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麦の秋

2020年05月31日
今日は24節気の「小満」の末候「麦秋至(むぎのときいたる)」。麦が熟して、収穫するころ。実りの季節を、「麦の秋」「麦秋(ばくしゅう)」と言い表す。

大田区立郷土博物館の友の会に参加するようになり、近くにある麦畑が気になっていた。
昨年春、Sさんに「大森麦わら細工の会」で育てている麦だと教えていただいて以来、館の行き帰りに畑に立ち寄って麦の成長具合を見るのが楽しみになった。

今年はコロナ禍の影響で3月から博物館、畑に行くことがなかったが、麦は順調に育っているとの報告を受けていた。
5月、Kさんに用事があり、畑を通った。黄金色の麦をみると、初めての麦刈りのあの日から1年も経ったことが信じられなかった。

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                4.8
  
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      刈り取りを待つ麦畑    5.18

「大森麦わら細工」保存に取り組む会が育てる大麦。昨年は5月末に行われる「麦刈り」にごんさんと共に参加した。

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            2019.5.24

当日は好天に恵まれた。画材としての麦は何度も見ているが、畑の麦は初めて。まるでゴッホの「麦畑」のイメージ。
3時間ほどで刈り取った麦は、館の横に用意された梯子に束にした麦を架けて行った。(麦刈り麦架け

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            2019.5.26
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その1週間後は、麦切り。午前中だけではあったが、一連の麦を刈る作業がどんなものかがわかった。(麦切り

会に参加するようになってもう1つ収穫?があった。会でもっとも若いYさんとLINEから始まったが、今は大の仲良しになった。
雛人形を博物館に寄贈する際、片づけを手伝ってもらったり、一緒にランチしたり・・・思えば、コロナ禍のせいで現在はLINEでのおしゃべりだけになっているが。

今年の麦刈りは予定より遅れて行うことになったとYさん経由で連絡が入った。自粛生活で体力が落ちているだろうから、無理をしないようにということだった。麦刈り後の一連の作業には顔を出せるだろうか。
いよいよ来週は博物館も開館する予定。友の会で皆に会える日が待ち遠しい。
旅・散策・イベント

琥珀色に!

2020年05月30日
ほんのり紅い紅梅の実がポトポト落ちるようになった。
梅の樹が数本あった旧宅時代には、かなりの量の梅の実が穫れたため、毎年、梅酒を漬けていた。台所の地下室への階段の途中に梅酒の瓶がいくつも置かれていた。

母の俳句をみると、新築の家で再び梅酒(白梅)を漬け始めるが、数年後には漬けなくなっていた。(梅子黄

     梅漬けつつ不足がちなる日も懐し
     
     梅漬けずなりてもろもろ面倒に


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               紅梅の実
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昨年6月、博物館友の会のKさんが大きな袋にいっぱい運んで来られた梅の実をわけていただいた。
紅梅の実は漬けたことはなかったが、昨年、初めて小さい瓶で漬けてみた。

今年も漬けてみようと、昨年のように梅酒にしてみるつもりで仕舞ったままの瓶を出してみた。
1年が経っていた。とくに紅梅の方は紅く透明で美味しそう。

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             紅梅          白梅
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2つの小さなグラスに紅、白と注いてみた。少々甘いが、コクがある。梅の実はジャムにしてみようか。
来月、今年も梅酒を漬けることにした。
身近な人びと

薩摩切子に

2020年05月29日
2年ぶりにサツマイモの水栽培を始めることにした。器に最適と思ったのが薩摩切子の灰皿だった。(サトイモとサツマイモ
長い間手付かずだった物置には来客用の灰皿はいくつもあったが、この大きな薩摩切子の灰皿は何かに使えると部屋に移してあった。

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切子とはカットグラスの和名。切子が名称に含まれるガラス工芸品は日本各地でつくられているが、伝統工芸品に指定されている「江戸切子」は、天保期、加賀屋久兵衛というビードロ屋が西洋のガラスを真似てつくったのが始まり。
現在のように色被せガラスを用いるようになったのは大正、昭和の頃から。江戸より前に色被せガラスの切子製造に成功したのが薩摩だったという。(薩摩切子と江戸切子

 「薩摩切子」は、薩摩藩10代藩主島津斉興のガラス事業をきっかけに、11代斉彬によって本格的に製造されるようになった。
江戸時代後期、日本の南端に位置する薩摩藩は諸外国の脅威から身を守るため、軍備増強を推し進める必要があった。その一環で、斉彬は薬瓶を製造するために長崎などから伝来した西洋のガラス製造書物を元に江戸からビードロ屋を呼び寄せている。

江戸時代の商人が編み出して現代に至るまで受け継がれてきた「江戸切子」。幕末の動乱で途絶えたものの100年経って復活した「薩摩切子」。
現在つくられている両者の大きな違いは、被せている色ガラスの厚さとカットの角度。
「江戸切子」は深くカットを入れることで色の境目がくっきりとしている。一方、「薩摩切子」は浅い角度でカットするためにグラデーションが現れる。

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薩摩切子の器は九州生れの祖父母の時代から日常的に使われていた。子ども時代の夏、来客があると、暗い廊下を応接間まで梅酒を運ぶ母の姿と、グラスにあたるカラカラという音。当時は氷屋さんの氷だっただろうか、わが家の当時の夏の風物詩だった。
今、このグラスは残念ながら1つしか残っていない。
身近な人びと

サトイモとサツマイモ

2020年05月28日
桂花会のLINEグループで始まったサトイモの水栽培。
昨年は、畑で捨てられていた芽が出たサトイモを持ち帰り、鉢植えにして育てた。部屋で観葉植物として楽しみ、7月には鉢ごと地面に移すと、茎は1m近く、葉は30cmまで大きくなった。(サトイモの雫

2年ぶりに始めたサツマイモの水栽培。ちょうど薩摩切子の大きな灰皿が残っていたので、ここに水を張って2つに切って入れた。
数日でどちらにも1本ずつ白い根が出てきた。ヒルガオ科だけあって、まもなく可愛らしいハート型の葉が出てくるだろう。
  
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               2019.6.3 

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      6.19        7.9
            
今年はどうだろうか。買ってきたサトイモの芽がなかなか出てこない。
Fさんは窓辺でサトイモはすでに観葉植物として楽しんでいる。Aさんは芽が出たので、水栽培を始めたところ。(芽が出たら

サトイモは、東南アジアが原産のタロイモ類の仲間でサトイモ科の植物。茎の地下部分(塊茎)と、葉柄を食用にし、葉柄は芋茎(ズイキ)と呼ばれる。
一方、サツマイモは、ヒルガオ科サツマイモ属の植物。あるいはその食用部分である塊根(養分を蓄えている肥大した根)。
この和名は、琉球王国(現・沖縄県)を経て薩摩国(現・鹿児島県)に伝わったことに由来する。別名として甘藷。

2年前の夏休み、りんりんの代わりに野菜のリボべジ(リボーンベジタブル)をつづけたことを思い出し、もっとも楽しかったサツマイモの水栽培をすることにした。
葉や茎も食用になり、とくに葉は天ぷらに、茎はきんぴらにするとよいというが、たしか、ほんの少しの葉を油炒めにしていただいたと思う。(リボべジ生活「リボべジの収穫薩摩のサツマイモ

2年ぶりに始めたサツマイモの水栽培。ちょうど薩摩切子の大きな灰皿が残っていたので、ここに水を張って2つに切って入れた。
数日でどちらにも1本ずつ白い根が出てきた。ヒルガオ科だけあって、まもなく可愛らしいハート型の葉が出てくるだろう。

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            5.11    
植物など

夏の楽しみ

2020年05月27日
ひと月ぶりにクリニックを受診しての帰り、駅のベンチで処方箋を送ったため薬局では待たずに済んだ。
これからはますますこういったことが必要になるだろうと思いながら歩いていると、お茶屋さんの店頭には生花や仏花のほか、ゴーヤピーマンの苗が並べられていた。

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毎年、苗から育てているゴーヤだが、いつのまにか日除け目的というより食材用となっている。(ゴーヤのカーテンゴーヤ三昧の夏ゴーヤのふしぎ「ゴーヤの夏

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          2019.7.5
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          2019.9.29

昨年はなぜか遅く7月からだったので、今年は5月中にと思っていた。毎年購入するホームセンターは感染者が出たために臨時休業(15日には再開)していたこともあり、ここで見つけたのはいいチャンスだと思い、買って帰ることにした。

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昨年末までは2階の部屋で過ごしていたこともあり、ゴーヤは2階ベランダがメインで、地植えは数本になった。
今年は1階の部屋に移ったこともあり、鉢ごと下の和室前に置くことにした。

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          2020.5.15

毎年、3種類くらいのゴーヤを選ぶが、今年はすべてあまり苦くない種類。
6月末くらいには花が咲きはじめるだろうか。いつごろチャンプルができるくらいの実ができるだろうか。暑い夏、少し楽しみができた。
植物など

紅花咲く頃

2020年05月26日
今日は24節気の1つ「小満」の次候「紅花栄」。(紅花

紅花は、キク科ベニバナ属の一年草または越年草。雅称を末摘花ともいう。紅色染料や食用油の原料として栽培される。
花から得られる紅は女性の口紅にされ、平安王朝人の紅や桜色の衣装を染めた。源氏物語での光源氏は葵上を弔う喪服に使用したとか。また、古代エジプではミイラの布の防腐剤として使われた。

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原産地はエチオピアともいわれ、エジプトからシルクロードをたどって6世紀頃に日本に伝来したといわれてる。
山形県では15世紀半ばから栽培が始まったとされているが、江戸初期には質・量とも日本一の紅花産地として栄え、最盛期には全国の50~60%を山形産が占めた。最上川沿いの肥えた土地が主産地で、朝霧の立ちやすい気候が、トゲのある紅花を摘みやすくしたという。

紅花の大産地は最上川流域。気候、土壌が栽培に適していたこともあるが、むしろ最上川の舟運で山形と京都や大阪が北前船によって深く結びつき、紅花商人たちが活躍したことが、産地の拡大に繋がったといわれている。
だが、明治時代以降、中国産の紅花が盛んに輸入され次いで化学的に合成可能なアニリン染料が普及したため、紅花生産は急速に衰退。現在では紅花染めや観光用などにわずかに栽培されている。

先週、『失われた色を求めて』(BSプレミアム)という特集番組(再放送)で、故吉岡幸雄の日本古来の植物染による伝統的な染色が紹介された。吉岡氏は京都で江戸時代からつづく染屋の五代目で染織史家でもある。
「染司よしおか」では、寒い時期、東大寺のお水取り (修二会) の折、二月堂の十一面観音に捧げる椿の造り花のための染和紙を紅花で染める。様々な工程を経て紅花から取り出した色素は、烏梅という梅の実の燻製の力を借りて艶紅と呼ばれるように輝くような紅の色になるという。

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     韓紅・唐紅  紅・呉藍     紅色
        紅花で染めた色  『色の手帖』 

日本の伝統色や「襲の色目」などに関心が強かった母の影響もあって『色の手帖』『色彩事典』『日本の伝統色』を傍においたり、「色の万華鏡」というサイトを覗いていた時期もあった。
母の遺した『色の手帖』を開くと、紅花の花弁の色素から染め出した「紅色」(3R 4/14)「紅・呉藍」(10RP 5/11)「韓紅・唐紅」(2.5R 4/12)の色の見本が載っている。

色名は、染めの原料の名だったが、平安時代になると四季折々の自然の色の微差が色名になっていく。紅梅色は、梅で染めるわけではないし、若竹色も竹で染める色ではない。
色と色を重ねて季節や植物を表現し、装いを凝らす「襲(かさね)の色目」も登場した。

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母が句集を上梓するときなどに手に入れたのか、色見本として切り取るようになっている「日本の伝統色」「中国の伝統色」「フランスの伝統色」(大日本印刷)。
絵を描く上でもよく活用したが、久しぶりに見てみると、「日本の伝統色」の「紅梅色」「浅緑」とか「白緑」など、決まった色が切り取られていることが極端に減っていることにあらためて驚いている。
芸術・文化・考古

前足出たら・・・

2020年05月25日
4月はじめ、庭の蹲で孵ったオタマジャクシは、現在、水槽の中に9匹。(オタマジャクシ

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             5.12

彼らの共食い現場を目撃したときから、毎朝、9匹揃っているか確認するようになった。
後足が出てから10日後、朝にはまったく見当たらなかったが午後には前足が7匹にあった。早速、皆にご報告。

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             5.21

オタマジャクシへの応援メッセージが楽しい。「うひゃー、カエルになるのももうすぐね💛」「すごいわね、ピョンと生えるのかしら?みな無事に大人になりますように!」とFさん。
Aさんからは「脚が生えて、ますます🐸らしく可愛くなりましたね♪」「ところで、とれた尻尾は自分で食べちゃうのかしら?」と。それが自然なのかもしれない。

前足が出たときに見ることができなかった。「おたまじゃくし、見られるのは恥ずかしいから見ていないすきに頑張ったかも。可愛いね」というOさんからくると、もう一人のOさんからは「頑張れ~ 大きくな~れ」。
「いよいよかしら? 五月雨の中、ぴょん!! 尻尾とれたら直ぐかな? 子供時代は気が付いたら、逃走後で、残念でした」とFさん。

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     世田谷のニホンアマガエル

世田谷のOさんは「お~可愛いギリギリ アマガエルではないですよねぇ」と「こちらに来てからはじめてみたカエルです」と「ニホンアマガエル」という小さなカエルの写真とともに。
「今後のご予定は?!」ときかれたので、「尾がとれて肺呼吸になる前に、庭に解放予定です」と返信したが、果たして何匹があのガマガエルに成長するのだろうか。

元気に育っているようですね。まもなくカエル🐸 旅立ちで、カエルことはないのかな・・・」とダジャレのO氏からも。起きたら、部屋の中で跳びはねていたら大変なことになる。庭で旅立たせられるタイミングが難しそうだ。
動物など

カエルの行方

2020年05月24日
先日、ふと庭に目を遣ると、小さなカエルが流しの中にいた。傍に行き近くにあったプラスチックのケースを被せてその上に小石を置いて重しにした。空気が入るようにと排水口の上にずらしたのだが、これが大間違いだった。

大きさ、色からして恐らく以前庭で見つけたツチガエルだとわかった。
ツチガエルはアカガエル科。体長3~5cm。背中には大小のいぼ状突起がたくさん並び、このため各地でイボガエルという方言で呼ばれている。腹側はうすい褐色をしている。

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芭蕉の句「古池に飛び込む蛙」は、このツチガエルの可能性が高いともいわれている。(カエル跳び込む・・・?

庭でみつけたカマキリ、バッタ、セミなど生き物を捕まえる癖がある。じゅんじゅんに育てるかどうか尋ねても要らないと言われるのはわかっているのだが。
りんりんが小学4年のとき、捕まえたツチガエルを、彼は学校に持っていき、クラスで飼うことになり可愛がられた。(1年ぶりの対面

話は戻るが、被せたケースも重しにした石もそのままだが、カエルがどこにもいない。まさか排水口を通るとは思わなかった。気になりながらLINEで報告。
まもなく「まぁカエルちゃんどこに行ったのかしら? 管に詰まっていなければ、這いあがって出てこれますよ」とAさん。
Fさんは「下水管に降りたね~昇って出られるか?明るい方へ上がってくるか? それとも、奥の方へ行くか?わからん!」「先へ進んで、どこか出られるのかしたら?」

ますます、後悔の念に駆られた。そんなとき、Sさんの「オタマジャクシだと思っていたらいつの間にかカエルさんに。季節はどんどん過ぎていきますね」には笑ってしまった。
後足が出て1週間以上経つオタマジャクシたちにはまだ前足が出ていないというのに・・・。  

たまたまこの日の午後、録画していた『龍の巣に挑む』(NHKスペシャル)を見た。
中国貴州省にある世界最大の地底空間「龍の巣」の闇は巨大洞窟群の中にあり、あまりの闇の深さから、地域に暮らすミャオ族から「入ってはいけない冥界とも畏れられてきた」という洞窟。

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      「龍の巣」 最大の闇 (NHK BS)

朝のツチガエルを思い出した。洞窟のような暗闇を流されたのだろうか、泳いでどこまでいけただろうか・・・?
きっとカエルになって暗闇の中を彷徨う夢をみるような気がした。
「残念ながら死んだわよ!かわいそうに」「人生には思いがけない落とし穴があるね」とOさん。「それ、洒落?」ときくと、「半分」という答えが返ってきた。
この晩、夢を見ていたような気もするが、少なくとも明け方に見ていた夢は、穴にも落ちなかったし、「龍の巣」を彷徨うカエルでもなかった。
動物など

「茶馬古道」 Ⅷ

2020年05月23日
麗江古城はかつて少数民族の納西(ナシ)族王都。ナシ族のほかにリス族、プミ族、ペー族、イ族が居住し、漢族より少数民族人口の多い地域となっている。

1996年の大地震で大きな被害を受けたが、翌年の古城区の麗江古城の旧市街の世界遺産への登録などを契機に復興が進められた。4年ほどで地震被害はほぼ修復されたうえ、古すぎた建物も修復された。(茶馬古道 Ⅱ茶馬古道 Ⅲ茶馬古道 Ⅳ茶馬古道 Ⅴ茶馬古道 Ⅵ茶馬古道 Ⅶ

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              納西古楽

麗江には3つの世界遺産がある。玉龍雪山(世界自然遺産)、麗江古城(世界文化遺産)、そして古代ナシ族の象形文字「東巴文字が「世界記録遺産(記憶遺産)」に指定されている。
   
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            東巴文字

ナシ族に伝わる、象形文字の一種で、ナシ語の表記に用い、異体字を除くと約1400の単字からなり、語彙は豊富、形や色の決まりがある。現在、世界で唯一の「生きた象形文字」とされる。

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麗江のお土産に直径20cmくらいの木製の飾皿を選んだ。当時はそれぞれの文字が何を表しているか教えてもらったはずだが、今やわからない。最初に訪れた雲南省の旅の想い出として部屋に飾っている。

長江に沿って茶馬古道はつづく。麗江市街から北へ60km、金沙江(長江上流)の本流にある「虎跳峡」の川幅は最も狭まった部分は約30mほどしかない。

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            虎跳峡

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ダライラマ5世により建てられた寺院には700人の僧侶たちが生活している。遊牧民族の住む海抜の高い(標高1200m)草原では茶の木は育たない。
可搬性に優れた黒茶を固めた磚茶(団茶)を4つに割って、大きな袋に入れて煎じる。固形化したヤクの乳から作られたヤクバターと岩塩を加え、攪拌する。
        
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          黒茶を固めた磚茶
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            バター茶

三千年前から存在した「もう一つのシルクロード」といわれる交易路「茶馬古道」は、別名「西のシルクロード」とも呼ばれ、その起源はシルクロードよりも千年も昔に遡ると言われている。
雲南のシーサンパンナの樹齢800年の樹から摘まれた茶葉は、発酵され、固められて馬に乗せられて茶馬古道を運ばれた。

『空旅中国 茶馬古道』の旅はチベットの寺院で終わるが、「茶馬古道」はラサまで千数百kmつづいた。ラサからネパールへ、さらにインドへ。
中国・中国の旅

「茶馬古道」 Ⅶ

2020年05月22日
「茶馬古道」の空旅は白(ペー)族の大理から納西(ナシ)族の多い麗江へ。(茶馬古道 Ⅱ茶馬古道 Ⅲ茶馬古道 Ⅳ茶馬古道 Ⅴ茶馬古道 Ⅵ

大理から70km、標高2500㎞の拉市海は毎年3万羽の渡り鳥が越冬する湖。

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             拉市海 

玉龍雪山は麗江市街地の北15kmほどのところにあり、南北約35km、東西約13kmの公園区域内に13の峰がある。
最高峰は5596m。

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玉龍雪山は、麗江一帯に住む納西(ナシ)族の宗教であるトンパ教の聖地。麓の金沙江本流には、虎跳峡と呼ばれる深い峡谷がある。
麗江古城地区の北からバスで雪山ロープウェイ乗り場から4505m地点までのロープウェイに乗れる。

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             棚田 

雲南地方は多くの川、谷を持つ非常に複雑な地形に加えて亜熱帯気候は寒冷な気候に育ったモンゴル兵を苦しめた。記録では華北から連れてきた四十万頭の軍馬はほとんどが失われ、兵士は八割近くが疫病にかかり倒れたといわれる。
納西族は、いち早く恭順の意を表してモンゴル軍の金沙江の渡河を助けたこともあり、大理はモンゴル帝国に降伏した。

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            要塞 石頭城

麗江は、納西族自治県の中心の街。街の一画には「四方街」と呼ばれる旧市街区があり、明代の街並みが今もそのまま残る。
入組んだ石畳の小径がつづき、その両側に木造2階建ての家並みが軒を連ねる。

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           麗江 四方街
 
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               納西族の女性

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       麗江にて   1999.4
  
1999年4月、10名で少数民族を訪ねた11日間が懐かしく想い出される。日本を離れるのも、空の旅も、何もかも初めてのスケッチと写真の旅だった。(想い出の旅 雲南省麗江)           
中国・中国の旅

「茶馬古道」 Ⅵ

2020年05月21日
「茶馬古道」の空旅はつづく。(茶馬古道 Ⅱ茶馬古道 Ⅲ茶馬古道 Ⅳ茶馬古道 Ⅴ

雲南の地は古くから中国とインドを結ぶ西南シルクロードが通る重要な交易路。
7世紀から902年までつづいた雲南最初の王国 南紹国はチベット、ビルマ系の人々が建国した。

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             大理へ

大理 巍山県南紹鎮  彜(イ)族
茶馬古道はシーサンパンナから大理を経て北へ向かう茶馬古道が通過している宿場街の一つ。

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かつてチベットのキャラバンが泊まったという宿の主は95歳。当時の思い出を語った。

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キャラバンが連れていた4頭の番犬、怖くて誰も近寄れなかったという。キャラバンの医者が霊芝草など99種の薬草で息子の眼を治してくれたことから、この女性はチベット医学を学んだという。霊芝草は今あるだけで、もう手に入らなくなったという。それを「人間への罰だよ。神様が取り上げてしまったのさ」と嘆く姿が印象に残っている。

ジンギスハンの孫クビライは、南征の一環として大理国を攻めるために洱海を渡ったという。
大理は金の採掘量が大きかったからというが、亜熱帯の気候や地形、兵士たちの犠牲は大きかったとか。

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         洱海  南北40km 東西8kmの湖
 
大理市 石畳の美しい街    白(ペー)族
建築の美術館ともいえる大商人の屋敷が残り、かつてぺー族の王が外交官に振舞った「三道茶」を味わうことができる。

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               白族

「好茶在苦涩之后会有回甘」(良いお茶は苦味・渋味がありながらも甘みを含んだ余韻が残る)。「一苦二甜三回味」(苦味、甘み、後味を楽しむ)と言われるが、三種類のお茶を淹れて、人が一生のうちに経験する「三つの境地」を表現していると言われる「三道茶」。 
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             三道茶  
   苦茶   茶葉のみで香りと苦味を味わう目覚めの茶 
   甜茶   茶葉 白砂糖 黒砂糖 クルミ ドライクリーム  甘くて香りがよい
   回味茶  茶葉 ハチミツ 生姜 シナモン 花椒  甘み、酸味、苦味、辛味の味わいが混ざり合い、疲れを癒し、食欲増進 

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          ハチミツを入れる 回味茶
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          苦茶      甜茶      回味茶 
中国・中国の旅

5月のバラ

2020年05月20日
今日は24節気の1つ「小満」。紅花が盛んに咲き乱れ、蚕も繭から出てきて桑の葉を食べ始める、麦などの穀物類が穂を付け動物達が出産時期を迎えるなど、動植物の成長にとって大切な気候。

大田区民が多いLINE仲間だが、花だよりが多いのは世田谷区のOさん、武蔵小杉のFさん、溝の口のSさん。さすがに旅の風景はほとんどなくなった。
庭の花の手入れに余念がないOさんからはバラの花が多く送られてくる。

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            Oさんから

バラが満開になる5月、街を歩いていても楽しい。そばを通ると芳しい香りが漂ってくる。
約2万種以上もあるといわれているバラ、つるバラ、八重咲き、ミニバラに大輪のバラ・・・いろいろある中、一重のナニワイバラが大好きで、昨年はKさんとスケッチに出かけたが、今年は行きそびれた。(ナニワイバラ

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毎年、りんりんの家の近くの「オープンガーデン」を楽しみにしているが、今年、門は閉じられていた。(オープン ガーデン
郷土博物館前の畑では麦刈りも今年は数人で行うとのLINEが来た。刈るのはもちろん、そのあとの麦切りも大変な作業だが、夏休みの子どもたち対象の行事など中止にならないといいのだが。
新型コロナウィルスの第2波は早ければ8月、遅くとも10月にはやってくるという。インフルエンザなどの流行が同時に襲ってくるという秋、冬・・・。どうやら「With コロナ」の中で生を終えることになりそうだ。
植物など

初夏の花々 

2020年05月19日
初夏、夏日になることも多いこのごろ、LINEで送られてくる画像は、散歩中に出逢った草花が多くなった。

考古の先輩Fさんは華道の先生。庭の花々のほかに近くの多摩川土手を歩いていて目にした風景や植物などが送られてくる。
「雨上がりの多摩川土手で四葉☘見つけました! わかりますか?」

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よくみると、下の方に四葉が! 早速、〇で囲って返信すると「当たり!押し葉にして再会できた時にプレゼントしますね!多摩川土手も人が多いので、日中はちょっと」 再会はいつの日だろうか。

人混みを避けて散歩をする人は多い。Sさんは「今日は散歩中、香りのある花をいくつか見つけました」と、カラタネオガタマ、ハゴロモジャスミン、ジャーマンカモミール
「ジャーマンカモミールは青りんごの香り、カラタネオガタマはバナナの香り 香りを愉しみました。ただし、このハゴロモジャスミンはよい香りとはいいがたいです」と、さすがに茶芸師だけあって、香りにはこだわりがある。

カラタネオガタマは、中国原産の常緑小高木でモクレン科の常緑樹。開花するとバナナのような香りがするのでバナナブッシュあるいはバナナツリーと呼ばれるという。
実際にはバナナよりももっと爽やかで甘い、梨のような香りとも。わが家の玄関の前にあるが、リンゴの香りのようだと思っている。

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        カラタネオガタマ

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        ジャーマンカモミール   
 
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         ハゴロモジャスミン

ハゴロモジャスミンの可憐な白い花にはリンゴのような香りがあり、風邪、頭痛、下痢などに薬草茶として利用されてきた。
「この時期、どこもかしこも薫りが溢れていますね。ハゴロモジャスミンは蕾から花の色が想像できなくて・・・魅力的。街中には、黄色いカロリーナジャスミンも見かけますね」というのはAさん。

少し前にOさんから届いたジャスミンには多くの蕾があった。

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         Oさんから

久しぶりに歩いた。レモン、マツリカ、タニウツギ、樹の花に目が行く。
タニウツギはスイカズラ科。道端や谷筋などに多くみられる。

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            タニウツギ

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             レモン
  
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           ニオイバンマツリ
植物など

「茶馬古道」 Ⅴ

2020年05月18日
「茶馬古道」の空旅はつづく。(茶馬古道 Ⅱ茶馬古道 Ⅲ茶馬古道 Ⅳ
再び霧の中。茶畑は見納め。気温が低く、霜が降りる。

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              霧の中

暖里村は出発点から350km。傣族イ族自治県にある。
ここでは15、6年前から若者たちがコーヒーづくりに取り組んでいる。
     
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            コーヒー畑
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            雲南コーヒー

ここより北には茶畑は見られなくなる。メコン川につづく川に沿って遡る。
茶馬古道はますます険しくなっていく。

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茶馬古道は毛沢東が雲南に自動車道をつくるまで使われていたため、商人を目撃した人たちも多いという。
旅の怖さを伝える話もある。昔、キャラバンの1人が流されて死んだことも。いつしかこの暴れ川を古宗流というようになったとか。
古宗はチベットの意味。

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                 古宗流

茶馬古道はさらに標高の高い地へ。古道沿いに立つ大きな樹を目印に商人たちは歩いたことだろう。
虎街は、標高2200kmの高原にある街。出発点からおよそ640km、雲南省の半分を来たことになる。
虎が街のシンボルで、茶馬古道は街の真ん中を通っている。

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              虎街
中国・中国の旅

「茶馬古道」 Ⅳ

2020年05月17日
「茶馬古道」は普洱(プーアル)を過ぎてさらに北へ進む。(茶馬古道 Ⅱ茶馬古道 Ⅲ
 
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普洱市 那柯里村イ族の村。
屋根付きの橋を渡ると村がある。木造建築の美術館のような建物が残る。チベットの南東部から移り住んできて、豚や山羊を飼い、小麦や玉蜀黍を育てていた。

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         屋根付きの橋を渡ると
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明の時代からつづく旅の宿でのお茶は珍しい。商人一行が着くと、焼いた瓦の上でもち米、生姜、茶葉をこんがりとあぶって中に熱を込めるという。竹筒に移して搗くとそれぞれのお椀に入れて湯を注ぐ。
また、焼いた炭を加え焦げないように揺らし続けると特別のお茶「百抖茶」ができる。

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           竹筒茶
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           百抖茶

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茶畑は見納めとなる。茶馬古道はまだまだ先が長い。  
中国・中国の旅

「竹笋生」

2020年05月16日
今日は24節気「立夏」の末候「竹笋生」。文字通り「筍生える」の意。

タケノコ(竹の子、筍、笋、英名:bamboo shoot)は、イネ科タケ亜科タケ類の若芽。
日本や中国などの温帯から亜熱帯に産するものは食材として利用されている。広義には、竹の皮(稈鞘)が稈に付着していて離脱するまでのものであれば地上に現れてから時間が経過して大きく伸びていてもタケノコといえるが、一般には食用とする地上に稈が出現する前後のもののみを指す。夏の季語。
漢字の「筍」は10日間を意味する「旬」から来ている、などと言われることもある。
 
今月3日、「以前の竹林から、1ヶ月くらいでこんな賑やかになっていました」とAさんから。「筍の成長は早く、ビックリです♪ すがすがしい気分になりました」と。(初夏 花だより

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              Aさんより

まさに「竹の秋」。筍が大きくなると、竹が枯れていくようにも見えるが、実際は、新芽に日光を当てるために古い葉を落としているのだと考えられている。

今年3月、整形外科に半年ぶりの骨密度測定に受診したときに見た竹林には、まだ雪が残っていて、筍はみあたらなかった。
 
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         2020.3.30  あざみ野

今頃の季節にはよく訪れる洗足池畔の竹林だが、今年は外出自粛期間中、もう筍は竹になっていることだろう。

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         2018.5.18  洗足池畔
旅・散策・イベント

このごろの庭

2020年05月15日
わが庭で生れた4匹の猫のうち、今残っているのは1匹だけになった。
夜の間、どこで寝ているのかも定かではないが、朝、雨戸が開く時間になるとやってきて、食べ終わると、庭から出ていく。ごんさんはこれは見回りだというが。

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          12歳半  クク

陽が当たっている石の上で寝ていることもあれば、籠の中でぐっすり寝ていることもある。
ときどき、庭に侵入者が来ないように塀の方を睨んでいることもある。

それでもノラ猫か地域猫か不明だが、少なくとも4匹の猫が日に何度も通りぬけて行く。
北の門から入って蹲を経由して大きな石を乗り越えて南側の塀の隙間から道路に出ていくのが通常のルートのようだ。
当然ながらガラス戸越しに撮るしかない。
    
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             仔猫?

猫たちには人間のつくった塀はまったく関係ないだろうが、彼らのテリトリーは一体どうなっているのだろうか。
動物など

「茶馬古道」 Ⅲ

2020年05月14日
『空旅中国 茶馬古道』はつづく。(茶馬古道 Ⅰ

西双版納 基諾(ジノ)山は景洪市の東30kmにある熱帯雨林に覆われた山で、2万人の基諾(ジノ)族が暮らす。独自の言葉を話すが、文字はない。

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           ジノ族

諸葛孔明から茶の種子を授かり、今は茶の名産地。
現在、樹齢は800年から1200年の普洱(プアール)茶の樹が4200畝くらいあるという。 
家族で茶を揉みお茶を楽しむ。今でも原始的な茶文化がある。

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「涼拌竹筒茶」は、竹筒で湯を沸かし、茶葉のほかに山椒、塩、ニンニク、ネギ、唐辛子を加える。

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               洗馬河

洗馬河は、雲南遠征のとき孔明が馬を洗ったと伝わる湖。「孔明興茶」は四川省に運ばれ、やがて長安へ。
普洱(プーアル)には、数年前に商人たちが寝泊まりした宿が再現された。普洱茶は黒茶の1種。
      
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         普洱     出発点から25km  

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人々は「茶馬古道」を馬が鈴の音とともに歩くさまを「馬鈴声声 馬蹄陣陣」と表現していたという。山の中の古道に響く鈴の音がきこえてくるようだ。
中国・中国の旅

「茶馬古道』 Ⅱ

2020年05月13日
「雲の南と書いて 雲南。雲の下に お茶の故郷がある」
『空旅中国 茶葉古道』(NHK BS)は雲南の茶畑から始まった。(『空旅中国 茶葉古道』

「茶馬古道」は、雲南の南方からチベットのラサまでの約150kmの交易路。雲南省で採れた茶(磚茶)をチベットへ人と馬で運んだことから名づけられた。
チベットの遊牧民は肉や乳製品ばかりで野菜を摂らない。彼らにとって胃に溜まった脂を流し、ビタミンを補ってくれる茶は不可欠だった。

雲南にはもともと漢民族とは異なる民族が王国を築いていた。7世紀、はるかかなたで中国王朝の唐が誕生、同じころ雲南の北にチベット王国が誕生。雲南はチベットと同盟を結んだ。茶馬古道が栄えたのはそんな独立王国の時代。

ミャンマーの国境に近い西双版納(シーサンパンナ)に暮らす布朗(ブーラン)族は9万2千人ほど。
政府が重点的にサポートする人口の比較的少ない22の少数民族の1つ。独自の言葉はカンボジアと同じクメール語。

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           プーラン族

紀元前に布朗族が茶の栽培をした言い伝えがある。樹齢800年の茶の樹をはじめ樹齢数百年の「古茶樹」が多い。
「茶友各桟」(宿屋)で淹れたお白茶は鉄瓶の湯に茶葉を入れ注ぐというシンプルなものだった。布朗族のお茶はわずかに発酵させた若葉を使う。樹齢800年の味だとか。

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        わずか15秒で出来上がり 

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茶馬古道は瀾滄江(メコン河)を遡る。タイ語で「母なる水」。チベット高原に源流を発し、全長4909km。
 
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              メコン河  
      
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       茶馬古道の出発点  易武
   
茶馬古道の出発点は易武の街。出発は正午と決まっていた。商人たちは小柄で疲れ知らずのチベット馬に円盤型に固めた茶を入れた30kgの籠を両側に積み馬を引き歩いた。
雲南の北まで1200km、さらにチベットのラサまで2500㎞。往復1年の旅だった。

出発してから110km。景洪では商人たちが開く夜市で賑わったという。
茶馬古道はさまざまな民族が出会う道でもある。

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西双版納(シーサンパンナ)には、布朗族とともに傣(タイ)族も多く115万人が暮らしている。タイやラオス系。
もともとは現在の湖南省付近に国家を築いていたが、秦の始皇帝に追われたという歴史がある。

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                景洪 (傣族自治州)
中国・中国の旅

『空旅中国 茶馬古道』  

2020年05月12日
今年になって毎日の過ごし方がだいぶ変った。昨年末、部屋を2階から1階のかつての父の書斎に移ったことも大きいが、コロナのせいで家で過ごす時間が多くなったことも影響している。
3月にビデオデッキを買い替えたことで巣ごもり生活をなんとか我慢できているのかもしれない。

以前から見るテレビはほとんどがBS、それもBSプレミアムが多いが、ゆっくり観たい番組があっても録画することができずにいた。
というのもテレビもビデオデッキも娘か息子の家のお古で、何と15年、16年前のものだったからだが。(四川省の少数民族

BSプレミアムは再放送、しかもかなり前のものが多い。そんな中、今年3月に放送された『空旅中国 茶馬古道』は、茶の故郷雲南省から始まることもあって、メモを取りながら何度か観ている。しばしコロナを忘れて、雲南、貴州省の旅を懐かしく想い出しながら。
この『空旅中国』シリーズは1年前から始まり、「万里の長城」「空海のまわり道」「鑑真が最後に見た絶景」など、見逃したものも多いので、これからの再放送が楽しみだ。

『空旅中国 茶葉古道』は「雲の南と書いて雲南。雲の下にお茶の故郷ある」と雲南の茶畑の空旅から始まった。
樹齢800年の茶の樹、そしてチベット高原・・・。ドローンで茶馬古道沿いに暮らす少数民族の独自の茶文化を紹介してくれる。
茶馬古道は、7世紀の唐や吐蕃の時代にはすでに交易が始められ、20世紀中ごろが流通の絶頂期と言われている。
ジンギス・ハーンの孫クビライが攻めるまで独自の王国を保った雲南の「茶馬古道」は、雲南に毛沢東が自動車道を作る20世紀まで伝統交易が続いた。

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       お茶の故郷 雲南省

『空旅中国 茶葉古道』は「雲の南と書いて雲南。雲の下にお茶の故郷ある」と雲南の茶畑の空旅から始まった。
樹齢800年の茶の樹、そしてチベット高原・・・。ドローンで茶馬古道沿いに暮らす少数民族の独自の茶文化を紹介してくれる。

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            空からの茶畑

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         樹齢800年の茶の樹

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           チベット高原
 
雲南省南部の易武が起点。チベットのラサまでの1500km。
主な交易品は雲南地域より塩、茶、銀製品、食料品、布製品、日用品など。チベット地域より毛織物、薬草、毛皮など。
チベットを経由してインドやネパールで生産されたの物資も雲南に届いたと言う。

途中、景洪普洱那柯里などのメコン川沿いで寝泊まりしながら雲南省を北上。
虎街では町の真ん中を茶馬古道が通っている。

その後、雲南の最初の王国・南詔国の都・巍山から大理を経由し、麗江からは長江沿いを行き、チベットのガダン・ソンザンリン寺院などを経由しながら雲南を出る。
中国・中国の旅

連休が明けて

2020年05月11日
外出自粛が言われるようになってだいぶ経つ。不急ではあっても必要な場合には出かけることになるが、徒歩圏にある4駅を結んだ範囲内がほとんど。

先日、夕方突然、マウスが効かなくなった。乾電池を入れ替えるなど試みたが、ポインターが動かない。予備のマウスは有線と無線両方ともりんりんにあげたばかりだった。
翌朝、もしやと思って試してみるが、結果は同じ。4年経つパソコンだが、昨年修理に出して基盤を取り換えたにもかかわらず、相性が悪いのか、その後もしっくりいかない。念のためパソコンもリュックに入れて川崎ヨドバシに行くことにした。


連休明けの平日9時半とはいえ、川崎の駅も街も人は少ない。店内でも客はほとんど見かけなかった。
パソコン関係のフロアには店員のみ。現在は修理・相談コーナーは閉鎖中、テーブル席でいろいろチェックしてもらっている間もほんのたまに客の姿を見かける程度。
本体の設定が問題かもしれないが、急ぐのでとりあえずマウスを買うことにした。レジの前にも客はいなかった。
とりあえず、パソコンに関してはどちらかの寿命が尽きるまで仲良く付き合っていくしかないようだ。

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       無線マウスと(Bluetooth)

京浜東北線で久しぶりに多摩川を渡った。昨年の台風の被害から半年以上、河川敷もだいぶ以前のように戻っている。

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         車内から      5.7

2日後、Oさんにセッコクの花(デンドロビューム)を自転車のかごに積んで出かけた。
多摩川土手に上がると、自転車、ランニング、ウォーキングの人、人、人。追い抜かれ、すれ違う。マスクして走る人は半分くらいだろうか。河川敷にも大勢の人の姿が。土曜日だということを忘れていた。連休中もこんな状態だったのだろうか。

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                 5.9
旅・散策・イベント

秋には逢えるかな

2020年05月10日
Fさんからケヤキの写真が送られてきた。??どこのだろう??と思っていると、次の写真が来た。
あの「トトロの樹」だと思った途端、「いつかみんみんとSさんとで見に行った、西荻のトトロの木の様子。とっても元気です」と。

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       トトロの樹   Fさんより  2020.5.5 

西荻窪の彼女の家から「トトロの樹」までは歩いて5分ほどだろうか。「この木の前のカフェの3歳くらいの男の子がいて、私をみて、そばにいたお父さんにおばあさんが来たよ!と言いました。帽子をかぶり、マスクをして、眼鏡もかけていたのに、おばあさんとわかるとは!ショック!」
いやいや、帽子もマスクも眼鏡もなければ、お姉さん!と言われたはずと返したのだが、実際に彼女はだれがみてもお婆さんには見えない。

「坂の上のけやき公園」(杉並区西荻)の「トトロの樹」と呼ばれて親しまれているケヤキの大木はマンション建設による伐採や立ち枯れの危機を乗り越えてきた。保存運動の署名簿、この話題が掲載された新聞の切り抜きなどが入れられたタイムカプセルが花壇の下に埋められたという。
初めての出逢いは公園が出来てひと月経った2010年4月。荻窪の病院に肺炎で入院した孫娘あいあいの付き添いに行く前に立ち寄った。(坂の上のけやき公園

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          2010.4.24
   
樹高約19m、幹周り5.5m 樹齢90年を超えるケヤキに圧倒された。このときはまだ樹の周囲に柵はなく、子どもたちが自転車でグルグル回って遊んでいた。

2011年、樹に亀裂が入てから次第に枯れ始め、翌年春には葉の出が遅く、左右不均等の異常な状態に。プロによる樹勢回復が行われ、2015年秋には葉にも勢いが出て、繁り具合も戻ってきたという。
FさんとSさんと「カノン」でランチをいただいたのは、2015年のクリスマス前だった。(再会したトトロの樹

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     2012.12.22  アトリエ「カノン」で

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          2015.12.17 

その後、ごんさんと孫たちの運動会の帰りに「カノン」でランチしたこと、Kさんとスケッチブックを持って行ったこともある。Oさんと出かけたことも、現在は上海に戻った非さんと行ったこともある。

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          2016.10.2   

「トトロの樹」は、2016年9月、杉並区の「景観重要樹木」第1号に指定された。
  
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          2018.4.4  
      
そういえば2年前に訪れて以来、トトロの樹に逢っていない。「秋になったら逢いに行きたい」と伝えてとFさんに頼んだ。
旅・散策・イベント

立夏になって

2020年05月09日
暦の上では夏、緊急事態はつづく。お仲間と気軽に会ってお喋りする機会がなくなり、図書館、博物館なども利用できなくなったが、恐怖に慄いたり腹を立てることにも厭き、巣ごもり生活にも慣れて、ウィルスとの共存生活を覚悟しつつある。
4月になってからは掃除や片付けも天候や気分任せ、「この日までにこれだけやらなくてはならない」ものもなくなったこのごろ、仲間とのLINEがなければ一日は長く感じられるに違いない。

部屋の模様替えをしてから眼に入る庭の景色も少し変わった。今は紅梅の幹と大きくなり始めた実がみえるようになった。そして紅梅の幹に着生した石斛(せっこく)の花が咲き始めた。(せっこくセッコクの花が咲いた

5月3日、数輪しか咲いていなかったが、わずか2日後の朝見ると、数えきれないほど咲いていた。それでもまだ蕾はいくつもある。
8年前にUさんに株分けしていただいたデンドロビューム(セッコクの園芸種)。

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日本原産の石斛(セッコク)は、日の当たる樹幹や岩に着生し、5月頃、白または淡いピンク色の花が咲く。「長生蘭」「岩薬」とも。
3年前、中国茶芸師のSさんと桂花会メンバーで訪れた佐倉市の「茉莉花」の薬膳ランチに石斛が入っていた。タブレットにあった庭のセッコクの画像を見せると、これはセッコクではないといわれたのは、園芸種だったからだろう。
中国産の石斛は63種類あるというが、生薬として用いられるのは10種程度らしい。(生薬になるセッコク

「いろいろバラが咲き始めています」とOさんから淡い色のバラの写真が送られてきた。彼女は昨年夏、郷土博物館で知り合って、土器づくりを一緒に楽しんだお仲間だが、世田谷区の考古関係のボランティアがメインで、あまりお目にかかることはないが、LINEで愉しいお付き合いをしている。

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「祖母がシンビやデンドロが好きだったらしいのですが、私はバラがあるので好きな方にお譲りしてしまいました。あとシンビが一つだけ。手入れしなくて今年は咲かず、昨日焦って植え替えたところです」と。
  
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コロナさえなければ、素晴らしい季節なのだが・・・。子どもの日、近所で買ったからと「消毒ジェル」を届けてくれたじゅんじゅん。お互いマスクして門の外で受け取り、発した言葉は「有難う」と「気を付けてね」だけ。
来週は彼の8歳の誕生日だが、集まることはないだろう。子どものときした辛い体験は、将来、プラスに換えて行ってほしいものだが。
縄文のころのように「「自然との共存共生」は望むところだが、未知の「ウィルスとの共存」は勘弁願いたいのだが。
植物など

人と人との距離

2020年05月08日
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために人と人の間に十分な距離を保つ「ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の確保)」という耳慣れた言葉だが、「社会的距離」というと、家族や友人などとの関係を社会的に断つといった感じを受け、何かしっくりと来なかった。
だが、最近これを「フィジカル・ディスタンシング(身体的距離の確保)」と言い換える動きが出てきたという。

要するに「人と人との距離」、推奨される距離は約2m。一歩外へ出れば、この間隔をキープし続けるのも一苦労。しかも換気の悪い空間の場合、2mだけでも不十分」ともいわれている。

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3月初めころだったが、病院の待合室の椅子にも「社会的距離」と書かれた紙や「×」とテープが貼られていた。  
最近はあまり行くことがなくなったが、スーパーなどのレジにはビニールが下がり、前の床には2mごとにラインが貼られていることも多くなった。
 
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たまに自転車で行くことがあるパン屋さんに歩いて行った。中に10人ほどの客がいただろうか。
数台あるレジ前には2mほどの間隔を空けて並んでいる人たち。パンをトレイに入れて最後尾に立つと入場制限が始まった。

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「買い物は3日に一度、1人で・・・」とはいかないようだ。休日の昼前、2人連れ、家族連れが多かった。店を出ると行列が出来ていた。

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代わり映えしないわが家でもたまのパンのランチは、しばしコロナのことを忘れさせてくれた。
旅・散策・イベント

芽が出たら・・・

2020年05月07日
桂花会のLINEで4月半ばから「サトイモの水栽培」で盛り上がっている。といっても、すでに始めているFさんと、月末に始めることにしたAさん、そして昨年鉢植えで育てた私と3人の間でだが。

キッカケはFさんが送り先を間違えたことからだった。「八百屋は外の八百屋にしてください。里芋の種類によって、微妙に葉の形が違うみたい。最初は暗い所に入れておき、芽が出るのを待ちます。それにだいぶかかるかも」 
うんざりする巣ごもり生活の毎日、こういった話題はホッとする。

突然の「里芋」??「いっそのこと植木鉢に埋めておくのはいかが? 去年、畑で転がっていた里芋を鉢植えにしていたら、立派な観葉植物になり、しかも秋には小芋が出来ていました。楽しいです!」と書いた。

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               2019.6

5分後、「大変大変失礼しました。妹に送ろうと思い、間違ってしまいました。 この前といい・・・二度目の誤発信。今後気を付けます」と慌てたFさんから。    

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            Fさんの里芋   4.17

緊急事態宣言が出てから10日後のことだった。しばらくはアベノマスクが来たとか、まだ来ないとか、近くで感染者が何人出たとか、コロナ関係の話題がつづいた。

そして今度はAさんから突然、届いた里芋1個。「里芋の芽がやっと出てきました!次は何をしたら良いでしょうか?」「水につけるとカビませんか?」

昨年、畑で転がっていた里芋をもらってきて鉢植えにした。「水栽培ならFさんかな? 私は鉢植えにしました。暗い所に置いて、もう少し芽を出した方がいいかなと思います」「畑で転がっていた里芋はすでに5cmくらい芽が伸びていたです」

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         Aさんから   4.27

「私はその芽が1cmくらいになったとき、芽が上を向くようにして、芋の下を切り、安定させて水にセットしました」とFさん。
「芋は泥を落としてあるでしょ。水はともかく毎日替えました。黴は生えないです」   

5月になって「こんな調子で・・・、もう少しですか?」と、2個の里芋の写真がAさんから送られてきた。

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           Aさんから       5.1          

「もうちょい、くらいところが良くないかな? この前より芽らしくなってきた。私は1cmくらい伸びたときに、水につけた。どうかしら? 植物のことはみんみん先生の方が信頼できそう!」とFさん。

「いえいえ、私は人間も植物も育てるのは下手です・・・もう少し、新聞紙か何かに包んで冷暗所に置いておいたらどうかしら?土の中にいると錯覚させて?」と書いた。 「そうね、もう一息 ♡ ♡」とFさん。
「今後の里芋の芽について 方向がわかりました。まずは新聞紙に包んで、土の中を思わせて、暗い所に置くんですね」
Fさんの「もうちょいだと思います」
「すくっと、育ってほしいな 楽しみィ」「お二人の言葉、励みになります」

2年前の夏にわが家で頑張ったリボべジを思い出した。もとはりんりんの夏休みの自由研究だったのだが、楽しかった。里芋はやらなかったが、サツマイモがぐんぐん伸びても面白かった。(リボべジ生活
植物など

初夏 花だより

2020年05月06日
5月に入って真夏日がつづいた。わが庭ではやっとセッコクの花が開き始めた。

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皆からのLINEにも花だよりが多くなり、癒されている。
Kさんからはお庭で育てた「ツタンカーメンのエンドウ豆」。これは今は亡きKさんから譲られて種子から育てたもの。
たまたまなのか、昨年の花よりさらに赤味が強くなったように感じられる。(ツタンカーメンのエンドウ豆

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             Kさん

かなり昔になるが、絵の会でAさんがお仲間に配られたそのエンドウ豆を分けていただき、種子を蒔いたことまでは覚えているが、収穫まで至らなかったように記憶している。

4月末、朝の散歩を欠かさないAさんから藤の花。
そして、5月、竹林がひと月で賑やかになっていたそうだ。「筍の成長は早くビックリです。清々しい気分になりました」

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            竹林    Aさん

考古の先輩でもあるFさんは華道の先生、お庭のさまざまな花々が送られてくる。

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            ハイビスカス
 
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  デンドロビューム・ギンギアナム  ヒタチイカリソウ

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二十日大根がやっと収穫出来て、サラダになったとか。美味しそう!!
植物など

こどもの日

2020年05月05日
今日は24節気の1つ「立夏」。そして「こどもの日」「端午の節句」。今年はついに「五月人形」を飾らなかった。押入れの奥に仕舞っておいた雛人形はすべて郷土博物館に寄贈できたため、さらに奥にあった五月人形の箱もすぐに出せたのだが・・・。
今年は鯉のぼりをあまり見かけないが、コロナの影響だろうか。
 
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       2020.5         2019.5 
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毎年、賑やかに鯉が泳ぐ神社では、藤の花の代わりに下がっていた。
世田谷のOさんからは次大夫堀民家園近くの鯉のぼりが送られて来た。

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毎年雛人形や五月人形を玄関の間に飾っているNさん(造園業)宅。5月1日の朝、Sさんから数枚の五月人形と地図が送られてきた。

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たまたまこの前を通ったことがあったが、玄関は開いていなかったように思う。
午後、自転車でパンを買いに行く前に立ち寄ってみた。玄関に入ると、武者人形や金太郎などが飾られていた。

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かつてみた東京タワー、四季の森で泳いでいたたくさんの鯉のぼりを思い出している。
旅・散策・イベント

ガジュマルの下で

2020年05月04日
今日は「みどりの日」。もともと1985年に祝日法が改正されて制定された「国民の休日」だったが、4月29日の「みどりの日」が「昭和の日」に変更なったためこの日が「みどりの日」となった。「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨とする。

先月から録画を始めてコロナ騒ぎで暗くなった心をリセットするために観ることにした。その中のお気に入りは「巨樹」に関する番組。中でも『巨樹は語る はるかないのちの物語』(NHK BSプレミアム)は何度みても飽きない。

初回放送は2005年、愛知県で開催された「愛・地球博」に連動した番組。日本をはじめ、米国、中国、マダガスカル、メキシコなど、世界各地にある巨樹にまつわる物語。楳図かずお、忌野清志郎などの旅人たちが訪ね歩き、はるかな時間を生き続けてきた巨樹を通じて森と人との関係を模索する。
ケヤキの巨樹の下で中学校の生徒たちに「樹の物語」を語る若き日の樹木希林が姿が印象的だった。

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「第一章 世界のはじまりに樹があった」ではアフリカ マダガスカル島のバオバブが登場した。(バオバブの樹
「第二章 果てしなく生きつづける樹」    アメリカ  ブリッスル コーンパイン
「第三章 巨樹は悲しい歴史を目撃した」 オーストラリア  プリズンツリー(バオバブ)
「第四章 失われた心のなかの゛森″」  イギリス  オーク
「第五章 むかし むかし 樹も人も 幸せに暮らしていた」 日本 カヤ (カヤの巨樹の物語)  

第六章は「木陰にユートピアをみつけた」で、中国雲南省の平坡(ピンポー)村のガジュマルの話。旅人はアートディレクターの浅羽克己氏。

雲南省は生れて初めて訪れた外国、30年も前のこと。主に少数民族を訪ねるスケッチ旅だったので、平坡村を訪れることはなかったが、雲南省というだけで懐かしかった。

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      雲南省ヤンビ県ピンボー村
 
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          ガジュマル

千年前、村が開かれたころに植えられたと伝わる。ガジュマルは、イチジクの仲間だという。
太い幹、枝の端から端までは30m以上もある。

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         「一木をもって林となる」 
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        ガジュマルの下の浅羽氏

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「情樹」といわれるこの樹の下は人々の憩いの場。結婚、子どもの名付け、野辺の送りなどもこの樹の下で行われるという。

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松、杉、胡桃、栗などが建材や炭の材料として伐られていった中、「情樹」は無用の大木として残ることになったという。
鉢植えの観葉植物としてのガジュマルしかみたことがなかった。
ちなみに日本では、沖永良部島には樹齢120年の日本一大きなガジュマルがあるという。
旅・散策・イベント

初夏になって

2020年05月03日
「STAY HOME 週間」といってもひと月以上巣ごもり生活がつづくことには変わりがない。
5月の連休の花「ナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)」の樹の下を通ると、すでに咲き始めていた。

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          ナンジャモンジャ   

区の集まりで知り合ったOさんもKさんも散歩は欠かさないようで、ときどき出会った花や木、風景の写真が送られてくる。

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           シナノミザクラ  Kさんから

数日前に見た六郷用水沿いのシナノミザクラが、紅く色づいている。これはKさんから。  
「この花の名前 何でしたっけ? 教えてください!!」とOさんから。そう、「ハゴロモジャスミン」。今はあちこちの塀で咲き乱れている。

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       ハゴロモジャスミン   Oさんから

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        六郷用水沿い    Kさんから

「六郷用水にカモ」とKさんから来た翌日はちょうど連休初日だったせいか、カモは見当たらず、家族連れの姿が多かった。

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オタマジャクシがいた。孵って間もないのか、ガマガエルでないのかわからないが、庭で孵ったオタマジャクシに比べて細く小さかった。そういえば、この辺りは蛇が出てくることがあるようだ。何度か「ヘビに注意」という看板を見たことがある。
     
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旅・散策・イベント

善光寺の「逆さイチョウ」

2020年05月02日
2014年の今日は、日本画のF先生が急逝された日。色々な意味で転機になったこの年はとくに記憶に残っている。
F先生が銀座に画廊をオープンされてまもなく第1回目のグループ展を開いた。先生にもアドバイスをいただいて、デッサン教室ならではの「人物、鳥剥製などのデッサン」や「扇面色紙屏風」なども展示したりと、とてもユニークないい企画だった。
そして2回目が先生が逝去された10日後、ショックと悲しみの中での展覧会となった。

先生が眠られる金蔵寺は、麻布善光寺の総門右側にある浄土真宗寺院。金蔵寺は、善光寺住職了海上人が親鸞聖人に感銘を受けて、善光寺の執事であった金蔵坊(了源)が創建した。寺の前には有名な「柳の井戸」が残っている。


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            麻布善光寺   (『美の壺』)

先日、『美の壺』のテーマが「巨樹」だったので、録画をしながら見ることにした。その中に善光寺の「逆さイチョウ」が登場した。
ほかに鹿児島県蒲生の大クスや青森県深浦町の銀杏、香川県の志々島の大クス、そして北海道富良野のカツラの林。
 
善光寺には何度か訪れたが、Hさんを案内したこともあった。その目的は、「逆さイチョウ」と言われる銀杏の巨樹。
根がせり上がって枝先が下に延びているところからこう呼ばれる。
都内で最大、ので最古の巨樹。国指定天然記念物。善光寺は都内で浅草寺に次ぐ古刹。鎌倉時代、立ち寄った親鸞が去るときに持っていた杖から成長したと伝えられるので、「杖イチョウ」ともいわれている。
 
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                            2009.8
       幹回り10.4m 樹齢は750年
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                            2009.11

反対側に回ると、大きな空洞がある。善光寺は東京大空襲で本堂が全焼、このイチョウもかなりの被害を受けた。
だが、新しい枝が育ち、何層にもなっている。樹高は20mと高くはないが、前に立つとその生命力に圧倒される。

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       空襲で焼かれた「逆さイチョウ」

コロナが落ち着いたら、F先生の墓参を兼ねてこのイチョウの巨樹に逢いに行きたくなった。
旅・散策・イベント
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