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紅梅に

2020年01月31日
屋久杉の高さ20mの枝にナナカマドなどいろいろな植物が根付いて花を咲かせているというが、自然豊かな屋久島ならそういったこともよく見られるのだろうと思っていたが、わが庭でも似たようなことが起きている。
紅梅の高さ2.5mのところにできた洞に30cmほどの木が生えていることに気づいたのは、梅の葉がすっかり落ちた晩秋のこと。

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紅梅の樹齢は100年にはならないだろうが、昨年の台風で空洞になった幹が折れたりだいぶ弱っているものの、毎年、たくさんの花をつける。その根元に実生から育ったマンリョウが実をつけている。梯子をかけてみると、紅い実こそついていないが、そのマンリョウの葉にそっくりだ。鳥のが運んだのだろう。

「樹齢400年超の桜から松ひょっこり、地域住民びっくり」という「河北新報」の記事(LINE)を読んだ。
仙台市青葉区の安養寺で、樹齢400年を超える桜の木から松の木が生えて、地域住民を驚かせている。松が生えたのは参道入口にある高さ7~8mの桜で、太い幹が枝分かれした根元部分から約60cmの松の若木が伸びている。住民は桜に松が加わり、めでたい」と喜んでいるとか。

わが庭の「紅梅に万両」というのもめでたいかもしれない。
万両といえば、千両、百両、十両という紛らわしい名の木もあるが、万両は百両、十両とともにヤブコウジ科。千両はセンリョウ科。
庭にはマンリョウ、センリョウともあるので、この若木を発見したときどちらか迷ったが、梯子をかけて間近に葉をみてマンリョウと確信した。

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マンリョウの花は7~8月に咲き、12月から冬にかけて実が紅くなる。センリョウに比べて葉の下の方に実をつけるため、鳥に食べられにくく実が残る。また、実が垂れ下がることから重い、という発想から「万両」という名になったとか。

木のくぼみや穴に土や葉がたまり、そこから別の木が生えることは自然界ではよくある現象だという。木の枝分かれした部分に根を張ったのであって、宿り木のように幹や枝の寄生しているわけではないようだ。
紅梅には6年前にUさんから株分けしていただいたセッコク(石斛)が根を下ろしている。このセッコクも寄生植物、宿り木でなく着生植物。紅梅の老木と相性がいいのか、毎年鮮やかなピンクの花を咲かせてくれるが、今年は蕾はまだ見当たらない。
植物など

ヤドリギモドキの正体

2020年01月30日
新田神社(大田区矢口)の昔の栞には、樹齢700年余のご神木のケヤキにはヤドリギがあったと書かれている。この神社を訪れる度に、とくに冬にはすっかり葉を落としたケヤキを見上げてヤドリギを探すが、まだみたことがない。
  
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            新田神社の大ケヤキ

ヤドリギは常緑性の低木で、決して地表に生えることはなく、他の樹木の枝や幹に根を差し込んで水や栄養を横取りする寄生植物で、文字通り「木に宿る木」。ただし、ヤドリギも葉緑素をもっていて光合成をして栄養の一部を自力でまかなっている「半寄生植物」だとか。

ヤドリギはさまざまな落葉広葉樹を寄主とする。関東以西の平地ではケヤキ、エノキ、サクラなどに寄生することが多く、山地や北日本ではコナラ、ミズナラ、ブナ、シラカバといった樹木に寄生することが多い。 (ヤドリギ
ヤドリギの種子は地面に落ちても生きられないため寄主の枝や幹に種子をくっつける仕掛けがあるという。
雌株には直径7mmくらいの丸い実が冬に薄黄色または赤色に熟す。実の中には粘りけのある透明な果肉に包まれた種子が1個入っていて、鳥がこの実を食べると、種子は消化されずに糞といっしょに出される。この種子のネバネバが糸のように伸びてぶら下がり、風に揺られて近くの枝にくっつくという。鳥まかせ、風まかせで、運良く寄主にくっついた種子はやがて「発芽」する。
日本では冬鳥のヒレンジャクキレンジャクヤドリギの実を好んで食べることが知られている。

東急池上線の千鳥町駅から池上方面に歩いて250m、丘陵を利用し高低差に富んだ「いこい公園」がある。下側の入口は旧六郷用水(暗渠)の歩道沿いにある。公園付近は弥生時代の土器片などが数多く発掘された久が原台地。
先日、公園前の歩道にケヤキの上方に丸い塊をみつけた。よくみると、すぐそばのケヤキにも丸い塊があった。ヤドリギのようにみえた。
   
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あらためてヤドリギの画像を検索してみると、どうやら公園前の丸い塊はカラスの巣らしい。あまりに高く、しかも眩しくてはっきり見えなかったが、ヤドリギなら緑色がかっているはずだ。
近いうちに双眼鏡を持って公園の中からヤドリギモドキを観てみようと思っているが、あの丸い塊がヤドリギだったらいいのだが、どうやら違うらしい。
カラスは繁殖期以外では巣を利用しないというが、3月から7月ごろまでの繁殖期は、とくに4月~6月ごろには人への攻撃も多くなるため、この木の下を通るときは十分気をつけなくては。
植物など

カラスのせい・・・?

2020年01月29日
ゴミの収集日、集積所に散らばったゴミをみることがある。カラスの仕業だ。美観の面からも衛生上もよくないのはもちろんだが、雨や風で散らばったゴミの一部が運ばれて海に流れ着くことになる。そしてプラスチックによる海洋汚染の原因にもなる。
海洋プラスチックゴミは、世界で年間数百万㌧超、日本からは2万~6万㌧が流出していると推計されている。(2019.5)

そんな中、海の中でも分解されるレジ袋が開発され、今年7月から販売されることになったとニュースできいた。
サトウキビやトウモロコシなど植物由来の樹脂製のレジ袋で、愛媛県のレジ袋メーカーと群馬大学の共同開発だという。価格は従来のレジ袋の7~10倍というが、海の中でも半年で9割超が水と二酸化炭素へ分解されるという。

外出時には折り畳んだ袋をバッグに入れ、なるべくプラスチック製品を使わない心がけをしてはいるが、そもそも生ゴミをなるべく出さない、食品ロスを減らすことが肝心だと思っている。

元旦、初詣に訪れた多摩川浅間神社の石段前に並んだ自転車の前かごにカラスが停まったと思うと、何が入っていたのか、食べ始めた。すぐ近くに何人もの人がいたのだが、追い払われる心配はないとみたのだろうか。

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3歳児並みの知能を持ち、記憶力抜群というカラスにゴミを荒らされないためにはカラスの習性を知らなくてはならないという。都市部ではハシブトガラス、農村部ではハシボソガラスが多く、いずれも雑食性。

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夜明け前から活動するというカラス、嗅覚は鋭くはないが、視覚に優れているため、生ゴミが外から見えないように新聞紙などにくるんで出すのがいいというが、脂身は紫外線を反射して目立つため紫外線がみえるカラスにはみつかってしまうという。
わが地域では戸別収集のせいか、カラスに狙われてはいないが、油断するとカラスとの知恵比べに負けてしまうかもしれない。
動物など

駅ピアノ

2020年01月28日
東急田園調布駅の改札内コンコースに置かれた「駅ピアノ」。弾いているところがカフェのガラス越しに見えるのだが、カフェにいる間に弾く人はいなかった。
1月18日から2月17日の午後1時半から4時半、ピアノ以外の楽器のアンサンブルや歌を歌うなどはダメといったルールを守ればだれでも自由に利用できるというストリートピアノ。どうやら初日、最初にこのピアノを弾いたのは東儀秀樹親子だとか。

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        田園調布駅    2020.1.27

ストリートピアノとはイギリスで「Play Me, I`m Yours」と名付けられたストリート・ピアノ・プロジェクトの一環で始まったもの。
通りがかった人がピアノで何かを弾き、それをまた通りがかった人が聴き、いろいろな人が足を止め、会話が生れ、交流が生まれる。いつか同じ空間をお互いに知らない同士の人が共有できるようにと作られたのだとか。今このストリートピアノが全国に広がっていて、ラジオやテレビでも取り上げられているという。
昨年4月に都庁南展望室に置かれた「都庁おもいでピアノ」は、グランドピアノ。大人気で弾くまでに順番待ちとか。

最初に目にしたのはシビックセンター(文京区)で。黒いピアノの傍にいくつかの楽器が置かれていた。
「演奏できる方 ご自由にお弾きください!」とあくまでも演奏するのが目的のようだ。夏休みとあって弾くのは子どもたちが多かった。

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       シビックセンター  2019.8.24

次は『縄文と弥生』展を観に神奈川県立歴史博物館を訪れたとき。(神奈川県立歴史博物館
みなとみらい線の馬車道駅構内に置かれていたのは「横浜BMIストリートピアノ」。昨年6月に一般に開放されたらしい。横浜市都心部では、2018年末に関内のマリナード地下街に設置されたピアノに続き2台目とか。
「BMIストリートピアノ」は馬車道 、マリナード 、伊勢佐木 の3つの連なる商店街から成る実行委員会が主催するプログラム。

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             馬車道駅
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      BMI STREET PIANO   2019.12.1

ふと、上海に帰った趙さんのことを思い出した。彼女だったらきっと迷わず弾き始めるだろうな。春節だというのに新型コロナウィルス騒ぎの中国、久しぶりにウィチャットしてみようか。呉さんにも。
旅・散策・イベント

「飛んで行ってしまいました」

2020年01月27日
天神の1月25日には「鷽替え神事」が行われる天神社は多くの参拝客でにぎわう。
亀戸天神の鷽替え神事は毎年1月24、25日に行われる。鳥の「鷽」と「嘘」の読み方が同じであることから、昨年の悪いことを「うそ」にして吉事に「トリ」替えると伝えられる。「木鷽」は、道真がハチの大群に襲われそうになった時にウソが窮地を救ったという逸話にちなむという。
また、「鷽」の字と「學」の字が似ていることから、菅原道真公を祀っている天神様のご利益を授かろうと願う受験生にも人気があるという。

以前友人に誘われて鷽替え神事の亀戸天神を訪れて以来、昨年、りんりんの高校受験をキッカケに、長い間気になっていた「木鷽」を返しに行った。
朝早く家を出て、8時前に列の後ろに並び、新たに鷽をゲットできたのは9時を過ぎていた。(災いはうそに鷽替え神事
 
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          2019.1.24   8:50ころ

そして今年、うっかりしていて気づいたのは25日午後2時を過ぎていた。神社に電話して問い合わせたが、この2日間限り、なくなり次第終了ということ。昨年のわが家は鷽のご利益があったような気がする。やはり行かなくては。2日目のこの時間なら並ばないですむだろうと昨年の鷽を持って家を飛び出した。

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        2020.1.25   15:50

確かに並ぶことはなかったが、木鷽はすべて終了。授与所に並んでいるのは小さく細い「懐中」用の鷽だけ。ほかは残っていないのかを尋ねると、「はい、みんな飛んで行ってしまいました」とのこと。

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本来は大きめのものに替えるときいているが、仕方がない。「懐中」用(¥500)2本に取り替えて、神社前の船橋屋で葛餅を買って帰った。1年間、携帯して、来年は忘れずに早めに大きめの木鷽に取替えようと思った。  
旅・散策・イベント

あのクルミの木は・・・?

2020年01月26日
多摩川の河川敷はお馴染の場所ではあるが、川べりまで行ったことはほとんどなかった。
川べりにオニグルミの木があり、実をつけることを知ったのは一昨年の秋だった。
昆虫採集したいというじゅんじゅんに付き合ってごんさんと川べりまで行くと、クルミらしい木の下に黒くなった実や青い実が転がっていた。枝には青い実がまだたくさん残っていた。(青いくるみ

友の会のKさんにクルミの木の生えている場所を訊かれたこともあり、昨年4月に再び川べりに確認に行くとクルミは花をつけていた。(春の河川敷

9月には郷土博物館の「縄文土器の野焼き」の日につくる縄文鍋のためにクルミを拾いに行った。

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               2019.9
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そして台風19号がやって来たのは10月12日。そのひと月後、クルミの様子を見に行った。自転車がなかなか進まないほど台風で運ばれてきた川砂が積もり、河川敷は灰色一色になっていた。

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クルミらしき木に辿り着いたが、台風で流されてきたゴミや草などが木の根元に絡まっていた。クルミの実などが見つかるはずもない。
数日後、多摩川のヤナギクルミの木が何本も流されたという話を聞いた。もっと上流の河原の木かもしれないが、衝撃を受けた。

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                2019.11

先日、東京高校前の土手からガス橋までOさんの散歩にお付き合いして歩いた。川べりにオニグルミらしき木がみえた。

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                2020.1

コートはまだ整備されていないものの、少年たちがキャッチボールしている地面はうっすらと緑色になっていた。クルミヤナギが芽吹く季節もまもなくやって来るような気がした。
植物など

雪も氷も・・・

2020年01月25日
七十二候が大寒の次候になった。「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」。厳しい寒さで沢の水さえも凍る頃となり、池や沼の水面の氷は、溶けたり凍ったりを繰り返しながら厚みを増していく頃。
その年の最低気温が観測されるのも、この頃が一番多く、氷点下に達する地域も多くみられるという。 ちなみに寒さの日本記録は−41℃!明治35年1月25日に旭川市で観測されたとか。
 
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      蹲に氷 竹筧に氷柱  2016.1.25

だが、この冬の日本列島は異常なほど暖かい。東日本の1月15日までの平均気温は、平年比プラス2.2度。このままの数値が続くと1月は1989年の過去最高記録に並ぶ。
日本海側は過去最も雪が少なく、雪がほとんどないスキー場も。例年なら大雪のはずの札幌も雪不足・・・。

日光で100年以上続く「日光の天然氷」が暖冬の影響で危機に直面しているという。池の氷の厚さが足りず、切り出しが始められていない。天然氷を貯める氷室も空っぽだという。
この日光天然氷「4代目徳次郎」のかき氷を東京で味わった夏は何年前になるだろう。りんりんと法務省見学の帰り、恵比寿の三越に立ち寄った。

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                 2017.8

毎年11月上旬から翌年2月までが天然氷づくりの作業となるそうだ。冬の昼間、日光が当たらない山の斜面にヨコ13m、タテ30m、深さ0.5mの氷池が2面、ここに沢の水を引き込んである。硬くて溶けにくい氷をつくるためには、水、土、気温、風といった自然の条件と、その変化を見極める人間の知恵が不可欠だとか。
 
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         日光 採氷池

キンキンした氷の冷たさがなく、口に含むとなんともやさしい感触。ふだんかき氷など食べないが、天然氷をつくるまでの苦労なども知って感動しながら味わったことを思い出す。(日光の天然氷
   
東京はまだ氷が張らず、初氷の最も遅い記録を更新中だ。花粉が早めに飛び、夏には水不足の可能性もでてきたらしい。
「地球温暖化の進行が、この暖冬につながっている。オーストラリアでの広域な山林火災も温暖化の影響が大きい」と専門家は指摘する。日本でもようやく危機意識が出てきたというが、間に合うだろうか。
旅・散策・イベント

多摩川大橋から

2020年01月24日
昨年10月中旬に首都圏を直撃し、関東地方を中心に甚大な被害をもたらした台風19号。(台風が来た日
これまでも多摩川河川敷に被害はあったが、これほど甚大な被害をもたらした台風はあまり記憶にない。

台風襲来の後も何度かJR京浜東北根岸線で多摩川大橋を渡って川崎へ出かけた。あの台風から3ヶ月、今年になって久しぶりに川を渡ったが、車窓からの景色はかつての河川敷とはまったく様子が変わってしまった。

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              2017.5
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              2019.8

青々とした草で覆われた大田区側の広い河川敷は砂と土が混じり、復旧工事はされているものの野球やサッカーなどのコートが使えるようになるのはまだまだ先のようだ。
             
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               2019.12.27
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               2020.1.20
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      川崎--蒲田   2020.1.20
旅・散策・イベント

3色のヒヤシンス

2020年01月23日
昨年暮れに鉢植えのヒヤシンスを近所の花屋さんで買った。植木鉢に紫、白、ピンクの3色の球根が植えられている。
   
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以前も3色の鉢植えを買ったことがあった。フォルダ内の画像をみると、何と11年も前だ。この時は青色の球根を水栽培にしたところみるみるうちに根が伸びて楽しかった。水栽培に比べると鉢植えの方の成長はずいぶんとのんびりしていた。(ヒヤシンス

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     2009.1.29     2.7

その3年後の暮れにも同じような3色の鉢植えを買ったようだ。このときは日当たりのよい2階の部屋に置いていたようで、そのせいか、窮屈な鉢でわずかひと月で満開になっている。
 
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         2013.1.24

それから7年も経った。花屋さんに別々の鉢に移した方がいいのか尋ねるとそのままでよいと言われた。
今年はしばらくの間、涼しい場所に置いておくことにした。水やりだけは気をつけなくては。
植物など

「蕗の薹が蕾を出す」頃

2020年01月22日
1月20日は24節気の1つ「大寒」。そして七十二候では初候「款冬華(ふきのはなさく)」。「蕗の薹が蕾を出す」時季になった。
次候は25日からで「水沢腹堅」(沢に氷が厚く張りつめる)、末候は1月30日から「鶏始乳」(鶏が卵を産み始める)となる。

大寒の前日、大森麦わら細工の会(大田区郷土博物館)で借りている畑で行われた「麦踏み」に参加した。
畑ではブロッコリー小松菜、里芋などが育っているが、ほかにもプラムの木の下にハヤトウリの実が落ちていたり、フキが広がっていたりと、絵の題材になりそうなものがここかしこにある。
よくみると、蕗の薹がいくつもできている。やはり大寒の頃に「蕗の薹が蕾を出す」のかと嬉しくなった。

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年末に移った1階のかつての父の書斎の西側の窓からは、葉を落として枯れたようにみえるムラサキシキブの根元に蕗がある。日当たりがあまりよくないからか、蕗の薹が砂利の中から顔を出すのは毎年2月半ば過ぎ。

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          窓からの眺め

南側の窓からは紅梅の老木と、遠くにケヤキの木がみえる。ひと月もすれば、満開の紅梅、ケヤキの芽吹き・・・春の訪れをいち早く感じられる楽しみが増えた。    
植物など

麦踏み

2020年01月21日
はじめての「麦踏み」体験の日は快晴に恵まれた。
今年になってから博物館の友の会をお休みしたせいで、畑の前を通って久しぶりに麦(大麦)の成長ぶりをみた。

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        麦踏み前    2020.1.19

種蒔きから2ヶ月余り、順調に育っているようだ。(麦の種蒔き

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          種蒔き   2019.10.27

大森麦わら細工の会の例会は月1度。種蒔き、麦踏、土寄せ、麦刈りなどの合間にメンバーは「麦わら細工」の保存に取り組んでいる。昨年初夏に入会、何とか干支をデザインした張細工を仕上げたが、編み細工と張細工、いまだに入門段階。(麦刈り麦架け

博物館で長靴に履き替え、LINE仲間のYさんに除夜の鐘を撞いた話をしながら畑に向かう。
まずは草取り。除草剤を使わないために麦に負けずに草も生え始めている。畑に降りた霜もいつの間にか消えていた。

麦踏みは、根張りをよくするためだというが、懸命に伸びている麦が何だか可哀そうになって躊躇していると、慣れたF氏やSさんは麦を踏み始めた。

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          麦踏み開始

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思い切って長靴を軽く載せたが、起き上がってくる。なかなか加減が難しい。
小一時間もしないうちにすべての麦は倒れた。長靴の底についた泥を落とす作業の方が大変だったような気がする。

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         麦踏み終了

行きのバスの中で「麦踏み」について調べてみた。
麦踏みは、播種から概ねひと月後に始め、霜注意報が出る地域ではそれ以前に実施することが望ましいとされる。
麦の芽が、まだ匍匐したロゼット状であるうちに踏圧することで、冬季の霜柱などによる凍霜害を防ぐとともに、徒長を防ぎ、根の張りをよくして、耐寒性を高めることが意図されている。
また、麦踏みによって成長後の倒伏を防ぐことができ、分糵茎を多く生じて株分かれを促進するとも考えられている。

麦踏みを行う時期や回数は、気候や土質など地域ごとの諸条件や、播種の時期や量、施肥量などの方策によっても異なるが、晩秋から冬季、あるいは早春に、複数回行われることが多い。俳句では、「麦踏み」は春の季語とされている。
(Wikipedia)

つまり、麦が踏まれることで枝分かれしたり、茎が太くなるため、収穫量が増えるだけでなく、風に強くなる。また、踏むことで土壌が固められ、霜に強くなるという。

ちなみに、大麦には六条大麦(麦ごはん、麦茶など)、二条大麦(麦ごはん、ビール、麦焼酎など)、はだか麦は麦ごはんのほかに麦味噌や焼酎の原料になる。
大麦は麦こがしや水あめの原料にも使われるが、グルテンがなくパンに焼いても膨らまない。
植物など

「宗観好みの茶器」 正月

2020年01月20日
今日は24節気の1つ「大寒」。「冷気が極まって、最も寒さがつのる時期」という意味。暦の上では、今日からが一年で最も寒い時期ということになるが、実際には1週間ほど後の26日から2月4日までに最低気温を更新することが多く、若干のズレがあるようだ。
その寒さを利用して味噌や醤油、日本酒などの仕込みが始まる時期。寒稽古や寒修行も行われる。

母の大切にしていた「井伊宗観好みの茶器」の箱から久しぶりに正月の茶器を出して飾り、解説書ともいうべき『井伊宗観好十二月茶器の研究』(大崎喜之 著)を開いた。
1月の「宗観好みの茶器」はいかにも正月らしい「柳」。(十二種類の茶器宗観好みの茶器

井伊直弼といえば「桜田門外の変」で非業の死を遂げた政治家としてよく知られているが、『茶湯一会集』など多くの茶書を著した大茶人、思索家でもあった。

宗観の十二月茶器構想の軸になったものは、和歌から和歌という狭義の本歌取りではく、『定家の詠花鳥倭歌』と『鴫の羽掻』所収十二カ月花鳥図だという。
宗観は、1つ1つの茶器の図案、形、大きさ、塗、色を緻密に計算し、趣向を凝らした。さらに12個全体の中につながりや対比や構成の妙を求めた。

正月   柳竹に鶯
      黒真塗  大棗  高さ7.4cm 径7.3cm

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大棗の天から、おおうように薄緑の新しい芽をつけた柳の枝が垂れ下がっている。それを受けるかのように、柳の根元から竹が凛として描かれている。春告鳥(鶯)が春を知らせる。

宗観はこよなく柳を愛し、「和敬清寂」の心を柳に見出したという。正月らしく、利休形の大棗の黒真塗に、鮮やかな金蒔絵。

本歌
   正月 柳    打靡き春来る風の色なれや日をへて染むる青柳の糸
   正月 鶯    春来ては幾日もあらぬ朝戸出に鶯来ゐる窓のむら竹

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         柳竹に鶯   p65       
身近な人びと

生垣には不向き?

2020年01月19日
伸びすぎたゴールドクレストごんさんが一人で伐るには無理かなと躊躇していた矢先、りんりんがやって来た。グッドタイミング!
ゴールドクレストは、モントレーイトスギといい、北アメリカ、モントレー付近に分布する品種で20~30mくらいの高さになるという。

もちろんゴールドクレストもその性質を受け継ぐから最終的には日本でも20m以上になるという。塀をつくるときに目隠しに植えたことは覚えているが、これほど前に大きく伸びるとは想像だにしなかった。
庭植えにすると、早いと1年で1m以上成長するから剪定は必須だとか。だが、なぜか一度も植木屋さんにもお願いしたことがないように思う。

実際、この木が大きくなってみると、紅梅、椿、山茱萸、金木犀、寒椿、楓など和風の樹木の間で違和感がある。
3~6月か9~10月に剪定を行うのが適しているというが、思い立ったときが吉日。台風には耐えたが、雪が積もったら折れることもあるかもしれない。お隣の通路に倒れてはまずい。
木には悪いが、今回の剪定で枯れたらそれも仕方ないと内心思っていたのだが。

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          4m以上?

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       梯子上でロープをかけるりんりん

ごんさんが電気のこぎりである程度切り、りんりんが地上3mほどのところにかけたロープを引っ張るという方法で根元から伐ってもらった。

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暮れまでは2階からしか眺めなかった庭、1階に引っ越して窓の外を眺めるといろいろと気になる場所が出てくるものだ。
まもなくく紅梅が咲き、4月にはセッコクが咲く。遠くケヤキの芽吹きも部屋に居ながらにしてみることができる。
植物など

冬のルリマツリ

2020年01月18日
3年前に近所の花屋さんに勧められて購入したルリマツリ。説明通り、丈夫で、地植えするとあっという間に蔓を伸ばし、暑い時季には涼し気なブルーの花が次々に咲かせた。(ルリマツリ再び) 


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           2019.12

2018年1月、雪が降った数日後、枯れてしまったかと思ったが、少しずつ元気を取り戻した。この冬はまだ雪が降らないこともあるのか、いくつか花を咲かせている。

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            2018.1.28
 
春になると見る見るうちに蔓を伸ばし始めた。

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             2018.4
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             2018.5
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             2018.8

ルリマツリは南アフリカ原産の常緑性だが、日本では冬の寒さで葉が枯れてしまうことも少なくないという。冬季は7 - 8℃以上に保つ必要があるというが、地植えしてあるのでなかなかむずかしい。
冬に葉は枯れ落ちてもまた新芽が出て蔓が伸びてくる。とくに初夏から秋にかけて咲く淡いブルーの花が楽しみになった。
植物など

楽しみな帰り道

2020年01月17日
ほんのたまに行く駅前商店街を外れたとき、ふと目にした門扉横の塀の上に獅子舞の装いのシロクマと犬のミニチュアが置かれていた。よくみると塀には「防犯カメラ設置」と貼られているが、念のためか紐で繋がれていた。

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        2019.12.29

帰宅後、いくつかのグループにご報告。早速、桂花会のメンバーから。ビーグルを飼っているSさんから「ビーグルですネ! 我が家のビーさんより賢そう」と入った。彼女の家で会ったビーは甘ったれだが、賢い犬だ。彼女曰く、「マメ台風」(孫娘)がやって来る度にビーのヤキモチはひどくなっているのだとか。

元旦、ガス橋から多摩川べりを浅間神社まで行った帰り道、年末、シロクマたちに出会った道をたまたま通った。
すると、ビーグルはシロクマに寄り添っていた。

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           2020.1.1

「うん、今度はちゃーんと松飾がついている」とFさん、「すごいオリジナリティーいっぱいの立派なお飾りね」と。

次は鏡開きの朝、もういないかなと思いながら遠回りしてみた。するとコートを着たシロクマとマフラーをしたビーグルになっていた。

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           1.11

まず、Kさんから「あ~、可愛い~」。そしてFさん「あら、衣装が変わった!」「夏になったら水着を着るかも♪」と。
その前に春、お花見かな?

O氏からは「良いですね。伝統をつなぐことは・・・(拍手) 犬の親子?可愛いですね。ちなみに私は戌年‥可愛くないね」と。
「多分、シロクマとビーグル犬だと思います」に「もしかしたら、クマかなと思いましたが・・・失礼しましたm(__)m クマッタナ・・・」とさすがダジャレおじさん。

年末にはじめて出会ったシロクマたちだが、いつからこの舞台に登場したのだろうか、そのときの装いは?気になり始めた。
「ここを通ったときに家の人とバッタリ!ということにならないかな~」
「それは面白いですね~リクエスト!」とKさん。「これから毎週通ることにしよう!!」と書くと「宜しく!楽しみね」とFさん。
出かける楽しみができた。今は年末年始だけで終わってしまわないように願っている。
旅・散策・イベント

「区の木」はクスノキ・・・

2020年01月16日
東京23区の〇〇一覧などで、「千代田区」から始まるのは、皇居のある千代田区を中心に「の」を書いた順番なのだそうだ。
千代田区を起点に、中央区、港区、新宿区、文京区、台東区、墨田区、江東区と旧市域で「の」の字を書いたあと、品川区、目黒区、大田区、世田谷区、渋谷区、中野区、杉並区、豊島区、北区、荒川区、板橋区、練馬区、足立区、葛飾区、江戸川区と新市域で「の」の字を書いていくからだとか。

「区の花」「区の木」はどの区でも指定しているが、「区の鳥」を指定している区は少なく、千代田区のハクチョウ、品川区のユリカモメ、目黒区のシジュウカラ、大田区のウグイス、板橋区のハクセキレイのみ。

「大田区の鳥」がウグイスなのは、「区の花」がウメということからだろうか。古くから大田区の土地になじみ、歴史的な由緒も深いことから制定されたという。
かつては広重「名所江戸百景」に描かれた「蒲田の梅園」は、区立聖跡蒲田梅屋敷公園となっている。
ウメといえば池上梅園。丘陵斜面などに約370本の紅白の花が咲き乱れる。

「区の木」はクスノキ。常緑の葉は陽光に美しく映え、成長が早く、しかも公害にも強く、そのたくましい樹形は風格ある高木となる。
池上本門寺近くの本町稲荷神社内にあるクスノキは、区内でも有数の巨木。
数年前までは洗足池畔にある図書館前にがウメ、ウグイス、クスノキがデザインされた車止めが置かれていた。

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          洗足池図書館前  2009.7

クスノキの街路樹もよく見かけるが、全長約900mのガス橋通りのケヤキ並木は「新大田区百景」の1つ。四季折々の表情を見せてくれる区内でもっとも好きな通りだ。
1929年、鶴見工場のガスを東京に供給するために下丸子と川崎市平間の間に架けられたガス橋は、1960年に近代的な橋に架け替えられて自動車の通行が可能となった。古くは「平間の渡し」があった。

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    4月 ガス橋通りのケヤキ並木 11月

23区内でケヤキを「区の木」に指定しているのは、新宿区、世田谷区、渋谷区、板橋区の4区。
クスノキは、大田区の他、江戸区のみ。
植物など

窓越しのケヤキ

2020年01月15日
「もっとも好きな樹は?」と訊かれたら迷わず「ケヤキ」と答えるだろう。。数年前の桂花会での宿題テーマが「私が好きな樹」だったときもこの樹を選んだ。(もっとも好きな樹は・・・大好きなケヤキ) 

ケヤキは日本全国の山地や丘陵に自生する落葉高木。漢字の欅は、中国ではサワグルミの一種カンポウフウに付けられた名。
新緑、黄葉、冬の樹形も美しく、日本を代表する巨木の一つだが、朝鮮半島や中国にも自生する。
日本では特に関東地方の土質(関東ローム層)に馴染み、「武蔵野」の風物詩となっているが、宮城県や福島県の木でもある。

関東近郊に立派なケヤキが多いのは、徳川幕府がその植栽を推奨したことにちなむという。江戸時代には橋桁や船、海苔を養殖する粗朶(そだ)作りに使われ、その後も立派なケヤキのある家は格式が高いとされた。通常は樹高25m、直径2m程、大きな木では樹高30m、直径5mにもなる。

古代においては、強い木を意味する「槻(つき)」と呼ばれていたが、16世紀頃から欅と表記されるようになった。
ケヤキは「けやけき木」で、他の木より一際目立って樹形が端整であることや、木目が美しいことを意味する。

ケヤキはニレ科。ニレの樹は昔新宿御苑でスケッチしたことがあったが、考えてみるとケヤキのスケッチは数えるほどしかない。
Kさんと西荻(杉並区)の通称「トトロの樹」を描いて以来かもしれない。(景観重要樹木として

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     2階から  2015.1.10 6:34

年末に2階の部屋から1階のかつての父の書斎に移った。2階の窓からよく見えたケヤキだが、1階からでも隣家の屋根越しにかなりの部分が見えることがわかり、ごんさんに塀の高さまで数本の樹を切ってもらった。
ケヤキがみえるように机の置き方を工夫した。

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     1階から  2020.1.10 16:30

まだ蕾が固い紅梅が咲き始めると、1階から見えなくなるケヤキも紅梅が散り終わる頃には芽吹きが楽しめる。

『神霊矢口渡』ゆかりの神社

2020年01月14日
『神霊矢口渡』ゆかりの神社を巡った。何年も前、狛犬目当てに大田区内のほとんどの神社を巡ったことがあった。その中で子連れ狛犬のみ5分ほどのクロッキーをして回った。狛犬の彫られたおおよその時代がわかるようになっていたのだが。
今も境内でもっとも目につくのは狛犬だが、写真を撮るだけになってしまった。

新田神社   新田神社の建立は新田義興が謀殺された1358年。祭神は新田義興。
『太平記』によれば、謀殺のあと怪光やたたりがあると評判になったため、義興を埋葬した塚に新田神社を造立したという。
多摩川は江戸時代には神社のすぐそばを流れていた。
社殿の後ろは15mほどの円墳があり、「御塚」と呼ばれ、義興の遺骸を埋めた墓だとの伝承がある。
御神木は欅で、樹齢700年、雷や戦災に遭いまっぷたつになってしまったが、新緑の頃には若葉が茂る。
近くの十寄神社にお参りした後、新田神社に寄るのが江戸時代のスタイルであったという。

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        「唸る狛犬」  江戸時代? 
伝承として畠山一族のゆかりの人間が神社付近に来ると雨を降らし、うなり声を上げたという伝説がある。2体あったが、戦災で壊れ阿像のみ。恨みを持つ畠山一族の人が近づくとうなり声を上げたという。

現在の狛犬  昭和40年(1965) 石工は風間八太郎 機械彫?

十寄神社(十騎神社)  1358年、新田義興と共に矢口渡しで討ち死にした従者12人が裏手の古墳に祀られているという。
江戸時代には新田神社にお参りする前に寄る神社とされ大いに栄えたという。
 
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     社殿入口  享保3年(1803)  高さ70cmほど
頭に角の跡がある狛犬(獅子)と考えられる。左の狛犬は顎から耳にかけて髭を模した飾りがあり雄、右はその髭がなく雌の狛犬と考えられる。

現在の狛犬  昭和14年  参道手前

氷川神社  由緒は不明  古くから村の鎮守様
  
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        嘉永2年(1849) 
全体の体つきは獅子と言うより犬に近い。威嚇するというより微笑みかけているような狛犬。区内にもこういった親しみやすい狛犬は多く、もっとも好きなタイプ。
先日参加した「多摩川七福神めぐり」のガイドさんによると、この狛犬たちと目が合う場所に立つとパワーがもらえるのだとか。

東八幡神社  創建は建長2年(1250) 江戸時代、幕府の守り神として多くの崇敬を集めた多摩川河畔にある神社。江戸時代に再建された社殿は、第二次大戦の戦火で失われ、残されたものは狛犬だけだとか。
  
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      明治35年  左は玉取りの吽像、右は子連れの阿像
旅・散策・イベント

あの雲は・・・?

2020年01月13日
以前は空を見上げて雲の写真をよく撮ったものだが、最近はめっきり撮ることは減った。
12日朝、紅梅が咲いたかどうか知りたくてベランダに出ると、あまり見ない雲が東から西へつづいていた。なんとも不気味な感じがした。

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    東から       1.12  7:30
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             南
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                 西へ

1月9日~10日にかけて日本各地で「地震雲」の目撃情報が相次ぎ、その後も1月11日から12日にかけて目撃情報が相次いだという。今年1月11日は「ウルフムーン(Wolf Moon)」の日。満月と地震の関係は専門家も指摘していて、「ウルフムーン」から数日間は南海トラフ地震・首都直下型地震など巨大地震に要警戒!だとか。
11日も12日も地震はとりあえず起きなかったが・・・。

「地震雲」として良く挙げられているものには、巻雲・高積雲・層積雲・飛行機雲などさまざまだという。 気象上の雲や飛行機雲は風に流され移動するのに対して、地震雲は移動せずに同じ場所で長時間見られるのが特徴。地震雲は地震発生2週間前~直前という。

地震情報サイトJISを見たら、そっくりな画像があがっていた。同じ日の朝7時台だ。

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   7:24 (東京)     7:14 (横浜)

だが、それらの挙げられた画像のほとんどは巻雲(飛行機雲も含む)・高積雲と呼ばれるものだと書かれていた。
今年になってから一度も地震を感じることがなかったし、とりあえず心配することはやめたのだが・・・。
旅・散策・イベント

さびしい正月

2020年01月12日
動物には自分が置かれた状況や人間のことばや気持ちを察知する能力があるのだろうと思う。日々の生活を共にしてきた犬ならわからなくもないが、猫、それも地域猫にもあてはまるのかどうかは疑問だが。

わが庭で生れた4匹のうち、現在、庭に姿を見せるのはククだけになって1年以上が経つ。
ククがSさんのところから連れてきた地域猫トモがもっとも庭で過ごす時間が多くなった。昨年、この猫が神経をやられSさんが病院に連れて行き入院治療、退院後は庭で自らリハビリ?をつづけた結果、歩いたりある程度の高さまで跳び上がれるようになっていた。

そのトモが姿を見せなくなってひと月。Sさんのところにも現れない。
実は後悔していることがある。6万ほどの入院費をSさんと折半したとだいぶ後になってきいたのだが、葬式になるとまた大変だろうとごんさんと話したことがあった。ガラス戸越しに聞いたのかどうかはわからないが、それからしばらくして姿を消した。若い元気な猫ならひょっこり戻ってくることもあるだろうが・・・。

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        クク      トモ    2019.4

年末から家の片づけをしていて、新しい水槽を見つけた。かつて3匹いた大きめ目の水槽には金魚が1匹だけになっていた。「天気がいいとき、小さい水槽に移してあげよう」と話していた矢先、死んでいた。寿命かもしれないが、心が痛んだ。
  
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先日、七福神めぐりで武蔵新田商店街の昭和レトロの金魚屋さんの前を通ると、外に置かれた水槽にメダカや金魚が泳いでいる。
今までにウーパールーパーの飼い方を相談したり、メダカ、金魚、金魚藻やホテイソウなどを買った。もう、この店に寄ることもないのだろうと、淋しくなった。
動物など

塩の日

2020年01月11日
東日本大震災から8年10ヶ月。大震災の発生時に岩手県内で生活していた避難者の過半数が、帰郷を望んでいないことが県の調査で分かった。古里に帰りたいと考える避難者は2割に満たなかったという。「帰郷予定なし」と回答した避難者の多くが、生活不安を訴えているという。

今日は「塩の日」。永禄10年(1567年)、今川氏との同盟を破棄して東海方面へ進出を企てた武田信玄に怒った今川氏が、北条氏とともに武田側に塩が入らないようにしたため領民が塩を取ることができず困っていた。
そこへ長年敵対関係にあり武田信玄のライバルとして知られる上杉謙信から越後の塩が送られたのが1月11日。このことを記念してこの日に塩市(現在のあめ市)が開かれるようになったといわれる。
この出来事は「敵に塩を送る」という言葉の由来となり、敵対関係にある相手でも相手が苦しい時には助けるという意味で使われるようになった。

日本の塩の生産量は100万トン弱で、国内で食用に使われる塩をほぼまかなえる量だが、需要の大半を占めるソーダ工業用につかわれる塩はメキシコ、オーストラリアなど、ほとんど輸入に頼っているという。
日本で塩が使われるようになったのは、縄文時代の終わりから弥生時代にかけてといわれる。狩りをして暮らしていた頃は動物の肉だけでなく多くの塩分が含まれている内臓や骨の髄まで食べていた。
その後、農耕、定住生活を行うようになると米などの穀物や野菜を主に食べるようになり、必要な塩分を塩からとるようになったと考えられている。

りんりんの小学6年の夏休みの自由研究は調味料の「さしすせそ」について。「さしすせそ」はいうまでもなく砂糖、塩、酢、醤油、味噌。
塩づくりはわが家で。ごんさんと羽田空港の真横、海老取川河口付近に水を汲みに行き、2㍑のペットボトルに海水を汲んだ。汲んできた海水をしばらく日光消毒。海水を濾し、鍋に入れて中火で煮詰めて約1時間半。
多摩川の水と混じる河口付近では海水に含まれる塩分は少ないとは思うが、1㍑分の海水を煮詰めると7gの塩が出来た。(ふつうは25gくらい?)まさしく塩の出来上がり。(自由研究「さしすせそ」

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     塩づくり      2015.8

塩は大きく分けて4つの原材料からつくられる。
岩塩 大昔海だった場所が地殻変動などで陸地に閉じ込められ塩湖となり、その海水が蒸発して次第に塩が結晶化し、その上に土砂が堆積してできた塩の層から採取される。主にヨーロッパ・北アメリカにて行われる。

海塩  海水から採られた塩。塩田において天日製塩法によってつくられる。食塩、完全天日塩、平釜塩など。

湖塩  塩湖が干上がって出来た塩類平原などから採取する。ボリビアのウユニなどで採取されている。

井塩(山塩)  大陸の内陸部である中国四川盆地、ドイツなどで、塩を含んだ塩化物泉の温泉・地下水からの製塩(塩井)が行われ、井塩(せいえん)が製造されている。
つれづれ

多摩川七福神めぐり

2020年01月10日
『神霊矢口渡ゆかりの地を歩く 多摩川七福神パワースポット巡り』(大田・品川まちめぐりガイドの会主催)に参加した。(「神霊矢口渡」ゆかりの地

七福神は、大黒天、毘沙門天、恵比須天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の7つの神様の総称。それぞれヒンドゥー教、仏教、道教、神道などさまざまな背景を持つ。
室町時代末期より生じ、当時の庶民性に合致して、とくに農民、漁民の民間信仰のもっとも完全な形となった。
「七難即滅 七福即生」説に基づくように「七福神」を参拝すると7つの災難が除かれ、7つの幸福を授かるといわれている。

3班に分かれて新田神社からかつて多摩川畔だっただろう道を頓兵衛地蔵尊へ歩いた。
「布袋尊」 頓兵衛地蔵尊 
布袋尊は、唐時代に実在した僧侶の化身、弥勒菩薩の化身ともいわれ聖人として神格化された。「開運」「良縁」「家庭円満」。   
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新田義興の謀殺に加担した船頭の頓兵衛が、その罪を悔い、つくったという地蔵が祀られている。義興の恨みで地蔵の顔はとけてしまい「とろけ地蔵」ともいわれるが、実際は崩れやすい砂岩でできているためらしい。

「福禄寿」  矢口中稲荷神社  
福禄寿は、豊かな白髭をたくわえ、長い頭の中国の神様。道教で理想とされる「福」禄」「寿」の三高徳を授けてくれる。「商売繁盛」「五穀豊穣」。古くは「漁業」「水難除け」の神。 

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約200年前の大凶作の折、京都伏見の正一位稲荷大明神のご神体を矢口村に遷座したところ、大豊作になったとか。
耕地整地事業のために現在の場所に移築された。

「大黒天」  氷川神社
大黒天は、インドのシバ神。大きな袋を背負い全国を修行して回る大国主命と重なり「五穀豊穣」の神として広まった。「豊作」「商売繁盛」「出世」。

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嵐や疫病など災いから人々を守るといわれる素戔嗚尊を祀る。

「寿老人」  延命寺
白い髭が特徴的な中国の神。巻物をつけた杖と難を払う団扇を持ち、長寿を司る神の使いとされる玄鹿を連れている。
「健康」「長寿」「子孫繁栄」。
  
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1328年、創建されたが、新田義興の霊が雷火となったといわれる火災で焼失。その際、聖徳太子が彫ったといわれる地蔵尊像だけが難を逃れたことから「火雷子安地蔵」と名がついた。
鉦や長洞太鼓を打ち鳴らし念仏を唱える「双盤念仏講」は平安時代の念仏の流れをくむ仏教行事。都の無形民俗文化財。

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          双盤念仏の体験

「双盤念仏」を参加者全員が体験した。木製の枠台から吊り下げた鉦を4人で打ち鳴らすのだが、難しかった。

「弁財天」  東八幡神社
七福神の中で唯一の女性の神。もともとはインドの水神。琵琶を持つ美しい姿から「美」「芸能」「芸術」の神。

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祭神は応神天皇。源氏の氏神、または武士の守り神として参拝されていた。多摩川大橋の近くにある神社。境内に「矢口の渡し」の石碑が建てられている。
皆がお詣りしている間に土手に上がると雪化粧した富士山がみえた。昔はこの辺りから富士山を眺めながら舟で渡ったことだろう。

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「毘沙門天」  十寄神社
甲冑に身を包み右手に槍、左手に多宝塔を持つインドの神。勝負事に強い神として崇められ「勇気」「知恵」「病 災難避け」

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                       ケヤキの大木
               
十寄(じゅっき)神社は、『神霊矢口渡』にも登場する由良兵庫之助など10人の義興の従者を祀る。「じっきじんじゃ」「とよせじんじゃ」とも。
社の背後に遺骸を葬ったとされる古塚がある。ここは胴塚であって、入間市愛宕神社にあるとはじめて知った。
ケヤキの大木は落雷で焼けたものの新しい芽が育っている。
新田神社に詣でる際は、まず十寄神社に参拝して主君(新田神社)に取りなしてもらわなければ願いが叶わないとの言い伝えがある。

七福神巡りは新田神社前で解散。予定通り12時間半になっていた。歩数は8600歩を超えた。いい年になるといいのだが。
旅・散策・イベント

『神霊矢口渡』ゆかりの地

2020年01月09日
好天に恵まれた5日、『神霊矢口渡」ゆかりの地を歩く 多摩川七福神パワースポット巡り』(大田・品川まちめぐりガイドの会 主催)に参加した。

『神霊矢口渡』(しんれいやぐちのわたし)は、江戸時代中期の学者平賀源内が福内鬼外のペンネームで、「太平記」に取材した江戸浄瑠璃の代表作。
多摩川のほとりの「矢口の渡し」で横死を遂げた新田義貞の子義興(よしおき)を祀る新田神社の宮司に依頼されて書いた時代物。
1770年江戸で初演された。渡し守の娘と義興の弟義峯(よしみね)との悲恋を描いた4段目「頓兵衛住家」が名高い。

2015年9月末、多摩川にほど近い大田区民プラザで、江戸時代から歌舞伎が盛んな秩父の地歌舞伎『神霊矢口渡』(無料 秩父歌舞伎正和会)の上演を観る機会があった。

その後、11月の歌舞伎(国立劇場)がまさに『神霊矢口渡」』を観る機会に恵まれた。
初代中村吉右衛門の上演から100年ぶりに「由良兵庫之助新邸」が復活。さらに、「初代吉右衛門が演じてから百年の歳月を経て、当代吉右衛門が由良兵庫之助に挑む!」。109年ぶりの「東海道焼餅坂」や119年ぶりの「生麦村道念庵室」を加え、「頓兵衛住家」を含めた通し狂言。(100年ぶりの通し上演

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2014年から始まった「多摩川七福神」のモデルコースは、新田神社がスタートとゴール地点。
4年前、「自転車なら・・」と不承不承のごんさんと、まずは新田神社で色紙(¥1000)を自転車の前カゴに入れてスタート。歩けば1時間20分ほどのコースも小一時間で巡ることができた。このときは自転車で。(多摩川七福神巡り

今年は、すいよう会の1月街歩きが「多摩川七福神めぐり」になったこともあり、ガイド付の会に参加することにした。少年時代を過ごした地域ということもあるのか、ごんさんが付き合ってくれた。
   
3班にそれぞれガイドが付き、郷土博で使うのと比べると精度のよいイヤホンをつけて歩く。わが班は8名、3組がシニア夫婦。ほかの班だが、顔見知りはNさんとガイドのFさんだけだった。
今回のお目当ては延命寺での特別に企画された「双盤念仏の体験」。七福神の神様に参拝し、寺院で念仏を唱えるというのもイベントと考えればいいのだろう。

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まずは「恵比須」の新田神社から。ご神木の樹齢700年以上の大ケヤキにパワーをいただく。
恵比寿社は、兼務社で矢口地区の氏神である氷川神社の神輿庫を兼ねる。新田神社では独自の神輿を持たず、この神輿の前後に氷川神社の神紋、左右に新田神社の神紋が入っている。
新田義興の御塚、平賀源内考案の矢守(破魔矢)、唸る狛犬、新しいところでは多摩川アートラインプロジェクトの一環として制作された石の卓球台や「LOVE神社」なるモニュメントも。

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        破魔矢のモニュメント

宝物殿内も何度か拝観したことがあるし、新田神社に関してはほぼ知っているつもりだった。
本殿屋根の菊のご紋は今まで気づかなかったが、本殿は、空襲で焼失した明治神宮で戦後造営された仮殿を移築(1960)したものときいて納得。
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 「布袋尊」の頓兵衛地蔵―「福禄寿」の矢口中稲荷神社―「大黒天」の氷川神社―「寿老人」の延命寺での「双盤念仏体験」「―弁財天の東八幡神社―「毘沙門店」の十寄神社―新田神社で解散。予定通り2時間半の散策だった。
「のぞきからくり」や屋台も出ていた神社には寄らずにお腹を空かしたごんさんとランチへ直行した。この日およそ8500歩になった。
旅・散策・イベント

「いしやきいも~」

2020年01月08日
「いーしや―きいも~ いしやき~ いしやきいも~ おいしいおいしいおいもだよ ほっかほかのおいもだよ~」
冬の午後、軽トラックで周っている焼き芋屋さんの売り声が聞こえてくる。
最近はスーパーマーケットの店頭などで気軽に買えるようになったし、ネットで石焼き芋の壺なども簡単に手に入ることもあり、昔ながらの石焼き芋の引き売りは都心ではあまり見かけないようになった。

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冬の午後、自宅にいるとよく聞こえてくるが、門から出て呼び止めたことはない。たまたますれ違ったときに買ったことがあるが、スーパーの店頭などで売っている石焼芋に比べると、高かったことを覚えている。もちろん、断然おいしかったが。

焼き芋のルーツ・歴史的には、江戸時代後期まで遡るという。当時は素焼きの焙烙や土鍋で焼かれていた。
当時の呼び込みは「栗より美味い十三里」。「クリ(九里)より(四里)うまい十三里(九+四)」という江戸っ子の駄洒落。
この「十三里」というフレーズは、焼き芋のみならず、サツマイモの代名詞として定着していった。

その後、焼き芋屋は明治時代に全盛期を迎え、明治33年(1900)の東京府下では、釜戸焼きの焼き芋屋は1400軒、つぼ焼きでは500軒以上にも膨れ上がったという。

大正12年(1923年)の関東大震災で東京は壊滅的な被害を受け、東京の焼き芋屋も営業不能に。
戦後の東京では、墨田区向島の三野輪万蔵という人物がリヤカーで石焼き芋の引き売りを始め、浅草や深川などの下町を中心に石焼き芋は一気に広まった。(九里よりうまい十三里」

わが家から比較的近いところに2店舗あるマルエツの店頭では、夏場を含む1年中、焼きたての焼き芋を販売している。この背景には、さつま芋を焼く機械の進化があり、従来のガス式では室内調理は安全上なかなか難しかったが、登場した「電気式焼き芋機」が浸透してきたことが大きいとか。

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この冬、スーパーの店頭で石焼芋を何度か買った。電子レンジでもできることはできるが、ゆっくりとじんわりと焼く方が甘くなるらしい。
旅・散策・イベント

ムクロジの実

2020年01月07日
「うさぎの羽根つき」の動画をLINEで桂花会グループに送ると、羽子板や羽根に使われていた無患子(むくろじ)の話になった。
「あの黒い実、ムクロジかぁー。名前知らなかった」とFさん。「実が若いときは何とも言えない翠色とピンクのツートンで、大好き」と、若いときの実の画像を送ると、Fさん「まさに、それだ!」。Kさんは「はじめて知りました」。(江戸押絵羽子板

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              2018.10

ムクロジの実は厄除けや無病息災の願いを込められて利用されてきた。中の黒い種子は数珠や、羽根つきの玉になる。透明感のある飴色の実を手にとって振ると、カラカラと音を立てる。皮をむけば 中から真っ黒な種が現れる。

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              2012.12

また、水に浸すと泡立つ果皮は薬用や石鹸として役立ってきた。
その昔、川や井戸水でもみ洗いやふり洗いをしていたが、草木の灰汁、米糠や米のとぎ汁、ムクロジの果皮、サイカチの実やさや、椿の実、大根や芋の煮汁などが汚れを取ることを知り、身体や衣類の洗浄に利用するようになった。

「万葉集」などにもムクロジサイカチなどが使われたことが記されているという。(石鹸代わりに

ムクロジの実を数個拾って、空のペットボトルに入れて、下1/3くらいまで水を入れ、キャップをして強く振ると、ペットボトルの中は白い泡だらけになるという。

昔、ムクロジの樹を見にわざわざ国分寺の殿ヶ谷戸庭園か貫井神社か、行ったことを思い出した。今は大田区にもあちこちにあり、実を拾ってくることもできるのだが。  
植物など

七草粥

2020年01月06日
今日は24節気の1つ「小寒」。小寒から節分までを「寒」、小寒に入る日を「寒の入り」ともいう。暦の上では冬の寒さが一番厳しい時期。

明日は七草。この日の朝、七草粥を食べる風習がある。正月行事として定着している七草粥だが、本来は1月7日の「人日」の日に行われる「人日の節句」の行事で、五節句の1つ。

元々の「七草」は秋の七草を指し、小正月1月15日のものは「七種」と書く。この七種も「ななくさ」と読み、一般には7日正月のものを七草と書くなど、現在では元々の意味がわからなくなり、風習だけが形式として残ったらしい。人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に「七草粥」が食べられるようになったと考えられる。

人日とは文字通り 「人の日」という意味で、中国の前漢の時代に、元日は鶏、2日は狗(犬)、3日は猪、4日は羊、5日は牛、6日は馬、7日は人の日としてそれぞれの占いをたて、8日に穀を占って新年の運勢をみていたことに由来する。
さらに唐の時代には、人日の日に「七種菜羹」という7種類の若菜を入れた汁物を食べて無病息災を願うようになった。また、官吏昇進を1月7日に決めたことから、その日の朝に七種菜羹を食べ、立身出世を願ったという。

この風習が奈良時代に日本へ伝わると、年のはじめに若菜を摘んで食べ生命力をいただく「若草摘み」という風習や、7種類の穀物でお粥を作る「七種粥」の風習などと結びつき、「七草粥」に変化していったという。
そして、江戸時代に「人日の節句」(七草の節句)として五節句※のひとつに定められると、人々の間に定着していったという。

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      向島百花園   2011.1

また、松の内の最後の日にあたる7日は、正月のご馳走に疲れた胃腸をいたわり、青菜の不足しがちな冬場の栄養補給をする効用もあることから七草粥が定着したともいわれる。

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「せり なずな   ごぎょう はこべら  ほとけのざ  すずな すずしろ 春の七草」
今は、フリーズドライの七草粥もあるが、スーパーで買った詰め合わせ七草で土鍋でつくってみようと思っている。
植物など

江戸押絵羽子板

2020年01月05日
友の会のFさんから送られてきた動画は2匹のねずみが羽根つきをしている。
お正月の恒例行事だった羽根突きには、人々の無病息災を願う想いが込められている。
この動画を桂花会のLINEに転送したことから羽根つき、羽子板の話に広がっていき、しばし楽しんだ。

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「可愛い~い!」とKさん。すると「可愛い!昔、やったよね、羽根つき。音がいいのよね~」とFさん。
「そう、無患子(むくろじ)の実で羽根つくってあってね~」と書くと、「あの黒い実、ムクロジかぁー。名前知らなかった」。
大好きなムクロジ、「実が若いときは何とも言えない翠色とピンクのツートンで、大好きです」。

先日、押入れの片付けをしていて出てきた2枚の押絵羽子板をとりあえず玄関に飾った。母の子どものころのだろうか、貫禄がある。
「実は押絵羽子板が出てきてね~困ってしまう、捨てるに捨てられず。鼻に穴が空いていたりして・・・」と画像を送った。
桐で出来た羽子板に押絵で装飾を施された「押絵羽子板」だが、虫のせいか鼻部分が破れている。もう1枚の方は手に穴が空いている。修理も考えたが、そのまま押入れに入れたままだった。
 
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Fさんが「きっと良い羽子板よ。捨てないほうがいいわよ」。「海老蔵みたい」「昨日(私が除夜の鐘で並んでいるころ)NHKの「ゆく年 くる年」の中で成田山で海老蔵が睨みをしていた。。そんな顔をしていた」そうだ。
「昭和初めころの羽子板だろうから、何代か前の海老蔵かしら」にはすかさず「うんうん」(スタンプ)。
そこで「渋い~!とっても素敵よ」とKさん。
そういわれて裏の画像も撮って送った。Fさんの「益々、渋い!素晴らしい!」にKさんは「おおっ~!」 するとFさん。「ねー。Kさん!」

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江戸押絵羽子板について「東京都産業労働局」のサイトに詳しく説明されている。
17世紀以降、羽根を打つ羽子板を女児の誕生祝いに贈る習慣が始まり、綿を布でくるみ、立体的な絵柄を仕上げる押絵の技法が発達した。歌舞伎の場面を再現した羽子板が庶民の間で流行し、鑑賞用の羽子板としての装飾美が追求されてきた。

羽子板は、古くは「胡鬼板」(こぎいた)や「羽子木板」(はねこいた)とも呼ばれ羽子(羽根)は、「胡鬼の子」「はごの子」「つくばね」とも呼ばれていた。
室町時代の永享4年(1432)正月5日に、宮中で宮様や公卿・女官などが集まって、男組と女組に分かれ「こぎの子勝負」が行われたと記録に残っている。
当時の羽子板には、板に直接絵を描いた「描絵羽子板」や、紙や布を張った「貼絵羽子板」とともに、胡粉で彩色し、金箔、銀箔等を押したり蒔絵をほどこした豪華で華美な「左義長羽子板」もあった。

一方、江戸時代に入ると、厚紙等の台紙に布を貼ったり、あるいは布に綿をくるんで厚みを持たせた部品をつくり、それらを組合わせて立体的な絵を作る「押絵」の技術も発達してきた。
江戸時代の文化文政期になると、町人文化が発達し、歌舞伎の隆盛とともに、浮世絵師が数多く活躍し多くの出版物が出された。
こうした時代を背景に押絵の技術が進歩し、歌舞伎役者の似顔絵を付けた「役者羽子板」がつくられるようになり、年の瀬には、その年の人気役者の当り狂言や舞台姿を競って求めるようになり、羽子板の売れ行きが人気のバロメーターともなった。

主な製造地は墨田区、江東区、葛飾区ほか。1955年、東京の伝統工芸品に指定された。
板に使用する用材は桐。押絵に使用する布地は、絹織物又は綿織物、内部は綿。髪に使用する糸は絹糸。

母の生れたときの雛人形同様、これから新年にはこれらの押絵羽子板を飾ることにした。
身近な人びと

成語の中の「子」

2020年01月04日
今年は「子年」。十二支の始まり。神様が十二支の動物を決める際、一番に門前に着いた牛の背に乗っていたねずみが飛び降り、一番になったことからとか、人間に身近な猫がはいっていないのは、ねずみに騙されたからといった話があるが、これは十二支に動物が割り振られた後につくられた話らしい。
猫と鼠は切っても切り離せない関係らしい。それにしてもあまりいい成語はみつからなかった。

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鳴く猫は鼠を捕らぬ  口数が多い者は、とかく口先だけで実行が伴わないというたとえ

鼠捕る猫は爪を隠す  真にすぐれた才能のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ

窮鼠猫を噛む  追い詰められた時に、弱い者が強い者に反撃すること

猫の前の鼠  身がすくんで身動きができないこと

猫の額にある物を鼠が窺う  自分の実力を考えず、大それたこと、無謀なことをしようとすることのたとえ

猫鼠同眠  盗人を捕まえる者と盗人とが結託して悪事を働くことを表す

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除夜の鐘を撞いていただいた根付の袋には「子(ねずみ)は 穏やかで 勘とヒラメキが 鋭く 福を招と言われています」と書かれていた。

時に遇えば鼠も虎となる   時運に恵まれると、つまらない者でも権勢を振るうようになる。

死虎は鼠生に如かじず  幾ら強くても死んでしまった虎は、生きたネズミに及ばない

大山鳴動して鼠一匹  さわぎした割にたいしたことのない結果に終わること

鼠壁を忘る 壁鼠を忘れず  傷つけた側はすぐ忘れるが、傷つけられた側は恨みをいつまでも忘れないというたとえ

国に盗人 家に鼠  どんな世界でも害毒となる存在は必ずいるということ

鼠が塩をひく  取るに足らない些細なことであっても、放っておくといずれ重大な事態を招くということ。

鼠に引かれる  家にポツンと孤独でいる状態のこと
つれづれ

今年の日の出は・・・

2020年01月03日
寺院で除夜の鐘を撞き、神社へお詣りして一旦、帰宅。6時半前に自転車で多摩川ガス橋へ。ガス橋通りには橋に向かう人たちの姿が意外に多かった。
素晴らしい初日の出を期待しながら自転車を河川敷に停め、橋の真ん中、大田区と神奈川県の境まで行く。だが、厚い雲に覆われていて川面から上がる初日の出は拝めそうにない。「今年はだめだね~」といった声が聞こえる。

2013年から始めた元旦のガス橋行き、さすがに雨や雪の元旦はなかったが、2015年、2019年そして今年、水面に映る朝陽を拝むことは叶わなかった。

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          橋上にも 河原にも
 
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               7:00

しばらくは奇跡が起こるのを待っていたが、日の出の時刻、6時50分を過ぎても雲の隙間にかすかにオレンジ色の光が見える程度。戻り始める人もちらほら。
川沿いの土手を多摩川浅間神社に向かおうとしたとき、りんりんからの電話があった。彼らは丸子橋にいるというので、浅間神社の見晴らし台で落ち合うことにして自転車を走らせた。

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    海から11K地点   神社見晴台より
       7:07          7:24
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    浅間神社  byりんりん  7:00
    
神奈川県側の建物越しだが、富士山はくっきりと見えていた。少し強い風の中、浅間神社へと急いだ。
神社の階段をフウフウ言いながら上り見晴らし台に辿り着くと、迎えてくれた富士山は雲がかかっている。丹沢の山々はくっきりとみえたが、なんともがっかり。
  
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目につくのは昨年の台風19号の爪痕。まだまだグランドは使えそうにない。
今年の幕開け、世の中どうなるのかという危機感に加え、わが身の行く末に不安を感じるが、そうもいっていられない。
「麦わら細工」(張り細工)の「ねずみ」の尻尾を仕上げて年賀状をつくらなくてはならない。
彼らとわかれて再び土手を戻った。富士山は見えず。
旅・散策・イベント

新たな年の幕開け

2020年01月02日
今年もごんさんに除夜の鐘をつきあってもらった。初日の出を見に行くのもいっしょだといいのだが、こちらは拒否された。

20分ほど前に鐘楼前に並んだ。昨年より寒いせいか幼児は見当たらなかった。
あらためて見ると、鐘楼の奥に「光明寺荒塚古墳一号墳」に立つ木が闇の中に浮かび上がっていた。
寺の敷地内にある「光明寺池」は昔の多摩川の名残で、矢口の渡しで新田義興を謀殺して、その後、義興の亡霊に祟られて狂死した武将・江戸遠江守の墓だといわれている。

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光明寺の開創は奈良時代に行基による。平安時代に入ると空海が真言宗の寺院として再興し関東高野山宝幢院と称した。
真言宗当時は、七堂伽藍を有し寺領も広大だった。池上線千鳥町駅を通り越し、第二京浜にある池上警察署まで参道が続いていたという。安貞3年(1229)には法然の弟子で浄土宗西山派の祖、善恵上人が浄土宗のお寺として再興。

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干支の根付をいただいた。今年は53番、昨年は63番だったようだ。(2019年 年明け

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その足で環八を渡ってすぐの鵜の木八幡神社へ。ここも昨年と同じコース。やはり境内からの列は角を曲がってもつづいていた。根気よく待って参拝。「あけましておめでとうございます」とお神酒、お守りと煎餅をいただいた。昨年と違ったのは強風のために焚火が出来なかったこと。

帰宅後、一旦、寝ることにした。6時に起きて20分に自転車でガス橋へ。大田区と神奈川県の境付近に陣取るが、厚い雲で日の出の時刻になってもまったく雲は切れない。そろそろ諦めかけたとき、りんりんから電話がかかった。彼らは丸子橋にいるという。
浅間神社の見晴らし台で待ち合わせた。川沿いを富士山を見ながら自転車を走らせた。(日の出と富士と
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