場の奥に「御嶽の霊水」として池がつくられていて、中に金魚やメダカが泳いでいる。
りんりんの家に行くときに通る御嶽神社、そしてイオンはお馴染の場所。

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            「御嶽の霊水」

保育園時代のじゅんじゅんは、イオンの前に来ると、金魚やメダカの泳ぐ「霊水」を覗き込んでいたらしい。毎朝水道水を足され、金魚の餌を入れていると母親はいうが、やはり霊水は湧いているようだ。
乾学芸員によると、今はイオン内のエスカレーターの下に湧く水を外まで引いているのだというが。

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          エスカレーターから

参拝者向けの店が現在の御嶽商店街となり、池上線の駅名「御嶽山」とつながっている。
今週、御嶽神社とイオンの前では恒例の「おんたけさんハロウィン」が行われる。ずいぶん前になるが、一度だけ孫たちは仮装して商店街を周るのに付き合ったことがあった。御嶽神社の社務所で配られたカボチャを持ち帰り、わが家でランタンをつくったこともあった。(トリック・オア・トリート!

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          ハロウィンの夜    2014.10

御嶽山商店街は池上本門寺のある池上周辺ほどではないものの、いつも活気がある。
旅・散策・イベント

嶺の御嶽神社

2019年10月23日
特別展『嶺の御嶽山と一山行者』が大田区立郷土博物館で開かれている。この展覧会に関連したイベントも開かれている。
「嶺の御嶽山」に関する歴史と文化を振り返り、大田区の歴史や文化の再発見につなげる」特別展。
郷土博物館40周年記念の基調講演(11/3)ほか、連続講演が4回(10/13→11/9、10/20、11/17、11/24)。
展示の舞台となった地域、嶺と与野を歩く企画は、キャンセル待ちだという。

20日の講演は「嶺の御嶽山とその信仰者たち」(乾学芸員)。定員80名、開始時には横に並べられた椅子にも空きはほとんどなくなるほど。講演のレジュメは4頁。皆熱心にメモを取っていた。
特別展の調査で掘り起こされた貴重な資料の映像もあり、講演後の展示解説のお陰でよく理解できた。

江戸中期に、尾張の覚明、江戸の普寛によって全国的に「木曽御嶽信仰」が普及されていったが、庶民への普及に大きな役割を果たした四大講祖は、覚明、普寛、一心、そして一山(いっさん)。

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       茅の輪のころ  御嶽神社  2019.6

古くは嶺村と呼ばれた現在の嶺町地区。御嶽神社の起源は1535年頃にこの地に設けられた祠であるといわれる。
1831年に建てられた現在の社殿は、かつて木曽御嶽山で修業をしていた一山行者が「関東第一分霊社」として木曽御嶽山の御霊を遷座したとされる。
「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曽御嶽山に一度行ったのと同じ」といわれ、今も多くの崇敬者が参拝する。
明治になって嶺村の氏神とされ、村社に列格した。

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              社殿

社殿の周囲の壁面は「養老の瀧」「司馬温公の甕割り」など和漢の故事に因む見事な彫刻が施されているが、これらの社殿彫刻は大田区指定有形文化財。
これらは11月の講演会「御嶽神社の建築について」(藤澤彰 芝浦工業大学教授)で学ぶことになると思う。

境内の奥には祀られた石碑や講による霊神碑などが綺麗に配列されている。霊神碑については4回目の講演「霊神碑は語る」(時枝務 立正大学教授)で。
境内には御嶽塚、明治期に信徒のために建てられた水行堂、一山神社などが並び、御嶽信仰の息吹を感じさせる。
現在でも、東京嶺一山講の主催により、毎年8月に木曽御嶽山登拝を行っている。   

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              水行堂

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             杜の霊神水  

「杜の霊神水」は、かつて一山行者が水行をしていたと伝わる古井戸だったという。

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            一山神社

山岳信仰のこの神社が、明治5年、村社に列せられた。境内には江戸期の2対の狛犬、そして拝殿前には山岳信仰のシンボルであるニホンオオカミ(ヤマイヌ)が鎮座している。(江戸期の狛犬 大田区Ⅱ
 
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          ヤマイヌ(狛犬)

水行堂、一山神社祖霊社、社務所は国登録有形文化財。
芸術・文化・考古

先生に感謝・・・

2019年10月22日
世界には学校の先生に感謝を示す日として「教師の日」というものが存在する。現在日本ではあまり知られていないが、UNESCOが10月5日を「教師の日」に制定(1994)している。
普段お世話になっている先生たちに感謝の気持ちを伝えるこの文化は世界中で浸透しており、各国のそれぞれの「教師の日」に合わせてイベントも盛んに行われている。

だが、アメリカ、中国、韓国など、現在でも自国の決めた日付で祝っているところも多くある。中国の「教師の日」は「教師節」と呼ばれ、毎年9月10日と定められている。マレーシアでは5月16日、日付は国によって様々。
学校が休みになったり、お祭り的なイベントが行われる地域もあるという。

国際的に行われた調査では、日本の教師の勤務時間は調査国中で1位となった。各国の平均勤務時間を大きく上回っており、また年々増加傾向にある。

今年の10月5日のGoogleのロゴをみると、タコの教師が授業をしている画になっている。なぜタコなのかわからない。 

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              2019.10.5

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        ベネズエラ  2018.1.15

日本では一般社団法人「教師の日」普及委員会が、「世界教師デー」の10月5日を先生たちに感謝を伝える「教師の日」として日本中への普及を目指しているが、学制発布から、2022年で150周年を迎える9月4日を「教師の日」としようという動きもあるという。
教師の日ができようが、できまいが、高校生になったりんりん、せめて授業を真面目に聴くくらいしたらいいのだが、「ありがとう」のコトバを形にして伝えるなど望むべくもないようだ。
旅・散策・イベント

秋のクモ

2019年10月21日
台風が近づいている中、2階の窓の外に巣をつくり始めたクモ、気になって通る度に見るようになった。

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          12日 13:30
巣にかかっていたのは飛んできた葉。

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           12日 20:40
風雨が強くなってくると、蜘蛛は屋根の方に移動して(左)、避難しているようにみえた。

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      台風一過  13日  15:30

りんりんじゅんじゅんが久しぶりに顔を出した。昆虫好きなじゅんじゅんはまったく興味なし。もっともクモは昆虫ではないが。
意外にもりんりんが「わあ!」と歓声を上げて、窓から屋根の上に出て、裏側から何枚も撮っていた。

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       16:00   byりんりん

ジョロウグモだろうと言ってしまったので、彼らが帰ってから調べてみた。
「ジョロウグモ(女郎蜘蛛)は、メスは40mm程度、オスは15mm程度。時期は9~11月。人家周辺から山間部まで、いたるところで普通に見られる。目の細かい複雑な円網を張る。
メスは全体的に黒地に黄色模様、腹部は赤色、背部には薄青色か黄色、手足は黒色と黄色の縞模様。オスは褐色、足には黒色と褐色の縞模様。


毒はあるが、非常に弱いらしい。それにしても網の細かいこと!たしかにジョロウグモだ。 それもメスだろう。

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          13日   17:00

りんりんにLINEすると、「女郎って遊郭のやつか」と来た。
「和名は女郎に由来すると一般的には考えられているが、一方で上臈(じょうろう)から来ているともいわれている」とも付け加えていおいた。わかっただろうか。上臈とは、江戸時代の大奥の女中の役職名の一つ。また、年功を積んだ、官位の高い人・高僧のこと」といった意味もあるようだ。
  
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         14日  9:40

メスのジョロウグモは、とても強い糸をつくるという。クモが落ちたときに出す「牽引糸」は強さと伸びを兼ね備え、餌となる虫を捕まえる糸は強さより伸びに優れているという。
クモの糸は腹の中の紡績線でつくられ、尿にある糸いぼから使用目的に応じて多種類の糸を出し分ける。主成分はタンパク質で、絹糸と似ているが、伸び率はクモの糸の方がはるかに優れているのだとか。

ジョロウグモは自分でつくった巣にかかった羽虫や蝶を餌にしているという。目が細かい網をつくるので小さい昆虫がくっつきやすい。糸に獲物がかかると、すかさず毒を注入して弱らせてから食べるのだとか。
巣は2階の屋根と1階の屋根とを結ぶように張られている。台風の影響が最も少ない場所を選んだようにみえる。あまり虫がかかりそうもない場所だ。お腹を空かせていないのだろうか。見る度に心配になる。
動物など

骨粗鬆症とのつき合い

2019年10月20日
今日は「世界骨粗鬆症デー(World Osteoporosis Day)」。骨粗鬆症および骨代謝障害による病気の予防について、国際的に認識し診断し専門研究を促すことを目的とした国際デー(国際骨粗鬆症財団)。国を挙げて骨粗鬆症に取り組む社会の実現のために90を超える国がキャンペーンに参加している。
ちなみに、10月8日は「骨と関節の日」(日本整形外科学会)、10月10日は「転倒予防の日」(日本転倒予防学会)。

骨粗鬆症とは、骨の量(骨量)が減って骨が弱くなり、骨折しやすくなる病気。 日本には約1300万人もの患者がいるといわれており、高齢化に伴ってその数は増加傾向にある。

長年の腰痛を心配してくれたOさんに勧められてAKA療法を行うあざみ野の整形外科を受診したのは今年5月。わずか数回で数十年来の腰痛が嘘のように消えた。それはそれで例えようのない喜びだが、骨密度には自信があったにもかかわらず、骨粗鬆症と診断されたことは大きな衝撃だった。  

腰椎や大腿骨の骨密度を正確に計測できるという骨密度測定(DEXA法)の結果は驚きだった。DEXA 法とは、2種の異なるエックス線を照射し、骨と軟部組織の吸収率の差で骨密度を測定する方法。被ばく量は極めて少なく、10分程度で精度の高い測定ができ、骨密度測定の標準とされている。

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    DEXA法    いいほねネットより

骨折を起こしやすい部位を直接測ることで、高い精度の骨密度が分かる。腰椎と大腿骨頸部を測定すれば、他の部位の骨折リスクの評価もすることができるという。
腰椎の方は同年齢の平均骨密度と比較して同等(110%)だが、大腿骨(頚部)は92%とだいぶ下がる。若年成人の平均骨密度と比較すると66%に当たり、70%以下のため「骨粗鬆症」と診断された。(油断大敵

骨にはカルシウムを蓄えたり、血液を造るという重要な働きもある。次の受診日、血液検査の結果からも正真正銘の「骨粗鬆症」だということがわかった。
「破骨細胞活性」という項目が基準値(120~420)をだいぶ超えていた。つまり、「骨芽細胞」による骨形成される速度に比べ、「破骨細胞」による骨吸収の速度が速いということ。そのため骨密度の値にかかわらず骨折の危険性が高くなっているのだとか。(整理開始の秋

そこで処方されたのが、破骨細胞の活性を抑制する薬。1ヶ月に1錠服用しているが、これを5年もつづけるのだそうだ。意外だったが、覚悟を決めた。
飲み始めて5ヶ月、来月あたり骨密度測定と血液検査をしてみようと思う。少しは改善しているといいのだが。
薬だけに頼らずに、適度に運動し、必要な栄養をとることも忘れてはいけない。骨密度を上げる有効な運動としては、ジョギングやエアロビクス、太極拳など、骨にかかる負荷が大きいほど効果があるとされる。このところさぼりがちの太極拳、来週からは休まずに行かなくては。
つれづれ

近代映画発祥の地

2019年10月19日
近代映画発祥の地である蒲田で行われている蒲田映画祭は老若男女幅広い年齢層が楽しめる手作り感にあふれた映画祭とか。映画の魅力を発信しようと、トークショーや映画上映が、大田区民ホール・アプリコ、大田区産業プラザPio、池上図書館などで行われている。(9/28~30・10/14・17・19~20)
      
今日上映される『家族』(1970年 松竹)は、故郷の長崎県の小さな島を離れ北海道の開拓村まで旅する一家のエピソードをきめ細やかに描いた作品とか。(監督:山田洋次 出演:倍賞千恵子、井川比佐志、笠智衆、渥美清)

1920年(大正9年)松竹キネマ蒲田撮影所がオープンした。そして昭和中期には映画館が続々と開館、映画の都として発展した。
撮影所があった敷地に建てられた大田区民ホール・アプリコ1階の入口には、正門前の逆川に架かっていた松竹橋の親柱が、地階には全盛時の蒲田撮影所を再現したジオラマが置かれている。

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      ジオラマ      松竹橋の親柱   

大田区には45館もの映画館があり(1957年当時)、新宿区に次いで都内で2番目に多く、蒲田には20館以上が集中していたという。映画関係者が多く集い「流行は蒲田から」と言われたほどだとか。
 
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そんな映画の街、蒲田も映画産業の斜陽化に伴い映画館が減少し、残ったのはわずかに2館。駅前から続くアーケード商店街の奥のビルにある「テアトル蒲田」と「蒲田宝塚」を残すのみになった。
今年2月、『日々是好日』を「テアトル蒲田」に見に行った。昭和時代の雰囲気そのままの映画館に観客は数えるほどしかいなかった。

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     閉店した映画館     2019.10

ラジオで、最後の2館の閉館を知った。「蒲田宝塚」が8月29日に、『日々是好日』を見た「テアトル蒲田」は9月5日に閉館。
先日、たまたま東急池上線蓮沼駅から蒲田駅まで歩くことがあった。商店街を通ってみると、映画のポスターが貼られるガラスケースにはシャッターが下りていたが、「閉店のお知らせ」のようなものは見当たらなかった。
旅・散策・イベント

7年経った瓢箪

2019年10月18日
この夏、仲良しになったキノコや鉱物が大好きな小学3年生のS君から筑波実験植物園の「きのこ展」の画像が送られてきた。彼が撮ったキノコのほかに、彼が大きな瓢箪を両手にもってはしゃいでいる動画もあった。
縄文の昔から
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      瓢箪を持ってはしゃぐS君

その動画をみたときにわが家にいくつかある瓢箪を思い出した。
7年前、Sさんが香川のご実家から送られてきた千成瓢箪の種子を蒔いたところ、なんと100個ほど収穫できたという。瓢箪に絵を描いたら?と30個もいただいた。(千成瓢箪

瓢箪は、ウリ科ユウガオ属。花を観賞し、完熟した果実の中身を取り除いて容器にしたりする。
健康と幸福を招くものとして、現在でも表面を美しく装飾して飾ったり、掛け軸や染物などにも描かれることが多い。
果実の先が末広がりであること、3個で三拍(三瓢)子揃って縁起がよい、6個で無病(六瓢)息災といわれる。

瓢箪の「種出し、乾燥、加工方法」を調べてみたところ、水漬けの方法と自然乾燥の方法があるが、どちらも一長一短。
自然乾燥法だと来年の2月くらいまでかかり、表面にカビが出ることもあるというが、結局、この方法をとった。
乾燥したところに置いて10日もすると、ほとんどの瓢箪は薄茶色になり軽くなった。場所によってずいぶんと差が出た。
とにかくそのまま放っておいた。それでも出来上がったようだ。(瓢箪その後

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    10.21     2012年    11.27

その後、絵を描く気もなく、水筒にすることもないまま、気づくと7年も経っていたことになる。
S君のママに「瓢箪うちにいくつかありますが、要りますか?」ときいてみたところ、早速、「ひょうたんいるようです」との返事がきた。
夜、瓢箪を撮るために集めてみると12個残っていた。「好きなのを5つ選んでください」と、写真を送った。S君が登校する前に選んだのだろう、5つの瓢箪に印がついてきた。

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そして、彼が会いたいというので、「下校後でもいいですか?」という返事がきた。ということで、彼のお宅に近いモスバーガーで待ち合わせた。

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       彼の選んだ5個

「こんにちわ!モス 着きました」「楽しみすぎて早く着きすぎました(笑)」というLINEが約束の時間よりだいぶ早く入った。
瓢箪に絵を描くならアクリル絵の具がいいのでは?と使いかけの絵具も一緒に渡した。
「マラカスにしようかな」とか、「明日、学校で皆にみせよう!」と大喜び。鉱物とキノコのほかにも、いろいろと興味を持っているようだ。近いうちに変身した瓢箪の写真が来るかもしれない。楽しみだ。
植物など

千羽鶴 再び

2019年10月17日
千羽鶴はかつては社寺に奉納されていたらしいが、現在は祝福、幸福祈願、災害などへの慰安、病気平癒祈願、見舞いなどを目的はさまざま。
先月、桂花会の女子でO氏の病気平癒を願って千羽鶴を送った。お礼状を受け取ってから、その後もとくに目的もなく鶴を折り続けていた。
PC机の横に折り紙を置き、起動するまでと折り始めると1羽、2羽・・・と夢中になっていることも。途中、色別に分けてみて、不足気味の色の鶴をせっせと折ったり、グラデーションを換えてみたりすることも楽しみになった。依存症に近いかもしれない。

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      50羽ずつ分けていく

ある程度たまったところで繋いでみると、コツがつかめたのか以前より素早く50羽がつながるようになった。
そんなとき、桂花会のM氏から元気そうな声で電話があった。自宅療養中だが、体調はあまりよくなく、桂花会などの集まりはしばらくお休みしたいということだった。今年になってあまり体調はよくなかったにも拘わらず、夏前には月1度、1時間以上かけてみえていたのだが・・・。

早速、SさんとFさんに連絡、M氏に千羽鶴を送ることになった。50羽を1本のテグスで繋ぐと、20本で千羽になる。
現在はすでに11本繋がっている。おそらく千羽以上はできているツルを50羽分ごとに箱に分けたので、あとは繋ぐだけだ。

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         あとはつなぐだけ

先月、SさんがFさんのピアノに合わせてフルートを練習する日、O氏に送る千羽鶴をまとめにるためにFさんのお宅へ伺った。(千羽鶴まもなく完成
そして今度はM氏への千羽鶴。彼女たちが折ったツルも合せて繋ぐために今月も練習日に伺うことになった。

夏に湖南省で足を骨折して帰国したSさんはギブスが取れたと思ったら、今度は台風直撃直前に四川省へ旅立った。
桂花会は今月末になったが、M氏はお休み、T氏はスペインに語学留学中、Sさんの美味しいお茶と中国の話は楽しみだが、少し淋しい。
中国・中国の旅

「宗観好みの茶器」十月

2019年10月16日
今日から「寒露」の次候「菊花開」(10/13~10/17)となる。菊の花が咲く頃。各地で、菊の展示や菊まつり、品評会が行われる。
菊には不老長寿の薬効があるとされ、旧暦9月9日の重陽の節句には、菊の花を酒に浮かべた菊花酒を飲む風習があった。   
ちなみに初候は、「鴻雁来」(こうがんきたる) 末候は「蟋蟀在戸」(きりぎりすとにあり)。蟋蟀はキリギリスでなく、鈴のような音色を響かせるツヅレサセコオロギだと言われている。

井伊宗観(直弼)が選んだ12種の茶器は『宗観好十二月茶器の研究』に詳しく解説されている。
これらは藤原定家の『詠花鳥倭歌』の本歌取り、そしてこれらの歌をモチーフにしたのが江戸期の『十二ヶ月花鳥図』。(十二種類の茶器宗観好みの茶器 四月

十月   残菊に鶴   
      黒叩塗 雪吹   高さ 7.3cm  径 7cm

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         残菊に鶴   p33

旧暦十月になると北から鶴が渡ってくる。初冬の十月は空気が澄んで天も高い。雪吹の天には白い鰯雲が浮かんでいる。
地には残菊がなお咲き残って淋しい風情と時の移ろいを感じさせる。形は雪吹。塗は漆を堅くしてタンポで叩いた黒の叩漆である。
叩塗のわびた黒に金の鶴雲と銀をあしらった残菊の花葉があざやかに浮き出ている。

本歌
   十月  残菊    神無月霜夜の菊の匂はずば秋の形見に何をおかまし
   十月  鶴     夕日影群たるたづはさし乍ら時雨の雲ぞ山廻りする

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         残菊・鶴図

残菊とは、重陽の節句を過ぎたあとの菊。また、晩秋・初冬まで咲き残っている菊の花。
身近な人びと

縄文人の昔から

2019年10月15日
今日は「きのこの日」。日本特用林産振興会が制定(1995年)。語呂合わせではなく、10月はきのこ類の需要が高まる月で、その月の真ん中の15日を中心に椎茸をはじめとするきのこ類の消費PRを行っていこうということからだとか。
日本では今までに約2500種(主にマツタケやシイタケの仲間のハラタケ類に限れば約1500種)のキノコが知られているという。
日本の毒キノコは200種以上あると考えられているが、毎年、実際に起こっているキノコ中毒事故は、ほぼ10種以内のキノコによって引き起こされているという。

今年ほど「キノコ」を意識したことはないように思う。ふだんマイタケやシメジなどきのこ類はよく食べているが、食用ではなく、毒キノコが鉢に突然出現したことから始まる。LINEに画像を載せると、驚いたことにKさんのところにもほぼ同時期に同じようなキノコが出現したという。
きのこに詳しい高校生の曽孫さんに訊ねたところ、翌日、「オオシロカラカサタケという毒キノコだということがわかった。(きのこ出現

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      オオシロカラカサタケ(毒) 7.3

9月末、夏休みに仲良くなった小3のS君もキノコに詳しい。とくに毒キノコが好きなのだそうだ。先月、国立科学博物館筑波実験植物園の「きのこ展」(9/21~29)に2度も連れて行ってもらったという。たくさんのキノコたちに囲まれて上機嫌の彼と、彼自身がと撮ったキノコたちの写真が送られてきた。(幸せとは何かときかれても

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         タマゴダケ(食用)   S君撮
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        ??        テングダケ(毒)     

青森県など東北地方および北海道の縄文時代中期末葉から後期前葉(BC1500~2000)の遺跡からの出土品の中に、キノコに類似した形状の土製品が多く発見されている。
さまざまな形があるが、共通するのは「カサ」と「柄」の部分があることで、それらは食用可能なキノコ類を採集する際の『縄文版キノコ図鑑』ではないかと考える研究者もいる。
   
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    きのこ型土製品  北秋田市伊勢堂岱遺跡 
                (秋田県遺跡地図情報」より)

9月の縄文土器づくりの最終日は、平和島キャンプ場で縄文土器の野焼きの傍らで縄文鍋をつくった。ベテランのFさんが準備したキノコ類は、シメジ、エノキダケ、シイタケ。これを貝刀(かいじん)でカットしたのは小6のK君。縄文時代にキノコは貴重な食料だったと考えられている。

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     貝刀でエノキダケを切るK君

4千年以上も前から、秋になるとキノコを縄文土器で煮てみんなで食べていたのだろう。ひょっとして干しシイタケなどをつくっていたかもしれない。縄文人にとって秋はキノコを採り、そしてイチイガシやコナラの実などの木の実を採ってツヅラフジやアケビの蔓で編んだカゴに入れ、貯蔵穴に保管していたといわれる。
ちなみに佐賀県の東名(ひがしみょう)遺跡からはいくつもの編みカゴが発見されている。
植物など

台風が来た日

2019年10月14日
台風19号の記録豪雨は全国各地に甚大な被害をもたらした。まさか多摩川が氾濫するとは思わなかったが、二子玉川付近はもともと堤防がない場所で、世田谷区などが土のうを積んでいたが、隙間から川の水があふれ出したという。

この台風のために中止となったイベントは多い。そもそも交通機関がストップして移動も儘ならないが。
大田区立郷土博物館の「学芸員と歩く遺跡・まちめぐり」も2日前に中止が決定した。友の会員としてはじめて参加した今年春の「久が原遺跡編」は天気に恵まれたが、今回の「田園調布編」の日は台風の直撃で中止になった。
13日に博物館で行われる講演会も中止となり、博物館も2日間は休館となった。

12日朝、エリアメールのけたたましい音が鳴った。大田区役所からの「避難準備・高齢者等避難開始」のお知らせだった。
まだこのときは警戒レベル3、10時30分に一部地域(多摩川・呑川・湾岸地域)に発令したというのだが、この時はまだ、10時を過ぎてまもなく。よほど慌てていたのだろうか。
避難する気はなかった。高台にあるわが家ほど安全な場所はないと思っていたし、多摩川が氾濫するとも思っていなかった。

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19時には、避難指示(緊急)が発令された。「多摩川が氾濫、又は、決壊する危険が非常に高まっています。避難対象地域にお住いの方で、避難の完了していない方は、ご自宅の上階に速やかに避難して命を守る最善の行動をしてください」
幸いなことに避難勧告地域をみてもわが家は対象地域には入らない。
エリアメール以外にYahooやNHKのアプリを入れているせいか、代わる代わるアラームが鳴るのには少々参ったが、多摩川の様子は気になる。

家に缶詰状態。次々にくるLINEや再び始めた千羽鶴のお陰で、雨戸に吹き付ける音、唸るような風の音も一時気にならずに済んだように思う。Sさんの近くの二子玉川付近で多摩川が氾濫した。どうやらこの辺りは堤防がないのだとか。
気づくと11時、台風は通り過ぎつつあった。

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紅梅の枝が折れていた。樹齢100年近いのではないか、両親が大切にしてきた樹だ。数年前、植木屋さんにもう中は空洞で寿命だと言われたことがあった。それでも毎年花が咲き、実がなる。

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翌朝、近くのOさんから送られてきたのは、朝の多摩川。ガス橋付近だろうか、大勢の人が来ていたそうだ。「遠くに見えるのが、武蔵小杉のビル。真中にポツンポツンと見えるのが、本来の川幅。野球やサッカーのグランドが川になっています。手前に、運ばれてきたゴミ。あと2メートルくらいで危なかったとか。本当に怖い一日でした」。
旅・散策・イベント

「えきもくベンチ」@池上

2019年10月13日
現在、改良工事中の東急線池上駅に使用されていた古材(えきもく)のベンチが、リデザインされて地域の施設や店舗などに設置されている。「えきもくベンチ」を自作できるベンチキットが配られ、組み立てられたのは11ヶ所。(池上駅の長いベンチは・・・

最初に目にしたのは、東急多摩川線の駅前の大田区民プラザだったが、同じ日、偶然にも池上駅前の街づくり推進拠点になっている「HOTSAND」でランチをしたときだった。(えきもくベンチのある店
その後、東邦医大の帰りに蒲田駅まで歩いて2ヶ所、そして池上線千鳥町駅前の「くさっぱら公園」で「えきもくベンチ」に出逢った。(えきもくベンチはここにも

残るは池上駅周辺。すいよう会の前に回ることにしたが、意外に時間がかかってこの日は3ヶ所。翌日、墓参を兼ねてリベンジ。

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     城南信用金庫 ショーケース内

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       池上郵便局 

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       池上会館
 
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       池上梅園

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      古民家カフェ 蓮月
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蓮月は、昭和初期に建てられた木造の古民家。蓮月庵という蕎麦屋だったが、2015年、古民家カフェとして生まれ変わった。(池上の今昔) 
池上通りを呑川に向かって歩くと堤方橋に出る。HITONAMIは通りから少し入ったところにあったが、営業時間外だったため、店内に入れず。ここも古民家を改装したカフェ。
「えきもくベンチ」のパンフを見ると、ワークショップを開いて約10名でベンチを仕上げたという。
 
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          HITONAMI 
旅・散策・イベント

着々と進む工事

2019年10月12日
今日は池上本門寺が1年でもっとも賑わう日。(お会式と金木犀の香り池上で寄り道
だが、台風19号の影響で、大堂内での法要は通常通り行われるものの、万灯練り供養の方は中止となった。

2年前から始まった東急線池上駅の改良工事は、来年のお会式までには完成する予定が、どうやら半年ほど延びるらしい。

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      工事前のお会式の日   2017.10

工事中の池上駅では、どこに臨時の精算窓口や改札口はが設けられるのだろうか。(昭和のベンチともお別れ池上の街を歩く
  
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                 2019.4

先日、駅の工事中の壁に貼ってあったのは「池上NOW」の6月末と8月末の池上駅。現在はさらにクレーンも高く伸びて、ビルの鉄骨も組まれ、着々と工事は進んでいる。

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       6月末時点   *Click!
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       8月末時点   *Click!

ホームが薄暗いと感じたのは、今までの屋根が取り払われて、ビルの2階床が出来ていたからだった。

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                2019.8

久しぶりに池上駅に来ると、ビルの骨組みが大分出来上がっていた。駅の横のケンタの2階から工事現場の様子がよく見える。る。仮囲いの内側に大きな文字で「仮囲いの向こうはお客様」と書かれていた。
  
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               2019.10

駅の完成が延びるのは仕方がないが、池上図書館がビル内に移ってくる日が待ちきれない。
旅・散策・イベント

森の中の「漂流ポスト」

2019年10月11日
東日本大震災から8年7ヶ月。東日本大震災などで亡くなった人への手紙を預かる岩手県陸前高田市の「漂流ポスト」。管理する赤川さんが、9月末で併設のカフェを閉店したが、ポストでの手紙の受け付けは、今後も続けられる。

一人で暮らす市内の自宅に、カフェ「森の小舎(こや)」を開いたのは2010年。高台にあり、翌年3月の津波からの被災は免れたが、市の中心市街地は壊滅した。店で笑顔を絶やさなかった常連客たちは住む場所を失った。
亡き人への「宛てどころのない手紙」を届けられる場所として、「森の小舎」に「漂流ポスト小舎」を併設したのは、大震災から3年を経過した2014年3月。

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       「漂流ポスト」  (「漂流ポスト 森の小舎」より) 

人に話せずにいる苦しい胸の内を綴った手紙が全国から寄せられ、震災遺族だけでなく、大切な誰かを失った人々の心のよりどころとして広く知られるようになったという。
これまでに送られた手紙は600通に及び、カフェでは、大切な人を亡くした遺族の思いを多くの人に知って欲しいと、近くに建設した小屋で手紙の公開も行ってきた。

赤川さんのブログ(海辺のカフェ「森の小舎」)を見つけた。
「東日本大震災の被災地で 東日本大震災の多くの被災者の皆さまと 一番苦しく…一番悲しくて…一番辛くて… の東日本大震災直後を共に過ごした森の小舎でしたが 東日本大震災から8年半が過ぎて森の小舎の役割は果たされた頃ではないかとオヤジは考え 被災者の皆さんの 心の復興に漂流ポストがもう少しお役に立てれば…と考えました」(10/1)と書かれている。

「被災地の復興…復旧 被災者の心の復興…復旧もまだまだ…終わることが無いのです」(9/11)。
旅・散策・イベント

オープンした勝海舟記念館

2019年10月10日
勝海舟没後120年の今年9月、洗足池畔に勝海舟記念館がオープンした。この日は郷土博物館で縄文土器つくりの日に当たったため、翌週の少し落ち着いたころに立ち寄った。

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全国で初めてという海舟の記念館は、大田区が旧清明文庫をおよそ11億円かけて改修した。清明文庫は、海舟没後、海舟の墓所や別荘「洗足軒」の保存、海舟に関する図書の収集・閲覧、講義の開催などを目的として、1933年に開館。2000年に国登録有形文化財となったのち、2012年に大田区の所有となった。
外観正面中央部のネオゴシックスタイルの柱型4本が特徴的、内部にはアールデコ調の造作が施されたモダンな建造物。  

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        団体客も多い

館内では、海舟語録が流れる地球儀が訪問者を出迎え、また、咸臨丸の羅針盤や航海日誌などが展示されている。
それまでもいくつか勝海舟に関する講演会などに参加したり、江戸東京博物館や大田区の郷土博物館と山王草堂でも海舟のコーナーを観ていることもあり、目新しい資料はさほど多くはなかった。
咸臨丸に関しては、横浜開港資料館で観た資料や展示内容が充実しているように思った。(咸臨丸の日勝海舟と大田区) 

そんなこともあり、興味深い展示は、重要な文章に使用されただろう数々の「印章コレクション」。
幼名の鱗太郎はともかく、諱の義邦、安房、安芳、そして海舟という号など、蔵書印や「物部義邦」の別印と「海舟」など、多くの名を持つ海舟、その印章のデザインもさまざま。

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    「勝義邦之章」     「海舟」

「海舟」「物部義邦・海舟」「勝義邦之小章」などさまざまな印章コレクションが展示されていた。帰りにグッズコーナーで印章のデザインのクリアファイルを購入。 

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貴賓室として使われていたという部屋は印象に残った。とくに寄木床仕上げは、当時高級材料であったラワンやオーク材を用いて美しいパターン貼りで構成されていたが、既存の床は傷みや破損があったため、建設当時と同じ樹種の新しい材料を使って復原された。
寄木床のデザインはかつてのわが家の旧宅の応接間の床と似ていて、急に子どもの頃が思い出され、懐かしさがこみ上げてきた。この応接間の寄木床材の一部を、いつか組んでみようと祖父の洋行帰りの?トランクに詰めて物置に保管してあるはずだ。

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       旧貴賓室の寄木床

とくに印象に残ったものは、建物の内部、とくに貴賓室として使われていたという「旧貴賓室」。
寄木床仕上げは、当時高級材料であったラワンやオーク材を用いて美しいパターン貼りで構成されていたが、既存の床は傷みや破損があったため、建設当時と同じ樹種の新しい材料を使って復原された。  

寄木床のデザインはかつてのわが家の旧宅の応接間の床と似ていて、急に懐かしさがこみ上げてきた。
たしか、いつか組んでみようと一部だが、祖父の洋行帰りの?トランクに詰めて物置に保管してあるはずだ。
旅・散策・イベント

包丁かわり

2019年10月09日
今日は「道具の日」。東京合羽橋商店街振興組合が「かっぱ橋道具まつり」のイベントの一環として、道具の語呂合わせで「どーぐの日」に制定した。
この夏は新たな道具の存在を知った。今まで貝殻は捨てられるか、螺鈿細工に用いられるくらいだと思っていた。螺鈿細工は、貝殻の内側、虹色光沢を持った真珠層の部分を切り出した板状の素材を、漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法、およびこの手法を用いて製作された工芸品のこと。用いられる貝は、ヤコウガイ(夜光貝)、シロチョウガイ(白蝶貝)、クロチョウガイ(黒蝶貝)、カワシンジュガイ(青貝)、アワビ、アコヤガイなど。

大田区立郷土博物館の友の会で、区内の遺跡出土の土器片や石器などの整理作業に加わるようになって1年近い。
区内の貝塚から発掘された貝殻を調査研究、資料づくりをされている動物考古学のY先生が貴重なお話をして下さることがある。
9月の「縄文土器」の野焼きの日、貝刀(かいじん)を包丁代わりに使って「縄文鍋」をつくろうということになった。

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    石やシカの骨角器で貝刀をつくる

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     二ホンハマグリとカガミガイ

土器の成形の日、Y 先生は、縄文人が使っただろう、貝刀づくりを実演してくださった。用意された貝は、カガミガイ(鏡貝)やハマグリ。そして生の鶏肉まで。縄文人は今のハマグリよりはるかに大きい二ホンハマグリを食べていたらしい。
実際に貝刀をつくったり、貝刀で鶏肉を切ってみたりしたかったが、土器の成形がなかなかうまくいかなかったため、チラチラ眺めていた。Y先生は石やシカの角でコンコンと叩くと意外に簡単に欠けるようにみえたが、実際はコツが要りそうだ。

平和島キャンプ場での野焼きの日、貝刀は大活躍した。調理場で縄文鍋に入れるキノコ類、菜っ葉、長芋を数人でカットした。ほかはFさんが自宅で火を通した鶏肉を用意した。出汁は縄文時代には使わなかっただろう昆布。(縄文鍋
  
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    エノキダケを貝刀で切るK君

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          縄文鍋

エノキダケやシイタケをカットしたのは、火焔土器をつくった小学6年のK君。夏休みの「勾玉づくり」に参加できなかったというので、1つ残っていた「勾玉作りセット」をプレゼントした。(わが家で勾玉づくり
ときどき母親とLINEで連絡を取り合っているが、父親と縄文時代関連のテレビをよく見ているのだとか。

ちなみに、博物館の勾玉づくりの講座では、勾玉づくりはほとんどが小学生で、中には6年連続で参加している6年生男子がいた。大人にまじって縄文土器づくりに挑戦したのは、K君のほか小5と小6の男子。
彼らをみていると、博物館が近くにあって、自分が小学生の頃、こうしたイベントに参加していたら・・・などと思ったことも度々。
だが、土器や勾玉をつくっていればいいわけではない。考古学では「放射性炭素年代測定」などといった科学的な分析方法を用いることも多く、自然科学とも関連する理系の学問のようだ。
芸術・文化・考古

整理開始の秋

2019年10月08日
今日は24節気の1つ「寒露」。晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のこと。大気の状態が安定して空気が澄んだ秋晴れの日が多くなる。五穀の収穫もたけなわで、農家では繁忙を極めるころ。

そして今日は「骨と関節の日」。『ホネ』の『ホ』は十と八に分けることができ、体育の日にも近いことから日本整形外科学会が定めた。
今年5月、受診した整形外科でAKA療法を開始。わずか数回で数十年来の腰痛が嘘のように消えた。
それはそれで例えようのない喜びだが、骨密度には自信があったにもかかわらず、骨粗鬆症と診断されたことは大きな衝撃だった。腰椎の方は同年齢の平均骨密度と比較して同等(110%)といえるようだが、大腿骨(頚部)は92%とだいぶ下がる。若年成人の平均骨密度と比較すると66%に当たり、平均値の70%以下になると「骨粗鬆症」と診断されるという。(油断大敵

骨にはカルシウムを蓄えたり、血液を造るという重要な働きもある。血液検査の結果は、「骨芽細胞」による骨形成される速度に比べ、「破骨細胞」による骨吸収の速度が速いということらしい。そこで処方されたのが、破骨細胞の活性を抑制する薬。1ヶ月に1錠服用、5年もつづけるのだそうだ。

何はともあれ、延ばしに延ばしていた断捨離をいよいよ開始せざるを得ない秋。
りんりんがテニスラケットのガット代のためにわが家でバイトを希望しているので、物置の整理をすることにした。
母との同居をキッカケにそれまであった大型の物置のほかに、中型の物置を2つ購入して屋根の下に組み立てた。当時はそれなりに有効活用できていたが、今は滅多に開けることもなくなっている。

今年になって茶道関係の本や茶道具を何人かの方に使っていただくことになった。宗全籠はSさんのところへ行ったが、花入れ、花瓶は手付かずのままだった。
絵の集まりのときなど月に数回、備前花入れなどを使うものの、ふだん使うのは一輪挿しが多い。

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     古伊賀 双耳付   備前

先日のすいよう会のとき話が出て、Oさんにいくつか使ってもらうことになったため、物置から空き箱を出してきた。だが、箱に書かれた文字が読めずに、備前と古伊賀の花入れくらいで、現在、中断している。

本はまだまだ残っているが、これが終われば、茶道関係は掛け軸くらいになった。
面倒なのは絵の方で、今まで描いた本画や額の処分など、手をつけるタイミングを間違えないようにしないと大変だ。岩絵の具はRさんにと思っているが、これはまだ少し先のことになりそうだ。
身近な人びと

「幸せとは何か」ときかれても・・・

2019年10月07日
東急線の車内には日能研のシカクいアタマをマルくするの額面広告が月替わりで登場する。理科や算数の問題だとスルーするが、今月は「幸せについて・・・」の国語だった。こういった問題は最近の傾向なのだろうか、妙に気になってしばし眺めていた。

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    国語入試問題 (土浦日本大学中等教育学校 2019年)

問) もしあなたなら、「幸せとは何か」についてどのような作文を書いて発表しますか。
【資料1】【資料2】の内容を参考にして100字以内で答えなさい。

【資料1】 「幸福」の本質的なモメント(きっかけ)
①自己充実
②他者との「交流」 (イ)交流そのものの歓(よろこ)び (ロ)他者からの「承認(しょうにん)」
(菅野仁『友だち幻想 人と人の〈つながり〉を考える』筑摩書房より)

【資料2】【資料1】についての説明をまとめた文章
この本、『友だち幻想』では幸せになるきっかけについて説明されています。【資料1】の①「自己充実」とは、自分が能力を最大限発揮(はっき)する場を得て、やりたいことができるということが幸せにつながることを示しています。
また、②の(イ)は人と人との深いつながりそのものから得られる歓びのことであり、(ロ)は何かを人からみとめられることで得られる歓びを指しています。


解説には、「自己充実」「交流そのものの歓び」「他者からの『承認』」それぞれとかかわりのあることがらのうち、自分が「幸せ」と感じられるものごとを記述していきましょうとある。
「幸せとは何か?」 自分だけの幸せでなく他人の幸せも考えられる、共感できることが、自らの成長にもつながるということだろうか。相手の気持ちに寄り添いながら、自分が感じていることを示す・・・・100字以内で答える、なかなかむずかしい。

自分が手の届く範囲で日常をしっかりと楽しむ、そのために好奇心、興味を持つ、それができる毎日は幸せだといえる。
今年になって、長年苦しんだ腰痛から解放されたことは何より有難いことだが、この夏、郷土博物館のイベントで2人の小学生とそのママたちと仲良くなり、LINEで彼らの様子を見聞きするという楽しみが増えた。

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      S君撮    筑波実験植物園

鉱物とキノコ、とくに毒キノコに夢中の小3のS君は、先月、2度もつくばまで「きのこ展」(於:国立科学博物館 筑波実験植物園)に行ってきたというほどのキノコ好き。彼がはまっているという『「のび太」という生きかた』(横山泰行 著)を読んでみると、何となくわかるような気がした。
縄文土器づくりで仲良くなったK君は6年生。頑張って火焔土器を作り上げた。彼はサッカー少年でもあるが、小さいときは科博通い、最近は縄文時代関連のテレビなど父親と観ることも多いそうだ。

最近では、桂花会の女子で折った「千羽鶴が舞い込んでくるとは!」と、闘病中のO氏からの手紙は嬉しかった。「・・・気分的に落ち込んでいたのですが、この千羽鶴で勇気づけられました。何とか皆さんとお会いできるよにガンバリます」という力強い文字が嬉しい。1日もはやい恢復を!
旅・散策・イベント

ネオンサインのルーツ

2019年10月06日
東海道品川宿は日本橋から約8km、最初の宿場町。今も「まち」の真ん中を通る東海道は江戸の昔からの道幅そのままに、北品川の八ッ山口から鈴ヶ森までの約3.8kmが残る。

目黒川に架かる品川橋を渡り南品川宿に入ると「昭和ネオン 高村看板ミュージアム」(入場無料)がある。
90年以上屋外広告を手がけてきた(株)昭和ネオンの先代社長が収集した江戸から昭和初期の看板400点余りの中から180点が陳列されている。

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1922年(大正11年)に高村看板店として創業した昭和ネオンは、昭和になって現在の社名に改めた。現在ではデザイン、設計から施工まで、宣伝分野において重要な位置を占めている。
職人による手彫りの木製看板の数々は書体や絵柄、看板そのものの形まで千差万別。ユーモアあふれる看板の数々は、広告デザインの原型。

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     眼鏡・時計店   明治時代

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      薬屋  明治時代
「熊膽木香丸」の熊胆も木香(もっこう)も健胃に用いられる生薬。
 
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        仏具店  明治時代

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      喫煙具店 江戸時代 筆屋 江戸時代

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             下駄屋  

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        洒落看板  「かまわぬ」
武術道場で「見るだけなら構わないが、手合わせは御免こうむる」という説が伝えられている。

大正時代からつづく松岡畳店はスケッチしたことがあるが、軽トラックが店の前に停まっていることが多い。
明治末期に建てられた竹内医院は現在も診療している。

予定より40分ほど遅れ、16時を過ぎていただろうか、花海道へ急ぐ。1週間前よりは咲いているように思ったが、根にちかいところがすでに枯れ始めたものも。やはり台風か、塩害か、海沿いのコスモスはなかなか厳しい。

浜川砲台跡で大砲のレプリカ、そして最後は商店街入口に立つ龍馬像。見る度に顔の表情が違う。
駅前のパン屋さんの2階でティータイム。次回は大井町から大森の間、大森遺跡庭園、品川歴史館など、池上通り沿いで、ということになった。
旅・散策・イベント

寄木神社の「こて絵」

2019年10月05日
今月のすいよう会は大田区から品川区へ出て、旧東海道品川宿を歩いた。駅にすると北品川―新馬場―青物横丁―鮫洲―立会川ということになる。

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          まち歩き   *Click!

1週間前に下見散策をして作り上げた栞(行程表と地図、簡単な説明)の準備をして臨んだ当日は、8人の晴れ女パワーが2人の雨男?のそれを上回ったのか、雲一つない空、10月とは思えない暑い日だった。
13時に京急北品川駅をスタート。東海道を南下。鮫洲から立会川は勝島運河沿いの「しながわ花海道」を行くことにした。(今年のコスモスは

東海道品川宿に入り、高杉晋作、伊藤博文など幕末の志士たちが密儀したという大妓楼「土蔵相模跡」を過ぎ八ッ山通りへ出る。
北品川橋から望む「品川浦舟だまり」に残る民家は数年前と変わらないが、周囲に高いビル群が増えているように思えた。
11代将軍家斉の代に品川沖に迷い込んだ鯨の骨を葬った「鯨塚」が利田神社境内に残る。
幕末の砲台跡の台場小学校の敷地は五角形。校門前の「御殿山下の砲台(台場)跡」でレプリカの品川灯台を見た後は、再び旧街道へ。

寄木神社では、思いがけず本殿に上げていただき、「こて絵」の前で説明を受けた。皆は大いに感激。旧東海道から外れるが、この神社をコースに入れてよかったと思った。

こて絵(鏝絵)とは、日本で発展した漆喰を用いて作られるレリーフのことである。左官職人がこて(左官ごて)で仕上げていくことから名がついた。題材は福を招く物語、花鳥風月が中心であり、着色された漆喰を用いて極彩色で表現される。財を成した豪商や網元が母屋や土蔵を改築する際、富の象徴として外壁の装飾に盛んに用いられたという。
古くは高松塚古墳、法隆寺の金堂の壁画にあり歴史は古い。また天平年間の立体塑にも見られる。

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寄木神社の土蔵造りの本殿の両扉内側に塗られたこて絵は、向かって右の扉には猿田彦命、左扉上部には瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、その下に天鈿女命(あめのうずめのみこと)を配している。

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   寄木神社のこて絵

幕末から明治にかけて活躍した左官工の伊豆長八のこて絵は、「東洋のフレスコ画」として名高い。
長八の作品は伊豆の松崎周辺には多く残っているが、江戸の大火、安政、関東大震災などでほとんど失われてしまったという。

神社を出て目黒川に架かる品川橋を渡ると南品川宿になる。
昭和ネオンの「高村看板ミュージアム」は、90年以上屋外広告を手掛けてきた昭和ネオン先代社長が収集した江戸から昭和初期の古看板が陳列されている。(ネオンサインのルーツ
旅・散策・イベント

大森貝塚出土の土器

2019年10月04日
先月の「大森貝塚」とモース博士についての講演会で、大森という地が、「日本の考古学・人類学の礎」となる由緒ある地であり、今の生活は過去から連綿とつづく人々の暮らしの積み重ねの上に成り立っているということを思い起こさせてくれた。(大森貝塚とモース博士

モース博士により日本ではじめて科学的な発掘が行われた「大森貝塚」は、品川区と大田区に記念碑が建てられ、国の史跡に指定された(1955年)。
また、モース博士たちの発掘した貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿・鯨の骨片、人骨片など、現在東京大学の博物館に収蔵される標本類はすべて国の重要文化財に指定された(1975年)。

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     モース博士の胸像

品川区の大森貝塚遺跡庭園には「大森貝塚碑」やモース博士の胸像、貝層の剥離標本などあり、縄文時代・大森貝塚について学習できるようになっている。
庭園内に設置されている「モース博士の像」は、モース博士の生誕地であるアメリカメイン州のポートランドと品川区が姉妹都市提携を行ったことを記念して建立されたもの。

JR大森駅ホームには「日本考古学発祥の地」碑が、駅前広場にも縄文土器のモニュメントが建っている。(大森駅と縄文遺跡

1984年、マサチューセッツ州セーラム市にある博士ゆかりのピーポディ博物館と大田区立郷土博物館が姉妹館となり、その後、セーラム市と大田区が姉妹都市になった。郷土博物館2階の大森貝塚の展示コーナーには、実際に発掘された土器の欠片や発掘の様子がわかるジオラマなどが展示されている。

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遺跡庭園の横に歩行者・自転車専用道路である桐畑地下道内には大森貝塚発掘調査(1984年)で実際に出土した貝殻を使い、貝塚の断面を再現したレリーフがある。この地下道を通ってJRの線路の向こうに出ると、そこは縄文時代には海だったところ。
当時は台地の近くまで遠浅の海岸が迫っており、さらに現在の大田区と品川区の区境を流れる小川を水源に生活を営んでいたという。(東京の縄文遺跡縄文海進・海退

『大森貝塚を語る』の講演会で求めた絵はがき(戸村氏による大森貝塚出土土器の製作復元土器)をみると、縄文の森の向こうに海が広がっていたことをイメージさせる。
  
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   大用貝塚出土土器(復元)と森  (絵葉書)
   
周辺にはシラカシ、アカガシ、スダジイ、タブノキ、ヤブツバキといった常緑広葉樹の森が広がり、その実をアク抜きして食用にしていた。女性や子どもたちは海岸でハマグリやアサリ、さらには海藻を採取。男たちは小舟でアジ、スズキ、クロダイなどをとり、シカやイノシシなどの狩猟も行なっていたこともわかっている。
大森貝塚と呼ばれる集落跡には最大30人ほどが暮らし、遠くは利根川下流、霞ヶ浦などとの交流の可能性もあったと考えられている。

以前から度々訪れる大森だが、考古には1年ほど前まではまったくといっていいほど関心がなく、この地下道も線路を越えるための近道でしかなかった。
大森貝塚の講演会を機に久しぶりに遺跡庭園を訪れてみたくなった。そして桐畑地下道を通ってかつての海へ出てみよう。
芸術・文化・考古

「大森貝塚」とモース博士

2019年10月03日
先月の敬老の日、日本の考古学発祥の地「大森貝塚」にほど近いLUZ大森(大田区)に『大森貝塚を語る ―モース博士と大森貝塚―』(大森貝塚保存会主催)を聴きに行った。「大森貝塚」は、品川区と大田区にまたがる縄文時代後期から末期の貝塚。大森にある絵タイル大森駅と縄文遺跡

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       講演会の栞  *Click! 

大森貝塚・発見発掘142周年の記念講演。講師は保存会会長・国際縄文学協会理事の関俊彦氏。
           
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会場には品川区立大井第一小学校4年生による大森貝塚に関する研究発表資料、大田区立郷土博物館「大森麦わら細工の会」のKさんの「縄文土器」の麦わら細工作品などが展示されていた。
戸村正巳氏による復元製作された土器の記念の絵はがきを購入。

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   栞と絵はがき 「大森貝塚の土器を起こす」  
       
明治10年(1877年)、アメリカの海産動物学者エドワード・モース(1838-1925) が初めて来日した。横浜港に到着した翌日、汽車で横浜から新橋に向かう車窓から大森の貝塚をみつけた。貝類の専門家としてアメリカ東海岸の貝塚に関心があり、考古学の知識があったモース博士。汽車が大森駅を出発した直後、線路脇の切り通しに白い貝殻が露出しているのに気づいたという。

貝塚が古代人の遺跡だと分かったのは歴史が浅いという。日本でも貝塚の存在は知られていたが、掘り出された土器、石器、骨角器、獣骨、人骨など出土品のすべてを科学的な古代研究の資料として扱ったことは特筆すべきだという。
モース博士は「近代日本考古学の父」とも呼ばれている。

講演では、モースの生立ち、ハーバード大学の動物学者ルイ・アガシ―教授の学生助手になったころのエピソード、初来日から帰国までのおよそ6年間の話なども興味深かった。
「大森貝塚」は貝塚だけではなく縄文式土器の発掘でも脚光を浴びた。土器の網目や色突起様の形状などに表された縄文人の思いや願いは未だ判読されていないそうで、ますます縄目の文様に興味がわいてくる。
芸術・文化・考古

学校の体育館

2019年10月02日
全国都道府県ランキングによると、体育館の数は東京都がもっとも少ないという。小中学校の体育館では、エアコン設置率は実に低い。先週、ラジオをきいて驚いた。

文科省が全国の小中学校の教室のエアコン(冷房)の設置状況を調査、先週、その結果を発表した。それによると、普通教室での設置は全国で77.1%(前年は58%)で、東京都は100%。
暑い時期こそ普通教室ではなく、体育館にエアコンが必要だと思うが、体育館で冷房設備があるのは3.2%しかないという。もっとも進んでいる東京都でもわずか24.3%(2019.9現在)。

建築家の竹内昌義氏(東北芸術工科大学教授)の話では、冷房設備を進める動きが全国に広がっているが、断熱性能のないところにエアコンを付けると、ものすごく電気代がかかり、エネルギーを実に無駄にしているということになるそうだ。
日本の住宅もオフィスもエアコンに頼る一方で、断熱性能を上げる努力を今までしてこなかったという。
エアコンと断熱材の両方セットで導入できなければ、まず屋上の断熱化からと。

なんとも恐ろしいことに、室温が30℃、屋根の上が70℃だと、体育館内の体感は50℃になるとか。
とりあえず屋根の断熱化が考えられるが、小中学校の体育館の屋根は、多くが鉄板で凹凸型や波型。改修などで防水工事をするときに凹んだところに板状の断熱材を敷き詰めてその上に防水シートを設置すると、音も遮断されるそうだ。
岩手県の紫波町では、屋根や壁にも断熱材を使った体育館があるとか、マイナス15℃のときも館内では10℃以下にならず、夏も朝一度冷房するだけで快適だという。こうした断熱化はCO2も減らす効果もあるというが、なかなか難しいのかもしれない。

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   「小学校体育館スポーツ開放」のお知らせ

小学校の体育館は学校行事等で使用できない日以外の日曜日の午後、卓球等のスポーツの個人利用に開放されている。
大田区のHPによると、夏、午前10時の時点で、開放時間帯のWBGT(暑さ指数)予測値が31℃に達する場合には、開放は中止となる。また、開放中にWBGT実測値31℃以上又は気温35℃となった場合には、その時点で開放中止。
こうした開放中止は仕方ないとしても、災害時の避難所にもなる体育館に空調設備がないのは大問題だ。

児童生徒の熱中症から守るためにも、避難所整備のためにもに空調設置を進めているというが、大田区では小学校59校中56校、中学校28校中24校が未設置。区長は、3年以内に全小中学校の体育館のエアコン設置を行うと約束したようだが・・・。

今年から参加するようになった太極拳の会は文化センターの地下にある体育館で行われている。さすがにエアコンはあるが、地下とはいえ広い体育館を冷やすのはなかなか大変で、大きな扇風機が回っていた。
夏の間、すっかりさぼってしまった太極拳、そろそろ頑張っていかなくては。覚えかかっていた24式も五禽戯も一からやり直し!
旅・散策・イベント
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