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昭和のビーズバッグ

2020年03月07日
今頃になって物置の奥にしまってあった祖父母の遺したものを広げてみてあらためて驚いている。
最初は祖父の昭和8年の「大日本帝國外國旅券」というパスポートだった。(祖父のパスポート

さらに祖母の鼈甲の櫛、コンパクトのほか、ビーズのバッグが3つと鰐皮のバッグが出てきた。ほかにも珊瑚のカフス、珍しい貝のカフス、珊瑚と銅製だろうか唐獅子の帯締、そして別の「防蟲箱」と書かれた金属製の箱にはテンの襟巻と6頭分のテン?をつなげたショールが入っていた。

このうち、ビーズのバッグについては「昭和 ビーズバッグ」で検索すると、吹田市にある国立民族学博物館(みんぱく)では2017年に、特別展「ビーズ―つなぐ・かざる・みせる」が開かれたことがわかった。この時携わったのがビーズ細工などの研究を行う池谷教授だという。昭和に流行ったビーズバッグだが、池谷氏によれば、ビーズバッグが需要の低下や職人の減少により、製品として流通に乗らなくなりつつあるという。

驚いたのは、ビーズの誕生は今から約10万年前のホモ・サピエンスの時代だとか。
なぜ民俗学で扱うのか不思議だったが、池谷氏によると、ビーズでバッグをつくるというのはかなりユニークなもの。アフリカや欧米、アジアでは、古代から服や髪をビーズで飾る文化が根付いているが、本州以西の日本では「古墳時代のあとで一度発展が止まった」という。

日本では1000年以上経て、再度流行した昭和の「ビーズバッグ」。
文化的に価値がある理由のひとつは、長くビーズを装飾として使う文化がなかった日本で、昭和に入り、海外からの輸入品の人気の高まりなどから国産のビーズバッグが一大ブームとなった。
もうひとつは、「線」ではなく「面」の装飾として生まれ、浸透したことだという。アクセサリー、服の刺繍など、ビーズ装飾は初めは線状のものから始まることが多いが、バッグは最初から面を前提としたデザインだ。
    
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             Sさんに

ビーズバッグ、そして刺繍の技巧自体は海外にも古くからあるものだが、花や植物など、海外のものとはタッチが異なる繊細なデザインも多く、日本のビーズバッグは、世界的な文化史から見て独自の進化を遂げていったという。  
  
さらに、母親のバッグを娘が譲り受ける習慣など、日本人はビーズを「人と人をつなげる珠(たま)」とみなしている側面があり、ビーズのバッグは、単なる製品としてではなく、日本人特有の繊細な価値観や美意識を内包した重要な「文化」のひとつとして考えるべきだという。

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             Oさんに

ちなみに、「みんぱく」が世界中から集める収蔵品約34万点のうち、3%程度の約1万点がビーズ関連のものだという。
素材としてのビーズそのものや、技術面よりも、文化的な側面から価値があるとされている。
それほどの価値があるのなら「みんぱく」に寄贈しようと思っていた矢先、わが家にみえたS学芸員が集めていることを知った。なるほど、彼女は考古の中でも黒曜石、翡翠、瑪瑙などの「珠」に造詣が深い。ということで、彼女に2つ、さら1つは翌々日わが家にみえたOさんに差し上げた。

祖母から母へそして、私の代わりにSさんやOさんのお嬢さん、お孫さんにつながっていくだろう。
身近な人びと