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草木芽吹く頃

2020年02月29日
「雨水」期間の七十二候の初候は「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」 雪がしっとりとした春の雨にかわり、大地が潤い始める頃。
次候は「霞始靆(かすみはじめてたなびく)」 春霞がたなびき始める頃。春の霞んだ月を「朧月」と呼ぶ。

そして、今日からの末候は日本でも中国でも「草木萠動(そうもくめばえいずる)」 草木が芽吹き始める頃。

気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候。二十四節気と同じく古代中国で作られたが、二十四節気が古代のまま使われているのに対し、七十二候は何度も変更されてきたという。
日本でも、江戸時代に入って日本の気候風土に合うように改定され、「本朝七十二候」が作られた。現在主に使われているのは、明治時代に改訂された「略本暦」のもの。ちなみに「気候」ということばは、この「節気」と「候」から。

先日、すいよう会の6人でお茶をしていて、もう1つのLINEグループをつくった。グループ名はそのうちに換えるからとひとまず「四人の会」としてこの日は分かれた。
その様子を見ていたO氏から、その晩のLINEにたくさんのグループ名候補が書かれていた。頼んではいないのだが、「ビューティーフォー」「レディースフォー」「旅燦燦」「旅愛姉妹」・・・どれもピンと来ない。結局、「グループ名も背景も決まりました」と書くことができた。タッチの差だった。

それはともかく、4人のメンバーの中、Fさんの反応の速いことに驚いている。わが30数人のLINEメンバーの中でも1か2番目だろうか。「毎日暗いニュースでうんざりですよね。せめて気持ちだけは・・・」とFさんはいう。こちらも負けずにスタンプで返す。そんなことでも少し元気になれるから不思議だ。

翌日、博物館に向かう途中、公園に咲いている菜の花に少し元気づけられた。弥生時代の竪穴住居址が発見されている公園だ。

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             公園で

それもつかの間、博物館に着くと、まず目に入ったのが講演会『大田区の縄文』の中止のお知らせだった。

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3月の講座などイベントすべて中止と知らされてがっかりしていたとき、Fさんから送られてきたのが、「三浦海岸に桜を観に来ています とても奇麗です♪♪」だった。
 
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        河津桜と菜の花  by Fさん 2.21

同じ日、Kさんからは「今日は、東京都の講習会が中止になり、時間が出来たので、JRのウォーキングイベントに参加します。水道橋~東京駅までです。どんなところに行くか楽しみです」。彼女は視覚障害者団体などでボランティアされている。
「Kさん、凄いですよね 行動力ありますね」という、私より年上のFさんも実に行動的!

だが、三浦から戻った翌日のFさんからは「コロナウィルスの影響半端ないです 私の行動範囲制限されました かなしいです」と。
白梅も満開、菜の花も咲き、桜の蕾も膨らんだこのごろ、外に出ても気は晴れない。
旅・散策・イベント

ヒヤシンスは「風信子」

2020年02月28日
ヒヤシンスの花がいよいよ終わりに近づいた。今年は切らずに終わった花を取り除いていくことにしたため、今は実に哀れな姿になっている。こうすれば、来年も花を咲かせてくれるらしい。

花が枯れてきたら1輪ずつ「花がら摘み」作業をする必要があるという。6月ごろ、葉が黄色く枯れてきたら葉をむしり球根を掘り上げるのがいいという。花も葉を切らないで置くのは光合成をさせて翌年きれいに花を咲かせるために球根に養分を貯蔵させるためだとか。雑菌が侵入してしま可能性があるため茎ごとばっさり切ってしまうことはタブーだという。(鉢植えのヒヤシンス

ヒヤシンスの原産地は地中海沿岸。16世紀にヨーロッパに渡り、オランダで品種改良が進んだ。
日本には863年にフランスからチューリップとともに渡来。英語名のhyacinthという言葉はギリシャ神話に登場する美少年ヒュアキントスに由来する。

ヒヤシンスの和名は「風信子」または「飛信子」。明治時代には「風信子」(ハヤシンス)「飛信子」(ヒアシンス)と当て字の和名が付けられたというが、江戸時代には「夜香蘭」「錦百合」と呼ばれてたとか。
原種の色は紫だが、2000種を超える園芸品種が作り出されたという。

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      2.4          2.10

3色のヒヤシンスの鉢植えは2ヶ月経った。白色の球根からもう1本伸びて咲き始めたころ、先の1本は枯れ始めた。そして青紫色も少し遅れて脇から出た1本が咲いたころ、ピンク色の花が枯れ始めた。かろうじて白色と青紫色が各1本ずつが残っている。

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          2.22
植物など

「春よ 来い」

2020年02月27日
うっかりしていて返却期限が過ぎてしまった本5冊、自転車で図書館に返しに行った。帰り道、図書館からは遠回りになるが、どうしても通りたい道がある。季節感あふれる衣裳をまとったシロクマと犬が塀の上に置かれている。
初めて気づいたのは昨年暮れ、獅子舞姿のシロクマと傍らにマフラーを巻いた犬がいた。元旦に通ると、松が添えられていた。
それから気になる、楽しみな道になった。11日には犬は変わらず、シロクマは厚手のコートを着ていた。

節分のころは通ることなかったが、ひょっとして豆撒きの趣向だったかもしれない。
2月のバレンタイン間近に通ったときは、シロクマは暖かそうなコートを着てハートの首飾り?、そして犬もいつものマフラーにハートがついていた。

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               2.11

そしてバレンタインが終わり、桃の節句も近づいた。シロクマはコートを脱ぎ、マフラー姿。よく見ると、お手製だろう男雛と女雛も一緒。

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               2.23

マスクをせずに毅然と立つシロクマくん。「春よ 来い 早く 来い」ときこえてくるようだった。
今度は桃の節句が終わったころ通るつもりでいる。そのころには線路際に土筆が顔出しているかもしれない。
旅・散策・イベント

たかがマスク されど・・・

2020年02月26日
他の人に飛沫感染させないようにするためにも必要なマスク、そのマスクが消えていった。
50年近く前のトイレットペーパー騒動や、昨年の台風19号接近時の食品買い占めなどを思い起こさせる新型コロナウィルスによる「マスク」の買い占め。

冷たい空気の中で呼吸するときにマスクをすると、少し温めた空気が喉に送られる。花粉症対策もあるが、気管支が弱くアレルギーがあるため、秋から春まで外出時だけでなく、就寝中もマスクをしたりしている。
コロナウィルスの出現がなくとも、マスクは欠かせないのだが、この冬は油断していた。シーズン当初、わが家にあった1箱は、すでに残り2週間分といったところだろうか。(残りわずか

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        あと?枚・・・

ドラッグストアはもちろん、病院の自販機にも「マスク品切れ」のお知らせが貼られ、Amazonや楽天、ヨドバシカメラのような通販サイトでも、マスクの「在庫なし」や「販売休止中です」などといった表示が増えている。
そんな中、コンビニには入荷が始まったときいた。

先週、もっともわが家に近いファミマでランチ用のおにぎりを買ったついでにマスクがあるか訊ねると「9時に入ります」とのことだった。ごんさんが9時少し前に行って残っていたマスク1袋を買ってきた。箱入りどころか、この日は3袋しか入荷しなかったらしい。
近くのセブンでは、月水金の夜10時頃に入荷するときき、やはり、ごんさんに行ってもらった。こちらはかなり入荷したようで、小さ目の3袋をゲット。
1袋4枚入り、計16枚増えた。マスクに関しては何とか乗り切れそうだ。

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花粉症に関してはどちらかというと眼に来る。数年前に買った花粉症用の眼鏡がどこかにしまってあった。さがしてみようと思っている。
        
先週、新型コロナウィルスの影響でついに3月の大田区関連の講演会やイベントはすべて中止ということになった。
2月16日に郷土博物館で開かれた『多摩川汽水域と大田区の近世』は予定通り行われ、雨天にもかかわらず、会場は補助席までいっぱいになったのだが、その後の数日間で、だいぶ状況が深刻になってきたということだろう。恐らく友の会の集まりも自粛することになりそうだ。

きくところによると、新型コロナウィルスの収束には少なくとも3ヶ月はかかるという。マスクは何とかなるとしても、その後の梅雨、猛暑極暑、台風・・・。どこまで耐えられるかわからなくなった。
つれづれ

「思いのまま」という

2020年02月25日
今月のすいよう会は池上本門寺周辺。はじめての途中参加となり、途中、LINEでO氏やKさんとやりとりながら多宝塔から降りてくる一行と大田区立池上梅園で待ち合わせた。門付近から梅が咲き誇る丘斜面にスマホやカメラを向ける人たちでいっぱいだった。平日のためかシニアがほとんど、介護施設のグループか、車椅子も目立った。

本門寺の西に位置する梅園は、戦前までは伊東深水の自宅兼アトリエだったが、昭和53年に大田区に移管された。
紅梅を中心に梅は370本、30種余りの梅が植えられている。
待つ間、もっとも気になっていた「思いのまま」まで行ってみると、見事に紅白の花が咲き分けていた。
「思いのまま」という梅は同じ樹に淡紅色、紅色、絞り、白色の花を咲き分ける花梅。毎年咲き分けの比率、場所が異なることからこの名がついたという。 

昨年梅園を訪れた2月7日には蕾だった「思いのまま」は1週間後には3色の花が咲き始めていた。(梅園の春

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           2019.2.14

やはり今年はよほど暖かいのだろう。毎年3月まで咲いていることが多いわが庭の紅梅はすでに散り落ちた。
梅園を訪れた日は7分咲きと書かれていたが、今年の「思いのまま」はすでに満開。みごとだった。

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           2020.2.19

この梅の樹には想い出がある。「思いのまま」という名前に魅かれていた母を連れて梅園を訪れたのは父が緊急入院した1週間前だった。父はその翌年、わが家に帰ることなく逝った。   

 咲き分けて思ひのままといふ名の梅   

一昨年夏、母も逝った。再び、母といっしょに「思いのまま」をみたかったとつくづく思っている。
旅・散策・イベント

春一番が吹いた日

2020年02月24日
りんりんが小学3年生の勉強を見ることになった。昨年夏、知り合ったMさんとS君親子だが、美術館に行ったり、ちょっとしたイベントに誘ってもらったりと、娘や孫たちより顔を合わしているように思う。ほとんどはLINEでのやりとりだが、家庭教師のバイトをやりたいというりんりんと、学校の勉強に今一つ乗れないでいるS君との話がまとまったのは今月のはじめ。まずは勉強をやる気にさせるのが第一目標。

学校の勉強はやる気がなく、高校受験も塾のお陰で何とか頑張れたりんりん、そんな彼はS君の家庭教師というよりいい先輩になれるだろうが、環境を整えるなどのサポートが必要のため、当分はわが家でやることになった。
慣れるまでは電車で来るS君を駅まで迎えに行き、下校時間がはっきりしないりんりんを待つことになった。

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      本将棋の後はまわり将棋

初回はりんりん到着が大幅に遅れたものの孫の扱いには慣れているごんさんが将棋の相手をしてスムーズにバトンタッチができた。

2回目は、何かに掴まらないと倒れそうになるほどの、時折、竜巻かと思うような突風が吹いた日だった。
Mさん親子と立ち寄ったスーパーを出たときだった。まさに目の前で、高齢の女性がレジ袋をいっぱいに詰め込んだカートごと倒れた。すかさずMさんが助け起こしたが、立つのもおぼつかない。倒れたカートを起こすと、S君が「たまごが割れている!」と言いながら道路に飛び出したレジ袋の1つをカートへ戻した。(ビッシリ詰まったレジ袋3つ)

救急車を呼ぶまではない、タクシーは滅多に通らない、迎えに来る人はいない。歩いて帰るという。
家はわが家の少し先だとわかった。Mさんとは分かれ、当初、1人暮らしの80代?と思った女性を私が送っていくことにした。ごんさんを呼び出し、S君を連れてわが家に行ってもらうことにした。

話ながらの10分間で、勝手な第一印象は崩れた。膝だったか、手術をして退院したばかりという彼女、私より3歳年上ということ、小学校も同じだった。そして1人暮らしではなく息子夫婦と同居だという。この日、息子夫婦は留守。冷蔵庫が空なので買い物に出たとのことだった。「嫁さんの冷蔵庫はいっぱいなんだけど・・・」には苦笑いしてしまった。

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           ドコモ バイク

やはり「春一番」だった。今年は昨年より15日も早いという。あちこちで自転車や「通行止め」の看板が倒れていた。
そんな中、「ドコモ バイクシェア」の自転車はがっしりしたスタンドのお陰か、倒れているのは1台もなかった。大したものだ。
突風が止んだのは夕方だった。新型コロナウィルスの流行が終息するのはいつになるのだろう。
身近な人びと

花びら舞う庭

2020年02月23日
今年は咲き始めたのが遅かった紅梅だが、いつの間にか満開を迎え、ヒヨドリやシジュウカラが来る度にパラパラと散り落ちて   いた。
16日の朝、窓の外は「雪が降っている!」。が、よくみると紅梅の花びらが雨に促されるように降って地面をピンク色に染めていった。動画にも撮ってLINEでいくつかのグループに送った。

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      雨  2.16  7:00

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      2.17     17:00

先週、Kさんとお邪魔した絵手紙展の作品の1つに雪の中の白梅があった。(猫の日

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添えられたコトバは「淡い綿毛のような雪が 音もなく 冬の空を舞う」「白梅と戯れながら 溶けて 消えてゆく」
その横の画には、陽ざしの中の白梅が描かれている。「風吹けば 風に耐え 雪舞えば 共に遊び 陽を浴びれば 固い蕾も一瞬にほころぶ」

それにしても今年は雪化粧した紅梅を見ていない。4月並みの暖かい日もあれば、北風の吹く日、冷たい雨の日も、まさに三寒四温の季節。だが、新型コロナウィルス、花粉・・・のんびりと春を楽しんでいる余裕がない。
植物など

猫の日

2020年02月22日
今日は「猫の日」。賑やかだったわが庭もすっかり静かになった。
12年前に庭で生れた雌猫ククしか姿をみせなくなった。その彼女もお向かいのお宅と往来していて、陽が当たる時間や食事時間などにしかみないのだが。土砂降りの雨の中、それもほんのたまに彼女の兄か弟のケシがお腹を空かせてやって来ることもある。
あとはYmobileのCMで有名になった?「ふてニャン」そっくりの猫や黒いキジ猫が庭をうろつくようになってきた。

先週、大崎のO美術館で開かれたKさんの絵手紙展にお邪魔した。前回は I さんとりんりんとお邪魔したが、今年はK(Y.K)さんと会場で待ち合わせた。
前日に訪れた I さんは「毎回バージョンアップしています。彼女しか描けない作品ばかり。行ってよかったです」。まったく同感。

その中に「月と猫」の画がもっとも印象に残った。月とうさぎはよくある組合せだが、猫は珍しい。
猫を飼っていないし、とくに猫が好きでもない彼女が昨年の夏、Oさんの家に通ってみいちゃんのスケッチに挑んだことをOさんにきいてはいたが、ここまでの大作になるとは想像していなかった。

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上弦の月から始まり、満月、そして下弦の月、朔(新月)と、月に旅した猫が語り、作者が語る、大きな絵手紙が9枚並んだ。
この構想があって、彼女は暑い夏、Oさんのところに度々通ったのだが、夏バテしていて高齢のみいちゃんは寝てばかり、描くのは苦労だったとか。元気で動きまわるよりはいいとは思うが・・・?

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       みいちゃん   2019.5  

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     「キョロリ キョロリ なんにも見えない よいしょ」 *Click!

猫の旅は始まった。「世界は広い いろいろな角度から物をみよう 考えよう 未来は限りなく広がるから」(右)
環境の違う所は 迷い道ばかり 迷い道をいっぱい歩いていくと どこへ行っても迷子にならないね」(左)

スーパーはみえないけどすぐ行けるけど・・・」(右)
月は毎日見えているのに どうしてすぐいけないのだろう」(左)

満月を迎えた猫は「月に住もう 火星に住もうより地球をもっと大切にしてほしい」
「人間は傲慢になりすぎた 真実がみえなくなっている」のことばは胸を打つ。猫にはどうすることもできないね。情けないけれど私にも。

AI の時代はすぐ  なんでもかんでもAI に頼りすぎると 人間は考えるのをやめ 人間でなくなる 
AI に使われたくない AI を使いこなせる人間を育てないと

そしてひと月が経って、新月を迎えた。

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「一ヶ月の月への一人旅 おもしろかった」
     「やっぱり 地球に帰ろう」 *Click!

月へ旅をしたみいちゃんに絵手紙展で逢った?数日後、Oさんのお宅にお邪魔した。
みいちゃんには「おかえりなさい」と言ったのだが、相変わらず、おとなしく丸くなっていた。旅の疲れか高齢のせいか・・・。(おとなしい猫)   
動物など

わがパスポートは・・・

2020年02月21日
祖父のパスポートを見つけて以来、気になって自分のパスポートを探したところ2冊あった。(祖父のパスポート

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    祖父の旅券    (下)未使用    

1999年春、中国雲南省、貴州省のスケッチ旅行のために初めて申請したのは10年用。

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     関空から雲南省昆明へ 1999.4

それから安徽省、広西チワン族自治区、浙江省、江蘇省、北京、上海のほか、もっとも訪れたかった福建省の客家土楼の旅と何度か利用した。
呉さんの結婚式参列のために2007年に福建省厦門(アモイ)や泉州を訪れたのが最後。

呉さんとは長い付き合いになる。現在は石獅市で最先端の農業経営者となって活躍しているが、知り合ったのは、東京農大の農業経済学専攻の博士課程3年生に在学中。その後、中国の大学時代の同級生だった林さんと結婚し、群馬県沼田市にある農業関係の会社に勤めていた。(呉さんのこと

故郷の披露宴は2007年2月の春節が終わったばかり。(再びアモイ・泉州へ
呉さんの結婚披露宴には、会社関係の人、中国語同学Kさんと私など日本人総勢9人でお祝いに駆けつけたことを思い出す。結婚披露宴は夜だった。
翌日は泉州の「大開元寺」「孔子廟」「イスラム教寺院」などの観光。ガイドは新郎の呉さん。
3日目には呉さんの実家へ。福建省で日常飲まれているのは「青茶」いわゆる「烏龍茶」。

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        最後の帰国印 2007.2    

中国のお茶は「烏龍茶」と思っている人が多いようだが、烏龍茶は、台湾、福建省などのごく一部で飲まれているもので、中国本土で飲まれる7~8割のお茶は「緑茶」。日本の緑茶とは製造過程が少し違う。
ついでながら、日本の商社が烏龍茶を大量に買い付けるので、本場の福建省には最高級のお茶か、逆に質の低いお茶しかないのだと、聞いたことがある。

1冊目をみると、スケッチ旅行で観光地でない地での多くの人たちとの交流が思い出される。
そして2冊目、申請した10年用は、出国印も押されないまま期限が切れていた。次の目標だった中国短期留学は、父の介護、父が亡くなり母との同居、介護などで叶わず。運転免許も返納して終活中の今、パスポートを申請することはないだろう。
中国・中国の旅

祖父のパスポート

2020年02月20日
今日は「旅券の日」。1878年(明治11年)2月20日に「海外旅券規則」が外務省布達第1号として制定され、「旅券」という言葉が法令上初めて使われたのを記念して生まれた。

「一般パスポート」は、紺色と赤色の2種類。紺色の有効期限は5年。20歳以上の人は、20歳未満の人は紺色のパスポートしか持つことができない。
濃緑色の「公用旅券」は、国会議員や公的機関の職員など。一般旅券は単に「PASSPORT」と記載されているのに対し、公用旅券の表紙には「OFFICIAL PASSPORT」と表記されている。
さらに「緊急旅券」と呼ばれる茶色の旅券がある。海外旅行先でパスポートの紛失や盗難に遭った場合、海外滞在中にパスポートの有効期限が切れてしまった場合など、緊急時に発行されるつなぎのパスポート。

2月4日から葛飾北斎の代表作「富嶽三十六景」の作品を査証ページにあしらった新型のパスポートの交付が始まった。外務省によると、芸術作品が用いられるのは1866年に日本で初めてパスポートが発行されてから初めてだという。

年末から始めた本格的な断捨離だが、物置にとりあえず残してあった気になっていた祖父母関係の箱をりんりんに納戸まで運びあげてもらい、10年ぶりに箱の中を開けた。祖母の鼈甲の櫛、コンパクト、珊瑚や鼈甲の帯留めなどのほか、もっとも彼にヒットしたのは祖父のパスポートだった。今のパスポートより大分大きい。

祖父は戦前、イギリスやインドなどで貿易をしていたときいていた。小学1年のときに亡くなったため、祖父の記憶はほとんどない。
庭で撮った写真はすべて着物姿だが、パスポートの写真の背広ネクタイ姿の祖父に驚いた。
トランクやインド土産の香炉など当時の海外から持ち帰ったものがいくつか残っているが、さらに訪れた国はイギリスとインド(当時はイギリス領)だけでなかった。

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    右ハ「視察為第三十一頁記載の諸国へ」とある

その31頁には「英国 佛国 独国 和国 白国(ベルギー) 西国(スペイン) 伊国 モロッコ チュニス 埃及(エジプト) ペルシャ 希臘(ギリシャ) 及 土耳古(トルコ) 英領諸港経由」と漢字、英語、仏語で書かれている。

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       31頁    *Click!

大日本帝国時代の1933年6月に神戸港を出航したのが最初のようだ。スペインが最初の訪問国の切手が貼られ、REPUBLICA ESPANOLAの印が押してある。
スペインに度々短期留学している桂花会のH氏によると、とても貴重な資料だという。
このころのスペインは政権争いが泥沼化、1939年にはフランコの独裁政権時代が始まった。

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祖父が亡くなってから60年以上経った。当時の旅はどれほどの苦労があっただろうか、想像がつかない。不思議な気持ちでパスポートを眺めている。
旅・散策・イベント

フキノトウ味噌

2020年02月19日
今日は24節気の1つ「雨水」。雨水を迎えるころから降っていた雪も次第に雨にかわり、雪や氷が解けていくころ。
このころから春一番が吹き始めると言われ、本格的に春に向けて暖かくなっていく兆しの日ともされている。
今年は暖冬、超暖冬とか言われるように、庭に雪や氷、霜さえみることなく春になった。

この雨水の頃から雛人形を飾ると良縁を呼んでくれる」といわれているが、わが家に残る雛人形は92歳で亡くなった母のもの。今更「良縁」もないが、17日は絵、18日は散策の前にすいよう会のメンバーに見ていただくためにすでに飾った。
来週は、博物館の友の会のほか、Oさんと I さんなど、お誘いしている。

昔から春の食卓には苦味を積極的に取り入れてきた。セリ、ツクシ、ノビル、ヨモギ、ナズナ・・・。線路沿いの道端にすでにヨモギを見つけたが、ツクシはまだお目にかかっていない。

先日、庭に顔出した蕗の薹でフキノトウ味噌をつくってみた。小さい2つを残して9つを使った。クルミも前日に用意。(フキノトウ味噌に?
 
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いくつかのレシピの中、茹でない方法もあったが、野フキはえぐ味が強いとあったので、さっと茹でた。
クルミに比べてフキノトウを細かく切りすぎたような気もするが、炒めて用意していた味噌+本みりん+砂糖をからめるとそれらしく出来上がった。

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大井の仙台味噌醸造所の「五風十雨」と白味噌を合わせた。クルミは多摩川で採ったオニグルミを使いたかったが、残念ながら昨年は収穫できず、アメリカ産のクルミで間に合わせた。

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フキノトウを採った時期が少し早かったかもしれない。苦みはあまりなく、少し物足りない。今度はもう少し苦味のある味噌をつくろうと、スーパーや青果店を探した。タラの芽や菜の花はあったが、フキノトウはなかった。
植物など

生活の中の自販機

2020年02月18日
今や生活の一部となっている自動販売機の進化はめざましく、飲料、お菓子などはどこにでもあるし、おみくじの自販機もよく見かけるようになった。(自販機+α
愛媛県内子町には珍しい「折り紙の自販機」があるときいたことがあるが、あまりに多種多様の自販機が登場するため、以前ほど「こんなものまで!」と驚くことも少なくなってきた。

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         菓子       ソフトクリーム

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       たい焼き         バナナ  

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     ベストセラー本      新聞

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     鶴岡八幡宮      湯島天神      

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     農産物の直売   世田谷区

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        生花        マスク

自販機のお陰で生活は便利になったが、電力会社は大きな発電設備を用意しなければならず、とくに夏季はエアコンによる消費電力と重なり、大きな負担がかかるという。
夏でも冷たい飲物は避けていることもあり、うっかりポットを忘れたときにはコンビニで常温のお茶か水を購入するため、飲料の自販機を利用することは少ない。
旅・散策・イベント

自販機+α

2020年02月17日
自動販売機は、生活の一部になっているといっても過言ではない。日本の清涼飲料自販機の普及台数は、缶・ペットボトルなどの清涼飲料自販機が212万台、牛乳など紙パック自販機が12万6,900台、コーヒー・ココアなどカップ式自販機が15万4,000台、酒・ビールは2万2,900台、合計2,42万3,800台(2018年)。
これに券売機、食品、たばこ、日用品雑貨、各種自動サービス機を加えると、日本中で423万5,100台(2018年)の自動販売機が稼働していることになる。

清涼飲料の自動販売機にさまざまな機能をつける動きが加速しているようだ。売り上げの一部を寄付、災害時に飲料水や毛布の提供、周辺で無料で高速ネット通信の利用が可能など、飲料販売以外の付加価値づくりが進んでいるという。

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     フリーWi-Fi      ピークシフト 

LAN「Wi-Fi」のアンテナ機能を搭載した自販機を飲料メーカーとして初めて導入。自販機から半径50m以内で、スマートフォンなどで高速ネット通信が無料で使えるという。
LINEアプリを起動しスマホをかざしてから商品を購入すると「ドリンクポイント」が貯まり、15ポイントになると無料で1本、飲料がもらえる特典チケットが発行される自販機もあるというが、まだ、巡り合ってはいない。

また、盲導犬の育成や動物の保護、スポーツチームのバックアップなどの寄付型の自販機もお目見えした。

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      貸し傘付        災害時サポート

広告が目立つ飲料の自販機はいたるところにある。

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旅・散策・イベント

土に降りた鬼瓦

2020年02月16日
西側の窓を開けると地面に並べられた鬼瓦が目に入る。30余年前に解体された旧宅の鬼瓦のほとんどは壁に立て掛けてある。足付鬼が4枚、切据鬼は10数枚。10年前の写真に比べるとだいぶ草臥れて見える。

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    覆輪付吹流丸立鬼瓦   丸頭型雲付一文字鬼 

鬼瓦とは、日本式建築物の棟の端などに設置される板状の瓦の総称。厄除けであるだけではなく雨仕舞いの役割を兼ねた装飾瓦飾りでもあり、精巧な形は芸術作品として評価されていて、神社や寺、一般の日本式家屋の屋根などに置かれている。

ルーツはパルミラにて入口の上にメドゥーサを厄除けとして設置していた文化がシルクロード経由で中国に伝来し、日本では奈良時代に唐文化を積極的に取り入れ始めた頃、急速に全国に普及した。
江戸時代後期に火災対策として瓦葺き屋根が普及したことから、やがて一般の家にも鬼瓦が普及し始める。平成期以降に建てられた建築物には見られることが少なくなった。 鬼瓦を作る職人は、鬼師または鬼板師と呼ばれる。
(Wikipedia)

鬼瓦の模様は、中国殷時代(紀元前16~11世紀)の祭祀に使われた青銅器の珍獣の文様がルーツとされる。日本人にとって鬼とは「邪神」でもあると同時に「身近な神」でもあり、味方につければ、その形相で魔を除け、厄を祓ってくれる味方になる。また、鬼は「力や富の象徴」、守護神的な存在でもあったようだ。

鬼瓦は大まかに分けると、経ノ巻、鬼面、鯱、龍の4タイプ。また、家紋や福の神がついたものなどもある。
現在のような2本の角が付いた鬼面の鬼瓦が登場したのは室町時代になってから。

日本三大瓦と呼ばれるのは、「三州瓦」(愛知県西三河地方)、赤瓦が特徴の「石州瓦」(島根県石見地方)、キメの細かい美しい仕上がりが特徴的な「淡路瓦」(兵庫県淡路島)。
調べてみると、旧宅の屋根で50年近く守ってくれていた鬼瓦は、比較的シンプルな「覆輪付吹流丸立鬼瓦」と「丸頭型雲付一文字鬼」の三州瓦のようだ。

平瓦の一部は地面に縦に埋めて踏石代わりになっている。(リユースいろいろ

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         2008.9

「アオガエル」は秋田へ

2020年02月15日
「100年に一度」ともされる大規模再開発が進行中の渋谷駅周辺。渋谷駅ハチ公前広場に置かれ、観光案内所として使われている「青ガエル」(元東急5000系電車 渋谷区所有)が、5月下旬から6月上旬にかけて秋田犬「忠犬ハチ公」の生まれ故郷の大館市へ移設。
7月より、大館市観光交流施設「秋田犬の里」芝生広場にて、「忠犬ハチ公」を中心にした渋谷と大館の歴史に関する展示をしながら、施設来場者の休憩場所と使用されるとか。

1954年、東横線でデビューした丸みを帯びた下ぶくれの緑色の塗装から「青ガエル」と呼ばれるようになるが、東急線からは1986年に引退し、譲渡された車両が引き続き長野や静岡などの鉄道会社で走行。そして2016年まで熊本電鉄で使用されていたものを最後に、全車両が現役から退いたという。

渋谷駅ハチ公前広場に設置されている車両は、2006年に渋谷区が東急より譲り受けたもので、「青ガエル観光案内所」として利用されている。
 
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                     2010.6.12  
          
まもなく桜桃忌だというとき、太宰治の墓に行きたいと言い出したりんりんを三鷹に連れて行ったことがあった。このとき立ち寄った渋谷でハチ公を見たいと言ったのだったか、「青ガエル」で撮ったことがあった。小学1年生の6月だった。漱石山房にも行ったのもこのころだろう。

ハチ公広場の写真は何枚もあるが、意外に青ガエルの写真は少なかった。見つけたのは、10年以上も前の2枚。
「滞留者」「誘導員」といったゼッケンをつけた大勢の人たちが広場に集まっている。何だったのか、まったく記憶にない。
調べてみると、この日の午前中に実施された「駅前滞留者対策訓練」だったようだ。

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    「駅前滞留者対策訓練」中  2009.11.18
     
たまたま通りかかったこの日(9:20~12:20)は、震災時における駅周辺の混乱を防止するため、渋谷駅周辺の事業者・学校等が中心となって行う「駅前滞留者対策訓練」が実施られていたようだ。
すでに新宿駅と北千住駅、池袋駅と品川駅で同様の訓練が実施されたという。

東京都による首都直下地震の被害想定では、発災直後の主要なターミナル駅は、約10~20万人の滞留者で混乱するとされる。最終的に帰宅できない帰宅困難者数は、東京駅が約14万人、渋谷駅が約10万人、新宿駅や品川駅がそれぞれ約9万人となっている。(2009.11)

まったく知らなかったが、JR蒲田駅(大田区)周辺でもこうした訓練は2010年12月に実施されていた。
東日本大震災が起きたのはこの翌年。東京都防災ホームページを見る限り、蒲田駅の後の訓練は実施されていないようだ。
旅・散策・イベント

多摩川越しに望む高層ビル群

2020年02月14日
タワーマンションが林立し、首都圏有数の人気の街となった「武蔵小杉」。広大な銀行のグラウンド跡地や工場跡地があった東急やJR武蔵小杉駅周辺は開発に非常に有利で、20年前には高さ100mを超える超高層ビルは、「武蔵小杉タワープレイス」(地上23階、高さ100m)しかなかったというが、今は駅前にはタワーマンションが建ち並び、なおも建設され続けている。

昨年の台風19号では、浸水による停電、下水処理施設が機能しなくなるなどの被害を受けたタワーマンション(47階建)について度々報道された。
東京でも東急二子玉川駅(世田谷区)付近では、整備していない多摩川の堤防から川の水があふれ出し、住宅街へと流れ込んで膝の辺りまで冠水、田園調布(大田区)でも浸水被害が発生。多摩川が氾濫するとは思ってもみなかった。 

思いがけない台風襲来、その後も多摩川の土手や電車から河川敷をみるが、少しずつ復旧していく様子がみられる。だが、もとの多摩川河川敷に戻るのはまだ時間がかかりそうだ。

先週の日曜日、MさんからのLINEに武蔵小杉の夕景が送られてきた。17:30、多摩川の丸子橋付近からみた武蔵小杉のタワーマンション群だ。
「多摩川ですね、わかります」に「今歩いています」。彼女の家は丸子橋に近く、どこかからの帰路だろうか。

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                     17:30
   
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                     17:40

17:40の「表情が違いますね」の通り、わずか10分で景色は変わる。ビル群の灯りが川の水に映って何とも言えない美しさ。

昨年の台風19号は大きな爪痕を残した。土手から眺める武蔵小杉の高層ビル群は何も変わったようには見えないが、河川敷の様子はまったく変わってしまった。

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          12:45         2019.4.11      
 
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          7:10          2020.1.1

令和になって初めての今年、初日の出を見ることができず、河川敷は緑が消え、流されずに残った樹々には草やゴミがまとわりついていた。さびしい年明けになった。
旅・散策・イベント

サルノコシカケ

2020年02月13日
わが家にいつからか2つのサルノコシカケ。父が庭で見つけたのだろうから、旧宅を解体し庭木や石を整理した30数年前からだと思う。

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キノコ博士?のS君にあげる約束をしていたサルノコシカケ、先日、S君の母親と出光美術館に行ったときにやっと1つを渡すことができた。
それまでサルノコシカケなどまったく関心がなく、せいぜいキノコの1種ということくらいしか知らなかったが、調べてみるといろいろな種類があることに驚いた。

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       15㎝×10cm×4cm

サルノコシカケは、担子菌類。 サルノコシカケ目サルノコシカケ科・マンネンタケ科・キコブタケ科の菌類のうち、とくに木質で多年生となるキノコを総称した一般名。
傘の柄が発達せず、立ち木または枯れ木に生え、棚形か馬蹄形に発達し、木質で厚く堅く、上面には同心円紋があるものが多い。下面には無数の穴があって、内壁に胞子ができる。年々成長を続けて厚さと幅を増す。
数10年を 経過した巨大なものは径1m、厚さ数10cmにも達する。キノコの下面には無数の微細な管孔が密に並び、その内面に胞子をつくる。管孔は1年ごとに新しく下側に形成されるため、キノコを縦断すると管孔部には多くの層が認められる。

多くは樹木を腐らす害菌だが、細工用、また、発汗、利尿などの薬用ともなる。近年、サルノコシカケ類に抗癌性を認める研究報告もある。

日本では4科約40属300種が知られ、ブナ林に日本特産種が多い。
サルノコシカケは種類が多いが、縦断面の組織(傘の肉)の色で大別すると次のように分けられる。
(1)傘の肉が白色ないし黄白色 サルノコシカケ科    針葉樹に生えるツガサルノコシカケ、エブリコ、オオシロサルノコシカケ  広葉樹に生えるカシサルノコシカケ、ニレサルノコシカケ
(2)傘の肉が黄褐色 キコブタケ科    針葉樹に生えるモミサルノコシカケ、マツノカタワタケ、エゾノコシカケ、 広葉樹に生えるコブサルノコシカケ、メシマコブ、キコブタケ
(3)傘の肉がチョコレート色 マンネンタケ科    広葉樹に生えるコフキサルノコシカケ
(4)傘の肉が紫黒色 サルノコシカケ科   広葉樹に生えるクロサルノコシカケ
(5)傘の肉が桃色ないし紫褐色 サルノコシカケ科   針葉樹に生えるバライロサルノコシカケ

わが家のサルノコシカケは⑷?それとも⑸だろうか。どんな木についていたのだろうか、父にきいておけばよかったと思うが、しばらくは玄関に置いておくことにしようと思う。
植物など

窓越しの景色

2020年02月12日
1階の部屋に移った昨年暮れ、百均で買ったくもりガラスシートをガラス戸の上下部分を除き貼った。ガラス戸に近づくと隣家との塀や屋根も見えるが、机に座ると、四角く縁どられた窓の上部分からの紅梅と遠くのケヤキしか見えなくなる。お気に入りの景色だ。(窓越しのケヤキ

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             1.25

そしてガラス戸の下部分からはの花びらが散り落ちた踏石、ときどき通る猫たちが見えて楽しい。

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         紅梅   1.29

1月半ばころから咲き始めた紅梅は暖かい日がつづき一気に満開に。2月5日、窓の外を見ているとケヤキの向こうの空がオレンジ色に染まっていった。シャッターを押して机に戻り、窓の外を眺めるともう空のオレンジ色は東の方へ移っていた。

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           16:58
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           17:06
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           17:12

2階からのケヤキの眺めも大好きだが、窓の小さな額縁から季節の移ろいを感じられる至福の時を大切にしたい。

今年の桜は・・・

2020年02月11日
宮城県気仙沼市の大川沿いにあった東日本大震災の津波に耐えた桜が、別の場所で育てられていたが、今月初めかつての桜並木があった場所に近い公園予定地に移ったという。(河北新報)
桜は3分の1が津波で流され、残った約110本の一部は震災の年も花を咲かせたという。
2013年、県の河川堤防の改修工事に伴い伐採されたが、「希望の桜」として塩害などが少ない樹齢約40年の桜7本が残されたという。これから震災を伝えていく役割も担うの桜たちにエールを送りたい。

昨年の台風19号の被害を蒙った多摩川沿いの「二十一世紀桜」を思い出した。(花見ごろ「桜まつり」の日
「二十一世紀桜」は、下丸子ガス橋付近の土手沿いに植えられた約120本の桜並木。スーパー堤防工事による桜並木の伐採の危機を救うため、2003年から足掛け5年、地域を挙げて桜の植樹と枯木対策として苗木の補植事業を行ってきた。

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             2013.4.8
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             2017.4.8

毎年見頃の時期には多くのお花見客で賑わう人気スポットだが、土手沿いには昨年の台風19号で根こそぎ倒れた木が何本かあった。
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              2020.1.19
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3月29日に「第9回 二十一世紀桜まつり」(大田区民プラザ)で行われるようだが、今も丸子橋緑地、田園調布南・鵜の木緑地、ガス橋緑地、大橋緑地、多摩川緑地、六郷橋緑地、大師橋緑地の全ての運動場などの施設の利用ができない。今年4月より一部再開を予定しているというが、今年のお花見は土手の上から眺める多摩川の景色はさびしいものになりそうだ。
旅・散策・イベント

フキノトウ味噌に?

2020年02月10日
大寒のころ、今年初めて麦踏みをした畑の脇に蕗の薹が顔出しているのをみつけた。大寒の初候は「蕗の薹が蕾を出す」。まさしく暦通りだと思った。(蕗の薹が蕾を出す頃フキノトウ

わが庭には窓から見える西側に数年前からフキが広がっている。砂利が敷かれていることもあるのかのんびりしていて、毎年2月半ばから啓蟄の頃にかけてやっと顔を出し、あっという間に花が咲いてしまったこともある。
    
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                 2019.2.21
 
今年は1階の部屋になり、西側の窓からフキがよく見える。雨戸の開閉の度に注意してみていたはずだが、葉しか見えなかった。
昨日、紅梅につられ久しぶりに外に出てみると、蕗の薹がいくつもできていて驚いた。
    
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昨年、Sさんに自家製の「フキノトウ味噌」をいただいたので、今年はつくって見ようかと思い、早速、レシピを調べた。
野フキはアクが強く苦いというが、わが庭のはどうだろうか。アクの抜き方も出ていたので、明日にでも挑戦しよう。味噌は仙台味噌「五風十雨」にして、クルミを入れたおいしい味噌が頭の中では出来上がっている。
植物など

梅にメジロ

2020年02月09日
今日から立春の次候「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」に入る。「山里では、春を象徴する鳥である鶯が美しい音色で鳴き始める時期」とある。

毎日のようにウグイスが庭にやって来た年があった。いつだったかメモを見ると、初音をきいたのは2010年の3月15日とあった。その後、毎朝6時過ぎ、3月には10日、4月には5日、5月1日が最後だった。
翌年もその次の年もウグイスの声はきかなかった。次に「初音」と書いてあったのは2013年4月半ばだが、その後、「カエル鳴く」「タヌキ現れる」とかはあるが、「ウグイス」の文字は見当たらない。

「梅に鶯」とよく言われるが、「春告草」といわれる梅の枝に止まって蜜を吸うのは、ウグイスではなくメジロ。藪の中で虫を食べるウグイスが姿で見せることはまずないとか。

ウグイスは、「春告鳥」とも呼ばれるほかに春鳥、花見鳥、歌詠鳥(ウタヨミドリ)、人来鳥(ヒトクドリ)、経読鳥(キョウヨミドリ)、金衣公子(キンイコウシ)、百千鳥(モモチドリ)、黄鳥、匂鳥(ニオイドリ)など多くの異称を持つ。(春告鳥

1月上旬に咲き始めた紅梅が五分咲きになったころから、毎日のようにメジロの番いがやってきて花の蜜を吸っている。

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            2.2

立春を過ぎて蹲や踏石の上に梅の花びらが落ち始めた。花ごと落ちているのも彼らの仕業だろうか。

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                  2.5
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今年は新型コロナウィルス騒ぎで暗いニュースの中で春を迎えることになった。ウグイスの初音をききたくても、年々緑が少なくなっているこの辺りには来てくれそうにない。
植物など

宗観好みの茶器 二月

2020年02月08日
『井伊宗観好十二月茶器の研究』(大崎喜之 著)を毎月開くようになってまもなく1年が経つ。
この十二月茶器を復元、研究した「井伊宗観好十二月茶器研究会」によると、井伊宗観(井伊直弼)が、きわめて周到緻密な配慮をもって自ら意匠し、京都の名工八代中村宗哲に作らせた、いわゆる「井伊宗観好十二月茶器」は長い間歴史の闇に埋もれたまま世の人々の目にふれることなく、初めて公表されたのは、つい戦後のことだったという。(十二種類の茶器

二月   菫に雲雀
      溜塗  中棗  高さ6.7cm 径6.5cm

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春の野原や山路に、うつむき加減の可憐な濃い紫色の花をつけた菫に、天から落ちてきた雲雀が餌をついばんでいる。
如月二月の語源が、木草発月(木や草の芽の張る月)とも、気更に来る(陽気がさらに来る)ともいわれるように、あたたかくなりゆく春の野を表している。

正月に対して少しくだけて、利休型の中棗に溜真塗。

本歌
   三月  藤    春の形見とや咲く藤の花そをだに後の色の緑りに 
   三月  雲雀   菫咲く雲雀の床に宿かりて野をなつかしみくらす春かな 

本来、本歌に詠まれた藤は、一種の「忌み花」として隠され、代わりに鳥の本歌に詠まれた菫の花が図案化されている。   

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         藤 雲雀図   p66   
身近な人びと

「やきもの」入門

2020年02月07日
昨年夏、郷土博物館で知り合った若いMさんに出光美術館の『やきもの入門』に誘われたのは11月。LINEで決めた予定だったが、彼女の方が2度、こちらの都合で1度延期になり、ついに最終日の2日前になってやっと実現した。

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        「やきもの入門」 *Click!

Mさんはキノコと鉱物大好きなS君の母親。夏にLINEを始めてから誘われたのはフリマや幼稚園でのクリスマスアドベント。S君に会って瓢箪やヒメマツタケを渡したこともある。この日はわが家にできたサルノコシカケ。

展覧会を誰かと一緒に見るのは久しぶりだった。娘より若いMさんだが、知り合って半年とは思えないのは不思議。
彼女によると、縄文土器や埴輪などが出品されているので興味があるかなと思って誘ったとのことだったが、それらは実際には少なく、最近、気になっている須恵器やかつて少しかじった茶道に関連した道具、茶碗などの名品も多く展示されていた。

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    古墳時代 埴輪  弥生後期 朱彩壺形土器

第1章「朱と渦の世界―縄文土器から埴輪まで」では、重要文化財指定の壺形土器には、朱が施されていてみごとだった。博物館の土器づくりのときにFさんがつくった弥生土器を思い出した。

第5章「みやびと洗練の文様」では、江戸時代のやきものが並ぶ。「磁器」が誕生したこの時代、唐津から、初期伊万里、古九谷、古伊万里、鍋島、柿右衛門、京焼と、さまざまな窯のやきものが各地に誕生した。
だいぶ差し上げたりして少なくはなったが、わが家に残るのは、柿右衛門、鍋島、唐津焼の食器や飾皿などには子どものころから馴染んでいた。とくに祖父母の故郷の唐津焼。今は唐津、鍋島など、普段使いになった。

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  「色絵鳳凰文共蓋壺」  「色絵花鳥文八角共蓋壺」

もっとも印象的だったのは、野々村仁清の京焼と柿右衛門の対比。どちらも江戸時代前期の重要文化財。
間近で実物を観ることができただけでもラッキーだと言える。Mさんに感謝。

柿右衛門は磁器。「色絵」は白い素地を大切にして必要最小限の輪郭線で描かれているが、一方、仁清の色絵壺は陶器のため、絵画的に描くのでなく、金銀の輪郭線で飾ってある。

また、柿右衛門とドイツのマイセンの比較展示も興味深い。制作には約1世紀の隔たりがあるが、柿右衛門に憧れたマイセンはまったく同じ構図の皿を制作している。

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        お茶をいただきながら
       
出光美術館は初めてではないと思うが、その時の展示はまったく印象に残っていない。こんなに素晴らしい美術館だとは・・・また、機会を見つけて来たいと思う。
ランチはあと5分でラストオーダーという1時半を過ぎていて慌ただしかったが、帰りの電車で、たくさん若さのお裾分けをいただいた。
芸術・文化・考古

鉢植えのヒヤシンス

2020年02月06日
ギリシャ神話にも登場し、古くから観賞されて数多くの品種がつくり出されてきたヒヤシンス。日本では、10品種ほどが栽培されている。とくに好きな花ではないが、秋、花屋さんの店頭で鉢植えのヒヤシンスを見ると、つい買ってしまう。

野生種の青色が好きなのだが、鉢植えの3色は青、白、ピンクの組合せ。(3色のヒヤシンス
はじめから花丈が高かったピンク、ひと月も経たないうちに花も咲き揃った。いい香りがしてくる。

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   1.30     1.13     2.4

花が咲いてからは水やりを徐々に減らし、花が枯れてきたら一輪ずつ「花がら摘み」作業をする必要があるという。
肥料は花が咲いてから草花用液体肥料を2週間に1回くらいのペースで与え続け、6月に入り葉が黄色く枯れてきたら葉をむしり球根を掘り上げる。茎は雑菌が侵入してしま可能性があるため茎ごとばっさり切ってしまうことはタブーだという。
花も葉を切らないで置くのは光合成をさせて翌年きれいに花を咲かせるために球根に養分を貯蔵させるためだとか。

今まで、咲き終わったヒヤシンスの鉢植えはいつもダメにしていた。今年は球根を掘り起こし、秋になったら地植えにしてみようかと思っている。果たしてどうなることやら。
植物など

残りわずか

2020年02月05日
湖北省武漢市で昨年12月以降、新型コロナウイルスに関連した肺炎の発生が報告され以来、世界各地から報告がつづいている。中国での患者数は2万人を超え、死者は425人にも上ると報道されている。(2020.2.4)

国内でも新型コロナウイルス感染症の患者発生が複数確認されている。
インフルエンザ対策と同様の咳エチケットや手洗いなどの感染対策を行うしかないという。

先日、中国に多くの友人を持つSさん夫妻は、一日中ドラッグストアを回って、友人たちにマスクを送ることができたとか。
春節のウィチャットには上海の趙さんからはマスクをした猫、厦門(福建省アモイ)の呉さんからはマスクをしたネズミ。このような春節は初めてのことだ。
  
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    「武漢のために 中国のために・・・」
    「最重要なことはマスクをつけること」
   
季節の変わり目はとくにアレルギーがひどいため、昨年もインフルエンザの流行が話題になる前から外出時はもちろん、家でも、寝るときもマスクは欠かせない。
新型コロナウィルスが騒がれ始めたころ、箱内にたっぷりあったマスクは現在半分以下になっていた。いつでも買えると思っていたらとんでもない。
   
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病院内の2枚入りマスク自販機にも「売切れ」の文字。ドラッグストアに寄っても売切れ、いつ入るかわからないという。花粉症対策もできるかどうか怪しくなってしまった。
わが家のマスクがなくなったら、以前薬局で買った「ウィルスオフ」の除菌剤のストラップを下げて出かけるしかないだろうか。効力は60日間1mの範囲とか。

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中国・中国の旅

春立ちて

2020年02月04日
今日は24節気の1つ「立春」。立春を迎えた頃から気温の底はピークを過ぎ、徐々に春めいた気温や天気に変わっていく。
立春は八十八夜、二百十日、二百二十日など、雑節の起算日となっている。立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風を春一番と呼ぶ。
桜の開花時期は、立春からの最高気温の合計が540℃という概算法があるそうだ。

飛鳥時代に中国から二十四節気が伝えられると、冬至が年の分割の起点となり、立春をはじめとする暦がつくられた。
立春は明治時代の改暦までは正月とほぼ同じ頃に重なっていたために現代でも正月に「早春」「新春」という。

立春の期間の七十二候は
初候  東風解凍 はるかぜ こおりを とく (日本、中国)
次候  黄鶯睍睆 うぐいす なく (日本)  蟄虫始振 ちっちゅう はじめて ふるう (中国)
末候  魚上氷  うお こおりを のぼる(日本・中国)

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           2016.1.25

「超暖冬」とかいう言葉をきくようになったこのごろ、氷が解ける頃というが、庭の蹲に一度も氷は張っていない。

立春の早朝、禅寺では厄除けのために門に「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣がある。この文字は縦書きにすると左右対称になる。
その昔、「立春大吉」と書かれた御札が貼ってあった家に鬼が入ったことがあった。ふと鬼が振り返ると、さっき入る時に見えた立春大吉の文字が見え「まだ入ってなかったのだ」と思い、逆戻りして出て行ってしまった、というもの。これにより、「立春大吉」のお札を貼っていると厄除けになると言われている。

この「立春大吉」が貼られている寺院を見かけないと思っていたが、禅寺といっても主に曹洞宗の山門に貼られることを最近知った。
義父の眠る馬込の萬福寺は曹洞宗だということを思い出した。郷土博物館に行くようになって1年余。「万福寺」のバス停で降りることも多いが、なかなかお寺には立ち寄る機会がなかった。
墓参の折、気をつけてみてみると、鐘楼や手水舎などに貼られた「立春大吉」はだいぶくたびれていた。
 
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       曹洞宗 萬福寺

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立春を過ぎて3日目、博物館の帰り立ち寄ってみようか。「立春大吉」が新しくなっているだろうか。
旅・散策・イベント

鬼は悪者?

2020年02月03日
今日は「節分」。もともとは春夏秋冬と季節の変わり目をいう言葉で、年に4回あるが、今は立春の前日のことをいうようになった。
もともとは宮中で大晦日に厄を祓って新年を迎える儀式だった。季節の変わり目には、鬼に象徴される「悪」や「厄」が生活の中に入りやすいという考えから「鬼やらい」「豆撒き」で「鬼」を祓うようになった。

もともと「オニ」という言葉は「オン(陰)」という言葉が変化したと考えられ、形の見えない霊のような存在をいった。
日本古来の山岳信仰では、人が死ぬとその霊が山に留まり山の神となるといった、鬼はどちらかといえば自分たちを守ってくれる先祖の霊のようなものだった。
だが、先祖の霊をないがしろにすると、それは逆に怨霊となって災いをもたらす。仏教の伝来とともに地獄の鬼のイメージとと重なり「悪=鬼」という構図になっていったとか。

また、「鬼」は正月に訪れる「年神」の一種ではないかともいわれ、門松、しめ縄やお神酒や鏡餅などを飾って年神を迎える。
先祖の霊や年神としても、鬼は今のような悪いイメージはなかったようだ。

今までいくつかの神社の豆まきに出かけて行ったが、もっとも印象に残るのは喜多見氷川神社の「節分祭」。世田谷区無形民俗文化財に指定されている珍しい豆まき。

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       喜多見氷川神社  2018.2.3

4色の鬼が登場し、鬼問答をしたのち、本殿の中から鬼たちに向かって神主や年男たちが豆を投げつけるというもの。(珍しい節分祭7年ぶりの鬼問答) 

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   青(東)・赤(南)・白(西)・黒(北) 方角を表す鬼  

昨年は近くの八幡神社へ。夜にも拘わらず意外に大勢の人たちが集まっていた。今年もこの神社に行こうと思っている。

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            2019.2.3
旅・散策・イベント

このごろの庭

2020年02月02日
令和2年2月2日。「ねこの日」といいたいところだが、日本では「猫の日」は2月22日。

わが庭の猫の動静はこの1年で大きく変わった。(さびしい正月
昨年の暮れから長い間庭で過ごしていたトモが姿を見せなくなった。10年以上前、庭で生れた猫は4匹、そのうちの1匹ククがお向かいのSさんのところから連れてきた猫だが、ここ数年は庭からほとんど離れずに庭の主のようだった。

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        クク    トモ   2019.5
 
ククは地域猫が集まるSさんのところにも顔を見せながら、わが庭でトモと一緒に過ごしていた。トモがいなくなってからは日なたで寝ていることもたまにはあるが、日に1、2回は見回りに来る程度になった。

今年になってから雨戸の前で待っていることも多くなった。そして午後3時過ぎ、早々顔を出し、軽く食べていくようになった。夕食は恐らくSさんのところだろう。

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             2020.1

すっかり棲み処を空地に移したケシは、工事が始まって追われたのか、姿を見なくなった。心配していたが、今年になって雨がつづいた晩、ひょこりやって来た。庭に現れるのは半年ぶりだろうか。
雨に濡れて毛はボサボサだった。よほどお腹を空かせているらしい。本来、ノラ猫は声を出すことはないときいていたが、「にゃあにゃあ~」とおかわりを2度ほど要求。
  
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                 2020.1

その翌日、雨は降っていなかったが、やって来た。また、お腹空かせてひょっこり姿を現すかもしれない。
動物など

テレビ離れ

2020年02月01日
今日は「テレビ放送記念日」。2年前、衛星による4K 8Kテレビ放送が開始されたが、日本初のテレビ本放送がNHK東京放送局でスタートしたのは1953年の今日。もちろんモノクロ放送で、受信契約数は866台だったとか。その後、日本テレビ(1953.8)、NHK大阪、NHK名古屋(1954.3)、ラジオ東京(TBS 1960.4)と次々に開局された。

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    白黒テレビ(1953年東芝製) (東芝未来科学館)

ブラウン管テレビで思い出すのは、6年前まで公開されていた西堀榮三郎邸にあった東芝製のブラウン管テレビ。
第一次南極越冬隊長で知られる西堀榮三郎は、東京電気工業(現 東芝)では真空管の開発に当たるなど科学者として活躍、語学にも堪能でアインシュタイン来日の折、通訳を務めた。また、登山家でもあり、『雪山賛歌』を作詞したことでも知られる。

1937年(昭和12年)に建てられた榮三郎邸は、鵜の木駅から久が原方面に抜ける切通しにあり、まさに都会の中の山の中にひっそりと佇む山小屋のようだった。りんりんを連れて行ったほか、Uさんや絵のお仲間を誘って何度か訪れた。
 
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        2011.10

石段を上がり、樹齢80年というヒマラヤ杉に圧倒されながら、玄関のカウベルを鳴らした。玄関の日本カモシカやペンギンの剥製に迎えられた。見学後、榮三郎氏自らが煉瓦で作られたという暖炉、どっしりとした、無垢の桜で作られたテーブルや椅子が置かれたリビングでのご子息峯夫氏とのお話は楽しかった。(山小屋風の昭和の家南極の日

その家も6年前、解体され、工事用の柵で囲われたままになっているが、この切通しを通る度にいろいろなことが想い出される。
真空管のテレビ、防空壕の話、山の話など、峯夫氏からいろいろ貴重なお話を伺ったこともついこの間のことのようだ。

榮三郎氏がつくったという真空管のテレビにはもちろんリモコンもなく、ダイヤルをまわしてから映像が映るまで1分ほどかかるなど、初めて見たりんりんにとっては驚きだったようで、「昭和のテレビだ!」としきりに感心していた。
この日から9年余、峯夫氏と撮った写真がわが家のリビングに飾ってある。高1になった彼はこの日のことをどれほど覚えているだろうか。(べんきょうが好きになりました

よく言われる若者のテレビ離れは当然かもしれない。最近小中学生を中心に根強い人気を持つのがYoutuber。コンテンツは無限にあるYouTubeなどを自分で選べる。LINEやTwitterなど、テレビ以外の情報収集源の存在は大きい。
あれほど落とし物忘れ物をしていた彼は鍵も定期もスマホに収納後は失くさなくなった。命の次に大切と豪語するりんりんはすでに重度スマホ依存症。学校には携帯できない小1のじゅんじゅんでさえ、帰宅するや否やテレビでなくゲームやYouTubeを始めるらしい。

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       あいあい 2019.12   じゅんじゅん

最近のテレビは高齢者がターゲットなのか健康番組が増えているような気がする。テレビはあまり見ない。CMも嫌なのでBSプレミアムがほとんど。もともとドラマやクイズ番組、スポーツ観戦などは疲れ、健康番組をみると不安になるときている。ラジオもここ1年近くあまりきかない。かといってYouTubeも滅多にみない。認知症に大分近づいてきているような気がする。
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